システムズ・アプローチの概念的検討
その他のタイトル A Conceptual Analysis of Systems Approach
著者 山本 義徳
雑誌名 關西大學商學論集
巻 15
号 3‑4
ページ 282‑309
発行年 1970‑10‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021176
282 (88)
シ ス テ ム ズ ・ ア プ ロ ー チ の 概 念 的 検 討
山 本 義 徳
目 次 I. し ま し が き
II.システムズ・アプローチの2規定
m. 実 際 的 意 義
w.技法としてのシステムズ・アプローチ
v.お わ り に
I. は し が き
システム概念またはシステムズ・アプローチの意義を問うとき,つぎの2 つが問題となるであろう。第1にそれは果して新視点や新思考法といえるか
どうか,という概念的意義の問題。第2にそれはどのような経済的・経営的 基盤のうえに問題となるのか,という現実的意義の問題,がそれである。
第1にかんする支配的な見解は,これを画期的な視点として高く評価する 立湯であり,一つの流行を形成している。しかしこの流行はかかる評価の根 拠について明快な答を用意しているであろうか。この立場とくに理論面での それが戦後のアメリカ経営学界やマーケティング学界にみられる新たな「統 合」理論への熱望と密着してきたことは周知のとうりである。それは「統 合」のための有力な武器として,このアプローチが隣接諸科学を含む種々の 次元の「理論」をいわば一段「高い」水準において包摂しうるという期待に 支えられてきた,といってよい。システム概念にかんする明白で一義的な規 定の欠如すらしばしば意に介しない態度のうちに我々ほかかる期待の強靱さ をよみとることができる。とはいえ根拠と期待はおのずから別物でなければ ならない。
しかし他方でこの期待に疑問を投げかける見解も根強く存在してきた。例
システムズ・アプローチの概念的検討(山本) (89) 283
(1)
えば古くはコープラソド・バーナード論争にみられるコープランドの批判が
(2) (3)
それであり,戦後では「一般ヽンステム理論」をめぐる論争,バタースビー,
(4) (5) ・ (6)
ガイスラー,プルッカーらによる批判,グレザーのオルダース`ノ批判,コジ
(7)
オールの批判的提言などはその若干例である。わが国では林周二氏に対する
(8) (9) (10)
山本朗氏, レザー・ケリーやオルダースツに対する荒川祐吉,田村正紀の両
(11)
氏,社会学的ヽンステム論に対する新明正道氏などの疑問提出がある。これら の批判的見解は理論展開にお•いてシステム概念がわざわざ必要なのかどうか という素朴で基本的な疑問をはじめ,若干の概念的不備や欠陥の指摘をおこ ない,この概念の神秘化に警鐘を鳴らすものである。その点でこれらの批判
(1) M. T. Copeland, "The Job of an Executive", H. B. R. Winter 1940, pp. 148‑160. C. I. Barnard, "Comments on the Job of the Executive", H. B. R. Spring 1940, pp. 295‑308.なお,飯野春樹,バーナードの経営理論について,「関西大学 経済・政治研究所研究双書」第23冊,昭和42年, 56 59ページ,及び,バーナード に関する若干の資料,「関西大学商学論集」第14巻第6号, 93ページ参照。
(2) L. Von Bertalanffy, "Genera,! System Theory: A New Approach to Unity of Science", Human Biology, December, 1951, pp. 303‑361.
(3) A. Battersby, "Book Reviews", Operational Research Quarterly, Vol. 14, No. 1, March 1963, p. 98.
(4) M. A. Geisler, "Book Reviews", Management Science, Vol. 9, No. 4, July 1963, p. 702.
(5) W. M. A. Brooker, "The Total Systems Myth", Systems of Procedures Jo‑
urnal, July‑August, 1965, pp. 28—32.
(6) E. T. Grether,、、An emerging Apologetic of Manageralism", Journal of Marketing Research, May, 1965.
(7) E. Kosiol mit N. Sziperski und K. Chmielewicz, "Zum Standort der System‑
forschung im Rahmen der Wissenschaften", ZfbF, 17 Jahrgang, 1965, He~t 7.
ss. 337‑378.
(8) 山本朗,商業・マーケティング論の研究と論争,「経済評論」昭和38年12月臨増,
121ページ。 I
(9) 荒川祐吉,マネジリァル・マーケティング,マーケティング理論,および行動 システム,「神戸大学経営学部研究年報」第10巻,57‑82ページ。マーケティング研究 におけるサイエンス志向の一考察,現代マーケティング研究会絹「マーケティング 行動と環境」昭和仕年, 7‑18ページ参照。
(10) 田村正紀,マーケティングヘのシステムズ・アフ゜ローチについて, 「六甲台論 集」第13巻第1号。
(11) 新明正道「社会学的機能主義」昭和42年。
284 (90) 、ンステムズ・アプローチの概念的検討(山本)
ほ貴重な指摘を数多く含んでいる。ただこれらはおおむね賛否問題に集中し ており,必ずしもこのアプローチの歴史的な存在理由に焦点を据えてはいな い。本稿の課題は第1の問題にかんする後者の主張を敷術しつつ,第2の問 題への橋渡しとしてこの点を補うにある。
II. システムズ・アプローチの2規 定
システムズ・アプローチの意義をまず概念そのものの新しさの中に求めう るかどうかは,少なくともこのアプローチそのものにかんする明確な規定ぬ きには論ずることができない。にもかかわらずこの基本前提にかんする諸文
(12) (13)
献の混乱はサイモンやコジオールの指摘を侯つまでもなく半ば公認された事 実であるといってよい。ただかかる認識に対しては,抽象的ではあるが規定 が存在するという反論もありうるかもしれない。なるほど、ンステムが相互に 関連した諸要素から構成される一つの全体であり;したがってヽンステムズ・
アプローチとはこのようなシステム概念を各研究分野に適用し,演繹する態 度である, という限りでは異論をはさむ余地もないように思われる。しかし この規定は,その抽象度の高さの故に,このアプローチに独自の主張を見失 っている。たんに事態をカオスの反対物として把握する,という程度の規定
(14)
ほ規定としての意味を殆んど失っているといっても過言ではないであろう。
またつぎのような弁護があるかもしれない。未規定だからこそこのアプロー
(12) H. A. Simon, The New Science of Management Decision, 1960, p. 15. (13) Kosiol mit andern, op. cit., S. 337.
(14) 一般的なシステムの定義を羅列してみても,解答への糸口は少しも与えられな い。そのひとつの理由は,かかるシステム定義の驚くべき,しかし本質的な無内容 性にある。それは例えば「組織された,あるいは複雑な全体」,「相互関連する部分 の一組」,「関連した構成部分からなる全体」などの国語辞書的規定を想起するだけ で十分であろう。コジオールはかかる定義の形式性と無内容性が導く帰結をつぎの ように示している。システムすなわち「整序された諸要素の全体」における「諸要 素の種類にかんしては通常何の制限もない。この点で構造を何らもたず,システム を示さないような事象は何ら存在しない」と。実はかかる形式性は逆に普遍的適用 の代償として必然なのであって偶然ではない。だから,システム概念の「意義が学 者によって区々に規定せられ,そもそもこの概念のもっとも特徴的なものが何であ
ッステムズ・アプローチの概念的検討(山本) (91) 285 チに画期的な新視点を見出すかどうかという問題も生ずるのであり,未規定 ゆえにこのアプローチを非難するのはあたらない。それは同義反復的非難に すぎない,と。たしかにもともと両者は循環関係にあるというべきである。
しかしこのような弁護は明らかにこのアプローチの肯定論者の言葉ではない。
彼等の関心はむしろかかる循環の突破にこそある筈である。
コジオールが示唆した「システム研究」の二つの方向はこのような突破の 試 み の ひ と つ と し て き わ め て 注 目 に 値 す る も の と 言 う こ と が で き る 。 先 に も 示 し た よ う に , こ の ア プ ロ ー チ が 捉 え に く い 原 因 の 一 半 は 一 主 原 因 か ど うかは別として一諸文献の混乱に帰せられるであろう。彼の二方向が,こ うした意味で,現状における主要な二種類の見解の対立や混在をほぼ反映し たものとみることができるならば,その検討の重要性はあらためていうまで もないと思われる。その二方向とはつぎのものである。
• (15)
第1は「一般システム理論」に代表される方向で,諸科学間の形式的共通
(16) (17)
性 あ る い は 「 構 造 同 一 性 」 の 探 究 を 課 題 と す る 。 換 言 す れ ば 横 断 的 (iiber‑ るかということさえ,簡単に把捉しえない」という不満なつぶやきが生じるのも,
システム定義ひいてはシステム理論全体の形式性と無関係ではないであろう。もち ろんこのようなみかたに対しては,例え「カオスの反対物」程度の定義にしろすで に全体性や関連性の強調を含んでいる,という反論があるかもしれない。しかしこ こでは第1にそれらが定義の無内容性を克服するほどの実質的内容を殆んど意味し ないこと,第2にこのような強調をことさらシステムズ・アプローチといわねばな
らない理由はないこと,を指摘しておけば足りるであろう。
(15) general system theory.この方向に属するものとして L.Von Bertalanffy, K.
E.Boulding, 0. Lange, J. W. Forresterなどをあげることができる。 Hanikaは第 1の方向に等しく,システムズ・アプローチの原型として, WienerのCybernetics と
, BertalanffyゃBouldingのgeneralsystem theoryを指摘している。 F.de P. Hanika, New Thinking in Management, 1965, p. 6. またHallは,年誌General Systems, Yearbook of the Society for the Advancement of General Systems The‑
ory, ed. by L. Von Bertalanffy and A. Rapaport, starting with 1957.に集まる 人々を「一般システム」理論家達と呼んでいる。 A.D. Hall, A Methodology for Systems Engineering, 1962, p. 64.なお, O.LangeとJ.W. Forresterはサイバネ ティックスの応用,発展そのものを,システムズ・アプローチと同等視している。
(16) formal correspondence.ベルタランフィによれば,たんなる皮相的類似として のアナロジーとほ区別される,論理的相同(logicalhomology)の水準を指す。
286 (92) 、ンステムズ・アプローチの概念的検討(山本)
(18)
greifend)一般理論の樹立を目指す方向である。これに対して第 2は「問題志
(19)
向的諸科学結合」によるさまざまな「綜合研究」を一~未開拓の広い可能性 (20)
も含めて一統一的に呼ぽうとする方向である。すなわち一定の問題を中心 とする「諸科学間協同研究」の「総称としてのジステム研究」がこれである。
両者の差異及び特徴をより鮮明にするためにやや詳しくコジオールの議論 にたちいっておこう。彼の課題ほ,繰り返せば, 「建設的」な方向での新視 点の発掘にあり,そのために多様な角度からその可能性について検討と消去 が重ねられている。その際,検討の枠組として彼の念頭にあるのほ科学のつ ぎの三類別,すなわち,(1)分析的 (analitischegetrennte Disziplin), (2)横断的 (iibergreifende Disziplin), (3)綜合的 (synthetischeInterdisziplin)の三つであ
(21)
る。結論から言えば上述の第1,第2の方向はそれぞれこの(2)と(3)に照応し たものである。まず(2)についてみよう。 (1)と(2)を従来の科学観とみなす彼は,
この従来の科学常識の範囲内で「システム研究」が主張すべき独自性をもち うるかどうかから出発する。彼によればその可能性は対象領域,研究方法,
用語などによる区別のなかには発見できず,わずかに認識対象(同一性原 理)による区別のなかに希望が残されている。はじめにも触れたように,こ の認識対象はさらに(1)ではなく(2)に限定される。 (1)の可能性ほ,「諸科学関連 的研究」一~頻繁に繰り返される周知の命題—に対する彼のきわめて高い 評価から推して,おそらく当初から度外視されているものと思われる。でほ (2)における認識対象とはどのようなものであろうか。諸科学間に共通する
「構造同一性」がこれである。例えば経営学において plan‑do‑seeのような
(17) isomorphism or isomorphe Struktur.「異種同型」ともいう。
(18) Kosiol mit andern, op. cit., SS. 348‑350.
(19) Problemorientierte Integration. のちにもみるように,内容からは「統合」よ りも「結合」がふさわしい。
(20) Kosiol mit andern, op. cit., SS. 353~359. この二方向は Ackoff の区分にもほ
ぽ合致している。 R.L. ‑Ackoff, "General System Theory and Systems Research: Contrasting Conceptions of Systems Science", in 1vf. D. Mesarovic (ed.) Views on General Systems The~ry, 1964, pp. 51‑60.
(21) Kosiol mit andern, op. cit., S. 357.
ッステムズ・アブローチの概念的検討(山本) (93) 287
規則的円環と呼ばれる形式的関係があるように,社会学や自然科学においてc も類似の規則的諸現象,規則的諸問題の登場を認めることができる。このよ うな異分野間の共通尺度としての形式的諸関係をそのまま「システム研究」
の認識対象としてとりあげるならば,それはここに前述の第1の方向を形成 することとなる。いまその詳しい特徴づけは後に譲ることとして,コジオー ルはただちにかかる方向を肯定しようとはしない。実は彼ほ究極的に第 2の 方向を支持するのであって,その消極的理由はつぎのようである。彼によれ ば(2)に属する理論には情報理論や組織論,サイバネティックスなどがあるが,
うえの規則的諸問題こそはなかでもずぐれてサイバネティックスの認識対象 として扱われるべきものである。したがって第1に,もし「システム研究」
がこれらの諸理論とりわけサイバネティックスと同ーならば,それは無意味 という以外にない。第2にもし同ーでないとすれば,それらとは当然異なる 独自の「同一性原理」があらたに提出されて然るべきであろう。しかし彼に よればかかる提示にかんしては現在までみるべきものがなく,新たに考える
(22)
ことも不可能に思われる。実際,環境システムとの調和や恒常的システム均
(23)
衡といった問題を認識対象として新たに標榜する例もみられはするが,この ような問題は実は既存理論の不充分な展開の故になされたにすぎず,本来そ の枠内で解決さるぺき性質のものである。最後に(2)に属する諸理論の総称と して「システム研究」を考える可能性が残るが,これにも彼は同意しない。
(24)
こうして彼はその可能性を従来の科学常識の埓外に求めざるをえない。
つぎに(3)についてみよう。 (2)と(3)の差異ほ,(2)が種々の専門分野に共通す る「同型」構造を問題とし,したがって横断的一般理論をめざすのに対し,
(3)は一定の問題,例えばオートメーション,機械建造,宇宙旅行などを研究 対象とし,そのために個々の専門理論を結合し利用する点にある。冗長をい とわず引例すればつぎのとうりである。問題aを機械建造, T。を機械建造
(22) H. Krauch, Wege und Ziele der Systemforschung. 1963.
(23) S. Beer, "Below the twilight arch
―
a mythology of systems", in Eckman (ed.) Systems: Research and Design. 1961. pp. 1‑25.(24) Kosiol mit andern, op. cit., SS. 349‑350.
288 (94) システムズ・アプローチの概念的検討(山本)
(25)
学としよう。 T.tま「説明的」な物理理論Tぃ同じく化学理論T2,経営経済
(26)
理論T3の「手段的」理論形態Ti,T~, Tiの合成語である。この合成はもち ろん対象aにかんして問題適合的におこなわれる。その際T1,T2, Tsとこ の合成の間にはさしあたって情報内容の変化はない。しかしそこにはたんな る算術合計以上のものが含まれるであろう。そこには問題志向的綜合が追加 されており,その問題にかんする知識状態の豊富化が予期される。換言すれ ば内容的にも用語的にも改良された諸理論が個別科学のなかから複製される。
これが彼の重視する(3)の概要であり,同時にまた「システム研究」として統 ー的に呼ぶことを提案した第 2の方向でもある。
以上, 2つの方向をコジオールに拠って概観した。その性格上ここでは彼 の提案にかんしてのみ,以下の諸点を指摘するにとどめよう。彼にもし功績 があるとすれば,それは第1に「システム研究」を「問題中心的綜合研究」
として把握したこと,したがってまた「説明的」理論としてではなくその
「手段的」形態における綜合として把握した点にある,といってよい。しか し同時にその功績はつぎの点によって不充分なものにならざるをえない。第 2に個々の専門理論がそれによづて利用され媒介される筈の「統合原理」な るものが不明瞭なままに放置されている,という事情がそれである。その端 的な例は,個々の専門理論と総合理論との関係にかんして彼のあげた 8項目
(27)
にわたる問題提起にもみることができる。いまや第1の方向に対して認識対 象の不在を非難したと同じ鋒先が彼自身に返ってくる。もちろんこのことは 彼も充分承知のうえであろう。だからこそ彼ほ「システム研究」を「未開拓 の広い可能性を含めて」統一的に呼ぶ「名称」にとどめたのである。とはい っても問題の核心が将来の具体的研究に委ねられ回避されている,という事 実に少しもかわりはない。たんに名称にすぎないならば「システム研究」と いうよりむしろ「綜合研究 (Interdisziplin)」の方が適称というべきで,これ は彼自身が認めたところである。
(25)(26) 類似の分類に「純粋科学」と「応用ないし政策科学」がある。 (村田昭治
「マーケティング・システム論」昭和45年, 223ページ)しかし, 目的を所与とす る限りでは,記述理論といっても結局は規範論の範疇に属する。
(27) Kosiol mit andern, op. cit., SS. 357.
システムズ・アプローチの概念的検討(山本) (95) 289
彼の不分明な「統合原理」にかわって我々は他の統一的尺度を想起するこ
(28)
ともできる。例えばサイヤートとマーチの『企業の行動理論』やもっと現実
(29)
的にはPPBSの中に「近代経済学」の導入を,あるいはフォレスターの
(30)
『インダストリァル・ダイナミクス』やジョンソンとカストとローゼンツヴ
(31)
ァイクの『経営ヽンステムの理論とマネジメント』の中に「情報の流れ」を,
それぞれ指摘することもできる。しかしどのような統一的尺度がこのアプロ ーチの決め手になるかについては混乱したままである,というほかない。後 にも触れるが,むしろこのアプローチは,多次元を多次元のままに包括しよ
うとする壮大な意図とは別に,何がそれら全体の動きを規制するかを明らか にする概念装置そのものを欠いているように思われる。
第1の方向にかんしては,これまでコジオールの批判の簡単な指摘にとど
(32)
めてきた。つぎにこの方向の典型としてベルタランフィの「一般ヽンステム理
(33)
論」の特徴を摘出し検討したい。
まず彼の構想全体を一瞥しておこう。生物学者としての彼の基本的関心は 有機体の環境適応行動にある。いいかえれば「有機的目的論」の「科学的展 開」が彼の目的である。 「科学的展開」とは,要素のたんなる加算として
「全体」をみる素朴な「機械論」的思考との対置において,有機的「全体」
(28) R. M. Cyert and J. G. March, A Behavioral Theory of the Firm, 1963 (29) C. J. Hitch and R. N. Mckean,'I;he Economics of Defense in the Nuclear
Age, 1960参照。
(30) J. W. Forrester, Industrial Dynamics, 19fil.
(31) R. A. Johnson, F. E. Kast and J. E. Rosenzweig, The Theory and Man‑
agement of Systems, 2nd ed., 1967.
(32) 彼は「開システム」観の最初の提唱者 (1932年)として自認しーL.Von Berta‑ lanffy, "An Outline of General System Theory", Brit. J. Philos. Sci., Vol. I, p. 155‑「一般システム理論」の父とも呼ばれている。 M.D. Richards and P. S. Greenlaw, Management Decision Making, 1966, p. 21.以下は主として, L.Von Bertalanffy, "General System Theory," Human Biology, Dec, 1951. Vol. 23, pp.
303—361. に拠る。なお,他に “The Theory of Open Systems in Physics and Biology". Science, 1950, Vol. III, pp. 23‑29がある。
(33) なお,降旗武彦「経営管理過程論の新展開」昭和45年, 26 27ページ, 45 46 ページ参照。
290 (96) システムズ・アプローチの概念的検討(山本)
の普遍的理論を創造することにほかならない。 「開システム」とはそのため のヨリ具体的な概念装置である。すなわち有機的組織体を「開システム」と して把握し,組織体における種々の現象を「開システムの法則」の帰結とし て理解すること,これが彼の構想の中核である。
このような構想のもとで「一般、ンステム理論」の持つ注目すべき特徴はほ ぼつぎの3つに尽きると思われる。第1にこの「理論」はシステムのア・プ リオリな定義とこれにひき続く現実的諸条件の導入による仮説ー演繹体系を
(34)
とること。これは彼によれば「全体性にかんする精密理論」となるための必 要条件である。第2に種々の科学分野間における「法則」や「概念的枠組」
の「形式的一致」を認めること。すなわち「同型」思考を基本的思考法とし て承認すること。以上はいずれも形式的な前提である。枢軸概念たる「開ツ ステム」に実質的内容を付与するものは「相互作用」論である。これが第3 の特徴をなしている。さてこれらの3特徴はコジオールの非難に答えうるも のを含んでいるであろうか。第1の特徴はいわゆる「ヽンステム論」一般に共 通するひとつの傾向を示していて興味深い。それは現実の慎重な分析よりも,
むしろア・プリオリな仮定に立つ数多くのモデル作製と試行錯誤の方にヨリ 多くの重点がおかれることを予示している。しかしこのような傾向は広く戦 後の「数量的アプローチ」一般にみられるもので,もちろんシステムズ・ア プローチに独自な特徴とはいえない。第 2の特徴はコジオールが「横断的科
(35)
学」と呼んだそれとまさしく合致している。問題はその内容如何にあった。
(34) 数学的仮説ー演繹体系を考えている。 Bertalanffy,An Outline of G. S. T., p. 139, p. 141, p. 143.これに対しHempelは「純粋数学部門」のようだと非難してい る。なお,この点についてBouldingは,「G.S.T.」とは高度に一般化された純粋数 学の構成と,専門科学における特殊理論との間にある理論的モデル構築の水準をい うために用いられるようになった呼称」だとしている。 K.E. Boulding, "General Systems Theory—the Skelton of Science", Management Science, April 1956, p. 197. (35) サイバネティックスが機械,生体,社会の共通性を追求するように,「開システ
ム」もそうであり,「その限りでそれは正しい。」 しかし同時にそれは「それらの間 の発生段階の差別に基く差別性の認識を無限の彼方におしゃ」らない限りにおいて である。ノバート・ウィーナー,池原止文夫訳「人間機械論」昭和29年,訳者によ る解説, 228ページを参照。
システムズ・アブローチの概念的検討(山本) (97) 291
最後に第3の特徴,これはペルクランフィがそれによってサイバネティック スとの同等視を免れようとした実質的内容をなすものである。彼によれば サイバネティックスにおける合目的的行動の基礎モデルはフィード・バック 機構であり,それは本質的に「機械論」の域を出ていない。永続的諸部分か ら成り立つ機械とは違って,有機構造全体は継続的過程において,恒久的破 壊と再生を通じて維持される。だから有機体におけるさまざまな「統制」問 題は,フィード・バックのような既設構造の視点からする「機械論」によっ てではなく,「過程の法則」に基いて第一義的に説明さるべきである。換言す れば「システム論」の中心点は「過程」という「相互作用」から現象を説明 する動的見解に求められている。.ここに「相互作用」とほ要するに環境と有 機体相互の質料交換を意味している。この「相互作用」の有無を基準として
(36)
「閉システム」と「開システム」の区分が生じる。すなわち,、ンステムは物 質をその環境と交換しなければ「閉」じられており,反対に物質の移動があ りその結果システムの構成要素に変化があれば「開」かれている。こうして 一方では「機械論」一「構造」―‑‑「閉システム」,他方では「動的相互作 用論」ー一「過程」一「開システム」という図式が描けると思われる。と ころでたしかにこの・ような図式の中に独自な「システム論」を樹立しようと・
する意図は充分なまでにくみとれるであろう。しかしここでもそれはあくま で意図にすぎない。既にみた通りベルクランフィは「構造」よりも「過程」
を重視するが,それ以上ではない。具体的理論展開のために必要な「過程」
の「原理」や「法則」, 換言すれば「開システム」の「原理」や「法則」を 何ら明示することができない。あるのはただ「システムとその環境との相互 (36) この区別は,ェシトロビー(無秩序度)によってもおこなわれる。自己保存的で ない系,すなわち「閉システム」は.シュレーディンガーやウィーナーが明らかに したように,熱力学の第2法則を原型とするエントロビー増大法則が妥当する。そ れは最後にはエントロピー最大の,活動のない無秩序に近づく。これに対して自己 保存系,すなわち「開システム」は,エントロピー増大傾向をみずから阻止して,負 エントロビー(秩序度)をつくり出す。吉田民人,行動科学における<機能>連関の モデル,「思想」昭和39年8月, 41ページ。降旗武彦,組織とシステム,山本純ー監 修,システム研究会編,「経営システムの研究」昭和39年, 183ページ,注(10),及び Bertalanffy, "The Theory of Open Systems in Physics and Biology", pp. 23‑29参照。