早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 解 題
はじめに
二〇一三年春︑早稲田大学図書館に貴重なコレクションが寄贈された︒蘭学の家として有名であり︑すでに早稲田
大学図書館に関連資料の一部が収蔵されている岡泰安とその一族に関する資料がそれで︑その中には︑近代の文壇に
あって︑画家として国木田独歩をはじめ︑当時の作家たちの作品の装訂や挿絵を担当し︑随筆家としても活躍した岡
落葉宛の書簡類も多数含まれていた︒本稿は︑今回寄贈された資料︵以下︑本資料︶の目録︵以下︑本目録︶であり︑
解題として資料の概要とそこから明らかになったいくつかの事実について紹介するものである︒ 早稲田大学図書館所蔵
岡家旧蔵資料目録および解題
早稲田大学図書館特別資料室
﹃早稲田大学図書館紀要﹄第六十一号︵二〇一四年三月︶
蘭学の家・岡家の人々 まず歴代の岡家が医業を営んでいた山口県の平生図書館が作成した略系譜等
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によって︑岡家のおもな人々について 簡単に触れておこう︒なお︑文中︻ ︼で本目録収載資料の番号を付した︒○
岡泰純︵一七四九│一八〇七︶︒安芸国沼田郡上安村に生まれ︑はじめ大祐と名乗り︑
科医︑野村素幽らについて学んだ後︑京都で医師・吉益東洞︵一七〇二│一七七三︶に︑また長崎で蘭学者
牛︵一七二四│一八〇〇︶に学び﹁当流秘事相伝免状﹂︻A二︼を受けた︒はじめ京都で開業し︑一七八三年
に周防国熊毛郡平生へと移り︑以後︑代々その地で医業を営むこととなる︻A六︑
○
岡泰安︵名・惟雄︒一七九六│一八五八︶︒泰純の四男であり︑泰純死去の年︵一八〇七年︶
︻A八︼︑当初家業を継いだのは兄の大祐︵父泰純の初名と同じ︒一七八四│一八三三︶であり︑
化十二︶頃より諸方に遊学し︑漢学︑蘭学を学び︑その後︑大祐にかわって父の後を継いだという︒一八二六年
政九︶医学修行のため九州に赴き︻A九︼︑長崎で吉雄耕牛の子である蘭学者・吉雄権之助
師事︑翌年シーボルト︵P.F. von Siebold, 一七九六│一八六六︶から﹁医学証明書
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﹂を受け︑一八四五年法眼に進められた︻A一〇︼︒その前年︑周防国岩国藩に召抱えられ︑一八五六年︵安政三︶
眼病治癒に尽力し︑その功により侍医となった︒
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 ○
岡研介︵名・精︑字・子究︒一七九九│一八三九︶︒泰純の五男として生まれ︑幼時は親元を離れ他家で育ち︑十代に
なると近隣の儒者︑医師らから漢学︑医学を学んだ︒一八一七年︵文化十七︶には中井厚沢︵一七七五│一八三二︶
のもとで蘭学を修め︑一八一九年︵文政二︶萩で開業するも︑﹁洋学を学ぶには漢学に精通する必要がある
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﹂との考えから翌年豊後国の儒学者・広瀬淡窓︵一七八二│一八五六︶の咸宜園に入門︑のちに淡窓の代講をつとめるほどに
重きをなすようになった︒さらに一八二二年︵文政五︶には淡窓の師である亀井昭陽︵一七七三│一八三六︶を福岡
の塾に訪ねた︒研介の最初の著書とされる﹃周礼医師職鈔解﹄︻C二
4
︼には昭陽の序︵文政六年︶が付されている︒兄に先立つこと二年︑一八二四年︵文政七︶に吉雄権之助のもとにゆき︑シーボルトの教えを受けたが︑同じくシー
ボルトに学んだ幕末から明治にかけての博物学者・伊藤圭介︵一八〇三│一九〇一︶によれば﹁シーボルト門下中も
つとも蘭学の出来たのは研介と高野長英で﹂あったという
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︒一八三〇年︵文政十三︶頃に大坂で医師として開業︑さらには岩国藩主・吉川経礼の治療のため同地に赴き︑家塾﹁万松精舎﹂を開くなどの活動をするが︑その間に病
を得︑一八三九年︵天保一〇︶に没した︒
さらに研介の弟
︑数馬
︵
│一八七一︶
も医師として周防国熊毛郡大野村の毛利氏に仕え
︑泰安の子である泰記
︵ │一八六三︶︑その子泰一︵一八五三│一九一二︶と医業を継承し︑幕末︑明治の時代を平生の地に過した︒そして︑
泰一の長男として生まれたのが落葉こと悳介である︒
○
岡落葉︵名・悳介︑一八七九│一九六二︶︒東京美術学校︵現東京藝術大学︶を卒業し画家となる︒少年時代からの知己 である国木田独歩︵一八七一│一九〇八
6
︶とその弟収二︵一八七八│一九三一︶と親しく交わり︑他にも多くの画家︑詩人らと交流を持ったことから︑本資料にもそうした人々からの書簡が多数収められている︒落葉は彼らの作品が
世に出る際に︑挿絵︑表紙絵等を担当︑独歩の代表作﹃武蔵野﹄︻C八︼の表紙絵を描いたのも落葉である
から昭和戦前期の文壇の様子を︑当事者ならではの口調で随筆としてまとめるなど︑晩年まで精力的に文筆活動に
いそしんだ︒
寄贈の経緯
続いて︑今回の寄贈の経緯について︑簡単にまとめておこう︒
早稲田大学図書館にはすでに岡家より蘭学関係資料が寄贈されている︒洋学文庫の一部として受け入れられたその
内容については︑本稿末尾に付載しておいたが︑シーボルト関連資料等︑それだけでも十分に貴重であり︑これまで
さまざまな形で教育︑研究に役立てられてきた図書館にとっての財産であった︒
二〇一二年一〇月︑落葉の次男峻爾の子息である修爾氏より家蔵の資料を寄贈したいとの連絡をいただいた︒お話
を聞き︑直ちにありがたくお受けすることを決定し︑二〇一三年三月ご自宅に伺い資料を頂戴した︒当初︑先に寄贈
された資料の追加分として洋学文庫に加えることも考えたが︑落葉関係の近代資料が多くを占めていること︑さらに
は岡泰純から落葉まで岡家全体を通観できるようにすることを優先し︑あらたに一括のコレクションとして排架する
こととした︒コレクションの詳細と請求記号などについては目録本文を参照されたい︒
寄贈資料の中から
以上のような経緯で収蔵された資料だが︑前述のように医師である岡家に関する資料と︑落葉関係資料の二つに大
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 別することができる︒そこで次にそれぞれについて略述し︑それによって資料全体の概要を示すこととする︒︿医師としての岡家﹀ 今日︑泰安や研介は蘭学者として広く世に知られており︑また泰安以後の歴代の人々も医師として平生で一家をなしている︒本資料には︑そうした医師としての岡家を知るための資料が収められている︒ 前述のように泰純は︑吉雄耕牛から﹁当流秘事相伝免状﹂︻A二︼を受けており︑泰安︑研介も藩主の治療を任さ
れるほどであったが︑地元での役割は﹁浪人医﹂というものであった︻A六︑A七︵三︶︑A一四︵三︶︼︒浪人医︑
あるいは浪人医師は﹁藩医や家臣の御抱え医師の子弟や内弟子たちが︑医学修業のためとして村に居住して開業し﹂
たもので︑﹁なかには百姓出身で藩医の内弟子として浪人医師となった者﹂もあったという
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︒岡家は伊予国竜岡にその出自があったが︑その後安芸国に移り︑前述のように泰純はそこで生まれた︒つまり泰純が開業した周防国熊毛郡
平生は岡家にとって代々住み慣れた土地というわけではなかったのである︒浪人医という立場もそうした出自による
ものだったのかもしれない︒
泰安の後を継ぎ医師となった泰記が没したとき︵一八六三年︶︑後嗣である泰一はいまだ一〇歳と幼少であった︒死
去直後に相続願が提出されたようだが︻A一四︵二︶︼︑とうてい家業を継げるわけもなく︑そのためか︑泰記の妻︑
イチは売薬業をはじめている︻A一六︼︒
明治時代︑泰一の代には平生の村医︑町医として正式に認められ︻A二二︑A二八など︼︑眼薬などの売薬業も引
き続きおこなっていた︻A一八︑A四四︵一二〜一五︶︼︒本資料中のガラス製メスシリンダー︻D六︼︑上皿天秤︻D
七︼といった道具類も︑こうした薬品の調合に用いられたものかもしれない︒またこの頃になると︑コレラ予防︻A
二〇︑A二一︑A二六︼︑日本赤十字社︻A三四︼などの医療関連はもちろん︑道路改修や銅像建設への寄付といっ
たさまざまな地域活動に奉仕していることがわかる︻A二九〜A三二︼︒
︿岡落葉と周辺の作家たち﹀
本資料を現在のような形で保管し︑後世に伝えたのが岡落葉である︒今回の寄贈にあたって︑多くの資料が大型の
木箱に収蔵されていたが︑その箱書は落葉によるものであり︑また個々の資料に付されたメモ類も︑そのほとんどが
落葉による覚書で︑整理にあたって大いに参考となった︒
○国木田独歩関係資料
落葉に関する資料のうちもっとも多いのが国木田独歩に関するものである︒前述のように独歩と落葉は少年時代か
ら交流があり︑一八九七年︵明治三〇︶頃︑東京に出てきたばかりの落葉が身を寄せたのは独歩の居宅であった
資料に収められた独歩関連の資料は以下のとおりである︒
①国木田独歩書簡 岡落葉宛 二三通︵うち一通は収二と連名︑一通は写︶︻B二六〜B四八︼
②国木田収二書簡 岡落葉宛 四通︻B二二〜B二五︼
③国木田独歩の編著︑および著作を含む図書 六点︻C八︑C九︑C一一︑C一三︑
④国木田独歩研究 三点︻C二〇〜C二二︼
⑤その他 一点︻A四五︼
このうち独歩の書簡は︑収二と連名の父・専八の死亡通知︻B四二︼以外はすべて独歩の全集に収録されている
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 落葉は自らの文章の中でたびたび独歩との交流に触れているが︑これらの書簡の中にはそうした落葉自身の言葉を裏付けるものがある︒ 一九〇〇年︵明治三三︶頃︑落葉は大学館という出版社に勤務していた︒その頃﹁国木田独歩などは大学館と関係
が無かつたが︑私が独歩に頼まれて﹁愛弟通信﹂の原稿を持込んだことがある︒これは大学館から出すやうにしろと
いふことであつたが︑話は遂に不調に了つた
B
﹂ことがあったという︒日清戦争の際に﹁国民新聞﹂の従軍記者となっ た独歩が︑戦地から弟収二宛の書簡の形式で送った記事は当時から話題となり︑独歩没後の一九〇八年︵明治四一︶十一月︑﹃愛弟通信﹄として左久良書房から刊行された︒ところが︑一九〇〇年︵明治三三︶十二月十八日付の独歩書
簡︻B二七︼には﹁︵前略︶小生此暮にはドオしても四五〇円金がいる︒それがないと小生は兎も角︑妻等の立つ瀬
が無くなる︒︵中略︶就ては君︑コヽ大はだをぬぎ小生の窮を救ふ積りで大学館主に﹁海上砲煙﹂とか﹁艦隊戦列﹂
と﹁艦上詩趣﹂とか何とか売 うれさうな名をつけて小生従軍記事中の最も詩的光景の者を編して一冊となす事に相談し
て呉れ玉へ﹂と︑前述の落葉の言葉に通じる内容が記されており︑従軍記事を売り出そうという企画が独歩自身の中
に早くからあったことがわかる︒だとすれば︑没後刊行された﹃愛弟通信﹄は︑その遺志を実現したものと言ってよ
いかもしれない︒
その他︑鎌倉に転居した独歩から東京に住む落葉に対して女中の紹介を依頼する︻B三二︑B三三︼など︑両者の
近しい間柄を感じさせるものがある︒
○落葉と大久保周辺の文人たち
独歩の居宅を出た落葉は︑神田神保町︑三河台町︑赤坂榎町等の下宿を転々とし︑一九〇四年︵明治三七︶以後は
角筈︑大久保︵いずれも現在の新宿区︶に住み︑一九一四年︵大正三︶に雑司ヶ谷︵現在の豊島区︶
特に大久保在住の頃には周辺に居住するほかの文人たちとの交流が盛んだったようである
街道の新宿で︵中略︶大久保村は植木屋が多く︑殆ど草屋根の家で︑如何にも郊外らしい感じのするところであつ
た
C
﹂という︒落葉によれば︑この頃大久保周辺には三宅克己︵画家︑一八七四│一九五四D
論家︑一八六九│一九二五︶︑正宗得三郎︵画家︑一八八三│一九六二︶︑岩野泡鳴︵詩人・小説家・劇作家・評論家︑一八七三
│一九二〇︶︑小寺健吉︵画家︑一八八七│一九七七︶︑服部嘉香︵詩人・歌人・詩論家・国語学者
江喬松︵詩人・仏文学者︑一八八〇│一九四〇︶︑前田夕暮︵歌人︑一八八三│一九五一︶らが住み
作家・文芸評論家︑一八七九│一九六二︶︑三木露風︵詩人︑一八八九│一九六四︶︑中村彝︵画家︑一八八七│一九二四︶
彼らを訪ねてきたという︒このうち本資料には傍線をひいた人物からの書簡や関係資料が含まれている︒なかでも三
木露風からの書簡は二一通と独歩に次いで多い︒内容を見ると︑落葉が装訂し︑露風が跋文を寄せた
一五︼の刊行にあたり︑落葉に対して作業を急ぐよう依頼する︻B九七︑B九八︼など︑仕事上の書簡もあるが︑多
くは落葉の子どもたちのことや自身の体調のことなど︑きわめて身近な内容となっている︒
また中村彝からの書簡も十六通と多く︑その内容は画家としての落葉の活動を知る上で興味深い︒一九一一年
治四四︶︑落葉は中村を通じて太平洋画会の展覧会への出品を考えたようである︒中村は落葉より年下だが
文展入選
E
を果たし︑第一線で活躍する画家となっていた︒依頼を受けた中村は自らの師であり太平洋画会を主催する満谷国四郎︵一八七四│一九三六︶に落葉出品の件を相談している︻B七六︼︒結局この時の落葉の願いは実現しなかっ
たようだが︑この前後の書簡からは中村の落葉に対する気遣いが伝わってくる︻B七八︑
画家仲間ということでは坂本繁二郎︵一八八二│一九六九︶からの書簡も十八通と多い︒坂本は中村と同じく太平洋
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 画会研究所に学んでおり︑落葉とも接点があったのであろう︒書簡は坂本が郷里福岡に暮らすようになる大正末年からのものが中心で︑家族の縁談︑自身の体調の話など︑身近なものがほとんどである︒ただ敗戦前後には︑戦災の様子︻B六六︼︑三木露風ら友人達の消息を案ずるもの︻B六七︼も含まれていて時代を感じさせる︒
○十日会と今井邦子
十日会は一九一〇年︵明治四三︶頃に岩野泡鳴︑正宗得三郎ら大久保周辺に住む人々が中心となってはじまった集 まりで︑落葉は泡鳴の依頼で当初は会計担当として︑後には常任幹事として参加していた
F
︒小説家︑詩人︑画家など多彩な顔ぶれが集まってはいたが﹁最初から文学的︑芸術的な主張などがあつたものではない︒毎月一回集る茶話会
に過ぎなかつた﹂こともあってか︑泡鳴没︵一九二〇年︶後も定期的な会合こそ継続していたが︑昭和のはじめ頃に
は﹁会員の顔ぶれもだんだん変つて来たし話の仲間が三つにも四ツにも割れてどうも面白くな﹂くなってしまったの
で︑落葉も退会を意識するようになった︒そこで﹁女の人はなかなか熱心だつたので︑埴原久和代︑今井邦子︑小寺
菊子︑杉浦翠子︑この四人に後事を托して幹事を辞めたいと申出﹂たところ︑結局そのまま自然解散してしまったと
いう
G
︒本資料中の今井邦子︵歌人︑一八九〇│一九四八︶からの書簡十四通︻B五〜B一八︼のほとんどが十日会の開催準備や︑自身の出欠についてのものである︒また岡本かの子書簡︻B一九︼も十日会の名簿について触れており︑
かの子も同会に参加していたことがわかる︒そのほかにも岩野泡鳴の葬儀における弔辞草稿︻A四六︼︑遠足︑紅葉
狩など十日会の催しに関する通知︻B一二六〜B一二八︼も残されており︑落葉が十日会に深くかかわっていたこと
がわかる︒
落葉自身の言葉をおもな拠りどころとして︑本資料に含まれる落葉宛の書簡について概要を略述した︒落葉宛の書
簡は︑右に上げたものも含め一二〇通以上あり︑差出者は二〇名を超える︒前述のように国木田独歩差出のものにつ
いては全集に収載され紹介されているが︑それ以外についてはあるいはよく知られていないのではないか︒だとすれ
ば︑ここに紹介したもの以外についても︑さまざまな切り口から検証することで︑大きな意味を持つ資料があるもの
と思われる︒
まとめ
以上︑岡家旧蔵資料についてその概要をまとめた︒文中にも記したように︑岡家は江戸後期から医業をもってなっ
た家であり︑本資料にも蘭学︵洋学︶研究に資するところの大きい資料が数多く含まれている
生の地で開業していたことを詳細に物語る資料は︑江戸時代後期から明治時代にかけての在地の医師のあり方を考え
る上でも重要な材料となるだろう︒
一方で︑落葉宛の書簡や関係資料のなかには︑これまで知られていないようなものも含まれている︒小説家︑詩人︑
画家︑さまざまな分野の人々からの書簡は︑それぞれの分野︑個人研究に役立つばかりでなく︑より広い視野からの
アプローチが可能かもしれない︒今後︑学内外の諸氏によって︑本資料についてより詳細な研究がなされることを期
待し︑本目録の解題とする︒
最後に︑本資料をご寄贈くださった岡修爾氏にあらためて深甚より謝意を申しあげる︒
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 注︵1︶ ①平生図書館﹃岡家略系譜﹄︵同館︑一九七一年︶︒他に②梅原成美述﹃岡泰安︑研介の小伝 平生が産める︑日本蘭學者の
泰斗﹄︵一九二九年脱稿︑第五回周南医学会講演︶︑③田中助一﹃防長医学史﹄上下︑︵防長医学史刊行後援会︑一九五一︑一九
五三年︶︑④後藤陽一監修﹃平生町史﹄︵平生町︑一九七八年︶︒⑤竹内博編著﹃日本洋学人名事典﹄︵柏書房︑一九九四年︶︒
︵2︶ 早稲田大学図書館所蔵︵文庫八 E二一︶︒シーボルトのもとで学び︑医学を修めたことを証するもの︒
︵3︶ 前掲注︵1︶④六六六頁︒これは中井のもとでの同門︑坪井信道︵一七九五│一八四八︶の勧めだともいう︵前掲注︵1︶①︶︒
︵4︶ ﹃周礼﹄は﹃周官﹄とも言われ︑儒教の経書の一つ︒周代の官制についての記述があり︑研介の著作はそのうち﹁医師職﹂に
ついての注釈︒近藤春雄﹃中国学芸大事典﹄︵大修館書店︑一九七八年︶参照︒
︵5︶ 前掲注︵1︶③上︑一八七頁︒
︵6︶ 独歩は千葉県銚子生まれだが︑父が岩国裁判所に勤務することとなったため︑少年時代を山口で過ごし︑東京専門学校︵現
在の早稲田大学︶退学︵一八九一年︶後にも山口県を訪れている︒落葉とは少年時代に知り合ったという︵岡落葉﹁黒頭巾 横山健堂氏﹂︵﹃日本古書通信﹄第二〇巻一〇号︑一九五五年一〇月︶︒
︵7︶ 平野満﹁村における医師の存在形態 近世後期の鳥取藩領を例として﹂︵﹃駿台史学﹄九〇︑一九九四年︶︒
︵8︶ 前掲注︵1︶①︒
︵9︶ 落葉自身が﹁明治卅年の四月︑︵中略︶当時の独歩の家は所謂渋谷の山荘で︑そこに弟の収二と︑東京へ出て来たばかりの私
とが留守番をつとめ﹂ていた︵岡落葉﹁国木田独歩の身辺﹂︑﹃日本古書通信﹄第二〇巻八号︑一九五五年八月︶と語っている︒
︵
10︶ ﹃国木田独歩全集﹄第五巻︑学習研究社︑一九六六年︒
︵
11︶ 岡落葉﹁大学館のころ﹂︵﹃日本古書通信﹄第二〇巻四号︑一九五五年四月︶︒
︵
12 ︶ 岡落葉﹁明治大正の文士村大久保﹂︵﹃日本古書通信﹄第二一巻六号︑一九五六年六月︶︒
︵
13︶ この部分の肩書と生没年は日本近代文学館編﹃日本近代文学大事典﹄机上版︵講談社︑一九七四年︶による︒
︵
14︶ この頃中村彝は︑一九〇九年第三回文展に出品した﹁巌﹂が褒状を︑翌年同展出品の﹁海辺の浜﹂が三等賞を受賞している︒
また︑この年︵一九一一年︶には新宿・中村屋の相馬愛蔵夫妻の支援により角筈の中村パン屋裏のアトリエに住むようになっ
ていた︒中村彝﹃芸術の無限感﹄新装普及版︵中央公論美術出版︑一九八九年︶︒なお︑本書には中村の書簡が収載されている
が︑岡落葉宛のものは収められていない︒
︵
15︶ 岡落葉﹁十日会の思ひ出﹂︵﹃日本古書通信﹄第二六巻二号︑一九六一年二月︶︒
︵
16︶ この部分の引用は前掲注︵
15︶による︒
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 ○付 載・﹁洋学文庫﹂︵文庫八︶収録の岡家資料 前述のように︑泰純以来医業をもって家をなしていた岡家であるが︑特に泰安︑研介の兄弟は当時の蘭学者らとの
交流の中で貴重な資料を遺してくれている︒今回の寄贈とは別に岡家から寄せられた資料について︑以下にその一覧
を示す︒あわせて参照されたい︒なお︑これらの資料は洋学文庫︵請求記号・文庫八︶の一部として整理︑公開されて
おり︑すべて特別資料︵貴重書︶扱いとなっている︒すでに﹃洋学文庫目録︵稿︶﹄︵一九七一年︶として紹介されており︑
現在では早稲田大学図書館の情報検索システム︵WINE︶でも検索可能である︒詳しくは前掲の目録︑WINEお
よび﹁館蔵特殊コレクション摘報十一︵一︶ 洋学文庫﹂︵﹃ふみくら﹄二八︑一九九一年︶を参照していただくこととし︑
ここでの記述は洋学文庫中の番号︵E○︶︑資料名︑編著者︑刊写の別︑点数のみとした︒資料名は原則としてWI
NEの収録名としたが︑データ上の﹇ ﹈は省略︑字体も新字体に統一した︒また編著者についても一般に通行して
いる名称を使用した部分がある︒
E1﹁齋藤方策墓誌﹂ 篠崎小竹書・﹁岡勇敬之墓﹂ 義端撰 写本一冊 E2﹁岡研介雑録﹂ 岡研介著 写本︵自筆︶一冊 E3﹁老子 上・下篇﹂ 岡研介註 写本︵自筆︶一冊 E4﹁般若寺記﹂ 岡研介撰 写本︵自筆︶一冊 E5﹁岡研介雑記﹂ 岡研介記 写本︵自筆︶一冊 E6﹁岡研介鄙稿﹂ 岡研介著 頼山陽評 写本︵自筆︶一冊
E7﹁岡研介鄙稿﹂ 岡研介著 写本︵自筆︶一冊 E8﹁萬松精舎読書︵草稿︶﹂ 岡研介記 写本︵自筆︶一冊 E9﹁歳晩寄家兄﹂ 岡研介著 写本︵自筆︶一枚
E
10
﹁天造堂漫筆︵草稿︶﹂ 岡研介著写本︵自筆︶一冊E
11
﹁療痔録序﹂中村敬撰写本︵自筆︶一枚E
12
﹁周礼医師職鈔解﹂岡研介著写本︵自筆︶一冊E
13
﹁送岡子窮叙・復岡子究﹂写本一冊E
14
﹁広瀬旭荘与岡研介書﹂広瀬旭荘著写本︵自筆︶一冊E
15
﹁周礼医師職鈔解首﹂亀井昭陽撰写本︵自筆︶一冊E
16
﹁岡泰紀小箋﹂岡泰紀筆写本︵自筆︶一枚E
17
C. W. Hufeland
﹁蘭説養生録卷之一│三﹂著 岡研介︑高野長英訳︑写本︵岡落葉︶一冊E
18
﹁岡研介兄弟﹂呉秀三述刊本一冊E
19
﹁岡泰安︑研介の小伝平生が産める︑日本蘭學者の泰斗﹂梅原成美述 刊本一冊
E
20
﹁抄録﹂森銑三原編岡落葉編写本︵岡落葉︶一冊E
21
P. F. von Siebold
﹁シーボルト医学証明書岡泰安宛﹂筆 写本︵自筆︶一額E
22
﹁高野長英蘭文書簡岡泰安宛﹂高野長英筆写本︵自筆︶一額E
23
﹁亀井蓬洲七言詩扇面﹂亀井蓬洲撰写本︵自筆︶一本E
24
﹁題周礼医師職鈔解首﹂亀井昭陽撰写本︵自筆︶一額早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 E
25
﹁岡研介墓碑拓本﹂墨拓一軸E
26
﹁岡泰純墓誌銘﹂円浄撰墨拓一軸E
27
﹁贈別子究岡生﹂亀井昭陽書写本︵自筆︶一軸E
28
﹁高島秋帆詩箋岡研介宛﹂高島秋帆書写本︵自筆︶一軸目 録
︿凡 例﹀
一︑本目録は︑二〇一三年三月に岡修爾氏より早稲田大学図書館に寄贈された﹁岡家旧蔵資料﹂の目録である︒
一︑請求記号はヌ四 四九〇八とし︑一括して特別資料︵貴重書︶扱いとする︒
一︑資料は内容別に次のように分類した︒
A・文書︑B・書簡︑C・図書︑D・書画及び博物資料
それぞれの中はいずれも泰純︑泰安︑研介︑泰記︑泰一︑落葉︑岡家全般︑の順におおよそ年代順に排列した︒た
だし︑書簡については落葉宛のものを優先に差出者の五十音順とし︑それぞれの中は年代順とした︒
一
︑個々の記述は資料名︑編著者︵文書の場合は差出↓宛名︶︑出版・書写事項︑形態︑注記とし
ついてはその内容を綴じてある順にしたがって記した︒
一
︑大きさは原則として資料本体の縦×横を㎝単位︑小数点以下第一位まで掲げた︒また軸装については︑巻いた状
態の縦の大きさを記し︑本紙の大きさ︵内寸︶と表具の寸法︵外寸︶を注記した︒
一
︑出版︵書写︶年について︑干支のみの場合︑内容から判断できればその年号を記し した︒それ以外の補記についてはその部分を﹇ ﹈で括った︒
一
︑書簡の差出︑宛名は一般に通行している名称で統一した︒︵例・岡悳介↓岡落葉︑国木田哲夫↓国木田独歩︑など︶
一
︑書簡の日付は記載のある順に以下の優先順位にしたがって採用した︵①書簡本紙︑②封筒書入 により補記した場合はその部分を﹇ ﹈で括った︒
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 一︑書簡には︑墨書︑ペン書等の別を注記した︒一
︑国木田独歩書簡のうち﹃国木田独歩全集﹄第五巻︵学習研究社︑一九六六年︶収載のものについては︑同書の書簡
番号を﹁﹃全集﹄一三九﹂のような形で注記した︒
一
︑図書の資料名は現物にあるものは原則としてその形を採用したが︑内容から適宜判断した場合は﹇ ﹈で括って
記した︒編著者名は一般に通行している名称を用いた︒出版事項として出版地︑出版者︑出版年月日を記した︒
一︑図書の出版年は刷次を採用し︑初版・初刷年を注記した︒
一︑本目録および解題は特別資料室の藤原秀之が担当した︒
A・文書 岡泰純通行願添状
A一 塚田午藏
︵高木作右衛門手代︶↓肥前国長崎
・芸州安村迄
宿々問屋年寄中
写 申一〇月二七日
一通 一七・六×七八・〇㎝ 切紙貼継 当流秘事相伝免状
A二
吉雄耕牛↓岡泰純
写 安永五年一〇月
一通 四五・五×五九・一㎝ 檀紙折紙 御室御所参入許可証
A三
神原伊豆守︵当番︶↓岡泰純
写 天明八年六月七日
一通 三九・三×五一・二㎝ 折紙 代官附直支配及二代出仕差免状
写 寛政七年五月
一通 一六・二×四五・九 包紙有法眼免許願状 添状共
岡泰純↓御室御所出世御奉行
写 寛政八年一二月
一通 三三・〇×一〇七・二
添状・前波河内守弼成
家條浪人医任命趣意書 写 寛政一〇年一二月
一通 一三・七×五八・一
包紙題・覚
岡泰純・大祐関係書類一括
一綴︵一一通︶
付・岡落葉メモ一枚 ﹁泰純
大祐と混同せり︑細かには区別せず﹂とあり
岡家旧蔵資料目録
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 一︑参詣招請状
真覚寺↓岡泰純
写 一〇月五日 切紙
二︑永代供養料受納証
真覚寺↓岡泰純
写 寛政九年一〇月五日 竪紙
釈浄智童女分
三︑浪人医師仰付之事
牛尾久兵衛↓岡泰純
写 午一一月 朱切紙
四︑法橋装束着用許可
↓岡大祐写 朱切紙
五︑去秋洪水之件
↓岡大祐写 朱切紙貼継
六︑磯屋藤七方病夫診察之件
定常↓岡先生
写 三月二七日 切紙貼継
七︑諸事書付
↓岡大祐写 宿紙切紙貼継 八︑加増仰付事
↓岡大祐写 文化一〇年閏一一月 折紙
半人扶持加増︵計一人半︶
九︑加増仰付事
↓岡大祐写 享和三年閏正月 折紙
一〇︑加増仰付事
↓岡大祐写 巳一二月 折紙
一一︑菊御紋使用許可書
橋本民部卿↓岡泰純
写 寛政八年 折紙
家伝目薬﹁精明膏﹂包紙に使用
岡泰安法橋免許状
A八
少僧都奉写 文化四年一〇月一三日
二紙︵礼紙共︶ 四五・九×五八・九㎝ 大高檀紙
包紙有
岡泰安往来手形
A九
原安右衛門︵吉川監物内︶↓所々御究衆中
写 文政九年七月二五日
一通 二八・五×四五・五㎝ 竪紙
﹁医道執行ニ付九州表江罷越申候﹂
岡泰安法眼免許状
A一〇
権僧正奉写 弘化二年六月一〇日
二紙︵礼紙共︶ 四五・三×五八・〇㎝ 大高檀紙 包紙有岡泰安法名書付﹁釈道空﹂
A一一
釈広如写 弘化二年六月一一日
一枚 三一・二×一七・二㎝ 包紙有 一部木版 法眼免許願状 添状共
A一二
岡泰安↓御室御所出世御奉行
写 弘化二年六月
一通 三三・〇×六七・五㎝ 竪紙貼継 添状・竹沢楊岸岡泰安関係書類・書状一括
一綴︵一六通︶
付・岡落葉メモ一枚
一︑小野隆輔書状 岡泰安宛 写 八月二七日 二︑東万蔵書状 岡泰安宛
写 安政三年一〇月二八日
三︑東万蔵書状 岡泰安宛 写 五月二五日 四︑岡研介書状 岡泰安宛
写 正月二一日 五︑岡泰安召出状
写 巳一二月 朱切紙
六︑岡泰純・大祐・泰安医業相続覚
写 文政元年六月
七︑法眼礼式献上金覚
写 折紙
八︑丹後縞一反下賜状
↓岡泰安宛
写 亥六月 折紙
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 甲州川普請の件につき
九︑診察記録
写 折紙二枚
四〇歳位男性一名分
一〇︑出仕許可状
東宗左衛門↓岡泰安
写 文政二年一二月 宿紙切紙 一一︑武澤法眼書状 岡法眼・岡泰季宛
写 切紙
一二︑異国船警衛神妙ニ付褒状
↓岡泰安写 寅二月 折紙
一三︑大坂御城修復御用褒状
↓岡泰安写 酉三月 折紙
一四︑本丸普請御用褒状
↓岡泰安写 巳一二月 折紙 一五︑岡泰安書状 芝築地治部卿・久富遠江守宛
写 正月一五日 折紙 一六︑ 矢守左衛門権大尉・吉田尾張介・山崎近江介書状 岡
泰安宛 写 八月三日 切紙
岡泰安関係書類一括
A一四
一綴︵六通︶
付・覚書包紙一〇枚︵岡泰安七・岡大祐二・岡泰記一︶︑岡
落葉メモ一枚
一︑年々諸事覚
写 切紙
二︑岡泰記死去ニ付子息祝治相続願控
岡祝治↓森脇格右衛門 瀬川英仲↓森脇格右衛門 写 文久二年一〇月 竪紙
祝治は泰一の幼名
三︑家條浪人医相続願
岡泰記↓東蕃蔵
写 安政五年一〇月二三日 竪紙
四︑耶蘇宗門制禁ニ付御請申上候事
岡泰安↓田中仁右衛門
写 嘉永三年三月一五日 竪紙
五︑耶蘇宗門制禁ニ付起請文
岡泰安及妻子↓原安左衛門
写 文政一一年三月一五日 竪紙 玖珂嶋社午王宝
印紙
六︑岡泰純亡子女永代供養料受領書
真覚寺大晃↓岡泰安
写 天保三年閏一一月 竪紙 岡泰記法名書付﹁釈道宝﹂
A一五
釈広如写 弘化二年六月一一日
一枚 三一・三×一七・〇㎝ 包紙有 一部木版 売薬諸売書式案
A一六
写
二枚 二四・四×三三・三㎝ 営業人・岡イチ 約定書︑御願 岡泰記・岡泰一家督相続書類一括
A一七
一綴︵七通︶
付・岡落葉メモ一枚
一︑岡泰記出仕許可状
山府生︑香諒︑二元輔↓高蔵
写 一一月二二日 朱切紙
二︑岡泰記出仕許可状 堀部孫七︑香諒↓治右衛門写 正月二日 朱切紙
三︑岡祝治出仕御預許可状
佐権兵衛︑安十郎右衛門︑羽久吾↓森脇格右衛門
写 文久二年一一月二四日
四︑岡祝治浪人医相続許可状
田村嘉左衛門︑原七右衛門↓森脇格右衛門
写 文久二年一〇月二五日
三人半扶持
五︑岡泰安・泰記・泰一浪人医相続覚
岡泰一写 明治四年一二月
六︑岡泰記浪人医相続許可状
森脇格右衛門↓東蕃蔵
写 安政五年一一月二〇日
七︑御蔵元附仰付状
↓岡泰記写 安政五年一一月
眼薬売弘免許状
医学校↓岡泰一
写 明治五年六月
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 一通 一七・九×三八・八㎝ 警保課臨時雇申付状
A一九
山口県↓岡泰一
写 明治一二年六月二八日
一通 一八・〇×二四・四㎝ 下賜金通知
A二〇
進十六︵山口県令代理少書記官︶↓岡泰一
写 明治一三年八月二六日
一通 一九・六×五二・五㎝
コレラ予防救治尽力の功に五円下賜
寄付褒状
A二一
山口県↓岡泰一
写 明治一三年一二月二八日
一通 二一・九×二八・五㎝
コレラ予防金銭寄付
平生町町医認定書
A二二
熊毛郡役所↓岡泰一
写 明治一七年五月七日 一通 一九・二×二六・一㎝
熊毛郡褒状
A二三
渡邊菅吾︵山口県熊毛郡長︶↓岡泰一
写 明治一八年一月二五日
一通 二六・五×三九・一㎝
南農区米麦品評会出品
平生町町医認定書
A二四
熊毛郡役所↓岡泰一
写 明治一九年八月二八日
一通 一九・三×二六・一㎝ 手当支給通知
A二五
山口県↓岡泰一
写 明治二〇年三月一五日
一通 一九・三×二六・〇㎝ 寄付褒状
A二六
原保太郎︵山口県知事︶↓岡泰一
写 明治二〇年一二月一九日
一通 二二・八×三一・〇㎝
コレラ予防費 大日本私立衛生会謝状
A二七
阪本協︵山口支会熊毛郡部会会長︶↓岡泰一
写 明治二二年六月二五日
一通 二五・四×一九・四㎝
幻灯器械購求費寄付
平生村村医認定書
A二八
落合敦︵平生村村長︶↓岡泰一
写 明治二二年一一月二日
一通 一八・七×二五・九㎝ 寄付褒状
A二九
原保太郎︵山口県知事︶↓岡泰一
写 明治二二年一一月一五日
一通 二二・七×三〇・九㎝
道路改修費
寄付褒状
A三〇
原保太郎︵山口県知事︶↓岡泰一
写 明治二四年七月一日 一通 二二・六×三〇・八
室積警察署平生分署新築費
報国軍資金納付承認状
大蔵平三︵陸軍恤兵監︶↓岡泰一
写 明治二七年七月二四日
一通 二四・〇×三一・八
銅像建設醵金領収証
伊藤博文︵総裁︶・林友幸︵副総裁︶↓岡泰一
写 明治二八年二月五日
一通 二〇・二×二六・一
毛利忠正・支藩先考銅像
毛利家褒状
侯爵毛利家山口用達所↓岡泰一
写 明治二八年七月一日
一通 一八・二×二四・二
忠正公御祭典費寄付
日本赤十字社社員通知
彰仁親王︵総裁︶・佐野常民︵副総裁︶↓岡泰一
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 写 明治二九年四月二四日 一通 二一・二×三〇・二㎝ 金五円并軍用品献納褒状
A三五
秋山恕卿︵山口県知事︶↓岡泰一
写 明治三〇年六月一日
一通 二二・六×三〇・八㎝ 診査医嘱託状
A三六
相互生命保険合資会社↓岡泰一
写 明治三〇年一一月一八日
一通 二一・六×二七・八㎝ 郡立看護婦講習生監督嘱託状
A三七
熊毛郡役所↓岡泰一
写 明治三三年四月一〇日
一通 一九・一×二五・九㎝ 平生村伝染病予防委員嘱託状
A三八
生永勇之進︵村長︶↓岡泰一
写 明治三三年七月五日
一通 二八・〇×三七・〇㎝ 弘道館謝状
A三九
私立弘道館↓岡泰一
写 明治三四年三月二七日
一通 二六・二×三四・五㎝ 寄付謝状
A四〇
吉井幸蔵︵帝国水難救済会会長︶↓岡泰一
写 明治三九年一〇月八日
一通 二三・六×三一・一㎝ 帝国海事協会褒状
A四一
有地品之允︵理事長︶↓岡泰一
写 明治四〇年二月一〇日
一通 二四・七×三三・三㎝
帝国義勇艦隊建設義金
帝国海事協会褒状
A四二
有地品之允︵理事長︶↓岡知恵
写 明治四〇年二月一〇日
一通 二四・八×三三・〇㎝
帝国義勇艦隊建設義金
岡泰一履歴書案
A四三
写
二枚 二四・六×三三・七㎝ 岡泰一関係文書一括
A四四
一綴︵一八通︶
付・岡落葉メモ一枚
一︑奉行所ヨリ仰出之事
↓岡泰一写 五月一五日 宿小紙
二︑奉書包紙
写 竪紙
三︑年始祝儀欠席届控
岡泰一写 卯一二月晦日 竪紙
四︑歳暮祝儀登城願控
岡泰一写 巳一二月晦日 竪紙
五︑書状包紙
写 朱小紙
六︑永代許可内容届控
岡泰一 写 明治五年 折紙
七︑永代許可内容届控
岡泰一写 明治四年八月一七日
八︑家業等相続願控
岡祝治↓森脇格右衛門
写 竪紙
瀬川英仲代判 他一通写
九︑家業等相続願控
岡泰一↓森脇格右衛門
写 竪紙
瀬川英仲代判
一〇︑永代許可内容届控
岡泰一写 明治四年八月一七日
一一︑永代許可内容届控
岡泰安↓柳井支配処
写 嘉永六年九月一八日
一二︑諸薬売捌高届控
岡泰一↓山口県庁
写 明治六年八月
一三︑諸薬売捌高届控
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 岡泰一↓山口県庁写 明治六年八月二九日 竪紙三紙
一四︑売薬種品御免許届控
岡泰一写 明治六年五月二八日 竪紙二紙
一五︑諸薬売捌高届控
岡泰一↓山口県庁
写 明治六年八月二九日 竪紙三紙
一六︑家内一覧届
岡泰一↓柳井役所
写 明治四年一二月 竪紙
一七︑耶蘇宗門制禁ニ付起請文控
岡泰一写 明治三年三月 竪紙二紙
一八︑医学修業ニ付覚
岡泰一写 明治六年一月七日 竪紙 国木田独歩戒名書立
A四五
明治四一年六月二三日
一枚 二四・二×一五・三㎝
﹁帰寂 天真院独歩日哲居士﹂ 岩野泡鳴葬儀弔辞草稿
A四六
岡落葉﹇稿﹈
写 ﹇大正九年五月﹈
二枚 二四・三×三三・一㎝
十日会代表として
春草会会員名簿 大正九年一二月現在
A四七 東京 春草会事務所 大正九年 一冊 一八・九×一三・二㎝
付・﹁春草会会報﹂二︑春草会規約
岡落葉絵画作品及び額縁発注リスト 他
A四八
写
三点
一︑緑の家第二回展覧会リスト
二︑ ﹁絵と額縁﹂・瓦乱房︵額縁作︶請求︵見積︶書︑みどり
の家太田メモ
三︑岡先生額縁代︵宮城氏︶︑宮城氏預ケ絵目録
岡落葉関係各種名簿
A四九
写
三点
一︑新旧対照及墨書による人名一覧︵割烹松柏広告紙反故紙︶
二︑ 人名一覧︵一と人物共通︶︵落葉油絵小品画会入会申込
書反故紙︶
三︑小説家︑画家住所録︵婦人之友社メモ用紙︶
岡家過去帳・岡家系図
A五〇
写
一帖 一七・七×七・八㎝
系図・坂楮左衛門︑大江軌任考誌之︵文政一〇年一〇月︶︑
岡落葉追記 系図は昭和五年九月までの記載有 折本︵両面 書写︶ 朱書入有 岡家法名書付
A五一
写
三枚 二三・七×九・三㎝
付・緞子三角布
誠心院釈博愛青楓居士︵岡泰一︶︑大義院釈篤行信好居士︑
誠心院釈博愛青楓居士・釈西月居士
古文書及古器物総目録
A五二
写
一冊 二〇・〇×一三・七㎝
題簽書名
・古文書総目録
﹁災﹂と朱書
祖先遺文書 複本
写 一冊 二四・一×一六・五
岡泰安・研介関係資料の写
研介子遺筆・天造堂漫筆
送序類︵岡研介宛︶・坪井信道書柬
良策書柬︵岡泰安・岡研介宛︶
存印顆︵印影︶
諸事書付一括
一綴︵一一通︶
付・岡落葉メモ一枚
一︑大黄十斤売渡状
和泉屋作次店↓
写 朱切紙
二︑当用方員数利徳方預手形渡状
写 朱小紙
三︑当用方員数利徳方預手形渡状
写 朱小紙
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 四︑支配所出頭之事
東蕃蔵↓岡泰記
写 一一月二六日 宿小紙
五︑支配所出頭之事
東蕃蔵↓岡泰記
写 一〇月二四日 宿小紙
六︑支配所出頭之事
東蕃蔵↓岡泰安
写 一二月二九日 宿小紙 七︑松井某書状 桂勘右衛門宛 写 正月二五日 宿切継紙
八︑支配所出頭之事
東蕃蔵↓岡泰記
写 三月二二日 宿小紙
九︑書付添状
写 二月二日 宿切紙
一〇︑難渋者扶助褒状
↓岡嶋屋松太郎
写 戌六月 朱切紙
一一︑参入継目礼式
写 小紙 B・書簡前波弼成書簡 岡泰純宛
B一
写 ﹇欠年﹈六月二五日
一通 一六・七×一〇〇・二㎝ 墨書 荒木哲信書簡 岡落葉宛
B二
写 昭和二年一月六日
一通 一九・六×五〇・三㎝ 封筒有 墨書 伊藤文雄書簡 岡落葉宛
B三
写 昭和八年四月五日
一通 一四・二×九・一㎝ 絵葉書︵最近の島崎藤村とその 筆蹟︶ 鉛筆書 伊原宇三郎書簡 岡落葉宛
B四
写 大正九年一月一日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 墨書 絵入 今井邦子書簡 岡落葉宛
B五
写 大正九年一月一日
一通 一四・一×九・一㎝ 葉書 墨書 今井邦子書簡 岡落葉宛
B六
写 大正九年一一月一三日
一通 一四・二×九・一㎝ 葉書 ペン書 今井邦子書簡 岡落葉宛
B七
写 大正一一年一月一日
一通 一四・一×八・九㎝ 葉書 墨書 今井邦子書簡 岡落葉宛
B八
写 大正一一年二月七日︵消印︶
一通 一四・二×九・一㎝ 葉書 ペン書 今井邦子書簡 岡落葉宛
B九
写 大正一二年一〇月一七日
一通︵二枚︶ 一四・一×八・九㎝ 葉書 ペン書 今井邦子書簡 岡落葉宛
B一〇
写 大正一三年五月七日︵消印︶
一通 一三・〇×八・一㎝ 葉書 ペン書 今井邦子書簡 岡落葉・岡いと子宛
写 大正一三年九月二四日
一通 一四・二×九・〇㎝ 今井邦子書簡 岡落葉宛
写 大正一四年四月八日
一通 一四・二×九・〇㎝ 今井邦子書簡 岡落葉宛
写 大正一四年四月一一日
一通 一四・〇×八・九㎝ 今井邦子書簡 岡落葉宛
写 大正一四年四月一八日
一通︵三枚︶ 二二・〇×一三・七
越製﹂用箋
今井邦子書簡 岡落葉宛
写 大正一四年五月一二日
一通︵三枚︶ 二二・一×一三・七
越製﹂用箋
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 今井邦子書簡 岡落葉宛
B一六
写 昭和二年六月九日
一通
一八
・四×一四四
・三 ㎝
封筒有
墨書
消印の日
付・六月八日
今井邦子書簡 岡落葉宛
B一七
写 昭和二年七月二五日
一通 一九・〇×二一・八㎝ 封筒有 ペン書 今井邦子書簡 岡落葉宛
B一八
写 ﹇欠年﹈三月七日︵消印八日︶
一通︵六枚︶ 二〇・二×一三・二㎝ 封筒有 ペン書 岡本かの子書簡 岡落葉宛
B一九
写 ﹇大正年間﹈
一通 一四・三×九・〇㎝ 葉書 ペン書 北沢楽天書簡 岡落葉宛
B二〇
写 大正一〇年一月一日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 墨書 北原白秋書簡 岡落葉宛
B二一
写 昭和四年八月三日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 ペン書 墨書絵入 国木田収二書簡 岡落葉宛
B二二
写 明治三一年八月一二日
一通 一八・三×一一八・二㎝ 封筒有 墨書 国木田収二書簡 岡落葉宛
B二三
写 明治三一年一一月三日夜九時
一通 一六・八×一一〇・四㎝ 封筒有 墨書 国木田収二書簡 岡落葉宛
B二四
写 明治三三年八月一四日
一通︵三枚︶ 二四・一×三二・六㎝ 封筒有 墨書 国木田収二書簡 岡落葉宛
B二五
写 大正六年七月七日
一通 一四・二×九・〇㎝ 絵葉書︵彩色写真・三猿娘︶ 墨書
国木田独歩書簡 岡落葉宛
B二六
写 明治三三年三月四日午後
一通 一八・七×一四五・三㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄一 三九国木田独歩書簡 岡落葉宛
B二七
写 ﹇明治三三年一二月﹈一八日夜
一通︵二枚︶
二
四・
三
× 三
三・
〇㎝
封筒有 墨書 ﹃全集﹄
一四三国木田独歩書簡 岡落葉宛
B二八
写 明治三四年八月二七日午前
一通 二四・二×三二・五㎝ 封筒有 墨書 代筆・佐久時
三 ﹃全集﹄一四七
国木田独歩書簡 岡落葉宛
B二九
写 明治三四年一一月二八日夜一一時
一通 一四・一×九・一㎝ 葉書 墨書 ﹃全集﹄一五〇 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B三〇
写 明治三五年六月二日
一通 一八・〇×一〇三・五㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄一 五九国木田独歩書簡 岡落葉宛
写 明治三五年六月六日
一通 一四・一×九・〇㎝ 国木田独歩書簡 岡落葉宛
写 明治三五年六月一五日
一通 二四・八×三三・八 一国木田独歩書簡 岡落葉宛
写 明治三五年六月一八日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 国木田独歩書簡 岡落葉宛
写 明治三五年七月五日
一通 一四・一×九・〇㎝ 国木田独歩書簡 岡落葉宛
写 明治三五年七月二二日
一通 一四・〇×九・〇㎝
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B三六
写 明治三五年七月三〇日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 墨書 ﹃全集﹄一六八 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B三七
写 明治三五年八月一六日
一通 一七・九×一〇五・七㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄一 六九国木田独歩書簡 岡落葉宛
B三八
写 明治三五年八月二九日
一通 一七・九×九九・九㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄一七 一国木田独歩書簡 岡落葉宛
B三九
写 明治三五年一〇月六日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 墨書 ﹃全集﹄一七三 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四〇
写 ﹇明治三六年一│二月頃﹈
一通 一八・二×三四・七㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄補三 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四一
写 ﹇明治三六年﹈
一通 一八・〇×二八・七㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄補四 国木田独歩・収二書簡 岡落葉宛
B四二
写 明治三七年一月一九日
一通 一四・一×九・一㎝ 葉書 印刷︵宛名は墨書︶
父専八死亡通知
国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四三
写 明治三七年一月二四日
一通 一四・〇×九・一㎝ 葉書 墨書 ﹃全集﹄一八八 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四四
写 明治三七年一月二九日夕
一通 二四・三×三二・九㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄一八 九国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四五
写 明治三七年一一月八日午後
一通 二四・三×一六・三㎝ 封筒有 墨書 ﹁戦時画報編 輯局﹂用箋 ﹃全集﹄一九一
国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四六
写 明治三七年一一月一四日
一通 二四・二×一六・二㎝ 封筒有 墨書 ﹁戦時画報編 輯局﹂用箋 ﹃全集﹄一九二 国木田独歩書簡 岡落葉宛
B四七
写 ﹇年月欠﹈二九日
一通 一七・九×三三・五㎝ 封筒有 墨書 ﹃全集﹄補五 国木田独歩書簡写 岡落葉宛
B四八 岡落葉写 明治三五年一月七日 一通︵二枚︶ 二一・九×一四・三㎝ 封筒有 墨書 岡用 箋︵婦人画報製︶ 独歩書簡を大正年間に岡落葉が書写した もの ﹃全集﹄一五一 小寺健吉書簡 岡落葉宛
B四九
写 昭和四年一月︵消印︶
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 墨書彩色 絵入 小寺健吉書簡 岡落葉宛
B五〇
写 昭和四年五月二八日︵消印︶
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 墨書 絵入 斎藤茂吉書簡 岡落葉宛
写 大正九年一月一日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
写 大正二年一二月五日
一通 一九・七×一〇三・七 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
写 大正五年七月二六日
一通 一八・二×一〇八・四 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
写 大正一四年三月三〇日
一通 一八・三×七九・七 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
写 大正一五年三月一六日
一通 一八・〇×一〇四・一 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
写 大正一五年一〇月二五日
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 一通 一八・一×一〇二・七㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B五七
写 ﹇昭和二年﹈九月四日
一通 一八・二×一一〇・〇㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B五八
写 昭和八年八月二三日
一通 一九・二×一〇一・五㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B五九
写 昭和一五年一月一日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六〇
写 昭和一六年一〇月一〇日
一通︵六枚︶ 二三・三×一六・五㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六一
写 昭和一七年一月二四日
一通︵八枚︶ 二〇・八×一七・三㎝ 封筒有 ペン書
﹁坂本用䝬﹂ 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六二
写 昭和一七年九月二〇日
一通 一九・五×一一一・〇㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六三
写 昭和一七年一〇月九日
一通 一九・六×九四・一㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六四
写 ﹇昭和一八年﹈二月一八日
一通︵二枚︶ 二四・三×一八・〇㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六五
写 ﹇昭和一九年﹈七月五日
一通︵三枚︶ 二四・四×一六・四㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六六
写 ﹇昭和二〇年﹈七月一二日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 絵葉書︵壁画下図・坂本繁二郎︑
第三〇回二科展出品︶ 墨書
坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六七
写 ﹇昭和二一年﹈六月二七日
一通 一九・六×一三八・五㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡落葉宛
B六八
写 昭和二六年一〇月一七日
一通 二〇・八×七〇・七㎝ 封筒有 墨書 坂本繁二郎書簡 岡修爾宛
B六九
写 昭和四二年二月五日
一通︵二枚︶ 二三・〇×一八・〇㎝ 封筒有 ペン書 土岐善麿書簡 岡落葉宛
B七〇
写 昭和一八年五月二七日朝
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 ペン書 徳冨蘆花書簡 岡落葉宛
B七一
写 明治三四年四月二三日夕
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B七二
写 明治四三年九月二八日 一通 一四・三×九・〇㎝
中村彝書簡 岡落葉宛
写 明治四三年一〇月七日︵消印︶
一通 一四・〇×八・九㎝ 中村彝書簡 岡落葉宛
写 明治四三年一一月二二日
一通︵二枚︶ 一四・一×九・〇 中村彝書簡 岡落葉宛
写 明治四四年一月一日
一通 一四・一×九・〇㎝ 中村彝書簡 岡落葉宛
写 明治四四年四月一一日︵消印︶
一通 一四・一×八・九㎝ 中村彝書簡 岡落葉宛
写 明治四四年四月一七日︵消印︶
一通 一四・一×九・〇㎝
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 中村彝書簡 岡落葉宛
B七八
写 明治四四年四月一七日︵消印︶
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B七九
写 明治四四年四月二五日︵消印︶
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八〇
写 明治四四年七月二八日︵消印︶
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 ペン書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八一
写 ﹇大正五年﹈一月一日
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八二
写 大正五年三月八日
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八三
写 大正五年三月一一日朝 一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 墨書
中村彝書簡 岡落葉宛
B八四
写 大正五年三月二九日
一通 一四・一×九・一㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八五
写 大正七年一月一日
一通 一四・一×九・一㎝ 葉書 墨書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八六
写 大正九年三月二八日︵消印︶
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 ペン書 中村彝書簡 岡落葉宛
B八七
写 大正一一年一月一日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 墨書 野口雨情書簡 岡落葉宛
B八八
写 大正一三年七月二一日
一通 一三・八×八・〇㎝ 葉書 墨書
平福百穂書簡 岡落葉宛
B八九
写 大正八年一月一日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 印刷︵宛名は墨書︶
藤陵紫陵書簡 岡落葉宛
B九〇
写 大正六年九月三〇日
一通 一四・三×九・一㎝ 葉書 印刷・ペン書 前田夕暮書簡 岡落葉宛
B九一
写 昭和一二年六月三〇日︵消印︶
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 ペン書 前田夕暮書簡 岡落葉宛
B九二
写 昭和一二年七月二日
一通︵二枚︶ 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 ペン書 前田夕暮書簡 岡落葉宛
B九三
写 昭和一三年六月七日
一通︵二枚︶ 二一・八×一五・一㎝ 封筒有 ペン書 前田夕暮書簡 岡落葉宛
B九四
写 昭和一三年九月六日 一通 一四・〇×九・〇㎝
前田夕暮書簡 岡落葉宛
写 昭和一三年一二月二七日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 前田夕暮書簡 岡落葉宛
写 昭和一五年八月三日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 三木露風書簡 岡落葉宛
写 大正二年一〇月七日夜
一通 一四・〇×九・〇㎝ 三木露風書簡 岡落葉宛
写 大正二年一〇月一八日
一通 一四・二×九・〇㎝ 三木露風書簡 岡落葉宛
写 大正二年一〇月二四日
一通 一四・〇×九・〇㎝
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇〇
写 大正三年四月三日
一通 二五・六×三五・一㎝ 封筒有 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇一
写 ﹇大正五年﹈六月二五日正午
一通︵五枚︶ 二六・二×一七・八㎝ 封筒有 ペン書 ﹁文
房堂製﹂用箋
三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇二
写 大正八年一月一日
一通 一四・一×九・二㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇三
写 大正九年五月二九日︵消印︶
一通 一四・一×八・九㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇四
写 大正九年七月一日午後
一通︵四枚︶ 二三・二×一五・八㎝ 封筒有 ペン書 ﹁文
房堂製﹂用箋 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇五
写 大正九年一一月二九日
一通 一八・二×一八四・七㎝ 封筒有 墨書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇六
写 大正九年一二月一四日
一通 一四・一×八・七㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇七
写 大正一〇年一〇月八日
一通 二二・一×二八・五㎝ 封筒有 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇八
写 大正一三年六月﹇欠日﹈︵消印︶
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一〇九
写 昭和五年一二月一日
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 墨書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一一〇
写 昭和七年七月二三日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一一一
写 昭和七年八月二五日
一通 一四・〇×九・〇㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一一二
写 昭和七年九月一五日
一通 一四・二×九・〇㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一一三
写 昭和八年五月一六日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 ペン書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一一四
写 ﹇欠年﹈一月二七日速達
一通 一七・七×九二・〇㎝ 封筒有 墨書 三木露風書簡 岡落葉宛
B一一五
写 ﹇欠年﹈二月一一日
一通 二四・九×一七・四㎝ 封筒有 ペン書 ﹁松屋製﹂
用箋 三木露風書簡 岡落葉宛
写 ﹇欠年﹈三月二一日
一通 一八・一×六二・〇 三木露風書簡 岡落葉宛
写 ﹇欠年﹈七月三日
一通 一七・八×一二八・八 三木露風書簡 岡いと子宛
写 大正九年二月一七日
一通
二五
・六×三五
・一
付・三月一七日
村岡花子書簡 岡落葉宛
写 昭和三年一〇月一九日
一通︵二枚︶ 二二・三×一八
印の日付・九月一九日
室積徂春書簡 岡落葉宛
写 大正一三年六月一四日夜
一通 一三・一×八・〇㎝
早稲田大学図書館所蔵岡家旧蔵資料目録および解題 森田恒友書簡 岡落葉宛
B一二一
写 昭和三年一月一日
一通 一四・二×九・一㎝ 葉書 ペン書 絵入 森田恒友書簡 岡落葉宛
B一二二
写 昭和四年一二月一日
一通 一三・九×九・〇㎝ 葉書 墨書 横山健堂書簡 岡落葉宛
B一二三
写 昭和一〇年三月一七日朝
一通 一九・〇×一四〇・〇㎝ 封筒有 墨書 某書簡 岡落葉宛
B一二四
写 大正一三年五月二〇日
一通 一三・一×八・一㎝ 葉書 ペン書 ﹁愛国婦人発行 所﹂印有春草会例会通知葉書 岡落葉宛
B一二五
写 大正九年二︑一一月
二通 一四・一×九・一㎝ 葉書 印刷・ペン書
二月例会︵第二一回︶・二月二五日︵月番幹事・秋元まつ子︶
一一月例会︵第三〇回︶・一一月二〇日︵月番幹事・茅野蕭々︶ 十日会遠足通知葉書 岡落葉宛
B一二六
写 大正一〇年四月七日︵消印︶
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 印刷・ペン書 日時・四 月二四日︵日︶ 行先・大磯三島別荘 十日会春季大会通知葉書 岡落葉宛
B一二七
写 ﹇大正九年﹈四月三日︵消印︶
一通 一四・二×八・九㎝ 葉書 印刷・ペン書 日時・四 月一〇日︵土︶午後二│九時 会場・府下森崎鉱泉旅館大金 方十日会紅葉狩通知葉書 岡落葉宛
B一二八
写 大正一〇年一〇月五日︵消印︶
一通 一四・〇×八・九㎝ 葉書 印刷・ペン書 日時・一
〇月一六︑一七日 場所・塩原温泉福渡戸 赤塚某書簡 岡いと子宛
B一二九
写 大正二年八月二三日
一通 一四・一×九・〇㎝ 葉書 ペン書 絵入︵岡落葉肖
像水彩画︶