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1942年 日泰文化 協定 をめ ぐる 文化交流 と文化政策

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《論 説 》

1942年 日泰文化 協定 をめ ぐる 文化交流 と文化政策

加 納 寛

は じめに

今 回 の 特 集 「ア ジ ア 文 化 交 流 」 に つ い て 考 え る 場 合,ま ず 「文 化 交 流 」 とは 何 か を 確 認 して お く必 要 が あ ろ う。

文 化 交 流 」研 究 は,人 文 系 研 究 者 が 好 む 「比 較 文 化 」的 研 究 の 流れ 以 外 に,社 会 科 学 か らの 国 際 関 係 論 か らの ア プ ロ ーチ,す な わ ち 「文 化交 流 政 策 」 研 究 の 流 れ が 顕 著 で あ るi。 これ は,「 文 化 」 が 「国 家 のア イ デ ン テ ィ テ ィ の 表 現 」 で あ る と され,近 代 国 民 国 家 を 基 盤 と し た 国 際 関 係 の 中で,

文 化 」 的 国 際 関 係 も必 然 的 に 生 じて く る た め で あ る[Mitchell1990:5]。

本 稿 で は,こ の 「文 化 」 的 国 際 関 係 を 「文 化 交 流 」 で あ る と考 え る 。 こ う した 「文 化 交 流 」 の うち,政 府 機 関 の実 施 す る もの に 限 定 して 「文 化 外 交 (CulturalDiplomacy)」[Mitche111990:6]と 表 現 さ れ る こ と もあ る 。 こ の よ うな 行 政 面 で の 「文 化 交 流 」は,「 対 外 文 化 事 業 を 通 して,自 国 文 化 に対 す る 理 解,諸 外 国 との 相 互 理 解 を深 め る こ とに よ り,友 好 親 善 を増 進 」 す る も の で あ る[外 務 省 文 化 事 業 部 編1972:3]。 文 化 外 交 」 は,相 手 国 に 対 して 「好 ま しいイ メー ジ を与 え,そ れ を 印 象 づ け,外 交 活 動 全 体 を容 易 に す る こ と」 を 目的 と し,背 後 に は政 治 的 ・経 済 的 な 目 的 が 潜 ん で い る場 合 が あ る[Mitche111990:8]。 こ の 「文 化 外 交 」 は,「 二 国 間 で あ ろ う と多 国 間 で あ ろ う と,文 化 交 流 活 動 の 承 認,促 進,企 画 の た め に政 府 間 で締 結 され た 協 定 に 適 用 され る 」 も の で あ る[Mitchell1990:6]。 政 府 間 の 「 化 交 流 」 を 観 察 す る 際 に,こ う した 「文 化 協 定 」 に着 目 す れ ば,関 係 国 間

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の 「文 化 交 流 活 動 」 の 基 盤 を 考 察 す る 一 助 に な る2。

この よ うな 政 府 に よる 「文 化 交 流 」 は,「 国 内 」に お け る 文 化 政 策 との 対 比 の も とで 「対 外 文 化政 策(ForeignCulturalPolicy)」 と表 現 され る こ と も あ る[Mitchel11990:14]3。

近 代 国 民 国 家 成 立 の 前 提 と して 「国民 」 の 文 化 的 一 体 性 が 重 要 視 され る 以 上,近 現 代 の 国 民 国 家 体 制 の 中で 国民 の 文 化 的 統 合 を図 る 国 内 に お け る 文 化政 策(CulturalPolicy)4を 軽 視 す る こ とは で き な い 。 こ う した 国 内 に お け る文 化政 策 に つ い て の 研 究 も,近 代 国民 国 家 に不 可 欠 な 国 民 の 文 化 的統 合 の観 点 か ら進 め られ つ つ あ る5。

しか し,本 来 表 裏 一 体 の 関 係 に あ るは ず の 「対 外 文 化 政 策 」 と 「国 内 文 化 政 策 」 との 関 係 に つ い て は,有 機 的 にそ の 相 互 作 用 の 具 体 的 実 態 が 分 析 され る こ とは ほ とん ど な い 。 そ の 理 由 と して は,お そ ら く① 対 外 文 化 政 策 研 究 が 国際 関 係 論 か らの ア プ ロー チ に よ っ て 主 に 担 わ れ て い る た め に 国 内 政 策 と して の 対 内 文 化 政 策 は そ の 視 点 か ら脱 落 す る傾 向 に あ る こ と,逆 に 国 内 文 化 政 策 研 究 は 国 民 の 文 化 的 統 合 に 焦 点 を 合 わ せ る た め に そ の 国 外 へ の イ メー ジ の 投 影 ・発 信 に つ い て は 視 点 か ら脱 落 す る傾 向 が あ る こ と,② 国 内 文 化 政 策 を 管 轄 す る政 府 機 関 と対 外 文 化政 策 を管 轄 す る 政 府 機 関 とが 通 常 別 個 で あ る こ と,そ して そ の 分 担 は 研 究 活 動 に お い て も反 映 され る こ とが あ る こ と,ま た ③ 対 外 文 化政 策 は 相 手 国 との 関 係 性 の 中 で 捉 え られ る べ き もの で あ り一 国 史 的 な 観 点 か らの み で は 研 究 が 難 し く,当 時 者 両 国 の 対 内 文 化 政 策 と両 国 間 の 対 外 文 化 政 策 の 絡 み 合 い とい う少 な く と も3つ の 次 元 に 分 散 す る 対 象 を 統 合 して 分 析 して い く の は 困 難 で あ る こ と な ど が 挙 げ られ よ う。

本 稿 で は,近 代 ア ジア に お い て 植 民 地 化 が 進 ん で い った 時 期 に 独 立 を 保 ち,少 な く と も 表 面 的 に は 対 等 な 政 府 間 の 「文 化 交 流 」 が 可能 で あ っ た と 考 え られ る 日本 とタ イ との 文 化 交 流 の あ り方 の 一 端 を,文 化協 定 の 分 析 を 通 して,両 国 そ れ ぞ れ の 国 内 文 化 政 策 との 関 連 性 も視 野 に 入 れ な が ら観 察 す る6。 これ に よ り,政 府 に よ る文 化 交 流 と国 内 文 化 政 策 との 関 連 を 考 え,

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1942年 日泰 文化協 定 を め ぐる文 化交 流 と文化政策

日 ・タイ 両 国 間 の 文 化 交 流 をそ れ ぞ れ の 歴 史 の 中 に 位 置 付 けな お して い き た い 。

日 タ イ 両 国 間 の 文 化協 定 は,第2次 世 界 大 戦 中 の1942年 と国 交 中 断 後 の1955年 との2度 に わ た っ て締 結 され て い る 。 本 稿 で は,こ れ ら2つ 文 化 協 定 の うち,1942年 協 定 を 取 り上 げ,そ の 締 結 前 後 の時 代 背 景 の 推 移 の 中 で,両 国 の 政 治 的 関 係 お よ び 文 化 交 流 に お い て,そ して両 国各 自の 政 治 情 勢 お よび 文 化 政 策 にお い て,本 協 定 が ど の よ うな 意 義 を もっ て い た か を 考 え て い く。 す な わ ち,① 日本 側 の文 化 協 定 締 結 の意 図,お よ び 日本 国 内 の 文 化 政 策 との 関 連 の あ り方,② タ イ 側 の 文 化 協 定 締 結 の意 図,お よ び タ イ 国 内 の 文 化 政 策 と の 関 連 の あ り方,③ 日 ・タイ 両 国 間 の 文 化 協 定 締 結 に 対 す る 意 図 の差 異,ま た そ こか ら生 じ る温 度 差 が 問 題 とな る 。

1942年 日泰 文 化 協 定 に つ い て は,市 川[1994]が 戦 時 日本 の 「大 東 亜 共 栄 圏 」 に 対 す る 文 化 政 策 の 一 環 と して の 視 点 か ら,日 泰 文 化 協 定 よ り も む しろ バ ン コ ク に建 設 され た 日本 文 化 会 館 に 焦 点 を 合 わ せ,主 に 在 バ ン コ ク 日本 文 化 会 館 初 代 館 長 とな った 柳 沢 健 の 回 想 録 な ど に 依 拠 して,日 本 文 化 会 館 の 顛 末 と そ れ を め ぐ る 「異 文 化 摩 擦 」 に つ い て 論 じ て い る 。 ま た Th詑msuk[1976],Thamsook[1977,1978]7,Chamvit[1974],吉 川[1982], Reynolds[1993],岸 本[1995]な ど も,第2次 世 界 大 戦 期 の 日 タイ 関 係 を 論 じる 上 で1942年 日泰 文 化協 定 に 触 れ て い る。

本 稿 で は,こ う した 業 績 を 踏 ま え な が ら,日 本 国 外 務 省 外 交 史 料 館 文 書 や,タ イ 国 立 公 文 書 館 文 書 を 主 資料 と して,分 析 を進 め て い く。

以 下,1942年 日泰 文 化 協 定 を め ぐ って,ま ず 当時 の 日本 に お け る文 化政 策 の 状 況 を,次 に タ イ に お け る文 化政 策 の 状 況 を 観 察 した 上 で,日 タイ 間 の 文 化 協 定 締 結 に い た る 経 緯 を追 い,1942年 協 定 の 文 化 政 策 的 な 特 徴 を 把 握 す る と と もに,1942年 日泰 文 化協 定 を め ぐっ て 日タ イ 間 の文 化交 流 と 日 タ イ そ れ ぞ れ の 文 化政 策 が ど の よ うに か らみ あ って い た か を考 えて い き た い 。

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1,日 本 の 文 化 政 策

(1)国 内 文 化 政 策

戦 前 に お け る 日本 の 文 化 政 策 は,美 術 を 中 心 と した 「芸 術 」 文 化 に 関 す る政 策 と,文 化 財 保 護 に 関 す る政 策 が,互 に 関 連 性 を もた ぬ ま ま に 別 個 に 進 行 して い た とい わ れ る[根 本 ほ か1996:22,26]。

しか し1937年 以 降 は,戦 時 色 の 強 ま り と と も に 芸 術 を含 む 文 化 一 般 は 政 府 か ら強 い規 制 を 受 け た とい う[根 本 ほ か1996:26]。

当 時,日 本 で は,満 州 事 変 を き っ か け と して ナ シ ョナ リズ ム が 高 揚 し, 天 皇 機 関説 が 否 定 され る な ど,学 問 ・思 想 ・言 論 に 対 す る統 制 が 強 化 され て い た。政 府 の 文 化 統 制 方 針 が 強 化 され る と と も に,1938年 に は 国家 総 動 員 法 が 制 定 され,1938年 か ら40年 に か けて は 生 活 の ゆ と りの 部 分 で あ る

贅 沢 」 に 対 して 生 活 統 制 が 集 中 して い った[寺 出1994:177‑181]。1938 年6月 の商 工 省 に よ る 綿 製 品 の 統 制,1939年6月 の 国 民 精 神 総 動 員 中 央 連 盟 に よる 遊 興 営 業 の 時 間 短 縮,ネ オ ン 全 廃,贈 答 廃 止,学 生 の 長 髪 禁 止, パ ー マ ネ ン ト廃 止 な ど を 内 容 と した 「生 活 刷 新 案 」 の 決 定,40年7月

奢 修 品 等 製 造 販 売 制 限 規 則 」 の 制 定 な ど が そ れ に あ た る[寺 出1994:

178‑179]。1940年 以 降 は,次 第 に 多 くの 生 活 必 需 物 資 が 配 給 統 制 され る こ とに な り,生 活 統 制 の 対 象 は 奢 修 品か らよ り生 活 の 基 礎 的 な 部 分 へ と向 か っ て い った[寺 出1994:181‑183]。 服 飾 に つ い て も,1939年 に 「国 民 被 服 刷 新 委 員 会 」 が 結 成 され,1940年 に は 「戦 時 常 用 服 」 で あ る男 性 用 の 国民 服 の 制 定 が な され て い る[柏 木1998:66]。 ま た,女 性 に 対 して も1941年

婦 人 標 準 服 研 究 会 」 が 設 置 され,42年 厚 生 省 に よ って 標 準 服 の デ ザ イ ン が 決 定 され て い る[柏 木1998:67]。

この よ うな 生 活 統 制,文 化統 制 を,政 府 や 国 民 組 織 結 成 運 動 の 文 化 政 策 担 当者 た ち は ど の よ うに理 論 付 け,文 化 政 策 の 中 に 位置 付 けて い ただ ろ うか 。

1940年 に 結 成 され た 大 政 翼 賛 会 の 文 化 部 長 とな っ た 岸 田 国 士 は8,大 政 翼 賛 叢 書 の1冊 と して 発 行 され た パ ン フ レ ッ ト 『文 化 の新 体 制 』 の 中 で,

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1942年 日泰文 化協 定 をめ ぐる 文化 交流 と文 化政策

文 化 」 とは 「贅 沢 な 慈 善 行 為 や,毒 に も薬 に もな らぬ 仕 事 」で は な く,「国 民 全 体 の 日常 生 活 」 の 「心 構 へ と方 法 」 こ そ が 「文 化」 で あ る とい う[岸 田1940:2]。 そ して,「 文 化 が 健 全 に 進 む に つ れ て 国 民 の 生 活 が 向 上 し,そ れ に よつ て ま た 物 心 両 面 と も に 国 力 が 増 大 」 し 「経 済 翼 賛 の 実 を あ げ る と 共 に,上 下 一 体,文 化翼 賛 の 美 果 を結 ぶ と こ ろ に 国 防 国 家 の 力強 い体 制 が 完 成 され て 行 く」 とい う[岸 田1940:3‑5]。 文 化 は 国 民 か ら遊 離 した 行 為 で あ って は な らず 国 民 の 日常 生 活 そ の も の で あ り,文 化 政 策 は,経 済統 制 の 中 で 生 活 の 向 上 を 図 り強 力 な 国 家 体 制 を 完 成 す る 装 置 で あ る と読 め る 。 岸 田 と と もに 新 体 制 運 動 を推 進 し,国 策 研 究 機 関 で あ る昭 和研 究 会 に お い て 活 動 した 哲 学 者 三 木 清 は,1940年12月 に 「文 化 政 策 論 」 を 『中 央 公 論 』 に発 表 した 。 この 中で,三 木 は,国 民 の 士 気 作 興 に 関す る政 治 の 心 理 的 問 題 に 文 化 政 策 の 持 つ 役 割 が 大 き い こ とを 指 摘 し て い る1三 木1940:5]。

また,物 質 的 貧 困 に 耐 え なが ら も心 を裕 か に す る の が 文 化政 策 で あ る と説 く[三 木1940:6]。 そ の意 味 で,文 化 は 公 共 性 と協 同 性 を もち 広 く国 民 の も の とな る こ とが 必 要 で[三 木1940:10],秩 序 へ の 意 志 を も っ た 文 化 統 制e文 化 計 画 を 総 合 的 統 一 的 に展 開 す る こ と を切 望 し て い る[三 木1940:

13]。 文 化 政 策 の 目的 を,国 民 の 士 気 を 高 め,物 質 的 貧 困 に 負 け な い 心 理 的 余 裕 を 確 保 し よ う とす る こ とに 求 め る 見 解 は,岸 田 の もの と重 な りあ っ て い る 。

しか し,岸 田 も三 木 も新 しい 「日本 文 化 」 の 具 体 像 を描 き 出 して は お ら ず,こ れ が 国 内 文 化 政 策 で あ る とい い うる とす れ ば,そ れ は 国 民 の 文 化的 統 合 を 目的 と した 具 体 的 な 「日本 文 化」 の 国 民 国 家 体 制 内 で の 再 定 義 で あ る とい うよ りは,政 府 に よる 国 民 の生 活統 制 の 心 理 的 援 護 手 段 で あ り,国 民 の 奢 修 の 否 定,戦 時 生 活 ・窮 乏 生 活 へ の 適 応 化 促 進 を 目的 とす る もの で

あ った と見 る こ とが で き よ う。この よ うに,当 時 の 日本 の 国 内 文 化 政 策 は, 国 力 と政 府 に 余 裕 が あ った 時 代 には 国民 の 生 活 と遊 離 した 芸 術 や 文 化 財 保 護 が 念 頭 に 置 か れ,ま た 国 力 に 余 裕 が な くな る と国 民 の 生 活 に密 着 した生 活 統 制 の心 理 的 援 護 手 段 と して の 地 位 しか 与 え られ な か っ た の で あ る。 三

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木 が 「文 化 政 策 と称 す る に 足 る もの が 殆 ど 全 く存 在 しな か っ た 」 と嘆 くよ うに[三 木1940:4],日 本 政 府 の 国 内 文 化政 策 に 対 す る 熱 意 は低 く,文 化 政 策 は 貧 困 で あ っ た と い え よ う。

(2)対 外 文 化 政 策

で は,当 時 の 日本 政 府 の 対 外 文 化 政 策 に つ い て は ど うで あ ろ うか 。 日本 は,第1次 世 界 大 戦 に お け る宣 伝 戦 へ の立 ち 遅 れ へ の 反 省 か ら1921 年 外 務 省 情 報 部 を 設 置 し,「宣 伝 的 文 化 事 業 の 経 営 及 補 助 」を そ の 職 掌 の 一 部 と した[外 務 省 百 年 史 編 纂 委 員 会1969:1028‑1038]。1923年 対 支 文 化 事 業 特 別 会 計 法 」 を 制 定 し,外 務 省 の 外 局 と して 「対 支 文 化 事 務 局 」 を 置 い て 中 国 に 対 す る 文 化 事 業 を 実 施 した[河 村1967:80,82]9。 こ の 対 支 文 化 事 務 局 は,1924年 に 縮 小 され て 亜 細 亜 局 文 化 事 業 部 とな り'°,1927年 に は 外 務 省 文 化 事 業 部 とな った 。1930年 代 中 頃 か ら は,日 本 政 府 は 対 中 国 の み に 限 定 され な い 国 際 文 化 事 業 を 実 施 す る機 関 を 整 備 して い る。1934年 に 組 織 され た 国 際 文 化 振 興 会 や11,1935年 に新 設 され た 対 中 国 に 限定 され な い 国 際 文 化 事 業 を 管 掌す る文 化 事 業 部 第3課 が これ で あ る'2。

この よ うな 中,外 務 省 文 化 事 業 部 は,1938年11月13日 に 小 冊 子 『外 交 の 新 し き指 標:文 化 協 定 の 話 』 を 出 版 し,文 化 協 定 の 意 義 に つ い て語 って い る13。そ れ に よれ ば,「 新 文 化 の創 造 を 以 て 東 亜 を 安 定 し,世 界 の 進 運 に 寄 与 」 す る こ との 必 要 性 を説 き[外 務 省 文 化 事 業 部1938:3],文 化 の 紹 介 は 「国 威 の 発 揚 の た め 」 の 「効 果 あ る確 実 な 方 法 」 で あ り[外 務 省 文 化 事 業 部1938:9],「 文 化 の威 力 を無 視 して 今 日の 外 交 を 語 る こ とは 出 来 」 な い と して[外 務 省 文 化 事 業 部1938:10],対 外 文 化 政 策 の 重 要 性 を謳 っ て い る。 文 化 協 定 は 「国 民 の 間 の 文 化 関 係 を 増 進 す る た め の 国 家 が 結 ん だ 約 束 」 で あ り[外 務 省 文 化 事 業 部1938:15],文 化 宣 伝 や 文 化 侵 略 の み で は な く相 互 の 文 化 の 協 力 交 換 に よる 文 化 の 進 運 に 資 す る もの で あ る こ とが 説 か れ て い る[外 務 省 文 化 事 業 部1938:30‑33]14。 そ の2日 後 の11月15日 は,日 本 は 始 め て の 文 化 協 定 を ハ ン ガ リー と締 結 し15,続 け て 同 月25日

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1942年 日泰 文 化協定 を め ぐる文化 交 流 と文 化 政策

ドイ ツ と'6,1939年3月 に イ タ リア と,1940年3月 に ブ ラ ジル と,1942年 10月28日 に タ イ と,1943年2月 に ブ ル ガ リア と,そ れ ぞ れ 文 化 協 定 を 締 結 した17。 た だ し1942年11月 に は,外 務 省 文 化 事 業 部 は 「戦 時 下 不 急 の 事 業 」 と して 廃 止 され て い る[河 村1967:95]。

国 内 文 化 政 策 の 消 極 性 に 比 較 して,よ り積 極 的 な 対 外 文 化 政 策 を 展 開 し よ う と して い る様 子 が 観 察 で き る。

2,タ イ の 文 化 政 策

(1)国 内 文 化 政 策

タ イ で は1938年 か ら44年 に か けて,ピ ブ ー ン首 相 の 指 導 の 下,強 力 な 国 内 文 化 政 策 が 進 め られ て い っ た 。 ピブ ー ン は,総 理 大 臣,国 防 大 臣,内 務 大 臣,そ して 最 高 軍 司 令 官 を 兼 任 して 政 治権 力 を 一 身 に 集 中 させ,国 の 「指 導 者(phunam)」 と して,「 国 家建 設(sangchat)」 を 合 言 葉 に 国 家 主 義 ・全 体 主 義 に よ る タイ の 近 代 化 を はか っ た 。

ピブ ー ン政 権 は,1893年 以 来 懸 案 に な っ て い た フ ラ ン ス との 領 土抗 争 に つ い て,第2次 世 界 大 戦 の 勃 発 に よ っ て フ ラ ン ス の 国 力 が 衰 え る と と も に 交 渉 を 再 開 した 。1940年11月 に は 両 国 間 に 国 境 紛 争 が 生 じ た が,1941年 5月 に 日本 の 調 停 に よ りタ イ 仏 両 国 は 平 和 条 約 を締 結 した 。 そ の 結 果,タ イ は,仏 領 イ ン ドシナ か ら失 地 を回 復 す る こ と に成 功 し た 。 当時 宣 伝 局 に お い て ラ ジオ 放 送 を 担 当 して い た サ ン ・バ ッタ ノ ー チ ャ イ の 回 想 に よれ ば, 対 仏 紛 争 時 に は 多 くの 政 府 支 持 の手 紙 が 宣 伝 局 に寄 せ られ た とい う[Sang 1956:245‑246]。 ピ ブ ー ン の ブ レイ ン と して 活 躍 す る ウ ィ チ ッ トは,タ イ 近 隣 諸 国 に住 む 「タイ 系 民 族 」 等 を タ イ 国 に統 合 す べ き だ とす る タイ 民 族 統 一 主 義 「汎 タイ 運 動(Pan‑ThaiMovement)」 の 思 想 的 バ ック ボ ー ン と な り 「失 地 回復 運 動 」 に も貢 献 した[カ モ ン1988:34]18。 こ の民 族 主 義 の 基 盤 と な る この 民 族 的 近 親 性 は,「 文 化 」か ら判 断 され る も の で あ り,こ こ で も文 化 は 政 治 的 に重 要 な 役 割 を 果 た した こ と に な る 。

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ピブ ー ン 政 権 の い う 「国 家 建 設 」 とは,1941年6月14日 に 出 され た ピ ブ ー ンの 声 明 に よれ ば,「 世 界 の 文 明 国 の 列 に 加 わ る た め の新 改 善 建 設 」で あ り[KromKhotsanakan1942:38],具 体 的 に は,「 国 家 の 人 民 が,ま ず よ い 市 民 と」 な る こ と,す な わ ち 「よ き 文 化 」,「よ き道 徳 」,「よき 健 康 」 を 持 ち,「 よ く整 っ た 服 飾 を し,よ き 住 居 を持 ち,そ して よき 生 活 を 持 つ とい う こ と」 が 重 要 で あ る と され る[KromKhotsanakan1942:38]。 以 上 の説 明 に よれ ば,「 国 家 建 設 」 とは 結 局,列 強 国 の 仲 間 入 りを す る 目的 の た め に

文 化 」・「文 明 」 を 身 に付 け 国 力 を 増 強 し よ う とす る運 動 の こ とに他 な らな い19。 こ の 文 化 政 策 観 は,日 本 の岸 田,三 木 らの 見 方 に共 通 す る。 ただ し, ピブ ー ン政 権 は,日 本 の 場 合 と異 な り,生 活 に 密 着 した 明 確 な 「文 化 」 の 具 体 像 を 次 々 に 呈 示 して い く こ と に な る 。

こ う した 「文 化 」建 設 政 策 の 一 環 と して,1939年6月24日 か ら1942年 1月28日 に か け て12回 に わ た り,「 ラ ッタ ニ ヨ ム2°」 と呼 ば れ る 一 連 の 総 理 府 告 示 が 公 布 され て い っ た 。 そ の 内容 は,国 家 の 名 称,国 歌 の制 定,国 産 品 の 愛 用,言 語,そ して 個 人 の 服 飾 や 日課 な ど,国 家 レベ ル の もの か ら

国 民 個 々 人 の 日 常 生 活 の規 制 に まで 及 ぶ,き わ め て 幅 広 い 範 囲 にわ た って い る2'。 しか し,そ の 内 容 は,い ず れ も国 民 国 家 の基 礎 と して の 「文 化 」 を 創 出 あ る い は 「建 設 」 す る た め の 具 体 的 方 法 で あ る とい う共 通 項 を持 って い た 。 ラ ッ タ ニ ヨム は,国 家 的 な 規 模 に よ る 国号 の 改 称 を は じめ,個 人 束 縛 的 な 生 活 の 規 制 に い た る ま で,「 タイ 国 民 」の 一 体 性 を 堅 持 し,国 益 に 対 す る 国 民 の 協 力 を 確 保 し,国 家 へ の忠 誠 心 を 創 出 し,そ して 「文 化」 ・「 明 」 を生 成 し,「 国 家 建 設 」 の 目 的 に 向 けて 動 員 す る た め の 政 府 の 「文 化 」 政 策 で あ っ た とい え よ う。

この 他 に も ラ ッ タ ニ ヨム を 補 完 す る た め に,官 報 や 政 府 の パ ン フ レ ッ ト に は 「文 化 」 の 高 揚 の た め の 指 導 に 関す る 法 令 ・告 示 ・談 話 が た いへ ん 多 く見 られ る 。

こ う した 傾 向 の 中 で,こ れ らの 法 令 群 の核 を な して い るの が,「 国 家 文 化 (WatthanathamhaengChat)」 とい う語 を そ の 題 名 に 用 い た い くつ か の 法 で

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1942年 日泰 文 化協 定 をめ ぐる文 化 交流 と文化政 策

あ る 。 こ う した 法 の うち最 初 の もの は,1940年10月15日 に 公 布 され た

仏 暦2483年 国 家 文 化 育 成 法 」で あ る 。 こ の 第4条 で は,「 タ イ 人 民 は,国 家 文 化 に した が って 行 動 す る義 務 が あ り,よ い 慣 習 に した が った 文 化 を 保 護 し,ま た 時 代 に 従 って よ り よ く改 善 育 成 す る よ う協 力す る こ とに よ っ て, タ イ 民 族 の 繁 栄 進 歩 を 支 援 しな け れ ば な らな い」 とあ る22。「文 化 」 の 具 体 像 に つ い て は,第5条 に 次 の 規 定 が あ り,ピ ブ ー ン政 権 の 想 定 した 「文 化 」 の イ メ ー ジが 浮 か び 上 が る。

1,公 共 の 場 所 も し くは 公 衆 の 面 前 に 現 れ る場 合 で の 服 飾,品 行 と礼 儀 にお い て 整 然 と秩 序 だ って い る こ と。

2,職 務 実 施 方 法 に 関 して 能 力 と礼 儀 を 有 す る こ と。

3,タ イ を 愛 好 す る こ と23

また,こ の 法 は,「 文 化 は,民 族 の 繁 栄 に お い て た い へ ん 重 要 な 部 分 で あ る 。 民 族 が 繁 栄 す る か 否 か は,民 族 の 個 々 人 が 文 化 を 有 す る人 に な る か 否 か に か か っ て い る 」 とい う趣 旨の 「国 家 文 化 」 の 重 要 性 に 関す る付 記 を も

つ24。

こ う した 流 れ を 受 け て,1942年 に は 「国 家 文 化 」 に 関 す る数 多 くの 法 令 が 出 現 して い く。

1942年4月28日 に は,「 仏 暦2485年 国 家 文 化 育 成 法(第2版)」 が 公 布 され て い る25。 こ の 法 は,「 仏 暦2483年 国 家 文 化 育 成 法 」 の 第5条,す わ ち 「文 化 」の細 目に つ い て の 項 目 を改 正 した も の で あ る 。「自己 の 行 為 お よび 家 庭 に 対 す る 行 為 にお い て整 然 と秩 序 だ っ て い る こ と」 とす る第2項 の 新 設 に よ り,と り あ えず 主 に 公 共 の場 所 に 限 られ て い た 「文 化 」 の 規 制 は,個 人 の 領 域 に まで 踏 み 込 む こ とに な った26。

1942年9月29日 に は,「 仏 暦2485年 国 家 文 化 法 」 が 公 布 され る。 第6 条 に 示 され た 「国 家 文 化 」 の 諸 項 目 に つ い て は,国 家 文 化 育成 法 に 挙 げ ら れ た3項 目 が 次 の7項 目に 増 大 して い る。

(10)

1,公 共 の場 所 も し く は 公 衆 の 面 前 に 現 れ る場 合 で の 服 飾,品 行 と礼 儀 に お い て 整 然 と秩 序 だ っ て い る こ と。

2,自 己 の行 為 お よ び 家 庭 に 対 す る 行 為 に お い て 整 然 と秩 序 だ っ て い る こ と。

3,タ イ 民 族 と 仏 教 の 栄 誉 を もた らす 行 為 に お い て 整 然 と秩 序 だ って い る こ と。

4,職 務 実施 方 法 に 関 して 能 力 と礼 儀 を 有 す る こ と。

5,民 衆 の精 神 と道 徳 の 繁 栄 結 実 。 6,文 学 と芸 術 の 繁 栄 発展 。 7,タ イ を 愛 好 す る こ と27

こ の 第6条 に し たが って,結 婚 式 な どの 儀 礼 や 服 飾,夫 婦 関 係 とい った 民 衆 の 私 生 活 の 細 部 に い た る ま で,「 国 家 文 化 」の 細 部 を 規 定 す る 詳 細 な 法 令 が 多 数 出 され て い く こ と に な る 。 た とえ ば 服 飾 を 例 に と る と,服 飾 政 策 は タ イ 人 民 と く に タイ 女 性 に 「文 化 」「文 明 」に ふ さ わ しい 外 見 を 奨 励 す る た め の政 策 で あ る とみ な され,文 化 政 策 中 で 大 き な 比 重 を 占 め た 。 服 飾 に 関 す る政 策 は1941年1月15日 の 「ラ ッタ ニ ヨム 第10号 」 が 起 点 とな っ た 。 当初 は 具 体 的 な 規 定 の 形 は と らず,服 飾 政 策 の 意 味 や 大 要 が 説 明 され

る こ とが 多 く,1月 の 段 階 で は 制 服,洋 装,タ イ 式 の服 飾 の3点 が 「整 っ た 服 飾 」 と して 示 され て い る の み だ っ た。 しか し3月 に は,具 体 的 に パ ー ・ チ ョー ン カベ ー ン28の 着 用 が 「文 明 」 に ふ さわ し くな い と解 釈 され,パ ー ・ トゥン29お よび 洋服 の 着 用 が 奨 励 され た 。6月 に は,「 文 明 」 に ふ さわ しい もの と して,帽 子 着 用 の 指 示 が 出 され る こ とに な っ た[加 納1999:60‑61]。

服 飾 政 策 は 内務 省 を 通 じ て 全 国 に徹 底 を 期 され,政 策 に 従 わ な か っ た 国 民 の 逮 捕 に まで エ ス カ レー トした3°

ま た,国 家 文 化 法 に 基 づ い て,こ う した 「国 家 文 化 」 につ い て の職 掌 を 管 轄 す る 「国 家 文 化 院 」 が 設 置 され た 。 「国 家 文 化 院 」 は,(1)現 存 す る

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1942年 日泰文 化協 定 をめ ぐる 文化 交流 と文 化政 策

国 家 文 化 の 研 究,改 良,保 存 お よび 向 上,(2)将 来 に 存 続 させ るべ き 国 家 文 化 の 研 究,改 良 お よび 指 定,(3)国 家 文 化 を 時 代 の 進 展 に 即 応 させ る こ と,(4)国 家 文 化 に よ る 国 民 徳 性 の 酒 養 に 関 す る 方 法 の研 究 お よ び 監 督, (5)国 家 文 化 に 関す る 事 項 につ いて 政 府 に意 見 を 上 申 し,そ の諮 問 に応 じ ま た 実 施 す る こ とを職 務 と した31。 また,国 家 文 化院 は(1)徳 性 文 化 部,(2) 慣 習 文 化 部,(3)美 術 文 化 部,(4)文 芸 文 化 部 の4部 に 分 け られ たが 認,(2) の 慣 習 文 化 を 「国 家 文 化 」 の 範 疇 に 入 れ て い る と こ ろ が,日 本 の 「芸 術 」 に 偏 向 した 文 化 政 策 とは 大 き く異 な る点 で あ り,国 民 の 日常 生 活 に 即 した 文 化 的 統 合 を促 進 す る た め の足 が か りを形 成 した 。

ス プ ー ンや フ ォ ー ク の 使 用 か ら,帽 子 の 着 用 強 制 に お よぶ 国 民 の 日常 生 活 文 化 に 直 結 した 「国 家 文 化 」 の 細 部 を 規 定 す る 詳 細 な 法 令 群 の 多発 は, こ う した 法 的整 備 お よ び 行 政 機 関 の 設 置 に よ り,1944年7月 の ピ ブ ー ン政 権 崩 壊 まで 続 い て い っ た 。

国 家 建 設 」や 国 家 主 義,全 体 主 義 の鼓 吹 に は,「 仏 暦2484年(1941年) 出版 法 」 に よ り官 憲 の 強 権 的 統 制 管 理 下 に 置 か れ た 新 聞,出 版,ラ ジオ 等 の 宣 伝 手 段 が 利 用 され,政 府 の意 志 を タ イ 人 民 の 意 見 と して 浸 透 させ て い っ た[Phonraphirom1977:62‑75]。

また,こ の時 期 に は 民 族 の 栄 誉 を 象 徴 す る記 念 建 造 物 の 建 設 が 相 次 い だ 。 た と え ば,国 立 競 技 場 は1939年10月 に,民 主 記 念 塔 は1940年6月24日 に,フ ラ ン ス との 領 土 紛 争 の 勝 利 を 記 念 す る戦 勝 記 念 塔 は1941年6月24 日に,そ れ ぞ れ 建 設 され て い る。

文 化 」を政 策 の 重 要 な柱 の 一 つ に 位 置 付 けた ピブ ー ン政 権 が,敗 戦 色 の 濃 く な った1944年7月 に 崩 壊 した 後,ピ ブ ー ン 政 権 期 の 行 き 過 ぎ た 「 化 」 政 策 は,後 継 政 権 に よ る 取 り消 しの 対 象 とされ た 。 総 理 府 告 示 「ラ ッ タニ ヨム 」 第1号 に よ り 「Siam」よ り 「タ イ 」 に変 換 され た 国 号 も,1946 年1月1日 の対 英 終 戦 協 定 締 結 と同 時 に 「Siam」に 戻 され た 認。 ま た,た と え ば,文 学 者 な ど に と くに 評 判 の 悪 か っ た1942年 の タ イ 文 字 改 革 に つ い て の 布 告 は,ピ ブ ー ン政 権 崩 壊 直 後 の1944年11月 に 取 り消 され た34。

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(2)対 外 文 化 政 策

こ の よ うに政 権 が 重 点 を お い た 国 内 文 化 政 策 に 比 べ て,当 時 の タ イ の 対 外 文 化政 策 は 非 常 に 地 味 で あ り,そ れ ほ ど積 極 的 な 政 策 が 実 施 され た わ け で は な か っ た 。 た とえ ば,タ イ 外 務 省 発 行 の1965年 ま で の 条 約 集 に よれ ば,タ イ 政 府 が 締 結 した 文 化協 定 は,日 本 と結 ん だ1942年,1955年 の も の しか 挙 げ られ て い な い[Kromsonthisanya1970,1975,1976,1984,1985]。 れ は,少 な く と も1965年 ま で は,タ イ が 日本 以 外 と文 化 協 定 を 締 結 して い な い か,あ る い は 締 結 して い て も政 治 的 に あ ま り重 要 視 され て い な い こ とを 意 味 して い る35。 文 化 協 定 の 締 結 を 対 外 文 化 政 策 へ の 関 心 の 一 つ の 指 標 とす る な らば お,タイ は 対 外 的 な 文 化 政 策 に は そ れ ほ ど関 心 を持 た な か っ た と判 断 され る 。 あ る い は,当 時 の タ イ の 対 内 文 化 政 策 は,列 強 の 仲 間 入 りをす る た め の 「文 化 」・「文 明 」 の 列強 国 化 で あ り,国 外 の 視 線 を あ る 程 度 意 識 して い た とい え る こ とか ら,そ れ 自体 が 「対 外 文 化 政 策 」 で あ った

と も見 る こ とが で き るか も しれ な い。

3,日 泰 文 化 協 定

日本 とタ イ と の 関 係 は,日 本 が 国 際 的 に 孤 立 化 して い く満 州 事 変 以 降, 急 速 に 親 密 度 を 増 して い った 。 満 州 国 の 扱 い を め ぐ っ て は,国 際 連 盟 に お い て 日本 へ の 批 難 が 高 ま る の に対 し,タ イ 政 府 は 唯 一 「棄 権 」 を 選 択 して 日本 の 満 州 進 出 を 容 認 した 。ま た,1940年 に 活 発 化 した タ イ と仏 領 イ ン ド シナ の 間 に生 じ た 領 土 紛 争 に 対 して は,日 本 政 府 が 調 停 に乗 り出 して停 戦 に 導 い た 。 こ の よ うな 親 近 感 を 背 景 に,1941年8月16日 に は 日本 とタ イ は そ の 関 係 を そ れ ぞ れ 大 使 派 遣 に 昇 格 させ た。1941年12月8日 に 日本 が 米 英 に 対 して 宣 戦 を布 告 す る と,日 本 軍 は タ イ 国 に 「平 和 」進駐 し,マ レー 半 島 攻 略 や ビ ル マ 戦 線 へ の足 が か りと した。12月21日 に は 日タ イ 攻 守 同 盟 条 約 が 締 結 され,即 日発 効 して い る 。 こ う した 動 き の 中,タ イ 政 府 は,

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1942年 日泰 文 化協 定 をめ ぐる文化交 流 と文 化政 策

少 な く と も表 面 上 は 日本 に 歩 調 を あ わ せ,1942年1月25日 に 英 米 に 宣 戦 を 布 告 した 。

こ の よ うな 政 治 的 関 係 の 中で,日 泰 文 化 協 定 に 関 して 具 体 的 に論 じ て い る 史料 は,1942年4月 に 最 初 に 現 れ る37。「四 月 二 十 四 日」 の 手 書 付 記 が あ る 日本 国 外 務 省 外 交 史 料 館 所 蔵 の 日泰 文 化協 定 第1次 修 正 案 が これ で あ る 38。修 正 案 で あ るか ら に は,そ れ 以 前 の 原 案 の存 在 が 想 像 され る が39,こ れ 以 前 の 原 案 につ い て は 散 逸 して い るた め,日 タイ 文 化 協 定 に つ い て い つ か

ら外 務 省 内 で 審 議 さ れ て い た か は 不 明 で あ る。 た だ し,こ の1942年4月 の もの と考 え られ る 文 書 が,審 議 の 初 期 に 作 成 さ れ た で あ ろ う 「第1次 の 修 正 案 で あ る こ とか ら,審 議 され 始 め た 時 期 は1942年4月 か らそ れ ほ ど 遡 らな い と考 え られ る 。 一 方,通 常 は 日泰 文 化協 定 の成 立 に よ っ て 設 置 され た と見 られ て い る バ ン コ ク 日本 文 化会 館 の 構 想 につ い て は,そ の 初 代 館 長 とな る 柳 沢 の手 記 で は,1938年11月 に設 置 さ れ た ニ ュ ー ヨー ク 日本 文 化 会 館 と とも に 生 じ た も の で あ る と され ⑳,構 想 は 文 化 協 定 以 前 に 別 個 に 存 在 して い た 可 能 性 が 読 み とれ る[柳 沢1943:111]41。 ま た,そ の 建 設 決 定 が1942年3月 に 新 聞 記 事 で 報 じ られ て い る と こ ろか ら見 て42,日 タイ 間 に 文 化 協 定 を 締 結 し よ う とす る動 き 以 前 に,文 化 会 館 建 設 案 は 別 個 に 存 在 して い た と考 え る の が 自然 で あ ろ う。

柳 沢 は,バ ン コ ク 日本 文 化 会 館 設 立 準 備 の た め,1942年4月25日 に 日 本 を立 ち,サ イ ゴ ン を 経 由 して5月6日 に バ ン コ ク に 着 い て い る。 バ ン コ ク に 着 い た 柳 沢 は 石 井 代 理 大 使 ら と と も に,ウ ィ チ ッ ト外 相 ら と会 見 し, 設 立 準 備 の 相 談 を 行 って い る 。 柳 沢 は,ウ ィチ ッ ト外 相 らか ら,そ して ピ ブ ー ン 首 相 か ら も 好 意 的 な 対 応 を受 け た とい う感 触 を記 録 して い る[柳 沢 1943:12‑13,106]。 そ の 好 意 の 証 拠 と して 柳 沢 が 挙 げ て い る の が 建 物 の 提 供 に つ い て の 件 で あ る 。 日本 文 化 会 館 と,新 た に 設 立 され る タ イ の 国 際 文 化 機 関 とを 並 存 させ る 施 設 「日泰 会 館 」 な る 建 物 を,タ イ 政 府 が 用 意 す る と い うの で あ る[柳 沢1943:107。108]。

一 方,タ イ 外 務 省 の 文 書 に よれ ば,ウ ィ チ ッ ト外 相 と柳 沢 の 間 に は,タ

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イ が 「南 方 ア ジア 」 の 文 化 的 中 心 とな る こ と,ま た 柳 沢 の 文 化 施 設 構 想 を 日本 の 主 催 す る タイ 日関 係 機 関 と タイ の 主 催 す る 南 方 ア ジア 文 化 関 連 機 関 に2分 す る こ と,に つ い て 合 意 が で き た と い う 鱒。 これ に よれ ば,日 本 側 は 「日泰 会 館 」 を タ イ 側 が 用 意 す る こ と を 期 待 し,一 方 タイ 側 は 日本 側 の 構 想 に 便 乗 して タ イ を 中心 とす る南 方 ア ジア 文 化 関 連 機 関 を設 立 す る こ と を 期 待 して お り,両 者 と も に施 設 準 備 の 基 礎 部 分 を 互 に 相 手 側 に 期 待 して しま って い る 構 図 が 見 えて くる 。 タイ 外 務 省 の 理 解 に よれ ば,柳 沢 は 東 京 に 電 文 を 送 っ て こ の 合 意 案 に つ い て 指 示 を 求 め た が,本 省 は こ の 合 意 案 に は 賛 成 せ ず,日 本 文 化 会 館 に つ い て の 事 項 のみ に つ い て 合 意 を と りつ け る よ うに 指 示 した た め,7月 に 一 旦 日本 に 帰 国 し て 本 省 の 説 得 に あ た っ た と, 認 識 され て い るas。

日本 外 務 省 で は,柳 沢 が タ イ に 出 発 した 後,柳 沢 の タ イ 側 との 交 渉 とは 無 関 係 に 日 タ イ 文 化 協 定 案 が 修 正 を 経 な が ら纏 め られ て い って い た 。 柳 沢 が 回 想 す る よ うに,協 定 案 の 作 成 に つ い て は 日本 が 「楽 屋 」 で あ り,柳 沢 の 赴 い た バ ン コ ク は 楽 屋 に お け る周 到 な 準 備 の 上 に の み 成 り立 つ 「舞 台 」 で あ っ た[柳 沢1943:17]。5月27日 に 日タ イ 文 化 協 定 案 の 第2次 打 合 会 が 南 洋 局 第2課 長 東 光 武 三 の 呼 び か け で 開 催 され,第1次 修 正 案 を も とに 審 議 が な され て い るas。 こ の 第1次 修 正 案 は,条 約 局 と南 洋 局 に よ っ て 作 成 され た も の で,19条 か ら構 成 され て い た 。協 定 の 目的 は 「世 界 新 秩 序 建 設 に 相 応 しき 大 東 亜 文 化 を興 隆 す る に努 め 以 て 世 界 文 化 の 向 上 に寄 与 」 す る こ とに 置 か れ た 。 これ は,日 泰 文 化協 定 に 先 行 す る 日独,日 伊 の 各 文 化 協 定 が,わ ず か4条 で 構 成 され て お り,そ の 目的 も単 に 両 国 の 文 化 関 係 の 増 進 に よ る友 好 お よび 相 互 的 信 頼 関 係 の 強 化 に の み 置 か れ て い る の とは 大 き く異 な っ て い る[国 際 文 化 振 興 会1939a,1939b]。 内 容 は,日 独,日 伊 の 各 文 化 協 定 が,「 学 術,美 術,音 楽,文 学,演 劇,映 画,写 真,無 線 放 送, 青 少 年 運 動,運 動 競 技 等 」 が 一 括 して 列 挙 され て い るに す ぎ な い の に 対 し

て[国 際 文 化 振 興 会1939a:3‑4,1939b:43‑44],日 泰 文 化 協 定 案 に は,文 化 協 力,学 術 ・文 化 会 議 の 開 催,学 術 ・文 化 施 設 の 設 置 協 力,大 学 等 に お け

:1

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1942年 日泰文 化協 定 をめ ぐる文 化交 流 と文化政 策

る他 方 文 化 ・言 語 の 教 育,教 授 ・学 者 ・芸 術 家 等 の 交 換,学 生 ・生 徒 の 交 換,中 央 文 化機 関 の 設 立,図 書 ・芸 術 作 品 等 の 交 換 ・充 実,展 覧 会 の 開 催, 放 送 の 交 換,旅 行 団 ・見 学 団 等 の 交 換,両 国 混 合 委 員 会 の 設 置 とい っ た 事 項 に つ い て 具 体 的 な 言 及 が な され て い る。 と く に 東 京 お よび バ ン コ ク に お け る 文 化(紹 介)機 関 の設 立 と混 合 委 員 会 の 設 置 は,日 伊,日 独 協 定 に 見 られ な い もの で あ る。 そ れ ぞ れ の 首 府 に置 か れ る 両 国 混 合 委 員 会 は,外 大 臣 の 指 名 に よる 委 員 長 以 下,関 係 官 庁 職 員や 学 術 団体 等 の 代 表 者,他 の 国 の 大 使 館 員 な ど に よ っ て 構 成 され,文 化 協 定 に 関連 す る各 種 事 業 の 実 施 方 法 を協 議 し,そ の具 体 案 を 自 国 政 府 に建 議 し,各 種 斡 旋 を 実 施 す る こ

とが 任 務 と され た 。 少 な く と も年4回 の開 催 が 規 定 され て い る46。

第2次 修 正 案 は,5月27日 の 第2次 打 合 会 で の 論 議 を も とに,す な わ ち 5月27日 以 降 に 作 成 され た もの で あ る と考 え られ る。 第2次 修 正 案 で は, 協 定 締 結 の 目的 が,第1次 修 正 案 の 「世 界 文 化 の 向 上 に寄 与 」 す る こ とか

ら 「新 秩 序 文 化 の創 造 に 貢 献 」 す る こ とに変 更 され て い る47。

第3次 打 合 会 は6月8日 に開 催 され て い る 娼。 こ こで の 論 議 を も とに 作 成 され た と考 え られ る第3次 修 正 案 で は49,条 文 の 構 成 が 大 規 模 に 改 訂 さ れ,前 修 正 案 まで の19条 構 成 は15条 構 成 に 整 理 され た。 これ は 内容 の 削 除 に よ る も ので は な く,関 連 した 内 容 に 関す る2つ 以 上 の条 文 を1つ の 条 文 に 整 理 統 合 した こ と に よ る 。 「両 国 混 合 委 員 会 」 は,「 文 化 連 絡 協 議 会 」

と 名称 を 変 えて い る 。 委 員 会 構 成 の 細 目 も削 除 され た。

第4次 打 合 会 が 実 施 され た か ど うか は記 録 が 見 当 た らな いが,第4次 正 案 は6月20日 に作 成 され て い るs°。 こ こ で は,条 文 の整 理 が よ り進 め ら れ,よ り合 理 的 な 配 置 に な っ て い る 。

ま た,日 付 は記 され て い な い が,日 泰 文 化 協 定 締 結 の 基本 方 針 を物 語 る の が 「日本 国 『タイ 』 国 間 文 化協 定 締 結 方 針 要 綱 」 で あ る51。 史 料 綴 りで は,第4次 修 正 案 の す ぐ後 に綴 じ込 まれ て い る 。 表1に 見 られ る よ うな 条 文 の 比 較 に よ って も,「 方 針 要 綱 」 は,第4次 修 正 案 の 影 響 を 表 現 面 に 多 く残 しな が ら,そ の 批 准 や 効 力 な どに つ い て 定 め た 型 式 は8月 以 降 の 「

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‑ 1 8 2 ‑

表1日 泰文 化協 定諸 案比 較表

名称 日付 条文数

前文 第ll条 第12条 第12,13条 第14条

締結主体 目的 全権委員 文化紹介機関 文化連絡協議 会 協議会

構成細目 官憲 批准 批准地 効力

第1次 修正 案 4124? 19 政府 世界文 化の 向 上に寄与

8東 京,バ ン コ ッ ク に 中 央 文 化機 関

17東 京 バ ン コ クに

両 国 混 合 委 員 会 0 署名の 日

より実施

第2次 修正案 19 政府 新秩序 文化 の

創造に貢献

8東 京,バ ン コ ツ ク に 中 央 文 化 機 関

17東 京バ ン コ クに

両 国 混 合 委 員 会 0 17,18権 あ る 官 憲

署名の 日 よ り実施

第3次 修正 案 15 政府 新秩序 文化 の

創造に貢献

12東 京,バ ン コ ッ クに 中 央 文 化 機 関

13東 京 バ ン コ ク文 化連 絡 協 議 会

13,14権 あ る 官 憲

署 名 の 日 よ り実 施

第4次 修正 案 6/20 15 政府 新秩序 文化 の 創造に貢献

12東 京,バ ン コ ッ クに 中 央 文 化 会 館

13東 京バンコク文 化連 絡協議会

13,14権 あ る 官 憲

署名の 日

より実施

締結方針要綱 15

世界 の新秩 序 に相応 しき文 化の創 造 に貢

12夫 々の首府に中 央文化会館

13東 京 バ ン コ ク文 化 連 絡 協 議 会

13,14権

あ る 官 憲 批准 東京 10年

文 化 協 定 案 」 8/5

15

天 皇 ・皇 帝

両国 の緊密 な る友 好関係 を 一層 強固 にせ

(空 欄) 12他 方の首府に文 化会館

13東 京 バ ン コ ク文 化 連 絡 協 議 会

13,14権

あ る 官 憲 批准 東京 10年

文 化 協 定 」 8/10

14

天 皇 ・皇 帝

両 国間の 友好 関係 を 一層強 固な ら しめん

(空欄) 11夫 々相手国の首 府 に文 化紹 介機関

12東 京バンコク文

化連絡協議会

12,13外

機 関 批 准 東京 10年

文化協定 10/28

14

天 皇 ・皇 帝

両 国間 に存在 す る友好 関係 を一層強 固な ら しめん

谷 ・デ ィ

レ ー ク

11夫 々相手国の首 府 に文化紹介機関

12東 京 バ ン コ ク文 化 連 絡 協 議 会

12,13外

機 関 批 准 バ ンコ ック 10年

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1942年 日泰文 化協 定 をめ ぐる文 化交 流 と文 化 政策

定 案 」 に 近 い こ とか ら,6月 末 か ら8月 初 頭 ま で の 間 に 作 成 され た もの と 考 え られ る 。

根 本 方 針 と して,第1に,「 従 来 の 日独,日 伊,日 洪,日 伯 の 各 文 化 協 定 と趣 を 異 に し具 体 的 に 実 施 事 項 の 各 に 付 規 定 を 設 く る こ と」が 挙 げ られ て い る 。そ の 理 由 の ひ とつ は,「 将 来 締 結 せ ら るへ き 日仏 印,日 比,日 緬 等 の 文 化 協 定 乃 至 は東 亜 共 栄 圏 諸 国 聞 国 際 文 化 協 定 の 基 本 型 とす る 為 」で あ っ た 。 ま た,根 本 方 針 の 第2に は,「 規 定 の 内 容 は 双 務 的 とす る こ と」 が 挙 げ られ て い る。た だ し,そ の 本 音 は,「 本 協 定 の 規 定 内 容 は 我 国 の タイ 国 に 於 け る 又 は 同 国 に 対 す る 活 動 を 主 目的 とす る も の 」で あ るが,「 タイ 国 の 対 面 を考 へ 規 定 上 は 双 務 的 と為 す こ と適 当 な るへ し」 と して い る。 また,批 准 条 項 を 設 け る こ とが 新 た に 挙 げ られ て い る。 これ に よ り,批 准,効 力 の 規 定 が 新 設 され て い る 。 第4次 修 正 案 まで は署 名 の 日 よ り実 施 され る はず だ った も の が,批 准 を 要 す る よ うに 変 更 され た 。 ま た,第4次 修 正 案 ま で は 効 力 に つ い て の 規 定 は な か った が,新 た に10年 間 の 有 効 期 間 が 設 け ら れ た 。

8月 に入 る と,文 化 協 定 案 は外 務 省 内 にお い て ほ ぼ ま とま っ た。10日 に は 「日泰 文 化 協 定 」の 最 終 案 が で き,13日 に は そ の 英 訳 も完 成 して い る52。

全 体 で は14条 構 成 に 落 ち着 き,締 結 主 体 は,こ れ ま で の 両 国 政 府 か ら,日 本 国天 皇 と タ イ 国 皇 帝 に 改 め られ た 。 全 権 委 員,全 権 委 任 状 の 記 述 も新 設 され た 。 詳 細 を 定 め る機 関 は,「 権 限 あ る官 憲 」 で あ っ た も のが,「 外 交 機 関 」 に 改 め られ た 。

これ を 受 け て,8月25日 も し くは26日 に,東 郷 外 相 は デ ィ レー ク駐 日 大 使 を 呼 び 出 して タイ 日文 化 協 定 の原 案 を 手 交 し,タ イ 政 府 に継 送 す る よ う依 頼 した[Direk1970:160]。 デ ィ レ ー クは 電 話 で ウ ィ チ ッ ト外 相 と話 し,8月20日 頃 駐 タ イ 日本 大 使 館 の 石 井 康 参 事 官 が ウ ィ チ ッ トに面 会 して 文 化 協 定 締 結 の 打 診 を 行 っ て い た こ と を知 った[Direk1970:160]。1942 年9月25日 付 の タイ 外 務 省 覚 書 で は 碍,デ ィ レー ク の 回 想 と 日付 が若 干 異 な って い る 。 それ に よれ ば,9月 は じ め,石 井 参 事 官 が ウ ィ チ ッ ト外 相 に,

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日本外 務 省 が 柳 沢 の 案 に 承 認 を与 え た た め,ウ ィ チ ッ トに 柳 沢 との 合 意 に 沿 った 協 定 の 原 案 を 作 成 す る よ う依 頼 した と され る 。 そ の2日 後,デ レー ク駐 日大 使 が ウ ィ チ ッ ト外 相 に,日 本 に 新 しい 省(大 東 亜 省)が 設 置 され る こ と,本 件 も新 省 の 管 轄 とな って しま うた め,新 省 設 立 以 前9月 に 日本外 務 省 が 協 定 原 案 を 作 成 す る こ と を伝 え た 。 そ の3日 後,デ ィ レ ー ク 大使 よ り 日本 政 府 か ら協 定 原 案 を 入 手 した 旨 を 受 電 した 。 しか し原 案 を 電 文 で 送 る と誤 伝 の 惧 れ が あ る た め,原 案 は駐 タ イ 日本 大 使 館 か ら受 領 す る よ うに 依 頼 され,日 本 大使 館 は9月19日 に 原 案 を タ イ 外 務 省 に 届 け た 。

デ ィ レー ク の 回 想 と外 務 省 覚 書 に は10日 ほ ど の 日時 の 差 異 が あ る が,い ず れ にせ よ,こ れ に よ り,こ れ ま で 日本 政 府 内 に お い て 単 独 で 練 られ て き た協 定 案 が,タ イ 政 府 に 諮 られ 日タ イ外 交 交 渉 の 場 に 持 ち 出 され る こ とに な っ た。 タ イ 側 で は,柳 沢 との合 意 事 項,す な わ ち 南 方 ア ジア 文 化施 設 の 設 立 の 件 が,こ の 日本 側 原 案 に 当然 反 映 され て い る こ と を 期 待 して い た54。

しか し,こ の 原 案 は 柳 沢 の タイ で の 交 渉 とは ほ ぼ 無 関 係 に 外 務 省 内 で 作 成 され た もの で あ り,ま た 柳 沢 自 身 の 受 け 止 め方 も ウ ィチ ッ トらの タ イ 外 務 省 側 とは 異 な っ て い た た め に,南 方 ア ジア 文 化施 設 設 立 の 件 な ど,日 泰 文 化協 定 案 に反 映 され て い る は ず もな か った 。 タ イ 外 務 省 は,こ の協 定 が ① 柳 沢 との 合 意 事 項 に触 れ て い な い こ と と② 細 目 に つ い て の 規 定 が な い こ と に不 満 を も っ た が,大 東 亜 省 設 置 の 時 間 的 制 約 を 重 大 視 し,早 期 締 結 の 方 針 を 固 め た55。 な ぜ な ら,細 目に つ い て の 規 定 が な い こ の 協 定 が 締 結 され て も,日 タ イ 相 互 の 「外 交 機 関 」 の 新 た な 交 渉 に よる 細 部 の 協 議 が な け れ ば協 定 の 現 実 化 と くに 文 化 会 館 設 置 な どは 実 施 で き ず,新 た な 交 渉 が 必 要 で あ る こ とに 望 み を繋 い だ か らで あ る 酪。そ の 際,8月5日 段 階 ま で 「権 限 あ る官 憲 」 の 協 議 に よる と され て き た 細 部 の 交 渉 が,8月10日 以 降 「外 交 機 関 」 の 協 議 に 変 更 され て い た こ とが,大 き な 意 味 を も っ た 。 タ イ 側 は, 通 常 「権 限 あ る 官 憲 」 と され る部 分 が 「外 交 機 関 」 と され て い る の は,日 本 外 務 省 が 本 件 を大 東 亜 省 に 移 管 せ ず 自 ら交 渉 を 行 うつ も りで あ るか らだ

と理 解 した の で あ る57。

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(19)

1942年 日泰 文 化協 定 をめ ぐる文 化交 流 と文 化政 策

11月1日 の大 東 亜 省 設 置 に よ っ て タ イ との 関 係 が 外 務 省 の 主 管 か ら外 れ る 直 前 の10月28日,日 泰 文 化 協 定 は 東 京 にお い て,外 務 大 臣 谷 正 之 と駐 日大 使 デ ィ レー ク の 間 で 調 印 され た 。 協 定 は,12月21日,バ ン コ ク にお い て 予 定 通 り批 准 さ れ,発 効 した 闘。10月28日 の タ イ の ラ ジオ 放 送 で は, 日本 人 の心 理 的 統 一 性 が 称 揚 され,日 本 と タ イ は 兄 弟 で 共 に 助 け 合 わ ね ば な らな い と放 送 され た59。1943年3月19日,文 化 協 定 成 立 祝 賀 立 食 宴 が 駐 タ イ 日本 大 使 官 邸 で 開 催 され,ウ ィ チ ッ ト外 相 と坪 上 大 使 は 「相 手 国 の繁 栄 を祈 つ て 杯 を 挙 け 音 楽 映 画 を折 込 み 歓 談 を続 け 盛 会 を極 め た 」とい うh°

こ の 文 化 協 定 は 日本 に と っ て6番 目の もの で は あ っ た が,「 大 東 亜 共 栄 圏 」 内 に お け る最 初 の文 化 協 定 とな った 。

バ ン コ ク 日本 文 化 会 館 に つ い て は,1943年3月 に は 日 本 大 使 館 か ら タ イ 政 府 あ て に 公 文 を も っ て 設 立 が 通 告 され た61。対 タイ 文 化 工 作 の 使 命 を,第 1に 日本 文 化 の 「対 泰 宣 揚 」,第2に 「タイ 国 人 に 対 す る 直 接 間 接 の 啓 蒙 工 作 」 とす る 柳 沢 に よ り[柳 沢1943:129],実 際 に は バ ン コ ク の チ ャ オ プ ラ ヤ ー 川 河 畔 の2階 建 て 家 屋 に5.月 に 発 足 した とい う[市 川1994:91]。 物 の 手 狭 さか ら,東 京 で は 新 文 化 セ ン タ ー建 設 が 計 画 され た が,戦 局 の 悪 化 に よ り結 局 頓 挫 し て し ま っ た[市 川1994:91]。 市 川 は,こ の 文 化 会 館 につ い て,結 局 の と こ ろ 日本 語 学 級 を 除 い て ほ とん ど計 画 倒 れ に 終 わ っ た と結 論 して い る[市 川1994:92]。 しか し,こ の 日 本 語 学 級 で す ら,1942 年 頃 か ら タイ 語 尊 重 運 動 が 強 化 され 日本 語 を 含 む 外 国 語 学 習 が 制 限 され た た め,変 名 で 身分 を 隠 して 学 ぶ 者 も少 な くな か っ た とい う[平 等1943:62]。

平 等 は これ を 「国 粋 主 義 の 現 れ で あ つ て 外 国 の 文 化 侵 略 を 恐 れ る 為 で あ る ら しい 」 と推 察 して い る[平 等1943:62]。 ピブ ー ン の 回 想 に よれ ば,タ イ 人 の 日本 語 学 習 を 牽 制 す る た め,公 務 員 の外 国語 学 習 に は ピブ ー ン 自身

の許 可 を 必 要 とす る よ うに し,日 本 語 学 習 願 をす べ て 握 りつ ぶ した とい う [Samakhomnakkhawhaengprathetthai1973:442]。 ま た,日 本 側 が 柳 沢 の 報 告 に 登 場 す る タイ 側 の 「国 際 文 化機 構 」 で あ る と 誤 解 した 可 能 性 の あ る 国 家 文 化 院62は,実 は 日本 の 文 化 進 出 を 妨害 す るた め に 設 置 した の だ とい

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