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巻 頭言

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Academic year: 2021

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巻 頭 言

林 もも子   心理臨床の世界に激震が走っている。20年後にここ数年の日本の心理臨床の世界のあわてぶりを振り返っ て、人はどう評価するのだろうか。このような時だからこそ、心静かに原点に立ち返り、人が人を援助する とはどういう営みなのかを考えてみたい。

人が人を、と書いた。いずれ、AIが人を、と書く時代が来るのだろうか。ユヴァル・ノア・ハラリは、

「ホモ・デウス」(河出書房新社)という書の中で、自由主義的な人間至上主義がテクノ人間至上主義に道を 譲り、人間は、匂いを嗅ぐ能力や夢を見る能力も失いつつあると言う。ハラリによれば、人間の心に対する 将来のアップグレードは、政治的な必要性と市場の力を反映する可能性が高いと言う。どこかの資格のアッ プグレードにもあてはまりそうな言葉である。また、彼は、人間の欲望や経験から生まれる意志を中心とす る時代は終わりつつあり、データ至上主義が到来しつつあることを説き、生物をアルゴリズムとしてとらえ れば、データ処理の能力において人間をはるかに超えるAIがホモ・サピエンスを過去の遺物とする世界が 到来する可能性を予言する。たとえば映画「オートマタ」に描かれたSFのような世界だろうか。

旧態依然とした人間観と臨床観が染みついた時代遅れの臨床家としては、人が人を援助する時、そこには 身体の中に生きてきた経験の歴史の記憶を刻み込み、身体の奥からつきあげる欲望とのひそかな戦いにあけ くれつつ、同じように身体性と歴史と欲望を持つ人として目の前の人を全身で理解しようとすることが臨床 の基本であるという姿勢から抜けることができない。そこで営まれる営みがいかに不正確な投影と共感の網 をなげかけることであると言われようとも、それが自分の人として人を理解するやり方であり、そのやり方 をほそぼそと「技」として磨いてきたつもりでいる。また、残照にすぎないのかもしれないが、芸術療法や 精神分析やフォーカシングなど、データ至上主義には乗らない(乗ることができない)、身体性と主観的な 体験に根差した心理療法のいくつかはそれなりに息づいているように見える。

しかし、そのように曖昧で、数量的にデータ化することもできず、アルゴリズムにのせることもできない しろものの上にできあがった「技」や「心理療法」をどうやって次の世代に伝えるのか、とホモ・デウス

(アルゴリズムとしての生物観と情報科学の発展の先にある進化形の人)の視点からは厳しく糾弾されるだ ろうか。親方の技を見て身体で覚える「職人技」は、商業主義に乗らない限り、無形文化財に指定されよう が、人間国宝と呼ばれようが、やがて消えていく。そのようなアートとしての技術ではなく、誰でも手軽に 身に着けられるわかりやすい援助技法こそが汎用性があり、社会のニーズにこたえるものであると言う主張 もあるかもしれない。たとえば薬物依存症のような、従来、病気ではなく犯罪であるとして援助者の多くが 実質さじを投げていたような「病気」に対する対処スキルを教えるわかりやすいマニュアルを作って、援助 できる場を増やしていく営みは貴重なものである(松本俊彦「薬物依存症」ちくま新書)。しかし、松本は、

ワークブックやプログラムそのものに治療効果があるのではなく、プログラムを口実にして人がつながるこ とこそが治療効果をもたらすとも述べている。

生きた人と人のつながりは、人の心の健やかさのアルファでありオメガであるということは、いつの時代 も変わらない、と言いたいところだが、AIが介護をすることもできるように進化しつつある今日、いつま でそれが主張できるのかは不明である。だが、現時点では、自らも一定の心のバランスと広さや深さを持つ 人が、苦しんでいる人とつながることによって人を援助することができることを基本に置いて人を育ててい きたい。そして、心理臨床という自分たちの営みを少しでも社会に伝わる形で発信していく人を育てていき たい。本号もそのような発信のささやかな試みの一つである。

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