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佐藤紅緑の戯曲「キリスト」とその公演 : 昭和初 年におけるキリスト受難劇を巡って

著者 山梨 淳

雑誌名 キリスト教社会問題研究

号 59

ページ 155‑187

発行年 2010‑12‑20

権利 同志社大学人文科学研究所

キリスト教社会問題研究会

キリストキョウ シャカイ モンダイ ケンキュウカ イ

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012366

(2)

   佐藤紅緑の戯曲「キリスト」とその公演

        ︱︱昭和初年におけるキリスト受難劇を巡って︱︱

山   梨     淳   

    はじめに

「私は正しき人を見たい、正しき人を画きたい、多くの人に正しき人を紹介したい、これは私が二十年間小説や戯

曲に没頭した主なる目的である、私の芸術はそれでありたい。そうして私の見た中で正しき人はキリストである。

キリスト以上に正しき人があるべしとは思わない。」

  この文章は、作家佐藤紅緑(本名洽 こうろく六、一八七四

−一九四九)が、一九二七年に自作の戯曲「キリスト」を発表した時、

彼の語った作劇談の中の一節である 。この佐藤の「キリスト」劇は、澤田正二郎(一八九二

−一九二九)の慫慂によっ

て執筆されたもので、『東京日日新聞』と『大阪毎日新聞』に一九二七年十一月一日から二十八日まで二十六回に亘っ

て連載された 。同年十二月に、澤田の率いる新国劇一座によって、東京の本郷座で上演が行われたが、この初演は、

興行的に不成功に終わっている。翌年初頭に行われた大阪公演(浪花座)を経て、澤田は、十二月、東京での再演を 研究ノート

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帝国劇場で試みて大入りを実現し、初演の雪辱を果たすことができた。

  戯曲「キリスト」に関して、佐藤紅緑は、自作の中でこの作品ほど「各新聞、劇評家諸氏及びその他の学者達から 真剣な批評を受けた経験も有たない」と書いている 。事実、この劇は、キリスト教関係者から、非キリスト者の間に

至るまで、様々な反響を呼んでいたことが確認できる。例えば、『基督教世界』(第二二九三号、一九二七年十二月

十五日)に掲載された初演時の劇評で、西内天行(朝比奈藤男)は、「この「キリスト」劇によって昭和二年の劇壇

が演劇史に一時代を画したるを信ずると共に、日本の思想史に及ぼす影響の実に偉大なるを感ぜねばならぬ。基督の

悲劇が日本の国劇になったということは決して基督教の堕落ではない。基督教が日本の宗教になったという一の表徴

ではありますまいか」と高く評価している。また、北條秀司は、この作品が「なんの予備知識もない庶民観客にキリ

ストの人間苦を強く刻んだ」と回想で語っている 。   昭和初年、キリスト受難劇が、キリスト教とは無縁の商業劇団によって興業され、一般の観衆に受け入れられたこ

とを考えるなら、この劇の公演は近代日本のキリスト教史において一つの注目すべき出来事であったといえるのでは

ないだろうか。この公演が教会とは無関係の場でなされたものであるだけに、それは日本人一般とキリスト教文化と

の交渉を考察するうえで、興味深い事例を提供していると思われるのである。

  作者の佐藤紅緑は、明治後期から、文筆活動を開始し、俳句や小説、演劇や映画など多様な分野に手を染めた文学 者である 。現在では特に作品の読まれることのない作家であるため、一般には、むしろ、娘の佐藤愛子の小説『花は

くれない︱小説佐藤紅緑︱』(講談社、一九六七年)や『血脈』(文藝春秋、二〇〇一年)によって描かれた、奔放な

生涯を送った明治生まれの文人として知られているかもしれない 。戦後、佐藤は、日本近代文学史において、昭和初

期に『少年倶楽部』に連載された少年小説の作家として評価を受けていることが多い。

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  佐藤の「キリスト」劇は、戯曲の発表及び上演時には多様な関心を呼んだ話題作であったが、この作品は今まで研

究対象として主題的に取り上げられることがなかった。管見では、佐藤紅緑に関する研究において、「キリスト」劇

に触れられた例は、今官一が、佐藤の少年小説に関するその論考で、「キリスト」劇の作劇談に語られた佐藤の創作

方法論について言及しているのが目につく程度である 。   また、この佐藤の「キリスト」劇は、日本キリスト教史やキリスト教文学に関する研究分野においても看過されて きた 。この作品が上演時に注目を集めながらも、その後に忘れさられてきた理由の一つは、その作品の完成度の問題

を別にして、この戯曲が教会関係者の手によって執筆されたものでも、上演されたものでもなかったことに求められ

るかもしれない。ただ、作者の佐藤紅緑は、二十世紀初頭の一時期、植村正久のもとでキリスト教を学び、『福音新報』

の編集に従事した人物であり、キリスト教界と全く無縁の人物ではなかった。彼の「キリスト」劇は、この『福音新

報』時代の体験を抜きにしては成立しなかったように思われる。

  われわれは、この佐藤の「キリスト」劇の上演が、日本キリスト教文化史の上で、固有の意義を持つものであると

認め、以下、戯曲作品の成立過程と内容、上演時の模様とその反響を明らかにすることを試みたい。

 

    一   佐藤紅緑と戯曲「キリスト」

 

  佐藤紅緑は、一八七四年、青森県に生まれた。津軽藩の下級藩士であった彼の父親弥六は、江戸末期に蘭学を学び、

明治維新後、慶応義塾に学んだ地元の名士の一人であった。この佐藤の父親は、青森県に初めて漢訳聖書を売り広め

た人物と言われるが、佐藤が青年期から聖書を読む機会を得ていたのもその家庭環境の影響によるものなのかもしれ

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ない。

  佐藤は、一八九三年に、青森県尋常中学校を中退して上京し、陸羯南の許に身を寄せ、彼の経営する日本新聞社に

入社する。この時期、佐藤は正岡子規と出会い、彼から俳句を教わっている。その後、佐藤は、様々な新聞社で働き、

政治活動にも関わったが、一九〇一年秋、報知新聞社を退職後、友人の紹介によって、一番町教会で植村正久に出会い、

彼からキリスト教を学んだ。この時期、佐藤は、月給二十円の薄給で、『福音新報』の編集に従事しているが、それ

は、植村に対する彼の心酔が相当のものであったことを示している。佐藤は、後に周囲のキリスト教信者の人間性に

失望を覚えて教会から離れたが、彼は植村の許を去ってからも、彼への尊敬の念を生涯失わなかった 。一九二五年に

植村が亡くなって後、八巻からなる彼の全集が刊行されたが、佐藤も「植村先生と文章」という一文を月報(第八巻、

一九三四年)に寄せており、この文章で「一意専心伝道に一生を捧げた先生の意志の力には実に敬服せざるを得ない」

と敬慕の念を披瀝している ((

  この『植村全集』が完結出版された時、佐藤は、日記(一九三四年二月十四日)に、次のような感想を書いている ((

  「植村全集の終編来る。計八編、目出たく完結す。

  八巻の遺稿を通覧するも、一夕先生の音 容に接するに及 かず。人と人と相接するや、筆紙に尽せぬ精神的の交感

あり、特に先生の如き迫力の強き人に於ては、一分間の対座も千万巻の書に勝らん。キリストに接せし使徒、孔子

に接せし使徒、釈迦に接せし使徒は幸なるかな。

  感謝す。余は植村先生に親炙せる事を、子規先生に親炙せる事を、羯南先生に親炙せる事を。

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  暁まで天使と格闘したヤコブの意気を以て一貫したる人は植村先生なり。

  植村先生は日本的の牧師なり、武士的の牧師なり。」   このように、植村正久は、佐藤にとって、陸羯南や正岡子規と並ぶ、掛替えのない人生の師であった。娘の佐藤愛

子の回想によると、佐藤は家庭内でこの三人にたいする尊敬の念を常々語っており、彼に偶像視された植村は、「神

さま」のようにみなされていたという ((

  ただ、佐藤が、このような敬愛の念を持つにも拘わらず、植村から離れざるをえなかったのは、彼が植村の福音主

義的信仰を信じることができなかったという理由も大きかったのであろう。このことは、彼の「キリスト」劇が、後

にみるように、キリストの神性に対して、全く関心を寄せるものではなかったことからも明らかである。 

  佐藤は、植村の許を辞した後、いくつかの新聞社を渡り歩き、また、俳句の選者としても活躍したが、一九〇六年

に執筆した「侠艶録」によって劇作家としてのスタートを切った。この作品で成功を収めた彼は、新派劇の作品を多

数生みだし、また新聞小説にも取り組んで、人気作家としての地位を築いていった。

  佐藤が、「キリスト」劇を発表した一九二七年は、一世を風靡した彼の長編少年小説『あゝ玉杯に花うけて』の連

載が『少年倶楽部』で開始され、彼の新方面での活躍が始まった時期のことである。この当時、佐藤が文壇内で受け

ていた評価に関しては、中村武羅夫の言及が参考になるが、彼は、その著名な評論「誰だ?  花園を荒らす者は!

︱イズムの文学より、個性の文学へ︱」(『新潮』一九二八年六月号)で、佐藤の名を菊地寛とともに挙げ、この二人

をブルジョワ文学者とみなして批判するプロレタリア文学陣営からの評価を不当なものとし、彼らを人道主義に立つ

優れた文学者であると賞賛している ((

(7)

  佐藤の戯曲「キリスト」は、そもそも彼自らが執筆を思い立って制作されたものではなく、澤田正二郎が、新国劇

一座による上演作品の脚本を依頼するために佐藤を訪ねた時に、たまたま佐藤の話題に出したドイツのキリスト受難

劇に関する感想が、澤田に感動を与え、キリストを主人公とする戯曲の執筆を佐藤に依頼したのがきっかけであると

いう ((

  澤田は、「キリスト」の上演の際、次のような抱負を語っている ((

「私は元来キリスト教も知らなければ仏教も知らない。従って浄土も天国も知らない。しかし唯一つ地獄だけは知っ

ている。だがこれこそ、実に浄土を知り天国を知ることではあるまいか。その意味で、私はこの際改めてキリスト

教を研究する必要を感じない。ただ、私自身いかにして劇界のキリストたらんとするか、この心のみである。そし

てこの心こそ一切をリードする光ではあるまいか。」

  この一文から推測するに、澤田は、キリストが人々のために殉じる姿に共感し、演劇界の革新のために奮闘する自 己をキリストに投影していたように思われる ((

。少なくとも、澤田が佐藤に期待したキリスト劇は、キリスト教の教理

内容とは関連しない「キリスト」劇であったことには間違いがない。

  佐藤は、澤田から脚本の依頼を受けた時、多忙のために気乗りがせずに断ったが、その日の夜、エルネスト・ルナ

ンの『イエス伝』の「墳墓におけるイエス」を読んだ後、「キリストに関して、多年鬱積した」創作欲を覚えて、俄然、

作品に取り組む気持ちになったと書いている。きっかけこそ外在的なものではあれ、彼はこの作品の執筆にあたって

内発的な衝動に駆られるものがあったのである。

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  映画会社の顧問をつとめていた佐藤は、一九二三年二月から十一月まで、外務省嘱託として、映画研究のために外 遊する機会があったが ((

、その滞欧中、オーバーアマガウのキリスト受難劇に接し、その劇のキリストの描き方に不満

を抱いた思い出が、彼の創作意欲を掻き立てたと語っている。南ドイツの小村オーバーアマガウのキリスト受難劇は、

十年ごとに一度、百日以上にわたって開催されるものであり、現在でも多くの観客を世界各国から集めている ((

  しかし、一九二三年にヨーロッパに滞在した佐藤が、一九二二年に上演されたオーバーアマガウの受難劇をみるこ とは不可能であったはずである ((

。ただ、彼は、ベルリン滞在中に、キリスト劇を見る機会をえたと書いているので、

少なくとも同地で何かのキリスト劇に接し、その劇をオーバーアマガウの受難劇の再演と思い込んでいたのかもしれ

ない。

  ともあれ、佐藤は、ドイツで観劇の機会をもったキリスト受難劇に対して、福音書をそのまま舞台に移したような

物語展開に物足りないものを感じ、また、劇中のキリストがあまりに女性的なことに反感を覚えたようである。彼は、

その劇のキリストの描き方に関して、次のような感想を書いている ((

「私はキリストを極めて偉大な男性的な人間と思うている、然るにこの劇は極めて柔弱な女性的な人間に取り扱っ

ている。キリストは母を見ては泣き、マグダラのマリヤを見ては泣き、十字架を負うて町を引廻される時にも意地

も我慢もなく疲れきって泣き顔をしている。これは東洋人たる私、男性賛美の私に取っては耐え難き苦痛であった。

私は敢然として十字架につく凛然たるキリストが見たかったのである。この劇が宗教宣伝の意義と通俗教化の意義

を有しているだけに、私はなお更そう考えた。

  その夜、私は日記にこう書いた。キリストは東洋人でありながらその宗教は東洋にのびずして西洋にのびた、西

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洋人に育てられ西洋人に洗練せられたキリストの姿が女性的になったのは止むを得ざる事であろう、若しこれが東

洋に伝わったなら、キリストは別方面が紹介されたであろう。」

  このような感想をドイツのキリスト受難劇に対して抱いた佐藤は、自身の戯曲「キリスト」では、創作的要素を多

分に含めて物語を展開させているが、その聖書に囚われない創作姿勢は、一部のキリスト教徒の反発を招くことにも

なった。彼は、新聞連載時に、自作の「キリスト」劇に関して受けた批評に関して、以下のように八点に分けて紹介

している。

 ①  キリストに題材にして作品を書くのは冒涜である。

②  キリストを俳優に扮せしめるのは、冒涜である。

③  天国は、キリスト教の目標である。それなのに、作者は何故天国を切実に説かないのか。

④  キリストの使徒達の言動が下卑すぎている。

⑤  福音書を勝手に改竄しているのは不遜である。

⑥  作者は、聖書に囚われずに、創作的勇気をもって、脚本を制作すべきである。

⑦  ユダの扱いが、福音書と異なりすぎている。

⑧  墓場において、キリストの復活を見たのは、マグダラのマリヤ一人だけなのはおかしい。

  ①と②の批判は、キリスト教信者の中からでてきたものであろう。これに対して、佐藤は「私は両者の敬虔な信仰

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を尊敬するが、余りに盲目的な頑迷に陥っていることを悲しむ」と答えている。

  ③の批判に関しては、「私の立場からいうと、天国の存在と否とは問題でない、私はキリストを見詰めればいいの

である。私は天国の風景を写生しようとは思わない、キリストという人物を描きたいのである」と答えている。戯曲

のタイトルこそ「キリスト」であるが、佐藤にとって関心は、「人間イエス」にのみ向けられていたといえよう。こ

のことは、以下の彼の文からも明らかである。

「キリストの説いた天国とは、どんなものであるか、キリストの教理が、果たしてどんなものであるか、それらの

議論に至っては、宗教家や哲学者に一任して可なり。私はただここに愛の絵巻物を展げたい、愛の群像を描きたい。

すべての理屈を抜きにしても、愛の結晶だけは抜くことが出来ない。愛する者のために死んだのは、事実である。」

  ④、⑤、⑦と⑧の批判は、佐藤が福音書の内容を勝手に変更している点を咎めたものである。逆に、⑥のような作

者の創作的努力が足りないという批評は、むしろ非キリスト教信者の読者の中から投げかけられたものであろう。後

者の批評に対して、佐藤は自分の「キリスト」劇には創作的要素が十二分に含まれているのであるから、このような

批判を行う者は聖書を読んだことがないのだろうと一蹴している。ただ、当時の劇評を見る限り、佐藤が、聖書から

自由に創作的努力を果たしている点を認めながらも、なお彼が「伝統に囚われ過ぎて」いることを遺憾としている批

評が存在することも事実である ((

  それでは、佐藤は、どのような点において、福音書に自己流の解釈を加えていたのであろうか。佐藤は、英訳、漢

訳、日本語訳の様々な聖書に親しんでいた人物であったが、日本語訳の文体に関して、当初、「絢爛たる美文」と評

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価していたにも拘わらず、年を経るにつれて、「大袈裟な鹿爪らしい気取った美文」と思うようになったと、その翻

訳に対する評価の変化について語っている。

 「元来私は福音書について大きな疑いをもっているがそれは今いう事を避けよう(中略)私は若い時に英語のバイ

ブルを読んだが一向面白くなかった。それから支那訳のバイブルを読んで少し面白いと思った、次に日本訳のを読

んだ時、その絢爛たる美文に感服した。ところが年を経るに従って日本訳の大袈裟な鹿爪らしい気取った美文は堪

らなくいやになった、そうして漢訳の方が正確であり措辞が簡潔であると思い、更に英文を読み直して見ると、矢

張り英文が一番立派だと気が付いた。日本の文章家が聖書をものものしくしたのは良き方法とは思えない。」

 

  ただ、この聖書の翻訳文体に対する彼の違和感は、「福音書の言葉が日本人の耳に合わない」という彼の感想とは

別に、聖書中の人物に対する彼の見方の変化ともつながりをもっていたように思われる。彼は、使徒たちに関して、

次のように書いている。

 「私は福音書で見る様な美文的な言葉で使徒達が生活していたとは思えない。どうせかれ等だってろくな人間では

なかったのだ、われわれと何の異なる処がない。キリスト存生中は、どれもどれもぐらぐらしていた、ペテロにし

ろ、ユダにしろ。詰まりわれわれではないか、かれ等が本当の信仰を得たのはキリストが死んでからである。」

  このように、佐藤は、聖書に疑問をもちながらも、自身の「キリスト」劇における聖書内容の改変に関しては、「冒

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涜も顧みず」、「非常に怯々した気持」で行ったと書いている。しかし、彼が、自己の解釈に立つ「キリスト」劇を世

に問うことのできたのは、また、彼が自身のキリスト観に自信を抱いていたからであろう。

  その佐藤が描くことを試みたキリスト受難劇は、「愛の絵巻物」としてのそれであった。彼にとって、キリストも

彼の弟子たちも、愛のために行動し、そして殉じた人々であった。

 「私は私の見たるキリストを強調して書いたに過ぎない、私は「愛のキリスト」を紹介する忠実な作家でありたい。

キリストに対する観察や批評は百人百色であろう、知のキリスト、情のキリスト、意のキリスト、立てるキリスト、

坐れるキリスト、側面、背面、その一部分を見ただけでも全キリストがわかる、多くの方面の中で私はかれの「愛」

を取った。

  どんな抗議者でも、亦どんなにキリストの他の部分を抹殺しようとする学者でも、キリストが人類を愛し、神と

人との聯絡者たる使命を帯びて生まれて来たものだというかれの信念を遂行すべく、十字架に向かって突進したか

れの男性的な犠牲に対しては無条件で賛美せざるを得ないであろう。」

「ユダの愛は師を殺すまで強い愛である、キリストの愛は人に殺されるまで強い愛である、マリヤの愛は死んだ人

が蘇生したのを見るほど強い愛である。ペテロ、ヨハネ、ヤコブその他の人々の愛は死んだ人の精神を伝えるため

に一身を捧げたほどの強い愛である。大小の愛が犬牙錯綜してここに偉大な愛のハーモニーをなす、キリストの一

生は愛を以て一貫している。」

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  ここで語られたように、佐藤の「キリスト」劇は、キリストとその周囲の人物を巡る愛のハーモニーとして描かれ

ることになったが、この戯曲で特に特権的な扱いを受けていたのがユダとマクダラのマリヤであり、この両者はキリ

ストに対して強烈な愛情を抱く人物として登場する。

  ⑧の批判(マグダラのマリヤのみがなぜ、キリストの復活に接したのか)に関して、佐藤は、次のように書いている。

「神経質であり、且つキリストに対する情熱燃ゆるが如きマリヤがキリストを見たことは肯定の出来る話だと思う。

私はそれをマリヤ一人にして置きたい、たとえそれが幻象にせよ、マリヤによって伝えられた愛の幻象が、甲から

乙へ、乙から丙へ、遂に全世界を動かしたということは取りも直さずキリストの復活である。」 

  佐藤は、マグダラのマリヤによるキリスト復活の目撃に関して、ルナンと同様の解釈を取っている。彼は、キリス

トの復活を福音書記者のように信じてはおらず、マグダラのマリヤの「幻象」と解釈するゆえに、彼女一人の「目撃」

とする見方をとったのであろう。

  ⑦の作品中のユダ解釈に対する異議に対して、佐藤は、近代以降、ユダの人物像に関して様々な解釈がおこなわれ

るようになったことを振り返りながら、「これという根拠もないが私は昔からユダが誰よりも一番深くキリストを愛

していたのだと思っていた」と語っている。もっとも、佐藤は当初ユダを嫌っていた人物であり、その見方を改めさ

せたのは植村正久であった。佐藤の回想によると、彼がユダに対する嫌悪を語った時、植村はロバートソン・ニコル

の『基督伝』を持ち出し、佐藤に「それを読んで見給え。ユダだって我々同様可 愛そうな人間だよ」と語ったという。

それまで悪人に対し、単純に非難を向ける対象としてしか考えなかった佐藤は、「先生のユダ観によって私の固陋な

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眼が開かれた」と述懐している ((

  それでは、「十二使徒中一番師を愛した」という佐藤によるユダの解釈は、どのようにして生まれたのであろうか。

私見では、この佐藤のユダ観には、植村正久の許を去った佐藤自身の心持が幾分反映しているのではないかと思われ

る。植村を「裏切った」佐藤は、自責の念を全く覚えなかったわけではなかったであろうが、しかし、植村を尊敬す

る念の強い彼は、それを単なる植村への裏切りとも認めがたかったに違いない。このような彼にとって、ユダのキリ

ストに対する「裏切り」は、過去とは次第に別様にみえてきたのではないであろうか。ユダの「裏切り」をキリスト

の愛ゆえだとするその解釈は、恐らく、佐藤にとって、過去の自分を救済するという個人史的な要請からも求められ

たものでもあり、作中、ユダが佐藤によって共感をもって描かれたのもその所以である。

  このように考えると、この劇において、キリストが「男性的」に描かれたのも、ユダ以外の「使徒」達が平俗に描

かれていたのも、一つには、佐藤の『福音新報』編集者時代の体験が作品世界に盛り込まれていたからであると理解

が出来る。われわれが見た通り、植村正久は、佐藤にとって、「天使と格闘したヤコブの意気」をもった「武士的の牧師」

という男性的で、「神さま」に等しい人物であった。この点からいっても、「キリスト」は、植村と同様に、佐藤にとって、

劇中、「女性的」に描かれてはならなかったのである。そして、植村の周囲の信者に対する反感から教会を去った佐藤が、

ユダを好まない他の「使徒」らを高尚な人物として描くことができなかったのも必然であった。このように佐藤の「キ

リスト」劇は、彼が理想とするキリスト像を語ると同時に、彼の『福音新報』時代の体験が生かされたものであった

といえるであろう。

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    二   戯曲「キリスト」の内容

  佐藤の「キリスト」劇は、五幕十二場からなっている。登場人物は、キリスト、マリヤ(作中ではキリストの「母」)、

十二使徒、マグダラのマリヤ、ピラト、ヘロデ王、サロメなどである。登場人物の名前は、一部の例外を除き、大部

分聖書に拠っているが、その人物像は、作者によって造形されたものである。

 序詞  アラビヤ砂漠のオアシス 第一幕   ヘルモン山麓 第二幕   第一場   エリコ村農家       第二場   ヨルダン河畔 第三幕   第一場   ヘロデ王宮殿          第二場   棕櫚山 第四幕   第一場   エルサレム市外

      第二場   最後の晩餐 第五幕   第一場   総督邸前       第二場   ゴルゴタへの道       第三場   十字架       第四場   復活

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 序詞   東方の三博士(それぞれ黒衣、赤衣、緑衣を着用している)が星を目標にアラビヤの砂漠で旅を続けている場面。

黒衣の博士が、「どこまで行っても同じことだ。私はもう帰りたくなった」と弱音を吐くところから、この劇は始まる。

理想を追うことをあきらめかけているこの黒衣の博士とは別に、天上のものに期待を寄せる赤衣の博士と、地上の王

の誕生に期待を寄せる緑衣の博士の間で議論があるが、とにかく三人で光を見つけに行こうというところに意見が落

ち着く。

  第一幕   「まている」場面から始る。をその中で、ユダ一人が仲しとキがリストの使徒の面々先こ生がいないので勝手な間

から外れて、銭勘定に没頭して会計の心配をしている。キリストが山上の祈りから戻って、弟子達に信仰が足りない

と説教をする。「放蕩息子の帰還」の説教や、自分が十字架に架けられること、その三日後に復活することが語られる。

  姦淫の罪を犯した廉でマグダラのマリヤが役人に追われているところをキリストは助ける。

  村民が、キリストの弟子たちの許に病人を連れてきて、奇跡による治療を願う。彼らは奇跡を行うとするがうまく

いかない。村人達が詐欺師の集団だと怒りをぶちまける中、キリストが現れて、病人たちに奇跡による治療を行う。

  キリストを異端者であるとみなした代官が、サドカイ派やパリサイ派の学者を連れて、彼を捕縛にくる。キリスト

と学者の間で、律法問答が行われる。奇跡を実行せよとの命令を拒絶したキリストに対し、代官は兵卒に命じてキリ

ストを捕えようとする。弟子たちは抵抗するが、キリストは、彼らに争うなと一喝し、その場から立ち去る。代官や

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兵士らは、その威厳に圧倒されて見守ることしかできない。

  第二幕   第一場   エリコ村の農家の場面。百姓仕事を手伝っている弟子達が、キリストについて、話し合っている。弟子たちは、各々、

キリストに関して、奇跡を行う人であるから、地上の王になる方だから、知恵がある人だから、世界の革命者になる

人だから、などと好きな理由をあげあい、自分達の中でキリストを一番好きなのは自分であるという議論で言い争い

になる。

  税金を払えない百姓が役人に引き立てられていくのをみた母マリヤが、税金を立て替えて、彼らを助けることをユ

ダに頼みこむが、彼は、貯金が枯渇したため、キリストが奇跡を行わない限り、それは不可能だと断わる。弟子らが

キリストに奇跡を行うことを望むが、キリストはそれに応じず、彼らが霊魂の奇跡を見せないうちは、奇跡を行わな

いと答える。 

  前場でキリストを捕らえようとした代官が再びやってきて、キリストがユダヤ人の王に相応しい人物であることを

語り、彼に決起を促す。しかし、キリストは、この呼び掛けを退ける。キリストの弟子らは、みなキリストに地上の

国王になっていただくことが望みだというが、キリストは、「神の国」を望まない弟子達に失望の念を述べる。キリ

ストの弟子の多くが彼を見限って離れていき、四十人のうち十二人が残る。

  マグダラのマリヤが、キリストに愛情を示し、その愛情に応えることをキリストに求める。これに対して、キリス

トは、マリヤが肉の愛ではなく、霊魂の愛をもって自分を愛することを望む。

(18)

  代官に使嗾された村民達が、キリストを殺害しようと襲ってくる。村民を前にして、キリストは説教を行ない、彼

らは気を阻喪する。この状況を見た代官は、命令に従う村民に報奨金を出すことを語り、村民の心は動揺する。代官

は、自分の兵卒にもキリストの捕縛を命じるが、そのため、現場が混乱状況になり、村民と兵卒の間に同士討ちがお

こなわれる。この間、キリストは、黙祷を行ない、無抵抗の闘争を行う。

  母マリヤが、決死の覚悟でキリストを引き連れて、この現場から逃がそうとする。

  第二場   騒動から免れたキリストや、傷だらけの弟子たちがヨルダン河畔で、休息をとっている。キリストは、兵卒に抵抗

をした弟子たちに対して信仰が薄いと批判する。

  キリストと今まで同行してきた母マリヤは、キリストに対し、ナザレに戻って、自分と二人で平穏に暮らすことを

望む。キリストは、神の命を受けた自分は、母と子の縁よりも、神の仕事をなすことが重要なのだと諭す。この答え

に、母マリヤは大いに悲嘆する。

  税金を支払えない村民が、兵卒に引き連れられていく姿をキリストは見守る。弟子がやってきて、周囲で兵卒がキ

リストを捕えようと待ち受けていることを知らせる。

  キリストは、弟子たちにエルサレムに行くことを呼びかける。母マリヤにナザレに帰ることを勧めるが、彼女は、

以後もイエスと同行することを望む。一同、エルサレムに向かう。

(19)

  第三幕   第一場   ヘロデ王の宮殿。ヘロデ王の赤子が、同年同月に生まれた他の子供により殺されるという占い師の託宣の出たこと

が、ヘロデ王と妃の間で問題となり、部下にこの時期に生まれた赤子を総て殺すことを命じる。

  宮中にまでキリストを歓迎する民衆の大きな声が聞こえてくる。キリストについて何も知らないヘロデは、臣下に

彼のことを問いただす。丁度、ローマの総督ピラトが宮殿にやってきて、王に対策を求める。ヘロデの臣下の間では、

キリストに関して、王位簒奪を図る反逆者とみなすものもあれば、神のメシヤにふさわしい人格者とみるものもあり、

その対応に関して様々な意見の対立がある。ヘロデは、それぞれの意見を聞くも、対処をきめることができず、娘の

サロメに意見を求める。前年、ヨハネを断首にさせたサロメは、愛情対象であった彼を失ってしまったがため、無感

動の状態に陥り、大いなる不可思議にしか興味をもてない。キリストが死後、生き返るという話を聞いた彼女は、興

味を覚えて、キリストの処刑を求め、王はその処分を決定する。

  宮中が歓楽の騒ぎのさなか、臣下が現れ、王の赤子と同年に生まれた子供たちを、王の赤子も含めて全て処刑した

ことを知らせる。王と王妃はこの知らせに驚愕し、この情景をみたサロメは、不思議を見たと狂人の如く笑いこける。

  第二場   キリストがオリーヴ山上で月光を浴びながら、一人で黙禱を続ける場面。

  第四幕

(20)

  第一場   エルサレム郊外の民家。弟子たちは、ユダの才覚を認めつつも、彼が吝嗇であることを非難する。この非難に対し、

ユダは、キリストのためにこそ自分は必死に節約にしているのだと反論する。キリストが現れ、自分の心を理解しな

いユダを叱責する。マグダラのマリヤは、自分が愛しているようにキリストが自分に愛情を向けてくれないことを嘆

き、彼を独占するためには、彼を殺すしかないことを漏らす。彼女の一時的な戯言を耳にしたユダは衝撃に打たれ、

キリストを売ることを決意する。

  第二場   最後の晩餐。席上で、キリストは、弟子たちの足を洗う。

  キリストは、この席の中で、自分を売るものがいること話す。ユダは、項垂れながら、席をたって、部屋から退出

する。キリストは、弟子たちに最後の説教をする。

  ユダが再度現れ、キリストに接吻する。兵卒が部屋の中になだれこみ、キリストを捕える。

  第五幕   第一場   ピラトの邸宅前に多くの群衆が集まり、キリストの裁きを求めている。ピラトは、キリストに罪はないと考えるが、

元祭司長が現れ、キリストを侮辱し、群集の喝采を浴びる。

  一兵士がペテロを群集の中から引き出し、彼に対して、キリストを知っているかどうかを問う。この問いに対して、

(21)

ペテロは三度、否認する。キリストと顔を合した彼は、群集の中に退く。

  群衆は、キリストを十字架に架けろと引き立てていく。ユダを見かけたペテロは、キリストを売ったことに対して

ユダを責めるが、彼はペテロに対してお互いさまだと答える。

  第二場   ゴルゴタの丘への道行き。

  第三場   十字架を背負ったキリストを見かねて、百姓シモンが十字架を背負う。

  一行を見守っているユダは、元祭司長からお金を受け取る。そのお金を無意識に受け取ったことに気がついた彼は、

その財布を地上に投げつける。しかし、慌てて、それをかき集め、この場から立ち去る。

  群集の罵倒を浴びたり、母マリヤがすがりついたりするなか、キリストは歩んでいく。

  キリストは、十字架に架けられる。

  第四場   キリスト復活の場面。キリストの埋葬された墓地で、兵卒が警備に当たっているが、陽気のために眠ってしまう。

マグダラのマリヤが現れ、墓の中に入って、キリストの姿を確かめようとする。墓の外に出てきたマリヤは、キリス

トと出逢う。

(22)

  駆け寄ってきたマリヤに、キリストは自分に触らないようにいい、弟子たちに見たままのことを話すように諭す。

  キリストは消え去るが、復活に立ち会ったマリヤは、彼が本当の愛を教えてくれたことに感謝する。

  最後に、冒頭に出てきた三人の博士が再登場して、キリストが愛の光を見せてくれたことを確認し、手持ちの蝋燭

を吹き消すところで幕が閉じる。

    三   戯曲「キリスト」の上演と批評

1   「キリスト」の上演

  この作品の初演は、澤田正二郎が座長を務める新国劇一座によって、東京の本郷座で、一九二七年十二月二日から

二十二日まで上演されたが、この初演は、劇団始まって以来の不入りで、連日、五、六十名から、二、三〇〇名程度の

入りだったといわれる ((

。もっとも、初演が不成功に終りながらも、後に再演を行っていることが見て、劇団側には出

来栄えに相応の自信があったのであろう。エキストラの数は百人に及ぶ大がかりなもので、一座の意気込みも強く、

劇員は、初演の初日前には、朝から夜まで練習に励んだといわれる ((

。この劇に出演した島田正吾は、後年、この劇な

どの当時の作品を「素晴らしい舞台だった。いま誰が、あれほどの佳い仕事ができるんだろうか」と回想している ((

  商業劇団を運営する澤田によって、「キリスト」劇の上演が取り組まれた事実は、彼の個人的な関心とは別に、興

行の成算を事前に見込めることができたことを示している。恐らく、その上演の背景には、「キリスト教」文化が、

演劇や映画を通して大衆レベルにも浸透し、日本人に身近なものとなりつつあったという社会状況の変化が大きく関

わっていたのではないだろうか。大正期には、松井須磨子が主演を演じたことで有名なオスカー・ワイルド作の『サ

(23)

ロメ』の上演が、成功を博していた ((

。これは、劇中のサロメの官能的な踊りが評判になったものであり、キリスト教

的な主題とは無縁のものであったが、新国劇の関係者にとっては、先行する一つの「キリスト教」劇として念頭にあっ

たことに間違いはない ((

。佐藤紅緑が、ヘロデ王の宮殿を舞台にした第三幕第一場でサロメを登場させたのも、サロメ

劇の成功にあやかるところがあったのであろう ((

  また、当時、欧米のキリスト教映画が日本にも折に触れて輸入され、これらの作品が、キリスト教関係者のみならず ((

、非キリスト教徒の観客にも熱心に鑑賞されていたという事情も見逃せない ((

。島田正吾は、自身の役柄の扮装に

セシル・B・デミル監督の映画『十誡』(一九二三年製作、一九二五年日本公開)のモーゼを参考にしたと書いている ((

。また、カトリック雑誌の『声』に掲載された「キリスト」劇の評には、「何れも外国映画の大掛かりなものをし

ばしば見ている目では、誰の目にもあきたらないのは当然である」との一文があり、この劇作品が同時代者に西洋の

キリスト教映画と比較されて受け止められることのあったことを示している ((

。これらの事例は、演劇や欧米のキリス

ト劇映画の影響下のもとで、この「キリスト」劇の一般公演が可能となる状況が日本に生まれていたことをうかがわ

せるものである。

  この「キリスト」劇は、上演時、観客から活発な反応を引き出すことに成功していたようである。観劇当時、劇作 家を志望していた若き日の北條秀司は、「「キリスト」はおもしろかった」と回想している ((

。大阪の浪花座で、鑑賞し

ていたトマス・サッチェル(『ジャパン・クロニクル』紙副編集長)によると、観客は、概して静かに鑑賞していたが、

時折、役者の名前を呼んで喝采したという。

  なお、サッチェルは、劇の冒頭部における赤衣の博士のセリフに体現されているような ((

、劇中人物の発する急進的

な主張が、特に観客に受けていたことを指摘している ((

。事実、ヘロデ宮殿の舞台(第三幕第一場)で、キリストを支

(24)

持して、彼に対して刑罰を行うことへの不当を訴える「アリマタヤのヨセフ」(この戯曲では、ヘロデ宮殿の元老の一人)

を演じた島田正吾は、「革命はいつの時代にも必要である。革命の気運は社会進歩の気運である

!!

」というセリフを 口にした時、客席には盛んな拍手が沸いて、彼は得意な気持ちになったことを回想している ((

。このような観客の積極

的な反応は、プロレタリア文学や社会運動が盛んであった昭和初期の世相をうかがわせよう。

  なお、第二幕第二場で、母マリヤが息子のキリストに対してエルサレムに行くような危険を冒すことをやめて、故

郷ナザレの家に帰って母子一緒で穏やかに暮らすようにしてほしいと懇願する場面があるが、サッチェルの記事によ

ると、この場面では明らかに観客の同情がキリストよりも母マリヤに向けられていたという。これは、母親の願いを

拒絶するキリストに対して、孝行を重んじる日本人一般の心情が受け付けなかったことを示している。また、劇作面

からいっても、佐藤の「キリスト」劇では、キリストが何故に十字架にかけられるためにエルサレムに行くのか、聖

書知識を持たない観客に対して説得的に示すことに成功していなかったことが、彼らの反応から明らかである ((

  キリスト教徒には、この劇から感銘を受けていたものが少なからずいたようである。賀川豊彦は、第三幕第二場の ゲッセマネのキリストの祈りのシーンは感激的であり、他の観客も彼と同意見であったと書いている ((

。また、賀川は、

彼の友人が観劇後に泣きながら帰っていったことや、ある老牧師が、キリストが十字架に架けられる場面では、自分

が舞台に登って十字架を代わりに担ぎたかったという感想を述べていたことを紹介している ((

 

2 「キリスト」の劇評

  冒頭に紹介したように、この戯曲「キリスト」は、作者の佐藤が驚くほどの多くの批評を受けることになった。以

下、この劇が上演時にどのような評価を受けていたのかを見ていこう。

(25)

1  「キリスト」の一般的評価   上演時の劇評を見て気付かされるのは、多くの批評家が、この作品が、宗教宣伝の劇ではないと口を揃えて評価し ていることである ((

。このような感想が見られることは、このキリスト受難劇を鑑賞時、評家の間に宗教劇一般に対し

て否定的な予断があったことを示しているが、その時、彼らにとって宗教宣伝を目的とした演劇の典型として念頭に

あったのは、毎年十月に行われる日蓮劇であったようである。このような反応は、特定の宗教を奉じない一般の日本

人が、教派的な宣伝に対してしばしば抵抗感を持っていたことのあらわれであろう。

  佐藤・澤田の「キリスト」劇に対し、このような宗教宣伝劇ではない点に価値を認める評価は、彼らが通俗的にで はあれ ((

、自由に作家精神をもってキリスト劇を生み出したことへの賞賛につながった。ある評者(帆足理一郎)は、

この点に関して、「破天荒の試みではあるが、却って、キリスト教の伝統に囚われる必要のない我国の劇壇において

こそ、こうも思い切って作者の観るキリストの一面を自由に描き出すことができるのだと、感服せざるをえなかった」

と書いている ((

  もっとも、この劇に対する批判が評者から行われていなかったわけではない。上演時間が長すぎる、ヘロデ王の宮

殿の場面が他の場面と異質すぎる、または、演劇全般に聖性が欠如している、などの様々な不満が提出されている。

また、ユダのキリストに対する裏切りが、マグダラのマリヤの一時の放言に影響されたものとする描き方や、マグダ

ラのマリヤ一人にキリストの復活を立ち会わせる演出には、賛否両論がみられる。

  俳優の演技に関しては、主役のキリストを演じた澤田の好演(彼はイエスとヘロデ王の一人二役を演じた)を賞賛

するものが多い。キリストを演じながらも案外様になっているという感想は、「キリスト」劇に懐疑的だった評家にとっ

(26)

ても、その出来栄えが意外性をもって受け止められたことを示しているが、イエスよりもヘロデ王の方が澤田の演技

は光っていたという指摘もある。また、劇評では、ユダ役(中井哲)の好演の好意的批評が目立つが、マグダラのマ

リヤ(山路千枝子)に関しては、「モダンガール」のようであるとの評が散見され、女優の技量の不足を惜しむ評が多い。

2  キリスト教徒の批評    単行本『戯曲:キリスト』に所収された劇評には、三人のキリスト者(賀川豊彦、西内天行、帆足理一郎)の批評

が収録されているが、彼らはともにこの上演を好意的に評価している。劇の内容を批判しようとすればいくらでも可

能であったに違いないが、キリスト受難劇が一般大衆に向けて公演された点に関して、彼らは積極的な意義を認めて

いたのであろう。

  賀川豊彦は、観劇時に最後の二幕をみることができなかったが、劇内容には「ある程度の満足を感じて帰って来た」

と書き、次のように評価している。

 「研究的にいえば、色々と問題になるところもあろうが、キリストについてあれだけの理解をもちあれだけの戯曲

化し得られたとすれば、まず成功であると考えなければならぬ。キリストの思想をあの短い文句の中にあれだけ生

かし得ることは、平凡な戯曲家には出来ない仕業である。時間の関係や、思想的発展についての経過をあの戯曲に

要求することは困難であろう。劇として、永久の「愛」と、刹那的愛の区別を明確に現したものとしては、戯曲『キ

リスト』は大成功である。」 ((

 

(27)

  カトリック教会でも、演劇に関心をもつ人間は、この佐藤の「キリスト」劇に無関心ではいられなかった模様であ

り、岩下壮一は、当時、連載発表していた公教要理の解説の中で、公演を鑑賞に行く宣教師のいたことを紹介してい

る。また、カトリック教会では、非キリスト教徒によるキリスト教劇に不快感を覚えていたものもおり、岩下による

と、あるカトリック信者が、キリストを演劇に取り上げた佐藤に対し、冒涜の所業であると難詰する手紙を送ってい

たこともあったようである。岩下自身は、上演を見に行ったわけでも、原作の戯曲を読んだわけでもなかったが、佐

藤の作劇談には目を通す機会をもち、佐藤によるキリストの主観的な描き方は問題外としながらも、その真摯な作品

への取り組みには好感を抱いたようである ((

。 

  カトリック教会の機関雑誌の『声』には、編集員の一人で、カトリック文学者でもあった藤井伯民の批評が掲載さ

れている。彼は、初演時にこの作品を観劇しているが、そのキリスト教に対する無理解な劇内容に対して、初演と再

演時の二度にわたって、批判的な劇評を発表した ((

。藤井は、「好漢澤田氏に依って我国最初の聖劇が試みられたとい

うことは、何としても感謝しなければならないと思う。又、見物がこの種の劇に対してかなり真面目な態度を持して

居たことは、将来の聖劇に大なる希望を与うるものである」と評価をしながらも、作中のイエスや、ユダ、マグダラ

のマリヤに対する扱いなどに関して、多様な点にわたって劇内容に批判を行っている。藤井の評価が厳しかった理由

の一つには、彼がこの「キリスト」劇を見ながら、ありうべき「聖劇」の理想像に思いを馳せていたからであろう。

特に藤井が反感を覚えたのは、作中のユダの扱いであったようであり、「私のユダは、あんな健康な快活な男ではなく、

反対に痩せた鼻の尖ったおどおどした何処か病的な暗い人間であるように感じている」と書いている。

  他には、北海道で発行されていた週刊カトリック雑誌の『光明』のコラムでもこの上演は取り上げられているが、

そこでは、この「佐藤さんはプロテスタントでも、カトリックでもなく、基督を神人と信じていないのですから元よ

(28)

りこの劇の基督様を私共は認められませんね。基督は真の神であって同時に神の人なんですから」と断りながらも、「と

もかく佐藤さんの基督劇で作者が狙った『愛の基督』が日本のおおくの人に真の神たる基督、絶対愛の托身なる基督

への道をひらく便りともなればいいでしょう」という意見が述べられている ((

  このように、佐藤のキリスト劇は、カトリック教会において、劇内容こそ問題にされなかったが、キリスト受難劇

が一般上演されたことに関して、様々な注意を引いていたことが確認できる。一九三一年に公開された無声映画『殉

教血史  日本二十六聖人』(日活太秦撮影所:監督池田富保)は、日本人のあるカトリック信者が個人資産を投じて

製作した作品であるが、当初、この映画の脚本製作者には、佐藤紅緑が名前を連ねていた。恐らく佐藤に脚本協力が

依頼されたのは、彼が「キリスト」劇の作者として実績のあったこととは無関係ではなかったと思われる ((

   

おわりに

 

  以上、本論は、この佐藤紅緑の「キリスト」劇の成立事情から作品内容、および、上演時の受容状況を一瞥してきた。

最後に、この佐藤のキリスト受難劇を、近代日本人のイエス観を探る試みを行ってきた笠原芳光氏の論考を援用して、

近代日本文学史の中に位置づけてみよう。笠原氏は、日本人のイエス観には、西洋のそれとは異なった独自なものが

あるという問題意識から、非キリスト者を含めて様々な日本人の思想家や文学者のイエス観を考察しているが、日本

人のイエスに対する関心は、正と負︱この関心の相違に価値判断は含まれない︱に分けることができるとする。正の

イエス観とは、「護教的、伝統的ないし正統主義的、またはイエスをポジティヴに評価しようとする」立場のものであり、

負のイエス観とは、「批判的、異端的ないし自由主義的、またはネガティヴに評価しようとする」ものである。

(29)

  笠原氏によると、イエスを取り上げた近代日本文学者の多くは、負の立場に立つものであるが ((

、佐藤の「キリスト」

劇も、「護教的、伝統的ないし正統主義的」な立場から執筆されたものではないという点をとりあげれば、負のイエ

ス観を抱いていた文学者の作品といえる。ただ、佐藤がキリストの活動に対して大きな共感をもって描いたという点

では、「ポジティヴに評価しようとする」一面も持っていたといえよう。

  また、笠原氏は、別の論考で、近代日本文学者を、キリスト教への関わり方の相違から、時系列的に三つに分類し

ている ((

。それぞれ、明治初期にプロテスタントに惹かれて入信し、後に棄教した文学者(島崎藤村、岩野泡鳴、有島

武郎など)、次に、キリスト教徒にはならなかったが、「キリスト教の教義、儀礼、教団、そして信仰といった問題を

とくにとりあげることなく、もっぱらイエスという人間存在に関心を持って、それを文学に表現しようとした作家」

(芥川龍之介、山岸外史、太宰治、石川淳など)、第三に、第二次世界大戦後に文学活動を開始し、棄教することなく

文学活動を続けているカトリックの文学者たち(島尾敏雄、遠藤周作、小川国夫など)であるが、佐藤は、作品の発

表期や、彼の問題関心の上から言って、「イエスという人間存在に関心を持って、それを文学に表現しようとした作家」

らと共通するところが多かったということができるであろう。

  注

(1)佐藤紅緑「観客に配布した私の独語」『戯曲:キリスト』新潮社、一九二八年、一三頁(以下、引用資料の表記に関しては、適宜、変更を加えたことをお断りする)。(2)高木健夫編『新聞小説史年表』国書刊行会、一九八七年、二三四頁。連載後の翌年五月、新潮社から、単行本『戯曲:キ

(30)

リスト』が出版された。同書には、佐藤の作劇談「観客に配布した私の独語」と、各新聞・雑誌類に掲載された同時代の劇評(「キリスト劇の批評」)が付録として所収されている。なお、この戯曲「キリスト」の第一幕「ヘルモン山脈」の場面は、一九二九年に刊行された大日本雄弁会講談社の『修養全集』第五巻(修養文芸名作選)に抜粋収録された。同『全集』は、講談社から一九八〇年に復刻されている。(3)単行本の『戯曲:キリスト』に所収された劇評の評者と掲載紙は、下記の通りである。三宅周太郎『東京日日新聞』、伊原青々園『都新聞』、本山萩舟『報知新聞』、西内天行『基督教世界』、高澤初風『東京毎日新聞』、馬場清唱『二六新報』、秋元柳風『時事新報』、田村西男『中央新聞』、帆足理一郎『萬朝報』、山本柳葉『やまと新聞』、中内蝶二『萬朝報』、原潤一郎『東京毎夕新聞』、賀川豊彦『芝居とキネマ』。また、同書には『ジャパン・クロニクルJapan Chronicle 』に掲載された同紙副編集長のトマス・サッチェルThomas Satchellの英文の劇評(“《 Christ 》 at Osaka: Sato koroku’s brilliant drama”, The Japan Chronicle, 25 January 1928)も収録されている。ただ、佐藤の戯曲「キリスト」の同時代評は、以上の文献に限られるものではない。(4)北條秀司「私の履歴書」『私の履歴書:文化人』第五巻、日本経済新聞社、一九八三年、四五八頁。(5)青森県近代文学館で、一九九九年に佐藤紅緑の特別展が開かれているが、この展覧会のカタログ『花はくれない︱佐藤紅緑没後50年特別展︱』(青森県近代文学館、一九九九年)は、彼の生涯を鳥瞰したものとしては最新のものである。なお、佐藤紅緑の著作集としては、生前、一六巻からなる『佐藤紅緑全集』(一九三六

集し教トスリキ本日代近て、と学のもため集を曲戯の連文『全一集秀のこが、るあが)年作八巻(九第一二』教文館、一 作り取も、ども上藤佐の者キは、」トスリ曲「戯の藤佐らげとれけ関教トスリキな的表代るおにいない。近代日本て文学 や(8)『日本キリスト教歴史大事典』(教文館、一九八八年)『世界日本キリスト教文学事典』(教文館、一九九四年)の項目には、・ 四八三頁。一九八〇年、四七九、 はて「にとっ説少年小紅」緑緑︱説解(紅藤佐一「官今7)と一何だ版、出ぷるほ巻、九第』系大学文童児本日『︱」かのたっ を持っている。ただ、佐藤愛子は、戯曲「キリスト」については触れていない。 い値価高著の表発てと」説小「は、作られれこの子愛藤佐6)(にさした伝的料資てし関にも事的記実緑紅藤佐が、るあでのの 。ている) あから、『うゝ玉に花ター杯ンセ書図本日に年〇〇〇二てけ少』、た『れ刻復て、し加追を巻一さめまを作二の』歌讃年と 収全てでめるものてをは、物作著の彼れこが、るいなはさく、てさは、版集全のこい(ないれ『収所は』トスリキ曲:戯れ −一版出らか社エリトアが)七三九

(31)

にも佐藤の「キリスト」は収録されておらず、解説においても言及されていないのが実状である。(9)佐藤愛子『花はくれない︱小説佐藤紅緑︱』講談社(講談社文庫)、一九七六年、七三頁。『福音新報』編集者時代の佐藤紅緑については、改めて別稿で論じたい。(

10)佐藤紅緑「植村先生と文章」『植村全集』第八巻、月報、植村全集刊行会、一九三四年、七

−一〇頁。

11)佐藤愛子『血脈』上巻、文藝春秋、二〇〇一年、五二五

−五二六頁。

( 12)同『花はくれない︱小説佐藤紅緑︱』、八九頁。

( 。書センター、一九九〇年、一一頁) 羅者すら荒を園花だ?夫『村武新中」う。ろだるえ言とは!』誰潮評社、図本日巻、五第書叢論』藝年(一文三〇九『近代 対ら更と、識認な統正るす現に理合不の織組会社の在積にな極的いいてれま含てしうどが、と求要の放解類人と、抗反な マルキシズムを信奉していない作家であるとしても、彼等の生活の中に、彼等の思想の中に、ど佐藤紅緑氏や菊地寛氏は、 氏しブを品作のそけ、附片てとジ家作アョジルブにち直ルョほこるなだ。のいな来出がとうアましてけ附片てしと品作を 13寛にっ立に場立な平公てし由も自てめ極く、如のどな私て、の池取菊や氏緑紅藤佐は、てっにの者るすとうよ見を実真)「

( 14)以下、本章における佐藤の発言は、断りがない限り、『戯曲:キリスト』所収の「観客に配布した私の独語」のものである。

15学信仰』講談社(講談社術ク文庫)、一九九四年、三三のッ)下この澤田の文章は、岩壮リ一の引用文による。『カト八

三三九頁。(

16)仲木貞一「澤田正二郎評伝」『演藝画報』第二二年、第一号、一九二八年、九七

−一〇四頁。

17小二二、︱』緑紅藤佐説︱)いなれくは花子『愛藤佐四

九八八一フ(エ Extrême-Orient Ecole Française dリの極東フランス学院エリセー・)の図書館に所蔵されているセルゲイ(セルジュ)ʼ( −二あ作五頁。なお、著者が本論の成たにパは、書原た二用てっい 三期リエ雄『保田倉た。っが時ーたいでい凌を口糊て、けセあエ公フ一年、七七九一)、書新四中』社(生涯の中央公論 使命し、同国の亡日本大仕館で通訳の事を引き受スにンらロ知ラれるエリセーエフは、シしア革命後の一九二一年、フて −一七が、に彼はに本のこる五あでて書蔵旧の)宛九ら石と者究研本日の門漱れる。あが辞献の藤佐た下

( めて同書を寄贈したのであろう。 −一頁。時なることがあり、そのの話謝礼の気持ちを込七に世恐年らく、佐藤は、一九二三の四滞欧時、エリセーエフの

『世紀末ウィーン文化探究』晃洋書房、二〇〇九年。ウ受難劇」 18ー西つに下記のものがある。村の雅樹「オーバーアマガオ一献バすーアマガウ受難劇に関る文文献は数多い。近年の研)究

(32)

( 九六 のっ語で品作を出い思のそいり、おてれ訪に物見も吉て時る。茂藤年、四九九一舎、沖』吉積藤ロ岡雄『ヨー武ッパの斎 ー年の受難劇には、当時、ウィ茂ンに留学中であった斎藤このた。ツ弊るドイれ国内の疲のにため、二年遅れて行わよ 19は、劇難受トスリキガのウ九マアーバーオの年二二来一本)一た戦敗の戦大界世次一第が、っ九あで予るれわ行に年〇二定

−九八頁。

( ストはむしろ男性的な演技をしていると聞くがと書いて、女性的なキリストと紹介する佐藤の記述に疑義を呈している。 20トア八年一月)は、オーバーマ九ガウの受難劇のキリカ二一リ「ック雑誌『光明』の記事(座)談欄」『光明』第六〇四号、

( 21)「キリスト劇の批評」『戯曲:キリスト』、一九頁。

( 想している。 は、のユダ」の章がある。佐藤当オ時、この書を精読したと回テリ年で醒社、一九〇一カ)あ(ろう。同書には、「イス警 22ニコル『基督伝』・柏井園の邦訳したロボルトソン九頁。植村正久が佐藤に紹介した著書は、、)佐藤紅緑「植村先生と文章」

、八『戯曲:キリスト』」「キリスト劇の批評」まい。そのクリスチャンが馬鹿にしてかかって居る。 試督基い。なこが生学期験学は校難)略中(い。なかゆに受で劇ばはまりあ味興はに人般一すねャらリスチクン見てやが か一い。な見ゆにてっ人思般目には面白い題でないから見うによかチるなり多いらしクリスい。ャすは基督の神聖を害ン 年一二月に一五日)二七「九一号、三九二二第』(界世の次劇よるが難非のとだ険冒はのすうに督を督基る。いてい書に教 23  『基西内天行は、一四八頁。この初演時の不入りの事情に関して、一九八四年、沢田正二郎』青英舎、)樋口十一『風雲児

−九頁。

24)中山楠雄「キリスト楽屋話」『芝居とキネマ』一九二八年一月号、一二

−一三頁。

( 25)島田正吾、秋山ちえ子(聞き手)『芝居ひとすじ』岩波書店、一九九六年、六六頁。

( 26)井村君江「大正期の舞台︱松井須磨子から浅草へ︱」『「サロメ」の変容︱翻訳・舞台』新書館、一九九〇年。

( 一九一三年)に、ヨカナーン(ヨハネ)役で出演していた。同上、一〇二頁。 27村ロ初めて演じられた「サメ手」劇の公演(帝国劇場、島での抱参月の結成した芸術座に加人した澤田正二郎は、日)本

( ︱佐藤紅緑没後50年特別展︱』、一二頁。 28佐て「サロメ」劇に出演しい一た。『花はくれないに後年、二藤の紅緑の後妻となる女優三九笠万里子(横田シナ)は、)一 四三二頁。一九八三年、五一、 をこたけ受を銘感び、運に足を映上の画映物教トスと記日全店、書波岩巻、五三第』集三キ鑑村内『る。いてし記にリのど 29ノ・リエリブガ』(スィデヴァォ・ク『年、晩は、三鑑村内ダ)ヌ一な)開公本日年六二九作、ツ製年四二九一督、監オィン

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