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金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題

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金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題

著者 川上 光彦

雑誌名 市史かなざわ

巻 5

ページ 73‑81

発行年 1999‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/7473

(2)

金沢市の都市や町並みの特徴は、なによりも藩政期において全国でも最も大藩の城下町であったこと、および、第二次大戦時において、全国の主要一二○余都市がそれらの中心市街地に空襲による壊滅的な戦災を受けたのに対し、京都市などとともに戦災を受けなかったことにある。また、藩政期においても、近代化の時代においても、さらに、現代においても一貫して地域中心都市であり、政治、経済、文化のセンターとしての役割を果たし続けてきていることも都市的特性である。本稿では、そうした金沢市の中心市街地における歴史的町並みの特性を踏まえて、近年において金沢市を中心として取り組まれてきている歴史的町並みの保全修景の特徴を整理するとともに、今後の課題を提示しようとするものである。

最初に、既往の調査研究成果などにもとづいて、金沢市の旧城下 はじめに

金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題

金沢市の歴史的町並みの特徴と変容 一方、藩末期における街路は、三七本の幹道と一七網の枝道により構成される。幹道は、さらに、街道、往還、その他に、枝道は、枝道、補枝道、袋小路に分類される。なお、街道とは北国街道、性 まず、第一に、都市としては、大藩の城下町であったことがあげられる。そのことにより、身分制にもとづく居住地構成は、階級も多くそれだけ複雑になっている。それらの身分階級は、表11に示すように、武士階級は、藩主、八家、人持組、平士(直臣)、陪臣など、そのうち、八家と人持は、それぞれ上屋敷と下屋敷を有していた。また、町人は、本町、地子町、相対請地などの階層に区分された。さらに、それぞれの身分にもとづいて城下の居住地の立地と形態は異なっている。武士系は、その階級的順位にもとづいて、城から概ね同心円的に居住し、町家は、幹道に沿って上級商人の町家が並び、その後背地や城下縁辺部により下層の町人が、それぞれ家屋(2)を接する密度の高い商住工の混在した居住地を構成していた。 域における歴史的町並みの特徴とその変容を概観する。

藩政期の町並み

上光彦

街道、住

73金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題(川上)

(3)

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還とは鶴来往還v石引往還、宮腰往還を意味する。これらは城を中心として放射状に、その他の幹道は城を概ね幾重かに取り囲んだ形状になっている。枝道の線形は、|般的に複雑な形態で袋小路も多い。全街路の延長は約一九○・○m、平均幅員は一一一・一一二m、合計の道路面積は六一一一・’一一三mであり、これは城下全体の居住地面積八○三畑のおよそ七・九%に相当する。また、金沢の場合、河岸段丘であるという地形構造から多くの坂を持つこと、幅員の狭い迷路的な細街路網の中で一定の広がりを持つ広見が多くみられることなど(3)も特徴である。これらの身分制などにもとづく塊状や線上の町並みと街路網は、城下が二つの河川に挟まれた河岸段丘を持つ地域に平山城として構築されたこと、そうした河川を活用して除々にめぐらされた多くの用水網が存在することなどにより、それらの配置や形態は一層複雑なものとなっていた。

これらの基本的構造は、明治維新により大きな変革を受けることになる。それらの中で、武士階級の没落とそれらの宅地の改変が最も大きなものである。表11に示すように、武士階級の宅地は比較的大きいため、住宅地として細分化されたことが、最も大きな空間的な変化である。その他、街路構造、および、町家を中心とする町並みは基本的に継承きれてきた。また、足軽住宅は、組地として計画的に配置、形成きれた。金沢城下の場合、足軽住宅も戸建て住宅 -二明治以降の変容

藩末期における身分制別土地利用状況 表-1

*道路を含む面積である。

**面積は道路を含む。()内は、足軽の平均面積(200m?)を1とした規模比を示す。

金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題(川上)74

種類 宅地数(%) 面積ha(%) 平均面積m2/宅地**

藩主 1(0.0) 41.1(5.6) 411,000(2055.0)

藩関係建物 7(0.0) 11.3(1.5) 16,100(80.5)

八家上屋敷 8(0.0) 17.0(2.3) 21,000(105.0)

八家下屋敷 1,113(5.0) 61.2(8.4) 5,500(27.5)

人持組上屋敷 60(0.3) 35.9(4.9) 5,980(29.9)

人持組下屋敷 882(4.0) 45.4(6.2) 515(2.58)

平士 1,855(8.3) 180.6(24.7) 974(4.84)

武士の請地 23(0.1) 0.8(0.1) 348(1.74)

足軽 2,689(12.0) 53.9(7.4) 200(1.0)

角場・的場 10(0.0) 0.5(0.1) 500(2.5)

町屋 15,561(69.1) 205.3(28.1) 132(0.66)

寺社 237(1.1) 69.1(9.5) 2,916(14.6)

川除・火除 7(0.0) 0.9(0.1) 1,286(6.43)

その他・畑 24(0.1) 7.2(1.0) 3,000(15.0)

合計 22,479(100.0) 730.2(100.0) 325(1.63)

(4)

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宅地形態や街路はほとんど変化していない場合が多い。町家は、金沢の町家の間取りや正面の意匠などの建築様式を継承しながら建築更新されつつ変容してきた。その中で、建物高さは、平屋から二階建てが増加し、二階建て形式も、低町家から中町家、高町家と階高を高くしながら変化してきた。また、明治期以降の近代化過程の中で、洋風の近代的な建築物が建築されてきた。主として、幹線道路沿道などに、行政建築、商業ビル、教会建築、洋風住宅などが建築されてきた。これらの蓄積もまた金沢の中心市街地の町並みを形成する特徴的な構成要素であ

る。|方、街路等においても、明治期以降、近代化の過程の中で様々な整備が進められた。その中で、鉄道の敷設と金沢駅の設置、第九師団の設置が一八九八年に行われたことにより、それらと市中心部との交通確保などを目的として、幹線道路の築造が行われた。また、市街電車網が、藩政期の市街地をカバーするように、’九一八年より、藩政期の幹道を拡幅するように進められた。さらに、都市計画制度が適用され、’九三○年には、都市計画石川地方審議会において都市計画街路四三線が決定され、今日まで徐々に整備が進められ(4)てきている。なお、これらの幹線道路以外については、ほぼ藩政期 であり、表11に示すように、概ね五○坪程度の画地であることから、近年まで宅地の細分化などが少なく、建物の更新がなされても、

の街路構造を継承してきている。 都市整備を進めるための街路やその他の各種土木施設、および、建築物を規制、誘導するための制度についても、都市計画法や建築基準法などによる法規定の中で比較的詳細な規定まで定め、それにもとづいて、基本的に全国画一的な整備や規制などが行われてきている。また、それらの規定内容は、主として幹線街路、上下水道、公園などの基盤整備を行うことが基本とされ、公共福祉や防災的な観点から「最低基準」を定めることが主体であり、原則として、デザイン、景観などを扱わないことを前提としている。そのため、それらの規定に従って形成される都市空間や建築物は、地域性が希薄になることは必然的なことである。とくに、金沢の旧市街地のように、城下町としての歴史的町並みを継承している場合、全国画一的な法規定による歴史性の喪失の度合いは大きいということができる。例えば、街路整備においても、その路線計画の理念や基準も国が定めたものであり、地域性の反映はほとんど考慮されていない。また、それらの計画路線の整備も、国の基準に従って街路部分のみが独立的に進められるため、歴史的町並みで行われる街路整備はどちらかと一一一一口えば、歴史性の喪失や歴史的町並みの直接的改廃につながってきている。 二建設整備システムの特徴と問題

75金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題

(5)

三保存修景の仕組み

明治期以降における金沢市における都市整備の重要課題は、城下町から近代都市形成へのための各種施設整備が中心であり、歴史的町並みの保全などの取り組みはほとんど行われてこなかったと思われる。そうした歴史的町並みの保全などが取り上げられるのは、全国的な都市開発の進行などにより、歴史的環境の改廃や文化財の喪失が問題となり、それらの対応が徐々に進行する中で、金沢市においても取り組まれるようになったものである。表12では、主な歴史的町並みの保存修景に関わる制度の流れを、全国と金沢市におけるものを対比して時系列的に示している。

金沢市における歴史的町並みの保存修景に関わる政策は、一九六四年における「武家屋敷群地区の土塀・門等の修復制度」の新設がほぼ最初のものであると言えよう。実際の補助は、長町地区を対象に行われた。それに引き続き、市独自の条例として、伝統環境保存条例が一九六八年に定められた。これは、歴史的都市の風致保全を主目的として一九六六年に定められた古都保存法に触発されたものであった。古都保存法は、大都市周辺部における宅地開発等に対する市街地周辺の歴史的丘陵地の風致保存が主目的であり、京都市、奈良市、鎌倉市が指定きれた。金沢市においても、古都保存法の適用を要望したと言われているが、近世城下町としては、古都保存法 三l|伝統環境保存条例

金沢市における歴史的町並みの保全修景のあゆみ 表-2

金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題(川上 76

制定・施行 金沢市 全国

1964年 1966年 1967年 1968年

武家屋敷群地区の土塀・門等の修復制 度新設

金沢市伝統環境保存委員会設立 金沢市伝統環境保存条例制定・区域指

古都における歴史的風土の保存に関す る特別措置法(古都保存法)

新都市計画法

倉敷市伝統美観保存条例 1970年

1972年 1975年 1978年

伝環地区内寺院土塀修復補助制度新設

金沢都市美文化賞新設

京都市市街地景観条例

伝統的建造物群保存制度(文化財保護法)

神戸市都市景観条例

倉敷市・伝統的建造物群保存条例 1980年

1981年 1982年 1984年 1989年

伝環地区内寺院山門修復補助制度新設 伝統環境保存区域の追加・拡大 1日主計町一帯整備計画策定

金沢市における伝統環境の保存および 美しい景観の形成に関する条例(景観 条例)

地区計画制度(都市計画法)

熊本市都市景観条例

年年年年4678999999991111

景観形成基準・告示

金沢市こまちなみ保存条例 金沢市用水保全条例 金沢市斜面緑地保全条例 金沢市都市計画マスターフ・ラン まちなか住宅建築奨励金制度 伝統的建造物修復支援制度

都市計画法・建築基準法改正

倉敷市倉敷川畔伝統的建築物群保存地 区背景保全条例

真鶴町まちづくり条例

(6)

(5)の指定獲得は困難だったと思われる。そのため、独占ロの自治体条例として、全国で最初の地域性を反映した環境形成のためのまちづくり条例として制定された。近年、各都市において独自のまちづくりを行うために、このようなまちづくり条例が、歴史的町並み保全、景観の保存と整備、住民参加型の市街地整備などに対して多く制定されるようになってきているが、金沢市の伝統環境保存条例はそれらのさきがけとなるものであり、その先見性が高く評価される。伝統環境保存条例の内容は、古都保存法と同様に、風致地区の拡大適用を主な内容とするものであり、具体的には、兼六園からの重要眺望景観である卯辰山の緑地、犀川、浅野川の河川敷における風致景観などを保全しようとするものであった。なお、風致地区の制度は、都道府県ごとに、都道府県が定める条例にもとづいて行われるものであるが、その内容は、建設省の標準的内容にもとづいて定められたものであるため、基本的には、全国と同一的なものであるとみなせる。また、風致地区条例は、石川県が主管するものである。伝統環境保存条例にもとづく仕組みは、地元有識者などによる委員会が大規模開発などに対して審査し、必要に応じて勧告等を行うものとなっている。そうした地域条例にもとづく「地域的な権威による勧告」が効果を持つ場合は有効で一定機能する。しかし、近年のように、大都市や外国資本などの外部資本による開発などに対しては、そうした効果が期待し難くなっていると思われる。伝統環境保存条例の改正により、指定保存建造物の制度が創設された。これは、伝統環境保存区域外であっても、町並み修景を目的と 「金沢市における伝統環境の保存および美しい景観の形成に関する条例(略称景観条例)」は、全国的な景観ブームの中で制定された。この種の景観条例としては、表12に示すように一九七八年の神戸市景観条例が最初のものであり、その後多くの都道府県、市町村で条例または要綱として定められた。一九八九年には、金沢市とともに熊本市でも自治体条例として制定されている。金沢市の景観条例では、これらの動向と並行しつつ、伝統環境保存条例を改正し、これまでの伝統的環境保存だけでなく、新たに近代的都市景観形成という側面を導入し、伝統環境保存区域について

も広域的な指定区域拡大を図ったことにその特徴がある。また、時吐

代的背景として、いわゆるバブル経済の影響下において、中心部に縦

陣肌収惟楠wい程炸約沖繩鐸呑旅刎程。ⅢⅧ楜墹》》朏圭坤離帥肺辨

制の導入が主要な課題の一つであり、指定区域全域について、建築服

物の高さ規制を導入した。建築物の高さ規制の基準は、風致地区規雌

制の内容を準用して行われていたこれまでの伝統環境保存区域にお職

ける建築物への高さ規制を踏襲し、さらに用途地域と連動して高燗(6)き規制を広範囲な区域指{疋と連動させた。なお、金沢市における景観条例は、伝統環境保存条例を継承しつ鰍Q新しい景観形成のための側面を導入し、着実な成果をあげてき両 した外観保全のために建築物の点的指定を可能にするものである。

三’一一景観条例

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(7)

たと評価されるが、いくつかの問題や今後の課題もある。その中で最も主要であるのは、景観条例にもとづいて景観だけを行政として進めることの限界と問題がある。景観は、環境形成のわかりやすい総合的な指標として捉えるべきであり、それぞれの構成要素の結果として景観が存在する。歴史的景観地区における景観も、居住地や商業などの業務地としての諸活動の結果としてあり、それらの保存修景は、そうした都市的活動との関連で把握し、対応を考えていくべきである。そのため、表層的な現象である景観だけを切り離して対応することは意義が少なく、また、効果的でなかったり、ときにはむしろ問題となるような対応がされる場合がある。

「こまちなみ保存」の考え方は、文3)によって提案されたものである。金沢市の歴史的町並みの特色は、旧市街地全域に広がっている。前述のように、幹線道路整備とそれに伴う近代的建築物による建築更新以外では、城下町時代の街路網が基本的に残存し、建築物等も戦前までは、それらの形式を継承しながら更新されてきたものが多く残されてきている。そこでは、国の制度である伝統的建造物群保存地区に相当するほどの集積はみられないが、歴史的様式を残存させる建築物が数戸ずつ、または、個別散在的に残存してきている。そのため、このような歴史的建築物の残存状況に対応して、それらを核として一定の町並み区域を指定し、歴史的建築物の保存修景、および、隣接建築物等の歴史的町並みに調和した外観への規 三’一一|こまちなみ保存条例 制、誘導を行い、一体として金沢らしい歴史的町並みの保存修景を行おうとする提案である。こうした提案にもとづいてこまちなみ保存条例は、一九九四年に制定された。実際の運用では、指定地区住民の受け入れや住民との連携が重要であることから、旧町単位で保存地区を指定するようになっている。このことは、やむを得ない面を持つが、前述のような金沢らしい歴史的町並みのための区域としては、地区によってはやや過大である場合がある。地区指定が過大な場合、歴史的町並みの特性がやや暖昧になったり、保存修景の基準が的確に対応し難いことが有り得る。今後は、こまちなみ保存を進めるための保存修景における適切な計画単位のあり方やそれらの指定地区における保存修景のための計画システムの精繊化などの追究が必要である。また、こまちなみ保存条例は、前述の景観条例と切り離されて別に策定された経緯から、それとの関連性が暖昧なまま運用されている。両者の関連性をより明確にして運用していくことも今後の重要な課題である。重要伝統的建造物群保存地区を有する自治体では、そうした指定地区を含む広範囲な地域の保全を行うため、自治体独自の上乗せ的対応として、保存修景のための自治体条例が定められてきている場合が多い。こまちなみ保存条例も、提案のねらいは、そのような位置づけで運用することにあった。しかし、金沢市では伝統的建造物群保存地区が未指定であること、また、条例の所管部局が、当初、景観条例は都市政策部景観対策課(現まちなみ対策課)、こまちなみ保存条例は教育委員会文化課(現文化財課)であったこ

金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題(川上) 78

(8)

ともあり、あまり連携を明示的に位置づけないまま運用されてきている。さらに、こまちなみ保存行政についても、景観条例の課題で述べたと同様の問題と課題があげられる。すなわち、こまちなみ保存条例にもとづく内容も基本的に歴史的町並みの保存修景のみを目的としている。こまちなみ保存地区は、同時に様々な問題を有する中心市街地であり、住みよい居住環境形成すること、人口の増加や年齢構成などのバランスを回復することなど、現代的都市の中心部としての再生が求められる。今後は、そうした課題や施策と連携しながら保存修景の課題に対応していく必要がある。すでに、金沢市において一九九八年において、伝統的建造物再生修復制度、まちなか居住支援制度など、歴史的建築物の活用や歴史的建築様式を生かした建築物の中心部での建築など歴史的町並みの積極的な居住継続や再生に向けた諸施策が展開され始めてきている。これらを含め、今後もこまちなみ保存対象地区において、中心市街地および居住地としての再生に向けて総合的な取り組みをより広範に継続的に行う必要がある。

金沢市における歴史的町並みは、都市形成の源であり、中心市街地の一部を形成し、都市のコアとなっている。また、金沢市の都市としてのアイデンティティを形成している重要な部分である。すでに、都市計画中央審議会などで提一一一一口されているように、今後の都市 四今後の課題 計画が既成市街地の整備に向かっていることから、それらの本格的な再生を目指す必要がある。そうした歴史的町並みに対する計画目標は、前述のように、保存修景などの景観的側面だけでなく、居住地としてのそれぞれの地区にふさわしい人口構成のバランス地域コミュニティの活性化、また、現在居住している人々に対して希望者の居住を継続するための仕組みの構築、自動車の利便性を享受しながら町並み保全を行うための工夫、さらに、各種の生活利便施設の維持、公共施設の利用人口や支持人口の確保などの多様な課題があげられ、それらと関連させながらの対応が不可欠である。それらの課題の中で、居住継続や人口バランスの確保には、とくに若い世代の居住の推進、中心部における生活スタイルの確立、それらを可能にするためのまちづくり政策がなにより必要である。また、そのためには、都市計画法や建築基準法をはじめ関連制度の改正などを行い、地域条例を法体系の中で明確に位置づけ、地域独自の取り組みがより的確に行えるようにする必要がある。大戦時において戦災を受けなかったことから、全国における城下町を基盤とする都市における歴史的資産を生かした都市づくりの代表として、また、先進事例としての役割を果たす責任と義務がある。また、今後の都市整備は、これまでの郊外開発の時代から、既成市街地の再整備へと向かってきている。二一世紀における都市づくり 金沢市は、藩政期においては大藩の城下町であったこと、第二次 おわりに

79金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題(川上

=鍵

(9)

がこうした既成市街地の再整備を主題とするものであり、とくに中心市街地の再生と連動した取り組みが必要であるため、歴史的市街地は、保存修景の対象としてだけでなく、多様な計画課題を有する魅力的な資産を持つ重要な中心市街地として再生されるべきであ

る。また、各種の施設整備等にあたっては、なにより「本物」を造る努力が肝要である。歴史的な時代の意匠や形態を、形だけ模倣するものであっては、にせものを造っていることになり、真に人を引き付けるものとはならないし、地域間競争の時代などに耐え得るものとはならない。基本的には、歴史的なものの再生は、それらが作られたとできるだけ同様の方法での再生を図ること、歴史的地区であっても必要な新しいものを導入すること、そうした新しいものは現代の技術やデザインの粋をつくすように努めることが必要であろう。さらに、このような歴史的環境の形成は、行政だけでできるものではなく、市民の役割が重要である。そのためには、ものづくりとともに、その中で営まれる生活が大切であり、新しいライフスタィ

最後に、こうした歴史的市街地の再生を図るという市民や居住者の気持ちが基本であり、金沢市やそれぞれの居住地区に愛着を持つ市民や居住者の存在が前提となり、そうした市民や住民の自己アイデンティティの確立と連動した取り組みが理想であろう。

4)竹田恵子、川上光彦.:藩末期における金沢城下の街路構造、土 史的建築と町並み、金沢市文化財紀要山一九九二年 3)金沢市教育委員会、金沢市伝統的建造物・町並み委員会…金沢の歴 2)金沢市…金沢市都市景観形成基本計画、一九九二年 1)島村昇…住空間の歴史性・風土性に関する研究、’九七九年 参考文献 ルの形成などが必要となる。 ともに、その中で営まれる皿較考察を行っている。 条例にもとづく景観保全の取り組みを先進事例として取り上げ、比 る。また、文9)では、金沢市、京都市、熊本市、倉敷市における は高く評価されている。文7)では、その内容と実績を報告してい (6)金沢市における景観条例における建築物の高さ規制への取り組み 呼ぶことにはやや無理があり適切ではないと思われる。 (5)金沢を「古都」と称することがあるが、近世城下町を「古都」と 棚頁で述べている。 (4)金沢市の戦前における都市計画道路の計画について、文8)脳l いる。 期における身分制居住地と街路構造との関連性などについて述べて 袋小路などを含め述べられている。また、文4)で、同様に、藩末 (3)藩末期における街路については、文3)ⅢlⅢ頁に、広見、坂、 述べられている。 (2)藩政期における身分制による町並みについて、文3)81n頁に (1)文3)、頁の表1-2、表113にもとづいて作成している。

金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題(川上)80

(10)

木史研究第咀号ⅢlⅢ頁、’九九一一一年5)金沢市教育委員会、金沢市伝統的建造物、町並み委員会…金沢の歴史的建築と町並み、金沢市文化財紀要随ダイジェスト版、

9)森本修…風景保全のための市街地空間の高る研究(景観条例に見る建築物の高さへの市計画論文集羽号刑l脳頁、一九九八年Ⅶ)土屋敦夫…明治期の金沢の街路計画(駅前絡道路)、都市計画論文集銘号剛lⅢ頁、

(かわかみみつひこ 8)川上光彦…金沢の近代都市計画史、・建設編Ⅳ、〃1M頁、’九九八年 6)土屋敦夫…北国街道の町並み、北陸道(北国街道)ⅢlⅢ頁、7)中村和宏、川上光彦…金沢市における条例に基づく景観行政施

策に関する調査研究、都市計画論文集別号剛I山頁、一九九

森本修…風景保全のための市街地空間の高さ規制・誘導に関する研究(景観条例に見る建築物の高さへの取り組みを例に)、都 四年 一九九四年 一九九四年

「金沢市史」資料編建築

(駅前放射状道路と師団連

金沢大学工学部教授) 九九八年

81金沢市における歴史的町並み保存の特徴と課題

参照

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