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Introduction to the Theory of Games by J. C

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Academic year: 2021

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研究生活を振り返って

名誉会員 石 田 重 森

1.研究生活への道

私の研究分野は,保険,年金,社会保障と広範にわたるが,その端緒は,

大学で数学科に入り,統計学や確率論,線型代数など経済学に隣接した分野 の勉強をしたことである。卒業論文では,当時わが国に紹介されたばかりの ゲームの理論 について,

Introduction to the Theory of Games by J. C

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C. Mckinseyを中心に勉強して書き上げた。数学科を卒業した関係  

で,保険数理の専門家であるアクチュアリーを目指し,一時アクチュアリー 会の準会員になったが,やはり経済学の本格的な知識の必要性を痛感し,改 めて大学に入り直して経済学を学んだ。経済理論,経済政策を始めとして人 口論や不確実性の経済学などを一通り勉強し,高齢化社会の到来を目前に論 議の開始された企業年金に関して卒業論文を書いた。

こうしたことから,高校の数学教師をしながら,大学院に進学して,数学 と経済学の知識を活用できる保険学・年金論の研究の道に入った。

丁度その時代は,昭和30年代後半から昭和40年代にかけての高度経済成長 期で,国民生活の水準向上とともに,保険・年金による経済的保障が重要視 され,保険が発展し,公的年金・企業年金の揺藍期でもあった。公的年金と 私的保険による人々の生活保障,老後の経済生活保障に関しての議論が始め られた頃で,まだ研究者も少なく,前途に活躍の可能性を感じたからである。

/平成20年4月21日原稿受領。

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大学院時代は,恩師で指導教授である庭田範秋博士の下で,厳しくも懇切 な指導を受けた。保険の本質を理解するために,多くの保険学説を順次考察 し,レポートにして詳細な添削,論評を受け,次いで代表的な書物の輪読,

ディスカッション,さらに年金や社会保障など自分の関心あるテーマについ ての報告,討論会などであった。また,論文の書き方についても理論から応 用へ,総論から各論へと流れを重視し,タイトルから各章,各節の見出しの つけ方まで親切・丁寧な指導をしていただいた。

経済学の歴史を学んでこれを現代に活かし,新たな課題を見つけ,それを 論究することなどさまざまな薫陶を受けた。大学院時代のこうした勉学修業 のお蔭で,その後の学究生活の基礎が築かれ,課題・テーマの設定や論文の 著述に大いに役立ったことを思い,恩師への感謝の気持ちで一杯である。

そのほか,故葛城照三先生の海上保険論,鈴木辰紀先生の火災保険論,故 笠原長寿先生の生命保険論など保険各論の講義・指導を受けた。中でも葛城 先生の独特の雰囲気と学問に対する姿勢・自信から少なからず影響を受けた。

また,生命保険文化研究所での保険学研究会,慶應義塾保険学会での研究会 など外部での勉強の機会もあって,大いに知的刺激を受け,その後もいろい ろとお世話になった。

2.研究生活とその余話

葛城先生の紹介で福岡大学に赴任したのであるが,知人,親戚など全くな い白紙のスタートであった。赴任に際し,庭田先生から 福岡は酒も肴も旨 いが酒はほどほどに,また勉強しすぎて死んだ学者は聞いたことがないから スポーツや趣味もほどほどにしないと,学者としては大成しない と戒めの 教導を受けた。福岡大学に着任して,保険学の泰斗・故今村有元学長から 学内行政など余計なことに煩わされず,思う存分研究しなさい と励まさ れた。両先生の教えはある程度守り通したつもりである。その後,商学部の 先輩の先生から 学者として,40代で活躍したいなら30代で大いに勉強せよ,

50代で活躍するためには40代で頑張れ,60代でも活躍するなら50代でも努力

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せよ と言われたことが印象に残っている。

さて,福岡大学での研究生活が始まるのであるが,正直に言って,これで 保険と年金の勉強だけしていれば何とか家族が生活できると空を仰いだのを 覚えている。

ところで,研究生活と同時に教員として教育をしなくてはならない。保険 論,生命保険論は何とかなるとして,海上保険論は一本立ちは難しいと思っ ていたところ幸いにして,葛城先生が集中講義に来て下さり,助かったので あるが,教室の一番前で学生と一緒に講義を受けることになった。ところが,

何日目かの講義でお昼の鐘がなっても少し講義が続いていた時,学生がタバ コを取り出したのに,葛城先生が烈火の如く怒って,帰ってしまわれた。夜 になって,恐る恐る東京の先生の自宅に電話をかけたら, 続きの講義は君 がやれ とのことで翌日から私が担当することになった。

葛城先生からは,福岡では損害保険会社の支社長・支店長は,常務・取締 役など偉い人が多く,海上保険にも詳しい人が多いので,海上保険の質問を 受けたら,詳しい実務はよくわからないと答えよと事前に言われており,こ んな状況であったから,少し苦労もした。

さて,研究であるが,福岡に来て半年後,9月に入ってから10月に日本保 険学会の秋の大会(西南学院大学開催)で報告をするように言われ,大あわ てにあわてて,何とか報告を終えた。こうしたことから,常に研究を続けて いなければと痛感した。

ところで,学問としての保険学や年金論は,その性格から実学とされ,実 社会で保険事業・年金制度として広く実践されていて,人々との関わり合い が深い。学問的には,その根底にある本質論や理論的考察が重要とされ,保 険学的観点や数理的視点から論究を進め,保険経済学,保険経営学を中心に 研究を進めた。

先人が論究した保険の諸問題を検討し,保険・年金の原理や仕組み,その 果たす機能などを深く解明し,現実の経済社会との関わりの中で,諸外国も 含めて,いかに保険や年金が活用され,提供されているか,などにつき考究

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した。ここからさらに保険事業・保険経営のあり方,年金制度の課題,さら に保険と金融,リスクマネジメント,年金改革などに及び現実的な諸問題を 理論的に考察することにも努めた。

やがて,わが国の少子・高齢社会が急速に進展する中で,年金,医療,介 護,福祉などの社会保障が財政窮迫から危機を迎え,これに対し保険理論を ベースに論究することが多くなった。年金制度,医療保険,介護保険などの 諸問題につき,日本年金学会などでも報告を行い,多くの論稿を発表し,著 書にもまとめた。

以前,指導教授から,留学と著書と学位が学者にとって必要な3大要件だ と教えられ,これに関して努力を傾注した。お蔭で大学から在外研究員とし て派遣されたロンドンのシティ・ユニバーシティでの留学では充実した研究 生活を送ることができた。

その中で印象に残っていることは,やや難解な

A  History of British Insurance by Harold E

.

Raynesの翻訳に何人かと取り組んでいた時で,  

この翻訳作業をロンドンでもすることになった。原著400ページの約3分の 1を私が担当し,日本での翻訳が終わらず,それをロンドンでした。覚えて いるのは,1666年のロンドン大火の記念塔を見ながら火災保険の発生・誕生 を翻訳したりした。また,中世のある一定期間・数年間にわたって同じ日な のに2つの年月日が付けられ,不思議に思って調べたら,ある国王(ヘンリ ー8世)が離婚問題からキリスト教とそのグレゴリオ暦を排し,イギリス国 教会を打ち立て独自の暦を使っていたことがわかった。こうしたことを調べ るのに大英図書館に行き,シティ・ユニバーシティの推薦状を持参したら5 年間のフリー・パスが与えられた。その際ビックリしたのは,大英図書館員 の専門分野に関する文献の精通ぶりである。これは後に福岡大学の図書館長 になった時に大いに役立った。

帰国してから,主に担当した2人のうち1人が留学で,結局校正を全部に わたり1年かかって行い,庭田範秋博士の監訳で明治生命社100周年記念事 業の一環として刊行された。

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研究生活を続けるに当って心掛けていたことがいくつかあった。まず,常 に社会に目を向け,有用な資料・情報を集めながら問題・課題を3つ,4つ 持ち続けること,いわゆる複線型の研究をすることで,一方が少し行き詰ま ったら他方を考えるという具合にして,思考を深めて論文を書くようにした。

つぎに,問題を論述するに際して,斬新なアイディアを考え,それを現実に 即して論議を展開するのに,論理的な思考・論述を大切にした。アイディア を探すのには,幅広く他分野の書物も読み,少しでも役立ちそうな事柄は集 めておいた。時には, 思い付き ではダメだと言われたこともあったが,

思い付き を一つの課題として論究してきちんとまとめることが大切と思 っていた。さらに,近年では,学者・研究者として論文や論稿を執筆して発 表することが大切な責務であると自覚して,原稿を提出して雑誌・本などが 未刊行なうちに次の原稿を書くこと,すなわち常に提出中の原稿がある状態 を保つことをモットーとしてきた。なお,こうした学問の研究そして政策提 言をはじめ意見・見解の公表や種々の社会活動が学生の教育に役立つことは,

実学としての学問からして当然のことであり,研究と教育を一体とした活動 をすることが,研究者の使命と思われる。

研究生活を振り返ると,死亡保険,生存保険などの生命保険から,年金保 険さらに医療や介護などの社会保険・社会保障へ,また,自動車保険,火災 保険,海上保険などの損害保険からリスクマネジメント,保険デリバティブ などまで研究対象が広がった。こうした研究生活の推移と業績については,

福岡大学 商学論叢 (第52巻第3・4号)に私の退任記念号として刊行し ていただいた中に記述してある。長い間,自由な研究を続けられたことに,

大学ならびに学会関係者に深く感謝する次第である。

経済社会の変遷とともに保険学も移り変わり,コンピュータの活用など研 究方法も変化してきたが,研究姿勢・研究態度は大きく変わることもないは ずで,保険学・年金論の学問的発展を次世代に託すのに本稿が少しでも参考 になれば幸いである。

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3.九州支部のこと

福岡大学に赴任した当時は,九州地区で保険学会の会員は少なく,大学で の保険学担当者も少なかった。そこで,昭和62年頃から西南学院大学の故田 辺康平,後藤泰二両先生と私とが発起人となって保険研究会を開き,年2回 研究報告会と懇親会をすることになった。

当初は数人であったが,徐々に人数も増え,また保険業界の人達も加わる ようになった。こうして回を重ねるうち,人数も20名を超え,できれば日本 保険学会の九州部会として認めてもらえないかとの声が上がった。当時の日 本保険学会の鈴木辰紀理事長にお話をし,まず九州支部として容認されるこ とになった。九州支部発足の趣旨は,若手研究者に 保険学雑誌 への論文 掲載の機会を与えてもらいたいこと,そして大学研究者と保険業界の実務家 との交流を図り,保険学の研究と保険事業の発展につながればとの思いであ った。したがって,日本保険学会からの予算はないが,研究会も懇親会も費 用は皆各自が負担して行っていた。

その後,九州大学に安田火災の寄附講座が設けられ,客員教授・助教授が 2人ずつ何年間か保険関係の講座を担当された。九州支部に九大の客員教 授・助教授の方々が参加され,アカデミックな雰囲気も増し,また,日本損 保協会,損害保険事業総合研究所のご支援もあり,盛況となっていった。そ の後,森宮理事長,そして近見理事長のご支援もあり,予算をつけて頂くこ とができ,報告者に僅かな謝礼を差し上げることができるようになった。

こうして参加下さる会員の方々は徐々に増え,関東・関西・四国からも自 費で来てくださる方々も喜んで参加されている。九州支部として認められて からの研究会が27回,通算では42回を数えることになったから,既に20年を 超えており,感慨深いものがある。

次の世代へバトンを渡すのを機に,九州支部の経緯をお知らせし,さらに ご協力・ご支援をお願いする次第である。

(筆者は福岡大学名誉学長)

参照

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