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国語 2020/7/23更新

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(1)早稲田大学教育学部. 2 0 2 0年度入鼠問題の訂正内容 く教育学部一般入試>. 【国語】 ・問題冊子 3ページ:設問(ー) 15行目 ( 誤 ) ∼実態・・・. ( 正 ). ∼室体・・・. ・問題冊子 9ページ:設問(ニ). 間十王. 設問に対する適切な解答がありませんでした。当該箇所の設問 につきましては、解答の有無・内容にかかわらず、受験者全員に 得点を与えることといたします。. 以上.

(2) 2020. 07. 2 1o一e. 事項. 日日. ( 2 0 2 0 R02140015(凶諾)〉. 細菌田 ルW M O N O 庁 判洞 U ー簿 Mfm 見建湖特哲. び 解 答 用 紙 の 汚 損 等 に 気 付 い た 場 合 は 、 子 を 挙 げ て 監 督 員 に知 らせること。 解答は すべ て 、 H Bの黒鉛筆またはHB のシャ ープペンシルで記入すること マl ク 解 答 用 紙 記 入 上 の 注 意 0. 試 験 開 始 の 指 示 が あ る ま で 、 問 題 冊 子 お よ び 解 答 用 紙 に は 手 を 触れない こと 。 − ・乱 丁 及 問題は21日ページに記載されている。試験中に問題冊子の印刷不鮮明、ペ ージ の 落J. 国 題 ︶. 三五. 0 年 度. マークする時. 良い U ︽ 悪い m UEω い れU E 白 い. 盛山い. 山川町. 0. 一釦一. 一. 一一一 只υ一. E江. QU7. 3 一. リ ! ↓|li 三十 一. 一万一一. 試 験 終 了 の 指 示 が 出 た ら 、 す ぐ に 解 答 を や め 、 筆 記 用 具 を 置 き 解答用紙を裏返しにすること。. 外となる場合がある 。. 解答はすべて所定の解答欄に記入すること 。一断定 欄 以 外 に 何 か を 記 入 し た 解答 用 紙 は 採 点 の 対 象. mv3. 2 4 Z臼一 8 一. に. υ. 番. 4︶ 受 験 番 号 は 布 詰 め で 記 入 し 、 余 白 が 生 じ る 場 合 で も 受 験 番 号 の 前 に ﹁ ︵ 0﹂ を 記 入 し な いこと。. 1川同同門町何回岡山川阿川間川一. 入すること. 1︶ 記 述 解 答 用 紙 の 所 定 欄 ︵2カ所︶に、氏名およぴ受験番号を 正確に丁寧に記入すること c ︵ ︵ 2︶ 所 定 欄 以 外 に 受 験 番 号 ・氏名を記入 した解答用紙は採点の対象外となる場合がある。 ︵ 3︶受験番号の記入にあた っては、次の数字見本にしたがい、読みやすいように、正確に 丁寧 に 記. 丘記述解答用紙記入上の注意. O 良いn u. マlクを消す時. e. l︶ 印 刷 さ れ て い る 受 験 番 号 が 、自分の受験番号と 一致しているこ とを確認した う え で、 氏名 欄 に ︵ 氏名を記入すること。 2︶マI ク欄にははっきりとマークすること。また 、訂正 する場合は 、消 し ゴ ム で 丁 寧 に 、 消し 残 ︵ しがな いようによ く 消 す こと 。. 4. 0 2 閤. 意. 2 注 いかなる場合でも、解答用紙は 必ず提出すること c 試験終了後、問題冊子は持ち帰ること。. 1. 2 .1 .. 3 .. 6 . 9 .8 .7 ..

(3) /. 、j’ 、 一 次の 丈章を読 んで 、あと の向いに答えよ 。 、 f t. 注号. 民衆は欠けて いるもの 、現存しないもの﹂ c ﹁ ﹁ 民衆が欠け ている﹂c ﹁ 民衆はもはや存在しないっあるいはまだ t 九 日守、 Nウ ルーズ の 存 在しない ・ 目 ﹂c それ ゆえ ﹁一つの民衆の発見に貢献すること﹂ c これらはある時期か ら、ノ ジル −ト 、 思索に、ォブセ ッシ ョンの ように 、あるいは リフレl ンのように繰り返し現れた観念であった。文学、音楽 、絵 画そして映画について考察す るときも同じことを問題にしたが 、たとえば映画について 、 ﹁古典的映画において 、 民衆は、 たと え抑圧 され、蹴され、支配されていても、 たとえ盲目で無意識 であ っても現存 して いる ﹁時間イ ﹂ ︵ メJジ﹂︶と彼は書いている。 つまり 、決して ﹁ 民衆﹂は 、 いつも欠けていたわけではなかった。 現代の政治的映画作家にとって 、そ のような ﹁民衆﹂は 欠けている。どうやら 、かつて﹁民衆﹂は存在した ら し いのしかし﹁プロレタリアー ト﹂、とし て同結し、進化し 、意識化きれ、 抵 抗 し 、革命 をお こす こと も あった もし民衆が欠けているとすれば 、もし意識 、進化 、革命がもはやないとすれば 、 ﹁ 民衆﹂はも はや存在 しな い 3 ﹁ 転換 の図式そのものが不可能になる。もはやプロレタリア ートによる 、国結し、統 一された民衆による権力の奪 内 乙. 取はないだろう﹂とド ゥル ーズ は害いた。そのような民衆は、たとえ抑圧さ れ収奪さ れ るだけで 、 ﹁進 化﹂ など. 注−D一. していない状態でも、 かつて映画におい て、もろもろの 芸術においても中表現されてきた 。﹁ ロレ タリア ート ﹂ プ 。 はすでに一定の政治的理念に照らして定義された﹁民衆﹂にちがいないが、 そのような定義を与えられる以前の 現実﹂でもあって 、かつてのアメリカやソヴ ィエト の映画に お いても確かにそれは表現されていた。エヂゼン ﹁ 。 注岳日 スタインやジョン ・フォードの民衆は、すでに戦い抵抗する自覚的民衆だが、 一方に は、例えばチ 一 夜デツプリンが 発見し、創造したような、弱く、貧しく、優しい 、滑稽な民衆というものも確か にあ った。. L. 注︵ゆ注⑦. の映間作家たちにとっても 、古典的映画と古典 的民衆はやは り欠けており、新たに. どうやら現代には 、そのような﹁大衆芸術﹂と し ての映闘も、そこに現存 し て いたはずの民衆も﹁欠けてい る ﹂ 。西洋外の﹁第三世界. 発見しなければならない何かである。アラン ,レネやストロ ーブ夫妻のよ うな西洋現代 の政治的作家もまた、 そ 注③. し り ぞ. のような ﹁ 欠如﹂に直面し、そのこと肉体を思考するための映凶を作ることになる。たとえば 、それよりはるか 前の時代に 、﹁軍隊﹂そのものであるようなワ lグナ ! の民衆を斥けて 、ド ピユツシ !は﹁私が求めてい る群衆. 主 の−. は、もっとばらばらに分かれ 、も っと自由で漠とした、 いわ く言い難いも のだ 。 一見したとこ ろ無機的でありな がら、しかし深いところに秩序を秘めたものだ﹂と述べたりした︵何回ユツシ!の 言葉︶ 。 ド ゥル lズ は、民衆が確かに現前し、表現され ているかに見えたア メリカ 峡一位やソヴィエト映画にお いても 、 内 4U. 主⑬. ﹁民一は、現働的である前に現実的であり、抽象的ではなく理念的なものとし て、そこに現存していた﹂と微妙 な言い方をしている。 それはブル ーストが、知覚の潜在的記憶につ いて書いた言葉を参照したもので 、映画にお. 8u マ. いて﹁民衆﹂は 単に見えるものとして表象されたのではなく、﹁潜在性﹂として、現実的な理念 であり、理念的 注⑬. な現実なのである 。それは﹁現働化﹂ されていないが ﹁現実的﹂ である。むしろ﹁潜在性﹂ であるがゆえに、 ﹁淋在性﹂とし て﹁現実的﹂なのだ。古典的映画においても、そのよ うな民衆は、映凶︵とりわけモン タージュ︶ によって発見されなければならず、発見されたものであり、ただ単に映像化され表象されたわけではなかった。 そして現代の映画にとって、民衆はきらに潜在化し、とらえがたいもの、ま さに ドビ ュッシーが ﹁ もっと自由で 漠とした、 いわく一 い難いもの ﹂、﹁無機的で ありながら、 しかし深いところに秩序を秘めたもの﹂と形容してい 口 一 るような集団に変質しているかもしれない。これはもちろん、映函にとって本質的問題である以上に、現代の ﹁民衆﹂の存在が、 そのありょうが、深い変容を被ってきたという派史的事実にかかわ って いるにちがいない。 そして哲学、 つまり概念の創造にとっても、必要なのは、もはや過去の民衆 でも現在の民 一 でもなく、 ﹁まだ 存在しない民衆﹂である、というところまで民衆はあくまで潜在的な存夜と され、米来のもの と さ れ て い る つ ﹁芸術家ある いは哲学者はたしかに、 ひとつの民衆を創造することはできないの であって、芸術家あるいは哲学 者にできることは、全力でひとつの 民衆を呼ぴ求めることだ けであり、 ひとつの 民衆は、 いくつかのおぞましい. 2.

(4) 受苦の 巾 でしか創造 されえ ない ので ある﹂。民衆と は、何 か し ら民えがた いも の、果て しな いも のとなった。そ れにし ても ﹁ おぞま しい 受 苦 L とは ! 哲学や芸術 の創造 さえも、 やはり ﹁ 想 像 しがたい量の受苦﹂を 合 んで い る 。 そ のよう な ﹁ 受付 十 ど とと もにある ﹁民衆﹂ は現代の消費 や 情報 に 翻弄さ れる 人 々の群れには 、必 ず しも 対 応 しない。 それなら 、 か つ て 存在 し ていた 民衆 は ど こ に 消 え て し ま ったのか。分散し変容してしまっ た のかのへ国民﹀ pb. ︿ 市 民﹀ なら 存在するとしても 、あるいはいたる とこ ろに ︿ 民 衆﹀といえるような 群 衆 ﹀ の 姿 は あ るにしても 、 ︿ 集 団、共 同性はもはや存在しえないのかのそれでもまだ哲学や芸術が民衆を呼ぴ求め るな ら、まして政治にと っ て﹁民衆が欠けて いる ﹂ ととは 、政治の存伝理由 にかかわり、政 治 こそは民衆を求 め、ま た 何らかの民衆が 、あ る政治を求めて いる ことを意味しているのではな いか。 ﹁民衆が欠けている ﹂と は 、 政 治 を め ぐ っ て も 、あ る歴. J. 人口 ﹂ を 形成 する曲庶民 や ﹁. 、 ﹁ 史的断絶が起き たことを 示 し 民 一 に関する ﹂ば かりか 、思 考 そ れ 自体 の 本 質 的 転 換 を 要 求す る 言 葉 のようで もある 。 もちろん ﹁ 民 衆﹂ の変質や 分解は 、株 々 な 仕方で 、 いたる場面 で指 摘 さ れ て き た 工場労働者の数が、特に経済発 展 が進 んだ国々では著 しく減 少 し てしま った 。 いわゆるグロ ーバ ル資本主義 ︵ と りわけ技術革新 ・非正規 雇用 ︶ の進行にともなって 、﹁中 間 層 ﹂ と い わ れ る 人 口 さ え も 急 速 に 分 断 さ れ 解 体 さ れ てきた。 民 衆 の実態を 思 い浮かべること は、ます ます難しくなっている 。都市の 人 口の流動性はきわ めて高く 、 企業や職種や自 治体の よ うな単位が 集 団 の有機的な枠組みを 与え る こと が 難 しく な って いる c ﹁私はひとり の民 衆、民衆のひとりだ ﹂といえる ような主 体的意識も 、 アイ デ ンテ ィテ ィも、まっ たく希薄になっ て いる。職種 や 、 それはあくまでも統計による分類で あ り、数と 所 得 や財産によ って、客観 的に国民を分類す るこ とは でき ても して把握された階層に すぎず、 ︵民衆﹀の定義にはつながらない 。 たとえ ば古 本 隆明は か つて﹁ 日本の ナショ ナリズ ム ﹂ についての 評論 ︵一九 六 四年︶で 、﹁一 膝史の動困であり ながら 、歴 史 の記述のなかには 決し て 登 場するこ とのない貌が無数にある﹂ ﹁生 誕 の うち に、じぶ ん の職 場 と 家 を つなぐ生活出を維れる こともで きな いし 、離れ よ うともしないで 、ど んな支配に対しても無関心 に無 自覚にゆ. つね に競争 仁さらさ れ、個 人 の単位で 、たえず情報を送受信. れる よう に生 活 し、死 ぬ ﹂ と いう よ うに、 ﹁ 大 衆﹂を実在す るものとして明確に 定義する ことができ た 。 核家 族 への分散 を さらに超えて 、個人 に分散し. する人々は 、砂粒のように 分散した他人からなるたえず浮 動する集同であ り、市 民、大衆、 民衆 、 人 民 のような 言葉のどれをとってつ け ても 、 よくあ てはまらない群れである。共同体そ のも のが稀少化し 、あくま で 流動 的 、 c o. 仮構的なかたちで 、たえず組成されては溶解している。団結や連帯のような有機的な意識が成立 し にくく 、その ような集凶はどれも決して ︿アイデンティテ ィ ﹀ など与えてはくれない っ このような個人の群れか らなる社会は 、生誕のときから 、医 療 、 福 祉 、教 育、安全を 通じ て生を 細 かく配置 す る︿管理社会﹀ であり 、様々な情報デバイスによ って、 いたると ころで 、恒常的に その管 理や配慮が及ん でい る 。 いたると ころに 、 恒常的に 、意外なコ ミ ュニケ ー シ ョンやつながりも生まれ るが 、同時に 、 いたるところに恒常 的に、操作や制御が及ぶこと になる 。個 人は顧客 ・消 費 者 と し て 、 た えず曙好 や選択を 調査さ れ 、 統 計化 され数. ヲ f. c このよ う な群れたちは、. 自 由な ︿ 主 体﹀であるよりは 、はる か に 制 御 され 、. 値化 される対象になっ て いる。消費の動向ばか りか、欲裂 や趣味、健康状態 や行 動 形態 に いたるまで 、細か い調 査がたえまなくおこなわれている. 欲 望 さ せ ら れ 、選択させられる ︿ 容 体﹀ である 。完 壁 に 統 御 さ れ た 機 械 の 集 合 のよ う な 群 れを、も は や ﹁ 民 衆﹂ と呼ぶことはできないだろうの それぞれに異なる欲望と自由、その衝突やお藤、 それらの ざ わめきと共振の 、多 くは不可視の波や渦があ って、 はじめてづ民衆﹂のような何かが存在し 、共 同体 を形成 し、それがさらに意識的 な、思考 さ れた同体になり、活性を 高 めるときには、まさに 公 共 性﹂とい わ れるよう なも のとして実現される 。 。﹁ n叫︾. ﹁ 政治的省察﹂ による︶. 公共性の意味自体がまっ た く別 のも のになって いる、と いう し. はずだ。仮に 、すべて が可視化され情報化され透明になり、 私的空間が消滅し たような状態を 想定すれば 、そ. ac 、4 ミ 、. ではすべてが︿公共性﹀ であるにちがいないが , 刀手匂i v. ︷子 野邦 ︵. 3. や.

(5) 間二. ︵ 注l ︶. ︶. ︶. シ ル ・ド ウルlズ−フ ラン スの 思想家。 強迫観念。. エイゼン スタイン・旧ソ 連 時代の映画監 督。. ︵ 注2 オブ セ ッション ︵ 注3. ︵ 円 圧5 ︶. ︶. チャ ップリン. アメリカの喜劇俳優。. ︵ 注4 ジョン ・フォ ード ・アメリカの映画監叔向。. ︵日 げは. ︶. スト ローブ夫妻;ジヤン Hマリ1 ・ス トローブとダ ニエ ル・ユイレ夫妻。 フランスの枚画監督。. 6 アラン・ レネ’フランスの映剖監督。. ︵ 注7 ︵ 注8︶ ワi グナJ ドイツの音楽家。 : − ︵ 注9︶ドビュッシー :フランスの音楽家。. :映画において画面と一自由とを組み 合わ せて 新たな意味を生み出す手法。. ︵注目︶プル [ ス ト フ ラ ン ス の作家。 ︵ 注U︶ モンタ ージュ 傍 線 部1 ﹁一 つの民衆の発見 Lとあるが、どういうことか。 本 文全体を踏まえた上で 、 その説明と し て最 も適切なものを次の 中 から 一つ選ぴ、解答欄に マiクせよ 。. 社会の中で集凶を形成する人々を 、﹁民 衆﹂と して再定義する こと。 民 衆 Lと 見 ること。 現実には様々なあり方をする人々を 、ある特定の型を持った ﹁ 現代では芸術にしか見る ことができない社会 を 転換する人々を 、﹁民衆 Lとみなすこと。 。 権力によって隠されているが 、実は日の前に見えている人々を、﹁民 衆﹂としてくくるこ と いまは姿を見せていない 、社会を変える可能性を持った人々を 、﹁民衆﹂ と し て捉えること。. 民衆﹂ にちがいない﹂ 傍 線 部2 ﹁寸プロレタ リ アート﹂ はすでに一定 の政治的理念に照らして定義された 寸 と説明さ れる ﹁ 民 衆﹂とは ど のような存在 か。その説明と して最も適切なも のを次の中から一つ選び 、解 答 欄 にマーク せよ。 イ 特 定 の 社 会 に お い て 流 動 性 の 高 く な る 集 凶。 現代社会では決して政治の主体とならない理念k の労働者。. 自分が政治によって作られた存在であることに無自覚な者。 特定の社会構造のあり方によって生み出される抑圧された労働者。 現代社会において政治理念もなく定義もできない浮遊する個人の 群れ。. 傍 線 部3 ﹁民衆は、現働的である前に現実的であり、抽象的ではなく理念的なものと し て、 そ こに 現 存 し ていた﹂とあるが、どういうことか 。 そ の 説 明 と し て 最 も 適 切 な も の を 次 の 中 か ら 一 つ 選 び 、 解 答 械 に マ l クせよ。. 映画は理念 としての民衆を映したのではなく、民衆そのものを映し出したということ。 。 映画は民衆の潜在性を映すことはできないが、民衆の可能性は映すこ とができると いう こと. 映画は歴史的な存在としての民衆ではなく、変質してしまった民衆しか映し出せなかった とい うこと c 映画に映っているのは民衆そのものではなく、ある思想によって 民衆として 映し出されている人々だと. ぃ、つこと 。 映画は民衆を映すことはできないが、現代社会において民衆 のおかれた現実や理念は映す ことができる とい、つこと。. 4. 口 イ I¥. ホ. ロ I¥. ホ. イ. ロ }\. ホ. 問 間.

(6) 傍線部4 ﹁ む し ろ﹁潜在性﹂であるがゆえに 、ー 潜在性﹂と し て﹁現実的﹂なのだ ﹂とあるが 、このよう. K J一守 14. 変質. 衆を求め、また何らか の民衆が、ある政治を求め ている﹂とはど ういうことか。それを説明した次の丈の空. であるから 。. 、 記述解答用紙 欄に最も適切な言葉︵漢字 二字︶を 、本文に引用されて いる吉本降明の言葉から抜き川して の所定の欄に記せ。 民衆は政治によって抑圧され苦しめられているように見えるが 、その実、民衆は政 治 の 円二 傍線部6 ﹁ アイデン ティテ ィ﹂とあるが、こ の文章においては﹁ア イデン ティティ ﹂のどの ような面に力. 傍線部7 ﹁︷一五時現に統御された機械の集合のような群れを 、もやは 寸民衆﹂と 呼ぶことはできないだ ろう﹂. とあるが、なぜか。その理由として最も適切なものを次の巾から一つ選ぴ、解答欄にマー クせよ。 民衆とは見えないエネルギーに動かされて、共同体の外へ出る可能性を秘め ているから。 民衆とは意志や欲望が二疋の方向性を持たないエネルギーの院まりのようなものと し て存在す るから。. 。 民衆とは外部から与えられた役割を自己の存在証明とするような固定化ぎれた個人の集まりではな いか ら 民衆とは人口のような統計上の数字で表せる集団ではなく、伺別の社会認識を持った存在でなければな. らないから。 民衆とは現代社会には存在しないが、前近代的な社会ではコントロール不可能な存在として社会の巾心. 公共性﹀は支配に敏感である 。 ﹁公共性﹂は支配に無関心であり、︿. ﹁公共性﹂は現代的だが、 ︿公共性﹀は近代的である 。. 用いられているか。その説明として最も適切なものを次の中から一つ選ぴ、解答欄に マークせよ 。. 公共性﹀は使い分けられていると思われる cそれぞれど のような窓味で 傍線部B ﹁公共性﹂と傍線部9 ︿. となっていたから。. ホ イ. ホ. ﹁公共性﹂は情報化された空間だが、︿公共性﹀は歴史的な空間である 。. ﹁公共性﹂は管理されたものだが、︿公共性﹀は分散して流動的であ る 。. ﹁公共性﹂は革命を秘めた空間だが、︿公共性﹀にはその可能性が ない 。. ロ I¥. 間六. まして政治にと って﹁民衆が欠けているしこと は、政治の存在理由にか かわり、政治こそは民 傍線部5 ﹁. ホ分散. J. .,−枠札IE 、 − f. 口革 命. イ 欠飢. な状態の こト どを筆者はどのように言っているか。最も適切なもの を次の 中から 一つ選び 、解答欄にマ ーク せよ。. 四. 点をおいて 使 っているか。その説明として最も適切なものを次の中から一つ選び 、解答欄にマ ークせよ っ. 社会の 中間層としての自覚 分散した 個人としての自意識. 政治的な枠組みから与えられた主体性. 苦しみを与えられているという意識. 自ら の属する共同体への帰属意識. 口 イ I¥. ホ イ I¥. ロ )¥. 5. 間 間 五 間 七 問.

(7) 二. 次 の文章を読んで、あとの向いに答え よ 。. ク ラシ ックC Dの名盤 一︵宇野功芳 ・中野雄 ・福島京都、 ランキ ングには見逃せな い欠落があることを、私は 吋 文春新書、 一九九九年︶を読むまで 、はっきり自覚できていなかった。ランキングに選ばれた本は相互の連なり がない状態で投べられる 。それらをつなぐものがあるとすれば、 ﹁ 順位﹂ と いう名の数字の順序だけである。そ して、この新脅か ら兼想を得たと思われる、軒町光俊 ・鈴木淳史による叶クラシ ックC D名能バト ル﹂ ︵洋泉社、 新書 y、二OO二年︶を手にするに去って、私はランキングというものが暗黙の前提にしている価値があること に気づいた。 XIllili. この本は、 おおむね同じ趣旨 で害かれている。しかし 、そこで挙げられているC Dの多くは﹁クラシ ック C D −−. の名盤﹂に は登場しない 。それどころか 、ランキング本の常連になっている﹁名盤﹂をイツシ ユウしてみせ 、斯 界の主流ではおよそ﹁名探﹂とは程遠いと思われているようなC Dが激賞されたりしている。そうした評価の 一 つ 一 つに賛成するかどうかは、こ こでは 重要ではない 。気づいてしまえば 、まったく当たり前の ことだが 、この 本が晴に伝えているのは、ランキングというのは ﹁ 順位の高 いものほど優れている﹂ことを前提にしている、と いう事実でもある ことに私は気づいた。 この前提を推し進めれば 、こんな発想になるだろう! li﹁名盤﹂や ﹁名著﹂は買っ て損しないが、それ以外の. 3. ものは買うと担をする危険性がある、と c ここ にあるのは、 ﹁ 損/得﹂という価値である。だ が、とれは人文書 と呼ば れる書物とはかけ離れた価値ではないのか 、という思 いを私は禁じえなくなった. マニアのあいだでは有名な 、 ヘルマン ・アー ベン ト ロlト指揮パイエルン 開立管弦楽同によるブラ jムス交響. 磐﹂ で、私は この演奏に触れて 、それまで抱いてきたこ の山のイメージを粉々に砕か. 口いようのない﹁トンデモ演 州第 一番のCD ︵一九五 六年 一月 一六日録音︶があ る。まさにやりたい放題としか一 一 一 一 一 奏﹂と呼ぶ べき﹁ 門 出. れたのをよ く覚え てい る。そして 、こ こが重要なと ころだが 、それ以降、私がもっこの曲のイメージは 、こ の録 、 ﹁ 省なしには成り立たな いものになった。 つまり 得﹂を求め て﹁名盤﹂だけを購入して いたら決してもてなか った この曲のイメ ージをもつようになったのだ っ 言うまでもなく、そうして形作られた曲のイメ!ジ は、私 の中 にあるも のだし、私だけがも って いるものであ る。ぞ れまで にどんな演奏を聴 いてきたのか 、それらを いっ、どんな精神状態で聴 いたのか 、と いったことは人 によってすべて異なる のだから、同じ曲でもそのイ メージが千差万別であることは言うまでもな い。だとすれば、. d. 正し い ﹂ 演奏な 万人にと って共通 の同じ由などというも のは存在して いないの ではないか。そこ には,客観的に ﹁ どありうるはずはなく、したが って客観的 に決め られた﹁名盤﹂などもありう るはずがな い. そのことに気づいたとき、私の中 には確かに 記憶のネットワ ークがあり、ブラ1ムスの交響州第 一番とい うの 。 そし て、現に私自身がこの CDをきっかけ はそのネットワ ークの狭間から浮かび上が ってく るも のだと思っ た にしてア ーベン トロ 1トに入れ込 み、他の録 首を採し求める臼 々を送 ったと いう事実が示して いるとおり、その 一 ・ ネットワ ークは幹から枝葉が伸びるように生長し、思 いもかけな い連なりをもたらしたりしながら、徐々に豊か にな っていく。 私が手 にした ﹁ クラシックCDの名盤⋮﹂ ゃ﹁クラシッ クC D名盤バトル﹂ は、聞大なる経歴をもち、噌好も異な れば音楽体験も異なる複数の著者が同じ山をめぐ って それぞれ の記憶のネ ットワー クを交錯させるさまを記録し. 白. c. 身もまた 、そう たもの だが、その交錯は著者たちの あ いただけで起きてい るわけでは なか った c読者である私自’ や ってみずからの記憶の 、 不ツトワ1クを交錯させていたのだ c 品lllllllllllllllllllllllltlli ,. 、 . ’ だとすれば , つ音楽と は、そし て毒物と は . . .、そのような交錯 の ﹁経験﹂ そ のも のだと いうことになる. 私は一 九九 六年 に就職し て出版界に入った。あまりうれしくない数字を改めて掲げるなら、偶然とは いえ私が 就職したのは出版界 の販売金額がピ!クを迎えた年で 、 兆六五OO億円 に達していた。それから 二O年以上経. 6.

(8) ったが、そ の問 、 前年比割れを 一度も回避できな いまま、 一 O 一七年には 一兆三七O O億円︵電子書籍を除く ︶ 九 二O億円︵同︶と な って 、 ついにピ ま で落ち込み、 つい先頃発表された推定値によ れば、二O 一八年は 一兆 一一 。 ーク時 の半分を割り込むところまで主って いる. o 一ヒ年は七万五. その 一方で、新刊点数に日を向けると、 一九九六年は六万三000点、だったのに対して、一⋮. 一九八0年代は八01 一 O O冊、だったのが、 一九九六年 には 一七O冊強になり、. 000点。さらに 一九八0年代に遡ると 、三万点台で推移していた。そこで単純 に日割りした数字を出 してみる 一日あたりの新刊点数は. 一聞に割ける時間や労力が減ってきたということであり、そして意外に見落. さらにこ こ数年は 二O O問を越えている こと が分かるの要するに、新しく出版される本の数は倍になって 、売卜 の金績は半分になった 。 これ は、作り手の側から見れば としがちだが、新刊 一点あた りの売ヒが落ちたということは 、 一冊あた りで見れば 、読んでくれる人の数が少な くなったということでもある。 このことは何を示しているだろうか。それを考えて いて思い出す のは 、入社直後の研修のことである。会社の 各部署の説明を受けたあと 、製紙会社から始まって 、印刷所、製本所、製函所を見学し、一取次の倉庫を訪れたあ. −. − −. 一週間、書店の店頭に立たせてもらった。そうして研修が終わったあとに提出した感想文で 、書物とは ﹁ 内 Y ’ 、 ︸ YIll i 容﹂、﹁物質﹂、﹁商品﹂の﹁サンミ 一体﹂では ないか、と書いたのを覚えている。 製作部や業務部、そして営業部や販売部といった部署をそなえた会社で編集部に所属していると 、﹁内容﹂に ばかり意識が向い てしまうことがある。実際、私も編集部を志望した時に考えていたのは 、もっぱら著者や内容 のことだ った。だが、言うまでもなく書物は何よりもまず ﹁ 物質しであり、組版や用紙、造本にど れだけ力をそ そ、ぎ、出品い を込めたかが、その本のたたずまいに反映されるというのは 、本作りに携わる人なら誰でも感じてい ること だろう。そして 、どん な過程を経 て作られるにせよ 、書物は最終的に市場に送り出される。そうである以 上、市場 で ﹁ 商品﹂として成り立たないものばかりになってしまうなら、そもそも本作りを生業として維持でき なくなってしまうということもまた自明の事実である。. c そして、. その ﹁ 経験﹂. そう思うと 、入社直後の自分もなかなかいい線いっているではないか 、と感じないでもな いが、その一方で 、 そこには書物が﹁経験ー一そのも のである という観点が皆無だったことにも気づかされる. う現実が. 一 の. 221. としての書物こそ、この二O年の中で失われてきたものであることを、私は一合定できな い。その 背景には 、新刊. Et. 点数が爆発的に増えたのに反比例して、一点あたりの読者が減少した結果、. c. 問じ曲の異なるC Dについて複数の著者が記憶のネットワークを交錯させ る時に立ち上 が って く る 一. 一人 ,人のもつ. ようなものは、まったく自明ではなくな ったのそれが立ち上がってくる ようにあえて意図しな いかぎり、著者で. c共 通感覚がないのなら 、. あれ、読者であれ、 一人 一人のネットワ ークは孤立したまま であるほかなくなった。 その結果として﹁損/得﹂とい う基準が力を増すのは当然のことだ. 趣味噌好はそれぞれが正しく、その優劣を決めうるものがあるとすれば﹁数字﹂くらいしか残されていない 。 ラ ンキングが増えた背景には、そんな現状があると私は思う c 。 そして、その現状は、しばらく前から﹁ポスト・トゥル1ス﹂と呼ばれてい る 書物をめぐ る記憶のネッ トワーク のことを、私は﹁観念連合﹂と呼んでいる 。イギ リス観念論でクロ ︶ズアツ プされた﹁観念連合﹂ ーとは、ある考えやアイデアが別の考えやアイデアに結び ついて いくことを示す言葉 である。 日本語では ﹁連想﹂というほうが近いかもしれない。 この一言葉を思いついたのは、 観念連合では 、何かが何かに 結びついていく環隔が自分で分かる場合もあるが、むしろ向分 でも皆日見当も つかな い場合が多い、ということ メ −. J. Lイ 、 z こ − , 、 ‘コ p IM JU T一 A H Fz JJ. だが、そのとき結びついていくのは観念だけではないだろう。記憶も結び つき、イメ ージも結びつき、そして 経験も結びつく。ならば、それは単に﹁連合﹂と呼んだほうがいいかもしれない 。. 7. ト.

(9) ネyトワi クをなす連合は、いつも 広が って いるし、複雑になっていく。そ し て、そ のネ ットワ ークの 巾 にあ るのは、私の観念や記憶や経験だけではないの連合そのものが交錯し 、経れ合い 、分 裂したり一融合 した りするの. し 略 す‘ えん. O年が ﹁大きな物語﹂ の終駕. υこの一 一. を越え 、 空 間 を 越 え 、 そして時間を越え ご く 。. は、さほどめずらしい ことではないだろう c そうして 、それは 私の連合と 呼 べるも のかどうかすら分から なくな る。書 物 と 蓄 が 織 り な す 速 な り は 、 そんなふう に ︹ 土 そう した連なりのありょうが 、﹁ 物 語﹂と い う も の だ と 私 は 考 え て い る. 内 。. から始まる期間だったと す れば、現在は ﹁ 小 さ な 物 語﹂し かなくなっ た時 代、そして 一つ 一つの ﹁ 小 さな物一 語﹂ が孤立している時代だと 一 斉える 。 それら は孤 立 し た 記 憶 の ネ ッ ト ワーク で あ る 。 そ の 孤 立 に 居 直 っ た と き 、﹁自 分 の 知りたい こと し か 知りたくない ﹂と表現しうる ﹁ ポスト・ト ゥル1 ス﹂の状態が現れるだろう。 その状態に何より抵抗しなければならないのが 、人文書と呼ばれる書物ではないだろうか。 人間と は何かを考え、人聞が人間である ことの条件は 何 か 、 いかにして生きるのが人間であることな のか、そ. L. 組処 ,. ︵ 互盛央 ﹁古川物 はど こから来て 、どこに向かうのか﹂によ る ︶. の真髄だとすれば 、人文書が提示するの は﹁問い ﹂ であって 、決して ﹁ 答え ﹂ ではな い。. してどの よう に 世界 を 捉 え 、どのよ う に社会に関わることが人 間 であるこ となのか|| そうした問いを立てるの が﹁人文学. −. 傍 線 部X Yの片仮名を漢字 に改め 、記述解答用紙の所定 の欄に横書で記せ。. 傍 線 部1 ﹁ こ れは人文書と 呼 ば れ る害 物と はかけ離れた価値ではないのか ﹂とあるが 、 ここで前提とされ. ている ﹁人文書 の 価 値﹂と はど のようなものであるか 、最も適切なものを次の中から 一つ遊び 、解答欄にマ ークせよ 。. 人 文 書 の価値とは 、価 値自体を 根 本的に聞い直す こと に あ り 、客観的な評価基準を導入することなどで. G. に 入 れ る の に 最 も 適 切な 漢 字 一. 位づけを否定するものである。. 空欄 円 山. 定の欄に記せ 。. Z. 、 ﹁名盤 ﹂を 参 照 し て 自分 で考え 、記 述 解 答立. の所. 人文書の価値とは 、順位づけること自体に大した意味も持 た な い も のであり、個々 の書 物が そ うした順. は価値づけが不可能である。. 人文書の価値と は、各分野における歴史的な 評価を踏まえる べきも のであり、そ、 つした専 門知の ない 人. 読者に関か れ るも のである。. 人文書の価値とは 、有識者によって許師づけさ れる べき も の で あり、 ラン キ ングの導入によって一 般 の. 値 の 第 一段 階 である. 人文書の 価値とは 、世界的な基準に 基づ いてな される べきも の で あ り、 一回のランキングはそうした師. きない もの である。. イ 口 } \. ホ. 8. 間 九 間 十 間 十.

(10) 間十 L そ の も の だ ﹂ の 説 明 と して 最 も 適 切 な も. のを 次 の. 経験﹂ そ のものだ と いうことにな る 傍線 部2 ﹁直楽 Lしは 、 そ し て書 物 と は、 そ のような交 錯の ﹁ ﹂ とあ 、 全 体の 主 旨を 踏まえ、﹁ その よう な交 錯 の ﹁ 経験 るが. 作 家 一人 あ た り の 愛 読 者 の 数 も 減少 傾 向 にある. 空 欄 一 門 に 入 れ る の に 最も 適 切な表現を次の中から 一つ選び 、審 理 マ ー. 、本文 に 使 わ れ て い る 漢 字 か ら 抜 き 出 し 、 記 述 堅 用. に入れるのに最も適切 な 語 句 ︵ 漢 字 ぎ を 本 丈 中から 抜 き 出 し 、 記 述 解答 用 統 の所定の. ク せよ 。. ネッ ト ワー クを織りなすということ 。 け た り 展 開 し た り し て、特定の個人を越えた 、. 作 り 手 と 受 け 手 の 双方 において 、こ れま で読 んだり聴いた り してきた 読 書 や音 楽 鑑 賞 の記憶を 、 関係づ. 史も踏まえられ、過去と現在とが対立的に捉えられる経験になるということ。. 音 楽 や 書 物 を 受 容 す る 際 に は 、 同 時 代 の 価 値 観 の み が 優 先 さ れ る のではなく、 そ れ ぞ れ のジ ャ ンル の暦. 達 さ れ る 際 に は 、 相 互 のこれまでの経験が動員されるということ。. 音 楽 あ る い は 審 物 は 本 来 、形にすることが困難なものであるが 、媒 体 を 通 じ て 作 り 手 か ら受 け予へと 伝. 。 の中における普遍的な商行為という側面も持つという こと. 作 り 手 か ら 受 け 手 へ と 作 品 が 渡 さ れる 時 、 そ れ は 読書 や 鑑 賞 と い う 個人 的 な 経 験 であ ると同時 に、市 場. 価値 の 共 有 を 提 案 し 、受 け 手 が そ れ に応 じ るという こと っ. 晴 好 や 倫 理 観 が 異 な る 作り手に対して、 作 家や古楽家が自身の 人 生 経 験 と 技巧 の限りを 尽 く し て、 その. 中から 一つ選び 、 解 答 欄 にマ ] クせ よ。. 間十三. イ 口 問じ本を読んでいる人と出会う機会が少なくなった 様々なジャンルの作品を広く浅く読む人たちが増加した 電 子書 籍 と し て 手 に 入 る も の し か 読ま ない若者が増えている. 空欄 ﹁ 巴. ホ 自 分 の 気 に 入 っ た 本 を 何 度 も 繰り 返し読む経験を 重 視してきた. 間十四. Z. 空欄︹一山に入れるのに最も適切な漢字 一. 。 欄に記 せ. 間十五. ι 分の知りたいことしか知りたくないしと 表現しうる﹁ポス ト 傍 線 部3 ﹁その孤立に府直ったとき、﹁ 同. 紙の所定の欄に記せ。. 間十六. ・トゥルl ス﹂の状態が現れる﹂とあるが、 そ の 説 明 と し て 最 も 適 切 な も の を 次 の 中 か ら 一 つ 選 び 、 解 答 欄 にマークせよ 。. 自 身 の 読 者 あ る い は 鑑 賞 者 と し て の 価 値 観 を 重 要 視 す る あ ま り 、 問時 代 の 評価 に 意 味 を 見 い出 し得、ず、. 。 むしろ受容の妨げになると判断して、それらに対して批判し続けるこ と 同時代の大多数の人々の評価と、個人の評価が大きく隔たった際に、 そ う し た 価 値 観 の 相 違 に 正 . 白から F. 向 き 合 う こ と な く 、 自 身にとって了解可能な点のみに問題を限定してやり過ごすこと。 音 楽 や 書 物 は 本 来 、 個 人 が 選 択 し て 受 容 す る も の で あ る と い う 考え か ら 、自 身 の 関 心 に 引 きつ け て楽し. む と い う こ と に 立 ち 返 る あ ま り 、 普 通 的 な 倒 債 の 追 求 が お ろ そ か に な ってしまうこと 。 読者や鐙賞者は孤独に作品と向き合い続けるため、 と もすれば自身の 評 価 を 見 失 い が ち であ る が 、 客 観 的 な 価 値 観 に 出 会 う こ と が な け れ ば 、 事 実 以 上 の 真 実 に た ど り 着 く ことは 不 可 能 で あ る と い う こ と 。 自 身 の 体 験 の み を 重 視 し 、 そ れ が 社 会 的 ・ 歴 史 的 に ど の よ う な 意 味を 持 つ の か と い う 発 想 に立 た な く な った 時 、 客 観 的 な 事 実を 踏 ま え ず 自 分 に と っ て 何 が 真 実 で あ る か だ け が 優 先 さ れ る 状 態 に な る と い う こ と 。. 9. イ 口 /¥. ホ /¥. イ. 口 j¥. ホ.

(11) と 間 い L であって 、決し て ﹁答え﹂ ではない ﹂とあるが 、そ の説明、 間十七 傍線部4 ﹁ 人文書が提示するのは 寸 し て最も適切なもの を次の中から 一つ選ぴ、解答欄に マークせよ c. 人文書は人間のあり方自体を読者に聞い直す書物なので 、こ れまで当 たり前と思わ れて いた こと を 聞い. 直すこと になるということ 。 答え﹂で はなく、不断 人文書 の本来 の使命は 、人々 の知を連合させるととであり、そのために安易な ﹁. の ﹁ 問い﹂が必要であるということ 。 人文書は読者に自身が無知であることを気づかせて くれるものであり、無知な る者が発することが でき. るのは ﹁ 聞い﹂だけであるということ 。 人文書が提示する ﹁ 大きな物語﹂はすで に終吾川を迎えてお り、こ れか らは個人が ﹁ 小さな物 語﹂を生き る内庁で新たな ﹁ 問い﹂が生まれるというこ左 。 聞い﹂であり 、社会への関わ り方 人文章闘が読者に啓発する のは、 いかに生きる べきかという根本的な ﹁. を教示する ﹁ 終えし はその前提でしかないという こと。. 1 0. イ 口 I¥. ホ.

(12) 三. 次 の甲 乙 を読んで、あと の問いに答えよ。. ︷ 甲 ︸ 次の文章は 、吋建礼門院右京大夫集﹂ の 一節 である ο花暦 二年︵ 一一八五︶ 一二月の 壇 ノ浦合戦で平資廃が死 に、それを知った右京大夫の思いがつづられているの これを読んで 、あとの問いに符えよ。. J l u H H U H. つつし心も交り、物をとか さてもげに 、ながらふる世のならひ心憂く、明けぬ暮れぬと し つつ 、さすがに、. ロHHHH 2 |||lili. く思ひ 続くるままに、悲しさもなはまさ る心地す。 はかなくあはれなりける契りのほどもわが身ひ止つの こ ,. ”. −−−. とにはあらず。同じゆかりの夢見る人は 、知るも知らぬもさすが多くこ そなれど 、さしあたりで 、例なく の NM引MM J HHH. 、なる限りある別れとそあれ、かく憂きことはいつかはありけると のみ思 ふもさ み覚ゆ。昔も今もただ のど、 か 、 、 ることにて、ただとかく、さすが思ひなれにしととのみ忘 れがたさ。 。 いかでいかで今は忘れむとのみ恩へ ど 叶はぬ、悲しくて、 身に添ふぞ憂き ため しなきかかる別れになほとま る面影ばかり’ いかで今はかひなき ことを嘆かずて物忘れする 心にもがな ホHHH. 忘 れむと思ひてもまたすE りな ごりなからむとと ぞかなしき J返” 命 言ひ し ただ胸にせき、涙に余る思ひのみなるも、何のかひぞと悲しくて、後の 腔をばかならず思ひやれと 一 FD. 討. ものを、さこそそ の 際 も 心 あ わ た た し か り 一 ー一 。ま た お の づ か ら残りて 、あ と と ふ 人 も さ す が あ る ﹁111lJ41 i. 何 日︺ど、よろづあたりの人も伐にき間ろべて ト 一 事も道広 か ら じ な ど 到 社 叶 司 副 引. a. ホ移り気. 一一一 1 1一一一. て悲しければ、思ひを起 こし て、反古選り出だして 、料紙にすかせて、経書き、またさながら打たせ て、文 字 の見ゆるもかはゆければ、裏に物押し隠して 、手づから地蔵六体墨書きに書きまゐらせなど、さまざま心 ざしばかりとぶらふも 、また人目 つつましければ 、疎き人には知らせず、心ひとつに営む悲しきも、なほ堪 へがたし。. へHHH. 救ふなる誓ひ頼みて写しおくをかならず六の道しる べせ よ など拭く説く思ひ念じて、阿証上人の御もとへ申しつけて 、供養せさせ たてまつる。 さすが積もりにける反. EP Illi− −E. 占なれば 、多くて 、酋守勝陀羅尼、何くれさらぬことも多く書かせなどするに、なかなか見じと思へど、さす がに見ゆる筆の跡、言の葉ども、かからでだに、昔の跡は涙のかかるならひなるを、日もくれ心も消え つつ 、. FnM. 一一斉はむ方なし。 その折、とありし、かかりし 、わが一両ひしことのあひしらひ 、何かと見ゆるが、かき返すや うに覚ゆれば 、ひと つも残さず、みなきゃうにした たむるに、見るもか ひなしとかや、源氏の物語にあるこ. 白内M. 、 と、思ひ出でらるるも, マ何の心ありてと 、 つれなく覚ゆ。 かなしさのいとどもよほす水茎の跡はなかなか消えねとぞ思ふ 玉のぞ憂し. 明るい気持ち. 日係線部1 ﹁、つつし心﹂ の解釈と し て最も適切なもの を次の中から一つ選ぴ、解答欄にマークせよ。. かばかりの思ひに堪へてつれもなくなほ︹企. 、 ・. 国司 I ﹁1 RHil ﹃ J. ロ うつろな心. 正 気. 二重傍線部イjト のうち、伝聞の助動詞はどれか。最も適切なも のを 一つ選ぴ、解答欄にマークせよ。. イ 憂替な心. 間十九. /¥.

(13) 傍 線 部2 ﹁さしあ たりて ﹂ の解釈と して最も適切 なものを次のゆから 一つ選ぴ、解答欄に マークせよ。. イ 結 局 のと ころは ロ 強 く思い当って 急に心に迫って しばらくの聞は 直面してみると. 傍 線 部3 ﹁いかでいかで今は忘れむ ﹂の 解釈として最も適切なものを次の中から 一つ選ぴ、制川公口 欄に. マークせよ。. イ ど う し て今はあの人の ことを忘れたりしようか 口 どうや っても今はあの人のことを忘れら れない どうにかして今はもうあの人のことを忘 れた い どうやったら今はあの人の ことを忘れら れるの、だろう どうして今になってもあの人の ことを忘 れられないのだろう. c. 3221. 、 解請 ら二長 び. 傍 線 部4 ﹁など りなからむ ことぞかなしき﹂の 解釈として最も適切なものを次 の中 から 一つ選ぴ 、抑肝. 答欄にマークせよ。. イ あ の人の遺品が何もなくなってい くことが悲 しい。 口 あの人の思い出がなくなってしまうことが悲しい。 あの人との聞に子供が生まれなかったことが悲しい 。 あの人が名残惜しい恭子を見せなかったことが悲しい っ あの人との最後の別れをいつか忘れてしまうことが悲しい. けめ・らめ. 高[ハ山円山に入る諾の組み合わせとして最も適切. にマークせよ 。. 口なむ・まじけれ てむ・めれ. 傍 線 部5 ﹁身ひとつのことに思ひなされて﹂について、何を﹁身ひと つの こと﹂と思ったのか。最も. けれ・らしけれホ. イしか・べけれ. 間二十四. }\. 適切なものを次の中から一つ選び、解答楠にマークせよ c. 資盛の遺族の悲しみ. 資 盛を失った悲しみ. 資盛の遺族の世話. 資盛の悲しみ. イ資盛の弔い /¥ 口. ホ. 一 一 一 1 2一 一一. + /¥. ホ. 十 /¥. ホ. 十 /¥. ホ. 十. 問 間 間. 間.

(14) 、 何をそ のよ う にしたの か。最も適切な 語句 ︵五字 間 二十 五 傍線 部6 ﹁みな きゃうに したたむ るに﹂ につい て. 傍線部7 ﹁ 何の心ありてと 、 つれなく覚ゆ ﹂ の解釈と し て最も適切なも のを 次 の中 から 一つ選ぴ 、解. 以内 ︶を本文中 から探 し、記述解答用紙 の所定 の欄に 記入せ よ。. 間 二十六. 傍 線 部8 ﹁ 跡 はなかなか消えねとぞ思ふ﹂ の解釈とし て最も適切なも のを次の 中か ら 一つ選ぴ 、解党口. 見ても かいがないのに 、物 語 のようになぜこれを集 めたのかと後悔 し てしま う。. ﹁ 源氏物語﹂ の作者はどういう意図で ここ をま目いたのかと 、不思議に思われる。. いったい ど う いう つもりで こんなことを したのかと 、さめた気持ちになる。. どう い う心 があって物語など思い出すのかと、 自 分が薄情に思われる。. ﹁ 源氏物語﹂ は絵空事で内容 に心がこもっておらず 、非情 に思われる。. 符欄 に マー クせよ 。. 間二十七 欄にマークせよ 。. イ 祭跡はかえ って消えてほしいと思う。. 痕跡はむしろ消えてしま っていると思う。 生きた 跡はかえって消えて しまうと岡山う。. に入る最も適切な語句を本文中か ら 探し、記述解答用紙 の所定の欄に記入せよ 。. 昔の跡はなまじっか消えないものだと思う。. 空欄 一 凹. ア 一. 経 、. 逐. 盛 等 、 扶レ 帝. 義. v. 北. 四 一 一一1 3一一一. 口 足跡はなかなか消えな いものだと思う。. 間二十八. 内府平 アラへ. 不 レ 利、越一一一冗. 軍源. 品 一 我 一. 赴 二商. ︷乙︸次に一不す﹃桑幕蒙求﹄の﹁安徳沈海﹂は、壇 ノ浦合戦について記し て いる。 これを読んで 、あ と の聞いに. 安徳帝外戚、 戦。所所. 。東軍大将. 踏一 一下. n円 M. 議問レ. キプ いざ な ヒテ. ユ 川一. − − −. b. −口. 等、 猶 予 狼. 玉康づ. コ k uフ ヲ. 白|. 付合えよ。なお 、 設問の都合上 、返り出 送り仮名を省略した箇所がある 。 ・ ⋮. 寿永. 与ニ東 軍 一 柏. qu. 終. 鋒犯 一 ♂. 剖’J. 敵. 盛父子. ノ. ︷ 示. 7じ. 刀て − 手. 暦. 義﹁不可同日而. ニ. 讃| 時. 春. 之. 年 τキマ. 宝E. 八島、 奔長川赤間浦 しば しば. 渋一海底−. ス. 位尼 、 士 ハ. 因。与二彼 尼 君 勇. いだキヲ. 外祖母. 近ム矢。 平 知 盛 屡 官 ︵ 二 項 羽 之 勇 ﹁ は巳メ 一 ナ. 甫八歳、 ヲミヲ. ; 月G. 年. 帝 挟 一 一 剣 璽 ぺ 抱一一玉体﹁ 狽為東軍所. ク. 、 吉. 帝 駕. J 架. 1 思. イ. ロ /¥. ホ /¥. ホ. 海.

(15) ︵ 注︶安徳帝 高倉天皇 の皇子 c母は平清盛の娘穂子。 − : 平宗盛 ・ 一 千清盛 の子 υ 平知盛 平清盛 の子。 項羽 ・ 凶楚 の覇王。劉邦と天 下を競った。 ト査 ・ + 晋 の人 c反乱を防 いで戦死したコ. 間二十九 傍線部1 ﹁白讃州八島、奔長州赤間浦しは、 ﹁サンシウ ヤシマ ヨリ、 テヤ ウシウア カ マガウラ ニハシ ル﹂と読む 。 この読 みに従って 、記述解答用紙 の白文に返り点を記入せよ 。ただ し、按り仮名や送り恒名は 付けないこと。. ﹁ 北﹂は逃げる者の 意 で、相手の 軍勢を追撃す る意味を表す。 北﹂は北 の方角を意味し 、北方 に向け て追討す る意味を表す 。 ﹁ ﹁ 北 ﹂ は ﹁ 北の 方 ﹂ の意で 、建礼門院徳子を追跡する意味を表す. 気 蓋 レ世. 字 ︵ 返り に入れ る の に で 適切な漢字 一一. 22. ﹂ は項羽の勇猛果敢さを いうが、その項羽が劉邦との 天下を賭けた戦い に力戦及 傍線部3 ﹁ 項羽之勇. c. 間 三十 傍線部2 ﹁ 逐北﹂は どの ような意味か。最も適切なも のを、次の中から 一つ選び 、解答欄にマ ︶クせよっ. ﹁ 北﹂は 逃れる意で 、駆逐せられて隠れまどう意味を表す。. ィ ﹁ 北 ﹂ はそむく意で 、追撃 の矛先を 一転す る意味を表す 。. 間三十一 ばず、かくて詠じた のが次の歌である。その空欄 ︹ 凹. A7. ャン. まな い︶を、問題文 一 乙 一 の中から抜き出 し、記述餅容用紙 の所定 の欄に 記せ 。. カ 抜レ 山. 7 J γ. 時寸比一﹂令都 ,ヲ a d. ニ奈 何 一. 項羽の愛した女性の名。. 、 解答欄に マ1 傍線部4 ﹁為東軍所凶﹂の書き下し文として最も適切なものを、次 の中か ら 一つ選ぴ. 注︶睦:項羽の愛乗する馬。 ︵. ぐヤな人. 離不レ逝可 ' J. 虞分奈レ若何. / ; : . ,. ヰ エ J '. 東軍の凶へられし所と為る. 東軍の為に囚へる所なり。 束中阜の凶ふる所と為す。. ホ 東 軍 の為に囚 へらる。. c. イ 束中阜の為に凶へらるる所なり ο. クせよ。. 間三十二. 虞. 虞. 一一 1 4一一. ロ I¥. ホ. ロ I¥.

(16) 、 次 の 中 か ら 一つ選び 、解 答 欄 に マ! ク 間 三 十 三 傍 線 部5 ﹁不可同 日市語駕 ﹂ の内容と し て最も適 切 な も のを. せよ 。. 山 一 ホ盛父子ら は、 身 を 海 底 に 投 じ る 運 命 の 日 にも 、 安 徳 衛 を 抱 い た 勇気 あ る 二位 尼 と 最 期 の言葉 を 交わ き. なかった。 ︷一万盛父子ら の行動は、安徳阜市を 抱 い て 海 底 に 没 し た 二位 尼 の 決 死 の行 動 と 阿 じ 日 の で き ご と と し ては 語. れ ない 。 ︷一万盛父子 らのうろた え ぶ り は 、 安 徳 帝 を 抱 い て 海 底 に 没 し た 二 位 尼 の覚 悟 を 決 め た 行 動 と 同 じ に は 語 る. ﹂とができない 。 う ろ た え た 宗 盛 父 子 らは、 安 想 帝 を 抱 く 二 位 尼 に つ い 遅 れをと り 、 同 じ 口 に は 最 期 を 遂 げ ら れ な かった と 語り伝 え る。. 1 5一 一一. 宗 盛 父 子 ら の 背 信 は 、 安 徳 帝 を 抱 い て 海 底 に没 した 二佼 尼 の 行 動 と 好 対 照 で 、 同 じ 太陽 の下で起きたこ. とと は言 えない。. 下余白︺. 恥 島出 品 市亀 高謙訟崩寓与主的ー4日 』 邑. 以. イ. 口 I¥. ホ.

(17) 間十四. 間十五. 十. 間二十五. 間. 問二十八. 国. 間二十九. 一 一 一 一 円μ. 五日. ( 三 ). 間 十. ( 二 ). ( 一 ). 間 九. 五. 問. (記述解答用紙) X. 解答欄. y. 奔白. 注 意 受験森号(算用数字)・氏名は掃ぷに従ってただちに 所定欄に記入し、それ以外に記入しではならなし 、. 長讃. 2 . 解答はすべて所定の解答欄に記入すること c 所定欄以 外にやJ かを記入した解答用紙は採点の対象外となる. 州外|. 場合がある。. 3 . 解答は HBの黒鉛筆または EBのシ ャープペ ンシルで. 赤八. 書くこと 。. 4 . 試験終了時にはこの解答用紙を裏返して机の上に置. 間島. き、指示を待つことの. 、. 浦. T -. 以 下には記入 しないこと. 十 : ;五. i 十 +. : : ブL. 採点欄. i = -. i 十. 間五. 間 三+八. 間 二十九. 受験番号. 万. 百. ( 2020R02140015( 国語) 〉. 氏. ( 注意) 所定欄以外に受験昏号・氏名を 記入してはならなし、記入した 解符用紙は採点の対象外と なる 場合がある。. 干会. 三日口 l_~] l _ j. 間 一一十八. 間二十九. 受験番号. 万. 一一. 二二. 名. 日. 氏. 名 ( 注意 ) 所定欄以外に受験喬号 ・氏名を 守 d 人しではならな u、 C i c入した 解答用紙は採点の対象外となる 場合がある a. 一 一一 一 一一 一 ー 一 一一一一 一一_ _ . . . 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 − , . .. 1 '1 ;: 三. : +. : 十 +. \二 J. l 問. l五. 採. 点 相 闇.

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参照

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