版出版後の資料を中心にして
著者 横山 照樹
雑誌名 經濟學論叢
巻 61
号 3
ページ 417‑471
発行年 2010‑01‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012503
【論 説】
マルサスの現状分析について
―『経済学原理』初版出版後の資料を中心にして―
横 山 照 樹
は じ め に
筆者は以前,マルサスが『経済学原理』(以下『原理』と略称する)初版において,
どのような現状分析を展開していたかを検討したことがある1).本稿では,『原 理』初版が出版されて以降の論文や議会での証言,さらにマルサスの死後に 出版された『原理』第2版を検討することによって,その中でマルサスがど のような現状分析を行っていたかを検討することにしたい.
1 「高物価と低物価」
まず,1823年の『クォータリー・レビュー』に掲載された「高物価と低物 価」から検討していくことにしたい.この論文は,トゥックが1823年に出版 した『過去30年間の高物価と低物価についての思索と詳細』に対する書評と して書かれたものであるが,その冒頭で,マルサスは次のように述べている.
「我々はトゥック氏のこの著作を,経済学という科学に対する非常に貴重な貢献で あると考える.それは,過去30年間に穀物と他の商品との価格に起こった,変動の 原因についての研究である.そして,それを遂行する中で,彼は大きなそして興味深 い,事実についての収集を提供している.問題を取り扱うこのような方法を,我々は
1) 横山(2009)を参照.
非常に賢明であると考える.」(High, p.225)
したがって,マルサスはこのトゥックの著書を,過去に経験された事実に 基づいて議論が展開されているとして,高く評価していたことになる.しかし,
そのような事実からトゥックが引き出している結論について,マルサスがす べてに同意しているわけではなかった.なぜなら,マルサスによると,トゥッ クの結論は,「物価は,金と紙幣との間の違いの範囲を超えては,通貨の価値 の変更によって影響されなかった」ということ,例外的な場合を除いて「戦 争中の価格の上昇と平和の間の下落との間には,目に見える一致は存在しな い」ということ,そして「過去30年間の間に起こった物価の変動は,紙幣と 地金の間の相違を除いて,……,ほとんどもっぱら天候の変化に帰せられる」
ということであるが,「我々がこれらの結論すべてについてトゥック氏に同意 することができると,我々は言うことができない」(High, pp.226-227)からであ る.
しかし,マルサスによると,「問題を取り扱う彼の方法が優れているのは,
彼は,扱われている問題に適用できる非常に広範囲の事実を読者に提供して いるので,読者は,トゥックの結論が根拠のあるものであるかどうかを判断 できるだけではなく,また,提供された事実から厳密に,そして論理的に出 てくると思われる,経済学という科学にとって興味深い他の結論を引き出す 手段を,提供されていることである.」(High, p.227)
そしてマルサスは,「これらの事実について慎重に注意すると,トゥックの 著作は次の4つの命題をはっきりと証明している」(ibid.)として,次の4つ のことを挙げている.すなわち,1)すべての交換価値は需要に比較した供給 にまったく依存している,2)需要に比較した商品の供給は,天候の変化によっ て,これまで一般に想像されていたよりも,ずっと大きく,そして長い期間 にわたって影響される,3)商品の供給が需要に比べてある程度不足するとき には,取引の状態は活発で,利潤は高く,商業投機は一般的に刺激されるが,
供給が需要に比べて豊富な場合には,反対の結果になる,4)需要に比べた供 給の不足や過剰の時期がかなり続くと,貴金属の価値の下落や上昇を必然的 に伴う,ということである2).
そしてマルサスは,この4つの命題について順番に,トゥックの本で述べ られている事実に基づいて説明していくのであるが,その中で戦争中や戦後 の経済状態についても言及するのであった.それではどのような現状分析が 行われていたのか,以下検討していくことにしたい.
1. 1 戦争中の経済状態
まず戦争中の経済状態について,マルサスがどのように述べていたかを,
検討することにしたい.マルサスは,ナポレオン戦争中に価格が高かった理 由として,「異常に急速な人口の増大,輸出の量と価値における驚くべき増加」, そして「習慣的な供給を満たすために,我々は外国から穀物を輸入せざるを えなかった」(High, p.234)ことを挙げた後,次のように言っている.
「我々は常に,1793年と1814年との間の期間に起こった一般的物価の非常に大き な上昇が,主に穀物価格の上昇によって引き起こされたと考えた.そしてもし,天候 とは独立に,穀物価格に対して,他の原因よりも何かより影響のある原因があるとす るならば,それは我々が今述べたものであるに違いない.外国穀物の通常の量を輸入 することを妨げる戦争と高い運賃という妨害は,トゥック氏によって述べられたすべ ての原理によって,必然的に価格を上昇させるであろう.そして国内で生産される穀 物が人口を維持するのに十分になるまで,この上昇は,そのような運賃や妨害に比例 したままであろう.しかし,労働に対する大きな需要と人口の大きな増加は,まさに このことを遠くに押しやるであろうし,一方そのようにしてもたらされた物価の一般 的な上昇は,輸出の豊富さと価値とによって支えられるであろう.」(ibid.)
2) Cf. High, p.227.
マルサスは,戦争中に一般的物価が上昇した主な原因は穀物価格の上昇に あったとして,その理由を検討している.そしてその直接の理由は,「戦争と 高い運賃という妨害」の結果として,輸入穀物の価格が上昇し,それに伴っ て国内の穀物価格が上昇したことであった3).しかし,それだけでは,戦争 開始直後に一時的に上昇した穀物価格が,22年間も継続することはなかった と,マルサスは考えている.
なぜなら,この上昇した穀物価格は,国内の限界地の生産費で決まってく る価格を上回っているはずであるから,地代や農業利潤は上昇することにな り,それは農業投資を増大させて,穀物生産量が増大してくるはずである.
その結果,「国内で生産される穀物が人口を維持するのに十分」となった場合 には,通常の年には外国から穀物を輸入する必要はなくなるので,「戦争と高 い運賃という妨害」が国内の穀物価格に影響することもなくなり,それはもっ ぱら国内における生産費によって決まるようになるはずであった4).しかし,
現実には,「労働に対する大きな需要と人口の大きな増加」が,穀物需要を増 大させたために,国内の穀物生産の増大だけでそれを満たすことができなかっ たので,「我々は外国から穀物を輸入せざるをえなかった」のである.そのた め,「戦争と高い運賃という妨害」による穀物の高い価格が,戦争中継続する ことになったというのが,マルサスの考えであった5).
そしてマルサスによると,このような穀物価格の上昇は,一般的な物価水
3) したがってマルサスは,開戦当時のイギリスが,国内で生産される穀物では穀物需要を満た すことができず,一部を外国からの供給に依存するようになっていたことを前提にして,議論 していたことになる.
4) 戦争中の穀物の生産費について,マルサスは次のように言っている.「その耕作において,生
産物の価値に比べて地代はまったくわずかであるような,最劣等地で生産される穀物を取り上 げると,1813年で終わる3年間の間の,そのような土地から穀物1クォーターを供給する自然 的条件は,1792年で終わる3年間のものと,本質的に違っていなかった.」(High, p.249)したがっ てマルサスは,戦争中に劣等地耕作が進展し,穀物生産量は増大したが,それと同時に耕作の 改良が行われたために,限界地における生産性は変わらなかったと考えていたことになる.
5) マルサスは戦争中の穀物生産の状態について,次のように言っている.戦争中の穀物生産は,
「消費にとって不十分になっており,そして人口は耕作を上回っていた」ので,「天候の変化と は関係のない,高い運賃と保険料のために,高い価格の非常に大きなそして決定的な原因が,
明らかに存在していた.」(High, p.235)
準を上昇させることになるが,それを可能にしたのが,「輸出の豊富さと価値」
であった.ここでマルサスは,次のように考えていたのではないかと思われる.
すなわち,穀物価格の上昇は賃金を上昇させ,穀物以外の他の商品の価格を 上昇させることになる.それによって,国内での販売量が減少した場合には,
商品の供給過剰をもたらして,いったん上昇した価格を,低下させることに なるはずである.しかし,この間に,輸出が増大したために,そのような価 格の低下が阻止されることになったと.
また,戦争中の農業の状態について,他の箇所では,次のように言われて いる.
「もし我々が,戦争の終わりまで検討を続けると,一部分は不順な天候がしばしば 繰り返されたことにより,一部分は戦争によって引き起こされた供給に対する妨害に より,そして一部分は急速に増加する消費により,穀物に対する市場はほぼ20年の間 続けて,平均するとむしろ供給不足であったように思われる.我々はその結果,外国 の法令や高い運賃と保険料という妨害にもかかわらず,その期間のかなりの部分の間,
大量に輸入した.1792年で終わる3年間の平均と,1813年で終わる3年間の平均とを 比較すると,穀物の通貨での価格は(イートンの表によると,そして後の3年間の金 の紙幣での価格を5ポンドと計算すると),2ポンド12シリング9ペンスから5ポン ド18シリング8ペンスへ,そして地金での価格は2ポンド12シリング9ペンスから 4ポンド12シリングへ,上昇したように思われる.だが,この地金での穀物価格の非 常に大きな上昇は,他の商品の物価を比例的に下落させるどころか,物価の上昇だけ ではなく,消費量の大きく増大した額を伴ったのである.」(High, pp.238-239)
したがって,この引用文においても,戦争中の20年間にわたって,穀物が供給 不足であったことが述べられ,その理由としては,1)不順な天候,2)外国の法令6)
6) これは,おそらく1806年のナポレオンのベルリン勅令による,いわゆる大陸封鎖のことを指
しているのではないかと思われる.
や高い運賃と保険料という妨害,3)消費の増大,が挙げられている7).そし てその間,大量に穀物が輸入されたが,それにもかかわらず穀物価格は急騰 したことが指摘されている.そしてこのような穀物価格の上昇は,他の商品 の物価を上昇させただけではなく,消費額の増大を伴っていたことが述べら れている.
先の引用文では輸出の増大が強調されていたのに対して,今の引用文では,
穀物以外の商品の価格が上昇したにもかかわらず,消費が増大したことが強 調されているのであった.したがって,マルサスによると,戦争中は穀物以 外の商品の価格は上昇していったのにもかかわらず,輸出と国内消費の両方 が増大したことになる.
それでは,農業以外の国内生産の状態については,この論文では,どのよ うに述べられているであろうか.マルサスは,トゥックの著書の付録に付け られた,砂糖,コーヒなどの9品目の1781年から1822年までの輸入量につ いての資料8)から,戦争中にこれらの輸入が非常に増大したことを述べてい る.また,戦争中に輸出された農産物と製造品については,それ以前の2倍 以上に増大したことを指摘した後,次のように述べている.
「もし我々が,輸出や輸入から,活動させられている国内産業の量に目を向けると,
我々は,同じ長さの以前のどの期間においても,排水と囲い込み,道路と橋,運河 と港,舗装と他の地方的な改善,機械,船舶,消費対象となる商品の,同じような 増大に近づいたことはなかったと,信じている.したがって,どのような理由から,
戦争中の消費の大きな増大がトゥックによって否定されたのか,まったく理解でき
7) マルサスは供給不足の影響について,トゥックが,価格に対する量の影響の原理として非常に 明確に説明したとして,次のように言っている.「その原理は,どのような原因から起きたとしても,
供給の相対的な不足が存在する場合にはいつでも,残っている生産物に対する活発な需要が直ち に起こり,その後の生産に対する大きな刺激を必ずもたらす,価格と利潤の上昇を伴う,という ことである.」(High, p.242)この原理のことを,マルサスは「生産と消費に関する自然の偉大な改 善法則(the great remedial law of nature in rgard to production and consumption)」(ibid.)と呼んでいる.
8) Cf. Tooke(1823)vol.2, Appendix to Part Ⅳ, pp.74-75.
ない.その期間全体にわたって起きた資本の収入への転換(The conversion of capital into revenue)は,天候と輸入の妨害とに強力に共同して,市場に持ってこられるす べての生産物の活発な消費をもたらしたに違いなく,2,3のわずかな例外はあったが,
手元に残ることはほとんどなかった.そして,参照できるすべての記録から,この生 産物への年々の追加が非常に大きかったように思えるので,必然的に戦争の間の消費 は非常に大きかったことになる.」(High, pp.240-241)
上の引用文によると,戦争中の経済状態について,マルサスは次のように 考えていたのではないかと思われる.すなわち,戦争中,「排水と囲い込み,
道路と橋,運河と港,舗装と他の地方的な改善,機械,船舶,消費対象とな る商品」が,これまでに例がなかったほど増大した.これは「生産物への年々 の追加」が非常に大きかったことを示している.しかし,このように供給が 増大したのに対して,「資本の収入への転換」と「天候と輸入の妨害」とが共 同して,消費の増大をもたらすことになったので,商品が売れ残って生産者 の「手元に残ることはほとんどなかった」というのである.
したがって,ここでマルサスが言っているのは,戦争中は供給が増大した けれども,消費も同じように増大したので,供給過剰が起きなかったという ことである.そして,その理由として挙げられていたのが,「資本の収入への 転換」と「天候と輸入の妨害」とであった.しかし,後者の理由については これまでにも言及されていたが,それは国内の穀物価格を上昇する要因とし て考えられており,直接には消費を増大させる原因としては述べられていな かった9).そうすると問題になってくるのは,ここで新たに挙げられた「資 本の収入への転換」であろう.
それでは,これは何を意味するのであろうか.しかし,この論文ではその 点について何もふれられていない.ところが,『原理』初版第7章「富の増進
9) 「天候と輸入の妨害」による穀物の高価格が,地代と農業利潤とを増加させ,それが国内の消費 を増大させることになるのではないかと考えられるが,この論文ではその点について言及されて いない.
の直接的原因について」の第10節「1815年以来の労働階級の困窮への,前 の諸原理のあるものの適用,ならびに概観」には,その点に言及している箇 所があるので,それを検討することにしたい10).
マルサスは,兌換制限法が継続したことによる紙幣の自由な発行が,戦争 中の「破壊された莫大な資本の急速な回復に大きく貢献したに違いない」(1st
ed., pp.513-514)と述べた後,戦後の不況を回復するために紙幣の過剰発行を行っ
た場合について,次のように言っている.
「しかし,もし我々が今,紙幣の同じような発行を行うと,効果は非常に違ったもの であろう.おそらく,通貨の突然の増大と借り入れの新しい便宜とは,どのような事 情の下においても,取引に一時的な刺激を与えるであろう,しかし,それはただ一時 的なだけであろう.政府の側での大きな支出と資本の収入への頻繁な転換(a frequent conversion of capital into revenue)がなければ,資本家によって獲得された大きな生産 力は,固定所得の所有者が持っている減少した購買力に作用して,現在感じられてい るよりも,なおより大きな商品の供給過剰を,必ず引き起こすであろう.」(1st ed., p.514)
マルサスによると,紙幣の自由な発行による貨幣価値の低下は,「固定所得 を持っている人から財産を取り上げて,売買をする人々にその国の生産物の より大きな支配」(1st ed., p.513)を与えることであり,その結果,「生産物の より大きな割合を資本家の手に与える」(ibid.)ことによって,生産力を増大 させることになる.しかしそれが可能であるのは,「国民の支出の状態が,そ れに供給するのに困難があるようなとき」(ibid.),すなわち消費に対して供給 が不足しているときに限られていた.そして,マルサスの考えでは,戦争中 はそのような状態が継続したので,貨幣価値の低下は生産力を増大させるこ とができたのである.
10) 『原理』初版の中で,収入の資本への転換について述べられている箇所はいくらかある.
Cf.1st ed., p.352 & p.355.しかし,資本の収入への転換について述べられているのは,この第7 章第10節の箇所だけである.
しかし,戦後の不況期の経済状態は,「政府の側での大きな支出と資本の収 入への頻繁な転換」とがないために,「国民の支出」が供給を上回っているよ うな状態ではなかった.したがって,貨幣価値の低下によって「固定所得を 持っている人から財産を取り上げて」資本家に移したとしても,「取引に一時 的な刺激を与える」ことはできるが,その効果は永続するものではなかった.
なぜなら,それによって資本家が「大きな生産力」を獲得し,国内の供給が 増大しても,固定所得を持っている人の購買力が減少したことによって,国 内の需要は減少しているので,「商品の供給過剰を,必ず引き起こす」ことに なるからである.
したがって貨幣価値の低下が,戦争中に好況を持続させることができたの は,「政府の側での大きな支出と資本の収入への頻繁な転換」があったためで あると,マルサスが考えていたことになる.このうち,「政府の側での大きな 支出」というのは,当然ナポレオン戦争に伴う政府支出の増大を指していると 思われるが,「資本の収入への頻繁な転換」というのは何を意味しているので あろうか.
マルサスは,戦争中に,農業部門においても製造業部門においても資本が 増大したと考えていた.したがって,資本の収入への転換を,資本量が減少し,
その部分が収入に転換されることだとは,考えられないであろう.それでは,
どのように考えたらよいのであろうか.
戦争中は好景気が続いていたから,利潤率は高かったはずである.しかし,
戦争を行うための財源を得るために多くの租税が国民に課せられていたため に,資本家が得た利潤のすべてを自分のものにすることができず,かなりの 部分を租税として国に徴収されていたと考えられる.したがって,資本家が 投資できる額はその部分だけ減少することになり,租税がなかった場合に比 べて,資本の増加量は少なかったであろう.しかし,租税として徴収された 部分は,兵士に対する給料として支払われたり,軍需物資の購入にあてられ たり,あるいは国債に対する利子として支払われることによって,誰かの収
入になっていたはずである11).そして,マルサスはこのようなプロセスを簡 略化して,「資本の収入への頻繁な転換」と呼んだのではないかと思われる.
このように考えて良いとすると,「資本の収入への頻繁な転換」とは,利潤 の内で本来ならば投資に回されるはずの一部が租税として政府によって徴収 され,その部分が兵士や国債所有者等の不生産的消費者の収入になることを 意味していた,ということになる.そして,それが国内の購買力を増大させ ることによって,戦争中の供給の増大により過剰生産に陥ることを防いだと,
マルサスが考えていたのではないかと思われる.
そして,今検討している論文における「資本の収入への転換」というのも,『原 理』初版の第7章第10節の議論と,同じように考えることができるのではな いかと思われる.すなわち,戦争中に資本が増大し12),「生産物への年々の追 加が非常に大きかった」が,「その期間全体にわたって起きた資本の収入への 転換」,すなわち,利潤に対する課税が不生産的消費者の消費を増大させるこ とによって,生産物が生産者の「手元に残ることはほとんどなかった」ので,
生産過剰が生じることもなかった.
さて,この論文における戦争中の経済状態についてのこれまでの議論を要 約すると,以下のようになるのではないかと思われる.すなわち,戦争の開 始によって輸入穀物価格が上昇し,その結果として国内の穀物価格も上昇す ることになったが,戦争中の人口増加の結果として,一定量の外国穀物を輸 入する必要があったので,高い穀物価格が継続することになった.その結果,
穀物以外の他の商品の価格も上昇していったが,その間に農業と製造業の生 産が拡大していったのである.それを可能にしたのが,一つは輸出の増大で あり,もう一つは,国内の消費の増大であった.そして,後者を可能にした
11) このように考える場合,一つ問題となるのは,他国に対して補助金として送金された部分は どのように考えるのかということであろう.
12) 先に見たように,マルサスは戦争中に「排水と囲い込み,道路と橋,運河と港,舗装と他の地 方的な改善,機械,船舶,消費対象となる商品」が大幅に増大し,「生産物への年々の追加」が 非常に大きかったと考えていたから,これには当然資本の大きな増大を伴っていたはずである.
のが,「資本の収入への転換」による,国内需要の増大だったのである.
次に戦争中の労働者の状態についてであるが,この論文の中で言及されて いる箇所があるので,簡単に紹介しておきたい.マルサスは,戦争中の20年 間,先に見たように,穀物価格は継続的に高かったが,その場合に起きるこ とは,労働の貨幣価格が上昇するか,人口の減少によって穀物消費が減少し,
穀物価格が低下するかのどちらかであると述べた後,次のように言っている.
「人口は非常に急速に増加したが,それは必然的に,より多くの一般的な雇用と,
そして,衣服や外国商品を購入するさいの他の容易さと結びついて,以前よりもより 多くの家族を育てるのを労働者階級に可能にするような,労働の貨幣価格の上昇を必 然的に意味している.」(High, p.246)
一方でマルサスは,この論文の他の箇所で,戦争中の労働者の穀物賃金に ついて,「労働者の穀物賃金は,人に対する大きな需要と貨幣価格の大きな上 昇にもかかわらず,戦争以前よりもむしろ低かった」(High, p.249)と言っていた.
したがって,マルサスは,戦争中に労働者の貨幣賃金は上昇したが,穀物価 格がより以上の割合で上昇したため,戦前に比べて穀物賃金は低下していた.
しかし,戦争中の「衣服や外国商品を購入するさいの他の容易さ」のために,
すなわち,国内の経済発展によって衣服や外国商品が穀物に比べて安価になっ たために,労働者の実質賃金は上昇し,人口の急速な増大を可能にした,と 考えていたのではないかと思われる.
1. 2 戦後の経済状態について
それでは,このような戦争中の経済状態についての分析に対して,戦後の 経済状態については,マルサスはどのように言っているであろうか.先の,
戦争中に消費が増大したという議論に続けて,次のように言っている.
「しかしながら,消費は平和以来,なおより大きかったということは真実である.この ことは確かに予想されたことである,第1に,労働に対する戦争の需要とそれに対して 支払いをする力の大きなそして増加する力とによって引き起こされた,人口の急速な増 加が継続したために,第2に,生産的消費と不生産的消費との間の以前の割合を変える ような,平和によって,突然仕事から投げ出された多量の資本と労働とによって,第3に,
良い天候と結びついた先の原因の自然的な結果,すなわち,生産物のすべての種類の供 給過剰と,生産者の主要な部分の間に,かつて経験されたよりもより大きな程度の,そ してより長い期間にわたる困窮を引き起こした,物価と利潤の下落によってである.こ れらの原因は,完全に作用している間は,必ず非常に大きな消費を伴った.」(High, p.241)
すなわち,戦争が終了し,平和が到来した後においても,戦争前と同様に 大きな消費が継続していたというのである.これは,戦後消費が減少するこ とはなかったというトゥックの主張を認めたものと思われる13).そしてその 理由として,マルサスは3つの理由を挙げているが,第1の理由は,人口の 増大が続いているので,それに伴って消費の増大も続いているということで あり,ある意味で納得できるものかもしれない14).しかし,第2と第3の理 由については疑問に思える.なぜなら,第2の理由で言うように,労働と資 本が大量に仕事から投げ出されると,当然資本家と労働者の所得は減少する であろうから,両者の消費量も減少するように思えるからである.また第3 の理由についても,物価が減少すると消費量は増加するかもしれないが,「よ り長い期間にわたる困窮」によって資本家と労働者の所得は減少しているは ずだから,全体としての消費量が増大するとは必ずしも言えないはずである.
すなわち,価格の低下による消費量の増大効果と,所得の減少による消費量
13) トゥックは次のように言っていた.「最も低い見積もりも,最近の2,3年間の消費の増大は,
戦争のどのような等しい時期よりも,2つの時期の人口の相違を十分に考えても,より大きい と結論づけるための公平な根拠を提供している.」Cf.Tooke(1823)vol.2, p.26. トゥックは,戦 争中よりも戦後の方が消費が拡大したと考えていた.
14) ただし,人口が増大していったとしても,戦後の不況の結果として一人当たりの消費量が落 ち込んでいくならば,国内の消費量が増大していくとは,無条件には言えないはずである.
の減少効果とでは,どちらが大きいかということである.しかしこの点につ いて,マルサスは明確な説明をしていなかったのである.
マルサスは『原理』初版では,戦後の生産の状態について,「この生産物は,
人口に比較しまた過去に比較して決定的に不足であったけれども,それに対 する有効需要およびそれを購買すべき収入と比較しては過剰である」(1st ed.,
p.495)と述べて,人口に比較して生産物は不足していると考えていた.しかし,
トゥックの著書で,資料に基づいて消費量が減少しなかったことが主張され たため,マルサスとしてもこれを受け入れざるを得なくなり,そのため,マ ルサスの考えの中に混乱が生じたために,今見たような議論が展開されるこ とになったのではないかと思われる.
しかし,ここでマルサスが主として言いたかったのは,実はこのことでは はなく,今の文章にすぐ続く,次のことであったように思われる.
「しかし,もし,平和の最初の8年の間に生産され,そして消費された量だけを 見るかわりに,我々が生産物の量と価値とが増大していると思われる率を考えるな らば,結果は非常に異なった性質を持っているであろう.1814年,1815年および 1816年の間のグレート・ブリテンからの総輸出,これは公式の価値でのもの(valued
officially)で,そしてしたがって量を示しているのだが15),その平均を取り,そして
それを1819年,1820年そして1821年の間の輸出と比較すると,輸出量が決定的に 下落しており,前の3年間では56,275,000ポンドになり,後は単に52,696,000ポン ドだけであることが,明らかになる16).そして輸出量についてのトゥック氏の表に
15) トゥックは第2版で追加された文章の中で,公式価値について,次のように言っている.「公
式価値は,1696年の固定された価格で評価したものであり,私の信じるところでは,コーヒー 以外は,現時点まで変化していないことは,よく知られている.」Cf. Tooke(1824)p.178. そ れに対して,後で出てくる「真実価値あるいは表示価値(the real or declared value)」(High, p.242)
は,時価で評価したものと思われる.
16) トゥックが第2版に掲載している表を使って計算すると,1814年からの3年間の平均は
56,278,625ポンドになり,1819年からの3年間の平均は51,241,910ポンドになる.したがって,
前の時期に比べて後の時期では,輸出が8.9%減少したことになる.結果はマルサスの説明と 同じであるが,値はマルサスの計算とは異なっている.Cf.Tooke(1824)Appendix to Part Ⅱ, p.1.
含まれている特定の品目を取ってすら,新しくそして増大していく市場が開かれた綿 と羊毛を除いて,輸出量が減少しなかったものは一つもなく,その内の多くはかなり 減少したと,我々は信じる.輸入された品目の量についての彼の表は,疑いもなくよ り好ましい様相を示している.海外の戦争支出(The war expenditure abroad)は終わっ たので,我々の輸入は大きく増大すべきである.だが,これにもかかわらず,トゥッ クが提供した1822年で終わる最近の3年間の平均では,9品目の内4品目の輸入が,
増大するよりもむしろ減少しているように思われる17).」(High, pp.241-242)
すなわち,「生産物の量と価値」とが増大している率を考えると,「生産さ れ,そして消費された量」を問題にする場合とは,違ったことになるという のである.しかし,今の引用文では,国内で生産される生産量の増減が問題 にされるのではなく,もっぱら輸出量と輸入量の増減が問題にされるのであっ た.そして輸出量については,1814年からの3年間と1819年からの3年間 とを比較しているが,輸出量の減少は率にして6.3%の下落であり,マルサス が言うように「輸出量が決定的に下落」したとは,必ずしも言えないように 思われる18).そして,マルサスがここで強調したかったのは,輸出量の減少 ではなく,価格ないし価値の減少であったのではないかと思われる.なぜなら,
次のパラグラフで,マルサスは以下のように述べているからである.
「もし輸出されたり輸入された財の量・から,我々がその価・・格と価・・値とに目を向ける
17) マルサスは,「1822年で終わる最近の3年間の平均を」いつの時期と比較しているかを明言
していない.しかし,このパラグラフにおける議論から,1814年からの3年間と1819年から の3年間とを比較しているものとして,トゥックの資料によって計算してみると,輸入が増大 しているのは砂糖,原綿,羊毛,生糸,獣脂,亜麻の6品目であり,減少しているのはコーヒー,
絹糸,未加工の大麻の3品目であり,マルサスの説明よりも輸入が増大している品目が増える ことになる.Cf. Tooke(1823)vol.2, Appendix to Part Ⅳ, pp.74-75.
18) トゥックの著書の第2版には1823年までの数字が載っているので,1821年から1823年ま
での3年間の輸出額の平均を求めると,56,093,473ポンドとなり,1814年からの3年間の平均と,
ほとんど変わらないことになる.これは,他の年に比べて1819年の輸出が極端に落ち込んで いたためである.Cf. Tooke(1824)Appendix to Part Ⅱ, p.1.
と,下落はより大きくそしてより一般的であろう.戦争以来の物価の下落が大きかっ たので,以前は真実価値を得るために公式価値(official value)に50%を追加するの が習慣であったのが,今や,真実価値あるいは表示価値は,現実には公式価値よりも 平均するとより低いと言われている.そして我々の前にある報告によると,国内の農 産物と製造品のグレート・ブリテンの輸出の表示価値は,1818年には48,904,000ポ ンドであったのが,1821年には35,826,000ポンドに下落した.」(High, p.242)
トゥックの資料によると,世界のすべての港にグレート・ブリテンから輸 出されたイギリスの農産物と製造品の公式価値は,1818年には44,564,044ポ ンドであり,1821年には43,111,474ポンドであった19).したがって,公式価 値が輸出数量を表していると考えると,それはわずかに3%しか下落しなかっ たことになる.しかし,それをマルサスの引用文の表示価値と比較すると,
1818年には表示価値は公式価値よりも9.7%高く,1821年には17%低かった.
したがって,このことは,1818年から1821年にかけて,輸出数量はあまり 減少しなかったが,輸出商品の物価水準が大きく低下していったために,輸 出の表示価値も27%と大きく低下したのであった.
したがって,マルサスの考えでは,戦争中の経済状態と戦後の経済状態を 比較すると,数量としての消費量については,トゥックが言うように減少は 見られなかった.しかし,輸出量と輸入量については,戦後になって減少が みられたし,輸出される価値量について見ると,大きな減少を見たというのが,
ここでのマルサスの主張であった.そしてこのことは,戦後の経済状況を分 析する場合,輸出額の減少を重視すべきだと,マルサスが考えるようになっ たことを示唆しているように思えるのである.
2 「経済学について」
この節では,1824年の『クォータリー・レビュー』に発表された,「経済
19) Cf. ibid.
学について」を取り上げて,その中で,当時の経済状況についてどのような 分析が行われていたかを検討することにしたい.
この論文は,マカロックが1823年に『エンサイクロペディア・ブリタニカ』
の「経済学」の項目に発表した論文に対する批評である.マルサスによると,
この批評の目的は,「アダム・スミスの原理と対比される,経済学の新学派(the
new school of political economy)と呼ばれるものを特徴付ける主要な原理のいくつ
かに,読者の注意を引くこと」(Economy, p.266)であった.すなわち,マカロッ クは論文の中で,リカードウの経済学の考えにしたがって議論を展開してい たが,マルサスはそれを批判していくのであった.
2. 1 戦後の利潤率低下の原因について
マカロックの論文は4つの部分20)から成り立っていたので,それにした がってマルサスは議論を展開している.その中でマルサスが特に力を入れて いたのは,経済学の新学派の主要な原理を批判することであった.その原理 とは,「1,商品に用いられた労働量がそれらの交換価値を決定する」,「2,需 要と供給は,独占の場合や短い期間以外は,価格や価値に影響しない」,「3,
土地における生産の困難が利潤を規制するのであり,アダム・スミスによっ て述べられた原因,すなわち資本の相対的な豊かさと競争は,全く排除される」
(Economy, pp.268-269)という3つの原理21)であった.
そしてマルサスは,第3の原理22)を批判するさいに,土地における生産 の困難が利潤に影響することは無視できないが,「しかし利潤を規制する4 4 4 4と考 えるならば,……,ほとんど常に事実と矛盾することが見出されるであろう」
(Economy, p.285)と述べて,次のような議論を展開するのであった.
20) マカロックの論文は,第1部「定義と歴史」,第2部「富の生産」,第3部「富の分配」,第4部「富 の消費」,という4つの部分から成り立っている.Cf.McCulloch(1823)p.216, p.234, p.253 & p.272.
21) これらの原理が,リカードウの経済学の中心をなす命題であることは明らかであろう.
22) マルサスの言う第3の原理について,マカロックは次のように言っている.「したがって土4
地の肥沃度が不断に減少していく4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4ことが,基本的には,利潤下落の主要な,そして永続的な原 因である.もし賃金が増加しなかったならば,利潤は決して下落しないであろう.そして,↗
「たとえば,過去8,9年の間に起こった利潤の下落を,土地における生産の困難 のせいにすることができるであろうか.穀物は,その時期の大部分の間異常に安かっ たことが,十分に知られている.多くの農業者の資本は大きな損害を受け,そして,
彼らの損失のために,以前と同じ集約的な耕作状態に土地を維持することが不可能で あったことが,一般的な印象である.これらの事情の下において,そして労働の貨幣 価格の下落によって,新しい学派の原理は,利潤が上昇すべきであることを我々に教 える.しかしながら,事実はまったく反対であった.その結果は特異な,あるいは単 に一時的なものであるという理由は,まったく存在しない.同じような利潤の下落は,
我々がよく知っている,すべての同じような事情のほとんどすべての状態の下で,起 きている.そしてわが国においても,ジョージ2世の即位23)から1757年までの合 わせて30年近くの,以前の時期において,貨幣の利子は3%,3½%,そして戦争24)
の中間の間は単に約4%ですらあった,そして利潤はほぼ比例して低かったに違いな い.これらの場合のどちらにおいても,低い利潤を土地における生産の困難のせい にすることはできない.穀物は豊富で安価であった.耕作に引き入れられた最後の土 地に用いられた労働が,より生産性が低くなったことを示すものは,何もなかった.」
(Economy, p.285)
マルサスは,劣等地耕作の進展による穀物価格の上昇が利潤率低下の主要 な原因であるというマカロックの主張を批判するために,ナポレオン戦争後 の不況に言及するのであった.この引用文で,マルサスは次のように考えて いたのではないかと思われる.過去8,9年間は穀物価格が低く,また農業資 本の損害によって「以前と同じ集約的な耕作状態に土地を維持することが不 可能であった」から,農業投資は減少し,最後に投下される資本の生産性が
課税額が変わらないと想定するならば,土地の肥沃度の減少と,そしてその結果としての穀物 や他の原生産物を得るために必要な労働の増加とがなかったとすると,賃金は決して増加しな いであろう.」Cf. McCulloch(1823)p.270.
23) これは1727年にあたる.
24) この戦争とは,1756年から1763年までの7年戦争を指しているのではないかと思われる.
↘
上昇していったことが考えられる.そのため,もしマカロックの主張が正し いならば,穀物価格が低下することによって,利潤率は上昇するはずであった.
しかし現実にはそれと反対に,穀物価格が低下したにもかかわらず,利潤率 は下落していたのである.そして,過去8,9年間の経験は一時的な現象と考 えられるかもしれないが,1757年までの30年間にも,穀物は豊富で安価であっ たにもかかわらず,利潤率が低いということが起きていたから,そのように 考えることはできない25).したがって,マルサスによると,土地における生 産の困難が利潤率を規制するというマカロックの考えは,間違っていたとい うことになる.
それでは,戦後の利潤率低下の原因を,マルサスはどのように説明するの であろうか.先の引用文に続けて,マルサスは次のように言っている.
「それでは利潤の下落の原因は何であったのか.それは明らかに,そして疑いもな く,資本の豊富と競争による生産物の価値の下落であった,それは生産されたものの 異なった分配を必然的に引き起こし,そしてそのより大きな割合を労働者に与え,そ のより小さな割合を資本家に与えたであろう.したがって,土地における労働の生産 性がほとんど同じにとどまる間に,労働者は通常よりもより大きな穀物賃金を支払わ れたことを,我々は見出した.彼が平均して1日にちょうど1ペックの小麦を得た のは,さっき言及した低い利潤の30年の間であったが,それはほぼ1世紀半以前の,
どの10年の間に(during any ten years together)彼が得たものを,あるいはその後半 世紀以上の間で得ることのできたものを,上回っている.同じような状況は,戦争以 後の利潤の下落に伴った.小麦の貨幣価格は労働の貨幣価格以上に下落したことはよ く知られている,そしてその結果,雇用されていた労働者は通常よりもより多くの小 麦を得たのである.」(Economy, p.286)
25) 後の箇所でマルサスは,同じような現象が起きた時期として,「過去8,9年の間」と「1757
年までの合わせて30年近く」の間の他に,「15世紀の後半と16世紀の初め,合わせて60年の間」
(Economy, p.290)を挙げている.
マルサスによると,戦後利潤率が低下した原因は,「資本の豊富と競争によ る生産物の価値の下落」のためであるという.それでは,それがどのような メカニズムで利潤率を低下させることになったかというと,「それは生産され たものの異なった分配を必然的に引き起こす」ことによってであるという.
そして「生産されたものの異なった分配」とは具体的には何を意味するかと いうと,生産物の「より大きな割合を労働者に与え,そのより小さな割合を 資本家に与えた」ということである.したがって利潤率低下の原因は,生産 物の価値の低下によって,生産物の分配の割合が変化して,賃金の割合が上 昇し,利潤の割合が低下したからであるというのである.それでは,なぜこ のようなことが起きるのかというと,「土地における労働の生産性がほとんど 同じ」場合に,「小麦の貨幣価格は労働の貨幣価格以上に下落した」ことによっ て生じたというのである26).すなわち,小麦価格の低下率が,貨幣賃金の低 下率よりも大きかったために,労働者の穀物賃金は「通常よりもより大き」
くなったというのである.
そしてマルサスは,このような利潤率低下の考えは,リカードウの考えと 同じものだとして,次のように言うのであった.
「そこでここに我々は,一つは30年間続いたものと,他は8年ないし9年という,
利潤下落の,我々自身の国における2つの明白な例を持っているが,それを,蓋然性 の最もわずかの外見をもってでも(with the slightest semblance of probability),土地 の生産性の困難のせいにすることはできない.しかしながら,どちらの場合も,利潤 に関するリカードウ氏のより一般的な命題,すなわち,それらは全生産物のうち労働 のものになる割合によって決定されるというものと,最も完全に一致している.これ ら両方の場合において,労働者が彼の生産したもののより大きな割合を吸収したとい うことは,明白な事実の問題である.」(ibid.)
26) 「土地における労働の生産性がほとんど同じ」と想定されているから,小麦の貨幣価格が下落 した原因としては,労働生産性の低下以外の原因が考えられていたことになる.
すなわち,「全生産物のうち労働のものになる割合」が上昇したことが,
1757年までの30年間と,戦後の8,9年間とにおける,利潤率低下の原因であっ たというのである.そしてマルサスは,このような考えが,「利潤に関するリ カードウ氏のより一般的な命題」と一致すると主張しているのである.それ では,ここでマルサスはどのようなことを考えていたのであろうか.
2. 2 『価値尺度論』における利潤率低下論
ところで,これと同様な主張が,すでに前年に出版された『価値尺度論』の 中で行われていた.マルサスは,生産物の価値が労働と利潤とに分解されると いうことを説明した後27),次のように述べている.
「しかしながら,生産物の価値が労働と利潤とに分解されるとすれば,生産物のう ち労働者に与えられる割・・合が増加するにつれて,利潤となる割合が同じ程度に減少し なければならず,そして労働者に与えられる割・・合が減少するにつれて,利潤となる割 合が同じ程度に増大しなければならないということは,例外のない一般的な命題とし て確言できるであろう.」(Measure, p.194;訳,32-33ページ)
ここでも1824年の論文と同様に,「労働者に与えられる割・・合が増加する」
と利潤は低下し,反対に「労働者に与えられる割・・合が減少する」と利潤は増 大すると言われているのであった.しかも興味深いことに,この引用文に 付した脚注でマルサスは,「この命題は,利潤についての章の中でリカード ウ氏によって非常に明確に,そして見事に述べられたものと本質的に同じで
27) この点について,マルサスは次のように言っている.「だからさしあたっては,比較的単純
な形態にある諸物の自然価値は労働と利潤より構成され,そして,地代部分や,ときとしてこ れらの要素に加わる他の諸成分の影響は,第2次的なものとみてもよいと仮定しても,根本的 に誤っているとは言えない.」(Measure, pp.182-183;訳,15ページ)
なお,このように『価値尺度論』において,地代部分が価値の構成要素に入らないと考えら れるようになったことによって,自然状態で生み出される地代についての扱いが『原理』第2 版で変更された点ついては,横山(2006)132ページ以下を参照.
ある28)」(Measure, p.194;訳,33ページ)と述べているのである.したがって,
このような『価値尺度論』における議論をみると,1824年の論文での利潤の 低下についての説明と,それがリカードウの考えと一致しているという主張 は,『価値尺度論』の考えをそのまま繰り返したものであるように思われる のであった.
それでは,マルサスが『価値尺度論』の中で,「労働者に与えられる割・・合が 増加する」と利潤は低下すると主張する場合,その論拠は何であったのだろ うか.次に,その点を検討することにしたい.
マルサスは『価値尺度論』の中で,「労働の不変の価値とその諸結果の例証」
と題された表を掲げた後,その表から明らかになることとして6つのことを 挙げているが,2番目のものとして,次のように述べている.
「第2に,この表から明らかとなることは,10人の使用人によって得られた生産物 が与えられると,穀物賃金が騰貴するにつれて,生産物の価値は下落するであろう,
あるいはより少ない労働を支配するであろう,そして,労働への前払いの不変的価値 は生産物の価値のより大きい割合を吸収するので,利潤はこれに比例して低下するで あろう,ということである.しかし,同じ人数によってより多くが生産される時には,
穀物賃金がちょうどそれとつり合う高さにまで上昇しなかったならば,生産物全体の 価値は増加させられ,そして利潤率と穀物賃金は両方が同時に上昇するかもしれな い.したがって,生産物が130クォーターである間は,労働が10クォーターから12 クォーターに上昇すると,利潤は30%から8.3%へと反対の方向に下落する.しかし もし我々が,生産物が130クォーターの時の労働者の賃金と,生産物が150クォーター
28) マルサスはこのように述べて,リカードウの『経済学および課税の原理』(以下『原理』と 略称する)第6章「利潤について」の文章を引用した後,次のように言っている.「命題は,
利潤の変動の究極的な原因に関しては不十分であるが,最も重要な真理を含んでいる.この真 理から論理的に演繹される結論は,労働の価値の不変性であるように私には思われるが,しか しリカードウ氏は,それとはまったく反対の演繹的な結論に基づいて,彼の体系を作った.し かし彼は,私の意見では,反論するための手段だけではなく,経済学を改善するための手段を も,同時に我々に提供することによって,彼が陥ったかもしれない誤りを,十分に償ったので ある.」(Measure, p.194;訳,33ページ)
の時の労働者の賃金とを比べると,労働は12クォーターから13クォーターに上昇し,
同時に利潤が8.3から15.38に上昇したであろうことが,明らかになる.」(Measure,
p.201;訳,43ページ)
ここでもマルサスは,「労働への前払いの不変的価値は生産物の価値のより 大きい割合」となるから,「利潤はこれに比例して低下する」と述べて,労働 の割合が上昇することが,利潤の低下の原因であると主張しているのである.
それでは,なぜそのように言えるのであろうか.上の引用文で,マルサスは,
3つの経済状況を想定して議論を展開している.引用文で使われている数字 例によって説明すると,次のようなことではないかと思われる.
まず,労働者が10人で130クォーターの穀物を生産し,1人あたりの穀物 賃金が10クォーターの場合が想定される.この場合には,生産物の価値は 13となる.そして,労働への前払いの価値は10で変わらないから,13から 10を引いた残りの3が利潤となり,利潤率は30%になる.
次に,生産量の130クォーターは変わらないが,1人あたり穀物賃金が12 クォーターに上昇した場合が想定される.この場合には,生産物の価値は
10.83に減少することになる.そうすると,労働への前払いの価値10は,生
産物の価値のより大きな割合を吸収することになり,利潤としては0.83しか 残らないことになるから,利潤率は8.3%に下落することになる.
3番目として,10人の労働者の生産量が150クォーターに増大し,同時に 1人あたりの穀物賃金が13クォーターに上昇した場合が想定される.この場 合には,生産物の価値は11.538になるから,労働への前払いの価値10を引 くと,利潤は1.538になり,利潤率は15.38%になる.そして第2の場合と第 3の場合とを比較すると,一人あたりの穀物賃金が12クォーターから13クォー ターに上昇したが29),同時に生産量が130クォーターから150クォーターに
29) この場合,10人の労働者の穀物賃金は120クォーターから130クォーターに増大しているが,
穀物賃金の生産物に対する割合は,92%から87%に減少している.したがって,穀物賃金の 生産物に対する割合が減少して,利潤率が上昇していることになる.
増大したために,生産物の価値は10.8から11.5に上昇し,利潤率は8.3%か
ら15.38%に上昇することになるのであった.したがって,「利潤率と穀物賃
金は両方が同時に上昇」していることになる.
ただし3番目の想定で,穀物賃金と利潤率との両者が増大したのは,マルサ スが「同じ人数によってより多くが生産される時には,穀物賃金がちょうどそ れとつり合う高さにまで上昇しなかったならば」,すなわち,生産量の増加率 が穀物賃金の増加率よりも大きいという条件を設けていたからである.もし生 産量の増加率が穀物賃金の増加率よりも小さかった場合には,このような結果 にはならず,穀物賃金は増加するが利潤率は低下することになるであろう30). 以上の分析から,次のようなことが明らかになるのではないかと思われる.
すなわち,1つは,生産量が同じ場合は,穀物賃金の上昇は,常に穀物の価 値の低下をもたらし,生産物における賃金の割合を上昇させ,利潤率を低下 させることになるということである.そして,もう1つは,生産量が増大し た場合には,穀物賃金が増加することがあったとしても,利潤率が同時に上 昇することもありうるということである.
リカードウは投下労働価値論を採用していたので,生産物の価値はその生 産に必要な労働量が変わらない限り一定であった.そして,労働者の賃金は 労働者の生存費で決まってくると考えていた.そして,劣等地耕作が進展す ると穀物の価値が上昇するので,労働者の生存費は上昇し,賃金が上昇する ことになるので,利潤は減少していくことになると考えていたのである31). それに対してマルサスは,支配労働価値説を採用していたため,同じ労働 量を支配する生産物は同じ価値を持っていることになる.したがって,10人 の労働者の穀物賃金が100クォーターであった場合は,100クォーターの穀 物の価値が10となり,穀物1クォーターの価値は0.1となる.そして穀物賃
30) 生産量は150クォーターに増大したが,穀物賃金が14クォーターにまで増加する場合を想
定すると,第2の場合と比べて,生産物の価値は10.83から10.71に減少し,利潤率は8.3%か
ら7.1%に下落することになる.
31) リカードウの価値論と分配論との関連については,羽鳥(1982)212ページ以下の議論を参照.
金が120クォーターに増大した場合には,120クォーターが10の価値を持 つことになるから,穀物1クォーターの価値は0.083に低下することになる.
そして,10人の労働者によって生産される穀物量130クォーターが変化しな かったのに,穀物賃金が100クォーターから120クォーターに増加すると,
労働者の賃金の価値が10で変わらないのに,生産物の価値が13から10.83 に低下することになるので,利潤は減少することになる.そして,マルサスは,
生産物の価値は賃金と利潤のみから構成されると考えていたから,以上のこ とを割合で考えると,賃金の価値は常に一定なのに,穀物賃金が上昇すると 生産物の価値が低下するので,賃金の割合は上昇し,利潤の割合は低下する ことになるのであった32).
すなわち,マルサスはリカードウと同様に,生産物の価値は賃金と利潤と に分かれると考えていた.そして,リカードウの場合には,生産物の価値が 一定で,投下労働で測った賃金の価値が上昇することによって,利潤率は低 下するのであった.それに対してマルサスの場合には,賃金の価値が一定で,
生産物の支配労働で測った価値が低下することによって,利潤率が低下する ことになるのであった.
2. 3 1824年の論文と『価値尺度論』
これまで,『価値尺度論』におけるマルサスの議論を見てきたが,この生産 量が一定で穀物賃金が増大するというモデルが,1824年の論文における戦後 不況の分析に,ほぼそのまま適用されたのではないかと思われる.なぜなら,
先に見たように,戦後の利潤率低下の原因が,「土地における労働の生産性が ほとんど同じにとどまる間に,労働者は通常よりもより大きな穀物賃金を支 払われた」(Economy, p.286)ことにあると,考えられていたからである.
しかし,両者で違っている点もあり,それは穀物価値の変動の原因につい
32) 割合を量で考えたときには,生産量は一定なのに穀物賃金の量の割合が増大するので,利潤 の量の割合が低下することになる.マルサスが割合という場合,価値で考える場合と量で考え る場合とが混在しており,意識して使い分けるということは行われていないように思われる.
てである.『価値尺度論』の場合は,何らかの原因で穀物賃金が増加し,その 結果として穀物の価値が低下することになっていた.そして穀物賃金が増加 する原因としては,労働に対する需要の増大によって貨幣賃金が増大する場 合か,何かの原因で穀物価格が低下する場合が考えられるであろう.もし前 者の原因によって穀物賃金が増大したのであったならば,それは労働者の状 態が改善されることを意味していることになる.
それに対して1824年の論文の場合は,「資本の豊富と競争」(Economy, p.286)
によって穀物価格が下落し33),そして貨幣賃金も同じように下落したのだが,
穀物価格の下落率の方が貨幣賃金の下落率よりも大きかったので,その結果 として穀物賃金が増加したのであった.穀物価値の低下の結果として,穀物 賃金が増大したのである.したがってこの場合には,資本の過剰によっても たらされた不況が前提されているから,たとえ穀物賃金が増大したとしても,
同時に労働需要は減少していくであろうから,労働者の状態が改善されるこ とはないであろう34).
さて,これまでみてきたように,1824年の論文においてマカロックの論理 を批判するさいの論拠は,『価値尺度論』の議論を基にしたものであったが,
マルサスはこの議論がまったく疑問の余地がないものだとは考えていなかっ たようである.というのは,少し後の箇所で,競争の増大が労働に比べて商 品の価値を低下させ,「労働者と資本家の間に分割されるもののより大きな 割合を労働者に一般的に与え,したがって利潤の一般的な下落を引き起こす」
という「この自然的で明白な結論に反対する唯一の議論は,マルサス氏によっ て述べられた人口原理からくる」(Economy, p.289)と述べて,1824年の論文に おける利潤率低下の議論が,マルサス自身の人口原理と抵触するかもしれな
33) 終戦直後の穀物価格の下落について,『原理』初版においてはどのように考えられていたか
については,横山(2009)45ページ以下を参照.
34) 労働に対する需要が急速に減少していき,貨幣賃金の下落率が穀物価格の下落率を上回った 場合には,穀物賃金が減少し,割合としての利潤は増大していくことになり,経済は不況から 脱出していくことになる.このような過程を,マルサスは『原理』初版で「進歩的運動」(1st
ed., p.455)の再開と呼んでいた.この点については,横山(2009)51ページ以下を参照.