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はじめに……… 3 文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業研究概要……… 5 〈テーマ1 「保存修復活動から展開される地域文化遺産の再発見と新たな価値の創出」〉………11 Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 左沢原町林家仏師一門の調査研究………15  1.はじめに  2.林家仏師調査報告  3.まとめと今後の展望 Ⅱ.為政者に着目した文化遺産の研究 大江町巨海院文化財悉皆調査………29  1.はじめに  2.仏像類について  3.書画類について  4.山門について  5.まとめと今後の展望 Ⅲ.出羽三山信仰に関する文化遺産の研究 西川町旧本道寺文化財悉皆調査………57  1.はじめに  2.仏像について  3.金剛力士像の X 線撮影結果について  4.絵馬について  5.山号額について  6.板図について  7.まとめと今後の展望 Ⅳ.民間信仰に関する文化遺産の研究 西川町獅子ヶ口諏訪神社文化財悉皆調査………69  1.はじめに  2.獅子ヶ口諏訪神社について  3.絵馬について  4.獅子頭について  5.まとめと今後の展望 Ⅴ.生活文化に関する文化遺産の研究 大江町小清集落の民家に関する研究………79  1.はじめに  2.小清集落について  3.佐竹やす家住宅  4.戸田盛栄家住宅  5.まとめと今後の展望 Ⅵ.特産素材からみた地域文化力の向上に関する研究 和紙、青苧に関する研究………91  1.はじめに  2.和紙の調査研究  3.青苧について  4.素材を用いた地域文化力の向上に関する取組み  5.まとめと今後の展望

目次

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はじめに……… 3 文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業研究概要……… 5 〈テーマ1 「保存修復活動から展開される地域文化遺産の再発見と新たな価値の創出」〉………11 Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 左沢原町林家仏師一門の調査研究………15  1.はじめに  2.林家仏師調査報告  3.まとめと今後の展望 Ⅱ.為政者に着目した文化遺産の研究 大江町巨海院文化財悉皆調査………29  1.はじめに  2.仏像類について  3.書画類について  4.山門について  5.まとめと今後の展望 Ⅲ.出羽三山信仰に関する文化遺産の研究 西川町旧本道寺文化財悉皆調査………57  1.はじめに  2.仏像について  3.金剛力士像の X 線撮影結果について  4.絵馬について  5.山号額について  6.板図について  7.まとめと今後の展望 Ⅳ.民間信仰に関する文化遺産の研究 西川町獅子ヶ口諏訪神社文化財悉皆調査………69  1.はじめに  2.獅子ヶ口諏訪神社について  3.絵馬について  4.獅子頭について  5.まとめと今後の展望 Ⅴ.生活文化に関する文化遺産の研究 大江町小清集落の民家に関する研究………79  1.はじめに  2.小清集落について  3.佐竹やす家住宅  4.戸田盛栄家住宅  5.まとめと今後の展望 Ⅵ.特産素材からみた地域文化力の向上に関する研究 和紙、青苧に関する研究………91  1.はじめに  2.和紙の調査研究  3.青苧について  4.素材を用いた地域文化力の向上に関する取組み  5.まとめと今後の展望

目次

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Ⅶ.遺跡に関する研究 米沢市戸塚山 106 号墳の発掘調査………97  1.はじめに  2.石室構造  3.墳丘構造  4.埋葬に関わる土器祭祀  5.土器郡の特徴と暦年代  6.まとめ 西川町六十里越街道石畳の測量調査……… 107  1.はじめに  2.調査の経緯と経過  3.調査成果  4.まとめ Ⅷ.地場産業と景観に関する研究 高畠石のある町並みに関する研究……… 115  1.はじめに  2.本稿の目的と方法  3.高畠石の生産  4.石材の採掘方法と流通  5.石工の技術と就業形態  6.安久津地区にみる高畠石の利用実態  7.まとめと今後の展望 テーマ1小結……… 123 〈テーマ2 「『環境に配慮し、安全で簡便な地域文化遺産保存管理』を地域住民と展開するための       基礎研究と教育普及」〉……… 125 Ⅸ.保存環境に関する研究 大聖寺(亀岡文殊)での実践を中心に……… 129  1.はじめに  2.調査方法  3.まとめと今後の展望 Ⅹ.地域文化遺産の保護活動 テーマ1の調査活動と連動した地域文化遺産の保護活動……… 131  1.はじめに(地域文化遺産保護の現状の問題点と保護活動の意義)  2.調査に際した清掃・応急処置の実践  3.保存提案  4.現行の文化財保護行政制度を活用した保存活動  5.芸工大文化遺産保存修復ネットワークについて  6.まとめと今後の展望 Ⅺ.教育普及活動 調査地域における発表活動……… 141 展覧会・シンポジウム……… 142 テーマ2小結……… 145 平成 23 年度研究調査報告会… ……… 147 総括……… 151 文化財保存修復研究センターの概要……… 153 平成 23 年度活動一覧… ……… 157 報道紹介……… 159 執筆者業績一覧……… 161

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はじめに 3

 平成 23 年度の東北芸術工科大学文化財保存修復研究センターの研究報告書を発刊いた

します。

 本書は文部科学省の「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」による『複合的保存修復

活動による地域文化遺産の保存と地域文化力の向上システムの研究』の研究成果を報告す

るものです。

 本年度は研究 2 年目となり、昨年度が実質的に夏期から半年間の活動期間であり、本格

的な活動を行う前の計画や事前調査、地域との連絡調整と実地調査を平行的に行わざるを

得ず課題が残った部分があったことを踏まえ、できるだけ実質的な調査および研究が潤滑

に行うことができるような体制の成立を第一の目標としました。そのために内部の情報の

共有、円滑な連絡、問題点の把握などの為に、昨年度より内部検討会、研究会の開催回数

を増やし、内容の充実を図ることを企図しました。

 また内部の人的不足に対処する方法として、外部からの情報、連絡網へ期待を認識した

結果、本研究の地域社会への浸透をも目標としました。

 さらに研究課題の根幹である「地域文化遺産」のそもそもの意味や価値についての考察

を常に確認、検証するために、文化財の調査、保存、修復という専門分野のみではなく、

他分野における「地域文化遺産」の考え方、意識も今後考慮していくことも認識するよう

になりました。

 昨年度来の研究活動の中で、試行錯誤で行っていることが実情に近い状態ですが、本セ

ンターの存在および本センターの活動そのものが、他にはない新たな研究機関、活動であ

ることを考えれば、常に前進し開拓していくことが使命であり、その結果には必ずや新し

い価値が見出されるであろうと思っております。

 このような本センターの活動のために、本書をご閲覧の上、ご指導ご鞭撻を賜れば光栄

に存じます。

 平成 23 年 3 月 11 日の東日本大震災とそれにともなう東京電力福島第一原子力発電所の

災害のその後の影響は、ここ東北地方ではまだまだ大きく残っています。本センターの

「文化財レスキュー」活動も続いておりますが、それを通じて地域の文化財の持つ問題や

課題も見えてきたようです。やはり「文化財」はそのものだけの価値ではないということ

なのでしょう。

はじめに

東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター センター長

長坂 一郎

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文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の概要 5 研究の経緯と研究基盤  東北芸術工科大学文化財保存修復研究センターは、東北地方における唯一の総合的な文化財の保存修復機 能を持つ機関である。修復分野としては、古典彫刻を含んだ立体作品修復、西洋絵画修復、東洋絵画修復の 3 分野を持ち、またそれらを支える保存科学、美術史、考古学の各研究分野を備えており、「文化財保存の 理論と実践」を同一機関において実行することができる全国にもまれな組織となっている。また機器類に関 しては作品修復にあたっての作業の前提としての調査のための大型透過 X 線画像撮影解析装置、三次元計 測器をはじめとする各種検査装置や分析機器の充実度は保存修復機関としては全国に誇るものであり、さら に修復作業にあたっての文化財修復用レーザー・クリーニング装置をはじめとする先進的な修復機器や現実 に近い強制劣化実験が可能なキセノン・フェードメーター装置をはじめとする実験機器も装備されている。  本センターは平成 17~21 年度に渡りオープン・リサーチ・センター(ORC)整備事業として『地域文化 遺産の循環型保存・活用システムに関する総合的研究』を行ってきた。それは地域文化遺産の再発見・再評 価を行い、かつその保存と活用を地域住民と共に行い、その結果を地域に還元するという「循環型」の保存 活動システムの構築を目指したものであった。その研究において各種地域文化財の調査、研究、再評価、保 存科学的研究、教育普及活動などさまざまな分野で優れた研究成果を得ることができたが、一方で対象とす る地域文化財を各分野がそれぞれ選択した結果、地域としての特色の把握についての課題も残った。そこで 本研究では前回とは異なり対象とする文化財を設定するのではなくはじめに地域を設定してそこにおける文 化財を対象とする方法を考えた。地域文化遺産に対する保存、修復、研究の各分野の視点を一地域に集中す ることにより、個々の地域文化遺産の意味のみではなく、その地域ゆえの相互の関係をも読み取ることが可 能になり、その結果としてその地域文化をよりダイナミックに理解、説明することができると考えるからで ある。これは前回、ORC 事業における地域文化財の「再評価」を志向する研究をさらに高次にする方法で あり、その結果、対象地域にとっては新たな地域文化理解を示すことになるものである。もちろんそのため には対象地域との連携が不可欠であり、その結果、本センターと地域との関係強化が図られることになる。  また本センターは東北芸術工科大学附属機関であるが単独の研究機関として活動しているのではなく、本 学の芸術学部美術史・文化財保存修復学科および歴史遺産学科および大学院芸術文化専攻の実技教育との連 携を図ってきた。新たな概念による本プロジェクトは今後の保存修復活動、あるいは地域文化研究に大きな 意味を持つものであり、その進捗過程における状況を逐次、学部生あるいは大学院生の参加という形で直接 的に教育現場に反映させていくことができる。美術史・文化財保存修復学科と歴史遺産学科の 2 学科および 大学院芸術文化専攻を有するという本学の教育の特色を、さらに実践面から補強するという面ももつ。本研 究は本学の教育内容の進展に資するものともなるものである。  さらに本学開学の平成 4 年以来、本学部および大学院の卒業生で文化財関連の仕事に従事しているものは 全国各地域に存在している。本研究の成果、ノウハウをそれら卒業生に伝えネットワーク化(「芸工大文化 遺産保存修復ネットワーク」)することも可能である。それは全国の地域文化遺産の保存活動に大いに益す ることになるであろうし、本学の特色である文化財保存活動教育の基盤の強化に役立つことになるものであ る。  このような研究体制の下、活動の姿勢としては東北地方が文化財保存の面ではやや立ち遅れている現状を 鑑みて、積極的に地域に進出していくことを目指してきた。現在までに各分野がそれぞれ実績を積み重ねて きているが、更に今回新たな研究を計画し、本センターの文化財保存活動のさらなるレベルアップを目指す ことにした。  以上の経緯から、本センターでは、文部科学省補助事業・私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の採択を 頂き、平成 22~26 年度の 5 年間に渡る研究プロジェクト『複合的保存修復活動による地域文化遺産の保存 と地域文化力の向上システムの研究』を実践することとなった。

文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の概要

研究プロジェクト『複合的保存修復活動による地域文化遺産の保存と地域文化力の向上システムの研究』

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6 研究の目的  文化財を保護し、保存し、活用する目的は、単にあるものを保存し伝存することではなく、地域社会の環 境、歴史、文化のなかで意味づけて将来にわたって保護、保存していくことであろう。しかし現在までの地 域文化財の保護、保存については、個々の文化財を単品主義的な観点から評価する方法が多く採用され、問 題点も指摘されてきている。本研究で、個々の文化財を総合的、複合的にとらえることで地域に存在する文 化財の総体としての文化財を地域文化遺産と位置付け、それらを踏まえて保護、保存についての新たな試み を行うものである。  まず地域文化財の再発見のための調査活動において、本センターの各分野の研究者(東洋絵画修復、西洋 絵画修復、立体作品修復、古典彫刻修復、保存科学、考古学、美術史学、建築史学)および学内外の研究者 (民俗学、美術史学、歴史学、歴史地理学)が共同で行うことにより、今までのいわゆる総合調査と称され るような単なる多分野による文化財の現状調査ではなく、保存・修復および防災、防犯の観点をも含めた、 文化財を将来に残すことを視野に入れた複合的な調査活動を行うことである。  ついで調査活動をもとに各文化財に対する多面的な検討を行うことにより、その意味、意義、背景を確認 する。従来の文化財調査は文化財の「現状」で文化財の意味、意義を判断してきているが本研究では「現状 に至るまでの過程」をも考察に入れた調査、研究を行う。この研究方法により、地域の文化特性の研究がよ り正確に行うことができるであろう。  さらにその文化財の保護、保存活動を行うにあたっては新たな研究成果、技術開発を目指す。その指針は 地域住民が自身で実行できる簡潔で入手しやすい知識、技術とする。保護・保存活動に対する敷居を低くす ることにより、一般住民にとってそれらの活動が身近なもの、日常的なものとなることを意図するものであ る。さらにその普及活動を行い若年層から老年層までの普及を目指す。すなわち保護・保存活動は専門家の みで行うものではなく、一般住民も行うことが永続的な保護・保存活動には必要である。そのためには、住 民が保護・保存活動に日常的行動の範囲として参加でき、かつ費用的にも負担が重くないということが条件 となるであろう。したがって、本研究の成果によって地域文化財の保護・保存活動はこれまでとは格段に進 展することであろう。  地域文化遺産についての調査、研究、保存の各段階で、かつてない方法を提示することである。地域文化 遺産の重要性が認識されてきている現在においても、その具体的な実践は積極的に行われていないのが現状 ではないであろうか。本センターは全国的にみてもそれを実行することができる数少ない機関であると考え る。 研究フィールド  本研究ではより集約的な研究成果を得るために研究対象となる中心的なフィールドを設定することとし た。研究フィールドとしては距離的な条件による研究密度の予測から山形県内を対象とした上で、前回の ORC 事業により先行研究および地方自治体や地域住民との関係が築かれていた山 形県東置賜郡高畠町と山形県西村山郡大江町、西川町の 3 町を中心的な研究フィー ルドとして位置付けることとした。  高畠町は県内有数の遺跡密集地として知られ、それらは県立考古資料館や町立歴 史資料館を中核とする歴史公園において公開・活用されているが、またそれらが自 然や生業と一体となった独特の文化的景観を形成している地域である。本センター も考古分野を中心に 5 年以上に渡り地域文化遺産保護活動に協力してきたが、他の 分野の参加によって更なる文化遺産の発掘、新たな価値付けが可能な地域であると 考えられる。  出羽三山信仰は中世以来、山形県のみならず東日本における山岳信仰の代表の一 つであった。西川町は出羽三山登拝の拠点を持つ、古い信仰の歴史を担う地域であ る。また大江町は西川町に隣接し、県の中央を南北に貫き日本海に注ぐ大河で古来 より流通の大動脈であった最上川の中流に位置し、通運の中継基地として地域文化 の育成地でもあった。この両町は山岳信仰と河川流通という歴史的に重要な要因を 背景に景観を形成してきた。そこには複合的な形成過程が想定でき、その解明には 新たな方法が求められることであろう。 山形県 高畠町 大江町 西川町

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文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の概要 7 研究の方法 本研究は研究をより高質かつ効率的な研究事業を推進するために 2 つのテーマを設け、互いに連動する形で 研究を展開することとした。 テーマ 1 「保存修復活動から展開される地域文化遺産の再発見と新たな価値の創出」  本研究は、総合的な地域文化遺産としての観点で、山形県下における現在まで着目されていなかった潜 在的な文化財を発見もしくは再発見することを目的に、西村山郡の西川町、大江町と東置賜郡の高畠町の 2 地域を中心的な研究対象地域とした地域文化財の悉皆調査を実践する。そして、調査結果をもとに総合 的な地域文化遺産の新たな価値の創出を図ることで、複合的保存修復活動の基盤を形成することを目的と している。  調査活動は研究対象地域の寺社、宿坊、旧家、史跡、遺跡などを中心に実践し、具体的な調査対象とし ては東洋絵画(掛軸・屏風・絵馬・古文書・宿帳など)、西洋絵画(近代絵画(対象地域出身作家による作 品・対象地域を描いた作品など)など)、立体作品(近代彫刻・工芸品など)、古典彫刻作品(仏像・神像・ 面・寺社建築彫刻など)、埋蔵文化財(出土遺物・遺跡など)、民俗文化財(写真・生活用品など)、石造物 (石仏・鳥居・板碑など)、建造物(寺社建築・民家など)などの、指定文化財および未指定文化財である。 調査方法は、調査対象場所に所蔵される文化財の種類に応じて保存修復家、美術史家、歴史家、保存科学者 による複合分野での調査チームを組み、地域文化遺産的観点を念頭に置いた総合的な調査活動を実践する。 具体的な調査内容は、文化財の宗教的価値、美術品的価値、歴史的価値、資料的価値などの視点による多角 的調査、文化財の損傷状態の調査、文化財の物質的劣化原因の調査および修復に際して実践された修復材料 の経過調査、文化財の保存環境調査、文化財の防災および防犯的視点による調査、文化財にまつわる文化背 景に関する文献および聞き取り調査などである。  次に、調査活動の成果をもとに総合的地域文化遺産の新たな価値の創出を模索する。対象地域とした西川 町、大江町は地理的に山形県の中心に位置し、出羽三山信仰に関係する六十里越街道や道智道、または最上 川舟運の交通の要所として、山形地方の文化形成における重要な地域である。また 2 町は、大江氏、最上 氏、酒井氏の統治による文化的背景が共通して色濃く、寒河江市、朝日町、鶴岡市などの隣接地域や河北 町、中山町、山形市などの周辺地域との関連も深い。一方の高畠町は、高畠石の採掘に関係する文化財が多 く、縄文時代からの遺跡や高畠石を使用した石造品が各時代を通して多く存在する点が特徴的である。ま た、中世は長井氏(大江氏)の荘園として発達し、近世は織田氏、上杉氏の統治を経たことから、天童市、 米沢市、長井市、白鷹町、小国町、川西町、飯豊町など周辺地域と関係が深い。  調査で明らかになった情報をもとに、個々の文化財を上記の文化背景や信仰形態(仏教、神道、修験道な ど)、様式、制作者(絵師・仏師など)、農業、産業、旧藩、時代(古代、中世、近世、近代、現代)などで 線上につなぎ、それらを複合的にとらえて構築することで面的もしくは立体的な地域文化遺産の新たな価値 を創出する。そのためには、本センターの美術史、保存修復、保存科学、考古学、建築史学などの各専門分 野とともに、地域や研究機関で活動される郷土史、歴史、歴史地理学、宗教学、民俗学などを専門とする研 究者らとの連携し、多角的に地域文化遺産を創出していくことが重要であると考えている。  さらに新たに創出された文化遺産の永続的な保存活動を行っていくために、本学卒業生らを中心とした北 芸工大文化遺産保存修復ネットワークを確立し、本センターの研究員と本学学生との連携を図る。また、こ のネットワークを中心に行政や地域住民との協力体制を築き、調査活動や地域文化遺産価値の創出を連携し て実践することで、地域における永続的な保存修復活動の基盤を構築する。これは、地域文化遺産の調査・ 保存活動を飛躍的に向上させるばかりでなく、文化遺産に関わる若手の専門家の育成や地域住民の文化財保 存に対する意識の向上に大きく寄与するものである。  期待される成果としては、対象地域において悉皆調査を敢行することにより、現在まで知られていなかっ た多くの文化財が発見、もしくは再発見されることが予測される。また、保存修復家、美術史家、歴史家、 保存科学者との共同調査によって、文化財の形態や損傷状態だけでなく保存環境や防犯、防災体制などの文 化財の周辺状況を同時に把握することができることで、総合的な調査結果が得られる。さらに、それらの文 化財の関係性を探り複合的に考察することで新たな地域文化財の価値が創出できる。本研究で実践した成果 は、山形県の文化の再認識や地域活性化を促すとともに、調査内容の目録作成や新たな地域文化遺産価値の 創出としてまとめることで、本質的かつ総合的な新しい文化財保存システムの基盤形成に寄与するであろう。

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8  研究成果公表は、出版物の発行や意見交換会、勉強会、ワークショップ、講演会、シンポジウムなどを通 して、地域や広く他県および海外にむけて随時発表を行う。また、一般向けの広報活動も実践することで、 より広い対象へ向けた文化財保存の理解に努めたい。 テーマ 2 「『環境に配慮し、安全で簡便な地域文化遺産保存管理』を地域住民と展開するための基礎研究と 教育普及」  現在、文化財保存の分野で国際的にも重要となっている予防的保存(Preventive…Conservation)の観点 では、文化財の劣化速度を最小限に抑えるために、その環境を整え、日常的なケアを行うことが重要視され ている。こうした文化財の予防的保存活動を地域で展開するためには、地域文化財の歴史的・文化的な背景 や特徴に関心を高めた住民が、屋内外の環境や災害が文化遺産に与える影響を知り、日常的あるいは定期的 な活動(点検、清掃、簡易的な延命処置等)を継続できる形となることが望ましい。さらに、年配の世代と 若い世代が一体となり、次世代へつながる活動として教育の現場などにも適用されるべきである。  本研究テーマでは、文化遺産保存を通した地域文化力向上のための諸活動を理論的に裏付ける基礎研究を 進め、活動実践へ向けた様々の実験的取組みを地域住民と共同で執り行うことで予防的保存活動の教育・浸 透を図る。そして、環境に配慮し、安全で簡便な文化遺産保存管理の技術を地域住民と共に開発する。特に 寒冷地である山形県の環境特性を考慮した研究を進め、地域での活動に沿ったものとなるよう検討をする。  具体的な研究内容として以下の項目を設定し、本センターにおける実験室的な研究と、現場における住民 との共同研究を並行して行う。 A. …悉皆調査に伴う温湿度、光等環境調査の実施と、調査結果を基にした具体的改善策の検討 B. …悉皆調査に伴う生物被害の現状把握と、燻蒸や市販防虫剤の文化財に対する適性および影響に関する研 究と IPM(総合的有害生物防除管理)の検討 C. 防災を考慮した経済的かつ簡易的な収蔵方法の実践 D. 寒冷地の特性を考慮した保存修復材料と修復方法の研究 E. 保存修復に関わる材料研究  これらの研究から得られる知見を、ワークショップ等を通した地域住民との学びによって浸透を図り、加 えて次世代への教育普及を目指す。    期待される成果としては、入手しやすい器具や材料を用い、安全かつ簡便な作業で実施可能な文化財の保 存方法と環境の改善に関する地域住民の理解が進み、活動の黎明となることが期待される。予防的保存の観 点により、上記の研究内容は将来的な文化遺産の過度な劣化を予防するものである。一方的な研究情報の提 供ではなく、参加型の研究展開をおこなうため、地域の中にも活きた経験・データとして浸透するであろ う。特に小中学生など若い世代の参加が地域文化遺産保護の早期教育となり、継続的に次世代へ活動をつな げるようになることが期待される。よって、当該地域の住民の文化遺産保護に対する意識が飛躍的に向上す ることが期待される。また、各研究に学生および本学卒業生を積極的に参加させることで、研究分野の発展 とともに若手人材の大きな教育的効果が得られる。  本研究によって得られたデータは文化財保存修復学会等、国内当該分野の学会を通して随時発信する。さ らに成果は世界的に共有できるものであるため、国際学会においても成果発表を目指し、山形から世界へ情 報を発信したい。

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文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の概要 9 研究組織(平成 24 年 3 月 31 日時点=平成 23 年度の研究組織)  本研究にあたる研究員は、文化財保存修復研究センター研究員(学科兼任研究員、専任研究員、嘱託研究 員、ポスト・ドクター)と学内研究協力者と外部研究協力者からなる。 美術史・文化財保存修復学科との兼任研究員(6 名)  長坂一郎(日本美術史)、藤原徹(立体作品修復)、森直義(西洋絵画修復)、北野博司(考古学)、三浦功 美子(東洋絵画修復)、米村祥央(保存科学) 専任研究員(2 名)  半田正博(東洋絵画修復)、岡田靖(古典彫刻修復) 嘱託研究員(2 名)  大山龍顕(東洋絵画修復)、大場詩野子(西洋絵画修復) ポスト・ドクター(1 名)  長田城治(日本建築史)  本研究は、本文化財保存修復研究センターの研究員(兼務を含む)が中心となって行い、学内および学外 研究者と随時連携体制をとって推進する。なお、内部および外部研究協力者は、研究の展開に応じて随時メ ンバー構成を行う。  研究プロジェクトの全体はセンター長(長坂一郎)が統括し、さらにテーマごとにリーダーを設定してま とめ(テーマ 1:岡田靖、テーマ 2:米村祥央)、個々の研究は各研究員が研究代表者として実践する。   評価体制  各年度の研究成果は、評価委員および研究調査に協力頂いた地域の関係者らを交えた年度末に開催する研 究調査報告会によって報告している。  本研究の評価は、年度末研究調査報告会および研究成果報告書の審査により、学内外の評価委員 3 名によ って行われる。 学内評価委員  入間田宣夫(東北芸術工科大学大学院長) 学外評価委員  三浦定俊(公益財団法人文化財虫害研究所理事長)  佐藤庄一(山形考古学会副会長)

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テーマ1

保存修復活動から展開される

地域文化遺産の再発見と

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テーマ1「保存修復活動から展開される地域文化遺産の再発見と新たな価値の創出」 13  テーマ 1 では、対象地域を中心に地域文化遺産の把握および再発見のための複合的かつ悉皆的な調査活動 を実践し、調査によって得られた情報をもとに地域文化遺産の価値について多角的に研究することで新たな 文化遺産価値の創出を図る。 1 .地域文化遺産の調査  調査活動は、東北芸術工科大学文化財保存修復研究センターの東洋絵画修復、西洋絵画修復、立体作品修 復、保存科学、美術史、考古学の各分野を中心として、将来への伝存を前提とした環境調査、保存計画、防 災計画などをも含めた複合的かつ悉皆的な文化財調査を行う。これは、従来の絵画や彫刻といった表現分野 別かつ個別の文化財だけを注視した文化財調査とは異なる新たな調査方法である。この調査方法の実践によ り、対象地域においての新たな地域文化遺産の発見、再発見が期待できると考えている。また、修復、保存 科学、美術史など各分野の共同調査により、形態、損傷状態だけではなく保存環境、防災、防犯などの周辺 状況を把握することで、将来への伝存を視野に入れた調査結果が得られると考える。さらに地域文化遺産の 分析、研究にあたっても同様に、各専門分野による複合的な研究体制をとっている。それにより地域文化遺 産が存在する地域の環境、背景、諸条件を踏まえての研究が可能になると考える。このような総合調査研究 の方法は、新たな文化財保存システムの基盤形成に寄与することができるであろう。  具体的な調査の内容は、次の6点を重点的に実施する。   A.文化財の形状・寸法・品質構造・銘文・制作年代などの基本調査と写真撮影による記録   B.文化財の損傷状態(保存状態)の関する調査   C.文化財の保存環境に関する調査   D.文化財の防災および防犯的視点による調査   E.文化財の物質的劣化原因の調査および修復に際して実践された修復材料の経過調査   F.文化財にまつわる文化背景に関する文献および聞き取り調査 2 .新たな文化遺産価値の創出  調査活動の成果をもとに各文化財に対する多面的な検討、研究を行うことにより、文化遺産の意味、意 義、背景を確認し、総合的地域文化遺産の新たな価値の創出を模索する。従来の文化財調査では文化財の 「現状」での文化財の意味や意義を判断しているが、本研究では「現状に至るまでの過程」も重視して調査、 研究を行うことで、文化財の持つ宗教的、美術品的、歴史的、資料的な価値を多面的な視点から考察する。 文化遺産価値の創出には、文化財が生み出された文化的、歴史的背景の中から研究キーワードを導き出し、 それらに沿った研究考察を行う。  本研究における研究キーワードは以下の項目である。   A.信仰関係(出羽三山信仰や既存宗教、または民間信仰など)   B.為政者関係(中世の統治者や旧藩体制、明治期以降の行政区分など)   C.作家関係(絵師・画家・仏師・大工など)   D.…生活文化関係と素材研究(民家・写真などの生活文化と採石・林業・青芋栽培・紙すきなどに関す る素材研究)   E.遺跡関係  これらのキーワードを時間軸に沿って線上につなぎあわせ、それらを複合的にとらえて考察することで、 立体的な地域文化遺産の新たな価値の創出を目指す。そのためには、本センターの美術史、保存科学、保存 修復、考古学、民俗学、歴史学などの各専門分野とともに、他の研究機関や地域で活動する郷土史家や歴史 家らと連携し、多角的に地域文化遺産を創出していくことが重要である。この研究方法により、地域の文化 特性をより詳細に示せるのではないかと考えている。

テーマ1「保存修復活動から展開される地域文化遺

産の再発見と新たな価値の創出」

岡田 靖

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 15 1 .はじめに (1)林家仏師について  林家仏師は江戸時代末期から明治時代にかけて、親子四代に渡って大江町左沢に居を構えて活躍した仏師 の一族である。初代治作、二代目文作、三代目治三郎、四代目治郎兵衛と続く林家仏師一族の活動は、『大 江町史』および『大江町史 近現代編』において一部紹介され、さらに平成 10 年~12 年にかけて大江町教育 委員会から発行された『大江町の仏師』1~3 巻においてより詳しく紹介されている。そして歴代林家仏師の 作品は、大江町を中心に山形県内の広範囲にわたって残されていることが判明している。それらの先行研究 による成果によれば、林家四代の生没年は以下の通りとなる。 ①初代 治作 1764 年〜 1824 年頃       生年は大江町善明院興教大師像銘文の「文化九年(1812) ・・ 治作四十九歳」の記述から推定され、 没年は巨海院に残る文書からの推定による。 ②二代 文作 1802 年〜 1868 年     生年は西川町永源寺韋駄天像銘文の「文政七年(1824) ・・ 文作廿三才」の記述から推定され、没年 は慶応 4 年(1868)とされている。 ③三代 治三郎 1827 年〜 1866 年     生年は寒河江市山岸毘沙門堂観音像銘文「天保十四年(1843) ・・ 治三郎十七才」の記述から推定さ れ、没年は慶応 2 年(1866)とされている。  ④四代 治郎兵衛 1849 年〜 1920 年     生年は嘉永 2 年(1849)、没年は大正 9 年(1920)とされている。  林家仏師は大江町を中心に活発な造仏活動を行ったこととともに、西川町に優れた作品を残す彫刻師・高 山文五郎が二代目文作に師事していたこと3や、山形を代表する近代彫刻家・新海竹太郎が四代目治郎兵衛 に師事していたことなどが先行研究によって知られている4・8。それらの先行研究から、林家が江戸時代か ら明治期にかけての山形県の彫刻界の中心的な存在であったと推測し、本研究において林家の作例を集中的 に調査することとした。次節より、今年度に実践した調査結果を仏師ごとに時代順に沿って報告したい。 (2)平成 23 年度実施調査  平成 23 年度の調査は、先行研究書である『大江町の仏師』1~3 巻に記載されている林家仏師一族の代表 的な作例を中心に開始した。また調査により、先行研究時にはまだ確認されていなかった志津旧玄海参籠所 の不動明王三尊像や寒河江市常林寺の達磨大師坐像や大権修理菩薩倚像などの新たな発見も得られた。 表 1-1 平成 23 年度調査一覧

Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究

左沢原町仏師林家一門の調査研究

岡田 靖

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16 2 .林家仏師調査報告 (1)初代 治作  1764 年〜 1824 年頃  林家仏師の初代。巨海院住職活全と親交が深かったとされ、左沢を中心に作品を多く残している。 A.巨海院(大江町) 「木造十六羅漢像」 法量(単位㎝):  ①像高:69.4(図 1-1)  ②像高:65.9(図 1-2)  ③像高:70.6(図 1-3)  ④像高:66.2(図 1-4)   ⑤像高:65.7(図 1-5)  ⑥像高:65.4(図 1-6)  ⑦像高:72.1(図 1-7)  ⑧像高:71.4(図 1-8)  ⑨像高:68.4(図 1-9)  ⑩像高:67.9(図 1-10) ⑪像高:67.4(図 1-11) ⑫像高:51.3(図 1-12)   ⑬像高:67.1(図 1-13) ⑭像高:68.1(図 1-14) ⑮像高:68.8(図 1-15) ⑯像高:63.0(図 1-16) 品質構造:  12 番以外:木製。寄木造。前後二材矧ぎ。内刳りあり。玉眼。  12 番:  木製。一木造。内刳りなし。玉眼。 ※本体は樹種鑑定調査(東北大学植物園の大山幹成助教の調査による)の結果、ヤナギ属の木材であることが判明。 銘文:  「文化五年 原町仏師治作」の銘が複数あり  「文化八辰年 原町仏師治作」  「施主伊藤幸治母ロく 文化八未年 三月十六日 原町治作作之 世話人堀龍助 原町治作作之」   ※文化 5 年・8 年(1808・1811)、治作 41 歳・44 歳、文作 6 歳・9 歳  本像には当初銘とともに塗り直した時に記載されたとみられる以下の銘文がある。 「巨海院十六らかん彩色拵人仏師職 並二大玉彩色致シ候也 左沢八幡小路二代目西田長吉 年四十九才  明治廿三年 旧七月十三日歳 倅荘吉 十九才 お礼」  ただし現在の表面塗膜は上記の明治 23 年の塗り直しによるものではなく、さらに近年に塗り重ねられた ものであることが聞き取り調査および作品観察から明らかとなっている。 所見:  本像の構造は基本的には前後二材を矧ぎ寄せた寄木造りだが、日本美術史の主流を占める中央仏師の行う 寄木造りとはやや趣が異なる様相を示す。それは本像の木寄せの方法が不規則である点にあり、一木造りを 基本としつつ一木では足りない部位に木材を寄せ合わせることを寄木の目的にしていると考えられる。  また、本像十六体にはそれぞれに十六羅漢像の群像表現のための個性的な表現がみられるが、手先の表現 や耳の造形などの作者の癖が出やすい部位の表現に注視すると、造像に復数人の関与があったことが窺い知 れる。作者名を残した治作が本十六羅漢像を棟梁としてまとめあげたことには間違いないが、制作当時の文 化 5 年~8 年は息子である文作がまだ 6 歳~9 歳であるため、治作に弟子がいた可能性も考えられる。これ らに関しては、治作の造形表現の把握がまだ不十分であるために確定できないが、今後調査を進めることで 林家における弟子の存在の探求も含めた分業についての研究を深めていきたい。 図 1-1 巨海院 十六羅漢像① 図 1-2 巨海院 十六羅漢像② 図 1-3 巨海院 十六羅漢像③ 図 1-4 巨海院 十六羅漢像④

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 17 図 1-5 巨海院 十六羅漢像⑤ 図 1-6 巨海院 十六羅漢像⑥ 図 1-7 巨海院 十六羅漢像⑦ 図 1-8 巨海院 十六羅漢像⑧ 図 1-9 巨海院 十六羅漢像⑨ 図 1-10 巨海院 十六羅漢像⑩ 図 1-11 巨海院 十六羅漢像⑪ 図 1-12 巨海院 十六羅漢像⑫ 図 1-13 巨海院 十六羅漢像⑬ 図 1-14 巨海院 十六羅漢像⑭ 図 1-15 巨海院 十六羅漢像⑮ 図 1-16 巨海院 十六羅漢像⑯ 図 1-17 十六羅漢像①底部 図 1-18 十六羅漢像②の底部 図 1-19 十六羅漢像③の底部 図 1-20 十六羅漢像⑫の底部 図 1-21 十六羅漢像の台座の底部や背面に記載された墨書銘

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18 B.林家所蔵(大江町) 「木造仏頭」(図 1-22) 法量(単位㎝):  像高:13.0 頂 - 顎:4.7 面幅:4.4 面奥:4.1 像幅:5.5 首幅:3.1 首高:4.8 首奥:2.2 品質構造:  広葉樹かと思われる木材の一木造。仏頭の耳後より前面のみを彫出する。背面は平滑にするが、背面右下 に穴があり(節か)、内部に詰め物をする。墨書きによって、白毫、眉、黒目を描く。挿し首状の部分と背 面に墨書銘を記す。 銘文:  正面首下「七條□ 七條左京 藤原康傳 薦之」  裏面左側「七條左京藤原慶㝡」 所見:  本仏頭は林家仏師の子孫宅に伝えられている。仏頭の正面には「七條左京 藤原康傳 薦之」と記されて いる。その銘文の解釈は、先行研究では四代目治郎兵衛に関わるものであると推測されていたが、本研究に おいて新たな解釈を得たため、以下に述べる。  新たな解釈の発端は銘文の「藤原○○」の判読にある。先行研究では「藤原康得」と銘文を読んでいたた め該当する仏師が見当たらなかったが4、本センターの調査では該当部の記載が「藤原康傳」と記されてい ると判断した。そして、藤原康傳の名前で探求を進めたところ、定朝以来の仏師系図を示した『本朝大仏師 正当系図并末流』に康傳なる仏師が、27 代康傳、28 代康傳、30 代康傳の 3 名いることがわかった。この仏 頭に記された「七條左京」を名乗る「藤原康傳」は、その内のいずれかではないかと推測される。  長谷洋一氏の著した論文「康祐没後の近世七条仏師」6には、上記の 3 名の康傳に関わる見解が示されて いる。それによれば、当時の七条仏師は 26 代康祐以後に「七条左京家」と「傍流家」の 2 系統に分かれ、 29 代康音の代にまた一つとなったと論じている。七条仏所が 2 系統に分かれている時、27 代、28 代の康傳 は傍流家に属しているため、彼らが「七条左京」を名乗った可能性は低い一方で、30 代康傳は「七條左京 康傳」を名乗っていたことが確認されている。そのため、林家仏頭に記された「七條左京 藤原康傳」は、 30 代康傳である可能性が高いと思われる。  長谷氏の研究によれば、30 代康傳の生没年は 1733 年~1793 年である。それに則って考察すれば、林家仏 師のうちで 30 代康傳に直接関係できたのは、生没年から判断すると初代治作(1764 年~1824 年頃)しかい ない(二代文作は 1802 年生まれ)。そのため、この仏頭は初代治作に関係するものであるといえる。そして 林家仏頭の銘にある「康傳 薦之」は、30 代康傳が治作を薦めたことを示していると解釈できる。そうで あるとすれば、治作は 30 代康傳が亡くなる 1793 年までに京都に上がり、七条仏所で修業したのではないか と推測できる。  次に仏頭裏側に墨書された銘の「七條左京藤原慶㝡」についてであるが、この記載は「左」の文字が異な っていたり、全体的に筆跡が異なっていたりする特徴があることから、表の墨書とは異なる人物が書いた可 能性が高いと推測できる。ではだれが記したのかについては推測の域を出ないものであるが、四代治郎兵衛 がこの銘に記された名前と同じ「慶㝡」を名乗っていることから、治郎兵衛が自ら書いた可能性もあると考 えられる。今後、30 代康傳の銘や治郎兵衛の銘などの筆跡などを比較、検証することで、本仏頭の墨書記 載者についての見解を深めていきたい。 図 1-22 林家所蔵 仏頭と銘文の赤外線写真

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 19 (2)二代 文作  1802 年〜 1868 年  「七条庵大仏師」「左沢原町大仏師」「左澤仏師職」などと名乗る。先行研究では「京最」とも名乗ったと されるが、その確定のためにはより詳細な研究が必要である3  作例が多く現存し、その作風は京都風で、優れた造形力を示している。 A.永源寺(寒河江市) 「木造韋駄天立像」(図 1-23) 法量(単位㎝):  像高:26.0 頂 - 顎:3.3 面奥:3.8 面幅:2.7 兜幅:5.9  像幅:13.2 像奥:6.7 台座高:9.0 岩座高:4.0 品質構造:  木製。一木造。矧目が確認されないため丸彫りか。彫眼。表面 に彩色を施す。頭部を挿首とする。 銘文:  「文政七申年閏八月吉日 左澤原町仏師文作廿三才」   ※文政 7 年(1824) 文作 22 歳 所見:   文作の銘が残る最初期の作例で、小像ながら複雑な韋駄天の甲冑表現を破綻なくまとめあげる技量が確認 できる。 B.黒森大日堂(大江町) 「木造弘法大師坐像」(図 1-24) 法量(単位㎝):  像高:42.7 頂 - 顎:14.1 面奥:10.6 耳張:10.5 面幅:8.7  胸奥:13.6 腹奥:16.5 肘張:29.0 膝張:44.0 坐奥:32.6 品質構造:  木製。寄木造。玉眼。泥地彩色仕上げ。  体幹部は主材を一材からとり、板材を左後方に矧付ける。頭部は差し首とする。 銘文:  「奉本尊建立弘法大師一躰 施主人道清房 世話人吉兵衛 名主市兵衛   天保八酉霜月一日 左沢仏師細工文作」    ※天保 8 年(1837) 文作 35 歳 所見:  一木造で造像する技法や写実的な表現が特徴的で、先の韋駄天像と比べると文作の造形が確立した感があ る像である。しかし、現状の状態は全体に剥落が進行し、虫食いも生じているため、本像の文化的意義のた めにも修復処置やよりよい保存維持が望まれる。 図 1-24 黒森大日堂 弘法大師坐像と像底部 図 1-23 永源寺 韋駄天立像と台座底面の銘文

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20 C.常林寺(寒河江市) 「木造十六羅漢像」 (文作・治三郎) 法量(単位㎝):  ①像高:56.0(図 1-25) ②像高:55.0(図 1-26) ③像高:51.5(図 1-27) ④像高:51.1(図 1-28)   ⑤像高:52.8(図 1-29) ⑥像高:49.7(図 1-30) ⑦像高:52.5(図 1-31) ⑧像高:50.1(図 1-32)  ⑨像高:54.5(図 1-33) ⑩像高:55.5(図 1-34) ⑪像高:53.4(図 1-35) ⑫像高:55.0(図 1-36)   ⑬像高:51.8(図 1-37) ⑭像高:52.3(図 1-38) ⑮像高:53.0(図 1-39) ⑯像高:51.0(図 1-40) 品質構造:  16 体のほとんどが一木造、内刳りなしの構造であるが、木寄せの方法は各像によって違いを見せており、 かなり細かく矧ぎ付けるものなども見られる。羅漢⑧は左右二材の寄木造。羅漢⑩は寄木造で木材内部に内 刳を施す。 銘文:  「左澤原町七條庵大仏師作之 嘉永元申極月吉日」  「嘉永二年酉三月大吉日 左澤原町大仏師拵之」  「為釈清心居士菩提 施主安孫子金兵衛」      「為釈尼信誓大姉菩提 施主安孫子金兵衛」  ※嘉永元年・2 年(1848・1849) 文作 46 歳・治三郎 21 歳 所見:  十六体の羅漢の個性を見事に表現した群像で、文作の卓越した表現が見て取れる作品である。本十六羅漢 像は、治作が手掛けた巨海院十六羅漢像と同様に異なる造形を示す像が確認された。これは銘文に確かに記 されている文作以外の関与が推測される。常林寺前住職の話によれば息子の治三郎と文作の合作であると伝 えられているため、親子で造像した可能性も高いと推測される。今後、文作の作風研究を深めるとともに、 治三郎の造形性についても探求していきたい。  また、現在の表面には近年に施されたニスが塗られているが、下層の彩色は制作当初の色彩をとどめてい るため、文作の彩色技法をも含めた研究における貴重な作例として注目していきたい。 図 1-25 常林寺 十六羅漢像① 図 1-26 常林寺 十六羅漢像② 図 1-27 常林寺 十六羅漢像③ 図 1-28 常林寺 十六羅漢像④ 図 1-29 常林寺 十六羅漢像⑤ 図 1-30 常林寺 十六羅漢像⑥ 図 1-31 常林寺 十六羅漢像⑦ 図 1-32 常林寺 十六羅漢像⑧

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 21

図 1-33 常林寺 十六羅漢像⑨ 図 1-34 常林寺 十六羅漢像⑩ 図 1-35 常林寺 十六羅漢像⑪ 図 1-36 常林寺 十六羅漢像⑫

図 1-37 常林寺 十六羅漢像⑬ 図 1-38 常林寺 十六羅漢像⑭ 図 1-39 常林寺 十六羅漢像⑮ 図 1-40 常林寺 十六羅漢像⑯

図 1-41 十六羅漢像⑭の像底 図 1-42 十六羅漢像⑮の像底 図 1-43 常林寺 十六羅漢像⑯の像底

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22 D.常林寺(寒河江市) 「木造大権修理菩薩倚像」「木造達磨大師坐像」「木造道元禅師倚像」 D-1 「木造大権修理菩薩倚像」(図 1-45)  品質構造:木製。寄木造。内刳り不明。差し首。玉眼。彩色。  銘文:「嘉永六年□年 安政元年 七月吉日 常林十二世代 施主 安孫子金兵衛」 D-2 「木造達磨大師坐像」(図 1-46)  品質構造:木製。寄木造。内刳りあり。差し首。玉眼。彩色。  銘文:「嘉永六丑年 七月 常林十二世代 施主 安孫子金兵衛」 D-3 「木造道元禅師倚像」(図 1-47)  品質構造:木製。一木造。内刳り不明。差し首。玉眼。彩色。  銘文:「嘉永六丑年 七月十日 當山惠玉代 為 釋清心居士 釋尼信誓大姉 施主 安孫子金兵衛」   ※嘉永 6 年(1853) 文作 51 歳 所見:  「木造大権修理菩薩倚像」「木造達磨大師坐像」の 2 体は十六羅漢像とともに常林寺の本尊脇に祀られてい る像である。これらの像の銘文には作者名が記されていないために断定することはできないが、技法構造、 造形様式が十六羅漢像と酷似しており、また銘文の制作年代からみても文作の作であると思われる。また位 牌堂に祀られている「木造道元禅師倚像」も銘文には作者名がないために断定することはできないが、先の 2 体の像と制作年、寄進者が同じであるため、文作の作であると考えられる。 図 1-45 常林寺 大権修理菩薩倚像 図 1-46 常林寺 達磨大師坐像 図 1-47 常林寺 道元禅師倚像 G.巨海院(大江町) 「無辺光」額(図 1-48) 寸法(単位㎝):  縦 70.0㎝ 横 106.0㎝ 品質構造:  木製の額。金箔。彩色。 銘文:  「奉納御宝前初願成就  額壱箇並金襴打敷三方九十分出来      嘉永二己酉年三月十日  願主 井筒屋左兵衛  富士屋文二 塩谷間之助 鼠屋太郎吉 桁取出人民吉    原町仏師文作  当院十七世活山路勇代  当町勧化  金三両弐歩弐朱  拾七貫八百門出ル」    ※嘉永 2 年(1849) 文作 47 歳 所見:  本額は巨海院本堂北西の間の上方に掲げられている。本額裏側には銘文があり、制作年代と文作の名が記 されているが、文作が本額の制作のどの部分に関わったかは定かではない。巨海院には山号を記した「鉄 囲山」額に文作の名が記されており、それには塗師、大工の作者とともに「箔師 原町 文作」とあるた め4、金箔を押す作業に関わったものと思われる。そのため、「無辺光」額の制作にも箔師として関係した 可能性が高いと考えられる。 図 1-48 巨海院 無辺光額

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 23 H.西林寺(大江町)「木造観音菩薩立像」(図 1-49) 法量(単位㎝):  像高:26.7 頂 - 顎:7.2 面長:2.7 面奥:3.2 耳張:2.8  面幅:2.6 胸奥:3.6 腹奥:4.3 肘張:6.5 天衣張:9.7 品質構造:  木製。一木造。漆箔。彩色。両足先、両手先を別材(一材)にて 矧付ける。 銘文:  「京都七條左京門人 羽前国村山郡 左沢原町 仏師職 文作坂   正歓世菩薩」  所見:  西林寺聖観音像には「京都七條左京門人 羽前国村山郡 左澤原町 仏師職 文作坂」と記されている が、その銘文の解釈について考察してみたい。この記述は、「羽前国」とあることから明治以後に記された 文作没後の第三者による銘であると推測され5、その内容の信憑性に疑問が残るものである。しかし、「京 都七條左京門人」の記述は前述の林家所蔵仏頭が示す内容と一致するため、本作の作者として銘がある二代 目文作が、父治作の京都修行の功績を冠したのか、それとも文作もまた京都七条仏師に修行に出た可能性が あることを意味していると解釈できる。また本銘文の記載者については、明治期に活動した四代目治郎兵衛 が、祖父の功績を記すことで自分の仏師としての正統性を誇示するために記した可能性も考えられる。   I.志津地区山神神社(元は玄海参籠所所蔵)(西川町) 「木造不動明王三尊像」(図 1-50) 法量(単位㎝):  不動明王像高… 43.0… 像奥 … 35.0… 面幅 … 11.0… 膝前奥 … 14.0  像幅 … 33.0… 面長… 9.0… 面奥 … 11.0… 膝張… 37.5  矜羯羅童子像高… 32.0… 制叱迦童子像高… 31.5… … 品質構造:  木造(シナノキ)。一木造。玉眼嵌入。彩色。金箔。 ※本体は樹種鑑定調査(東北大学植物園の大山幹成助教の調査による)の結果、シナノキ材であることが判明。 銘文:  「左澤 佛師職 文作  文久二壬戌九月日」    ※文久 2 年(1862) 文作 60 歳 所見:  本像は、元は月山の中腹にあった玄海参籠所に安置されてい た像であるが、昭和 50 年代に参籠所が倒壊したために、近隣の 志津地区の住民らによって移送され、現在は志津地区山神神社 に安置されている。本像は大江町の先行研究書には記載されて おらず、本センターの調査によって新たに確認された銘文の残 る文作の制作像であり、62 歳で没した文作の最晩年の作として 注目される。その造形は秀逸で、一木から彫出した体幹部の立 体表現や玉眼を嵌入した面部の表現には中央仏師に比べても引 けを取らない造形表現を示し、文作の代表的な作例と言える。  また林文作の彩色の技法および劣化原因の診断のために、本 像および同仏師作の常林寺十六羅漢像の表面の彩色の蛍光 X 線 分析ならびに脱落彩色片のクロスセクション調査を実践した。 その結果、現状では黒色一色となっている塗膜の下層に制作当 初の彩色が残されていることが判明し、本像の下層には不動明王像肉身部に緑色(石黄と青色染料の混色と 推定)が、各脇侍像からは赤色(朱および鉛丹)、白色(胡粉)、金箔などが施されていることがわかったこ とにより、文作が手掛けた制作当初の彩色の様相を窺い知ることができた。なお本像の彩色に関する研究の 成果は、文化財保存修復学会において発表したため、合わせて参照されたい16 図 1-49 西林寺 観音菩薩立像と台座底面の銘文 図 1-50 玄海参籠所 不動明王三尊像

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24 (3)三代 治三郎 1827 年〜 1866 年  父文作とともに常林寺十六羅漢の造像に関わったと伝わる。先行研究によれば治三郎は 39 歳の若さで亡 くなったとされている。そのためもあってか作例が比較的乏しく、その作風や造形性は現状では把握できて いない。 (4)四代 治郎兵衛 1849 年〜 1920 年    治郎兵衛は江戸から明治をまたいで活躍した林家の四代目仏師である。治郎兵衛は現存する作例が多く確 認されており、明治 18 年の新四国八十八箇所霊場(最上三十三観音霊場に重なる)と明治 25 年の新四国 八十八箇所霊場(大江町左沢・本郷・七軒、西川町大井沢)の 2 度に渡り、それぞれに同形同寸同色の弘法 大師坐像の大量な造像を手掛けた4。また近代的な彫刻作品も手掛け、それらが大江町内の個人宅に多く残る。  治郎兵衛は同地域で現在でも優れた仏師であったとの評判が語り継がれているが、一方で山形を代表する 近代彫刻家新海竹太郎の師匠としても知られ、(竹太郎が 15 歳ごろに師事したされる)治郎兵衛の近代彫刻 作品の再評価とともに竹太郎との関係性が興味深い研究テーマである。 A. 巨海院(大江町) 「木造弘法大師坐像」 (写真は第 2 章 P36 図 2-20、21 を参照) 法量(単位㎝):像高(坐高)45.6 品質構造:木製。一木造。内刳りなし。玉眼。 銘文:明治 18 年(1885) 治郎兵衛 36 歳 B.永源寺(寒河江市) 「木造弘法大師坐像」(図 1-51) 法量(単位㎝):  像高:38.0 耳張:9.5 面幅:7.6 面長:13.2 面奥:9.5  肘張:31.2 膝張:38.3 坐奥:39.2 膝前奥:14.5 品質構造:  木製。一木造。内刳りなし。玉眼。 銘文:  「奉納五十三番霊場 明治十八年 吉辰発願左沢巨海院斉藤諦忍   仝横町井上惣兵エ 仝原町安藤三吉 仝駒林半七 寄付人金子仙右ェ門  仏師同町林治郎兵衛」   ※明治 18 年(1885) 治郎兵衛 36 歳 所見:  本像は明治 18 年に最上三十三観音霊場に重なる様に制定された新四国八十八箇所霊場のために造像され た弘法大師坐像のうちの一体である。上記の地区の霊場に制定された寺院には、本像とほぼ同形、同色の弘 法大師坐像があることが知られており、大江町に残されている資料をもとに悉皆的な調査を進めている。 C.巨海院(大江町)「木造遊行弘法大師立像」 (写真は第 2 章 P36 図 2-22、23 を参照) 法量(単位㎝):像高 37.8 品質構造:木製。差し首。玉眼。体幹部の構造不明。 銘文:明治 24 年(1891) 治郎兵衛 42 歳 D.黒森個人宅(大江町)「木造弘法大師坐像」(図 1-52) 法量(単位㎝):  像高 25.0 肘張:16.2 膝張:23.2 像奥:18.0 品質構造:  木製。寄木造の箱組か。   銘文:  明治 25 年(1892) 治郎兵衛 43 歳 図 1-52 黒森個人宅 弘法大師坐像とご詠歌額 図 1-51 永源寺 弘法大師坐像とご詠歌額

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 25 所見:  本像は明治 25 年に大江町の左沢、本郷、七軒地区および西川町大井沢地区の四ヵ村に制定された新四国 八十八箇所霊場のために造像された弘法大師坐像のうちの一体である。上記の地区の霊場に制定された寺院 には、本像とほぼ同形、同色の弘法大師坐像があることが知られており、大江町に残されている資料をもと に悉皆的な調査を進めている。 E.林家所蔵(大江町) 「近代彫刻作品群」  林家子孫宅には、四代目林治郎兵衛が制作したと伝わる近代風の作品が数点所蔵されている。それらの内 の 「木造羅漢像」(図 1-53) 「木造子持ち布袋像」(図 1-54) には像底に「慶㝡」、「慶最」の陰刻があり、 それにより治郎兵衛の作であることが断定できる。他の治郎兵衛の制作像においても、キャラ(イチイ)の 木を丸彫りして精緻に仕上げた彫刻表現は極めて秀逸かつ近代的な表現を示しており、治郎兵衛が近代彫刻 家としても優れた技術や表現力を持っていたことを知ることができる。しかし、治郎兵衛はこのような近代 彫刻を手掛けていた同時期に、江戸時代の造形を踏襲した表現の仏像を制作している。それは治郎兵衛が近 代彫刻制作と仏像制作を意図的に分けていたであろうことを示唆し、明治期の仏師から彫刻家への変遷を考 える上でも極めて興味深い。 図 1-54 林家 子持ち布袋像と像底の陰刻 像高 22 . 8cm 図 1-56 治郎兵衛が大正 5 年(1916)に 制作した如来坐像の写真 図 1-53 林家 羅漢像と像底の陰刻 像高 31 . 0cm 図 1-55 林家所蔵の林治郎兵衛作の彫刻

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26 F.伝昌寺(山形市) 「木造聖観音菩薩坐像」「木造如来形坐像」 F-1.「木造聖観音菩薩坐像」(図 1-57) 法量(単位㎝):  総高:29.0 像高:9.6 肘張:5.8 膝張:7.8   胸奥:2.7 腹厚:3.4 像奥:5.5 頂顎:3.9  面長:1.8 面幅:1.8 面奥 2.3 耳張:2.2 品質構造:  木製。一木造。手先部まで含む本体から蓮肉部まで 共木による丸彫り。 銘文:  像底に「慶㝡」と印刻 所見:  本像は像底に「慶㝡」と記載されており、その表現 は林家に伝わる羅漢像や大黒天像の記載と酷似してい る。そのため、本像は治郎兵衛の作であると見て間違 いない。 F-2.「木造如来形坐像」(図 1-58、59) 法量(単位㎝):  総高:23.7 像高:8.8 肘張:5.7 膝張:7.3 胸奥:2.7 腹厚:3.1 膝奥:5.5   像奥(裙先含む):6.8 頂顎:3.4 面長:2.2 面幅:2.3 面奥 3.2 耳張:2.8 品質構造:  木製。一木造。丸彫り。台座は七材からなり、蓮弁は彫り出し。光背は一材。 所見:  本像は作者を記す銘文は残念ながら確認することはできなかった。しかし、先の聖観音菩薩坐像と一緒に 伝昌寺に伝わる像であることから、本像の作者は治郎兵衛と無関係ではないと推測される。  本像の彫刻は精緻であるものの、治郎兵衛の作風とは異なる表現を示している。また治郎兵衛作の聖観音 像と比較すると、彫刻にやや迷いを感じる痕跡が見受けられるため、比較的若輩者の手によるものではない かと推測される。治郎兵衛に関係する人物で若輩者であるとする推測をもとに考察すると、本像の作者が新 海竹太郎である可能性も考えられる。今後、治郎兵衛に師事していた時に新海竹太郎が彫刻したと伝わる仏 像や父親である新海宗慶の作風などと比較検証することで、本像の制作者の特定を進めていきたい。 図 1-58 伝昌寺 如来形坐像 図 1-59 伝昌寺 如来形坐像頭部側面 図 1-57 伝昌寺 聖観音菩薩坐像と像底の陰刻

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Ⅰ.制作者に着目した文化遺産の研究 27 3.まとめと今後の展望  地域文化遺産の新たな価値の創出を図ることによって地域文化遺産保護を展開することを目的とする本研 究では、先行研究をもとに左沢原町に居住し親子四代に渡って江戸後期から明治にかけて活躍した林家仏師 に着目した研究を行ってきた。  今年度の研究によって、初代治作が京都七条仏所で修業した可能性が高いことが判明したり、代々の林家 仏師の造形的特徴が京風の優れた表現を示したりしていることなどが確認された。しかし、治作から治郎兵 衛に至るまで、技法構造的な特徴に京都仏師との違いが見られる。それは、当時の七条仏師がヒノキによる 寄木造りを主に用いていたことに対し、林家仏師は主に広葉樹を用いた一木造りで造像を行っている点であ る。その理由に関しては今後調査研究をさらに深めることによって明らかにしていきたいが、林家仏師が京 都で学んだ技法を山形に合った方法にアレンジしていった可能性も考えられ、地方仏師の活動実態を知る上 で興味深い。いずれにしても治作以降の林家仏師は、京都で学んだ正統な仏師一族である可能性が今年度の 調査によって少しずつ明らかになってきた。当時の左沢は山形地方の一大商業拠点であり、そこを拠点に活 躍した林家仏師の造仏活動に関する研究は、大江町地域の当時の文化的様相を想起する上でも重要な成果と なると思われる。  また林家仏師は、二代目文作に西川町を中心に活躍した彫刻師・高山文五郎が師事し、また四代目治郎兵 衛に山形を代表する近代彫刻家・新海竹太郎が少年時代に師事したことが知られている。今後、林家のさら なる研究を深めるとともに、彼らに師事した高山家や新海家についても研究を広げることで、文化的な大き な転換期と言える明治維新前後の彫刻界の動きについて探求し、それにより総合的な文化基盤に踏み込んだ 研究成果の深化を目指したい。さらに、山形の出身で同時代に活躍した画家・菊地華秋や建築家・伊東忠太 との関係性についても考察していく予定でおり、全国的な活動を展開した彼らの原点としての山形での活動 を探ることで、当時の山形文化の再評価を行っていきたい。 参考文献 1)『大江町史』大江町教育委員会、1984。 2)『大江町史・近現代編』大江町教育委員会、2007。 3)『大江町の仏師一 治作・文作・治三郎』大江町教育委員会、1987。 4)『大江町の仏師二 治郎兵衛』大江町教育委員会、1988。 5)『大江町の仏師三 二代文作・四代治郎兵衛続き』大江町教育委員会、1989。 6)…長谷洋一「康祐没後の近世仏師七条仏師 -「内證有之ニヨツテ、小佛師康傳相務之」-」『文學論集』第 61 巻 2 号、関西大 学、2011。 7)東京文化財研究所編「本朝大佛師正統系図 并末流」『美術研究 第十一号』吉川弘文館、1972。 8)田中修二『彫刻家・新海竹太郎論』東北出版企画、2000。 9)田中修二『近代日本彫刻集成』第 1 巻幕末・明治編、国書刊行館、2010。 10)『大江町の佛像一』大江町教育委員会、1978。 11)『大江町の佛像二』大江町教育委員会、1981。 12)『大江町の佛像三』大江町教育委員会、1984。 13)『西川町史 上巻』西川町教育委員会、1995。 14)『西川町史 下巻』西川町教育委員会、1995。 15)新海竹蔵『新海竹太郎伝』1981。 16)…岡田靖、足立収一「江戸時代の仏像文化財における彩色の保護と除去の意義についての一考察」文化財保存修復学会第 34 回 大会研究発表要旨集、2012、p.84・p.85。

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Ⅱ.為政者に着目した文化遺産の研究 29 1 .はじめに (1)巨海院の歴史  大江町左沢から延びるバイパスをやや山手に向かった大江町交流センター近くに建つ巨刹、鉄囲山巨海 院。巨海院の創立年は定かとなっていないが、中世頃は真言宗の寺院で柴橋(寒河江市)の落裳寺山にあっ たと伝わる。その後、南北朝時代に大江元時(大江寒河江氏 9 代 1448 年没)によって建造された旧楯山城 内(左沢)に移転されたとされている。さらにその後の戦国時代の天文 11 年(1541)に、新庄瑞雲寺五世 三光存辰により現在地に移転され、曹洞宗としてあらたに開山された。  江戸時代に入ると左沢に酒井直次(1597~1631)を藩主とする左沢藩(1622~1631)が立藩し、楯山城 を廃して新たに小漆川城を建設して、城を中心とした町つくりが行われる。直次は、巨海院を寛永 4 年 (1627)に元屋敷より城の北西に移転して菩提寺とした。そのため、巨海院には直次の墓と位牌がある。  嫡子のなかった直次の死後、左沢藩は廃され、本家である鶴岡藩に吸収されて、左沢は鶴岡藩主酒井忠勝 によって統治されることとなる。そして忠勝が正保 4 年(1647)に没すると、鶴岡藩は長子・忠当が継ぎ、 三男・忠恒は支藩として松山(酒田市)8 千石、左沢 1 万 2 千石の計 2 万石を譲り受けて分家し、松山藩を 立藩する。松山藩酒井家は、以後幕末までの八代にわたって松山に拠点を置き、左沢は 1632 年から設置さ れた代官所によって統治した。  寛文 5 年(1665)に幕府の寺院統制を受けると、巨海院は録所寺である鶴岡総穏寺配下として副僧録の立 場を受け、大江町内の配下寺院(長泉寺、高松寺、長伝寺、大沢寺、福昌寺、祥光院、長松院、光源寺、清 久寺)をまとめた。 表 2-1 平成 23 年度調査一覧

Ⅱ.為政者に着目した文化遺産の研究

大江町巨海院の文化財悉皆調査

長坂一郎 半田正博 岡田 靖 大山龍顕 大場詩野子 長田城治

図 1-44 常林寺 十六羅漢像の台座底部及び方座背面に記された銘文
図 2-58 六曲屏風「山水図」 図 2-57 六曲屏風「四君子・山水画」
図 1-33 常林寺 十六羅漢像⑨ 図 1-34 常林寺 十六羅漢像⑩ 図 1-35 常林寺 十六羅漢像⑪ 図 1-36 常林寺 十六羅漢像⑫
図 2-58 六曲屏風「山水図」 図 2-57 六曲屏風「四君子・山水画」

参照

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