﹃狭 衣物 語﹄
ア﹂
﹂d
hb
u曹司祖︿
通 過 儀 礼 の 問
問 点 の 所 在
﹃狭
衣物
一訪
問
bの
グ〕
それは
r e ︺︑ヘ
LV J4J. uふ︑
占 イ Yれ 勺 〆
係なとと
は︑
である
=tl
~Éi
Lた
とョ
からずし
の構想
た物語をも合めると︑かなりの数の
の
して
は︑
』ま
る物語展開の方法
7こ
の︑源氏引の忠慕Vが︑その
の
に対する思いに
での
︑
(2
︒)
その
ため
ゅに
︑
にみられるこの栂の
+ J 仇
︑ の
のほとんどでも為った︒
ていることはマイナーの
であるに違いない︒だ
られたェ︑不ルギーのは︑いったい何であっ
ら︑ここで 川
叫
1/
ナ' u
た ︑ れていった口そこ
丘包五ヨ.
島 秀 範
め ら れ る
( 1 ) Q
貴宮と なしているところに
の
貴宮と仲忠との関
多くの
しか
し︑
それにもかか
に指摘されているこ
だけではなく︑
忍明 党﹄ た ︑
の方法について︑べてみたい︒ ねばならないことであると思っている
G
そ の よ う な 視 点 を 秘 め な が
2
γ﹂ ︑
︐む
M 2・
の
諸 行 事 の 概 略
の一
つは
︑
上・春にある
て多く合まれていることにある︒
とこ
ろで
︑ 重要な要素となっていた︿3Yそれを 第17す
においては︑さら
るこ
とで
︑
ていく時間意識の
の
であ
る︒
弘前学院大学紀要
ザて の
て
また違った角度から のように︑時間と空間とを紹越して︑ほほ無限に枇界が拡大され得る場合は
ど の
の
ことで始められている点に象徴されるよう などでも︑物紺枇界を構築する上に に強く関与しているわけである
(4
1
を捉え直すことが
ある
︒
であるむだが︑現喫の祇界を投影することによっ
ある︒つまり︑物語を進演させ
そこに重要な備きを担うのが︑‑年中行事などの って展開されているかということは
数
過
儀
述された諸行事を︿表
lVによって概観することから始めよう︒ のであるハ51に記そこでまず
(﹃狭衣物語﹄は︑一巻の分識が多く︑また︑春一・二と︑潜一一一・聞とでは分誌が違う︒そこで比較する摂宜上︑﹁日本吉典金書﹂の分矧に提って︑巻J
・ご を
各々上・下に︑また︑戦一一一・四をそれぞれ上・・下に分け︑全枠を一O段に限分することιする︿
6)
0﹀
器 巻 ︿
決1V
段 数
上
京 段
⁝ ⁝ ⁝
回
六 間︒
二
七一
一一
七五
八
通
源氏宮誕生
諒氏官父母の死
飛鳥井女君父母の死
(狭衣と飛鳥井女君と実る﹀
f eυ
444
rr
事
よ}ミ Eド
冗月五日の郎会
内裏での師会
‑なをしもの
/,¥,. Jヘ
; 事
臨 時 の 行 事
豊島:狭衣物語における物掠牒開の方法 3
巻 巻
上 下
八 八 六 六 六 六 六 五 五 回 四 百 ニ
九二六日ニ ~O 八七七三…一
段
? 段
ご
ニO一
一 一
O八
上 段
一一 一四
O O九
一九
O
一九
一ニ
一九 五
(飛鳥井女精機姫)
︿狭 衣と 女一 一宮 と興 る﹀
︿女 一一 宮懐 伍﹀
‑女
⁝一 宮男 子出 産
.男子産養の議
七日夜.大宮死去・大宮の追善供養
.大宮の四十九日
・女二宮出家・機成・若君班十誌の祝儀
.帝
︿雌 峨院 )出 家
‑一条説崩御
飛鳥井女震の死
・飛鳥井女君の法要(狭衣﹀
飛鳥井女君女子出離 賀茂祭五月五誌の夜六月の神事大嘗会 ‑帝の譲位・後一長嶺即位.一留の立坊
斎続交替︿女一宮)
ク(一条践植田制﹀
斎宮交替・源氏宮︑斎院一・女王宮︑斎宮
・斎院御撲の議(初斎院﹀
一行
事
‑高野・場汚鵠︿狭衣)
4
巻 第17号
巻 下 段 弘前学院大学紀要
四
数
頁
コ 一 一 o九 九 七 七 六 回 円 四
八 六 ー ヨ 五 四 七 O八 主 六 九 六 三
段 │ 上
九 九 九 九 七 七 六 穴 荒 田
六 回 二 一 七 O 九 八 二 八
段
数
通 過 犠
‑飛鳥井女君の死
・女設の芭十九日
・女君の女子りn日の揖 .女 君の 法襲
︿狭 小拭 )
‑狭衣︑一品宮と結婚
.結 婚二 一日 夜の 視
・若宮・続討袴粛の授
e飛鳥井女君の法要︿狭衣﹀
‑女一宮入内
‑女一一宮の女御子誕生
.御鴻般の儀式
・女御子春
宮の 冗削 減
・宰相中将の母君出家
.時君の逝去
・母 君の 法︐ 鼎
‑女院の嘉去
礼
行 年 中
‑納涼(狭次・若宮﹀
‑賀
茂努
‑将替の神事(斎説﹀
新瞥斜の五節
相撲の師会
喜善
公
‑斎院御撲の犠(本議院﹀
女二ぉ︑中宮
事
臨 時 の 行 事
‑護 陀羅 供養
︿女 一一 官﹀
.法華八講
一・賀茂諸︿堀川大殿)
‑行事ハ滑←女院・母)
密 密 西
三 一 C
O四 O
場
同 一 一 一
k
m m一 一 一
七
回 一 一 一
九 奨
⁝ 問 題 ニ 四 一自問三
四回
開 口 問 問 五
問 題 七 豊島:狭衣物語における物語展開の方法
"f
一 一
四 六 一 一
一
‑狭衣︑宰相の妹君と契る
‑率
柑妹
君入
内︿
藤議
﹀
‑藤輩︑虫干出滞
'}
口問
宮︑
出家
・莞
去
十 壮大
女二
百の
岩官
︑
・飛
鳥井
女骨
引の
刺君
︑
.藤溜のこの官の袴潜飛鳥井大殺の姫君︑投議
.常 脳利 用潤 の謝 KA
・飛鳥井女牲の供護
一・
粥杖
の祝
(狭
衣﹀
大瞥会の五節
・賀茂祭 ‑後一条帝糠位・
狭衣
即位
‑北 病院 制慢 の儲
‑藤壷女御立后
‑行
幸(
壱
jす堀川殿)
賀茂へ)・行幸(大原野・春日・
・行
事(
平野
へ﹀
‑一
行幸
(註
域混
へ)
︿一良数は﹁号本十け盗ハ文学大系﹂本による︒行事名の上に・印のあるものは︑文中に誌較的詳しい記述のあるもの︒料︑持は︑簡単な記述のもの︒︿)討は関連記事を一広す︒)
八表
1
をV
一 こ も う
﹀
﹀﹂
44 rv
戸U
ことで︑どの
な が
行事の ところで︑
数 と
である︒これは︑
ま工︑o ' t
千J l v
の上では︑とほほ
衣物
一泊
﹄の
5
の約三
︑どのように
ω球
場し
︑ ているということである︒
っているかが︑ほ
一一
六五
例︑
﹃源
氏﹄
と︑八表
2
Vのようになる︒
と
の約五分の一
よりはむしろ
数の上で
ることを考慮すれば︑
っているのである︒その
できる︒それだけ︑
に減少している︒
の八八例は︑
では
︑
円源
氏 ιに
の
しか
し︑
決して少ない
で
第17号 6 弘語学院大学紀袈
八表
2V
巻 場
巻 E
場 四
3 (3)
問 ︒ ノ
〆90
ミ
M
¥
A性一M
n v つ刷︑
7 5 7 19
9 22 6
︿法
﹀数
字は
行事
数
‑ V コ
ホナ
︒(
﹀内
の数
鐙は
︑行
事の
うち
で
簡単な記述のみのものを訴す︒各構内の区分は︑っ日本
古典
全欝
いの
段数
によ
る︒
通過髄札年中行事
f ¥ A
事 臨 時 10 (1)
13 (2)
19(3)
45
(51%)
15 (17%)
13 (5%)
15 (17%)
の構築の方法を︑﹃狭衣﹄も継一戒しているといえる︒そこに﹃狭衣恥の構造の
一端を競い得る︒
牛同国e︑A
司
︑
ふれムμ一行事の内務を考え合わせると︑
て
がそうで島つ
たように︿7Y
﹃狭
衣﹄
も︑
一一者と比べた場合託︑各々
り︑さらに︑物語との関わりの
る
O
ず﹂
h号
︑
f
﹂ 争 品
︑
t
オし
吋J
t
八表2Vでもわかるように︑︿通過儀礼Vが約半数を占めてい
る ︒
八年
中円
行事
Vは各巻にほぼ均等にてはいるが︑
氏h四O%と比較して︑ているところにがある︒
つま
り︑
その
によって形成され空間とに依存する
﹃源
氏ト
は︑
ことによって︑物語世界が構築されている場合が少なくなかった︒
その
の働
きが
︑
われにくいということである︒
の
そし
て︑
はこれ以降の
の
なってくるのである︒
は︑巻によって極端な差がある︒そこで︑圧倒的多数の
37
心と
して
︑
も関連させながら︑に検討してみる︒
の
通過犠礼の物語記おける機能
﹃狭
衣
bに拙かれた八品過儀礼Vの数は四五
行 事 総 数 の 五 割 を 越 え る
は︑いったいっているのであろう︒
が各
々一
一一
七%
・問
︒
%であることと比較すると︑まさに重要な特徴の一つである︒しかも︑八表2
示すように︑場が進む託つれて︑一一一了一九例と︑その数が増加する︒それ誌︑
の進歩老熟に伴い︑微細な点になっているからだというだけで 二巻よりも物語の量が多く
四巻と進展するにつれて︑ではない︒また︑ミ︑
まで需が及んだこと︑および︑後にゆくほど登場人物の数が増してきたために︑
豊島:狭衣物語tとおける物語麗箆の方法
7
必要とすることが多くなったか
んで︑重要な要因を含んでいる︒ であるむだが︑それも充分には正しくない︒この
に多くの通過儀礼を取り扱 ちだという指摘は
(8
一面ではその) ︑
わ な
ちなかったのは何故であるのか︑とい
︿表3V
宅会 巻 中
2
宅き
下 1 上 I
巻
5 1 (ll%)
の一・五
るように︑物語の主題の変化と絡
認似氏﹄の
伯といA .
る︒川叫にまた︑そうすることでの世界とはどのよ
うなものであるのか︑という問題を考えて
し
、。
八出家・逝去Vの
げい
よっ
て︑
る︒その人物ι
、‑,..‑由自由J 、…削叫〆…
10 3
の純
一ね
であ
るの
成人﹀に櫨わる行事は︑叫相
トの設定を意味する︒たな人物合物語に登場させる︒いわば︑
のことは一般的に百える︒
も
にもそのことは認めら
ために︑このような手続きを踏まねばなられる︒人物を登場させ︑また︑
、 冒 園 圃 圃 ' 白 幽 曲 ヘ 〆 唱 曲 幽 幽 幽 曲 一 '
13
ないということ自体︑のを考える上には重要な問題である︒
﹃狭衣﹄は通過儀礼のである︒だが︑そのあまりの
数の多さは︑ときには充分にそのせぬままに︑物語に組み込まれてい
、側四一ーへ/"回目ーー.../
19
いう比較的短い期間に︑る場合が︑吋狭衣﹄にはある︒
また
︑
ニ一
一例
もの︿出家・逝去V世界︑そしてその︑王題を
のこと合に憶さながら︑考える場合に︑銘記する
3V
の分
類・
常務
考げ
いし
て︑
なお︑吋狭火hの筋の滞がを持議
てみ
る︒
て︑殺ごとι述べてい
る ︒
8
の
ザ ハ
ωニ ︑
︑ ︐
yu
‑ 0 ( Q d
﹀
と
ぴ)
(一〉
源長官・飛鳥井女君の物語一
i z
‑
‑主題の提恭[│︿轡一﹀
0)
しほどι
(泌 氏引 が)
︿一
例)
と
(一
例﹀
とを
一地
帯に
0)
こと
で︑
。〉
。)
おい
ても
︑
第17号
~
0)
か の 弘前学院大学紀繋
前に)思ひか
と し¥
である
るが︑︿飛鳥井k
りけ
り︒
せにけり︒
てぞありければ︑
︿¥
一土
計制
が)
亡せ
︑︿乳母は)いとわしけるな︑そのをとこ
の
ひて︑この(飛鳥井の)討の︿飛鳥井を)恩ふ心っきせけるに︑(威慌臨は)おほけなき
て︑かかるわざをしけり口(七⁝一口)
())
と︑やは
あ
なっているのと
のほ
)に
ところから︑その登場のるのである︒
つま
り︑
0)
︑その様に脱出され
(狭
萩 故先帝の
の場合は︑ているのである︒
いろいろに
の扶
衣(
丘二
一氏
﹀ のようにして育てることになる︒その九みふ︑l; ︑そのみB血 ︑
の歌に象徴されるように︑
ので
ある
︒
である0
・ ま た ︑
︑
Lk e
hァ
ー
そして︑狭衣の源氏
ぴ〉
のプロッ
っ て い く の で あ
ゐ︒巻
ぴ)
に主
ハソ
て︑
る︑
一一
盛 は一途に
る段
︑ど
︑
(女子﹀と共に︑巻
ぴ)
そし
て︑
た
に ヲ き
いずれもほぼて登場したのである︒そこに︑の一人なのである︒この両者は︑々の物語の賞は異なるが︑
あったのであるcι遡ってその出自在明示するべく拙かれた︑逝去に関わ
〈ニ〉
女二宮の物語
i
心ならぬ伸i
i
!
︿場
ニ)
浩二
には
︑
る︒そのうち︑
(J)
の
O
女
男 子 誕 生
その院議︒O七日荻の
:狭衣物語における物語展開の方法
また︑出宋・
につ
いて
は︑
大宮の
O
その
グ〉
の
であ
る︒
⁝条
院の
︿後 述)
た男御チは︑母・女二宮の
ほ大胃は狭衣を恨みながら逝去するという結岡県を して︑大宮との子を生むことで︑母大宮︿盛大沼官)
以
Fと
の で ︑
が︑誰れのも知らせず
︿嵯
峨院
﹀と
の
の持
つ
に関するものは︑次の
︑ ︒
O五
ー ノ 門 花
︑ ︒
κUAぷ
t1 uv
O
女
︿絡
峨腕
)の
︒一条院の
の出
家︒
って
︑
女二宮との物語のしている︒
し
てられる︒しかし︑女二情とその父組織院とは
ジ〉
ので
ある
︒
上は
︑
取り分き限りなく忠ひ
ひてい︿間七頁)とあるように︑ひ問えさせ たち・心よりはじめて︑めでたくおはしますを︑
は︑その
つまり︑八一六人の迎えを辞退させ に与えよ
女
にと
って
︑
~;t
うと
して
︑
かける︒﹁身のし
う﹀というのである︒し
にま
きり
こそ
せめ
︿五
一一
良﹀
しろごろもの﹁かの︿帝の)御気色ありし身の代衣︿女一一符﹀は︑いとかたじけなきことに
皆川 の
のしろ衣それならば少女の
と
への思いVを抱き続けるのであるc
か
︺ そ ﹂ ︿
ム ハ ハ
O頁﹀という訓戒に
かさ
ず︑
9
し ︿ 間 一
氏 ﹀
であった︒狭衣の笹に感動した
んかへしっと思ひな持︑がそ天の羽衣﹂(五O
珂 ﹀ ︑
︑狭
衣は
︑
つま
り︑
女ニ宮
き問
︑え
さ
10
ほかざまに
の と
か め
とも︿六O
頁)
て思いを容せまいとする︑狭衣の白いことに終始するのである︒
で︑巻二に入るとすぐに女二宮の話が再伴上する9そ
してまだのないままに︑ においてのことである︒その
る女
ではあったが︑この
を︑大宮は決意する︒
﹁ひ
め一
宮︿
女一
一宮
)の
︑ま
づ
第17サ
今少しの
殿(狭衣の父﹀よりなど︑︿見舞いの人々が)
がわせへば﹂とて︑奥深ふおはしまざすむ︿一五八真)
弘前学院大学紀要
(女
一一
宮﹀
をば
︑
女ー
F︼
9 J
四半jゃi
には知らせるのである︒
女二世の父︿帝﹀も︑この
の
い返り参りて︑
という帝のに鷺い得る︒
その後︑七
の祝
いも
︑過
ぎ︑
のほどに︑(大宮は)
と︑
女一
一何
を
いものであった︒しかし︑物語には
の七日ごとの
女
だのであるご二六
t
一 一 一 一
二 頁 Y
の成り行きを知つ
た ふ う に 装 う こ と
病に陥る︒それでも一一討を案じ︑
ち︑
︿文
二同
︾げ
を﹀
かか
え潜
りて
る程に︑
にや
﹂
ひて︑(女房達は)瞭き人々を許せず︑
の御使い︑大
騒ぎ
︑
しかりけれと︑(乳母連は)
っているのは︑と数人の女房達のみである︒あくまでも︑たことにして︑人々
の儀式において︑い︒そのことは︑
と奏
すれ
ば︑
(怖
は﹀
﹁い
り︒
(一
軍八
真)
と開かせ紛ひで︑や︑例の
ちの心もゆるん叫r﹂
︑
iu
・いもよくなって︑
山(
一六
一一
良)
は︑それ
ては
川町
る娘
の
︑ 竜
寺V
し
、
0)
って
の死広よって︑急速へと向かうこととなる︒
三六
一一
真)
は︑
︿二
八一
一一
一氏
)︒
そし
て︑
その
に︑女士宮は﹁そこら多かる宮の
同
って
中の人々︑泣き合ひたる﹂(一六六頁)汽ノちに︑﹁その(問問頁﹀うと︑出家を遂げるのである︒それを追うかのよ
うに
︑女
一一
宮の
若佐
れが
五
の祝
儀を
終え
ると
土八
二一
良﹀
︑
嵯峨院も︑譲位し︑出家をするのである︒(一八九一氏)
場一一の初めで︑狭衣との時大宮の逝去︑父帝および女ニ
の
し
、
って
︑
ほぼ終られた八女二宮の
と一
一一
一口
って
よい
︒
主人公狭衣の
女‑
早々
にと
って
は︑
︑
1u
v
女一
一躍
一時の心の慰めであったということであるのか︒それとも︑女一一宮は出癒しても︑たことで︑相続更衣の如く︑後
思島:狭衣物語における物語展開の方法
とする物語の設定を意幽していたのだろうか︒大宮が死の
に詠
んだ
︑
翼井まで生ひのぼらなん種まきし人も場ねの若松三五九頁﹀
よって︑あるいは若宮の物語が展開される構想があったのではないとも推察される︒狭衣が巻二三一二O
一員
﹀で
︑
女一一宮と初めて
の
ジ〉
て登場する場合が多いこと︑また︑狭衣が皇位に即くためには︑昌一女もしとして︑女二
一氏のご指摘がある(日)︒巻一でのなければならない︑という
の鹿後に登場した
で あ
ヘ向けて大きく作用する重要な要閣であると考えるのは︑るという事憶も考惑すれば︑この女一一宮の若宮が︑狭衣のむしろ当然のことで
にある︒巻二での女二
啓一
一一
中段
句者
宮の
巻 問 問
の議式を迎えるなど︑成人後
もあ
る︒
の
では︑あるいは作者はそこまで考えていたのかも知れない︒そのて︑後に改めて考えてみることにするQ
ァ ー ー
u ' p σ ︑ ノ
〈三〉
源氏宮の物欝ニ
ii
離れゆく恋l
il
i
巻一
一で
の
一条
院の
っていたものがある︒
のう
ちで
︑
女一
一宮
が出
家し
た後
に︑
女二百の所へ忍び入る︒しかし︑女
女
それ以上の進展はない︒巻二の
十 仇
出'
って
︑
ローズアップされるのである︒それは︑
Lぶ
には
︑
大倣貯金など近くなりι
けれ
ば︑
る﹂と聞き給ひて︑
(狭
衣﹀
の心
の中
11
12
は︑いかばかりあちん︒つ九
O
貰 ﹀
と︑大嘗会を機会に︑の大嘗会を契機として︑の行動が記され︑狭衣のして入内する設定によってである︒
苦惟するに再び押し出そうというわけだc
の
ところこの直後ι︑一条院が揖御した︒
ふ程
に︑
﹂条院の︑このH頃併ならず思しけれど︑
せ給
ひて
︑
︑忍び過ぐさせ折々胸をきへ
うち︿新帝﹀の出品し鳴くさま世の常ならず︒︿一九三頁)
第17号
からである︒の公事が集中して述べられるのがそれだ︒そのうちの一一一例︑の二度紅一旦る交替︿磐線
ω
・ 鈎 ) ︑
および の生き方に大きな変化が生じる︒斎王の交替が要求された
の交
のない事件だ︒だ
その
結果
︑
つま
り︑
替 弘前学説大学結要
﹁誰か代りに
せ ふべき﹂﹁女宮もこの
頃はおはしまさずL﹁源誌の宮の︿轡宮妃としての)内議参りゃいかなど︑株入︑ゃうやう言ひ出づるを:::︒(一九五真)
の
の交替を要請し︑適当な女宮がいないことから︑の入内までも危うくなる︑という構密である︒
結果として︑
︿一
九五
貰﹀
と︑
の斎院が決定した︒同じく
(諏氏門的﹀を我より前に誰か折るべき
L (
一九四其)や︑市いなどによって︑
ア
﹂ 中 仇
︑
tt
の
﹁神代より標引数結ひ
の
﹁とかく誰も定むべき方なくて︑︿源氏留が斎院に﹀さだ
ぬ る
(嵯
峨院
﹀の
(女
﹀一
一一
の宮
ぞ岩
させ
給ひ
にけ
る﹂
︿同
頁﹀
とな
った
︒
狭衣の手の ねたて︑明暮妬く心やましき心のない所へと遠ざかった︒それ広対して︑狭衣は︑工ゐ工︑
fbfb
かあかと胸あきぬる心のである︒さら広は︑狭衣の心が普通の男のように︑うと︑むしろ︑さばさばし
で
契ったり︑また︑女二宮が出家した後に狭衣の
の よ 女 一
一 一 官
った
︑
っていたならば
と し
ひてやあらましL︿同頁﹀とまで思うのである︒つまり︑斎正のて語られているわけだ︒このに対する作者の には︑あと強引にに絶え給
の み
で作者の批評の質を解くことはすぐには出来ない︒ここでは︑無論︑狭衣を賞賛するために︑斎王の件がもち出されているのである︒だが︑
狭衣の思慕し続ける女性を︑斎院という手の届かない所に置くという構想は︑﹃狭衣﹄において重要な要素でなければならない︒
源氏宮は斎院峡所での﹁例の作法の事どもなと﹂(二O一頁)の御棋の儀を終えて︑初斎院に入った︒その後︑巻三下段に至って︑本斎院の
御棋の儀が行われる(三O四頁)︒だが︑狭衣との物語は深まらずに︑この巻二を以って︑源氏宮の物語は︑事実上の終幕を迎えたのである︒
(四)
¥ノ/飛鳥井女君の物語ニ││死後に偲ぶ││(巻三)
/¥ 豊島:狭衣物語における物語展開の方法
巻三に記された通過儀礼は二ニ例(八表1V
八表
2V参照)︒そのうち九例が︑飛鳥井女君に関わっている︒さらに︑逝去の記述の六例は︑全
て飛鳥井女君についてのことであり︑その五例が︑巻三の上段の部分に記される︒つまり︑巻三は︑巻一の後半を継承して︑飛鳥井女君の死
を語り︑それを偲ぶ物語である︒
女君の生存を知る(一二三頁
) 0
しかし︑巻二一に入ると巻二の最後の部分で︑粉河寺に詣でた狭衣は︑偶然に飛鳥井女君の兄の僧侶に逢い︑
すぐに︑その僧の行動から︑﹁妹(飛鳥井女君)︑さは亡くなりけるにこそ﹂(一一一一O頁)と︑女君の死を確信するに至る︒そして︑
それとなけれど︑その程より︑睦ましう思す僧ともに一一一一口ひっけ給ひて︑七日七日までの弔ひをぞ︑いみじう忍びてし給ひける︒(一一一一一頁)
と︑その法要を営む︒
この後に︑出家した女二宮と︑洞院上の養女・今姫君の挿話がある︒この今姫君は︑飛鳥井女君と従妹であるという設定をすることで︑飛
鳥井女君のその後の情況が語り出される︒今姫君の母代の話である︒
(飛鳥井女君は)世に知らず美しき子(女子)を生みたりけるは︑
さいつ頃︑他になり
いかにとかや︑その案内え申さじ︒明暮物思ひて︑
てこそは亡せ侍りにけれ︒(二四O
頁)
飛鳥井女君の女子出産︑および︑女君の逝去が確認された︒狭衣は︑女君が居た常磐尼の所を訪れ︑女君の兄(僧)に会い︑詳しく事情を知
四十九日になり侍る﹂(二四三頁)ことも知る︒さらに︑常磐尼から︑女子の行方を聞く︒
(女子が)世に知らぬ愛しさを聞かせ給ひて︑
る︒
﹁明
日な
ん︑
一口
聞の
申日
の︑
いみじうゆかしがらせ給ひしかば︑百日の折に︑(一品宮の所に︑女子を)参ら
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