裸体のイメージからイメージの裸体へ
―「オランピア」に至るマネの軌跡を辿って―
中 島 弘 二
―Je suis caché et je ne le suis pas.
―Voici le temps des Assassins.
Rimbaud
1
19 世紀における産業社会の成立と商品経済の発達は,エネルギー革命 を背景とした大量生産システムを基盤としているのは論を待たない。大量 生産におけるプロセスの細分化と製品の規格化は,職人労働を非人称的な マニュアル(時間軸に従った単純な動作の反復として)の厳格さに従わせ,
人間の行動をあらゆる逸脱を排除する方向へと向かわせる。世紀後半のパ リは,オスマンの都市計画によって
Boulevards
に縦断された。彼の指揮 下に入ったEcole polytechnique
のエリート技術者集団は,都市空間の 幾何学的構成に意を注いだ。それが効率的生産流通活動を最優先させる結 果となったことを見逃してはなるまい。都市に生きる人々はBoulevards
において目標と時間(距離)を意識した歩行を強いられる。それは労働の 機械化と標準化と相俟って,個人の生の痕跡の抹消を加速させるのであ る。
そのような状況の中で,神の,あるいは宮廷の権威に捧げられる賛美と しての芸術は,急速にその存在理由を失って行く。社会的には無用の長物 と化し,芸術家は孤立を余儀なくさせられる。芸術の存在理由は,産業社 会における人間にふさわしい思考と生活スタイルをいかに創造するかとい うところにしか求めることはできなくなったのだ。やがて芸術家たちは個 の存在の証しとして,自己実現の手段として,それに関わる作家の生の経 験とは切り離すことのできない作品を模索し始めるだろう。「現代性」と はまず何よりも伝統が危機に陥るごとに現れる,覚醒の意識なのだ。
芸術を自らの生の軌跡として自覚的に追求したランボーは,
Il faut être
absolument moderne.
と言ったが,そもそも日常と芸術の関連の構築は,すでに 1830 年代のバルザックの人間喜劇の一つのテーマであった。「フ
ァチノ・カーネ」に見られる都会の現実への新しい,幻視とも言うべき直 観的観察によるアプローチの試み。錬金術をテーマとした「知られざる傑 作」と,禁欲的態度で不可能な完成を目指す画家の悲劇を描く「絶対の探 求」。孤独な探求と学殖による実験は,これらの作品の主人公たちに偶然 の法則が支配する手探りの,間違いの連続を強いるが,彼らにとってはこ の苦行のプロセスそのものがすでにして芸術なのであった。
40 年代に登場するボードレールにとってもやはり,来るべき時代の新 しい芸術とは,彼自身「1845 年のサロン」で引き合いに出しているバル ザックの小説の主人公ラスチニャック,ヴォートラン的な黒服姿の裏に隠 れたる英雄主義であり,秘められたる偉大さの発掘であった。生と死が常 に逆転の可能性をはらむような存在形式の探求であった。
Le spectacle de la vie élégante et des milliers d’existences flottantes qui circulent dans les souterrains d’une grande ville,
――criminels et filles entretenues,
――la Gazette des tribunaux et le Moniteur nous prouvent que nous n’avons qu’ à ouvrir les yeux pour connaî- tre notre héroïsme.
1)若き日の詩人は現実のアプローチに関しては,バルザックに多くを負っ ている。彼はバルザックにならって都会にうごめく群衆の中に,現代生活 から引きだし得る英雄性を求める。そのために目的を持った歩行に逆らい,
無償の好奇心を目覚めさせる遊歩へと傾斜する。遊歩は確たる目標を持た ず,客観的な観察よりはむしろ内面を豊かにし得る素材を探求するプロセ スそのものに意義を見いだそうとするものである。それは自らを「意識を 与えられた万華鏡」
kaléidoscope doué de conscience
と化すことにつな がる。町を歩く群衆の忙しげな意味なき身振りから発せられるエネルギー の放出を,「生命力の大饗宴」ribote de la vitalité universelle
と観じた「パリの憂鬱」のいくつかの詩編へとつながるものである。ボードレール において作品は偶然が采配をふるう実験を手探りで重ねる行為の軌跡とな ったのだ。
Multitude et solitude : termes égaux et convertibles pour le poète actif et fécond. Qui ne sait pas peupler sa solitude, ne sait pas non plus être seul dans une foule affairée.
2)孤立した個としての意識の成立は,群衆との対峙を前提とする。言うま でもなくそれは,自らの孤高を積極的に享受する唯一者としてのダンディ のイメージと裏腹のものであった。共同体を無視することに誇りを見いだ すダンディスムは,共同体の回復への祈願と表裏一体をなしている。ダン ディスムは規範からの逸脱を存在理由となさざるをえない近代芸術が纏う ことを強いられた,社会的外皮であった。
標準化に抵抗し,自我の独自性を維持するためには,他者を排除するの ではなく,他者を自らのうちに演じることによって他者を内在化しなけれ ばならない。なぜなら自己の独自性は他者との比較を前提にして成立する のであり,他者を支配することによって自己の存在を実感するには,自ら のうちに他者を生かして,現実の抵抗と予期せざる反応をあらかじめ除去 する必要があるからだ。
「悪の花」第二版のエピローグ草稿で,詩人は19世紀の首都パリを
énor- me catin
に,courtisanes
に見立て,最後にこう呼びかけている。Anges revêtues d’or, de pourpre et d’hyacinthe, O vous ! soyez témoins que j’ai fait mon devoir Comme un parfait chimiste et comme une âme sainte.
Car j’ai de chaque chose extrait la quintessence, Tu m’as donné de la boue et j’en ai fait de l’or.
3)詩人は集団の想像力から個人の神話を創造する。個のための神話を創造 する錬金術師という神話を。錬金術としての芸術は,自己の存在の証しと して,自己実現の手段として,それに関わる作家の生の経験とは切り離す ことのできないものとなった。ダンディを自負し,常に他者を意識する詩 人は,鏡を前にして眠ることになる。服装は精神の優越の記号となり,記 号は生産性を無視した恣意的操作に従うこととなった。だが作品としてで はなく,自己と世界との関係のプロセスとして,現実における振る舞いと しての芸術を希求するダンディの栄光は,孤立と死に裏付けられた自由で ある。ダンディにとって白は清潔への崇拝であるとしたら,黒服はこの世
における永遠の服喪を標榜するものであった。
N’est-il pas l’habit nécéssaire de notre époque, souffrante et por- tant jusque sur ses épaules noires et maigres le symbole d’un deuil perpétuel ? (...) Rermarquez bien que l’habit noir et la redingote ont non seulement leur beauté politique, qui est l
’expression de l’égalité universelle, mais encore leur beauté poétique, qui est l’expression de l’âme publique;
――une immense défilade de croque-morts, croque-morts politiques, croque-morts amoureux, croque-morts bourgeois. Nous célébrons tous quelque enterrement.
4)ボードレールにおける「現代性」が,そもそもは「1846 年のサロン」
における「現代生活における英雄性」
L’héroïsme de la vie moderne
を出 発点としていることは疑う余地がない。それは青年詩人が共有する時代の 情熱であり,生存の哲学であった。他者との差異を意識しつつ,自らの人 生を芸術と化すこと。このような自我形成のテクノロジーは,集団的規範 に背を向けることを強いる。生き方としてのモラルを創造と同一視するこ とは,自らを作品と化して個人レベルの神話を形成することであり,それ は結果としては社会の規範からの逸脱を導く。しかも逸脱すべき規範の根底にあるのは,殺人の禁忌である。それは人 間に許された力の限界を踏み越える行為として怪しい魅力を放ち始める。
納棺から埋葬までを執り行う葬儀人
croque-mort
は,他者,あるいはそ の一部としての自己の死と埋葬に関わるものの暗喩であった。それは並の 人間の範囲を超え,自らを危険にさらす形態としての他者への挑戦を含意 する。あるいは他者を肉体的にも否定するというタブーに抵触することで,自らの優越を絶対化することを暗示する。破壊のモラルの先駆としてのサ ドを持ち出すまでもあるまい。詩句の解釈には様々な可能性があり,意味 を一義的に決定すること自体が無意味なことを承知のうえで敢えて引用す れば,ランボーは,今こそ「殺人者たちの時」
le temps des Assassins
だ と言っている。自らの内なる衝動に従えば,人は人の生を望むと同時にそ の死と破壊を望むものなのだ。ボードレールの一つの発想源となったトーマス・ド・クィンシーが「芸 術の一形式としての殺人について」
De l’assasinat considéré comme un des
beaux-arts
を著したのは 1827 年のことである。映画「天井桟敷の人々」で広く知られることになった殺人犯かつ詩人のラルスネールは,断頭台に 昇りながら最後まで自作の詩を朗唱していたと伝えられる。遣り方と動機 次第ではどこまで許されるのか,あるいは隠れた英雄性の美学となり得る のか。そのような探求の系譜はスタンダールの「赤と黒」,ドストエフス キーの「罪と罰」を経て,カミュの「異邦人」にまで辿ることができるだ ろう。ただし少なくとも1840年代の時点でのボードレールの問題意識は,
現代生活のあれこれの隠れたるモチーフが,いかにして伝統的なキリスト 教と神話と歴史から採られたモチーフに比肩し得るかを探ることであっ た。それらを現実から回収し,永遠の彼方に逃れ去るものへの,今この時 点での所有と実現の断念を含んだ崇拝に変容させ,古代以来の聖なる美の 殿堂に相応の位置を獲得させることであった。
古典的芸術が美の支配する閉鎖系を完成させることを通じて偉大なもの の存在を表現するのだとしたら,ドラクロワは 1830 年,「民衆を導く自 由の女神」
La Liberté guidant le peuple
を描くことで現在を神話的な歴 史の中に還元し,歴史画を最後の花束で飾ったと言えるだろう。時間を超 えたものへのいやし難い希求を,都市の人工性といかにして結び付けるの か。その一つの解決として画家が提示したのは,時代の混乱をこうして古 代の完成にオーヴァーラップさせて収拾することであった。とは言え,ドラクロワの独創は変化を経験として,時間の中で感じさせ る点にあったことは看過できない。彼はすべてを導き容れ,一つに溶解し,
各要素の潜在力を相互の接触において発現させることによって,絵画空間 に運動,エネルギーの要素を導入した。それはもはや個々のものの寸法と 空間における位置関係を明示しつつ,それらを結ぶ関係のレアリティーを 捨象しているルネッサンスの遠近法的静止空間に呼応するものではないの である。
そのようなドラクロワを心底尊敬し,巨匠の謦咳に接することに何より の満足を感じていたボードレールも,自分なりに総合と統一の道を模索す る。詩人がワグナーに未来の音楽を聴き取ったのもそのためである。タン ホイザー序曲を手放しで絶賛しながら,自作の「万物照応」を引用して見 せる詩人にとって,ワグナーの音楽もまた,時代の状況の外で中世の神話 を復活させ,すべての要素を運動とエネルギーのうちに統合しつつ,最終 的には「灼熱の坩堝」
une incandescence de la fournaise
の自足した閉鎖 系を作るものであった。だがこのようなジャンルを越えたモチーフと表現形式の探求において顕
著に見られる,人生を芸術にという発想は,作品を絵画以外の,常に一貫 性を指向する思考に依拠させる危険をはらむ。それは作品のうちに観念と 主題を担う輪郭と,その高揚を求めるまなざしである。ボードレールにお いては現代性がまず何よりもモチーフの選択と,それが含意する内容であ ったことに注意すべきであろう。「1846 年のサロン」から1863年の『現 代生活の画家」に至るまで,彼は終始一貫して偉大な主題の劇的な表現を 期待してやまなかった。
Tout pour moi devient allégorie.
5)と唄う詩人に とって,見えるもののすべてはわれわれの精神構造の暗喩でないとしても,少なくとも理想と感情のスペクタクルを反映するものでなければならなか ったのである。
彼がドラクロワと奇妙なほどぴたりと意見をともにする想像力とは,現 実をよすがとして美への願望を抱く能力である。想像力を駆使した芸術作 品は,それを受け止める側の解釈のうちに解消できないと思わせるものを 暗示することによって,絶えず新たなる願望を養うものでなければならな い。
文学において,詩人は唯一者ダンディとしての自己の存在を含めた現代 性の表現形態を,暗喩の内に見いだす。かくて詩人は社会の周縁に生きる
marginaux
の一員として,とりわけ「悪の花」中の「パリ風景」詩編では老婆に,盲人に,屑拾いに与するのである。詩人は近代社会の物質的基 盤である大量生産システムから逸脱しながら,そこに寄生せざるを得ない 最下層の人々のうちに,自らと社会の関わりの暗喩を読み取ろうとする。
廃棄されたものをていねいに拾い上げ,それに新しい価値を与えることに 密かな満足を見いだしながら。「屑拾い」
Les chiffonniers
の英雄性から「貧乏人を殴り倒せ」
Assommons les pauvres
の逆説的鼓舞までにいたる 足跡は,芸術と民衆を,文化と風俗を和解させ,芸術と実生活を統合しよ うとする詩人の努力である。だが現象を意味のレヴェルで消化しようとす れば,それはアレゴリーとなり,現在はもはや今このときではなく,歴史 のうちに回収され,時を越える記念碑として時間から屹立するだろう。かつて宮川淳氏はボードレールの「現代生活の画家」
Le peintre de la
vie moderne
が,多くの点で彼のドラクロワ論を敷延したものであることを的確に指摘したことがあった6) 。詩人が現実にはマネと親交を暖め,議 論を重ねて啓発しあいながらも,最終的に「現代生活の画家」としてギー スを取り上げたことも,それと無縁ではあるまい。マネが「オランピア」
のスキャンダルに意気消沈して,当時ベルギーにいたボードレールに精神
的な支援を要請したとき,彼は画家の不遇をシャトーブリアンやワグナー ら天才たちのそれに比較しながらも,
Vous n’êtes que le premier dans la décrépitude de votre art.
7) と,前者とは異なる評価を告げたことは良く 知られている。詩人にとって問題なのは,現代に固有の主題をいかにドラクロワ的な芸 術観のうちに組み入れるかであった。そうすることで
marginal
なものと されていた主題と作品の復権を図ることだった。ギースという芸術家の名 に値しない,もしくはそう呼ばれることを本人としては潔しとしない存在 に,ボードレールは自己自身の暗喩を見いだそうとしたのである。そういう意味ではマネは,ボードレールがドラクロワのうちに見出して あれほど賛美した想像力とは無縁の存在である。彼の作品はヴァレリーが 指摘しているように確かに「悪の花」のいくつかのテーマを視覚的に表現 しており,その意味では詩人との類縁性は明白である。ところがマネには 詩人の英雄性指向が,意識の非日常的高揚が欠けている。その作品は外界 の再現でもなければ,想像力によるその内面化でもない。マネは高貴な思 想とも,感情の高揚とも無縁なのだ。彼にはモチーフとしての現代はあっ ても英雄性が,想像力が欠けている。この事実をどう考えるべきなのだろ うか。
とは言えボードレールは,1864 年に発表された散文詩「紐」
La corde
において,この画家の目指すものに一定の理解を示す。作品はマネの下働 きをしていた貧しい少年の自殺に取材したものであるが,詩人はそこで息 子が首吊りに使った紐をまじないとして高く売れるからと持ち帰る母親の
「母性愛」の裏切りのイメージに,マネ自身の作品に見られる,現実の持 つ気味悪さを重ね合わせようとするのだ。
« Les illusions,
――me disait mon ami,
――sont aussi innom-
brables peut-être que les rapports des hommes entre eux, ou des
hommes avec des choses. Et quand l’illusion disparaît, c’est-à-dire
quand nous voyons l’être ou le fait tel qu’il existe en dehors de
nous, nous éprouvons un bizzare sentiment, compliqué moitié de
regret pour le fantôme disparu, moitié de surprise agréable devant
la nouveauté, devant le fait réel. »
8)だがボードレールにとって「幻想」を剥ぎ取られた後には,どんなに意 想外ではあっても正真正銘の「現実」が実体として残るはずのものであっ た。現実に予想外の側面を発見して幻滅することも,逆に驚異を覚えるこ とも,現実が確固たる実体としてあることが前提なのである。詩人にとっ て意外性は,意外なものとして確定されるべきものであり,最終的には世 界の構成要素として意味の世界の中に相応の位置を占めるべきものだ。す べてを自らとの関連の内に捉え,自己を核とした世界のうちに位置付けね ばならないのである。
すでにドラクロワは,絵画を自己の内面と客観世界をつなぐものという ことを青年時代からはっきりと自覚していた。
Dans la peinture, il s’étabit comme un pont mystérieux entre l’âme des personnages et celle du spectateur.
9)ボードレールはそのような考えをさらに発展させて,次のように述べて いる。
Qu’est-ce que l’art pur selon la conception moderne ?
C’est créer une magie suggestive contenant à la fois l’objet et le sujet, le monde extérieur à l’artiste et l’artiste lui-même.
10)両者に共通なのは,芸術を通じて世界と自己の等質性をいかにして成立 させるかという問題意識である。このとき作品は,新奇と意外性を含む意 味の世界に回収し得ないような現実は始めから排除された後に,意識が浸 透することによってのみ成り立つ世界となるであろう。すべてがあらかじ め意識の中で消化され,次の段階として表現が浮上する世界であろう。
だがマネはまさにこの点においてドラクロワとも,彼の先輩であり友人 でもあったボードレールとも袂を分かつ。彼には自己との関係において世 界を位置付けようとする指向が欠落しているのである。例えば彼が1862 年に制作した「テュイルリーの音楽会」
La musique aux Tuileries
は,彼 が現代人の衣装と風俗を捉え,ボードレールの現代性の呼びかけに応える かたちでモチーフが選択された作品である。ちなみにボードレールの「現 代生活の画家」は,発表こそ63 年であるが,すでに 59 年には執筆が始 められていたと目されている。従ってマネのこの作品に詩人であり美術評論家でもあった友人ボードレールとの対話が大きく影を落としていると見 て,間違いはあるまい。
とは言え,幸か不幸かこの作品は,ボードレールが求めていたような現 代生活における隠れた英雄性の表出には必ずしもなっておらず,詩人の積 極的な評価も得られていない。「ロラ・ド・ヴァランス」
Lola de Valence
のスペイン趣味については大いに評価し,4 行詩を捧げたほどの詩人は,
ここでは口を閉ざす。のみならず「現代生活の画家」では,マネの期待も 虚しく,ついに彼には一言の言及もないのである。
確かにこの「テュイルリーの音楽会」という作品において優先されてい るのは,現実の再現ではない(図版1)。描かれた情景は借り物,混ぜ物の 類いである。人物像にしても,彼自身の所有になるギースの水彩(とりわ けボードレール自身の所有であった「シャンゼリゼにて」
Aux Champs-
Elysées
や,ガヴァルニのデッサンを借用した可能性が濃厚である。引用なのか,剽切なのか。もしそうだとしたらこれは競争相手駆逐のための予 防措置なのか。図像として見れば鮮明ではあってもその関係に脈絡がない バラバラな人々と,正体不明のタッチの不可解な混淆は,
assemblage
で はあっても,客観的情景描写としても,「純粋芸術」としても成立しうる ものではない。イメージは一見現代生活の情景を何げなく描写するように 見せかけながら,最終的にはどのような意味にも収束しない。ここには見 るものを不安にするほど,何もない。正体不明のものの現存は,われわれをボードレールが指示した地点から 遊離させ,さ迷うことを余儀なくさせる。マネは現代生活の情景を描きな がら,情景の客観的現実性と,そこに込められて然るべき意味を裏切るよ うな作品を造ったのだ。マネの遊歩はボードレールが立ち止まり,凝視し,
瞑想する,まさにその地点から始まると言っても過言ではない。
情景は何も語らず,詩的効果のうちにすべては沈黙している。ここに音 楽を感じさせる何かがあるとすれば,それは敢えて言えば画像と,画面の 中心を占めるマグマのような色彩の噴出とを一つの音楽と化すかのよう な,左の曲線と右の直線との対比構成のリズムであろう。切れ切れのタッ チは近くで見ると抽象絵画に近い。デッサンは対象を総合的な像として再 現するのではなく,造形の記号として特徴を把握しつつ,見るものの視線 を方向づけるに留まっている。現実を象徴的にイメージ化するその行為自 体が,表現されざるものへの誘いとなっているのである。タッチは思考の 分断と亀裂の痕跡なのだ。伝統的な合理主義的思考の体系はすでに崩壊し
ている。遠近法的空間構成による細部の組織化の欠如は,この「ハイ・ラ イフ」の舞台に優雅なものの欠如という烙印を押し,奇異なるもの存在感 を漂わせている。 そんな中で個々の人物は,非難ごうごうの中,一人擁 護に回ったゾラが指摘しているように色彩の要素から,観る人の距離を通 じて辛うじて浮上するのみだ。
Chaque personne est une simple tâche, à peine déterminé, et dans laquelle les détails deviennent des lignes ou des points noirs.
Si j’avais été là, j’aurais prié l’amateur de se mettre à une distance respectueuse; il aurait alors vu que ces tâches vivaient, que la foule parlait, et que cette toile était une des œuvres caractéristiques de l’artiste, celle où il a le plus obéi à ses yeux et à son tempérament.
11)ゾラはここではもっぱらレアリストとしてのマネを擁護し,一見混乱に 見えるものが絵画と鑑賞者の距離の中でいかに一貫した像に統合されるか を強調することに終始している。だが印象派の色彩分割と違って,マネに おけるタッチの混乱はいかなる意味にも,いかなる再現像にも収束され得 ない。それは強いて言うならば,偶然が采配をふるう異質なものの同時併 存である。人物の顔は距離とは無関係だ。近くにあっても判別し難いもの があるかと思えば,遠くに小さく描かれても判別可能な人物もいる。肝心 のボードレールなぞは中景に横顔を描かれながら,あまりにも曖昧模糊と して,まったく同じポーズのエッチングが残されていなければ誰にも判別 がつかぬほどである。しかも人物たちは無秩序に入り交じる。彼らの周り には言葉がない。寂寥も情趣もない。まるでざわめきに満ちた深い沈黙が,
この場の唯一の主人公であるかのようだ。
マネは自己の見たものを代弁せず,価値づけない。見たもの自身に語ら せようとすらしない。人と人とは関係を欠落させ,周りの環境との関係を 欠落させている。そこから濃密に立ちのぼってくるのは,寸断され,脈絡 もないままに接触を強いられる群衆の,意味なき空虚である。描かれた人 物たちは図らずも舞台に立たされ,無理やり客席に向けて押し出されるよ うにして画布の表面を漂っている。自己自身から押し出され,肉体から押 し出され,いずれ消え去るもの特有の不安の表情に顔をこわばらせている。
後にマラルメが注目した「オペラ座の仮面舞踏会」
Bal masqué à l’Opéra
と同様に,情景描写として欠けているのは永遠性への信頼であり,現在を
理想化することで古代と連続させようとする意志である。主題からの逸脱 を経た絵画空間の自立は,形而上学的空虚を現存させるのだ。オランピア についてバタイユが指摘したことが,すでにここにある。
マネ自身はこの画面の中に,左側の木の幹の垂直線に連なるようにして 佇んでいる。不安に凝固したような眼差しは,一杯に空虚をたたえて画面 を見る者に向けられている。彼は群衆と音楽に,そしてボードレールを初 めとする彼の知人たちに背を向け,ひとり,画面を見るものの視線を意識 している。全体としての画面は,明確な輪郭を持った目に見えるものと,
名付けようもない一見無造作な,ほとんど暴力的なタッチとが混在し,す べてが同等の権利において不滅のものと化しているのだ。
この作品のタイトルはフランス語では
La musique aux Tuileries
であ る。la musique
の語義としての「音楽会」という意味は,Larousse du
19mesiècle
には記載がない。わずかに19 世紀Littré
に1870 年代の時点 ですでに古くなった用法として,コルネイユ,ラ・ブリュイエールの17 世紀の作家の引用があるのみである。当時テュイルリーで催される音楽会 が「管弦の雅」ほどの意味を込めて実際にそう呼び慣らわされていたのか,それともマネが皮肉としてこの言葉を昔風の意味で用いているのか,ある
いはまた
la musique
を単に「音楽」の意味で用い,図像の解釈を意図的に撹乱しようとしたのか。それは現在のところつまびらかではなく,今後 の研究に待たねばならない。いずれにしても作品がそのようなフランス語 のニュアンスから想像されるものを裏切っていることは事実である。
画面の中で少なくとも表情が判別できる人物は,ボードレールやシャン フルリーを含め,その大多数が特定できている。とは言え,同じ一種の集 団肖像画でもクールベの「画家のアトリエ」とは違って,全体としての図 像にはアレゴリーの意味は感じられない。人物はむしろ偶然の寄せ集めで あり,その特質は隣接した相互人物の関連のなさと全体の統一性の欠如に あると言わねばならない。それは近代の都市民の生活がいかに雅な宮廷生 活から掛け離れ,意味も脈絡も欠いた特定不能の人物と特定し得る人物た ち(1983 年マネ展のカタログでは,そのどれもが写真のポートレートか ら起こしたものとされている)の居心地の悪い隣り合わせにすぎないかを 如実に示すものだ。例えば左前景の椅子に座った青い帽子の二人の婦人は,
左がマネをボードレールに紹介したルジョーヌ夫人であり,右は二通りの 説があってルバンス夫人かオッフェンバッハ夫人とされている。いずれに しても二人はおそらくはこの音楽会で目立ちたかったのであろう,最新流
行のファッションで登場するのだが,偶然にもまったく同じ出で立ちの相 手と隣り合わせになり,眼のやり場に困っているという具合に読めなくも ない。そうだとするとこれは,ドーミエの「三等車」における汽車の客室 や,モーパッサンの「脂肪の塊」における乗り合い馬車のような,近代の 都市生活が生み出した,身分を問わずまったく見知らぬ者同士が共有を強 いられる時間と空間を,マネなりに表現したのだという見方もできるだろ う。この絵は都市の群衆が共同体の世界を形成することの不可能性を示す 点で,「オペラ座の仮面舞踏会」や「フォリー・ベルジェールのバー」に 連なるものと考えることができる。
このようにしてマネもまた,現在を捉え,生きられた経験を素材として 作品を築く。ただ彼は聖なるものを介在させない。時を越えて永遠の存続 を主張してやまない規範に対して,画家は美の価値を瞬時にして消え去る もののうちに置く。否定であれ肯定であれ,作品の内に現れる現象に意味 を付与しようとはしない。むしろ意味の剥奪された現実の気味悪さに,な す術もなく素手で立ち向かうだけなのだ。
2
美術史はマネを印象派の画家と分類することにいささかのためらいを覚 えつつ,そこから排除することもままならないでいる。マネは知らず知ら ずのうちにスキャンダルに巻き込まれ,死後は現代絵画の始祖として祭り 上げられた。ヴァレリーの世代にして既にマネは「栄光の絶頂」にいたの である。彼がそのような事態を意識,あるいは予想したような形跡は見当 たらない。ロマン派でも,レアリストでも,印象派でもないマネ。彼は美 術史上に降って湧いたように現れ,誰ひとりとして直接の後継者を持たな いのにもかかわらず,存命中ですら画壇の大御所であったドガに「マネは 自分たちが考えていた以上に偉大であった」と言わさしめた。少なくとも 彼が巨匠として画壇に君臨していた当時のドガ以上に,ボードレール,ゾ ラ,マラルメらを始めとする文学者の関心を買ったことだけは間違いない。
そして後にアポリネールが指摘するまでもなくセザンヌ,マチス,ピカソ らの芸術に,彼の存在なしでは考えられないような影響を与えたことも,
また確かである。
マネは孤立している。その輝きがすでに友人のファンタン・ラトゥール が描いたように多くの画家や文学者を引き付け,周囲にさまざまな影響を 及ぼしたとしても,彼自身が何者であったのか,理解するよすがとなるも
のは極めて少ない。ドラクロワならばボードレールの語るところに従い,
この画家が書き残した膨大な芸術論とも言うべき日記に目を通し,彼の読 んだ,絵のモチーフとなった文学作品の類いに親しめばよいだろう。クー ルベならば彼の見たところに素直に従い,作品を文字通りに受け止めれば,
およその見当はつく。だがマネとなると,見る者は彼の描いた作品に眼を 遣るなり引き付けられ,迷い込むばかりで,2 度とそこから出ることは不 可能になってしまうのだ。
彼の作品は流派,気質など,批評家が拠り所にしたがる一切のものの介 在を許さない。その人生はいたって平凡であり,日記の類いも残されてい ない。わずかに幼友達アントナン・プルーストの回想録があるばかり。数 少ない書簡の類いでも,彼が真情を吐露している部分はほとんど見られな い。ただ目に付くのはパリ・コミューヌの際に妻に宛てた書簡の中にある,
目に見えるすべてのものに対する飽くことなき好奇心であり,都会とその 中で生活する女性への関心ばかりである。自らの作品を含め,絵画そのも のに対する言及はごく限られている。たいがいのものは芸術家としての内 面の葛藤と言うよりは,生活者としての自分が置かれた特殊な状況の説明 である。淡々たる,しごく散文的な感想の類いである。スキャンダルの纏 わり付いたマネの最初の擁護者の一人であるゾラも,彼については小説的 な材料不足を次のように慨嘆している。
Je n’ai sur lui que peu de détails biographiques. La vie d’un artiste, en nos temps corrects et policés, est celle d’un bourgeois tranquille, qui peint des tableaux dans son atelier comme d’autres vendent du poivre derrière leur comptoir. La race chevelue de 1830 a même, Dieu merci ! complètement disparu, et nos peintres sont devenus ce qu’ils doivent être, des gens vivant la vie de tout le monde.
12)1830 年代,ロマン派の時代に登場し,ヴェルレーヌの「呪われた詩人
たち」によって不動のものとなった,孤高の芸術家の数奇な生涯という神 話的イメージはマネにはもはやない。第二帝政の末期には,ゾラの言葉に 従えば芸術家も市場の売り子と変わらぬ生活を送るのだ。都会人でダンデ ィの彼は,放蕩無頼の生活よりはむしろ社交界の華やぎと洗練に引かれ,
光と香りの交錯に魅せられていたのであろう。彼は青年時代にボードレー ルと同じように遠洋航海の経験を持ち,その後クチュールのアトリエで6
年間に及ぶ画家修行を行う。同時にオランダ人ピアニスト,シュザンヌと の同棲生活を続け,父の死後晴れて結婚し,隠し子と思しきレオン=コエ ラ・レンホフと3人で暮らすことになる。それ以外には,これといって語 るべきことはない。
だが創作活動の面で第一に指摘しなければならないのは,彼が並々なら ぬ美術観賞家だったことである。もちろん名作の模写が画家としての欠く べからざる修行であった時代である。画家志望の若者が美術館に足繁く通 うのに,何の不思議もない。だがマネの美術館訪問は,ほぼヨーロッパ全 土にわたる。しかも職業画家としての修行ならば,図柄を写し取りながら デッサンや色彩の手法を学び,後に自作の別な図柄にそのような手法を応 用するのが一般的なやりかたであろう。ところが彼は周知のように図柄そ のものを堂々と,しかも自在に引用する。ある意味では度し難い模倣家で ある。だが彼は模倣家ではあっても亜流ではない。しかもこの模倣家を模 倣できた画家は,誰ひとりとして現れなかったのである。この辺りに彼の 独創性があるのではなかろうか。
こうした観点から,もう少し詳しく彼の足跡を辿ることにしよう。マネ は1832 年パリに生まれ,1849年,18 歳のとき,第一志望の海軍兵学校 の受験に失敗して画家になる決意をした。だが父親の勧める
Ecole des
Beaux-Arts
には進まず,翌年にはグロの弟子で当時のフランスでは数少ないヴェラスケスの賛美者であるクチュール
Thomas Couture
のアトリ エに入る。ところがクチュールの歴史画の指導には馴染まず,ことあるご とに美術館を訪ね歩いた。美術館こそは彼の芸術の出発点であり,特権的 な素材を構成していたと言っても過言ではない。当時のルーヴルは今では 想像の中で再現することも困難であるが,まずなによりもルイ=フィリッ プ王のスペイン美術館であった。ヴェラスケス,ゴヤ,グレコ,リベラ,ムリリヨ,ズルバランなどが,それまでのフランス美術のアカデミスム的 伝統とは断絶した形で展示されていたことを忘れてはなるまい13)。
マネはとりわけヴェラスケスの現実への肉迫に衝撃を覚え,多くを学ん だ。それはモチーフ,色彩,陰影のどれをとっても,ギリシャ,ローマに モチーフを求め,一点の光源から差し込む光のもとに浮き上がる対象を正 確なデッサンのうえに彩色を施すというそれまでの約束事が無視されてい るところに成立する世界であった。マネはそこでルネッサンスが開花させ,
フランスの古典主義芸術において確固たる技法となった遠近法と肉付けと 陰影によって開かれる平面上の立体空間,つまりは
illusionisme
の規則を無視することを学んだ。独学で出来の悪い生徒として,ヴェラスケスと ともに規則を無視することを学んだのである。
Je ne sais rien, je ne connais rien (...). N’ayant aucune instruction, je sens que je ne puis inspirer de sympathie que par une profonde sincérité; ce spectacle d’un homme qui ne doit ce qu’il a qu’ à son épreuve de la vie, ses observations et les débris de renseignements et des livres qui sont venus jusqu’ à lui comme des épaves, suffira- t-il pour inspirer de l’intêret ?
14)そして53 年,マネは弟とともにヴェニス,フィレンツェをまわる。56 年にはクチュールのアトリエに別れを告げ,ベルギー,オランダ,ドイツ,
オーストリアの主要美術館を回った後,再びイタリアに足を向ける。そし てアンドレア・デル・サルト,ラファエル,ギルランダィヨ,フラ・アン ジェリコらのデッサンからリズム感,コントラストの妙を学んだ。 その 間,ウフィッチオではフィッリポ・リッピの「自画像」,ティシアンの
「ウルビーノのヴィーナス」や「兎とマリア」を,アムステルダム美術館 ではレンブラントの「解剖学講義」などの模写を残している。さらにルー ヴルではティントレットの「自画像」,当時はヴェラスケスのものとされ ていた「デル・マッゾの小さな騎士たち」,そしてドラクロワの「ダンテ の小舟」を模写している。ちなみに唯一同時代の画家ドラクロワの模写は,
2種現存している。1作目こそはかなり忠実な模写であるが,2 作目では 図柄とそれが伝える文学的メッセージを無視したうえで,動的構図におけ る色彩とデッサンのバランスを,全体の明暗のなかに溶解させているもの だ。
このうちどれをとっても,とりわけルネッサンス期の絵画に顕著である 聖なるもののこの世ならぬ優美さから,趣味の良さと超時間性が取り払わ れている。同じ図柄が何の意味づけも無いままに,散文的日常世界の人物 に還元されているのである。
ボードレールのような「錬金術師」にとっては,日常的現実の素材は泥 であり,芸術はそれを金にして輝かせるべきものであった。だがマネの描 く日常世界は,無意味で退屈な実体でも,その背後に何らかの積極的な意 味の可能性を秘めたものでもない。例えば「悪の花」が有罪宣告を受けた その同じ年,1857 年に制作された「アプサント飲み」
Buveur d’absinthe
(図版2)には,抗議も挑発もなければ,悪徳も邪悪もない。ボードレール が悪から花を咲かせようとしたのだとしたら,マネはただ浮浪者と酒瓶と グラスがひとつの平面に無造作に配置するに止まる。決定的なのは,それ らを何らかの意味で位置付けようとする意図が欠けていることだ。タイト ルとすらどこかずれたイメージが,意味なき細部の複雑さと遠近法や陰影 のきわめて初歩的な誤謬とともに浮上するのみである。
Mon ami, il n’y a ici qu’un buveur d’absinthe.
と師のクチュールは評 し,それがもとでマネは彼のアトリエを去ることになったと伝えられてい る15)。だがわれわれとしてはむしろ,傍らに置かれたコップが浮浪者と同 じ重要性を持つこの空間の,真実らしいところのどこにも無い点にこそ注 目せねばならない。ここにはアブサント飲みしかいない。そのとおりであ る。アブサント飲みと辛うじて名付け得る形象が,それ以上のいかなる意 味作用に従うことも拒絶しているのだ。われわれはむしろ,Mon ami, il n’y a ici qu’une peinture.
と言いたい誘惑に駆られてしまう。ともあれ,マネにおいて絵画は観念と主題を担う輪郭とその高揚でも,
現存をよすがとして思い描かれる理想美の表現でもない。観察に知的判断 を加えず,表現をテーマに従属させず,見たものを素早く見たとおり,い やある瞬間に網膜に映じたとおりに描くこと。それは対象の特質の肯定的 誇張から,その場限りの知覚の特殊性の保持への移行である。結果として 表れるのは有無を言わさぬ
présence
の直接性であり,このとき細部の整 合性は無視される。デッサンは原型に,規範に準拠するのではなく,活動の痕跡,眼と手の,
見るもののまなざしと頭脳への呼びかけである。それはもはや造形の記号 でも,対象の総合的再現でもない。特徴の直接的把握であり,視線を方向 づけ,表現されざるものへと誘うものだ。マネはリズムによるデッサンで 光を仕分け,光から影へ直接移行することで,対象のではなく,描かれた イメージそのものの現存を輝かせるのである。
とは言え,マネの時間の切断は,静観ではない。変化を経験として時間 の中で感じさせるものだ。彼はルネッサンスの遠近法的静止空間を絵画本 来の平面に置き換え,イリュージョンとしての閉じられた完成を,開かれ た未完成へと導く。その表現は現在を凍結させ,時を越えた象徴として機 能させる記念碑でも,アレゴリーでもない。 彼にとって絵画とは,まず なによりも,おそらくジオットの出現したルネッサンス黎明期のイタリア でそうであったように,時代精神と人間の適合の試みであり,世界との新
しい関係を示すものでなければならない。問題なのは永遠性を求めず,理 想美の代わりに
présence
を,まず作家自身が制作行為を通じて経験する ことである。そして作品を通じてそのような経験の質を,見るもののうち に浸透させることである。このように断固とした意図のもとに行われる偶 然の凝固について考察を進めるにあたっては,同時代に産声を上げた写真 の存在を忘れるわけには行くまい。1839 年,ダゲールは人類初の銀盤写真機,ダゲレオタイプを世に問う た。それはたちまちのうちにパリの市民層に広がった。 だが実はそれよ り2年前の1837年,ダゲールがアトリエで実験的に作成した1枚の写真 が残されている(図版3)。それはなんとも奇妙で示唆に富む映像である。
表面をなぞっているだけなのに,秘密の真実を暗に含んでいるイメージで ある。まず目に付くのは,明らかに静物画を意識して並べられた数々のオ ブジェである。バックの壁の中央に掛かる一枚の絵。そして前方に迫り出 した台の上の,二つの天使の浮き彫り。その上の壁に吊り下げられたワイ ンの瓶と,恐らくは牛の頭像。画面にはそれらの事物が,相互の関連が不 明なまま混在している。しかも個々の事物は正確な相貌のゆえに,かえっ て画面全体の統合から排除され,全体としてどのような意味にも収束しな い。
縦の明暗に区切られた背景は,まるでマネの絵のように奥行きを欠いて いる。斜めに立て掛けられたレリーフ板とそれが置かれたテーブルらしき ものがわずかに暗示する空間の背後は,暗いものと明るいものとの,2 種 の布地めいたものでふさがれているのだ。左右に明暗の対照をなして垂れ 下がる布地めいたものは,一方は光の当たる壁を闇に還元し,右側の闇は この布地の白さによって深さを否定されている。現実は日常の意味を剥奪 されつつ,日常を越えた美に世界に参入しようとしてこの明暗のカオスの なかでもがいているようだ。
全体としては個々の事物の鮮明なイメージと,その並列による意味作用 の無視によって,身近なものの世界がまったく別の,現実でも非現実でも ないと同時に常にそのどちらでも有り得るような,永遠に中ぶらりん状態 の世界が形成されているのだ。これは自然の,あるいは一点から差し込む 光ではない光に感光した,表面とも空間ともつかぬものの中に,異質なも のが共存し,そこにあること以外にはいかなる意味にも収束しない世界で ある。ダゲール本人の意図がどこにあるかは知る由もないが,写真は登場
したその瞬間から固有の世界の相貌をあらわにしていたことは間違いな い。
だが現実には,写真は現実を精密かつ効率的に記録する装置と見なされ た。とりわけ肖像画に代わるものとして社会的認知を得,急速に普及した ことは周知のとおりである。ちなみにボードレールは「1859 年のサロン」
において写真の芸術への侵犯を憤り,人間の記憶を補う記録装置としての 範囲を逸脱しないように主張している16)。ともあれ肖像写真の爆発的な流 行とともに,やがて人々も気が付いた。正確さを旨とするこの写真が自分 たちの容姿の,自分ではそれまで気にも止めていなかったささいな弱点を も,改良途上の機械固有の欠点とともに,容赦なく暴き出してしまうこと に。少なくとも写真は,自らの期待に忠実な像を提供するものではなかっ たのだ。そこからポーズと,照明効果の工夫が始まった。いかに理想化さ れ,説得力のある写真を作り上げるかが,写真家の腕の競いどころとなっ た。
ナダール含め,肖像画家から写真家に転向した人々は,人物の欠点を補 い,美しさを,偉大さをきわたせるために,さまざまな解決を試みる。そ の第一が背景による演出である。被写体となる人物は人工的にしつらえら れた光景の中に,喜々として自らを挿入した。次ぎに肖像画のジャンルか ら閉め出された画家たちが,再び動員された。彼らは効果的な背景の製作 に関わると同時に,できあがった写真に対しては色彩を含め,さまざまの 手法の修正術を開発したのである。こうして写真は絵に近づこうとして,
自らに固有の特質である客観性と瞬間性を放棄した。
1841 年に別の原理のカメラを公表したタルボットは,自らの写真装置 をカロタイプと命名した。カロとはギリシア語の
kalon
,つまり「美し い」と言う意味である。彼は多くの人々の例に漏れず,写真に現実以上の 美の表現を期待したのである。現にこのような期待こそが,世に写真の急 激な普及と隆盛を招いた最大の要因でもあった。美しく,女性を,風景を 美しく撮れることが,写真家の社会的評価につながることは言うまでもあ るまい。写真は嘘をつく。直接には修正という形で。間接には通常の視界では見 いだし難いようなアングルと瞬間を意図的に切り取り,またレンズの種々 の特性を美の観点から最大限に活用することによって。
マネとほぼ同じ世代で,初期コダックカメラのフランスにおける最初の 所有者の一人であり,自らも写真を撮っていたことで知られるドガは,写
真のもたらす新しい美の可能性に敏感に反応したことで知られる。彼の画 面には自由な目線の位置,さらには被写体に気づかれぬように,撮られる はずがない一瞬を狙って撮る覗き屋的ポジション,鮮明な近景に焦点を当 て背後をぼかす被写界深度の活用による遠近表現,踊り子たちの運動の一 瞬の断片化,大胆なフレーミングによる画面の縁での像の切断,あるいは 偶然に依拠した視点の活用などが顕著に認められる。出現したばかりのカ メラがおずおずと絵画の画面構成を真似し始めていた時代に,ドガはすで にこの光学器械の将来の可能性のほとんどすべてを予見し,独自に活用し ていた。後にカメラがドガの作品を真似たと言っても過言ではないほどに。
ただし彼にとってカメラはあくまで絵画表現の補完的役割に徹するべき ものであり,細分化された現実の,見過ごされてきたさまざまな側面に市 民権を与えるためのものであった。画家のまなざしの不意打ちと意外性は,
ことにうら若き女性たちから醜き相貌を残酷にえぐり取る。だがそれもま たルネッサンス以後の非宗教的な美の女神の崇拝に捧げられる現代からの 捧げ物なのだ。ドガはそれらの相貌を運動と飛躍の中で昇華して,ラスコ ーの洞窟に,中世の教会堂の奥に,あるいは遥かに見上げるその天蓋に,
ときには近付くことすらままならぬものとして隠蔽され,独自の光芒のも とにほの見える聖なるものに結び付けようとする。一切の予見と感情を排 して現実に肉薄しようとして冷徹な距離を作り出すドガの背には,アング ルから多くを学んだ理想化への拭いがたい執念が,亡霊のように張り付い ている。
だがマネは,そして恐らくはマネのみが写真の登場とともにこの世の可 視世界に突如として浮上した未知の世界に,そのまま魅惑されてしまった のだ。彼が前述のダゲールの初めての写真を知っていたかどうかは定かで はない。だが少なくとも彼にとって写真は,世界に対する新しい知覚の様 式を提示するものだったのではあるまいか。事物が人間の目にどう現れる のか,その基準となることによって,根本的な変革を迫られたのは,じつ はわれわれの抱く現実の観念,レアリスムの観念の方だったのである。
カメラという名の光学装置は,人間に相手の反応を遮断したうえで生き た形象を享受する可能性をもたらした。それはまさしく芸術が神を礼拝す る儀式の一部ではもはやなく,ルネッサンス以降の非宗教的な美の礼拝形 式としても成立し得なくなった時代の申し子であった。カシャリというシ ャッターの軽い衝撃音は,意識に浸透された空間を微かな一撃で微塵に破 砕する。と同時に生きとし生けるものも,沈黙するものたちも等し並みに
無意識的知覚の世界のレヴェルに一気に下降させる。写真の出現がもたら した真の衝撃,それはベンヤミンが指摘しているように17)不意打ちの,残 酷なまでな優雅さの欠如である。現代のわれわれにしても
photogénique
という言葉で写真に理想化の期待を抱く一方で,身分証明書の中の犯罪者 めいたわれとわが肖像に幻滅を禁じ得ない。むしろ予想より美しい自分を 写真の中に発見することはまれだからこそ,スナップ写真でその場の情景 にさりげなく組み込まれているほうを好むのではあるまいか。
マネが写真のうちに不気味なものを感知したとして,何の不思議があろ う。少なくともマネの絵画は,意味を剥ぎ取られた現実の不気味さを改め てわれわれに感知させるものである。それはレアリスムではもはやない。
ぞっとする何かが潜む現実の効果である。描写する主題を理想化する舞台 装置の魔術のうちに幻想と夢の凝集を期待する者に対し,不安と反感を,
あまつさえ恐怖をも与えるなにものかなのだ。
例えばこれがクールベのレアリスムならば,われわれは安心して見てい られる。聖なるものの存在は,彼においては対概念として不可欠のもので あった。「天使などは見たことがないから描かない」と宣言するこの画家 は,マネより早くすでに見えるものからフィクションの要素を削ぎ落とし つつも,同時に美に対しては醜を,理想に対しては下品と貧困を,権威に 対しては不正と虚飾の告発を対置し,スキャンダルの種を蒔いて公衆の関 心を集めることを戦略としていた。この場合は価値の方向性が正反対にな っただけで,意味づけははっきりしている。醜は美なり,俗は聖なりと。
その彼にも写真の影響があるとすれば,それは報道写真家のカメラアイ に近いだろう。写真には見えるものを超越することも,今ここにあるもの をテーマとして否定することもできない一面がある。スーザン・ソンタグ が指摘しているように,写真が貧しい人々を捉えれば,そこにはおのずと 哀感が漂う。娼婦を撮れば,その哀感に潜む人間らしさと潜在的な美の要 素が露呈される。見捨てられた者にレンズを向けるカメラマンは,常に彼 らの擁護者として立ち現れるだろう18)。
ところがカメラそのものには直接触れた形跡のないマネは,知ってか知 らずか写真の特性に絵画を従属させたと言える。一般的には絵画は構築し,
写真は暴露する。だが実際には写真が登場するとたちまちのうちに画家た ちは,アングルやドラクロワのような大画家を含め,トータルな経験とし ての映像を構築する際に,写真を下敷きとして活用し始めていた。一方写 真家は寸断された映像を現実から切り取りながら,それをトータルな世界
の代表的側面に仕立て上げることで,独自の美の世界を,言うなれば写真 画の世界を構築することに熱中していた。
だがマネだけは,そのどちらにも与しない。彼は写真が構築し,絵画が 習慣的に,あるいは理想化された美として見る,あるいは見たいと望む表 現の外皮を剥ぎ取り,暴露するのである。クールベの作品が報道写真を連 想させるとしたら,マネの作品は無作為に抽出されたインスタント写真の 一枚に近いだろう。写されたものは断片に過ぎないから,その意味はいつ,
どこに挿入されるかにかかっている。それ自体としては決定的な意味を持 ち得ないもの。どう設定するかによってどんな意味にもなりうる,言わば 無差別性の空虚な面白みである。視覚的刺激は説明を無効にする。その意 味で,鮮明な画像が何を正確に表現しようとも,そこには見るものが期待 する主題が,意味付けが取り返しのつかぬ形で決定的に欠けている。道し るべなきイメージは,見るものを不安に陥れるリアルな夢である。
前述したようにマネには職業画家としての訓練が,職人的熟達が欠落し ている。彼にとっては,今この瞬間こそが真剣勝負であり,勝負に臨む心 構えも,武器も,まさにその瞬間に生成されるべきものであった。言わば 彼は現実に素手で,どのような構えもなしに立ち向かう。そのようなマネ が描く対象は,フラッシュの光に浮き出るのではない。それはレンブラン トやフェルメールのように事物の内部からおのずと輝き出す光でもなけれ ば,人口照明によるものでも,この世ならぬものの輝きでもない。それは 知覚の生々しさそのものなのだ。
初期の写真は露光時間の長さの中に瞬間を引き伸ばす。感光された光の 痕跡に,純粋な現存の瞬間が定着される。そしてマネもまた,直接体験の 生ける核を宿す表皮としての瞬間の移り行きを捉えようとする。意識が対 象と解け合い,発光する瞬間を捉え,対象のではなく,出会いそのものの 実体に迫ろうとするのである。
こうしてマネは額縁の中に美を含めた何らかの意義を期待する視線を裏 切る。われわれはマネの絵画それ自体としての現実のなかに,表現するイ メージを越えた何かの訪れを待ち受けねばならない。このとき光こそがす べての絵における最大の登場人物となる。光はイリュージョンとしての完 成から開かれた未完成ものへと,絵画空間を開放するのである。なのにマ ネが何も語らぬところに,観衆は主題を見る。絵画の沈黙は観衆の想像力 で満たされる。絵画史上最大のスキャンダルは,こうして準備されたの だ。
3
そもそも遠近法は古くは古代ギリシャの壷絵のうちにその萌芽が見いだ され,中世の非時間的絶対空間を経て,ルネッサンスに完成したものであ る。それはパノフスキーが明らかにしたように表現方法であると同時に,
知覚の様式である19)。絵画と世界との関係の表出であり,文化のパラダイ ムである。確かに遠近法に従った自然の見方と言うものがある。だが自然 そのものが現実に遠近法に従っているわけでは,もちろんない。ルネッサ ンス以降の絵画における遠近法空間は,現実には対象の特質を誇張し演出 する舞台として機能してきた。それはわれわれの精神構造としての価値を 帯びつつ,無限の彼方を一点に収束させることで逆に空間を内部から閉じ るものだ。空間は個々のものの寸法と相対的位置関係を明示しつつも,そ れらを結ぶ関係自体の存在を排除する。このとき空間そのものは事物では なく,まさに事物を収容する容器であり,それ自体としてはまさに空
(vide)
の間隙となる。奥行きの幻想はすべてを「永遠の相のもとに」静止させ,画面の中心という特権的かつ普遍的視点から余すところなく秩序だ てる。こうして現在と現存は,古代とキリスト教の理想化された歴史の中 に解消されていたのである。
マネより早く,パリの遊歩者として登場し,後に彼を導いたボードレー ルとってもやはり,絵画とは画家の意図が浸透した
illusion
であり,心理 的精神的響きを伴うべき主題の顕現であった。錬金術師の彼は,やはり遠 近法の魔術に囚われていたのである。1859 年,詩人はパリの詩と美の可 能性を表現したとして,メリオンの銅版画を絶賛している。それもまたメ リオンの遠近法的空間表現が人間精神のさまざまな容態の豊かさを含み得 るからなのだ。(...) la profondeur des perspectives augmentée par la pensée des drames qui y sont contenus, aucun des éléments complexes dont se compose le douleureux et glorieux décor de la civilisation n’y est oublié.
20)メリオンのパリをテーマとした版画集に,自作の詩を加えて詩画集にし ようと申し出てあっさり断られたボードレールは,それでも自分なりにこ の遠近法の深みに潜む詩情を捜し求めてパリを遊歩する。だが詩人が屑の 中に埋もれた美を発掘し,隠された意味を新たな光芒のもとに甦えらせた
としたら,それに続くマネはパリの街を遊歩しながらも,あくまで壮大な 眺望と名所を避けて通る。意味の誘惑を退けるのだ。彼はむしろ削ぎ落と し,破壊して歩く。古典からあらゆるフィクションをこそぎ落とし,模写 を通じてルネッサンス以降の美の殿堂から聖性の化粧を削ぎ落とした彼 は,現実からも化粧を削ぎ落とす仕事に取り掛かるのだ21)。
すでに「テュイルリーの音楽会」でマネは自ら画面の中に佇み,見る者 に漠たるまなざしを向けていた。鮮明な人物像と知覚し得ないものとの境 界で,観察と参加の狭間を漂っていた。作品の中景に立つ彼は,絵画とそ こに描かれた群衆を重ね合わせようというのだろうか。知人たちの人物像 の寄せ集めと,色彩のマグマの境に佇み,そのすべてに背を向けて,どこ へ行こうとするのか。
「テュイルリー」の制作と同じ年,彼は「老いたる音楽師」
Le vieux
musicien
を制作する。これはゴヤの版画に複製されたヴェラスケスの「酔っ払い」
Ivrognes
を模写したものである。ただマネは先に触れた「ア プサント飲み」の人物像を切り取って,ヴェラスケスの酔っ払いの一群に 無造作に挿入する。確かに時間と空間さえ無視できれば,酔っ払いは酔っ 払いなのかもしれない。だが彼はボードレールが例えば屑拾いに対して行 ったように,酔っ払いに自分のイメージを投影しようとはしない。酔っ払 いの姿を何らかの暗喩として表現し,見かけ以上の意味を与えようとする のでもない。むしろ反対に,名作のコピーに自作の切り抜きを貼り付けた おかげで,全体の光景は意味も脈絡も無いものに仕上げてしまうのだ。借 用によって期待させ,かつそこに自作の断片を挿入して裏切るとは,なん という斬新な,無意味の多重決定であることか。都市における自然とも言うべきテュイルリー公園の登場と前後して,マ ネの関心のいくばくかは自然にも向けられる。マネ自身がシュザンヌとと もに17 世紀の服装でサン・ウアンの郊外の風景に現れる「釣り」
La
pêche
を経て,レンブラントの「水浴するシュザンヌ」を下敷きにした「不意を打たれたニンフ」
La nymphe surprise
の連作へと続く。そして「草上の昼食」
Le déjeuner sur l’herbe
へと。都市の繁栄が,自然を余暇の時間を過ごす舞台として要求するのは言う までもない。近代産業化社会においては自然もまた,消費者に媚を売る一 つの商品となる。牧歌的風景は神話の起源であることを止め,都市生活者 の憩いの場となった。そこには戸外という名において,室内の快適なイメ ージが投影される。ベンヤミンの指摘するように都市におけるパッサージ
ュとデパートの出現によって,群衆のうごめく街が風景となり居間となっ たとしたら22) ,自然もやはりその延長として憩うべき風景となり,くつろ ぐべき室内の延長となったと言えよう。すでにパリの中枢部にあるテュイ ルリー公園が,コンサート会場となることによって室内と戸外の,人工と 自然の境界を曖昧にしていたように。
すくなくともコローを最後として自然はもはや,神話の形象が発生する 聖なる神秘を宿す場ではなくなった。 そんな中で女性の裸体をモチーフ として,この世における完成された美の表現を目指す古典的美の規範も揺 らぎ始める。もちろんそれ以前にも紆余曲折はあった。たとえばダ・ヴィ ンチは人体解剖を積極的にデッサンに導入した。だが彼にとっては一見無 残な解剖図に描かれた人体の構造も,それ自体が宇宙の調和の表現であり,
神秘の幾何学であった。レンブラントもやはり見えるがままの醜女の裸体 を描いているが,それは慈悲の光に包まれて別の意味に昇華されるべきも のであった。
ところがクールベに至って
,
変化は別の意味を帯び始める。彼はマネの「草上の昼食」よりも早く,自然の中に裸婦を,女神やニンフではなく裸 の女を配していた。それは理想化され,昇華された美としての神話的イメ ージではもはやない。クールベの裸女のプロポーションには醜さはあって も理想はない。その肌はこの世のものならぬ透明感を宿さない。しかもそ れは,レスビアンの光景を含め,しばしば性愛の恍惚――眠りや死と区別 がつかぬほどの――を暗示する。裸女が自然の諸力を体現するという神話 の廃棄の後に訪れた沈黙を,クールベは裸女自身の沈黙として,肉体の充 溢として表現するのである。
都会から自然に足を向けた女たちは,その表情が何かを語る前に自然に 抱かれて眠りにつかねばならない。思考を停止し,動物のように息づき,
植物のように大地に根を張り,鉱物のように不動ののものとならねば。そ してついには大地の一部となり,生きとし生けるものを取り巻くすべての ものに対する盲目的信頼のうちに時間を,歴史を超越するのである。画家 のこのような傾向が,ついには「世界の起源」にまで行き着いたのは,時 間を意識したがゆえの不動性へ回帰として,始原への,生命の始原への郷 愁として理解されよう。
前述したように,ゾラはマネをレアリスムの新たな担い手として評価し ていた。事実マネはクールベのレアリスムに多くを負いつつ,それをさら に別の方向に展開したと言えるだろう。クールベと同じく,彼もまた古典