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近年の日本の保険行政における健全性 規制の動向とその考察

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■アブストラクト

かつての保険行政は生命保険会社の健全性確保に際し,純保険料式責任準 備金の積み立てと株式含み益に大きく依存し,銀行と同様の切り口で保険会 社の監督に当たった結果,ロックイン方式の弱点を見過ごした。このことが 後の生保危機を増幅してしまったと考えられる。リスクベースの新たな健全 性指標として導入されたソルベンシー・マージン比率も生保危機の局面では 十分機能しなかった。その後の健全性規制の動向を確認すると,ソルベンシ ー・マージン比率の見直しを段階的に進める方針を打ち出したものの,中期 的に進めるとした経済価値ベースのソルベンシー規制の導入は未だ目途が立 っていない。他方で自己規律の活用という新たな健全性確保の枠組みが台頭 し,本来は自らの企業価値向上のために取り組む ERM を,監督当局が健全 性規制の一環として活用するようになった。ただし,自己規律の活用には利 点だけではなく,限界があることも見えてきた。

■キーワード

生保破綻,ソルベンシー・マージン比率,ORSA

Ⅰ はじめに

中堅生保が相次いで経営破綻し,信用不安が大手生保にもおよんだ⽛平成

*平成29年⚗月29日の日本保険学会九州部会報告による。

/ 平成30年⚗月30日原稿受領。

近年の日本の保険行政における健全性 規制の動向とその考察

植 村 信 保

(2)

生保危機⽜の時代から20年近くがたち,若手の業界人にとっては遠い歴史の 一コマとなっている。しかし,当時経営が行き詰まった金融機関の預貯金が 全額保護されたのとは対照的に,生保の破綻処理では責任準備金の削減や既 契約の予定利率引き下げ,早期解約控除の設定など,破綻生保の契約者負担 が大きかったことを忘れてはならない。破綻の直接的な原因はさておき,契 約者保護を旨とする保険行政の失敗事例として記憶にとどめるべきであろう。

そこで本稿では生保分野を中心に,当時の監督当局がなぜ一連の生保破綻 を防げなかったのかを探ったうえで,その後の健全性規制の動向を確認し,

失敗事例がどのように生かされているのか考察する。

⚒.保険行政はなぜ破綻を防げなかったのか

⑴ 純保行政と株式含み益への依存

かつての保険行政がなぜ2000年前後に相次いだ中堅生命保険会社の経営破 綻を防げなかったのか,自らの研究結果を踏まえ,私見を述べてみたい1)

日本の保険行政は,1995年に保険業法が改正されるまで,典型的な⽛護送 船団⽜行政だった。旧保険業法のもとで,監督当局(大蔵省)に広範な権限 を与え,経営のあらゆる段階において具体的に監督する実体的監督主義の方 式が採用されていた。

1996年に新たな健全性規制としてソルベンシー・マージン基準を導入する まで,大蔵省が生命保険会社の健全性確保という観点から進めていたのは,

純保険料式責任準備金の積み立て推進が中心だった。契約者への還元を重視 し,自己資本の充実という観点には乏しかったが,生保の持つ膨大な株式含 み益が経営のバッファーとして認識されていた。

純保険料式では新契約獲得時のコスト負担を考慮せず,初年度から純保険 料に見合った責任準備金を積んでいくため,新契約費を考慮するチルメル式 よりも高い水準の責任準備金となる2)。しかし,新契約を獲得した時点の予

1) 植村信保(2008)⽝経営なき破綻 平成生保危機の真実⽞。

2) ただし,チルメル期間を過ぎれば両者の積み立て水準は一致する。

(3)

定利率で割り引いて計算し,その後の金利水準が下がっても割引率は変わら ない⽛ロックイン方式⽜であるため,契約獲得時の予定利率が高い場合には,

責任準備金の積み立て水準が薄くなってしまうという弱点がある。

これに対し,旧保険業法下での保険行政はこうした責任準備金の弱点につ いて,ほとんどノーチェックだった可能性が高い。責任準備金の十分性を確 認する⽛将来収支分析⽜の導入は1996年である。公開された資料や関係者の 証言によると,当時の大蔵省検査では,財務面に関しては銀行と同じような 切り口で生保を見ていた可能性が高い。⽛当局(大蔵省)の関心は単年度の 決算と資産内容,各部門の業務確認に集中しており,責任準備金の検査は 1999年の金融庁検査が初めてだった⽜という証言もある。加えて,監督当局 には保険行政を担当するアクチュアリーがほとんどの期間で存在しなかった。

いくら強力な監督権限を持っていても,生保の事業特性を踏まえた監督をし なければ,経営悪化を食い止めることができないのは当然だろう。

筆者は,一連の生保破綻は株価下落や金利低下といった経営環境などの外 的要因と,その会社の内的要因の連鎖により生じたことを明らかにした3)。 破綻した中堅生保には例外なく会社内部に破綻リスクを高める固有の内的要 因が存在し,これらに経営環境の変化(外的要因)が加わったことで,将来 の経営危機の兆候が生じている。そこに再び何らかの内的要因が作用して,

経営が不適切な対応をとってしまった結果,最終的に経営破綻に追い込まれ たという構図である。

とはいえ,実体的監督主義のもとで強い権限を持つ監督当局が,純保険料 式責任準備金と株式含み益への依存を柱とした健全性確保の枠組みを続ける 一方,1980年代に複数回の予定利率の引き上げや高水準の契約者配当を認め てしまったうえ,ロックイン方式の弱点を見過ごしたことが,その後の生保 危機を増幅してしまったのは確かである。

3) 植村(2008),206~207頁。

(4)

⑵ 経営指標の問題

問題を抱えた生保に対して大蔵省の対応が遅れた理由の一つに,財務内容 の手掛かりとなる保険会計やそれに基づく経営指標が,生保の経営実態を十 分に反映していなかったことも挙げられる。

当時の生保の情報開示は極めて不十分だったが,監督当局として資産内容 の詳細を把握することは可能であり,実際,1990年以降に実施した検査では,

大蔵省はいくつかの中堅生保の資産内容が急速に悪化していることをつかん でいた。しかし,長期にわたり予定利率を保証する保険負債の金利リスクの 深刻さについては,主要な指標として注目されていた三利源損益(死差損益,

費差損益,利差損益)をはじめ,当時の保険会計のもとでは十分に把握でき ていなかった可能性が高い。

10年国債利回りは1991年から低下基調となり,政策金利も下がっていく。

1980年代後半に予定利率の高い貯蓄性商品の販売に傾斜し,資産と負債のミ 図表⚑ 過去の生保破綻事例(1997~2001年)

会社名 破綻時 破綻に至った直接の要因(主なもの)

日産生命 1997年⚔月 金融機関との提携で予定利率の高い個人年金保険を集めすぎた 不適切な決算対策が傷口を広げた

東邦生命 1999年⚖月 高利率の貯蓄性商品を大量販売

不動産関連投融資などハイリスク・ハイリターンの運用に傾斜 経営トップとその周辺が不適切な経営を行っていた

第百生命 2000年⚕月 余裕のない収益構造のなかで,様々な要因が一気に表面化

(低収益構造や資産規模の急拡大,不適切な資産運用など)

大正生命 2000年⚘月 収益力の悪化と不良債権問題で支払余力が低下 筆頭株主による詐欺事件に巻き込まれて破綻 千代田生命 2000年10月 高利率,高配当の貯蓄性商品の販売で資産が急拡大

不動産関連などリスクの大きい資産運用に傾斜 政策保有株式の問題

協栄生命 2000年10月 一時払養老保険で多額の逆ざやが発生 資産運用の失敗も傷口を広げた 東京生命 2001年⚓月 様々な問題が一気に顕在化

(低収益構造や資産規模の急拡大,不適切な資産運用など)

(資料)⽛経営なき破綻 平成生保危機の真実⽜(日本経済新聞出版社)などから 植村作成

(5)

スマッチに伴う金利リスクを抱えた会社にとって,金利低下は保険負債の実 質的な負担増という形で経営の健全性を直撃する。ところが,例えば日産生 命の三利源損益の推移を見ると,1993年⚓月期までは比較的安定して推移し ていた。利差損が拡大するのは1994年⚓月期からであり,表面的な会計数値 と経営実態には乖離があった。責任準備金も前述のとおり契約獲得時の予定 利率で割り引くロックイン方式なので,金利水準が下がっても動かない。さ らに,金融商品の時価会計導入後は,保有区分によっては金利低下に伴う債 券価格の上昇が純資産を押し上げ,後述するソルベンシー・マージン比率や 実質資産負債差額が表す健全性がむしろ改善したように見えてしまう状況と なった。

⑶ 健全性規制の機能不全

1995年の保険業法改正では⽛保険事業の健全性の維持⽜が掲げられ,翌 1996年には,問題会社の早期発見・早期対応を目的に,保険会社の経営危機 を未然に防止する指標としてソルベンシー・マージン比率が導入された。保 険会社は,通常予想される範囲のリスクについては従来どおり責任準備金を 積み立てることで対応する一方,予測を超えるリスクに対する備えとしてソ ルベンシー・マージン(支払い余力)を確保することになった4)

しかし,1990年代半ばには,すでに中堅生保の経営が相当厳しくなってい た5)。いくつかの会社では,毎期の利差損を費差益と死差益では解消できず,

資産含み益や内部留保の取り崩し,さらには責任準備金の積み立て水準見直 しで決算を繕っていたことが決算資料からもうかがえる。このような足元の 深刻な状況を踏まえ,大蔵省は検討段階に比べ,緩やかなソルベンシー・マ ージン比率を導入したものと考えられる6)

4) ソルベンシー・マージン比率に基づき段階的に是正措置命令を発動する⽛早 期是正措置⽜の導入は1999年⚔月である。

5) 例えば1994年度決算では,中堅生保⚗社が経常赤字となった。

6) ソルベンシー・マージン比率の公表は念頭になかった可能性もある。

(6)

この判断が裏目に出て,破綻直前に公表されていた比率が早期是正措置の 発動基準である200%を上回っていたにもかかわらず,破綻してしまった保 険会社が複数見られ,健全性指標としてのソルベンシー・マージン比率の信 頼が揺らぐことになった。

なお,ソルベンシー・マージン比率とともに,早期是正措置の発動基準に

⽛実質純資産(または実質資産負債差額)⽜という指標がある。金融商品を時 価評価した資産総額から,支払余力としてカウントされる準備金を除いた負 債総額を差し引いて算出し,数値がマイナスになると監督当局が業務停止命 令を出せるというものである。ソルベンシー・マージンとして算入される劣 後債務が考慮されず,株式以外の資産含み損益も合わせて計算するなど,当 時のソルベンシー・マージン比率よりも厳しい基準だったため,破綻時には この指標がトリガーとなるケースが目立った。

図表⚒ 破綻保険会社のソルベンシー・マージン比率の推移

(単位:%) 会 社 名 破綻処理

開 始 日 平成⚙年度

(1997年) 平成10年度

(1998年) 平成11年度

(1999年) 平成12年度 (2000年)

生命保険

東 邦 生 命 H11. 6. 4 154.3 8.5

第 百 生 命 H12. 5.31 294.6 304.6 ▲ 380.2 大 正 生 命 H12. 8.28 334.5 384.6 67.7 千代田生命 H12.10. 9 314.2 396.1 263.1 協 栄 生 命 H12.10.20 300.7 343.2 210.6 東 京 生 命 H13. 3.23 431.6 478.7 446.7

第 一 火 災 H12. 5. 1 259.3 330.0 ▲ 298.4

大 成 火 災 H13.11.22 580.9 1,035.2 1,022.4 815.2

※ソルベンシー・マージン比率は,平成⚘年度決算から適用。

※ソルベンシー・マージン比率は,平成⚙年度決算から各社自主的に開示。

(翌年度決算から法定開示。)

(資料) ソルベンシー・マージン比率の算出基準等に関する検討チーム(第⚕回:

2007年⚑月29日)

(7)

ただし,負債の大半を占める責任準備金はロックイン方式のままであり,

金利水準が下がり資産と負債のミスマッチに伴う金利リスクが顕在化しても,

その動きを捉えることはできなかった7)。それでもこの指標が破綻のトリガ ーとなったのは,各社が株式や外国証券といった価格変動の大きい資産を抱 えており,これらが1990年代の株安や円高でダメージを被ったためである。

⚓.その後の保険会社と健全性規制の動向

⑴ 保険会社の取り組み

株価下落や金利水準の低下は大手生保の経営にとっても非常に厳しく,各 社の信用格付けも軒並み引き下げられた。そこで,2000年代以降の生保各社 は契約者への配当を抑え,毎期の利益を可能なかぎり危険準備金や価格変動 準備金などに内部留保し,支払余力の改善に努めることで生保危機の時代を 乗り切った。その後も内部留保や増資,基金や劣後債務の調達を行うほか,

高予定利率契約への対応として責任準備金を追加的に積み増す動きも見られ た8)

同時に,経営リスクを減らす動きもある程度進んだ。生保各社は株式など 価格変動リスクの大きい資産の保有を減らすとともに,ALM(資産・負債 の総合管理)の観点から超長期国債を積極的に購入し,資産と負債のミスマ ッチを減らし,金利リスクの抑制に動いた。

提供する保険商品についても,貯蓄性商品に比べて収益性が高く,資産運 用の負担が相対的に小さい保障性商品,とりわけ医療保障や生前給付分野に 一層重点を置くようになった。近年の大手生保の主力商品は,いずれも期間 10年程度の保障性商品の組み合わせであり,貯蓄性はほとんどない。もっと も,貯蓄性商品への根強いニーズを背景に,大手生保は銀行チャネルを中心

7) 金融商品は保有区分によらず時価評価されるため,多額の長期債を保有する 会社では,金利低下で債券価格が上昇し,数値が改善する。

8) ここでは規制上求められる責任準備金の追加積み増しではなく,自発的な動 きを指している。

(8)

に貯蓄性商品の販売も積極的に行ってきたが,かつてに比べれば,予定利率 の設定をはじめ経営リスクをより意識した商品提供姿勢となっている。

とはいえ,生保危機の時代から約20年経ったものの,1990年代半ばまでに 獲得した高予定利率の終身保険や個人年金保険は今だ相当な規模で残ってい る。図表⚓のとおり,大手生保が公表する個人保険・個人年金保険の責任準 備金のうち,1995年以前に獲得した高予定利率契約が⚓,⚔割を占める。例 えば1990年代前半に30歳で終身保険に加入した人は,現在55歳前後なので,

彼らの平均余命(55歳男性の平均余命は約28年)を考えると,これらの契約 はまだまだ続く可能性が高い。加えて,超長期債の積極的な購入による金利 リスクの削減も,ここ数年は,マイナス金利政策後の超低金利を受けて概ね 止まっており,資産と負債のミスマッチを解消できていない。さらに,大手 保険グループを中心に,海外保険会社の大規模な買収やマルチチャネル化が 進み,経営組織やリスクプロファイルが多様化,複雑化している。

図表⚓ 責任準備金の内訳(個人保険・個人年金保険)

(資料)各社ディスクロージャー誌から植村作成

単位:億円,%

<日本生命> <第一生命> <住友生命> <明治安田生命>

契約年度 2016年度 2016年度 2016年度 2016年度

予定利率 予定利率 予定利率 予定利率

~1980年度 717 2.75~5.00 6,891 2.75~5.50 1,366 4.00~5.00 2,890 2.75~5.00 1981年度~1985年度 16,811 2.75~5.50 12,173 2.75~5.50 3,690 5.00~5.50 7,989 2.75~6.00 1986年度~1990年度 60,586 2.75~5.50 47,007 2.75~5.50 24,218 5.50 29,879 2.75~6.00 1991年度~1995年度 78,243 2.75~5.50 42,337 2.75~5.50 31,844 3.75~5.50 38,631 1.00~5.50 1996年度~2000年度 32,368 1.50~2.75 15,049 2.00~2.75 13,584 2.00~2.75 12,645 1.00~3.75 2001年度~2005年度 28,996 1.00~1.50 16,826 1.50 12,965 1.00~1.50 7,677 0.55~2.35 2006年度~2010年度 56,205 1.00~1.50 33,183 1.50 37,436 1.00~1.50 34,589 0.55~1.85 2011年度~2015年度 93,680 0.50~3.45 48,727 1.00~1.50 67,871 0.50~1.50 84,137 0.35~1.50 2016年度~2020年度 10,826 0.25~3.56 8,598 1.00 21,756 0.25~1.00 6,666 0.25~1.00

1995年度以前 156,357 108,409 61,120 79,388

ウエート 41.3% 47.0% 28.5% 35.3%

1996年度以降 222,074 122,382 153,611 145,714

ウエート 58.7% 53.0% 71.5% 64.7%

378,431 230,791 214,731 225,101

(9)

⑵ リスク管理の進化

生保危機の時代に比べると,保険会社のリスク管理体制は大きく進展した。

銀行の動きも意識しつつ,各社はそれぞれ独自にリスク管理体制の枠組みを 整備し,保険引受リスクや資産運用リスクといった主要なリスクの計量化を 進め,管理するようになった。計測したこれらのリスク量を統合し,自己資 本等と対比する統合リスク管理も保険業界に広く普及した。

この10年間の動きとして特筆すべきは ERM(Enterprise Risk Manage- ment)の導入と,経済価値ベース評価の普及であろう。

ERM は比較的新しい概念であり,日本語での表記は⽛統合(的)リスク管 理⽜⽛全社的リスク管理⽜など,必ずしも固まっていないが,日本の保険業 界で ERM といえば,損失の回避や抑制を主眼とする従来型のリスク管理の 枠組みを超えた,⽛リスクテイク方針に基づき,企業価値拡大を目指す枠組 み⽜というのが共通認識となっている。従来型のリスク管理はどちらかとい えば経営陣への牽制機能という性格が強いため,経営陣自らが積極的,能動 的に取り組む活動とはとらえにくく,リスク管理はリスク管理部門という特 定の部門が行う活動となってしまいがちである。これに対し,企業価値の向 上を目指す ERM の枠組みは,まさに⽛経営そのもの⽜であり,経営陣が自 らの活動としてとらえやすい。この10年,上場保険グループを中心に,企業 価値の拡大を目的として ERM に取り組む動きが本格化し,行政当局による 後押しもあって,中堅規模の会社や相互会社形態の会社を含め,保険業界全 体に ERM を導入する動きが広がっていった。

ERM 導入とともに,経済価値(または市場整合的な価値)ベースの指標 を活用した経営管理の枠組みも普及してきた。過去の生保破綻ではロックイ ン方式による責任準備金評価のもとで,金利低下が経営に与える影響をうま くつかむことができず,経営にとっても対応の遅れにつながった。これに対 し,保険会社の保有する資産と負債を経済価値ベースで評価し,その差額で ある純資産の変動をリスクとしてとらえることで,保険会計上の数値では把 握できない実質的な健全性や収益性の状況をつかむことができる。

(10)

例えば,傘下に太陽生命,大同生命を擁する T & D 保険グループは投資 家・アナリスト向け資料のなかで,経済価値ベースでみた資本十分性の推移 を定期的に示しており,これをみると,マイナス金利政策後の金利低下によ って,グループ各社のソルベンシー・マージン比率が高位で安定していたの と対照的に,同グループの資本十分性が強く影響を受けたことがわかり,経 済価値ベースの指標が有益であるとうかがえる。

⑶ 保険行政の取り組み

生命保険会社の連鎖的な破綻は2001年⚓月の東京生命で止まったとはいえ,

その後も生保経営への不安が続き,監督当局は2003年⚘月に早期警戒制度を 導入して保険会社に対するモニタリングを強め,2005年には保険監督の考え 方や監督上の評価項目(財務の健全性を含む)等を示す⽛保険会社向けの総 合的な監督指針⽜を策定した9)

早期警戒制度は,早期是正措置の対象とはならない保険会社であっても,

その健全性の維持および一層の向上を図るため,モニタリング(報告徴求お よびヒアリング)を通じて早め早めの経営改善を促すというもので,預金取 扱金融機関に対してはすでに2002年12月に導入していた。監督指針によると,

⽛基本的な収益指標やその見通し,大口与信の集中状況等,有価証券の価格 変動等,契約動向や資産の保有状況等を基準として,収益性,信用リスク,

市場リスク,流動性リスクについて経営改善が必要と認められる保険会社に 関して,原因および改善策等について深度あるヒアリングを行い,必要な場 合には報告を求めることを通じて,必要な経営改善を促す⽜とあり,預金取 扱金融機関の文言を概ね踏襲したものとなっている。とはいえ,金融庁はそ の後も監督指針を必要に応じて改定し,2014年の改定では後述する⽛リスク

9) 検査部局では2000年に検査官向け手引書として⽛保険会社に係る検査マニュ アル(保険検査マニュアル)⽜を策定し,その後数次にわたり改定を行い,現 在に至っている。また,2003年には破綻前に既契約の予定利率引き下げを可能 とする保険業法改正も実現した。

(11)

とソルベンシーの自己評価(ORSA,Own Risk and Solvency Assessment)⽜

に関する規定を整備している。

他方,健全性規制として必ずしも十分に機能してこなかったソルベンシ ー・マージン比率に関しては,算出方法の一部見直しや資産査定の厳格化な どによる信頼性の向上が図られてきたが,本格的な見直しは,2007年⚔月に 金融庁検討チームが報告書⽛ソルベンシー・マージン比率の算出基準等につ いて⽜を公表してからである。

報告書では,短期的な取り組みとして,リスク係数の見直しやマージン項 目の算入の妥当性など,従来の評価手法のなかで必要と考えられる見直しを 実施したうえで,中期的には経済価値ベースでのソルベンシー評価を目指す べきと提言した。これを受けた金融庁は,リスク計測やマージン算入の厳格 化を柱とする⽛短期的見直し⽜を2010年に実施(早期是正措置の指標として は2012年⚓月末決算から)した10)

中期的に目指すべきとされた経済価値ベースのソルベンシー規制に関して は,金融庁は2010年以降,全保険会社を対象にしたフィールドテストを数回 にわたり実施し,各社の対応状況や実務上の課題等を把握している。2017年

⚓月公表の⽛経済価値ベースの評価・監督手法の検討に関するフィールドテ ストの結果概要について⽜によると,⽛経済価値ベースのソルベンシー規制 は,資産・負債の一体的な経済価値ベースの評価を通じ,保険会社の財務状 況を的確に把握しようとする枠組みであり,保険会社のリスク管理の高度化 にも資するものである⽜としている。ただし,2018年⚗月現在,導入時期な ど具体的な規制の詳細を公表しておらず,検討開始から10年以上たったにも かかわらず,未だ導入の目途が立っていない。

10) 金融庁は2008年⚒月に改定骨子を外部に示していたが,同年秋以降の金融危 機発生や10月の大和生命の破綻を受けて,改定骨子をさらに修正したうえで見 直しを実施した。

(12)

4.行政当局による自己規律活用の利点と限界

⑴ ERM 導入の促進

前述のように,ここ数年,中堅規模の会社を含め,保険業界全体に ERM を導入する動きが広がっているが,それには金融庁が保険会社の ERM を重 視し,健全性規制の一環として ERM の導入や高度化を促す姿勢を鮮明にし ていることも少なからず影響していると考えられる。

金融庁による主な ERM 活用の取り組みをみると,まず2011年に保険検査 マニュアルを全面改定した際,新たな検証項目として⽛統合的リスク管理態 勢(ERM)⽜を設置した。同じく2011年から⽛ERM ヒアリング⽜を実施し,

2014年には監督指針のなかで当局による ERM への注目点や,リスクとソル ベンシーの自己評価(ORSA)に関する指針を示した11)。ORSA は保険会社 自らが現在および将来のリスクと資本等を比較して資本等の十分性評価を行 うとともに,リスクテイク戦略等の妥当性を総合的に検証するプロセスであ り,広義にとらえれば ERM と同義である。2015事務年度(2015年⚗月

~2016年⚖月)からは,ORSA の状況を取りまとめた報告書の提出を定期 的に保険会社に求めている。2015事務年度には⽛ERM 評価目線の概要

(2016年⚖月版)⽜を公表し,中堅規模以上の保険会社に対して ERM の評価 を行った12)

監督当局が保険会社の ERM 導入や高度化を促す背景には,国際的な保険 規制の動向がある。世界の保険監督当局をメンバーとする保険監督者国際機 構(IAIS)は2011年に ERM に関する基本原則を採択し,ERM の一環とし て ORSA の実施を求めるようになった。加えて,従来型のリスク管理がう まく機能しなかった過去の破綻事例を生かすという意味もある。生保破綻の

11) ERM ヒアリングについても2014年に⽛統合的リスク管理態勢ヒアリング⽜

として監督指針に明記した。

12) 2015事務年度の ERM 評価では,金融庁が保険会社の ERM を健全性および 収益性の面から評価し,レベル⚑~⚕に区分した。

(13)

研究のなかでも,⽛例えば金利リスクに関しては,ALM こそ実施していな かったものの,財務部門や数理部門が高コスト資金の急拡大を問題視してい たケースが多く見られた。問題はこれらが経営に生かされなかったことにあ る⽜⽛どんなに形を整え,きちんと数値を算出しても,経営に活用されなけ ればリスク管理にはならない⽜など,従来型のリスク管理が機能不全に陥っ ていたことを示唆する記述がある13)。ERM は従来型リスク管理の発展形で あり,当局が注目するのも理解できよう。

早期警戒制度にみられるように,金融庁はソルベンシー・マージン比率の ような数値基準だけで保険会社の健全性を確保しようとはしていない。

ERM 重視は,保険会社の自己規律を活用した新たな健全性確保の取り組み と言える。

⑵ 監督当局による ERM 推進の利点と限界

金融庁の考える ERM を公表資料から確認すると,当局の目線が健全性の 確保にとどまっていないことがわかる。例えば,図表⚔は金融庁が2016年に 公表した ERM 評価の結果概要のトップページに掲載されたものである。金 融庁は保険会社に対し,ERM の高度化を通じ,⽛将来にわたって保険金を 確実に支払えるよう充実した自己資本を保つこと⽜だけでなく,⽛高度なリ スク管理に支えられたリターンの向上を図ること⽜を求めている。

13) 植村(2008),273頁。

(14)

監督当局が保険会社のリターン向上にまで関心を持ち,経営による企業価 値拡大の取り組みにまで口を出すというのは,民間企業への過度な介入とい う見方もあるだろう。しかし,当局が考える ERM の内容が,各社が目指す ものと大きくかけ離れていなければ,保険会社と当局が十分なコミュニケー ションをとることによって,保険業界全体として ERM の底上げを図ること ができる。金融庁による継続的な後押しがなければ,日本で ERM がこれほ ど急速に浸透しなかっただろう。

ここ数年,政府主導で進められてきたコーポレートガバナンス改革でも,

リスクの回避・抑制や不祥事の防止といった側面を過度に強調するのではな く,経営陣による適切なリスクテイクを促し,会社の持続的な成長と中長期 的な企業価値向上を図ることを主眼としている。守り重視ではなく,企業価 値の持続的な拡大を明示的に目指す点で両者は共通している。

図表⚔ 監督当局による ERM の概念図 自己資本リスク

健全性指標

× リターンリスク

リスクリターン指標

自己資本リターン 資本効率(ROE 等)

リスク リターン

自己資本 全体の整合性を 確認できる経営 リスクテイクと 収益のバランス

リス クテイ

クと 自己

資本 のバラ

ンス

益 収 自 と 資 己 の 本

ラ バ ス ン

(資料)金融庁⽛ERM 評価の結果概要⽜(2016年⚙月15日)

(15)

ただし,監督当局が注目することで自己規律がかえって歪んでしまい,保 険会社による ERM への取り組みが単なる金融庁対応となり,形式的な取り 組みに陥ってしまう懸念もある。例えば,当局が示す⽛先進的な事例⽜をあ たかもチェックリストのようにして,形式的な体制整備を進めてしまったり,

あるいは反対に,当局の評価基準がチェックリスト化してしまい,自社の事 業特性を踏まえれば不要と考えた項目について不備を指摘され,整備を迫ら れたりすることも考えられる。

自己規律の活用は保険会社と当局の目線が合わなければ機能しない。保険 会社が形式的な取り組みに陥らないよう,監督当局には画一的な対応ではな く,ERM の本質をとらえた適切な個別対応が求められるうえ,保険会社ば かりでなく,当局自身のレベルアップも不可欠である。

⚕.おわりに

保険会社に対する規制は1995年の保険業法改正の前後で対比されることが 多い。確かにそれ以前のいわゆる⽛護送船団⽜行政に比べると,業法改正後 は規制緩和が段階的に進み,保険商品や販売チャネル,さらには保険会社の ビジネスモデルも多様になった。

しかし,健全性規制に注目すると,業法改正で整備が進んだというよりは,

護送船団時代の不備が明らかになるなかで,リスクベースの新たな規制を導 入しても十分機能せず,自己規律の活用という新たな取り組みも含め,試行 錯誤が続いていると言えよう。本稿が今後の健全性規制のあり方を考えるう えで一助となれば幸いである。

(筆者はキャピタスコンサルティング株式会社勤務)

参考文献

•植村信保(2008年)⽝経営なき破綻 平成生保危機の真実⽞日本経済新聞出版社

•森本祐司・松平直之・植村信保(2017年)⽝経済価値ベースの保険 ERM の本質⽞

金融財政事情研究会

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•損害保険事業総合研究所編(2015年)⽝保険 ERM 経営の理論と実践⽞金融財政 事情研究会

•金融庁ウェブサイト

⽛ソルベンシー・マージン比率の算出基準等について⽜

https : //www.fsa.go.jp/singi/solvency/20070403.html

保険会社におけるリスクとソルベンシーの自己評価に関する報告書(ORSA レポート)及び統合的リスク管理(ERM)態勢ヒアリングに基づく ERM 評価の結果概要について

https : //www.fsa.go.jp/news/28/hoken/20160915-2.html

・生保各社のディスクロージャー資料

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