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中 国にお け る気功活 動 の展 開 と法輪 功 事件

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中 国にお け る気功活 動 の展 開 と法輪 功 事件(浜)1

中国 にお け る気 功活 動 の展 開 と 法輪 功 事 件

浜 勝 彦

1は じめ に

2「 三不」 方針 と気功 ブー ム 3法 輪 功事 件 と中 国共産党

1は じめ に

1999年4月25日 の法輪 功学 習 者1万 人 以上 に よ る中南海 包 囲事件 は、 中 国共 産 党指 導部 に大 き な衝 撃 を与 えた 。中 国共 産 党 は、 この事件 は1989年 の 「六 四」 天安 門事件 以 来 の最 も重 大 な事 件 であ り、 国内外 の敵 対勢 力 と共 産 党が 大衆 を争 奪 し、陣地 を争 奪す る政 治闘争 に他 な らない、 と して法輪 功

に対す る暴 露 、批 判 、取締 りに乗 り出 した。

この過程 で 、 これ まで は っき り して い なか った法輪 功 の教 義 と組織 の実 態 がは じめ て明 らか にな って きた。 そ して、市場経 済化 の 中で多様 化 してきた 大 衆 の価値観 に関す る要求 に中国共 産党 の思想文 化政 策が応 え得 てい ない と い う問題 点 が浮 か び上 が ってきた。

これ まで 明 らか に な った法 輪 功 の気功 と教 義 に お け る特 色 と しては 、① 気 功 の簡 便 化 され た 内容 、② 科学 的 用 語 によ る説 明、③ 法 輪 とい う 自動 化

され た メ カニ ズ ム、④ 教 義 の道徳 的 性格 、及 び ⑤ 色濃 い宗教 的性格 を あげ る事が で き る。

こ う した性 格 にっ い ては さ まざま な評価 が 可能 で あ るが 、重要 な事 実 は、

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法 輪 功 が 中 国 にお け る1980年 代 後 半 か ら90年 代 前 半 の 気 功 ブ ー ム の 中 か ら 出 て きた も の で あ って 、 後 か ら登 場 した メ リ ッ トを生 か して 、 こ の ブー ム で 登 場 した 多 くの 気功 の エ ッセ ンス を 充 分 に吸 収 して い る と考 え られ る事 で あ る。 特 に ① 、 ② と ④ の性 格 は ブ ー ム期 の 多 くの 気 功 流 派 に 見 られ た特 色 で あ り、 ③ と ⑤ が 法 輪 功 の 際 立 った 特 異 性 を示 す もの で あ る。

そ して 、今 回 の法 輪 功 批 判 の 過 程 で 、1980年 代 以 来 の気 功 活 動 の 発 展 に お い て 、特 異 功 能 す なわ ち超 能 力 の 評 価 を め ぐ っ て 中 国 共 産 党 内 で 激 しい論 争 が行 われ て き た事 情 も 明 らか に な って きた 。 そ の 中 で 「三 不 」 政 策 が 生 まれ 、 気 功 ブ ー ムが 生 じて きた の で あ る。

本 稿 で は 、 こ う した 観 点 か ら、 明 らか に な って きた 気 功 をめ ぐ る中 国共 産 党 内 で の論 争 と著 名 気 功 師 達 の活 動 を簡 単 に概 観 す る事 に よ って 、 法 輪 功 の

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気功 の特 色 と教 義 の特 殊 なあ り方 を浮 か び上 が らせ る ように務 め た。今後解 明が待 たれ る、気功 自体 の発展 、中 国の改革 過程 での大 衆的価値 観 の変化 と 宗教 との 関係 、大 脳 、精 神 と物質 との関係 の深層 、等 の研 究 に さ らに多 くの 研究者 が参 入す るように期待 した い。

2「 三 不 」 方 針 と気 功 ブー ム

(1)建 国 後 の 気 功 普 及 活 動

建 国 後 中 国 の 気 功 の 普 及 で は 、 北 戴 河 に お い て1956年 に 国営 の 気 功i療養 院 が創 設 され た意 義 が 大 き い と され る。 こ の療 養 院 の 院長 が 劉 貴 珍 で あ った 。

劉 貴 珍 は 、 河 北 威 県 大 寺 荘 の 人 で 、1920年 に生 まれ 、1945年 に 革 命 に 参 加 した 。1956年 か ら北 戴 河 気 功 療 養 院 の 院 長 と な り、1984年12月27日 死 去 した 。

劉 貴 珍 は 、 重 い 胃潰 瘍 に な り痛 くて 眠 れ ず 、 紹 介 を受 け て解 放 区 の 農 民 気 功 師 劉 渡 舟 か ら内養 功 を教 え て も ら い 、 ま じめ に練 習 して102日 で 胃潰 瘍 が

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中 国にお け る気功 活動 の展 開 と法輪 功事件(浜)3

直 った。 この方 法 を知 人 に教 えた と ころ有 効で 、河北 省邪 台地 区党委員 会 、 唐 山市党委 員会 、河北 省衛 生庁 の高 い評価 を得 た。省 衛生庁 は劉 の気功 につ いて、 中央 の衛 生部 に報告 し、1955年12月19日 に、 中 国中医研究 院成 立大 会 で劉 は気功 普及 の功 績 で表彰 され た。有 名 に な った劉貴 珍 は全 国で研修 を 行 い、最初 の気 功 ブー ムが生 じた。

1956年 に、 国が 投資 して党 首 脳 の避 暑 地 で あ る北 戴河 に最 初 の 気功 療養 院が設 立 され て、劉 貴珍 が最初 の院長 とな った。 同年 劉 少奇 が北京 に呼んで 気 功 の教 授 と報 告 を させ 、高 い評価 を行 った。 これ 以 降、陳毅 、林伯 渠 、謝 覚 哉 らの指 導 者 が 気功 を習 って効果 が よ く、 ます ます 評 価 が 高 ま り、彼 の

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『気功療 法実 践』 は11刷100万 部 売れ 、各 国語 に翻訳 され た。

文化 大革命 で は批 判 闘争 を受 け これ が劉貴珍 の早 逝 の原 因 とな った と見 ら

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れ て い る。 劉 貴 珍 の功 績 は 、 『気 功 療 法 実 践 』 の 中 で 中 国 の 伝 統 的 な養 生 法 、 心 身鍛 錬 法 で あ る、 導 引 、 吐納 、 行 基 、服 気 、坐 忘 、守 神 、煉 丹 、座 禅 、等 々 を 、気 功 とい う名 称 に統 一 した こ と に あ り、 そ の 後 の 普 及 に大 き く貢 献 した

と さ れ る。

しか し、 劉 貴 珍 に よ って 気 功 と い う名 称 に整 理 され た 結 果 、 「気 」 が 呼 吸 法 に 限 定 され 、 広 くて も 「内 気 」 「正 気 」 「元 気 」 と い う 事 に な り、 「入 静 」 とい う本 筋 が 見 失 わ れ が ち に な った 。 そ して後 に 「内気 外 放 」 が 注 目 され 、

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外 気 の 一 人 歩 き現 象 を 引 き起 こ した 、 とそ の 限 界 を指 摘 す る も の も あ る。

(2)80年 代 の 気 功 ブ0ム の 概 観 1)気 功 ブー ム の 到 来

第2の 気 功 ブ ー ム は1987年 か ら始 ま った 。 この 年6月 か ら人 体 特 異 功 能 の 研 究 、 管 理 を担 当す る 「四 人 小 組 」 弁 公 室 で 仕 事 をす る よ う に な った 申潭 に

くの

よれ ば 、 ブー ム の実 態 は次 の よ う な も の で あ った 。

気 功 ブ ー ム は 、 気 功 活 動 参 加 人 口 に も 示 さ れ て お り 、1988年 に は 大 体

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年 表1建 国後 中 国の気功 活動 略年 表

1955 1956 1979

中国中医研 究 院成立大 会で 、劉貴珍 が気功 普及 で表彰 され る。

北戴 河 に国立気功療 養 院設立。劉 貴珍 が院 長 に任 命 さ る。

3.11『 四川 日報 』 が 「大 足 県 で耳で字 が わ か る児 童 を発 見」 との記事 を掲載 。

19802月 上海 で第1回 人体特 異功 能研究 会開催 。 19815月 中 国人体科学 研究 会準備委 員会 成立。

8月 干光遠 が特異 功能 の宣伝 に反対 す る活 動 を開始。

19823月 国防科学 技術 委員会 副主任 張震 簑が 、張宝勝 の特 殊識字 能 力の実演 を組織 。

3月 中共 中央 の 「我 国社 会主義 時期 の宗教 活動 に関す る基本 観点及 び基 本政策 」発表 。

6.25中 共 中央宣伝 部 の通 知 、人体特 異功能 にっ いては、宣伝 せず 、批 判せず 、論争 せず 、 とい う 「三 不」方 針 を示す。

19864月 中国気功 科学研 究会 が成立 。

19875.3中 国人 体科学 学会正 式成立 。

8月 張宏 塗が 中華養 生益智 功(中 功)の 普及 を開始 。

9月 厳新 と清 華大学 の気功外 気 で核酸構 造 を変化 させ た実験が マ ス コ ミ の話 題 に なる。

19883月 国家 科学技 術委員 会 、中央宣伝 部等 が 「気 功 の社 会活 動 と宣伝報 道 工作 に関す る通知 」 を出す。

5.8田 瑞 生 が、香功(中 国仏法 芳香型 智悟気 功)の 初級 、 中級 功 の普 及 を開始。

6月 四川省成 都 の方宗騨 が政府 か ら副主任 医師級 高級 気功 師 に認定 され る。

199012月 張 香玉 が逮捕 され 、中 国気 功科学 研究 会 の特 約会員 の資格 が取 り消 され る。

19925月 李 洪志 が長春 で法輪 功 の普及 を開始。

199412.5中 共 中央 、国務院 が 「科学 技術 普及工 作 の強化 に関す る若干 の意 見」 を 出す。

19955月 全 国科学 技術大 会 開催 。偽 人体科学 、偽 気功 、所謂 人体特 異功能 へ の批判 高 まる。

199610月 北京 市中級 法院 が、沈 昌の 『工 人 日報』 に対す る名 誉殿損 での告 訴 を却下 。

11月 中 国気功科学 研究 会が 、法輪功 の直属 功法 登録 を取 り消す。

19977.23胡 万林 が西安市 長安 県 に終 南山 医院 を開業。

19991月 胡万 林 に逮捕 状執行 。12月 商丘 市 中級 法 院で公判 開始。●

4.25法 輪 功学 習者 に よる中南海 包囲事件 。

10.30全 人代常委 が 「邪 教組織 の取締 り、邪 教活 動 の防止 と処罰 に関す る決 定」 を採択 。

筆者作成

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6000万 人 、90年 代 半 ばで は約2億 人 と見 られ ていた。

申潭 に よれ ば、気 功 ブー ムを もた ら した一つ の重要 な要因 と して、気 功師 、 研究 者 、老 幹部 、 マス コ ミの密接 な協 力関係 が あ り、そ の具 体例 は、厳新 、 陸祖 隠 、張震 簑 、 明真 の 問 に見 られた とい う。1987年 に ある新 聞が一 面 で 、 厳 新 が清華 大学 で外気 実験 を行 って重 大 な突破 を勝 ち取 った と報 道。 夏 には

陸祖 隠が興 城 で開かれ た全 国気功 科学 学術会 議 で厳新 の気功 科学 実験 の報告 を行 い 、 ち ょう どこの時厳 新 自身 は、先ず遼 寧 で、 さ らに北京 、 内蒙 古 、広 東等 で気 功実演 報告 を行 った。 各単位 は争 って厳 新 を招 い て報告 を求め た。

各新 聞雑 誌 は気功 の医療奇 跡 と科 学実 験 の奇跡 を大 い に報 道 し、宣伝 した。

厳新 ブー ムと気功 ブー ムは双子 の よ うな もので あ った とい う。

気功 ブー ムは 同時 に人体特異功能(超 能 力)の 宣伝 に機会 を与 え る事 にな っ た。厳 新 は気功 の宣伝 を行 う時 に、特 異功 能 の宣伝 を大 い に行 った。 気功 、 特 に高級 気功 は特異功 能 と密接 に関連 し、厳 格 に区別 す る事が難 しか った。

気功 ブー ムは特 異功 能 の宣伝 にチ ャ ンス と条件 を創造 した のであ る。

1987年 末 に は、 批判 派 の 『科 技 日報 』 が 次 のよ う な事例 を整理 した二 っ の内部報 告 を作 った。一 っ は厳 新 の気功実 演報 告 に関す る内蒙 古 の軍 幹部 の 手紙 で 、一万 人近 くが大 師(厳 新)の 指示 で座禅 入 静 し、 あた か も仏 教徒 が 敬 慶 に活 仏 の布 道講経 を受 けて い るか の ようであ り、 これ は気 功講演 の範 囲 を大 き く逸脱 し、特 異功能 を際限 な く拡大 し、色濃 い迷信 の色彩 に覆われ て い る、 と した。 もう一っ は新 聞雑誌 の気功 と特異 功能 の報道 の摘要 であ った。

『中 国青 年』 は、 気功 師 の趙学 忠が 気功 で特異 功能 を開発 し、台湾 か ら来 た あ る人 を見 て、奥 さん に婦 人科 の病 が あ ると言い 、 またあ る人 の写 真 を見 て この人 は 、高 血圧 、動 脈硬 化 で 、 腎臓 が悪 い と言 った と報 道 した。 『中 国気 功』 は 、厳新 が あ る老 将 軍 の女の子 に冷水 を飲 ませ て 、将 軍 の奥 さん の高血 圧 昏 迷症 を 治 した と報 道 した 。『南風 』 は、 張延 生 は遙 感 で病 気 を診 断 し、

『周易 』 の卦 に よ り予 測が 出来 る、 と報道 し、張 宝勝 は念 力で50kgの 砂 糖

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を運 び 、 封 を した ビ ンか ら丸 薬 を転 げ 落 させ 、 破 い た 名 刺 を復 元 で き る等 と 報 道 した 、 等 々。

1988年 の 『光 明 日報 』 の 内 部 刊 行 物 は 、 あ る気 功 組 織 の 責 任 者 が 、 無 錫 で 報 告 を行 って 次 の よ う に述 べ た と伝 え た 。 気 功 師 の 発 す る功 は 、 外 星 人 が 操 縦 して い る もの で 、 女 嫡 は 外 星 人 で 、 言 わ れ た と こ ろ の 神 仙 、 祭 られ た 菩 薩 、大 仏 は 正 真 正 銘 の 外 星 人 で あ る。 地 球 は 正 に 破 滅 に 向 か って加 速 して お り、 地 球 人 は 宇 宙 トンネ ル で 他 の 星 に移 る事 に な るが 、地 球 に12あ る トン ネ ル の 一 っ が 青 海 に あ る 、 と。 こ う した 内部 刊 行 物 の 高 級 幹 部 へ の 影 響 に は 無 視 で き な い大 き い もの が あ った と い う。

2)気 功 の 社 会 活 動 と宣 伝 報 道 工 作 に 関 す る通 知

「宣 伝 せ ず 、 批 判 せ ず 、論 争 せ ず 」 の 「三 不 」 方 針 を 実 行 す る立 場 に あ る、

特 異 功 能 研 究 の 管 理 を行 う 「四 人 小 組 」 は 、社 会 に 現 れ た こ う した現 象 に対 処 す る た め 、 各 方 面 に働 きか け た 。1988年3月 に 、 国 家 科 学 技 術 委 員 会 、 中 央 宣 伝 部 、 中 国科 学 技 術 協 会 の 連 名 で 、 「気 功 の社 会 活 動 と 宣伝 報 道 工 作 に関 す る通 知 」 が 出 され た 。

この 「通 知 」 は 、 気 功 師 の 勝 手 な解 釈 や 誇 大 宣 伝 、 大 規 模 な気 功 実 演 講 演 会 に注 意 を促 し、 気 功 研 究 と発 掘 は科 学 と迷 信 を 区 別 し、 宣 伝 報 道 部 門 は 科 学 性 と真 実 性 に注 意 し、 「特 異 功 能 」 現 象 に対 して は 、 一 般 に 宣伝 報 道 せ ず 、

ニ ュー ス の 発 表 に 当 た って は 許 可 を 求 め なけ れ ば な らな い 、 と した 。

こ の通 知 後 、 厳 新 の大 型 気 功 実 演 報 告 は行 わ れ な く な り、神 効 奇 跡 の 類 の 報 道 は な くな った が 、 しば ら く して この 「通 知 」 は なか った か の ご と く、 気 功 ブ ー ム は ゆ っ く り元 に戻 った 。 厳 新 は ア メ リ カに 行 って 戻 らな か った が 、 多 くの 気 功 師 が 後 を継 ぎ 、 気 功 活 動 の発 展 に伴 って 、 宣 伝 す べ きで な い宗 教 .活動 、 迷 信 等 も発 展 して きた 。

四 人 小 組 は 、 権 力 機 構 で は な く調 整 機構 で あ っ て 、 実 権 が な く、 ま た 1989年 末 か ら1970年 は じめ にか け て 、 重 要 メ ンバ ー で あ る伍 紹 祖 と 国 家 科

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学 技 術 委 員 会 の 郭 主 任 の 任 務 に 変 動 が 生 じた た め 、 業 務 停 止 状 態 に 陥 り、

「通 知 」 の 実 行 に干 与 す る組 織 が な くな った 。

中 国 気 功 科 学 研 究 会 理 事 長 で 、 中 国 人 体 科 学 学 会 理 事 長 で あ る張 震 簑 は 、 か って 中 国 の 原 爆 と電 子 計 算 機 の 開 発 を 指 揮 した 人 物 で あ るが 、 気 功 と特 異 功 能 は まだ 国 家 の 承 認 を 得 て お らず 、 研 究 経 費 が 出 ず 、批 判 反 対 す る人 が お り、 多 くの 高 い レベ ル の 気 功 師 が まだ 「山 か ら下 り」 て い な い と して 、 気 功 ブー ム の 熱 を 冷 ます べ きで は な い と い う考 え 方 で あ り 、 「通 知 」 を 自分 の 意 見 を 聞 か ず に 出 した と、 四 人 小 組 弁 公 室 の 申潭 に怒 りを ぶ っっ け 、 そ の後 両 者 の 関 係 が 気 まず くな った と い う 。

3)気 功 ブ ー ム の 全 面 開 花

「通 知 」 は 気 功 師達 を 拘 束 す る も の に は な らず 、 多 くの 気 功 師 た ち は 、 気 功 伝 授 、 研 修 、 実 技 報 告 、 病 気 治 療 等 の形 式 で か な りの収 入 を得 る こ と が 出 来 た。 彼 等 は公 職 を 辞 め た 。 こ う して 、 彼 等 は戸i籍、 賃 金 、 行 政 の 上下 関 係 、 党 の規 律 等 何 らの拘 束 も 受 けず 、 組 織 管 理 の 拘 束 も受 け ず に済 み 、 市 場 さ え

あれ ば 大 変 う ま く行 った 。 一 定 以 上 の 能 力 の あ る気 功 師 に と って 、 市 場 は確 か に 際 限 な く大 き か った 。彼 等 は 万 人 以 上 の 「四 人 小 組 」 を騒 が せ る よ う な 大 型 実 演 講 演 会 は や らな か った が 、千 人 規 模 の 実演 講 演 会 を数 百 回 、 数 千 回

とや る事 が 出来 、 誰 も これ に ブ レー キ を か け る も の が い なか った 。

厳 新 の後 に は 、張 宏 塗 、張 香 玉 、 張 小 平 、 沈 昌 、独 玉 騎 、 陳 林 峰 、張 致 祥 、 田瑞 生 、 李 洪 志 等 の 「気 功 大 師」 が 続 々 と現 れ て 、 そ れ ぞ れ 二 、 三 年 世 の 中 を 騒 が せ た 。 そ の 内 の何 人 か は 、 自己造 神 能 力 は厳 新 に 劣 らな か った が 、 そ の 他 の 面 で の 品格 は 、 は る か に厳 新 に及 ば なか った 。 一 部 の 人 は 、 ま った く 気 功 事 業 の発 展 の た め に気 功 の科 学 実 験 を行 う の で は な く、 き ち が い じみ て 金 儲 け を 図 り、 迷 信 を 宣伝 し、名 を騙 り、利 を騙 り、 色 を騙 り、 財 を騙 った 。 張 香 玉 、 張 小 平 は 、 気 功 界 の 「な らず 者 」 で あ る と い う。

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(3)人 体 特異 功能 、人体 科学 研究 の推進 1)人 体特 異功 能研究 の 開始

1980年 代 末 の気 功 ブー ムは、1978年 末 の 中共11期3中 総会 で改 革 ・開放 の時代 に入 って以来 の人 体特 異功能 研究 の 開始 、 それ を拡 大 した人体科 学研 究 の展 開 の積 み重 ね の中で 開花 して きた もので あ る。

1979年3月11日 、『四川 日報』 は 、「大 足県 で耳で字 がわ か る児 童 を発 見」

とい う記事 を載 せ 、12歳 で小学5年 生 の唐 雨 が耳 で字 が読 め る事 が判 明 し、

科学 研究 部 門で研究 を進 め てい る、 と報道 した。4月 に入 って安 徽省 で女 子 中学 生胡 聯 、北 京 で は、女子 小学 生姜燕 、 さ らに11歳 と13歳 の姉 妹 王斌 と 王 強 、河 北省 倫 県の女子 中学 生子瑞 華 、等 の耳で字 が読 め る児童 生徒 が発 見

され た。

これ まで の常識 に反す る発 見で あ るため 、四川 医学院が調 査 を行 った結果 、 ほ とん どが盗 み読 み によ る事 がわ か った。姜燕 にっ い て も同様 とわか った。

5月 には2回 『人 民 日報 』 が批 判 を行 い、 あ る部 門は耳 で字 を読 む現 象 の宣 伝 は科 学 に違反 し、封建 迷信 を復活 す る ものだ とい う文書 を通 達 し、『四川

日報 』 は 自己批判 し、四川省委 員会 書記 の楊超 は迫 られ て=検討 を行 った。

1978年5月 に上海 で創 刊 され た 『自然 』雑 誌 の編 集委 員 兼 記者 で あ る、

朱潤 龍 、朱恰 恰 は、7月 に北京 に来 て王斌 、王 強 に会 って、識字 能 力を確認 し、『自然』 雑誌 に非 眼感 知 、人体 感 知等 の用 語 で一 連 の実験 結果 を発表 し た 。

1980年2月 に 『自然 』 雑誌 編 集 部 が主 宰 して上海 で第1回 人体 特 異功 能 討 論会 が 開 かれ た 。 こ こに は前述 の児童 を含 む13人 の特異 功 能 児童 と1人

の特 異 功能 成 人が 招 かれ て、各種 実験 を行 い、 『自然 』雑 誌 は 、 この会議 で 真偽 論争 は特異 能 力 の存在 を確 認 して結論 が 出、人体特 異功 能 の研 究 は新 し

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い 段 階 に 入 っ た 、 と した 。

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2)人 体科 学研 究 の推 進

1981年5月 、重 慶 で第2回 人体 特 異 功 能討 論会 が 開か れ た。 この会 議 は 四川 省委員 会書 記 の楊超 が 開幕式 を主宰 し、中 国科 学技 術協 会書 記 の晶春 栄 が会議 に出席 し、著名 な科学 者銭学 森 、貝時璋 、王澄 昌、趙 忠発等 が 、祝 賀 の手 紙 と電報 を送 り、会 議 の重要度 が大 いに高 ま った。

この会議 で は、中 国人体科学 研 究会準 備委 員会 が設 立 され た。銭学 森 は 、 米MIT教 授で 、建 国後 国 に戻 り、 中国 の ロケ ッ ト開発 を指揮 した。 この頃 は 国防科学技 術委 員会 副主任 、 中 国科学 技術協 会 主席 、全 国政協 副主席 で、

1980年 か ら 『自然 』 雑誌 に寄稿 し、人 体特 異 効 能 とい う この未 知 の領 域 の 研究 を支持 した 。1981年 初 め に銭 学森 は 『自然』 雑 誌 で 、 人体 科学 とい う 概 念 を提起 した。 人体科 学 は、特異 効能 、気 功、 中 国医学 の三方面 を含 む も ので 、気功 の外気 、 中国医学 の経 絡 な どの未知 の領 域 を研究 しよ うとす るも ので あ った。

1981年11月 、 中 国人 体科 学研 究 会準 備 委員 会 は上=海で 第2回 全体 会議 を 開 いて、人体 特異 効能研 究が 批判 に直面 して いるので 、 国家科 学技術 委員 会 に公開測定検 定を組織す るよう要望 した。返答 が ないので、 同準備委 員会 は、

82年4月 に い くっか の大 学 と研究 所 に呼 びか け て合 同測 定検 定 を組 織 した。

27の 研究 単位 か ら40名 の専 門家が参 加 して、3ヶ 月の問検 定測 定 を行 った。

遼寧 省本渓 市 の工場 に勤 め る張 宝勝 は、偶 然鼻 で字 を判 別 で き る事 がわ か り、1980年6月 に市 の科 学 技 術協 会 が 測定 を行 って そ の能 力 を確 認 し、 北 京 に招 か れた 。1982年3月 には 、 国防科 学 技 術協 会 副 主任 の張 震簑 が張 宝 勝 の特 殊識 字能 力の実演 を組織 した。 この実演 には、 国防科学 技術委 員会 副 局長 で あ る伍 紹祖 が招 かれ てお り、彼 は人体特 異効 能研究 支持派 に な った 。 伍 は当時 の党主席 で あ る胡耀 邦 の共 産主 義青年 団 中央第1書 記時代 の部下 で あ ったた め、後述 のよ うに党 中央委 員会 の4月6月 にか け ての 「三不 」方針 決定 に大 き な影響 を与 え る事 に な った。

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張宝勝 は、 さ らに5月 に は葉剣 英元 帥 の家 で実演 を行 い成功 を収 め 、張宝 勝 は宇 宙生理 学 研究 所(507研 究所)に 所 属 して国防 的観点 か ら秘 密裏 に実

{g)

験 に参加 す る事 に な った 。 3)干 光遠 の批判

干 光遠 は、1981年8月 、す なわ ち第2回 人体 特 異 効能 討 論会 が 閉幕 して しば らく後 か ら1982年 末 まで 、『哲 学研 究 』『中 国社 会 科学 』 『科 学 報 』『知 識就是 力量』 『自然弁 証 法通 迅』 『1982年 中 国哲 学年 鑑』 等 の刊 行 物 に10余 編 の特 異 効能批 判論 文 を発表 した。後 に これ らを まとめ て1996年11月 に知 識 出版社 か ら 『評所 謂 人体 特異 効能 』 とい う本 を出版 して い る。

子光遠 は、著名 な哲学 者 、経 済学 者 で、 中央 宣伝部 の科学 処処 長 をや った 事が あ り、 この当時 は 、 国家科学 技 術委 員 会副 主任(1979〜82年)、 中 国社 会科学 院副 院長 で あ った。彼 は 、エ ンゲル スの 『自然弁証 法』 の専 門家 であ り権威 で 、以前 「自然弁 証法研 究会 」主要 責任 者で あ り、特異 効能研 究批 判 の提 唱者 であ った。

子光 遠 は、唐 雨 、姜燕 等 に対 す る実験 は正確 にお こなわれ た が 、『自然 』 雑誌等 の新 聞雑誌 の特 異功能 を肯 定 した測定試 験 は信頼 で き ない と した 。彼 は哲 学 の高 度か ら特異効 能の実験 を信 じる人 は経 験主義 だ と批判 した。彼 は、

「耳で字 がわ か る」 よ うな状況 は科 学 にお いて根 本的 に存在 し得 ない ことで あ り、理 論 の考 察で これ を根 本 的 に否 定す る事 が 出来 、 ま った く実 験 で証 明 す る必要 が ない と した。

干光遠 は、特異 効能 の研究 を批判 す る事 は大 い に必要 だ と考 えた。 人体特 異功能 の研 究 はす なわ ち、建 国前 の霊学 の変種で あ り、霊学 は偽 科学 であ る。

彼 は 、人 体特 異 効 能 に関す る宣伝 は思想 の混 乱 を もた ら してお り、 これ は

「科学 か それ とも偽科学 か」「唯物 論 、マル クス主 義か 、それ とも唯心 主義 、 マ ル クス主義 と根 本 的 に対 立す る哲学 か」 の問題 で あ る と した 。(9}

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4)人 体特 異功 能研 究管理 グ ルー プ

① 「3人 小 組」

伍 紹祖 は 、1964年 清華 大学工程 物理学 部卒 で、理論核 物理 の大 学院 に入 っ た が、途 中で共 産 主義 青年 団 中央 に入 り、全 国学 連 で主席 と な った。 「文化 大革命 」 中は王 震副総理 秘 書 を勤 め 、後 に国防科 学工 業委員 会 に入 って、参 謀 、副 局 長等 を経 て 、1985年 には政 治 委員 を務 め て いた。 張 震簑 将 軍 は こ の頃退官 して民間人 であ ったが 、伍紹 祖 は現役 高級 幹部 で あ り、論議 の多 い 特異 効能研究 を上部 の認 可 の下 に推進す る立場 にあ った。

伍 紹祖 は、 中央 宣伝 部 と国家安 全部 の二 人 と合 同で 上層部 に手紙 を書 き、

特異効能 の科学上 の意義、 お よび 国防 と安 全の面 での可能 な応用価値 を述べ 、 3人 で グルー プを作 り、特 異効能 研究 及び政 策 と管理 の責任 を負 う事 を申 し 出た。 この件 は党 中央 責任 者 の同意 を得 て 「3人 小組」 が成 立 した 。張宝勝 を代 表 とす る特 異効 能研究 は秘 密裏 に推進す る事 が確 定 し、張宝勝 は伍紹 祖

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の指 導 の下 に507研 究 所 に在 籍 す る こ と に な った 。

② 「4人 小 組 」

1987年 に 、 国 家 科 学 技 術 委 員 会 の郭 副 主 任 が 加 わ って 「4人 小 組 」 と な っ た 。

こ の年 、507研 究 所 の 一 部 の研 究 員 が 国 務 院 の科 学 技 術 指 導 小 組 に手 紙 を 書 い て 、 特 異 効 能 研 究 の 重 要 性 を述 べ 、 国 家 ハ イ テ ク技 術 発 展 長 期 計 画 、 す な わ ち863計 画 に入 れ る よ う要 望 した 。 郭 副 主任 は これ に理 解 を示 して独 自 に 予 備 調 査 を 進 め て い た の で 、「3人 小 組 」 は 郭 副 主任 を 加 え て拡 大 す る事

と した の で あ る。

「4人 小 組 」 が 進 め た 仕 事 と して は 、 弁 公 室 を 作 った こ と と専 門 家 グ ル ー プを 作 った こ とで あ る。 国 家 計 画 に 入 れ る前 に若 干 の 科 研 費 が得 られ た の で 、

1件3万 元以下 の科研 費 を十 余 の人体科 学研究 課題 に提供 した。ロ エ 

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③ 「6人 小組 」

1989年 には 、伍 紹 祖 が 国家 体 育運 動 委 員会 主任 に転 じ、1990は じめ には 郭副 主任 が 転勤 に な った た め、「4人 小組 」 の活 動 が停止 した 。夏 に4人 が 連名 で事 業 の継 続 を上 申 し、12月 に は 「6人 小 組 」 発足 した 。伍 紹 祖 が組 長 で 、成員 には衛 生部 の陳部 長 、 国家科 学技 術委 員会 の李 副主任 、 中央 宣伝 部 責任 者 、等6人 か らな っていた。

1991年2月 に第1回 会 議が 開か れ た。 内容 は 四つ の強化 で 、指 導 の強化 、 管理 の強化 、事 務 機構 の強 化 、科 研 の強化 で あ った 。「6人 小 組」 は、成 員

の変 動 で、後 に人体 科学工 作組 と改称 した。伍 紹祖 組長 が 国家体 育運動 委員 会主任 とな ったた め、人体 科学 工作弁 公 室 は体 育運 動委 員会 武術研 究院 に置 かれ 、 同院院長 が弁 公室 主任 を兼 任 した 。

1995年5月 か ら人体 科学 の 断 固た る反 対 者 が 、人 体科 学 を偽科 学 と して 攻 撃 し、断 罪 しよう と した。伍紹 祖 は上 層指導 部 に 自分 の観点 を上 申 し、 こ のた め に、10月 に は不 適 当 な批 判 が 中止 され 、年 末 には人 体科 学 の仕事 が

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再 び 肯 定 され る よ う に な った と い う。

(4)大 論 争 と 「三 不 」 方 針 の 形 成 過 程 1)干 光 遠 に よ る 批 判 の 実 態

干 光 遠 は 、1996年 に10年 前 の 『評 所 謂 特 異 効 能 』 と い う 本 の 改 訂 版 を 出 した が 、 そ の序 文 で 、 自分 の1981年 当 時 の 特 異 効 能 批 判 に っ い て 次 の よ う に振 りか え って い る 。

こ こ に収 め た 論 述 は 遺 憾 な事 に 今 日に な って も時 代 遅 れ と な って い な い 。 私 が1981年 に こ の反 科 学 の 宣 伝 を 必 ず 停 止 し なけ れ ば な ら な い と提 起 す る 前 は 、2年 半 の 間 、 この 偽 科 学 は 大 手 を振 って まか り通 りこれ を阻 む も の は な か った 。 科 学 の勢 力 と反 科 学 勢 力 の最 初 の 闘 争 に対 して 高 い評 価 を 行 うべ き だ 。 そ の 結 果 の 一 つ は胡 耀 邦 同 志 が 批 示 し、 引 き続 き宣 伝 を許 さず 、 きわ

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中国 にお け る気功 活動 の展 開 と法輪 功事 件(浜)13

め て少数 の人だ けが研 究 を続 け て 良い とい うものだ った。 しか し反 科学 の人 物 は、 あ る指導機 構 の支持 を得 て、 あ る著名 な科学 者 の鼓 吹 と メデ ィアの盲 目的報 道 の下 に、中央 の 同志の指 示 にか まわ ず 、何 はばか るこ とな く大 規模 な宣伝 と迷 信組織 と組 んだ 活動 を行 って、 ます ます 活動 が は げ しくな り幾 多 の悪 事 を行 い、今 日のわ が 国社会 生活 のうれ うべ き事 情 を もた ら した ので あ

く13)

る。

1981年 か ら干 光 遠 は 、 「こ の 種 の 反 科 学 の 宣 伝 を 止 め る べ き で あ る 」 (1981年8月10日 の 講 話)、 「中 国科 学 協 会 は"人 体 特 異 効 能"に 反 対 す る 態 度 を 速 や か に表 明 す べ きで あ る 」(9月15日 中 国 科 協 責 任 者 へ の 手 紙)、

「科 学 普 及 刊 行 物 で 鬼 魂 の 宣 伝 を行 う事 は 許 され な い」(同10月4日 と28 日)、 「中 国 科 学 院 は"人 体 特 異 効 能"に 反 対 す べ き で あ る」(3人 へ の 手 紙 11月4日)、 「中 国科 協 は 正 式 に 文 書 で"中 国 人 体 科 学 研 究 会"を まだ 承 認

して い な い こ と を説 明す る事 を 望 む 」(中 国科 協 責 任 者 へ の 手 紙12月9日) と 、連 続 して 見 解 を発 表 した 。1982年 に は 「2年 余 来 の"耳 で 字 を読 む"

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宣伝 を評す 」 とい う長 文 の論文 を発表 した。

2)人 体特 異効能 研究支 持派 の反撃

1982年 当時 の状 況 で は、 人体 特 異効 能 研 究 は党 の 旧来 の 方針 に沿 った子 光遠 の ような権 威 の あ る人物 の真 っ向か らの批 判 に直面 したため 、銭学 森等 の人 々が敢 然 と して この批 判 に対抗 し、特 異 効能研 究支 持 の旗 印 を敢 然 と掲 げ なけれ ば、恐 ら く特異 効能 の研究 は 中国 で天折 して しま った で あろ う、 と

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い う。

干 光遠 は、の ち に特異 効能研 究 、宣伝 、管理 に関す る推進 派 と反対 派 の激 しい攻 防 、「三 不」 方針 の決定 に至 る過程 にっ い て 自分 の観 点か ら基 本 文 書

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を紹 介 しなが ら整理 した 。

本節 で は以 下 、 この干 光遠 の整理 に も とつ い て、 「三 不 」方 針決 定 に至 る 経過 を簡 単 に叙述 してお きたい。

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特 異効 能研究 推進 派 は、干光遠 の真 っ向か らの批判 に直面 してそ の対 策 を 協 議 した。彼等 の中の 「策士」 が 、大 丈夫 、何 とか して中央 の責 任 のあ る同 志 が、干 光遠 が反対 してい るのはす で に学術 問題 で は な く政 治 問題 なのだ と 信 じるよ うに仕 向けれ ば 良い、 と言 った。

この戦 術 は本 当に効果 を上 げた。 かれ らは 「中央 の責任 あ る同志」 の と こ ろ に行 って実演 を行 い、彼 等 に 自分 の 目で 「人体 特異功 能」 を見せ て彼 等 を 騙 し、 「人 体特 異 効能 」 が病 気 を治せ ると信 じさせ た。 何 人 か の指 導 者 は 、 人体特 異功 能 を信 じるよ うにな り、直接 間接 に この種 の反科 学 の宣伝 を支持 す るように な った。 中央 書 記処 書 記兼 中央宣伝 部長(王 任 重)は そ の中の0 人 であ った。 それ は一人 に止 ま らなか った。特 異 効能 宣伝 者 は 、中央 の責任 者 と一 緒 に写 真 を撮 り、それ を支持 の証拠 と して見せ て歩 いた。

何人か の中央 の同志 の支持 を勝 ち取 ってか ら、彼等 は至 る ところで 、実演 、 報 告会 、討論会 を行 い、研究会 を成 立 させ 、各 地 の新 聞雑誌 に人体特 異功 能

を宣伝す る報 道や論 文 を載 せ 、 出版社 もこれ に習 った。 こう して全 国風靡 と い って も過 言で ない状況 にな った。

3)両 派 の激突

当時党 の科学 工作 は国家 科学技 術委 員会 が主管 して いた。 国家科 学技 術委 員会 の何人 かの副主任 の内で干 光遠 は 自然弁証法 の面 の仕事 を担 当 して いた。

干光遠 の提 案 で、 国家科学 技術委 員会 の下 に 「人体 特異 効能 問題調 査研 究連 絡組 」 が組 織 され、 ミニ機 関紙 を 出 し、会議 を開 き、文 章 を書 いた。 の ち に 1975年 か ら1982年 に至 る両派 の 闘争 を ま とめ て、1985年1月 に 「連 絡組 」

は 『人体特 異効 能争論 始末 』 を出版 してい る。

1981年 末か ら82年 初 め にか け て対立 は激 烈 に な った。 人体 特 異功 能 をや る勢力が攻 勢 をか け、反 科学 の宣伝 に反対す る 『中国青年 報』や 『人 民 日報 』 が攻撃 を受 けた。 国家 の科学 工作 を管 理す る二 つ の最高機 関 であ る科 学技 術 委員会 と国防科学 技術 委員会 が対 立す る立場 に立 った。 中 国科 学 院 の李 昌も

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中国 におけ る気 功活動 の展 開 と法輪 功事 件(浜)15

反 対 派 に 立 って い た 。

こ の 間 子 光 遠 は 、 多 くの 論 文 を 書 き、 何 回 も各 種 の 会 合 で 話 を した 。 張 震 簑iは1982年2月6日 に李 昌 に 手 紙 を 書 き 、 李 昌 の 態 度 に不 同 意 を示 した 。 彼 は3月15日 に は 子 光 遠 に も批 判 の 手 紙 を 書 い た 。 また4月5日 に は 、 心 理 学 者 のi.が 子 光 遠 の 書 い た 文 章 を 支 持 した と い う の で 活 寂 に手 紙 を 書 い

た 。 全 国科 学 技 術 協 会 書 記 覇 春 栄 と衛 生 部 中 医 局 の 呂嫡 奎 は1981年10月5 日、 王 任 重 に 手 紙 を 書 き 、1982年3月25日 に は 胡 耀 邦(党 主 席)に 手 紙 を 書 き干 光 遠 が 人 体 特 異 功 能 を全 面 的 に否 定 して い る事 に抗 議 した 。

『人 民 日報 』 が 、 中 国 科 学 院 の1982年2月24日 の 報 告 会 で 中 国科 学 院 の 党 組 書 記 の李 昌 と干 光 遠 が 行 った 講 話 を 掲 載 し、 さ らに長 い編 者 の 言 葉 をっ け た 事 に彼 等 は大 い に不 満 で 、 党 中 央 に 問 題 を 上 げ て き た 。 党 中央 委 員 会 に は1981年 末 か82年 初 め に思 想 工 作 小 組 が 設 置 され て い た 。 メ ンバ ー は7人 で 、序 列 順 に 、胡 喬 木 、 王 任 重 、 周 揚 、 干 光 遠 、朱 穆 之 、 華 楠 、及 び郵 力 群 で 、郵 力 群 は小 組 秘 書 で あ った 。 全 国科 協 書 記 の晶 春 栄 は 、 中 央 に この よ う な思 想 工 作 小 組 が あ る と知 って 、 『人 民 日報 』 の 問題 を訴 え 出 た 。

秘 書 の 郵 力 群 は 、 「この 件 は 思 想 工 作 小 組 で 議 論 して は い か が か 」 と メ ン バ ー に聞 い て 回 った 。 王 任 重 は賛 成 、 子 光 遠 は 「ま じめ に徹 底 的 に議 論 す べ きだ 」 と 賛 成 した 。 胡 喬 木 は 、 子 光 遠 の 性 格 を 良 く知 って い る の で 、 議 論 す る と、 王 任 重 との 激 しい論 争 に な る こ と を考 え て 、 理 由 な しに 「この 件 は 議 論 しな い事 に しよ う」 と批 示 し、 この 訴 え は 取 り上 げ られ な くな った 。

人 体 特 異 功 能 をや る一 派 で は 、 今 度 は 国 防 科 学 技 術 委 員 会 の張 震 簑 副 主 任 が 出 て き て抗 議 を行 った 。3月5日 に 『人 民 日報 』 党 組 書 記 胡 績 偉 あ て に手

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紙 を 書 き 、 これ は 、 中 央 思想 工 作 小 組 に も回 って き た 。 4)胡 耀 邦 の裁 定 をめ ぐる い き さつ

胡 耀 邦 は 、 張 震 簑 の 手 紙 と 、 さ らに胡 績 偉 の 手 紙 を 読 ん で 、 張 震 簑 の 手 紙 に 次 の よ う な 批 示 を 書 い た 。

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「喬 木 、 任 重 、 方 毅 、 力 群 同志 に転 送 の 事 。 この 問 題 にっ い て は 、1979年 の 最 初 か ら疑 い を 持 ち 、3回 批 語 を書 い て 、 これ は わ れ わ れ の 科 学 研 究 の 方 向 で は な く、 新 聞雑 誌 で 紹 介 と宣 伝 を して は な ら な い 、 と提 起 した 。 一 部 で は 断 定 的 な と こ ろ が あ った が 、 私 の 主 張 は 根 拠 の あ る も の だ った 。 後 に私 は 管 轄 しな く な った が 、新 聞 雑 誌 に か な り載 った 。 今 も私 は こ の 二 つ の 線 を 守

るべ きだ と主 張 す る。 宣 伝 部 門 が や って も らい た い。4月10日

こ こ に あ る3回 の 批 語 は ど う い う も の か を探 した 予 光 遠 は 、 二 っ を 見 っ け 出 した 。 何 れ も胡 耀 邦 が 中 央 宣伝 部 長 の 時 期 の も の で 、 党 の 宣 伝 部 門 に 向 け た も の で あ る。

第1は 、1979年4月24日 に 国 家 科 学 技 術 委 員 会 と 中 国 科 学 院 の 簡 報

『"耳で 字 を読 む"詐 術 を暴 く』 に 批 示 した も の で 、 こ の よ う なで た らめ の 笑 い話 が あ って は な らな い と した 。

第2は 、 同年11月8日 に 、 『北 京 の 二 人 の 小 学 生 が 耳 と腋 の 下 で 字 を読 む 事 が で き る』 と い う文 書 に批 示 した も の で 、科 学 工 作 者 が 処 理 す る問 題 だ が 、 公 開 宣 伝 して は な ら ない 、 と した 。

干 光 遠 の 分 析 で は 、1982年4月10日 の胡 耀 邦 の 批 示 は 、 前 回 二 つ の 断 固 た る態 度 に対 し して 、 「一 部 断 定 的 な と こ ろ が あ った 」、 「人 体 特 異 功 能 は わ れ わ れ の 研 究 の 方 向 で は な い 」 と して お り、軟 化 が 見 られ る と い う。

こ の 胡 耀 邦 の 批 示 に基 づ い て 、4月20日 、 党 中 央 宣 伝 部 は 「新 聞 雑 誌 で 人 体 特 異 功 能 を 宣 伝 あ る い は批 判 して は な ら な い通 知 」 を 発 出 した 。 全 文 は 以 下 の 通 り。

「あ る時 期 か ら、 一 部 新 聞 雑 誌 は"耳 で 字 を 読 む"た ぐい の 宣伝 を 不 断 に 行 って い る。 同 時 に 一 部 の 新 聞 雑 誌 は 、 公 開 で 論 文 を 発 表 して こ う した 宣 伝

に 批 判 を行 って い る。 最 近 中央 の 何 人 か の 指 導 的 同 志 は 以 下 の 見 解 を示 した 。

"耳 で 字 を読 む"類

、 わ れ わ れ の科 学 研 究 の方 向で は な く、 新 聞 雑 誌 で 紹 介 と宣 伝 を して は な らず 、 ま た 批 判 の文 章 と ニ ュー ス を発 表 して は な らな い。

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中国 にお け る気功活 動 の展 開 と法輪功 事件(浜)17

以上通知 す る。各地 区、各部 門 は注意 して管 理す る事 。」

中国科学 技 術協会 も、4月28日 にほ とん ど同文 の、「新 聞雑 誌 で人体 特異 功 能 の宣伝 または批判 を しては な らない ことに関す る通知 」 を出 した 。

胡 耀邦 の批示 に なか った 「批 判 しては な らない」 が付 け加わ った。 こう し た折衷 妥協 の通知 に対 して、論 争 の双 方 が何 れ も不満 で あ った。 まず 、5月

5日 にあ る著名 な科学 者(銭 学森 を さす)が 中央 宣伝 部副部 長 に手紙 を出 し た。

中国科学 技術'協会 の通知 を見たが 、 これ を下部 で実 行す れば 、一撃 で死 ん で しまう。上海 の 『自然』 雑誌 はい くっ か の論 文 カ ッ トを命令 された 。党 は 議論 の あ る科学研 究 を この よ うに処理 して良いのか。 モ ル ガ ン遺 伝学 説 、 自 動 制御 論 、量子 化学共 振論 、 人工知能 、 さ らに数 量経 済学 、形象 思維 、 な ど を批 判 した教訓 が 少 な くない とで も言 うのか。 『自然 』雑 誌 の論 文掲 載 を禁 止 して は な らない。

私 は 自分 の党 性 にか けて、人 体特 異効能 は真 実で偽 物 で ない ことを保 証す る。 トリック、人騙 しもあ るが 、それ は人体特 異功能 で は ない。人体 特異功 能 は気功 と中 医理 論 と密接 に関連 してい る。手 紙 には以上 の よ うに書 かれ て あ った。

0方 人体 特異功 能反 対派 も黙 ってお らず、科学 技術 委員 会副主 任呉 明喩 が 5月18日 、胡 耀邦 に手紙 を書 いた。

ここ2年 間、所謂 特異功能 の反科学 宣伝 はきわ め て悪 い影響 を与 えて いる。

実演 に参加 した児 童 の心 身 は傷 を受 け てい る。50分 に編 集 した17人 の"特 異功能"児 童 の試験測 定 の録 画 を送 ります か ら見 ていただ きた い。盗 み見 し た もの以外 は全 部失敗 した。党 性 の あ るものは"子 供 を救 え"の 声 に耳 を傾 け るべ きだ。

あ なた の指示 はわ れわれ に非常 に大 きな鼓舞 を与 え るものです が 、数 日前 に接 した 中央 宣伝 部 の正式 文 書 で は、 「また 批判 の文章 とニ ュー ス を発 表 し

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ては な らない」 とあ り深 く憂慮 され る。 ここ2年 来大規 模 にお こなわれ た宣 伝 を中央宣伝 部 は制止 せず 、今数 編 の批判文 書 が発表 され るとブ レー キ をか け る。 これ は 、科 学 に対 し、思想 戦線 におけ るマル クス主義 の地位 を強化す るこ とに対 して どん な メ リッ トが あ るのか。干 光遠 同志 の連載 中の論文 は 中 断 しなけれ ば な らないのか。

中央 宣伝部 の通知 は、た とえ ば、批判 の文章 は発 表 して良いが 、厳 格 な科 学 的態度 を要す る、 と言 うよ うに修 正 して はいかが か。呉 明喩 の手 紙 には以 上 の よ うに書 かれ てあ った。

さ らに、干光 遠 は、銭学 森 の中央 宣伝部 のあ る指導 者へ の手 紙 を見 て、5 月28日 に胡 耀邦 宛 て に手 紙 を書 いた。 この手 紙 は 銭学 森 の論 点 を逐 一論 駁

ciao

した 長 文 の も の で あ った 。

呉 明 喩 、干 光 遠 の 手 紙 に対 して胡 耀 邦 の対 応 は 示 され なか った が 、 しば ら く して 『人 体 特 異 功 能 通 迅 』 が 胡 耀 邦 の5月13日 の 批 示 を伝 え た 。 そ れ は 以 下 の よ う な も の で あ った 。

「本 報 ニ ュー ス 。 中 共 中 央 主 席 胡 耀 邦 同志 は 人 体 特 異 功 能 問 題 に対 して 批 示 を行 った 。 批 示 の全 文 は 以 下 の 通 りで あ る。

これ はわ れ わ れ の科 学 研 究 の 方 向 で は な い。 そ して 、科 学 的 に ま だ 充 分 に 実 証 され て い な い前 には 、新 聞 雑 誌 は宣 伝 せ ず 、 紹 介 せ ず 、 また 批 判 しな い。

こ の2か 条 は 、 私 の 見 る と こ ろ 、 妥 当 で 公 正 な も の で あ り、 断 固 と して この よ う に行 う べ き で あ る。 しか しご く少 数 の 人 が 、 引 き続 き こ の 問題 を研 究 す る事 は許 さ るべ き で 、 また 彼 らが 小 型 の 定 期 研 究 状 況 概 況 を 出 し、 この 方 面 に興 味 の あ る科 学 工 作 者 に送 付 して 閲 読 し、 引 き続 き検 討 す る事 は 許 され る べ き だ 。」

この 批 示 は 、 他 の筋 か らは確 認 さ れ て お らず 、 干 光 遠 は 、 銭 学 森 の 手 紙 に 対 して 中 央 宣 伝 部 の 通 知 を擁 護 した 性 格 の も の と見 て い る。 これ に 引 き続 い て 、 中 央 書 記 処 の 指 示 に 基 づ い て 、 中 央 宣 伝 部 は6月25日 、 も う0つ の 通

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中国 にお け る気功活 動 の展 開 と法輪功 事件(浜)19

知 を 出 した。全 文以下 の通 り。

「各 省 、市 、 自治 区党委 宣伝部 、 総政 宣伝 部 、 中央 宣伝 系統 各 単位 党委 、 党組:

中央書 記処 の指示 に基づ い て、中央 宣伝部 は、最近 人体特 異功能 の宣伝 問 題 につ いて議論 した。 い くっか の意 見 をあ なた がた に指示す るので、 これ に

したが って執行 され たい:

1、 人体特 異功 能 はわ れわ れ の研 究 の重点 で は ない。科 学 的 に充 分 に証 明 さ れ る以前 には今 後新 聞雑誌 にお い て、紹介 と宣伝 を行 わ なわず 、 また批 判 を 進 め、論争 を組織 しては な らない。

2、 これ まで人 体特異 功能 を支持 し、 または反対 す る文章 を発表 した事 の あ る科学 工作 者 に対 して、批判 と叱責 を しては な らない。

3、 今後 、多 くの人 が人体 特異功 能 の試験 を行 う事 を しては な らず 、 また宣 伝 を 目的 と した実演 を行 っては な らない。 そ の観 点 を堅持す る少数 の人 は、

関係 単位 の責任管 理 の下 に、引 き続 き研究 を進 め る ことが 出来 る。 また彼 ら が研究 状況 を反 映す る材料 を まとめ 、 この問題 に興味 の あ る科 学工 作者 に送

り閲読 検 討 に供す ること も許 され る。

4、 人体特 異功能 の研究 、試験 を行 う科研 人員 と、虚偽 を弄 し、機 を見 てペ テ ンをや る人物 とを区別 し、個 別 の虚偽 を弄 し、人の 目を引 きペテ ンをや り、

や り方が悪 劣で 、ひ どい結果 を もた らす者 には、適 当 な批判 と処 分 を行 って 良い。

中共 中央 宣伝部 」

中 国科 学 技 術 協 会 も 、11日 後 に 同様 な通 知 を 出 した 。

こ こで は 、 「科 学 的 に充 分 に証 明 され る以 前 に は 」 と の べ て 、証 明 され る 可 能 性 を 認 め て い る。 また 、 新 し く、 「論 争 を組 織 して は な らな い 」 と規 定 し、 こ こ に 、 「宣 伝 せ ず 、 批 判 せ ず 、 論 争 せ ず 」 と い う 「三 不 」 方 針 が 決 定

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され た事 に なる。

これ で、人 体特異 功能 問題 に対 す る胡耀邦 の処 理 は一段 落 し、そ の後 この 問題 に干 与す る事 は なか った。

以上 の胡耀邦 の この問題 に対す る対処 を解 明 した干 光遠 は 、胡 耀邦 の真意 と希 望 は、人体 特異功 能 の反 科学 的宣伝 を制 限す る事 にあ った と見 るが 、銭 学森 は も とも とこの束 縛 を受け るっ も りは なか った ことは彼 の手 紙 に示 され

てい ると見 る。

そ して、社 会 的 に この種 の人体特 異功 能 をや る人物 は、大部 分が 渡世 術士 で、最 初 か ら党 とはか かわ りの ない人達 で あ った ため 、彼 らは この通知 か ら 束縛 を受 け る事 はあ りえ なか った。 した が って、 この通知 発 出後 、人体特 異 功能 を批 判す る人 を縛 る事 に な っただ けで、反科 学 の宣伝 が ます ます 激烈 に な ることは必然 の結 果で あ り、 この事 は以後 の歴 史が充分 に示 してい る事だ 、 とい う。

もう一 つ干光 遠が指 摘 してい る興味深 い点 は、 当時哲 学 の論争 が政 治的 団 結 を損 な っては な らないとい う配慮 が存 在 した ほか に、 あ る指導者 の病 状 が 悪化 してお り、偽 気功 へ の反対 が あ ま り先鋭 にな る と、気功 師が重 病 の指導

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者の 治療 を しな くな る点 を考慮 した、 と述べ てい る事 で あ るQ

この点か ら見 ると、張 震簑 が、党 元老達 に気 功 師 を会 わせ た戦術 は大 いに 効 を奏 した ので あ る。

(5)気 功 活動 の公認 と偽科 学批判 1)気 功 活動 公認 の動 き

1986年4月 には政 府 公認 の 中国気 功 科学 研 究 会 が成 立 した 。 また この年 には、 国務 院学位 委員会 が初 め て中 国中医研究 院 に気 功学学 科 を設立 し、マ ス ター 研究 生 を募 集養 成す る事 を認 可 した。1987年5月3日 に は、1981年

に準備 委員会 が設 立 され て長 くかか ったが 、国家科 学技 術委 員会 の認 可 によ

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中 国 におけ る気功 活動 の展 開 と法輪 功事件(浜)21

り中国人体科 学学 会 が正式 に成立 した 。

1988年 に は、8月5日 に 四川 省 の気 功 医師 の方宗 騨 が 、初 め て副教 授 級 高級 気 功 師 に任 命 され た 。1989年 年 末 には衛 生 部が 正 式 に 「医療 気功 管 理 条例 」 を公 布 して、 医療 と しての気功 が政府 管理 の下 に組 み込 まれた 。厳新 によれ ば、 これ は気功 が数 千年来 民 間の範 囲の 限 られ た健 身 法 、宮 廷 内の秘 伝 とい った存 在 を脱 して学 問 と して、科学 と して公認 され た事 を意味 してい

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る とい う。 張震簑 は、す で に定年 退職 してお り、中 国気功科学 研究 会 、中 国 人体科 学学 会理 事長 と してか な り自由に活動 す る事が 可能 にな った。

中 国気功 科 学研 究会 が 、全 民健 身 計画 要綱 の実行 に関連 して1996年 末 に 石 家荘 で 行 った初 の気 功大 会 に は2400派 の気功 家 が参 加 し、150余 派 の代

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表 が演 出を行 った。 その うち、中 国気 功科学 研究 会が 直属功 派 と認 定 してい

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る の は30か ら40程 度 と見 られ て い る。

2)偽 科 学 批 判 と 気 功 活 動 へ の 管 理 の 強 化

1988年 に ピー ク に達 した 形 の 気 功 ブー ム は 、1990年 代 前 半 に も衰 え る こ と な く続 い た 。 こ の 中 で は 、 体 制 化 した 正 統 気 功 の ほ か に 、 気 功 の 迷 信 化 、 宗 教 化 の傾 向 と、 気 功 の市 場 経 済 化 の傾 向が 生 じた 。 こう した 弊 害 に対 して 、 1990年 代 初 め に は 「六 四 天 安 門事 件 」 の 余 波 で 、 さ らに1992年 に は 市 場 経 済 化 ブ ー ム の到 来 で 、 中 国共 産 党 に は こ う した 気 功 の 弊 害 に対 処 す る余 裕 が な か った も の と見 られ る。

1994年 か ら、 先 ず 世 論 を形 成 して 徐 々 に 気 功 活 動 に対 す る管 理 を 強 化 す る政 策 が 展 開 され る よ う に な った 。1994年12月5日 に 出 され た 中共 中 央 、 国務 院 の 「科 学 技 術 普 及 工 作 の 強 化 に関 す る若 干 の意 見 」 に は 、 近 年 「一 部 の地 方 で は 、求 神 拝 廟 、 巫 婆 神 漢 、 神 怪 洞 府 、 葬 儀 の 大 盤 振 る舞 い 、迷 信 を 持 ち上 げ る 、 な どの 愚 昧 行 為 が 頻 々 と発 生 して い る。 科 学 の 名 を騙 った 偽 科 学 、 科 学 に反 す る詐 欺 行 為 が 頭 を も た げ て い る」 と情 勢 を認 識 し、 「反 科 学 、 偽 科 学 を 打 ち破 る こ と の 長 期 性 、 複 雑 性 、 困 難 性 を充 分 に 認 識 し、 こ の仕 事

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を終 始一 貫堅持 して行 か な くて はな らない。封建 迷信 を利用 して違 法犯 罪活 動 を行 う もに対 して は、断 固 と して法 に よる打撃 を与 え 、反 動会道 門組織 に 対 しては断 固法 によ り取締 り、封 建迷 信活 動 に参 加 した人 に は批判 教育 を進 め なけれ ば な らない。各級 指導幹 部 は身 を も って、現代 科学 文化知 識、科 学 方法 、科学 思想 の学 習 を 自覚的 に強化 し、各 種 の反科学 思潮 の衝撃 と影響 に 自覚 的 に反 対抵抗 し、封建 迷信 と偽科学 活動 は、 これ に参与 し、 これ を奨 励 しては な らない。党政 幹部 が参神 拝廟 、卦 を求 め 占いを し、葬 儀 を大 い にや る事 を禁止 し、好 ま しい社 会風紀 を打 ち立 て るた め に幹部 が模 範率 先作用 を

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起 こ さ な け れ ば な ら な い」 と した 。

こ の 「若 干 の 意 見 」 発 表 以 降 、 特 に1995年5月 の 全 国科 学 技 術 大 会 以 降 、 こ の キ ャ ンペ ー ンが 本 格 化 した 。6月 に は 、「科 学 精 神 を守 り、 迷 信 愚 昧 に 反 対 す る」 組 織 委 員 会 が 成 立 し、9月 に は 「科 学 精 神 を守 り、 迷 信 愚 昧 に反 対 す る」 シ ンポ ジ ウ ム が 開 かれ た 。

子 光 遠 が 再 び登 場 して 、 「三 偽 一 所 謂 」(偽 人体 科 学 、i偽生 命 科 学 、偽 気 功 、 所 謂 人 体 特 異 功 能)反 対 闘 争 と こ の 動 き を 概 括 した 。 これ は 彼 の80年 代 の

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闘争 の再 開 を意味 していた。

今 回の闘争 で は新 しい偽 科学 、偽 気功反 対 の活動 家 と して、何柞 麻 、張洪 林 、 司馬 南等 が現わ れ た。襲育 之 の回顧 に よれ ば 、今 回 の闘争 では 、戦 線 が 広範 で 、暴 露 され た偽 科学 案件 と して は、人工衛 星 の発射 の成功 を予測 した 気功 大 師(陳 林 峰)、 「水 を油 に変 え る」詐欺 案(王 洪成)、 「特異神 秘功 能」

の 「科学 実 験」(厳 新)が 暴 かれ た。 さ らに 「佛 子」 某(張 小 平)、 「麟麟 の 化身 」 某(張 宏 墜)、 「予 測大 師」 某 、作 家某(何 雲 路)、 某 の人体 科 技(沈 昌)、 現 代神 医某(胡 万 林)、 『国際気功 報』 のでた らめ な宣伝 、等 が暴 かれ

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た とい う。

人体科 学 研 究 推進 派 の 申潭 の 回顧 に よれ ば 、1995年5月 か ら一 部 の人 体 科 学 に対す る頑 固 な反 対者 は偽科学 批判 の名 目で、 め ち ゃ くち ゃに人体科 学

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中 国 にお け る気功 活動 の展 開 と法輪 功事件(浜)23

に不 適 当 な批 判 を しか け 、 人 体 科 学 を偽 科 学 と して 断 罪 しよ う と した 。 一・ の 人 と一 部 の マ ス コ ミは 、 大 批 判 の 方 式 を と って 、 人 体 科 学 に あ り も しな い 罪 名 を 加 え た 。 伍 紹 祖 は これ に萎 縮 す る こ と な く、 上 層 部 が 状 況 を 諮 問 した と き に 自分 の 見 解 を文 書 で 上 申 した 。 関係 指 導 者 は 、 ま じめ に伍 紹 祖 の 意 見 を 聞 き 研 究 して 、10月 に は 不 適 当 な大 批 判 を 制 止 して 、 年 末 に は 人 体 科 学

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工 作 を再 び肯定 した とい う。

何 柞麻 は 、1998年 にr中 国科 学 報』 が今 回 の 闘争 で彼 が 連 戦連 勝 した と 述べ た のに対 して、 よ くて これ は局部 の勝利 だ とい った。例 をあ げれ ば 、厳 新 が実演 報告 をや れ ば、1万 人が集 ま り、省委員 会 書記 が主宰す るの に、何 酢麻 の報告 は 良 くて1000人 で 、科協 主席 が主催 す る程 度 で あ る。 さ らに何 雲 路 は十 数冊 の本 を書 い て、1冊 数 十万部 か ら百万部 出す とい うのに、何酢 麻 の主編 した 『偽 科学 曝 光』 は5000部 に過 ぎ ない。大 衆 生活 へ の影 響 か ら

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見 る と科 学 は ま だ偽 科 学 に勝 って い る と は 言 え な い 、 と い う。

こ う した 状 況 の 中 で 、 気 功 団体 へ の 取 締 り も厳 し くな り、1994年10月 は 民 政 部 が 「国 際 気 功 連 合 会 」 の 解 散 を 命 じ、1996年11月 、 中 国 気 功 科 学 研 究 会 は 、 法 輪 功 が 神 学 迷 信 を宣 揚 し、 気 功 活 動 の趣 旨か ら背 理 して い る と

して 、 法 輪 功 の 直属 功 法 登 録 取 り消 しの決 定 を行 った 。 気 功 科 学 研 究 会 は 、

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翌 年11月 に も 同 じ決 定 を 変 え な い と再 び 宣 告 した 。

(6)気 功 と宗教 に関 す る規制

中 国の 現行 の 宗教 政 策 は 、1982年3月 の中共 中央 の 「我 国社 会 主義 時期

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の宗教 問題 に関す る基 本観点 及 び基 本政 策」 に よ って規定 され てい る。

,基本 原則 は 、以下 の通 り。「一切 の宗教 場所 は政府 宗・教事務 管 理部 門の行 政 指 導 の下 に、 宗教 組 織 と宗 教 管理 人員 に よ って管理 され る。」 「いか な る

人 も宗教 場所 に行 って無 神論 の宣伝 を行 い、 あ るいは信徒大 衆 の中 で有 神 あ るいは無神 の弁 論 を行 っては な らない。 しか しいか な る宗教 組織 と信徒 も宗

参照

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