木戸田四郎の豪農論
津 田 秀 夫
1 −」(『社会経済史学』36の5)で,同様の整理を しているから,木戸田四郎が藤田五郎の豪農論の 木戸田四郎の研究業績を近世史の側から検討す 強い刺戟を受けた背景には,服部之総の見解から ると,もっとも目立つ特徴は直接的には藤田五郎 の影響がもちろん大きかったことが想定される。
の豪農論の影響を認めることができる点である。 服部之総は変革の契機として固有の否定的要素 木戸田の問題意識からすれば,それは日本の封建 をあくまで生産の部面から,いうまでもなく,商 制から資本主義の移行過程に当って,内発的なブ 品生産の部面から追跡されなければならないと指 ルジョア発展の契機とその担い手を追求したこと 摘している。(r服部之総著作集』1)しかし,
である。藤田五郎の豪農論が多方面からの批判を 日本社会経済史の上で農業自体の問題として農民 受け,ついには藤田自身遺稿で後述のようにブル 層の分解の視点から出発させてこの問題を考えよ ジョア的な性格を否定するに至ったが,木戸田四 うとしたのは,戦後のことである。戦前の段階で 郎は藤田五郎説をなおも堅持し,彼の死後もその は,封建制の体内で日本の近代化の方向の基点と 実証に努力をしようとした。 その展開を求めようとする見解をとっても,農村 もっとも日本の封建制から近代資本主義への変 の内部構造の分析が不充分なために,農民層内部 革期の経済発展を求めて,内発的な必然性として の諸階層の存在やその分化の内容については余り 維新期を理解しようとする一連の動向は,戦前の 深くは考慮されてはおらず,また,農村の分解ま 資本主義論争を通じて現われている。そのうちで, たは分化といわれていたものを考えると,封建的 幕末・維新期の経済発展をとくに厳マニユ段階と 土地所有者たる武士階級に対立する農民階級とい 措定し,その変革を推進した政治的主体を「地主・ うことにのみに考慮を払っていたのである。した ブルジョア」なる範疇にて理解したのは服部之総 がって,商品生産に伴なって農民層の内部で分解 であった。欧米資本主義諸国の1830年代から60年 現象が起ってくることを軽視した嫌いがある。し 代にかけてのアジア進出に対して,中国と日本と たがって,必ずしも農村内部での一定の経済的発 朝鮮は同じような封建制の崩壌過程を辿り,反擁 展を考慮しなくとも,徳川期から明治期への社会 の現象がみられるのに,日本だけが中国や朝鮮と 的基礎の転換は可能であり,農村の内部では寄生 異って独立国としての道を歩みえたことに注目し 地主対小作人の分化により直接生産者農民の全余 た。それには日本が資本主義国家として発展を示 剰労働ばかりでなく,労賃部分にまで喰い込んで し得た根拠があるとする。すなわち,幕末期にす の彼らの生活の再生産が破壊されるという貧窮分 でにマニュファクチニア段階にまで到達していた 解論に立つものであった。もちろん,このような 経済状態にあったことに基因しているとみている。 見地から明治維新を作り出した変革の主体を求め その発展を担った階層こそが,地主=ブルジョア ようとすると,必然的に下級武士革命論または大 ジーであるとしている。木戸田四郎も「関東農村 政商論を生み出す結果となったのは当然のことで の荒廃とブルジョア的発展一豪農層研究の一視角 ある。
しかし,日本封建制の内部で武士対農民の基本 に近代地主の性格を認めること自体無理とする見 的対立を変更しうる端緒的な担い手を考えるとす 解をとった。(r近世日本農業の構造』P.615)
ると,農民層の内部に求められるべきである。こ 古島からいえば「近世封建的な商を代表する経営 のように,資本主義発展の内的契機を見出すこと 形態である」として把握した地主手作経営から によって,貧窮分解論から維新変革をとき明かそ は,経営の拡大をみるよりは,その縮小となっ うとする従来の説を克服する途が開けるはずであ て現われ,零細小作人の零細農業へ展開し,寄 る。すくなくとも現状維持を利益とする武士層や 生地主制の成立するとの見通しを立てたのであ それと分け前を競合する前期資本家層の側には変 る。
革を積極的に進行させるような変革主体が生まれ したがって,これが封建制解体過程での変革の るとは考えられないからである。 主体となったと考えることは無理であるが,戦後
日本の封建制から資本主義の移行に当って,こ にもなお一連の影響が残った。
の問題の解決のためには,農民層分解のなかから, しかし,戦後の農村史研究は日本封建制解体過 その担い手を見出そうとする研究が出てきてもよ 程の進行をその社会的基礎としての変革主体をい いはずである。 かに発見するかが重要な課題となった。この場合
に,封建制から資本主義への移行に世界史の基本皿 法則が貫徹し,しかも,その実現には地域による
戦後になって,農村史への関心が高まり,また 遅速があるだけであるとする考えがあり,それを 比較経済史の方法論も駆使されるような状況が生 基にして商品生産の見地から,地域類型論として まれてくると,研究動向に新局面が誕生してくる 戸谷敏之の見解を採用し,もし日本における早期 のも当然であった。 のブルジョア的契機が有りうるとすれば,戸谷敏 とくに農民の階層分化を起こす基因を商品生産 之のいわゆる摂津型地域の農業経営にこそ,商品 におき,商品流通と関連させて理解する方法を用 経済の発展が農村内で一般的な繁栄をもたらした い,比較経済史の成果をも組み入れて,ブルジョ はずであるとして注目し,検証しようとしたのが ア的発展の特殊日本的形態を捕捉しようとしたも 古島敏雄である。古島は摂津型地域の近世農村の のの一つに藤田五郎の豪農論がある。 実態調査に入ったのである。もっともそれ以前に,
木戸田四郎の研究の一つの重要な柱は歴史的範 日本全体のなかでの摂津型地域の位置付けを試み 疇として定立した藤田五郎の豪農論の体系を究明 ている。(古島敏雄r近世における商業的農業の
して,それを批判的に継承することに向けられ, 展開』社会構成史大系1950)
最終の成果としてr維新黎明期の豪農層』(1970) 古島敏雄はそのなかで,関東農村についてはそ が結実した。 の可能性を検討してみた結果として,江戸への物
もっとも戦前には土屋喬雄のように領主的土地 資供給や街道沿いの前期的資本の収奪もあまり強 所有に対置しての手作地主の存在を,農村にブ くもなく,また商品生産も,農民層の分解の現象 ルジョァ的経営を見なし,これに関連して農村 からみても,極めて停滞的な地域であるとの見解 に侵入してきた高利貸資本に近代的地主を見出 を示したのである。
すものがいたのである。 (土屋喬雄r日本資本 これに対して,藤田五郎は摂津型地域のような 主義史論集』P.34〜361937)もちろん,この 先進地帯よりは,むしろ辺境の商品経済に捲き込
ような性格のものだけで,ブルジョア的経営とい まれた中間地帯の農村にこそ,積極的に変革の担 うのは無理であり,古島敏雄は近世のこのような い手が存在しているとして,豪農論を提起したの 卿
n主手作そのものは到底そのような性格のもの である。その主張にはいろいろの批判を受けなが でないことを指摘し,さらに高利貸資本の地主化 らも,しかも,その説に工夫を加え,繰り返し豪
農論を展開した。しかし,その見解が確定しない 新本百姓によって担われた。しかし,新本百姓は うちに,藤田五郎はこの世を去ったのである。 彼等が小ブルジョアへ推転をとげる一歩前におい
ここに藤田五郎のいわゆる豪農論について立ち て初期本百姓によって対応され,「いちはやく初 入って見てみる必要がある。 期本百姓側から『小ブルジョア的小商品生産』の
豪農といわれるものは小商品生産者の持続的上 局面をもつ小豪農そして豪農を生みだすこと」に 昇・転化によって成立したものである。豪農の性 なった。
格としては,再版農奴主的地主的側面と地主的側 木戸田四郎の場合,藤田五郎が把握した歴史範 面とさらに農村ブルジョア的側面が三位一体とし 疇として豪農は幕末一維新期の豪農層にフランス て存在する。そのうち封建的要素を捨象して,と 15・6世紀に広汎に誕生をみた「市民的土地所有」
くにそのブルジョア的要素を強調した。木戸田四 =「農村の商人」に比定し,ブルジョア的性格を 郎の豪農論は藤田五郎の見解を基にしている。木 願望として中産的生産者層の(小)ブルジョア化 戸田四郎によって藤田五郎のこの豪農論を整理し への対応的存在であった。ここには世界史的視野 てみると,つぎの通りである。 に立って,そのブルジョア的性格を指摘している。
「藤田氏は寛文一元禄期を歴史範疇としての単 手作経営を行ないつつも小作料に依存し,同時に 純商品生産の段階と想定され,同時にそれをr初 農村工業を経営している地主で,しかも,商品生 期本百姓の商品生産の段階』とされた。この単純 産者として農村ブルジョア的要素を内包している 商品生産の段階には,近世初期以来形成されつつ のである。
あった新本百姓も,その構成員となっていたし, 木戸田四郎の豪農論は藤田のそれを継承しなが 以後の生産力発展→商品経済のより一そうの発展 ら,その上昇・転化論を捨てた点に特徴がある。
は,主として新本百姓によって担われた。しかし, しかも,その論拠を藤田五郎のr封建社会の展開 新本百姓は彼等が小ブルジョアへ推進をとげる一 過程』に見出し,豪農のブルジョア的性格を中産 歩前において初期本百姓によって対応され,rい 的生産者層の(小)ブルジョア化への対応的存在
ちはやく初期本百姓側からく小ブルジョア的小商 として把握しようとした点においている。もっと 品生産〉の局面をもつ小豪農そして豪農を生みだ も藤田五郎はそれ自体はブルジョア的発展のアブ すこと』になった」と整理している。(木戸田四 ノーマルな形態であると見ており,上昇・転化論 郎「関東農村の荒廃とブルジョア的発展」 『社会 を用意していた。
経済史学』36の5) それはヒエラルヒッシュな構造をもち,稲作経
「小商品生産者」の持続的「上昇・転化」的発 営に結び付いた強固な農村共同体制,および極め 展によって成立したものであるとする。いわゆる て強い封建領主権力によってもたらされた必然的
日本型のブルジョア的発展の契機を見出すことに 形態であったとしている。しかも,この遺稿で藤 努力したのである。 田五郎はそのブルジョア的傾向についても否定的
木戸田四郎が藤田五郎の豪農論を継承したのは な見解を示した。
豪農のブルジョア的性格の側面であった。 したがって,木戸田四郎が,その豪農論から上 藤田五郎の豪農論でのブルジョア的性格という 昇・転化論を捨てるのには,余程の理由があると のは,木戸田四郎によれば,つぎのような発生の しなければなるまい。
仕方をしたとするのである。 それには奈良本辰也の影響が考えられる。
すなわち,寛文一元禄期の単純商品生産の段階 奈良本辰也は藤田五郎と同様に,明治維新の主 には,近世初期以来形成されつつあった新本百姓 体を「地主=ブルジョアジー」に求める服部之総 も,その構成員となっていたし,以後の生産力発 説を継承していた。
展→商品経済のよりいっそうの発展は,主として 木戸田四郎へ影響を与えた奈良本辰也の業績と
は郷士=中農論のことである。奈良本は明治維新 農層との関連性を指摘した。木戸田四郎は奈良本 の主体については服部之総説を継承しながら,他 辰也の「郷士=中農論」を念頭におき,会津藩領 方で正常な発展の方向を中位の生活を営む農民に 内の農村の分析を基にしての藤田五郎の「豪農」
おき,これを中農層として把握し,それに生産者 論の批判の上に水戸藩の蘭蔚生産をとりあげ,中 的な性格を認め,生産力の発展の担い手として評 農層の生成・発展の結果として豪農の成立を措定 価して,新政権への懸け橋としてそれらの利害を したのである。
代表するのとして,郷士二中農層の存在を重視し 奈良本辰也の「郷士=中農論」については,そ た。(奈良本辰也r近世封建社会史論』1948)木 のもっとも拠りどころとしていた唯一の具体的な 戸田四郎の言う処によれば,rr草葬の志士,或 事例が誤まっていることを木村礎に指摘され,そ はより近くは藩政改革の指導的武士官僚に連なる の立論の根拠を失った。 (木村礎「萩藩在地家臣 農村の小生産者』に維新改革の主体を求め,有名 団について」r史学雑誌』62の8)その後奈良本 な郷士一中農論を展開された。中農層の評価につ からは何の反論もなく,現在では奈良本説は破産 いて奈良本氏は,rそれ自身ブルジョア的発展の している。すくなくとも奈良本の場合は,大塚史 所産であり乍らも,まだブルジョァジーではなく, 学の安易な対比からする具体的根拠の浅さが災し 封建制度の中に住みながらも決してその条件に満 ているといってよいであろう。
足していないもの,商品生産者化しつつあった生 この見解にはさらに堀江英一からの批判がある。
産的中農層』として,イギリス絶対主義の基礎と すなわち,「郷士一中農論」が成立するのは,長 して注目されるヨーマンに比定され,そのブルジョ 州藩の農村よりはむしろ摂津型の農村ではないか ア的性格を強調されている」と整理する。 (「関 という疑問である。(堀江英一r封建社会におけ 東農村の荒廃とブルジョア的発展」『社会経済史 る資本の存在形態』社会構成史大系)
学』36の5) ところで,藤田五郎の豪農と奈良本辰也の郷士 もちろん,奈良本辰也の見解は決して彼の独創 とは木戸田四郎が豪農層の研究史の整理で取り上 的なものではなく,戸谷敏之の業績に依拠してい げるように親近性がある。奈良本の郷士も藤田の る。 豪農も主体を肝煎身分においており,農村に存在 戸谷敏之は大塚史学の影響を受けて封建制から する領主層の手先としての面を持っそいる。しか 資本主義の移行に当って正常な発展をイギリスに も,それに農民層におけるブルジョア的発展の成 おけるヨーマンに求めてイギリス絶対王政以前の 果一対応一価値法則の一応の成立を前提としてい 15世紀における民富Volksreichtumの一般的形成 る。
を論証して,その担い手として「ヨーマン」を, 木戸田四郎が豪農層論を継続して展開するため 自由独立的な小生産者と想定した。 (戸谷敏之 には,具体的な検証事例を適確に示さなければな
『イギリス・ヨーマンの研究』1951)この業績を るまい。
基にして奈良本は具体的に日本史の上で比定して, ことに木戸田四郎が具体的事例の検証の対象と 中農層の問題を検証としたのである。中農層の問 している関東農村については,すでに古島敏雄に 題提起に当っては当時における学界の現状からいっ よる商品生産も農民層分解も停滞的であるとの見 て,封建的諸関係を一応捨象する必要があったこ 解をまつ克服しなければなるまい。(古島敏雄 とから,その内容はかなり楽観的な見通しをもつ r近世における商業的農業の展開』社会構成史 ものであったのは,当然の成行であった。しかし 大系)
ながら,歴史的事実としては,封建権力との関係 しかも,奈良本辰也説は木村礎の批判によって で,服部之総の唱えた改革派同盟論に影響されて 破産させられたが,藤田五郎の場合には,豪農論
「郷士一中農論」を唱え,維新変革と生産者的中 を批判されながらも生前絶えずそれを発展させる
ことに努力しており,遂に最後の遺稿では「豪農 戸田四郎の見解に対立するものとしては,海野福 マニユ」段階にまで展開しようとする希望を持ち 寿「水戸藩和紙生産地帯における在郷商人の展開」
乍ら,藤田五郎自身「豪農マニユ」段階を否定す (r農業経済研究』27の4 1956)がある。これ る宣言を行なったのである。(『封建社会の展開 は在郷商人一問屋支配は決して旧生産拭式の基礎 過程』1952) の上に立っている生産者の剰余労働を取得する
という基本的性格を一歩も出るものではないとす皿 るものである。
もっとも藤田五郎の豪農論を批判的に継承しな さらにいろいろの批判的論文のなかでもっと がら発展させようとしたものに,佐々木潤之介の も徹底しているのは,芝原拓自の研究である。
豪農論がある。(r幕末社会論』1969)佐々木の (r明治維新の権力基盤』1965)芝原は水戸藩尊 場合には,幕藩制の構造的特質の分析から本百姓 嬢派形成の経済的基盤を取り上げ,木戸田四郎の 体制の下で,村方地主の一発展類型として豪農経 豪農論の障害となり,荒廃現象に結果する点を取 営の側面においてブルジョア的発展がみられると り上げ,水戸藩領内の農村での低い土地生産性,
するが,幕藩制的市場関係に制約されて,その前 農業生産の停滞性が農村人口の減少を来し,封建 期的高利貸的本質を否定するに至らず,その発展 経済を衰微させたとしている。しかも,それが尊 も貫徹しない。佐々木の特徴はその対極に半プロ 嬢狐を成立させることになったとして,木戸田四郎
レタリアートをおき,豪農に主導された特産地形 の小ブルジョア的経済発展論を否定している。
成による非幕藩的市場関係の成立とともに,幕藩 木戸田四郎は改めて豪農を主軸にして,新しい 制的な生産関係とは異なる要素の誕生として半プ 視角のもとに幕末維新期の問題に対処して,従来 ロ層の出現に注目する。幕末期の世直し状況は から批判の対象となった豪農を旧豪農とおき,新
「芽ばえたばかりのプロレタリアート」の要素を しくブルジョア的性格を持つものを新豪農とおき,
原動力として危機的状況を作り出すとする。 天保期には新旧豪農が交代するという。基本的に 佐々木潤之介の豪農論は藤田五郎のそれと同じ は藤田五郎の初期の考え方を継承し,上昇転化論 く,豪農層のブルジョア的性格について,明らか とはならい方法をとった。(『維新黎明期の豪農 に否定していることを木戸田四郎も承知している。 層』1970)
(木戸田四郎「関東農村の荒廃とブルジョア的発 w展」r社会経済史学』36の5)それにもかかわら
ず,木戸田四郎は豪農のブルジョア的性格とその しかし,それを成功させるためにはいろいろと 発展を断念し切れないで,執拗にそのブルジョア 存在する研究上の障害を除去せねばなるまい。
的性格を追求しているのである。このために天明・ そのためには,まず最初に木戸田四郎が主とし 寛政期の関東農村の荒廃現象におき,小商品生産 て検証の対象としている関東農村についての商品 の発展を評価できないとする見解を批判し,「関 生産も農民層分解も停滞的であるとする古島敏雄 東農村の荒廃とブルジョア的発展一豪農経営の一 の見解を克服しなければならないのである。
視角一」 (r社会経済史学』36の5 1971)に水 これに対しては養蚕・製糸・本紛・麻・煙草・
戸藩領内の農村荒廃のなかで,ブルジョア的発展 和紙・こんにゃくなどの特産物生産地帯や水田に を追究しようとしている。しかし,これとても, 比重の大きい米作地帯,さらに生産力の停滞的な 長倉保の批判がある。(「関東農村の荒廃と豪農 後進一自給地帯の三類型が併存しており,近世後 の問題一木戸田四郎r維新期の豪農層』によせて 半期には大なり小なり商品生産・流通の展開とと 一」 r茨城県史研究』16 1970) もに農村荒廃の現象が同時に進行していることが もっとも早くから水戸藩領下の農村に関する木 長谷川伸三の研究で明らかになってきた。(長谷
川伸三r近世農村構造の史的分析』1981) もちろん,関東農村における生産力水準の低さ また長倉保のように小農経営の崩壊を荒廃と想 からいって,容易は克服できるものではなかった。
定すれば,特産地の形成と荒廃とは表裏の関係に (大石慎三郎・逆井孝二・津田秀夫・山本弘文 あるとするいわゆる貧窮分解論に帰結させる見解 r日本経済史論』1967津田秀夫r封建経済政策 を克服しておかなければなるまい。(長倉保「関 の展開と市場構造』1961)
東農村の荒廃と豪農の問題一木戸田四郎r維新期 しかしながら,近世後期になって,江戸市場目 の豪農層』によせて一」r茨城県史研究』16) 当ての商品生産が始まっているとする伊藤好一の もっとも近世後期の関東農村の荒廃現象を共に 業績がある。(伊藤好一r江戸地廻り経済の展開』
商品生産・流通の性格を考察して農村構造変化の 1966)伊藤好一は江戸市場目当ての生産によって,
基本となる農民層分解の問題を,木戸田四郎のよ 関東農村に穀物作地帯,織物地帯,疏菜作地帯な うに両極分解的視点を入れるか,あるいは長倉保 どの成育をみとめるとともに,在方市の消長や在 のように貧窮分解におくかの二者選択的な発想を 郷商人の進出を江戸地廻り経済圏のなかで認めよ 克服することが必要であろう。 うとしている。
最近の関東農村史の研究の実情からすると,広 また,林玲子にも江戸地廻り経済圏を上方市場 汎な農村荒廃の現象は認められるものの,同時に との関連性でとらえ,国内市場の成立との関係を 農民的な商品生産・流通の事例が報告されている。 明らかにした業績がある。(r江戸地廻わ経済圏
とくに開港以降,幕末・維新期にはそのような地 の成立過程一繰綿・油を中心として一」大塚久雄 域が拡大するのである。そのためには,従来の研 他編『資本主義の形成と発展』1968r江戸問屋仲 究視角のほかにいわゆる江戸地廻り経済圏の観点 間の研究一幕藩体制下の都市商業資本一』1967)
を導入する必要がある。 江戸地廻り経済圏の成立には,幕府の首都市場 ここに江戸地廻り経済圏というのは,首都江戸 圏育成政策の対象となった地域として,江戸市場 の主要な商品市場(とくに米穀を除く)を大坂市 と結びついた商品生産地帯ということの外に,国 場に全面的に依存していた幕府が,近世後期になっ 内市場形成の前提としての広域市場圏との関連で,
て,なお大坂市場への依存関係を高める特別の政 幕藩制的商品流通とともに,農民的商品流通の展 策を講ずるとともに,関東農村の内部で,江戸市 開の状況を具体的に明らかにする必要がある。
場への出荷しうるような生産地帯を作り上げ,そ その点では,従来の関東農村=停滞という定式 れからの流通に期待するために成立した首都市場 だけでは理解できないし,この地域での農民的商 圏のことである。 品生産の発展とそれに応じてあらたに出現する在 幕府は全国市場の編成を行なうに当って,江戸 郷商人と旧来の特権商人との流通過程をめぐって 市場第一主義をとっているが,米以外の主要な日 の争いなどの諸変化が明らかになってきている。
常生活必需品などの多くを大坂市場に依存しなけ また,長野ひろ子のように北関東とくに水戸藩 ればならなかった。ことに近世後期になると,幕 領下の農村の個別経営の分析を通じて化政期から 府は全面的に依存していた大坂市場に,全国市場 幕末期にかけての研究などでは多少の光明がない での中央市場としての特権を付与し商品流通を統 わけでもない。(長野ひろ子r幕藩制国家の経済 制しようとする政策をとったのである。 構造』1987)これらの成果がさらに拡大してくれ
他方で,関東農村でのこれらの商品生産・流通 ば,木戸田四郎の豪農層の新旧交代論が批判的に に期待をかけて,その育成をはかったのである。 継承される途が開かれるかもしれない。