[書評] K・マルクス著、杉原四郎・重田晃一共訳『
経済学ノート』
その他のタイトル [Review] Karl Marx, Okonomische Studien translated by S. Sugihara and K. Shigeta
著者 平井 俊彦
雑誌名 關西大學經済論集
巻 12
号 5‑6
ページ 589‑603
発行年 1963‑02‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15458
589
マ ル ク ス ﹃ 経 済 学 ノ ー ト ﹄ ︵ 平 井 ︶ のが︑本書である︒もっとも︑抜率された部分については︑適 一︑本書のあらまし 共訳
杉 原 四 郎 重 田 晃 一
K ・マルクス著
書 評
一 八
七
れらの人々または書物についての抜率と評注は︑すべておなじ 物について十一冊のものがとりあげられている︒ところで︑こ ロックの﹃経済学の起源︑進歩︑固有の対象および重要性に関
﹁ 経
済 学
ノ ー
ト ﹂
マルクスは一八四三年一 0 月にドイツを離れ︑かつてはルソ
ーが真の自然として愛した︒ハリの郊外サンージェルマンに居を
かまえて︑はじめて本格的な経済学の研究を始めた︒そして︑
四四年から四五年まで︑多くの経済学者の文献を読み︑これを
抜率し︑ところどころに評注をつけた︒この抜率と評注が一九
三二年に﹃経済学・哲学手稿﹄などとともに﹃マルクス・エン
ゲルス全集﹄に収録されているが︑この部分を日本文に移した
宜省略されてはいるものの︑マルクス自身の考え方をしめす評
注の部分は全部訳出されている︒いま︑本書に訳出されている その内容だけについていえば︑マルクスに経済学研究の端初を あたえ︑マルクスがのちに高く評価したエンゲルスの﹃国民経 済学批判大綱﹄をはじめ︑セーの の﹃社会的富の理論﹄︑スミスの﹃国富論﹄︑リカードウの﹃経 済学と課税の原理﹄︑ジェームズ・ミルの﹃経済学綱要﹂︑マカ す
る 講
義 ﹄
︑
デステュット・ドゥ・トラシィの﹃イデオロギー
要論﹄︑それにボアギュベール﹃フランス詳論﹂﹃富︑貨幣およ
び貢納の本質に関する論究﹂﹃穀物の本性︑耕作︑商業および
利 益
に つ
い て
の 概
論 ﹂
︑ 以 上
︑
人物にして九人の経済学者︑書 スカルベク
平
﹃ 井
経 済
学 概
論 ﹄
︑
俊 彦
590
であるために︑その理解はかなり困難であり︑その評価となる
て批判し︑その外在化の弁証法をプロレタリアートの理論的武
る︒もっとも︑同じノートといっても︑﹃経済学ノート﹄と﹃経ダヤ人問題によせて﹄の論文二編と﹃ヘーゲル法哲学批判・序 いるし︑ある意味で﹃経済学・哲学手稿﹄もこの種のものであ のものとして︑マルクスには﹃経済学批判要稿﹄が邦訳されて し︑重要と思われる部分を抜卒したものである︒すでにこの種
二︑哲学と経済学 って︑どこまでも﹃経済学ノート﹄であって︑マルクスが自分 た姿勢でとらえねばならないであろう︒
ように取りあつかわれているわけではなく︑濃淡があって︑主
いうまでもなく︑本書は﹃経済学批判﹄や﹃資本論﹄とちが
の思想を整理しこれを体系的に展閲したものではない︒いわ ば︑マルクスがそれぞれの書物について断片的に感想を付記
済学・哲学手稿﹄とでは︑書きぶりにかなりちがいがあって︑
後者がすでに完成原稿の一歩前の手稿であるのに対して︑前者
はいわば第一次ノートとでもいえるであろう︒本書﹃経済学ノー
なま
ト﹄のような手稿は︑それだけに断片的であり生のま
Aの も の と一そうむつかしいといわれねばなるまい︒だが︑その反面で マルクスがどのような形で経済学研究に向い︑そしてこれを批 己の世界観を錬えていったかという思想形成の過程が︑きわめ てなまなましく出ているので︑われわれはかえってマルクスの この苦閾の過程を共感できるとともに︑マルクスの思想の歩み を追思惟することができるのである︒この種のノートはこうし
さきにふれたように︑マルクスが﹃経済学ノート﹄を執策し
た時期は︑一八四四年から翌四五年ごろであった︒そしてこの
時期のマルクスはといえば︑すでに四三年に﹃独仏年誌﹄に﹃ユ
説﹄を書き︑ヘーゲル弁証法をその社会哲学にまで具体化させ
器として錬えあげようとしていた︒また︑四三年から四四年に
かけて︑マルクスはフランス啓蒙思想とフランス大革命との関
連を追求し︑ルソーの﹃社会契約論﹄はもとより︑バプーフ︑ を占めているのである︒ とまったものであるほかに︑分量としてほゞ本書の訳文の半ば ームズ・ミル評注﹂として有名であろう︒この評注はかなりま ﹃経済学綱要﹄が大きくとりあげられ︑わけても後者は﹁ジェ 判していったか︑さらにこの経済学の批判的研究をとおして自
にリカードウの﹃経済学と課税の原理﹄とジェームズ・ミルの
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
一八八5 9 I
マ ル ク ス ﹃ 経 済 学 ノ ー ト ﹄ ︵ 平 井 ︶ 源泉との関連から次第に明らかにされ︑ 一方ではマルクスが
一 八
九
がすでに古典経済学の克服であるというふうに︑
一 方
の 側
か ら
究史のしめすところでは︑この時期のマルクス思想形成がこの の理論的地平をもっている︒だからこそ︑ヘーゲル哲学の克服 わめて実り置かな思想的発展をしめしたといえよう︒最近の研なりあうものではなく︑それぞれは独立の領域をもち︑その固有 していたのは︑この時期であって︑その意味でこの時期にはき 社会主義︑それにイギリス古典経済学の三源泉と思想的に葛藤 になった︒したがって︑マルクスはドイツ古典哲学︑フランス このように︑マルクスはヘーゲル哲学や青年ヘーゲル派批判
やフランス革命史研究のなかで︑経済学研究にたずさわること かもマルクス経済学が形成されるかのような考え方がみられは ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ しまいであろうか︒ところが︑この時期のマルクスの思想の真 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑.︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 相は︑実は経済学と哲学との相互媒介にあり︑それによって実 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ り豊かな発展をしめすのである︒もっとも︑両者はぴったり童 あるいは別の面で︑経済学研究がそれ自体で自立化して︑あた 成果を﹃経済学・哲学手稿﹄に結実させたのである︒ かで︑これまでに到達したヘーゲル哲学批判を徹底させ︑その は︑あきらかであろう︒マルクスはこの古典経済学の研究のな ドイツ思想の系流を問題とする側からは︑マルクスがヘーゲル るが︑その研究の主要な対象は︑スミス︑リカードウ︑ジエー ムズ・ミル︑マカロックのイギリス古典経済学であったこと ュベールおよびフランス古典経済学者セーなどをふくんではい れることによって︑マルクスの思想の歩みの研究が大いに前進 究を始めたのである︒本書はフランス重腹主義の先躯者ボアギ明され始めてきた︒このばあい︑それぞれの系流が明らかにさ 連を問題としていた︒このような時期に︑マルクスは経済学研 展開する姿勢を確立していくか︑これらがそれぞれの側面で解 史的意義を追求し︑さらにこれとドイツ・イデオロギーとの関済学をどのように受けとめ︑﹃経済学批判﹄から﹃資本論﹄ さらにはルヴァスールの﹃山岳党とジロンド党の闘争﹄などを 読書し︑抜書きさえしており︑フランス革命の人類解放への歴
ヘ
ヘーゲル哲学さらにはフォイエルバッハの唯物論をどのように
克服して唯物弁証法を確立していったか︑他方でまた︑古典経
したといえるし︑今後より具体化していくことは︑きわめて重
要であろう︒だが︑それとともに︑ヘーゲル哲学を中心とする
の社会哲学批判することによってすでに古典経済学をのりこえ
ることができたかのような考えが︑出てきはしないだろうか︒
. 5 9 2
ー﹄との差異や関連の問題は︑副次的な問題であるし︑むしろ この追思惟の結果としてその解答があたえられるのである︒ ノート﹄と﹃経済学・哲学手稿﹂または﹃ドイツ・イデオロギ 思惟することを第一義的な問題としたい︒とすれば︑
﹃ 経
済 学
ていく側面こそ重大であると思うのである︒すなわち︑一八四
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
四年から四五年にかけて︑マルクスが唯物弁証法を形成する過
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
程で︑どのような理論的地平から古典経済学を研究していった
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
か︑そして︑この古典経済学研究をとおしていかに自己の世界
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
観を豊かにしていったか︑そしてこれが﹃経済学・哲学手稿﹄
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
へと結実していくのか︑この過程を﹃経済学ノート﹂のなかで
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
マルクスの展開にそくして︑うかぴ上がらせることこそが問題
︑ ︑
︑ ︑
であろう︒わたしはこのような観点から﹃経済学ノート﹄を追 には︑両者が重なりあい︑相互に作用してその個性を形づくつ めすことは︑必要ではなかろう︒むしろ︑この時期のマルクス 部分がどれであり︑世界観にかかわる領域がどれであるかをし って︑いま︑ここで︑マルクスの思想のなかで経済学の占める 研究の意義もまたそこにあるといわねばなるまい︒だからとい 他方の側面をおおうことにはならないのであって︑それぞれの
閲西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
三︑人間疎外の弁証法
マルクスが一八四三年末から四五年にかけて︑経済学研究に たずさわったのは︑いかなる内的動機からであったろうか︒こ れを別の面からいえば︑どのような問題意識のもとに︑そして
どのような思想的境地で経済学研究へと前進したのであろう
か︒すでに︑マルクスは﹃ヘーゲル国法論批判﹄を完成してお り︑四三年の秋︑パリに出発する直前に︑のちに﹃独仏年誌﹄
に発表した﹃ユダヤ人問題によせて﹄を執筆してしまってい
た︒さらに︑十二月には﹃ヘーゲル法哲学批判序説﹄でヘーゲ 誌﹄のなかに発表されたこれら二つの論文のなかに︑マルクス とめることができるのである︒
マルクスは﹃ヘーゲル国法論批判﹄のなかでヘーゲル市民社 会思想の批判をおこない︑市民社会と国家との矛盾︑市民社会に
︑ ︑
︑ ︑
︑ おける私的利害と公的利益との対立をみたが︑この市民社会の
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
分裂性の原理を︑フランス革命と関連づけて︑政治的解放と人類 が﹃経済学ノート﹄を執筆したその問題意識と思想的境地をみ ル哲学体系の批判をより前進させていた︒われわれは﹃独仏年
│
﹃ 経 済 学 ノ ー ト
﹄ の 前 提 ー
一 九
0
593
立することが課題だったのである︒では︑どのようにか︒
近代プルジョワ革命は本来︑人閻の本質である普遍的自由を
回復し︑その類的生活を実現することにあった︒そして︑ここ
に完成した国家は自らを普逼性として確立するのである︒だ
が︑現実にはそれは私的所有に基づく市民社会を生みだした︒
そのかぎり︑社会は私的利益の原理によって貰徹され︑公的生
活は逆にこの原理に支配されている︒﹁完成した政治的国家は︑
その本質上︑人類の類的生活であって︑かれの物質的生活に
︑ ︑対立している︒この利己的な生活のいっさいの諸前提は︑国家
︑︑︑︑︑︑ の領域の外に︑市民社会のうちに︑しかも市民社会の特性とし
マ ル ク ス ﹃ 経 済 学 ノ ー ト ﹄ ︵ 平 井 ︶ がってプルジョワ革命の継承とその限界の克服に求めたのであ
︑ ︑
︑ ︑
︑
る︒これをマルクスの思想的境地についていえば︑市民社会お
︑
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︑
︑
よびそのなかの市民の分裂性︑すなわち人間疎外の弁証法を確 ァートによる人類的解放の歴史的課題を︑市民社会の矛盾︑した は︑﹃ヘーゲル法哲学批判・序説﹄のなかで︑プロレタリアー トに求めたことは︑いうまでもないであろう︒ここに︑﹃独仏 年誌﹄のなかで︑マルクスは三月革命前期における︒フロレタリ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 的解放に対立させ︑人類の普遍的解放の課題を提起したのは︑ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ﹃ユダヤ人問題によせて﹄であった︒そして︑この普逼的解放
一 九
て存続している︒政治的国家が真に発達をとげたところでは︑
︑ ︑
人間は︑ただ思考や意識においてばかりでなく︑現実におい
︑ ︑
て︑生活において︑天上と地上の二重の生活を営む︒すなわ
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
ち︑一っは政治的共同体における生活であり︑そのなかで人
︑ ︑
︑ ︑
︑
間は自分で自分を共同的存在だとおもっている︒もうーつは
︑
︑
︑
︑
︑
︑
市民社会における生活であり︑そのなかで人間は私人として
活 動
し ︑
他人を手段とみなし︑自分自身をも手段にまで下落
( 1 )
させて︑ほかの勢力の玩弄物となっている︒﹂このように︑市
民社会と国家が分裂し︑市民社会では個人的利益が支配し︑
そこから国家が引きはなされているかぎり︑ 国家は自らの定
在をこの社会のうちにおくことができず︑したがって﹁非現
実的な普遍性﹂でしかないのである︒しかも︑この市民社会と ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ 国家との分裂は︑主体そのものの分裂にまですすむのであり︑
体の内実まで浸透させる点にその本質があるといえよう︒ルカ
ーチはこの面をつぎのようにのべている︒﹁この分裂は︑社会
全体についてみられるだけではなく︑さらにはすべての個々の
V9ワイアン
人間にまでもちこまれ︑一個人が精神的な市民と物質的な
配 即
ど に
︑ 叫
' ﹃
プ ユ
声 ー
と 生
き て
い る
釦 イ
グ 竺
ど に
分 裂
す る
の で
マルクスの疎外の弁証法は︑実はこの客観的世界の分裂性を主
594
の︑公民と市民との分裂を結果するのである︒﹁なによりもさ
きにわれわれの確認することは︑いわゆる人権︑すなわち公民
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
の権利とは区別された人間の権利が︑市民社会の成員の権利︑
すなわち利己的人間の︑人間と共同体とから切りはなされた人
( 3 )
間の権利にほかならないという事実である︒﹂このことは︑プ
ルジョワ革命におけるもっともラデイカルなものといわれる一
七九三年のフランス革命憲法のなかに︑きわめてはっきりとし
めされている︒そこでは︑人間の共同存在において実現さるべ
き自由が︑孤立化された人間に局限され歪曲されている︒﹁自由
または抽象的な自由がはっきりとあらわれているのは︑﹁私的
所有﹂においてである︒というよりは︑まさに﹁私的所有﹂に
よって市民社会が支配されているからこそ︑結合の原理ではな
く区別の原理が優越する︒ここに︑マルクスは﹁私的所有﹂こ しろ人間と人間との区分に基づいている︒それはこうした区分
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
の権利であり︑局限された個人の︑自己の局限された個人の︑
ヽ ヽ
( 4 )
︑ ︑
︑ ︑
︑
権利である︒﹂このように︑相互に独立した個人の区分の権利︑ という人権は︑人間と人間との結合に甚づくものではなく︑む ところで︑プルジョワ革命は実は︑この国家と市民社会と
(2 )
あ る
︒ ﹂
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
そが︑国家と市民社会︑さらに公民と市民との分裂性の基礎に
あることをしめしているのであり︑このカテゴリーが﹃経済学
ノート﹄で経済学としてより展開されるのである︒いまは︑こ
には公民と市民とが分裂するということは︑いうまでもなく機
械的な分裂をおこすというのではなく︑市民社会そのものの矛
盾なのである︒すなわち︑市民社会では孤立的個人の原子論的
体系であり︑それらの集国であるが︑それらが相互に区別され
るのみならず︑それらは各人の個人的利益を追求するなかで︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
相互に結びついているものなのである︒この結合がまたのち
に︑﹃経済学ノート﹄で商品生産者として経済学的に定在化さ
れるのであるが︑個人は市民社会において生活し欲求するもの
︑ ︑
︑ ︑
として︑自己の生産物を交換するものとして一定の社会関係に
︑ ︑
入る︒つまり︑市民社会そのものは区分であるとともに︑結合
である︒だが︑その結合は共同体的なもの︑したがって類的本
質ではない︒﹁かれらを結合する唯一の紐帯は︑自然的必要︑欲
( 5 )
望と私利︑所有と利己的一身との保全︑である︒﹂このような マルクスが政治的革命において︑国家と市民社会が︑主体的 よせて﹄にしたがって︑つぎにすすもう︒ のことを︱つの問題点としてのこし︑さらに﹃ユダヤ人問題に
一 九
'90
しまった︒貨幣は︑人間の労働と存在とが人間から疎外された
ものであって︑この疎外されたものが︑人間を支配し︑人間は
( 1 0 )
こ れ
を 礼
拝 す
る の
で あ
る ︒
﹂
プルジョワ社会においては︑このように私有財産が支配し︑
それも商品に︑しかも貨幣に定在化した社会と人間が対立し︑
人間が自らが生みだしたこの客観的世界に従属し︑そのもとに
礼拝するのである︒このような顕倒がおこなわれるということ
は︑人間関係そのものが抽象化され︑その本来の類的性格を失
っているということであり︑抽象化していることである︒この
自己否定的な姿を再び否定することこそ︑人類の自己回復の︑
したがって人間的解放の課題であろう︒﹁現実の個別的な人間
が︑抽象的な公民を自己のうちに取りもどし︑個別的人間のま
までありながら︑その経験的な生活において︑その個人的な労
︑ ︑
︑ ︑
働において︑その個人的な関係において︑類的存在となったと
きはじめて︑つまり自己が自己の固有のカ
f o r c
e s p r o p r e s
を
︑ ︑
︑ ︑
社会的な力として認識し組織し︑したがって社会的な力をもは
︑ ︑
︑ ︑
や政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて︑ ら︑人間界からも自然界からも︑それらに固有の価値を奪って
︑ ︑ ものとして構成された価値である︒だからそれは世界全体か 関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
ト﹄を執筆したのか︑をあきらかにしてきた︒そこでは︑プル したのか︑また︑どのような思想的境地のうえで﹃経済学ノー のような歴史的な実践的課題のもとに国民経済学の研究に着手 以上でわれわれは︑マルクスが四四年から翌年にかけて︑ど 四︑私有財産社会における
経 済 的 諸 カ テ ゴ リ ー の 展 開
プロレクリアートのみの使命だったのである︒
註
( 1 )
﹁ユダヤ人問題によせて﹂全集第一巻三九ニページ︒
( 2 )
ルカーチ﹃若きマルクス﹄一 0
五 ペ
ー ジ
︒
( 3 )
﹁ユダヤ人問題によせて﹂四 0
1•(ージ。( 4 )
前掲書︑四 0
ニ ペ
ー ジ
︒
( 5 )
︵
6 )
︵7 )
前掲書︑四 0
三 ペ
ー ジ
︒
( 8 ) ( 9 )
前掲書︑四 0
五 ペ
ー ジ
︒
( 1 0 )
前 掲 書 ︑ 四 ︱ ︱ ペ ー ジ ︒
( 1 1 )
前掲書︑四 0
七 ペ
ー ジ
︒
アート︑すなわち市民社会において自己否定におちいっている そのときにはじめて︑人間的解放は完成されたことになるので
( 1 1 )
ある︒﹂そして︑この人類的解放の課題は﹃ヘーゲル法哲学批
判序説﹄のなかで︑当時ドイツで生成しつつあったプロレタリ
一 九
四
597
マルクス﹃経済学ノート﹂︵平井︶
あろう︒つまり︑主体の生みだした現実が私有財産の形態をと
り︑この社会関係に組みいれられているのだが︑人間の手から
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
はなれたこの客親的な世界がどのような構造をもつのだろう
を展開せずには︑真に市民社会の矛盾を解明することにならな 係の総体であることをあきらかにしていたが︑この経済的過程 ばあい︑マルクスは市民社会は物質的諸関係であり︑経済諸関
一 九 五
ろで︑いまや︑マルクスが解かねばならないのは︑市民社会に
おいて現実に活動する人間が自己の利益を追求する過程で︑物
か︒すでに︑前節でこの客観的な世界が私有財産であり︑それ
は商品であり貨幣であることが断片的にでてきてはいた︒この はできないところまできていた︒そのかぎり︑経済学はマルク ス思想の本質であり︑それなくしては成立することのできない 要 索 で あ ろ う ︒
ことにリカードウ︑ジェイムズ・ミルそれにマカロックの評注
を中心に︑人間疎外の論理をどのように私有財産のカテゴリー
の展開として錬えあげるかを追求しよう︒ミル評注のなかで︑ 済学ノート﹄を執筆した︒ここで︑われわれはマルクスの評注 マルクスはこのような問題意識をもち︑以上の視角から﹃経 質的生活を営む過程でいかなる在り方をしめすかということで であり︑これなしにはもはや一歩も目己の枇界観を深めること どまるであろう︒したがって︑マルクスの経済学研究は必然的 証法を深めることはできず︑ただ︑ヘーゲル法哲学の顛倒にと に支配され︑その真の共同的在り方は否定されている︒
と こ
殊的利益の体系であって︑その社会関係︵結合︶は区別の原理 生ける個人は実は利己的主体であり︑そのかぎり市民社会は特 なり︑その世界に組みいれられてその類的本質を失っている︒ いては︑人間は自己が生みだした客体が定在化して私有財産と ができたのである︒だが︑いまやマルクスは市民社会において 現実的な生ける個人がとり結ぶ社会諸関係が︑つまり人間の作 りだし︑かつそれと対立する客親的世界のカテゴリーがどのよ
うに形成され展開するかを︑この経済学研究によって解明しな
ければならない︒もし︑このことがなければ︑さきの疎外の弁 矛盾が﹁人間疎外の弁証法﹂としてつかまれた︒この社会にお みたればこそ︑これを超克する立場から否定的に分析すること り︑国家と市民社会`公民と市民︑それに市民社会そのものの った︒と同時にこれを市民社会の矛盾のイデオロギー的表現と ジョワ革命の結果うまれた市民社会の分裂性があきらかにな ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ い︒ここに︑マルクスが国民経済学の研究に出立する根拠があ
598
他の人間と交渉する関係そのものが貨幣という形をとって人間 せて﹄のなかでマルクスが到達した結果であった︒﹁ミルは貨 で直観することから出発している︒これは﹃ユダヤ人問題によ
︑ ︑
︑ 幣の特質を述べて交換の媒介者だといっているが︑まことに適 切で︑またことがらの本質を概念にもたらしている︒貨幣の本 質は︑さしあたり︑それにおいて所有が外在化されている点に あるのではなくて︑人間の作りだしたものがそれをとおしてた
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︑
︑ がいに補完されあうところの媒介的な活動や運動︑つまり人間
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︑
︑ 的・社会的な行為が疎外されて︑それが人間の外に在る質料的
︑ ︑
︑ なもの・貨幣の属性になっている点にある︒人間はこの媒介す る活動そのものを外在化することによって︑ここでは自己を喪 失した︑非人間化された人間として活動しているにすぎない︒
︑ ︑ すなわち︑物と物との関係そのもの︑物に関する人間の活動が︑
人間の外に在りしかも人間の上に在る•ある存在の活動になっ
ている?人間がそのままで人間の仲介者になるかわりに︑この疎
︑ ︑
︑ ︑
︑ 遠な仲介者をとおして︑人間は自己の意志︑自己の活動︑自己の 他の人間にたいする関係が︑自己や他の人間から独立した力と
( 1 )
なっているのを直観する︒﹂つまり︑市民社会における人間が マルクスは私有財産社会における人間疎外の状況を貨幣のなか
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
'0
カ
つまり︑﹁私的所有はなぜ貨幣態にまで進まねばならぬ
する︒しかもこの客観的世界のなかで︑貨幣と私有財産とは内 過程こそが﹃経済学ノート﹄の主題なのである︒ということ 用者︶は︑私的所有の本質の自己喪失態であり︑疎外態であ それが形態を変化したものである︒﹁この仲介者︵貨幣ーー引
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
る︒つまり自己自身に外的となって︑外在化された私的所有で ある︒それは︑私的所有が人間的生産と人間的生産との外在化
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︑ された媒介であり︑人間の外在化された類的活動であるのにち
( 2 )
ようど対応している︒﹂ここに︑はじめて現実の表象として︑
人間の外在化した物が私有財産に︑しかもこの客観的ド物その ものが貨幣に転化し︑外在化することがあきらかとなった︒こ の人間の外なる客観的世界そのものが外在化し︑自己転化する は︑この私有財産の関係はそれ自身の内部で︱つの合法則性を もち︑人間の手から客観的に独立した運動体となることを意味 的関連をもち︑この関連こそがいまや問題なのである︒
では一体︑この客観的過程はいかにして展開するのだろう のであろうか︒というのはこうである︒人間は社会的な存在と
して交換にまで進まざるをえないし︑また︑交換は価値にまで に対立している︒しかも︑これは私有財産関係の頂点であり︑
一 九
六
600
る︒そのかぎり︑また商品生産物は貨幣と同一である︒という
よりは︑商品生産物相互は商品価値として交換される︒﹁交換
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
は私的所有と私的所有との抽象的な関係である︒そしてこの抽
︑
︑
︑ .
︑
︑
( 6 )
.
象的な関係が価値である︒﹂しかも︑この価値としての商品の
究極の姿こそ貨幣であった︒﹁価値の価値としての真に現実的
( 7 )
な実存こそ︑なかんずく貨幣であった︒﹂この認識がまた価値
法則による競争︑したがって自由競争による独占の形成に関す
るマルクスの見解と結びついていることはいうまでもない︒
このように︑私的所有物が価値物として商品から貨幣に外在
化し︑この貨幣の形態においてその矛盾が頂点に達するのであ
るが︑このことは逆に貨幣こそ私有財産の魂だということにな
るのである︒ところで︑より興味あることは︑ここで到達した
理物︵手形︑為替︑債券など︶へ形態を変化し︑信用制度が展
開するのであるが︑この展開過程がまた貨幣のもつ矛盾したが
う︒なぜなら︑﹁貨幣が貨幣として直接的にあらわれる定在は︑
それが抽象的であれば︑それだけいっそう貨幣の本質にふさわ って疎外の進化の過程としてつかまれているということであろ 貨幣そのものがさらに金属的素材から紙幣または紙製の貨幣代
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
( 5 )
を な す 対 象 の 特 有 の 本 性 で あ る ﹂ ︒
つまり︑その基礎は価値にあ
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
けのもとに︑実は最大の不信︑完全な疎外となっているだけ け︑その定在要索が自然発生的であることが少なければ少ない だけ︑それが人間の創造したものであればあるだけ︑つまり国 民経済学的にいうと︑それの貨幣としての価値がそれの実存態 たる素材の交換価値もしくは貨幣価値にたいしてもつ反比例的 関係が大であればあるだけ︑あの貨幣が貨幣として直接にあら
( 8 )
われる定在はますます貨幣の本質にふさわしい︒﹂ところが︑
サン︐シモン主義者たちによれば︑こうした信用制度が発展す
れば︑疎遠な物質的力の支配が粉砕されてしまうから︑人間が
人間関係に回復される︑というのである︒だが﹁かかる疎外の
止揚︑つまり人間の人間自身への︑またしたがって人間の他の
︑︑︑︑
( 9 )
人間へのかかる還帰は仮象にすぎない︒﹂むしろ︑貨幣の疎外
作用が人間そのものに転化しているために︑疎外はいよいよ激
しくなる︒﹁ここでは疎外の境地がもはや商品︑金属︑紙ではな
︑
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︑
︑
くて︑道徳的定在︑社会的定在︑人間の心の内奥にほかならぬ
︑ ︑
だけに︑また疎外が︑人間の人間にたいする信頼という見せか がなら︑しかも他面では非生産物として現われれば現われるだ もつことが少なければ少ないだけ︑それが人間の生産物であり しいのであって︑貨幣が他の諸商品にたいして原生的な関係を
一 九
八
601
マ ル ク ス ﹃ 経 済 学 ノ ー ト ﹄ ︵ 平 井 ︶ にその生産過程と相即して考えられているのである︒だが︑
一 九 九
現象する︒分業は人間をトコトンまで抽象的な存在に︑つまり ように︑活動そのものの相互的な補完と交換とは分業となって
人間の生産した物であった︒すなわち︑商品の交換過程は同時生産物の相互的な交換が交換取引︑暴利商業となって現象する をつうじて分析し︑商品生産物相互が価値物として交換され︑
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
そして商品が貨幣にまで移行し︑この過程のうらに私的所有者
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
の社会的な関係がかくれていた︒しかも︑
この交換活動は人間
の本質的な営みであり︑人間を人間として確立するのである︒
﹁生産そのものの内部での人間の活動のおたがいの間での交換
︑
︑
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︑
︑
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︑
︑
︑
︑
︑ も︑人間の生産物のおたがいの間での交換も︑ひとしく類的活 動であり︑類的精神である︒そしてそれの現実の︑意識的な真
︑
︑
︑
︑
︑
︑
(1
1)
の定在は社会的活動であり︑社会的享受である︒﹂ところが︑
人間が共同的存在として作りだすものが︑市民社会では交換過 程として外在化し︑人間に否定的に対立している︒つまり︑社 会的結合であり交通たるべきものが︑分裂としてあらわれてい
︑ ︑
るのである︒マルクスはこの私的所有物相互の交換のうらに
は︑すでに社会的分業を考えており︑交換される商品は同時に
﹃経済学ノート﹄では︑生産や分業は交換過程を前提とし︑そ
これまで︑マルクスは私有財産社会の内部構造を経済学研究
︑
︑
︑
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︑
︑
︑
︑
︑
︑ に︑あの外見上の止揚と還帰とはいっそう恥ずべき︑またいっ
ヽ ヽ
( 1 0 )
そう極端な自己疎外であり非人間化である︒﹂
る︒こうして︑私的生産物の交換は︑分業となってあらわれ こからとらえられていた︒というよりは︑交換過程のなかで︑ そこから生産へと疎外の弁証法を深化させるのである︒マルク スがこれを展開する仕方は︑つぎのようである︒﹁交換を前提
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
すると︑労働は直接に営利をめざす労働になる︒
. . . . . .
というの
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︑
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︑
︑ は︑交換によって︑かれの労働は部分的に営利の源泉になって しまう︒労働の目的と定在とは別のものとなってしまうのであ 生産されるのではない︒生産が多面的になればなるだけ︑した
一方では生産者の欲求が多面的になればなるだけ︑他 方では生産者の仕事が一而的になればなるだけ︑それだけいっ
︑ ︑
︑ ︑
そうかれの労働は営利労働のカテゴリーに包括され︑ついには
( 1 2 )
労働はもはやこのような意味しかもたなくなった:⁝.﹂のであ る︒しかも分業において︑人間はいよいよ分割され︑私有財産 社会の分裂性が全面的にあらわれるであろう︒
﹁ 人
間 的
活 動
の
が っ
て ︑
って︑もはや生産者にたいする直接の・人格的な関係のために る︒生産物は価値︑交換価値︑等価物として生産されるのであ
602
施盤などにしてしまい︑ついにかれを精神上︑肉体上の不具者
︑( 1
3 )
' に
変 え
る の
で あ
る ︒
﹂ こうして︑私有財産社会が商品生産物の交換からその生産に まで移行するや︑労働そのものが分裂し︑労働と資本に分裂す る︒﹁労働の自己自身からの分裂は︑労働者の資本家からの分
( 1 4 )
裂でちり︑労働と資本との分裂である︒﹂
註
( 1
)
﹃経済学ノート﹄杉原・重田訳八七ページ︵傍点は
著 者
︶ ︒
( 2
)
前掲書︑八七ー八ベージ︒
( 3
)
前掲書︑八八ページ︒
( 4
)
前掲書︑八九ページ︒
(5 )
前掲書︑一
0
0 ペ
ー ジ
︒
( 6 )
︵ 7
)
前掲書︑八九ページ︒
( 8
)
前掲書︑九 0 ー 一 ベ ー ジ ︒
( 9
)
︵ 1 0
)
前 掲
害 ︑
九 一
ー ニ
︒ ヘ
ー ジ
︒
( 1 1 )
前掲書︑九六ベージ︒
( 1 2 )
前 掲 書 ︑ 一 0
ニ ペ
ー ジ
︒
(1 3)前掲書︑一 0
四 ペ
ー ジ
︒
( 1 4 )
前掲書
1
0 五
ペ ー
ジ ︒
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第五・六合併号
過程を展開し︑商品生産物および貨幣の交換過程のなかから︑
ところで︑マルクスは﹃経済学ノート﹄で︑市民社会の経済 よびそのイデオロギーたるプルジョワ経済学を克服しようとし マルクスが人閻の普遍的な共同体の立場から︑この市民社会お 古典学派を中心とする経済学研究をつうじてはじめて可能であ になった︒そして︑この経済的諸カテゴリーの展開は主として
五︑﹁経済学ノート﹄と
﹁経済学・哲学手稿﹂
したものでありながら客観的なものとして私的商品の交換の体 系としてあらわれ︑それが価値物としていかに貨幣に推転する か︑また︑貨幣そのものは信用制度のなかでいかなる形態変化 をとげるのか︑そして最後に交換体系が労働をどう規定し︑ま た分業としてあらわれるのか︑その経済の内部構造があきらか った︒とともに︑この経済学は単にこの私有財産関係を事実と
みとめるのみで︑これを外在化または分裂性としてとらえるこ とができなかったことは︑いうまでもないであろうし︑また︑
たことも︑自明であろう︒
市民社会が私有財産の社会であり︑この社会が人間の作り出
二 00
603
マ ル ク ス ﹃ 経 済 学 ー ト ﹄ ︵ 平 井 ︶ 産過程への転換があるのであって︑ここに非連続がみられよ 的地半ははっきり生産過程となっており︑ここにはじめて生産 の主軸となり︑その展開が生産過程つまり人問と自然との物質 想されていたということになろう︒そして︑との私有財産社会 たる資本制社会において︑賃労働と資本との対立から︑﹁疎外 さ
れ た
労 働
﹂
のカテゴリーが展開されるのは︑﹃経済学・哲学
手稿﹄においてであり︑ここにおいてそれが完成された形態で とらえられるといえよう︒このばあい︑すでにのべてきたよう に﹃手稿﹄では︑資本主義社会における賃労働そのものが理論 代謝の過程においてつかまれ︑類的活動としての労働から人問 の疎外過程が理論的につかまれた︒とすれば︑社会分析の理論 過程が理論の分子から分母へと転換をおこなうことになるので ある︒ということは︑経済学のうえで︑商品から貨幣へのカテ ゴリー展開から︑貨幣より資本への展開には︑交換過程から生
う︒だが︑それらは機械的に分離しているのではなく︑すでに は︑﹁疎外の弁証法﹂からみると︑賃労働と資本との対立が構 裂﹂︑そして労働と資本との分裂をみたのである︒ということ そこにおいて労働の抽象化過程︑﹁労働の自己自身からの分 その究極のゲネシスの根拠たる生産および分業にまで到達し
︑ ︒
し