韓寒の監督作品と2010年代の中国映画産業 : ジャ ンル映画、ノスタルジー映画を巡って
著者 阿部 範之
雑誌名 GR‑同志社大学グローバル地域文化学会紀要
号 12
ページ 27‑63
発行年 2019‑03‑25
権利 同志社大学グローバル地域文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000098
─
ジャンル映画、ノスタルジー映画を巡って
─阿 部 範 之
はじめに
本論は、拙論「九把刀、郭敬明の監督作品と2010年代の中国映画産業」
(以下「九把刀、郭敬明」と略す)1 に引き続き、中国語圏で人気を集める作 家たちが映画監督としてヒット作を生み出した現象に注目しながら、2010年 代の中国映画についてさらに検討を進めるものである。
「九把刀、郭敬明」では、主に台湾の九把刀と中国の郭敬明という作家兼 映画監督のフィルムについてその背景や特徴を論じるとともに、彼らの映画 界への進出および興行上の成功が、海峡を越えた人や資本の移動や、他業種 との連携などが飛躍的に進む映画産業の構造的変化に即したものであること を明らかにした。ただ紙幅の関係で、もう一人の重要な作家兼映画監督であ る韓寒については、彼の「フィルムの世界観には小説のイメージに通じる部 分が見られ」るとした上で、「映画と文学という二つの分野の接点に位置す る新たな作家像を示す事例として、九把刀、郭敬明と併せて論じることがで きるだろう」という見解を示すにとどまった2。本論ではこうした観点を引 き継いだ上で、韓寒監督による二本の監督作品、すなわち『いつか、また』
(原題『後会無期』、2014年)と『乗風破浪〜あの頃のあなたを今想う』(原 題『乗風破浪』、2017年;以下では『乗風破浪』と略す)を取り上げ、その ジャンル映画としての性格に注目し、同時代の関連するフィルムと比較しな がら作品分析を行う。そして、現在の肥大化した中国映画産業を動かす商業 主義が抱える陥穽についても論じる。
『GR―同志社大学グローバル地域文化学会 紀要―』12, 2019, 27−63頁.
同志社大学グローバル地域文化学会 ©阿部範之
阿 部 範 之
1.2010年代の中国におけるジャンル映画
九把刀、郭敬明、韓寒という三人の作家の監督作品を概観した時、気づか されるのは、それらがみなジャンル映画としての性質を保持しているという 点である。「九把刀、郭敬明」でも触れたように、九把刀の最初の長編監督 作品『あの頃、君を追いかけた』(原題『那些年、我們一起追的女孩』、九把 刀監督、2011年)は学園もので、回想形式という枠組のもとノスタルジーを 喚起する青春映画として受け入れられている。対照的に第二作の『怪怪怪怪 物!』(原題『報告老師!怪怪怪怪物!』、九把刀監督、2017年)は、学園も のではあるが、青春の暗部を描いたホラー映画の様式をとっている。郭敬明 の『小時代』四部作(郭敬明監督、2013-2015年)は、若い女性たちを中心 とする群像劇で、後述するようにチックフリック(Chick Flick)という比較 的新しいジャンルに属するフィルムと見なすことができる。一方、『爵迹』
(郭敬明監督、2016年)は、CGを駆使した3Dファンタジー映画である。こ こでは、作家として「若者、特に若い女性から絶大な人気を得て」3 いると される郭敬明の『小時代』シリーズを例に挙げて、彼らの作品と同時代の ジャンル映画との関係について検討を始めたい。
梁頤によれば、未婚の働く女性たちが大都市で夢を追うとともに、華やか なパーティーや、綺麗な服やアクセサリーなどのモチーフが映像を彩る『小 時代』は、若い女性を主なターゲットとする映画ジャンルであるチックフ リックに分類可能であるという4。チックフリックは、しばしば『ティファ ニーで朝食を』(ブレイク・エドワーズ監督、1961年)がその先駆とされ、
用語としては1980年代から徐々に使用されてきたが、特に『ブリジット・
ジョーンズの日記』(シャロン・マグワイア監督、2001年)、『プリティ・プ リンセス』(ギャリー・マーシャル監督、2001年)、『キューティ・ブロンド』
(ロバート・ルケティック監督、2001年)などが登場した2000年前後からア メリカで新たな展開を見せ、定着した映画ジャンルである。鮮佳によれば、
かつての女性映画、特にメロドラマとは異なり、「恋愛映画と喜劇映画とい
う二つの大きなジャンルの中間に位置する亜種のジャンルで、特に若い女性 を主役とし、諧謔的で、流行を追ったロマンティックな恋愛を扱う軽喜劇」
であり、「中国では、『ソフィーの復讐』が『中国最初のチックフリック』と なり、『杜拉拉昇職記』が独身女性の職場をスクリーンに登場させてから、
中国版の『チックフリック』も勢いよく増える傾向にある」という5。「『小 時代』以前には、これほど広範に15歳から25歳の中国の若者たちを引きつけ て映画館に足を運ばせることができる作品はなかった」6 という見解もある ように、『小時代』シリーズは、中国の他のチックフリック作品よりも比較 的若い世代をターゲットにすることで、興行的成功を果たしたとも言えるだ ろう。
さらに別の例として、2014年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した
『薄氷の殺人』(原題『白日焔火』、刁亦男監督、2014年)についても言及し たい。この作品は文芸映画と称されることもあり、その内容が高く評価され ているが、スタイルとしてフィルムノワールを意識していることは一目瞭然 である。監督自身、「脚本に直しを入れているとき、商業的な要素を備えな がらも、しっかり強い作家性も秘めているフィルムノワールのことを考えて いました」7 と述べているが、こうしたスタイルは、現代中国の暗部を描き 出す上で確かに効果をあげている。ただし加藤幹郎が言うように、もともと フィルムノワールは、「映画会社が自社製品にはりつけたラベルではなく、
映画批評家が独自に命名したもの」で、「特定の歴史設定にもとづいたジャ ンル映画というよりも、光と闇が交錯する独特なスタイルとペシミズムに よって規定される一連の映画サイクル」8 である以上、作り手の目指す世界 観や芸術スタイルを表すものではあっても、少なくとも中国の映画市場にお いてはそれだけで観客を引きつけられるものではない。そのため、中国での 公開に際しては、桂綸䷛や廖凡といったスターの出演や、「計画殺人、捨て られた死体、禁じられた愛」といったサスペンス映画風の売り文句を宣伝で 重視するなど、娯楽性を強調することで市場の開拓が行われた9。こうして 製作費に相当する2000万元を広告宣伝費にも投じたこともあってか10、興行 収入は1億元11 を超える望外の結果となった。監督はベルリンでの受賞が興 行的成功の唯一の理由と語っているが12、特にアート系の作品の場合、中国
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では国際映画祭での受賞が興行につながらないケースの方がむしろ多いた め、彼の発言を額面通りに受け取ることはできない。
上記の例は、映画のジャンル性が、中国ではいかに商業的
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な面から重視さ れているかを示していよう。『小時代』が、新たな市場につながるジャンル が掘り起こされたケースだとすれば、『薄氷の殺人』は、観客を呼び込むた めに、作品の本質とは若干齟齬をきたすようなラベルづけが行われたケース となる。このようにジャンルとは、映画館を訪れようとする観客に対し、作 品を効率よく陳列し、商品化するためのラベルでもあるのだが、多くの監督 たちが、自らの作品がジャンル映画として見られるのを嫌うのも、芸術家と しての意識が強ければ自然なことかもしれない13。しかし「21世紀以降、中 国映画は全面的な商業化、市場化の時代に突入したが、ジャンル映画は商業 映画の主体として、その発展の趨勢と策略が、わが国の産業化の過程の中で 必然的に直面しなければならない核心的な問題となっている」14 といった言 説が行き交う現在の中国映画界のあり方から考えても、作家出身の新人監督 たちが、映画界ですでに定着している既存の枠組に則ったスタイルを選ぶこ とは、ある種やむを得ない選択だったのではないか。むしろそうした趨勢の 中で、何らかの差異を産み出すことこそが、彼らの活路であったと私は考え る。
ただし、映画界の側も、九把刀の『あの頃、君を追いかけた』が予想外の ヒットを飛ばして以降、流行作家たちの「IP」としての価値を認識したがゆ えに、彼らの参画を歓迎したと言える。「九把刀、郭敬明」でも述べたよう に、「IP(Intellectual Property)」とは本来、著作権などの知的財産を意味す るが、現在、中国映画界では拡大解釈され、原作(小説、ゲーム、漫画な ど)だけでなく、ネームバリューのある監督、題材など、フィルムを特徴づ ける、より率直に言えばフィルムの「売り」となる要素を幅広く含むものに なっている。「IP」が重視されるのは、公開前に広く作品への興味を抱かせ るための話題性が期待されているからではあるが、製作準備の段階において も、投資家たちに向けてフィルムの商業的価値を訴える際に不可欠の要素と なりつつある。こうした観点に立った時、若者の人気を集める小説を次々に 発表するとともに、普段から他のメディアにも積極的に参与している有名作
家は、その存在自体が大きな波及力を持つ「IP」に他ならない。
饒曙光と李国聡は、現在の中国映画界は「国産の大作、若い観衆をター ゲットにした中小規模のコストの作品、および中国と外国の合作映画という 三つの勢力が並び立ち、ジャンルは豊富かつ多様で、異なる層の観客の要求 を満足させている」と論じた上で、低コスト作品がヒットするためには、
「ファン」、「業界を超えたIP(跨界IP)」の二つがキーワードであると指摘す る15。小説の世界ですでに一定のファンを有している人気作家が監督として 映画界に進出した背景には、中国映画界のこうしたトレンドが大きく関わっ ている。
実際、彼らの作品は、伝統的な映画批評の見識では批判的に捉えられるの が常だが、多くの観客たちが、それに背を向けるようにして、映画館に詰め かけたのは事実である。このことは、観客にとってフィルムが持つ価値自体 が大きく変化、あるいは多様化していることを示唆するものである。それ は、作家たちのフィルムの多くが、何らかの形で観客たちと作り手との間 に、共犯関係のような密接なつながりを見出せる仕掛けを用意していること にも表れていよう。例えば、『あの頃、君を追いかけた』は、自伝小説を原 作にするとともに、作品の主人公が最後に、これまでの物語をもとに小説を 執筆するエピソードがあるし、『小時代』でも登場人物に作家がいるほか、
エンディングロールで次々に出演者たちがいろいろな組み合わせで登場し、
フィルムの最後に華を添える中に、監督である郭敬明本人も加わり、主演女 優たちに混じって歌に合わせてダンスをしている。これは、作品の質を上げ るための試みというよりも、フィクションの中に、作品の外の世界またはメ タ的な要素を入れることで、作り手と、彼らをよく知る観客との一体感を高 める演出とも言えるだろう。
そして、こうした自己言及性は、韓寒の監督作品の特徴の一つとしても指 摘できるものである。このような点を踏まえた上で、次節以降、彼のフィル ムについて検討を進めていく。
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2.韓寒と『いつか、また』
韓寒は1982年9月23日上海市郊外の金山区生まれの作家で、新概念作文大 会という青少年向けのコンクールで1999年に優秀賞を取り、翌年発表した小 説『三重門』16 がベストセラーになったことで一躍脚光を浴びた。その後も、
武侠小説『長安乱』(2004年)や、「天安門事件[1989]の影が色濃い小説」
である『1988〜僕はこの世界と話したい』17 (2010年)といった作品を次々 刊行、ブログなども人気を集めるほか、ラリーレーサーとしても活躍するな ど、多彩な活動で知られる。2002年には「自ら脚本・監督を手がけるカー レース映画『五〇キロ』を撮影中」18 と報じられているが、その後続報はな く、未完成に終わったと見られる。ただし、2018年までに公開された二本の 監督作の中で、自動車は重要な役割を演じており、彼の作品傾向を見る上で も注目に値する。映画そのものに対する関心も以前から高く、この点に注目 し、彼の小説に対する映画の影響を論じた研究もある19。
韓寒の初監督作品は、馮紹峰や陳柏霖など有名映画スターが出演した劇映 画『いつか、また』である。作品では、中国最東端の寂れた島(東極島)に 住む馮演じる馬浩漢と陳演じる江河を主人公に、教師である江の赴任先であ る数千キロ西の学校へと、馬の車で二人が(時に同乗者はいるが)国土を横 断する過程が描かれている。その中には様々なエピソードが含まれるが、主 人公たちが車で西へ向かい、モーテルで娼婦と知り合い、彼女を車に乗せて 移動する、という設定は、『1988〜僕はこの世界と話したい』と共通する20。 ただし、それぞれのエピソードに強い連関が存在しないこのフィルムにおい ては、この女性も、彼らと同じ島出身で映画のエキストラとして働く幼なじ みの女性、馬の文通相手の女性、ヒッチハイクの男といったその他の登場人 物と同様に、余韻は残すものの主にそのシークエンスのみを彩る存在に過ぎ ない。全てのシークエンスを貫くのは、主人公二人と車、そして道路であ る。こうした特徴から、すでに指摘されているように21、この作品はロー ド・ムーヴィーの一種と捉えることができよう。韓寒としては、「国内の観
客には経験がない形態」22 とも言われる、ロード・ムーヴィーというジャン ル映画の枠組を通して、中国映画界の中で、自らの新人監督(およびカー レーサー)としてのオリジナリティや存在意義(あるいは「IP」)を示そう としたものと思われる。
遠山純生が述べているように、ロード・ムーヴィーを定義することは難し いが、おおまかな内容としては、「旅や放浪を扱った映画」で「車やバイク
(時には徒歩)による道路上の移動が中心を占めている」23 ものとすることは できよう。さらに、一般的には次のような傾向も指摘できる。
映画の中の 旅(逃走)する二人 にとって、「家」に辿りつくこ とはその ゴール を意味しない。実際、そうやって終わりを迎 えるフィルムは稀なのだ。なぜか?ロード・ムーヴィーは本質的 に 反=ホームドラマ という方向性を内包しているからだ。「家」
ではなく「路上」でのドラマを捉えるためにカメラが外へと飛び 出した。むしろ「家」に安住せず(できず)、そこから遠ざかって いく所作こそがドラマを生成していくのである24。
ただし『いつか、また』の場合、「家」が完全に無視されているわけでは ない。例えば、馬の文通相手は、実は彼の父の隠し子で、父は彼女とその母 の元で長年暮らしていたこと、文通の目的も、馬の様子を父に伝えるためで あったことが分かる。しかしそのエピソードも、事実を知ることで、馬が文 通相手に感じていた仄かな感情の行き場が失われることもあり、いわゆる
「ホームドラマ」的な感動とは別の、アイロニックな空気が漂う。また、流 行作家となった江が一人で島に戻る場面がフィルムのラストを飾るが、かつ ての寂れた島は、彼が旅の過程を小説に描き、そのドラマが人気になったこ とで観光地として賑わいを見せており、自分たちが捨てた故郷は、もはや彼 らの知る場所ではなくなっている。そしてフィルムは、江が馬との旅の一場 面を回想したところで幕を下ろす。
こうしてエンディングに至るまでに、登場人物はみなそれぞれ別々の道を 歩むことになり、中国語で言うところの「悲歓離合」、すなわち別れの悲し
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みやめぐり逢いの喜びなどのドラマは、十分に展開されることはない。むし ろ時折劇的な展開を期待させながらも、それをあえて外し、予定調和を避け ることで、その意外性を観客に味わわせようとしているとも言える。こうし た特徴もあって『いつか、また』は、楊冠穹が述べているように、しばしば
「全体的な繋がりが弱く、ストーリー性が希薄であると批判された」。ただし 楊は、韓寒の小説にも「ストーリー性の欠如や前後の不一致などが存在して いる」が、それは意図的なものであり、「ストーリーの不合理なところを切 り口にして、本当の物語を発見していくように観客・読者を(……)引っ張 り込んでいる」とする。そして「プロットの崩壊」は必要なもので、「この 点はむしろ韓寒作品の特徴であり、高度な技法なのである」と主張する25。 その当否は別として、ストーリー全体を通じて強いカタルシスや感動を与え るわけではないこのフィルムに、彼の小説と共通する特徴が感じられるのは 確かである。そしてそれは、フィルムの中に散りばめられている警句めいた 数々の言葉や、冷笑を招く小ネタ26 などとともに、作家韓寒の個性を感じさ せるものとなっている。例えば、フィルムの終盤、車を盗まれた後に入った 廃屋で、主人公たち二人は、水を張った鍋に蛙を入れて火を点ける「実験」
をする。初めは反応がなかったが徐々に暴れ始める蛙を見て、江は、動物も 環境の変化に対応し、逃げ出すこともある、それが現実なのだ、といった趣 旨のセリフを、諭すように馬に語る。すると素早い動作で馬は、鍋の蓋を勢 いよく閉め、「これこそが現実だ」とつぶやく。この場面は、シニカルな笑 いを呼ぶとともに、中国の現実を思い起こさせるような響きも含んでいる。
余韜と陳朝彦はフィルムにおけるそうした特徴を「韓式烙印」、「韓式風 格」などと呼び、「崇高さとは真逆の自嘲、機知にとんだ比喩やレトリック および言葉の巧みな言いかえ」によって、韓寒らしい特色が強く形作られて いると指摘する27。
韓寒のフィルムは、彼の小説を明確な原作とはしないものの、語り口の上 で小説とのつながりを持つことで、郭敬明とはまた違った形で、彼の作家兼 映画監督としての存在価値を示したものと言える。例えば、中国映画の興行 成績などのデータを公開しているサイト『CBO中国票房』では、大まかな ジャンル分けのためのラベルづけを個々の作品に行っているが、『いつか、
また』に対しては「愛情、公路、文芸」というラベルを付している28。「公 路」とは自動車道路の意でロード・ムーヴィーを指すが、ここで注目したい のは「文芸」というラベルである。九把刀の『あの頃、君を追いかけた』で は「愛情、青春」が、郭敬明の『小時代』では「愛情、青春」を基本に、シ リーズが進むたびに「友情」、「職場」、「喜劇」というラベルが増えているも のの、「文芸」の文字はない。ただ『いつか、また』が製作された2014年は、
他にも『薄氷の殺人』、そして中国映画界を代表する監督の一人である張芸 謀の『妻への家路』(原題『帰来』、張芸謀監督、2014年)が話題を呼ぶとと もに興行的にも満足のいく結果となったことで、「国産映画の文芸熱の高ま り」29 が生じた年とも言われる。「文芸映画」という概念は、譚以諾が述べて いるように、中国では1920年代から存在し、時代によって文芸作品の映像化 を指したり、写実主義のフィルムを指したりするなど意味合いを微妙に変え ながらも、現在に至っている。譚によれば、今日ではいわゆる「芸術映画」
と近いニュアンスを持ち、ハリウッドの商業大作がファンタジックな世界を 作り出すものだとすれば、逆に劇的な事件が起きない日常の緩慢さに立ち戻 るもの、という見立てができるという30。
確かに、ドラマティックな要素を含みながらも派手な展開を避けようとす る『いつか、また』は、上記の「文芸映画/芸術映画」のイメージを踏襲す るものかもしれない。ただし、それによって作品の芸術性が高まっているか は、また別の問題である。韓寒の監督作品の「烙印」や「風格」を論じた余 韜と陳朝彦も、作品を手放しで評価しているわけではない。彼らは、「『いつ か、また』は韓寒の監督処女作として、スタイルをどう打ち立てるかで非常 に苦心した跡が見えるとともに、未熟さも表れている。さらに言えば、彼は 映画の完成度(当然ながら、その頃彼の心の中に映画の完成度という概念が なかったかもしれないが)を犠牲にした代わりに、自らの映画のスタイルを 作り上げることを強行したとも言えるだろう」31 と述べている。また、映画 雑誌の編集などを手がけてきた賽人はより率直に、脚本の出来が悪く、映像 構成における「(映画)言語の誤りも少なくない」などと酷評している32。 その賽人の文章でも紹介されているが、映画プロデューサーなどとして活 躍する台湾の著名な映画人焦雄屏は、韓寒との対談の中で、『いつか、また』
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を見た時に驚いたのは、脚本が映画の規範に背いているところであると述 べ、その例として作品における語り手の問題を挙げている。韓寒自身の説明 によれば、フィルムは初め、偽の主人公によって語られるが、その視角は主 人公たちがモーテルから出た時に消えてしまい、そのあとは神の視点に変わ り、それがまた江河の視点に変わる33。ここで「偽の主人公」と呼ばれてい るのは、主人公二人と一緒に出発するが、モーテルに置き去りにされ、その 後一度も登場しない弟分の胡生のことを指す。彼はフィルムの冒頭に、時間 にして約2分ものモノローグで物語の展開を説明し、これから彼が旅から脱 落することや、これが実際の旅の経験ではなく、江が書いた『旅行者』とい うタイトルの小説を読み上げていること、さらには自分が「知的障害者」
で、「叙述の事実性が疑われる」34 ことが示される。しかし「叙述の事実性が 疑われる」としても、フィルム内の物語上において、このモノローグの内容 を裏切る展開は用意されてはいない。その意味でこのモノローグは、ただ観 客の気を削ぐ役割を演じるばかりで、存在意義はないに等しい。韓寒によれ ば、本来はモノローグではなく、セリフで表現するはずだったのだが、ロケ 地が霧で撮影できなくなったため、やむなく前年のカメラテストの際に撮っ た映像を使い、そこにモノローグを重ねたのだという35。しかしその結果生 まれたのは、焦が言うように通常の劇映画にはない破格のもので、大胆な試 みではあるものの、見方を変えれば、「映画の完成度」を下げ、監督として の未熟さをさらけ出したものに映る。
この点に関しては、『いつか、また』から二か月遅れの9月に公開され、
同じくロード・ムーヴィーとして扱われることもある36『心花路放』(寧浩 監督、2014年)と比較させると、その「未熟さ」が明白になるかもしれな い。この作品の物語は、離婚して落ち込む耿浩が、悪友の郝義に誘われ、郝 の車に乗り、二人で「女色をあさる」旅に出かけ、様々な騒動に巻き込まれ る、といった一見下世話なものから始まる。監督は、『クレイジー・ストー ン〜翡翠狂騒曲〜』(原題『瘋狂的石頭』、寧浩監督、2006年)などのコメ ディ映画で多くのヒットをとばしてきた寧浩であり、彼の監督作品の常連で ある人気俳優の黄渤が耿浩役、徐崢が郝義役を務めるという豪華な布陣であ る。このキャスティングは、観客に『帰省男、辛いよ』(原題『人在卄途』、
葉偉民監督、2010年)や『ロスト・イン・タイランド』(原題『人再卄途泰 之卄』、徐崢監督、2012年)とのつながりを想起させるだろう。「旅の途中で 知り合った二人の主人公が、旅の途中に起こる物語の中で対立的な関係が親 密なものへと変わり、それによって互いを救い、癒し、ハッピーエンドを迎 える」37 という内容の喜劇である『帰省男、辛いよ』は、王宝強と徐崢が主 演し、低予算ながら3763万元の興行成績を挙げるヒット作となった。それに 続き、徐が監督と主演を務め、王のほか黄渤も共演した『ロスト・イン・タ イランド』は、2012年度中国国内最高の10億303万元もの興行収入を挙げた。
『心花路放』の製作時に、この二本のヒット作のことは当然念頭にあったは ずである。
『心花路放』では、袁泉、周冬雨などの人気女優の共演も作品のヒットの 要因の一つだが、特に『いつか、また』でも馬の文通相手として出演してい た袁泉は、『心花路放』では、耿と郝による道行と並行して描かれる、もう 一つの道行を描く一連のシークエンスで、彼らと同じく雲南省の大理へと向 かう旅人という重要な役柄を演じている。寧浩はインタビューの中で、「『心 花路放』は「ロード・ムーヴィーを模倣したものではあるが、私は、ロー ド・ムーヴィーはあまりにばかげたものだと思っているので、私はそれに手 を加え、もう一本のラインを加え、二本立てのロード・ムーヴィーにした。
(……)入れたのはラブ・ストーリーを模したもので、みなはきっと、これ は運命的な出会いの物語と思い、彼らは最後に一緒になるに違いないと思う だろう。しかし最後に、初めから私によってからかわれていたのだというこ とが分かるのだ」38 と述べている。男たちと異なる旅をする袁泉演じる女性 は、実は耿浩のかつての妻で、彼女のプロットは、二人の出会いに至る三年 前の旅路であったことが後に明らかになる。このように『心花路放』は、作 品として優れた内容を持つかは別として、娯楽映画監督としてすでに豊富な 実績を持つ寧浩が、ロード・ムーヴィーというジャンルを批判的に捉え、そ の一種のパロディーを大ヒット作に仕立てることで、その確かな腕を見せた 作品と解釈することができる。
一方、例えば李彬は、余白の多いストーリーと結末を持つ点などを、『イー ジーライダー』や『パリ、テキサス』といったロード・ムーヴィーの代表的
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作品と『いつか、また』の共通項に挙げているが39、それが模倣の域を出て いるかどうかは疑問である。むしろそれは、脚本や演出上の瑕疵を許容させ る隠れ蓑として使われたと言う方が適当かもしれない。実際のところ、『い つか、また』には、入念に準備された作品とは言い難い面がある。例えば、
韓寒から映画を作りたいという考えを聞いてプロデューサーとなったという 方励は、「このフィルムを作った動機は、非常に純粋なもので、まったく商 業的なことは考えなかった」と述べているものの、「クランクインの前の準 備が不十分」であったことを認めているし、また作品のスタイルが若者向き のため公開時期は夏がよい、ということで、5月30日のクランクアップ後、
「ポストプロダクションの時間がわずか一か月と七日」に限られたことも明 らかにしている。音楽監督の人選では、韓寒が名前を挙げた日本人ミュージ シャンの梅林茂、久石譲、小林武史の中で、小林に声をかけて全体のラッ シュを見てもらった上で快諾を得られることになり、作品の一つの「売り」
とはなった40。ただそれを含め、公開に至るまでの時間は非常に短く、こう した状況が作品の質に影響した可能性は否定できない。
韓寒は、中国版Twitterとも称されるソーシャルメディアの「微博(weibo)」
を通じて、2月14日に『いつか、また』のクランクインを伝え、2月17日か ら5月20日までは、主演の陳柏霖から映画監督でカメオ出演の賈樟柯まで断 続的に出演者の陣容は伝えたが、その他の情報は当時秘密にされた。これは ハングリー・マーケティング、すなわち情報を抑えることで逆に飢餓感をか き立て、さらに関心を高めさせようとする広告戦略と捉えられたりもした が41、完成前に十分公開できるほど確かな内容がなかった疑いも拭い切れな い。その反動からか、撮影終了後は一転し、韓寒は様々なメディアの取材を 受けたり、雑誌の表紙を飾ったり、テレビ番組にも出演したりするなど、自 らの小説に対してはこれまでほとんど行ってこなかったような宣伝活動に奔 走する42。さらには微博に投稿された彼の娘(韓小野)の写真が話題になり、
韓寒は「国民岳父」(岳父はしゅうとの意)という呼び名を与えられ、結果 的にプライベートのことが作品への注目度を高めることにつながった43。そ うした努力の甲斐あってか、驚くべきことに『いつか、また』は、最終的に 6億2881万元という興行成績を挙げることになる。11億6934万元という興行
成績を挙げ、2014年度の国産映画最大のヒット作となった『心花路放』には 及ばなかったものの、それでもこれは、同年度の国産映画中第4位という高 い数字である。
この商業的成功は、作家韓寒の監督としての力というよりも、その「IP」
の価値の高さを改めて認識させるものであった。それがなければ、監督とし てのキャリアはここで潰えていたかもしれない。ただ次回作は、「識別可能 な『韓式風格』を形成している」44 とはされるものの、前作から方向性が大 きく変化し、より物語性の強いフィルムとなった。次節ではその作品『乗風 破浪』について検討していく。
3.『乗風破浪』とノスタルジー映画
すでに述べたように、『いつか、また』は興行的には成功を収めたものの、
作品としてのクオリティには問題が多く指摘された。その反省からか、韓寒 の監督第二作『乗風破浪』は、様々な点でより練られたものとなっている。
前作でも重要な役割を演じた自動車は、本作では特に、視覚に訴える映像表 現の中で効果的に用いられている。作品の冒頭では、ラリーカーレースで主 人公がテクニックを駆使する様がリアルに再現されているし、中盤において は、誘拐された主人公が手を縛られたまま、走行する車内から敵を蹴落と し、さらに運転してみせるというアクションが手際よく描かれている。また 物語の終盤でも、水郷の狭い通りを車が猛スピードで走り抜ける小気味良い 場面もある。これらのシーンは、ラリーカードライバーでもある監督の特性 が十分に生かされており、その点では他の中国映画作品にはない独自性も発 揮していると言える。その一方、機知にとんだレトリックや言葉遣い、アイ ロニーなどは前作同様で、より一般的な劇映画に近い形式や規模を備えなが ら、同時に韓寒ならではの特色をも感じさせる作品に仕上がっている。さら に何亮は、「フィルムの中に散りばめられているユーモアあふれるセリフや 爆笑を呼ぶプロットは、観客の娯楽心理を充分満足させた」45 とも指摘する。
このフィルムの大まかな内容は以下の通りである。鄧超演じる主人公の徐
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太浪は、ラリーカーレースを制し、2022年の年間総合優勝を果たす。そのイ ンタビューで、彭于晏演じる父親への不満を口にした主人公は、その後レー スカーを疾走させ、同乗させた父を苦しめる。しかし車は、線路を飛び越え ようとした際、列車と衝突する。そのショックからか主人公は、これまでの 記憶を走馬燈のように浮かび上がらせた後、なぜか自分が生まれる前の年
(1998年)にタイムスリップしてしまう。そこは彼の故郷の町で、若い頃の 父やその仲間、太浪を産んだ後自殺してしまい、顔も知らずにいた母と親し くなり、両親の結婚式にも立ち会う。しかし父たちが管理するカラオケ店の 縄張り争いの果てに、仲間の一人が殺され、その復讐を遂げるため父は相手 を殺し、投獄されることになる。主人公は母の出産に立ち会い、赤ん坊の自 分と触れ合った時、現代に戻り、病室の中で老いた父と仲間同士だけが知る 合図をしあう。
こうしたストーリーを見れば、前作とは対照的に、ドラマティックな要素 が多く詰め込まれていることは明らかであろう。ただしそれは、どこか既視 感のある要素が折り重なったものでもある。作品の中で主人公たちが映画館 で見るフィルムは、『男たちの挽歌』(原題『英雄本色』、呉宇森〔ジョン・
ウー〕監督、1986年)であり、父が経営するビデオ店には香港映画スターの ポスターが貼ってあり、セリフの中でも香港映画のことが話題になっている が、さらに徒党を組み、自分たちの「シマ」を守ろうとする父たちの姿、そ してフィルムのクライマックス、復讐に燃える主人公と父が二人だけで大勢 に立ち向かうプロットも、香港ノワール、あるいは『欲望の街 古惑仔Ⅰ/
銅鑼湾の疾風』(原題『古惑仔之人在江湖』、劉偉強〔アンドリュー・ラウ〕
監督、1996年)に始まる「古惑仔」シリーズへのオマージュと見ることがで きる。しかしより明白なのは、過去のタイムスリップものの影響である。と いうのも、『乗風破浪』の最後のスタッフロールの中で、啓発を与えてくれ た作品として、『ターミネーター2』(ジェームズ・キャメロン監督、1991 年)、『ある日どこかで』(ヤノット・シュワルツ〔ジュノー・シュウォーク〕
監督、1980年)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス 監督、1985年)、『月夜の願い』(原題『新難兄難弟』、陳可辛〔ピーター・
チャン〕監督、1993年)という過去のタイムスリップ映画への賛辞が記され
ているのだ。特に後者二作品は、家族の再生という主題が含まれるという点 で、『乗風破浪』との関連性が強い。
実は公開前後から、「物語の構造がともに、父子関係が良くないという前 提の下で、何かの縁で偶然父親の若い頃にタイムスリップして親友になり、
最終的に和解する」というものであるため、『乗風破浪』は『月夜の願い』
の「拙劣な模倣だ」という批判が挙がっていた46。『月夜の願い』のストー リーは、情に厚く、金を気前よく人に貸す父親を疎んじる主人公が、タイム スリップして若い頃の両親に会い、親交を深める中で父への見方を変化さ せ、現代に戻る、というものである。上記の他にも、プロットの組み立てや 人物の配置においてかなり似通っているなど同様の指摘は多いが47、「模倣」
と断じるには違いも大きい。例えば『月夜の願い』では、中秋の名月の夜、
木星と月が出会う瞬間に願い事をして物を投げると叶うという穴に主人公自 身が飛び込むと、40年前の香港にタイムスリップすることになるのだが、
『乗風破浪』のタイムスリップの仕掛けは、自動車がカギを握るという点で はむしろ、車型タイムマシンのデロリアンを用いる『バック・トゥ・ザ・
フューチャー』の方に似ている48。
ただ『乗風破浪』の場合、時代が現代に戻るきっかけに自動車は使われな い。主人公はそもそも、元の時代に戻ろうという試みをしないまま、生まれ たばかりの自分と触れ合った瞬間、事故後の世界に舞い戻るのだ。そのこと は、フィルム内の時空でタイムスリップなど本当は起こっていないのではな いか、という疑念につながる。例えば、妊娠前の自分の母親に関して、彼女 の名前が主人公の知る「張素貞」ではなく「牛愛花」であったことから、自 分が生まれるよう、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公とは逆に、
二人の仲を裂いて歴史を正そうとするプロットがあるが、その試みの最中 に、彼女が改名をしたことが分かり、事なきを得ている。物語において、主 人公が過去を訪れたことのかすかな痕跡は、最後病室に横たわる主人公が、
向こうのベッドに座る父と、仲間同士の合図として考えた手の動きをしあう ことのみである。また、「男性主人公は、明らかに彼女が自分の母親だと分 かっているのに、彼女が近い将来に死んでしまうという運命を変えるための 努力を何ら行わなかった」49 のも、通常のタイムスリップものと異なる点で
阿 部 範 之
ある。そのため、全ては夢の中の出来事だった、という解釈も大いに成り立 つ。その傍証となるのは、物語上の現在が、2022年という、公開時より未来 の年に設定されている点であろう。いわばこのフィルムは、一見ハート ウォーミングな要素を含む、一般的な物語映画の装いをしながら、その枠組 には容易に収まろうとはしない、作り手による一歩引いた視線を忍ばせてい るのだ50。
こうした一種の批評性は、近年多く製作されている懐古的な色彩を持つ青 春映画やタイムスリップものとの違いを示すものではある。前者は、近年の 中華圏のフィルムでは、九把刀の『あの頃、君を追いかけた』を初め、『So
Young 過ぎ去りし青春に捧ぐ』(原題『致我們終将逝去的青春』、趙薇監督、
2013年)、『私の少女時代 Our Times』(陳玉珊監督、2015年)など枚挙に暇 がないし、そのほか韓国の『サニー 永遠の仲間たち』(カン・ヒョンチョル 監督、2011年)など、少なくとも東アジアでは最近すっかりおなじみのもの である。後者には、例えば『大稲䭛』(葉天倫監督、2014年)、『私を月に連 れてって』(原題『帯我去月球』、謝駿毅監督、2017年)などがある。しかし これらには、物語の設定や枠組そのものに対するメタ的な視点は基本的に見 られない。
ただし、『乗風破浪』が「ノスタルジックな青春映画」51 として扱われるこ とがあるのも、故なきことではない。物語の中心的な舞台は、韓寒の出身地 である上海市郊外の金山区亭林鎮に設定されているし、1998年は、彼が新概 念作文大会で優秀賞を取る1999年(これは映画の主人公の誕生の年でもあ る)の前年で、彼が多感であろう青春時代を送った時期でもある。また主人 公と韓寒本人の間のラリーカーレーサーという身分の共通性もあり、『乗風 破浪』には、韓寒のフィルターを通したノスタルジー映画、といった趣があ るのは確かだ。それについて何亮は、「『乗風破浪』の主題は、父子の間の感 情を再び築くことや、また少年時代の心理的な傷を癒すことというよりはむ しろ、すでに過ぎ去った美しい時代に対して韓寒が深い思いを込めて回顧す ること、またその時代について野心的な代弁を行うことにあったと言うべき だ」とし、「『乗風破浪』の『タイムスリップ』は、単なる面白いトリックに すぎず、『ノスタルジー』こそが強く求めたものなのではないか」と述べて
いる。何はまた、「太浪がタイムトリップをまもなく終えようとするときに、
父親が収監され、摯愛(店名;引用者注)カラオケ店は取り壊され、亭林鎮 というノスタルジーのユートピアは、急速に衰退、瓦解の道をたどる」と分 析するが、主人公の帰還/誕生を境に、その前後の時代が対照的に描かれて いるのは指摘の通りである52。
確かに、フィルムの中で主人公は、時に「(この)社会はとてもいい。携 帯電話を持っている人はいないから、微信で友達からの情報を見たり、微博 をチェックしたりする必要がない」、「この時代はなんていいんだ」などと 語っており、過去の時代は肯定的に描かれている。ただし同時に注目すべき なのは、それが当時のリアルな再現とは言い切れない、という点である。例 えば、実際のロケ地には亭林鎮以外の上海周辺の五つの町が含まれてい る53。また町の雰囲気や部屋のしつらえ、カラオケ店の外観などは、それな りに古びた感じが出ているものの、あまりにも整然としていて、町や人々の 暮らしぶりは、猥雑さや混沌とは無縁のように見える。これは、山東省の汾 陽という小さな町に住む若者たちをドキュメンタリータッチで捉えた『一瞬 の夢』(原題『小武』、賈樟柯監督、1998年)の騒音溢れる薄汚れた風景と比 較すれば、その差は歴然としている。これに関して『乗風破浪』の撮影監督 の程馬志遠は、1990年代末の時代を描く映像スタイルを構想していた時に参 考にしたのが、日本人カメラマンである秋山亮二が中国各地の子どもたちを
1980年代初めに撮影した写真54、および上田義彦が1990年代前半にサント
リーの烏龍茶の広告のために撮った写真であったことを明らかにしてい る55。このことからも、フィルムでは過去を忠実に再現することよりも、他 者の視点も借りながら、理想的なイメージを創造することに力が注がれたと 見ることができよう。
さらに言えば、フィルムでは、さだまさしの「関白宣言」(1979年)56、 ピーター・ポール&マリーの「500マイル」(1962年)、さらに日本国内でも あまり有名とは言えない、ファッションデザイナーである山本耀司による
「心のそばの胃あたり」(1991年)のカバー曲が、韓寒による訳詞をつけて挿 入されているが、これらはあくまで韓寒など製作者側の感覚に従って選ばれ たものであって、同時代の中国で実際に広く受容されていたわけではない。
阿 部 範 之
ただ、おそらく韓寒は、そうした意味でのリアリズムに拘泥しない姿勢をあ えて取ろうとしたのだろう。それによってフィルムは、時代性をある程度無 視して過去を魅力的に描く、つまり「美化」することを正当化しているの だ。すでに触れたようなメタ的な視線も、過去に関する描写の非現実的な側 面を考慮してのものなのかもしれない。
しかし、ここでフレデリック・ジェイムソンの議論を援用すれば、そもそ も「ノスタルジー(ノスタルジア)映画」57 には、歴史を忠実に描くリアリ ズムとは別の性格が存在する。ジェイムソンは、「ポストモダニズムが消費 者資本主義の論理を模写し再生産し─補強する─こと」58 について論 じる中で、パスティーシュを「今日のポストモダニズムにおけるもっとも重 要な特徴あるいは実践の一つ」59 に挙げている。このパスティーシュとは、
「様式的な発明がもはや不可能となった世界」において、「死んだスタイルを 模倣する」、あるいは「イメージの博物館に保存された仮面や様式の声に よって話す」60 ようなものであるが、その典型として挙げられているのが、
ノスタルジー映画なのだ61。彼は変則的な例だと断った上で、『スターウォー ズ』(ジョージ・ルーカス監督、1977年)をノスタルジー映画と想定し、そ れが「一九三〇年代から五〇年代にかけて育った世代にとって」は、かつて テレビで放送されたSFドラマの文化経験を味わいたいという欲望を満たす ものであったと分析する。「青少年はまずは冒険をストレートに受け入れる 一方で、大人たちは古き時代へと帰るとともに、この奇妙な古びた美学的作 品を再び生きたいという深層のさらにはノスタルジックな欲望を満たすこと ができる」という62。彼はまた、別の箇所で次のようにも述べている。
ポストモダンのノスタルジア映画とはまさにそのような消費可能 な一連のイメージなのであり、おおくの場合音楽、ファッション、
ヘアスタイルそして乗り物や自動車によって特徴づけられている のだ(というのも、形式を現代そのものよりも過去に適合させる ことは困難だからである)。そのような映画では所与の時代の様式 そのものがその内容となるのであり、時代の出来事は、問題となっ ている時代の新型服装図にとってかわられ、それによってステレ
オタイプな種類の、世代による時代区分のようなものを産み出 す63。
こうした観点から言えば、『乗風破浪』も、他のノスタルジー映画同様に、
あるいはそれ以上に、作り手の主観的なイメージを観客に投げかけて消費さ せる商品に他ならないだろう。韓寒自身、「私はもともととても商業的なん だ。見るフィルムはみな商業映画で、ただ私は商業的なものをいくらか質感 をもったものに作りうるだけのことだ」64 という発言もしているが、それに よって彼が、自らのフィルムが「商品」であることを自認していることが分 かると同時に、「既成の芸術上の手段・手法から一定の距離をおくというス タンスではパロディーと似ているが、その目的は、名作の複製や贋作をつく るのと同じで、対象がいかにあほらしい作品かをあばくことではなく、制作 者の名人芸を披露することにある」65 という、ジェイムソンが別の文章で述 べたパスティーシュの特徴と、その作品が合致することもあらわになる。
ジェイムソンの議論に従えば、こうした文脈において可能なのは、既成のも のの再生産でしかなく、新しいスタイルが生み出されることも、何かが新し く掘り起こされることもないことになる。
さらに興味深いことに、これはジャンル映画についての議論にもつながっ てくる。ジェイムソンは、映画は「いわゆるハイ・カルチャーではなく、大 衆文化である」とした上で、ジャンルを映画におけるパスティーシュと見な し、「現代の後期資本主義社会、消費社会」の問題として論じていく66。彼 によれば、映画の揺籃期に大監督たちがこぞって目指したのは、独自のスタ イルをそなえた特色ある個性的な作品だったが、業界のシステムに阻まれる と、ハリウッドのやっつけ仕事にはけ口を求めていく。このハリウッドの仕 事こそが、ジャンル映画なのだが、しかしメディア社会とテレビの到来に よって、昔ながらのジャンル映画も存立しえなくなる67。その前提のもとで ジェイムソンは「メタ・ジャンル映画」について言及し、「これらの映画は みな、昔からのジャンルにもともとあった構造をネタにしているが、その作 品はもはや、旧来のモダニズムが言うような個性やスタイルをもっていな い」と述べ、さらに「現実の過去を想像上のスタイルで謳いあげ」るノスタ
阿 部 範 之 ルジア映画も、それと通底するものと捉えている68。
今の中国でも、ノスタルジー映画に懸念を覚える議論は存在する。例え ば、梁君健と尹鴻は、「『あの頃、君を追いかけた』、『アメリカン・ドリー ム・イン・チャイナ』、『So Young 過ぎ去りし青春に捧ぐ』の成功を承けて、
ノスタルジーは現在の中国社会の主流文化の症状となった。この症状は国産 青春映画の創作に広く影響している」、「こうしたフィルムは、ノスタルジー を通して現実生活の中の抑圧を解き放ってくれるが、しかし構造的な文法を 欠き、人を納得させる形で現実へと回帰させることはできないため、最終的 には過去に夢中になることで、道を見失ってしまうことになる」と論じてい る69。しかし、消費社会の「症状」と言えるノスタルジー映画の問題は、人 を現実から遊離させるだけでなく、そこで描き出される過去が、作り手の持 つイメージやステレオタイプに基づいて、半ば恣意的に規定されることで、
実際の歴史そのものからも人を遠ざける点にあるのではないか。
ただし、歴史を直視しない傾向は、実は中国映画において様々な形で見ら れる現象でもある。次節ではしばし韓寒の作品から離れ、この問題に関する 補足的な検討を行いたい。
4.中国映画における歴史の加工/仮構
2014年に『妻への家路』を発表するなど、現在でも活躍する張芸謀は、撮 影監督としてのキャリアの後、ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得した『紅 いコーリャン』(原題『紅高粱』、1987年)での鮮烈なデビュー以来、国際映 画祭で次々に受賞し、映画監督として世界的な名声を得てきた。しかし彼も 1990年代後半、海外向けとも称された作風から、国内市場への参入を主眼と するものへと作品の方向転換を試みていた。彼の監督作『初恋のきた道』
(原題『我的父親母親』、1999年)は、ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作では あるが、そうした栄冠に違和感を覚えるようなクリシェにあふれ、先鋭的な 表現は見られない。フィルムでは、冒頭と結末部分は、父親の死を迎えて故 郷に帰った息子と母親のシークエンスがモノクロームで撮られているが、そ
の間に挟まれるフィルムの根幹は、結婚前の両親、特に若い頃の母を主人公 に、カラーフィルムで色彩豊かに描かれている。こうした色彩の使い分け も、『太陽の少年』(原題『陽光燦爛的日子』、姜文監督、1994年)に類似し た演出があるように、決して斬新なものではない。その視覚的効果の意味は 明白で、現在と過去の二つの時代を扱いながらも、フィルムは、特に過去の 物語に比重を置き、農村に暮らす少女の純真無垢な姿を情感込めて描き出す ことに力を注いでいるのだ。
注目すべきことに、中華人民共和国建国後の農村を舞台とするそれまでの 多くのフィルムとは対照的に、この作品は主人公の主観にひたすら寄り添 い、その結果、時代背景は終始曖昧なままに終わる。フィルムの後半、主人 公が家のカレンダーをめくる場面があり、未来の夫である教師が村に戻ると 約束した日付が「1958年1月27日」であることは、一応確認はできる70。し かしそれを見逃したとしたら、この物語がいつの時代のことかを判別するの は意外に難しい71。中国史についてある程度の知識があれば、この日付に従 い、1957年以降の中国社会、特に知識人に対し多大な影響を与えた反右派闘 争が扱われていることは理解できるだろう。しかしそれは、物語に起伏をつ ける程度で、その実態を示す描写は皆無に等しい。藤井省三も指摘するよう に、新任教師に一目惚れした可憐な少女を追う一連の場面は、土地改革、農 業の「社会主義的集団化」、大躍進政策による混乱など、1950年代に生じた 中国社会の様々な劇的な展開を想起させることはなく、「農村は、ロマン ティックな空想をかきたてる場」として描かれている72。
実際、張芸謀自身もインタビューの中で、この作品について次のように述 べている。
この映画の中で私は消去法を取りました。もともとの原作は淡々 としているとはいえ、ストーリーとしてはたくさんの要素を持っ ています。それをとにかく削って削って一番単純なものだけを残 し、単純な感情を強調するという方法を取ったわけです。
そう、この映画では懐旧の念、ノスタルジーという要素を強調 しています。ノスタルジーというのは、今全世界的な傾向だと思
阿 部 範 之
います。今世界はあまりにも発展し、どんどん物質化して、文明 化と現代化が進んでいます。それが進めば進むほど人間が失うも のも大きくなる。人々は発展する社会の中で自分たちは何か多く のものを失ってしまったのではないかと感じています。この映画 の中で描こうとしたのは、まさにその失ってしまったものに対す るノスタルジーという単純な情感であり、またそれだけに絞って いこうとしました73。
こうした発言からも、『初恋のきた道』は、過去の時代をリアルに再現す ることではなく、ノスタルジーを喚起することを目的に、理想郷のような空 間として「古き良き」農村の姿を、張の言葉によれば「散文詩」74 のような スタイルで創造したものと言えるだろう。
歴史を曖昧に描こうとする『初恋のきた道』のいわば「戦略」は、文化大 革命を描いた作品群に対する晏䑍および好並晶の分析概念75 を借りれば、「公 的記憶」に対し「私的記憶」を前面に出したものとして議論することもでき るだろう。ただ本論では、そうした「記憶」が時に捻じ曲げられたり、歴史 がただのファンタジーの素材と化したりするという一つの倒錯した傾向に焦 点を当てて検討を行うことにする。
この典型的な例の一つは、1930年代から45年までという限定された歴史時 期を対象とする抗日戦争ものである。特にテレビドラマという、映画よりさ らにローカルな観客を対象とするメディアコンテンツにおいて、その傾向は 顕著である。抗日戦争の題材は、戦争中から多くのフィルムで扱われてはき たが76、特に中華人民共和国建国以降、戦争映画が主要な映画ジャンルの一 つとなる中で、国共内戦の題材とともに繰り返しスクリーンを飾ってきた。
しかし、抗日戦争において実際の戦闘の主体は国民党軍であったほか、共産 党軍でも主力として戦った要人が後に失脚することもあり、それらに関わる 題材は避けられた77。このように建国後の中国では、政治による影響が強 かったため、共産党軍を英雄として描く場合に、事跡が忠実に描かれること はあまり多いとは言えなかった。それが21世紀になり、テレビのチャンネル 増加に伴うコンテンツ不足の中で、抗日戦争を題材とするドラマが量産化さ
れると、娯楽性優先のため、史実どころか、戦争映画のリアリティすら無視 されることが常套化し、プロパガンダ性を超越した一種のエンターテイメン トとして独自の「発展」を遂げることとなる78。劉文兵は、いわゆる「抗日 ドラマの主な視聴者は、毛沢東時代を経験し、かつ、その時代に強いノスタ ルジーを抱く中高年層であり、彼らの支持により一定の視聴率が保証され る」とした上で、「国共内戦を描く場合は、敵役が同じ中国人であるために 一定の配慮が必要であり、リアリティも求められるが、敵役を日本軍という 紛れもない加害者にしておけば特別の配慮もいらないし、むしろドラマ ティックな設定や暴力的な表現がいくらでも可能になる」と指摘してい る79。
しかし、視聴者の多くが中高年に限られる現状を見ても、抗日映画の世界 そのものに、過去への憧憬を覚える者は、現在非常に稀だろう。そもそもす でに戦後70年以上が経過し、中高年の視聴者たちも、抗日戦争の時代を直接 経験し、記憶しているものは非常に少なくなった。とすれば、彼らの抗日戦 争のイメージは、当時を知る者からの伝達、教育、政治宣伝、そして映画や テレビといったメディアによって形作られてきたものと言える。その意味 で、彼らが抗日戦争ものの荒唐無稽なドラマを享受するのも、日本におい て、主に江戸時代を背景とする武士の物語である時代劇映画およびテレビド ラマが楽しまれることと似ているかもしれない。抗日戦争ものは、すでに本 来の歴史から離れ、独自のフィクション世界を構築させたと見ることもでき よう。
こうした状況を踏まえ、ここで問題としたいのは、今日のノスタルジー映 画が扱う「過去」の出自である。ノスタルジー映画は一般的には、「公的記 憶」を背景に、登場人物たちの「私的記憶」を交えることで観客を刺激し、
「懐かしい」という感情を引き起こす作用を果たすものと言えるが、政治イ デオロギーに基づく歴史観に支配された時代が終わりを告げたと言える現在 の中国において、「公的記憶」自体が実は以前ほど明確ではなくなってきて いる。ノスタルジーに関する消費者行動の分野では、自らが経験した過去の 事物や出来事を媒介とするものだけでなく、生まれる前など自らが直接経験 していない時代の物事、あるいは史実とは関係のない「製造された記憶」を
阿 部 範 之
媒介とするものもノスタルジーに関わる消費傾向と捉えて論じる見方があ るが80、現在の中国映画では、「記憶」が曖昧になる中、後者のような形で ノスタルジーをかき立てることが目的化し、史実としての正しさがなおざり にされる傾向が強まっているのではないか。そのことを検証するために、こ こで『20歳よ、もう一度』(原題『重返20歳』、陳正道[レスト・チャン]監 督、2015年)を取り上げたいが、その前に関連作品である韓国映画『怪しい 彼女』(ファン・ドンヒョク監督、2014年)について触れておきたい。
韓国のメディア企業CJエンタテインメント製作による『怪しい彼女』は、
大学教授を務める息子を女手一つで育てたことを誇りとする70歳の老女を主 人公とし、色々なトラブルが後を絶たない彼女が突然20歳に若返り、素性を 隠して孫たちと音楽活動を行い、青春を謳歌する中で家族の思いを再認識し ていくという、タイムスリップものの亜種と言える若返り81 を題材とした フィルムである。この作品は、年齢のギャップをうまく笑いに結びつけた主 演のシム・ウンギョンの魅力も相俟って、韓国国内で大ヒットした。あくま で現代を舞台としながらも、老女が代表する伝統的な価値観も盛り込み、さ らにかつてのヒット曲を媒介に、時に過去をオーバーラップさせる手法でノ スタルジーをかきたてたことが、幅広い観客層に支持された要因であろう。
しかしこの作品の注目すべきもう一つの特徴は、CJエンタテインメントに よって、別バージョンの作品が様々な国で製作されている点である82。 中国語版である『20歳よ、もう一度』は、完成は遅れたものの、企画自体 は韓国版と同時に進められたものであったという83。当時、中国と韓国の映 画界は急速に関係を密にし、韓国人映画監督の中国進出のほか、「2012年8 篇、2013年12篇を記録した韓中合作映画は、2014年以後、毎年20篇に達し」
た。その中でも『20歳よ、もう一度』は、「5500のスクリーンで同時公開さ れ、約3億6500万元(約640億ウォン)のチケット売り上げを記録し、歴代 の韓中合作映画の興行1位を達成した」84。この興行成績は、同じく2015年に 公開された中国最大のヒット作である中国・香港合作映画『モンスター・ハ ント』(原題『捉妖記』、許誠毅監督、2015年)の24億4001万元に比べれば見 劣りはするものの、以前の韓中合作のヒット作『最後の晩餐』(中国語題
『分手合約』、オ・ギファン監督、2013年)の約1億9284万元を大きく上回る
ものであった。
中国映画研究者である石川は、国境を跨いだフィルム製作の難しさを指摘 した上で、『怪しい彼女』から『20歳よ、もう一度』への翻案が成功した理 由として、「東アジアというコンテクストの中での、両国の共通した文化の 経験および歴史の記憶が関係している」とし、具体的には、「家族の生活方 式と観念の衝突を基礎とし、そこに嫁姑、祖母と孫、母子および隣人といっ た多重の人間関係がからみ、さらに世代間のギャップ、養老、結婚できない 娘、ノスタルジー、傷ついた記憶などの社会と文化の内容が交互に織りなす 暮らしの姿が背景となっている」という共通性を挙げる。ただしその一方 で、「韓国の物語を中国の物語として完全に改造しようとするならば、多く の具体的な文化的差異を克服することが余儀なくされる」。例えば韓国版で は、主人公の若い頃の憧れのスターはオードリー・ヘプバーンで、日本版で もそれは踏襲されているのだが、社会主義化が進んだ1950年代から60年代の 中国で、彼女の存在はほとんど知られていなかった。そのため「中国版で は、テレサ・テンをもってそれと置き換える必要があった」。しかし「時代 背景を考えると、老女の沈夢君が生まれたのが1940年代である以上、彼女が 自分の『若い頃テレサ・テンが好きだった』と話し、『給我一個吻』という 香港や台湾で流行した歌を上手に歌えるのは、疑わしいことに思える」と、
石は控えめに指摘する85。
ここでテレサ・テン(鄧麗君)について補足すれば、彼女は1953年に台湾 で生まれ、14歳でデビューした後、香港や日本、東南アジアでも活動し、人 気を博した歌手であるが、結局彼女は一度も中国大陸を訪れることなく1995 年に逝去した。中国で彼女の歌は、長年にわたって公には禁止や排除の対象 であったが、実際には、特に改革開放政策が取られた1970年代末以降、カ セットテープや台湾からのラジオ放送86 などの媒体を通じて密かに流通し、
楽しまれていた。だが彼女がプロデビューし、最初の黄金期を迎えたのは、
中国では文化大革命が巻き起こっていた時期である。そのため主人公が若い 頃からテレサ・テンが好きだとすれば、かなり特殊な状況を想定しないと辻 褄が合わない。ただし石はそれを「叙事のロジック上の小さなミス」とし、
そこから生まれる「年代の記号と中国の具体的な歴史的背景との間の」「微