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Vol.65 , No.1(2016)057田中 裕成「有部系論書における四念住と四顛倒」

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(1)

養して,汚れのない智慧の眼を生じて,すべての身受心法を総観(総相念住)する.[T. 28. 818a26–a28] ここでは諸行の相の観察を行い,「汚れのない智慧の眼」則ち,不顚倒の智慧1) を生じて,身受心法の想観(総相念住)を行う.つまり,別相念住の修習はこの智 慧の獲得が目的であり,総相念住の修習はこの智慧で正しく苦を観察することで ある.ゆえに,『心論』の四念住位は「四顚倒の対治(別相念住)→苦諦四行相の 観察(総相念住)」といった,正しく苦を見る為の構造であると言えよう.

2.『甘露味論』の四念住説 

従来,『甘露味論』の四念住説は注目されてこな かった.しかし,ここでも『心論』と同系の四念住説が説示される. 順々に身受心法を観察する.こ〔の観察している〕人は法念住において,〔対象を〕一つ とする心(奢摩他)を清らかにして,真実(不顚倒)の智慧を得たならば,一切の有為 〔法〕の真実の相を観察する.[T.28. 972c22–c29] ここでは不顚倒の智慧を得ていない段階と得た段階,則ち,「別相念住」と「法 念住の総相念住」が説かれている.この構造は先の『心論』【2】と対応する.ま た,別相の身念住に関しては次のように不浄相を観察する旨が記されている. 浄想顚倒を対治する故に,身体の真実の相として三十六の不浄〔物〕を観察する.[T.28. 977b1] 以上の二点から,『甘露味論』では,別相念住においては四顚倒の対治を目的と して,自相のみを観察する四念住の修習を行い,続く法念住(総相念住)では一切 行を諸縁として有為法の共相である苦諦四行相を観察することが明らかとなった. すなわち,『甘露味論』は『心論』と同じ「四顚倒の対治→苦諦四行相の観察」と いう構造を持っていると言える.

3.『サウンダラナンダ』の四念住説 

次に馬鳴作『サウンダラナンダ』(SN) の記述を紹介したい.ここでも,四念住説に関して有部論書との細かな対応が確 認できた2).当箇所(SN 17.13–21)は,奢摩他を成就したナンダが出世間道を得る までの修行を述べている.このうち,まず注目すべきは SN 17.16cd である. また,〔彼は〕身体を,不浄・苦・無常・空3)・無我として観察した.//SN 17.16cd// ここでは身体を「不浄・苦・無常・空・無我」の相から身体を観察する.ここ に不浄相が挙げられていることから,『サウンダラナンダ』では別相念住で苦諦四 行相を観察するのではなく,四顚倒の対治を意図していることが窺える. 有部系論書における四念住と四顚倒(田 中) (179)

有部系論書における四念住と四顚倒

田 中 裕 成

0.研究の目的 

部の四念住は大きく二つの系統に分けられる.一つは経や『法 蘊足論』等にみえる内外等の循観(anupaśyanā)を説く素朴なもの,もう一つは『俱 舎論』や『心論』等にみえる別相念住と総相念住を説く修行体系に組み込まれた ものである.本稿ではその内,後者の四念住について分析する. 前述のように『俱舎論』(AKBh 341, 7–343, 9)の四念住位は別相念住と総相念住 の二段階として説示される.しかし,当該箇所では四念住が二段階からなる理由 等は説示されない.また,四念住は浄楽常我の四顚倒の対治とするが,あくまで, 四念住の数と順序を説明する際に,解釈の一つとして登場するだけであり(AKBh 342, 19–343, 2),身念住の観察における不浄相の説明はない.この四念住と不浄相 の関係について,田中教照(1983)は『法蘊足論』の身念住の記述に注目し,有 部の四念住位は苦諦四行相を観察するためのものであるとする.そして,四顚倒 を意識した四念住説が『心論』,『大智度論』にしか無いことから,四念住と四顚 倒との関係は大乗論書から小乗論書への思想的流入であると見做す. しかし,氏が確認したもの以外にも四念住と不浄相を関連付ける幾つかの資料 が存在する.そこで本稿ではそれらの資料を用いて,四顚倒と不浄相に焦点を当 て,有部修行体系の二段階からなる四念住位の位置づけを明らかにしたい.

1.

『心論』の四念住説 

『心論』[T.28. 818a14–b2]の四念住説は田中教照(1983) の指摘通り,四顚倒説と密接な関係がある.今は,次の二点に注目する. 【1】この身体は不浄相と無常相と苦相と無我相をもつ.[T.28. 818a19] ここでは別観の為の説示として身の自相を定義するが,「不浄相」が含まれてい ることから,苦諦四行相(苦・無常・空・無我)ではなく,浄想顚倒の対治を狙い としている.すなわち,四顚倒の対治が意図されている. 【2】〔彼は〕諸行の相を〔総〕観し終って,ますます,〔念〕処(*[smṛty]upasthāna)を長 (178) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 ─ 347 ─

(2)

養して,汚れのない智慧の眼を生じて,すべての身受心法を総観(総相念住)する.[T. 28. 818a26–a28] ここでは諸行の相の観察を行い,「汚れのない智慧の眼」則ち,不顚倒の智慧1) を生じて,身受心法の想観(総相念住)を行う.つまり,別相念住の修習はこの智 慧の獲得が目的であり,総相念住の修習はこの智慧で正しく苦を観察することで ある.ゆえに,『心論』の四念住位は「四顚倒の対治(別相念住)→苦諦四行相の 観察(総相念住)」といった,正しく苦を見る為の構造であると言えよう.

2.『甘露味論』の四念住説 

従来,『甘露味論』の四念住説は注目されてこな かった.しかし,ここでも『心論』と同系の四念住説が説示される. 順々に身受心法を観察する.こ〔の観察している〕人は法念住において,〔対象を〕一つ とする心(奢摩他)を清らかにして,真実(不顚倒)の智慧を得たならば,一切の有為 〔法〕の真実の相を観察する.[T.28. 972c22–c29] ここでは不顚倒の智慧を得ていない段階と得た段階,則ち,「別相念住」と「法 念住の総相念住」が説かれている.この構造は先の『心論』【2】と対応する.ま た,別相の身念住に関しては次のように不浄相を観察する旨が記されている. 浄想顚倒を対治する故に,身体の真実の相として三十六の不浄〔物〕を観察する.[T.28. 977b1] 以上の二点から,『甘露味論』では,別相念住においては四顚倒の対治を目的と して,自相のみを観察する四念住の修習を行い,続く法念住(総相念住)では一切 行を諸縁として有為法の共相である苦諦四行相を観察することが明らかとなった. すなわち,『甘露味論』は『心論』と同じ「四顚倒の対治→苦諦四行相の観察」と いう構造を持っていると言える.

3.『サウンダラナンダ』の四念住説 

次に馬鳴作『サウンダラナンダ』(SN) の記述を紹介したい.ここでも,四念住説に関して有部論書との細かな対応が確 認できた2).当箇所(SN 17.13–21)は,奢摩他を成就したナンダが出世間道を得る までの修行を述べている.このうち,まず注目すべきは SN 17.16cd である. また,〔彼は〕身体を,不浄・苦・無常・空3)・無我として観察した.//SN 17.16cd// ここでは身体を「不浄・苦・無常・空・無我」の相から身体を観察する.ここ に不浄相が挙げられていることから,『サウンダラナンダ』では別相念住で苦諦四 行相を観察するのではなく,四顚倒の対治を意図していることが窺える. 有部系論書における四念住と四顚倒(田 中) (179)

有部系論書における四念住と四顚倒

田 中 裕 成

0.研究の目的 

部の四念住は大きく二つの系統に分けられる.一つは経や『法 蘊足論』等にみえる内外等の循観(anupaśyanā)を説く素朴なもの,もう一つは『俱 舎論』や『心論』等にみえる別相念住と総相念住を説く修行体系に組み込まれた ものである.本稿ではその内,後者の四念住について分析する. 前述のように『俱舎論』(AKBh 341, 7–343, 9)の四念住位は別相念住と総相念住 の二段階として説示される.しかし,当該箇所では四念住が二段階からなる理由 等は説示されない.また,四念住は浄楽常我の四顚倒の対治とするが,あくまで, 四念住の数と順序を説明する際に,解釈の一つとして登場するだけであり(AKBh 342, 19–343, 2),身念住の観察における不浄相の説明はない.この四念住と不浄相 の関係について,田中教照(1983)は『法蘊足論』の身念住の記述に注目し,有 部の四念住位は苦諦四行相を観察するためのものであるとする.そして,四顚倒 を意識した四念住説が『心論』,『大智度論』にしか無いことから,四念住と四顚 倒との関係は大乗論書から小乗論書への思想的流入であると見做す. しかし,氏が確認したもの以外にも四念住と不浄相を関連付ける幾つかの資料 が存在する.そこで本稿ではそれらの資料を用いて,四顚倒と不浄相に焦点を当 て,有部修行体系の二段階からなる四念住位の位置づけを明らかにしたい.

1.

『心論』の四念住説 

『心論』[T.28. 818a14–b2]の四念住説は田中教照(1983) の指摘通り,四顚倒説と密接な関係がある.今は,次の二点に注目する. 【1】この身体は不浄相と無常相と苦相と無我相をもつ.[T.28. 818a19] ここでは別観の為の説示として身の自相を定義するが,「不浄相」が含まれてい ることから,苦諦四行相(苦・無常・空・無我)ではなく,浄想顚倒の対治を狙い としている.すなわち,四顚倒の対治が意図されている. 【2】〔彼は〕諸行の相を〔総〕観し終って,ますます,〔念〕処(*[smṛty]upasthāna)を長 (178) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 ─ 346 ─

(3)

る,「諸法の分析(別相念住)→苦の観察(総相念住)」という構造であった. 修行体系を説示する最古層の論書である『心論』,『甘露味論』がともに,四顚 倒の対治を説き,それが幾つかの論書にも引き継がれている点を見る限り,有部 修行体系が構築された当初は「四顚倒の対治→苦の観察」という構造こそが四念 住位のねらいであったのだろう.それが分析的性質への傾斜によって自性の観察 へと四念住位のねらいが変化し,その結果,四顚倒の対治としての性質が形骸化 していったものと考えられよう7) 1)言語的には無漏智相当の語であるが,段階的に不適切である.身受心法の観察の果 報であることから顚倒の対治された不顚倒の智を意図しているのであろう(cf. 註 7). また,I[ndumati] Armelin 1978, p. 287, 註(400)も不適切であると指摘している.    2)最近では Vincent Eltschinger 氏が『サウンダラナンダ』の四念住に関する “Aśvaghoṣa on Smṛti” との講演を,京都大学での日仏東洋学会公開講演会(2016.3.13)にて,行って いる.そこで氏は『サウンダラナンダ』が現観をすることから abhisamayavāda であり, 『雑心論』や『大智度論』と対応する事を紹介していた.また,自身は機会を改めて, 『サウンダラナンダ』と有部修行体系の関係について,氏とは別の視点で論ずる予定で ある.   3)asvaṃ を空と訳した.Cf.『大智度論』[T.25. 199c2–c3]行者思惟是身如 是.不浄無常苦空無我.   4)『坐禅三昧経』の資料的価値については田中裕成 (2015)を参照.そこでは『大智度論』の四念住説との関係についても指摘したが(cf. 田中裕成 2015,註 19, 20),今はそれに言及しない.   5)受念住中の「真実の楽は 無し」という経部的特徴に基づくものであろう.   6)七処三義観については別稿 を予定している.   7)有部の伝統では断惑と対治は異なる概念の為,断惑論との 関係ではないであろう(cf. AKBh 338, 1–2).    〈略号〉

SN The Saundarananda of Aśvaghoṣa. Ed. E. H. Johnston. London: Oxford University

Press, 1928.

AKBh Abhidharma Kośabhāṣya of Vasubandhu. Ed. P. Pradhan. Patna: K. P. Jayaswal Research Institute, 1967.

〈参考文献〉

Armelin, I[ndumati]. 1978. Le coeur de la loi suprême. Paris: Librairie Orientaliste Paul Geuthner. 田中教照 1983「有部の四念住について」『印仏研』31 (2): 499–503. 田中裕成 2015「『坐禅三昧経』における出世間道」『佛教大学仏教学会紀要』20: 125–146. 〈キーワード〉 別相念住,四念処,四顚倒,Saundarananda,修行体系,説一切有部 (佛教大学大学院) 有部系論書における四念住と四顚倒(田 中) (181) そして次に SN 17.17–21 では先程観察した「無常・空・無我・苦」の観察がま た説かれる.先程は対象を限定していなかったが,ここでは対象は「一切・有・ 世間」となっている.これらはいずれも一切有為法の言い換えであり,これら四 つの四句は総相念住と言えよう.故に,『サウンダラナンダ』においても『心論』 と同じく「四顚倒の対治→苦諦四行相の観察」といった構造であると言えよう.

4.『坐禅三昧経』の四念住説 

『坐禅三昧経』[T.15. 278c5–279b1]4)では四念 住の修習が四顚倒の対治であると断った上で,身体の別相観として『心論』と同 じ四相(無常・苦・不浄・無我)を示す.このことからも別相念住が四顚倒の対治 を意図していることが認められる.そして,四顚倒を対治し,浄楽常我が存在し ないことを観察できた行者は総相念住へと進む.しかし総相念住では苦諦四行相 をではなく,ただ,「真実の楽は無し」という一つの事を観察する5).別相念住を 「四顚倒の対治」とし,総相念住を苦の観察とすることから,『坐禅三昧経』は「四 顚倒の対治→苦の観察」といった構造をもっていると言えよう.

5.『心論経』の四念住説 

これらの四念住説に対して『心論経』では,総相念 住はおおよそ同様であるが,別相念住の説示は大きく異なる. 【問】何が身体の真実の相であるか.【答】自相と共相である.則ち,か〔の身体〕の自 相とは,十色処(五根・五境)と法処所摂の一部の色である.か〔の身体〕の共相とは, 無常・苦・空・無我である.[T.28. 848c12–c17] 『心論経』の別相念住では,身体の不顚倒相には自相と共相の二種が有るとした 上で,自相にその構成要素を挙げ,共相に苦諦四行相(無常・苦・空・無我)を挙 げる.ゆえに,『心論経』の別相念住では,四顚倒の対治を目的とせず,身受心法 の構成要素の分析を行い,分析した法を苦諦四行相で観察する事を目的としてい る.すなわち,「諸法の分析(別相念住)→苦諦四行相の観察(総相念住)」という, 法の観察を意図した構造を有していると言えよう.そして,この『心論経』の記 述は後の有部論書,前述した『俱舎論』を初め,『雑心論』や『順正理論』の四念 住位に継承される.そして『順正理論』等では,総相念住にも七処三義観6)が加 えられ,有部の四念住は,よりいっそう,法の分析へと傾斜していく.

6.結論 

以上,本稿では,諸論の四念住の分析を行った.結果,『心論』,『甘露 味論』,『サウンダラナンダ』,『坐禅三昧経』は別相念住において「四顚倒の対治」 を目的とし,それによって総相念住で苦を正しく(無顚倒に)観察するという「四 顚倒の対治→苦の観察」という構造であることが明らかとなった.それに対して 『心論経』やそれ以後の論書では,別相念住において身受心法の構成要素を分析す (180) 有部系論書における四念住と四顚倒(田 中) ─ 345 ─

(4)

る,「諸法の分析(別相念住)→苦の観察(総相念住)」という構造であった. 修行体系を説示する最古層の論書である『心論』,『甘露味論』がともに,四顚 倒の対治を説き,それが幾つかの論書にも引き継がれている点を見る限り,有部 修行体系が構築された当初は「四顚倒の対治→苦の観察」という構造こそが四念 住位のねらいであったのだろう.それが分析的性質への傾斜によって自性の観察 へと四念住位のねらいが変化し,その結果,四顚倒の対治としての性質が形骸化 していったものと考えられよう7) 1)言語的には無漏智相当の語であるが,段階的に不適切である.身受心法の観察の果 報であることから顚倒の対治された不顚倒の智を意図しているのであろう(cf. 註 7). また,I[ndumati] Armelin 1978, p. 287, 註(400)も不適切であると指摘している.    2)最近では Vincent Eltschinger 氏が『サウンダラナンダ』の四念住に関する “Aśvaghoṣa on Smṛti” との講演を,京都大学での日仏東洋学会公開講演会(2016.3.13)にて,行って いる.そこで氏は『サウンダラナンダ』が現観をすることから abhisamayavāda であり, 『雑心論』や『大智度論』と対応する事を紹介していた.また,自身は機会を改めて, 『サウンダラナンダ』と有部修行体系の関係について,氏とは別の視点で論ずる予定で ある.   3)asvaṃ を空と訳した.Cf.『大智度論』[T.25. 199c2–c3]行者思惟是身如 是.不浄無常苦空無我.   4)『坐禅三昧経』の資料的価値については田中裕成 (2015)を参照.そこでは『大智度論』の四念住説との関係についても指摘したが(cf. 田中裕成 2015,註 19, 20),今はそれに言及しない.   5)受念住中の「真実の楽は 無し」という経部的特徴に基づくものであろう.   6)七処三義観については別稿 を予定している.   7)有部の伝統では断惑と対治は異なる概念の為,断惑論との 関係ではないであろう(cf. AKBh 338, 1–2).    〈略号〉

SN The Saundarananda of Aśvaghoṣa. Ed. E. H. Johnston. London: Oxford University

Press, 1928.

AKBh Abhidharma Kośabhāṣya of Vasubandhu. Ed. P. Pradhan. Patna: K. P. Jayaswal Research Institute, 1967.

〈参考文献〉

Armelin, I[ndumati]. 1978. Le coeur de la loi suprême. Paris: Librairie Orientaliste Paul Geuthner. 田中教照 1983「有部の四念住について」『印仏研』31 (2): 499–503. 田中裕成 2015「『坐禅三昧経』における出世間道」『佛教大学仏教学会紀要』20: 125–146. 〈キーワード〉 別相念住,四念処,四顚倒,Saundarananda,修行体系,説一切有部 (佛教大学大学院) 有部系論書における四念住と四顚倒(田 中) (181) そして次に SN 17.17–21 では先程観察した「無常・空・無我・苦」の観察がま た説かれる.先程は対象を限定していなかったが,ここでは対象は「一切・有・ 世間」となっている.これらはいずれも一切有為法の言い換えであり,これら四 つの四句は総相念住と言えよう.故に,『サウンダラナンダ』においても『心論』 と同じく「四顚倒の対治→苦諦四行相の観察」といった構造であると言えよう.

4.『坐禅三昧経』の四念住説 

『坐禅三昧経』[T.15. 278c5–279b1]4)では四念 住の修習が四顚倒の対治であると断った上で,身体の別相観として『心論』と同 じ四相(無常・苦・不浄・無我)を示す.このことからも別相念住が四顚倒の対治 を意図していることが認められる.そして,四顚倒を対治し,浄楽常我が存在し ないことを観察できた行者は総相念住へと進む.しかし総相念住では苦諦四行相 をではなく,ただ,「真実の楽は無し」という一つの事を観察する5).別相念住を 「四顚倒の対治」とし,総相念住を苦の観察とすることから,『坐禅三昧経』は「四 顚倒の対治→苦の観察」といった構造をもっていると言えよう.

5.『心論経』の四念住説 

これらの四念住説に対して『心論経』では,総相念 住はおおよそ同様であるが,別相念住の説示は大きく異なる. 【問】何が身体の真実の相であるか.【答】自相と共相である.則ち,か〔の身体〕の自 相とは,十色処(五根・五境)と法処所摂の一部の色である.か〔の身体〕の共相とは, 無常・苦・空・無我である.[T.28. 848c12–c17] 『心論経』の別相念住では,身体の不顚倒相には自相と共相の二種が有るとした 上で,自相にその構成要素を挙げ,共相に苦諦四行相(無常・苦・空・無我)を挙 げる.ゆえに,『心論経』の別相念住では,四顚倒の対治を目的とせず,身受心法 の構成要素の分析を行い,分析した法を苦諦四行相で観察する事を目的としてい る.すなわち,「諸法の分析(別相念住)→苦諦四行相の観察(総相念住)」という, 法の観察を意図した構造を有していると言えよう.そして,この『心論経』の記 述は後の有部論書,前述した『俱舎論』を初め,『雑心論』や『順正理論』の四念 住位に継承される.そして『順正理論』等では,総相念住にも七処三義観6)が加 えられ,有部の四念住は,よりいっそう,法の分析へと傾斜していく.

6.結論 

以上,本稿では,諸論の四念住の分析を行った.結果,『心論』,『甘露 味論』,『サウンダラナンダ』,『坐禅三昧経』は別相念住において「四顚倒の対治」 を目的とし,それによって総相念住で苦を正しく(無顚倒に)観察するという「四 顚倒の対治→苦の観察」という構造であることが明らかとなった.それに対して 『心論経』やそれ以後の論書では,別相念住において身受心法の構成要素を分析す (180) 有部系論書における四念住と四顚倒(田 中) ─ 344 ─

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