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目 次 1.はじめに p1 2. 味 噌 溜 りとは? p3 3. 武 豊 の 味 噌 溜 り p19 4. 岡 崎 の 味 噌 p27 5. 今 後 の 味 噌 溜 り p35 6.おわりに p47 参 考 文 献 p50

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(1)

武豊町立図書館

中村有里 間瀬諒子

武豊町と味噌・溜り

について

(2)

1.はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p1

2.味噌・溜りとは?・・・・・・・・・・・・・・・・p3

3.武豊の味噌・溜り・・・・・・・・・・・・・・p19

4.岡崎の味噌・・・・・・・・・・・・・・・・・・p27

5.今後の味噌・溜り・・・・・・・・・・・・・・p35

6.おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p47

参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p50

目次

(3)

1

武豊町立図書館

愛知県武豊町にある武豊町立図書館。 全国的にも珍しい、池の上に立つ水上図書館です。

1.はじめに

(4)

2 武豊町は、味噌・溜りが有名です。 武豊町立図書館には、子ども達が味噌・溜りについて調べに来ます。 しかし、一般的な味噌や溜りに関する資料は提供できても、 「武豊町の味噌・溜り」に関する郷土資料はほとんどありません。 そこで、もう少し詳しく案内ができないかと思い、 武豊町の味噌・溜りについて調べることにしました。 今回は以下のように調べました。

1.

下調べ

:図書館の資料、インターネットなどを使って調べます。

2.

現地調査

:味噌蔵を実際に見学し、お話を伺います。

3.

再調べ

:現地で得た情報を元にさらに詳しく調査します。

4.

まとめ

:分かったことをまとめます。

調べるきっかけと方法

(5)

3

味噌と溜り

味噌や溜りとは、そもそもどういうものなのか? その種類や産地、作り方などを調べてみました。

2.味噌・溜りとは?

(6)

4

味噌の種類

こめ

味噌

み そ

むぎ

味噌

み そ

まめ

味噌

み そ 原料 大豆・食塩・米麹 大豆・食塩・麦麹 大豆・食塩・豆麹 産地 全国 関東北部 中国地方 四国地方 中国地方 東海地方 特徴 生産される味噌の 8 割を占める 色や味から様々な 種類に分けられる 別名:「田舎味噌」 蒸した大豆を球状にした 味噌玉に、種たねこうじ麹と香煎こうせん (麦類を煎った粉末)を まぶして仕込むという 独特の製法を用いる

味噌編

味噌

み そ

大豆を加熱処理して麹と食塩水を加え、

発酵・熟成させた半固体状のもの。

(7)

5 主な味噌の種類は3種類であるが、 生産地の気候や風土などにより、それぞれ特徴がある。 下の図は、さらに味・色・産地の順に細かく分類したものである。 米味噌―――甘味噌―――白味噌―――西京味噌(京都・近畿) ―府中味噌(広島) ―讃岐味噌(中国・香川) ―赤味噌―――江戸味噌(東京) ―辛味噌―――白味噌―――相白味噌(静岡) ―淡色――――信州味噌(長野・関東) ―赤味噌―――仙台味噌(仙台) ―越後味噌(北海道・東北 ・関東・北陸) ―佐渡味噌(佐渡) ―津軽味噌(津軽) 麦味噌―――甘味噌――九州・四国・中国地方 ―辛味噌――九州・四国・中国・関東地方 豆味噌―――辛味噌―――赤味噌―――八丁味噌 ―溜味噌 愛知・岐阜・三重

(8)

6

味噌の作り方

味噌・

味噌編―

米味噌・麦味噌は、使う原料が違うだけで、作り方はほぼ同じである。

大豆

or

大麦・裸麦

水に浸す

水に浸す 蒸す又は煮る

蒸す 冷やす 冷やす 麹づくり 混合仕込み 発酵・熟成 完成

食塩

麹菌

蒸すと赤味噌、 煮ると白味噌 になる!!

(9)

7

味噌の作り方

味噌編―

大豆

香煎

麹菌

麦類を煎った粉末、 又は、きな粉のこと 水に浸す

蒸す

味噌玉作り 混合 冷やす 麹づくり 玉つぶし 混合仕込み

食塩水

発酵・熟成 完成 大豆麹をつぶし、 仕込み後に塩水を 吸収しやすくする 大豆を蒸してつぶし、 円筒形にしたもの

(10)

8

醤油の種類

醤油は JAS(日本農林規格)では下の5種類に分類される。

濃口

こいくち

醤油

しょうゆ

淡口

うすくち

醤油

しょうゆ

たま

り醤油

しょうゆ

再仕込

さ い し こ み

醤油

しょうゆ

しろ

醤油

しょうゆ 大豆:小麦 1:1 1:1 ほぼ大豆 1:1 ほぼ小麦 仕込み 食塩水 濃い食塩水 最後に 甘酒を 加える 食塩水 味噌玉麹 を作る 食塩水 小麦:精白 大豆:炒り 皮を除去 生産地 全国 関西地方 東海地方 全国 愛知 特徴 生産される 醤油の 8 割 を占める 濃口醤油よ り色や香り が薄い 色が濃い 別名: 「甘露か ん ろ醤油しょうゆ」 発祥:山口 色が薄い 発祥:愛知

溜り編

たま

「溜

たま

り醤油

しょうゆ

醤油

しょうゆ

大豆と小麦を加熱処理して麹と食塩水を加え、

発酵・熟成させた液体状のもの。

生揚き あげ醤油しょうゆ

(11)

9 味噌と同様に、醤油も生産される地域の気候や風土などによって 作り方・色・味・香りなどに特徴があり、溜り醤油はその中の一つである。 他に、JAS 規定以外の醤油もあるので、参考までに紹介する。 こちらは健康や用途を考慮して作られた醤油で、 メーカーにより開発されている製品が多いようである。

だし醤油

つゆ、たれ、醤油加工食品のこと。(例:麺つゆなど)

トマト醤油

北海道産のトマトを加えた加工醤油。

減塩醤油

食塩含有量が通常の醤油の約50%以下の醤油。

生醤油

き じ ょ う ゆ

火入れをしない醤油。(作り方を参照→p10)

うす塩醤油

食塩含有量が通常の醤油の50~80%の醤油。

ポン酢醤油

柑橘類の汁と醤油を合わせた醤油。

粉末醤油

醤油を熱風乾燥や凍結乾燥により粉末状にしたもの。

刺身醤油

濃口醤油に溜り醤油や再仕込醤油を合わせた醤油。

無塩醤油

塩に代わり塩化カリウム、塩化アンモニアを使った醤油。

卵かけ醤油

醤油にみりんなどが入った卵かけご飯用の醤油。

食べる醤油

フレーク状のフリーズドライの醤油に オニオン・ガーリック・トウガラシなどを混ぜ、 油を加えたもの。

(12)

10

醤油の作り方

―本醸造―

大豆

小麦

蒸す

炒る

砕く 麹づくり 混合仕込み 発酵・熟成 圧搾 清澄 火入れ 清澄 完成

食塩水

麹菌

この状態のものを 諸味も ろ みという この状態のものを 生揚げ き あ 醤油 しょうゆ という

本醸造以外の作り方

脱脂加工大豆や小麦グルテン を分解したアミノ酸液を加え る製法である。 新式醸造と混合醸造がある。 *アミノ酸液を加える時期 ・新式醸造:諸味 ・混合醸造:生揚げ醤油 ※溜り醤油は豆味噌と同様、 味噌玉を作る。 熟成・発酵した後の 液体を生引き びき溜り、 固体を溜り味噌という。

(13)

11

起源は中国の「醤」

味噌・醤油の起源は、古代中国の「醤しょう」であるといわれている。 「醤」が初めて登場するのは、周王朝(前800年頃)の文献『周しゅ礼らい』である。 ただし、これは甲骨文字で書かれたものを後に漢字表記で著したものであり、 漢字表記でいえば、孔子(前 552~前 479 年)の『論語』が最古の文献と いうことになる。

孔子と醤

孔子は、中国・春秋時代の学者・思想家。儒教の祖。 その言行録『論語』には、 「不得其醤不食(其の醤を得ざれば食はず)」 (郷党第十)という一文がある。 先生(孔子)は食べ物に相応しい つけ汁(醤)がなければ食べなかったという。 中国で作られた醤には、獣肉、鳥肉、魚肉を原料とする動物性醤と、大豆その 他の豆類を原料とする植物性醤があり、孔子の「醤」は動物性醤であった。 6 世紀初頭に書かれた世界最古の農業技術書『斉せい民みんようじゅつ要 術』には、 現在のように大豆を使った「醤」の作り方が詳しく記されているという。

味噌・溜りの歴史

孔子 (「歴代君臣図像」より)

(14)

12 当時の醤は、黒大豆を煮て、麦麹、粟など雑穀麹の粉末、食塩、香辛料を加え、 しばらく発酵・熟成したものである。 これは現在の麦味噌と似たような作り方であるといえる。 他に、「豉し」(和名は「くき」、浜納豆の原型)の作り方も記載されているという。 「醤」が日本の文献に初めて登場するのは 701 年の『大宝律令』であり、 飛鳥時代末期までには中国から伝来していたと考えられる。

朝鮮半島の「未醤」

「醤」に近いものとして、「未醤み し ょ う」がある。 「未醤」とは「未だ醤ならざる」という意で、中国には存在しないものである。 そのため、「未醤」の伝来は朝鮮半島からであるという説が有力である。 朝鮮半島の味噌玉麹の一種である「メジュ」が「ミショウ」と発音され、 「未醤」の文字が当てられたと考えられている。 メジュに塩水を加えて作る「テンジャン」は、日本の豆味噌に似ているという。 だが、メジュも元をたどれば中国東北部が起源であることが近年判明してきた。

味噌の起源

米味噌、麦味噌

未醤

豆味噌

(15)

13

日本にもあった!!「醤」の原型

「醤」は中国からの伝来以前に、日本にもその原型が存在していた。 発掘された弥生土器の中から、麦や黍きびなどの穀物と塩が一緒になって 固まったものが見つかっている。これは、塩漬けにすることで 穀物に付着した微生物や空気中にある微生物が作用したもので、 中国の「醤」に近いという。日本ではこれを「ひしお」と呼んでいた。 邪馬台国の女王・卑弥呼もこれを食べていたと考えられる。

『外国人に自慢したいニッポンの食 食べもの文化史』より

卑弥呼の食事例

赤米強飯、ごぼう煮、ヤマノイモ煮、ダイズ煮、 ノビル、ワカメ 醤ひしおあえ、ハマグリ潮煮、 アユ塩焼き、ムカゴ、クリ、クルミ、塩 ワカメ醤あえ

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14

味噌の始まり

大宝令(701 年)の宮内省大膳だいぜん職しきには、「醤 院ひしおのつかさ」が設置され、 宮廷用に醤、豉、そして未醤が作られた。 当初、これらの発酵食品は寺院や貴族の間でかなり贅沢な食品として 愛用されたが、奈良時代には常食の必需品とされた。 この時代、すでに市でも売られていたらしい。 927 年に成立した『延喜式え ん ぎ し き』には、平安京の東市には醤の店が51軒、 西市には未醤の店が33 軒あったと記述されている。 「味噌」という言葉は『日本に ほ ん三代さんだい実録じつろく』(901 年)に初めて登場するという。 日本最古の漢和辞典『和 名 類 聚 抄わみょうるいじゅうしょう』(平安中期)には「美蘇」とも記述される。 だが、現在のような味噌の形がいつ生まれたのか、詳細は不明である。

日本独自の「味噌汁」

鎌倉時代、武士の主食は一日に玄米5合を朝夕の2回に分け、 「一汁一菜」と一緒に食べていた。 「汁」とは味噌汁のことで、 醤や未醤、味噌が使われていたという。 だが、実は中国では、水分の多い醤もあるが、 食べ物につけて食べるソースであり、汁物に使われた記録はない。 味噌汁は日本独自の料理なのである。

(17)

15

醤油の登場

1254年、禅僧・覚かく心しんが中国浙せっ江こう省の径きん山寺ざ ん じにて味噌の製法を習得し、 和歌山の西方寺(後の興国寺)に伝授した。これが「径きん山寺ざ ん じ味噌み そ」である。 彼はこの味噌の底にたまった汁で食品を煮ると美味しいことを発見した。 これが「たまりしょうゆ」であり、醤油の原形といわれている。 「醤油」の名が現れるのは室町時代後半である。 室町後期に成立した『節 用 集せつようしゅう』に「漿醬」、『鹿ろく苑おん日録にちろく』に「漿油」、『言とき継つぐ卿記きょうき』 に「シャウユウ」、『多聞院た も ん い ん日記に っ き』などに「醬油」の文字が登場するようになる。

味噌と精進料理

中世において絶大な武家の信仰を集めたのが禅宗である。 そこで重視されたのが、魚鳥獣の肉を一切使わない「精進料理」である。 その中で味噌は、肉食を禁じられた僧侶の貴重なたんぱく質源、 質素な食生活をモットーとする武家の常食となって重宝された。 そして、それはそのまま一般庶民の食膳に繋がっていくのである。

工業生産化への移行

醤油の工業化は室町末期、当時の中心地である関西が始まりだといわれている。 1580 年頃に湯浅の玉井醤が味噌・醤油を企業化した。 その後、湯浅出身の浜口はまぐち儀ぎ兵衛へ えが千葉の銚子で醤油の醸造を始めている。 江戸初期までは関西の醤油が中心だったが、後に関東風の濃口醤油が誕生する。

(18)

16 関東の野田や銚子を中心に製造され、江戸に送られたという。 醤油に続いて 1625 年頃、三河で豆味噌の工業生産が始まり、 1645 年には仙台伊達藩の御塩噲蔵ご え ん そ ぐ らで味噌の製造が開始された。 その背景には、諸大名の戦場における兵糧への関心があった。 陣中食料の第一は米・味噌・塩であり、味噌は兵糧に欠かせなかった。 そのため、戦国時代以降、味噌作りが奨励されたのである。 その結果、味噌の醸造は全国的に広がり、江戸末期には 5~6000 軒に達した。

海を渡った醤油

醤油は寛永年間(1661~73 年)より、 オランダ東インド会社を通じて輸出された。 日本の醤油の評価は非常に高く、フランスの ルイ 14 世(1643~1715 年)がその美味さを自慢するほどであった。 1776 年に来日したスウェーデンの植物学者ツンベルクによると、 日本の醤油は、バタビア、インド、ヨーロッパに大量に運ばれたという。

戦争とその後

戦時中、味噌や醤油は米と同様に統制品として配給規制を受けた。 米を原料とする味噌作りは禁止、終戦後も食糧不足はしばらく続いたという。 この統制が解除されたのは 1950 年になってからである。 以後、味噌・醤油の製造が可能になり、品質が改善され、種類も豊富になった。 また、世界への輸出も始められ、その量は年々増加している。 ↑コンプラ瓶 醤油はこの瓶に詰められた た

(19)

17

なぜ豆味噌なのか?

濃尾平野という米麦の大産地を抱えながら、 米味噌・麦味噌が東海地域で定着しなかったのには理由がある。 東海地方の夏は高温多湿で酸敗が起こりやすい。 そのため、大豆に麹菌を直接安全に生育させる 味噌玉製麹という伝統的な技法を使っているのである。 そこで作られる豆味噌は高温に耐え、長期保存ができる という個性的な伝統食品である。 豆味噌は煮込んでも変化が少なく、香りの吸着と油の乳化性に優れ、 肉や魚介類の旨みを高め、調和させるという調理機能を持っている。 だからこそ、東海地方で豆味噌が重宝されたのである。

なぜ2種類の醤油が?

東海地方では、豆味噌の熟成後、桶底に溜まった汁を醤油のように用いた。 これが溜り醤油で、色が濃く、かけしょうゆや佃煮に利用される。 一方、溜り醤油の町・武豊の対岸・碧南市には江戸末期に白醤油が誕生した。 白醤油は色が薄いため、溜り醤油では色が濃すぎて作れなかった お吸い物や茶碗蒸しなどに利用される。 このように、同じ地域で正反対の味の醤油が誕生しているのである。 溜り醤油と白醤油。 2種類の醤油が使い分けられ、共存しているのが、 いかにも東西の境界地帯に当たる「中京」らしいといえる。

東海地方と味噌・溜り

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18

東海地方の郷土料理と味噌・溜り

東西の境界地帯に当たる中京では、独自の食文化が発達している。 代表的なものとして、特産の味噌・溜りを使った郷土料理がある。 今回はめんを中心に紹介する。 味噌煮込みうどんは、 元々濃尾平野の農家が味噌汁に うどんやだんご、野菜などを入れて 煮込んで食べていたのをヒントに、 飲食店が考案したメニューらしい。 豆味噌や溜り醤油で味付けした土 鍋に生めんを入れて煮込み、鶏肉・ ねぎ・油揚げ・かまぼこなどを加え て煮た、名古屋の郷土料理である。 きしめんは、平たいめんでうどんの 仲間である。その名はめんに雉肉を入 れて出していた江戸時代の伝統料理 「きじめん」が由来ともいわれる。 溜り醤油で味付けしたつゆをかけ、 ゆでた青菜・油揚げ・鰹節などをのせ て食べる、名古屋独特の料理である。 伊勢うどんは、江戸時代以前の 伊勢の農民が食べていた溜り醤油 をかけたうどんに、食べやすく だしを加えたのが始まりだという。 太いうどんにみりんと溜まり醤油・ 砂糖・だしを加えたもので、 伊勢の名物料理である。

(21)

19

溜り作りの様子(「丸又商店」にて)

知多半島は古くから清酒・溜り・味噌・醤油で知られた地域で、 関東の銚子、関西の竜野に並ぶ醸造郷です。 このうち、味噌・醤油は武豊町で生産されています。 武豊町の味噌・溜りについて調べました。

3.武豊の味噌・溜り

(22)

20

なぜ知多半島で発展したのか?

気候風土

知多半島は稀に見る温暖な気候と相当の湿度を持った地である。 加えて、丘陵地帯からは良質な硬水を多量に噴出している。 つまり、知多半島自体が自然的に醸造業に適しているのである。

海運に恵まれた地

知多半島は海に囲まれ、港がいくつもあった。 原料の大豆は船舶を利用して最初は三河、後に秋田の大豆を使用していたが、 1899 年(明治 32 年)には武豊港が県下初の開港場に指定されると、 満州・朝鮮などから大豆・塩が大量輸入されるようになった。 製造された味噌・溜りは海を通して日本各地や海外にも運ばれたという。 また、知多半島は江戸時代、塩の生産が盛んであった。 半田の乙川村をはじめ、常滑・知多・東浦でも生産され、原料に恵まれていた。

名古屋の近郊

知多半島は、尾張徳川家のお膝元である名古屋の近郊に位置する。 名古屋という大市場、さらに尾張藩の保護を得たことも発展した理由である。

酒屋からの転業

江戸時代、知多半島は醸造業が地場産業であり、 中でも酒造りが盛んであった。 江戸初期、記録によると旧知多郡全体に 酒造業者が114軒あった。 しかし、江戸末期になると、酒から 味噌・溜りへ移る醸造家が続出したという。 これは、酒造業に比べて小資本で簡単な設備で済み、 腐敗の心配がなかったことが理由と考えられる。 知多酒船積みの図 (『尾張名所図会』より)

(23)

21

知多半島における味噌・溜りの歴史

中世

知多半島で味噌・溜り作りが始められたのは古代からだといわれているが、 残念ながら記録に残っているものはほとんどない。 地域に伝わっている伝説を紹介する。

よし

とも

と知多半島

源義朝は安末期の武将で、源為義ためよしの長男で、 源頼朝や源義経の父である。 義朝は保元の乱で後白河天皇方に味方して 勝利をおさめ、敵方の父為義ら一族を滅ぼした。 その後、藤原信頼のぶよりと結んで平治の乱を起こすが、 敗れて知多郡野間(知多郡美浜町野間)で 家人長田忠致お さ だ た だ む ねに殺害されたという。この関係からか、源義朝が敗戦後、 内海に上陸して濁酒の接待を受けた、あるいは野間に行く途中で餅を 馳走になったという伝説がある。その際、料理に味噌や溜りが使用 されたと推察されるが、残念ながら具体的な内容は伝わっていない。

豆搗

まめつ き

かわ

の由来

愛知県知多郡東浦町に「豆搗川」という川がある。 この川の近くに1軒の禅寺があり、 川の水力を利用して味噌玉を搗いていたことから、 豆搗川(味噌舂川)という名が付いたという。 源義朝 (『平治物語絵巻』より)

(24)

22

近世~近代

味噌や溜りが記録に残るようになったのは、江戸時代・慶長以降のことである。 大量生産され、商品として取り扱われるようになったからである。 知多半島における主な醸造元の創業者を紹介する。

宗平宗休(宗平宗久)

慶長の頃、三河みかわの国くに宝飯郡ほ い ぐ んから知多郡大野町に移住してきた 宗平宗休(宗平宗久)が、 生まれの三河の名をとって三河屋という味噌屋を始めた。 彼が知多郡の味噌屋の元祖であるといわれている。 5 代目宗平利展の時には尾張徳川家お賄ご用達となった。 以後、萩原の姓を許されたという。

盛田久左衛門

元禄の頃、知多郡小鈴谷の盛田久左衛門が 酒造りと共に味噌・溜りを作っていた。 嘉永年間には業務拡大し、明治 30 年には盛田合資会社を創立、 今日まで至っている。 この萩原(宗平)・盛田両家に続き、江戸末期の弘化・嘉永年間には、 知多郡において味噌・溜りの醸造家が続出した。 特に、酒造業から転業する人が多く、 明治 25 年には醸造家の数が 114 名にも及んだという。 知多の味噌溜業者は、天保の頃から同業者が集まって名醸組、佳醸組、芳醸組 の名称の下に団体的な歩調をとり、お互いの融和を図ってきた。

(25)

23 明治 25 年には合同して醤醸組、 明治 34 年には知多郡味噌溜醤油同業組合となった。 大正時代には、愛知県の全生産額の 3 割 3 分を占めるほどであったという。 しかし、1937年に日中戦争が始まると一変する。 1940 年、味噌は統制品目となり、 加えて満州大豆は高騰し“原料高の製品安”となった。 やがて原料も配給制となる。 武豊町のある醸造家では生産量が戦前の一割程度にまで落ちてしまった。

現代

戦前50軒ほどあった武豊町の味噌蔵は、戦後に激減した。 現在は町内に味噌・溜りを合わせてわずか6軒ほどしか残っていない。 ●中定商店 ●カクトウ醸造 ●伊藤商店 ●南蔵 ●泉万醸造 ●丸又商店 ↑武豊町のパンフレットより抜粋 「みそ蔵の小径」という言葉が用いられている。

(26)

24

こだわり

蔵の桶は木の桶を使用しているが、ステンレス製も一部使っている。 また、酒屋の不要になった桶も使っているとのこと。 ●溜りの原材料は、大豆・塩。 小麦不使用なので、小麦アレルギーの人でも食べることができる。 ●丸又商店では20年程前から「オーガニックたまり」という食品を 製造している。 現在、丸又商店ではヨーロッパ・アメリカ・ユダヤ圏・日本から オーガニックの認定を受けている。 製品の半分が海外へ輸出され、フランス・オランダ・オーストラリア アメリカなどに運ばれるという。 ●他、溜りは加工食品などにも使われている。 魚(佃煮、漬物)・うなぎ(蒲焼)・せんべい 丸又商店 1829 年(文政 12 年)創業。 当時は町で一番古い商売だったという。 味噌・溜りを製造していたが、 現在は溜りを中心に製造している。

武豊の味噌蔵・

丸又商店

(27)

25

こだわり

蔵の桶は、代々守り続けた木の桶を使っている。 こちらの味噌蔵では、蔵を改装する前に、昔使っていた帳簿を入れる箱などの 古い道具が偶然発見され、それがそのまま残されているそうである。 ↑大豆のみそ麹 (白いのが麹菌) ●味噌の原材料は、香煎こうせん(麦類を炒ってから粉末にしたもの)の代わりに、 「きなこ」を使っている。そのため、小麦を使わず、アレルギーの人でも安心 して食べられる。 ●味噌・溜り・醤油はそれぞれ別々の桶で作っている。 ●伊藤商店では、海外への輸出も行っている。 現在はフランスに味噌を輸出しており、今後はアジアなど他にも進出していく 予定だという。 ●他に、加工食品としても味噌・溜りが使われている。 酢みそ・ポン酢・なめ茸など 伊藤商店 1859 年(安政 6 年)創業。 味噌・溜り・濃口醤油を製造している。 元々は酒屋であった。

武豊の味噌蔵・

伊藤商店

(28)

26

こだわり

蔵の桶は、やはり昔ながらの木の桶を使っている。 桶の内部(溜り) ●味噌・溜りの原料は産地にこだわっており、愛知県産の大粒大豆と自然塩 のみを使用している。 ●杉の大桶を使った天然醸造で、外気温と変わらないように製造している。 天然醸造は、気温が緩やかに変化するのが特徴である。 中定商店 1879 年(明治 12 年)創業。 味噌・溜りを製造している。 毎朝、柄杓ひしゃくで汲みかけ をしているという。

武豊の味噌蔵・

中定商店

(29)

27

八丁味噌作り(「まるや八丁味噌」にて)

知多半島で初めて味噌屋を始めた宗平宗休(宗平宗久)は三河出身です。 三河では知多半島よりも先に豆味噌が大量生産されていました。 また、豆味噌の大量生産の背景には、徳川家康が大きく影響しています。 そのため、岡崎の八丁味噌についても調べました。

4.岡崎の味噌

(30)

28

なぜ三河で発展したのか?

気候風土

三河も、知多半島同様に温暖な気候と相当の湿度を持ち、 矢作川の伏流水による良質な湧水が豊かな地であり、醸造業に適していた。 また、原料の大豆は、地元で盆大豆、東三河でも吉田大豆が生産された。 そして、三河湾に面した三河は、塩の生産地であった。 吉良の饗庭塩あ い ば し お、大浜村(碧南)の大浜塩が有名で、 豊橋・蒲郡・幡豆などでも製塩が行われ、原料にも大変恵まれていたのである。

水陸ともに交通の要衝

味噌造りに使う味噌石は矢作川の上流から船で運ばれ、 味噌桶に使う竹たがは同じく上流から 筏いかだで運ばれていたという。 また、岡崎で造られた八丁味噌は、矢作川を通して江戸や全国に運ばれた。 その帰りには空いた船に原料となる大豆を買って運んできたそうである。 そして、岡崎は東海道五十三次の 38 番目の宿場である。 紀州家や西国の大名などは、岡崎宿を通る時に八丁味噌を買って帰ったという。

天下の「家康」効果

三河出身の家康は江戸に移ってからも豆味噌を好んで食べていたため、 参勤交代で江戸に集まった大名から豆味噌が全国的に広まったといわれている。 (森川昭著『東海道五十三次ハンドブック 改訂版』より) ↙矢作川 ★岡崎

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29

天下人と豆味噌

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の食を見てみよう!! ちなみに、焼き物や煮物の味付けには豆味噌が使われたという。 となると、この3人の食事に共通するのは豆味噌である。 豆味噌に含まれるレシチンは、脳内で分泌されるアセチルコリン の原料であり、脳の機能を活性化させる働きがあるといわれている。 彼らが天下をおさめた陰には、豆味噌の存在があったのかもしれない。

徳川家康

●麦めし ●豆味噌の味噌汁 ●やきとり

豊臣秀吉

●握り飯 ●焼きたこ ●大根とごぼうの煮物

織田信長

●あわびの塩蒸し ●しいたけの煮付け ●大根の味噌漬け

(32)

30

三河における味噌・溜りの歴史

岡崎八丁村の味噌・「八丁味噌」

八丁村は、矢作川と乙川の合流点左岸の自然堤防上にある。 徳川家康が譜代家臣・石川金阿彌き ん あ みに岡崎城から家までの 距離を尋ねると「八丁ほどあり」と答えたため、 「八丁村」と呼ばれるようになったと伝えられる。 「八丁味噌」の名は、この八丁村で造られたことに由来する。

中世~近世

この地方でも、味噌がいつから作られていたのかはっきりとしない。 古くから続く岡崎の八丁味噌の蔵元、「まるや八丁味噌」と「カクキュー」 によると、醸造業の始まりは以下のようになっている。

「まるや八丁味噌」

1337年、大田弥治右エ門は現岡崎市八帖町で醸造業を始めた。 1560年の桶狭間の戦いにて徳川軍の「戦陣にぎり」と称し、 味噌が兵糧になったという。

「カクキュー」

創業者の早川新六郎勝久は元今川義元の家臣であり、 義元の死後、号を久右衛門と改め、1645年に創業した。

(33)

31 1622 年に成立した『三河物語』によると、 矢作川の舟運と東海道との水陸交通の要地であった八丁村は、 矢作川の伏流水による湧水が豊かで、室町時代には川崎といわれていた。 戦国末期には尾張熱田から国分家や、三河五騎のうちの 8 人が定住し、 松平・徳川氏の兵站的へいたんてきな役割をもった村落であったという。 八丁味噌は、1580 年の徳川家康と家臣の三河武士たちの江戸移封により、 江戸に運ばれるようになった。 八丁味噌の江戸初出荷は 1712 年とされているが、 大量醸造は江戸初期からだと考えられている。 江戸には売 捌 所うりさばきじょが開設され、1892年には宮内省への納入も始まったようだ。

近代

しかし、戦争による統制により、大豆が入手できなくなると、 「脱脂大豆」(大豆中に約20%含まれる油を搾った残り)が代用された。 1940年、食料品の公定価格制度の下、味噌にも統制価格が実施された。 豆味噌の場合、上6円10銭、並5円25銭だったが、 当時の製造原価が6円60銭だった。 「まるや八丁味噌」と「カクキュー」はその撤回を働きかけたが、 受け入れられずに連名で休業宣言をしたという。 大戦後もしばらく大豆不足は続き、大豆粉やサツマイモも使用された。

現代

現在、岡崎の八丁味噌の蔵元は、 「まるや八丁味噌」「カクキュー」だけである。 両社は同じ地区に店を構え、時に競い合い、時に協力し合いながら、 共に八丁味噌を守り続けている。

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こだわり

蔵の桶は木の桶を使用している。 桶の上には中央に力が加わるように、ピラミッド状に石が積まれている。 これは造城と同じ構造で、多少の衝撃では崩れないという。 石は近くの矢作川、そして天竜川などから運ばれてくるとのこと。 石の重さは、9kg(まんじゅう石)、11kg(中石)、60kg(積石)。 全部で3~4トンの重みをかける。 石を積むことで独特の味噌の固さ、コクや渋みなどが生まれるそうだ。 ●味噌の原材料は、大豆・塩・水。(水は矢作川の水を使用。) ●まるや八丁味噌では「有機八丁味噌」というオーガニック食品を 製造している。 ●海外 20 カ国に輸出している。(全体の1~2%) 主に調味料の原料となる。(豆板醤、コチュジャン、ナンプラーなど) ●味噌の他、溜り醤油・浜納豆など、様々な加工食品も製造している。 麺類(うどん、ラーメンなど)・味噌おでん・どて煮・みそかりんとうなど まるや八丁味噌 1337 年(延元2年)創業。 八丁味噌を製造。 溜り醤油や浜納豆も製造している。

岡崎の味噌蔵・

まるや八丁味噌

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こだわり

蔵の桶は木の桶を使用している。 ●味噌の原材料は、大豆・塩・水。(水は矢作川の水を使用。) ●輸出は 45 カ国。 放射線に対する細胞の修復効果があるということで、 チェルノブイリなどにも輸出されているという。 ●八丁味噌を使った様々な加工食品を製造している。 八丁味噌のパウダー・味噌キャラメル・味噌カレーなど カクキュー 1645 年(正保2年)創業。 八丁味噌を製造。 台の上にあるのは、機械 で作業するため。 石の数は200~215個。 桶が赤くなっているのは、鉄てつ箍たがが さびてしまっているためである。

岡崎の味噌蔵・

カクキュー

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武豊と岡崎を比較すると…

やはり、武豊・岡崎ともに豆味噌作りに適した環境であったこと、 水運・海運に恵まれていたこと、徳川家の保護を受けていたこと などが豆味噌及び溜り醤油発展の共通要因であるといえる。

共通点

●高温多湿の気候風土(東海地方に共通) ●良質な水源がある ●川や海に近く、水運・海運が可能 ●原料である製塩や大豆の生産が盛ん ●近郊に名古屋という大市場を持つ (→尾張徳川家の保護) ●東海地方独特の豆味噌・溜り醤油を作る (→原料に小麦を使わない傾向) ●伝統の木桶を使っている

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35

八丁味噌のアイス(「カクキュー」にて)

伝統的な食材である味噌・溜りにも変化が訪れています。 製造・販売などの変化を始め、 味噌や溜りは今や様々な料理やお菓子に取り入れられているのです。 一方で業界が抱える課題もあります。

5.今後の味噌・溜り

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36

国内・国外における味噌・醤油の購入量の推移

15,762 12,561 9,551 8,204 6,462 0 10,000 20,000 1970年 1980年 1990年 2000年 2010年

味噌

の購入量(1世帯当たり)(g)

22.2 17.3 11.8 9.1 6.9 0 10 20 30 1972年 1980年 1990年 2000年 2010年

醤油

の購入量(1世帯当たり)(ℓ)

1,012 1,379 2,781 5,797 10,240 0 5,000 10,000 15,000 1977年 1980年 1990年 2000年 2010年

味噌

の輸出量(㎏)

8,418,921 10,008,751 10,526,987 17,682,056 0 10,000,000 20,000,000 1989 1990 2000 2010

醤油

の輸出量(ℓ)

味噌・溜りの現状

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日本人の味噌・醤油離れと海外でのブーム

味噌・醤油ともに、国内での消費は年々減少傾向にある。 それに対して、国外への輸出はともに順調に量を増やしている。 それぞれ詳しく見てみよう。 <味噌の種別出荷量(t)> 米味噌 麦味噌 豆味噌 調合味噌 1980年 474,124 65,977 35,019 24,080 1990年 451,356 49,972 27,211 42,206 2000年 394,588 32,787 25,985 51,105 2010年 345,739 20,597 22,551 41,395

調合味噌

調合味噌とは、米味噌・麦味噌・豆味噌以外の味噌のこと。 2種類以上の味噌を調合した味噌、 原料に脱脂大豆・トウモロコシを使った味噌など 味噌の出荷量は、調合味噌を除いて全て減少している。 減少の背景には、外食文化・パンなどの欧米食文化の浸透が考えられる。 若い世代はもちろん、それ以外の世代でも味噌離れが見られるという。 <醤油の種別出荷量(kl)> 濃口 淡口 溜り 再仕込 白 1980年 1,039,306 146,715 32,360 4,171 7,455 1989 年 1,009,799 163,403 28,031 5,686 8,866 2000年 884,953 145,668 15,654 6,942 8,258 2010年 714,796 106,116 13,583 8,489 5,942 醤油の出荷量も再仕込を除き、全て減少している。 やはり、欧米食文化の浸透が背景にあると考えられる。

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38 <味噌の輸出> 2012 年度:57 カ国 <醤油の輸出> 2012 年度:62 カ国 海外への輸出は、国内と対照的に年々増えてきている。 アメリカを筆頭に、韓国や中国などのアジア圏、 さらにフランスやオランダなども輸出量が増えている。 醤油については歴史が古く、江戸時代からすでにヨーロッパへ輸出されている。 味噌については、中国の醤や朝鮮のメジュなどアジア圏となじみ深い。 ヨーロッパへは、近年の日本食ブームや健康志向などと 味噌が結びついたのが背景にある。 アメリカを皮切りに、世界で味噌が食べられるようになってきたという。 アメリカ 韓国 台湾 タイ カナダ 香港 オーストラリア シンガポール フランス イギリス 0 5 10 15 20 25 30 35

味噌

の主な輸出先(%)

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 アメリカ 香港 韓国 イギリス オーストラリア フランス 中国 オランダ シンガポール ドイツ

醤油

の主な輸出先(%)

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39

不足する桶職人

武豊町では昭和の初め、50軒以上の味噌・溜りの蔵元があり、 当時の醸造業に欠かせなかった木桶を作る桶職人も町内にたくさんいた。 しかし、現在は蔵元が6軒、桶を作っているのは吉澤商店の1軒だけだという。 吉澤商店は、愛知県で唯一の桶屋で、県内だけでなく 全国から注文や修理の依頼が集まるそうだ。 吉澤商店の吉田和正さんによれば、 大桶作りに適した木材や箍たがに使う長い竹は、いまや入手困難だという。 ちなみに、桶をぐるりと取り巻いているものを竹たけ箍たがという。 現在、竹箍の職人がいないため、鉄の箍に代えている蔵が多い。 だが、竹箍に比べ耐久性が低く、すぐに赤くさびてしまう。 桶の需要が減ったため、その素材のつくり手もいなくなったというわけである。 桶職人の減少には、国がステンレス製の桶を推奨したことが背景にある。 だが、味噌・溜りにとって、桶は年季の入った木桶が望ましいという。 使い続けた木桶には、旨みとなる菌も受け継がれているのである。 最近になって木桶の良さが見直され始めたが、すでに桶不足が進行している。 そのため、今回見学させていただいた蔵の中には、 廃業した同業者の桶、酒屋で不要になった桶などを使っている所もあるという。 ステンレスの桶 木の桶

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醤油の機能性

①有害菌の増殖の抑制 ②がんの発生の抑制 ③血圧の低下 ④動脈硬化の抑制 ⑤糖尿病予防・改善 ⑥抗白内障 ⑦免疫力アップ →アレルギーの抑制 ⑧消化吸収の促進

見直される味噌・醤油のパワー

一方で、伝統的な日本食への回帰への動きもある。 昔からの主食であった雑穀や玄米などに加え、調味料の味噌や醤油に対しても 栄養価の面から再評価され始めている。 味噌・醤油の医学的効能を紹介したい。

味噌の機能性

①がんの予防効果 ②放射性物質の除去 ③血圧の低下 ④抗酸化作用 ⑤血糖値の平準化 インスリン分泌の促進 ⑥コレステロールの低減 ⑦消化管機能改善 ⑧脂質代謝調節 ⑨老化防止 ⑩生体防御

現在、味噌汁専門店の出店をはじめ、 手前味噌を作るなど、味噌を積極的に生活に取り入れる傾向にあるようだ。 味噌や醤油に関する本も数多く出版されている。 一例として左から、 『これだけで完全食ミソスープ』口尾 麻美著、講談社 『みそ屋が教える赤白みその使いこなしレシピ』郡司味噌漬物店監修、文化学園文化出版局 『安藤醸造の味噌・醬油のレシピ』安藤醸造著、PHP 研究所

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味噌・溜り、様々な取り組み

味噌や醤油について知ってもらうため、蔵元によって見学を実施している。 予約制あるいは時間制で、係の人に蔵の内部を案内していただけることが多い。 中には、味噌や溜りの試食やサンプルをお土産にいただける所もある。 今回見学させていただいた味噌蔵 武豊町 ●丸又商店 岡崎市 ●まるや八丁味噌 ●伊藤商店 ●カクキュー ●中定商店 他に、愛知県西尾市の「みそぱーく」など、テーマパーク化した蔵もある。 蔵の見学はもちろん、レストランが併設され、味噌作り体験もできるという。 ↑みそぱーく公式ホームページより

「みそぱーく」

とは

愛知県西尾市にある、 味噌醤油や発酵食品を 楽しむテーマパーク。 創業文久元年の醸造元で ある「はと屋」が運営 している。 見学の他に、味噌・醤油、 調味料を使った様々など 料理教室も随時開催して いて、楽しめるという。

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42

味噌・溜りを伝える

「醸造伝承館」

中定商店の塩の倉庫の蔵を改装して造ったのが、 豆味噌・溜りの「醸造伝承館」である。

カクキューの

史料館

史料館は明治40年建築の味噌蔵を改造、平成3年に開館した。 昔の味噌作りが人形で分かりやすく展示されている。 他に、宮内省御用達関係などの史料も展示してある。 →桶の裏には「天保十」とある 過去に使用していた味噌・溜りの醸造用具や 資料を展示している。 醸造用具は直に触れ、動かすこともできるそう。

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43

町での試み 武豊で全国醤油サミット開催!!

2008年、第2回全国醤油サミットが武豊町で開催された。 全国醤油サミット 醤油の蔵元を有する全国の自治体と醤油メーカーが加入する 「全国醤油産地市町村協議会」が主催するイベントである。 サミットの開催に伴い、町の小中学生を対象とした醤油作文コンクール、 町の事業者を対象とした醤油を使った新名産品が募集されたという。 新名産品では、伝統的な醸造法を受け継いでいる 町内の6つの蔵の溜りを使った「六つ蔵せんべい」 が考案され、町を PR する名産品となった。→ また、溜りを使った「たまりラーメンコンテスト」が実施され、 全国各地から131点に及ぶ応募があったという。 その他、醤油のサンプルの展示・試食会・煎餅作りなどが行われ、 世代を問わず、町をあげて盛り上がった。 醤油全体に占める溜りの割合は少なく、全国的にはあまり知られていない。 このサミットは武豊町が溜りを全国にアピールする絶好の機会となった。 ↑資料の展示(「醸造伝承館」にて)

(46)

44

大豆の再利用へ向けて

現在、地域の産業においても環境に配慮した事業活動が求められている。 溜りを含む醤油醸造では、その過程で大豆の絞りかすが発生する。 武豊町ではこれを牛の飼料として再利用するプロジェクトを 2008年からスタートしている。 すでにこの試みは始まっていて、地域の酪農家の協力の下、 飼料への配合が行われている。今後は徐々に数量を増やしていくという。 ちなみに、今回見学させていただいた丸又商店でも、この試みが行われていた。

地域ブランド化へ向けて

地元で育てた原材料を使って、味噌・溜りを製造する試みが行われている。 武豊町では、2008年の醤油サミット開催に合わせて 地元産の大豆で溜りを醸造しようというプロジェクトが立ち上がった。 実際に、2008年 地元のJAと商工会の協力を得て、 大豆の種が 5 ヘクタールの畑にまかれた。 収穫された大豆は翌年に蔵で仕込まれ、2011 年に完成したという。

今後の味噌・溜り

機械でプレスして下処理をし、 家畜の飼料や畑の肥料として 使用される。

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45

認証の取得へ向けて

健康への関心の高まり、海外への輸出の増加などに伴い、 味噌・溜りにも共通する一定の基準が求められるようになってきたという。

①オーガニック認定

オーガニック(organic)

オーガニックとは、有機農産物およびその加工食品のことである。 「有機」は生物体構成物質を意味し、 農薬や化学肥料を排除し環境に配慮したものをいう。 世界各国には OCIA(オーガニック農作物改良協会)をはじめ、 300 を超えるオーガニック認定機関があり、一定基準を満たして作られたもの にオーガニックという表示をすることが認められる。 各認定機関により基準は少しずつ異なるという。 有機食品の検査認証制度 有機 JAS マークは、太陽と雲と植物をイメージしたマークです。農薬や化学肥料などの化学物質に頼らない で、自然界の力で生産された食品を表しており、農産物、加工食品、飼料及び畜産物に付けられています。 有機食品の JAS 規格に適合した生産が行われていることを登録認定機関が検査し、 その結果、認定された事業者のみが有機 JAS マークを貼ることができます。 この「有機 JAS マーク」がない農産物と農産物加工食品に、「有機」、「オーガニック」 などの名称の表示や、これと紛らわしい表示を付すことは法律で禁止されています。 ↑日本におけるオーガニック認定(農林水産省ホームページより) (http://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/yuuki.html) ちなみに、今回見学した丸又商店とまるや八丁味噌では、 日本のオーガニック認定を受けている。 丸又商店は他に、 ヨーロッパ・アメリカ・ユダヤ圏からも認定を受けているという。

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46

②その他の認定

他に、宗教的な食事規定に適合しているかの認定がある。 武豊町の南蔵商店には、十数年前から毎年アメリカのユダヤ教指導者が訪れ、 味噌・溜りがユダヤ教の戒律に適合するかの審査を受けているという。 中日新聞(2013 年 6 月 26 日)より

(49)

47 武豊の味噌・溜りについて調べて分かったことをまとめました。 岡崎の味噌と比較することで、大まかにですが、 愛知県の味噌事情を知ることができたと言えるのではないでしょうか。

6.おわりに

(50)

48

武豊町の味噌・溜りとは

武豊町の味噌・溜りについて分かったことを簡単にまとめました。

武豊町の味噌・溜りとは?

東海地方特有の豆味噌と溜り醤油

いつから始まったのか?

大量生産が始まったのは慶長年間

なぜ始まったのか?

●味噌・溜り作りに恵まれた気候風土であったため ●海に近く、原料の確保や運搬が容易であっため ●名古屋において大きな需要が見込まれたため

原料は?

主に大豆・食塩

特徴は?

原料に小麦をほとんど使わない など

同じ豆味噌の八丁味噌との違いは?

味噌に含まれる水分の量 →八丁味噌の方が少ない

どのくらい生産されていたのか?

大正には県の生産量の3割を占めた

現在はどのくらい蔵元があるのか?

6軒ほど

なぜ減少したのか?

戦中・戦後の原料不足、食生活の変化などによる

現在、輸出などは?

フランスなどヨーロッパが多い

まとめ

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49

豆味噌・溜りの国・愛知

豆味噌・溜りは、この地方の気候風土に合わせて作る伝統的な味噌・醤油です。 濃尾平野を持ち、海運に恵まれた愛知県は、 原料となる大豆や塩に事欠かない上、運搬にも非常に有利でした。 高温多湿という酸敗の起こりやすい環境のため、 米や麦を使わず大豆に直接麹菌を生育させて作ります。 そして、その桶底に溜まった汁は溜り醤油として活用されます。 長期保存できる豆味噌は戦国時代には兵糧として重宝され、 三河出身の天下人・徳川家康により全国的に豆味噌が知られていきます。 尾張徳川家の保護を受けつつ、近郊の三河(岡崎)や知多(武豊)で 味噌・溜り作りが盛んに行われました。 数は減少しましたが、今でもその伝統が受け継がれています。 家庭での豆味噌・溜りの消費量は減少傾向にありますが、 実は、近年話題になっている名古屋のご当地グルメ・名古屋めしにも 豆味噌や溜り醤油が使われているのです。 味噌カツ・ひつまぶし・きしめん・ 味噌煮込みうどん・どて煮・味噌おでん など・・・ 気づかないだけで身近に使われている豆味噌・溜りは、 現在でも名古屋を代表する食べ物といえます。

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調べを終えて…

感想

今回初めて武豊町の味噌・溜りについて調べてみて、いかに地元 の味噌・溜りに関する資料が少ないかを実感しました。同じ愛知 県ということで、岡崎の八丁味噌に関するものも参考になりまし た。味噌も醤油も東海地方に特有の種類というのがとても面白い ですね。同じ愛知県の味噌でも特徴に違いがあります。資料がな いため、なかなか味噌・溜りについて知る機会がないと思うので、 これを機に皆さんに知って頂ければと思います。(中村) 武豊町の特産品であり、私達の身近な食材である「味噌・ 溜り」初めての味噌蔵見学は面白く、新たな発見が数多 くありました。しかし、武豊町の味噌の歴史や発展など に関する本があまり発行されておらず、調べることが困 難でした。 「武豊町と言えば?」と聞かれれば、「味噌」と答える人 も多くいます。図書館として、地域に関わる本はできる 限り集めていきたいと思いました。(間瀬)

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図書

:武豊町立図書館>

著者名 書名 出版社 出版年 ページ 東京生活編集部 お味噌のことが 丸ごとわかる本 枻出版社 2007 170~188 永田十蔵 誰でもできる手づくり味噌 農山漁村文化協会 2008 16~29 今井誠一 みその絵本 農山漁村文化協会 2004 6,7 みそ健康づくり委員会 みそ文化誌 全国味噌工業協同 組合連合会 2001 270~279 成瀬宇平 47 都道府県・ 伝統調味料百科 丸善出版 2013 2~17 海老根英雄 味噌・醤油入門 日本食糧新聞社 1994 25~28、 167~171 日本醤油協会 しょうゆの不思議 日本醤油協会 2012 134~145 『しょうゆが香る郷土 料理』企画編集委員会 しょうゆが香る郷土料理 農山漁村文化協会 2007 129~133 農山漁村文化協会 しょうゆの絵本 農山漁村文化協会 2006 4~7 龍崎英子 ポプラディア情報館 郷土料理 ポプラ社 2009 114~115、 120 農山漁村文化協会 人づくり風土記 23 農山漁村文化協会 1995 90~94、 101~108 武豊町誌編纂委員会 武豊町誌 資料編 三 武豊町 1986 643~646 杉崎章 図説知多半島の歴史 上 郷土出版社 1995 130~131

参考文献一覧

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52 池田智泰 外国人に自慢したいニッポ ンの食 食べもの文化史 優しい食卓 2010 20,21、44, 50~52 永山久夫 武士のメシ 宝島社 2012 7~13、43~ 45、59~65

図書

:愛知県図書館>

著者名 書名 出版社 出版年 ページ 吉原精行 豆味噌と溜 日本醸造協会 1962 42 「矢作川流域シリーズ」 編集委員会 矢作川流域 1 万年の歴史と文化を探る 矢作川流域 開発研究会 1981 31~38

図書

:岡崎市立中央図書館>

表 1 著者名 書名 出版社 出版年 ページ 八丁味噌史料室 カクキュー山越え谷越え 350年 八丁味噌史料室 2000 3、37、111、112、 165、179、182

新聞

記事編集者 新聞記事名 新聞紙名 出版年月日 朝夕刊 ページ 吉岡雅幸 ユダヤ教戒律に みそ、たまり適合 中日新聞 2013/6/26 朝刊 16

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インターネット

Web 制作者 Web ページ名 Web サイト名 URL

アクセス 年月日 丸又商店 マルマタの 味噌・たまり 丸又商店 http://www.marumata.com/ 2013/ 5/16 伊藤商店 創業二百五十年 蔵元 傳右衛門 伊藤商店 http://www.kuramoto-denemon. com/03.php 2013/ 5/16 中定商店 合名会社 中定商店 中定商店 http://www.s-shoyu.com/ nakasada/index.html 2013/ 5/16 まるや 八丁味噌 まるや 八丁味噌 まるや 八丁味噌 http://www.8miso.co.jp/ 2013/ 6/24 カクキュー カクキュー カクキュー http://www.kakuq.jp/home/ 2013/ 6/24 全国味噌 工業協同 組合連合会 味噌関連統計 全国味噌工業 協同組合 連合会 http://www.zenmi.jp/data.htm 2013/ 7/27 しょうゆ 情報センター しょうゆデータ 生産と消費 しょうゆ 情報センター https://www.soysauce.or.jp/ arekore/index.html 2013/ 7/27 はと屋 みそぱーく .com みそぱーく .com http://www.misopark.com/ 2013/ 8/8 桶仕込み 保存会 職人 桶職人 http://www.okeok.com/ shokunin/shokunin_yoshizawa.html 2013/ 8/8 全国町村会 町村のとりくみ 全国町村会 http://www.zck.or.jp/forum/forum/ 2668/2668.htm 2013/ 8/8

参照

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