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海外直接投資の政治経済学 ―促進要因と阻害要因 の日米比較―

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海外直接投資の政治経済学 ―促進要因と阻害要因 の日米比較―

著者 冨田 晃正

雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law

journal

巻 102

ページ 157‑182

発行年 2017‑03‑07

その他のタイトル Political Economy of Foreign Direct

Investment: Comparison of Promoting Factors and Inhibiting Factors between Japan and United States

URL http://hdl.handle.net/10723/2993

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海外直接投資の政治経済学

―促進要因と阻害要因の日米比較―

冨 田 晃 正

はじめに

 グローバル経済の統合において主導的な役割を果たしたアクターとして多国 籍企業の存在に異論を唱える人はほとんどいないであろう。実際,多国籍企業 によって実施される海外(対外)直接投資は,1990 年代以降の第 2 期グローバ リゼーション時代を構成する重要な要素として存在している(1)。また,こうし た海外直接投資は,投資の受け入れ国は勿論,その実施国内においても政治的,

経済的,そして社会的な分野にまで多様な影響を与えている。しかしながら,

海外直接投資に関する研究は,国際経営学及び国際経済学のアプローチによる ものが主流であり,政治学の観点からこのイシューを扱った研究は十分な蓄積 があるとは言えない(2)。他方,外国直接投資研究の先駆者であるキンドルバー ガー(Charles P. Kindleberger)も指摘する通り,外国直接投資の実施国おいても,

その国内への効果は必ずしも一定ではない(3)。つまりは投資から利益を被る主 体と不利益を被る主体が同時に存在するという,極めて政治学的な分析が必要 となるのが海外直接投資の分野なのである。よって本稿では,海外直接投資が もたらす配分的影響と,それによる政治的駆け引きの様子を,海外直接投資を 推進する代表的国家であるアメリカを中心に検証する。

 以下,第一にアメリカにおける海外直接投資の歴史と現状を,グローバル化

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の流れの中で明らかにする。第二に,海外直接投資を促進する主体と,それを 押しとどめようとする主体間の政治的対立の様子を明らかにすることで,政治 経済学の観点から海外直接投資の世界を説明する。そして最後に,日本におけ る海外直接投資の現状と,政治的対立状況に関して考察を加える。ここでは,

アメリカとは大きく異なる海外直接投資をめぐる日本の政治的状況が浮き彫り になる。なお,本稿は海外直接投資をめぐる政治的駆け引きに焦点を当ててお り,そこで扱われる社会集団は主に経済機能的な集団であり,文化的・宗教的 な集団ではない。その意味で本稿は政治経済学の視点から書かれたものである。

1.経済グローバル化と海外直接投資

(1)多国籍企業と海外直接投資

 海外直接投資を行う企業は,多国籍企業と呼ばれる。ではこの多国籍企業は いつから出現したのだろうか。ケーブス(Richard E. Caves)によると,多国籍 企業とは,2ヶ国以上に存在する事業活動ないしは営利を生み出す資産を運営 管理する企業である(4)。ゆえに単に財やサービスを本国から輸出することだけ をもって国際的活動とするような企業は,多国籍企業ではない。すでに 19 世 紀の段階で,企業はかなりの規模で国境を越えて事業機会を捜索するように なっていたが,「多国籍企業」という用語が出現したのは,20 世紀の中葉以降 である。1958 年に,フランスの経済学者であるモーリス・バイエ(Maurice Bye)が「多属地企業」という表現を作っている。初めて「多国籍企業」とい う言葉が出現したのは,1960 年にテネシー渓谷調社の前長官であった,デビッ ト・リリエーソン(David E. Lilienthal)が,海外事業活動を行うアメリカ企業の 諸問題に関する論考の中で示した時である。それ以降,多国籍企業という用語 は様々な文脈で使われるようになっていくのである。

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 こうした多国籍企業が行う行為の一つとして海外(対外)直接投資(FDI)が ある。海外直接投資とは,マネージメント・コントロールを伴った海外有価証 券の取得である。多国籍企業は,海外資産の取得を既存企業の買収を通じて,

あるいは新規に事業活動の開始によって行う。こうした多国籍企業による海外 投資の最も分かりやすい例は,外国に完全所有(100%所有)の子会社を設立す るという場合である。しかし,海外子会社の中には,様々な中間的な出資形態 や出資を伴わない支配関係も存在する。所有に基づかない契約には,企業間で 技術移転に関する契約を結ぶ「技術供与(ライセンシング)」,企業が他の企業 に対してある期間,特定の場所で決められたやり方に従いビジネスを行う権利 を供与する「フランチャイジング」,独立の企業間で価格協定ないし生産量制 限の協定を結ぶ「カルテル」,および企業間で設備の共有ないし新製品開発に おいて協力関係を結ぶ「戦略提携」といった多様な形態が存在する(5)

(2)アメリカ海外直接投資の萌芽と発展期

 先述のように多様な形態が存在する海外直接投資だが,アメリカにおいては どのような流れで展開されてきたのだろうか,次に見てみる。

 アメリカは海外直接投資が進んだ国であるとされる。その一因として国家と しての産業政策実行力が弱かったことが指摘される。ゆえに製品サイクルの引 き延ばしによって企業の国際競争力を維持することができず,国家は税制・金 融上の優遇措置や投資保険制度を早くから整えることで,企業の海外脱出を助 ける道をとった。この背景にはアメリカにおいて,経済は私企業によって運営 されるべきであり,明らかな国家緊急事態の際を除いて,国家は脇役であるべ きだという考えが一般に支持されているという事情もあるだろう(6)

 なお 18~19 世紀において,国境を越えた投資活動という点で先駆者となっ たのは,当時の覇権国であったイギリスであった。しかしイギリスの海外投資 の大部分が証券投資だったのに対して,経営支配をともなう直接投資(つまり

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海外直接投資)で世界をリードしたのはアメリカであった。1901 年にあるイギ リス人は,電話,カメラ,電蓄タイプライター,路面電車など,過去 15 年間 に開発された新産業のほとんどすべてがアメリカ企業の掌中にあると嘆いたこ とに見られるように,同時期ヨーロッパ各地で「アメリカの侵入」が脅威とと もに語られるようになっていた(7)。なお,この時期の直接投資先の産業は,鉱 業,石油開発,農業といった資源開発部門であり,地域的に見ると資源開発部 門が集中する中南米が最大で,アメリカの全投資残高の半分近くを占めていた。

それに対してヨーロッパ,カナダはアメリカ製造業投資のほとんどを受け入れ ていたとはいえ,投資残高の合計額で中南米に及ばなかった。

 その後,鉱業と農業の比重が急速に落ちたのに対して,製造業と石油業の重 要性が増大していった。その傾向は第二次世界大戦後も続き,1970 年には製 造業部門への投資だけで,アメリカの全投資残高の 4 割に達した。地域別にみ るとヨーロッパ,カナダという先進国が製造業投資のほとんどを受け入れる傾 向が見られるようになり,全産業で見ても中南米が 2 割を割ったのに対して ヨーロッパ,カナダがアメリカの海外直接投資の 6 割以上を占めるようになっ た(8)。こうして 1960 年代にはヨーロッパで「アメリカの挑戦」が再び喧伝さ れるようになったのである。

(3)アメリカ海外直接投資の拡大期

 アメリカ企業の海外直接投資の波はその後も衰えることなく拡大する。続く 1970 年代はアメリカ系多国籍企業の拡大の時期にあたり,それまでの先進国 中心の投資先から,第二次世界大戦以前のように再度,資源や低賃金な労働を 求めて新興工業国などの途上国にも向かい始めた。この時期,アメリカ企業の 投資が拡大した背景には,輸送・通信技術の急速な発展の存在が指摘できうる。

アメリカ企業は輸送・通信技術の発展を利用して海外に工場を作り,必要とす る部品を外国企業から調達することで,ネットワークを拡大していった。言い

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換えれば,コンテナや通信技術の進歩を世界規模のサプライチェーン構築に活 用し,それにより海外直接投資を拡大していったのである。なお,こうしたサ プライチェーンの構築は,偶然形成されたものではない。アメリカは,第二次 世界大戦後,戦争で疲弊したヨーロッパや日本を復興させるため尽力をつくし たが,実はそうした米国の行動自体に,企業のサプライチェーンをグローバル 化する原因を内包していたのであった。それは,冷戦に関連した輸送・通信技 術の数々であり,特に 1970 年代以降そうした技術が飛躍的に発展したことで,

貨物船や輸送機,海底ケーブル,鋼鉄製コンテナ,そして大陸間の電気通信を 可能にする衛星,といったものが発達したことに表れている。これにより地球 上のあらゆる地点から別の地点へと物資を運ぶコストが劇的に下げることに なったのである(9)。こうした背景もあり,サプライチェーンはさらに高度化し ていき,ある国の設計技術者が新製品のモデルを考え,別の国の製造技術者が それを第 3 国で製造するのに必要な組立ラインと設備を設計するようになり,

アメリカ企業の海外進出は更に拡大していったのである。この一連の流れによ り,アメリカ企業による海外直接投資というのは,1990 年代以降の第 2 期グ ローバリゼーションを支える一つの柱となっていくのである。

 上記グローバル・サプライチェーンの成長により,1990 年代,国外で操業 するアメリカ企業からの輸入は米国の輸入全体の約 45%を占めるようになっ た。さらに商務省のデータによると 2006 年には,その値は約 48%にまで上昇 している。アメリカ国内で組み立てるために外国企業から購入する部品と,外 国から購入して自社ブランドで販売する製品を含めると,この数字はさらに大 きくなる。現在こうしたグローバル・サプライチェーンを行っている企業は多 岐に渡る。例えば,家電メーカー,ワールプールのグローバル・サプライチェー ンには,スウェーデンで設計し,中国で製造する電子レンジがある。GEは,

ボンバルディアが,カナダで生産しているコミューター機の小さなジェットエ ンジンを製造しているが,エンジン価格にしてほぼ 4 分の 1 を日本製の部品が

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占めている。デルは,顧客を直接外国のサプライヤーにつないでおり,顧客が ラップトップを一台買おうとデルのサイトでクリックすると,その注文は,台 湾の企業クワンタが経営する工場のコンピューター画面に表示され,注文主で ある米国の顧客に向けて,その工場で作られたラップトップが直ちに発送され る。自動車メーカーのイートン社は,ブラジルでトラックの変速機を製造して いるが,その一部はオハイオに向けて発送され,ナビスター社のトラックに使 われるようになっている(10)。このように現在,アメリカ企業のグローバル・サ プライチェーンのネットワークは世界中に張り巡らされている状態にあり,ア メリカ企業の海外進出の成熟が見てとれる。

(4)データから見る海外直接投資

 こうした海外直接投資の進展は,数値の面からはどのように観察されるのだ ろうか,次に見てみる。

 米国の海外直接投資額を対GDP(国内総生産)比で表したデータが図表①で ある。これを見ると,確かに 1970 年代から徐々にアメリカ企業の海外進出は 拡大しつつあるものの,1990 年代に入ってから急激にその値が増大している

図表①:米国の海外直接投資フローの推移(GDP 比)(%)

出典:World Bank(11)

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163 ことが分かる(図表①参照)。

 この背景には,海外進出するアメリカ企業が増大したという量的な変化と同 時に,アメリカ企業の海外進出の質的変化がある。1990 年代に入ってから多 国籍企業のアウトソーシング戦略は,新たな段階に入ったと言われている。ア メリカ多国籍企業と多国籍銀行は,オフショアリング(offshoring),オフショア・

アウトソーシング(offshore outsourcing)といわれる事業活動の海外移転を展開 し始めたのである。もちろん,多国籍企業の事業活動の海外移転は,いまに始 まったことではない。多国籍企業は,すでに見たように,長年製品や部品の製 造や開発などの事業活動の海外移転を,直接投資やアウトソーシング戦略とし て展開しており,民生用エレクトロニクス製品,自動車など工業製品のみなら ず,衣服やおもちゃなどの日用品の産業に広く普及していた。ただし注意が必 要なのは,1990 年までの時期多国籍企業の多くは,研究開発やマーケティング,

経営管理機能を本国に残しながら,製造の機能やルーチン(日常業務)な研究 開発機能を海外に移転してきたことである。

 しかしながら,1990 年代以降,米国の多国籍企業は,それまで本国に残し ていた本社の事務・管理部門,研究開発の一部をも海外へ移転し始めたのであっ た。これらの本社にある研究開発,事務・管理部門は,従来は技術・知識を必 要とする専門職のものであり,技術者やホワイトカラーが担ってきた仕事で あったが,1990 年代以降はそうした部門までが国外に出ていくようになった のである。1990 年代以降,こうしたアメリカの多国籍企業による技術者やマ ネジメントなどの知識労働の海外移転は,IT産業,エレクトロニクス,航空 宇宙,医療などの製造業,証券会社,投資銀行,格付機関など金融業,建築業,

航空業など幅広い分野に渡っている(12)。これは 1990 年代以降の海外直接投資 に関する大きな質的な変化であった。

 なお,国別の直接投資額を見ると(図表②参照),アメリカは 2010 年の時点 において,3,515 億ドルの投資額を有し,世界全体のシェアの約 27%を占めて

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いるが(1990 年の時点では約 15%であった),これは貿易額と同様に世界第 1 位の 値である。アメリカの次には,ルクセンブルグ,ドイツと続くがその値はアメ リカとの間に大きな開きがあり,投資大国としてのアメリカの圧倒的な存在が 浮き彫りになっている。

 次に海外進出企業の量的な変化を見てみる。アメリカの海外進出企業数の推 移を表したのが図表の③である。これを見ると海外進出企業数は,1993 年頃 から徐々に増加していることが分かる(1993 年:17926 企業,2008 年:26548 企業)。 つまりは 1990 年代以降,量的な意味でもアメリカ企業の海外直接投資が拡大 しているのである。他方,製造業の海外進出企業数は,この時期大きな変化が 生じていないが,微増状況にはあることが見てとれる(1990 年時点で 7477 企業 だったものが,2008 年時点では 9375 企業)。なお,こうした 1990 年代以降新たな に海外進出を進めた産業の中に,アメリカが世界に誇る代表的産業である自動 車産業がある。自動車産業は 1990 年代以降,積極的に海外進出を実施するよ うになってきている。当時の自動車産業関連有力シンクタンクであるミシガン

図表②:国別直接投資額の比較(2010 年)単位:億ドル

出典:国際貿易投資研究所『国際比較統計データベース』より作成

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大学自動車問題研究所のデイビット・コール(David Cole)所長は,海外生産を 展開していくことの重要性を以下のように説明している。「今後アメリカの自 動車産業が業績を上げていくには,グローバルな活動を推進していくことが重 要である。アメリカの自動車産業がグローバル化を進める際の課題は,自動車 産業とその部品サプライヤーの統合をいかに世界中で上手く進めていくか,と いうことである」と述べており,激化するグローバル競争の中で生き残るため のアメリカ企業の海外進出の重要性を指摘しているが,こうした主張からも当 時の自動車産業の海外進出への積極的な姿勢が見て取れる(13)。このように 1990 年代以降のアメリカ企業の投資額の伸長の背景には,この時期新たに海 外進出を果たす企業が増大したといった,量的な意味での拡大も影響していた ことが分かる。

 このように質的な意味でも,量的な意味でも 1990 年代以降,アメリカ企業 の海外進出が拡大していることが明らかになった。ではこうした海外直接投資 の拡大はアメリカ国内にどのような影響を与えていたのだろうか,次章で考察

図表③:アメリカ企業の海外進出数の推移

出典: U.S. Direct Investment Abroad : Operations of U.S. Parent Companies and Their Foreign Affiliates, 2010.より作成。

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166 を加える。

2.海外直接投資の配分的影響

 キンドルバーガーも指摘するように,米国が国全体としては,国内および海 外の収益率を平準化する(現実のリスクを割引いて)効果を発揮する巨額の資本 流出によって利益を受けるとしても,米国内の利害集団が全て平等に利益を受 けるものでないことは明らかである。とくに資本は相対的に減少するので,資 本収益率は上昇するが,労働および土地は資本装備率が低くなるので,その収 益率は下落するだろう。経済学的にはストルーパー・サミュエルソンの定理

(Stolpher-Samuelson theorem)がこれを示している。これは商品価格に対する貿 易の効果,ならびにそれを通じての要素価格および要素所分配に対する効果を 論じたものである。要素が直接的に移動する場合には,移動しない要素,ある いは流入要素の供給を受けようとしている要素の収益率は,より一層直接的な 影響を被る。つまりは海外進出企業の送り出し国おいては,海外直接投資から 企業は経済的利益を受けるのに対して,労働者(及びその利益を代表していると される労働組合)は不利益を被るのである。ゆえに資本(企業)と労働(労働組合)

との間には海外直接投資をめぐって対立する可能性が理論的に内在しているの である。

 こうした資本と労働の対立の萌芽は,すでに 1960 年代から存在していた。実 業界や金融界は資本移動の自由をやかましく要求し,財務省の 1962 年歳入法に よる「課税の公平」を実現しようとする計画,1965 年 2 月の自主的信用規制計画,

1968 年の強制的投資規制に,いずれも反対してきた。他方,労働組合は 1960 年 代,企業の対外直接投資対して具体的な選好表明は行っていなかったが,1970 年代に入ると他国に生産拠点を移すアメリカ企業が拡大したこともあり,労働者 への影響を考えて懸念を示すようになっていく(14)。実際,自由貿易の拡大を目指

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した 1974 年の通商法案に対して,アメリカ労働組合AFL-CIOは同法案が更な る対外直接投資を拡大させるとして,反対の態度を表明している。ここに,現 代まで続く対外直接投資をめぐる企業と労働組合の対立が出現するのである(15)

(1)促進要因としての企業

 企業が貿易活動に飽き足らず,なぜ国境を越えた事業活動に乗り出すのかに ついては,より高い利潤や資源供給の独占を求めるという企業の積極的・攻撃 的性格を強調する見方から,競争に押されてやむを得ず海外投資に乗り出すと いう受動的・防衛的性格を強調する立場まで様々である。例えばレーニンやマ グドフ(Harry Magdoff)といった帝国主義論者は,企業の攻撃的な性格を強調 するのに対して,ヴァーノン(Raymomd Vernon)に代表される製品サイクル論 者は,企業間の競争とそれに対処する企業の貿易的行為として直接投資を説明 している(16)。ヴァーノンの製品サイクル論は,技術の標準化と主にそれに由来 する競争を,直接投資の中心的な説明要因にしているが,この「競争」による 防 衛 的 投 資 と い う 点 を 一 層 強 調 し た の が 二 ッ カ ー ボ ッ カ ー(Frederick

Knickerbocker)である。彼はアメリカ企業の海外進出が,短い期間に集中的に

起こる現象に着目して,それを競争相手に新しい優位性を与えないために,一 社が進出すると他社も追随することから起こる,企業の防衛的行動の結果とし て理解した。もちろん海外への進出が優位性をもたらすかどうかは不確実であ るが,規模の大きい寡占企業にとって,マーケティング方法や新製品の着想な どの点で競争相手が優位性を獲得するようなことがあれば,他の市場や分野で も決定的に不利に陥る恐れがあるので,保険をかけるつもりで自分も海外進出 をおこなうと言うのである(17)。なお,ヴァーノンやニッカーボッカーによる製 品サイクル論がもっぱら技術の初期優位と時間の経過による優位の「衰退」を 強調したのに対して,キンドルバーガーやハイマー(Stephen Hymer)は技術だ けでなく,それ以外の分野での優位性の存在と,企業はそういった優位性を独

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占し続けようとする傾向があることを指摘した点で際立っている(18)

 このように海外直接投資を行う企業の利益がどのようなものであるかに関し ては,古くから経営学の分野にて様々な論争があるものの,それが企業の利益 になるということに関しては共通理解がある。ゆえに,アメリカにおいても投 資を推進する上で障害となる要因の除去や,海外進出を後押しする法案の成立 を政治的に進めてきたアクターは企業であった。つまりは,現在に至るまで企 業の海外進出を進めるような法案が成立した背景には,企業という民間アク ターの存在があったのである。最近においても,例えば企業の後押しにより TPP協定において,投資家対国家の紛争解決メカニズム(ISDS)が導入された ケースがある。ISDSとは企業や投資家が,投資相手国の規制強化や政策変更 に対して「当初予定していた利益を損ねた」として多額の賠償金を求め提訴で きる制度である。ISDSが貿易協定に導入されることで,企業としてはよりリス クを軽減した形で対象国に投資を実施できるようになる(19)。こうした条項を貿 易協定に導入したことからも,企業は現在においても海外直接投資を少しでも 有利に実施できるよう,様々な政治的な働きかけを実施していることが分かる。

 こうした企業の長年に渡る政治的働きかけの効果もあり,アメリカ企業の海 外進出は拡大していることは何度も指摘した通りである。しかしながら当然の ように,このような企業の海外直接投資の拡大が,国内に及ばす影響は一様で はない。確かに投資の送り出し国において,一つの産業の一貫生産体制のすべ てが失われないかぎり,直接投資が輸出需要を生み出して,国内産業を活性化 させる可能性はある。さらに仮に一つの産業について自国企業のもつ優位性が すべて失われたとしても,新しい優位性をもつ別の産業や企業が次々に生まれ,

しかも様々な生産要素(特に労働力)が旧産業(企業)から新産業(企業)へスムー ズに移動し得るメカニズムが整備されていれば,多国籍企業は脱工業化や雇用 輸出の元凶として非難をうけることもないであろう(20)。他方,こういった条件 が失われれば,事業機会を失う納入業者や職を失う労働者は,自国の国家に保

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護を要求するであろう。実際に,こうした現象は 1970 年代から,企業の多国 籍化が最も進んだアメリカで広範に観察されているのである。

(2)阻害要因としての労働組合

 実際に多国籍企業の海外直接投資から不利益を被るとされる労働者及びその 利益を代弁する労働組合は,どのような対応を行ってきたのだろうか。労働組 合がはじめてアメリカ企業の海外直接投資に懸念を示すようになったのは,

1970 年代である。1974 年に成立した通商法案をめぐる下院公聴会に呼ばれた アメリカ労働組合の頂上団体であるAFL-CIO執行部のムーディー(William

Moody)は,そこで企業の海外操業(海外直接投資)に関する懸念を表明している。

労働組合の関係者が公の場で企業の海外進出を批判したのはこの時が初めてで ある。既に指摘した通り,1970 年代というのは,アメリカの多国籍企業が拡 大した時期にあたり,それまでの先進国中心な海外進出から,資源や低賃金な 労働力を求めて新興工業国などの途上国にも向かい始めていた。こうしたアメ リカ経済の急速な変化により,それまでの雇用の形態が維持できないのではな いかとの認識が広く労働者及び労働組合の中に共有されるようになってきたの がこの時期である。こうしたことから 1970 年代に入ると,他国に生産拠点を 移すアメリカ企業が増大していったことに対して,AFL-CIOはそれがアメリ カ労働者にとって大きな脅威となると考え,そうした行為を制限することの必 要性を訴えるようになったのである(21)。これ以降,TPPに至るまでほぼ全て の自由貿易協定に労働組合は反対の姿勢をとるようになるが,その要因の一つ に企業の海外進出に対する反対がある。

 なお,こうした労働組合による企業の海外投資に対する反対の声が頂点に達 したのが,1990 年代初頭のNAFTAを巡る争いである。NAFTAは幅広い内容 を含む貿易協定であったが,その中の一つの柱としてアメリカ企業が安価な労 働力と緩い環境基準を持つメキシコへの投資を活性化させる内容が含まれてい

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た。つまりはNAFTAが成立すると,1970 年から段階的に拡大していたアメ リカ企業の海外進出が,さらに拡大する可能性が予見されたのである。このこ とは,アメリカ労働者の職を守ることが第一かつ最大の目的である労働組合 AFL-CIOにとって看過できない問題であった。ゆえに労働組合はNFATAに対 して強硬に反対の姿勢をとり,NAFTAを推進する企業や経営者団体と激しく 対立したのだった。結果的にはNAFTAは上下両院で賛成多数で可決され成立 することになったことから,今回の海外直接投資をめぐる労働組合と企業の対 立は,投資推進派である企業の勝利に帰結することになり,更なるアメリカ企 業の海外進出を後押しする体制が成立することになった。他方,注意すべきは 今回の件で企業の海外直接投資に対する労働者及び労働組合の反発の大きさが 明らかになり,今後更なる政治的争いを予見させることにもなったことである。

 NAFTAを成立させたクリントン(William Clinton)大統領は,それを中南米 の各国に拡大することで更なる自由貿易と多国籍企業の海外進出を進めていこ うと考え,1997 年に連邦議員に対する説得を開始した。勿論こうしたクリン トンの行動の背後には,投資により利益を享受する企業の存在があったことは 言うまでもない。実際,NAFATを拡大させようと議会に提出されたファスト・

トラック権限法案(H.R.2621)の中には,「総体的」および「主要な」通商目的 としていくつかの項目が挙げられているが,その中の一つに「アメリカの投資 に対する人工的,または通商歪曲的な障壁の削減」というものがあった。つま りは,この法案にはアメリカ企業が海外直接投資を円滑に実施する目的が明記 されていたのである(22)

 こうしたクリントン政権,そして企業の動きに対して,強硬に反対の姿勢を 取ったのが労働組合である。労働組合が懸念していた通り,NAFTAの成立は アメリカ企業の海外進出を後押しすることに伴い,国内の特に製造業雇用の減 少を引き起こしていた。例えばメキシコと隣接するカリフォルニア州では,

NAFTAの成立により,特にアパレル産業を中心にメキシコへ生産拠点を移す

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動きが顕著であった。また,そうしたアパレル産業のメキシコへの移転は,カ リフォルニアの経済と雇用にとってはマイナスの影響を与えたと言われてい る。アパレル産業は,航空宇宙産業が衰退した後雇用者数では州内で 2 番目の 規模の産業であったが,例えば女性用スポーツウェア,衣服メーカーであるJ.

Michelle of California 社はロサンゼルスにあった生産拠点の 50%をメキシコに 移転していた。また,同じく女性用衣服メーカーであるChorus Line 社もまた,

この時までに生産拠点の 70%をメキシコに移転していたのだった(23)。こうし

NAFTA成立後の生産拠点のメキシコへの移転は,カリフォルニア州に止ま

らず全米の至るところで生じており,労働組合はそうした動きに焦燥感を募ら せていたことも,NAFTA拡大に対する強硬な反対へと繋がったのである。

 なお,こうした労働組合による政治的影響力により,下院の民主党議員を中 心に反対派が膨らんだこともあり,NAFTAを中南米に拡大する法案が成立す ることはなかった。今回,労働組合は多国籍企業の更なる海外進出の拡大を制 限することに成功したのである。この事例からも分かるように,労働組合に有 利な政治環境下においては企業の海外直接投資を阻害する要因として労働組合 が機能することが指摘できうる。

(3)世論の動向

 世論は海外直接投資に対してどのような反応をしているだろうか,次に見て みる。アメリカ国民が多国籍企業の海外直接投資に関して懸念を高める理由に 雇用と格差の問題がある。

 多国籍企業の海外進出は,実際にアメリカの労働者の雇用をどの程度喪失さ せているのだろうか。これに対する実証的な説明は必ずしもなされているわけ ではない。他方,自由貿易がアメリカの雇用に与えている影響が過大評価され ていることを批判する経済学者も,海外直接投資が雇用に及ばす影響に関して,

それを誇張であると主張する声は余り聞こえてこない。経済学者の多くは,自

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由貿易がアメリカの雇用にもたらす影響は非常に限定的なものであり,アメリ カ国内の雇用喪失の責を自由貿易に与えることに常に警告してきた。その代表 格である経済史家のアーウィン(Douglas A. Irwin)によれば,グローバル化が 進行した 1990 年以降,たしかに輸入増で仕事を失った人はいるが,特に貿易 からの影響を受けているとされる製造業部門で雇用が失われた最大の原因は,

貿易ではなくテクノロジーの進化だと,指摘している。アーウィンによるとオー トメーション化を実現するテクノロジーは,幅広い分野で生産性と効率を向上 させたが,同時にまた多くのブルーカラーの仕事を時代遅れにしてしまったと 言うことである。ボール州立大学の研究によると,2000 年から 2010 年に製造 業部門で 560 万人の雇用が失われたが,その 85%以上はオートメーション化に よる生産性の向上が原因で,貿易に起因する雇用喪失は 13%にすぎなかった。

つまりは,貿易の拡大とアメリカ雇用の減少の間には,ほとんど関係がないこ とが証明されているのである(24)。他方,企業の海外進出と雇用の間にどのよう な関係があるかに関しては,経済学者達は必ずしも明示的な説明を行っていな い。これが海外直接投資と雇用の関係をより複雑なものにしているのである。

 このように企業の海外進出がアメリカの労働者の雇用にどのような影響を与 えているかの経済学説明は,貿易の影響とは異なり極めて不明瞭である。他方,

現実のアメリカ社会においては特に製造業での雇用は縮小している。アメリカ 労働者の就業構造の推移を観察すると,雇用者における製造業者の割合が著し く低下していることが分かる。その割合は,1950 年代は 30%近くを占めてい たのに対して,2008 年には 10%に迫るまでになっている(図表④参照)。  この背景には,製造業からサービス業への移行といった産業移転の影響,そ して勿論オートメーション化の影響もあるだろう。しかしながら,アメリカ企 業の生産拠点の移転の影響もないとは断言できない。そしてより重要なことは,

こうしたアメリカ製造業の雇用縮小を受けて,少なくない数の国民がその責任 をアメリカ企業の生産拠点の移動に求めていることがある。2016 年に実施さ

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れた世論調査によると,アメリカ企業が海外に進出することは,80%のアメリ カ人が雇用にとって脅威となると回答しており,国民の多数が企業の海外進出 に否定的なことが分かる(以下,オートメーションが脅威となると答えたのは 50%,

移民が脅威となると答えたのが 45%と続く(25))。

 さらにアメリカ国民が企業の海外直接投資に厳しい目を向けるもう一つの要 因として,国内に広がる格差の影響がある。1990 年以降のアメリカ経済は,

リーマンショックのような例外はあるものの,基本的には安定かつ持続的な景 気拡大期にあったが,同時に所得や資産の社会階層分化が進んだ時期でもあっ た。そして,こうした格差拡大と当時進行中のグローバル化が重なったことで,

国民の間に前者の積を後者に負わせる「グローバル化恐怖症(Globaphobia)」 という不安が生み出されることになった(26)。実際に,所得の不平等度を示すジ ニ係数(27)を見ると,1970 年には 0.4 台だったものが,1990 年 0.6 近く,そして 2015 年には 0.6 を越える値へと拡大していることが分かる(図表⑤参照)(28)。  こうした不平等の拡大と,グローバル化の進展との間の関連性については議 論が存在するが(29),格差の拡大時期と,貿易や資本移動を通じた経済統合が進 んだ時期とが重なるため,国民の間に両者を関連させる考えが広がっていった のである。また,貿易赤字の拡大,米国産業の競争力喪失といった環境の変化

図表④:製造業者の雇用割合の推移

出典:Employment & Earnings in 2011 より作成。

(19)

174

もグローバル化への不安を増大させ,グローバル化のストップ,抑制もしくは 規制への声を高めたのだった。そしてまた,こうした国民の間におけるグロー バル化への懸念の拡大により,グローバル化の代表的現象の一つであるアメリ カ企業の海外進出に対しても,批判的な考えが国民の中に浸透していったので ある。こうした流れの中に,グローバリゼーションや企業の生産拠点移動に対 する批判を繰り返すドナルド・トランプ(Donald Trump)への,2016 年大統領選 挙での支持の高まりを理解することができるだろう。なお現在,アメリカ国内に おける雇用と格差の問題が急速に改善される状況にはないことから,今後も企 業の海外直接投資に対する世論の風当たりは強まっていくことが予見されうる。

3.日本における海外直接投資を巡る政治的争い

 本稿では企業の海外直接投資実施先進国であるアメリカにおいて,投資を巡 りどのような政治的争いが生じているのか,といったテーマを設定しそれを検 証してきた。次にこうしたアメリカの事情と比較した上で日本における企業の 海外進出の現状と,それを巡る政治的対立の状況について考察を行う。

 1990 年代以降,日本においても「産業に空洞化」の拡大が,国内の雇用に 図表⑤:ジニ係数の推移(%)

出典:IMF

(20)

175

及ぼす影響に対する懸念が高まってきている。そうした状況を鑑みると,日本 においてもアメリカと同様に企業と労働者(及び労働組合)間の対立が出現し つつある可能性は否定できない。

(1)海外直接投資の拡大

 日本は 1980 年代までは,企業が労働力不足や労働コスト上昇を,労働者の 多能工化,組立工程の自動化,在庫極小化(ジャストインタイム)などによって 補う工夫をしたため,製造業部門の海外流出はアメリカほどは進まなかった。

しかし 1985 年のプラザ合意以降進んだ急激な円高によって,日本企業の国際 競争力は上記のような工夫によって補えないほど低下し,企業の海外進出が一 層進んだ結果,1990 年代以降日本でも脱工業化が深刻な問題として語られる ようになった。そしてそうした流れにグローバル化の波が重なり,2000 年以 降日本企業の海外直接投資は拡大していったことが,投資額の推移からも分か る(図表⑥参照)。また,日本の製造業企業の海外現地生産比率の推移を見ても,

1990 年代以降日本企業の海外進出が拡大していることが見てとれる(図表⑦参照)。  上記マクロ経済指標に加えて個別企業を見ても,日本の外での売上を企業収 益の柱とする企業は増大している。例えば 2008 年の海外売上比率の高い企業 を見ると,1 位の本田技研工業が 87%,2 位の任天堂が 81%,3 位の日産自動 車が 80%,4 位のキャノンが 79%,5 位のトヨタ自動車が 77%と,日本を代 表する製造業の会社が,その売り上げの多くを海外市場に頼っていることが分 かる(30)

 このように 1990 年代以降,日本においても企業の海外進出は明らかに拡大 している。なお,この期間における企業の海外投資の目的は,輸出増大に対す るバッシングへの対応といった初期の目的から,安価な労働力を求めての生産 拠点の構築,そして現在は現地市場獲得のため,といったように変化はしてき ている。その意味では,企業の海外進出の形態は時期ごとに異なっており,必

(21)

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ずしも常に同じような形態をとっているわけではない。しかしながら,こうし た形態の違いを考慮したとしても,その額,規模から判断するに日本企業の海 外進出が拡大していることは間違いない。では,こうした日本企業の海外進出 の増加は,果たして国内にどのような配分的影響を与えているのだろうか。

図表⑥:日本の海外直接投資フローの推移(GDP 比)(%)

出典:World Bank

図表⑦:製造企業の海外現地生産比率の推移(%)

出典:『通商白書』2012 年から作成

(22)

177

(2)争いなき日本?

 キンドルバーガーは 1969 年の著書の中で,その時期には生じていなかった,

アメリカにおける海外直接投資をめぐる企業と労働間の対立を予言し,実際そ の予言は,1970 年代以降現実のものになったのであった。他方,恒川も 1996 年の著書の中で,その時点では日本においては海外直接投資をめぐる労使対立 は生じていないものの,日本の企業進出がアメリカ型に近似している現状を鑑 みると,遠くない将来において両者の政治的対立が日本においても出現する可 能性があると主張していた(31)。では現在において日本の労働組合はアメリカ同 様に,企業の海外進出に反対の姿勢をとるようになっているだろうか,以下検 証を行う。

 本稿では,実際に日本の労働者及びその利益を代表する労働組合のTPPに 対する態度を観察することで,海外直接投資に対する選好を判断する。なお,

TPPは「投資環境の整備」を内包する協定である。ゆえにTPPの締結は日本 企業の海外直接投資を拡大させることになるのが予測できるため,労働組合の 選好を見る上で適当な事例であると考えられる。

 日本の主要産業別労働組合のTPPに対する選好を表したのが図表⑧である。

これを見ると,農業系労働組合(連合北海道,全国農団連,全農林中央本部,フー ド連合)以外の,連合,電機連合,基幹労連,自動車総連,電力総連,JEC,

UIゼンセンといった産業別労働組合がTPPに賛成の選好を示している。つま りは恒川の予想とは異なり,現在においても日本においてはアメリカのような 企業と労働者間の海外直接投資をめぐる争いを見ることはできないのである。

これは,日本の労働組織は企業別組合の寄せ集めであって個別組合員の忠誠が 組合の中央組織よりも企業に向かいがちであるといった,アメリカの労働組合 との性質の違いや,労働者と企業の雇用形態の相違等の制度的要因から説明で きる可能性はある。他にも 1990 年以降,日本企業の海外進出は確かに拡大し

(23)

178

たものの,その規模は依然としてアメリカに代表される投資先進国と比較する と依然として差があるため,国内に及ぼす配分的影響が小さい,といったこと も考えられる。なおこの理屈に従うならば,このまま日本企業の海外進出が更 に拡大していくと,いつの日か日本においてもアメリカ同様に企業と労働の対 立が出現すると考えられる。

労働組合 選好

連合

「国内の環境整備を早急に進めるとともに,関係国との協議を開

始する」 ことを明確に示したことを評価する。アジア太平洋自由

貿易圏の実現を視野に 21 世紀型の貿易・投資ルール形成に向け た,政府の強いリーダーシップを期待する」(10.11.9『包括的経 済連携に関する基本方針の閣議決定に対する談話』)

(総合電機,通信,家電等)電機連合 「交渉参画に向けた検討を急ぐべきである」(10.11.5『TPP(環太 平洋経済連携協定)の推進に向けて』)

(鉄綱,造船等)基幹労連 「TPPへの参加を明確に表明すべきである」(10.11.10 事務局長談 話)

自動車総連 「TPPには参加が不可欠との立場」(12.9.6. 定期大会)

電力総連 「TPP,EPAの推進を産業政策の柱として掲げ,協定締結におけ る国際競争力回復を主張」(11. 3. 『Business Labor Trend』)

JEC

(化学・エネルギー産業) 「今後成長戦略を描いていくためにはTPP等の経済連携の推進や 規制緩和の具体的実施が求められる状況にある」(13.9.会長談話)

UIゼンセン

(繊維産業) 「基本的に参加支持の立場」(11.10. 民主党政策調査会での発言)

JAM

(機械金属産業) 特段の選好表明なし セラミックス連合 特段の選好表明なし

連合北海道 「慎重な対応を求める」

全国農団連 「TPP参加は白紙撤回を」(11.4.25 農水大臣への要請書)

全農林中央本部 「国民生活の崩壊につながるTPP協定交渉参加について,私たち は反対である。」(11.9.16 農水省との本省交渉)

フード連合 「フード連合は TPP への参加に反対する」(11.3.10『TPP に対す る フード連合の考え方』)

出典:各種資料より作成

図表⑧:各労働組合の TPP に対する選好

(24)

179

 このように,企業の海外投資をめぐって企業と労働組合間の政治的対立が存 在しない日本の現状を説明するには,いくつかの仮説が考えられる。その答え を明らかにするには更なる実証研究が必要になるが,それは本稿での分析の範 囲を越える課題である(32)。ただ,現段階で確実に指摘できるのは,日本におい ても過去と比べると相当程度企業の海外直接投資は進んでいながらも,アメリ カとは異なりそれに反対する政治的な勢力はほとんど存在していないというこ とである。

おわりに

 本稿では日米両国の海外直接投資の現状と,それを巡る政治的な争いの様子 を検証してきた。一連の検証により,海外直接投資を巡って企業と労働組合が 激しく対立するアメリカとは異なり,日本においてはアメリカにおける労働組 合のような反対派が存在せず,政治的対立が見られないことが明らかになった。

企業の海外進出に対するこうした両国の違いは,果たしてどこから来るのだろ うか。また,今後ともこうした日米両国の相反する傾向は継続していくのだろ うか。これはいずれもグローバル化と国家との関係を考える上で重要な問いで ある。

 なお,日米両国において企業の海外進出自体は今後とも拡大する傾向にある と考えられる。経済学者のブラインダー(Allan Blinder)は,新しい情報通信技 術のおかげで,これまでは「安全」と考えられていた仕事,例えばある種の医 療・教育サービスや金融サービスといった産業までが,今後はそのサービスを より安価で実行することができる他国へと,ますますオフショア化されるよう になっていくことになると指摘している。ブラインダーの推計によると,今後 オフショア化が可能な仕事の数は現在の製造業の仕事の 2 倍から 3 倍になると のことである(33)

(25)

180

 このように今後は,国際的なアウトソーシングが伝統的に国内で行われてい たサービス業務にまで及び,経済内の幅広い分野が国際競争に晒されるように なると考えられている。そしてむしろこうした傾向は,アメリカよりも日本にお いて今後は加速する可能性がある。アメリカにおいては,企業のアウトソーシ ング活動を抑制しようとする,労働組合に代表される政治アクターが存在する が,日本においてはそうしたアクターは存在していないからである。一般的には,

日本よりもアメリカの方がグローバル化に対する親和性の高い政策を実施する 傾向が強いと考えられているが,こと企業の海外直接投資に限ってみれば,日 本の方が国際市場統合を進めるような政策を展開していく可能性がある(34)。こ うしたグローバル化に対する対応の違いといった観点からも,日米両国の海外 直接投資に関する政治的争いに今後も注視する必要があろう。

(了)

) 国際政治経済学者のロドリック(Dani Rodrik)は,第 1 期グローバリゼーション の時代を,19 世紀中ごろから 1914 年までとしている。この時代,長距離交易を 妨げる取引費用(輸送や通信の困難,政府の貿易制限,生命や財産へのリスクに起因する)

は急激に低下し始め,資本移動は活気づき,世界経済の大部分が金融面で以前よ りも統合された,と指摘している。ダニ・ロドリック著/柴山佳文訳『グローバ リゼーションパラドックス』白水社,2013 年,14 頁。ハーバード・ビジネススクー ルの経営史家のジョーンズ(Geoffrey Jones)は,多国籍企業と経済の国際統合の 観点から 1880 年から 1929 年までを第 1 次グローバル期,1930 年から 1979 年を 分断の時代,1980 年から現在を新グローバル期,と分類している。ジェフリー・

ジョーンズ著/安室憲一訳『国際経営講義:多国籍企業とグローバル資本主義』

有斐閣,2005 年,27 頁。このように論者により多少の差異はあるものの,19 世 紀中ごろ(もしくは後半)から 20 世紀の初期にかけて第 1 期グローバリゼーショ ンと呼ばれるような時代にあったことは確かである。

(2) 国際政治経済学(International Political Economy)の分野が貿易に関する研究を積 み重ねてきているのとは対象的である。

(3) チャールズ・P・キンドルバーガー著/小沼敏訳『国際化経済の論理』ぺりか ん社,1970 年 95 頁。

(26)

181

(4) 国境を越えて発達した企業は,「多国籍企業」の他にも「世界企業」「地球企業」

「脱国家企業」など多様な名称が存在する。Caves, R.E., Multinational Enterprise and Economic Analysis, Cambridge: Cambridge University Press, 1996.

(5) Ibid.

(6) 恒川恵市『企業と国家』東京大学出版,1996 年,52 頁。

(7) マイラ・ウイルキンズ著/江草健一訳『多国籍企業の成熟』ミネルヴァ書房,

1976 年。

(8) アメリカの製造業投資が初期から先進工業国に向けられていたことが分かる。

(9) ロバート・ライシュ著/雨宮寛訳『暴走する資本主義』東洋経済,2008 年,81 頁。

(10) 前掲書, 84-85 頁。

(11) 2005 年に米国の海外直接投資額が急落しているのは,この年,米国の多国籍企 業の多くが,海外で上げた利益をそのまま再投資することなく,国内に還流した ことによる。これは,1986 年以来の大規模な税制改正となった 2004 年成立の米 国雇用創出法(American Jobs Creation Act of 2004)が,国内製造業所得に係る所得控 除,海外子会社からの配当に係る所得控除,米国企業の国際競争力を高めるため の国際税務分野における改正など多国籍企業に対する大規模な優遇措置を設けた ことで,それを多くの企業が有利に利用しようとし,大幅な直接投資額の急落に 繋がったからである。Jackson, James J., “US Direct Investment Abroad: Trends and Current Issues,” CSR Report for Congress, 2012, p.2.

(12) 片岡信之,斉藤毅憲,佐々木恒男,高橋峻編『アドバンス経営学:理論と現実』

中央経済社,2007 年,317-318 頁。

(13) 日本貿易振興会「自動車産業のグローバル化は進展」『通商弘報』1997 年,7 頁。

(14) 1960 年代の時点で米国企業が生産目的で海外に移動するようになっていたこと は確かであるが,1970 年代以降のようにそうした企業が脱出企業として批判され る状況にはまだなかった。またそれに対する労働組合からの批判も生じていな かった。なおキンドルバーガーは 1969 年発刊の著書の中で,「・・・資本輸出に 対する労働階級の反対が限られた性質のものであることを多少とも不可解なもの と考え,将来,米国からの直接投資に反対する海外の利害関係者を支持するかも しれないこの労働階級の動きから目を離してはならない」とその後の労使間の海 外直接投資を巡る対立を予測する指摘を行っている。キンドルバーガー,前掲書,

98-99 頁。

(15) 冨田晃正「経済グローバル化によるアメリカ労働組合AFL-CIOへの影響:通商 選好「内容」変容の観点からの考察」『アメリカ太平洋研究』10 号,2010 年,107 頁。

(16) 恒川,前掲書,119-120 頁。

(17) フレデリック・T・ニッカバッカー著/勝田忠訳『多国籍業の経済理論』東洋

(27)

182 経済新報社,1978 年。

(18) 恒川,前掲書,125 頁。

(19) メリンダ・セント・ルイス「欧米の市民社会は自由貿易にNOと言う」『世界』

10 月号,2016 年,141 頁。

(20) 恒川,前掲書,131 頁。

(21) 冨田,前掲書,107 頁。

(22) “Clinton Fast-Track Bills Limits Scope of Labor, Environment Rules,” Inside US Trade(September 17, 1997).

(23) これらアパレルメーカーのメキシコ移転の背景には,同業他社との激烈な価格 競争があるのと同時に,メキシコで生産される製品の質が向上してきていること も,各社の決断を促している状況がある。

(24) ダグラス・アーウィン著「貿易叩きという歴史的な間違い:なぜ真実が見えな くなってしまったか」『Foreign Affairs Report』9 号,2016 年,47 頁。

(25) “The State of American Jobs,” Pew Research Center, October 6, 2016.

(26) Pearlstein, Steve, “On Trade, US Retreating into Globalpobia,” Washington Post(De- cember 8, 1997).

(27) ジニ係数とは,1912 年にイタリアの統計学者コッラド・ジニが考察した格差を 表す指標である。これは,所得額が全員同じゼロから,たった一人が全所得を得 る 1 までの不平等に関する集約尺度を提供するものである。

28) 米国における不平等化の拡大を示す他の指数として,所得上位 1%の富裕層が 国民所得のどの程度を占めているかを示す値がある。1980 年には,上位 1%の富 裕層の所得が国民所得の 8%を占めていたのが,2008 年には 18%(日本は 9%)に まで拡大している。

(29) 米国を代表する経済学者であるクルーグマン(Paul Krugman)は,米国で拡大し つつある賃金格差の原因は,高技能労働者の賃金増加と,高所得者を優遇する税 政策の転換にあると考えている。Krugman, Paul,“Grtouwing World Trade: Causes and Consequences,” Brooking Paper on Economic Activity 26(1),1995, pp.327-377.

(30) 『会社四季報』東洋経済新報社,2009 年。

(31) 恒川,前掲書,131-132 頁

(32) 日本の労働組合は多数の労働者の選好を代表していないのではないか,といっ た疑問も生じてくる。

(33) Blinder, Allan, “Offshoring: The Next Industrial Revolution,” Foreign Affairs 85(2), 2006.

(34) 実際,トランプも大統領就任後は,海外に進出する企業に対して税制上の規制 をかけ,そうした動きを制限することを明言している。

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