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回想の靄

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Academic year: 2021

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芝浦工業大学工学部建築工学科 2010年度卒業論文・卒業設計梗概

研究指導:赤堀 教授 Takahiro Idenoshita

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回想の靄

‐戦争を後世に伝える新たな空間表現‐

Keywords

戦争 千羽鶴 中島地区 K07010 井手野下 貴弘 景観軸 グリッド ガラス

1.研究背景 薄れゆく記憶

第二次世界大戦終戦から66年が経ち、活気に溢れる 広島をみていると原子爆弾が投下された事実さえ疑って しまう。残されたのは当時の面影を残した原爆ドームと 人々に残された心と身体の傷である。数年前には、広島 平和記念公園でボランティアとして観光客に戦争の記憶 を語る老人を目にすることがあった。しかし、被爆者の 高齢化に伴い、戦争を語る人々は年々減少しており、今 ではあまり見かけなくなった。やがてはその老人方が亡 くなれば、原爆を実際に体験した者はいなくなる。後世 に対する戦争のリアリティは著しく欠如するのは確実で ある。現在、戦争の悲惨な過去を語り継ぐために平和資 料館が大きな役割を果たす。平和資料館は日本各地に存 在するが、どこも資料を保管し、ショーケースに資料を 陳列するという代わり映えのない展示方法が取られてい る。人々はこれらの展示を見ても、戦争の事実を知るこ とは出来るが000000を感じることはできない。

2.研究目的

歴史の教科書をみて、そういう過去もあったのかとい う程度の印象しか受けない。戦争を体験した人々やそれ らの人から話を聞き戦争のリアリティを強く持った人々

(地元民)とそうではない人々(観光客など)の間に感 覚や意識の差異が生まれている。こうした現状に対して、

建築で見る人に半永久的に戦争の記憶を伝え、差異を無 くすことを目的とする。

3.対象敷地

近く取り壊しが決まった広島市民球場の跡地及び周辺 を対象の敷地とする。平和記念公園の計画時に丹下健三 は景観軸を設けた。資料館は平和大通りから原爆ドーム への視線を遮らないよう、ピロティにより空中に浮かせ る形をとっており、慰霊碑の先に原爆ドームを望める。

しかしこの軸線は原爆ドームの先にある主要道路によっ て完全に分断されているため本敷地との関係性はほぼ絶 たれている。(図1)

図1 敷地図

また、敷地は広島市内中心地に位置しており、さらに スポーツ観戦をするための人で賑わいを見せていたが、

2009年の広島市民球場閉鎖に伴い、訪れる人は減少して いる。広島平和記念公園に路面電車で来園する人の多く は敷地周辺で降りるため多くの観光客が訪れることので きる場所である。

4.プログラム

今ある平和資料館は過去に起きたことを中心に展示す ることが多いためリアリティが欠如してしまう。そこで 本計画では今もなお戦争の事実を感じれるものとして千 羽鶴を用いる。多くの人に戦争のリアリティを伝えるた めに対象敷地に千羽鶴の保管展示を点在させ、日常の中 で無意識に戦争の体験ができる空間を計画する。

具体的には、商業店舗や小規模図書館、ギャラリー、

千羽鶴保管展示スペース、公園などを有する複合施設を 設計する。靄を連想させるガラス製の壁体とその中でと ころどころ姿を覗かせるボリュームによって構成される。

商業店舗や図書館などの機能はヴォリューム部分にあり、

ギャラリーや千羽鶴保管展示スペースはガラス壁体の中 顔写真

縦30mm 縦30mm 横25mm

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芝浦工業大学工学部建築工学科 2010年度卒業論文・卒業設計梗概

2 に点在する。保管展示された千羽鶴が霧の中に点在し、

ふとした瞬間に垣間見え戦争を意識するような空間がひ ろがる。

5.設計手法 5.1 軸

  本敷地は、丹下健三が平和記念公園の計画の際に設け た景観軸の延長線上にある。平和記念公園とは大通りで 分断されてしまった本敷地でも景観軸を用いることで、

慰霊碑から原爆ドームを通る景観軸を延長し、平和記念 公園との関係を構成し、さらなる広がりをも期待させら れる。

5.2 グリッド 戦前のグリッド

平和記念公園の敷地内には、原爆投下前までは中島地 区という街があった。この地区は商店街で賑わい、建物 が密集していたため多くの小路が存在した。中島地区を 平均すると、3.5m幅の道路に60m角の住宅群のグリッ ドができる。(図2)

図2 戦前のグリッド

このグリッドは戦後のグリッドに比べ28.9 傾いて おり、ほぼ真北に垂直である。中島地区の主要な道路で あった中島本通りは、現在も平和記念公園内の街路とし て残されている。

このグリッドと当時の平均的な建物のスケールにより ボリュームを導き出す。このとき、複合施設に必要な密 度を残し、小路なども作ることによって原爆投下前の中 島地区のヒューマンスケールな街並みを回想することが できる。

戦後のグリッド

景観軸を軸に敷地に等比間隔の線を引き、さらに直交 する線を同じ等比間隔で引きグリッドを配置する。この

グリッドは景観軸によってできるグリッドであり戦後の グリッドとも言える。(図3)

このグリッドに沿って開口のあるガラスを配置し、

人々の動きや商店の様子、千羽鶴などを垣間見せるため の動線空間となる。

図3 戦後のグリッド

ここで用いられるガラスは厚さ50mm透過率80%の強化 ガラスを用いる。このとき、透過される光の量は3枚で 50%、5枚で33%となる。これを用いて垣間見える靄を つくりだす。

グリッドの重複

それぞれのグリッドを敷地上で重ねあわせる。戦前の グリッドと戦後のグリッドにより新たなグリッドが生ま れる。戦前の街並みを模したボリュームが現在の街の一 区画に整列を乱して存在する。戦後の街のグリッドの靄 が覆い、現在の街並みに溶け込む。

人々は靄の中に引きこまれていき、幻想のような戦前の 風景に出会う。平和な日常に生まれた人々は新たな戦争 体験を経て、戦争体験者の代わりに語り継いでいく。

参考文献

1) Architectural map http://www.arch- Hiroshima.net(閲覧日:20101020日)

2)丹下都市建築設計:http://www.tangeweb.com/

(閲覧日:20101020日)

3)谷崎潤一郎「陰翳礼讃」20096月  改版18刷発行 4)ジョン・オームスビー・サイモンズ「ランドスケー

プ・アーキテクチュア」197412月  第9刷発行 5)三島由紀夫「金閣寺」2010410 128刷発行 6) 今堀誠二監修 「広島被爆40年史 都市の復興」1985

年8月6日発行

参照

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