ルワンダ宮廷の火の儀礼
宇 野 公一郎
目次
1.
はじめに2.
「火の道」と「水飼いの道」3.
「火の道」(1–284
行)の訳と解説a.
火を産む王Yuhi
に課される諸規則(1–12
)b.
火の儀礼を行う準備(13–119
)c.
小鈴と鍬の仕上げと火の都への移動(120–156
)d.
火の都における火と王国の更新、平和と繁栄の祈願、王の唯一性の確認(
157–280
)e.
更新された火の新しい都への移動、王国・王の健康の予告(281–284
)4.
国産み儀礼としての火の儀礼5.
おわりに1.
はじめにルワンダで火(
umuriro
)は一般に生命・健康(ubuzima
)を象徴する(de Lacger 1961: 242–243
)。特に植民地時代の文献には、「王朝の永続性を象徴 する」「有名な」「Gihanga
の火」が出てくる。火は王宮内のGihanga
祠に置 かれた大壺(intango
)に保存され、火が失われると大災厄が国を襲うと信じ られていた。火が消えたり盗まれたりすれば「死刑に処されるものとして」、専門の儀礼家集団が日夜守ってきたという。
1931
年に委任統治政府がYuhi
V Musinga
王を退位させ、その息子でキリスト教徒のMutara III Rudahigwa
を即位させて間もまく、火は放棄されたらしい。この火の起源はルワンダの建 国神話と結びついており、王国の支配的諸クラン(Ibimanuka
「降りてきた 人々」)の始祖Kigwa
が父Nkuba
(雷神)から授かって地上に持ってきたとも、
Kigwa
の子孫でNyiginya
王朝の創始者Gihanga
が発明して息子のKan- yarwanda
(王クランの始祖)に与えたともいわれた(Pagès 1933: 103, 536;
de Lacger 1961: 242–243; Delmas 1950: 14; Kagame 1951: 66, note 100; Bour- geois 1957: 535; Lestrade 1972: 23
。降臨神話については宇野2007
を参照)。「有名な
Gihanga
の火」を実際に見たヨーロッパ人がいたのかどうかは不明だが、王朝秘典の「火の道(
Inzira y
ʻumuriro
)」には、Yuhi
王が王朝の 聖なる火を更新する儀礼の手順が記録されている(Kagame 1947: 374
)。本 稿はその訳と解説である。2.
「火の道」と「水飼いの道」「火の道」のテキストは全
284
行で、前稿および前々稿(宇野2014;
宇野2015
)で扱った「水飼いの道」の約五分の一の長さしかない。とはいえ、両 者が記述する「火の儀礼」と「水飼い儀礼」は、ルワンダの宮廷儀礼の中で 最も大きな間隔をおいて定期的に実施された王権更新儀礼であるいう点で同 格と言える。つまり、後期ルワンダ王国における王の称号は二つの四世代周 期(Mutara–Kigeri–Mibambwe–Yuhi
とCyirima–Kigeri–Mibambwe–Yuhi
) を交互に繰り返したが、各周期の先頭に置かれる牛の王(Mutara
とCyiri- ma
)が「水飼い儀礼」を行い、各周期の最後に置かれる火の王Yuhi
が「火 の儀礼」を行ったのである。「水飼い儀礼」の実施には、王母が亡くなっていること、将来
Kigeri
王と なるべき王子が成長していることという前提条件があり、条件を満たせずに「水飼い儀礼」を行わずに死んだ牛王がいた。他方、「火の儀礼」の実施には 特に条件はなかったようなので、もし
Mutara I Semugeshi
(Kagame
によれ ば在位c. 1543–1576, Vansina
によれば1644
±22
年没)1が王号周期制度を定 めたとすると(宇野2015: 155–156
)、「火の儀礼」を行ったYuhi
王として は、Yuhi III Mazimpaka
(Kagame
によれば在位c. 1642–1675, Vansina
によ1
Kagame
による王の在位期間の推定はKagame 1972
による。Vansina
の推定につ いては宇野2010: 168
を参照。れば在位
c. 1735–?
)、Yuhi IV Gahindiro
(Kagame
によれば在位c. 1746–
1802, Vansina
によれば在位c. 1801–?
)、そして上述のYuhi V Musinga
王(在位
1897–1931
)が考えられる。「火の道」は、内容的には狭義の「火の儀礼」にとどまらず、「水飼いの 道」(そしてそれと関係が深い「即位の道」)と共通した王国の平安や人畜の 増殖を祈願する儀礼を多く含んでいる。火を産む儀礼自体について言えば、
「即位の道」
919–931
(宇野2013: 117–118
)や「水飼いの道」582–591
(宇野
2014: 167–168
)でも、発火儀礼は新王の即位や王権太鼓の更新という脈絡において登場した。しかし、そこでは、
Nkuuna
の息子Ndungutse
の家 からもたらされた樹皮布の上に発火錐を乗せ、王とTwa
が刻みを四回ずつ 彫り、小さな棒を刻みに当てて四回ずつ回して火をおこすという手順が述べ られていただけである。これに対し、「火の道」ではそのような発火の手順 は省かれており、「火の道」独自の内容として、新しい聖火を保存する大壺 の設置と新しい火による王国の象徴の焼成(178–208
)、古い聖火から新し い聖火への切り替え(221–234
)が加わっている。以下、「即位の道」「水飼いの道」との共通点にも注意しながら、「火の道」
を読んでみることにする2。
3.
「火の道」の訳と解説a.
火を産む王Yuhi
に課される諸規則火の儀 礼を行う王が
Yuhi
で あ り、 彼はNyiginya
王 朝の中 心 地で あ るNduga
地方から外には出られないことが語られる。この移動の制限はYuhi
にだけ適用される。
[
1–12: Yuhi
王とNduga
] 火を生む王はYuhi
。2
d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 54–67
のルワンダ語原文と仏訳による。訳文の( ) 内は私の補足である。Nduga
3で即位し、Nduga
に住み、Nduga
にいて占いをさせ、[
5
]Nduga
にいて吉兆を得、Nduga
にいて勝利し、Nduga
にいて戦士に命令し、彼らのために将軍(
umugaba
)4を指名する。彼らは打ち負かしに行く、
[
10
]王に背く外国を。王は
Mwogo
川5を渡らない。Nyabarongo
川6も渡らない。b.
火の儀礼を行う準備次に、火の儀礼を行う場所、道具、家畜、人間を準備する。まず「火の都」
を占いで選ぶ。
[
13–25:
火の都の選定]火の都(
imirwa y umuriro
)は二つ、Mashyiga-Karama
7と3[
2
]Nduga: Nyiginya
王朝の中心地。西・北・東をNyabarongo
川湾曲に、西南を
Mwogo
川に囲まれた地域。Yuhi
王はその外に出ることを禁じられた。4[
8
]「将軍(umugaba
)」:占いで任命される遠征将軍(宇野2010: 170–171
参照)。5[
11
]「Mwogo
川」:Nduga
の西南の境界をなす。6[
12
]「Nyabarongo
川」:Nduga
の西・北・東の境界をなす。7[
14
]「Mashyiga-Karama
」(Karama na Mashyiga
):Rukoma
の地名で、Gitarama
のKayenzi
にある。直訳すれば「Mashyiga
とKarama
」であるが、d
ʼHertefelt &
Coupez
に よ る と一つ の場 所ら し い(1964: 465
)。 他 方、Kagame
に よ る と、Yuhi IV Gahindiro
王が牛軍Imirama
を作って宮廷の占い師、Cyimbura
の息子の
Munana
に与えたが、その放牧場は「Mashyiga
近くのKarama
」にあったという(
1961: 99–100
)。これも同じ場所を指していると思われるが、どちらが正確なのか不明。
[
15
]Kamonyi
近くのRubona
8だ。火を生む時が 来たら、
卜占官たち9が
都についてお伺いを立てる
[
20
]二か所とも。吉と出た所に屋敷(
urugo
)を作る。それは一日で完成する。
主殿(
kambere
)と別棟と 裏庭がある。[
25
]吉と占った儀礼家たちが夜の警護をする。次に、儀礼で直接・間接に用いる鉄器を作らせる。類似の鉄器製作の記述が
「水 飼い の道」
84–102
(宇 野2014: 136–138
)と「即 位の道」2–19
(宇 野2013: 90
)にある10。8[
15
]「Kamonyi
近くのRubona
」(Rubona rwaa Kamonyi
):Rukoma
東部の丘の 名前で、Gitarama
のKamonyi
にある。Yuhi
IV
Gahindiro
が牛軍Umuriro
II
(「火」
II
)を作ってKamonyi
近くのRubona
の屋敷に配属させた。宮廷の占い師、Cyimbura
の息子のMunana
がその指揮権を与えられた。その放牧場がKamonyi
近くの
Rubona
にあった(Kagame 1961: 99; d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 465
)。9[
18
]「卜占官たち」(abaraguza b aabiiru
):王にかわって占い師に相談すること を専門とする儀礼家たち(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 283/69
)。10「即位の道」
2–19
は未訳なので訳しておく:「Muhinda
の子孫を派遣する。/彼 はMushongi
のNganzo
に行き/鉄を打っ て唯一者の鍬(iicyumwe
)を作る/[
5
]鉄を打って四つの斧(-toorezo
)を作る/四つの掘り具(-somyo
)と/四 つの大きな手斧(-baazo
)と/四つの小さな手斧(inshyaamuro/-cyamuro
)と/四つの小さなナイフ(
-horo
)と/[10
]四つの小刀(-gongo
)と四つの錐(
-gera
)を作る。/彼はまた鉄を打って二つの鈴(inzogera
)を作る/一つは鳴り、/一つ は鳴ら な い。/彼は ま た鉄を打っ て四つ の鍬(
-suka
)を作る。/[
15
]かみそり(-ogosha
)は作らない。/皮通し(-hindu
)も矢(-ambi
)も 作らない。/道具は宮廷に届けられる。/umwifuuzo
の柄を付けて/儀礼家た ちの長の所に運ばれる」(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 224–225
)。この「即位の道」に出てくる鈴ないし鐘(
inzogera
)は「火の道」に出てくる小鈴(intenge
)とは 種類・用途が違う。28
行の注参照。[
26–43:
鉄器の準備]Muhinda
の子孫11が出発しMushongi
のNganzo
12に到着する。彼は鉄を叩い て造る: 粗 造り の小 鈴(
umubyirure ya intenge
)13(
129, 175
)と唯一者の鍬(
iisuka y iicyumwe
)14(138, 256
)を。[
30
]八つの斧(-toorezo
)15と 八つの小さなナイフ(-horo
)と 八つの掘り具(-somyo
)と 八つの大きな手斧(-baazo
)と八つの小さな手斧(
inshyaamuro/-cyamuro
)と[
35
]八つの小刀(-gongo
)と四つ[八つではなく]の鍬(
-suka
)を。錐(
-gera
)は作らない。かみそり(
-ogosha
)も皮通し(
-hindu
)も槍(-cumu
)も矢(-ambi
)も作らない。[
40
]鉄器の柄は11[
26
]「Muhinda
の子孫(umwenemuhinda
)」: 宮廷儀礼家の第七位で、宮廷の鍛 冶をつかさどった(Kagame 1957: 371
)。12[
27
]「Mushongi
のNganzo
(Nganzo ya Mushongi
)」:ルワンダ東北部のBymba
のBureruka
地方のMushongi
山地にある王家の鉄鉱山(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 477
)。13[
28
]「小鈴」:(-teenge 9, 10
)王が腰に付ける儀礼用の小鈴(Coupez et al. 2005:
2499
)。d
ʼHertefelt & Coupez
によると、彼らのインフォーマントの一人は、intenge
小鈴の儀礼上の名称はituubuuro
(動詞-tuubuur-
「増殖する」から派生)であり、それら鈴を王の腰の周囲に巻くことによって、王国をあらゆる面で繁栄 させたいのだと説明したという(
1964: 299
)。14[
29
]「唯一者の鍬」: 唯一者とは王のこと。この宝器は「火の道」のほか、「即位 の道」(4, 95, 206, 222, 224, 889
)に出てくる。説明は宇野2013: 90
注7
、92
参15[照。
30–41
]「八つの斧〜umwifuuzo
の棒」:ここに挙げられている製作物と非製作 物の品目と数量は「水飼いの道」92–100
と全く同じである(宇野2014: 137–
138
)。「即位の道」5–18
(注[26–43
]の訳参照)とは製作と非製作の別や数量に 出入りがある。umwifuuzo
の木16の棒をつける 鉄器を宮廷に持って行きFwati
の子孫たち17に渡す。続いて、それらの鉄器を使って木器を作る。類似の記述が「水飼いの道」
112–120
(宇野2014: 139–140
)にある[
44–55:
木器の製作]彼らは
Muhima
のMwurire
18に行き[
45
]木を切って、八つのigicuba
壺19と 八つのinkongooro
壺20と八つの
ikirabyo
壺21と八つのバターすくい用具(
ibyavuuzo
)22を作る。彼らは
Gicuba cyaa Nyundo
23に行き[
50
]木を切って、八つのigicuba
壺(45
)と16[
41
]「umwifuuzo
の木」:-ifuuzo 3, 4<-ifuuz-
「欲する」。ウルシ科(Anacardia- ceae
)の喬木Pseudospondias microcarpa
(A. Rich
)Engl.
(Troupin 1983: 295;
Coupez et al. 2005: 1001
)。17[
43
]「Fwati
の子孫たち(abeenefwati
)」: 下級儀礼家のリニジらしいが不詳(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 455
)。Fwati
は「水飼いの道」113
に単数形「Fwati
の子孫(
umwenefweti
)」で登場し、ここと同様に木製品の製作を担当する(宇野2014: 139
)。18[
44
]「Muhima
のMwurire
」: 不詳。宇野2014: 140
の注80
[114
]参照。19[
45
]「igicuba
壺」:(-cuba 7, 8
)「牛の水飲み場に水を運ぶ大きな木製壺」「それ よりは小さいミルク保存用の木製壺」(Coupez et al. 2005: 324–325
)。「ミルクを 入れたり水を汲んだりするための容量数リットルの大型木製壺」(d
ʼHertefelt &
Coupez 1964: 401
)。20[
46
]「inkongooro
壺」:(-koongooro 9, 10
)木製の小壺で、少量の牛乳を飲んだ り、乳が少ない雌牛の搾乳に使ったりする(Coupez et al. 2005: 1348
)。21[
47
]「ikirabyo
壺」:(-rabyo 7, 8
)木製の壺で、占いで吉兆を示した牡の子牛の 血を集めるのに使う(Coupez et al. 2005: 1821
)。22[
48
]「バターすくい用具」:(-aavuuzo 7, 8
)バターの攪拌器からバターを取り出 すのに使う物、例えば木匙(-rosho
)とか、ふたつに割いたソルガムの茎を乾か したものとか(Coupez et al. 2005: 94
)。23[
49
]Gicuba cyaa Nyundo: Bumbogo
南部の丘の名前。Nyabarongo
川に近い。Kigari
のKanyinya
村(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 456
)。八つの
inkongooro
壺(46
)と 八つのikirabyo
壺(47
)と八つのバターすくい用具(
48
)を作る。これらの物は先ず
[
55
]宮廷儀礼家たちの指揮者(=Tsoobe
の儀礼王)の家に行く。次に、
Nyabarongo
川の両岸から軟らかい土を取ってくる。この土が何に使われるのかは明記されておらず、秘密にされていたらしいが、
d
ʼHertefelt &
Coupez
(1964: 297#59–60
)が推測するように、Nyabarongo
川の両岸の土 はNduga
の内と外、つまりルワンダ全体を象徴し、104
のBuhanga
産の軟 らかい土と一緒にして194–195
のicyansi
壺を焼いたと思われる。[
56–67:
両岸の軟土を取る]Tsoobe
クランの者24が行く、Seebidegede
の子孫25と一緒に。彼らは先ず
Mahembe
26の渡しで 対岸の軟らかい土と[
60
]此岸の軟らかい土を取る。Kinani
27の渡しに着いたときは、24[
56
]「Tsoobe
クランの者」: 宮廷儀礼家の最上位に位置したTsoobe
の儀礼王を 指す。このクランはルワンダ王国の神話的創始者Gihanga
王の庶子Rutsobe
を 名祖とする。25[
57
]「Seebidegede
の子孫(uwo kwaa Seebidegede
)」: 不詳。「火の道」にしか出 て来ない。26[
58
]「Mahembe
の渡し」:Burembo
とBumbogo
の間のNyabarongo
川の渡し で、Bakokwe
川の河口から遠くない(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 469
)。秘典で はここにしか出て来ない。27[
61
]「Kinani
の渡し」:Rukoma
とBumbogo
の間のNyabarongo
川の渡しで、Nyamagana
川の河口近くのMuseenyi
丘のふもとにある。Gitarama
のRemeera
(
d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 467;
宇野2014: 124
)。この渡しは、水飼い儀礼で死 者に仕えるGaseke
祠の儀礼家たちの一行が使い、また牛王の新しいミイラがJoma
からGaseke
に行くときにも使った(宇野2014: 124;
宇野2015: 127, 147
)。土を取らずに行き過ごし、
Mutobo
28の渡しも行き過ごす。それらは木の幹を備えた渡しだから。
(木の幹のない渡しの)それぞれで、軟らかい土を取る、
[
65
]対岸と此岸で。Kigeri
29の渡しで半回転し、歩いて渡る。
次に、
Nyiginya
王朝を支える主要八クランから、近親者の死の穢れに触れていない女子とその兄弟を一人ずつ集める。これとほぼ同じ記述が「水飼い の道」
145–171
に見られる(宇野2014: 142–143
)。[
68–87:
主要八クランの清浄な女子とその兄弟の準備]Ha
クラン30の娘を連れて来させる。最初は彼女だ31。
[
70
]父と母が健在の32娘を、父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。
そして
Ega
クラン33の娘、父と母が健在の娘を、
父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。
[
75
]そしてKono
クラン34の娘、28[
62
]「Mutobo
の渡し」:Rukoma
とBumbogo
の間のNyabarongo
川の渡しで、Rukoma
北部のNgamba
丘のふもとにある。Gitarama
のRemeera
村(d
ʼHerte- felt & Coupez 1964: 474
)。秘典ではここにしか出て来ない。29[
66
]「Kigeri
の渡し」: 不詳。秘典ではここにしか出て来ない。30[
68
]「Ha
クラン」:「天から降りてきた人々」系の王母クラン(宇野2007: 132–
133
)。31[
69
]「最初は彼女だ」:Ha
クランの娘は後で王と性交し(249–250
)、火の都を 与えられる(275–280
)。32[
70
]「父と母が健在の」: 近親者の死の穢れに汚染されていない清浄な。33[
72
]「Ega
クラン」:「天から降りてきた人々」系の王母クラン(宇野2007: 132–
137
)。34[
75
]「Kono
クラン」:「天から降りてきた人々」系の王母クラン(宇野2007:
132–133
)。父と母が健在の娘を、
父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。
そして父と母が健在の
Gesera
クラン35の娘を、父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。
[
80
]そして父と母が健在のTsoobe
クラン36の娘を、父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。
そして父と母が健在の
Mugunga
の子孫たち37の娘を、父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。
そして父と母が健在の
Cyambwe
の子孫たち38の娘を、[
85
]父と母が健在の男兄弟の一人と一緒に。許嫁(
abageni
)は八人来る39 八人の兄弟と一緒に。次に、王の父方の平行従姉妹にあたる授乳中の女性を捜してくる。彼女は後 の王が行う豊穣儀礼を祝福するだろう(
251–252
)。ここは、「水飼いの道」172–174
(宇野2014: 143–144
)と語順が違うが内容は同じである。[
88–90:
王の父方従姉妹の準備]そして王の平行従姉妹(
mushiki
)40、つまり父方第二平行従姉妹35[
78
]「Gesera
クラン」:「地上にいた人々」系の王母クラン(宇野2007: 131–132
)。36[
80
]「Tsoobe
クラン」:[56
]の注を参照。Tsoobe
は王母クランではない。37[
82
]「Mugunga
の子孫」(aabeenemugumga
):Ndoba
(神話的始祖Gihanga
か ら数えて九代目の王)の息子Mugunga
を始祖とするリニジの名前(Delamas 1950: 37; Kagame 1952: 84
)。38[
84
]「Cyambwe
の子孫」(aabeenecyambwe
):Ndoba
(神話的始祖Gihanga
から 数えて九代目の王)の息子Cyambwe
を名祖とする王家リニジ(Kagame 1959:
84
)。39[
86
]「許嫁は八人」:ここには七人しか挙げられていない。170
行目に八人目のMunyiga
の子孫の娘が現れる。40[
88
]「平行従姉妹」:-shiki 1, 2
は姉妹(=〜igiti
)や様々な従姉妹を表す。父方 平行従姉妹つまり父の兄弟の娘(=〜wo kwaa se-waabo
)、母方平行従姉妹つま り母の姉妹の娘(=〜wo kwaa nyina-waabo
)、父方第二平行従姉妹つまり父の 父の兄弟の息子の娘(=〜w imuhana
)、父方第三平行従姉妹(=〜w igisaani-
ira
)など(Coupez et al. 2005: 2190
)。(
w imuhana
)41も連れてこさせる。彼女は王に喝采するだろう42(
249–252
)。[
90
]彼女は息子に授乳している。次に王権にかかわりの深い二つの牛軍から授乳中の雌牛と雌羊を連れてく る。牛の群には羊を放ってある。「水飼いの道」
175–188
(宇野2014: 144
) に同様の記述がある。[
91–98:
雌牛と雌羊を連れてくる]雌牛を連れに行かせる。
牛軍「尊敬すべき者たち(
Nyubahiro
)」43の雌牛たち、四頭の授乳中の雌牛たちがやってくる。
うち二頭は儀式用の仔牛に授乳している。
[
95
]「尊敬すべき者たち」の雌羊の一頭とともに。これも儀礼用の子羊に授乳している。
「王朝の者たち(
Ingabe
)」44の四頭の雌牛たちも来る。うち二頭は儀礼用の仔牛に授乳している。
次に火を産む儀礼で用いる水、大壺、薪、火かき棒、ニガウリの蔓などを取 り寄せる。
99–103
の水、壺、薪の準備は、「水飼いの道」189–194
(宇野2014: 145
)と同じである。41[
88
]「父方第二平行従姉妹(w imuhana
)」:つまり父の父の兄弟の息子の娘。-hana 19+3
は父方の三親等の傍系つまり父の父の兄弟の子孫を表す(Coupez et
al. 2005: 741–742
)。42[
89
]「彼女は王に喝采するだろう」:249–252
でHa
クランの娘と性交した王に 喝采する。43[
92
]「尊 敬す べ き者た ち」:Cyirima II Rujugira
が作っ た と言わ れ る牛 軍。Heeka
リニジ(239, 280
)が管理し、王権雄牛を育て、「即位」させた(Kagame
1961: 41–42
)。44[
97
]「王朝の者たち」:Kigeri IV Rwabugiri
が宮廷儀礼用に作った牛軍(Kagame
1961: 113
)。[
99–112:
水、壺、薪、植物の準備]水を取りに行かせる、
[
100
]Gisiizi
の水とMbizi
の水45(216, 218, 223–224
)を。水は
Gakondo
軍46によって運ばれる。貢物として運ばれる。
Buhanga
のintango
壺47(186, 198, 233, 269
)を取りに行かせる。Buhanga
の軟らかい土(195
)を取りに行かせる。[
105
]Ruhangari
のumurama
48(の木の薪)(158–159, 232
)を取り に行かせる。同じ場所に
umurama
の窯だし棒(icyokoozo
)49(201
)を取りに行 かせる。45[
100
]「Gisiizi
の水とMbizi
の水」:Gisiizi
はNyakavugo
川の河 口 近く のNyabarongo
川西岸の地名。Mbizi
はRukoma
地方の丘と川の名前(d
ʼHertefelt
& Coupez 1964: 458, 468
)。46[
101
]「Gakondo
軍」:Gakondo
は原初の王Gihanga
が初穂儀礼(umuganura
) のために作ってその息子Rutsobe
(Tsoobe
クランの名祖)に与えた軍といわれ、Tsoobe
の儀 礼 王が代 々 指 揮し、Bumbogo
の殆ど の住 民が こ れ に属し た(
Kagame 1963: 26–29
)。47[
103
]「Buhanga
のintango
壺」:-tango
は非常に大きな土製の壺で、祭りで大勢 が飲むビールを作るのに使う(Coupez et al. 2005: 2438
)。Buhanga
はRuhengeri
地方の平野で、Mukungwa
川の西、Nyamutera
の北にある。ルワンダ王国の神 話的始祖のGihanga
王が住んでいたとされる(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 449
)。「水飼いの道」
412–415
ではBuhanga
のintango
壺にGisiizi
の水とMbizi
の水を入れて、
umurama
の薪を燃やした火の上で沸かす(宇野2014: 159
)。48[
105
]「Ruhangari
のumurama
」:-rama 3, 4
はイチジクの一種。あるいはシクン シ科ヨツバネカズラ属のCombretum molle R. Br. ex G. Don
(Troupin 1983: 532
)。具体的にはこの木の薪である(
158, 232
)。Ruhangari
の場所は不詳だが、「水飼いの道」
196
でumurama
の薪を取りに行くMayaga
地方にあるのではないかとd
ʼHertefelt & Coupez
(1964: 488
)は推測している。49[
106
]「窯だし棒」:(-okoozo 7, 8
)塩分を含んだ植物を焼いた熱い灰を水飼い槽 に入れたり、窯から陶器を取り出したりするのに使う長い棒、竿(Coupez et al.
2005: 1741
)。201–203
で土器を窯から取り出すに使う。ニガウリ(
imyishywa
)50をBurega
丘51とButangampundu
丘52とGicuba cyaa Nyundo
(49
)に取りに行かせる。[
110
]ishyoza
53をGicuba cyaa Nyundo
に取りに行かせる。urutaratara
54(135
)を取りに行かせる、どこかそれが生えている所へ。
次に、七十頭の雌牛と一頭の雄牛で群れを作る。これは後(
277
)でHa
の 娘に与えられる。また、豊穣儀礼用のバターを作る牛乳壺も準備する。[
113–119:
牛群と牛乳壺の準備]雌牛の群を作る 七十頭で。
[
115
]雄牛は、牛軍「尊敬すべき者たち」(
92
)から一頭。牛軍「尊敬すべき者たち」の
igicuba
壺に牛乳を満たす、許嫁(
86
)の人数と同じ数の壺に。50[
107
]「ニガウリ(imyiishywa
)」:Cucurbitaceae
(ウリ科)のMomordica
(ツル レイシ属、ニガウリ属)のMomordica charantia
(ツルレイシ)とMomordica foetida
。 蔓は4
〜5
メ ー ト ル に な る と い う(Troupin
1983:
462,
umwishwa;
Coupez et al. 2005: 1083
)。ニガウリやゴーヤーの類。ルワンダでは豊穣、勝利 の象徴として儀礼で使われる(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 300–301
)。198
以下 で蔓を編んで輪を作る。51[
107
]「Burega
丘」:Buriiza
北部の丘の名前(Kigari
のKiyanza
村)。丘はフツ の王(hinza
)からKigeri I Mukobanya
が奪ったと言われる(Kagame 1957: VI,
37; d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 450
)52[
108
]「Butangampundu
丘」:Briiza
北部の丘の名前(Kigari
のKiyanza
村)。自 殺ないし戦死した王や王母を埋葬する王家の墓地があった(Kagame 1952: 123, note 75; d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 451
)。53[
110
]ishyoza:
不詳の植物(-shyoza 5, 6
)。「火の道」には以後出て来ない。他に は「初穂の道」233
に出てくるだけ。54[
111
]urutaratara:
パピルスのようなカヤツリグサ属の植物。Cyperus atroviri- dis C.B. CLARKE–syn. C. Aterrimus AUCT.non STEUDEL
(Troupin 1987: 440
)。沼地の葦の種類で、籠などを編む(
Cyperaceae: Cyperus dereilema
)(d
ʼHertefelt
& Coupez 1964: 438
)。135
で複数の小鈴を通して王の腰に巻く。準備はこれで終わる。
c.
小鈴と鍬の仕上げと火の都への移動次に、
28–29
でMuhinda
の子孫が鉱山で粗造りしてきた増殖の小鈴と唯一者の鍬を王宮内の鍛冶場で王が完成させる。唯一者の鍬の製作の記述は「即 位の道」
881–894
(宇野2013: 115
)とほぼ同じである。[
120–143:
王が鈴と鍬を完成させる][
120
]王は鍛冶場をしつらえる、Cyirima
祠の裏庭に。そしてふいごを四回動かす。
王は
Muhinda
の子孫(26
)に命じて ふいごを四回動かさせる。[
125
]Mutamwa
の子孫55に命じて ふいごを四回動かさせる。王は羊皮製の戦争服(
inkindi
)を着て 炉の前に行く。小鈴の粗造り(
28
)を打つ、[
130
]四回。王は
Muhinda
の子孫に命じて 鉄を四回打たせる。Mutamwa
の子孫が仕上げる。このとき、
Tsoobe
が[
135
]umutaratara
(111
)に小鈴たちを通し、寸法が合うか王の腰回りに付けてみる。
55[
125
]「Mutamwa
の子孫」:Muhinda
の子孫を補助する鍛冶専門家。一つでも多すぎないように。
王は唯一者の鍬の 粗造り(
29
)に近寄る。[
140
]そして四回打つ。王は
Muhinda
の子孫に命じて 鉄を四回打たせるMuhinda
の子孫はMutamwa
の子孫に仕上げさせる。次に外国人を遠ざける。外国人の存在は儀礼の実行と結果を損なうと考えら れたらしい。同様の予防措置は「水飼いの道」
40–46
(宇野2014: 134
)にも 見える。[
144–146:
外国人の追放]王はよそ者を追い払う。
[
145
]行く所がある者はそこに行く。行く所がない者は今いる都に留まる。
次に王が火の都に行く。
[
147–156:
火の都への移動]王は火の都に出発する。
遠いときは宿に泊る。
近いときは早く起きる、
[
150
]火をおこさずに 泊まらなくて済むように56。火の都の王宮の外の広場に着いたら、
56[
150–151
]「火をおこさずに泊まらなくて済むように」: 火の都に行く途中の宿で火をおこすことが禁じられていたらしく、できるだけ早朝に現王宮を発って、そ の日のうちに火の都に着くようにした。
王権槍
Rwamutara
57を取り 発火錐58を持つ。[
155
]ヒヒ59が前を行く、王権金鎚(
inyundo
)60を持った王宮の役人たちとともに。d.
火の都における火と王国の更新、平和と繁栄の祈願、王の唯一性の確認 火の都に着いた王は王宮に入って火をおこし、始祖Gihanga
王の霊をその 祠に案内する。ただし、ここでおこした火が「Gihanga
の火」になるには、いくつかの儀礼を経なければならない。
[
157–162:
火の都での最初の火おこしとGihanga
への祠の提示]王は規則に従って王宮に入り、
上記(
105
)のRuhangari
産の、umurama
の薪(nkwi
)を使って火をおこす。[
160
]王はGihanga
61にその住いを指し示す。57[
153
]「王権槍Rwamutara
」: 王権の象徴の一つで、「火の道」で出てくるのはこ こだけ。王の移動の際に発火錐や王権金槌などと一緒に運ばれる記述が多い。「即位の道」
866, 1133, 1151, 1207, 1221
(宇野2013: 114, 130, 131, 135
)、「水飼い の道」49, 69, 899, 914
(宇野2014: 134, 136,
宇野2015: 128, 129
)参照。58[
154
]「発火錐」: 堅い木でできた「雄」の棒(urugabo
)を柔らかい木でできた「雌」の棒(
urugore
)の溝に当てて、両手で錐のように回して摩擦熱を生じさ せ、乾草などに火をつける(Lestrade 1972: 34–35; d
ʼHertefelt & Coupez 1964:
291 note 11
)。その製作法は、「水飼いの道」582–599
(宇野2014: 167–168
)。59[
155
]「ヒヒ」:-guge 9, 10.
オナガザル科のヒヒPapio doguera
。即位式の時に雄 を一匹捕まえて、宮廷で飼った。「即位の道」279
(宇野2013: 104
)、「水飼いの 道」71, 901
(宇野2014: 136,
宇野2015: 128
)にも出てくる。Ruganzu II Ndori
王がヒヒに命を助けられたという故事によるらしい(Coupez et al. 2005: 665–
666; Delmas 1950: 53–55; Coupez et Kamanzi 1962: 271–279
)。60[
156
]「王権金槌」:40 cm
ないし55 cm
前後の長さの細長く平らな鉄板の両側に 山形の曲線を描く枝がつき、十字架の横棒が牛の角か鳥の翼のようにカーブして いる。王権太鼓と並ぶ王権の象徴で、5
つないし6
つあるが、王はその1
つをい つも身近に置き、寝るときは枕の下に入れたという(Delmas 1950: 40; d
ʼHerte- felt & Coupez 1964: 291, note 11;
写真はMaquet 1957: 40–42; Bourgeois 1956:
164, fig. 25
)。製作法については、「水飼いの道」84–91, 385–410
(宇野2014:
136–137, 158–159
)。61[
160
]Gihanga: Nyiginya
王朝の神話的な初代の王。王に王権金鎚と発火錐が差し出される。
合図太鼓が鳴る。
次に、
68–86
で選んだ王の許嫁たちが牛乳を攪拌する。これは王家と主要八クランの豊穣を促す儀礼であり、同様の儀礼は「即位の道」
860–862
(宇野2013: 113
)、「水飼いの道」909–912
、997–1006
(宇野2015: 129, 134–135
) に見られる。[
163–173:
許嫁たちによる牛乳の攪拌]王は許嫁たち(
86
)の攪拌器に牛乳を注ぐ(akabugaaniriz
)62。Ha
クランの娘から始め、[
165
]次いでEga
クラン、Kono
クラン、Gesera
クラン、Tsoobe
クラン、Mugunga
の子孫、[
170
]Munyiga
の子孫63、 そしてCyambwe
の子孫。許嫁たちが瓢箪を揺り動かし、
次いで儀礼家たちが攪拌し続ける64。
62[
163
]「攪拌器に牛乳を注ぐ」: 動詞-bugaaniz-
は、牛乳を小さな容器から大きな 容器に移しかえる(Coupez et al. 2005: 224
)、攪拌器に牛乳を注ぐ(d
ʼHertefelt
& Coupez 1964: 398
)。攪拌器(-saabo 7, 8
)は大きな瓢箪や陶器で作る(Coupez et al. 2005: 2047; Bourgeois 1957: 327, photo 13
)。63[
170
]「Munyiga
の子孫(aabeenemunyiga
)」:Ndoba
(神話的始祖Gihanga
から 数えて九代目の王)の息子Munyiga
を名祖とする王家リニジ(Delmas 1950: 37;
Kagame 1959: 84
)。68–90
で主要八クランをあげた時に抜けていた第八のクランにあたる。
64[
172–173
]「瓢箪を揺り動かし(-teerer-
)」「攪拌する(-cuund-
)」: 二つの動詞は 同義で、伸ばした膝(あるいは柔らかい物)の上に攪拌器を乗せ、手で前後に 揺り動かして牛乳を攪拌する(Coupez et al. 2005: 341, 2512; Bourgeois 1957:
328
)。通常のバター作りは女性の仕事だが、ここでは許嫁の後を儀礼家が引き 継ぐ。次に、王が儀礼の装束をつける。腰の周りの小鈴はシャーマンを想わせる。
[
174–177:
王の儀礼装束]Tsoobe
クランの者(56
)が[
175
]上記(135
)の小鈴たちを王の腰回りに付ける。次に心臓を付ける、
吉と占われた雌牛の心臓を。
次に、聖火を納める新しい
intango
大壺を穴に固定し、それを窯にしてTwa
が
icyansi
壺を焼く。後述するように、この土製のicyansi
壺はルワンダを象徴すると考えられるが、この壺は秘典の他の箇所には出て来ないようであ る。
[
178–208:
新しい大壺の設置と小壺の焼成]火おこしについては、
王は上記(
36
)の鍬を一つ取り、[
180
]槍立て柱65の近くを掘る。彼は四回掘る。
Tsoobe
が四回掘り、Seebidegede
の子孫(57
)に命じて 四回掘らせる。[
185
]次いでSeebidegede
の子孫は誰か望む者に掘らせる。上記(
103
)の新しいintango
大壺が穴に入るかどうか確かめる。そのときに、儀礼家たちは
65[
180
]「槍立て柱(inkingi y amacumu
)」: 家の寝床の入口の左側にあり、複数の 輪が付けてあり、その輪に槍を通して立てる(Coupez et al. 2005: 1293, -kingi 9,
10; Bourgeois 1956: 493
)。上記(
107
)のニガウリの蔓を編む(barajiisha
)66、Burega
とButangampundu
産の。[
190
]それで台座の輪(urugata
)を作る、intango
大壺の底のために。そして大壺の首のためにもう一つ。
そのときに、
Bwami
の子孫のTwa
67がicyansi
壺68を作る、[
195
]上記(104
)のBuhanga
産の軟らかい土で。今度は台座の輪を持ってくる 壺底用の。
そしてその上に上記(
103
)のBuhanga
のintango
大壺をのせる。その上に別の輪をのせる、
[
200
]壺首用の。上記(
106
)の窯だし棒(-okoozo
)を持ってくる、Ruhangari
産のumurama
の棒を。王は壺(
194
)を四回火から取り出す(-okoor-
)69。 他方、Tsoobe
とSeebidegede
の子孫(57, 183
)とが66[
188
]「ニガウリの蔓を編む」: 動詞-jiish-
:「動かないようにしっかりつなぐ、し ばる。強くつかむ。糸で綱や網を編む」(Coupez et al. 2005: 1151–1152
)。67[
193
]「Bwami
の子孫のTwa
」(umutwa wo kwaa Bwami
):bwami
は「王権」の 意。秘典では「Bwami
の子孫」は王の発火錐の世話をするTwa
を指す。68[
194
]「icyansi
壺(-ansi 7, 8
)」: 通常は牛乳を入れたり飲んだりするための木製 の壺。垂直な円筒形で、首がすぼみ、口縁部はひび割れないよう軽く焼いてあ る。高さは30
から70
センチ。容量は2
リットル程度(Coupez et al. 2005: 67;
d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 395
)。ここでは木ではなく土で作るので、240
に出 てくる牛乳容器ではない。この壺は秘典では「火の道」194
と240
にしか出て来69[ない。
203
]「壺を火から取り出す(-ookoor-
)」:Buhanga
産の軟らかい土で作った壺(
194
)をTwa
が焼いた後、王が取り出す。[
205
]言う:「ルワンダの牛たちを危険から救え(-okoor-
)70ますよ うに。ルワンダの人たちを危険から救えますように。
王のルワンダを危険から救えますように。」
大壺の中の火は消えていない。
次に、平和と人・牛の増殖を祈る。ここに見える「平和」と「羊」の語呂合 わせによる平和祈願は「即位の道」
438–444
と579–585
にもある(宇野2013: 108–109
)。また、地名と「多数」の語呂合わせによる繁栄祈願は「水飼いの道」
441–444
にもある。[
209–220:
平和と繁栄の祈願]Tsoobe
が出て行き、[
210
]上記(95
)の雌羊を搾乳する。その間、
Bwami
の子孫のTwa
(193
)が子羊(96
)をつかまえてお く。上記(
210
)の羊乳を持ってきて 大壺(103, 186, 198
)のそばに置く。こう言いながら:「ここに羊たち(
iinyabuhoro
)71がいます。[
215
]ルワンダの王が平和(ubuhoro
)を持てますように。」上記(
99–100
)の水を乳に注ぐ、こう言いながら:「ここに水があります
70[
205–207
]「危険から救う(-ookoor-
)」: 動詞-ookoor-
の二つの意味:「火から取り 出す」「危険から救う」(Coupez et al. 2005: 1741
)を使って言葉遊びをしている。71[
214–215
]「羊(-nyabuhoro
)」と「平和(-horo
)」の語呂合わせ:-nyabuhoro 9,10
は羊の儀礼名で、210–211
行目の雌羊と子羊を指し、-horo
(平和)と語呂 合わせしている。Nyabuhoro
は、神話上のルワンダ人の始祖Kigwa
が天から連 れてきた最初の羊のつがい、「平和の友とその妹、つまり雄羊と雌羊」の名前でもある(
Pagès 1933: 106
)。一般に羊は供犠用の動物で、Twa
以外は食べない(
Gravel 1968: 99
)。Gisiizi
とMbizi
の水が。ルワンダの牛と人が
[
220
]常に数え切れない(iimbizi
)ほど多数(uurusiz
)72でありま すように。」次に、一周期前の
Yuhi
王が更新し、四世代のあいだ宮廷で燃え続けてきた古い「
Gihanga
の火」を消す。火を消す行為は、病気を鎮める行為につながった。
[
221–230:
古い大壺の古い火を消し、無病息災を祈願する]intango
大壺が運ばれてくる、ずっと宮廷に置かれていた73。 上記(
99–100
)の水をそれに入れる、Gisiizi
とMbizi
の水を。[
225
]他方で儀礼家たちはこう言う:「シュー74。amaseeke
(マラリアの最初の発作)75を静められますようにamasaazi
(結節腫)76を静められますように72[
220
]「たくさん(uurusiz
)」「数え切れない(iimbizi
)」:218
行目の地名Gisiizi
とMbizi
との語呂合わせ(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 301/#217–220
)。73[
222
]「ずっと宮廷に置かれていた」: 今度の儀礼のために火の都まで運ばれてき74[た。
225
]「シュー(pyy
)」: 炭火に水をかけた時のシューシューいう音(Coupez et al. 2005: 1810, pyi
)。75[
226
]「amaseeke
(マラリアの最初の発作)」:Lestrade
(1955: 147, 151, 153, 254
) によると、マラリア(paludisme
)の最初の発作をamaseke
と言い、それに続く 無 熱 期の後の再 発はubuganga
と呼ば れ た。d
ʼHertefelt & Coupez
(1964: 65, 301
)は、Lestrade
(1955: 265
)の語彙集のiseke
=phlegmon
を採用している。Coupez et al.
(2005: 2115–2116, -seeke 9i, 6
)は「手足の膿瘍、phlegmon
」およ び「血尿」としている。ここでは説明の詳しいLestrade
に従う。76[
227
]「amasaazi
(結節腫)」:d
ʼHertefelt & Coupez
(1964: 65, 301
)は、Lestrade
の語彙集(1955: 254
)に従ってマラリアとしているが、Lestrade
は語彙集では マラリアにamaseke, amasazi, ubuganga
の3
語をあてているものの、本文のマラ リ ア の記 述(147–154
)で はamasazi
に は全く触れ て い な い。Coupez et al.
(
2005: 2103, -saazi 9i, 10i
)は、腋の下や鼠径部にできる結節腫とする。ここで はCoupez et al.
に従う。ibigatura
(潰瘍)77を静められますように 人と動物の[
230
]全ての疫病を静められますように。」次に、
icyansi
壺を焼成した火の残ったintango
大壺(208
)に薪を入れて新 しい「Gihanga
の火」を作る。[
231–234:
新しい火を新しい大壺で作る]残りの薪を運んでくる、
Ruhangari
のumurama
の薪(105, 158–159
)を。それを上記(
103, 186, 198, 213
)の新しいintango
大壺に入れ、火を付ける。
次いで許嫁たちのバターを集め、
Gihanga
ゆかりのInsanga
牛軍から搾乳 し、王とHa
の娘は交わる。この235–254
の記述は「水飼いの道」974–993
(宇野
2015: 132–134
)にほぼ対応している。[
235–254:
王と許嫁による豊穣の儀礼][
235
]許嫁たち(86, 163
)がバターを取り出しに(kwavuura
)来 る。彼女たちはバターの塊を
igucuba
壺に入れる、Ha
の娘(68, 164
)の。牛軍
Insanga
78が入ってくる。Heeka
79が搾乳し、77[
228
]:「ibigatura
(潰瘍)」:Lestrade
(1955: 30, 237
)もCoupez et al.
(2005:
558, -gatura 7, 8
)もanthrax
で一致している。78[
238
]「牛 軍Insanga
」:Gihanga
時 代に さ か の ぼ る と言わ れ た古い牛 軍で、Heeka
が管理した(Kagame 1961: 12–13, 41–42; Kagame 1947: 369; Kagame 1963: 16–18
)。79[
239
]「Heeka
」:Zigaba
クランのリニジで、その長は宮廷の儀礼専門家の序列 で第三位を占めた(Kagame 1947: 369
)。[
240
]icyansi
牛乳壺80に入れて差し出す。王が彼の牛の群を搾乳する仕草をする。
そして人々が彼に言う:「あなたがルワンダを牛で満たすことがで きますように
あなたがルワンダを人で満たすことができますように。」
王は家に行き、
[
245
]彼の牛の乳を飲む。王は上記(
236
)のバターの塊に触れる、中指で。
二人は互いに額にバターを塗る、
王と
Ha
の娘は。[
250
]王は行為をし、外に出る。王の父方従姉妹(
88
)が 歓声を上げる。彼女は雌の仔牛に授乳している雌牛を受取る。
彼女自身は息子(
90
)に授乳している。以上で火の更新儀礼は一段落し、次に王権の単一性を確認し、王国の繁栄を 予告する。ここで行われる統一の鍬の提示と人々との問答は、「即位の道」
222–226
における新王の公表と承認の際に行われるものと同じである:「彼(
Tsoobe
)は人々に唯一者の鍬(suka y iicyumwe
)を見せて/言う:「皆さ ん、これは何ですか?」/人々は答える:「唯一者(iicyumwe
)だ」/[225
] 彼は続けて:「国は本当に一人に属しています/国はなにがし[王号を言う]のものです」と言う」(宇野
2013: 101
)。80[
240
]「icyansi
牛乳壺」:これは、194
で作った土製のicyansi
壺とは別の木製のicyansi
牛 乳 壺ら し い。 牛 乳は木 製 容 器に し か入れ な か っ た(d
ʼHertefelt &
Coupez 1964: 302/#240
)。[
255–267:
王権の唯一性の確認][
255
]Tsoobe
が外に出る、唯一者の鍬(
iisuka y iicyumwe
)を持って。彼は王宮外広場で立ち止まり、
こう言う:「これは何でしょう、みなさん」。
人々は答える:「それは唯一者(
iicyumwe
)」。[
260
]彼は答える:「国はまさに一人に属する(iicy umwe
)、国は
Yuhi
に属する。」。彼は家に戻る。
彼は王権太鼓81を持ってきて それを王宮外広場におく。
[
265
]そして撥で叩く、こう言いながら:「私は牛の疫病を消滅させる。
私は人の疫病も消滅させる。」
Yuhi
の出発前に、火の都での最後の儀礼として、Gihanga
の火に雄牛がさ さげられる。[
268–274:
新しい火への雄牛の供犠と王の出発]Seebidegede
の子孫(57, 183
)が上記(
233
)のintango
大壺を持ってくる。[
270
]そしてそれを王宮の裏庭に埋めるが、全部が土に埋まってしまわないようにする。
「戦う者たち(
Indwanyi
)」82の雄牛を一頭連れてくる。81[
263
]「王権太鼓(ingoma
)」:この王権太鼓は鍬と同じく「唯一者(iicyumwe
)」という名前の太鼓だったらしいが、
19
世紀末のRucunshu
のクーデタの際に焼 けたという(Kagame 1947: 372; d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 302/#255–261
)。82[
272
]「戦う者たち(Indwanyi
)」: 宮廷に食用肉と、王権太鼓に血を塗るための 牛を提供する牛軍(Kagame 1952: 48; Kagame 1961: 9; d
ʼHertefelt & Coupez
1964: 447
)。そしてそれを殺す。
王は出発し、人々は肉を分ける。
他方、豊穣儀礼で王と交わった
Ha
の娘は王の后の一人となり、火の都の王 宮近くに住み、七十頭の雌牛を得る。彼女には領地も与えられるだろう(cf.
Kagame 1952: 124–125
)。[
275–280: Ha
の娘に火の都の住まいと牛群を与える][
275
]その間に、王宮外の広場に屋敷を建て、上記(
68, 164, 237, 249
)のHa
の娘をそこに入れる。群をなす上記(
113
)の七十頭の雌牛を、人々は「頑強な者たち(
Imirama
)」83と呼ぶ。上記(
210
)の雌羊は「頑強な者たち」の中に放す84。[
280
]Heeka
がHa
の娘のために搾乳する。e.
更新された火の新しい都への移動、王国・王の健康の予告最後に、
Yuhi
は新しい都を作り、新しいGihanga
の火もそこに移される。[
281–284:
聖火の新都への移動]火を担当する者たちが別の場所85で火の世話をする。
Yuhi
はNduga
に新しい都を作る。疫病は消滅し、
Yuhi
は大変長生きをする。(終)83[
278
]「頑強な者たち」:Yuhi IV Gahindiro
が作った牛軍で、その放牧地はRukoma
のMashyiga
近くのKarama
にあった(Kagame 1961: 100
)。これは14
行目で火の都の一つとして出てくるMashyiga-Karama
と同じ場所と思われる。84[
279
]「羊を牛の群の中に放す」: 羊は平和の象徴で、幸運をもたらすから、牧夫 は牛の群に何匹かの羊を伴わせた(d
ʼHertefelt & Coupez 1964: 301/#214–215
)。85[
281
]「別の場所」: 次行に出てくるYuhi
王の新しい王宮のGihanga
祠を指す。3.
国産み儀礼としての「火の儀礼」以上の「火の道」から「水飼いの道」などとの共通要素を除くと、狭義の
「火の儀礼」は、
147–156:
火の都への移動157–162:
火の都での最初の火おこしとGihanga
への祠の提示174–177:
王の儀礼装束178–208:
新しい大壺の設置と小壺の焼成221–230:
古い大壺の古い火を消す231–234:
新しい火を新しい大壺で作る268–274:
新しい火への雄牛の供犠281–284:
聖火の新都への移動 という構成になろう。さらに火自体に関わる流れを書き出すと:
158–159:
(王とTwa
が発火錐を使って)Ruhangari
産の薪に火をつ ける。179–186:
新しいintango
大壺を固定する穴を掘る。187–192:
ニガウリの蔓で台座などの輪を編む。193–195: Buhanga
産の軟らかい土でTwa
がicyansi
壺を作る。196–200:
大壺を固定する。201–208:
ルワンダの牛・人民・国を危険から救う呪文を儀礼家たちが唱えるなかで,(大壺の中で焼いた)
icyansi
壺を王が四回出し 入れして取り出す。火は残してある。221–224:
古い大壺の中の古い聖火をGisiizi
とMbizi
の水で消す。231–234:
残りのRuhangari
産の薪を大壺に入れ、新しい聖火を燃 やす。268–274:
大壺を裏庭に出して雄牛を供犠する。281:
聖火を新都に移して守る。というシークエンスにまとめることが出来る。
この狭義の「火の儀礼」で私が最も注目するのは、火の都に到着して最初 に
Ruhangari
産の薪でおこした火を使って新しいintango
の大壺で焼成され るicyansi
壺(193–194
)である。Icyansi
という種類の壺は通常は牛乳を入 れたり飲んだりするための木製の壺であり、ふつう牛乳は木製容器にしか入 れない(194
および240
の訳注参照)。ところが、ここでは土器であり、形 としては牛乳壺でも、牛乳を入れるものではない。「火の道」の準備過程のかなりの部分(軟らかい土、窯だし棒、薪、ニガ ウリの調達など)がこの壺に関係し、その製作は新しい聖火の生成の前段階 をなしている。さらにこの壺を作るのは王の発火錐を管理する
Twa
であり、火から壺を取り出すのは王自身である。これらのことは、「火の儀礼」にお けるこの壺の重要性を示唆している。しかし、従来の研究者はこの壺にあま り関心をしてこなかった。また、「
Gihanga
の火」に言及した植民地時代の文献も
icyansi
壺には全く触れていない。訳注で述べたように、
Nyabarongo
川の両岸から取った土とBuhanga
産の 土を混ぜて作ったと思われるこの壺は、ルワンダ全土の象徴と見なすことが 出来るが、王はRuhangari
産の長い棒でこの壺を四度(吉数)火から取り 出す動作をする。この儀礼的行為はまさに神話的始祖Kigwa/Gihanga
の子 孫が新しい火によって新しい大壺の中でルワンダを再創造する行為であり、またルワンダの安泰を祈る行為である。その再創造に使って残った火
(
208
)にRuhangari
産の残りの薪を継ぎ足した聖なる火(233–234
)は、原 初のルワンダの生命力を維持していると解釈できよう。単に新しい火をおこすというだけなら、先に見たように即位式や水飼い儀 礼でも行われていた。
Yuhi
が行う「火の儀礼」はルワンダを四世代ごとに「軟らかい土」から作り直す国産み儀礼であり、
Gihanga
の火はその副産物 だったと考えられる。4.
おわりに「水飼い儀礼」が王国の比較的最近の歴史を媒介にした王権の更新儀礼