はいま少しく詳述を試みたい︒
早稲田大学図書館所蔵の三条西実隆書状︑
早稲田で開催された
︑ 一巻二通︵﹁荻野研究室収集古文書﹂のうち︶につ
いて
述べる︒この書
状は︑
日本古文書学会
•和歌文学会の記念展示に
出陳、
また早稲田大学創立百周年記
念
に図書館が主 催した﹁貴重書展﹂にも展示
し
ているので
︑
すでに多くの人のよく知るところのものとなっているし
︑既刊
の﹃早稲
田大学所蔵這野研究
I H l 古文書集﹄︵昭和五十三年吉
川弘文館︶に収録されている︒荻野三
七
彦名誉教授が在職中にその 研究室に収集され
︑
定年退職に当って図書館に移管されたものの
中にあり︑
三条西家
旧蔵の由である︒
これらの文害のうちの多くは
︑
荻野博士自ら研究考証されて発表されておられるが
︑
この書状についてはいまだ言 及されていない
︒
創立百周年記念展示には筆者が担当して
︑
簡単な解説を記し
︑ 荻野研究室収集
三条西実隆の書状をめぐって
柴
また図録にも載せてあるが
︑ここで
田 光 彦
‑ 34 ‑
前に﹁歌学相伝史﹂を付す︒臨川書店︶があるが︑
本書状は横井氏によれば︑﹁実隆が平松某に送った書状﹂であるとさ︱ この一通半の書状は︑その内容が古今伝受にかかわるもののように見うけられる︒古今伝受の研究書として古典的評価をえている著書に︑横井金男博士の﹃古今伝授沿革論史﹄︵昭和十八年百科全害刊行会︒昭和十九年﹃増補古今伝授沿革史論﹄︒昭和五十五年﹃古今伝授の史的研究﹄増補版を復刻﹁古今伝授史﹂とし︑
れ︑その﹁註﹂に︑
宗祗から実隆へ伝へられた古今伝授は︑普通には実隆以来三条西家のみに伝来されて︑外部には出でなかつ
たやうに云はれてゐるが︑全然他家に相伝されなかった訳ではない︒例へば京都帝国大学所蔵文書の平松文
書に見える実隆書状によれば︑明らかに実隆より平松家へ相伝されたもの4やうである︒
として︑実隆書状を引用している︒すべて三通で︑ここには﹁相残切昏十三写進上候:
. . . .
﹂の書状は首尾完結してい
る︒早稲田大学所蔵のものと横井氏引く京都大学所蔵のものと︑若干の記述の違いがみられるが︑それは書写乃至翻
字の上の違いのように思われるもので︑別の書状のようには思えない︒
三条西実隆の書状をめぐって 書状の文面は次頁の通りである︒
一通︵五九一︱‑︶と︑﹁雨中高問恐悦不知所謝候﹂に始まる﹁二月七日﹂付の二紙一通︵五九四︶であるが︑宛書はない︒
ともに堅紙で、前者は二八•Ox四七・〇センチ、後者は三一・八x九四•五センチである。 本書状は、右古文書集の五九三•五九四にあたるもので、﹁相残切帯十三写進上候﹂
大 日 本
に始まる礼紙書を欠いた一紙
,
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史QマQ$:
昧令殴世幽〈く」
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相残切昏十三写進上候︑
雖無益之様候︑厳命之間
染筆候︑御執心誠難有
存候︑末学能其道︱ー熟し
候ハねハ︑か様の物をハ只浅き
やうに存候程l‑︑卒休l
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申候しとて候︑勿論事候︑﹄
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l,.御用心可然候︑兼又内外口伝﹂歌一昏注出候︑これハ無﹂別事候︑裏の説共ある歌と﹂叉風肱必可存知歌と
其﹂表裏を申候1一て候︑談義之時﹂裏之説及候ヘハ︑別の子細なき﹂事︱︱て候︑以前御尋候し宇治山の﹂歌
ハ此内︱︱ハ入候ハぬ彼歌之類︑﹂又裏の説を本としたる歌共候︑﹂それハ此廿四首二て則御心得﹂あるへき事
候︑一句掏榔事候間︑﹂只星月夜ハかりの事︱︱て候︑﹂条々申状御嘲弄之基候哉︑比興候︑﹂芳期参上候間省
略仕候︑穴賢々々︑﹂
申させ給ヘ
三条西実隆の古状をめぐって ︵
切点
︶
︵以下礼紙欠︶ を見て相伝候へと︑常縁なと 道
之陵
夷ー
一成
候︑
いかにも機
︵切 点︶
実 隆
無残候︑自然ハし/\の事‑l
申おとしたる事ハある計にや候らんと書載候︑彼御覚悟
の分︑更不可有相残候事由
存候︑猶ミ委細仰畏入候︑
残十
一︳
一通
事︑
雖無
益候
︑仰
事候
間︑何様可調進候︑返4
条ミ
仰之趣畏入候︑必可参謝仕候︑
恐惜謹言
二月七日実隆
実隆
横井氏の引用書状中︑日の書状の礼紙書に当る所は次の如くである︒
京都に原文書があるとすれば︑早稲田のこれは写しということになる︒しかし︑荻野博士はこれを﹁自筆書状﹂と
している
︒図書館へ移管されたものを整理
する際︑疑うことなくこれを自筆として継承したが︑改めて早稲田所蔵の
︵二
︶
昨日の返事申させ給ヘ それを子細に眺めてみることにする︒
の書状は︑筆力︑墨色︑墨継ぎにやや不自然なところがみられ︑あるいは可成り早い時期の写しである可能性 もあるようにも見える︒巻子に仕立ててあるのでよくはわからないが︑本紙と礼紙の紙質が異なるように思われる が︑断ずるまでには至らない︒料紙に墨の汚れのあるのもいささか気になる︒
︵切 点︶
期参拝令省略候︑あなかしく﹂ 置遠所候︑凡此集﹂相伝之事ハ
まことに浅学の眼識ながら︑
︵一︶
の書状は疑う隙はないように思われるが︑
*︵切点︶異同の︵︶は京大本による︒
さね隆 しの様なる﹂物︱︱て口伝第一事候︑
抑切昏事蒙仰候︑﹂凡切昏ハ心しる 昨日和歌御会始令﹂参内候
︒
台札及昏拝﹂見︑子
今不献愚報其﹂
恐候
︑ 不審﹂難決之事等多候物二て候︑﹂実隆伝受之分文書共︱︱納加﹄候て預
実隆毎事未練
之間
︑ 次 第 之 儀 重 々 あ り
﹂ け
︱
︱ 候
︑ 悉 忘 却 之 様 候
︑ ハ﹂いか程切昏進上候けるやらん﹂承度候︑於閤下者︑塵芥﹂をも不存候へ共︑於道者法度共﹂候間︑只切 昏斗写進上の事も﹂柳可有子細敗と存候︑如此事ハ﹂大道之法之間︑一往申述候も︑﹂可在賢慮候事候︑﹂帝
陽明
へ
また
︑
さらに別の一通は︑
‑ 38 ‑
︵徳大寺家?︶から借覧して書写
した時までは揃
っていたのであり︑原本の一部を三条西家が再入手したのはそれ以 宛書を欠く三通の書状が︑何時︑誰に宛てて出されたものであるかは︑
三 条 西 実 隆 の 書 状 を め ぐ っ て
後になるといえようか︒
京都大学の平松家文書によって推論しうることは︑ は肯定できない︒
まず﹃実隆公記﹄にあたるのが順序であろ この一連の三通の書状の原本は︑す
く な く
とも平松家が某家 「雨中高問」は三一•五x四三•五センチ、
﹁昨
日和
横井博士の論を勘考してみると︑平松家は西洞院時慶の二男権中納言時庸(̲
一 六 五 四︶の時にできた新家であって︑
実隆存命の頃︵一
四昼
ー一
五
l︱︱七︶には存在しなかった家であり︑横井氏のいう平松某にあてた書状という言葉はそのままに
R東大史料︵京大蔵本写︶﹂とある︒
﹃国書総目録﹄によって﹁平松文書﹂を引くと︑﹁三冊 料編纂所に在籍された方であり︑同所所蔵の影写本によってこの書状を知られたのではあるまいか︒
ともかくもと思って︑
京都大学史学科の古文書室に参上して︑平松家文書中の件の書状三通を拝見すると︑果して
それは︑近世後期
に作られたと思われる忠実なる臨写本であった︒切封の形もそのように残
しているが︑切点の印は
いかにもあとからのものらしく形だけで合わない︒別に薄様の雁皮紙に書写した実隆の書状には
︑朱書で﹁逍遥院実
隆公消息懸軸或人持来写留文化十一五十二﹂と記されているものがある︒三通の実隆書状もこの時期に近い写しとみ
てよさそうである。「相残切昏」は四八•Ox二九.0セソチ、
歌御会」は二六•Ox四二•
五センチの大きさであり、字様に早大本と若干の相違があり
、影写でなく臨写であるこ
とが知られる︒
横井博士はかつて史
永正七年
︵一
言︶
二月五日戸の条
に︑
古今集
切帯十
三依太相国厳命
書
遣之
︑
とあり︑
ついで七日麟には
︑
雨降︑
自太相国古今伝受事厳重
一昏被送之︑頗迷惑事也
と
あり
︑
二月九日鯰
には
︑
晴︑:
・ ・ : 自太相国食籠
︑
天野一荷被送之
︑
さらに十二日虹に
雪散︑
寒嵐
甚︑
:・・:古今切昏十三又遣徳大寺了︑
十八日門雨降︑
徳大寺不審古今集内事五六ヶ条今日注遣
︑
と続くところが
︑これらの書
状に関連の記事と
し
て見出された
︒
時に実隆五十六歳
︑太相
国徳大寺実淳六
十
六歳であ
早稲田にある書
状二通のうち
︑
一致
し ︑
日記に記載はないものの同日の返書であることは間違いな
い
こと
と思
う︒
一見すると二月五
日
の記
事
に相当するものと思われるが
︑十
二日にみえる﹁叉﹂をあてる 早稲田にな
い
﹁昨日和歌御会始﹂の
書
状は︑﹃実隆公記﹄正
月十九日
げの
べきであろうか︒ ﹁相残切昏﹂の書状は︑ る︒ う
゜
二月七日付のものは︑
﹁ 雨
中
高問﹂の書
出しの旬と︑日
記に記された﹁
雨
降﹂とも
‑ 40 ‑
るのもその故ではあるまいか︒
晴︑今日禁裏和弼御会始也︑初参内︑相公羽林自一昨日小恙︑初不参︑
とある︑翌二十日のものと推定されるが︑日記中には書状にかかわる記事はない︒
書状によれば︑正月十九日︑禁中歌会始より帰宅して︑夕刻に実淳の書状を披見︑翌日返書を認めたことになる︒
陽明文庫の『後法成寺関白記(尚通公記)』(東京大学史料編集所自筆ニ―冊本の写真による、)の永正六年四月廿日〗の
項に
は︑
晴︑従徳大寺中納言被問古今集不審︑
とあり︑同五月一日釦には︑
. . . .
. . 入夜︑徳大寺黄門被︑古今集被口伝之︑有三献い鰐︑
とある︒権中納言徳大寺公胤はこの年二十三歳であり︑
公胤の不審を父実淳を通じて実隆へ尋ねたことになる︒
*
横井氏の引く﹁古今伝受血肱﹂は︑今その出典を明かに
しえないが︑﹁公胤公
或実
淳公
二 ﹂
十七
通﹂
︑
なお﹃図書寮典籍解題続文学篇﹄︵昭和二五年
に引く﹁近衛尚通古今切紙
三 条 西 実 隆 の 忠 状 を め ぐ っ て
日癸
巳に
は︑
徳大寺中納言今朝被帰︑
﹁古秘抄 渡徳社︶ の意味も通じてくる︒
実隆が﹃実隆公記﹄や書状で﹁厳命﹂とか﹁迷惑﹂とあ
ー 公 条 公 応 配 幻
﹁ 実 隆 公 外 孫
﹂ ー実隆公ー
一ー 後奈 良院
l l
実枝
公ー
︵略
︶
﹁姉
小路
﹂ ー 基 網 卿 ー 素 経
ー宗牧 ー宗長
~ I I I 尚 品 兼 宗通 巴 載 碩
~
砿実或公砿冬二植品 大 淳 胤 大 良 き 家 門 色 公 公 色 公 公^
雹
*
ー省柏 不
及献
懐昏
也︑
:・
:・
とあ
る︒
大覚寺准后義俊大僧正︵尚通の子︶が相伝したにすぎなかった﹂と説いている︒
まことに偶然であるが︑早稲田大学図書館には別に﹁三条西家旧蔵資料﹂若干が蔵されている︒ともに第二次大戦
終了後の混乱期に三条西家より市場に出て︑別々の書陣の手を経︑
館の蔵するところとなったものである︒伝実枝筆の﹃源氏物語﹄は菊花文高蒔絵の箱に収められ︑
世後
期に
︑
丁子車の浮出紋のある紺表紙を付したものもあるが︑多くは一括りの反故紙の類とみられたためか︑纏め
て空箱に秘められたま4整理保留になっていた︒十数年以前のこと︑偶々縁あって私がこの整理を手がけることにな
り︑学生時代からの知己で︑当時高等学院教諭であった井上宗雄博士の助力を得てその整理を終えた︵﹁
屹碍
点麟
三条
西
家旧蔵文学書目録﹂井上宗雄・柴田光彦﹁国文学研究﹂三二集 それ以後近衛家以外に伝へられることなく︑
昭和四十年十月参照
︶ ︒ 書冊の他は糊が落ちて殆どばら/\になっていて︑前後不
通の反故のようであったが︑時間が解決して次第に形を整えてきた︒
その屑のごとくみえたもののうちの一巻の継紙︵二七X
五一
五セ
ンチ
︑
唯その一部を
また三条西家で近
右宗祇法師伝受事等︑為輩卒ホ候︑蒙﹂仰記付之︑正本納函底︑彼書状等又可﹂秘蔵︑此一巻不可他見者也︑
永正第七二月十八日雨中記之 れていた︒﹁切昏事﹂に始まるもので︑巻末に 書籍類は主として井上氏が︑その他の類は私がみた︒ 冊﹂の解題には︑﹁この近衛家伝承の古今伝受の原本は︑
︱四紙︶に︑古今伝受にかかわることが記さ 一方は文学部の荻野研究室に︑そして一方は図書
‑ 42 ‑
三 条 西 実 隆 の 書 状 を め ぐ っ て
(「切昏事」巻頭)
(「切岳事」巻末)
玄清
来︑
一昨日借遣切昏等返上︑数刻令雑談︑ 十八日麟晴︑従未明雨下︑
﹁玄 消一 昨日 借用 切紙 返上 事﹂
献 ︑
書状の類はないが︑実隆自筆の原本と思われ
︑
先述のごとく﹃実隆公記﹄の記事と一致することに確信をえて
︑表
装の上︑簡素ながらも桐箱にも収めた︒
本書はまぎれもなく件の書状と一連をなすもので︑二月五日より十八日までの間に実隆が実淳に書き与えたものの 案文とみるべきであり
︑
﹁古
今集
切昏
十︱
︱‑
﹂
︑
﹁相残切昏十三﹂︵古今切昏十三叉︶︑﹁徳大寺不審古今集内事五六ヶ条﹂と が一巻になっているものと思われるが
︑
その順序を明確に
しえないので︑付録として︑
本稿の末尾に切昏の全文を紹
介しておく︒
なお
︑
近衛尚通の古今伝受につき
︑
横井氏は︑牡丹花肖柏の弟子︑玄清に対する場合を﹃尚通公記﹄永正
七年五月
以降の記事より抄出紹介し
︑
至極自由であったとされているので︑これを引くと
︑
十二日
g n
晴左衛門督来︑︑︵朱 由下 同ジ
︶
﹁古 今伝 受之 事︑ 左衛 門所 望之 事﹂ 古今伝受之事︑度々申間
︑内々令領掌了︑
十六日戸晴︑
﹁玄 清古 今
之事
︑連
々懇
望間
︑少
々被
申聞
事﹂
玄清古今集之事
︑
連々懇望之由
︑以左衛門
督申間︑今日少々申聞了
︑
聞之番衆
︑杉原十帖進上之︑於前給三
‑ 44‑
︵永正十四年五月︶廿七日︑晴 左衛門督︑玄清︑古今少々令伝受了︑給一釜︑︵六月︶一日に晴︑玄清︑宗勝等来︑四日冠雨下︑玄清来︑廿八日臼晴︑小雨洒︑玄清来︑︵七 月︶
一日
戸晴
︑玄
清来
︑
十三日臼晴︑玄清丹瓜五籠持参︑令対面︑数刻雑談︑左衛門督来︑
︵永 正八
年六月︶廿九日ータ立︑玄清守厳来︑古今内相伝事少々授之︑勧一釜︑未
︵永 正 十 一 二年 十二 月︶
三日汀朝間陰雨下︑玄清来︑数刻令雑談︑
﹁玄清依懇望古今切紙被逍事﹂
古今切帯年来懇望之間一遣之︑
﹁被 造 古 今 注 二 部 於 玄 清
﹂
玄清来︑数刻令雑談︑勧一釜︑古今註二部遣之︑近日懇望仁肱有之間︑読之由相語也︑
三 条 西 実 隆 の 書 状 を め ぐ っ て
廿六
日戸
雨降
︑
﹁左 衛 門 督
︑ 玄 清
︑ 古 今 少 々 令 伝 受 給 事
﹂
述べてゐるのもこの為めであったのである﹂と説かれている
︒
宗祇より古今伝受を受けた人物であるのに︑ここでは尚通から肖柏へ古今集秘注を相伝したことになっているのは︑
﹁和歌抄物︵切紙︶が殆んど未整備で︑
の疑点を晴らしたものと解釈するより外に仕方のない記載である︒してみると若しさうした解釈が当つてゐるものと
一応の古今伝授を受けつ
4︑併も不審の点が多い為めに再び尚通を通じてそ
この時代に於ける切紙そのもの
4
古今伝授に於ける位置は︑極めて自由な︑軽い存在価値しか有しなかった ことが想像出来る筈である︑実隆が平松某に送った書状の中に﹁凡切昏ハ心しるしの様なる物二て口伝第一事候﹂と 横井氏のいう平松某が実は徳大寺実淳であることは先述の通りであるが︑氏のいわれるように︑伝受が比較的自由
であった当時であるために︑公胤は尚通から口伝を受けながらも︑﹁不審﹂あるために父実淳を通じて実隆に再々﹁厳 命﹂を下し︑実隆は﹁迷惑﹂ながらも﹁御執心誠難有存候﹂として教示したものと推察する︒
参考のためにいえば︑﹃図書寮典籍解題﹄に引く︑﹁当流切紙﹂は︑十八通と六通に分れている︒その項目のみを掲 げれば︑つぎの通りある
︒
十八
通は
︑
一︑三箇大事一︑
御賀玉木︒二︑三ヶ大事二︑妻戸削花︒
三︑三ヶ大事三︑
賀和
嫁︒
四︑重大事︒五
︑切紙之上
すれ
ば︑
﹁高辻宰相︑土御門二位等来
︑
合対面︑勧一釜︑肖柏抄物少々今日返遣之︑﹂とあるのを引かれ︑尚通
・肖柏ともに
また︑横井氏はさらに同記の永正七年九月十四日の﹁肖柏来︑
四 従濃州左近吾問古今集不審︑
なお
︑ さきの永正六年四月十九日の項にもつぎのように記されている︒
相伝古今集秘注等
︑
勧一
釜﹂
︑
永正九年二月九日の
‑ 46 ‑
ロ伝
︒六
︑重之口伝極
°
七︑真諦之事
︒八
︑三鳥之大事
︒
九︑鳥之釈
°
+ ︑
鳥
之口伝
︒
十一
︑ ロ伝︑一虫之口伝
︒十三
︑
三才之大事
︑天地人之歌
事︒十四
︑秘と︑ほの/\の歌
事 ︒ 十五︑桜歌之口伝︑吉野 山桜事
︒十六
︑重之
重付 古歌 事° 十七︑土代
︒
十八︑伝
受
之次第︑当流相続事
︒
一︑題号︒二︑流議付
祭事°三
︑長短不同事
︒四
︑稽古方︑
また︑﹁近衛尚通古今切紙﹂の︑﹁切紙二十二通﹂は︑
1 ‑
︑秘ミ
︵ホ ノ/
\ノ 歌ノ 事︶
︒ 事 ︶
︒
4
二︑土代
︒
5
三 ︑
三ヶ大事ノ
内︵
カハ ナク サノ 事︶
︒
玄ミ之旨︵名題之事︶︒
9
六一︑三ノロ伝之内︵御賀玉木︶︒1 0 七二︑三ノロ伝之内︵妻戸挿花︶︒
1 1
八三︑三ノロ伝之内︵加和名種
︶ ︒
1 2 九 ︑
鳥 ︒
1 3 十二︑重之重︒
十一︑稽古方1 4
︒
十二︑流議︒
1 5
十五︑三オ
1 8
ノ大事︵天
地人
ノ歌 ノ事
︶︒
十六1 9
︑三
鳥重
︵三 鳥重 之口 伝︶
︒
︵柿 本己 下兼 盛マ デ十 四歌 些ノ 名︶
︒
2 2 十九︑作伝
︵詠 歌の 心得
︶︒
1
三鳥ノ大事︒2
重大 事︑
﹁切紙五通﹂は︑ 六
通は
︑
2‑︑三ヶ大事ノ内
︵ヲ カク マノ 木ノ
事︶︒
3
叉口伝︵吉野山ノ桜事︶︒三条
西実隆の苦状をめ
ぐっ て
五︑稽古口決︒六︑神道
超大
極秘
°
6
三︑ロ伝
︵古 歌事
︶︒
4
︵序の歌数︶ ︒
5
一虫︒十二︑虫之3
二︑三ヶ大事ノ内︵メトニケッリ花ノ7
四︑号
︵号 題
之口
伝︶
︒
8
五 ︑
︵ 永
久二年甲午成誕生より暦応元年戊寅為︶︒世卿卒竺立蹂蕊の生歿年譜
勅撰年次 京都大学史学科古文書室の平松文書閲覧に関し久野修義氏︑東京大学史料編纂所の資料につき加藤秀行氏を わずらわし︑古今伝受のことについて井上宗雄氏︑小高道子氏に高見を徴した︒記して謝意を申し上げる次 第である︒なお︑小高氏には︑早大本の﹃古今伝受書﹄を引いた﹁東常縁の古今伝受ー伝受形式の成立﹂
︵﹁和歌文学研究﹂四四号昭和五六年八月︶がある︒
2 0 十七︑風体
事︵ 風体 口伝 歌︶
︒ 2 1 十
八︑
十三︑祭事1 6
︒
十四︑短事私1 7
︒
O九
秘t
ホノ/\ノ審ノ事 波可議利在之
者
也 ︑
﹂
如訟臣如水トイヘリ︑種ミノ﹂議トモアレトモ︑不及筆端 タカフヘカラス
︑
シカレハ舟卜﹂云ナリ
貞
観政
要云︑君
一多加良都作古ミ路佐之
レ給
︑ 舟
ヲシソ思トハ
舟ヲ
﹂
王ーークトヘタリ︑
王子^帝
茂路ミ4
能人手見給伝
リ、
又生老病死ノ四マ—ー
モ」アツルヨシ申
、此四―ーカク
サ ロ伝
5
伊津久志喜御賀本休而 古埒事
一説キリヲ病︱︱ァッルヨシ﹂申
︑嶋カ
ク レ 行 ト ハ 去 行 ナ
ヲヘタテ行︱
ーヨ
ソ
ヘタリ
︑ ﹂
霧又物ヲヘクツル
ナラ
ヒ 也 ︑
ノ寄寿ノ議ナリ︑王子ノ﹂崩︳ーアツルナリ浦トハ此世界
重之重
迂 重 之
重
紀 貫 之 上
今上皇帝
和斑
依 綸 言 上桜花
滸
神南日能
延喜
一︱
一年
十一月二十
二日
身仁邪奈久
ナトノアクルヲ云
︑
左伝
l一
明旦
卜書
テ ホ ノ
/
\'
卜﹂ョメ リ︑明若﹂寿風ナリ︑万葉︳
︳ッカフ
所ナリ︑明卜云ハ夜﹂
土代
︵朱 忠
︑以
下同
︶
竺奉授
ヲ早シ給﹂ヲヨメル埒トナン
︑ホ
ノ/
\︑
卜云︱︱四ノ談ア 切昏事
広一尺四寸七分ハカ
リ
︹ 切 悟 事
︵﹃
古今
伝受
書﹄
︶
︺
寸法九寸五分
シヰテ今 議ヲタツ
︑天武天
皇第
﹂
一ノ
皇
子高市
ノ皇
子十九歳ニメ世
リ︑若ヲホノ/\
︑ 卜
云
︑春
ノ草木
ノモ
エイ
ツル﹂紘
ナリ
︑
︵ マ マ
︶ ホ
1 /\
典義抄云
︑
深 草 未 出 春 色 若 タ リ ト
﹂ イ ヘ リ
︑寿風
ハッ
子
ホノカニックフ
︱︱
文道
︱
︱ッカフ字ナリ
︑文選﹂云
︑ 寿 伝 三 公 政 得 之 道 ト
ホノカニイヘリ︑
文集云
︑ 風 聞 卜 云﹂ヘリ
︑此四
ノ議
ノ
内
︱︱
ハ今
クヒノ部︳︳入ク
リ︑﹂更此外ハ不及沙汰コト也︑
此斑ーーサマ/\ノ議家と——口伝スル所ナリ、然」トモ貫之
‑ 48‑
O八 ヲ
ノ ヤ ク モ タ ッ ノ 罰 也 ︑ 伝
天 地 人 ノ 斑 此 フ ソ ナ リ
三条西実
隆の密 状をめぐ
って 用ョムトナリ、カナ序—ーテハコトワリミ」 イ
ッ カ ハ カ ク フ チ
︑此班事也︑
ー ク ッ︑ 家 ノ ロ
一地︱︱メノ班ノコト
︑ 出 雲 国 二 呂 作
メヨ
︑
タマ
フ
︑ソ
﹂ サ ノ 一人ノ世トナリテハ
︑ ソ サ
ノヲノ``︑コトノ三
十一
字
﹂ ノ 班 ヲ
フ チ カ ク フ チ ニ ア ミ ハ リ ワ ク
﹂ シ メ ロ ヨ シ ニ ョ ッ ョ リ コ 子
曰
︑アマ
サ カ ル ヒ ナ ツ メ ノ イ ワ ク
﹂ ラ ス せ イ イ ッ カ ハ カ タ
マ ハ ヤ ミ ク ニ フ タ ワ ク ラ ス
︑アチ﹂
ス キ ク カ ヒ コ 子
︑
返 滸
駆 夜 ヲ ト ク ナ ハ ク ノ ウ ナ カ セ ル
﹂ タ マ ノ ミ ス マ ル ノ ア ナ タ
三オノ大事
天 地 人 ノ 斑 ノ 事 一 久 カ タ ノ ア メ ニ メ ハ ト ハ 天 上 ノ コ ト ナ リ
︑下照姫ハ
﹂ 天 稚 彦 ノ 妻 ナ リ
︑ ア メ ワ カ ヒ コ 崩 ノ 時
︑
喪 屋 ヲ 天
﹂ ニ ッ ク リ テ
砧
モ カ リ ス
︑ ジ タ テ ル ヒ メ ノ セ ウ ト 味 粗
︒
﹂ 彦 根 ノ 神 ト フ ラ ハソトテ︑
天ニノホリテアリケル﹂
ニ
︑ ソ ノ 形 ウ ル ハ シ
クメ︑ニノ岳トニノ谷トノアヒク︱‑﹂照力︑ヤクヲミテ︑
下照姫此コトヲ人︱︱ッラッメントテ﹂斑ョ`︑メ
日
︑ 阿 妹 奈
カナヨシノ︑
山ノ花ノョソメハト云と
︑ 相 構
とミ可秘蔵也︑ リテ︑
人 丸
﹂ 白 雲 二 色 ノ チ ク サ ニ 見 ニ ツ ル ハ コ ノ モ カ ノ
﹂
左越鹿乃妻問
来ぬ人をまつおの
此 外 三 代 宗 匠 撰 集 之 自 班 又 入 撰 集
仏神御商等也︑
吉 野
山
ノ桜事 此集︱ーサル班見ニス︑
撰 者 ヲ シ テ 云
﹂ ヘ カ ラ ス
︑ 其 上 封 メ 当 家 ノ ロ 伝
︑文武天皇芳野山︱︱御﹂遊覧ノトキ御トモニア
モノ桜ナリケリト云'又説ケルハ︑﹂雪チラヌハ雲卜見ル 書︑
ク ッ タ 河 ノ 班 ハ
﹂ ア リ
︑ 労 以 不 審 ア ル ヘ キ コ ト ナ リ
r﹂ 又口伝
六
゜
みすとやいはん玉つしま 永日のかりのしめなは タは志野辺能秋風 梅能波奈風鉢事
七
゜
風鉢口伝蜀八 久 毛 立 伊 左 妥 休
寿明石浦
妻 戸 ケ ッ リ 花
宝紬 賀和嫁 内侍所 重大事御賀
玉木
云 ナ リ
︑
キラス
︑
種 と ノ 鳥
︑
春ハオナッ心﹂
ーサ
ヘ ッ ル ヲ 百
千
鳥 卜
三ケ
大
事
ノ内
カ ハ ナ ク サ ノ 事
︱
︱ ︱
゜
一モ
︑ チ ト リ ノ 事
︑
然 卜 云 敷
︑
家 ノ ロ 伝
︑
ウ﹂クヒス一︱ーカ
野﹂ノ`
` ︑ カ リ ニ 鳥 ヲ
付
テ タ テ マ ツ ル
︑ ト シ ハ ト 云
﹂ 木 ナ リ︑
コレ
ロ
伝 ナ リ
︑ 更 記 事 ヲ ュ ル ス
﹂ ヘ カ ラ ス ト 云 ' メトノケッ
リ花ノ
事
メ ト
︑ ハ 妻 戸 ノ コ ト ナ リ
︑
ニカサジサ
ス
﹂ ナ リ
︑
口 伝 ナ リ
︑
曰︑
右 近 ノ 馬 場 ノ ヒ ヲ リ ノ 日
︑
﹂
マユミノ手継ノカサッニ
サス花
卜
﹂ モ イ ヘ リ
︑ 重大事
四
゜
︱ ︱ ー ケ
大
事ノ
内二
゜
ハク︑キヲ云ナリ
玉ノ木卜云卜云
9︑﹂当家ニハ然ス︑ヲヵ玉ノ木卜申ハ︑片 リ」アッメテ、
カヘルサニ友ヲヨフ故—ーカク云卜」イヘ 云 ト イ ヘ リ
︑春ノ﹂山
野 ニ イ テ 4︑ ワカナ
︑
ワ ラ ヒ 風 情 卜 リ︑ 又 ッ
︑ ト リ ト 云 ア リ
︑
コレヲ家ノ﹂口伝トス︑
一 イ ナ オ ホ セ ト リ ノ 事
︑
家ミ︳︳種とノ説﹂アレトモ︑口伝ニ
即 位 ノ 時
︑
ミカサ
山
﹂ ノ 松
ノ
枝 ヲ 取 テ ︑
長 ︱︱ 一
寸︑マ
ハ
リ五
以朱︑
寸︱ーケッ﹂リテ
︑
オ ホ ン 守 ヲ 上
‑l書テ
カケサセマ 密之 イ
﹂ ラ ス ル
︑ 御 即 位
過
テ ︑ 彼 御 守 ヲ 種 ミ ノ
御﹂
クカラニソ ヘテ︑帝ノ生気ノ方ノ土︱︱ウッム﹂ナリ
︑ ハヤコ/\\
卜云ヤウ——ナクユヘ」
二云トイヘリ
︑
叉 人 ヲ モ
三鳥之大事
一 ヨ フ コ ト リ ノ 事
︑一説サル
一説ハコ﹂トリ
コノ鳥ハ
ヲ カ ク マ ノ 木 ノ 事
︵ マこ ヲ カ ク マ ノ 木 ノ 事
︑
家 ぐ ノ 談 マ チ
﹂ マ チ
也アル
カ云
︑帝御
種t
ノ ﹂
花ヲケッリテ︑
又日
︑ 此
木 ヲ
御
賀 ノ 著
卜 草
也︑﹂叉 ツマト
三鳥
ノ大
事
五
゜
三ケ
大
事ノ
内
゜
神璽‑ 50 ‑
゜ ゜
ロ 伝 切 昏 奥 書
清 濁 談 議 伝 受
以上 冬
の か も の ま つ り の 埒 今
をか玉の木 我
身 世
︱ ー フ ル ナ カ メ 媒 雨 ナ リ
澄
といふうれハしきこと
―ー経
賢発尋発孝ー—一
―ー常縁—ー
︱ ー
宗 祇
私 隧 在 之 同 了 見 説
︱ー ニ 条
御子
左ーー頓阿ー一
御国忌
是︱ーアマクノ説アリ︑或ヒシト云草︑﹂或ヵハ``︑トリ︑或
︵ マ r )
カハタチ︑或ヲモタ﹂カト云
'
河 骨 卜 申 草 也
︑ 口 伝 ナ リ
︑ 記 コ ト ヲ
﹂ 免 ヘ カ ラ ス
︑
冨士ノ山
煙 ノ 事 巻 頭 斑 ノ 事 古 ウ
リ ソ ヰ ソ ミ コ キ
古今伝受次第
神 木 ニ ア リ 三条西実隆の書状をめぐ
って ︵系陪ノ下二記ス︶
法 名
千
葉介六男東六郎常胤
︵朱
引︶
\
私 云 素 邁
了見在之一ーー京極黄門|—中院ーー一 雲林院 色
見 え て 澄
紀 氏 女 説 在 口 伝
︵朱 引︶
・左金吾l五条一―一品—ー一 おまし/\
オハシマシ
゜
伝受次第 五
番 天 地
六番 流議不同
一 番 土
代四番
一 番 文 人
但依人依時議
之由可覚得也
二番
才延上古
ふ 神 代 以 前
古人王今
真
紀貫之 通
〇 柿 下 朝 臣
住吉明神玉津嶋明神 通0伊勢両宮
︵朱 引︶
古今集相伝間守事 \
正 \ 銘袈岳 月
廿日
状也
︑
門弟之第一由﹂之議也︑文永五五 一代集伝受口伝等以別昏﹂免行為
同 九 年 八 廿
文 永 五 五 廿
同四
月十
︱︱
一日
宝治元 為家卿書状 素邁法師古今伝受事︑
宝治元年七月也︑
同四月二日
七月廿五日
以上七通在之︑
ッ︑ミ氏銘\直
‑ t
同十月二日
o‑ ゜
稽古方 長九寸二分広一尺三寸八分ハカリ
︵朱 引︶
\千葉東家切昏寸法
︵朱 引︶
\稽古方 以当流之説受僧宗祇早文明四年ー豆六月廿九日平常縁
f l
守者也
︵朱 引︶ 裏 二 判 ア リ
\
八代末葉下野守平常縁
︵朱 引︶
︑伊勢物語之事 竪横仁懸天此文於可 古今集之説悉以僧宗祇仁授申早心於 重而奥書0文明五年四月十八日 従五位下平常縁判 文明三年八月十五日以相伝説と伝受僧宗祇早 奥書0古今集之事 女内侍
‑ 52・, 一
已上 ナソアラヌ代ミノ御門トイヘリ
百千鳥 喚子鳥 古今序—ーソノハシメヲオモヘハ、力、ルヘク 正トイフナリ 惣ニハ物
1︱対メ事ナカルヘッ︑是ヲ姪名負鳥
ロ伝ノトコロ
庭夕︑キ
心ヲ物︱︱マカセテ和ヲ基トセヨ 心ヲ染古風
心ヲク︑シク 詞ヲ先達——ナラフヘッ
ヲ詞
スナ
オ︱
︱
可詠
上古肱ヘタ︑リ行ュヘニ臣ノ賢愚ヲ
シロシメス︑
然 二 詠 和 班
︑
是既二道ノ
零落卜謂ヘシト云'
凡在口伝
三条実西隆の魯状をめぐって
具之旨
︑凡口
伝︱
ーア
リ
ロ伝ッ︑トリ︑鳴声人ヲ
ョフニ似リ云:
ロ伝万ノトリノ春——ナレハサヘ
ツルニョリテモ︑チ︒︐トリト云
也 ︑
︵朱
引︶
三鳥 \
四
゜
︵朱
引︶
作伝 \
二
゜
在口伝
︑ ル敏︑叉云︑ハ︑カリアル欲
︑可
尋︑
勅撰内題不知
卜伝ハ多緞ァ
弘長元年二月九日授素遅早
三代撰者融覚
御判 情新心直 詞旧言艶
^
常氏素師常氏時行素紙 縁 数 明 氏 顕 村 常 氏 邁 ‑秤
直 正
二神御商卜天地
未 分
︵朱
引︶
\
道 一
‑ 8
︱百人︒首 正直始終滸古今ノサマハアレト
玄之玄同之凡在口伝 匝 正
巻頭爵トニ
神 御
商
已上 七0名題之事
真眺 凡
可聞
口伝
︑ 賀茂祭班事 此 集 肝 心 只 コ
︑ ニ ア リ
御一覧之後やかて火中―—御入可被下候
ルニ似タリ︑ ナ
カ ラ ヨ ロ ッ ノ ト リ ノ
﹂ 春 ヲ 得 テ ア ツ マ リ サ ヘ ッ
︵朱 引︶
玄
4 之 旨
\
命
︱ ー シ ク カ フ サ マ 関 白 ノ 教 二
﹂ 応 ス ル 鉢
︑ シ カ シ
ー モ
︑ チ ト リ ハ 春 キ タ リ テ サ ヘ ツ ル 気 色
﹂ 群 臣 ノ 王
ニョリテ関白ニタトフナリ︑
︵朱 引︶ 祭 事
\ 六
゜
一 ョ フ コ ト リ ハ 春 来 テ 当 季 ヲ ア マ 子 ク
﹂ シ ラ ッ ム ル
ヘタテマツル︑
一イナオホセトリハ万物ノ根源クル﹂間︑帝ーータト
以上 常縁事
号題之口伝 文 武 天 皇 人丸
古
自 宇 多 天 皇 以 前
古
天 地 未 分
古
自 国 常 立 以来
今
(コ――烏困之口伝」ノ下—ー記ス)
︵朱 引︶
裂昏 \
醍 醐 天 皇 貫 之
今
当代
今以上
群 臣
︵朱 引︶
号題 \
五
゜
百千鳥 関
白
喚子鳥 以上
帝 王
トモ︑
レ 伝 ヘ カ ラ ス 云 '
姪名負鳥 唸 ヲ ハ シ メ テ イ ツ レ ノ ト リ ナ リ
゜
三鳥重之口伝‑ 54‑