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(1)

セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文化‑E]本と兼アジアの近世

『 近世生活給引』作成に向けての試み

‑土屋又三郎 『 農業図絵』を題材にして‑

田島 佳也

は じめに

日本常民文化研究所 は、過去に 『絵巻物 による 日本常民生活絵 引』 を編纂 ・発行 した。その経緯 と成果 、 意義 ・特色に関 しては、神奈川大学COEの拠点 リー ダー福 田アジオ教授の報告に明 らかである。福 田教授か らも紹介 された よ うに、『絵巻物に よる 日本常民生活給引』は対象 とす る時代が中世 までに とどまってお り、

神奈川大学COEではその近世編 、近代編 の成果 を期すべ く研究 を進 めているO だが、多 くの難点が存在 し、

絵引研究作業 も順調に進 んでいるわけではないO

本報告では数々の難点を列挙 ・紹介す るわけにはいかないが、地域 によっては差別の問題 もあ り、ただた だ闇雲に絵引編纂作業を進 めればよい とい うわけではないか らである。 とにか く試行錯誤 なが ら試作本 を製 作 し、専門家の閲覧 ・批判 を仰 ぎ、完成本 を世に問 うべ く 『日本近世生活給引』の編纂に努 めている。ただ、

ここでは、土屋又三郎 『農業図絵』に紹介 されている金沢城 下近辺の図絵 を題材に、対象は狭 くなるものの、

あえて溢滞敬三が こだわった常民に焦点 をあて、『近世生活給 引』作成作業の一端 を披涯 ・紹介 し、大方の ご 批評 を仰 ぎたい。

1

『農業図絵』の 『近世生活給引』化にあたって

『農業図絵

』(

『日本農書全集』26巻所収 農 山漁村文化協会 1983年) は元禄 ・享保期 (1688‑1735年) の加賀 の農業を描 いた農書であ り、享保2年 (1717)に著 された。 これは従来、『加賀農耕風俗図絵』 とも呼 ばれて きた。

確定的ではないが、著者 は寛文4年 (1664)、20歳の時に父の跡 を継いで、加賀の石川郡御供 田村の無組 御扶持人十村役 (他藩の大庄屋 にあたる。藩命 によ り扶持百姓が十 ヶ村以上の村 を取 り仕切 る肝勲に任命 さ れて徴税や 民政 、生産指導に当たった。無姐御扶持人十村役は扶持 を支給 され る、郡 内の十村首座で最高位) を担 った土屋又三郎 といわれている。正保4年 (1644)生まれの土屋家3代 目である。ただ、理 由は定かで ないが、元禄6年 (1693)、改作奉行園田佐十郎の罪 に連座 し、佐十郎は流刑 に、又三郎は禁獄1年の刑 を受 け、かつ平百姓 に格 下げ された。そ して、『農業図絵』執筆2年後の享保4年 (1719)に75歳で死去 してい るO

今回のシンポジウムにあた り、この 『農業図絵』 を題材に取 り上げることになったが、実は他班のメンバ ーか らその選定に反対が出 された。 その拠 ってたっお もな理 由は 『農業図絵』 とは文字説明のある絵画資料 であ り、文字の助 けを借 りて絵画資料 を基本的に読めること、COEとしては文字説明の無い犀風絵や絵馬、

絵巻物 な どを取 り上げるべ きで、「安易に過 ぎる」 とい うことであったO とはいえ、今回 『絵引』の試作に当 たって、安易に選定 したわけではな く、粁余 曲折の議論のす え、『農業図絵』を題材に発表す ることにいたっ たのである。

その理 由の第一は確 かに、消水氏の解説のある部分 もあ り、導 きの糸になることは否定 しない。清水氏に 多大なる感謝 を感 じているが、解説はすべ ての事柄 にわたっているわけではないO それ に 『絵 引』作成 にあ

(2)

セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文化一日本と兼アジアの近世

たって図絵の どこを切 り取 り、 どう読み解 くかは解説 とは全 く違 う作業であるO とくに清水氏の解説は四季 の農業のあ り方が中心で、百姓の衣服や余暇の情景、図絵に描かれている武士や行商人たちの説明はほ とん どない。『絵引』の作成 にあたってはそ うした点まで注意 を払 って作業 を進 めてお り、 「安易に過 ぎる」 とい う批判 は当た らない と判断 した。

第二は、『農業図絵』の類本 ともい うべ き 『耕稼春秋』八、九、十が本学、神奈川大学 日本常民文化研究所 に所蔵 され ているか らである

(

『常民研本』)O類本 は愛知県西尾市立図書館 に もあるO肥料商岩瀬弥助の寄贈 になる 『耕稼春秋』竜、弐である

(

『岩瀬本』)。 この 『耕稼春秋』 を比較検討 されてきた堀尾尚志氏

(

『耕稼 春秋』解題 (2)『日本農書全集』第4巻 農 山漁村文化協会 1980年)や 、年代不詳の 『農業図絵』の年代 確定や 内容について長年、考証 をか さねて来 られた清水隆久氏の研究

(

『農業図絵』解題 と解題補記 『日本 農書全集』第 26巻 農 山漁村文化協会 2005年)によると、細部にいたるまで本文の字体 も 『岩瀬本』 と

『常民研本』は酷似 し、同一人物による筆写の可能性が高 く、図絵の省略 も多い とい う。実際、『常民研本』

には多 くの図絵 の省略があ り、彩色 も単調である。これ らを総合的に勘案 ・検討 した結果、『常民研本』は 『絵 引』作成資料 と しては適 さない と判断 しうるにいたった。『岩瀬本』もその点では 『常民研本』と同様である。

しか し、本学の 『常民研本』の存在 も何かの縁 と考 え、『農業図絵』か ら 『絵 引』作成 を試み ることに した。

そ こで図絵 を精微 に描いた 『桜井本』 (石川県鶴来町桜井慶 二郎氏蔵)の 『農業図絵』を底本 とす ることに し た。実際は、試作の段階で もあることか ら、『日本農書全集』第26巻 (農 山漁村文化協会 2005年)所収の

『農業図絵』 を活用 させて もら うことに したQ理 由はそれだけでない.『農業図絵』の翻刻 ・刊行後、20年 余の歳月 を‑て、欠落 していた著者土屋の 「農業図之 目録」の残余を清水氏が石川県河北郡宇 ノ気町内 目角 (現かほ く市内 目角) の旧十村役家 (現、林贋子家)で発見 し、著者 土屋の手になる 「農業図 目録」 と解説 がほぼ整 った ことを確証 され た こと、また同時にここに 『農業図絵』 が確かに土屋の手になる著述 (一部 に はまだ疑問視す る研究者 もいると聞 く)であ り、その成 立年代の確定 と、著述内容の信悪性が確認 された こ

と、な どにもよる (漁村 文化協会発行 『農業図絵』第6刷に発見の 「農業 目録」を掲載)0

第三の理由は、やや こ じつけに過 ぎるかも知れないが、本学の 日本常民文化研究所は次のよ うに北陸 との 関係があった。す なわち、(財)日本常民文化研究所は1949年以来、戦後 の漁業制度改革に伴 う漁業制度資料 の調査 ・保存事業を常民文化研究所が水産庁の委託 を受けて行ない、そのなかで51年か ら能登 に関わ りを も った。だが、その後の事業の中止 と解散、調査の全面的中止 とい う、こ うした流れ を‑て神奈川大学に (財)

日本常民文化研究所が招致 され ると、84年か ら再び、今 は亡き網野善彦教授の主導の もと奥能登時国家の借 用古文書の返却 と調査が再開 されたのである。北陸 とは こ うした歴 史的な経緯があ り、北陸 と (財)日本常民 文化研究所 とは因縁残か らずの関係 にあったのであるC『農業図絵』を 『絵

』作成の資料 に選定 した理 由に はこの思いも一因でもあったのである。

2

土屋又三郎著 『農業 図絵』 (享保

2

年)の特徴

さて、先 の清水隆久氏の 『農業図絵』解題 によると、又三郎はすでに元禄15年 (1702)には 『金城隆盛私 記』 を、宝永4年 (1707)には 『耕作私記

』 5

巻 を著 し、のちの正徳4年 (1714)には 『加越能大路水経』

(

『加越能 山川記』、ない しは 『加越能大路水源記』とも)を著 しているとい う。そ うしたなかで、『耕作私記』

を著 した3ケ月前には 「方言俗言 を以って し、い ささか も雅言 を以 って

」(

『日本農書全集』第4巻 農 山漁 村文化協会 1980年 6頁) しない文章 と、精撤 な農 具図 と農 具の名称でよく知 られている著名 な農書 『耕 稼春秋』 を世に出 してい る。 土屋は この農書で、農具が地元で どのよ うに言われ、年 中行事が どの よ うに行 われ ているのかな どを記録す ることで、農業に対す る百姓 の理解度 を深 め、17世紀に入 って集約的農業の本

(3)

セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文化一日本と東アジアの近世

格化 しつつある加賀 での農業生産量 を増大 させ ることを意図 したのである (堀尾 尚志 「解題 (2)」『耕稼春秋』

「日本農書全集」第4巻 農 山漁村文化協会 1980年348頁)0

『農業図絵』は この 『耕稼春秋』の後に著 された著作である。『農業図絵』は先述 した よ うに加賀の農事暦 にもとづ く農耕風俗 を描いた農書であるが、実は加賀 の金沢城下町近郊か ら城下町、そ して石川郡御供 田村 までの情景、生業な ども説明つ きの彩色画で精微に描いている。その意味では、単なる農書 とい うよ り17世 紀末か ら18世紀は じめにかけての金沢城 下や近隣村の常民生活が描かれ、 しか も当時の言葉 ・用語で用具 、 情景 も簡略に説 明 されているとい う特徴 を持つOただ、著者 の主題 があ くまで も農業 と農村にあっただけに、

城下町の正月情景の描写な どは寂 しく、簡略化 されている憾みがある。 とはいえ、東北 ・北陸諸藩城下町の 正月風景 とはこのよ うな状況であったのかも しれない とも思われ るO さらに、当然 なが ら、18世紀 中ごろわ が国に伝 えられた とい う絵画描法の遠近法 も、遠近法の伝播以前のこの 『農業図絵』 には取 り入れ られてい ないことにも注意 してお きたい。

ところで 『近世生活給 引』の作成 にあた っては、できるだけ 『図絵』が作成 された時代 の言葉や用語で記 録 ・説明 され ることに越 したことは無い。 当然、そのためには文献な どの博捜は欠かせず、困難 を伴 うが、

その描かれた用具 ・道具 ・衣服な どが正確であるか ど うか、その名称が果 た してその時代 のものか ど うかな ど、その批判的検討が要請 され るO とくに、『図絵』が職業的な絵師や画工な どによって描かれ た場合は、そ の周 りの情景を含めた図絵全体の真実性 も検討 されな くてはな らない。その点、『農業図絵』の作者 ・土屋は 百姓 を指導 し、 自らも指導者 として耕作に携 わ り、実験や実見 した経験者 であ り、時代の証言者 で もある。

さらに、『農業図絵』の内容 に関す る清水氏の詳細な考証があ り、その内容に関わ る堀尾氏の 『耕稼春秋』に 関す る解説 も大 きな手助 け となるO これ まで近世経済史、 と りわけ漁業史 ・商業史 ・北方史を研究 して、農 業 ・農村、都市関係 の知見に疎い報告者 に とっては力強い援護で もある。

今後の本格的な 『近世生活絵 引』作成のための試作本作 りに、以上の理 由か ら 『農業図絵』を選定 したが、

いま一度 、 日本常民文化研究所 の創 立者で、かつ 『日本常民生活絵 引』の作成者 である溢揮敬三氏が作出 し た 「常民」概念 と 『絵 引』の制作意図をここで再確認 してお きたい。

まず、常民 とは 「庶 民、衆庶等の語感 を避 け、貴族、武家、僧侶階層等 を除 くコモ ンピープルの意 として 用い出せ るもの。農 山漁村のみな らず市街地を合せ農工商等一般 を含む もの」

(

柏葉年譜」『相葉拾遺』3

1956年。 なお、敬三は1937年に 「民具 と装飾」

(

「アチ ックマンス リー」No.5)ですでに 「常民」概念 を使 っ ている)であるO『農業図絵』には興味深 い武士や僧侶な どの図 も描かれているが、今回は この常民なる語の 規定か ら武士や僧侶な どは除外せ ざるをえなかったo Lか し、現在、別途作業を進 めている 『近世生活給引』

の作成 では武士や僧侶 も対象に加 えることはい うまで もないO

さて 『中世常民生活絵 引』 について、溢滞氏は 1940年頃か ら作成 の準備 をは じめ、「各絵巻 ごとに主題前 後の脈絡は考 えず 、更に一般 の景色や 、貴族 、僧侶、上流の軍人等絵巻の主眼点 をば省略 し、美術的観点を 度外視 した、凡そ常民的資料 と覚 しき ものだけを集 め、一定数 ごとに印刷 しこれに (略)番号 を付 し巻末に 近代的名称に よる分類 によって対象物 を羅列 し当該番 号を示 した索引をつける構想 にほぼ定めた」。 そ して

「民俗学の中で もマテ リアルカルチャーの資料 として、クロノロジー を明 らかに し、文章のみでは解 りにく い南をはっき りさせ る」ことを 目的 とした (『日本常民生活絵 引』第 1巻 平凡社 1984年 viii〜ix)。『日 本家族制度 と小作制度』の名著をものに し、「有賀社会学」の確 立者 ともいわれ た有賀喜左衛 門氏は、溢滞氏

のこの試み を 「常民文化 とい う一つの 自覚による観点か ら捉 えて、 日本 の基層文化の歴 史に照明を当て よ う とし (略)、く事〉を具象的に我 々の眼に浮かばせ」よ うとした と、端的に説明 している (前掲 『日本常民生活 絵 引』第 1巻xi〜xii) 。 こ うした溢揮氏の意志 を継承できるか どうかは心許 ないが、神奈川大学COEによる

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セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文化一日本と兼アジアの近世

『絵引』作成 の試みの一端 もここにある。

ところで、淀淳氏は 『絵巻物 による 日本常民生活絵 引』の凡例分類 に したが って、『図絵』を解読 したOそ の分類 とは r‑住居 二衣服 三食事 四調度 ・施設 ・技術 五資糧取得 六交通 ・運搬 七交易 ・交易品 八容姿 ・動作 ・労働 九人生 ・身分 ・病

〇死 ・埋葬 一一児童生活 一二娯楽 ・遊戯 ・交際 一三年 中 行事 一四神仏 ・祭 ・信仰 一五動物 ・植物 ・自然

である. この分類 はあ くまで も中世 の 『図絵』 を対象 に したものであ り、実際に近世の 『図絵』 を読み解 き分類 しよ うとす ると、必ず しもこの分類 には適 当でな いもの、該 当 しない もの も出てきた. しか し、強引の誇 りを受 けかねないが、今回の本報告では一応 、基本 的にこの分類 に従 って作業 を進 めることに した。とはいえ、本報告ではこの分類による提示 も未完成であ り、

『農業図絵』か ら任意 に抽 出 した場面の 『絵 引』作成 の一端 を披露す るにす ぎない ことをお断 りしてお きた いQ

なお、『絵引』作成 にあたっては、先 に も触れた清水隆久氏の翻刻 『農業図絵』 (校注 ・執筆、解題 と解題 補記。『日本農書全集』第26巻)を底本 とし、堀尾 尚志氏の 『耕稼春秋』の翻刻 ・解題

(

『日本鹿書全集』第 4巻) を参考に し、 しか も報告者の任意 によって常民生活が描かれている場面を対象 とした。 したがって、

本報告では農村や百姓の生業な どに必ず しも焦点 をあてていない ことを付記 してお きたい。併せて、『農業図 絵』のなかに描かれた女性 の世界、北陸農村 における女性の立場や役割 を幕藩制社会のジェンダーの視点か ら分析 した長島淳子氏の研究

(

『幕藩制社会のジェンダー構造』校倉書房 2006年) も参考に させ ていただ いた ことを付け加 えてお く。

i

(5)

セッションⅡ

図像のなかの暮らしと文化一日本と東アジアの近世

3

『絵 引』作成の実際的試み

このシンポジ ウムに提示す る試論的 『絵 引』 は以下の数点であ る。以下、具体的 に提示 してみたいO

(1 )金沢城下‑下肥井いに

i . . . ( .'

ヰ 二 、 (滑水 2005 PIO)

A

チ ロ リを持つ女性 (D島 田留

② 小袖

③ チ ロ リ (銚麗)

へいしつ

④ 青色 の大前掛 け (蔽膝 )

⑤ 萱屋根

⑥屋根押 さえ

正月 、百姓 が肥料用 の下肥 を貰い に行 く途 中の道 に、チ ロ リを 持 った女性 がすれ違 う様子 で ある。 チ ロ リは酒 を温 め る金 属性 の 容器 であ る。酒 を買 って きたか、 どこか‑届 け るのか 、は っき り

しないが正月の雰 囲気 が醸 し出 され て いる。 清水氏 はチ ロ リを提 灯 と してい るO

i

B 城 下‑下肥 貰 いに

(D頬被 り ②野良着 ③腰蓑

④裸 足 ⑤ 白菅笠 ⑥ 大初 (天秤 棒)

百姓 が肥 桶 に採 れ た薬 付 き大根 を括 りつ けて、馴 染み の城 下の町屋や武 家屋敷 に下 肥 を貰 いに行 く途 中で あるO大根 は下肥 を 貰 ったお 礼に あげ る もので あ り、のちには 下肥代 の現物対価 とな り、現金化 され た。

(6)

セッション Ⅱ

図食のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世

(2)金沢城下に門付 けに行 く春駒 と道行 く姉妹

(清水 2005 P12) (3)犀川大橋際の人び と

(清水 2005 P15)

i

(D板葺 き屋根 ②蔀格子

③ 束 (彰暖簾名の無い水引暖簾 (9箱屋 ⑥ 春駒

(9日菅笠 ⑧布肩 当て蓑

⑨ 巾布 (脚秤) ⑩ 草牲

⑪ 島 田髭の女 ⑫銀杏留 の少女

⑬振袖

島 田留の女性 は眉毛があ り、未婚女性 で あ る可能性 があ り、姉妹 か も知れない。だ が、中年 の女性 で も眉が描かれ ている場合 があ り、眉剃 りは一般的でなか ったよ うで ある。

A 犀川大橋際の町屋前

①魚屋 と魚

②床店 (出 し店。 上げ下げできる)

③魚入れ の曲げ物 (丸桶)

④置屋

(9越 前万歳師の太夫

⑥素襖鳥褐ヰ

(∋麻 の青色素襖

⑧ 素襖小袴

⑨太夫の相手を して人を笑わせ る供の才蔵

⑩ 手拭

⑪鼓 ⑫布 袋

⑬布肩 当て蓑

⑭ 太夫 と才蔵 は裸 足

⑬ 銀杏髭の少女

⑯振袖 ⑰ 下駄

たrZこ

苫 屋 は犀川 に架か る橋の両決 にあ るO そ うであれ ば、加賀藩 では貰屋 が城 下の橋 の管理 を兼 ね て いたのか も しれ ないo な お、橋の右端 に木戸門があ り、定刻 には閉 め られ たoまた、浅野川橋では叢屋 は片挟 のみである。

(7)

セッションⅡ

図像のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世

母親 は橋 を渡 る武 士団 (省略 したが、橋の上に描かれ ている)や盲 目の少女 に気 を取 られ、少女は越前万歳師 に興味を持 ち、母親 の手 を引 き、急 かせているのがわか る.正月の親子づれ であるQ

( 4)下肥 を運ぶ馬、琴馬耕 、刈 り草運搬牛

(清水 2005 P34)

l

B 犀川大橋 上 とその際 (D板橋

②欄干

③橋桁

④橋柱

6)頭 巾 (兜巾)金物

⑥裡襟 をま とい、施 しを願 う乞食 (∋破れ菅笠

(勤茶碗

(勤白装束の盲 目の女性

⑩ 下げ髪

⑪背負 いの編み笠

⑫ 島 田留の女性 (眉毛無 し)とすが り付 く 稚児 女

⑬ 黒帯

⑭ 付紐 の帯

⑮ ぽっ くり下駄

下肥 を運ぶ馬 と翠馬耕

①馬 を引 く童

②鞭 ③ 丁者

④ 平袖の木綿腰 切 り上半衣

(サル コ、あ るいは甚平 ともい った) (参脚紳 (はば き) ⑥裸 足

⑦駄馬 ⑧ たてがみ

⑨ 面懸 ⑩ 鼻革

⑪轡 ⑫ 引 き綱

⑬胸懸 ⑭尻懸

⑮ 下鞍 ⑯4つ負 い馬担肥桶

⑰蹄

(清水 2005 P58)

(D鞍 ② 下鞍

〟‑ら

③馬琴 (肇鱒 がない)

④翠先 (さき) 6)撃床 (す り木)

⑥ 棟木 (ね り)

⑦琴柱 (たた り) (勤翠身 (い さ り木)

⑨把手 (烏頭)

⑩ 引木 (尻かせ)

⑪ 牽綱 ⑫ 手綱 ⑬丁留

(8)

セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世

牛 に よる山か らの刈草の運搬 (∋鞭 ② 牧童

③ 中剃 りの冗僧 (が っそ う)餐

④ 木綿腰切 り上 半衣

⑤ 引綱 ⑥裸足 ⑦鼻括 り

⑧胸懸 (勤刈草

⑩草押 さえ紐

⑪ 尻懸

(清水 2005 P60)

上か ら2番 目の百姓 の野良着、木綿腰切 り上半衣 をみ る と、左裡姿であるO絵図が どれ ほ ど正確 に 描 かれ ているか を検証す る ことは難 しいが、少な くとも城 下町の武士や町人な どには左社が見 られ な い ことか ら、土屋又三郎が不用 意に描 いた とも考 えに くい。左社は野蛮人の表象であるが、野良仕事 では着物 の袷 に気 を使 ってい る暇 はな く、襟合せな どに無頓着であ ったのであろ う。実際、野良仕事 には左社 であって も支障がなか ったに違 いない。

(5

)稲倉入 り後の小祝い

(滑水 2005 P159)

A

室内での くつ ろぎ

(丑家 の破 風 (煙 出 し) ②萱屋根

③ 土倉 ④ 土壁 ⑤庇

⑥倉 のなかの新稲穂束

(∋土間で濁酒や貢 を飲 む男 たちO 胡坐 をかいた正面の男は主人か ? (勤赤色や鼠色のモ ジ リ

酒椀 ⑳貰盆

⑪煙 管 ⑫貰入れ

⑬ 丸lltlげ物 (盆) ⑭お萩

⑮ 四角 曲げ物 (重箱)

⑩ 煮物 ? ⑰箸

⑱ 正座 してお酌 をす る姉 さん被 りの女性。

自筒袖に赤い裡掛 けである。

⑲ 青前掛け

⑳天狗銚子 (敵桶)

百姓 た ちは稲 の倉入れ が終 る と、 ささやか な煮物 な どを ご馳走に して飲酒 を し、蔦 をふか し‑服 した。

くつ ろぎのひ と時 である。 だが、その時で もご馳 走 を作 り、お酌 して廻 る主婦 た ちの労働 が続 き、軽減 さ れ る ことは少なか った。

(9)

セッションⅡ

図像のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世

(清水

2 0 0 5 P1 5 9 )

「でろれん」祭 文は門付けの説教歌祭文 (俗謡化 した祝 詞語 りの一種)で、法螺貝を吹 き、短 い錫杖 を鳴 らしなが ら語 る。その際、合いの手に rでろれん」 と合 いの手を入 れた。 この絵図には錫杖 は描かれてお らず、坊主頭 の 「で ろれんJ祭文が同 じく法螺 貝を吹 く少女を連れ歩いている ことか ら、親子で門付けを して歩いていたに違いない。法 螺 貝 をもつ少女 に付 き従 う少女 も百姓の子供 と異な る着 物 を着てお り、この二人は姉妹か も しれない。

(6)正月 浅野川 下流域 の漁済

B 屋外での くつ ろぎ

(∋施 しを受ける親子連れの乞食

②坊主頭 ③薦被 り

④ 白樺 ⑤ 曲げ物椀

⑥腰蓑 だけの子供 (参政髪 ⑧肩掛け網袋

⑨赤子 を襟に入れ て負ぶ った母親

⑩ ぐる留

⑪元禄袖形式の小袖

⑫木椀 ⑬鉄鍋 ⑭前掛 け

⑮放髪の小袖の少女

⑯坊主頭 の男児

⑰坊主頭の 「でろれん」祭文

⑩法螺貝 ⑲ 白半纏

⑳稲鳩 (いなにお)

i ;̲‑̲‑‑̲由

5 ‑ ‑ ‑ ‑ ̲ ̲酎

(清水

2 0 0 5 P1 7 7 )

(清水

2 0 0 5 P1 7 6 )

①犀川下流域の護岸石 ②水柵 ③蛇龍 ④二枚板漁舟 ⑤表 ⑥先舟梁 ⑦梁 ⑧棚 (側板)

⑨オモ キ ⑩鴨の群れ ⑪川漁師 ⑫布肩 当て蓑 ⑬小刀か ⑭股 引 ⑬青色脚粋

犀川 では鰍 (ご り) を獲 った

。1 71 2

年の 『和漢三才図会』 によると、鰍 は浅野川 に多 くお り、 ゴ リ ゴ リと鳴 くとい うO鰍 は酢に して食べたO投網は藁製であろ う. とい うの も、網の材質が藁か ら麻に変 わるのは漁業先進地瀬戸内海 な どで も18世紀の中ごろ以降である。

(10)

セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世

おわ りに

『近世生活給引』 を作成す る場合、可能 な限 り対象 とす る地域 における近世期の諸道具 ・労働着 ・動作呼 称 を付けるよ うに心掛 け、試みた。 しか し、その作業は難 しく、満足が行 く点に到達 していない。 とい うの も、最初か ら判 り切 ったことであるが、『絵

』作成 には時代史、建築史、文化史、交通史、経済 ・経営史、

民具 ・民俗学、服飾 史、職人史 な ど他の分野のあ らゆる英知が結集 されなければ 『図絵』 をなかなか正確 に 読み解 けない とい うことである。 あるいは、そ うした専門家 を集 めえないのであれば、計画的 ・継続的な勉 強会を、時間を掛けて行なわなければ 『絵引』完成は達成 しえない とい うことであろ う。

ところで 日本は

1 9 6 8

年に国民総生産

( G N P)

が資本主義国家の中で第

2

位 に達 し

、1 9 7 0

年代初頭以降、高 度成長 を遂げ、社会は 目まぐる しく変わ った

。8 6

年か らは不動産や株式の価格急騰 ・投機 によって、投機 が 投機 を呼ぶバブル景気が起 き

、9 0

年以降は株価 と地価の急落によってバブル崩壊が起 きた。

この間に、都 市集 中型の経済変化 に見舞 われ 、わが国の伝統的な社会生活や社会構造が瓦解 していった。

この時、同時に文化的効率的な生活志向によって、いともたやす く伝統的な生活様式の破棄、破壊が促 され 、 人び との都 市集 中 も加速 されたO こ うした動向は当然 、伝統的な生産用具 ・生活用具の捨秦にも繋がってい き、同時にそれ を製作 してきた職人の仕事を奪い、伝統的技術の廃絶 をもた らし、いまで も現在進行形で廃 絶に向いつつある技術 もある。伝統的な生産用具 ・生活用具に慣れ親 しんできた人び とも少な くな り、その 体験 を共有できる人び とも確実に減少 した0

時代の こ うした流れのなかで、そ うした用具そのものや使用 さえ知 らない若者 も増 えつつある。絵画 ・写 真 な どの中に描かれ 、刻印 され た民具をは じめ とす る生産 ・生活用具、衣類 、建物 、役畜用家畜な どを、こ うした時代状況の中で 『生活給 引』 の形で記録 に残 してお くことに どれほ どの意味があるのか、簡単には答 えを見出せないが、少な くとも我々の先祖が土地な どに刻み 、残 して くれた英知 、物質文化 、生活文化を掘 り起 こ し、記録す ることはわが国の先祖 、強いては人類の文化遺産の継承 として大切 なことに違 いない。我 々 には先祖 の残 して くれ た英知か ら学ぶべ きことがた くさんあるはずであるか らである。

追記 :本報告は、清水隆久校注 ・執筆の 『農業図絵

』(

『日本農書全集

』2 6

巻 農 山漁村文化協会

1 9 8 3

年) があって、は じめてな しえたことである。 ここに底本 とさせていただいたことに深甚なる感謝 を述べたい。

また、『農業図絵』を もとに 『近世生活絵引』の試作本作成の初歩的試みを行 な うに当たって、跡 見女子大学 の泉 稚博教授 、同大学の4年生 ・平岡諒子、北岡佳奈子、関根梨紗、本学歴 史民俗資料学研究科の土 田 拓、

伊藤玲子諸氏 らの多大なるご協力をえたO記 して、感謝 申 し上げますo

引用文献

・清水隆久校注 ・執筆 『農業図絵

』(

『日本農書全集

』2 6

巻)農 山漁村文化協会

2 0 0 5

参考文献

・『新版 絵巻物による 日本常民生活給引』全

5

巻 平凡社

1 9 8 4

・堀尾 尚志 ・岡光夫校注 ・執筆 『耕稼春秋

』(

『日本農書全集』第

4

巻)農 山漁村文化協会

1 9 8 0

・浅野秀

・吉 田仲之編 『大江戸 日本橋絵巻 「無代勝覧」の世界』講談社

2 0 0 3

『相乗 拾遺

』3

1 9 5 6

駐滞敬三 r民具 と装飾

『アチ ックマ ンス リー

』N ( I . 5 1 9 3 7

年o この論文で温樺はは じめて 「常民」概念 を 使 っている。

92

(11)

セッション Ⅱ

図像のなかの暮らしと文†ト 日本と乗アジアの近世

・北尾春道編 『数奇屋図解事典』彰国社 1959年

・日本建築学会 民家語桑収録 部会編 『日本 民家語童解説辞典』 日外 ア ソシエーツ 1993年

・『砺波の民具』砺波郷土資料館 2006年

・佐伯安‑ 『富 山民俗 の位相』桂 書房 2002年

・棚橋 正博 ほか 『江戸の くら し風俗 事典』柏書房 2004年

・須藤 功編 『写真 でみ る 日本生活図引』全8巻 弘文堂 1989年

・「風俗 史図録」『新装 江馬務著作集』別巻 中央公論新社 2002年

・坂本 太郎監修 『風俗辞典』東京堂 1957年

・河鰭実美 『日本服飾史辞典』東京堂 1974年

・金沢康 隆 『江戸服飾史』青蛙房 1982年

・笹間良彦 著画 『大江戸復 元図鑑〈庶 民編〉』遊子館 2003年

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参照

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