自己準拠効果(self−reference effect)に関する最近の研究
稲葉 晶子*・林 龍平*
(1992年10月7日受理)
AReview of the Current Studies on the Self−Reference Effect
Akiko INABA and Rywhay HAYAsHI
(Received Octorber 7,1992)
は じ め に
Craik and Lockhart(1972)の処理水準説,及びCraik and Tulving(1975)の精緻化説において,刺激 語をその音韻や形態といった表面的特徴次元で処理するよりも,意味次元で処理した時に,後の記 憶成績が優れるということが示されて以来,高い記憶成績を導くための最適な符号化は意味的水準 におけるものであるとされてきた。
これに対してRogersθ如Z.(1977)は,特性形容詞を刺激として,従来の形態処理,音韻処理,意味 処理に加え,刺激語の示す特性が「自己」に当てはまるか否かの判断をするselheference条件を設 けた実験を行い,self−reference条件での再生成績が最も優れることを示した。この結果は従来の処 理水準説に支持を与えると共に,更に意味処理以上に記憶の保持を促進する処理が存在する事を示 唆するものであった・また,Kuiper and Rogers(1979)は, Rogersθ頗Z.(1977)と同様の実験条件に加 えて更に特定の他者に刺激語を関連させる条件(other−reference条件)を設けた実験を行い,再度 self−reference条件での記憶成績がotheHeferenceも含めた他の全ての条件での成績よりも優れるこ
とを示した。
selfに関連づけると記憶成績が著しく改善されるというこの現象(selheference効果)は,従来 パーソナリティ研究の視点からのみ取り扱われてきたselfの問題に認知心理学的な光をあてたこと や,人の記憶・認知のメカニズムの解明にとっても重要な示唆を与えると思われたことから,上述 のRogersθオαZ・(1977)やKuiper and Rogers(1979)の研究以降,多くの研究者たちによってその生起 機序の解明に向けた取り組みが行われてきた(Bower&Gilligan,1979;Fergusonθ彦αZ.,1983;
Keenan&B・ill・t・1980;Kl・i・&Kihl・t・・m,1986;M・ki&M・C・ul,1985;R。9。,。彦。乙,1979等)。
しかしながら・self−reference効果自体は一貫して認められてきているが,その生起機序については 様々な考え方が錯綜していて今なお十分に明らかにされているとは言えない。そこで本論文では,
改めてこれまでのself−reference効果に関連する様々な研究を整理し,紹介することで,この効果の
*茨城大学教育学部学校教育講座教育心理学教室(〒310 茨城県水戸市文京2丁目1−1).
生起機序を考える手がかりを与えることを目的とする。その際,この整理の枠組みとして,人の認 知的側面に着目するものと,感情的側面に着目するものとが考えられた。すなわちself−reference的 な処理が行われると既存の豊富な知識構造と関連づけて刺激が符号化されるために記憶が促進され るとする精緻化説,刺激相互間の関係の符号化が促進される結果として記憶が優れると説明する体 制化説,あるいは符号化が依拠する知識構造としてselfに独特のセルフ・スキーマ(self−schema)
を仮定するセルフ・スキーマ説等の立場が前者に含められる。他方,刺激をselfに関連づける際に 何等かの価値感情が付加され,それが記憶の促進につながるとするのが後者の立場である.もちろ んこうした視点は,既に林(1987)でも取り上げられており,また同様の枠組みに従ってこれまでの 研究を展望した論文も見うけられるが(遠藤,1988;池上,1984),再度ここでそれ以降の新たな 研究を含めたうえで整理検討しなおす事は意味のあることと考える.
さて本研究においては,こうした視点とは別にもう1つの新たな整理の視点が導入される。すな わち,現在までの研究における方向づけ文を細かく見てみると,一言でrself−reference処理」と いってもselfのどの側面に準拠させた処理であるかについては、必ずしも一貫していない。従って self.reference処理条件における処理の方向づけ方という点に着目し,準拠枠をselfのどの側面にお
くのが最も有効かを検討する事は,この効果の生起要因を明らかにするうえで重要であろうと考え られる。そこで本研究では,前述の分類視点に加えて,この視点からもこれまでの研究を整理分類 し,考察を加えることにした。また最後に,self−reference効果研究の今後の課題についても検討す
る。
ところでself−referenceに対する訳語としては,自己準拠,自己照合,自己参照等様々な語がある が,著者らはこれまでの論文においてこのうちの自己準拠という語を用いてきたので,以後本論文 でもこの訳語を用いることにする。
1 認知的枠組みからの説明
自己準拠効果を認知的枠組みから説明する考え方は,処理方略の点から大きく2つにわけること ができよう。その1つは,「自己」に関する既存の豊富な知識構造に刺激を関連づけるために多くの 情報がそこに付加され,後の記憶が優れるというもので,これは精緻化説と呼ぶことができる。も
う1つは,自己準拠効果の研究での各条件の方向づけ課題に着目し,自己準拠条件において,より 体制化しやすい方向づけ文が用いられていたことがこの効果の理由だとする考え方である。従って
これは体制化説と呼ぶ事ができる。本節ではまず,両説を支持する研究をそれぞれ紹介し,いずれ の説が自己準拠効果をより良く説明するかについて検討してみよう。
1.精緻化か体制化か?
自己準拠処理をすると意味処理をした時以上に効果的な精緻化が行われ,その結果検索ルートが 豊富になることによって,或いは記銘情報の差異性が高まることによって記憶成績が促進されると いうのが精緻化説である。Keenan and Baillet(1980)はその第1実験において,刺激語を「自己」や その他の熟知度の異なる様々な他者に関連させて処理させた後その記憶成績を調べてみたところ,
熟知度の高い人物(言うまでもなく最も熟知度の高い人物は自己)に関連させた時ほど後の再認成 績がすぐれる事を示した。この結果に基づいて彼らは,次のように結論した。すなわち「自己」に 関する知識は最も豊富であるため,「自己」に関連づけて処理をすると刺激に対して付加される情 報量が多くなり,これが自己準拠効果をもたらしたというのである。また同様の実験を行った林(1 987)は,刺激を「自己」に準拠させた条件と好きな友人に準拠させた条件とでは再認成績が同等に 優れ,これらの成績は嫌いな友人への準拠条件及び意味処理条件よりも有意に高くなる事を示し,
Keenan and Baillet(1980)とほぼ一致する結果を得ている。
これら2つの実験結果は自己準拠効果・精緻化説を支持するものであるが,適合性効果の有無と いう点ではくい違いが見られる。適合性効果とは,2つの異なる記銘材料を同一の処理水準で符号 化しても,それらの記憶成績は必ずしも一致しないという現象を説明するために考えられた概念で ある。すなわち具体的に言えば,意味的処理に方向付ける文に対して一方の記銘材料は適合し
(i.e.,質問文に対する答えが「はい」となる場合),他方が適合しない時(i.e.,答えが「いいえ」の 場合)その記憶成績は,前者の方がはるかに優れるという場合を指す言葉である。これは肯定語の 場合,否定語よりも符号化が拡がり,精緻化がより一層進むためであるとされている。この現象は 精緻化説の一つの重要なより所とされてきた(Craik&Tulving,1975)。従って自己準拠効果が精緻 化によって説明されるなら,この効果も同時に認められなければならないはずである。この点につ いてみてみると,確かに林(1987)においては全ての処理条件下でこの効果が認められているが,他 方Keenan and Baillet(1980)においては,いずれの処理条件下でも認められておらず,2つの結果は 一致していない。
さて,精緻化とは全く異なる認知的方略の関与が自己準拠効果を生起させるとする立場もある。
これは体制化説と呼べる考え方で,Klein and Kihlstrom(1986)によって提唱された。彼らは,自己準 拠効果は方向づけ課題における方向づけ文の性質の差によって生じるものであると考え,それを検 証するための実験を行った。典型的な自己準拠効果の実験では,意味処理,音韻処理,形態処理条 件における方向づけ文は各刺激毎に異なるのに対して,自己準拠条件での方向づけ文は全刺激を通 じて同一である(e.g。 Describes you? )。彼らによれば自己準拠条件下では方向づけ文が同一であ るために,刺激は「自分にあてはまる」「自分にあてはまらない」の2つのカテゴリーに分類され,
各カテゴリー内での刺激同士の関係の符号化が促進され,その結果高い記憶成績を生じるというの である。この点に関して検討するため,彼らは処理タイプ(自己準拠処理vs.意味処理)と体制化 の有無とを各々独立に組み合わせた4条件を設けた実験をおこなった。その結果,自己準拠条件,
意味処理条件に関わらず,体制化条件は非体制化条件よりも再生成績が優れ,この事から従来の自 己準拠効果とは体制化の要因が十分に統制されていなかったために生じたものであると結論した。
しかしながら林(1990)は,彼らの実験に以下の様な手続き上の問題点を見出した。すなわち(1)刺 激語が「体の部分」という単一のカテゴリーに属するものであったため,非体制化条件においても 刺激語同士の関係の符号化が促進された可能性がある,(2)意味・非体制化条件での方向づけ文が人 物を主語とするものであったため,被験者が自発的に親しい他者を想起してその人物との関連で刺 激を処理した可能性がある,等である。そこでこれらの点を考慮した上で同様の実験を行ってみた ところ,体制化の有無に関係なく自己準拠条件での再生成績が一貫して意味処理条件でのそれより も優れるということが示された。この事から,自己準拠効果が生起するのはKlein and
Kihlstrom(1986)が指摘したように体制化に関する要因の統制が不十分であったためというよりも,
むしろ精緻化説の言うように,「自己」についての既存の豊富な知識構造と刺激とを関連づける事 がその主たる理由であると結論している。
さて精緻化の立場をとる研究者の中でも,精緻化が依拠する知識構造として何を仮定するかにつ いては2つの考え方がある。すなわち人は豊富で様々な知識を構造化して有しており「自己」はそ の一部分であるとする考え方と,「自己」については独自の認知構造が存在するとする考え方であ る。後者はその認知構造がセルフ・スキーマと呼ばれることから,セルフ・スキーマ説と言える。
次にこれらの各々について,これまでの研究を分類整理してみる事にしよう。
2.精緻化の依拠する知識構造
自己準拠効果が精緻化によって説明されるとする研究者は,我々が「自己」に関する豊富で良く 分化した知識を有しており,自己準拠処理をすると刺激がその知識に関連づけて処理されるために 後の記1意成績が優れるとする点においては一致している。しかしながら,その知識構造として何を 仮定するかについては意見がわかれる。すなわち「自己」に関する情報量は最も多く,それらは高 度に構造化されてはいるが,あくまでも様々な経験的知識や概念的知識構造の一部にすぎないとす る立場がある。またこれとは別に「自己」に関する様々な経験や知識に基づいて,そこから抽象化 された,「自己」についての特別な認知構造(セルフ・スキーマ)が存在すると考える立場もある。
そして前者の立場においては,こうした知識は意味記憶等で仮定されるようなネットワーク構造と いう形をとると考えられている。他方後者の場合においては,こうした構造についての仮定は明確 には示されていない。
例えば前者の考え方の代表的なものとしては,Bower and Gilligan(1979)があげられる。彼らは自 己準拠処理として,Rogersθ頗Z.(1977)が用いた「あなたを記述していますか?」という方向づけ文 を用いる条件(自己準拠条件)に加えて,「この特性で例示されるような個人的経験をアクセスでき ますか?」という方向づけ文によって「自己」の経験的側面に準拠させる条件(自己エピソード準 拠条件)を設け,各々の記憶成績を比較した。またその他に他者準拠条件として,母親エピソード 準拠条件及びWalter−Cronkite準拠条件も用意した。ここでの仮説は以下のようであった。すなわち もし「自己」に関する知識が身近な他者をも含めたエピソード的知識と同様に一般的知識の概念 ネットワークの中に含まれているのであれば,自己エピソード準拠条件と母親エピソード準拠条件 との問に記憶成績の差は見られないはずである。他方「自己」に関してのみ抽象化された独特のセ ルフ・スキーマとして「自己」に関する知識が貯蔵されているのであれば,自己準拠条件と自己工 ピソード準拠条件とにおいて他の2条件よりも有意に記憶が優れるはずである。結果を見てみる と,自己準拠条件,自己エピソード準拠条件,及び母親エピソード準拠条件における記憶成績はと もにCronkite準拠条件よりもすぐれ,3条件間に有意な差は見られなかった。この事から彼らは,
「自己」はそれのみで独特の認知構造を持つというよりもむしろ,「自己」に関する知識は従来の HAMモデル(Anderson&Bower,1973)によって示されるようなネットワーク構造をもつ概念的知 識構造の一部に含まれると結論している。
ところでもし「自己」がBowerらの言うようなネットワーク構造をとる知識構造の一部であるな らば,意味記憶研究で指摘されてきたように,ネットワーク内の情報量が増加するほど情報検索に
時間がかかるという fun効果 が認められるはずである。先に精緻化のところで紹介したKeenan and Baillet(1980)及び林(1987)の研究は,いずれもBower and Gilligan(1979)の考え方に近いと言え るが,このfun効果に関してどの様な事が言えるだろうか。まずKeenan and Baillet(1980)の結果は ターゲット人物についての熟知度が高くなるほど反応潜時(方向づけ課題において,刺激が提示さ れてから被験者がyes−no判断をするまでにかかった時間)が短くなる事を示しており,fun効果は認 められていない。また林(1987)においては,情報量が少ないとされる形態処理条件での反応潜時が 最も長く,やはりこの効果は認められていない。こうした結果は,「自己」に関する知識がネットワ 一ク構造をもつ何らかの知識構造の一部であるとする考え方に不利なものであると言えよう。
次に「自己」についての特別な知識構造が存在し,これに基づく精緻化が自己準拠効果をもたら すとするセルフ・スキーマ説について見てみよう。ここでは,独自の認知構造であるセルフ・スキ 一マの中核をなす属性次元に関わる領域については,効率的で質の高い情報処理が可能であるとさ れる。ここでいうセルフ・スキーマとはどの様なものであろうか。この点について,
Markus(1977)やMarkus and Smith(1981)は以下の様に述べている。すなわち,人は自分がどの様な 人間であるかについてあるまとまりのある知識表象を形成し,保有する。その場合,人にはそれぞ れ自分が一番重要だと思う「自己」についての属性情報があり,「自己」の知識表象はその属性情報 が中核となって構造化されるという。この種のセルフ・スキーマの存在と,自己準拠効果の説明に おいてこの概念が有効である事を示す資料としては,例えばKuiper and Derrry(1981)やDerry and Kuiper(1981)があげられよう。彼らは,欝病患者等,抑欝傾向をもつ被験者について,抑欝性関連語
と非抑欝性関連語について自己準拠効果の実験を行っている。その結果,抑欝性関連語のみで自己 準拠効果が認められ,抑欝傾向をもつ人々のセルフ・スキーマは否定的内容で高度に構造化されて いることが示唆された。また前述のKeenan and Baillet(1980)の結果においては,自己準拠条件での 方向づけ文に対する判断時間が最も短かったが,これは自己準拠課題が「自己」の中核をなす領域 に関する処理を促進したためであろうと解釈することができる。さらにMarkus(1977)は,「自己」に 関連があると認知される情報の中でも「自己」の中核部分に関わるか否かによって処理のされ方が 異なる事を報告している。すなわち「自己」に当てはまり,個人にとって重要で価値のある情報 は,「自己」に当てはまるが個人にとって重要でない次元の情報よりも速く処理されたのである。
Rogersθ頗Z.(1979)の結果も,セルフ・スキーマの存在を仮定する事でうまく説明できるものであ る。彼らは被験者に,前もってターゲット語とディストラクター語全てについて「自己」に当ては まる程度を評定させておき,その評定値に基づいて刺激語を4グループに分類して自己準拠処理条 件下での再認成績を比較した。その結果ターゲット語については,「自己」に当てはまる程度による 差は生じなかったが,ディストラクター語においては,「自己」に当てはまると評定された語ほど虚 再認率が高くなる傾向が見出された(虚再認効果:false−alarm effect)。これは学習時に自己準拠処 理を求められる事で「自己」が活性化されるため,後の再認課題においても「自己」についての知 識構造,すなわちセルフ・スキーマに基づくtop−down型の処理が生じ,「自己」関連語での虚再認 が生じやすかったのだと考えられた。
これらの結果に対してGanellen and Carver(1985)は,セルフ・スキーマの考え方に否定的な結果 を示した。彼らは自己準拠効果を媒介するものとしてそれまで提案されてきた幾つかの変数につい て,特性形容詞を刺激に用いて実験を行った。そこではまず被験者に方向づけ課題(自己準拠処理
条件,他者準拠処理条件)を,次いで3分間の挿入課題の後再生テストを行わせ,最後に以下の4 つについて全刺激語を評定させた。それは,(1)刺激語が「自己」に適用された時に喚起される感情 の質とその強度,(2)感情の質に関わらず,その強度のみ,(3)刺激語が言及する心理学的内容を,個 人的にどれくらい重要だとみなしているか,そして(4)刺激語が言及する内容がその属する心的次元 においてもつ差異性,であった。その結果自己準拠効果及び適合性効果は明確に得られたが,4種 の評定の結果と自己準拠条件での再生成績との間には,いずれも有意な相関は認められなかった。
ところでセルフ・スキーマ説においては「自己」の知識表象は個人が最も重要であると思う属性情 報が中核となって構造化され,その次元に関わる領域については効率的で質の高い情報処理が可能 であると考えられている。その仮定に従えば,Ganellen and Carver(1985)においては4つの評定値 の中でも特に刺激語の個人にとっての重要性と自己準拠処理条件下での再生成績との間に,正の相 関が認められるはずである。しかしながらそれらの間の相関は低く(7=.05),有意にはならなかっ
た。
さらにこれとは別に,セルフ・スキーマの仮定に否定的なものとしてBeUeza(1987)の結果も挙げ られる。彼は「自己」がセルフ・スキーマとして良く構造化された知識構造になっているのであれ ば,それに含まれる情報は容易に確実にアクセスされ検索され,繰り返し検索をさせた場合に同一 の情報を得られる可能性が高いであろうと予測し,この点に関して以下の様な実験を行った。ま ず,「自己」カテゴリーと一般的カテゴリーに関して被験者に特性を記述させ,その1週間後再度同 一の被験者に同一の課題を行わせ,その記述させた特性の重複割合を測定したのである。その結 果,「自己」カテゴリーの方が一般的カテゴリー(i.e.,魚,果物)よりもむしろ重複の割合が有意に 低くなった。この事から彼は「自己」に関しての知識が他の知識に比べてより良く構造化されてい るというわけではなく,むしろ曖昧な知識構造が推測されると結論している。ただしこの点に関し てEndo(1988)は,一般的カテゴリーと「自己」カテゴリーとの違いが熟考されるべきであるとして いる。すなわち一般的カテゴリーについての知識は不変的で完全なシステムであり,教育を通じて 教えられる事も可能で,その検索信頼性が高い事は不思議ではない。それに比べて人は明らかに生 活を通じて変化,発達しており,それが「自己」についての知識構造を変化させる可能性もあると いうのである。そして彼女は,「自己」カテゴリーの検索信頼性が低いからといって直ちに「自己は 良く構造化された知識構造である」という見方を否定する事はできないとしている。
H 感情的枠組みからの説明
自己準拠効果が認知的要因との関連で説明できるとする立場に対して,感情的要因の関与を主張 する立場もある。すなわちそれは,刺激を「自己」に関連づける際何等かの価値感情が付加され,
それによって後の記憶が優れるとするもので,感情説と呼ぶことができるであろう。
ところで,感情と記憶との関わりについては古くから研究がなされ,両者の問には複雑な関連が あることが示唆されてきている。ここでは,まず一般的な記憶と感情との関連について概観し,次 いで,自己準拠効果の生起機序における感情の役割を検討したいくつかの研究を紹介する。
1,感情と記憶
感情と一般的な記憶との間の関連は,古くから注目されてきている。例えばWhite and Ratliff(1934)は,被験者に単語を快,不快,及びこの次元に関して無関連の3つに分類させ,その後 再生テストを行った。その結果,快であると評定された語の方が不快と評定された語よりも有意に 再生成績が優れる事を見出している。またMcNulty and Isnor(1967)は6文字単語を用いて,やはり 被験者に快次元において分類させた後再生テストを行い,快評定語及び無関連であると評定された 語の再生成績が不快評定語のそれよりも優れると報告している。しかしながらBaron(1962)が感情 の質とその強度とを区別し,各々と再生量との関連を研究したところ,感情の質と再生量との間に 相関は認められず(7=.08),感情強度と再生量との間にのみ正の相関が認められた(プ=.43)。こ のことから彼は,記憶における感情の影響について重要なのはその質ではなく,強度であると結論
した。
最近の研究においては,Strongman(1982)が刺激語とそれを当てはめる文枠との感情強度を操作 して被験者に文章完成課題を行わせ,その後当てはめた語の再生テストを行った。その結果自由再 生においては感情強度が強い刺激の方が記憶が優れ,快,不快次元による記憶の差は生じない事を 明らかにした。その後Strongman and Russell(1986)及びHayward and Strongman(1987)において も,同様の結果が見出されている。またBradley and Baddeley(1990)をま,刺激の感情性と快次元とを 操作して,後の記憶成績の差を比較検討した。その結果,快次元による差は認められず,直後(2 分後)再生条件においては感情性の低い刺激の方が記憶が優れたが,遅延(28日後)再生条件では感 情性の高い刺激の方がよく再生される傾向にあるということを見出した。
また感情と情報処理との関連について一般的に,情報処理の初期の段階においては快,不快感情 とも処理速度が速く,その効果は顕著であるが,受容した情報を統合,解釈した後の段階になると 感情の効果は一義的ではなくなり,快感情は感情状態に合った概念を活性化するが,不快感情の場 合には必ずしも不快概念が活性化されない事が知られている。この現象はPNA(Positive−Negative Asymmetry)現象と呼ぼれており,最初に言及したのはPeeters(1971)であるが,近年では社会的認 知の様々な局面で見られる感情の影響の非対称性を指すようになってきている(池上,1992)。この 点に関する最近の研究として川瀬(1992)のものがあげられる。彼は,被験者に偽りのフィードバヅ クを与える事によってpositiveもしくはnegativeな感情を生起させ,各感情状態下での日常的出来 事の記憶の再生を求めた。彼はまた,再生時に手がかり語として,「自己」関係的情報の処理を促進 するであろう語(i.e.,自分)とneutral語(Le。成績,仕事,努力)とを提示し,手がかり語のタイプ
と感情状態との両方を独立に操作して,再生された出来事の感情的内容を比較検討した。その結果 手がかり語がneutralな場合, positive感情状態では感情性が一致した出来事の再生が優れたが,一 方negative感情状態では,必ずしもnegativeな出来事の再生が優れるということはなかった。それ に対し「自己」関係的情報処理促進語が提示された場合には,positive, negativeいずれにおいても 生起していた感情状態に一致する情報の検索が優れた。このことから彼はpositive感情は自動的に 記憶検索を促進するが,negative感情は「自己」関係的情報処理を媒介して記憶検索に影響すると 結論した。またRiskind(1989)は,人格特性形容詞を刺激として,「自己」に関連づける処理をさせた 場合には,その時に誘発されていた感情状態にあった情報が再生されるが,音韻的処理をさせた場 合にはそのような効果は見られなかったということから,感情は,刺激が非対人的に処理された時
よりも「自己」に準拠された時に,記憶に多くの影響を与えると述べている。これらのことから考 えて,自己準拠効果に感情が関与しているということが予測されるであろう。
2.自己準拠効果と感情
刺激の記憶成績が関連づける人物の熟知度の関数になるという事を示したKeenan and Baillet(1980)の結果は,感情説の枠組みでも説明が可能だと言えるかもしれない。すなわち,熟知度 の高い人物とは一般的に好意をもっている親しい人物であるとも言えるからである。そこで Keenan and Bailletはその第2実験において,先の第1実験と同様の手続きを用い,各々の人物につ
いてパーソナリティに関する判断と事実に関する判断を行わせ,それぞれにおける記憶成績を比較 した。その結果パーソナリティ判断をした時にのみ,自己準拠効果が得られた。このことから,彼 らは「自己」に関連した処理が記憶成績を向上させるのは,それが評価的感情を伴う場合のみであ ると結論した。
またFerguson撹αZ.(1983)は,被験者を意味評定群と対人的準拠群とに分け,前者には刺激語自体 の望ましさ,熟知度,イメージ喚起容易性,及び有意味度について,また後者には「自己」,好きな 人物,嫌いな人物,及びどちらでもない人物について刺激語が当てはまるか否かの評定をさせた。
その結果,意味評定群では望ましさ評定をされた語の記憶が最も優れ,対人的準拠群においては
「自己」に関して評定された語の記憶成績が最も高く,この2条件下の記憶成績は同程度であった。
このことから彼らは,自己準拠効果はその課題が評価的判断を伴うために生じるものであると結論 し,感情説に支持を与えている。
Miall(1986)は,動詞と名詞とから成る句を刺激としてその感情の質と感情性を操作し,被験者に 自己準拠判断,友人準拠判断,イメージ喚起容易性評定,及び共通性評定を行わせた後,自由再生 を行わせた。その結果,全体としては自己準拠及び友人準拠条件での再生成績は,他の2つの処理 条件における成績よりも有意に優れ,両群問に差は見られなかった。さらに細かく自己準拠条件と 友人準拠条件とについて見てみると,感情性の高い刺激においてのみ自己準拠条件は友人準拠条件 よりも有意に記憶が優れており,感情性次元で中立的な刺激ではその様な差は生じなかった。以上 の結果から彼は,自己準拠効果は刺激が感情的なものを喚起する時にのみ認められると結論し,自 己概念は主として感情的意味において表現されると述べた。
さて「自己」に関連させるとどの様な感情的要素が喚起され,記憶成績が促進されると考えられ るのだろうか。例えばMueller and Grove(1991)はこの点について,不快感情を喚起するであろう刺 激ほど記憶が優れることを報告している。すなわち彼らは,現実自己準拠及び理想自己準拠処理を 被験者に行わせ,その結果最も後の再生が優れたのは,現実自己にのみ当てはまり好ましくない特 性(望んではいないが,現実にはそうなってしまっている特性)及び理想自己にのみ当てはまり好 ましい特性(望んでいるが,未だ達成できない特性)であった。そしてこれらはいずれも不快感情 を喚起するであろうと考えられる刺激であった。これに対して豊田(1987)は,刺激として提示され る語から想起される過去のエピソードについての感情価評定課題を被験者に行わせ,後の記憶成績 を調べた。その結果思い出されたエピソードが快なものほど,刺激語の記憶成績が優れる事を報告 しており,快・不快いずれの感情が自己関係的な情報の処理を促進させるのかについては,明確に されていない。
稲葉・林(1992)では,動詞を刺激として,自己準拠,意味処理,音韻処理条件について実験を 行った。その際動詞をその印象価によって,良い印象を与えるもの(G動詞),悪い印象を与えるも の(B動詞),中立的なもの(N動詞)の3つにわけて,各々の記憶成績を分析した。その結果,自 己準拠及び意味処理条件において刺激の印象価の効果が見られた。すなわち,G及びB動詞におけ る記憶はN動詞よりも優れていたのである。しかしながら刺激の印象価の効果と符号化タイプ(自 己準拠処理か意味処理か)との間の交互作用は有意ではなく,感情を喚起しやすいと考えられる刺 激語でのみ,選択的に自己準拠処理の優位性が認められるということはなかった。これは感情説と 矛盾する結果であると言える。しかしこの研究では,感情の喚起性を印象価で操作しようとし,良
・い印象を与える語を良い感情を喚起させる語,悪い印象を与える語を悪い感情を喚起させる語,ま た中立的な印象の語を感情を喚起させない語として扱っているが,全ての刺激語においてその語の 印象価と付加される感情とが同じであったか否かは疑問である。従ってこの点については,さらに 検討が必要であろう。
この他にも自己準拠効果は感情の関与によって生じるとする立場に否定的な結果を示した研究も ある。例えばFergusonθオαZ.(1983)において自己準拠処理条件と望ましさ評定条件とは被験者間要 因であった。彼らは自己準拠効果はその課題が評価的判断を伴うために生じるものであると結論し ているが,同様に望ましさ評定条件下の被験者が「自己」を喚起していたために,結果としてその 記憶が自己準拠条件下と同等に優れた可能性もある。McCaul and Maki(1984)1ま,この点について 明確にするために,自己準拠処理と望ましさ評定処理とを被験者内要因としてFergusonθオαZ.
(1983)の追試を行った。その結果自己準拠条件での記憶成績は,望ましさ及び熟知度評定よりも有 意にすぐれ,自己準拠判断の心的過程と評価的判断のそれとは全く同一ではなく,自己準拠は感情 的評定以上の何かを伴う事が示唆された。
Ganellen and Carver(1985)も同様の指摘をしている。すなわち彼らは,刺激から喚起される感情 の強度及び質と刺激の再生との間が無相関である事を示したのである。そしてこの結果は,他者の 印象を形成する際に重要とされる情報が必ずしもよく再生されない事を見出したDrebenθ孟αZ.
(1979)に一致すると結論された。またWarrenθ頗Z.(1983)においても,「自己」の過去経験を検索させ るような課題,刺激の快一不快評定課題,刺激の長さ評定課題を被験者に行わせた結果,後の再生 テストにおいて快次元評定(感情評定)条件よりも過去経験を検索させる(自己準拠)条件の方が 成績が優れる事が見出されている。
ところでMaki and McCaul(1985)カミ,刺激として従来の特性形容詞に名詞を加えて,自己準拠効 果についての研究を行った結果,特性形容詞においては自己準拠条件での再生は,有意に他者(R一 eagan)準拠条件よりも優れたが,名詞においては自己準拠効果は得られなかった。このことから 彼らは,自己準拠効果は特性形容詞のような情動的価値を内在した刺激語においてのみ得られると 結論した。そしてこれは,感情説の有力な証拠の1つとされてきた。しかしながらFlannagan and Blick(1989), Howe and Blick(1989)が,熟知されていない名詞及び形容詞とその定義を刺激として,
定義を再生させたところ,いずれの刺激語においても明確な自己準拠効果が認められた。また,林
(1990)は名詞を,稲葉・林(1992)は動詞を刺激として実験を行い,いずれにおいても自己準拠条件 下での記憶成績が他の処理条件よりも優れるという結果を得ている事から,この点についても十分 明らかであるとは言えない。
皿 「自己」のどの側面への準拠が最も有効か?
前節までで見てきたように,自己準拠効果が認知説あるいは感情説のいずれの枠組みからより良 く解釈されるのかは,今のところ明らかではない。そもそも認知的次元と感情的次元とを厳密に切 り離し,そのいずれが自己準拠効果生起に重要であるかを検討することが可能か否かも疑問である という指摘もあり得よう。
ところでこれまで自己準拠効果を扱った研究において「自己に準拠する」という時,具体的に
「自己」のどの側面に準拠させるのかは,実は研究者間で必ずしも一貫していたわけではない。そ こで次にこの点に関してこれまでの研究を整理検討してみることにする。
1.抽象的側面への準拠
RogersθオαZ.(1977)は,自己準拠処理課題の方向づけ文に「この語はあなたを記述しています か?」という文を用いている。また林(1990)は「次の語は自身のイメージや印象を表現する言葉と
してふさわしいですか?」という方向づけ文を用いた。これらはいずれも「自己」の抽象的側面で ある特性次元への準拠を促しているといえよう。このタイプの方向づけ文による研究結果を見てみ ると,全ての研究において自己準拠効果が認められる(e,g., Bower&Gilligan,1979;Flannag一 an&Blick・1989;McCaul&Maki,1984)。また自己準拠処理条件での成績を,他者準拠処理した時 の成績と比べてみても,Makl and McCaul(1985)を除く他の全ての研究で前者の成績が後者を上ま わっていた(e.g., Ganellen&Carver,1985;Keenan&Baillet,1980;Kuiper&Rogers,1979;
Lord,1980)。
「自己」の抽象的次元に関連づける方向づけ文とみなす事ができるものとして,この他に理想自 己(個人がかくありたいと思う自己)への準拠を行わせた研究もある。遠藤(1987)は,認知構造と
しての理想自己についてその構造的特性及び情報処理過程における役割を検討する事を目的とした 研究において,「自己」の代わりに理想自己を準拠枠として用い,偶発記憶成績を調べている。その 結果理想自己に関連する情報においては,無関連な情報よりも反応潜時が短く,後の再生成績も優 れた。また理想自己に一致する情報については,ディストラクター語であっても誤って再認してし まうという虚再認効果も得られたと報告されている。さらにまたMueller and Grove(1991)ひこおいて も同様の方向づけ文が用いられている。彼らは刺激語を理想自己と現実自己との両方について当て はまるか否かの判断をさせ,両方に当てはまる特性(現実化特性),どちらか一方にのみ当てはまる 特性(非現実化特性),及びどちらにも当てはまらない特性に分類し,それらと刺激語自体のもつ社 会的望ましさとをクロスさせ,各々の偶発記憶成績を比較した。その結果不快感情を喚起すると思 われる刺激(e.g.,社会的には望ましく,理想自己には当てはまるが現実自己には当てはまらない特 性)の再生が優れることが報告された。これらの研究は,自己準拠処理条件及び意味処理条件との 記憶成績の比較等は行っていないが,やはり「自己」の抽象的側面に準拠させたものであると分類 する事ができよう。
2.経験的側面への準拠
もう1つの枠組みとして,「自己」の経験的側面への準拠を促すような方向づけ文を用いた研究 も多く報告されている。例えばSchmeck and Meier(1984)は,自己準拠処理課題として刺激語(形容 詞)が示す行動を,被験者がどの程度頻繁に行うかを評定させた結果,自己準拠条件での記憶は意 味処理及び音韻処理条件よりも有意に優れていた。
Klein and Kihlstrom(1986)は,その自己準拠・体制化条件において「あなたの_を怪我,或いは 病気した事がありますか?」という質問文を提示し,刺激語(体の一部を示す名詞)を_部分に 当てはめて,「自己」の経験に一致するか否かを判断させた。その結果,1を主語にした文章が「自 己」に当てはまるか否かを判断させた自己準拠・非体制化条件よりも有意に記憶が優れる事を見出
した。また彼らの実験と同様の手続きを用いた林(1990)においては,自己準拠・体制化条件では
「自己」の抽象的側面に準拠させるような質問が,自己準拠・非体制化条件では「あなたは」とい う主語で始まり,刺激語が示す対象に関わる個人的経験の想起を求めるような質問がなされた。そ の2条件間の結果を比較すると,再生成績において有意な差は認められず,いずれも意味処理条件 よりも優れていた。
Bower and Gilligan(1979)はその第2実験において特性形容詞を刺激として,抽象化されたセルフ
・スキーマに一致するか否かの判断をした場合と特定の自伝的エピソードに類似するか否かを判断 させた場合とでは,どちらの記憶が優れるかについて研究を行った。すなわち彼らは自己準拠処理 として,Rogers 8如Z.(1977)が用いた「あなたを記述していますか?」という方向づけ文を用いる条 件(自己準拠条件)に加えて,「この特性で例示されるような個人的経験をアクセスできますか?」
という方向づけ文によって「自己」の経験的側面に準拠させる条件(自己エピソード準拠条件)を 設け,各々の記憶成績を比較した。その他に他者準拠条件として,母親エピソード準拠条件及び Walter−Cronkite準拠条件も用意された。結果を見てみると自己準拠条件,自己エピソード準拠条 件,及び母親エピソード準拠条件における記憶成績はともにCronkite準拠条件よりもすぐれ,3条 件間に有意な差は見られなかった。
またMiall(1986)は自己準拠処理条件での方向づけ課題として,刺激から想起される個人的経験及 び行動の印象強度を評定させ,その後の再生成績を調べた。その結果,自己準拠条件と友人準拠条 件との間に再生成績の差は見られず,いずれもイメージ喚起容易性評定条件及び共通性評定条件よ
りも有意に優れていた。
3.どちらの側面への準拠が有効か?
「自己」の抽象的側面へ準拠した場合と経験的側面へ準拠した場合との比較から,どのような事 が言えるだろうか。ここではこれら2つを明確に区別するために,特性次元など抽象的な面に関連 づけられた処理を「抽象的準拠」,他方エピソードのような経験的側面に関連づけられた処理を「経
,験的準拠」と呼ぶことにする。
抽象的側面への準拠課題を用いたほとんどの研究では,自己抽象的準拠条件が他者抽象的準拠条 件も含めた他の全ての条件よりも記憶が優れている。それに対して経験的側面への準拠課題を用い た研究では,自己経験的準拠条件と他者経験的準拠条件での記憶成績には差が見られないようであ る。では,この違いはどのように説明できるだろうか。この点に関して前述のMiall(1986)の結果が・
1つの示唆を与えてくれるだろう。彼は対人準拠処理として,「自己」及び友人の経験的側面への準 拠を促す課題を用いた。また刺激の感情性を操作して,各々の再生成績を比較した。その結果全体 としては,自己経験的準拠条件と友人経験的準拠条件との間に記憶成績の差は認められなかった。
しかしながらさらに細かく結果を見ていくと,感情性の高い刺激においてのみ自己経験的準拠条件 は友人経験的準拠条件よりも有意に記憶が優れており,感情性の次元において中立的な刺激ではそ の様な差は生じなかった。Miallは,「自己」に関する感情は直接的に理解されるが,他者については 知覚からの推論であるので,感情が自己概念と他者概念とを区別するであろうと仮定している。こ の解釈を当てはめてみると,「自己」に関しては抽象的側面,経験的側面のいずれにおいても直接的 に理解され,知覚される事ができる。一方,他者について考えると,抽象的側面に関してはその人 の行動の知覚からの間接的な推論によるが,経験的側面については(特に母親や親しい他者に関す る場合には)そのエピソードが共に経験されていたり,間接的に知覚されたものであったりする。
そのため「自己」に関連づけた場合には,それが「自己」の抽象的側面への準拠であっても経験的 側面への準拠であっても,直接的な理解や知覚によって判断がなされるため,後の記憶成績が優れ る.他方,他者に関連づけた場合には,抽象的側面への準拠は知覚からの間接的な推論による判断 であるので,直接的知覚である経験的側面へ準拠した方が記憶が促進される。その結果として,抽 象的側面へ準拠させる自己抽象的準拠条件と他者抽象的準拠条件との記憶成績の間に差が生じると 考えられる。
以上のように考えていくと,特性次元のような抽象的側面への準拠が他者との区別を明確にして いる点から,エピソード的な知識構造よりも,特性次元を中核としたセルフ・スキーマのような認 知構造が仮定されるであろう。また刺激の感情価によって記憶成績に差が生じていることから,感 情的要因が関与している可能性も排除できないと言える。従って,認知的要因と感情的要因のどち らか一方ではなく,その両方が関与して自己準拠効果が生起していると考えるのが妥当であろう。
しかしながら「自己」の中でも特性の様な抽象的側面について繰り返し検索させた場合には,身 体的外見や日常的行動等の様な直接知覚的,経験的側面について検索させた場合よりも,同一の情 報が得られる割合が低いという報告もある(Belleza,1987)。これは上述の様に「自己」の経験的側 面に準拠した場合よりも,特性の様な抽象的側面に準拠した場合の方が他者への準拠も含めた全て の条件での記憶成績を上まわるという事に相反していると言えよう。
4.その他の方向づけ文
ところで,「自己」の特性次元のような抽象的側面とより具体的な経験的側面とに準拠させた研 究について見てきたが,この2つの分類のいずれにも当てはまらない側面へ,処理を方向づけた研 究もいくつかある.例えぼKeenan and Baillet(1980)はその第2実験において,「自己」の具体的な身 体的・知覚的側面に準拠させる課題を用いている。彼らの実験では人及び動物の体の部分を示す名 詞を刺激として,「あなたには_がありますか?」という事実判断が「自己」も含めた熟知度の異 なる4人の人物に関して要求された。再認テストの結果を見てみると,4条件問に差は認められ ず・自己準拠効果は得られなかった。その他にMaki and McCaul(1985Nま,自己準拠と他者準拠が形 容詞と名詞との記憶に及ぼす効果に関する研究において,名詞を被験者,彼らの母親,或いは熟知 していない他者が使うと思うか否かをそれぞれ判断させた。その結果,熟知していない他者及び母
親への準拠が,自己準拠よりも記憶を促進させる傾向にあった事を報告している。
またHowe and Blick(1989)は,熟知されていない形容詞及び名詞とそれらの定義を刺激として実 験を行っている。彼らは処理条件として(1)自己準拠条件(2)意味処理条件(3)機械的処理条件を設けた。
それらの方向づけ課題は以下の通りであった。すなわち(1) 1 もしくは me と提示された語 とを用いて,できるだけたくさん文を作りなさい,(2) he , she , it , they と提示された語と を用いて,できるだけたくさん文を作りなさい,(3)提示された語とその定義を,繰り返し書き写し なさい,というものであった。この方向づけ課題の後,5分間もしくは3週間の間隔をおいて,刺 激語の定義を再生させた。その結果5分後の再生では,自己準拠条件での成績は他の2条件での成 績を上回ることが示された。一方3週間後においては,各条件間に有意な差は生じなかった。同様 の方向づけ課題を用いた研究に,Vochatzer and Blick(1989)がある。彼らの使用した刺激は,熟知さ れた名詞と無意味語のペアであった。自己準拠条件においては 1 , my , me , mine ととも に無意味語を用いて文を作成するよう方向づけがなされ,意味処理条件では it , they , their ,
theirs とともに文を作成するよう指示された。機械的処理条件では,「(無意味語)は(熟知名 詞)とは異なる語である」というような文を繰り返し書くことが求められた。記憶のテストは5分 後と2週間後に行われ,そこでは熟知された名詞の再生が求められた。その結果いずれの保持間隔 での再生においても,自己準拠条件と意味処理条件との間に差はなく,機械的処理条件よりは有意 に再生が優れていた。
刺激語が示す対象が,「自己」も含めた特定の人物と交互作用している様子をイメージさせ,その イメージの明瞭さを問う方向づけ文を用いた研究もある。Lord(1980)はその第2実験において,刺 激語として用いた名詞が,「自己」,父親(熟知している他者),Walter−Cronkite(熟知していない他 者),及び木(統制条件)と交互作用している様子を被験者にイメージさせ,その明瞭さを評定させ た。その結果,木,Cronkite,及び父親への準拠条件間に再生成績での差はなく,自己準拠条件での 再生成績のみが有意に低いことが見出された。またMaki and McCaul(1985)の第2実験においては・
名詞及び形容詞について,「自己」,友人(熟知している他者),及びReagan(熟知していない他者)
と交互作用している様子のイメージの明確さを評定させている。具体的には,形容詞についての方 向づけ文は「(人物)が(形容詞)であることをイメージしなさい」であり,名詞については「(人 物)が(名詞)を使っていることをイメージしなさい」であった。結果について見てみると,形容 詞を用いた場合には,自己準拠条件は,友人準拠条件との問に記憶成績の差はなく,Reagan準拠条 件よりは有意に優れていた。一方名詞については3条件間に有意な差は見られなかったと報告され
ている。
IV 自己準拠効果研究の今後の課題
「自己」に関する認知構造(それが「自己」の経験の集合であるかセルフ・スキーマであるかば 別にして)との関係で自己準拠効果が説明できるとすれば,その構造の発達的変化の関数として自 己準拠効果の現れ方は変わると考えられる。子どもの認知(知識)構造の発達と記憶との関係を 扱ったものとしては,例えば北尾・金子(1981)があげられる。彼らは,幼稚園児,小学2年生,及
び6年生を対象に,意味処理・困難条件,意味処理・容易条件,及び音韻処理条件を設け,偶発学 習事態における記憶成績を比較してみた。その結果,幼稚園児及び小学2年生では意味処理の困難 条件と容易条件との問に有意な差は見られず,小学6年生においてのみ困難条件での再生が優れる
ことが示された。そして彼らは,この結果を精緻化の立場から説明している。すなわち,年少児で は精緻化の前提となる知識や学習方略が未発達であるため,たとえ決定困難な課題が与えられても 多くの情報が付加されず,年長児の様な記憶の促進が得られなかったのだと結論したのである。ま た処理水準の効果を検討するために意味処理・容易条件と音韻処理条件とを比較したところ,幼稚 園児のみが各条件での再生成績間に差が認められず,他の2群においては意味処理条件での再生が 有意に優れるという成人と同様の結果を示した。年少児は語の意味的属性よりも音韻的属性を良く 記憶し,年長になると意味的属性の方が良く記憶されるという発達的変化と合わせて考えてみる と,彼らの実験結果から小学2年生程度になると知識や方略の学習経験が蓄えられ,処理水準の効 果が認められるようになると言える。またPuffθオαZ.(1984)は,単語を刺激とした場合には,6歳以 上の子どもにおいて意味処理条件での再生が形態処理条件よりも有意に優れると述べている。
このような精緻化と子どもの知識構造の発達に関する研究は数多くなされているが一方,直接的 に自己準拠効果の発達的側面について扱った研究は,きわめて少ない。現在までのところ,Halpin θ孟α乙(1984)のみである。彼らは特性形容詞を刺激として,幼稚園児,小学1年生,及び4年生を対 象に自己準拠処理の記憶に及ぼす影響を発達的に検討した。その結果,幼稚園児では自己準拠処 理,意味処理,形態処理条件での再生成績の間に有意な差はなく,小学1年生では自己準拠と意味 処理は同程度であり,形態処理との間には差が生じた。そして小学4年生になると自己準拠処理は 意味処理よりも有意に記憶を促進するという成人と同様の結果が見出されている。しかしながら彼
らの研究において,記銘材料として単語刺激を用いたために幼稚園児にfloor effectが生じたのでは ないかという議論もある。言語刺激を用いた実験では,児童期ごろから形態処理条件よりも意味処 理条件で記憶が優れる事が見出されているが,絵画を刺激とした場合にはより早い時期からその様 な差が生じるというのである。事実,Puffθ頗Z.(1984)は,絵画刺激を用いて幼稚園児における意味 処理の優位性を見出している。
他方,感情的側面と自己概念の発達という点に関して言えば,感情は早い時期から分化するが,
自己概念が,外面的な知覚できるような特徴が中心(感覚的自己)であるものから,内面的特徴の 占めるウェイトが中心(認知的自己)となるのはもっと遅い児童期になってからであると言われる
(梶田,1988;柏木,1983)。従って自己準拠効果を発達的に検討し,前述の知識構…造,自己概念,
及び感情の発達的な変化と合わせて考えることは,この効果生起の機序を明らかにするための一助 になると考えられよう。
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