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ヨー ロッパ世界経済の形成に関する研究」

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(1)

文部省科学研究費研究成果

研 究 課 題

「 近代前期アン トウェルペン国際市場 と

ヨー ロッパ世界経済の形成に関する研究」

( 課題番号 0 5 6 3 0 0 4 3 )

平成 5 ・ 6 年度 科学研究費補助金

( 一般研究

(C))

平 成

7

3

研究代表者 中 沢 勝 三

( 弘前大学人文学部)

(2)

1

は し が き

2

研 究 の 目 的 と 方 法

3

ヨーロッパ経済史 とア ン トウェルペ ン市場の経済史的意義

4 16

世紀 ヨーロッパ経済 とア ン トウェルペ ン市場

5 16

世紀 ヨーロッパ経済の一体的構造 と交易 ネ ッ トワーク

付 録 文 献 目 録 交 易 地 図

2

15

(3)

1

は し が き

本研究 は,研究代表者である弘前大学人文学部の中沢勝三によって,平成5年度 と平成 6年度の2カ年問に渡 っておこなわれたものであるが, この間の研究組織 と研究経費,並 びに研究成果の発表等の状況は以下のような ものである。

研究組織〕

研究代表者 中 沢 勝 三 (弘前大学人文学部教授)

研究経費〕

平成5年度 1200 千 円 平成6年度 500 千 円

1700 千 円

研究発表〕

1)

学会誌等

1 中沢勝三, 「ポル トガル国家の香料政策 とヨーロッパ経済一橋論叢』

110巻第4号,199310月。

2 中沢勝三, 「シェル ト問題」 とアン トウェルペ ン市場 (上)文経論叢』

29巻第1・2合併号,19943月。

3 中沢勝三 国民経済の形成 と軍事 ・租税文経論叢』,第30巻第2号, 1995

3月。

4 Katsumi NAKAZAWA, ̀TbeEuropeanWorldEconomyandtheEntrep6tof A

ntwerp',in:roleCollectedPapers.InHonorablePapers dedicatedtoProfessorsK.TakeuchiandY.Nakamura.

2) 口頭発表

1 中沢勝三, 「アン トウェルペ ン市場 と 『世界経済(3回東西海上文化交流 研究会),中近東文化セ ンター,平成7325日。

(4)

2

研究の目的と方法

1)

研究の目的〕

本研究では,中世末期か ら近代前期におけるヨーロッパ経済の一体化,並びに経済の統 合 と分離のプロセスについて,一方では米国の Ⅰ・ウォーラーステイ ンによって提唱され た 「近代世界 システム」論の有効性を理論的 ・実証的に検証 しっっ,他方では主に独 自の 市場史的なアプローチによる理論的 ・実証的研究 に基づ き,以上2つの視角を総合 して新 たな世界経済史像を打ち出すため,特にヨーロッパ経済の中 L,的市場 (エ ンポ リウム)の 交替についての研究を目的とする。

研究の具体的な内容は.16世紀のアン トウェルペ ン市場を中山 としたヨーロッパの国 際市場 ネッ トワークの検出とその解明,各市場の機能 と後背地 との関係, さらにそれ らの 諸市場を結ぶ諸商品の流れを実証的成果に即 して解明 し,それによって当時の国際的な交 易の一体的構造を再構成する点に主眼を置 く。 さらに,可能であれば16世紀後半以後の 経済の一体性の動揺 と崩壊の経済的意味を国民経済の形成 という視点か ら検討する。

2) 学術的な独創性 と意義〕

本研究の独創的な点を国内外の研究の位置づけでいえば,

1)

で述べた視点か らす る経 済史的研究 は従来全 くといっていいはど存在 しなかったということである. ヨーロッパ経 済の一体性の検出とその崩壊を国民経済の形成 という視点で捉えることは 「近代世界 シス テム」の有効性如何 という論点か ら 「世界経済」史を再構成す ることにつながる意義を持 つ ものと考え られる。今 日,近代国民国家の様々な歴史的性格が論議 ・研究 されているが, 経済史的な国民経済の 「形成」は全 く研究 されてこなかった。本研究者はこれを自己の研 究分野であるネ‑デルラン ト地域経済史の分野で研究の再出発を構想 しっっあるところで ある。

3) 国内外の研究での位置づけ〕

16世紀 ヨーロッパ経済の一体的構造は,F.ブローデルやウオーラーステインによっ て提唱されているが,肝心の経済の一体性の中身については地域間の商品の価格差の縮小 という視点で しか論 じられてお らず,本研究者の構想す る市場ネッ トワークについては論 じられていないのが現状である。 日本での研究は皆無 といっていい状況である。さらに, 国民経済の 「形成過程」の研究は,理論的にも,実証的にも皆無である。周知の大塚久雄 の研究 も,国民経済の 「形成」の側面その ものについては全 く研究がなされていない状況 である。

(5)

3 ヨー ロッパ経済史 とアン トウェルペ ン市場の経済史的意義

1)

長期の16世紀」 とアン トウェルペ ン市場〕

ヨーロッパ経済が拡大 と成長を開始するのは,歴史的ースペクテイヴで見 ると,1516世紀 と18世紀半ば以降 という二つの大 きな時期区分を有す る。前者は,かつて 「地理 上の発見時代」,あるいは 「ヨーロッパの拡大」の時代 と呼ばれ,現在では,通常 「大航 海時代」 と呼ばれる, ヨーロッパの政治的経済的な対外的発展を特徴 とする時代である。

この時代は,次の 「危機」の時代 といわれる17世紀を挟んで,後者の産業革命期の時代 へ と接続する。

ところで, この前者の時代,16世紀を中心 とするヨーロッパの経済発展期,浮揚期は, フランスのアナ‑ル学派によれば,凡そ1450年頃に始まり1650年頃に終蔦期を迎 える 「長期の16世紀」 と呼ばれている (1)。 とはいえ, この発展の時代は,国により 地域によって‑様なものではない。 「発展」 とか 「停滞」の指標を何に取 るかにもよるが,

16世紀 ヨーロッパ経済の発展を特徴づけた一つの要因は,ヨーロッパ内部での各地域間, および対外的な交易,貿易の活発化でもあった。そ して, この繁栄する諸地域間の交易は ヨーロッパ的拡が りを有 していた。つまり, ヨーロッパの各地域間,各都市間の交易ネ ッ トワーク‑ ヒト,モノ,サーヴィス,そ してなかんず く情報の‑ が緊密に機能 し, ヨーロッパ経済を一体化 させる経済商業活動が大 きな特徴 としてあったのであり,そうし た広範なネッ トワークの結節点 として各都市,ないし各市場が位置づけられていた。そ し て,まさにその頂点に16世紀アン トウェルペ ン市場があったのである。

2) 〔3つの世界市場都市〕

アン トウェルペ ン市場は13世紀には一市場 として大 きな意味を持つようになるが,そ れが真にヨーロッパ世界経済的な意味を持つようになるのは,15世紀の半ば以降のこと である。アン トウェルペ ンが世界市場 となる前は,同 じネ‑デルラン トのフラン ドルに位 置する都市 ブ リュージュが ヨーロッパの 「世界市場」であり (2),アン トウェルペ ン以後 はこれ も同 じくネ‑デルラン トのアムステルダムが世界市場 となる。 このように同一地域 のネ‑デルラン トにある3つの都市が ヨーロッパの経済中心地 として交替するのが近代 ヨ ーロッパ経済史における特徴の一つである。 ところで, このように同一地域を舞台として

3つの市場都市が浮き沈みを見せるとはいえ,それ らの3市場がそれぞれその中に構造化 されていた経済構造 とその背景は同一ではない。ブリュージュの繁栄 した時代は13世紀 のことで,それは後にフランス領 となるシャンパーニ ュ伯領で交互に開催されたシャンパ ーニュ大市の衰退後のことであった。また,アン トウェルペ ン市場の繁栄は昂揚 した16 世紀の経済発展を背景に していた。さらに,アムステルダムの繁栄は16世紀末以後のヨ

ーロッパ経済にその巨姿を表す新生のオランダ共和国の経済的興隆を基盤 としたものであ

た 。

従 って,ネ‑デルラン トという地域内においてヨーロッパ的意味を持っ中心的市場が交

(6)

替 したといって も,それぞれの市場が興隆 ・繁栄 し,その後 において衰退 していった諸事 I 悼, とくにその歴史的な経済構造はそれぞれ異なるのである。そ こで, この研究 において は, これ ら

3

つの市場の交替の契機を探 るとい う新 しい方法を試みることに した。 とはい え, ブ リュー ジュ市場 については,交易の実態 についてその全体像を復元す るにはなお未 解明な部分が多 く,またアムステルダム市場 については比較的研究 はなされているものの,

17

世紀の世界経済 との関わ りで言えば全体像はなお提起 されている状況ではないので, ここでは

16

世紀 について比較的解明の進んでいるア ン トウェルペ ン市場を研究の中心 に おき, ここか らそれ らの市場を照射す るという,比較経 済史的 な方法 によ って ブ リュー ジュとアムステルダムの歴史的特質を考察す るとい う方法を採 ることにす る。

3)

〔 ア ン トウェルペ ン市場の経済史的研究の進展〕

ア ン トウェルペ ン市場の経済史的研究 は,

19

世紀末の

R.

エー レンベルクの 『フッガ 一家の世紀 』

(1896

年)

(3)

以来,幾多の成果が表れているが,研究の流れを大筋 で辿 ると,

1920

年代か ら

30

年代 にかけて と,

1960

年代の二つの大 きな頂点がみ られ るよ うに思われる。その中で も,歴史的研究 として大 きな意義を有す るのは,ベルギ ーのルーヴァン大学の

J.A.

ファン ・‑ ウテ (

VanHoutte

)の一連の研究

(4)

60

年代の研究の集大成 ともいえる

H.

ファン・デル ・ウェ‑

(VanderWee)

の大著 『ア ン トワープ市場の成長 とヨーロッパ経済

(14

世紀

‑16

世紀

)』 (1963

年)

(5)

で ある。本研究者の研究 もこれ らの先学の研究成果 に導かれて初めて可能 となった。

ところで,本研究報告者 は,

1993

年に 『ア ン トウェルペ ン国際商業の世界

( 同文 鰭) という研究成果を公刊 した。そ こでは,従来の研究史のサーヴェイを行 いっつ,同市 場についての概観的考察を行 って,この市場の ヨーロッパ経済史においての位置づ けを し, その上で,研究史上新たに同市場の港湾関税簿史料を用いて,海上輸出交易の実態を主 に

1543

年頃について明 らかに した。ア ン トウェルペ ン市場が有 したヨーロッパ経済史上 における絶大な意義 については,従来,多 くの研究者の間で異論が見 られないものの,現 実 に同市場が どのような交易圏の拡が りと強度を持 っていたかを一つの史料 によって復元 す る研究 は W. ブ リュレによるもの

(6)

など一部の例外を除いてあまりなされてはこな か ったのが実情である。研究報告者 は

1981

〜82

年 と

1986

年の二度のベルギー 滞在の在外研究 によって, ブ リュッセルにあるベルギー王国総合古文書館所蔵の

1543

〜45

年のネ‑デルラン ト輸出関税簿をの一部をなすア ン トウェルペ ン市場 についての 海上輸出交易の部分

(7)

を史料 とす ることによって, この時代のア ン トウェルペ ン市場 の交易の実態を解明す ることが出来た。

ところで,本研究者 は, この

1543

〜45

年の関税簿による交易実態の復元 と解 明 の研究 に先立 って,既 に

1567

〜68

年のイギ リス ・ロン ドン港の輸入港湾関税簿

( ポー トブック) ( 英国での刊行史料)

(8)

によって,当時のロン ドン港 に入港す る船 舶が もた らした貿易構造を通 してア ン トウェルペ ン市場が持 った世界的意味を分析 ・検 出

している

(9)

0

注 (1) ウオーラーステイ ン 『 近代世界 システム』。

(7)

(2) J.A.VanHoutte

,̀ l

Agenesedugrandmarch6internationald'Anvers'. (3) R.Ehrenberg,DasZeitalterderFugger,Jena,1896・

(4)

(3)で挙 げた論文が申 し、

だが, ファン ・‑ ウテの次の論文集が手頃な指 針 となろ う。E

ssaysonMedievalandEarlyModernEconomyandSociety

,

L

e uven,1977.

(5) H.VanderWee,n eGrowthofAn twerpMarketandEuropeanEconomy (Fourteenth‑SixteenthCenturies)

,

m eHague,1963

,

I,

H

,III

(6)

その代表作 として,

W.Brulez,̀L'exportationdesPaysBasversl'Italie parvoiedeterreaumilieuduXVIesicle'

,

AESC,1959.

がその代表作。他 に,

̀DehandelsbalansderNederlandeninbetmiddenvandelらeeeuw',BGN, 1966.

(7)

A

rchivesGeneralesduRoyaume,ChambredesComptes,23367‑23369.Bruxe 11es.

の史料。

(8) B.Dietz,ed.

,

n ePortandTradeof

E

arlyElizabethanLondonDocuments

,

London,1972.

(9)

中沢勝三 「ア ン トウェルペ ン国際商業の一断面 」 『 社会経済史学』

,1978

年。

この論文の内容 は,中沢勝三 『ア ン トウェルペ ン国際商業の世界』の第

3

章 に盛 りこまれている。

4 16世紀 ヨー ロッパ経済 とア ン トウ ェルペ ン市場

1) 1567‑68

年 ロン ドン港湾関税簿 に見 るア ン トウェルペ ン市場〕

16

世紀 ヨーロッパ経済のなかでア ン トウェルペ ン市場が どのよ うな位置を占めていた かを見 るのに恰好の史料 はロン ドン港のイギ リスへの輸入を記録 した港湾関税簿 (ポー ト ブック)であ る。 この史料 は当該時期の ロン ドン港への商品の出入 りを記録 した史料であ って,当時の貿易の実態を知 る手掛か りとなるものであるが,残念なが ら一部分 しか残存 してお らず, しか もこの時期 については外国商人の冊子は‑ ンザ商人の ものを除 き残 って いない。 に もかかわ らず,

16

世紀 において勃興興隆 しつつあるイギ リス経済の最大の大 陸 との経済交流の窓 口とな っていたロン ドン港の輸入記録 であるために,却 ってそれぞれ の大陸の港が ロン ドンとどのよ うな貿易関係を持 っていたのか, その点を極めて鮮やかに 写 し出 して くれ る史料 として有意義な もの とな っている。

当時, ロン ドンはイギ リス最大の貿易港 として とみ に重要性を持つ にいたっていた。 と くに,イギ リスか らの輸出品はほぼ毛織物一品 目に集中す る傾向を有 していたのに対 して, ロン ドン,つ まりイギ リスの輸入品 目の構成 は極端 ともいえるほどの多様性を示 していた。

そのため, ロン ドン港 に荷揚 げるされ る大陸の各港湾市場の品 目構成を把握す ることによ

って, い うな らば ロン ドンをプ リズム として大陸諸港の経済的特徴の相違, そ してそれ ら

の後背地経済の地域的性格 を リアルに浮 き彫 りに して くれ るのである0

(8)

B

・デ ィーツによって編纂 された刊行史料 ( 原史料の所在 は, ロン ドンのパ ブ リック ・ レコー ド・オ フィス) には,個別の船舶毎 に,見出 しがつ け られてお り, その船が商人毎 に,商品の種頬や銘柄,数量,評価額等が順次記載 されている。 この史料 についてのその 成立の由来や性格等 につ いては,本研究者の前述の論文 ・著書を参照 して欲 しいが,勃興 興隆 しつつあ ったロン ドン港への輸入交易 とい うプ リズムを通 して, この港が如何 にア ン

トウェルペ ン市場 と緊密 に結びっいて発展 したかを如実 に物語 る内容 とな っている。俗 に,

「ロン ドン‑ア ン トウェルペ ン枢軸」 とい う表現が この時期の

2

都市の関係 についていわ れ るが, この史料の集計データの示す ところはこの表現を裏付 けるものである0

下記の表 はその集計データである

(10)

ロン ドン港への出港地別船舶数 ・価額の内訳 ※

順位 出 港 弛 鉛舶数

%

価 額

%

1

ア ン トウ

ペ ン

118

16.8 £59

,

629 39.3%

2

ルーア ン

51

7.3 £20

,

759 13.7%

3

バ ーバ リ

7

1.0 £10

,

617 7.0%

4

ボル ドー

86

12.2 9

,

290 6.1%

5

ダ ンツイヒ

29

4.1 7

,

998 5.3%

6

スペイ ン

24

3.4 6

,

597 4.3%

7

アムステルダム

95

13.8 5

,

835 3.8%

8

ハ ンブル ク

25

3.5 5

,

220 3.4%

9

ヴェネツィア

3

隻 0 .

4 2

,

319 1.5%

10

ア ングル シア

7

1.0 2

,

056 1.3%

合 計

700

63.5 £151

,

629 85.7%

※ 順位 は 「 価額」の順。船舶数 は 「 延べ数

「 船舶数」 と 「 価額」の合計 には他港 か らの もの も合わせて集計 してあ る。

これ らの各港か らロン ドンに もた らされた輸入品の内容はそれぞれどのよ うな ものであ ったのか。 この点 について,ア ン トウェルペ ン以外の港か らの品 目の内容 は比較的多様性 を示す第

5

位のダ ンツイ ヒと第

7

位のアムステルダムを除 くと,お しなべて単純な構成で ある。

ダ ンツイヒの場合 は,繊維原料が全休の

47

. 3パーセ ン ト( 以下% と記す)( 亜麻

41.7%

,

大麻4.8%)

,油脂

24

.

4

% (ピッチ

9.5%

, ろう

6.0%

,灰汁

5.7%)

,索条

8

. 4%,工業製

5.5%

,用材

4.8%

とい う構成を示 している。

(9)

また, アムステルダムの場合 は,魚類

38.2% (ling12

. 4%,魚

9.6%)

,麻織物

20.6%

(Osnabruck9.1

%,

Middlegoed3

.

3

%,

Hollandcloth3.0%)

,繊維原料

18.8%

唖i 麻

13.8%

, 羊毛

3

.

3

%),油脂

9.5%

(ピッチ ・タール

4.6%)

とい う構成を示す。つ ま り,両港 とも 品 目の種類 において,比較的多様性があるのであるが, これ以外の港か らの ロン ドン港へ の輸入を見 ると, ハ ンブルクを別 として きわめて単調かつ単純な品 目構成で ある。 アフ リカ北岸のバ ーバ リ (これは地域名であ るが)か らは専 ら砂糖であ り, フラン スのルーア ンは亜麻製品の帆布, ボル ドーか らはワイ ン, スペイ ンはワイ ンとレーズ ン等 の果実, ヴェネツィアはワイ ンとガラス製品 とい うよ うにワイ ン,砂糖, ない しは果実

といった噂好性の強い特産物が主要な ものである。

以上の諸港か らの輸入品 目に対 してア ン トウェルペ ンか らロン ドンに搬入 された品物の 世界は驚 くべ き多様性を示す とい う点で際立 って特徴 的な ものである0

ア ン トウェルペ ンか らの輸入品の価額構成のあ らま しを見てお こう0

ア ン トウェルペ ン港か らの輸入品構成

(ll)

織 物

38.1%

胡 板

9.1%

食 糧

5.4%

6.0%

ジンジヤ

2.3%

小間物 .家具

1.6%

染 料

9.2%

他の香料

4.3%

そ の 他 繊維原料

4.3%

金 属 類

ll.7%

それは,先ず第一 に,輸入価額 において断然他の港 を庄倒 して第一位を 占めるものであ ったが,決 してそれだけではな く, その多様性 について こそ実 はその特徴 をよ り顕在的に 示す ものであ った。原材料 について も, またア ジアか らの香料などの特産物 について も, さ らにヨーロッパ各地か らの工業繊維製品,地元のネ‑デルラン トの繊維製品,鉱産物, 金属工業製品,雑貨, 日用品,当時のあ りとあ らゆる全ての製品について当てはまること である。その意味で, ア ン トウェルペ ン市場 は, この史料 に見 るか ぎり,少 な くともイギ

リス, ロン ドン市場 についていえば, まさ しく当時必要 とされた各種の国内では調達す る ことので きない物資の全てをその一市場で調達す ることの出来 る, その意味で特筆すべ き 一大デ

ー トであ り,一大スーパ ー ・マーケ ッ トであ って, この市場 に代替 され うる市場

はヨーロッパのどこに も見出されない ものであ ったと言え るのである0

以上の ことを証左す るもの として, ここではア ン トウェルペ ンの繊維関係品 目の多様性

を見てみ ることに しよ う。

(10)

アントウェルペ ン市場からの繊維関係品目の構成 (価額総額に対する%)

(12)

別 (細 目)

.銘 .産 (%で示す)※

織 物綿織物フアスチアン織(10.7%) Velvet (4.5%),Taffeta (2.9%),Sarcenet (1.7%), Satin(1.1%)

(8.3%)Genoafustian (4.2%),Ulmfustian (2.8%)

麻織物 (6.6%) 毛織物 (1.1%) 他の織物(9.5%)

カーペ ット.タピス トリー Hollandcloth (2.7%),Canvas (1.6%),

hamorneckasdadolec3.4%),loth (0.ca5%)mlet(1.6%),tick(1.5%),

丘i(z1a.do8%)(1.2%),dornick (0.4%)

綿糸 ((6.1.0%)1%)

繊維原料 (4.3%) 亜麻 (1.9%),大麻 (0.9%),羊毛 (0.7%)

染 料

(9.2%)

(6.6%),大青 (1.3%)

(2.5%) 石けん (1.1%)

ここで示す%は,全てアン トウェルペ ン市場か らもたらされる総額に対する%で ある。

ここで,アン トウェルペ ンの品々の多様性を示す ものとして取 り上げた繊維関係品目は, 当時の,中世か ら産業革命以前の,いわゆる近代前期 といわれる時代の工業原料,ないし 工業製品として最 も重要な意味を持 ったものである。 ところで,繊維関係品目は,アント ウェルペ ンか らロンドンに輸入された価額のうちで織物が38.1%,糸が6.0%,そ の他が16.1%,合わせて60.2%の比率を占める輸入品群であった。

2) 1543〜45年のアントウェルペ ン海上輸出交易の実態〕

1)

でその実態を検討 したのは当時のロンドン港に入港する貿易の中でアントウェルペ ン市場が有 した位置とその内実であった。それは,アントウェルペ ン市場が当時のヨーロ

経済の中で持 った絶大な影響力とインパク トを考察するのにこれ以上ないという好箇

(11)

の素材を提供す るものであったが, しか し,アン トウェルペ ン港か らの直接の輸出交易の 内容ではなか った。そこで, ここでは1543年頃のアン トウェルペ ンか ら輸出された交 易‑ 但 し海上,水上交易のみに関わるものであるが‑ をその輸出を記録 した史料 によって直接考察検討す ることにする。

対象 とす る史料は,1543〜45年の間に記録 された,ネ‑デルラン トの100 1輸出税を徴収す るために記録 された関税簿を対象 とす る。 この関係史料群は膨大なも のであるが,ベルギーのブ リュッセルにある王立総合古文書館の 「帳簿部 Chambredes Comptes」に所蔵されている史料群のなかか ら,アン トウェルペ ンの海上輸出を記録 した

3冊の冊子23367‑23369のナ ンバーを付 された未だ調査の手を加え られていな い関税簿があるが, ここでは年代の連続 している23367233682冊を史料 と す る。

この関税史料の記載事項は,先のロン ドンのポー ト・ブックとはぼ同様であ り, 日付に 従 って船舶 と商人毎 に順次輸出される商品の種類,銘柄,数量,価額,徴収関税額が記録 されている。 ところで, この記録の続 く約10カ月間のアン トウェルペ ンか らの水路 によ る輸出で対象 とされた船舶は586隻,徴収関税額 は3,529リーヴル10ソルツ8 ゥニールであ った

(13)

0

ア ン トウェルペ ンか らの輸出先別船舶数 と税額

(14)

位 l 輸 船舶数 %

1 アルネムイデ ン 140 £1,078 30.6 2 アムステルダム 111 908 25.7

3 ロン ドン 97 765 21.7

4 リスボン 32 282 8.0

5 ス リュイス 9 176 5.0

6 フエー レ 28 103

7 カンペ ン 12 68

この史料にその足跡を刻んだ船舶数は延べ586隻 に及ぶが,隻数 と税額の双方におい て際立 った位置を占めるのはアルネムイデ ンである。 ところで,上の表に記 されたアルネ ムイデ ンとフェ‑レ (6位),それに ミデル ビュルフ (9位)の3港は,何れ もスヘ ルデ河 口か ら北海への出口に位置するワルヘ レン島の港湾都市であって,国際商都アン ト ウェルペ ンの 「外港

とされている港である。つまり,アムステルダムや ロン ドンなどが おそ らくは商品の最終 目的地‑ そこか らさらに転送されてい く部分が一部存在す るに して も‑ と想定 されるのに対 して,アルネムイデ ン以下の3港は,そ うした後背地を

(12)

持つ市場への分配機能を果 たす港ではな くて,そ こか ら再びより遠方の国際市場へ商品を 運 び出す港であるとい う点で, いわば文字通 りの中継港なのである。 いいかえれば, これ ら

3

港向けの輸 出は,そ こか ら最終的にどの国ない し地域へ向けての交易であるのか,知 る手掛か りがないといっていい。

以上述べたよ うな制約があるにせ よ, この表が示すデータはい くつか興味深い事実を浮 き彫 りに して くれ る。第一 に, アムステルダム との結 びっ さが意外 に強固な点がそれであ り,第二に,外国の港ではロン ドンの 占める比重が最 も高 いことである。第三 に, イベ リ ア半島向けの輸出‑ とはいって もここで確認で きるのはすべてポル トガルの諸港であ るが‑ が総額の約

10

パ ーセ ン トを占めていることが判明す る。 そ して,第四に,輸 出先 として,北ではエムデ ンよ り以東, また南では リスボ ン以遠の ジブラルタル海峡を越 えた地 中海の港が見 られない点である。

以上の ことか ら, ア ン トウェルペ ンを起点 とした海上交易圏の拡が りがある程度 うかが われて くる。そ して こうした交易圏の範囲の中で, ア ン トウェルペ ン市場が もったワルヘ レン島の諸港やアムステルダム, ロン ドンとの緊密な交易関係が浮かび上が って くるので ある。

輸 出品の内容を ここではその全体像か らではな く, アムステルダム とロン ドン港の二つ に限 って若干検討 してお くことにす る。

アムステルダムへの輸出品構成 ( 価額 の%) (15)

類 別 .商 品 価 額 の %

繊維製品

28.0%

小間物 と繊維原料

10.6%

香 料 .染 料

38.5%

そ の 他

8.5%

この表 には出ていないが, アムステルダムへの輸 出品の内最大の商品は胡轍で総額の

2 7%

余 りを占め る。第二 には,毛織物を中心 とした繊維製品であ り,これに次いで小間物,

(13)

明ぽん 砂糖 といった商品が続 く。毛織物については,カージー織を含めてイギ リス製の 毛織物が過半を占めていて,アン トウェルペ ンがイギ リスか らアムステルダムへ向けての 毛織物輸出の中継市場 となっていることが確かめられる。また,価額ではそれほどでもな いのであるが,イギ リス製に混 じって, フラン ドルやルーヴァンなど他の南部ネ‑デルラ ン トの毛織物が輸出されているのも興味深い。さらに,ホラン トがネ‑デルラン ト屈指の 麻織物製造地域であるためであろう,麻織物の輸出額はきわめて小額である。以上みてき たように,アムステルダム向け輸出の内容は,アムステルダムをかかえる北部ネ‑デルラ

ン ト経済の当時の状況を想起できるような商品構成 となっているといってよい。

なお, 「一括課税」 とされているものは,関税簿において幾っかの商品の関税額が合計 されているため,単純に史料による限 りではそれ ら個々の商品についての関税額が算定さ れないものを表現するものであり,今後のこの史料の操作如何によってはある程度なお詳 細について接近可能なものであると考え られる。

次に, ロン ドン港への輸出内容を検討する。

ロン ドンへの輸出品構成 (16)

類別, 種類 価 額 の %

繊維製品毛織物 12.6%

絹織物 7.0%

麻織物 14.3%

フアスチアン織 7.2%

織物雑タピス トリー .カーペ ッ ト 9.6%

0 .

6%

1.3%

小間物 5.5%

香料 .染料 3.4%

金属 0.9%

14.6%

一 括 課 税 18.2%

(14)

ロン ドン向け輸 出で 目立つのは,毛織物以下の織物が総額の約半額 I

50

パーセ ン トを占 めることであ るが, その中では織物雑の比率が高 い。 ここでは, またファスチア ン織 と絹 織物,それにカムロッ ト織の比率が高 い。毛織物の比率 も意外 に高いのが興味をひ く。そ の うちでは, カー ジー織 も結構高 いのであるが, ホラン ト製の ものが 目につ く。麻織物 も 高 い。織物以外の項 目に目を向けると,小間物類の商品生産。 イギ リスが多い ことがアム ステルダム向けと異なる相違 といえよ うか。香料以下の項 目では,胡轍が ここではわずか な額 しかみ られない。

以上の ロン ドンとアムステルダム向け輸 出の分析 と他の諸港に対す る輸 出について, ま とめてお く。

同港か ら直接バル ト海や ロシアなどへ出向 く船舶の存在 は確認で きなか ったが, ポル ト ガル ( 先の表 には出ていなか ったが, ヴィアナ向けが

1

隻, ボル トが

2

隻確認 され る)吃 どの南 ヨーロッパへ向か う船舶が何隻か見出す ことが出来 た。

次 に輸出品の種類 と商品別の価額構成 については,先の ロン ドン輸入交易の結果 とそ う 大 きな くい違 いはみ られないO繊維製品, とりわけ織物が価額の上で大半 を占め,胡板な どの香料頬が (とくにアムステルダム向けで)多額 である. ただ,先の ロン ドン輸入交易 で析出された多様な種類の E ]常小間物類 は, この史料では,「 小間物」, ない し 「 雑商品」

の項 目で一括 されているためか,その多様な姿をそのままの形で現す ことがなか った。そ して,金属の諸製品について も,同 じ事が妥当す る。

ともあれ この関税簿 によって,

16

世紀 ア ン トウェルペ ンの輸出交易の実態 に踏み込 む ことがで きた。 そ して,史料 に即 して, ア ン トウェルペ ンが ヨーロッパ 「 世界経済」の 一大中継市場であった こと, そ してその絶大な位置を確認す ることが出来 た。それだけで はない。 イギ リスやイベ リア半島へ向けてのネ‑デルラン ト製の麻織物の輸 出がさかんで あ った ことを確認で き, その ことによって同市場がネ‑デルラン ト産業を国際市場 に結ぶ 役 目を果 た していたことを知 ることがで きたのである。

(10)

中沢 『ア ン トウェルペ ン国際商業の世界』,

98

,

101

ペー ジ。

(ll)

同上,

108

ペー ジ。

(12) 同上,

109

ペー ジ。

(13) 当時の貨幣換算率 は

£1

(リーヴル)

‑20S.

(ソルツ)

‑240d.

(トゥニール)である。

(14)

中沢 『ア ン トウェルペ ン国際商業の世界』,

144

ペー ジ。

(15) 同上,

148

ページ。

(16) 同上,

150

ペー ジ。

(15)

5 16

世紀 ヨーロッパ経済の一体的構造 と交易ネ ッ トワーク

1) 16

世紀 ヨーロッパ経済 は一つであった〕

16

世紀, とい うより中世中期以降の商業活動の活性化 されたヨーロッパの商業交易の 一つの大 きな特徴 は,その商業,交易活動の多 くが国境線 によって規制 され るのではな く, 国境 とはまた別の国王直轄領や,地方の諸侯貴族領の填, またヨーロッパ において特徴的 な ことに都市の禁制領域の境界線 によって仕切 られていたとい うことである。つまり,中 世か ら

16

世紀 にかけては, 「 経済活動」を空間で区切 る境界線がなか ったわけでは決 し てな く, たまたまそれが近代におけるような意味での国境線 に沿 った ものではなか ったと い うことである。第一,国境で区切 られる国家,領域統治 と領民支配を軸 とす る政策は近 代国家によって こそ確定 されてい くもの と考え られ るか らである

(17)

0

そ うした

16

世紀の,未だ国民国家による国民経済の形成が本格化す る以前のボーダー レスな国際商業の一体性を復元す る作業を以下現在可能な限 りで行 ってみたい。

(17) この点 に言及 した優れた記述 として,多少古い文献であるが次の ものを参照 さ れたい。成瀬治 「 国際政治の展開 」 岩波講座世界歴史

』14

巻,

1969

年,所

収。

2)

〔 重要な市場都市 と交易ルー ト〕

本研究者が,

16

世紀 ヨーロッパ経済について,それが一体的構造を有 していたと考え る場合,それはい うまで もな く, ヨーロッパ に,均質的,等質的な経済構造がまず存在 し て,その上で ヨーロッパ大的な経済が存在 したとい うことを意味す るものでは決 してない。

そ うではな くて,む しろ現代経済よりははるかに不均等で不均質な,例えばネ‑デルラ ン トや北部イタ リア, トスカ‑ナのような同一地域 において も,場合 によっては同 じ都市 内において も,著 しい経済活軌 経済構造の差異性があ って,中世以来 この時代の経済は そ うした場所,階層間の落差が顕著であったことが特徴であった。従 って,経済の一体的 構造,ない しあ り方 とは,無前提の一体性ではな くて,経済のある分野,層に着 目してい える内実を備えた ものである。それは,具体的には,国 と国,地域 と地域 を越えた交易, 今 日で言えば総 じて 「 貿易」と呼ばれ る,国境を越えた商品の流れについての ことである。

そ して, さらに, こうした交易の側面を通 じての 「 一体性」 は,その商品交易を担 った商

人層,かつ運搬業者 についてより一層顕著な様相を示 して くる。つまり,国際的商人 は,

各地各都市 にそれぞれ交易経済活動の拠点を有 しっっ, ほぼ全 ヨーロッパ的な規模でその

商品交易活動を展開 し,それ と表裏一体の関係で君主や諸侯に対 して金融貸 し付 け,ない

し徴税請 け負 い等を通 じて,その 「 国籍」 とは全 く関係な く,それぞれ強固な秤を有 して

いるのである。

(16)

当時の,中世以来の経済構造の特質 として,経済領域の うち,必需財,香移高級財を問I わず財貨の取引交易については,住人がそれぞれの居住す る世界空間の中で 日常の需要品 を調達 し, 自己の生産物の一部を商品 として販売すべ く市場に供出す る限 られた経済世界 と,それ とは別個 に場合によってはアジアやアフリカの遠隔地の産物 との交易関係を媒介 す る,いわゆる遠隔地交易 とにはっきりと区分される。つまり,交易世界は,地域内の市 場経済 と,国際的な取引交易 とに分かれていて,そこで取引対象 となる商品 と,それ らの 交易を担 う商人,ディーラーとが区別 されているとい う特徴が見出されるのであ り, これ は近現代の貿易によって国 と国との経済関係が 「相互依存」 といわれるほどに密接不可分 に関与 しあっている状況 とは全 く異なる事態である。

さらに,国際商業圏に関与す る商人は, こうした交易世界に個人単独で関わるというこ とはむ しろあ りえず,それぞれ組合を形成組織 して, しか も各地の領邦君主や君侯,ある いは自治都市か ら何 らかの取引,居住,裁判権等の特権を獲得 して,場合によっては居住 の場 としての商館等を確保 し,そこを交易経済活動の拠点 とする場合が少な くない。ア ン

トウェルペ ン市場の場合,イタ リア各都市,ル ッカとか ジェノヴァ, フィレンツェの商人 はそれぞれに商人居留団 (コロニー) と称す る団体を組織 していたが,イギ リス毛織物輸 出商人団体であるマーチャン ト・ア ドヴェンチャラーズ ・カンパニーは15世紀末以降 こ の都市に大陸における毛織物販売の独 占的ステープル権を設定 し,その販売輸出の拠点 と していた。ポル トガル もまた,15世紀末か ら1548年頃まで北西 ヨーロッパ市場向け の香料販売のステープルをこの都市に設定 していた (18)0

こうした状況は,ア ン トウェルペ ンに限 らず, ロン ドンにおけるハ ンザ商人の特権 ( テープル ・ヤー ドの特権授与),またハ ンザはブ リュー ジュにも商館を持 っていた。 さら に,イベ リア半島には,イタ リア各地の商人の コロニーが存在 した。

(a)ロン ドン

15世紀半ば以降,イギ リス毛織物 工業 の隆盛 に伴 って他 の地 方港 (Hull,Boston, Southampton)を圧倒 し,イギ リス最大の港湾都市 となってい く。 このロン ドン港興隆の 一大要因は,従 って対岸のアン トウェルペ ン市場 との緊密な結びつ きによるものであった。

ロン ドンは, このイギ リス毛織物輸出の最大の港 として,アン トウェルペ ンに向けられる 毛織物交易の西端の起点 として機能 し, ここか らいわゆる白地広幅織 (broadcloth) いわれたイギ リス製の未仕上げの毛織物搬出の港 とな った。 これ らの毛織物の大部分はア ン トウェルペ ン市の毛織物加工仕上げ工業において染色 と仕上げを施 され,完成品 となっ てさらにケル ン等を経て,アルプスを越え,中にはイタ リアの港を経由 して レヴァン トに まで達するもの も少な くなかったと言われている。

ロン ドンは毛織物の輸出交易で大 きな意味をもつだけではな く,先に述べたようにイギ リスへの大陸諸地域か らの多様,かつ膨大な品々の輸入の窓 口になっていたことも重要で あった。

(17)

(b)セヴィ‑ リャ

グァダルキヴィル河に面 したアンダルシアの内陸河川港。15世紀末のスペインの対新 世界交易の開始 と共 に,イベ リアの, ということは全 ヨーロッパにとっての, ポル トガル 領のブラジル との交易を除 く新世界 との唯一の合法的経済活動の出入 り口となる。 こうし たスペインの新世界 との交易規制によって,セヴィ‑ リャは,アン トウェルペ ンとともに, 大西洋岸経済の ヨーロッパ側の二つの勝の一つ として経済的に大いに繁栄 した。

(C)リ ヨ

ハブスプルク家の覇権的国際政策の経済金融の拠点都市 となったアン トウェルペ ンに対 し,フランス・ヴァロア王家の対抗政策上の拠点都市 となった南フランスの商業金融都市。

パ リがフランスの経済的中心 となる前に,南 フランスの経済中心都市 として この時期に栄 えた。交易の中心は毛織物,イタ リアの絹織物を中心 とした繊維製品であったが,香料交 易において も一定の重要性を有 した。

(d)アムステルダム

次代の17世紀世界経済の中心地。16世紀の半ばまでは, 「母なる交易」であるバル ト海交易を発展の軸 として次第に興隆を開始 し,北部ネ‑デルラン トの商業交易の拠点都 市 となりつつあった。毛織物工業で栄えた レイデ ンやナ‑ルデ ン,麻織物工業 とその漂白 精製工業で栄えたハ‑ル レムなどの工業都市が世界市場に向けるホラン ト最大の貿易港 と なった。

(e)ブ リュージュ

中世の 「世界市場」 ブ リュージュは,16世紀に入 って 「死の都市」 と化 したといわれ ていたが,最近の研究によって,そ うではな く副次的 レベルの ものではあれ,工業都市 と

して もまた商業都市 として も一定の重要性があったことが判明 してきた。

(f)ケ ル

アン トウェルペ ンか ら向けられる内陸部 ライ ン中流域の交易上のキー ・ステーション都 市, とくに内陸の陸上輸送において絶大な意義を有 し,そのカバーす る時代 は,アン トウ

ェルペ ンの本来的な繁栄期を大 きく踏み越える。

(g)ダンツイヒ (グダニスク)

バル ト海の重要な穀物搬出港。穀物だけでな く,バル ト海地域の他の資源の輸出港で も ある。

(18)

(h)ルーア ン

セーヌ河中流の内陸港で, ノルマ ンディー麻織物工業の中心都市でその工業製品輸送の キー ・スターション. ノルマ ンディーで製造 される帆布の大部分が この港か らロン ドンへ 輸出され る。

(i

) ボル ドー

ガロンヌ河 口の河川港で,南 フランス最大の貿易品であるワインの搬 出港。イギ リス と ネ〜デルラン トととの交易関係が とりわけ深い.

(18)VazquezdePrade

,

Lettresmarchandesd'An vers

,I . の記述 に負 うところが大 き

い。

参照

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