社会学伝来考 : 昭和の社会学(7)
著者 宮永 孝
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会志林
巻 56
号 2
ページ 134‑69
発行年 2009‑09
URL http://doi.org/10.15002/00021069
社会学伝来琴
ねず讃ざしの『原!↑考古学的剛究」(昭和鋤i〉は、噸姉時代の人縦がのこした巡物や迦跡をもとにして、かれらの牝会を附しようとしたものである。すなわち、原始社会を考古学的方法を川いて研究しようとしたものである。
梼識は昭和十二↑(一九三七}以後の耐鵬#にlこの作にⅢ
蕊i鐸i篝篝讓iiiii雲霧蕊藝111IH
昭和後期(昭和二十年代~同五十年代初頭まで)の社会科学文献(社会学の箸訳書もふくむ) 第六章編年史的にみたn本社会学社会学伝来考
I l昭和の社会学〔7]
露
ねず.まさし箸『原始社会一考古学的研究』。
〔Iil稲川大学中央図書館蔵〕
由来、〃原始社会〃を研究する力法は二つあったという。第一の方法は、
古代人ののこした神話・伝説・古文献などをⅢいて、原始社会を再現する
やり方。第二は、いま地球上で原始的経済生活(狩り、漁業、栽培)をい
となんでいる未柵人の社会を研究し、入滅の原始社会を両現しようとする
方法である。これは民俗学方法に他ならない。 小戦訓がおこり;日独Ⅲ防共協定が成立したl研究や執麺の、川をうばわれていた。が、秘かに本書の下がきを完成し、原稿を所蔵しておいたという。
宮永 孝
要するに、喜川と鳥井は、日本人の机先はアイヌだというのである。石器時代、日本列胤にはアイヌ人がすみ、古城時代になって,〃天孫民
族“が朝鮮方面から九州にやって来て、アイヌ人を東北へ追いやり、天皇国家をたてたというのである。このアイヌ説に反対のたちばをとったの
は坪井であった。一方、著者であるねず。まさしの説は、現代日本人の祖先というのは、古墳時代に朝鮮人と混血した者という。以上にのべたこ
とを表にすると、左記のようになるという。 篇日本の原鮒祉会と天皇鬮籔の成立lである. 薪者がこれら二つの力法に依拠せず、考古学的方法によったのは、考古学の巡物のなかにも、古代文字をしるした資料が多く発見されているからである。内容の概略は11序承原始社会の研究は考古学からはじめなければならない節一筋エジプトの原始社会と王朝国家の成立節二
第二繍の第三節は「日本人の起灘」について叙述されている.日本人の柧先l石器時代の人繍lに倒して関心がおこり濡発な討論がお
こなわれたのは明治時代であった。いったい日本人の先祖とはだれなのか。各学者はてんでんばらばらの意見をのべているが、日本人の先祖は
〃アイヌ〃だと考える人が多いという。
厩蒋日本人1古職人l現代日本人
し 喜川貞吉(一八七一~一九三九、明治から昭和期の歴史学巻、京大教授):………:………:川脇伽蔵(一八七○~一九而三、川胎から昭和川の考古学者、東大助教授、耐学院大、上将大教授)…・・・坪仲正五郎(一八六一一一~一九一三、川治から大正川の人傾学者・考古学洲)………
帆鮮人 アイス説。アイヌ説。日木原住民として小人ラロポックル説)を捉咄。
(2)133
社会学伝釆考
安西文夫の『社会学史概説』(昭和別・3)は、害き下ろしの一書である。著者は先に『社会学史概要』(平野書房、昭和十二年六月)を著わし
たが、これはあまりにも簡潔な叙述であったので、今回あらたに著述に踏み切ったという。本書においては、個々の社会学者の学論を中心として
叙述をすすめ、著者の批判を押さえて、学者みずからにその体系をのべさせたことである。
またなるべく対象を包括的にとり入れ、競新の情報をも入れることに努めたことである。本書は社会学史全般の知識を得るには好書とおもわれ
るし、比較的よくまとまっている印象をうける。内容の概略は11序第一章社会学前史第二章オーギュスト・コント第三章ハーバー
ピト・スペンサ1第四章ローレンッ・フォン・シュタィン第五章レスター・ウォード第一ハ章社会学の発展第七章社会学の極化節
八章社会学の現況(各国の社会単)フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、チェコスロヴァキア、ポーランド、ルー
という(二八四~二八五頁)。
細野武男の『社会学の反省l講三の社へ霧・祉菫(昭裂・3)峰大衆のひとりが醤わした社会学にたいする感想”ないしは皮 樋、勝彦の『ローマ蝋俗考』(峨蟄・3)は、古代ローマ人の風僻瀞憤のうちでもI食事の仕方、食物馴読について叙述したものである.本書は、ある特定のテーマについて論究したというより、どちらかといえば啓蒙書にちかい。古代ローマ人の風習によると、かれらはふつう日に
ケーナ朝食と昼食をかねた〃プランヂウム〃と呼ばれるものと夕食(一日の王食事)である。が、貴族や皇帝ともなれば、常糾的にいったんuに入れ
た食物を吐くことによって、食事は日に二度、四度とったようである。こんにちわれわれはあることを発表するとき、印刷物として公にすること
が多いが、古代ローマ人は〃朗読“という手段をとった。人々をあつめたり、人のあつまる場所に出向いて、じぶんの作仙を朗読してⅢかせた。
レキターチォーレキターレレゲレこれを名詞では「ミミ(P助詞では『ミミ、または』へ唖:というという。
ナチス沿下のドイツ社会学について略述すると、Ⅱぼしい業絨をのこさず、ドイツは第二次世界大戦の開戦を迎えたという。ハンス・フライヤ
ーは穣極的に、ゾンバルトはある腺度までナチスに協力した。ヴィーゼは一時脚外に追放され、またカール・マンハィムはロンドンに逃れ、フィ
ーャカントは学界から退き、ドイツ社会学の長老テンニースは、生誕八十年記念論文集を献ぜられたのち、一九三六年(昭和Ⅱ)この世を去った 八章社会学の現況(各国の社会学)フラソマニア、アメリカ、Ⅲ本の社会学11である。 二度食事をとった。
、
肥後和男の『民衆の生活史』(昭和別・I)は、すぎしⅡの日本の民衆の歴史をふりかえって見た書物である。人川の生活をささえるすべての
ものは、そのはたらきから生れたものという。山来、われわれの社会を支えてきた人々の地位は、ひじょうに低いものであった。民衆が他施した
ものを支配し、その作ったものをあつめて桁補に孫らしていた淵は、樅刀者であった。
しいたかれらは組織や篇や武力などを背眺凧として、社△窓の弱いたちばの人間(被支配稀)を虐げてきた。世界は支配するものと被支配との対極的関係
にあるのだが、どの民族の歴史も、ほとんどこうした大きなむじゆんを共通にもっていた。人が人を支配することのない社会を創ろうといった考
えから、〃民衆主義〃が生まれたのである。 階級のたちばに移るところにある。勤労階級の社会理論としては、唯物史観が
あるといい、二つの社会理論・社会学と唯物史観との対照が、本書の中心的課題であるという。
内容の概略は11序蕊1-つの包鵬的社会理論lカトリシズムと唯物史観2鋪三の社会剛論l社会学3政愉学と綴済学4
社会学11コント、ジムメル、マンハイムⅡコントの綜合社会学Ⅲジムメルの形式社会学Ⅵマンハイムの知識社会学V結語--
である。敗戦以前の日本社会は、身分の区別(華族、士族、平民)のある社会であった。何かというと身分という差別的な思想が、国民の生活につねに
①つきまとい、上下関係が社会の主軸であった。支配階級に敢然と対抗したのが、マルキストの平民階級であった。民主主義の時代は、上も下もな
11[輔
I室!
肥後111リj粋『民衆の生活史』。
省〃の書であるという。著者は、昭和九年(一九三四)から同十二年(一九三
七)まで、東京大学で社会学を学んだのであるが、社会学の”社会理論〃とし
ての無味乾燥さ、不生産性にあきれ、失望し、戦後の数年まで専攻した社会学
に関心をもちえなかったという。
ところが戦後ほどなく、立命鮒大学法学部において、社会学の識義を担当す
ることになって、十年前の卒業論文『ジンメルの貨幣祈学』を想い川し、文献
不足と本務の多忙に悩まされつつ書きあげたのが本書であ一る。
著滑にとって社会学は、人間のたちばから階級のたちば11すなわち、勤労
(4)131
社会学伝来考
著者によると、日本社会学の建設に大きな暗示や方向をあたえるものは、アメリカで発展しつつある〃実用主義的な社会学〃であるという。形
式主義的な形而上学的なドイツ主義の社会学を捨てて、〃新しい社会学〃を建設することは、われわれ社会学徒の仕務だという。内容の概略は
’第一章序論第二承社会制度の本質第三意社会制度の形式過程第四瀬社会制度の祉会統制的機能霊驍社会制俊の聯究鏑 lである.
真しな社会学者として思索し、人間生庁
バジョットは、生涯〃社会評論家〃矼
涯と著書第三章「物理学と政治学」
作爪第七蕊祉会の進歩lである. 同じ著者による小著『米英社会学の先駆者バジョット評伝』(昭和別・4)は、イギリスの政治・経済・社会学者であるウォルター・バジョット(一八二六~七七)の小伝である。著者は大学二年生のころから、バジョットに異常な関心をもっていたという。学生時代、形式社会学の洗礼をうけたのであるが、当時社会学の実証的、具体的な研究はけっして多いとはいえなかった。
ひとかどの社会学者とは、どのような人物のことか。著者によると、ひとつの華麗な建築物にも比較される理路整然とした社会学体系をつくる
ものだけが〃偉大な社会学者〃と呼びうる者という。バジョットは、ギディングズによって〃社会学の建設者〃と折紙をつけられた人物であり、
真しな社会学者として思索し、人間生活の各分野に新しい開拓の道をひらいた学者であったと評している。
バジョットは、生囎社会評論家として活賑し、また街の社会学篇として終始したという.内容の概略はl第一薦序論第二蕊生
涯と著書第三章「物理学と政治学」に現はれたる社会理論第四章社会の概念第五章社会を動かす力第六章民族形成に於ける模倣 立に参画したという。 熊本語学専門学校激授・潜崎繼縦の小薯『社会学入門l祉会Ⅷ嘆論』(昭蟄・’一は京城帝国大学で研究した業績の一部分であり阯会学研究の出発を祝う記念碑だという。著者が社会学に興味をもったのは、高等学校の二年生ごろという。昭和五年(一九三○)に東京帝大を卒業後、三ヵ年ほど大陸の民族文化にたいして絶えず研究をつづけ、昭和十六年(一九四一)の秋、大陸をはなれ帰国すると、熊本語学専門学校の剣 い社会であらねばならぬが、現実の日本社会は、支配する者とそれに盲従する者から成り立っている。
ともあれ本書は、u本における民衆の腫史をl人間の非平等のむじ蟻んを、やさしく一般むけに柵いたものである.内容の概略はl前が
きlなぜ民衆の歴史を学ぶか2研究のしかた一古代の民衆二律令時代の民衆三中世の民衆四近世の民衆五近世の民衆
六章総論lである.
同じ著者による小著
専修大学教授・横山定雄の『社会学入門」(昭和型・4)は、|般むけにやさしく書かれた文字どおりの社会学入門書である。はじめて社会学
を理解しようとする人のために、あるいは〃社会学“を社会科や社会研究のじっさいに用いようとするまじめな研究者のために、執筆した書物で
ある。著者によると、これまで社会学の専門書は数多く出版されたが、初学者やしろうとにも勧められるような書物は、ほとんどみられないとい
》つ。 致点が欠如していることがあいまいさの原因になっているという。 尾高邦雄の『社会学の本質と課題上巻』(昭和別・4)は、これまでに提出された〃社会学〃に関する多くの見解を統一するにあった。これまでの日本の社会学は、多くのひとびとの間で見解の不一致が存在したという。本書は上下二巻にわかれ、上巻では全体の構想をのべた序説(第一章)、この構想の展開に必要な学史(第二章)、社会学の総合性の問題(第三章)とを取りあつかっている。下巻では、社会学の現実性の問題、社会学の主題および社会学方法論の問題を論じ、さいごに全体の結論をのべる予定だという。
内容の概略はl議一章序説l社会学の再建第二章社会学史の三隣階第三章社会学の綜合性lである.
社会学は〃若い科学〃であるばかりか、いまなおそれは〃あいまいな科学〃でもある。社会学とは何かに関して、さまざまな見解が存在し、一 十津川は日本の代表的な山村の一コ地村や漁村の論文も必要になるという。である。 著者が本書を執筆したのは、〃民主主義〃の解釈に、この本が何らかの寄与をすることを願ってのことであった。今後の日本がなさねばならぬ(1)ことは、軍国主義や封建制度の残存勢力を一掃し、民族主義の線に沿った新しい国家を建設することだという。
泉鯆一の『社会学講義賀料‐或る山村のモノグラフ」(昭和卿・4〉は、瞥者が学生数名とともに鵬利二十四年(一九四九)七月’約一
ヵ月にわたって奈良県十津川村に滞在し、そこでおこなった現地の実態調査の報告である。著者によると、戦後の日本の社会学は、アメリカ社会
学とおなじ歩みを示してきたのである。アメリカの実証社会学が輸入されてから、日本社会だけにとどまらず、アジア社会の実証的研究へと進展
したのである。
おおあざ内容の概略は’第一章材の自然と騰史節二議村の#と柵鐘第三蕊幽川然材(大字)の構造と機能鍬舸議家族の構造と機臘I つであっても、そのすべてを代表する標本ではないという。わが国の代表的な村落を考えるならば、ほかに平
(6)129
社会学伝来考
早稲田大学教授・井伊玄太郎の『社会学』(昭和型・4)は、ふつうの〃社会学〃という名称をもっている書物の形式をまったく無視したもの
という。著者が本書において意図したものは、読者にただ社会学的知識をあ一たえることではなく、よりよい社会の実現をめざして、人々の精神を
啓蒙することであった.本書は;わるい祉含と1さ社会との聯究であるという.内容の概略はI序文序論第一編集団主義的社会 四]ち繊うの’六篇附街る哲学的考察11である。 最近までの日本の社会学は、学者の独占物だったという。社会学の学術的業績は多数あっても、それらは〃現実社会から離れた理論書〃であるか、あるいは砂をかむような〃抽象的概説書〃であるため、|般人は社会学にたいする興味や期待を大いにそがれるのである。
戦後のこの時期、社会学にたいする世間の認識も変ってきたようである。社会学は、現代社会の研究について、〃時代の寵児“になろうとして
いる、と祷脅はいう.社会学の知識はlアメリカでみられるようにl文化人一般の科学的教養であq常識とみなされつつあるという.
内容の概略はl論一章社会学の課題と方法第二章祉会と脳人第三章社会と環境第Ⅲ章社会の形態第巡議祉会の鑿と機能
鏑六蕊現代文化と識鑛団第七童社会の変動第八童祉会綱査法lである。
土屋文吾訳『社会の再組織について』(昭和型・4)は、オーギュスト・コントの初期の論文(『実証政治学体系』全四巻□八五一~一八五
川]ち噸うの’六篇附録一二篇を反訳したものである.内容の概略はl訳脅序祉会再組織に必要なる科学的工作業科学及び緋学者に臘す
永文NY
横山定雄署『社会学入門』。
〔専修大学附属図書館蔵〕
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 ̄.oか強~ムォびうみづ」L」釦、---.
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創元nt
コント箸「社会の再構成について』。
〔早稲田大学「|可央図書館蔵〕
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専修大祭教授
横山定雄箸
lである.
ある。 岩崎卯一の『社会学の科学的性格』(昭和別・5)は、昭和十年ごろに執筆し、しまいこんでいた論文三篇を中心に編んだものである。内容の概略はl第一部自然科学としての祉会学第二部祉会科学としての社会学祉会学万法諭に於ける二傾向蝋諭社会学の体系的倫縫11で
国学院大学教授・武藤光郎(一九一三~?)の『マックス・ウェーバーの人間像』(昭和汎・5)は、一昨年末に刊行した『マックス・ウェー
バ「(その生涯と思想)』(夏日萱腸)を加鑿修正し、書名を改めたものという・内容の概略はl序序章ヨーロッパ輸神の黄昏第一厳マ
ックス。ウェーバーの生涯第二章社会科学者としてのマックス・ウェーバー第三章マックス・ウェーバーの歴史観結語現代への示唆 細野武男の「社会学』(昭変えて再刊したものである。
日本太平洋問題調査会編「日本社会の基本問題』
せた論文五編をもって編んだ書物である。内容の柳 のことである。 の研究第二編個人主義的社会の研究lである.
著者のいう〃集団主義的社会〃とは、〃社会〃が傭
今日の日本の文化問題・………:。……・……・宮本百合子
n本人氏の歴史………・………・・………羽に五郎 戦後における日本財政金融の民主化………大内兵衛近代Ⅲ本における宗教と民主主義…………矢内原忠雄日本の家族制度l日本の女性から見た……羽仁説子 (脇和馴・↓〉は、同年三月に刊行した川警『社会学の反省l第三の社会理論祉臺(法律文化祉刊)のタイトルを
内容の概略はI が優位をしめている社会の意であり、また〃個人主義的社会〃とは、〃個人〃が優位をしめる社会
(昭和別・4)は、戦後の日本社会の政治・経済・社会・文化の諸問題について、各識者が寄
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社会学伝来考
杙会蓑現実社会の正確蓋論獲であるとすれば、社会学は終戦とともに脚踵する必要があるという.内需の概略はl緒論現代社会
学の動向第一章社会学に於ける主要問題第二章人間社会の諸問題以下省略-1である。
福武直の小著『社会科学と価値判断』(昭和型・6)は、春秋社の「マックス・ウェーバー研究叢書』の第三巻として、ウェーバーの「価値判
断排除」論を解説したものという(「はしがき」)。〃価値判断排除〃ということばは、ドイツ語の弓⑲こぎ葛農を訳したものであるが、わが国では
-1没価値性」とか「価値自由性」「価値からの自由」「価値判断排撃」などの訳語によって知られていた。
ウェーバーの学問の底流には、鋭い科学論が流れており、とくに〃価値判断排除〃の要求がその底流を彩っているという。またこの〃価値判断
排除は、僻学齋の工体的態度に閥する絶対的要請として掲げられねば癒らぬという.内容の概略は1-序説、「Ⅷ値判断排除」論の解 lである。
前島省三の「日本古代社会』(昭和別。5)は、これまで比較的閑却されている農村共同体の歴史的構成を規定することによって、日本古代社
会の奴隷制的社会構成の特質をあきらかにしようとしたものである。著者によると、日本の古代社会の研究において、近来の中心的課題は、古典
的奴隷制のアジア的変態の問題であるという。これは律令国家の専制政治や班田制下の〃公民〃の階級的地位・性格と関連しているという。
内容の概略はlはしがき序説第一輪大化前代の部侭型奴隷社会第二篇大化改新陵の律令的奴隷礼会総括lである.
戦後の日本大学社会学科(のち社会学部に昇格)の発展に大いに尽した馬場明男教授二九○五~一九九六)の小著『社会学講義』(醜叩×瞬
皿全六十九頁、昭和型・5)は、いまや珍本の部類に入るものである。わたしはそれを国立国会図書館で手にとって見ることができた。本書は
初学者のために書かれたものである。著者の当初の案では、まず人間社会の歴史的発達を概観し、ついで現代社会学の大きな課題である市民社会
を展開するつもりであったらしい。が、できあがったものは、腹案とはちがったものになってしまった。
戦後、学制の改変がおこなわれたのは、ゆえあってのことである。戦いに破れた日本国民は、それまでの軍国主義的な社会環境のなかで育成せ
られたのであるが、これからは根本的に変わる必要があった。とりわけ社会学が、新しい学制の中で占める役割は大きなものであった。
わが国に社会学が導入されて以来、七十年以上にわたる長い時代が経っているという。明治期はともかく、大正末期から終戦時までは、主とし
て”ドイツ社会学〃の時代であったため、観念的、思弁的な点が月についた。現実科学であった経済学は、ひじような魅力をもって迎えられてい
る一方でへ社会学は講壇的学問に偏してしまったという。
くまそ古代九州における〃熊襲族(九州十
部落分布の統計的(確率的)研究の坐
に分類されることをはっきりさせた。 よ》っなものであった。
ついで熊襲族を科学的に追跡した結果llこれはアイヌ系部族であることを確認し、かくして考古学および古部落分布の研究ならびに大陸史学
くまの文献などの援用によって、アイヌ系球磨族の分布領域を決定し、ついで南方系隼人族の分布を南九州に決定した。
考古学的データとの比較研究によって判ったことは、つぎの諸点であった。 しかし、これらの説は、どれも確実な科学的根拠を提出するものでないという。天皇族の起原問題に関して著者が採った科学的力法は、左記の
雷讓
ニィンドシナカ面よりの渡来説……一部の
三九州発生説……:.…・…………:…太川亮
四Ⅲ和方面発生説………沖川左右吉
(九州南半l日向・大隅・露地方〔寓崎児鹿児島県〕にあたるlに居住したと考えられる種族)の水蔓古
くまそはやと研究の成果と考古学的データとの比較対照によって分析した結果11熊襲族というのは、球麿族と襲の隼人族の一一つ ◆■■廿一C『■
部の考古学者
村山節著「天皇族の起源一日本民族の篇ll UL記」。
〔早稲111大学中央図書館蔵〕
説Ⅲ「社会科学」と「価塙断」Iウェーバーの論述Ⅳ「Ⅷ値判断排
除」の諸問題V結語--である。
村山節の『天皇制の起源l日本民族の創生川』(峨和“・’)は;犬皇
族の起原問題〃を科学的に研究したものという。著者は、天皇族の起原につい
て基礎的分析をおこなった。もともと天皇族は、日本または海外のどこに起原
を有するかについては明確な説はなく、歴史上の難問でもあったが、著者はい
くかの説を紹介している。
大陸より朝鮮をへての渡来説……白柳秀湖
(10)125
社会学伝釆考
瞥蒋によると、史学について物をかくばあい書き手自身が認識し、反櫛駒しなければならぬ点は、lいかなる立場から、いか癒る方法をも
って、いかなることを、いかに表現するかである。このことは容易なことではないが、これらのことがらについての明確な認識がないと、どんな
大部な歴史書も、後世の具眼の士から、むだな骨折とみられるばあいが少くないという。
かんぱ樺俊雄の『歴史社△湾学の構想』(昭和型・6)は、歴史社会学について著者が、これまでに発表した諸論文を集録したものであるが、一部はか
なり加筆訂正したという。著者によると、社会学が本来研究の対象とするところのものは、歴史的社会であるという。そのような歴史的社会を取
りあつかう研究が、歴史社会学なのである。が、現在、この歴史社会学なるものは、社会学の研究において、本来あるべき地位におかれていない 天皇族は、古代の北日向をさまよった一群の人々であったこと。天皇族は混血であって、日本の国土において生成したものであり、混成の中心をなしたものは、北アジアのモンゴロイド系分子であるらしいことである。天皇族は、〃天孫民族〃ではなかった。
内容の概略はl鏑一議雁史腫び社会職序の蛎質に閥する分析節二竃原始林の小のⅢ水枕会第三簾博多を中心とする九州A区には、
古代シベリア族であるアイヌ系のクマ族が佐んでいた第四章天皇氏族の属する日向族は、新石器時代に九州B区に存在していた第五章九
という。 州CⅨには南方系のハヤト族が存在していたlである. けつきよく篝謝が得た結論とはI うすき一天皇族の最初の分布地域は、古代の北、口向(西臼杵の高千穂より五個瀬川沿岸をへて川口向の平野にいたる地域)にちがいないと分析した。また長
崎や天草方面には、インドシナ系の漁人部族が分布していたことを明らかにした。
二北日向の発掘の結果を文化史的に分析することによって、これが天皇族の“祖形“であることを証明した。
三天皇族は神武以前において、すでに〃混血“しており、北アジア的モンゴロイド的要素を中心に、原住民・インドシナ族・南方系民族の混血にち 二北日向の発掘の結面
三天皇族は神武以前』
がいないことを発見した。
三天皇系族は、北アジア系、
ていたに違いないことを知った。 北アジア系シャーマニズムを償側する繭長lシャ‐マン階級であり、冊によって、神武以伽にすでに諭烈な奴隷綴満をおこなっ
当」れは集団のなかにおける個人の生活、他人から影響をうけたり、みずからも他人に影響をあたえる個人の生活を説明するのに、心理学的概念
を採用するものだという。研究には二つの方法があるという。一つは指導概念を集団行動に求めようとする態度。もう一つは、研究の根拠を個人 社会心理学とはなにか。 者は本書の執筆にさいして、公上
内容の概略は11序例言綾
家政鱸への反対通勤lである.
米林富男訳『社会心理学』(昭和型・7)は、キンポール・ヤング(一八九○~一九六○、アメリカの社会心理学者)の論文の。§肩ごg昌廻・
巳思を反訳したものである。本書はさきに『社会心理学入門』(日光書院・昭和Ⅳ・4)として刊行されたことがあり、今回はその再刊である。 内容の概略は11序一社会科学の意義二存在の反映としての科学三形相的本質と本質存在との異別並びに現実認識の方法四唯物史観の理想型的構造五現実科学的力法と論理科学的方法六実践の学としての社会科学以下省略11である。
加田哲二の「日本近代社会成立史』(昭和別・7)は、文字どおり、近代の日本社会の成立の様相の変遷を、歴史的にたどったものである。著
者は本書の執筆にさいして、公式論的な態度、偏向的態度をとらず、あくまで事実にもとずいて、客観的に近代日本社会の発展を描こうとした。
内容の概略は11序例一一一一口第一篇徳川封建的基本社会とその動描第二篇維新革命第三篇維新政府の政策とその本質第四篇新国
加田哲二箸『近代日本社会成立史』。
内容の概略は’一朧史社会学の構想二社会法則三伝統川
民族共同体五へ1ゲルと市民社会六輿論七イデオロギー論
lである.
小松堅太郎の「社会科学概論』(昭和別・6)は、社会科学(社会を研
究する科学の総称)の意義や目的や理論について論じたものである。著者
によると、社会科学の意義を決定する標準は、一つは社会的な文化現象
(法律、政治、経済、宗教、教育など)を対象とするものの上に成立する
ということ。もう一つは、社会科学は単に現象の説明を目的とせず、社会
主義的社会理念の実現(社会環境の変更を目的とする実践哲学)を目的と
するものである。後者は、たぷんにマルクス学的である。
科学三形相的本質と本質存在との異別並びに現実認識の方法四雌
(12)123
社会学伝来考
川中蕊之の霞・暴力血織lマルクスⅡレーニン主讓治理論の研究」(鵬筆7)は、マルクスⅡエンゲルスの鬮家観を中心として
マルクス・レーニン主義政治理論のすべてを批判的に考察したものという。著者は共産主義の本質を究明するとともに、現代世界が不可避的に選
択をせまられている講剛題l階級か国民(雌族)か、蕊力か平和か、饗かデモクラントか、を検討することを企図したという. 経験によって社会現象を研究し、真偽の標準を経験の証明におかんⅢ非論理的行動第三章イデオロギーの経験的理性第四章人間一デオロギー及び秋会講災間の悶係節七篇社会均衡論lである. のうえに置くもので、個人がいかにして他人の存否によって影響され、また他人に影響を及ぼすかを研究するものである。
内容の蕊はlはしが蕾第一童序説鋼二蕊社会心理学発展上の主蕊問題第三蕊慧攻び仮説lである.
井森陸平の「パレート|般社会学論考』(昭和別・7)は、著者が昭和七年(’九三二)の夏に入手した伊仏両語版のバレートの『一般社会学
論考』のうち、フランス語版『冒蔑烏堕。§((圏侭腎、ご{⑮.ご」『を通読したとき、ノートに取った要点をまとめて一書としたものである。二千頁に
ちかい大著の概要をこのような小著にまとめた結果、叙述が簡略すぎて意味不明の箇所も少くない、といっている。
著者によると、パレートの研究方法は、形而上学的超験的思弁を排して、経験と観察を重視する経験主義を採ることであったという。すなわち、
経験によって社会現象を研究し、真偽の標準を経験の証明におかんとした。内容の概略は11序緒言第一章社会学の方法と問題第二章
非論理的行動第三章イデオロギーの経験的理性第四章人間本性論第五章イデオロギーの社会的作用及び効用第六章人間本性、イ
、
井森陸平箸『パレートー般社会学論考」。
〔早稲田大学中央図書館蔵〕
内容の概略は11序第一章マルクス主義の国家観第二章と第三章
階級か幽殴(鴎族)か山、第川鴬繋力か平柳かlである。
広島大学教授・中野清一の『社会学要請』(昭和泌・8)は、社会学をは
じめて学ぶ人びとのために著わした入門書である。著者によると、ひとしく
入門書といっても、二つの型があるという。その一つは、学説の紹介に重点
をおいたもの。社会学の発展の跡をのべ、現在における諸分派の展望をあた
えることで、初学者を社会学に導びこうとするもの。ドイツ系の社会学者の
手になった入門書に、こういったものが比較的多いという。
いま一つは、著者自身の見解を積極的に展開しようとするもの。この二つ
同書は、かって発表した論文に手をくわえ一Ⅱにまとめたものである。「理解社会学」は、ウェーバーの生前さいごの論文である。内容の概略
はl‐理解と蝋恕型Ⅱ祉会的行為Ⅷ礼金関係Ⅳ擬lである.
東京社会科学研究所編「文化の社会学」(昭和型・9)は、七名の研究者の論文を編んだものである。すなわち-lL 族の研究でその名を知られたが、同人が著わした『皿解社会学」〈昭
和別・9)は、マックス・ウェーバーの〃理解社会学〃について論じた小著である。〃理解社会学“は別名〃了解社会学〃〃会得社会学〃ともいう。
それは社会を精神的なものとみなし、その意味を把握するとき自然科学的な外面的観察ではなく、内面的な理解の方法をもってする社会学のひと(2)つの傾向を意味する。
歴史社会学………中央大学教授早稲川大学イデオロギー……・……・・助救授来京工大技術…・・………・・……・・…撤授九州大学宗教・・…・・…・………・……教授 樺俊雄佐藤慶二加茂儀一古野清人 早稲田大学社会人類学・……・・・・……・孜授経済:…………・…………東京商大教授早稲川大学法律………・…・…・………教授
RIM:寶科學研究M編鱒鑑麹
東京社会科学研究所編『文化の社会学』。
内容の概略はlはしがき前編(辨繼瓢門〉序説雛一章、
我と間柄第二章間柄と表現活動後編(展開部門)序説第一
章社会集団の諸類型第二章全体社会の様相第三章社会慣
淵刷厚組織と桃会意識・世論lである.
ゆする東京文理科大学教授・岡田謙はムロ湾帝大時代、未開社△蚕における家 たようである。 のうちどれが好ましいかは一概に断言できないという。著者の考えでは、学説史的な入門書も必要ではあるが、本書では、〃社会学的なものの考え方“を初学者に理解してもらうことを目標にして、筆を進め
鈴木二郎高島善哉
戒能通孝
(14)121
社会学伝来考
得の問題だ、と。 立教大学教授・細入藤太郎の『近代米国の社会思想史』(昭和型。、)は、アメリカの社会思想がどのように生長し、いまのような形になったかを叙述したものである。重点的に取り扱った時代は、近代機械産業が興った十九世紀中葉から、世界政治の変動期である第一次世界大戦の直前までという。また本書における主題は、アメリカの民主主義に関する叙述である。
内容の概略はl第一篇序説朧史と文化の背蕊第二繍危機に於ける曇鋪三篇富の福脅から斬合聖溌へ第四蔚腿主主義の科
そうこく学第五篇進歩主義の哲学第六繍柑趣する社会僑念とナシ贄ナリズムーである.
すなお徳、氷直(一八九九~一九五八、昭和期の小説家)は、熊本のひとである。小学校を中退後、印刷工として働くかたわら小説を学んだ。大正八年
(一九一九)熊本印刷労働組合の創設に尽力し、同十二年(一九二三)上京後、出版従業員組合の創立に参加した。かれの名を一躍有名にしたも
のは『太陽のない街」(昭和4)であった。この年かれは日本プロレタリア作家同盟に加入した。
同人の『人生について』(昭和型・皿)は、人生論である。そこには著者のそれまでのつらい暮らしの中からにじみ出た人生に関する省察が語
られている,いわば蒋脅の人生論ノートが本書である.輪溝はいう.l人生は学校でまなぶわけにゆかないように.芸術修業とおなじように会
内襟の概略はlはしが葱人生には専門家がない‐
徳永
直
iliil
灘
徳永直著『人生について』。
〔法政大学・大原社会問題研究所蔵。
腿の人生行路Ⅱ恋愛と夫婦化派についてⅢ戦争と縦命の剛麹lである.
この春、著者は丸の内の大きな官庁の職員組合で文学について話をしたとき、おわ
って若い娘さんから質問をうけたという。それは、「人間はなんのために生きている
のか」ということであった。が、こういう問にたいする返事は、なかなかしにくいも
のらしい.そのとき講演者は、’ひとはじぷんの生活に満足しているときはそう
いうことは考えないものです。そういう質問をなさることは、たいへん哀しいことで
す、と答えた。
質問者のばあい、この世の中がひじょうに不自由で、不満で、じぷんの希望や要求
がすべて押えつけられ、みたすことができないように回答者におもえた。著者による
内辮の概略はl‐序章第一鑿個人意志論第二章社会愈志論lである.
柴田、脇、安藤共訳『ウェーバーとマルクス」(昭和灘。Ⅱ)は、カルル・レヴィット(一八九七~一九七三、ドイツの哲学者)のご冒弓89
慧員【ミニ冒員・野の戴く蔵「の。鳥一三一⑪⑪の。⑪目島巨且の。凶巨己・言家臣・の。巳圏を反訳したものである。レーヴィットはマールブルク大学講師であったが、ユダヤ人の血一を引いている理由でナチスに追われて来日し、昭和十一年(一九三六)から同十六年(一九四一)まで東北帝大で教鞭をとり、
のちアメリカに亡命し、戦後故国にもどり、ハイデルベルク大学の教授になった。
訳者後記によると、本書を理解するにはウェ1バーとマルクスに関する予備知識が必要だという。したがって本書は入門書としては、いささか いう。内容の概略は11序説社会科学の方法」
京大人文科学研究所教授・重松俊明の『社会
した書物を、「社会学入門』として書名を変え、
会学体系を組みたてて出来たものが本書である。
内容の概略は11序章第一章個人意志論 そのものの中から、矛盾の解明を契機として生まれかつ生長するものと
う。内容の概略は11序説社会科学の方法について前篇叫論と実践後編唯物史観補論理論と観想11である。
京大人文科;究所教授・顛松俊肌の『社章入門』(昭型・皿)は九年術l昭和↑葦(’九川○)に『社会の基本鑿』として刊行
た書物を、「社会学入門』として書名を変え、内容にも手を加えて再刊したものである。テンニースに傾倒する著者は、その思想を活用し、社
重松敏lリl署『社会学入liI1』。〔法政大学附属図書館蔵〕
と、人生はひじょうに厳しゅくなものだという。人生には方法とか手腕
でやれる部分がないという。人はそのひとがもっている先天的なもの、
ひじょうに偶然に左右されるばあいが多いのである。ひとは偶然的なも
の、必然的なものの作用をうけて生きているといえよう。
関西学院大学教授・池内信行の小著『社会科学方法論」(昭和別。
、)は、数年にわたる著者の講義ノートをもとに編んだ書物のようだ。
本書は小作品の単なるよせ集めではなく、一貫した思考に支えられたも
のという。著者によると、社会科学の方法については、一定の見解は存
在しないという。
社会科学というものは、認識そのものがそうであるように、生活実践
(16)119
社会学伝来考
lである.
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社会心肌学(社会現象についての心理的な研究)はそれほど古い学問ではなく、それを初めてスタンフォード大学の識咄から訓毅したのはエド
ワード・アルスワース・ロス(一八六六~一九瓦「アメリカの社会学洲)であった。
内容の概略はl姉一歳杜会心筆の蛾磯概念第二薬枇会〃の分脈蛎三厳杜会科学の術惟鞭Ⅷ承蝋倣・;峨示と聯雄心迦
蝋皿議洲枇に純いて鰯六噸政淵への織側心節七章戴朧と怖怖lである.
みなみひろしⅡ水女子大学敬授愉榔の『桃会心班学l祉会行動の雄礎叢(船型・烟)は、蛎学の成立の峨史やこの鵬い学側が取りあつかうさまざ
まの対象と方法の問題について論じたものである。社会心理学の突証的研究がいちばん進んでいるのはアメリカであるといい、本謝もアメリカ的 早稲川人学教授・伊藤安二の『社会心理学』(昭和別・旧)は、学術緋誌に発表した論文やラジオによる識減の革摘などを躯にして成った習物のようである。粁洲は「序」において、「ただ私の社会心皿学への見解を多少まとめたものにすぎない」とへりくだってのべている。耕背の斯学にたいする研究は、西欧の専門書をよみ、学ぶところからはじまったようである。
〃社会心皿学〃の淵源をたどると、ギリシャの古代思想と深いつながりがあるという。プロタゴラス(前八世紀のギリシャの哲学背)は、〃大衆
の意見〃という心咄・社会的小災を肯定し、その意見が人間の考え刀を庇しく決定する刀をもったこと、その意見が学間や知識の刀によって発達
すること、また救命によって脂導せられうるといった考え方をもった人物であった。紀元前江世紀の〃ソフィスト“と呼ばれた哲学背たちは、す 高級にすぎるかもしれないという。戦後におけるわが国の社会科学界を一であり、同時にウェーバー社会学が大きくとりあげられたことだという。
でにある枕の心理や社会過侃を伽紫するところがあったという。 戦後におけるわが国の社会科学界を特徴づけていたものの一つは、〃マルクス主義〃にたいする圧倒的な関心
ため各専門家の協力をえて、本書の誕生をえたのである。
内容の概略はl社会嫌序説鏑一部蕊繼理論社灸
変動第菰梛特殊繍門第六部隣接部門lである. 三部集団行動節四部社会態度とその表蝋lである.
しおり戸田貞三編『社会学研究の栞』(昭和型。⑫)は、社会学の研究に分け入るひとびとのために入門書として編まれたものである。社会学とはど
のようなものか、その概略をつかみ、ついで一応修得した知識を基礎として、さらに特定の部門や問題について研究しようとするとき、好適な入
門書はすぐないという。すぐないというより皆無といったほうがよいという。
社会学の研究の対象が多岐であるばかりか、それを取りあつかう人の態度がまちまちであるため、いままでに書かれた概論風の書物は、その多
くが体系として片寄っており、しかも内容が難解なものが多いために、手引として役割を果すどころか、かえって読者を混迷におとし入れている
シ}いう。
古島敏雄の小著『家族形態と農業の発達』(昭和型・皿)は、埼玉県の一農村の青年たちのための文化講座において語った概要をもとに編んだ
書である。本書は、農業適性規模研究の共同研究の一部門として依嘱をうけてはじめた研究が、核になっているようだ。 本書を編んだ目的は、社会学の専門領域についての輪廓を伝えるだけでなく、さらに研究を進めるうえでの指針をあたえるためであった。その
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社会学論
戸田貞三編『社会学研究の栞』。
〔法政大学付属図書館蔵〕
社会学方法論社会学史第二部社会集団第三部文化形態第四部社会 こんにち社会心理学とよばれる分野は、どのようにしてできたものなのか。著者によると、それは少くとも三つの源泉から合流してできたものという。まずドイツにおける民族心理学、ついでフランス、イギリスにおける社会学から〃社会心理学〃が生まれ、さらにアメリカの心理学がそれを受けついで、いまの社会心理学が体系として確立したとのべている。
内容の概略は1-1序序論第一章社会心理学の成立第二章社会
心理学の対象と力法第一部社会行動の基礎第二部集団的行動第 な社会心理学から多くのデータを引用しているという。
(18)117
社会学伝来孝
浴時代に於ける臘腿の家族形態lである.
綿胤哲雄の小著『蒜き世代への社会学』(昭和郷・I)は、昭利十二年(一九三七)の初秋に刊行した『青年公比読本社会筋』(日本青年伽)
の改訂版である。水轡はどちらかといえば、エッセイ雌のようなものである.内糯の概略はlはしがき「祉会鮒」序鰍一蹴わが人生第
二素さまざまな祉会鋼玉瀧社会と国鎮鍬川瀬われらの一一剛鱗n噸孵勢の流れあとがきIである.
同書はよく売れた書物のようで、初版が出た昭和二十五年(一九五○)から同三十一年(一九五六)まで九版をかさねた。われわれが人として
生まれてから、実社会で活動するまでの発展の初期の段階を、著者はつぎのようにのべている。
ようらん1人は桃余人としての生蓮まず家庭で体験する.家庭は社会人の騰艤であり、祉会生祈の疏初の、小さな.大切な体験の世界である(鏑 稲作を中心とするわが国の農業生産の技術的特性が、どのような形態の労力を要するか。またその需要の形態と各時代の家族形態の現象形態と、この両者の合体としての生産様式のすがたを追求することを問題にしたという。
内容の概略は11序一問題の所在二原始末期の家族と農業三と四は古代における家族形態、土地所有、農業技術、経常形態五と
六は中世における家族制度、相続制度、農業技術の特質農業経営七近世封建性と家族制度八近世農業技術と経営形態の特画九明
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91伽田大旱W1叫工I1UMn-・
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前野街隅刊
F1藤道学講述『一般社会*(;l:会学の』《礎l]11論繍)』・
〔早稲'11大学Ilj災1A(li1}館戯〕
二章さまざまな人生第二節社会人の描簾、二九頁)。
早稲川大学専門部工科教授・伊藤道学の三般社会学(社会
学の基礎理論篇巨(昭和泌・l)は、榊義録として刊行された
ものか、ガリ版刷りである。「はしがき」も「あとがき」も付
いておらず、ふしぎな諜物である内需の概略はl鯛一締
社会学の雅礎理論鏑一蹴人間の社会的力向節二蔵社会
学と社会現象(社会事実)第三章道徳科学と道徳社会学
第四章社会原動力に関する諸学説第五章ヘーゲル、マル
クス及びプーグレ(特にマルクス社会学とブーグレ社会学)
雛六章社会学の任務とその態度lである。
いったいにこの耕洲の論耕は、やさしく譜かれているので、刀人にとって皿解しやすいものである。箸對は中学生のとき、スペンサー学舌の辰
巳小次郎に社会環境論のおしえをうけ、それが機縁となり、のち大学生となってからは、社会学を専攻したが、日本大学において当代の一流の教
つhや師1N谷弘小林川職内救太、銅直列繊杉極弥三木満などlの雛義をうける率迩にめぐまれた.なかでも鏥雌代とくに感銘をうけた
のは、哲学者・三木清であり、その講義は魅力に富んだものであったという。
わが国は明治維新後、資本主義経済を導入したが、封建的諸要素が残存したために、ひじょうに歪曲された市民社会ができてしまったという。
このような情況下では、学問の自由はなく、とくに社会学のような科目は、片身がせまかった。現実の社会を直視すれば、研究テーマにこまるこ H木大学教授・馬場明男の「社会学入門』(昭和泌・2)は、ささやかな〃社会学的デッサン〃だという。箸書は、本書においてもっと和漢の文献を利川したかったが、戦災ですべての蔵書をうしなった身としては、それができなかったという。しかし、ひたむきに勉強している蒜い学徒 した解説を、今回〃解説の部分〃だけをきりはな‐
マックス・ウェーバーの生涯と文献1--である。
のノート取りの苦労をおもい、川版を決意したという。
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鮴口 総
社会
●■■■■■■》.P・10‐‐--曰本 l細嶋
科学と価値判断の諸問題」(「経済学名著翻訳叢書」に収録)という名で発表
めぐだけをきりはなして上梓したものである.内容の概略はl第一聯マックス・ウェーバーを総る問題第二郷
副文館
11;場Iリ|リ)藩『社会学人1111』。
〔lillWilll大学,'1火lxl惑館蔵〕
人間とはなにか。人間の社会的性質とはなにか。著者はこれらの問いに、
ひとつぎのように答えている.1人剛は社会的存祁であること.人附は独りで
生活するようにできていない。孤立的であったり、知能的にも道徳的にもじ
ゅうぶん発達していないと、当然要求しうる物質的幸編のすべてをうること
ができない、と。「
人間は無政府主義的な、そして反社会的な性向をもって生活するようにな
ると、死ぬまで社会的法律に反抗し、それが課する義務や拘束から逸脱しよ
うとする。社会に〃椛威〃というものが必要となるのはこのためだという。
戸川武雄の小著息写し心叶の生涯と学説』(昭和泌・2)は、かって「社会
(20)115
社会学伝来考
戦後のロシアの息吹きにも接したロシア通であるらしい。 とはなかったが、社会学の理論に偏し、月のまえの社会を課題とはしなかった。しかし、敗戦後、研究の自由をえられたいまは、なんの遠慮もなく、社会的事実をありのままに観察し、その本質を見破り、世間に発表できるようになった。
内瀞の概略は1節一章社会学の成立節二軍現代社会学の朧史(フランスドイツ、アメリカの社会学)節三瀬と鋪川獺人間社会の
形成と雁史的発達第五徽Ⅷ巾と腱付雛六磯社会変鋤総雛七厳祉公轆川総lである.
高川保馬の『社会学大意』(昭和躯・2)は、社会学の新しい輪郭を初学者のために箸わした諜物のようである。蒋者にとって社会学とはどの
ようなものであったのか。社会学は社会科学のうちの一つであり、社会現象を対象とするものであり、それを支配する法則の究明をこととするも
のであった。二十年ほどまえであれば、この主張はほとんど自明のことであった。
が、いまこのことを改めてのべねばならぬほど、日本の学界に〃雑多の流れ〃が入りこんでいるという。社会学はオーギュスト・コント以来、
あくまでも〃法則科学〃として生まれ成長してきたのに、社会学を歴史的でなければならぬとする風潮である。著者によると、歴史の事実は〃例
示〃であっても、社会学の〃内容“をなすものではないのである。社会学が抽象的であり、現実から遊離したものであるのは、その本来の性格だ
という。著者のたちばは、あくまで社会学を〃分析科学〃として固守することであった。
内容の概略はl鋼一部社会学鎌一章社会学の変遷鋪二章人間繍合の科学としての紘会学節三蟻社会科龍社会法則第二繍
祉会総造諭第三部社会櫛避の形成共蝋解的縦馴鰯川梛社会術造に欄する緒法則鏑近瓢変鋤の方向lである。
社会学は学問として成立して一世紀以上にもなるのに、その〃対象〃の性質が複雑であるため、また統一された形、統一された説に欠いている
という。しかしながら、社会学が研究対象とするものは、人蚊の社会であり、研究も人頬社会にかぎられるという。
0江山三千処の寝の釜祉会の全貌1,氷が赫しも猟巴国家になったら』(昭製・瓢)は1本国民に典箙主繼のおそろしさを鷲川した
ものである。韓者はおそらくペンネームを使い、本書を執筆したものであろうが、ロシア靹命前後の〃労膿ロシア〃や大正時代の共旅党黎明期、
本書は反共一点張りの反動書ではなく、共産思想への警告書とみられている。著者によると、一九五○年代のこんにちにおいて、ヨーロッパで
ない東洋の日本国において、共産主義の怪物が跳梁しだしたという。
著者は必ずしも共産主義をわるい主義だといってはいない。世間には共産主義をおう歌するもの、またそれをひじょうに毛嫌いする者がいる。
家にとって、〃革命〃こそ希望の星であり、生きがいでもある。 もしH本が〃赤色国家〃となったら、どんな風になるか。もし日本がボルシェヴィキ(共産党員)の支配のもとに政治や行政がおこなわれたら、日本人の生活はどうなるのか。もし日本が将来においてアメリカの支配を脱して、独立を達成したとき、民主主義が国民から理解されず、共産主義が〃武力鹸命“や〃無血革命“に成功したとしたら、この国はどうなるのか。本書は、共産主義諸国の人氏の生活をそのまま日本に持って来て、あてはめたものという。またマルクス主義、共産主義の是非をめぐり、その要を伝えたものである。
ま内容の概略はln本人民共和風凡剛記一はしがき-帆は先づインターの蝋から一需知板と変った新伽一Ⅲ祝uも赤色蝿
あかあか一狩り出される鰄人締力一一にも赤二にも赤の教育一土地に…の腱鴎は反動分子一稀を呼ぶ行動批判とスパイ綱Iである.
尾形亀吉の『日本社会文化史』(昭和妬’4)は、概説書である。表題にみられる〃社会文化史“とはなんのことか。それはどのような内容を
もっているものなのか。著者によると、人間がつくり出したもの一般を〃文化〃と解すと、社会もまた一つの文化現象に外ならないのである。特
定の社会は、特定の文化的表現をとるという。この関係を明らかにするのが、社会文化史であるらしい。換言すれば、各種の社会事象がどのよう
に自己を表現したか、その時間的経過において明らかにするのが社会文化史の意のようだ。
内容の概略は‐-1序説第一章日本社会の川発第二章氏姓時代の社会第一一一章令制時代の社会文化第四章と第五章前期および後期
の封建社会第六章近代社会の成京むすびlである.
鈴木安蔵その他の「革命』(昭和躯・4)は、四人の執筆者が書いた論文をまとめて一書としたもので、鈴木の名において発表された革命論で
ある。〃革命〃とはなにか。革命とは被支配階級が支配階級を倒して、国や社会の組織を変えることの意である。が、革命とは現代において全人
類が絶対不可避的に当面している歴史的課題だという。それはまたゆきづまった社会の矛盾が、民衆によって爆発させられる変革でもある。革命 施しようとする点である。 共産主義国の手段と方法からわかることはなにか。それはファシスト帝国主義となんら変らず、全体主義国家の道を行くものであるという。そして共産主義にはむだがないにしても、多くの無理があるという。それは社会の生態を一定の型にはめ込み、マルキシズムの〃人間機械化〃を実 が、どちらに属するひとにせよ、ソ連の国家形態、国民のくらしぶりになると、うわくの共産主義理論を知っていても、内情なり実情を知らないのである。
(22)113
社会学伝来考
内糯の概略はlはしが誉鯛一瓢雌命の一般的琴鱗鱗一蹴雌命の本駈鮒二噸峨術の噸川l戦術は避けうるか箙三噸日水の脚
家権力の実態第四章赦命の形態・型第二部革命の史的考察-1である。
革命は、ひと口で一一一一口いつくせるものでないらしい。その概念や定義については、いろいろいわれている。エンゲルス風にいえば、革命は一定の
階級支配をおしのけ、他の陪級支配がこれに取って代ることである。またレーニン風にいえば、国家権力が、ある階級の手から他の階級の手にう階級支配をおしのけ、他の陪級支配がこれに取って処
つることであり、革命の本義や目的もこの点にある。
たけし東北大学教授・豊田武の『封建社会』(昭和躯・’細)のねらいは、日本とヨーロッパの封建社会の異同を明らかにするとともに、近代社会と封
建社会とを比較することによって、終戦後におこなわれている〃新しい改革〃の意味を問うたものである。〃封建〃とは、古代中国においておこ
なわれた価内を統沿するための政治制度のことであり、〃封土を分けて諸侯を肱てる〃意である(『広肝苑』)。そして〃封巡礼会〃とは、封建制皮
戦後のこの時期、著者によると、「封建(専制)主義を打破して、民主主義を確立せよ!」といったことばほど、教科書やラジオや往来で叫ば
れているものはないという。大日水帝同窓法は古いしきたりを残し、犬県を中心とする専制政府の刀を維持しようとする考えから生まれたもので
あるから両氏の臓利を鵬誠したものではなかった.卿愉から昭和のいまに王るまでl跡逃臓代の古い考えや慨習が卸雄遡胤として残り、 なわれた価内を統沿するための政治制度のことであり、〃封土聖(地方に椛力を分散するやり方)を基礎とする社会の意である。
鈴木次蔵その他「革命」。
それが世の中の発達を疎外しているという。これを一掃しないかぎり、真の
脆主主義は実現しないという。
水諜は万人むけにひじ鵬うに樅劫に沸かれている.内容の鰐は1節一
意封建社会の意味第二章封建社会の成立第一節西欧第二節日
本第三章封建社会の支配組織第四章封建時代の農村第五章封建
都市節六京家族制度第七章対座時代の宗教第八章跡建的な物の
考え方第一節主従の観念第二節格式の尊重第三節伝統主義と形
式主義第九篇封建社会の没瀧Iである。
おさかりょうU同士心社大学助教授・苧阪良一一の『社会的関係の心理学』(昭和妬・5)は、
いつかい蒋者は、みずから「私は一介の唯物論洲」である、と称した。粁者の人生観は、いっさいの階級的鞭山川から自らを解放したところの史的(弁証
法的)唯物論の人生棚であった。人間の社会から階級が撤廃されてはじめて、真の人間の雁史がはじまるという。そしてこの陪級撤廃のためにた
たかう理論と実践が、史的唯物論を哲学とする共産主義だという。われわれはみずから共箙主義者として束縛してはじめて、人間としての自由を 捨選択し一冊)橘lである。 昭和七年(一九三一筆停止を命じられた。
同人が箸わした詞 た人
。]:IMIマ が「;})ルツ そ学へス、火雄ク の肋一・人千八ウ 411、九エ は一○|波I9liI(
ilW肋-1 iiMj授七おに牧九に ちへ-.け た物、るもlll1l1Hド;}
の災和学で験IUlの あluの’1M た、<学つ当科念O uBp-.
京都大学教授・川口〃蔵の『マックス・ウェーバー批判』(昭和躯’5)は、ウェーバーの力法論について二つの小論を収めたものである。耕
川や勝によると剛戦後の1の祉会州学鼎において.マックス・ウ悪‐バー迩阿検討することがひじょうに流行ったという.内襟の概略は’一 背景を考慮する必要があるという。
京都大学教授・川口〃蔵の『マ 人間の社会的行動を具体的な〃人間関係〃の側面から捉えようとしたものであり、社会心理学書である。本書を社会学の視点からみれば、於水的災団における社会過概の心珊学的側而をまとめたものという(「序言」)。
内糯の概略は1節一厳から鋼瓜蕊まで殿斑溌長斑脈始人乳幼凡卿児瀧川などにおける、社会的行動と祉会的側係蛎六歳少年少
女期における社会的行動第七章青年期における社会的行動と社会的関係第八章社会的関係と科学としての心理学11である。
異性にたいして関心をいだく要素とはなにか。何よりも〃身体の美〃とはなにか。それはおもに”顔“と”姿〃である。その他、体の各部分の
美しさも、性的な引力にとって不可欠の要素であるという。しかしながら、美の標準は、氏族や時代、社会的要因によって変化するから、社会的
わした「科学的人生論11自然的人間から社会的人悶え」(昭和妬・5)は、終戦後、思想や生活の根本問題にふれて課いた小論を取
柵にまとめたものである・内需の概略はl序論人間論教護諭友傭諭恋愛論鰄人調文化論教育諭鑓生諭宗教諭総 さえぐさひろと(一九一一一二)戸坂澗、三枝博音らと唯物論研究会の創立に参加した。同十一一一年(一九一一一八)逮捕されこ年間獄中でくらし、当局から執 糾傘の概念二没Ⅷ仇眺靴諭の両検討lである.昭和期の科学思想史家)は、山形県米沢のひとである。来京物理学校(現・東京皿科大学)を川たのち、九州帝皿災験胆当)、戦後は鎌介アカデミア教授を雌柾した。大辨『自然科学史』(昭和澱~加)を課いたことで知られ
(24)11