新出の親驚真蹟をめぐりて
大 谷 派 小山
正
文
平成十四年︵二OO
二︶九月二日筆者は、大阪府八尾市本町五丁目で老舗の仏壇店を経営される豊津弘太良氏所 蔵の真宗関係法宝物を調査する機会に恵まれた。そのさい学界未知の親鷺真蹟一軸を拝見し大変感銘深いものを覚 えたのでここにそれを紹介すると共に、この真蹟が康元元年︵一二五六︶親驚八十四歳撰述の七項目からなる﹁浄 土和讃﹂と題される著作物の一節にあたることが判明したところより、﹁親驚聖人全集﹄にも未収のその﹃浄土和 讃﹄の全文をあらため翻刻掲載し、親鷺の撰述書としての位置付けをも試みたいとおもっている。 さて、豊淳氏所蔵の親驚真蹟というのは図版のごときもので、その内容は次のような﹃大集経﹄︵﹁紅一大蔵経﹄ 第十三巻所収﹁大方等大集経﹄巻第九・五五頁a
︶と﹃浬繋経﹄︵同第十二巻所収北本﹁大般浬繋経﹄巻第廿・四 五八頁a
、同南本・七二八頁 b ︶ の 二 文 八 行 で あ る 。 この経文が書かれている料紙は縦二六・六、横コ二二・二センチで、手触りから鎌倉時代の椿紙とみられるが、熟親鴛真蹟康一冗元年︵一二五六︶八尾市・豊津弘太良氏蔵 新出の親驚真蹟をめぐりて タ イ シ フ l ヤウニノタマハク 大 集 経 ニ ャ ク オ モ ハ 、 ヲ モ ン ヨ ク シ ョ ウ ト ク セ ム ト オ フ チ タ ウ ニ オ ウ ヘ シ タ ウ マ サ ニ チ ヨ メ チ ス キ マ ウ ノ シ ム タ 若 欲 証 | 得 於 仏 道 応
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五 補 紙 切 目 切 目 時 一 −60cm 16.8cm |〈一一一一5 2cm新出の親驚真蹟をめぐりて 二 O 六 視すると右より四・二、六 一 六 ・ 八 、 六 ・
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センチの各幅で縦の筋が通っているのがわかる。実はこれら数 本の縦筋こそが、この親鷺真蹟の性質を決定付ける重要な鍵となる点で無視しがたいのであるが、 それについては 後述するであろう。 と こ ろ で 、 われわれのもっとも重大関心事である本経文のいかなるところに親鷺真蹟としての 特徴があるのかを次にみておかなければなるまい。それにつき第一にあげられるのは、経の本文およびその音読み の振仮名がすべて墨書となっているのに対し、送仮名や返点などの訓点が朱筆であらわされていることで、これは 数多く残る親驚真蹟の著作や写本類によくみられる読みやすさを主眼とした手法に共通するものといえよう。第二 にその全体の筆致が有名な京都東本願寺蔵親鷺自筆﹁教行信証﹂や親鷺晩年の筆風を示すに十分な康元年間︵一一一 五 六 ︵ ︶ 七 ︶ の三重専修寺蔵﹁西方指南抄﹄、﹁唯信紗﹄、﹁唯信紗文意﹄、京都東本願寺蔵﹃一念多念文意﹄などとま ったく同じで、特に﹁教行信証﹄信巻︵﹁親鷺聖人真蹟集成﹄第一巻三0
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1
一 百 九 ︶ に引かれる﹃浬繋経﹂ の同文 部分とを比較すれば、誰しもこれが親鷺真蹟であることを納得するであろう。第三に漢字の筆法上に親驚の特徴を み て お け ば 、 ﹁ 一 百 己 の第一画が第二画を、 ま た ﹁ 者 ﹂ の第二画も第三画をそれぞれ突抜けている。﹁首﹂、﹁常﹂、 ﹁慈﹂などのかんむりの横棒がやや弓なりになっている。﹁イ﹂偏や﹁手﹂偏の縦棒が左方へ反り気味である。親 鷺が多用した﹁克﹂ の字がみられる。﹁経﹂、﹁悌﹂などに親鷺独特の筆勢があらわれている等々をあげることがで き る 。 第 四 に 片 仮 名 の ﹁ タ ﹂ 、 ﹁ シ ﹂ 、 ﹁ キ ﹂ 、 ﹁ マ ﹂ 、 ﹁ ク ﹂ 、 倉時代の特色が、親鷺の筆癖でよく示されている。第五に返点が漢字の左横に付され、 ﹁ ウ ﹂ 、 ﹁ ツ ﹂ 、 ﹁ セ ﹂ 、 ﹁ ユ ﹂ な ど に も 概 し て 一 画 す く な い 鎌 そ れ の ﹁ 一 一 一 ﹂ が ﹁ ・ ・ ﹂ に な っているのも親鷺的といえよう。 以上のような筆蹟的諸特徴より筆者は、豊津氏所蔵の﹁大集経﹂・﹃帰化繋経 L の二文を親驚の真蹟とみなすもので あ る が 、 その事実を物理的にも証明するのが前記した数本の縦筋にほかならない。 よって項をあらためそのへんの ところを検証していきたい。大谷大学凶書館に﹁宗祖御筆蹟集﹄︵図書請求記号・宗内大一二二八︶と題される明治四十三年︵一九一
O
︶ の 影写本一冊が架蔵されている。これを影写したのは当時の同大学凶書館長で歴史学者の山田文昭氏とおもわれるが、 に所蔵されていた正徳三年︵一七一一二︶恵空︵一六四四一七二ご七 十歳書写の本よりそれをなしたのであった。恵空本はその後藤原猶雪氏の有に帰したためいま同寺に存しないが、 山田氏は河内円徳寺︵大阪市生野区巽中︶ 影写本には次のような恵空本の識語が写しとられている。 此一本者西本願寺之坊官下問刑部卿点退之後所持之 此一巻被解放節取持之人ウツホ字ニスキ写テ所持ス A ---, 為手鑑以彼之写本再使写之者也 所持恵空 正徳三年三月日 これによれば恵空本の原本は西本願寺に伝わっていたものであるが、同寺の坊官下問刑部卿すなわち頼廉︵一五 三 七l
二ハ二六︶が点退後これを所持した。のちこれが解放された節取持の人が空字に透写して所持していたのを 恵空が手鑑とするために再写したというのである。したがって大谷大学図書館の影写本は転写に転写を重ねている から写し崩れも認められるけれども、本願寺に伝来した原本が親鷺の真蹟本であったことを認知させうるだけの筆 体を示しているので貴重といわなければならない。この恵空本を写した影写本の内容は次の五項目からなっている。 ④浄土和讃︵通常依用の﹃浄土和讃﹂とは同名異本で、一二重専修寺蔵親鷺・真仏筆﹃正像末法和讃﹄の第二十 一・七・二十五・二十六・十・十一・八・九・一・二・三・三十七・三十八首目に同じの計十三首よりなる。表紙 に浄土和讃の外題と釈善蓮の袖書がある。 新出の親驚真蹟をめぐりて。
七新出の親驚真蹟をめぐりて 0 !¥ @大元量寿経言︵四十八願の第十一・十二・十三・十七・十八・十九・二十・二十二・三十三の計九願文を写 す 。 ︶ の 大 集 経 一 = 一 口 ︵ 若 欲 証 得 於 仏 道 応 当 除 滅 疑 網 心 勤 修 元 上 信 心 者 即 能 獲 得 於 菩 提 の 文 。 ︶ @浬繋経言︵如来為一切 常作慈父母 当知諸衆生 皆是如来子 世尊大慈悲 為衆修苦行 知 人 著 鬼 魅 狂 乱 多 所 為 の 文 。 ︶ @往相回向還相回向文類︵康元元丙辰十一月廿九日愚禿親鷺能書之の奥書がある。︶ 兵庫妙光寺蔵﹁五十六歳七千万﹂、石川日野環氏旧蔵﹁大日本国粟散王﹂の両和讃。大阪慈雲寺蔵第十一・十二・十三 願文、徳島常円寺蔵第十七願文、京都手塚家旧蔵第十八願文、石川本誓寺蔵第三十三一願文、竜谷大学大宮図書館禿 氏文庫蔵﹁浬繋経﹄文、愛知本語寺林松院文庫蔵﹁誓願ハ大経言設我得仏他方仏﹂等々の親驚真蹟といわれる諸断 簡は、いずれも上記影写本との比較対照から@・@−
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・@の原本の一部分に相当するものであることが、すでに 山田文昭、日野環、藤島達朗、宮崎円遵各氏や筆者の調査などによって明らかとなっており、近年見出された愛知 本語寺林松院文庫蔵本を除くそれらが﹃親鷺聖人真蹟集成﹂第九巻にも収載ずみであるのは周知のところであろう。 で あ る こ と は 、 実は今回ここに新しく見出された豊津氏蔵の﹃大集経﹄・﹃浬繋経﹂の二文もそれらと一連のの・9
にあたる断簡 その文字の細部にいたるまでもがことごとく影写本と合致しているだけではなく、はじめに指摘し た数本の縦筋が影写本における紙の切目、継目、折目と完全に一致している事実によっても明らかなところといわ なければならない。豊津氏蔵の断簡はこのように物理的な面からも親鷺真蹟であることを十分証明することができ る点でまことに貴重な発見となるわけだが、それでは従来@にあてられていた竜谷大学大宮図書館禿氏文庫蔵のこ れと同文の﹃浬繋経﹄文は、いったいどういうことになるのであろうか。これについては新出の豊津氏蔵本のごと く禿氏文庫蔵本には三行目と四行目の間にあるべき紙の折目がなく、 かつ全体に禿氏本は大変よく親驚の真蹟に似せてはいるが、他の追随を許さない親鷺独自の雄湾な筆風に欠ける点があって、結局これはいわれるごとき影写本 の原本にあたるものではなく、 また親鷺真蹟でもないと判断すべき断簡であろう。 かくてここに影写本の@・@・の・@・@すべてにわたる原本の断簡が出揃ったわけであるが、これらのうちい まの筆者は虚心にみて慈雲寺、手塚家、本誓寺、豊淳氏蔵以外の分については、文字がやや細く右上りでないなど ということは本願寺に伝来した原本そのものが最初から全部親驚一 筆ではなく、師親鷺の指示のもと直門侶の他筆も交える内容であったことを意味し、この点本書の成立を考えるう の点から親鷺真蹟とすることに臨時している。 えで十分留意しておかなければならないところといえよう。それでは本書全体はいつごろの成立とみてよいのであ ろ う か 。 それを決定することによって親鷺真蹟部分の筆年代もおのずと判明するであろう。 大谷大学図書館蔵の影写本はすでに記したごとく﹁宗祖御筆蹟集﹄と題されているが、これは原題ではなくおそ らく明治四十三年の影写時に山田文昭氏が付したものであろう。このような題名の場合誤解を招きやすいのは、 さ きに掲げた④より@までの親鷺筆のものがばらばらに存在していて、それを後世の人が一室聞にまとめたという感を ︵ 7 ︶ 与えかねないことである。これにつきかねてより筆者はそうではなく④より@まですべて親鷺自身の手になる一貫 した著述と考えており、 その点をここで再確認しておきたいとおもう。 まず②であるが、総計十三首で構成されるこの和讃のすべてが正嘉元年︵一二五七︶親鷺八十五歳の成立とみら れている三重専修寺蔵の親驚・真仏筆﹁正像末法和讃﹄ の中に含まれていることはすでに記した。 ということは ﹃浄土和讃﹂と題されるこの十三首の@こそが、 やがて﹃正像末和讃﹂となっていく前段階的なものにほかならな 新出の親鷺真蹟をめぐりて
。
九新出の親驚真蹟をめぐりて
。
かったのである。その場合ことに注意したいのは康元二年︵一二五七︶ 一一月九日夜の夢告讃が十三首の中に入って いない事実であって、これより推し④はそれ以前の成立と考定しでもよいのではないかとおもっている。 次に@の九願文につき、これらが全部﹃教行信証﹂に引かれているところよりそれ以前の親鷺の手記ではないか ︵ 8 ︶ ︵ 9 ︶ とか、﹃教行信証﹄の骨格を示してあまりなきものといった解説もみうけられるが、慈雲寺、手塚家、本誓寺所蔵 の第十一・十二・十三一・十八・一二十三一願文などの筆致は、すでに親鷺の真蹟として定評のある建長七年︵一二五 五︶の石川専光寺蔵﹃尊号真像銘文﹄、京都西本願寺蔵﹃浄土三経往生文類﹄、同寺蔵﹁安城御影﹂、三重専修寺蔵 ﹁黄地十字名号﹂、康元元年︵一二五六︶の同寺蔵﹃西方指南抄﹄、同﹁八字・十字名号﹂、京都西本願寺蔵﹁六字 名号﹂、愛知妙源寺蔵﹁十字名号﹂、京都東本願寺蔵﹃一念多念文意﹄、同二年の三重専修寺蔵﹁唯信抄文意﹄、同 ﹃ 唯 信 紗 ﹄ 、 同 ﹁ 唯 信 紗 文 意 ﹄ 、 正 嘉 二 年 ︵ 一 二 五 八 ︶ の同﹁尊号真像銘文﹄など親鷺八十三歳から八十六歳にかけ ての筆蹟に近似しており、@もまた④と同時期になったことを示しているといえよう。 のの﹁大集経言﹄も親鷺の重視した経典のひとつで ﹃教行信証﹄にもしばしば引用するが、仏道において証得せ んとおもわば疑いの心を除滅し無上の信心を勤修すれば、すなわち菩提を獲得するというこの文は引かれていない。 親驚があえてここに﹃大集経﹂ の当文を出した背景には、益口鷺事件のために経文とはまったく逆の方向へむいてい た東国門徒のことを念頭においてのものではなかったかと想察され意味深長なるものを覚え、ざるをえないのである。 このたび出現した親驚真蹟ののはまさしくその善驚事件終盤期すなわち親驚八十四歳ころの筆致を示していること はすでに記した通りで、これも同じく親儒晩年のものとみるのが至当であろう。 @は﹃教行信証﹄信巻にも引文されるところであるが、東本願寺蔵の﹃教行信証﹂ は親驚六十歳代の筆であるの 讃﹄の末尾に﹃廟雌旧国﹄と共に付した﹁浬繋経﹂ に対し、建長七年︵一二五五︶以降康元一一年こ二五七︶ころに親鷺が直門侶の党信へ授与した﹁皇太子聖徳奉 の同文は、福井浄勝寺蔵の影写本によるかぎり豊淳氏蔵の ﹃ 浬 繋経﹄文とまったく同一筆致を示しており、 と く に ﹁ 為 ﹂ の 最 後 が ﹃ 教 行 信 証 ﹄ のように三点ではなく四点で、親楠潟 晩年の筆癖を実によくあらわしているとみなければならない。 @は奥書通り康元元年親鷺八十四歳の成立になることはいささかも疑う余地はないが、従来ややもすればこの奥 書は@だけのものとみなされていたきらいがないであろうか。筆者はしかし上述来のような内容や筆蹟検討の結果 より、④から@まで一貫した親鷺自身の手になる著作物で、その成立年代が最後に置かれている﹁康元元丙反十一 月廿九日愚禿親鷺肌制書之﹂という奥書であったとみるものである。したがってこの親鷺の著書の正題は影写本 の表紙に大書明記される﹁浄土和讃﹂で、それは袖書より﹁釈善蓮﹂ へ付与されたと考えるべきであろう。ちなみ に﹁蓋己の字が影写本で﹁菩﹂のごとくみえるのも﹁為﹂の四点と同様親鷺晩年の筆蹟変化をよく示す字形として 注意しておかなければならない。 なお善蓮は﹁親鷺上人門弟等交名﹄に出てこない人物であるけれども、京都二尊院蔵﹃七箇条起請文﹂ の元久元 年 三 二
O
四︶十一月八日に﹁僧尊蓮﹂、﹁僧紳空﹂とならんで署名している﹁僧善蓮﹂がそれにあたる可能性が 高い。尊蓮は寛元五年ご二四七︶に親鷺の ﹃教行信証﹄を最初に書写した人であり、紳空はいうまでもなく善信 と名のる以前の法然房源空門下時代の親管の名にほかならない。@の末尾が﹁他力ニハ義ナキヲモテ義トスト大師 聖人︵1
法 然 房 源 空 ︶ ハオホセアリキヨク、、コノ選択悲願ヲコ、ロエタマフヘシト﹂と結ぼれているのも、源空 門下時代の旧友にこれが授けられているからであると理解すれば、 よりよくその意味もわかるであろう。 四 愛知県岡崎市土佐々木町の上宮寺に早ければ鎌倉末期、遅くとも南北朝時代の写本と鑑せられる大谷大学図書館 新出の親鷺真蹟をめぐりて新出の親鷺真蹟をめぐりて
一
蔵の影写本に同じ﹁浄土和讃﹄ 一冊が蔵されている。影写本は縦二七・一二︵九寸︶、横一九・七 六寸五分︶セン チ。本文紙数一七枚の袋綴本であるのに対し、この上宮寺本は縦二五・七 八 寸 五 分 ︶ 、 横 一 八 六寸︶セン チ。本文紙数二二枚の粘葉本という違いがあるだけでなく、内容も影写本が④︵︶@の五項目であったのが、次のご と く ⑧ ︵ ︶ ⑥ の 七 項 目 に 増 加 し た も の と な っ て い る 。 ⑧浄土和讃 ⑧大元量寿経言 ⑥元量寿如来会言 ⑮業報差別経言 ⑥大集経言 ⑥浬繋経言 ⑥往相回向還相回向文類 右のような構成をもっ上宮寺本の⑧は、影写本の@と文字に若干の違いがみられるけれども和讃の順序も首数も 同じ十三首で問題はない。⑧は@に第三十五願文が加わって計十願文に増加しており、@・⑮は影写本にまったく みえない経文として留意される。⑥・⑥はの・@に全同するから問題点はない。@は@と内題も奥書も同じである が、@は@に比し著しく文が少ないという疑問点がある。 上宮寺本における⑮・@・⑮・@の増文は影写本の欠落か、それとも影写本が初稿本で上宮寺本が再治本なのか 見解がわかれようが、@と@を比較した場合⑬の増文部分がないと通意しないので、 いまの筆者は影写本の欠落と みて﹁浄土和讃﹄はがんらい上宮寺本のごとくであったと推定しておきたい。その欠落時期は欠落部分の原本断簡 が未発見のために下問頼廉が本願寺より持ち出す段階以前にすでに失われていたのかも知れない。ところで、同じ上宮寺所蔵の﹁一二河念仏相承日記﹄に建長八年︵一二五六︶十月十三日親鷺上足の直門侶真仏、 顕智、専信坊専海︵俗名弥藤五︶ と下人弥太郎︵出家後法名随念︶ の主従四人が、師親鷺をたずねる上洛途次三河 ︵ 日 ︶ 国矢作薬師寺で念仏勧進したのが、一二河国専修念仏の根源であると記していて大変有名である。ここで注意したい のは右の一週間ほど前の十月五日に建長は康元と改元されており、主題の ﹁浄土和讃﹄はその翌月に成立している 事 実 で あ ろ う 。 遠路はるばる上洛してきた上の四人に対し親鷺は、自筆の紙本名号各一幅ずつを与えたのが三重専修寺蔵の十 字・八字、愛知妙源寺蔵の十字、京都西本願寺蔵の六字名号で、前者真仏・顕智への二幅が康元元年十月廿五日、 後者専信・随念への二幅が同廿八日付となっているが、これら四幅の名号に着讃される上段銘は、すべて上宮寺本 ﹁浄土和讃﹄の⑧・@に出てくるものばかりである点大いに注目させられるし、とくに一行のうちの真仏は⑧を除 く⑧から⑥までの文をみずから写す三重専修寺蔵の﹁正像末法和讃﹂、﹁四十八誓願﹂、﹃経釈文聞書﹄、﹁如来二種目 向文﹄の中に書きのこしている事実もこのさい注意しておかなければならない。ちなみに顕智も三部作︵﹃抄出﹂、 ﹁聞書﹄、﹃見聞﹄︶の﹁聞書﹄に⑮を引文するが、⑮は親鷺・真仏・顕智がいう﹃業報差別経﹂の文ではなく実際 は伝慈恩大師窺基撰の﹃阿弥陀経通賛疏﹄にみえる文である。 真仏・顕智・専信など親鷺門侶の重鎮が建長八年十月に師のもとへ上洛したのは、 ほかでもなくその年の五月に 親驚がわが子慈信房善驚に対し﹁イマハオヤトイブコトアルヘカラス コトオモフコトオモイキリタリ﹂ の義絶状 を送り終幕したかの善鷺事件の後始末のためであっただろうことは容易に想像がつくが、実は数多くのこる親鷺晩 年の著述や書写本のほとんどが、皮肉なことにその善鷺事件を契機としてなされたことを忘れてはならないであろ ぅ。したがって七項目からなる康元元年の﹃浄土和讃﹄もまたそのひとつであったと認めてなんらさしっかえない ものとおもわれるのである。 ところがいままで﹃浄土和讃﹄は⑧より⑥までひと続きの親鷺の著作とはみられなか 新出の毅驚真蹟をめぐりて
二 一 凹 ︵ 幻 ︶ ったために、筆者の関係図書以外に全文の写真掲載や翻刻が行なわれてこなかったという経緯がある。しかし以上 新 出 の 親 驚 真 蹟 を め ぐ り て 纏棲説いたように﹁浄土和讃﹂は、親鷺直門侶の真仏や顕智にもすくなからぬ影響を与え、専信の系統をひく上宮 寺にその古写本を伝え、親驚独自の名号本尊とも無関係とおもわれない点で、もっと注目すべき必要性が痛感され てならないのである。よってここにその﹁浄土和讃﹄ の親驚真蹟断簡発見を機に唯一の完本である現存最古の上宮 寺本を底本とする﹃浄土和讃﹄ の全文をあらためて提示し諸賢の関心を喚起したいとおもうことである。 末筆ながら本稿を草するにあたり側スミコ仏壇店代表取締役豊津弘太良氏、慈願寺住職鹿崎正明氏、同朋大学悌 教文化研究所室長渡辺信和氏に大変お世話になった。記して感謝の意を表する。 註 ︵ 1 ︶ 小 山 正 文 ﹁ 八 尾 市 ・ 豊 津 家 の 真 宗 法 宝 物 ﹂ ︵ ﹁ 同 朋 大 学 仰 教 文 化 研 究 所 報 ﹄ 一 し ハ ︶ 二
OO
三 年 三 月 。 ︵2 ︶赤松俊秀・藤島達朗・宮崎円遵・平松令三編守親驚聖人真蹟集成﹂九法蔵館一九七四年九月 頁に全文掲載。ただし三六O
頁 の 一O
と一一は前後入れ違っているから注意を要する。 細川行信・小山正文著﹁親賢聖人御真筆慈雲寺蔵大無量寿経三願文解説﹄同問舎出版一九九O
年 一O
月 間01
四 八 頁 に も 全 文 掲 載 さ れ て い る 。 ︵ 3 ︶H
野環﹁往相回向還相凶向文類について 1 i 二 一 経 往 生 文 類 に 関 連 せ し め て | 1 ﹂ ︵ ﹁ 大 谷 学 報 ﹂ 四O
一 二 ︶ 一 九 六O
年 一 一 一 月 。 ︵4 ︶天文二十年︵一五五この実悟兼俊の奥需をもっつ下問系図﹂によれば、頼廉は頼出版の子で﹁右兵衛尉・刑部卿 E 亙 名 源 十 郎 法 眼 法 印 法 名f
入改了相時駿河頼次女寛永三同市パ李十川刊日本満九十歳﹂とある。なお下問 ら い れ ん ち ゅ う し 頼廉は同仲之︵一正五一ーー一六一六︶、同頼竜︵一パ A 九 一 − | 一 六O
九︶と共に天正八年︵一五八O
︶ の 本 願 七 寸 ・ 織田信長和睦警詞に印誓連署した三人のひとりでもある。 平 松 令 三 一 制 一 真 宗 史 料 集 成 t 同朋舎一九七五年一二川六八円R
。 ︵5 ︶山間文昭三兵実史稿い破時間市H
M
一九三四年五川一六八百。 日野環﹁川m m
⋮ 川 崎 町W F J 本 号 一 小 制 御 筆 蹟 集 H の 主 川 誌 学 的 価 値 に つ い て ﹂ 二 五 九1
三 六O
︵ コ 印 度 目 f 仏 教 学 研 究 し [71] 一 九 五 六 年藤品達朗﹁斜鰐聖人真筆大経願文影印解説﹂親筒型人真季凶影会一九六
O
年 八 月 。 宮崎円遵﹁宗但御筆蹟集について﹂︵﹁親鷺聖人全集﹄写伝篇二川報一七︶一九六一年二月。 赤松俊秀・藤島達朗・宮崎円遵・平松令三編﹁親鰐型人真蹟集成 ι 九法蔵館一九七阿年九川所収解説。 小山正文﹁親鷺聖人御真筆名けす・五願文解題﹂教行社一九九六年七月。 小山正文﹁新発見の親問真跡||往相川向還相川向文類の断簡︵古川山大学側教文化研究所報”一凹︶二OO
一 年 四 月 。 ︵ 6 ︶他筆の部分の担う者が誰であったのかは明らかでないが、後記のごとくこの頃親情のもとに真仏、顕知口、専伝坊専 海など高旧門徒の重鎮が上洛しているので、この三人のうちのひとりであった可能性も考えられ、筆名は他策部分 の筆致が真仏、顕知日とも異なるところより専信ではなかったかとおもっている。 ︵7 ︶これにつき大谷大学図書館蔵影写本の原形本と筆者はみている後述の愛知上宮寺蔵本を浄土立芯不本願寺派宗学院編 ﹃川い川真宗聖教現存目録﹂︵永出文円山県一九七六年二一月二二九頁︶はげんに﹁ 1166 正像末和讃親鷺 116 7 諸経要文 1168 往相阿向還相回向文類親驚三巻合冊﹂と分記し、藤島達朗氏も証 5 の解説で﹁大経﹄九願 文、ぺ和讃﹄十三首、﹃大集経﹄文、﹃浬繋経﹄文、﹃往還同向文類﹄等を加えて合綴された一本と記しておられる。 ︵ 8 ︶安井広度担当﹃親鷺聖人全集﹂漢文篇親驚聖人全集刊行会一九五七年一一月解説二二三頁。 ︵ 9 ︶ 註 5 の 日 野 環 氏 論 文 。 ︵刊︶小山正文﹁親鷺と真宗絵伝﹄法蔵館二O
O
O
年三月四四五頁。 ︵日︶﹃往相回向還相回向文類﹄は古く宝暦七年ご七五七︶、万延二年︵一八六一︶、明治四十四年︵一九一 刊行されているが、いずれも﹃往還回向文類﹄だけのものとなっている。 ︵口︶真宗新辞典編纂会編﹁真宗新辞典﹄法蔵館一九八三年九月五九九頁。五七四一良。 ︵ 日 ︶ 註 2 ・ 5 の﹃親驚聖人真蹟集成﹄九三五八頁。 ︵ H ︶ 註 刊 の 拙 著 一 四 一1
一 五 一 頁 に 全 文 写 真 掲 載 。 ︵日︶残念ながらこの﹃日記﹄は昭和六十三年︵一九八八︶八月三十一日の同寺火災で焼損した。 ︵ 凶 ︶ 註 日 の 一01
一 三 頁 。 平松令三﹁親驚真蹟の研究﹄法蔵館一九八八年四月一三頁。 ︵口︶なお主題の﹃浄土和讃﹄と名号本尊との関係については左掲の拙稿を参照されたい。 新 出 の 親 驚 真 蹟 を め ぐ り て 五 二 な ど に新 出 の 親 驚 真 蹟 を め ぐ り て
一
~ ノ 、 小山正文﹁名号本尊の一事例||太子・高僧像を描く九字名号 1 1 ﹂︵千葉乗隆編﹁日本の歴史と真宗﹄千葉乗隆 博士傘寿記念論集所収︶自照社出版二OO
一 年 一 一 月 。 ︵時︶赤松俊秀・藤島達朗・宮崎円遵・平松令三編﹃親驚聖人真蹟集成﹄二一法蔵館一九七四年一月二七三頁以下。 三一重専修寺蔵の﹃正像末法和讃﹄ははじめ十首目までが親驚筆、残り全部と表紙が覚然筆といわれていたが、いま では後者は真仏筆とみられている。 ︵凹︶真宗高田派教学院編﹁影印高田古典﹄一真仏上人集所収真宗高田派宗務院一九九六年四月。 ︵却︶真宗高田派教学院編﹁影印高田古典﹄三顕智上人集︵中︶真宗高田派宗務院二OO
一 年 五 月 一 一 一 二 貝 。 ︵訂︶生桑完明﹃親驚聖人撰述の研究﹄法蔵館一九七O
年 一O
月三三三頁。 ︵ 泣 ︶ 筆 者 は 註 5 の﹃解題﹄で上宮寺本の全文をいちど翻刻したが、あまりにも誤植が多く不完全なものであったと反省 している。なお﹃親驚聖人全集﹄の和讃篇に⑧、漢文篇に⑧、写伝篇二の月報に⑥、和文篇に@の真仏書写本をそ れぞれ収めるが、ばらばらに加え⑥・⑮・⑧をみないきわめて不備なものといわなけければならない。 ︵お︶上宮寺は文明十六年︵一四八四︶の﹃上宮寺門徒次第之事﹄︵通称﹁如光弟子帳﹄︶によればその開基は蓮願で、蓮 願は﹃親鷺上人門弟等交名﹄に親驚上具仏|専信|円差T
慶牟|慶願蓮願と出てくる南北朝時代のひとである。 凡例 一、ここに翻刻する七項目よりなる﹁浄土和讃﹄は、康元元年︵一二五六︶親驚八十四歳の撰述書で、底本は岡崎市上 宮寺蔵の南北朝時代写本を用いた。 一、行数・字詰は底本通りとしたが、字体は常用漢字通行体とした。 一、底本には朱筆による左訓、頭注、返点、送仮名、句点が随所にみられるも、繁雑になるため一いち朱筆であること の 注 記 を し な か っ た 。 一、底本における文字の誤りはそのまま翻刻し、かたわらに︵まま︶と示した。 一、数字のオ・ウは料紙の紙数とその表・裏を示す。 1 l オ は 白 紙 で 圏 型 付 は 1 1 ウ よ り 始 ま っ て い る 。 一、︹浄土讃一丁1
十一丁︺は、底本の糊代部分にみえる文字である。浄
土
和
讃
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ク ヱ ン サ ウ ヱ カ ウ ワ ウ サ ウ ヱ カ ウ ニ ハ 還 相 回 向 ナ リ 往 相 回 向 シ ン シ チ キ ヤ ウ コ フ シ ン シ チ ニ ツ キ 真 実 ノ 行 業 ア リ 真 実 ン ン シ ム シ ン シ チ シ ョ ウ ク ワ シ ン シ チ ノ 信 心 ア リ 真 実 証 果 ア リ 真 実 キ ヤ ウ コ フ シ ヨ フ チ シ ョ ウ ミ ヤ ウ ヒ ク ワ ン 行 業 ト イ フ ハ 諸 仏 称 名 ノ 悲 願 シ ョ ウ ミ ヤ ウ ヒ ク ワ ン タ イ ア ラ ワ レ タ リ 称 名 ノ 悲 願 大 経 言 設1
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文 18一一一オ ヒ ク ワ ン ク ヱ チ チ ヤ ウ ト ウ シ ヤ ウ コ ノ 悲 願 ハ ス ナ ワ チ 決 定 シ テ 等 正 カ ク 覚ニナラシメムトチカヒタマへリトナリ 新出の親鴛真蹟をめぐりて ト ウ シ ヤ ウ カ ク シ ヤ ウ チ ヤ ウ シ ユ 等 正 覚 ト イ フ ハ ス ナ ハ チ 正 定 緊 ノ ク フ 井 ナ リ 等』 正i
今当,ヵ PモAク ト マ ブ ス ノ、 補フ 18 ウ シ ヨ ミ ロ ク ホ サ チ 処 ノ 弥 勅 菩 薩 ト オ ナ シ カ ラ シ ン チ メムトチカヒタマヘルナリシカレハ真実 ン ン ケ ウ I ム フ チ シ ャ ミ ロ ク ホ サ チ 信 楽 ノ 念 仏 者 ハ 弥 勅 菩 薩 ト ︵ 浄 土 讃 九 丁 ︺ オ ナ シ ト 竜 野 浄 土 文 ニハアラワ セ リ シ カ レ ノ、大
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々 ノ イ t 勿 ノ ワ J ∼ v J ト ノ ヘ タ マ へ リ コ レ ラ ノ 大 願 ヲ 19 オ ワ ウ サ ウ ヱ カ ウ 往 相 回 向 ト マ ブ ス ト ミ エ タ リ ク ヱ ン サ ウ ヱ カ ウ シ ヤ ウ ト ロ 〆 ニ イ ハ ク 二 ニ ハ 還 相 回 向 ト イ フ ハ 浄 土 論 日 五シヤウ ソシヨノ クリン J Y Hリ 新出の親鷺真蹟をめぐりて イ リ キ カ ウ コ セ ミ ヤ ウ 以 二 本 願 力 回 向 ︼ 故 是 名 出 第 五コ 門ト
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目Iシ;;' 二修二 習シ 立立司 S ' 賢ご 之シ 徳ヲよ 若 三 二不スフ 4爾主ニ 者ハ主 不ンフ 二取二 正午 ウ 覚ヲ1
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ク ヱ ン サ ウ ヱ カ ウ オ ム ノ 還 相 回 向 ノ 御 チ カ ヒ ナ リ ニ ヨ ラ イ シ ユ ヱ カ ウ コ レ ラ ヲ 如 来 ノ 二 種 ノ 回 向 ト 20 ウ 21 オタ リ キ ワ ウ サ ウ ク ヱ ン サ ウ マ フ ス ナ リ 他 力 ノ 往 相 還 相 ヱ カ ウ シ リ リ タ ノ 回 向 ナ レ ハ 自 利 利 他 ト モ キ ヤ ウ シ ヤ ク ワ ン ケ ウ 行 者 ノ 願 楽 タ イ ク ワ ソ 〆 ニ ア ラ ス 大 願 ヨ リ 自 然 ニウルナリシカレハ 他 力 ニ ハ 義 ナ キ ヲ モ テ 義 ト タ イ シ シ ヤ ウ ニ ン ス ト 大 師 聖 人 ハ オ ホ セ コ ト ︵ ま ま ︶ アリキコク、、コノ セ ン チ ヤ ク ヒ ク ワ ン 選 択 悲 願 ヲ コ 、 ロ エ タマブへシト 新出の親驚真蹟をめぐりて 21 ー ウ 22 オ 南 元 阿 弥 陀 仏 康 一 児 元 丙 辰 十 一 月 廿 九 日 22 ウ 愚 禿 親 管 八 十 書 之 四 歳 ︵ 浄 土 讃 十 一 丁 ︺ 七