ケ ネ
ー﹃経済表﹄の構造‑ ケ ネ
ー経 済 学 素 描 ⇔ ‑
小 林 時 三 郎
既述の如くケネ
ー
の経済理論は'実際経済の分析に立脚したもつとも現実主義的研究であって'時代の具体的問題解決への努力を表現したものであった。やがてそれは'1七五八年.その稔拓として'ミラボウによって人類の三ヽ11L川■川川い大発明の一としてたたえられた「経済表」として結実した。しかしてtとの「経済表」は、かれ白身の説明によれば
「経済秩序の基本表を作製することに努めたもの」であって、「その表においては'一目瞭然と支出と生産とがあら価われ'政府がここに惹き起す整備と混乱とを明白によみとること」を目的としたものであった。けだし当時において
はフランス絶対主義下の財政棄乱と農糞の衰退愈々甚だしさを加え'これが改革案とが提唱されていた。しかしその
ためには、合理的な所得分配の理論が確立され、l囲民経済給体における富の生産'流通'分配および滑費の規則正
しい楯環過程が明かにされていなければならなかった。ケネーは'これを'その天才的着想によってわずか一葉の表
のなかに「経済表」として要約したが、それは'資本制的生産の最初の体系的把垣をなしとげることによって'まさ
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しく科学としての経済学の生誕を意味するものであった。
川V,氏.Mir
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764,Amster d am
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(.pp.52I53.A.Smith;op.°it.,p.643.大内訳E四六三貢。また,^・ラボウは'同書で
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「経済表」を「経済学の要略であり基礎」le p r
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と要約を与えている(p.3)Oケネーの傑作「経済表」をたたえる学徒の態度は'疑いもなく誇大な讃美のそれであった。経済学の全歴史上'宗師の教説への忠誠さにおいてこれと類するものとして'マルクス主義者とマルクス'ケー
ンズ主義者とケ‑ンズとの関係あるのみであるOしかし、ケネー経済学体系に対する批判がなかったわけではない.否当時
において強烈な批判が加えられていた0それらの代表的なものに、F
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nnaiS()7221)800),TheAb b e
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()709‑)785),Volt
a仙re()694‑1774),TheAbL6GaliaTli(1728‑︼787)等がいる。㈲G.W
eu le rs se ; (,
p.cit.,p.62.シェル・山下訳・前掲書二五四貢㈹ケネIは'経済学の幼年期に当って.社会的総資本およびその再生産の説明の可能について一点の疑点をもいだかなかった
これは卓越した見解であった。なんとなれば、再生産論は'社会的総資本のみ空将生産にかんしているからであるしその意
義について'ローザ・ルクセンブルサはいう。「国民経済学とブルジョア経済体制の繋明時代に'模範的な大臆ruと素朴さ
とをもって問題に近づいたところの重農学派の始祖ケネーは'実在的な'活動する大きさとしての総資本の存在をもって、
文句なしに'自明のものと考えた。かの有名なマルクスに至るまでは唯一人として解きえなかった「経済表」は、小数の数
字のうちに総資本の再生産運動を叙述している」0「社会総資本の再生産の問題の提起は、理論国民経済学にかんするマル
クスの不朽の功績の一つである。われわれは、国民経済学史上、この問題を正確に叙述しよ‑とするただ二つの特記すべき
試みに遭遇する。それは'即ち'国民経済学の壁喪における重弟学派の始祖ケネーにおいて'その終規におけるカール・マ
ルクスによる試みとである」。
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7.高山訳(上)・二貢'二二‑二三頁Oなお'ツガン・バラノウスキー・鍵本訳「英国恐慌史論」・二36‑
〇三百
㈲K.MarxJ'op.cit:Bd・Jl,
S ・ 36 1・
長谷部訳・第二部・四六八貢しかしながら'「経済表」にもられた経済秩序は'当時のフランスの現実的経経秩序を経験的に分析した結具えら
れたものであったにも拘らずそれが自然法に基‑理想的経済秩序の形態をとったことから'そこにあらわれる経済
理論乃至経済概念は'現実にそのまま妥当するというよりは'むしろ一種の理想的形態をとってあらわれる。即ち'
ケネーにおける仝理論体糸は'当時のフランス経済の具体的諸事栗に対する実験と親祭に基く帰納法的研究の結果え
られたものであって'決して哲学的形而上学から演緯されたものではなかったにも拘らず'このようにして獲得せら
れたケネーにおける自然法乃至自然的秩序の概念は'神によって輿えられた不易不変の理想的経済秩序の形態をとる
ことによって'かれの粂理論体系に対して'「一の非科学的な目的論的相貌」を輿えたのであった。かれにあつては
'経験的な経済規轟の背後乃至棋底に'絶対的'不可変的'普遍妥当的な自然的秩序の社会が'神によって輿えられ
たL種の格傘の形をとって想定されていた.さらにいいかえるならば'ケネーにおける「経済表」の敢会秩序は'か
れの想定する理想敢会が資本主義社会として完成される趨勢を自然的必然的と嶺じ'これが絶対的な形而上学的性格
を騎兵せられたものに他ならなかったのである。かかる意味において'ケネ
ー
経済学の稔括たる「経済表」は'匪民経済給体における富の循環過程が∵、「しかにして'自然的秩序Ordrenatu
re t
という義務的理念に準じて進行すべ■I1きであるかということを研究するもQ1であったといいうるであろう0
mJ.Schumpeter;op・C山t.,S.44.この点について'アルフレド・マーシャルは、「かれら(重農主義者)は、倫理的原理
と因果法則とを混同した」と批判を加えている。A.Ma
rsll a ,・
Principles o
fEco tl() m
山cs.5th,ed,, (9 0 7 ,
p.756 .
大塚訳・第1分冊・三1三貢。ケネーが'フランス経済再建のために理想的なものとなしたのは、イギリス的な大農経営に
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基 く 資 本 主 義 的 農 業 が 最 高 度 に 行 わ れ る こ と で あ っ た 。 か か る 農 業 は 、 科 学 的 新 農 法 に よ る 農 業 生 産 力 の 増 大 と 結 び つ い て
お り 、 当 時 イ ギ ‑ ス に お い て は ' 事 実 ' 資 本 家 的 借 地 農 の 剰 余 価 値 を 著 し く 増 大 す る と と ‑ に ' や が て 地 代 を 高 め る 結 果 を
も た ら し た 。 ケ ネ ー に お け る 自 然 的 秩 序 の 概 念 は 、 か か る 資 本 主 義 的 農 業 が フ ラ ン ス 全 土 に 行 わ れ る こ と を 理 想 状 態 と な す
も の で あ っ た が 、 し か し 当 時 に お い て は 、 フ ラ ン ス 全 土 の 一 部 ' 即 ち そ の 六 分 の 一 乃 至 七 分 の 一 の 地 帯 に 行 わ れ て い た に す
ぎ な か っ た 。 そ れ は ' ケ ネ ー に と っ て 未 だ 実 現 さ れ ざ る 理 想 の 経 済 秩 序 に 他 な ら な か っ た 。 こ の 故 に ' ケ ネ ー‑ 「 経 済 表 」 は
「 1 の 非 科 学 的 な 目 的 前 的 相 貌 」 を 与 え ら れ た も の と 解 す る こ と が で き よ ‑
。し か し 、 ケ ネ I 自 身 は ' そ の 学 徒 に 比 し
「非哲 学 的 頭 脳 の 持 主 」 ( ゾ ム パ ル ト ) で あ っ た の で あ り ' そ の 全 思 想 体 系 の 核 心 は ' 自 然 法 的 形 而 上 学 的 要 素 か ら 全 く 離 れ て
い る こ と は す で に 述 べ た し ゾ ム バ ル ト ・ 小 島 訳 「 三 つ の 経 済 学 」 ・ 五 三 貢 。
な お 、 社 会 秩 序 が 自 然 的 秩 序 と し て 通 用 し ‑ る の は 、 当 該 秩 序 が 自 然 的 秩 序 と し て 見 え る 限 り ' 即 ち 予 測 可 維 性 が 存 在 す
る 限 り に お い て で あ る O も し も そ の 社 会 に お け る 政 治 的 安 定 性 乃 至 平 衡 生 が 著 し く 損 わ れ ' 社 会 的 変 動 が 顧 わ に 現 象 す る に
至 る な ら ば 、 も は や そ の 社 会 の 根 本 規 範 か 自 然 的 秩 序 乃 至 自 然 法 で あ る と い ‑ 基 礎 づ け は 一 般 的 受 容 性 を 喪 失 す る で あ ろ う
こ の 点 に つ い て ‑ エ ル グ ‑ ル は ' ケ ネ ー 自 然 法 の 立 場 を も っ て 保 守 的 な も の と 解 す る が ' し か る 限 り 規 範 は 現 実 そ の も の で
あ る 故 に そ こ に は 革 命 性 が 拒 否 せ ら れ る こ と と な る 。 こ れ ' マ ル ク ス が そ の 革 命 性 に 意 義 を 見 出 す の と 反 対 で あ る 。 な お '
ケ ネ
・・自 然 法 が 中 世 ス コ ラ 哲 学 の そ れ と 異 る 点 は 、 そ れ が 歴 史 的 に 条 件 づ け ら れ た 財 産 制 度 の 如 き 特 定 制 定 に 直 接 滴 用 さ れ
た 点 で あ ろ ‑ .
G.M
yrdat;op . cit : p. 52 .
と こ ろ で ' 「 経 済 未 」 初 版 は ' 一 七 五 八 年 ヴ ェ ル サ イ ユ 王 宮 内 の 印 刷 所 で 四 部 だ け 印 刷 さ れ た 。 こ れ ' ル イ 十 五 世
自 ら そ の 校 正 刷 に 手 を 加 え た と 伝 え ら れ て い る 。 し か し 、 こ れ は 当 時 世 に あ ら わ れ ず ' か れ の 学 徒 ミ ラ ボ ウ に よ っ て ヽ■■∫1
民 衆 化 せ ら れ 琴 し か る に 、 ケ ネ
ー自 身 の 手 に な る 草 稿 は 二 八 九
〇年 シ ュ テ フ ァ ン ・ パ ウ エ ル に よ っ て バ サ の 璽 且
文 書 保 管 所 に 保 管 さ れ て い た ミ ラ ポ ウ の 文 書 中 に 発 見 さ れ ' 1 九 〇 二 年 オ ン ケ
ンの 「 経 済 学 史 」 に は じ め て 複 鳥 掲 載
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物剖せられた。その他'帝二版'第三版の1部など種々のものが発見さ叛、多くの比較研究が行われた.これらの「経済
表」の間には若干の形式上の相違はあるが'いずれも皆大形の一頁の図表であ‑その構想において軌を一にしている
MV.R.Milabeau;I.Amidebflomme少の第六巻Tab一eauEc.I⁝miqueavecs65Explication,1760・がそれである。
価A.Onckcn;op.citf,SS.324‑325.このオンケンの複写版が'グレーの前掲書に掲げ^Cれている。A.
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Tay;O
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it:p,岩㍗㈲その他へ1七五九年第二版三部印刷されたものが.1八九四年TheBli‑ishEconomicAssociationによって出版され'キ
ヤナン版スミス「国富論」の「編者序言」に掲載された。第三のものは、一七五九年印刷されたと伝えられる第三版の一部
がグユスタグ・シェルによって発見されている。シェルは'これを決定版なりとしている。
また'‑ラボウの「農業哲学」Phil〜sophielulale,
)7
63.および「農業哲学概要」Eleme)ttde一aPhi一osophicru r
a一e,)7
63.の‑ちに収められているものなどある.この最後のものは'オンケンの前掲書(三九四貢)に転載されているが'おそらくケネー自身の手になったものといわれる。
しかしながら'「経済表」は甚だ難解であり'その簡易化民衆化は、当時1般の要求であった.「経済未」の実践
的性格は'最高度の明哲さを要求したのである。これらの要求に癒えてケネIは、1七六六年「経済表の分析」
AnatyseduT
ab ︼e a
u6conom
igueと「重要考察」Obs er va
vations lm
por t
antesとを著し、学派の磯閑話「農菓商業財政雑誌」六月銃に発表した。これによってケネーは'「かれの学説に一つの基準を輿え」'「ややもすれば中心物を離れんとするミラボウの偏向を防衛した」のであっ
た
.しかして、この「分析」の中に挿入されたものが'いわゆる「経済表範式」Formule・duT
ab lea
uf]co
nonriqueであって'前述の諸表=「原表」Table au
fondam en t
alと也区別する意味において「略表」Table au ab
r6geと稀せられる.それは'六つの出発点と癒着点とを結ぶ五つの線か39
らなる。
糾外科医ケネーの経済学が'その職業に相応し‑社会医学の観点に立っていたことはすでに述べたOケネーは'社会を生きた
有機体として取扱い、そこに'健全な状態と病的な状願とを区別した。そこで社会には衛生学と治療学とが通用され、前者
は社会が健全であるはあ
い
.後者は社会が病気になったばあいに必要とせられた。しかしこの社会の健全な状聾は自然的秩序となされtもしこの状態から離れ、病的状態に陥るならば'啓蒙君主が教師たり医師たる役割を果さねばならぬO社会を
治療し自然的秩序に帰さねばならない.ケネーにあっては'自然的秩序とはブルジョア的生産関係を意味したのであって'
ここに資本主義的進化の方向への「上から」対応が見られる。ケネ
ー
は'資木主義農業の発展を封建君主なくして考えることができなかった。これ'マルクスのいわゆる「いつわりの封建的外観」である。ローゼンベルゲ∴別掲書・二五‑l
七百参照。
またかれは'英人ハアヴュ
ー
W.Ila lV e y 15
78‑ )6 5
7の血液循環の理論(一六二八)を知悉し'これに関説している。「経済蓑」の構想は,このハアヴューゐ理論と無関係ではないと思われるOこの点を強調するのはドウニである。1]・Denl
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Vo 1.
1・p.83こGide ‑
R山s t,'
Ilistcjle
desd L Ct
liZ1CSdco n o m iq u e s) )9 20 ,
p.9.宮川訳二二貢
。 H
.Wage n fii h l; O P I Ci t
:S.69.曙唆義等訳「血液循環の原理」(岩波文庫)。榔その意味において「「略表」は最終の目的としてではなくむしろ「原表」の説明のための中間的手段と看倣すべきもので
ある」Oウッグによれば'ケネー自身も'「分析」において、かかる見解をもつ
。 コ
.Wo (,
Ⅵ;The
Tab
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Eco I1 0 mi q u e
ofF.QlteSn
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y,)9 50 .
p・9.そもそも「経済表̲.が直接固示しょうとするところは'一団民経済給体における生産および分配の秩序である。し
かし「原表」は'富の循環過程を地主階級の所得の再生産を中心として考察したのに反して'「略表」においては'
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