バ ー ト ン お よ び リ カ ァ ド ウ の
﹁ 機 械 論
﹂ に つ い て
︵ 完
︶
真 実 一 男
日 次
l⊥ 序
前々 号掲載
一m皿
バートン理論の概略
汀Ⅱ
リカァドゥの機械論
前 号 掲 載
m
パ ー ト ソ と り カ ブ ド ウ と の 対 比
Wl バートン・リカァドゥ理論の学説史的発匝
Ⅶ 結び
本 尊 掲 載
Ⅲ
種々なる両に患いてこの両者は著しく封照的であったように思われるので︑拉空ぼる角度より両者の封此を取上げる
ことが可能であろう︒しかし以下においては:バートンに焦点を合せたが.ら︑淀初に両者の一般的譜封比を︑次にわれ
われの当面の課題にとって=堰も重要視される﹁機械論﹂における諸封比︑換言すれば機械導入と労働需要に封する見解
についての両者の諸封此を順次に取上げてゆくと共に︑さらに同じくバートンに焦点を合せながら︑両者の相対的評価
をも試みてみたい︒
バートンは何よりーうまづ︒パンフレット作者であって︑リカァドゥの如き体系的著書の作者ではなかった︒極言すれば︑ 前者はわづかに三つのパンフレ.ットをもつ︑学説史的には後者をとりまノ\二級ないしは三級程度の衛星的佗畳を与えら
バートソおよびリカァドゥの﹁撹械諭﹂について
二七
ι J び
れるにすぎない存布であるのに到して J 後者はかの﹁原理﹂の著者とし℃︑古典派経済持?の完成者として︑スミスにも Mmu
並 M ぶべき学誌史上に必ける得一級の明日死一ともいえる存在であった o
従 っ て ま た 前 者 は 取 上 げ ら れ る こ と 極 め
℃ マ レ で あ め 持 一 り︑たまに取上げられた場合でも後者をとうして︑またせいぜい後者に関連し℃取上げられるにすぎや︑しかもその場削除ふ 合でさえもウエストあたりに比すれば不遇の程度のはなはだしかったととは前述︒如くであったのに討して︑同後者は仙沼 学説史にないては取上げられざる方がむしろマレなる存在であり︑かれに関する文献は枚挙にイトマないほ左であると刷わ鉱
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27
トンの関心は︑諸理論にあると共に︑それにもまして l パンフレ γ ト作者のつねとして
i L 2 5
現 副 議 実的治問題へとむけられていた︒事実︑救貧法︑良栄不況︑殺物法等の当時の円以もやかましさ問題が︑それぞれかれの三 ω
心 は
﹀
Mh関 の
部作の共休的契機をなしていたであろうととは︑かれのパンフレヅトの題名より容易に想像されうるところである︒切叫掛川 もと上りリカァドウとても︑現実の諸問題に無関心であったのではない︒キヤナンも指摘する如く︑拘かれの経済学説河期却 を州匁的推理のみに額る全く非現実的なものとなし τ
きたことは︑学説史上に九ぬいて犯されてきた大きな誤謬の一つで一議一 あったといわれなければなるまい︒リカァドウは︑かれ自身のバンフレ γ
ト に ご て は も と よ り
︑ そ の
﹁ 原 理
﹂ に ご
︒ ふ 札 抑
℃も当時の問題を充分に意識していたといえるであろう︒しかしそれと同時に︑か L る現実的諸問題への怠識を抽象的九口
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か
網の目のふるいにかけることによって︑かれの理論が仮定にもとづく演えき的拾四の方法を駆使する統一的体系に︑までふ肺門'計防
止羊しえていたことも承認されなければなるまい o そうしてまたこ L
に
︑ 室 町 的 観 察 者 を し て か れ の 経 済 学 に 封 す る い 幼 認 詩
︒ われなき非難を与えしめたお地があったともいえよう o 他方ひるがえってパ i トンに沿いても︑理論構成の一貫性に封
4M
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臆 恥
する努力が存在しなかったというわけでもない︒的それゆえにどの点は︑厳密にいって両者を分つ根本的主別とはみな
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凶
しがたいかもしれぬが︑しかも両者の分析方法の相違に関連して考えられるときには︑やはり極々にみのがしえざる区'く mp
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別であるともいえよう︒すなわちリカァドウにあっては︑抽象的︑演えき的推理による分析が支配的であり︑とれに封々々
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る 前 前 E W ものえ する歴史的統計的諸事実による裏づけはあらわになされていないのに反して︑パ 1 ト ン に む い て は ︑ H に沿いて詳細に E
吟味された如く︑抽象的推理に加えるにかならや歴史的統計的諸事実をもってするという特具左分析方法を採用して訟判的叫
経 営 と 経 済
ご 八
87)
り︑そうしてまたとの ζ とがかれの空間をして箸しく実証的たらしめていたのであった
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恥 批
さて次に︑われわれの問題︒核心を形成する︑機械導入と労働需要との関係についての両者の立場を.パ 1
ト ン の 結 ヨ 勘 叫
ト 賃 悶
論に即しつ L
要 約 的 に み れ ば
︑ 次 の 如 き 諸 討 比 を み い だ し う る で あ ろ う
︒
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1 然
D 一︑前節にたいて詳説した如く︑リカ γ ドウに沿いても機械導入に伴う労働需要の絶治的減少の可能性は充分に認め
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べ
られて小るが︑しかも警内性としては︑純一昨得と総所得との併行関係を承認する乙とによって︑労働需要の担割的減少時相 U
(増加率の減少)のみを問題とし︑従って機械の導入と労働者階級の利害との矛盾左いし討立の追求には不徹底であっ前湖︑次
︒ ︐ 耳
Z L
たといえよう︒ごれに到し τ パ 1 トンは︑その数字的設例にみられた如く i
ーとの場合でも第四節以下に沿ける反転はとはじぽ
J 同様に問題として残るけれども
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たとえ純所得の増加に伴うをの召堂︑機械の導入
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︑ 一 官 邸 繍 即 日 町 もっとも当時の現実こ公いて主たして労例需要の絶対的減少があったのか︑あるいは相討的減少にすぎなかったの h
哨 相 賃 能 京 ヵ 批 の 費 可 併
は ︑ 別 例 に 突 一 法 的 な 検 討 を 一 要 す る 問 題 で あ ろ う が ︐
1 b J くともその矛盾意識の点に沿いては︑パ
ト ン が リ カ ァ ド ウ を は の と 存 る し
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︑ ス 転 生 れ
M るかにぬきんで L いたといわなければならない︒そうしてまた此点については︑より一役的に可変資本の相主的減少をク反'ら乱
認 め つ L ︑な沿労協同叩要の絶討的減少(産栄予備一阜の嘉浩地的生産)を古川ぜんとするマルクスの理論が両者を統合する叫刈な一間体
ものとみなされうるならば︑両者のとのほ別はしかく簡単に抹殺されえないもの L
よ う に 忠 わ れ る
︒ 阿 川 ル
J h
一一︑リカァドウに沿いても利潤と賃銀との相反関係主認めることによって︑賃銀の下落が投資を刺戟し︑それがひいおパにて h にと o
ウ つ に
て労働市要に影響を沿よぽすであるうということは︑充分に推測されうるとごろであった
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し か し パ 1
トンに沿いてり転とドあ
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反こアで・
はさらに貨俗価値の下孫カ関好つけら九る乙とによっ τ ︑たとえ粗雄ではあったとしても貨幣賃銀と実賃貸銀との相主主ののカ限化
的関係に討する解明がなされ︑分析は一歩を進め τ いたといえ上う o すなわち︑一段的物価問告に下まわる貨俗宗践の仰向矧い蹴 b
m m ばにもとづく実質刊誌の下活が利刊に関係づけら札︑それがさらに空会下の問題に関述せしめられることに上って守川和党い川町
労働需要に給付けられるという点に沿いて︑あるいみでは近代的とでもい L うるほどのものを示している
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前 り 所 も ち 町
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け 長 抑 わ 分 は
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三︑一にみられた如く︑ザカァドウにたいては︑資本主義経済体制の矛居は可能性としてのみ感じられ︑現実性とし柏糊叫弘
ては意識されていなかった︒従ってかれは︑活説と同じく救脅訟に討してはそれに反討の志場をとる︒叫しかし翌克明日午パ
沿いて失栄の不可避性を認めるパ 1 トンにとっては︑救食訟が税々の快陥守一合みまた日々の初完的針策を必要とするにぐの刊一一
し ウ 阿
もか L わらや︑通説 ω いう如く一概に斥けらるぺきものとは考えられなかった?もっとも当時の救食法的がはたして労も下匹命
働貧民の利益であったかいなかは︑より詳細な歴史的検誌なしには往々と論院されえないであろうけれども︑犬来︑宇ゲ}現阿川町山山
実的に必然視するかいなかということから︑両者︒救食法に討する窓見の相違がお生していることもみのがすわけには制 'J‑mM
. ︐ 叫 ︐
a h v ‑ ‑ v a ゆかないであろう o そうしてそのいみにむいてか L る相違はまた︑パートンの矛盾立政がリカァドウのそれにくらぺて
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b m よ り ま さ っ て い た と い う 副 次 的 証 明 を 提 供 す る も の と も 忠 わ れ る
︒ 伸 一 げ 汀 し
銀 は m m 賃 dHMM さて以上の如き諸封北を悲礎にしながら︑さらにパ 1 トン訟よびリカァドウの相封的計価をも取上げてみたい︒
仰 叫 す K M
してとの場合に去い℃も︑便宜的に焦点はパ 1
ト ン の 万 に 合 わ せ る こ と に し よ う
︒ 併 即 な ( 状
主
a i ・ ︒
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1 トンの第一の貢献は︑労的需要という視点にたっかぎり資本は等質的たりえポして︑流動'同定の両椛成部初却
M M O 分よりなるととを指摘した上で︑労働需要はもっぱら前者によってのみ況制され後者とはいち公う無縁なるがゆえに︑'油に m と 主
PV4と
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総資本の増加と労働需要︒増加とはかならやしも両立せやとして両者の併行関係を主訟する一迎説にトマメをさした点に刷ぬこ
h l の 求められよう o まととにド l ソンのいう如く︑附﹁パ 1 トンは︑労協定更をまかなう性本の部分が総資本の諸変動とは白川わい川淵 全く独立に変動しうるであろうという観念に対して︑一般的た承認を確保した﹂のであった o もっともリカηドウにな向︑間協山小川
いても︑純所得 ι
総所得との併行的増加の可能性主否定することより同様な帰結を予却しうるとしても︑か札︒場合に九叫⁝腕酬
は︑純所得'稔所得分析と流動・固定資本分析との関述に若干のアイマイさを残しているきらいがある上うに忠われ υ
同 口 跡 喰 仰 る
︒ 蜘 だ 畑
︑ と 畑 本 号
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1 トンは政極的に労働需要の増加と総資本の増加との関係主ぱ
流動・同定の両得成部分の相封的変化より定立せんとする︒すなわちかれは
1 1 1 たとえ不明確な諸点を残していたとは町
経 営 と 経 済
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92)
い え
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総資本の増加が︑流動資本の回定資本への転換を件うことよりして労倒需要の絶封的減少に導くことをば)数砧械凶吋制比
字的設例をもって立証せんとしたのであった︒そうしてとの点こそが︑同じ問題に封するリカァドウの相封的減少と明確郎日勤
m h 刊
に区別さるべき論点でもあり︑また優位でもあったととは︑本稿の主軸として筆者の繰返し力説してきた所であった︒山岡崎 ‑ m d U
また上述の論点に密接な襲名するものとして︑ひとは討そらく
i たとえ未熟ではあったとしても i 資本 2
コ と た
機的構成の高度化の理論の芽生えをパ 1 トンの中に検出しうるであろう︒むしろリカァドウによって意識的に取上げら問問頃一 ω 山
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θ 理論はこの部分に属するのみならや!ーその取上げかたが機校への擁護論的に注されたかいなかというい抹は刈叫 m ととが両者の相羽的・絶封的減少を分つメルクマールになったものと忠われるが l ーその後の理論の発展に照してパ l
仰 の
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トン・リカァドウ理論として定立されてきたものはとの部分であったといってもさしっかえないほどである︒マルクス地 F
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もいう如く︑一資本ぽ分に関する誤りを除けば︑有機的構成の高度化の理論(可変資本の相封的大きさの累進的減少の加川崎印刷川
法則)は︑後述︒ラムジイ(の
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也︑タヨ l
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( 2 8 0 ω )
などムハに 1 パートンたよびリカァドウによって気づ i
打 払 Mmm
かれていたとい子 o よって此点に関する限り︑両者は共にマルクスの有機的待成︒高度化の理論の先駆的存在と考えらって
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机 巴 〆 ふ れ し あ
λ ・ れ︑その問に優劣をつけ難く忠われるが︑筆者の意見によれば︑との場合でもパ 1 トンの叙述︒方がリカァドウのそれ'さ出で
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し 掘 算 式
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よ り も 論 凶 日 明 快 で あ る よ う に 忠 わ れ る
︒ 釦 さ 実 た 方
b 4 加 え る に 前 述 し た 如 ・ く ︑ パ l トシの歴史的統計的立証は︑かれの特異な方法的特徴より派生し︑かれの議論をして者しな⁝一関川泣 く実証的たらしめ︑その当時の経済指採に討する宝山一一なデ l グーを提供している点を高く評価.される o
これに討しリカア立戸山叫ん引
ドウに長いては
! i
これまた前述せる如く l ーその方法的特徴よりして︑その実証的側面を明示的に示すととがなかっ刻印日
M
たように忠われる︒よってとの点に関するかぎり前者は後者にいくぶん立ちまさっていたように感じられる︒しかし国料よて N い ( Z 他方に沿いては︑マルクスも指摘する如く ω パ 1 トンの歴史的‑包官︑マ一一ユフアクチヤ l の時代と大工栄の時代と放パ硝
M h
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の質的苦言無視するという点にむいてかれの十っかくの歴史的統計的検証主口なしにしてしまっているという致命何
M
M 恥
M b 的快陥をも併有するものである o 挽一一一目すれば︑十八世紀後半以後の充分に発展した資本主義的生産方法︑すなわち大工科で説教せ
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問 の の 区 称 民
業に妥当すべき諸法則をば︑十八世紀前半以前の産会革命を経過していない生産方法︑すたわちマニユフアクチヤ 1 に﹀
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れ 路史的統計的想仰をしてかれの友明ぜんとする・諸法則と矛盾.削減初や ο
せしめるに去り︑そのね川市かれの独自な分析方法は一治すべからざるととを証明する彼目に追いこまれたのであった︒品川昨日約一糊
.さて以上にないては︑どちらかといえばむしろリカァドウこ比していくぶんパ 1
ト ン に 歩 が あ る 上 う な 形 で の 評 価 が 知 器 る '
︑ .
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臼 た あ も 試みら札てきた 0 ・しかしわれわれはグすべてをパ 1 トンに有利に解釈してしまたうとするものではない︒たとえばマル 1
停 で て 所 う し クスの扮抑する如く︑一切りカァドウがパート y を進めた唯一の点は︑機械の導入を過剰人口にか L
わ ら し め た と と ろ に 凶 純 よ と あるといえよう o そうしてとの点については︑ぷ 1
トン・リカァドウ理論の到達点たるマルナスの相封的過剰人口ない小山村ゆ叫 し段栄予的不の理論に決定的な繁一司令}与えているだけに︑リカ j ドウのとの功訟は高く評価されなければならない
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・ 伽 閥 抗 射
しかしながらパ 1
小 ン
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たとえ明示的ではありえなかったとしてもーーとの点がまったく宥遇されていた切総らが
'け点 b けではなかった︒たとえば第三部にあける移民ならび︑に荒地の開発の従唱の如きは︑直接には貨幣価値の下落に伴う吋は付の ー て 結 そ 労働の超過旬要の問題にか L
わらしめられてはいたけれども︑かれの瑚論併成にもとづく因果の糸をたぐれば︑それば円い仁え
流動・同定の両資本構成の問題にか L
わらしめられ︑従ってまた当然に機微の導入に給付けられるととも可能なのであパ問就位
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ノ 捌 析 の た れ 晴 分 本 ま た持リカァドウョぐ l トノ亡比して決定的にすぐれていた点は︑前者が舵同たる西伯論(投下労働説)をもっていたと
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1 トンにこのことを要求するのは酷にすぎるかもしれないが︑このことから︑問 EH
純 涜 な 題点以放にないでリカァドウにまさり γ 何々の諸論点についてすぐれたヒラメキを示しえたパ 1 トンも︑全般的にリカァ枇 w
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ドウの体系に役立れるときには︑見劣りの寸る存在になり下るという事実が派生してきていると忠われるのである︒
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糊 初 胡
さらにわれわれは︑パートン︑リカァドウに共通する侠陥とでもいうべきものをもあげることができよう︒その第一ぺ伽"・内航船
は︑両者ともスミス以来の古典学派の思しき伝統に従って︑資本主ば企業家的観点にもとづく流通形態に上って流動・一川叩刊行位凱 固定の両資本に区分し︑しかもそれをもって同時に労働と封泣さるべき資本としからざるものとのほ分に転用せんとし h 巾 P
カ 分 関
︺
‑ G h L リ 部 の
たととに上って︑問題の焦点左盲点化するととになったのであった︒すなわちマルクスも指摘する如く川両者は不変
資本と固定資本とを︑また可変資本と流動資本とを混同し︑従って当面の問題に枢要なる流動資本の解釈にアイマイな町
94)
諸 点 を 残 す に 至 っ た の で あ っ た
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その第二は︑やはり両者ともスミス以来の惑しき伝統に従い︑固定資本の取扱について充分でありえなかったことでなスあま所
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ある︒すなわちマルクスも指摘する如く︑切両者とも再生産に必要な回定資本︑換言すれば固定資本の補てん部分を見わ λ
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? 落していたのであった︒もっともパ 1 トンの場合には今少し考慮さるべき問題が残っているように忠われる o
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J U 伽 川
かれの数字的設例にむいては︑一人の機械修繕
L ( かれはそれを機械製作エの中に含ましめ℃いたが)が措定され τ
治 作 弘 政 ' N r r
テ し 可 占
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り︑との点を全然無視したとはいえないかもしれないのであるが︑しかしその場合でも︑機械の住持(参務)の問題はえ成たす M
3 . 4 5
し 梼 銀 善 一 考えられていたであろうけれ芝も︑より重要な機倣の怖 τ んの問題(あるいはもっと具体的に減価値却の p 題 U
は ま っ 問 り 境 地 獄
たくふれられてなかったといわれなければなるまい
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一 間 院 総 川 悦
さて以上の空︹﹂語昆長よびそれらにもとづく相封的許価をふり返ってみても︑パ 1 トンの貢献はけっして無視され儲判断一川一闘
うべき程のものではなく︑かれの理論にはいくたの珠玉がちりばめられているといっても過一一一口にはならないであろう︒"は齢制ロ そうしてわれわれはいま L で︑通説をこえて︑パ 1
トンがリカァドウらのたんなる先駆者であるにとどまら宇︑少くと分代所む二 もある点に沿いてはリカァドウをとえうるものをも有しているととを強調すべく︑ぎちらかといえば両者の相違点︒解峨地峨脱却 明に力点を沿いてきたともいえよう o しかしこのことは︑パ 1
ト ン 主 び リ カ ァ ド ウ の 理 論 が 共 通 の も の を 持 た な か っ 駅 官 器
たという逆の主桜を根拠づけるものではない︒いなむしろその後の理論の発展に照してみれば︑両者は設淡の差乙そあパ純ら先の
れ機械の導入と労働の排除との関連を取上げることによって︑資本主義こ内在 h
リ 左 手 造
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問 題 と し て い る が ゆ え 削 間 切 取 鴻
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パ 1 トン・リカァドウの﹁機械論﹂とし τ 統一されてしかるべきものだといえよう︒そうしてか L
る統合されたパ回ア凶司法四 1 トン・リカァドウ理論乙そが近代的長期会議論の最も有力な一翼をなすマルクスの産業予備竿の理論︒漂流どみな
h M 時 何 刈 ' m レす さるべきであろうし︑またパ 1 トン・リカアドウ理論はマルクスを媒介とすることによって初めて近代ないし現代につ村山ぽ値のと な が っ τ いるといわれなければならないであろう o よってわれわれは︑以下節を改めて︑か L る統合されたパ 1 トン・矧肋抑制以一位
リカアドウ理論がい)なる系議をたどってマルクスの産業予備平に結実しさらに現代にもたらさ札たかを追求してみな得な一一一回剰ルた
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しかし前述ぜし如く,かれの illê~功汚水の il兄念にほ耐久性と 11m支払")~色との I司椀 点。混同があるのみならず F 内定々木‑Cf! u てん泊分〉の)写生: ) U にト 3 げる役, I ; : i j ~工い かに・しでもかれの総司 m . 1 * 日明得分析からはで こないといわれな:すればヱらな 筏
L 。 、
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いづれにしても, P r i n c i p l e s , c h . XX 玄 1 . く e s p . ~ 143) では町分析の nnにìI~ fIIJ が L
みられると恩われるが,われわれとしては稔所得・純す得分析乃ガた L 1 r てさるぺ 二
きものとし,洗加・!司君匂水分,貯♂万佐沼良さるぺきものとして交?反りたい。な , . . . . 1 ‑ : :
お此点について{土泊予ぐ主三〉におけるロー JL く b.3.)お上び柴司氏 (b.6.)の 山
所論かも参照のこと。
また司定資本。補てん当:i.j]'の快取についてはパートン'も同様でああこれに対ず るマルクスの批判ごついてはく詮102)た参照のこと。
96) 以下において!む r~町本論」の原典之ついて!ヱモスコウ版くVolksausgabe b e s o r g t von Mar : x ‑ E n g e l s ‑ L e n i n I n s t i t u t )起用い D 羽 K a p i t a l ' と略称する o 訳本乙つい ては日本評論佳坂,長谷語文喰~,全 11 珊起用いる o
いま荷者による当設立明ら引現ずれ 1 ! ,次 0 知くなろう o (前々号, i 主 ー , C . 参照〉
K.Marx Das Kapita l . Bd. I . Ab. 四. Kap.23. 3 . S.665. Note 7 9 .長谷諸課
「資本論〈四 ) J p.141.
97) 前主主1)Note 、 79において p マルクスも, r この点で;主最大の功賃:むジヨシ・パ ート : / 1 こ滑ずる j といっている。
98) K.Mar x : T b e o r i e n . B ・ l : n . T e i l U ・ 1 I I I . 2 ・ くb). SS. 379‑80. 務提訳, pp.
348‑9.
'99) K. Marx Theo r I en.Bi ・ H . τ ・ e i l H ・班・ 2 ・ くb ) . S . 3 7 3 . 措 完 ' i R , P . 343.
100) K. Manc : Da , [ 乞 司 p i h l . B 1 . 1 . Ab. 皿. D.e P r o d u k t i o n des r e l a t i v e n Mehrwerts.
kap. 1 3 . M a c h : n e r i e und g r 出 s eI n d l l s t r i e . 3 . Nachste W i r k u n g e l l d e s machinen ・ massigen B e t r i e b s a u f den A r b e i t e r . b) Verlangerung des A r b e i t s t a g s . S.428.
N f ) t e . 1 5 4 . 長?芸部次「汚水 1 I r I i ( 三 ) J p.193.
101) K. Marx D . ¥ s K a p i t a l . B d . . f f . M 廿 kau 1933.Ab. H . Dcr Umslag d e s K a p i t a l s . kap. 1 1 . Th~')τien 包b~r f i x e s und . r i r k u l i e r e n d e s K a p i t a l s . R i c a r d o . S . 223 u . S . 224.長谷部課「汚木清〈六)Jp ・1 3 8&p. 1 4 0 . なおく問主95)かも参照。
こと o また苛 k 号〈問主 20) 1二 ~<Iテる両者刀畑英長らも参照つこと o
1 0 2 ) パート Y についてぽ K. Marx T h e : > r i e n . Bd. r r . T e i l n . ] J [ . 2 ・くb). S . 372. ( Fu s s n ot e ) 1 ・堵良三 R ,p . 3 1 2 . らき 1 ヨつこと。なおこのマルクスの問主 は,パートゾの C O l l d i t i o n sof Labouring C l a s s e s . p.56 く P.43) の章句く前々号,
P. 34 ・ 参 f f i P に対ずる批判である。
リカァドウについてほ,次のものが参照される;うらこれはいづれも,直史;二国定問 資本と労劫需要と L 、う形でな<,稔生産.吻 0 分解諸分と¥‑..う f f b におきかえられて
し 、 る o 、
K.Marx Das K a p i t a l . Bd. H . Ab. 1 1 . Die Reprod 此 t i o nund Z i r k u l a t i o n d e s g e s e l l s c h a f t l i c h e n G e s a m t k a p i t a l s ・ Kap. 1 9 . f r u h e r e . D a r s t e l l u n g d e s Gegen‑
s t a n d e s . I l I . Die S p a t e r en. S . 3 9 3 .長谷郊訳「資本論〈七 ) J p. 7 7 : および K.
Marx T h e o r i e n . B t t . n . T e i l ・ [ / E ・ 1 . B , utto=u 吋 Nettoeinkommen. S . 3 3 5 . (Fus 宅 n o 1 e ) 1 . 務提訴, p. 309 ・ら参照。こと o
なお Theoriell 心当禁事分のすく.請。文章:二ついて靖侵~1)誤訳もす吉見した 0 で,
念岱ために指摘してちぎたい。すなわち渚提言 R , p . 3 ' ) 8 . 9 汗司ば下;工( 7)¥.. ・ エ y 全集 ~IO 巻モも同噴), r r 多 敬 7 コ生産泊芳:勤者品質用しようとヨリ少 1 投与s1!用 し上うと一司の稔 j 所得と純守得とた合計したものが同→であるならば,…… J J と な っ て い る が 瓦 三 対 手 若 干h e o r i e nの原支!工,‑… wenns e i n e N e t t o r e nt e und s e i n N e t t o p r o f i t zusamm~ngenommen d i e s e l b e n b l e i b e n , ob e s nun d i e s e oder e i n e g β r i n g e r e Zahl anwendete? …… く T h e o r i e n . Bd. H . T e i l n . S;335.)
となっており 3 さらにこれがまたリカァドウの P r i n c i p l c s の独訳である、ところか
訂 以 た
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・ 胞 と
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半必史的にみ礼ぱ︑以上ゆパ 1 トをつうじて現代に至仰帥縦一︒ トン'リカァドウ川内ぺ川は︑その後に沿いては二つの九るル l H 豆
っているといえよう u その一つは︑主とし℃リカァドウの後継者たちとみなさ札る人々︑たとえばマカロック Gh
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︑いま一つは︑主と川⁝向山一時 9
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L で J U 一般の予組に反して︑現代につながるものは︑前者ではなくしてむしろ後者であるといわれなければならな汁 e 一けもと いよつである︒なぜならば前者にごては︑その理論的水準の進歩はみられやにその後沿ないし停滞を生じたのにおし一プ的制民 後者にみいては︑宍釘的になんらかの進歩がみら札前むきの発展 I 貢献するところがあったといえるのであろうから︒川町即日明記ぬ わ札われは︑まづ前者︒追跡より初めよう o もともとマカロックは.当初からリカァドゥの﹁機械論﹂に去ける改変
h m 説 明 治 恥 のな誌を認めえなかったばかりでなく︑それに著しく不満であった o ホラングーによれば︑川かれはリカァドウの変説ぺ加祁上バハ溺 に到してすぐさ吉凶巡の抗議を発したが︑リカァドウの確凶たる応答にあうや不精一小精それを承認するに至ったものでん制批⁝一円引
︑ ︑
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o しかし機仙の改兵はいづれの階級に討しでも利益であるととを信じ補償説的な立場をとるかれにとってはカ L む竺そ川町ト立 るリカァドウの﹁機仙北川﹂はか札の川一治体系にはとうてい包摂されえないコプ的存在であったといわねばなるまい o
歪一ふ
日⁝一山行幼 i m
かれに沿いでは︑﹁しかしこの般の場合は組定されるであろうけれども︑同時に︑それ︹その種の場合︺がいま L
で に け て 吋 者 あ る ク
み
a h で け ル っして現実に起ったととらなけ札ぱ︑またこれからも極端に起りそうにもないということは︑安全に断一一一目されうるであた叫雨一おマ 庁 4
一 ま 同 に 工 ろ う o ﹂附との立す日によって︑リカァドウの﹁機倣論﹂をいち沿う承認したにもか L
わら守︑それを完全に棚上げしてし笛生穴が文て : 0 .
議
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の 開 ル ' ま つ 句 て い る の で あ る
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︑訴と.市
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一 そうしてまたリカァドウに討しては附礼をつくすマガロックも︑パ 1 トンに封し τ は容赦のない批判をなげかける︒一か h
め は 凶 郎 すなわち︑パートンの上記︒数字的設例をそのま L 借川して︑しかも訟のれの理論をもってすれば︑機一械の導入は居市仰のら州問問︿ ω
減少ではなくかえってその増大をもたらしうることを示すことによってパ 1 トンを批判し終えたとなすのである
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の論一流はすこぶろ錯雄しているけれども︑いまその犬要をたどれば次のようになろう︒まづパ 1
トンの想定する第一の均一則川知
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l 機械導入以前の場合︑す友わち総資本一︑ 000 ポンド︑織工二 O 人による製造業の場合
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O パーセントとすれば︑当該財貨は︑資本左上ぴ利潤を償うぺく︑一︑一
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ポンドで売られていなければなら川向 ]mm
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機械導入以後の場合︑すなわち︑総資本二︑ 000
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︑ 織 工 五 人 に よ る 製 造 去 場
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ン の 上 う た 帰 結 に は 到 達 し 討 む
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その論烹は以下の如くであるが︑マカロックはこの場合でも︑第一の場合と同じく︑当該商品の究用を償うぺぬい一
m h き価格はいかにして決定されるかといヴ角度より問題に接近する o 第一に︑機械の費用を償うためには︑年々一九七ポ岡山 ι 岨 U
川
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ンドが要求されなければならない︒なぜならば機械の資本価値たるつ五
00
ポンドに封する一 O パーセントの利潤を引制似 ω 凶
あらわすものとしての一五 0 ポンドが支払わねばならぬと共に︑一五年の耐用年数を有する減価償却分としての問七ポ仲町汁除制
ン ド
( 一
O パーセントの複利計算による年金額)が回牧されなければならな.いから︒第二に︑労働の費用たる賃銀が回
i w
川 叫 ん U 比 牧され友け札ばならない︒五人の織工に加えるに一人の機械修締結工(パ 1 トンの場合では機械製作工の中に包含されてぺ陶ね
b ω m
いた)の計六人︒賃銀総額三
00
ポンドを償わねばならない o
第三に︑かと匂家主支払った資本に封しても利潤が回
J 設
は り 誌
牧されなければならや︑一 O パーセントの利潤率をもってすれば︑その額は三 0 ポンドとなる o よって当該財貨の総費叶
E 開
ω 一
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用は合計五二七ポンドとなり︑従ってまた当該財貨の価格はつ一
00
ポンドより五二七ポンドに下浴するであろう︒げ市町巾附判 しかしこのことから︑たどちにそれだけ労働需要が減少するというととにはならない o 第一に︑消費者はいまや五七
‑ m M
伊 m r
山
三ポンドの消究余力をもつことになるから︑他の物品にそれを支倍するととになろう︒従って他の物品の生産に封して必加長晶化町
一一人たいし一二人が(年賃銀率は五 0 ポンドであるから)即座に雇傭されるととになろう o 第二に︑と札にとピまると n 山 inuu 跡 となく︑消究余力の増加は貯蓄を増加せしめることによって新基金の形成を可能たらしめ︑それから賃銀がまかなわれる川
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州 酬
ととになろう︒マカロッグは貯蓄率をだいたい 1 一 2 に想定しているらしいので上記︒五七三ポンドの約半分一に相当す泊酬い
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ポンドが第一年度の終りに新基金として形成され︑台そらく五人の例人に封する新宿要を形成するととになろっ
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ぅ︒しかもとの額は︑複利計算によってネズミ算式に増加するものと考えられているが︑いま利率を一 O
パ ー セ ン ト と ゆ
経 営 と 経 済
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想定すれば︑あるいはもっとうちわに五パーセントに想定したとしても︑ひじようにまもなくのろちにばく大在人数の広川議 例人を雇傭しうる千段を与えることになるのである︒そのほかにも第三に︑第二の場合と同じくパ 1
ト ン が 企 く 気 づ か 日 目 勃
なかったようにみうけられるいま一つ別の基金も存在するのである︒それは上述の機械に帰せらるぺき費用合計たる一.叩私物
九七ポンドより︑利潤に相当する一五 0 ポンドをさしびいた残余の四七ポンドのことである︒か L る減価償却分の年金制
w w
民立額は一五年経過して機械が磨滅し℃しまった時に初めて支出さ仰いる更新費用なのであるが︑その途中にむいては複
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利計算にょっ τ 漸増しながら︑しかも労働需要をまかなう基金として作用しうる o
よって第一年目には一人︑第二年目此測か
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‑F4司
には二人︑第三年目には三人組︑第五年目には六人︑第一五年目には突に二十八人以上もの伺人に雇傭を与えうるとと叫れが になるのである︒さらに第四に︑会然旧いられることのなかったこ 00 ポンドというものが存在する o
附そうしてとの吋山
k ・ 2 額にして労働の毘備に使川されるならば︑当然凹人の何人に討する賃銀を提供しうるものとなる o よ っ て マ カ ロ ヅ ク は 日 制 鮭 川 以上の結論として︑右に空言札た場合苧よびその類似の場合にないては︑機一四の導入によってたど一人の労働者も雇州川市川 怖から放逐されるととなく︑逆に労働に到する需要は二倍以上に増加させられるであろうとい L ︑機械導入の恩恵をオ U
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さてマカロックのこの論誌の当らざることは容易に指摘されう
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ぺゆであるが︑われわれはパ 1
ト ン の 所 論 と 封 比 州 山 川 ゐ 闘 しながら︑順次にその誤りを述べていとう o 第一に︑消費余力が即庖に別他の物品に封する需要を形成しうるとなす点帥仙川吋 U 臨 は補償説的見解を典型的に表明したものであるが︑リカァドウの改変の意義むよびパ 1 トンの真価はか L る安易な補償恥
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説を斥けることによって解放説を打立てんとした点にあるとするならば︑マカロックの説は︑問題の次元を旧き︑誤れ γ バリ蜘 ι 関 川 コ
国 ぼ 一 参 ぺ .
る方向へ逆転せしめるものであるといわれなければなるまい︒第二に︑マガロヅクの理論の枠内に沿いても︑補償説が凶日か泊かれ 広
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d L 成立しうるためには消費余力が他財の購買に立ちむかうことが必要であるが︑その同じ消費余力が今度は貯蓄余力とし G 一 m
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て立現われ︑それが新資本への形成を通じて労働需要を形成するというに至つては︑明かに二重計算といわれなければ
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切 断 料
紅らない︒その上に例の複利計算によって誤れる結論にワがかけられているたど︑コケオドシ的であるといわれでも仕
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仏弘前例経 方があるまい o 第三に︑減価償却積立分の労働需要基金としてはたす健割であるが︑と L
で も 複 利 計 算 に よ る 幻 誌 を 除 め
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賀 川 けば︑要するに機械に投下された資本 ω
回牧(同定資本の蓄蔵貨幣化問)に作いって一たん排除された労働者が呼吸牧さ町刷 れうるかという問題になろうが︑かと匂蓄蔵貨幣は︑耐周年数が経過した後に同定資本をば一挙に全部的に更新するた師同
めの堅金で
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常 時 流 動 資 本 と し て 雇 傭 に 当 て え な い 性 格 の も の で あ る の み な ら で よ し そ の 中 間 に 沿 い て 流 動 資 本 長 川 として雇備に使用された場合を考えても︑更新時に必いては同定資本として投下さるべく一挙に流動資本より引上げらよ
J
れなければならぬものなのである︒第四に︑なるほどマガロックの如き推理をたどれは︑投下されざる資本としての二郎仰
00 ポンドが現存することになるが︑しかもこの二
00
ポ ン ド が か な ら 宇 流 動 資 本 と し て 投 下 さ れ 毘 備 に あ て ら れ る と 瓜 略 いう保証はないのである o もっともパ 1 トンの数字的設例はこの点の不川意を残しているともいわれようが︑その場合 1 川
でも差額は二
00
ポンドでなく一 00 ポンドとなるであろう︒すなわちパ 1 トンの推理をたどれば︑機械建設時に必要ゐ μ 川
とされた三 O 人の機械製作工はその存続年間以たる一五年に配分されて︑年々二人の燃料慨製作工が継続的に応一関されるとい⁝ b 蜘
考えられているほか︑さらに機銃の維持に常時一人の機倣修繕・ムが必要だと考えられているので(前述した如く︑後者認←印
は前者に合められ︑従って機械製作工は合計三人となる)︑資本投下部分は︑機放処造に一︑五
00
ポ ン ド
︑ 五 人 の 紋 舟 幼 町 工の賃銀に二五 0 ポンド︑︑三人の機校製作工の託銀に一五 0 ポンド︑合計一︑九
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ポンドとなり︑不足分ないし未
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州
投下部分は一
00
ポンドとなるわけである
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凶 払
さて以上詳説する如く'︑マカロヅクに沿いては亜流のつねとして︑その迎論的水準の後はないし矛盾意識の低調さは仙川町恥リ
掩うべくもないが︑そのことがまた持そらくかれをして救去の必要性を認めながら
j
そ れ も 反 を 号
︑ 秩 序 長 時 ピ じ 持するために不可決︒ものとしてであるが !l レかも﹁食叫んを刊号つための引制的規定は︑もしもそれがおるひじように火 ι 広
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有力な相殺的抑川によって随
ι 卜されないとしたならば︑それに帰せしめられる諸妨却をもつであろう己的といわせ︑山川
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一回 J
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救貧法︒擁一謀者たちが労働階級︒利益︒みをみて︑他方︒利益を顧み伝いことを立めさせているゆえんであるといえよ詔一向山ニ ド
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︒ シ 傍
K 論 y r d 他方 J ・ s ・ミ加に争いても︑リカァドウの﹁機校九州﹂はそのま L 繰 返 さ れ て い る に と ピ ま り
︑ み る べ き 進 歩 は な さ れ 町 川 町 なかったといえよう o もっともかれいにむいては︑資本に関する第四命題たる﹁諸商品に討する需要は︑労仰に封する需
1 1 1
経 営 と 経 済
八
要 で は な い ︒ し 聞 と い ろ 有 名 な る 立 一 一 一 口 に よ っ て た ん な る 皮 相 的 凡 況 よ り 脱 却 し え て い る 点 に 会 い て ︑ ま た 救 貧 法 の 労 倒 的 一 而 泊 3L‑
入 品 1 4
叶 叫 す
I r 要︒増大にたよぽす効果を充分に認めている点にないて︑肌たしかにマガロヅクよりは進歩していたといえよう o
し か 州 ゆ リ ー 陶 l r j しながら︑終校の導入と労働需要との関係︑ないしは機紋の導入と労 ω 者階級 ο 利害の討立の分析という段に︑なると︑ w ︐ d
伸 一 い ︐
3
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一 口
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かれの担訟はほとん芝全くリカァドウの同工異曲であるといわれよう
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すなわち両者︒矛盾ないしは討立の可能性はい判明
‑ M 帆 弘 充分に認められているにもか L わら宇その現出露出は否山一九されてしまって去り︑従って窃局にみいては機械導入への弁護九 A
日 刊 誌 論になり下っているのである o
者 一
一 目
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機 倣
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ミ ル は た ん に 機 械 の 改 良 の み な ら で こ れ に 土 化 問 剛 山 間
地の改兵などをも合めて生産上の改良といっているが
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M 定資本の増加が杭動資本をギセイにして起る場合には︑少昏
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叩 制
くとも一時的には労仰の排除が起り労問者階級は不利益ジ一家るであろうけれども︑現実にまでは改良直以急以かつ多量恥一昨川一件
に行われることなくひじように徐々に行われるものであるから︑既存海本の引上げを生じることなくた刊誌資本増加分野むろ肱ぷ
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のふりあてだけが問題となるのみであり︑従ってせいぜいのととろ労倒需要の増加率に減少をみるだけでその絶封量一山ぺ一
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画
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には減少がないであろう︒さらに一歩設った場合でも︑一時的に代少をきたすことあるべき総合生産物
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ペフ苅げ︾・ミ
官 ︒ 含 8 )
問や流動資本も︑改日 λ にゲつ蓄積分の増加によって窃局にむいては補て
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ゆえに︑機械の発明等は労倒者にとって窃局的には利誌でさえあるというに至る o m
その他の点においては充分進法的典‑ぱ弘分ア
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1・ 原 い せ 町
であったかれも︑山との点に関するかぎりリカアドウ迎論の水準から一歩もでなかったといわれでも仕方がないであろの悦一郊抗第リ
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︒ 理 問 倣 所
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理 一
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さらにまたミルに沿いては︑流動資本がもつはち賃銀基金として労倒需要の規定要因に措定され︑他方に長ける労働調印閥均調口
供拾の規定要凶たる人口(労助人口)との関連にないて賃銀を決定すると考えられるに至り︑労内問者扶養基金としての繍山一一一網開
流動資本なろ概念はいち沿うゆきつくす所までゆきつくして︑いわゆるかの賃
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﹂ の 町 に 叫 訳 の て定型化されたのであった o m しかしか L る 賃 銀 基 金 ︑ 説 に む い て は 1
賃銀基金のえ小がたピちに居佑数の犬小に関係づルト者白田こ
ミ い 再 刊 戸 し
けられて託銀山中の砂浜が全く無視・されるという快陥をすると共に
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辺に賃銀基金を賃銀率︒除落に関係づけるときに下用ま P
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か 主 装 警 乞 ば 何 か 史 的 な き さ に み な す こ と に よ っ て
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d 賃銀引上に討すげι労働組合運動︒無効性を主除する資本家側のぼ具として利用されるに至り・悪名高き存山伐となりはて尉肌山駒山
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F o g S ロ ) 叫 の 比 判 こ あ く 指
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の : うや︑ミル自身な L やけにこれを放棄するに至った諸事情はひとのよくしるととろであろう
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﹀による修正された賃銀基金説の復興の試みにもか L
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