ヒックスの勞働需要論 : 雇用理論の学史的研究の 一部
その他のタイトル Hicks's Theory of Demand for Labour
著者 三谷 友吉
雑誌名 關西大學經済論集
巻 4
号 7‑8
ページ 637‑659
発行年 1955‑02‑10
URL http://hdl.handle.net/10112/15779
637
( 1 )
われわれは
J.R
・ヒックスがその著﹃賃銀の理論﹄のなかでのべている労佑需要論をとりあげて考察せんとす
るのであるが︑その労佑需要論の基礎をなしているものは限界生産力の原理である︒そこでまずこの限界生産力の
原理にすこしふれておこう︒
がんらい限界生産力の原理は所得の形成を因果的に説明するためにもちいられた︒おのおのの生産要素の限界生
産力がその生産要素の価格としての所得を決定する原因であるとかんがえられた︒かくて賃銀︑利子︑地代はそれ
ぞれ労仇︑資本︑土地用役の限界生産力の大きさによってさだまるととかれるのである︒しかしまた限界生産力の
原理は企業の均衡条件をしめすためにもちいられた︒この場合には︑
もきをおき︑もはやおのおのの生産要素の限界生産力をもつてその生産要素の価格を決定するものとはかんがえな
い︒ただ均衡状態においてはおのおのの生産要素の限界生産力とそれの価格との間にある一定の関係が存在するこ
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
は ま
ヒッ
ーク
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ス
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き 労
働 需 要 論
ー ー 雇 用 理 論 の 学 史 的 研 究
一般均衡論の立場にたつて函数的な記述にお の
谷
一部 ーー
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友
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蓄積と技術的進歩の問題に関聯してその理論を吟味するであろう︒ とくに注目にあたいするものである︒ ヒックKの労働需要論︵三谷︶
とをあきらかにし︑かくして同時に諸所得の一定の分配関係を説明しえたとする︒
( 2 )
・
( 3 )
このあどの形態はウィクスティードやワルラスまでさかのぼるのであるが︑それはのちに企業の労仇需要の原理
としてもちいられるようになったのである︒このように限界生産力の原理をもつて労佑需要量の決定を説明せんと
する学説をとなえた代表的な学者としてはマアツャルをあげることができるであろう︒かれが﹃経済学原理﹄第六
版の第六篇﹁国民所得の分配﹂第一章﹁分配序論﹂のなかでのべている大牧羊場における羊飼の限界︵純︶生産物
( 4 )
についての例解をもつてする労佑需要論は有名である︒ジョン・・ロピンソンの著書﹃不完全競争の経済学﹄の第七
( 5 )
篇﹁生産要素に対する需要﹂のなかの労仇需要論はマアツャルの理論の流れをくむものとみなすことができる︒わ
れわれの考察せんとするヒックズの労佑需要論も同一の伝統に属するものである︒かれは﹃賃銀の理論﹄の序言に
おいて﹁われわれは当然にマアツャルの世代の経済学者たちによって賃銀理論の基礎とみなされた原理ーー限界生
産力の原理'~の考察から出発する。この原理の妓力と意義を疑うべきいかなる理由をもわれわれはみないであろ
( 6 )
う﹂との.べて︑その系統玄あきらかにしている︒このようにヒックスの理論は限界生産力の原理にもとづいている
のであるが︑なかんづく同書の第六章﹁分配と経済的進歩﹂はこの原理をもつて古典学派経済学者以来のもっとも
由緒ある経済問題のひとつである経済的進歩の問題についての積極的な解決をあたえようとしているのであって︑
われわれは以下においてまずヒックスの労佑需要論についてあらまし考察したのちに︑経済的進歩︑
註
( 1 )
J.
R•Hig
s , Th e Th eo ry of W a g e s ,
19 32 .
内田忠遥沢﹁賃銀の理論﹂昭和二十七年︒ とくに資本
639
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
( 2 )
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大埠{今iノh助訳﹁器H
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冊三七ー三九頁︒
(5 )
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Co m p et i t io n , 1 9 3 3, p p.
23
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(6 ) H ic k
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o p. c i t . ,
p .
v i .
訳 書
﹁ 序 言
﹂
ヒックスは﹃賃銀の理論﹄の第一章﹁限界生産力と労佑の需要﹂のなかで企業の労仇需要量すなわち﹁ある雇主
が雇入れようと欲する労仇者の数﹂を説明してつぎのようにのべている︒
仇者の限界生産物ー—換言すれば、現実にえられる総物理生産物と、もし労仇者数がひとりだけ増加もしくは減少
せられたならば︑他の諸資源の同一量からえられるものであった総物理生産物との差ーー̲の価値をして賃銀と均等
ならしめる労仇者数を雇入れることが︑雇主にとつてもっとも有利であろう︒この方法において各雇主の労仇需要
( 1 )
が決定される︒﹂それからそれらを加算して︑すべての雇主の総需要が決定されるのである︒そしてヒックスによ
れば︑賃銀と労仇者の限界生産物の価値が等しいということは均衡の基本条件にほかならない︒けだし﹁均衡にお
いては総需要が総供給に等しいことを要するから︑賃銀はちょうど利用しうべき労仇者の総数の雇用を可能ならし
( 2 )
めるものでなければならない︒これは︑利用しうべき労仇者の限界生産物の価値と均等であるにちがいない︒﹂
この見解は従来のものと匠とんど同じであるからたちいつて考察するまでもないであろう︒そこでただちにヒッ ﹁任意のあたえられた賃銀において︑労
つぎ
に︑ ヒ
ック
スの
労働
需要
論︵
三谷
︶
クスが企業の雇用労仇者数の依存する二つの事情︑
( 3 )
それが生産において採用しようと決意する方法についてのべているところをみることにしよう︒
ヒックスによれば︑均衡においては︑生産規模と生産方法は︑それの変化によって雇主の利する機会がもはやの
こっていないというようにえらばれなければならない︒かくて︑さしあたり生産方法が固定的であると仮定するな
らば︑各企業における生産羅︵したがつて労佑に対する需要︶を決定するものは︑生産物価格がその生産費ーー士正
常利潤に対する酌羅をふくめてーー'に等しかるべきであるという条件である︒もし特定の産業における賃銀がいつ
そう高くなるならば︑生産費は売価に比して相対的に高められ︑その結果︑雇主の利潤は低下せしめられるであろ
う︒それゆえに︑これらの雇主は︑自己の資源を右の産業に使用することは︑同様の資源を他の諸産業に使用する
場合にくらべて︑相対的に利益の少くなったことを見出すであろう︒そのためかれらの注意は他の諸産業にむかう
ようになり︑最初の産業における生産は牧縮するであろう︒そして生産の牧縮はその産業における探底比例的な労
仇需要の牧縮にみちびくであるう︒まったく同じように︑賃銀の下落は︑右の産業をば他の諸資源の投資にとつて
相対的に有利ならしめるであろう︒新しい資本が流入し︑新しい企業が設立せられ︑そうして労仇に対する需要は
拡張するであるう︒もしその産業が掏衡状態にあるべきであるならば︑
( 4 )
在してはならない︒生産費は売価に等しくなければならない︒ この拡張への︑もしくは牧縮への傾向が存
一定の産出醤を生産する二つの異った方法︵諸生産要素の結合の仕方︶を企業者がえらばなければなら
ないときには︑かれは費用の最小である方法をえらぶものと期待してよい︒なぜなれば︑ともかくまず第一に︑
れの費用を低下させるものは︑かれの利潤を増加するからである︒もし利用しうべきもっとも低廉の生産方法を雇 すなわち︵一︶企業が産出しようとする生産物の量︑
ニ四
か
︵ 二 ︶
6lfl
主が使用していないならば︑かれらは変化をおこなおうとする誘因をもつ︒かくてそこには均衡は存在しない︒均
衡が成立するためには産出量単位あたりの極小生産費という条件が必要である︒そしてすべての生産要素の価格を
あたえられたものと仮定するならば︑諸要素の﹁最小費用﹂結合は︑諸要素の限界生産物がそれらの価格に比例的
( 5 )
であるという条件によってあたえられるのである︒
ヒックスは右のような二つの奴果︑すなわち生産規模への放果と生産方法への炊果とを区別することをきわめて
C 6 )
重視するのであって︑つぎのようなことをのべている︒
いる︒それは︑生産規模におよ匠す炊果と生産方法におよぼす炊果との区別を力強く明晰にきわだたせる︒それは
( 7 )
たしかに現実の世界にみのり豊かにあてはめられうる区別である︒﹂
いの限界生産力理論とマアシャルの﹁純生産力﹂説との差異に論及しているから︑
かれ
はい
う︑
二五
ここにそれを引用しておこう︒
﹁限界生産力理論と﹃純生産力﹄説との差異はたんなる仮定の差異にすぎない︒
関する説明にはやくだつが︑ ﹃純生産力﹄は生産
方法が固定的であると仮定し︑限界生産力はそれが可変的であると仮定する︒事実においては︑それは低とんどつ
ねにある程度まで可変的であることは︑疑問の余地がきわめてすくない︒したがつて︑限界生産力理論は他の一方
( 8 )
よりもいつそうふかい意義をもつている︒﹂マアシャルの純生産力説は生産量の決定に
( 9 )
いかなる生産方法を採用するかの問題を解明することはできないのである︒ かくてヒックスによれば︑
しかしヒックスのこの見方には異論がとなえられるであろう︒マアジャルの﹁純生産力﹂という概念はけつして
生産方法の固定的であることを仮定するものではない︒このことはかれがいわゆる代用の原理を重視していること
によってもあきらかである︒しかしたとえ生産方法が可変的であり︑
ヒックスの労働需要論︵三谷︶ したがつて労仇と機械などとの間に代用関係 そしてヒックスはこの区別に関聯して往んら ﹁わたくしのモデルはすくなくともひとつの利点をもつて
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
があっても︑労佑者数を増減するときには︑たとえば原料の数量を調整しなければならない︒それゆえに︑労佑の
みの物理的な限界生産物を決定することはできない︒この場合︑労佑者数の増減によって総物理生産物の増加また
は減少する部分の価値から右の調整にともなう費用を差引いた残りのものを労仇の純生産物とかんがえるよりほか
( 1 0 )
ないのである︒かくて賃銀に比例するのは労仇の限界使用によって生ずる純生産物でなければならない︒右の事実
は往んらいの限界生産力理論の大きな困難をしめすものである︒されば︑ヒックスのように︑生産方法がほとんど
( 1 1 )
つねにある程度まで可変的であることを理由として︑限界生産力理論の優越を主張することはできないであろう︒
註
(1 )H ig s¥f
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, p.
8.
訳書︱一頁︒
( 2 ) I b
i d . ,
p .
8. 訳書︱一頁︒
( 3 )
I b i d
. ,
p .
10 .
訳書 一三 頁︒
( 4 )
I b
i d . ,
p p
1 1 .
1
12 .
訳傘 曰一 四ー 一五 頁︒
( 5 ) I b
i d . ,
p p
14ー.
15 .
釈書
.一 七ー 一八 頁︒ (6 )
ヒックK
はこの区別においてウィクセルの見解の影響をうけているようにおもわれる
e
Cf•
K .
W i c k
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126
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!M!~-lfヘ・三谷友吉訳「国民経済学講義」第一巻二0九頁以下。
( 7 )
前掲訳書﹁日本語版への序言﹂︒
(8 )H ig
こs
o p .
c i t . ,
p .
14 .
訳書 一七 頁︒ (9 )
I b i d
. ,
p p.
12 │
13 .
訳奎
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︱五 ー一 六頁
︒
(10)
C f .
M ar s h al l , o p c i t . . , p p.
426ー4送.訳書第四分冊三四頁︒
(1 1) J. A
・シュムペークーは晩年にはほんらいの限界生産力理論に対して批判的で︑マアシャルの純生産力説を相当に評
価していたようである︒
C f .
J.
A
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c A n al y s is , 1 95 4, p p
1.
04
2 1
10 43 .
二六
643
(
‑
︶
とし
︑ 配におよぼす炊果について論じているのであるが︑まず︑経済理論の取扱わなければならない﹁進歩﹂の種類とし さてわれわれの主題にうつることとしよう︒ヒックスは第六章﹁分配と経済的進歩﹂のなかで︑経済的進歩が分
︵ 三
︶
二七
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ヽ・︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑任意の生産要索の供給増加は︑もしその要索に対する需要の弾力性が一より大であるならば︑その要素に つぎのような諸命題をかかげている︒すなわち︑ 人口の増加不変的人口の労佑能力または労佑意志の増加資本の増加発明および改良
をあげたのち︑﹁純粋に分析的な視点よりすれば︑(‑)︵二︶および︵三︶は同じ問題である︒労仇者︑労仇また
は資本の量的変化の結果はすべて一生産要素の供給変化が分配におよぼす炊果という一般的問題の特殊な場合とし
( 1 )
て取扱われうる﹂とのべている︒かくて論題は一生産要素の供給変化の場合と発明および改良の場合とにおいて論
究せられる︒以下においてわれわれはこれら二つの場合についてヒックスの論じているところを概述し︑
本の蓄積と技術的進歩が労佑需要量におよぼす影響という観点からかれの議論を検討するであろう︒
まず一生産要素の供給変化の場合について︑ ︵ 四 ︶ ︵ 二 ︶
(
‑
︶
て ︑
ヒッ
クス
の労
働需
要論
︵三
谷︶
ついで資
ヒックスは問題への解答は三つの定理の形式でのべることができる
変的要素の増加が小であるならば︑附加的の諸単位に対する報酬は︑それらの諸単位が全生産物に対してくわえた
附加にほぼ等しいであろう︒しかし可変的要素の限界生産物がいまや減少するから︑前から存在していた諸単位は
以前にくらべてより少い報酬をえ︑したがつてもとの総生産物はこれらの諸単位と他の諸要索との間に︑後者にとつ
﹁代替の弾力性﹂とは︑可変的要素が他の諸要素と
代替されうる容易さの尺度である︒どのような事情においてであれ︑もしその要素の同じ数量が生産物の一単位を
もたらすに必要とされるならば︑それの代替の弾力性は零である︒もしすべての要素が実際上の目的のために同l
であり︑それゆえに可変的要素がいずれの協仇的要素とも容易に代替されうるならば︑代替の弾力性は無限大であ
る︒代替の弾力性が一である場合は︑ただっぎのごとくいうことによって言葉をもつて定義されうる︒すなわち︑
この場合には︵最初に︑他の諸要素の供給になんらかの附随的変化がおこる前に︶︑一要素の増加は︑
一括
した
すぺ
ての他の諸要素の限界生産物を︑総生産物が増加した割合と同じ割合で増加せしめるであろうということ︑これで
( 2 )
ある
ヒックスによれば﹁︱つの新しい定義をふくむところの新しい定理﹂である︒しかしか右のうち第三の命題は︑ ︒
れの﹁代替の弾力性﹂の定義はかならずしも正確であるとはいえない︒その後に当該の問題をめぐつて諸学者の間 ていつそう有利な比率で分割されるであろう︒それゆえに他の諸要素に対する報酬は増加せしめられるであろう︒
︑
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︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
.︵三︶任意の要素の供給増加は︑もしその﹁代替の弾力性﹂が一よりも大であるならば︑その相対的分前︵すな
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑̀︑︑︑︑︑︑︑︑︑
わち︑国民分配分に対するそれの割合︶を増加するであろう︒ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑̀︑︑︑̀︑︑︑︑帰すべき絶対的分前︵すなわち実質所得︶を増加するであろう︒︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑任意の要素の供給増加は︑一括したすべての他の諸要素の絶対的分前をつねに増加するであろう︒もし可
︵ 二 ︶
ヒックKの労働需要論︵三谷︶ニ八
644
に論争がおこったのであるが︑
二九
ヒックスはその結果にかんがみ一九三六年に論文﹁分配と経済的進歩
を書いて論述をあらためるにいたった︒それでつぎにこの論文の要点をしるしておく︒
ヒックスはまず二要素︑完全競争および﹁生産規模に対する不変的牧益﹂を仮定する︒ここに生産規模に対する
不変的牧益というのは﹁すべての要素の同じ割合における増加が︑どの要素の限界生産物をも不変のままにおくと
ころの︑技術的条件﹂である︒これは生産函数が一次の同次函数である場合に仕かならない︒諸要素のある特定の
結合から出発して︑すべての要素を同じ割合で変化せしめることから生ずる生産物の大きさについてみる︒諸要素
の割合は不変であるから︑要素群は単一の複合的要素とみなしうる︒要素群の限界生産物は個々の要素の限界生産
物の総和である︒後者は複合的要素の量の変化にかかわらずどこまでも不変であるから︑前者もまたどこまでも不
変でなければならない︒かくしてそこには複合的要素に対する不変的限界牧益がある︒しかし︑もし限界牧益がは
じめから終りまで不変であるならば︑限界牧益は平均牧益に等しい︒かくして︑もし各要素がその限界生産物に応
( 5 )
じて報酬をうけるならば︑総生産物は完全にとりつくされてしまうであろう︒
かくてヒックスによれば︑不変的牧益の仮定のもとでは︑すべての要素が同じ割合で増加するとき︑どの要素の
.限界生産物も変化しない︒ただ諸要索の使用される割合の変化からのみ限界生産物の変化がおこるのである︒かく
して限界生産物は諸要素の使用される比率だけに依存する︒それゆえに︑諸要索の相対的価値は︑諸要素の使用さ
れる比率だけに依存するわけである︒二要素だけしか存在しない場合には︑左図におけるように︑一方の軸に使用
される要素の量の比率(A/B)を︑他方の軸に要素の単位あたりの価値の比率(EQlpb)を測つて︑ひとつの曲線を
えがくことができる︒仮定された条件のもとではこの曲線はまったく確定的であって︑それが下方に傾斜すること
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
0 ‑
( 3 )
改訂
論述
﹂
そしてヒックスはさらにすすんでつぎのようにのべている︒
名/P6 ヒックスの労働需要論︵三谷︶
︒ ‑4/8
︵これは通常の牧益逓減の法則である︒︶
P a
A
P a . A
x
ー ー
11
A B
AB
う︒ところが︑この面積は
これか
一 方 ︑
A
︑︑
︑︑
︑
が均衡の安定のための必要条件である︒この曲線の弾力性を代替の弾力
ヽ
( 6 )
︵7)性とよぷ6
もし代替の弾力性が一よりも大であるならば︑Aの使用がBの使用に
比し相対的に増加することは︑曲線の下の面積を増加せしめるであろ
であって︑総生産物が諸要索間に分配される比率にほかならない︒かよ
うに︑代替の弾力性が一よりも犬である場合には︑Aの相対的分前はそ
( 8 )
れの使用の相対的増加によって増加されるのである︒
﹁もし要素Bの使用量は不変にたもたれ︑
のそれは増加するならば︑Aの限界生産物は減少するであろう︒
ら直接にみちびかれることは︑もしAがその限界生産物に応じて報酬をうけるならば︑Aの使用が増加するとき︑
要索
Bに帰属する生産物の総分前は増加しなければならないということである︒かつまた︑生産規模に対する不変
的牧益の条件のもとでは︑要素Aの増加は要素Bの限界生産物を増大せしめるにちがいない︒けだし︑
知つているように︑Bのみの増加はBの限界生産物を低減せしめるにちがいない︒
一 方 ︑
われわれの
双方の要素の比例的増加
はその限界生産物を変化させずにおくものである︒Aの増加は︑それゆえに︑Bの増加がもつ炊果を相殺するにち
゜
647
は ︑
( 9 )
がいない︒したがつて︑Aのみの増加はBの限界生産物を上昇せしめるであろう︒﹂
以上がヒックスの議論の概要である︒かれはなお前掲のごとき諸々の単純化の仮定をとりさつんたときにあらわれ
る種々の錯綜についても詳論しているのであるが︑
証は物理的な限界生産力の概念をもちいており︑
一定の賃銀水準のもとで均衡と調和しうる ここではそれにたちいらなくてもよいであろう︒またかれの論
この点に疑問が存するのであるが︑これにはのちに論及すること
とし︑ただちに当面の問題にむかうことにしよう︒それは資本蓄積が労佑需要量におよぼす影響の問題であって︑
ヒックスの説はこれにいかなる解答をあたえることができるであるうか︒もっとも︑ヒックスは︑社会的所得の諸
生産要素間への分配をば論題となし︑これを解決するための基準をえるために企業の生産物の諸生産要素への帰属
( 1 0 )
の法則を研究し︑そのさい一生産要素の供給変化の諸炊果を考察しているのであって︑直接に企業の諸生産要素に
対する需要量の決定を論じているのではない︒しかしかれの説は上記の問題に適用することができるし︑また適用
されているのである︒すなわち︑それはつぎのごときものである︒もし一定の労仇量に対して使用される資本量が
増加するならば︑資本の限界生産力は減少するであろう︒しかし他方において労佑の限界生産力は増大するはずで
ある︒そして資本量の減少は反対の結果を生ずるであろう︒かくて﹁他の事情にして等しければ︑資本の供給増加
一定数の労仇者が雇用されるところの実質賃銀を高めるであろう︒同様にして︑それは一定水準の実質賃銀で
雇用しうる人数を高めるであろう︒これに反して︑資本の供給減少は︑
( 1 1 )
ところの雇用人数を減少せしめるであろう︒﹂
これによって当面の問題に対するヒックスの解答を知ることができる︒それはかれの議論から当然にでてくるも
のであり︑抽象的には思考しえられることである︒しかしながら現実においてはどうであろうか︒まず資本の限界
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
ヒックスの労慟需要論︵三谷︶
生産力という概念そのものが問題となるであろう︒ヒックスはさきの議論において資本の維持に関する錯綜を無視
( 1 2 )
しているのであるが︑しかしのちにいたつて資本の減価償却の問題をとりあげてつぎのようにのべている︒
の場合にそうであるように︑われわれの二要素中のひとつが資本・:・:であるか︑または資本をふくむときには︑そ
のために特別の困難が発生する︒粗産出量の一部は資本の減価を償うためにとつておかれなければならない︒
. . . . .
.
実際上は減価償却の大きさはいちじるしく恣意的である︒けだし資本はかならずしも同じ物理的形態で置換されえ
ない・・・・・・からである︒そうして減価償却が貨幣で表示されるからには︑それは貨幣的攪乱によってかなりの影響を
こうむるかもしれない︒⁝・,.ひとは︑資本の所得というのは油断のならない概念であることを記憶しなければなら
( 1 3 )
ない
ので
ある
︒﹂
かくして資本の限界生産力の大きさは実際上きわめて恣意的なものであり︑油断のならない概念であるといわな
ければならないが︑しかもその限界生産力そのものは均衡が成立したのちにはじめて決定されるものであって︑かか
る概念では︑資本増加そのもの︑換言すれば新投資は説明されえないであろう︒そこでわれわれはケインズの見解
に眼をむけなければならない︒ケインズは﹁資本が現在その限界生産カ・:
. .
.
に相当する牧益をえているということ
( 1 4 )
を仮定する通常の分配論は定常状態においてのみ妥当する﹂とかんがえる︒そして新投資の説明には資本の限界炊
率という概念をもちいるのである︒すなわち︑かれによれば︑ひとが一定の投資物または資本資産を購入するのは︑
かれがその資産の存続期間をつうじて︑それの産出量を販売して︑その産出量をうるに要する運転費を差引いたの
ちに獲得しうると期待する予想的牧入の蕃列に対する権利を買うのである︒この年金の系列
Q1 ,Q 2,
⁝⁝
QD
を投資
物の予想牧益とよぷ︒これに対立するものは資本資産の供給価格である︒ひとつの資本資産の予想牧益とその供給
﹁通
例
649
価格との間の関係︑換言すれば︑その類型の資本の附加的な一単位の予想牧益とその単位を生産するに要する費用
との間の関係は︑その類型の資本の限界奴率をしめす︒
産からそれの存続期間をつうじてえられると期待される牧入によってあたえられる年金の系列の現在値をしてそのa
( 1 5 )
供給価格とちょうど等しからしめる割引率に相当するものとして定義される︒﹂そしてケインズによれば︑かかる
( 1 6 )
資本の限界炊率が市場利子率に等しくなるまで︑投資がおこなわれるのである︒
新投資の問題を解明するものとしてケインズの資本の限界奴率の概念が資本の限界生産力の概念よりもはるかに
現実的でありかつ致果的であることは否定できない︒ところで︑ケインズにおいては︑右の場合に労仇需要量の決
定はいかにかんがえられているのであろうか︒資本資産の予想的牧入を計算するときには︑その産出量の販売額か
らその産出置をうるに要する運転費を差引かなければならないが︑その運転費のうち主要なものは労佑費用であろ
う︒かくてあらかじめ一定の労仇費用がさだまつており︑それゆえに一定の賃銀と労仇者数があたえられていなけ
ればならない︒ケイシズはこの場合の労仇需要量の決定についてとくに説明してはいないのであるが︑それはとも
かくも︑資本の限界奴率が利子率よりも高いかぎり︑投資がおこなわれ︑
( 1 7 )
もなって労仇需要量も増加することになるのであろう︒ かくて投資が増加するならば︑それにとヽ
註
( 1 ) m
s , g
Th
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ry
f oW
ag
es
,
p .
1 1 5
. 訳書一三七頁︒
(2 ) Ibid••
pp
.
1 1 5 │
1 1 7 . 訳 事
I一
三八 ー'
‑三 九頁
︒ (3 ) H ic k s , D
i s t r
i b u t
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S t u d
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t .
19
36
).
この論
文 の 翻 訳 は 内 田 忠 褥 訳
﹁ 賃 銀 の 理 論
﹂ の な か に お さ め ら れ て い る
︒ 以 下 の 引 用 は そ の 訳 文 に よ る
︒
. (4 )
ヒックK
はこの論文の冒頭においてつぎのようにのべている︒﹁本誌︹レヴィウ・オプ・エ
nノミック・スクディズ︺
ヒックスの労働需要論︵三谷︶ ﹁もっと精確にいえば︑資本の限界妓率とは︑その資本資
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
およびその他の雑誌の諸頁をしめてきた︑代替の弾力性に関する長きにわたる論争は
Aある種の責任をこの概念の最初の
癸明者に課しているように感ぜられる︒わたくしは﹃賃銀の理論﹄の分配と経済的進歩に関する章を読みかえすとぎ︑そ れがゆゆしく時勢おくれになったことを気づいているーー
4たとえそれがおおいに間違つているとはおもわないまでも︒
が︑わたくしは︑最近の諸々の貢献を考慮にいれた改訂論述を出すのは自分の義務であると惑ずる︒それがこの論文の目
的である︒﹂︵前褐訳書二九七頁︒︶
(5 ) 前褐訳書二九九ー三
00
頁 ︒ (6 )
同●︑三OOI三0
一頁
︒ (7 )
この代替の弾力性の定義は
Jo
an
R ob i n so n T,
he
E 8
no
mi
cs
0 f
I mp e r fe c
、であたえられている定義t Comp~titionp.256
に等しい︒同上︑三0五頁註参照︒
( 8 )
同●︑三01‑三0
二頁
︒ (9 )
同上︑三0
ニー
︱ 1 ] 0
三頁
︒
(10)同●︑二九八頁︒
(1 1) mg s
こo p .
c i t . ,
p .
1 9 9 .
訳 牽言 二三 六頁
︒ ( 1 2 )
前褐訳賓一九九頁参照︒
( 1 3 )
同上︑三ー一ー三ーニ頁︒
( 1 4 )
J .
M•
Ke
yn
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, T
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Ge
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pl
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, I
n t e r
e s t
an
d M
on
ey
, 1 9 36 , p .
1 3 9 .
:¥'111野谷九十九訳「雇臓匹•利
子及び貨幣の一般理論﹂一六五頁︒
(15)
I b i d
. ,
p .
1 3 5 .
訳傘日一六一ー一六二頁︒
( 1 6 )
I b
i d . ,
p .
13
6 │
1 3 7 .
訳書一六三頁︒
( 1 7 ) ケインズはこの場合における労働需要量の決定についてとくに説明していないのであるが︑それについては後にあげる
ようなシュナイダーの見解がある︒
四
6.51
ヒックKの労鋤需要論︵三谷︶ つぎに発明および改良の場合に関するヒックスの説明についてみることとしよう︒かれはこの場合にもつばら発
の仮定のもとでは︑ 明につき論ずるのであるが︑まず最初にそれが総分配分を増加せしめるということを強調している︒いわく﹁競争
︑︑
︑︑
︑
かならずや︑発明は︑その究極の奴果が国民分配分を増加せしめるものである場合にのみ︑有
利に採用されうるということになるのである︒けだし︑もし発明がそれを採用する企業者の利潤を高めるものであ
るな
らば
︑
五
﹃労佑﹄および﹃資本﹄に注目し︑それらが目録を網羅していると それはかれの生産費を低めなければならないーー換言すれば︑より少い資源の量をもつて同じ生産物の
獲得を可能ならしめるものでなければならない︒したがつて︑結局のとこる︑資源は発明によって解放される︒そ
うして︑それらの資源は︑その発明をもちいて生産される商品の供給を増加せしめるためか︵もしその商品に対す
る需要が弾力的であれば︶︑あるいは他の商品の供給を増加せしめるため︵もし最初の商品に対する需要が非弾力
的であれば︶に使用されうるのである︒いずれの場合にも︑解放された資源が新しい用途に有奴に移転されうるや
ヽ ヽ ヽ
( 1 )
︵2)いなや︑総分配分は増加せしめられるにちがいない︒﹂
ヒックスのこの見解はかれの議論の大前提をなすものである︒すなわち︑発明は結局において総分配分を増加せ
しめるということから︑
は右の基本的見地にたちつつ三種の発明を区別している︒かれはいう︑ かれの発明の炊果に関する諸々の推論がみちびきだされているのである︒ついでヒックス
︑︑
︑
﹁しかしながら︑発明は総分配分を増加せ
しめるにちがいないとしても︑それが同時にあらゆる生産要素の限界生産物を同じ比率で増加せしめることはあり
そうにない︒大抵の場合︑それは特定の諸要素をえらんで︑それらの要素に対する需要を特別の程度にまで増加せ
しめるであろう︒もしわれわれが二群の要素︑
かんがえるならば︑そのときには︑われわれは︑発明の最初の炊果が︑資本の限界生産物の労佑のそれに対する比
.
652
しているとはいえないが︑それはおよそつぎのような考え方にもとずくものとおもわれる︒労仇節約 ヒックKの労働需要論︵三谷︶
率を増大せしめるか︑変化させずにおくか︑または減少せしめるかに応じて︑諸々の発明を分類できるのである︒
われわれはこれらの発明をそれぞれ﹃労佑節約的﹄︑﹃中立的﹄および﹃資本節約的﹄と称してよい︒﹃労佑節約的﹄
発明は︑労佑の限界生産物を増大せしめる以上に資本の限界生産物を増大せしめる︒
の限界生産物を増大せしめる以上に労佑のそれを増大せしめる︒
( 3 )
るの
であ
る︒
﹂
これによってみれば︑ヒックスは発明の定義と分類に限界生産物の概念をとりいれ︑発明の結果として労佑と資
本の限界生産物が増加する率のいかんにしたがつて三つの発明を区別しているのである︒われわれは︑物理的な限
界生産力をあらわす限界生産物という概念にともなう難点にかんがみるとき︑
ては大きな疑問をいだかざるをえないのであるが︑
の発明のうちとくに﹁労仇節約的﹂発明を重視して︑ ﹃資本節約的﹄発明は︑資本
﹃中立的﹄発明は︑双方を同じ割合で増大せしめ
このような発明の定義と分類に対し
しばらくこれを不問に附しておこう︒さてヒックスは右の三つ
( 4 )
これを中心にして議論をすすめているから︑われわれもこの
発明のみをとりあげて問題としよう︒ところで︑上述のように︑労佑節約的発明は︑労仇の限界生産物を増大せし
める以上に資本の限界生産物を増大せしめるものである︒この命題だけではその意味するところが十分にはつきり
すな
わち
︑
的発明の場合には︑前と同じ生産物をより少い労仇をもつて生産することができるのであるから︑多かれ少かれ労
仇が解放される︒この労佑が既存の資本に充用されるならば︑労佑の限界生産物は資本のそれに比して相対的に小
さくなるであろう︒労佑の限界生産物と資本の限界生産物との比率に関するかぎり︑資本量の変化しないときに労
佑量のみが増加する場合におけると同一の変化が生ずるわけである︒しかし総生産物が増大し︑労仇の限界生産物
六
6.53
の曲線が一般に上昇するならば︑労佑の限界生産物は以前よりも絶対的に増加し︑そして資本の限界生産物はそれ
よりもより多く増加するであろう︒かくてヒックスにおいては︑労佑節約的発明が労佑の限界生産物を増加すると
の限
界生
産物
︑
きは︑その結果として労佑需要量も増大するということになる︒
このようにヒックスば労仇節約的発明が労佑の限界生産物を増加せしめることを強調するのであるが︑かれはそ
の発明が労佑の限界生産物を減少せしめることがありうることを否定しない︒いわく﹁労佑節約的発明は・・・・・・労佑
︑︑
︑
したがつて分配分における労仇の絶対的分前を実際に減少せしめる必要はない︒もしそれが非常に
労仇節約的であるならば︑そうするかもしれない︒そこには︑労仇の限界生産物の絶対的な大きさを以前よりも減
( 5 )
少 せ し め る 程 度 に ま で
︑ 限 界 生 産 物 の 比 率 が 変 更 さ れ る の を ふ せ ぐ な に も の も な い
︒
﹂
.
ここでヒックスのいう﹁非常に労仇節約的﹂の発明とはいかなるものであろうか︒それについてはかれのつぎの
ような論述が参考せらるべきである︒すなわち︑
らわれるのであるが︑その理由はいわゆる代替の原理によるのであって︑過去二︑三世紀の間に資本が労仇よりも
としよう︒ところで︑ 急速に増加し︑そのために労仇が相対的に高価となったから︑労佑を節約する発明が剌戟されたのである︒この意
( 6 )
味において労佑節約的発明の多くは誘導的発明とよぶことができる︒かように︑誘導的発明は相対的価格の変化の
結果としてなされる︒しかしながら︑それは︑その採用が諸価格の変化に依存するごときものかもしれず︑あるい
はそうでないかもしれないのである︒かりに資本が増加し︑その結果︑労佑節約的発明がなされ︑かつ採用された
この発明は︑資本が増加する以前において引合うものであったー̲ーしたがつて︑もしそれが
知られていたならば採用されるものであったlーーか︑あるいはそうでなかったか︑
ヒックスの労働需要論︵三谷︶
七
かれによれば︑労佑節約的発明は他の発明よりもはるかに多くあ
いずれかであろう︒
﹁も
しそ
れ