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届かぬ声 : 『にごりえ』お力考

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(1)

届かぬ声 : 『にごりえ』お力考

著者名(日) 菊池 佳織

雑誌名 大妻国文

巻 38

ページ 135‑153

発行年 2007‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001341/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

届かぬ声

| |

| ﹃ に ご り え

﹄ お 力 者

﹁ |

山 出

佳 織

はじめに

七月十六日の夜︑﹁にごりえ﹄主人公お力は︑客の相手を中座し︑店を飛び出して﹁横町の閤﹂の中で﹁丸木橋﹂を渡る

決意をする︒そして﹁魂祭り過ぎて幾日﹂︑かつての馴染み客︑源七の刃によって死ぬ︒噂によってのみその事実が語られ

るかたちで﹃にごりえ﹄は幕を閉じる︒﹁丸木橋﹂を渡ることの意味︑そして彼女の死が合意の上なのか無理心中なのかと

いうことは今でも多くの議論を呼んでいるところであるが︑お力は彼女自身の未来︑﹁生﹂の方向をどのように見据えた中

で 最

期 を

迎 え

た の

だ ろ

う か

︒ ﹁

こ れ

が 一

生 か

一生がこれか﹂と心を乱して街をさまよったお力はその心に何を抱え生きて

い た

の か

お力について︑﹃にごりえ﹄作中︑印象的な描写がなされている箇所がある︒

菊の井のお力とても︑悪魔の生れ替りにはあるまじ︒さる子細あればこそ此処の流れに落こんで︑嘘のありたけ串

届かぬ声

(3)

ーよ−

ノ 、

談に其日を送って ︵中略︶人の沸は百年も我まんして︑我ゆゑ死ぬる人のありとも御愁傷さまと脇を向くつらさ他

処目も養ひつらめ︑さりとも折ふしは悲しき事恐ろしき事胸にた︑まって︑泣くにも人目を恥れば二階座敷の床の

間に身を投ふして忍び寝の憂き沸︑これをば友朋輩にも洩らさじと包むに根性のしっかりした︑気のつよい子とい

ふ者はあれど︑障れば絶ゆる妹の糸のはかない処を知る人はなかりき

この箇所は︑お力の内面が﹁孤独﹂であることを強く印象付ける︒そして表面は酌婦として景気よく生活するお力だが︑

お力自身は望んで酌婦になったわけではないことがこの箇所からわかる︒若いが客を呼ぶのも上手いお力は﹁菊の井のお

力か︑お力の菊の井か﹂と言われるほど人気が高く﹁新聞の光が添はった﹂と言われ﹁軒並びの羨やみ種﹂の酌婦である︒

しかしその内面には複雑な思いを抱え生きていることがうかがえ︑同時にそんなお力の理解者となるべき人物がいないこ

と が

わ か

る ︒

また︑新聞の銘酒屋に置かれている酌婦は︑実際には私娼である︒新聞で酌婦をすることは︑﹃にごりえ﹄作中でも﹁鬼﹂

﹁売物買物﹂などと呼ばれているように︑世間から疎外され︑差別の対象となり︑社会の最底辺で生きていることを意味ね μ ︒

お力は︑そんな私娼として銘酒屋菊の井で働いている︒

世間から私娼として疎外され︑そして﹁孤独﹂を抱えるお力が﹁丸木橋﹂を渡る決意をすることでその先に見据えた自

身の未来とはどのようなものだったのか︒

以下︑お力の﹁現在﹂からその生きる姿勢を探りつつ︑彼女の﹁未来﹂

へ の

展 望

を 考

察 し

た い

(4)

お 力 の

﹁ 現

在 ﹂

ー周囲の人間関係から!

お力が心の中に﹁思ふ事﹂を抱えていることは︑﹃にごりえ﹄を読み進めるうちに分かってくるのだが︑その﹁思ふ事﹂

が具体的に何なのかということは明かされない︒やがてお力の馴染み客となる結城朝之助も︑その﹁思ふ事﹂に興味を一不

すが︑お力はなかなか明かさない︒助川徳是氏は︑お力の物思いが﹁社会変革への志向﹂であるというが︑私は現在の生 ︵ 注 2

活から生れるものがお力の﹁思ふ事﹂であると思う︒現在の自分︑酌婦をしている自分への葛藤がお力の﹁思ふ事﹂と解

釈 し

た い

お力は自分のことを﹁逆上性﹂﹁浮気者﹂﹁此様な厄種﹂などと形容する︒こうした自分への評価はすべて酌婦稼業をす

る現実に起因すると思われる︒お力はそんな自分を受け入れているわけではない︒お力は望んだわけでもないこの職業で

﹁嘘のありたけ︑串談に其日を送って︑︵中略︶人の沸は百年も我まんして︑我ゆゑ死ぬる人のありとも御愁傷さまと脇を

向﹂かなければならない生活が嫌なのである︒お力は︑酌婦をすることで受けなければならない世間からの蔑視と自分自

身への蔑視︑そして酌婦をするのが本心からではないという複雑な思いを抱き︑それがお力の葛藤となっているのではな

︑ 也 ︑

o u

. ヵ

しかし︑そんなお力の内面を理解する人は誰もいない︒﹁泣くにも人目を恥﹂じ︑﹁忍び寝の憂き沸︑これをば友朋輩に

も洩らさじと包む﹂お力が自分から他人に対し心を聞いているとは思えない︒なぜ彼女は孤独なのか︒それを考えるヒン

トとなるのは︑お力と他の酌婦たちとの違い︑すなわち未来への夢︑希望の違いがあることではないか︒

作中︑﹁朋輩の女子ども﹂が﹁今にあの方は出世をなさるに相違ない︑其時はお前のことを奥様とでもいふのであらうに﹂

とお力と結城のことをからかう様子や︑﹁染物やの辰さん﹂が﹁何時引取って呉れるだらう﹂と嘆く酌婦︑奉公に出ている

息子を思い出し﹁今日の休みにご主人から暇が出て何処へ行って何んな事して遊ぼうとも定めし人が羨しかろ︑父さんは

届かぬ声

(5)

)¥ 

呑 ぬ

け ︑

いまだに宿とても定まるまじく︑母は此様な身になって恥かしい紅白粉︑よし居処が分ったとて彼の子は逢ひに

来ても呉れまじ﹂と︑家族で暮らすことの出来ない事を嘆く酌婦が描かれている︒これらの記述から酌婦たちはそれぞれ︑

結婚し家族となること︑家族と暮らすことが幸福であると考え︑その夢を抱いていることがうかがえる︒それに対しお力

は結城への告白の中で﹁持たれたら嬉しいか︑添うたら本望か︑夫れが私には分りませぬ﹂と身を固めることに対して疑

聞を持っていることを話す︒お力は︑他の酌婦たちが考える幸福こそが普通の考え方だと思い︑そう考えられない自分は

﹁浮気者﹂であると周囲に対し疎外戚ア乞持つ︒こうした考え方の違いは︑お力が同僚たちに心を聞かない

︵ ま

た は

開 け

な い

原因の一つであろう︒そして客からもお力は﹁菊の井のお力は行ぬけの締まりなしだ︑苦労といふ事はしるまい﹂と言わ

れてしまう︒﹁馴染みはざら一面﹂で周囲には人がいるにもかかわらずお力を理解する人物はいない︒お力は孤独なのであ

そんなお力の﹁現在﹂を探るうえで欠かせないキ l パ l ソンは︑かつての馴染客・源七と︑新聞の銘酒屋街には不似合 る

いの高位の客・結城朝之助︑この二人の男性である︒

まずお力の﹁持病﹂となっている源七についてである︒源七は︑かつては巾のあった蒲団屋だったが︑お力に入れ揚げ

た結果零落し︑今は土方の手伝いをしながら︑妻お初︑息子太吉とともに棟割長屋で貧しい生活を送っている︒零落した

今も源七はお力に会おうと菊の井に現れるが︑お力は﹁逢つては色々面倒な事﹂があるからと源七に会おうとはしない︒

これがお力との﹁現在﹂の関係である︒

源 七

と お

力 の

関 係

は ︑

いつからか︑ということははっきりしないものの︑﹁去年の盆には揃ひの浴衣をこしらへて二人一

一年前までは続いていたと思わね記︒さらに︑お高の﹁今の身分 処に蔵前に参詣したる事﹂を源七が思い出す場面から︑

に落ぶれては根っから宜いお客ではないけれども思ひ合ふたからには仕方がない﹂という言葉や︑お力が結城と小座敷に

いる時に︑﹁折から下坐敷より杯盤を運びきし女﹂が︑お力に源七が来たことを耳打ちした後︑お力が会うのを断るのを聞

(6)

いて﹁不思議さうに立ってゆく﹂様子から︑お力と源七が特別な関係であったことがわかる︒

源七が菊の井に現れるのは︑お力に対し未練があるからである︒それは︑源七の自宅での無気力な様子からもうかがえ る︒お力は結城朝之助に︑﹁逢つては色々面倒な事﹂があるため会わないというのであるが︑その﹁面倒な事﹂とは何か︒

源七が零落したのは︑お力に入れ揚げたためである︒お力が酌婦として生活を送っている結果として生まれたのが零落 した源七の姿である︒そして︑源七が零落することにより︑その家族であるお初や太吉も生活が一変し︑貧困生活を余儀 なくされてしまった︒お力は︑幼い頃の経験から︑貧しい生活の辛さを理解できる︒源七の零落した姿から︑その家族の 不幸が見えるお力には︑源七が︑酌婦として生活を送る自分を責める姿にみえるのではないだろうか︒そして源七が自分 を諦めない限り︑源七の家族は貧しいままであるということ︑そしてその原因が自分にあるということから︑お力は源七 を通して︑酌婦として生きる自分の不幸をも痛感しているはずである︒そして幼い太吉が母親の言葉を真似てお力のこと を﹁鬼々しと呼ぶことにお力は傷付き︑幼い子供にまで憎まれる我が身の不幸を思う︒源七が自分を諦めて立ち直らなけ れば︑源七一家は不幸のままである︒そして︑そのすべての原因が酌婦である自分にあるということを痛感する︒源七を 通して︑お力には色々な葛藤が生まれる︒源七一家の不幸︑そしてそれに対する自責の念は︑酌婦として生きる自分への

嫌悪へと広がっていく︒

お力のいう﹁面倒な事﹂とは︑源七と会うことで︑源七二永の不幸と︑自分の不幸を増長させてしまうことではないだ ろうか︒﹁面倒な事﹂という一言に集約されてはいるが︑その背景にあるのは︑源七一家に対する自責の念だけではない︒

源七二家の不幸に対する自責の念は︑さらに︑酌婦として生きる生活の悲しみをお力に痛感させ︑お力を追い詰めている のである︒その﹁面倒な事﹂をこれ以上膨らませないためにも︑﹁寄らず障らず帰した方が好い﹂とお力は思うのである︒

﹁面倒な事﹂があるから会わない︒それが彼女の﹁持病﹂となっている︒お力が源七をまだ思っているとすれば︑お力の

﹁持病﹂は︑会いたいが会つてはならないという葛藤でもある︒

届かぬ声

(7)

四 0 

しかし︑お力が︑自分に会うのを拒むことが源七には理解できないでいる︒﹁あ冶詰らぬ夢を見たばかりに﹂﹁こんな可

愛い者さへあるに︑あのやうな狸の忘れられぬは何の因果か﹂と源七自身も葛藤を抱くが︑源七はどうしてもお力を忘れ

られずにいるのである︒

結城朝之助はある雨の日にお力が呼び入れた︑菊の井には不似合いな高位の客である︒歳は三十歳ほどの︑無職業で独

身の高等遊民である︒結城は︑お力の新しい馴染みとして菊の井に足を運ぶようになるが︑他の客とはどこか違うところ

のある人物で︑お力も﹁何処となく懐かしく思ふかして三日見えねば丈をやるほど﹂になる︒そして︑お力の悲しい過去

の話は︑この人物によって聞きだされる︒

結城朝之助は︑菊の井には不似合いな客︑ つまり下層社会とは別の社会で生きる人間である︒この点︑だけで充分に他の

客とは違うが︑お力が結城に自分の弱みを見せるようになるのは︑結城が身分の高い別世界の人間という理由だからでは

ない︒お力自ら︑大抵の客はお力の体が目当てであるが︑結城はそうではないと結城に話す箇所がある︒

結城は︑お力を身受けすることが可能な人物である︒結城に身受けしてもらえばお力は玉の輿に乗り︑最下層の酌婦と

いう現状から脱出することができる︒その可能性を秘めた人物という点では︑結城朝之助は︑お力の人生に大きな影響を

もたらす可能性がある︒しかし︑先にも述べたがお力は結婚することには希望を見出していない︒お力は結城に身受けし

てもらおうとは思わないだろう︒したがって結城がお力に与えた影響は︑孤独なお力が自分の内面に秘めた思いを打ち明

け る

存 在

つまり心を開ける存在が現れたという精神的な面での影響であったのではないだろうか︒

確かに結城は︑初めて菊の井に来た時からお力の素性などを﹁真に成って﹂知りたがっており︑しきりにお力の内面に

せまろうとしていた︒こうしてお力は結城と︑単なる酌婦と客の関係ではない︑そして源七と築いた関係とはまた別の︑

特別な関係を築いていく︒

(8)

未来への展望 ー﹁丸木橋﹂を渡る決意|

これまでお力の﹁現在﹂を環境や源七︑結城朝之助との関係から探ってきたが︑次に︑お力の﹁未来﹂

へ の

展 望

を 探

ていきたい︒まず︑お力の独自を中心に︑お力が抱く葛藤︑そして﹁丸木橋﹂を渡るという決意が意味するものについて

考 察

す る

七月十六日の夜は︑どこの店にも客が入り︑菊の井の下座敷にも客が集まっていた︒お力もその中にいて︑客たちに﹁力

ちゃんはどうした心意気を聞かせないか︑ゃった/\と責められ﹂て﹁お名はさ︑ねど此坐の中にと普通の嬉しがらせ﹂

を言って﹁我が恋は細谷川の丸木橋わたるにや伯し渡らねば﹂と歌いかける︒その時︑お力は﹁何をか思ひ出したやうに﹂

客の相手を中座して店を飛び出してしまう︒店を飛び出したお力は﹁横町の闇﹂の中で次のように独白する︒

行かれる物なら此ま︑に唐天竺の果までも行って仕舞たい︑ぁ︑嫌だ嫌だ嫌だ︑何うしたなら人の声も聞えない物

の音もしない︑静かな︑静かな︑自分の心も何もぼうっとして物思ひのない処へ行かれるであらう︑ つまらぬ︑く

だらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い中に︑何時まで私は止められて居るのかしら︑これが一生か︑

一 生

が こ

れか︑ぁ︑嫌だ/\

ここまでを独自の前半としたい︒お力は心の中に︑様々な思いを抱いている︒それはお力の﹁物思ひ﹂となってお力を

苦しめている︒お力の抱く﹁物思ひ﹂とは具体的に︑酌婦として生活を送る自分への葛藤︑源七に関する﹁持病﹂︑そして

お力が心に秘める﹁三代伝はつての出来そこね﹂という宿世観が挙げられるだろう︒お力は︑この独自の前半部で﹁物思

ひ の

な い

処 ﹂

へ行きたいと言う︒﹁物思ひ﹂のある中で生きている現状は︑お力にとって﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くな

届かぬ声

(9)

ぃ︑情ない悲しい心細い中﹂に生きることである︒その中で生きる﹁一生﹂をお力は﹁嫌だしというのである︒しかし︑

お力は現在の状況を否定し︑﹁物思ひのない処﹂ へ行きたいと願いつつも︑﹁どうしたなら﹂とあるように︑その術を知ら

な い

の で

あ る

そうして暫く道端の木に寄りかかっていると︑お力の耳に﹁渡るにや伯し渡らねば﹂と︑自分の歌声がどこからともな

く聞こえてくる︒その時お力は﹁私も丸木橋をば渡らずはなるまい﹂と決意するのである︒それが独白の後半部である︒

仕方がない矢張り私も丸木橋をば渡らずはなるまい︑父さんも踏かへして落てお仕舞なされ︑祖父さんも同じ事で

あったといふ︑何うで幾代もの恨みを背負て出た私なれば為る丈の事はしなければ死んでも死なれぬのであらう︑

情ないとても誰れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく︑悲しいと言へば商売がらを嫌ふかと一ト口に言はれて仕

舞︑ゑ︑どうなりとも勝手になれ︑勝手になれ︑私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば︑分らぬな

りに菊の井のお力を通してゆかう︑人情しらず義理しらずかそんな事も思ふまい︑思ふたとて何うなる物ぞ︑此様

な身で此様な業体で︑此様な宿世で︑何うしたからとて人並みでは無いに相違なければ︑人並の事を考へて苦労す

る丈間違ひであろ︑ぁ︑陰気らしい何だとて此様な処に立って居るのか︑何しに此様な処へ出て来たのか︑馬鹿ら

しい気違じみた︑我身ながら分らぬ︑もう/\帰りませう

まず︑お力が店を飛び出すきっかけとなったのは︑﹁我が恋は細谷川の丸木橋渡るにや伯し渡らねば﹂という端歌である︒

そしてまた︑この端歌によって﹁私も丸木橋をば渡らずはなるまい﹂と決意し﹁もう/\帰りませう﹂と店へ向かおうと

す る

お力にとって﹁丸木橋﹂は重要な意味を持つものと考えられる︒この﹁丸木橋﹂そして﹁丸木橋﹂を渡るということが ︒

(10)

何を意味するかということについてはすでに多くの先行論文があるので︑その解釈の大略は︑﹃新日本古典文学大系﹄の補 4 ︵ 注

︵ 注

5

注︵注釈者菅聡子氏︶を参考にしたい︒

①自ら死を選ぶことで︑現状から脱出しようとする︒ここでは︑﹁丸木橋﹂を渡ることは︑ 一種の現実逃避を意味す

る 。

②﹁踏み返して﹂落ちる可能性︑すなわち失敗する可能性を知りつつも︑何らかの形で社会を変えるような大きな

目 的

に 向

か っ

て 進

む ︒

いわゆる﹁一葉経世家説しを背景におき︑作中のとくに﹁祖父﹂の無念をお力が継承して

い る

と す

る 視

点 で

あ る

③現在の状況を否定し︑それを打破して自らの﹁出世﹂をめざす︒具体的には︑結城との結婚など現世的なお力の

上昇志向を一不すことになる︒この後の結城とお力の会話の場面に深く関わることになる︒

④これまでの自分の生き方を通していく︒﹁菊の井のお力を通してゆかう﹂というお力の心中語を重視した解釈であ

る 。

結論から先にいうと︑私は④の立場に立つ︒現状の自分を否定し︑﹁物思ひのない処﹂

へ 行

き た

い と

願 う

お 力

で は

あ る

が ︑

それは現実逃避の願望ではあっても死ぬこととは思えない︒その場所が死の世界であったら︑そこへの行きかたは簡単で

ある︒しかし︑そこへ行くための術を知らないと一言うのだからお力に自ら死を選ぶ選択はなかったはずである︒また︑お

力に社会を変えるような大きな目的があるようにも思われない︒確かにお力が﹁天下を望む大伴の黒主とは私が事﹂など

言ったりする場面もあるが︑それは︑客をひきつけるために言っているものととらえたい︒そして︑お力には結婚願望は

なかったはずであるから︑玉の輿に乗って自らの出世を目指すというのも考えにくい︒

届かぬ声

(11)

四 四

お力が店を飛び出した時︑お力は自らが歌いかけた端歌によって﹁何をか思い出したやうに﹂店を飛び出した︒お力が

歌いかけたのは︑﹁我が恋は細谷川の丸木橋渡るにや伯し渡らねばおもふお方に逢はりやせぬ﹂と続く端歌とされている︒

とすれば︑お力がこの端歌を歌いかけた時に思い出した︑または思い浮かんだのは︑丸木橋を渡った先に﹁ある﹂︑または

﹁ い

る ﹂

何 か

と 考

え ら

れ る

普通︑丸木橋といえば︑渡るのに失敗すると落ちてしまう危険な橋というイメージがある︒﹁我が恋は細谷川の丸木橋渡

るにや伯し渡らねばおもふお方に逢はりやせぬ﹂ということは︑その危険な丸木橋を渡らなければ﹁おもふお方﹂に逢え

ない︒しかし逢うためには︑危険な道のりを通らなければならないということを歌っている︒

意味を含んだ歌ともいえる︒ ︵ 注 6

つまり︑それは危うい恋の

確かにお力が最初に﹁我が恋は﹂と歌いかけた時︑お力は自分の﹁おもふお方﹂を思い浮かべたかもしれない︒お力が

︵ 註 7 ︶

︵ 注

8 ︶ ﹁丸木橋﹂の先に思い浮かべた﹁おもふお方﹂について︑源七とする説と結城朝之助とする説があるが︑私は︑お力が思い

浮 か べ た の は 源 七 と し た い ︒ 本 稿 ︵ 一 ︶ で述べたように︑お力がまだ源七を思っていると考えているからだ︒お力は︑源

七を思い浮かべて︑その背後にある﹁面倒な事﹂や葛藤を強く感じる︒それがすべて自分の現状に原因があることを痛感

して︑店を飛び出すのではないだろうか︒しかし︑その後の独自で﹁矢張り私も丸木橋をば渡らずはなるまい﹂と言い︑

お力は祖父と父のことを思うのである︒父も祖父も﹁丸木橋﹂を﹁踏みかへして落て﹂しまった︑と︒その時お力の中で

﹁ 丸

木 橋

﹂ の

歌 は

︑ 恋

の 歌

か ら

別 な

も の

へ と

変 化

し て

い る

もちろん︑父や祖父が渡った﹁丸木橋﹂の先にいるのは﹁おもふお方﹂ではない︒父や祖父の﹁おもふお方﹂は具体的

な﹁誰か﹂ではなく︑﹁本人にとって大事なもの﹂ひろくいえば﹁未来﹂といえる︒ではお力のいう﹁父さんも踏みかへし

て落てお仕舞なされ︑祖父さんも同じ事であったといふ﹂ことは何を指すのか︒それにはまず︑お力の父や祖父はどのよ

うな人物であったのか考える必要がある︒

(12)

お 力

の 祖

父 は

﹁ 四

角 な

字 を

ば 読

ん だ

人 ﹂

つまり漢字の読める人であった︒この時代に漢字が読めるということは教養が

高い人物であったといえる︒そして父親は良い腕を持つ飾職人であった︒しかし父と祖父︑どちらも︑世間に認められる はずの力がありつつも︑世間に認められることなくこの世を去っていったのである︒このことを︑お力は﹁父さんも踏か へして落てお仕舞なされ︑祖父さんも同じ事であったといふ﹂と言っている︒祖父も父も︑自分を曲げることなく生きた

結果︑﹁丸木橋﹂を﹁踏かへして﹂落ちたと言い換えることができるだろう︒ つまり︑父や祖父の﹁丸木橋﹂を渡るという

﹂とが意味するものは︑自分の信念を貫くこと

︵ 自

分 を

曲 げ

な い

こ と

であった︒そしてそれは︑自己を貫くことで︑世

聞から疎外されたまま生きることともいえる︒そう考えると︑父や祖父は自分に正直に︑自分らしく生きるために﹁丸木 橋﹂を渡り︑結果﹁踏かへして﹂落ちたと理解できる︒自分︵信念︶を曲げれば︑世間に認められて別の人生を送れたか もしれない︒しかしそうすることなく祖父は﹁世に益のない反古紙をこしらへしに︑版をばお上から止められたとやらゆ るされぬとかにて断食して死﹂に︑父は﹁気位たかくて人愛のなければ晶負にしてくれる人もなく﹂世間から疎外された

ままその一生を終えたのであった︒

お力は︑﹁丸木橋﹂を渡る決意をした時にそんな父と祖父のことを思う︒独自の文脈から考えて︑お力が﹁丸木橋﹂を渡

ろうと決意するのは﹁丸木橋﹂の向こうにいる﹁誰か﹂に会うためではなく︑﹁丸木橋﹂の向こうにある自身の﹁未来﹂の

ためである︒お力は︑﹁父も﹂﹁祖父も﹂﹁踏みかへして落﹂た﹁丸木橋﹂を渡ろうと決意する︒だが︑﹁仕方がない﹂とお

力が言うのは﹁丸木橋﹂を渡ることが苦渋の決断であることを示している︒苦渋の決断ではあったが﹁何うなりとも勝手

になれ︑勝手になれ﹂と﹁菊の井のお力﹂を通していくことをお力は決意した︒ つまり︑このまま生きることを決意した

のである︒このままというのは︑酌婦として世間から疎外されたまま︑それによる葛藤を抱えたままということである︒

﹁菊の井のお力﹂を通すことは︑﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い中﹂に生き続けることである︒

お力が︑現実を﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い中﹂だと思うのは︑酌婦稼業をする中でお力が

届 か

ぬ 声

一 四

(13)

一 四 六

失わない人間的な部分︑零落した源七一家を思って胸を痛めるような人間らしい一面がお力にはあり︑それがお力の自己

で︑それを貫いているからである︒そんなお力の自己とは反対に︑世聞からは﹁鬼﹂などと言われて疎外される︒お力は︑

同僚の酌婦たちとは価値観も違うし︑またお力を理解する同僚もいない︒周りからも︑世間からも孤立し生きている︒そ

れが﹁菊の井のお力﹂である︒世間に疎外されたまま生きた父︑祖父のことを思い出してそれを理解したから︑﹁丸木橋﹂

を渡ること︑﹁菊の井のお力﹂を通して生きることを決意したのである︒そして﹁丸木橋﹂を渡る決意をした時︑同時に

﹁ 丸 木 橋 ﹂ を 渡 れ ば 自 分 も ﹁ 踏 か へ し て 落 て ﹂ し ま う ︑ つまり落ちた先に待つ悲しい死︑祖父のように物笑いになるような

死 の

可 能

性 も

覚 悟

し た

お力が初めに歌いかけた﹁丸木橋﹂の歌は︑恋の歌であった︒お力はその時︑源七を思った︒﹁丸木橋﹂を渡らなければ

﹁おもふお方﹂に会えないと︒同時に︑お力に会いに菊の井に現れ続ける源七が浮かんだはずである︒源七が自分を諦めな

い限り︑源七や源七の家族がどうなっていくのか想像ができるお力には源七もまた危うい﹁丸木橋﹂を渡っているように

思えたかもしれない︒しかし︑お力の耳に﹁丸木橋﹂の歌が再び聞こえてきた時︑お力は自分の父や祖父を思い︑自分の

運 命

を 思

う ︒

お力が﹁丸木橋﹂を渡るのは︑源七に会うためではなく︑現状のまま︑周りからも世間からも疎外されたまま孤独に生

き続けることを決意したからであった︒お力は︑﹁菊の井のお力﹂として︑そして自己を通して孤独なまま﹁つまらぬ︑く

だらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い﹂現実に生き続けることを決意したのである︒

結城朝之助への告白

﹁丸木橋﹂を渡ることを決意した直後︑お力は結城に行き会う︒そのまま一緒に菊の井に行き︑お力は湯呑みで酒を飲み

(14)

﹁今夜は残らず言ひまする﹂と︑かねてから結城に問い掛けられていた﹁履歴﹂を語りだす︒

告白の内容は︑お力自身の履歴というより︑結婚観から始まり︑祖父や父の物語へと続き︑そして幼い頃の極貧生活の

中での悲しい思い出の話であった︒

一通りその話を聞き︑﹁お前は出世を望むな︵中略︶始めから何も見知ってゐるに隠すは野暮の沙汰ではないか︑

︵ 注

9

思ひ切ってやれ/\﹂とお力に言︑っ︒この一言葉を聞いたお力は﹁ゑツと驚﹂き﹁私等が身にて望んだ処が味噌こしが落︑

結 城

は ︑

何の玉の輿までは思ひがけませぬ﹂と答えた︒本稿︵ご でも述べたがお力は結婚することに疑問を抱いているから︑お

力が自らの﹁出世﹂として﹁玉の輿﹂を望むはずはない︒しかし結城がここで使った﹁出世﹂という言葉を︑お力は﹁玉

の輿﹂と受け取った︒だからこそお力は﹁ゑツと驚﹂

い た

の で

あ る

お力が︑結城に告白したのは︑﹁浮気者﹂﹁私はその様な貧乏人の娘﹂﹁気違ひ﹂というような︑お力を形づくる原因とし

て父や祖父から続く物語であった︒お力の生い立ちといった単純な﹁履歴﹂ではない︒もっと深い︑宿命の話がお力の﹁履

歴﹂である︒お力にとっては︑﹁三代伝わっての出来そこね﹂が自分の宿命であり﹁履歴﹂なのである︒世間から疎外され

て生きていくこと︑その一生を送らなければならないという運命の話を︑結城にならもしや伝わると思って告白したので

はないか︒お力は結城に対して現状からの救済は求めていない︒現状から脱出できないのが宿命だからである︒そんなお

力が結城に求めたもの︑それはその宿命の理解者となることだったのではないか︒だからこそ﹁出世を望むな﹂という答

えはお力にとって的外れであり︑それは結城との関係の崩壊を意味するのである︒

結城への告白によって︑お力が思うほど結城が特別な人間ではなかったことをお力は知る︒それに気付いたお力は︑白

分の体が目当ての他の客とは違うと思っていた結城を無理に泊める︒単なる酌婦と客の関係ではなかったはずの二人が︑

ただの酌婦と客になるのである︒お力の中で精神的な繋がりが崩れた今︑結城とお力を繋ぐものは︑もはや体の関係しか

︵ 注

目 ︶

残されていなかったということである︒

届かぬ声

(15)

四 人

お力は︑自分の告白の真意が結城に伝わらなかったことで︑結城は自分の理解者にはなりえないことを悟り︑ますます

疎外感と孤独感を深めたと考えられる︒そして︑結城が自分の理解者にはなりえなかったことで︑より一層自分の宿命を

強く感じたはずである︒

届かぬ声|まとめとして|

以上︑お力の﹁現在﹂から﹁未来﹂ への展望|﹁丸木橋﹂を渡ることの意味ーを︑彼女を取り巻く環境や人間関係から

考 察

し て

き た

お力は︑﹁我が恋は細谷川の丸木橋﹂と端歌を歌いかけた時︑﹁何をか思ひ出したやうに﹂客の相手を中座して店を飛び

出してしまう︒そして︑﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い中﹂で過ごす﹁一生

L

を ﹁

嫌 だ

﹂ と

︑ ﹁

思ひのない処﹂に行きたいと願う︒しかし︑﹁どうしたなら﹂その場所に行けるか︑お力にはその術がわからない︒そして︑

父と祖父の一生を思い︑﹁仕方がない﹂と﹁丸木橋﹂を渡る決意をする︒﹁丸木橋﹂の端歌は︑初め恋の歌であったが︑父

と祖父のことを思った時︑その﹁丸木橋﹂はお力の今後の生き方を指す︑未来へ続く橋となったのである︒

自己を貫き︑世聞から疎外されたまま一生を終えた父と祖父︒その﹁幾代もの恨みを背負て出た﹂お力も︑﹁菊の井のお

力﹂を通して生きていくことを決意したのである︒酌婦として世間から疎外されたまま︑酌婦をすることで自分自身に生

まれる葛藤を抱えたまま︑﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い中﹂に生き続けることを決意した︒世

間からも︑周りからも疎外されて孤独に生き続けること︑それが自分の宿命なのだと︑お力は世間から疎外されたまま一

生を終えた父と祖父を思って理解したのである︒

お力が否定する現状︑その中に﹁仕方がない

L

と言って生き続けるということは︑裏を返せば︑そこからお力が望む生

(16)

き方が見えてこないだろうか︒お力は︑﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くない︑情ない悲しい心細い中﹂にいる現状から︑﹁物

思ひのない処﹂に行きたいと願った︒前田愛氏は︑﹁お力が希求する﹁物思ひのない処﹂は日常的な空間︑彼女が現実に生

きている空間とはまったく異質な︑いわば虚の空間であるにちがいない︒︵中略︶﹁物思ひのない処﹂とは源七の刃に建れ

︵← 庄日

るお力が行き着くべき死の世界なのであった︒﹂と述べているのだが︑私は︑﹁物思ひのない処﹂とは︑葛藤や孤独︑疎外

感など︑お力が抱えているものがない世界のことなのではないだろうかと思う︒それは︑言い換えれば︑自己を通すこと

ができて︑世間からも周りからも疎外されない世界ではないか︒自分が自由に生きることができて︑世間にも認められる︑

受け入れられることをお力は願っていたのではないだろうか︒しかし︑お力は︑そこにたどり着く術を持たなかったので

ある︒それは︑社会が持たせなかったとも言えるのではないだろうか︒自分が望む世界に行きたい︑しかし︑そこへの行

き 方

つまり現状を打破する術をお力は持てなかった︒だからお力は︑そんなことを考える自分の方がおかしいと思って

しまい︑自分を﹁気違ひ﹂と言ったりするのではないか︒その思いはお力をどんどん孤独にしていく︒﹁これが一生か︑

生がこれか﹂と現状への嫌悪が頂点に達した時︑お力は﹁丸木橋﹂を渡る決意をする︒自分の現在︑疎外され孤独な現在

を必然にするために︒それが︑父と祖父から続く自身の逃れられない宿命である︑と︒

しかし︑お力はそうせざるをえなかった︒そうして生きることしか出来なかったのである︒お力の生きている時代には

女性の権利はほとんどない︒お力たちのような私娼の姿︑源七がお力に夢中になったため零落しても黙って耐え忍ぶお初

の姿や﹃十三夜﹄のお関が夫の仕打ちに黙って耐え続ける妻の姿は︑男性中心︑男性優位の社会の中で生きる女性たちが

無力であることを映し出している︒だからお力は︑自分の人生を宿命として受け入れる他に︑自身の未来への展望が見え

なかったのである︒自分の望む世界への行き方が分からなかったように︑結城の﹁出世﹂という言葉を﹁玉の輿﹂としか

返せなかったように︑お力には社会が作り出した女性の限界があった︒しかしお力はそれに気付けない︒お力が﹁菊の井

のお力﹂としてそのまま生きていく決断をした時︑お力は無意識のうちに社会の犠牲者となったのではないだろうか︒

届かぬ声

四 九

(17)

一 五

O

そうしてお力が自身の﹁未来﹂を見定めた翌日と思われる日︑お力は太吉に出会い︑太古に対する優しさからカステラ

を買い与えた︒しかし︑このカステラが発端となり︑源七一家は崩壊してしまった︒

お初は︑お力がカステラを太吉に買い与えたのは︑源七とよりを戻すためだと解釈し︑逆上して今まで溜め込んでいた

お力への憎しみを声に出し︑ カステラを投げ捨ててしまう︒源七は源七で︑太吉の持ち帰ったカステラと︑お力と一緒に

︵ 注 ロ ︶

いたという﹁何処のか伯父さん﹂という情報から︑お力に自分に代わる﹁情夫﹂が現れたと解釈し︑大きな衝撃を受ける︒

そして︑源七は衝撃の大きさから﹁例の源七にはあらざりき﹂と興奮状態になり︑妻の領分を越えて逆上したお初への怒

り に

も 歯

止 め

が き

か ず

ついにお初を離縁してしまう︒そして︑その数日後︑源七とお力が死んだという事実だけが︑人々

の噂と︑新聞から出て行く棺によって判明するのである︒

源七の刃に倒れたお力は︑その時︑自身が渡っていった﹁丸木橋﹂を﹁踏かへして﹂落ちてしまった︒祖父と父のよう

に︑世聞から疎外されて生き続けることを受け入れたお力は︑﹁丸木橋﹂から落ちて︑祖父と父のように世間から疎外され

たまま死んだのである︒無責任な噂話は︑世間から疎外されているお力を強く印象付ける︒

最後に︑孤独なお力の思い︑その心の﹁声﹂は同僚︑源七︑結城︑お初︑太吉︑ いずれの人物にも届かない

︵ 届

い て

ない︶ということが見えてくることに注目したい︒源七には会うことを拒むことが理解されない︒お力が告白した﹁履歴﹂

の真意も結城には伝わらない︒そしてお力の思いむなしくカステラを発端として源七一家は崩壊してしまう︒お力の﹁声﹂

は周囲の誰にも届くことはない︒お力が﹁菊の井のお力﹂を通して社会からも周囲からも孤立して生きることは︑決して

周囲には届かない﹁心の声﹂を発しながら生きることともいえないだろうか︒それが﹁つまらぬ︑くだらぬ︑面白くない︑

情ない悲しい心細い中﹂に生きていかなければならない自分の﹁一生﹂であると︑お力は﹁丸木橋﹂を渡ることで受け入

れようとしたのである︒

お力の﹁声﹂は誰にも届かないまま︑誰にも理解されず︑誰にも受け入れられることのないまま︑孤独な彼女は死の真

(18)

相さえ誰にも知られることなく︑孤独なままその一生を終えたのであった︒

i 主

︵ 1 ︶北回幸恵氏は﹁﹁はかなき階級﹂のゆくえ|一葉の中の娼婦たち﹂︵岡野幸江長谷川啓渡漫澄子共編﹁買売春と日本文学﹄

平成一四・二東京堂出版︶において︑﹁公娼制はその陰画として私娼を誕生させる︒売春という差別の中にさらに密淫売という 底辺の存在を生み出し︑非合法の犯罪者として囲い込む︒﹁にごりえ﹂のお力はそのような銘酒屋の酌婦と呼ばれる最底辺の私娼 である︒ここでは吉原の儀式や芸事の伝統的な格式もなく︑形式にとらわれずより底辺の男性の性の対象となることにより︑暖昧 ないかがわしい存在としての熔印を帯びる

L

と 述

べ て

い る

︵ 2 ︶ 助 川 徳 固 定 ﹁ お 力 の 物 思 い ︵ 樋 口 一 葉 ︶ ﹂ ︵ ﹁ 激 石 と 明 治 文 学 ﹄ 昭 和 五 八 桜 風 社 ︶ ︵ 3 ︶峯村至津子氏は︑源七とお力の﹁揃ひの浴衣﹂から二人の特別な関係を指摘している︒︵﹁一葉小説と同時代環境﹂樋口一葉研究会

編﹃論集樋口一葉

H ﹄平成一0・一一おうふう所収︶

︵ 4 ︶﹁丸木橋﹂が何を意味するのか︑そして﹁丸木橋﹂を渡ることが何を意味するのかということには︑多くの先行論文があり︑私が

読 ん だ の は そ の 一 角 に 過 ぎ な い ︒

山 本

洋 ﹁

﹁ に

ご り

え ﹂

の 丸

木 橋

﹂ ︵

﹃ 国

語 国

文 ﹄

昭 和

五 三

・ 四

︶ ︑

渡 部

芳 紀

﹁ ﹃

に ご

り え

﹂ ︵

樋 口

一 葉

︶ ﹂

︵ ﹁

解 釈

と 鑑

賞 ﹂

昭 和

六 二

・ 一

O ︶︑宮崎隆広﹁一葉﹁にごりえ﹂論|ひとすじの白い道|﹂︵﹁活水論文集﹄第三五集平成四・一三︑藤沢真弓﹁﹁樋口一葉﹁に

ご り え ﹂ 論 ︵ ﹃ 山 口 国 文 ﹄ 第 十 六 号 平 成 五 ・ 三 一 ︶ ︑ 愛 知 峰 子 ﹁ ﹁ に ご り え し に わ た る 丸 木 橋 ﹂ ︵ 樋 口 一 葉 研 究 会 編 ﹃ 論 集 樋 口 一 葉 ﹄

平成人・一一おうふう︶︑鈴木啓子﹁救済の陰画 1 供犠としての﹁にごりえ﹂|﹂︵樋口一葉研究会編﹃論集樋口一葉﹂平成人・

一一おうふう︶︑前田愛﹁﹃にごりえ﹄の世界﹂︵前回愛﹁樋口一葉の世界﹂昭和五三・二一平凡社所収︶︑滝藤満義﹁﹁にご りえ﹂論﹂︵﹁横浜国立大学国語研究﹂第一二号平成六・三︶︑蒲生芳郎﹁﹁にごりえ﹂の構造|作品読解の試み﹂︵﹃文芸研究﹄

昭 和

五 一

・ 一

︶ ︑

熊 坂

敦 子

﹁ ﹁

に ご

り え

﹂ ﹂

︵ ﹃

解 釈

と 鑑

賞 ﹂

昭 和

六 一

・ 三

︶ ︑

助 川

徳 是

︵ 注

二 ・

前 掲

論 文

︶ ︑

狩 野

啓 子

﹁ ﹁

に ご

り え

﹂ 引

き裂かれた生の諸相︵﹃近代文学論集﹄第一五号平成元・一一︶︑戸松泉﹁﹁にごりえ﹂論のためにム畑かれた酌婦・お力の映像

届かぬ声

(19)

ー ﹂ ︵ ﹁ 相 模 国 文 ﹂ 第 一 八 号 平 成 三 ・ 二 一 ︶

︵ 5

︶校注菅聡子関礼子﹃樋口一葉集新古典文学大系明治編

2

4 ﹄︵平成十三・一O岩波書店︶

︵ 6 ︶峯村至津子氏は﹁﹁にごりえ﹂五章︑﹁丸木橋﹂の背景﹂︵﹁女子大圏文﹄平成一一・六︶において﹃にごりえ﹂の同時代の作品に

使われている﹁丸木橋﹂の表現を検証し﹁﹁丸木橋﹂という語が︑明治一一十年代に於ては複数の作家によってその作品の中で用い られる常套句的な表現であって︑ある作家固有のものではないということである︒︿丸木橋を渡ること﹀は殆んど常に︿危うさ﹀

と結びついており︑そして︿恋﹀の北総として用いられることが多い︒そういった共通認識の下︑作家・作品の枠を越えて用いら れる言葉だったわけであり︑そういう場合︑その一定のイメージが流布していて︑書く側にも読む側にも︑共通の理解の基盤が成

立していた可能性が考えられる o ﹂と述べ︑さらに古典の和歌や一葉作の和歌︑先行文芸での﹁丸木橋﹂の用例を分析︑﹁古典の和 歌・萩の舎の和歌・近世以降の歌謡・同時代小説︑それらの中での﹁丸木橋﹂が︑︿危うい恋﹀という一つの線に貫かれていると

い う こ と ︑ ﹁ ﹁ に ご り え ﹂ の ﹁ 丸 木 橋 ﹂ が ︑ そ う い う 重 層 的 な 世 界 を 背 後 に 秘 め て い る と い う こ と が 明 ら か に な っ た ﹂ と 述 べ て い る ︒ 菅聡子氏は﹁丸木橋﹂を︑危うい恋のイメージに加えて﹁﹁憂き世﹂のイメージもある﹂としている︒︵注 5

・ ﹃

新 日

本 古

典 文

学 大

系 ﹂ ︶

︵ 7 ︶熊坂敦子︵注 4

・ 前

掲 論

文 ︶

︵ 8 ︶山本洋︵注 4

・ 前

掲 論

文 ︶

︵ 9 ︶この﹁出世を望むな﹂の﹁な﹂は︑否定の終助詞ではなく︑感嘆の終助詞として読み︑﹁出世を望んでいるんだなあ﹂とする︒

︵叩︶前回愛氏は︑お力が結城を泊めたことについて︑﹁恩ひ切ってやれ/\﹂とからかい気味にけしかける結城は︑お力が垣間見せた 宿命の世界の暗さに︑ほんの一瞥をくれただけで遠ざかっていく昼の世界の人なのである︒この夜︑お力が結城を無理に泊らせる

ことの意味も︑もはや明らかであらう︒めいめいが抱えている内部世界の断絶を確認したお力にとって結城との交通を保証するも のは︑お互いの生理でしかなかったからだ o

﹂ と

述 べ

︵ 注

二 ・

前 掲

論 文

︶ ︑

こ の

前 田

氏 の

論 に

対 し

︑ 蒲

生 芳

郎 氏

は ︑

﹁ ︿

お 力

が ﹁

ゑ ツ

と驚くのは﹀︑︿結城との深い裂け目﹀などとは関係ないし︑ましてや︑︿この夜︑お力が結城を無理に泊らせることの意味﹀は︑

︿内部世界の断絶を﹀︿お互いの生理﹀で埋めようがためというふうな屈折したものであるはずがない︒﹁にごりえ﹂の読解のため に︑こういう屈折した恋愛心理学は無用である︒事柄はもっと単純明快で︑お力はこの結城朝之助から︿﹁胸中の秘密﹂を言いあ

てられた﹀からこそこゑツと驚﹂﹀いたのだし︑そこまで自分を知ってくれる男の心がうれしくて︑この夜しいて朝之助をひきと めもしたのだ o と述べている︒蒲生氏は︑﹁﹁にごりえ﹄の読解のために︑こういう屈折した恋愛心理学は無用であるよと言︑つが

(20)

︵注一了前掲論文︶︑お力が他の酌婦たちとは違う価値観を持ち︑内面に複雑な思いを抱いている女性であるからこそ︑結城を泊ら せるという行動の背景に﹁屈折しした思いが含まれる可能性を考えるべきであると思う︒

︵ 日

︶ 前

田 愛

︵ 注

2

・ 前

掲 論

文 ︶

︵ロ︶高田知波氏は︑﹁声というメディア|﹁にごりえ﹄前提のために﹂︵高田知波﹁樋口一葉論への射程﹄平成九・二双文社所収︶

においてカステラとともに太古が持ち帰った情報から︑源七はお力に新しい﹁情夫﹂ができたことを感じたと指摘している︒また︑ 酌婦たちにとっての﹁情夫﹂と﹁馴染﹂の違いも述べている︒

※ 

﹃にごりえ﹄本文の引用は﹁樋口一葉集 新日本古典文学大系

明 治

編 ﹂

︵ 平

成 一

三 ・

O

岩 波

書 店

︶ に

拠 る

届かぬ声

参照

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