調 査
藤原 宮東方 官衡地域 の調 査 (第
38・ 41・44次
)藤 原 宮 東 方 官 衝 地 域 で は
,こ
こ数 年 来 計 画 的 に発 掘 調 査 が行 な わ れ,東
面 北門 の西 側 で 整 然 と並 ぶ 長 大 な建 物 群 が確 認 され て い る。 今 回 の第38・ 41・ 44次 調 査 は これ ま で の調 査 と一連 の もの で 、官 衡 の規 模 や性 格 、建 物 群 の 基 本 的 な 配 置 な ど を さ らに明 らか に す る 目的 で 実 施 した 。第 38次 調 査 地 区 は 、1982年度 に調 査 した第 35次 調 査 地 区 に西 接 し、 1983年 度 末 に調 査 を行 な った。 引続 いて 1984年 度 当初 に さ らに 西 側 に第 41次 調 査 地 区 を設 定 し、続 いて そ の 北 側 に第44 次 調 査 地 区 を設 け た 。 な お 、第 41次 調 査
地 区 と第44次調 査 地 区 は遺 構 検 出 の 関 係 か ら一 部 調 査 地 が 重 複 して い る。
38歩〔
100m 21コ次
第 1図
藤原宮東方官衡地域調査位置図 (1:3000)
a
藤 原 宮 第38次調 査(1983年12月〜1984年3月)
調 査 地 区 は東 西
53m,南
北26mの
範 囲 の 水 田 で 、 面 積 は1380∬ で あ る 。調 査 地 区 の 層 序 は,基
本 的 に 上 層 か ら耕 土・ 床 土・ 灰 褐 色 土・ 茶 褐 色 土・ 黄 褐 色 粘 質 土 (地 山)の
順 で あ り,遺
構 の 大 部 分 は 茶 褐 色 土 上 面 で 検 出 した 。宮 の
大 垣 外 濠 内 擦
隊 迅
44次
‑4‑
主 な遺 構 は 、 掘 立 柱 建 物・ 掘 立 柱 塀・ 溝・ 土 壊 。池 状 遺 構 。小 穴 群 な どが あ り
,こ
れ らは藤 原 宮 期,藤
原 宮 期 以 前,そ
の他 に大 別 され る。藤 原 宮 期 の遺 構
藤 原 宮 期 の遺 構 に は 、 掘 立 柱 建 物S B 3300・
3480,掘
立 柱 塀S A 3500,宮
内 道 路S F 3499及 び そ の 東 西 両 側 溝S D 3501・3502が
あ る。掘 立 柱 建 物S B 3300は
,第
35次 調 査 で す で に そ の東 半 部 分 を検 出 して い る。今 回 の調 査 で は西 妻 柱 列 及 び それ よ り東 4間分 の 柱 穴 を検 出 した。 そ の結 果,
全 体 の 規 模 は
,桁
行9間
(総長26.37m),果
行3間 (総長8.18m)と
な り,柱 筋 の全 て に柱 の建 つ 長 大 な建 物 で あ る こ とが 明 らか とな った。 各 柱 間 の寸 法 は 、 桁 行
2.93m等
間,梁
行 は 中 央 部3.5m,両
脇 間 各2.34mと
な る。 柱 掘 形 は不 揃 いで あ るが,東
西1.2m,南
北lmの
隅 丸 方 形 を 呈 し,柱
の抜 取 り穴 を持 つ もの もあ る。S B 3300の西
28mで
南 北 に並 ぶ3個
の 柱 穴 S X 3510は S B 3300と一 連 の 施設 と考 え られ る。 建 物 の 張 出 し部 分 と も 日隠 し塀 の よ うな 施 設 と も想 定 で き るが, S B 3300に対 して北で 西 に わ ず か に振 れ て お り,詳
細はわ か らな い。 な お
,第
35次 調 査 で もS B 3300の 東 約3mで
同 様 の 施設 が 確 認 され て い るが,こ
の 場 合 は柱 を建 て た痕 跡 が 全 く認 め られ て い な い。S B3480 はS B 3300の 西 約8mの
位 置 にあ り,桁
行 2間以 上,梁
行 3間 の身 舎 の 南 と東 に庇 が つ く南 北 棟 の 掘 立 柱 建 物 で あ る。 柱 間 寸 法 は身 舎 が 桁 行24m等
間,梁
行 が 中 央 間
2.4m,両
脇 間1.8mで
あ る。 南 庇 が1.8m,東
庇 が2.lmの
広 さ を もつ 。 身 舎 の 東 側 柱 筋 と東 庇 柱 筋 の 一 部 に建 て 替 え が み られ る。柱 掘 形 は東 西1.2m,南
北 0。9m前
後 の 隅 丸 方 形 を呈 し,一
部 の柱 穴 に は 直 径25 cmほ どの 柱 痕 跡 が残 る。 柱 掘 形 の深 さ は現 在 の 遺 構 面 か ら70〜80 cmで あ るが,身
合 の 妻 柱 中央2本
は35〜40cmと浅 く掘 られ て い る。SA3500は
S B 3480の 西 約 10.5mに あ る南 北 塀 で 東 方 官 行 の 一 ブ ロ ッ クの 西 端 を画 す る塀 と考 え られ る 。柱 間 寸 法 は2.7m等
間 で8間
分 を確 認 した。なお,S A3500は 藤 原 宮 東 大 垣 よ り約
193m西
に位 置 す る こ と とな る。S F 3499は宮 内道 路 の 遺 構 で 藤 原 京 東 一 坊 大路 計 画 線 (先行 条 坊)を
踏 襲 した もの と考 え ら れ る。 路 面 の 幅 員 約13.6m,側
溝 心 々で 約15mを
測 る。 東 。西 の側 溝SD3501
‑9‑
(008:T)図
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∽ 0
G ■
・ S D 3502は そ れ ぞ れ 幅
1.4mの
素 掘 りの溝 で,藤
原 宮 期 を 通 じて使 用 され て い た もの と考 え られ る。 す な わ ち, S F 3499の計 画 道 路 上 に は藤 原 宮 期 に建 物 等 が建 て られ て お らず,こ
の道 路 が 藤 原 宮 期 に宮 内道 路 と して使 用 され て い たもの と思 わ れ る。 側 溝 の埋 土 に は流 水 を示 す砂 の堆 積 が あ る 。 藤 原 宮 期 以 前 の 遺 構
藤 原 宮 期 以 前 の 遺 構 は 弥 生 ・ 古 墳 時 代 の 遺 構 と
7世
紀 代 の遺 構 と に大 き く 分 け られ る。弥 生 時 代 の遺 構 は発 掘 区 の南 か ら西 北 方 に流れ る素掘 り溝
SD3530と SD35H
が あ る。S D 3530は溝 幅 最 大
4mで
,発掘 区 の 西 端 を斜 行 して 流 れ 、 南 よ りで 西 に分 流 す る。SD3511は
発 掘 区 南 端 中央 部 で 西 岸 の 一 部 を 確 認 した に と どまり
,全
貌 は 明 らか で な い。古 墳 時代 の遺 構 は素 掘 り溝
2条 ,池
状 遺 構・ 土 壊 が 各 1ケ所 あ り,埋
土 か ら 布 留 式 上 器 が 出土 した。 発 掘 区 の 東 北 隅 を斜 行 して流 れ るSD3490は ,第
35次調 査 で検 出 したS D 3305と 一 連 の もの と考 え られ
,溝
幅 約60 cmであ る。SD 3482 は発 掘 区 の 中 央 を南 か ら北 へ斜 行 す る幅約2.5mの
素 掘 り溝 で 、 北 端 で 池 状 遺 構 S X 3520に流 れ こむ 。SX3520は
東 西 幅 約15mで
あ るが,南
北 の 大 き さは わ か らな い。SK3512は
中 央 南 端 に あ る土 墳 で 北 半 部 の み検 出 した。7世
紀 代 の 遺 構 に は,小
規 模 な掘 立 柱 建 物SB3470と
南 北 塀SA3503が
あ る。SB 3470は 桁 行 5間
,梁
行 2間の 東 西 棟 建 物 で,柱
間 寸 法 は桁 行 。梁 行 と もに2.25m等
間 で あ る。柱 掘形 は一辺60 cmと 小 さ く,直
径15 cmほどの 柱 痕 跡 が あ る。 この建 物 も妻 中央 柱 の み柱 掘 形 が 浅 い。SA3503は SA3500の
西 約5.6m
の位 置 を 南 北 に通 る掘 立 柱 の塀 で
,11間
分 (各柱 間 約1.95m)を
確 認 した。これ らの遺 構 は 、 この官 衡 ブ ロ ック に お け る藤 原 宮 期 の建物 方 位 が 国 上 方 眼方 位 に対 して 北 で 東 に振 れ るの に対 して
,北
で 西 に振 れ て い る。 ま た,SB 3300
とS B 3470の柱 掘 形 の重 複 関係 か ら藤 原 宮 期 よ リー 時期 古 い遺 構 で あ る こ とが 明 確 に な って い る。
SB 3470, SA3503と
も柱 掘 形 埋 土 に藤 原 宮 期 及 び そ れ 以 降 の 遺 物 を 含 ま な い こ とか ら,藤
原 宮 造 営 時 あ る い は そ れ 以 前 の 遺 構 と判 断 さ れ る。SA 3503の 西 に あ る南 北 溝SD 3504も 同 時 期 の もので あ る。そ の 他 の遺 構
発 掘 区東 半 部 で 掘 立 柱 塀
5条
を検 出 し,そ
の他 に も多 数 の上 壊 や小 柱 穴 を発 見 したが,そ
の 時 期 や性 格 を明 らか に しえな い。遺 物
土 器 と瓦 が 主 な もの で あ るが
,出
土 量 が きわ め て 少 な く,東
方 官 衛 地 域 に共 通 す る特 徴 を もつ 。 土 器 は古 墳 時 代 の遺 構 か ら布 留 式 上器 が,弥
生 時 代 の溝 か ら同 時 期 の上 器 が ま とま って 出上 した ほか は,藤
原宮 期 の もの が少 量 出土 した に と ど ま る。 瓦 は藤原 宮所 用 瓦 が少 量 出上 しただ けで あ るが,そ
の中に軒 丸 瓦,軒 平 瓦 各 3点が 含 ま れ る。 その 他
,円
面 硯 1点,土
馬 3点 , フ イ ゴ羽 口2点,砥 石 1点
,弥
生 時 代 の石 庖 丁 未 製 品2点
な どが あ る。ま とめ
東 一 坊 大路 計 画 線 宮 内延 長 部 は藤 原 宮 造 営 後 も宮 内 道 路 と して生 き て い る こ とが 判 明 し
,そ
の 道 路 SF 3499の東 側 に あ る塀SA3500は
そ の 東 方 ブ ロ ッ クの 西 限 とな って い る と考 え られ る。 この 官 衡 を 区画 す る塀 は今 回初 め て検 出 した もの で あ り,官
衡 の外構 施 設 の 一 端 が 明 らか とな っ た。 東 限 の 施設 は確認 され て い な いが,第
30次 調 査 で検 出 したSB 2840ま で と して も,第
30・ 35・ 38次 調 査 区 に ま たが る東 西 約130mの
規 模 とな る。 ま た,官
衛 を構 成 す る建 物 も東 か らSB 2840(桁
行12間・ 異行2間 ,第
1図A), SB 2841(桁
行H間
・ 異 行2 間・ 床 束 あ り,第
1図B),SB 3300(桁
行9間
。異 行3間・ 総 柱,第
1図C)
の
3棟
の長 大 な東 西 棟 の建 物 が南側 柱 筋 を ほば そ ろ え て建 ち並 ぶ とい う特 徴 あ る配 置 を もつ 。 さ らに これ らの建 物 群 は西 端 に あ る南 北 棟SB 3480(第 1図D)
に連 な って 北 に折 れ 曲 が り
L字
形 の配 置 とな る こ と も知 れ る。 ま た、 各 建 物 の 平 面 も床 や 庇 の 有 無 を含 め て それ ぞ れ異 な って お り,建
物 の使 わ れ 方 が それ ぞ れ違 って い た もの と考 え られ る。この よ うに
,東
方 官 行 の 一ブ ロ ックの東 西 規 模 と建 物 の配 置 状 況 の 一 部 が 明 らか とな ったが,全
貌 を掴 む に は 至 って は お らず,そ
の究 明 が 今 後 の課 題 とな って い る。‑8‑
SA3861 SB3899│ SA3901
N A
SB3888
SB3 898
SK3667
X16637o
SB3897
sB3889
SA3890
/
SB3854
SA3634
X166400 ‑――――
E387
SA3639 sB3863
SK3669
S03670
面
SIIIWII
SK3658
│
Y17180 Om
第3図 第41・ 44次調査遺構配置図 (1:300) 1帥
前
O ︒ SE39 m一
的O
O ψ
然 け
/
70 FSK3871
B3911 0
K3676 SD3865
♀ ⑥
S B392
SA3856
SB3895
盈 5L暫
千7 SE3916
SK3 872
O評 現
SB391
SB3838
里 †。 6嗚 Ⅲ
SD3673 K3674
SK3647
0 40
︒
0 命0 A
SK3648 。 sX3660 o
﹃
︒ S A
① ︒
ф
O O°
。
O p6
SK3661 SE3665
S03652
〇 │ SB3635
SK3668
83637
6く動 0写単⊆Lさ払己正三二笠±■
=項挙l旦全ミξ45
SA364
&K3666 sK36豹
‑9・
b
藤 原 宮 第41次調 査(1984年4月 〜10月)
調 査 地 は 東 西
59m,南
北28mあ
り,現
在 は水 田 で あ る。調 査 地 の 層 序 は,上
か ら耕 土・ 床 土・ 黄 褐 色粘 質 土 (地山
)と
な り,西
半 部 は そ の上 に茶 褐 色 上 が 一層 あ る ① ま た東 半 部 の東 南 か ら西 北 にか け て,黄
褐 色 粘 質 上 の 下 層 の バ ラス 混 り砂 層 が 約12mの
幅 で 川 状 を 呈 して い る。検 出 した主 な遺 構 は藤 原 宮 期,藤
原 宮 期 以 前
,そ
の他 に大別 で き る。藤 原 宮 期 の遺 構
掘 立 柱 塀
SA363003631・
3632・ 3633・3634,土
壊SK3668が
あ る。SA3630は
声 西 塀 で,西
方 で調 査 地 外 に延 び,東
方 で はL字
状 に北 へ折 れ,SA 3631と な り第44次調 査 地 に 延 び る 。
SA3630は
20間 分52m,SA 3631は
3間分
8mを
検 出 した。 柱 間 寸 法 は多 少 不 揃 いだ が26m前
後 で あ る 。 掘 形 は 東 西1.3m,南
北lm前
後 の 長 方 形 を呈 して お り,深
さは平 均0.9mで
あるが,西 の方 が 深 い 。 三 か所 で 柱 根 が残 存 して お り
,現
存 径 は太 い もの で29 clllあ る。西 か ら
6番
目 の柱 掘 形 に は柱 の 不 等 沈 下 防止 用 の板 石 が あ った。 柱 抜 取 痕 跡 の あ る もの が 若 干 み られ る。SA3632は SA3630の
南 12.7mの と こ ろ に平 行 して あ り,同
じ く西 方 で 調 査 地 外 に延 び,東
方 はSA3630の
東 端 とは ぼ 同 じ位 置 でL字
状 に南 に折 れ, SA
3633となり,調査 地 外 に延 び る。
SA3632は
20間 分55m, SA 3633は 3間
分8mを
検 出 した。 柱 間 寸法 は2.7m前
後 で あ る。 柱 掘 形 は東 西1.lm,南
北0.85m前
後 の 長 方 形 で,深
さ0.6mあ
り,SA3630の
柱 掘 形 よ りや や 小 さ い。SA
3632と
SA3630と
は柱 筋 が通 らな い。SA3632は
柱 抜 取 痕 の あ る もの が み ら れ,北
方 に抜 き取 って い る もの が 多 い 。S A 3634は S A 3632の南
1.5mの
と ころ に平 行 して あ り,西
方 は調 査 地 外 に 延 び るが,東
端 はSA3633の
す ぐ西 で 途 切 れ て い る。 19間 分50mを
検 出 した。柱 間 寸 法 は ほば
2.6m前
後 でSA 3630と 一致 し,柱
筋 も大 体 通 って い る。掘 形 は東 西12m,南
北0,9m前
後 の 長 方 形 で,深
さは0.3m前
後 で きわめて浅 い。3条の塀 の うち
SA3632と SA3634は
そ の距 離 か らみ て共 存 した もので は な―
H―
く
,一
方 は作 り替 えで あ ろ う。SA3630と SA3634は
掘 形 の規 模 が異 な るの で 造 営 に前 後 が あ る こ と も考 え られ るが,柱
間 寸 法 が 同 じで 柱 筋 が 通 るので,同
時 に存 在 して い た とみ られ る。後 にSA 3634に 代 る もの と してSA3632・ 3633 が
, SA3630・
3631に対 応 す る性 格 の塀 と して作 られ た と推 定 され る。SK 3668は 東 西
7m,南
北5m,深
さ10 cmの不 整 形 な 浅 い土 壊 で あ る。藤 原 宮 期 以 前 の 遺 構
弥 生 時 代 の上 壊SK 3674と 古 墳 時 代 の 角 柱 掘 立 柱 建 物
SB 3650,
コ字 形 周溝 遺 構SX 3660,斜
行 溝SD 3651・3652・366303673,土
墳SK3661・ 3662・3669 お よ び7世
紀 代 の 上 壊SK3647が
あ る。SK3674は
径2.4mの
円形 を呈 し,深
さlmあ
る。 畿 内第V様
式 の 弥 生 式 土 器 が 大 量 に 出 上 し,そ
の他 に砥 石,自
然 木 が 出上 した。SB 3650は
SA3630よ
り古 い桁 行 5間 (総長8.8m),梁
行 3間 (総長 5,7m)の
総 柱 東 西 棟 建 物 で,建
物 方 位 はSA3630に
対 して東 で 北 に 11.5° 偏 れ て い る。 注 目 され るの は,東
西 の妻 中 央 部 分 の妻 柱 筋心 か ら約20 cm外側 に あ る 1 本 の柱 で,掘
形 も他 よ り特 に大 き い。 この 柱 は そ の位 置 か らみ て 神 社 建 築 等 に例 の あ る棟 持 柱 で あ る と考 え られ る。
柱 根 が計
15本
残 存 して い たが,す
べ て 断面 長 方 形 の 角柱 で
,柱
根 の 残って い な い掘 形 で も長 方 形 の柱 痕 跡 が み られ る もの が あ る。柱 は棟 持 柱 だ け が異 行 方 向 に長 辺 を 向 け て い る の に対 し
,他
の柱 はすべ て桁 行方 向 るに長 辺 を 向 け て い る。 柱 間 寸 法 は不 揃 いで
,果
行 方 向 で は1.9m前
後,桁 行 方 向 は
1,7m前
後 で あ る。 柱 掘 形 は東 西 に長 い不 整 方 形 を 呈 す る も4の
5m が 多 く,規
模 は,棟
持 柱 で は 東 が第4図 S B 3650遺構実測図 (1:200)
メ ″
0
ド'7,9。
1解
)(こ
)
◎ 処 ◎ ◎
皆
1.4×
1.Om,西
が 1.6×12mで
あ る の に対 し
,そ
れ 以 外 の柱 は大 き く と も1.0× 0。9m程
度 で あ る。柱 の 平 均 寸 法 は,外
側 柱 と棟 持 柱 が 長辺45 cm,短辺20 cmで あ るが,内
側 柱 は長 辺39 cm, 短 辺 17cmと や や 小 ぶ りで あ る。棟 持 柱 の 残 存 高 は東 が65 cln,西 が64 cmで あ るが,そ れ 以 外 の 柱 は 平 均24 cmで
,掘
形 も それ に従 って 浅 深 が あ り,前
者 が深 く埋 め込 まれ て い た こ とが わ か る。 これ らの 角柱 は すべ て ヒノ キ製 で あ る。SB 3650の 柱 掘 形 の うち
,南
側 柱 筋 の東 よ り2番
目,北
側 柱 筋 の 東 よ り 2・3・
4番
目の掘 形 に は建 物 の外 側 方 向 に長 さ3〜4.5m,幅
約0.5mの
細 長 い 掘 形 が 重 複 して い る。 これ は柱 掘 形 よ り後 に掘 られ て い る。 この うち北 側 の東 よ り4番
目の掘 形 で は柱 の 西 側 に接 して 長 辺22 cm,短 辺4 cmの 角 材 を 柱 の 長辺 に方 向 を揃 えて立 て,そ
の 下 に板 材 を 北 方 か ら入 れ,板
材 の下 に さ らに小 板材 を3枚交差 させ て 入 れ て ぃ る。 立 て た材 は 高 さ5 cmだ け残 存 して い た。 南 側 の 東 か ら2番
目の掘 形 で は,柱
は残 って い な いが,そ
の西 隣 の掘 形 に は長 い板 材 が残 存 して い る。 これ らは お そ ら く,建
物 が 老 朽 化 した後,床
の 沈 下 を 防 ぐた め柱 に沿 って 補 助 柱 を 立 て た際 の仕 事 で は な いか と考 え られ る。細 長 い掘 形 が すべ て 建 物 の 外方 にあ る こ とは,建
物 が 立 って い る状 態 で,そ
の周 囲 か ら補 修 を加 え た こ とを示 す もの で あ ろ う。 この他 に東 の棟持 住 の東 方 で も細 長 い掘 形 が あ り,立
って い る材 を長 い板 材 で 支 えて い るのが み られ るが,同
様 の仕 事 で あ ろ う。 ただ 棟持 柱 とlmの
間 隔 が あ り,ど
の よ うな補 修 を行 な った の か具体 的 な こ と は不 明 で あ る。 ま た南 側 柱 筋 の東 か ら3番
目の掘 形 で は本 来 の柱 の位 置 に小 板 材 を交差 させ て置 いて お り,北
側 柱 筋 の東 端 の 掘 形 で も柱 痕 跡 の 直 下 に小木 片8本
を敷 い た状 態 で 置 いて い る。 これ は本来 の柱 に対 して の仕事 で あ り,掘
形 も重 複 して い な い ので,建
物 建 設 時 に柱 の高 低 を調 節 す るた め に行 な った もの で あ ろ う。SB 3650の 上 部構 造 に つ いて は不 明 で あ るが
,今
の と ころ高床 の建 物 の可 能 性 が考 え られ,掘
形 の 深 さの相 違 か らみ る と,棟
持 柱 以 外 の 柱 は床 まで で あ った こ とが 推定 され る。
SB 3650の 時 期 に つ いて は柱 掘 形 内 か ら布 留 式 上 器 片 が 出上 し
,そ
れ よ り新 しい遺 物 が み られ な い 乙 とか ら, 5世
紀 代 と考 え られ る。 な お 東 棟 持 柱 の掘 形‑13‑
内 か ら手 斧 の ハ ツ リ屑 が 出土 した。
SX 3660は 幅
15m,深
さ0.6mの
断面 逆 台形 の コ字 形 に曲 が る溝 状 遺 構 で 北 面 は6m,西
面 は7mで ,西
面 の 南 端 は浅 くな る。 東 面 は土 壊SK3661と
井 戸SE 3655に よ り南 半 が破 壊 され て い る。 布 留 式 上器 が 出 上 したが,性
格 は不明 で あ る。
SK3662は
SK 3660の 内部 に後 に掘 られ た南 北6m,東
西2.6mの
長 方 形 の 上 壊 で
,布
留 式 上 器 が 出上 した。西 北 の斜 行 溝SD 3673は や は り布 留 式 上 器 を 含む 溝 で あ る。 他 の斜 行 溝SD3651・ 3652・3663,お
よ びSK3661・
3669は
6世
紀 前 半 の 上 器 を 含 ん て い た。SK3647は
南 北8.7m,東
西4.2mの
長 方 形 を 呈 し,深
さ20 cmであ る。 遺 物か ら
7世
紀 後 半 の時 期 の 上 壊 で あ る とみ られ る。そ の 他 の 遺 構
掘 立 柱 建 物 SB3635・ 3636・ 3637・
3638,掘
立 柱 塀 SA 3639・ 364003641・3642・ 3643・ 3645・
3646,井
戸SE 3655,土 壊S K 3648・ 3666・ 3667・ 3676, 石 組 暗 渠SD 3670等 が あ る。SB 3635は SA 3630よ り新 し く
,桁
行4間 ,果
行 2間の 南 北 棟 で,桁
行 柱 間2.3m,梁
行 柱 間21mで
あ る。 南 妻 柱 穴 は後世 に削平 を 受 け た た め か検 出 で き な か った 。SB 3636は桁 行7間 ,果
行 2間の東 西棟 で,柱
間 は2.5m前
後 で あ る。SB 3638は 果 行 2間,桁
行3間
〜5間の南 北 棟 で,桁
行 柱 間1.4m,梁
行 柱 間
2.lmで
あ る。 これ らは柱 掘 形 等 の遺 物 か らみ て 平 安 時代 初 期 の建 物 で あ ろ う。SB 3637は 桁 行 4間,果
行2間の小規模 な東西棟で,
柱 根 が6か所 で 残って い た 。SA 3639は 建 物 に な る可 能 性 もあ る。
3個
の掘形全部 に柱根 が遺存 し て い た 。 この 他 は皆 小 規 模 な塀 で,SA3643・
3645に は柱 根 の 残 るものが あ る。時期 は
SA3643が
奈 良 時代 末 〜平 安 時 代 初 期 で あ る以 外 は不 明 で あ る。SE3655は
径3mの
円形 掘 形 を 掘 り,中
央 に さ らに一 辺1.4mの
方 形 掘 形 を 掘 り下 げ,井
戸 枠 を設 置 した ら しい。 井 戸 枠 は残 存 しな いが,痕
跡 か ら丼 戸 本体 は一 辺
1.lmの
方 形 で あ る こ とが知 られ る。 遺 構 面 か らの 深 さは1.2m,
う ち 円形 掘 形 の深 さは0.8mで
あ る。井 戸 埋土 中 か ら曲物,斎
串 が 出上 した 。SD 3670は 東 西 の 石 組 暗 渠で
,両
側 石 1段 と蓋 石 が あ り,底
石 は な い。 幅70cm,底
面 か ら蓋 石 上 面 まで は40 cmで,約 4m分
を検 出 した。 西 は調 査 地 外 へ続 くが,東
は平 安 時 代 初 期 の南 北 溝 に よ り壊 され て お り,そ
の 溝 の東 方 で は検 出 され な か った 。SD3670は SA3632の
柱 掘 形 上 を覆 う上 の 上 に据 え られ て い る の で,藤
原 宮 期 以 後 で 平 安 初 期 以 前 の もので あ ろ う。SK 3648はSB3635よ
り 新 し く,南
北25m,東
西2.5m,深
さ25 cmの不 整 円形 の上 壊であ る。SK3666
・3667・ 3676は 中世 の上 壊 で あ る。
遺 物
藤 原 宮 期 の軒 平 瓦
,軒
丸 瓦 の ほ か,土
器 類 は 陶 硯,土 馬
,土
錘,フ
イ ゴ羽 口,緑
釉 陶 器, SD 3670の
裏 込 め土 出上 の須 恵 器 ミニ チ ュ ア杯,お
よ び新 羅 土 器,墨
書 土 器 が あ り
,こ
の 他 に ガ ラス小 玉,砥
石,石
鏃,石
匙
,滑
石 製 石 鍋,銭
貨 (神功 開 宝),木
簡 が あ る。 また東 半 部 の バ ラ ス混 り砂 層 か ら縄 文 時 代 前 期 の上 器 が 出 上 した。 墨 書 土 器 はSE 3655か ら出土 した黒 色 土 器
A類
椀 で,底
部 外 面 に,「
FTR国 」 「 開 口J「
家 」等 の文 字 が記 され て い る。 木 簡 は
SA3630の
掘 形 中 か ら3 点,SK3647か
ら1点出 上 したが,小
片 ま た は腐 蝕 の 甚 だ しい もの で,顕
著 な もの は な か った。ま とめ
宮 内道 路SF 3499西方 の
,L字
状 に曲 が る長 大 な塀SA 3630〜 3633は ,そ の 位 置 か らみ て 内裏 東 方 の官 行 を 区画 す る塀 で あ り, SA3630の
北 とSA3632の
南 が 官 行 内 で あ る と考 え られ る。 こ こ に新 た に2つの 官符 ブ ロ ックの存 在 が 明 らか とな っ た 。 南 北 両 官 行 を 区 画 す る塀 の 間 は 東 西 道 路 と して 機 能 して い た と み られ, S F 3499と
T字
状 に交 わ って い たの で あ ろ う。 東 西 道 路 心 か ら東 面 北 門 心 の 西 へ の延 長 上 まで は約90mあ
り,こ
れ は東 面 北 門 と東 面 中 門 間 の距 離 の ほば 三 分 の 一 で あ る。 ま た北 側 官 行 ブ ロ ックの 北 限 が 東 面 北 門 南 端 位 置 の 西 へ の延 長 上 付 近 とす る と,北
側 官 衛 区 画 の 南 北 長 は約80mに
な る。官 衛 区 画 の 東 西 長 につ い て は,西
限 が 内裏 の東 側 に あ る南 北 溝SD105と
す れ ば 約85mで
あ0 10Cm
第5図 井 戸S E 3655
出土 土 器 (1:4)
ャ ノ
‑15‑
り
,そ
の 東 のS D 850ま で とす れ ば約70mと
な る。 いず れ にせ よ 北 側 官行 は方 形 に近 い ブ ロ ックで あ る こ とが 想 定 で き る。 な お宮 内 南 北 道 路 S F 3499よ り東 側 の 東 方 官 衡 の建 物 は北 で 東 に偏 れ る傾 向 が み られ るが,そ
れ よ り西 側 にあ る 官 衛 区画 の 掘 立 柱 塀SA3500, SA3630・ 3631,SA3632・
3633・3634は
北 で や や 西 に偏 れ る こ とを書 き 添 え て お く。SB 3650は例 の少 な い 古 墳 時 代 の 棟 持 柱 を持 ち角 柱 を用 い た建 物 と して貴 重 で あ る。 この 建 物 は 高床 と推定 され る こ とか ら
,倉
庫 の可 能 性 も あ る が 断 定 で き な い。 調 査 地 西 端 の 溝SD3673は
方 位 が 近 似 す るの で 関 連 が 考 え られ るか も しれ な い。C
藤 原 宮 第44次調 査(1984年10月 〜 1985年 4月)
藤 原 宮 第44次調 査 は
,第
41次 調 査 区 に北 接 す る東西2枚
の 水 田で 実 施 した。前 回 に判 明 した 官 衛 ブ ロ ックの 内 部 構 造 を究 明 しよ う とす る もの で あ る。
基 本 的 な層 序 は
,耕
土 と床 上 の 下 に灰 褐 色 上 が全 体 的 に堆 積 す る。 灰 褐色 土 中 に は染 付 片 が 含 まれ る。 灰 褐 色 土 下 の 層 序 は,東
西 の水 田 に よ って 若 干 異 な る。 西 側 水 田 の東 半 分 か ら東 側 水 田 の西 端 にか けて は暗灰砂 質 上 が堆 積 し,平
安 時代 の 上 師器 小 皿 等 が 含 まれ る。 南 北 方 向
,東
西 方 向 に縦 横 に掘 られ た耕 作 用 の小 溝 はす べ て この 灰 褐 色 土 か 暗灰 砂 質 土 上 面 か ら掘 られ て い る。 東 側 水 田 は西 端 部 分 を除 き基 本 的 に は灰 褐 色 上 下 で 黄 褐 色 系 粘 質 砂 や砂 質 粘 上 の地 山 に な る。西 側 水 田で は 暗灰 砂 質 上 下 に は暗 褐 色 土 が全 体 的 に広 が る。 暗 褐色 上 の 堆 積 は西 北 方 向 に厚 く,南
端 では極 めて薄 いところが あ って 暗灰 砂 質 上 下 で す ぐ に黄 色 粘 土 系 の 地 山 とな る と ころ もあ る。 暗 褐色 土 中 に は 弥生 式 上 器,古
墳 時 代 の 上 器 が 包 含 され,こ
の 上 面 が 藤 原 宮 期 の遺 構 面 とな って い る。 しか し,暗
褐 色 土 上 面 で 明 瞭 に確 認 で き る遺 構 は少 な く
,全
体 的 に は極 め て 遺 構 が 識 別 し に くい た め最 終 的 に は暗 褐 色 土 を完 全 に除 去 して遺 構 検 出 を行 な った。調 査 区 全 体 の 地 山 の状 況 は大 略 西 北 部 分 を 中 心 に黄 色 系 粘 質 砂 土,西
南 は黄 褐 色 系 粘 土,中
央 部 北 端 に は黄 色 礫 混 じ り粘 質 砂 土,南
半 分 は灰 色 砂 も し くは 褐色 砂,東 半 部 は黄 褐 色 系 粘 質 砂 土 も し くは砂 質 粘 土 とな って い る。 西 北 部 で も下 層 に は
,灰
色 砂 が あ る の で,中
央 部 の 砂 は 基 本 的 に 調 査 区 を斜 め に横 切 る大 き な 旧流 路 と思 わ れ る。(1)
遺 構 (第 3図参 照)今 回 の調 査 区 は
,極
め て多 数 の柱 穴,小
穴,土
壊 が重 複 して お り,出
土 遺物 も弥 生 時 代 か ら平 安 時代 まで 長 期 に渡 る ため,正
確 な 建 物 の棟 数 や それ ぞ れ の 所 属 時 期 に つ いて は慎 重 な検 討 を必 要 と して い る。 こ こで は,比
較 的 ま とま り もあ り,時
期 の確 定 で き る もの に つ いて 報告 す る。 主 な遺 構 は,掘
立柱建物20, 掘 立 柱 塀15,溝 4,井
戸5,上
壊11な どが あ る。第44次調査主要遣構一覧表
‑17‑
遺 構 番 号 種 類 規 模
総 数
間 長 柱 間 寸 法
SA 3631 SB 3850 SB 3851 SB 3852 SB 3853 SB 3854 SB 3855 SA 3856 SA 3857 SA 3860 SA 3861 SB 3888 SB 3889 SA 3890 SA 3891 SB 3895 SB 3896 SB 3897 SB 3898 SB 3899 SB 3900 SA 3901 SB 3910 SB 3911 SB 3912 SA 3913
南 北 塀
(45°)
南 北 棟 東 西 棟 東 西 塀 南 北 塀 東 西 棟 南 北 棟 東 西 棟 南 北 棟 南 北 棟 東 西 棟 南 北 塀 東 西 棟 東 西 棟 南 北 棟 東 西 塀
桁行
梁行 11間 以 上
3間 ×3間
3
×34
×3(4)× 3
4
×34
×3 5 4 20以 上3以上
2以上 ×2
2以上 ×2 14以 上 10以 上
6
×33
×31以上 ×3
2以上 ×2
3以上 ×3
14 × 2 11以 上
7
×23
×23
×27
桁行
梁行
29.lm以上
54m× 4̲8m 54
×48 60
×50 (74)
× 6556
× 5052
×5180 52
363以 上65以上
36以上 ×52 42以̲上 ×42 25.1以上
192以上
106 ×53
53
× 48 265以上 ×4753以
上 ×47795
×66 330 × 53 291以上147 × 36 4.8 × 30
56
×3410̲5
桁 行 梁行 265m 18 m. 16 m 18 , 16 15 , 167̲
閣 ,zO守 少♂
14 , 167 13 , 17
16 13 15 , 18
1 6 , 2 5
18 , 26
21 , 21 16 ・ 18 18 ・ 24 177 , 177 177 , 16 265 , 235 265 , 235 265 , 18・ 32 235 , 265
265 21
16 185
18 15 17
第1表
藤 原 宮 期 の 遺 構
第41次調 査 で
,内
裏 に東接 す る官行を70〜80m四
方 で と り囲 む と予 想 され る南 面 東 西 塀SA3630と
東 面 南 北 塀SA3631の
一 部 が わ か って お り,今
回 は南 北 塀 の北 延 長 部 と官衛 内 部 の建 物 の検 出が 期 待 され た。 調 査 区東 端 で は予 想 どお り,南 北 塀 を新 た に10間分 検 出 し
,さ
らに北 に延 び る こ とを確 認 した。 この 塀 は第 41次調 査 で 検 出 した東 西 塀SA3634の
よ うな作 り替 え は認 め られ ず,藤
原 宮 期 全 体 を通 じて存 続 した と考 え られ る。 塀 に囲 ま れ た内狽1で検 出 した藤 原 宮 期 の 建 物 遺 構 は2時
期 に分 け られ る。<A期 >
掘 立 柱 建 物2棟
が あ る。調 査 区西寄 りで検 出 した建 物SB3895は
桁 行 6間
,果
行 3間の東 西 棟 で,西
妻 は調 査 区 西 壁 断 面 に か か って い る。 あ る い は こね が 間 仕 切 りで さ らに建 物 が 西 に延 び る可 能 性 もあ ろ う。建 物SB3896
は
,桁
行・ 梁 行 と も3間
の 総 柱 建 物 で あ る。両 建 物 の柱 間 は1.77m, 16m
と極 めて 狭 く
,ま
た,時
期 を 直 接 確 定 す る遺 物 も出土 して い な い。 しか しSB
3895の
重 複 関 係 が 後 述 のB期
南 北 塀SA 3901よ り古 く,溝 SD 3880や S B 3889 よ り も あ た ら しい こ と,柱
掘 形 が 大 規 模 で 規 格 的 で あ る こ と,ま
た建 物 の 方 位 が外 郭 塀SA 3630, SA3631の
方 位 と よ く合 致 す る こ とな どか ら,藤
原 宮 の 時 期 と考 え ざ るを え な い。2棟
の建 物 の位 置 か らみ て官 衛 ブ ロ ック内 は細 分 され ず に使 用 され て い た よ ぅで あ る 。<B期 > A期
の建 物 を徹 去 し,配
置 を ま った く一新 して い る。掘 立 柱 建 物4,南
北 塀 1を確 認 した。東 を 区 画 す る南 北 塀SA3631は
その ま ま踏 襲 され,新 た に
,南
北 塀SA3901が
内 部 を仕 切 る塀 と して作 られ て い る。 11間 分 を確 認 したが,さ
らに北 へ と延 び て い る。 南 で は この 塀 は官 衛 の 南 を 画 す る 東 西 塀 SA 3630の 東 か ら17番 目の 柱 に取 り付 く。 そ の位 置 はSA3631の
心 か ら41.3m 西 で あ る。 この塀 に よ って官 衝 内 は少 な くと も東 西 に三分 され る こ とに な る。塀 の西 側 の 区画 で は建 物
SB3897を 1棟
確 認 した。 調 査 区 外 西 方 へ延 び るた め その 規 模 は 不 明で あ るが,異
行 3間の 東 西棟 と考 え られ る。 塀 の東 側 に は3 棟 の建 物 を検 出 した 。 東 西棟SB3900は ,桁
行14間,果
行 2間の 細 長 い建物で,藤 原 宮 官 衡 建 物 の特 徴 を備 え る もので あ る。 この東 西棟 を 中心 に
,西
北 と東 北に そ れ ぞ れ 1棟づ つ の 南 北 棟 が あ る 。西 北 の建 物SB 3898は桁 行 2間以 上
,果
行 2間で
,調
査 区 外 北 へ 延 び るた め規 模 は 不 明 で あ る。 東 北 の建 物SB 3899は ,桁 行
3間
以 上,梁
行3間
で 調 査 区 外 北 へ 延 び る。 南 妻 の柱 間 は 中央 間 が広 い。B期
の建 物 は す べ て建 物 方 位 が よ く揃 い,ほ
ぼ方 眼 方 位 に合 致 す るが,外
郭 塀SA3631や
SA 3901と は方 位 を異 に す る。 塀 に対 して は北 で 東 に 振れ てお り,この 点 で は他 の 東 方 官 衛 の 建 物 方 位 と区 画 施 設 との 関 係 に類 似 す る。
古 墳 時 代 の 遺 構
調 査 区 中央 を方 眼 方 位 に対 して45° の 振 れ で 斜 行 す る溝
SD 3865と ,こ
れ に2.5m離
れ て平 行 す る塀SA3860が
あ る。 塀 は 南 端 に 近 い と こ ろで 途 中2間
分 柱 穴 の 欠 け る部 分 が あ るが,全
体 と して は20間 分 を検 出 した。 北 東 で は ほ ば 直 角 に折 れ 曲 が り, SA 3861と な り北 西 に3間
以 上 延 び る。 南 西 端 に つ いて は,第41次調 査 区 へ延 び て い くが
,南
に い くに従 って柱 穴 が 浅 くな って い る た め,遺 存 して い な か った。tt SD3865も 同 じ く南 で は遺 存 して い な い。 溝 中 よ り相 当 量 の上 器 が 出上 して お り
, 6世
紀 後 半 〜末 に比 定 で き る。塀 と溝 の 北 西 側 で は整 然 と並 ぶ建 物 6棟 と塀 2条を検 出 した 。 北 東 の 建 物SB 3850,次のSB 3851 は,い
ず れ も桁 行・ 果 行 と も3間
の 建 物,建
物 SB 3852は 桁 行 4間,異
行 3間 の建 物 で あ る。 この建 物 は いず れ も塀 と約
4m離
れ て 平行 に建 ち,隣
棟 間 隔 も ほ ば 等 距 離 に取 って い る。建 物S B 3852の南 西 に さ らに 1棟の 建 物SB 3853 が あ るが,調
査 区 外 へ延 び る た め,正
確 な 規 模 は わ か らな い。 桁 行 方 向 を塀 に 直 交 させ て4間
とみ れ ば,前
の3棟
の 側 柱 と妻 柱 筋 が 揃 う。 乙の建 物 の 北 西 方 向 に,桁
行方 向を塀 に直交 させ て桁 行4間 ,異
行 3間 の建 物SB3854が
あ る。SB
3854と S B 3853は 北 東 側 柱 筋 を揃 え て い る。 これ らの
5棟
とは北 西 に や や 離 れ た位 置 にS B 3855が あ る。 桁 行4間 ,梁
行3間
の 同 規 模 の建 物 で,西
南 と東 南 に それ ぞ れ 短 い塀SA 3856・SA3857が
あ って,目
隠 しの役 目 を して い る。以 上 の配 置 か らみ る と お そ ら く塀 SA 3860も西南で は曲が り
, 6棟
の 建 物 を と り囲 む の で あ ろ う。 これ ら建 物 の柱掘形 の規模 は建物間や同 じ建 物 内で も大 小 が あ って 不揃 いで,柱
間 寸 法 は いず れ も1.8m前
後 と,狭
い のが 特 徴 で あ る。そ の他 古 墳 時 代 の 遺 構 と して は調 査 区 東 寄 りに あ る
4基
の 土 壊SK3869,SK
‑19‑
3870,SK 3871, SK 3872が
あ る。4基
の上 墳 は互 い に重 複 して い るが, 5 世 紀 後 半 か ら6世
紀 中 頃 の上 器 が 出土 して い る。7世
紀 代 の 遺 構調 査 区 西 端 に あ る南 北 溝
SD3880は
途 中 で 鍵 の 手 に屈 折 す る曲 溝 で,南
北 とも調 査 区 外 に延 びて い る。 北 に行 くに従 って 深 くな って お り
,南
端 で は ほ とんど痕 跡 程 度 で あ る。 第 41次 調 査 区 で は遺 存 して い な か っ た。 この溝 は出土 遺 物 か らみ て
7世
紀 後 半,土
器 編 年 で い えば 飛 鳥 Ⅲ期 に相 当 す る。重 複 関 係 か らこの 溝 よ り新 し く
,藤
原 宮A期
の建 物SB 3895よ り も古 い東 西 棟 建 物SB 3889と そ の北 に南 北 棟SB3888が
あ る。S B 3888は,調
査 区外 へ 延 び る南 北 棟 で,桁
行 2間以 上,果
行 2間で あ る。SB 3889も 同 じ く調 査 区 外 へ 伸 び る東 西 棟 で,桁
行 2間以 上,果
行 2間で あ る。 この建 物 を 囲 む よ うに東 西 塀SA3890,南
北 塀SA3891の 2条
の塀 が あ る。 東 西 塀 は14間 分 を確 認 したが, 調 査 区 外 西 へ つ づ い て い る。南 北 塀 は10間分 を確 認 したが,同
じ く調 査 区 外 北 へ 延 び て い る。 この 2つの 塀 の交 点 に あ る柱 穴 が藤 原 宮B期
の東 西 棟 の柱 穴 と 重 複 し,こ
れ よ り も古 い こ とを確 認 して い るが,こ
れ だ けで は藤 原 宮A期
の 建 物 との 関 係 は わ か らな い。 しか し,藤
原 宮A期
の 建 物 は2棟
と も,大
規 模 で 規 格 の そ ろ った柱 穴 で あ る の に対 し,こ
の塀 は,柱
穴 の大 き さ も柱 間 間 隔 も不 揃 いで あ る点 で,む
しろ前 2棟 との 類 似 性 が高 く, この両 者 を 同時 期 と考 え た。調 査 区東 北 隅 の 大 土 娯
SK3885か
らは7世
紀 後 半 の土 器 が 出上 して い る。平 安 時 代 の 遺 構
出土 遺 物
,重
複 関 係 な どか ら平 安 時 代 に属 す る遺 構 が あ る。 建 物3,塀
1, 井 戸2が
あ る。 調 査 区 西 南 に あ る東 西 棟SB3910は ,桁
行7間 ,梁
行2間 の,この 時 期 の 建 物 と して は大 規 模 な もので あ る。 北 西 に あ る東 西 塀
SA3913は
7間分 を 検 出 した。
2基
の井 戸 の うち北 側 のSE3914は ,一
辺2,4mの
掘 形,本
体 の大 き さ方
0.85甲
の 規 模 で あ る。 隅木 を 立 て て そ の後 に縦 板 を一 辺 に4枚
たて る もの で
,そ
の 固定 の た め に横 桟 を入 れ て い る。横 桟 は最 下 段 が 残 って い た。 横 桟 の 下 は大 き さを狭 め て横 板2枚
を重 ね て い る。 現 状 で の井 戸 底 まで の 深 さはlmと
極 め て浅 い。 出土 遺 物 は少 な く,土
師 器 の 他,斎
串 2本が あ った。も うひ とつ の井 戸
SE3915は ,掘
形 の 大 き さ が東 西25,南
北3.Omで ,井
戸 本体 は方1.lmの規模 で あ る。 隅 木 が な く縦 板 組 で 横 桟 を 組 ん で補 強 して い る。縦 板 は一 辺 4枚で あ る。井 戸底 は同 じ く浅 く
0.8mで
あ った。 出土 遺 物 は多 く,土 師 器
,須
恵 器,瓦 ,曲
物,櫛
な どが あ る① いず れ の井 戸 も出土 遺 物 等 に よ り 平 安 時 代 初 期 と考 え られ る。これ らの 遺 構 の他 に建 物
2棟 SB3911, SB3912を
この 前 後 の 時期 と考 えた。両 建 物 と も時 期 の 決 め 手 を 欠 くが
,柱
穴 の 規 模 と建 物 配 置 関 係 か ら平 安 時 代 の遺 構 と考 え られ る。 とすれ ば建 物,塀 ,井
戸 が セ ッ トとな った配 置 とみ ることが 可 能 で あ る。
そ の他 の遺 構
調 査 区 西 南 端 で検 出 した井 戸
SE3874は ,径 1.5m,深
さ1.5mの
素 掘 りの 井 戸 で,弥
生 式 上 器 第V様
式 の ほ ば完 形 の 高 杯,壺
な どが 一 括 出 上 した。ま た, 調 査 区 東 南 の上 壊SK3676あ
る い は井 戸SE 3916・SE3917は ,い
ず れ も平 安 末 〜 中世 の もの と考 え られ る。最 初 に も述 べ た よ うに,こ
れ らの遺 構 以 外 に多 数 の 小 柱 穴,小
穴,土
壊 類 が あ るが,い
ず れ も時 期 の決 め手 を 欠 き,建
物 と し て ま とめ る に もま だ検 討 を必 要 と して い るの で こ こで は省 略 す る。(2)
遺 物遺 物 は小 量 の 瓦 と土 器 類
,木
製 品,銅
釘 な どで あ り,顕
者 な もの は な い。 瓦 は,藤
原 宮 式 軒 平 瓦 6641 Ab・6643新
・6646B,軒
丸 瓦6273Cが
各 1点ある。丸 。平 瓦 類 も ご く少 量 で あ る。土 器 は
,藤
原 宮 期 の もの は極 め て少 な く,弥
生・・ 古墳 。平安 時 代 の もの が多 い。 弥生 土 器 は井 戸S E 3874か ら一 括 出 上 し
,そ
の 他
,須
恵 器,上
師 器,黒
色 土 器,瓦
器 な ど が あ る。 木製 品 は井 戸SE3914・
SE 3915か ら出土 した。
(3)ま
とめ今 回 の調 査 で は
,い
くつ か の 重要 な 成果 が得 られ た 。 そ の 第 1は藤 原 宮 の 官 衛 配 置 に2時
期 の変 遷 が 存 在 す る こ とが判 明 した こ とで あ る。 これ ま で も内裏 地 域 や西 方 官 衡 地 域 で2〜3期
の建 て替 えや 改造 の あ る こ とは確 認 しているが,官 行 の配 置 そ の もの を大 幅 に変 更 して い る例 を確 認 したの は初 め て で あ る。
C
‑21‑
の官 行 ブ ロ ック は 内裏 の す ぐ東 に隣接 す る重 要 な場所 で,70〜80m四方 の敷地 を 占め て い るが
,A期
に は この 中 を と くに区分 す る こと もな く使 用 して い た こ と を示 して い る 。 しか し, B期
で は 南 北 塀SA3901が
あ って 明 らか に敷 地 を東 西 に三 分 して,全
く異 な っ た官 衝配 置 に替 え て い る。 藤 原 宮 存 続 期 間 が わ ず か 16年 で あ る こ とを考 慮 す れ ば, この 改作 は極 めて画 期 的 な こ とで,そ
の 契機 を 求 め る とす れ ば遷 都 後6年
して 発布 され た大 宝 律 令 が想 起 され る。大宝律令 は, 法 律,機
構,制
度 の す べ て にわ た って律 令 体 制 の完 成 を め ざ した法 令 で あ る。役 所 や 官 人 の ラ ン クづ け
,組
織 の統 率 関 係 や 組 織 分 担 の 明確 化,な
ど官 衡 機 構 の 整 備充 実 を はか った もので,奈
良 時 代 の 中枢 機 構 で あ る二 官 八 省 を は じめ とす る行 政 機 構 は この法 令 に よ って 整 え られ た。A・
B2
時 期 の変 遷 は
,官
行 の細 分 充 実 を 示 す もので,大
宝 律 令 に伴 う機 構 改 革 の 内容 と も符 合 し,極
め て重要 な 問題 を提 起 して い る と い え よ う。 ま た この 仮 説 が認 め られ る と す る な らば
,宮
殿・ 官 行 の 変 遷 を 考 え る際,掘
立 柱 建 物 の耐 用 年 数とい った技 術 的 な事 情 とは別 に,
政 治 的 な 理 由 を も って 極 め て 短 期 間 の うち に改 作 が行 な わ れ る こ と を示 す 点 で も重 要 で あ ろ う①
第 2の成果 は
, 6世
紀 後 半 の居 宅 資 料 に新 しい一 例 を加 え た こ と で あ る。 第41次調 査 で み つ か った 棟持 柱 を もつ 建 物 に関 連 す る時期 の遺 構 は検 出 され な か ったが,今
藤原宮A lul選構
仁̲̲̲̲̲̲可̲̲―――――,一―――――三lm
S83898 S8389g
SA390' SA363
持 鮮
9'
SA3630
│
第 6図
第41。 44次 調査遺構 (藤原宮A・ B期) SB3895 sASS31
藤 原 宮B期道 構
変遷図 (1:1000)
円古ニユE員
古 墳 時 代 の 遺 軽
,世 紀 代 の避 構
ll原宮A期の 避構
燃原宙 B別 のせll
平/711代の遺構
0 30m
第 7図
第41・ 44次 調査
遺構時期別変遷図 (1:2000)
回 の例 は約
50mの
塀 と溝 とに 区画 され た 内側 に, ほ ぼ 同規 模 の倉 庫 風 建 物 を計 画 的 に配 置 す る もの で,一
般 の集 落 とは見 な しが た い。 近 年 の調 査 例 で あ る兵 庫 県 松 野 遺 跡 と比 べ た と き,塀
と溝 で 囲ま れ る点 で は類 似 す るが
,中
の建 物 の計 画 性 の高 さ と棟 数 が本 例 の方 が多 い こ と,か
と い って 和 歌 山県 鳴 滝 遺 跡 の よ う に大 規 模 な倉 庫 が密 接 して連 立 す る よ うな配 置 と も異 な って い る こ とな どか ら, 両 者 とは性 格 を異 に して い るよ うで あ る。 む しろご く最 近 調 査 され た平 城 京 左 京 八 条 一 坊 二・ 三 坪 の 下層 の建 物 群 の配 置 に よ り近 い と言 えよ う。 い ず れ に して も豪 族 の居 宅 も し くは屯 倉 等 の 公 的 施 設 に関 連 す る可 能 性 が 高 い 。
第 3の成果 は
, 7世
紀 後 半 の 藤 原 宮 造 営 直 前 の 宅 地 の 一 部 が わ か って き た こ とで あ る。 今 回 検 出 で き たの は塀 の一 部 と これ に 囲 ま れ た建 物2棟
で あ るが,区
画 を も っ た敷 地 を確 認 した こ との意 義 は 大 き い。7世
紀 代 に お け る政 治 的 中 心 地 で あ っ た飛 鳥 盆 地 で は,宮
殿,寺
院 が ひ しめ く中,一
般 農 民,諸
豪 族 らの 居 住 地 が後 の 藤 原 宮 域 を含 め た 周 辺 に広 が って い た可能 性 に つ い て は す で に指 摘 され て お り,こ
れ らの 問題 を具 体 的 に解 明 して い く手掛 りが加 え られ た と い え る。第 4の成 果 は
,平
安 時 代 初 期 の 比 較 的 ま とま り の あ る建 物 配 置 を確 認 した こ とで あ る。 と くに第 41次調 査 区 で の 成 果 と合 わ せ て考 え た と き,桁
行 7間 の大 きな建 物 を 中心 に整然 と配 置 す る形式 は, 近 年 初 期 庄 園 遺 構 と して注 目 され て い る北 陸 の 諸‑23‑
遺 跡 等 にみ られ る配 置 と類 似 して お り
,庄
園 関 連 遺 跡 で あ る可 能 性 を 示 唆 して い る。 この点 で 注 目 され るの は,藤
原 宮 第 37次 の 宮 西 北 隅 の 調 査 で 出土 した庄 園 関 係 木 簡 の記 載 で あ る。 この木 簡 は,庄
園 の管 理 所 が扱 った物 資 を克 明 に記 載 した 出 納 簿 で あ るが,そ
の 中 に記 され た「宮 所 庄 」 と い う庄 園 の存在 が注 目 され るので あ る。 藤 原 宮 大 極 殿 の 東 方,今
調 査 地 の 南 方 に は今 も「 宮 所Jの
小 字名 が残 ってお り,そ
れ との関連性 が注 目 され て きた ところで あ る。藤原宮域 内 に は文献 か ら知 られ る とこ ろで も複 数 の平安 時代 の庄 園 の所在 が確 め られ る し,ま た「宮所庄」のように,従
来 の文 献 にみ え な い小規模庄園が か っての宮域 内 外 に い くつか存在 す る こと も想定 で きるよ うにな って きた。本遺構 もそれ らの 庄所 の一 つ に関連 させ て理解 す ることがで きよ う。今後 の検討課題 と して お きたい。
以 上 今 回 の 調 査 に よ って
,本
調 査 地 は藤 原 宮 期 だ けで な く古 墳 時 代 か ら各 時 代 を通 して 重 要 な 地 域 で あ っ た こ とが 明 らか に な っ た点 で 大 き な 成果 が あ った。藤 原 宮 その他 の調 査 概 要
a
西方官衛地域 の調査 (第37‑17次)(1983年12月)
この調 査 は住 宅建 設 に伴 う事 前 調 査 と して
,橿
原 市 縄 手 町 で 行 な っ た。 調 査 地 は藤 原 宮 内裏 推 定 地 の西 約250mに
あ り,藤
原 宮 西 方 官 衛 地 域 の北 側 部分 に 位 置 す る。 調査 は,東
西2m,南
北6mの
範 囲 を対 象 と した。 調 査 区 の 基 本 的 層 序 は上 か ら造 成 上,水
田耕 土,暗
褐 色 土,褐
色 砂 質 上 で,遺
構 は褐 色 砂 質 土 上 面 で 沼 状 の 落 ち込 み を検 出 した。 ま た,
この沼 状 落 ち込 み を 切 り込 ん だ 幅約25 cmの南 北 溝2条
が あ る。 出土 遺 物 か らみ て,沼
状 落 ち込 み,南
北 溝 は いず れ も 中世 以 降 の 所 産 で あ る。 当 初 の検 出 目的 で あ る藤 原宮 期 の遺 構 は,す
で に 削 平 され た もの と判 断 され る。b
東 方 官 衡 地 域 の調 査 (第41‑8次
)(1984年 8月)
この調 査 は
,農
小 屋 改 築 工 事 に先 立 って 橿 原 市 高 殿 町 で 行 な った。 調 査 地 は 藤 原 宮 大 極 殿 の 東 約150mに
位 置 す る。 東 西4.5m,南
北25mの
範 囲 を対 象 と して調 査 を実 施 した。 調 査 区 の上 層 層 序 は厚 さ約35 cmの造 成 上 が あ り,そ
の下 に 旧水 田 耕 土
,灰
褐 色 粘 質 上 が あ る。 遺 構 検 出 面 は,
この 下 の黄 褐 色 粘 質 土 上 面 で,現
地 表 か らは お お よ そlmほ
ど下 で あ る。検 出 した 遺 構 に は
,大
小 の 柱 穴 が あ る。 藤 原 宮 期 の もの と考 え られ る 柱 穴 S X 3845・ 3846は いずれ も方0,9mの掘 形 を して お り,各
々1間分 (柱間2.4m)
を検 出 した。 遺 構 の 性 格 に つ いて は
,建
物 あ るい は塀 の一 部 と考 え られ るが 調 査 範 囲 の 制 約 もあ り,不
明 で あ る。 ま た,中
世 の 時 期 の柱 穴 に は柱 根 が 残 ってい た。
今 回 の調 査 範 囲 は小 面 積 で あ っ た が 藤 原 宮 期 と推 定 され る遺 構 が検 出 され て お り
,今
後 この 地 域 で の 調 査 が 大 い に期 待 され よ う。c
西方 官 行 地 域 の調 査 (第41‑12次
)(1984年11月 )
この調 査 は橿 原 市 飛 騨 町 に お いて
,住
宅新 築 工 事 と地 区 道 路 新 設 工 事 に先 立 って実 施 した もので あ る。調 査 地 は,か
って 藤 原 宮 の 南 面 内 濠(SD 502)が
検 出 され た 藤 原 宮 第19‑2次
(概報7),第 29‑6次
(概報11)調
査 地 区 の 北 に 近 接 して お り,藤
原 宮 の西 方 官 衛 地 区 に あ た る。 調 査 は3ケ 所 の調 査 区 (東か ら東 西28 cm× 南 北3m,東
西2.5m×
南 北8m,東
西3m×
南 北16m)を
設 け て 行 な っ た。 土 層 層 序 は3ケ所 と もほ ぼ 同 じで,上
か ら水 田耕 土,黄
灰 粘 質 土, 灰 色 砂,暗
茶 褐 色 粘 質 上 の順 で あ る。 遺 構 検 出面 は暗 茶 褐 色 土 上面 で あ り,この層 は弥生 時 代 の遺 物 包 含層 で もあ る。
遺 構 は 中 世 の もの と考 え られ る東 西 小 溝 数 条 と小 穴 を検 出 した に と どま り, 藤 原 宮 期 の 遺 構 は 遺存 して い な か った。