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ジヱ・エス・ミルの地代論(一)

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

ジヱ・エス・ミルの地代論(一)

田中, 定

https://doi.org/10.15017/4151139

出版情報:經濟學研究. 6 (3), pp.157-191, 1936-11-01. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

は し が き

﹁第四篇社會のな坂展が生査及び分配に及ぼす諸影響﹂

︱ ︱ 七

これらの論者たちはみた自

﹁ 第 二 篇 分

配﹂

以下次琥 四、自然的諸限定と技術|—具骰的自然

五︑提業生成物債格及び工業生産物償格 一︑ミル地代論の到象

﹁第

三籍

債値について﹂

これまでわれわれはアダム・スミス︑

ジェ・エス・ミルの地代論

リカ

アド

及びマルサスを論じたU

﹁ 第 一 篤 生

は し

が 日

ジ ェ

. 

査﹂ 次

エ ス

. 

︑努働︑自然︑査本・

ミ 炉 の 地 代 論

︵ 一

中 定

(3)

第 一 節 生

  K

ら第二流詣論者中の尤なるものとして

を代

表せ

しめ

︑叉

磨きをかけること︑

雰困氣はゼー

ムス

・ミ

ル ︑

たれこめてゐる︒

故に︑

ヂェ

ー・エス・ミルを︑

逐次吟味することにより︑ この際派地代論の財芹目録を編成し︑

問題とするであらう︒かれの組成した目銘︑その器しい細

H

今までこの學派の地代諭の組み立てを把握す

るこ

とを主としたために自然諭

及しないできた若干の落ち穂を拾ひ集め︑映を補ふに役立てるであらう︒

ミルの主著﹁親洲學の諸原理﹂

中︑地代論に直接闘係のある飾はつぎの四節である︑││

̲ マカロック等々︑

ジ ェ

・ェ ス・

ミルの

地代

己の特質を充分に表硯しえた︒

ぞれ自己の特質を創造し︑乃至は先輩の意見を自己の籾創の意見により批判し︑

とに

偉大なる貢献をたした人々である︒

この睾派の學問の全成果を︑その甚本的椙造に闘する

かぎ

り︑

全部的に代表せしめる

ことができる︒ー│爾餘の謡論者は︑それらの基本的構造にたんに彫琢を施したにすぎす︑

み換へるといふが如き學問の根本的な前進のためには全く寄典するところはなかった︒

こまやかた磨きを構造物のすみすみにまでゆきとどかせること︑ 中でも

構造物

を組

さらにまたジョン・スチュア

ート

ミルに至る

まで

陰如

叉︑細

H

を増加した黙で︑

これ

かうして退嬰的な ョリこまやかに われわれは︑これらの論者たちに︑正統學派の全バラエテイー 學問の水準を高めるこ スミスとリカアドとは︑誰れかを祖述するといふよりは・それ

︱ 一 八

第一=跛

(4)

ジェ・エス・ミルの地代論

弟十二章

第十三章︒以上の謡法則の諧結果

J V 地 代 論 の 到 象

第 六 巻

土地によって生産の増加が齋らされる場合の法則について

第七章それに生窟謡要素の生産性の度合が依存するもの 第一章 第一篇ではつぎの三章を問題にする︒

生疫の諸要件

あらう落ち穂の束になにらか秩序を典へてくれるであらう︒ ためには︑別に秩序立った叙述を必要としたいであらう︒せめてミルの罷系がわれわれの拾ひ集めるで 篇を追ひ︑また各篇の各章︑各章句を以下順次問題にする︒

第四節社會の疲展が生在と分配に及ぼす謡影轡 第三篇

債値について

第 二 篇 分

上記の落ち穂を拾ひ集めるといふ目的の

(5)

地代は土地貯錆の事賓上の不足から生する︒ーーここ 土地の全貯董は耕作の撰張ある節にせばめられてゆくであらう︒

諸原理並びに諧結論をあらかじめ見透して置くことは有盆

らう︒この問題はこまかに後論する︒ いであらうから

ジェ・エス・ミルの地代論

典へられてゐる︒

その地 われわれは策一章最後の箇所において次の章句に辿りつくであらう︒﹁社會の経渭は最頂要の自然的諧要因中の若干のものが制限された祉においてしか存在しないために

強く左右せらるるものである︒

このことは後に論するであらう︒いまは︑ただ︑自然的要因なるものは る憤値をも有するものではない>何故なら︑

に挑せらる\地質或る位置の土地よりも︑

又︑人鯰的獨占を受けてゐなければ︑市場において如何た

ひとは無信にて手に入れちるL

に代債を支彿ふことをしな

といふことを書き誌すにとどめやう︒

. . .

. .

.  

:・⁝‑地域に擁せらるL

士地︑或は一地域

ヽ"より多くの土地が誹作3ために求めらる\に至れば︑

質及びその位箇の土地は一定の憤格にて販釈せられ︑

しかし︑簡明なる示唆により︑われわれが未だそれを充分に展開

する段取りには立ち至ってゐたいところの︑

であることがしばしばである︒﹂ ヽ ノ

置の土地は事賓上不足することにたるであらう︒

或は一定の年地代にて貸奥されることにたるであ

とくに優良たる地質

及び優良たる位 に素描を輿へられてゐるミル地代論はなんとリカアド地代論の完

全なる再版ではたいか︒ その祉が事賓上無制限のものであるかぎり︑

そこではかれの地代論の素描が

0

0

1) J. S.  Mill,''Principles of Political Economy" edited by W. J. Ashley,  1921. pp. 25, 26. 

(6)

てた

ものであるか︑若干の論者たちはかう問題を提起した︒ してかれの説野の外に棄てられてしまった︒

ら次の一章句を引き出して置かう︒ として展開された地代論と︑ 決して全恥性ではない︒それ故︑

土地そのもの\自然的特性のみを野象とする地代論とは自ら相異るであら う︒即ちスミスの地代論とリカアドの地代論との間にすでに見た如き根抵的な相異の捜つて生する所以

ミルの地代論がリカアドの地代論と同性質のものであるといふことは︑

ので

ある

士地所有

正統學派地代論の全成果を包含するものではない︒このことの賓證に同じく第一章の巾のか

スミスの地代論は︑そ3巫只屯なる内意を少しも理解され中して︑

﹁自然は或る種の疫粟に従事する努働に︑或は他の査業に従専する努働に︑

分は人間の努働が仕事をし︑他の職業においては大半の仕事は自然によりて螢まれる︑

しかし︑かく考へることは甚だしい混縦である︒⁝⁝⁝⁝普通︑

ジェ・エス・ミルの地代論

ョリ多くの支援を奥へる

そして︑彼らは︑或る種の職業においては大部

といふ主張を立

この種の着想は︑人間の努働に 培加細日のすべてがリカアドの輝論︑即ち苓額堀代の珊繭の枠内の事項に限定されてゐることを示すも かれの編成にか\る目録及び

であ

る︒

をー而して土地所布は庇史の所疫であるから︑

艇史的に克明にその本質を明らかにした上でーーふ功象 たい︒土地そのものし特性は土地所布の一馬性ではあるが︑ 地代論の研究対象は一定の社會閥係の中にある土地︑即ち土地所布である︒決して土地そのものでは

(7)

るものではないか︒ミルは地代の條件を措定するに常り︑ あるのではたいか︒

ジェ

・エ

ス・

ミル

の地

代論

封して自然の典へる助力は製造業においてよりも︑

る︒か4る思想は︑フランスのエコノミストの抱いた思想であり︑ヽ

0

"

0

畜ヽヽ・ヽ●鬱`︒されてゐたかったのであるが︑

働きに封して支彿はれるところの債格である︑

者た

ちは

この餘分の債格が支彿はれるからには`︐支彿はるべき奉仕の錆がそれだけ大でたければたら

ぬ︑と想像した︒しかし︑克く考へるならば︑

伴ふ唯一の理由であ.t

ミルの言ふ如くである︒

しか

し︑

それらもまた地代を無理取りすることができるであらう 諸自然力にして控へ目に供給されてをり︑

農業においてより大である︑といふ形で現はれてゐ

︑︑畜畜畜ヽヽ畜ヽ︒︑︑︑

又︑アダム・スミスもそれから解放 そもそも地代の本質に闘す

る誤解よb生するものである︒地代は自然の

製造業においてはこの仮格は支彿はれない︒

土地が載的に制限されてゐることが土地の使用に憤格を

しかして︑空氣︑熱︑電氣`化學的作用︑ これらの諭

その他︑製辿業者により利用される

且つ土地と阿様にこれを熙断し私布しうるものであるたらば

といふことが明瞭にされるであらう︒﹂

スミスが地代天恵論をとる限りにおいてフランスのエコノミストと共通するものであることはまさに

し近世経消學の基石を典へた︑ スミスの如き偉大たる學者ーーかれはフランス•Hコノミストを超克

そしてこの偉業は天恵論を克服することによって成し遂げられたのであ

るーーが︑地代論において何故にたほ天恵論をとりつゞけてゐるか︑

この省察こそ︑ われわれの省察すべき問題は絃に

この偉大なる學者の地代論の内奥の意義を理解するための端緒とな

一筵にリカアド流の士蛾需給説に依掠してゐ

五四

2) 

J .  

S.  Mill, ibid. p. 26. 

(8)

かれ第一章胃頭においていふ、ー—i 的水準にまで誘導して置くことは︑ われの主題はその中の自然︑

炉六巻 主題の細目に立ち入る前に必要なことである︒

駿

i i  

しかし︑網沢學の 渥を左右し︑間接に債値を小︑或は大ならしめる︒ る︒このことはかれの地代論をリカアドのそれの再版たらしめたものである︒

努働︑自然︑咲本ーーこれらは所謂﹁生在の三要索﹂である︒

ものとなした︒第一に努働ーー'それはスミスにおいては投下努働

F l煎として︑或はまた支配努働猜として

考へられた︑ 榜働︑自然︑

而して上記生所三要索は商品債値に釘してそれぞれの次の闘係に立つ

リカアドにおいては投下努働蘭︑

創造する︑また債値の大いさを測董する︑

は本質的には参加しない︑これらは裔品の生産を或は容易或は困難たらしめ︑

自然の中の土地ーー尤も最重要の自然的要索ではあるがー│を釘象とする

ものであり︑それ故右の全個的脳聯を考慮することは・干題外の事項のやうであるが︑

根抵であるこの基礎的闊聯に到して甚だ不統一且つ曖味なる見解を持してゐるミルを︑

ジニ・エス・ミルの地代論

第二に自然及び衰本︵設備︑技術等の意味︶は債値の決定に

生在に要せらるし努働の

さて

われわれはミルの所論を見るであらう︒われ

P L I

正統學派の偲統 マルサスにおいては支配努働であっ

t e I

は廂品債伯を 蘭品生府行程において説明した︒

資 本

正統學派の建殷者たちは荊品の債値を

(9)

自然

が︑

ふ見解を披混するに至った︒ 第七章に論を進めるであらう︶において

資本の生庄性は人間の知識に俯存する︑

第 六 巻

﹁生ギ止の諸要件となるものは二つである︑即ち︑努働及び適嘗なる自然物﹂︒

解する︒この精解についてはすぐ次に論する︒

は︑努働は基本的生産要素である︑

の副次的要素である︑といふ見解を述べてゐる︒

度が失はれないで浅存してゐるのを認めることができる︒

らにまた新しく追加したところの衰本を︑

は労働の正常の慣習的なエナアジーに︑

封して興へられたものである︒

かくてかれは自然の経 といふが如き一聯の他 ーー然るにかれは第七章︵われ!\は漸次に

この科學的態度を事賓上撤回してしまふ︒努働と自然を︑さ

それらの間に横はる理論上の闘聯から解放してしまふ︒そし

て︑自然も︑資本も︑努働が基本的生而要素であると閲じ資格において︑基本的生産要索である︑

とい

スミス以来裔晶憤値解明のためになされた偲統的努力は絃に殷棄されてゐ

るのを見る︒第七章で論ぜられてゐることは︑ーー自然の生産性は土壌の沃度と氣候に︑努働の生南性

愛ない思想に虚碑きる︒﹁謡生而要索の生産性が伶存してゐるもの﹂といふ第七章の標題はかうした内容に

ともあれ︑前にはたんに生面を容易にするものにすぎたかったところの

こしではそれ自身一個の獨立の基本的生森要素となってゐるのである︒ かれのかうした考へ方の中にはまだ偲統的な科學的態 これに釘して自然は労働に援助を典へるものであるかぎりにおいて 直後の章句において努働と自然との賜聯について︑かれ 資本は生産の要件ではないのか︒かれは査本は労働の生産物である︑故に努働を睾ぐれば足る︑ ジェ・エス・ミルの地代論

五 四 四 第 一 ー 一 撃

と辮

一六 四

1) 

J .  

S.  Mill, ibid.・ p. 22. 

(10)

ジェ・エス・ミルの地代論

はかれの先輩たちの水準に浮び上り︑ く︑理論上の必然として︑ だとすれば︑祉會の進歩の詣原因を究明し︑ 努働に還元することができる 洛學的把握に甚だ不統一且つ暖昧であった︑

便 宜 上 の 必 要 か ら で な

そして﹁衰本﹂即ち蓄秋された努働と﹁努働﹂即ち具開的な

かれは︑さらにいへば︑この生肉要素を一定

即ち既往の勢慟の生陀

といふ誹謗をまぬがれることはできたいであらう︒

第一章と第七章との間には上記の混飢への沈下と4

もに逆に一の混胤からの脱出がたしとげられてゐ

る。それは、衰本を新らたに追加したことである。ー—表本は努働の生和昨物である、故に終局において

故に生術の要索としては房働と自然とを學ぐれば足る︑

一章

Aけるミルの見解であった︑

しか

し︑

も原始術業濫崩期の粗野と窮乏を乗り越へえなかったであらうもう︱つの要素︑

物の豫め蓄積せられたる貯材﹂の存することを否定することはできたくたった︒

かれが﹁既往3努働の生克物の蓄校せられたる貯材は資本と呼ばれる︑

といふ新しい見解に立ち至ったことは全く贅然であらう︒

の社合闘係の中に拉し来るべきであった︒

努働との間の差異ーー附者は質の上でも量の上でも異つてゐるーーを指定し かういふのが第

かれはまもたく﹁それなくしては如何なる生肉的作業と雖

といふのは︑人間はつ

ねに生ャ加要具をたづさへて努働する︑人間は生ギ昨要具の自己疲展を通じて今Hの繁榮に逹したのである︑

その中に生所と分配との法則を確立しようと意胤とした︑ J ,

̀ '

それは一個の生産要素である﹂  

この新たたる追加項目の獨立性を主張すべきであった︒かくしてこそ︑かれ

その水準において議論を進めえたであらう︒

2) J. S.  Mill,  ibid. p. 54.  3) Cf. J. S.  Mill. ibid p. 21.  4) 

J .  

S.  Mill, ibid. p. 54. 

(11)

であ

る︒

以上、主題外の豫備的検討に要約を興へる。ー—労働、資本、自然といふ三つの生疫要素がある。そ

のうち︑努働は基本的生痒要素である︒資本と自然とは︑.努慟に封立し︑

ら︑努慟の生森性を援助するといふ意味においての︑

各要索の結合によつて生する生産物の商品憤値に封する顧慮にもとづいてなされるのである︒

自 然 的 諸 限 定

一方においては︑

自然を把へる︒

取得する債値︑ 自然的に限定された條件であるし︑ それん\獨立し︑しかしたが

ミレ︶ 

或は著しい程度解放されることもできるところのもの

具個的な自然は限定と解放とのか\る交錯邸において痰見されるであらう︒人間はこの具開的・

そしてかれの労働はその生両物の商品憤値に規準を典へる︒商品憤値は自然の占有者の

即ち地代を生みだすであらう︒ーーーわれ/\はかうした正統學派地代論の逍行き巾の一

部分︑即ち具開的自然の把握方法に闘して︑ミルの叙述を臨くことにしよう︒

おいてはミルは學派中の誰れよりも優れてゐる︒乃至は詳細をきはめてゐる︒ の如何によってこの自然的の限定から或る程度︑

土地

は︑

は主題に這入るであらう︒ の議論にはあまた救理さるべきものが含まれてゐる︒

この部分に購する分析に しかし他方またそのときどきの技術 しかし大憫︑軟理し終へたゃうである︒われ

l ¥

二次的生所要素である︒かしる寓別立てはそれら

(12)

第七章に別れを告げる︒

合 の 法 則 に つ い て

﹂ と い ふ 椋 題 の 第 十 二 章 に 移 る で あ ら う

︒ 第 十 二 章 胃 頭 の 一 馳 ー

土地の廣さは制限されてゐる︒より生産的な種類の土地の廣さはヨ

l J

一肝制限されてゐる︒

所典の地片から任意祉の生産物を牧穫することも明らかに不可能である︒

これによれば土地の自然的制限性には四つある︒第一に土地穂祉の限定性︑第二に士蛾等級の限定性

第三に或種土地梵の限定性︑第四に土地の生産性の限定性︒﹁それらのものが終局的な制限であることは

ひとびとのつねに明らかに認め米れるところである﹂と入念につけ加へてゐる︒

ミレま︑

J'

,'

 

こしには別に認くべきものはないハ﹁土地によって生在の増加が窟らされる場

てはその後全く獨れてゐたい︒

るが

第一=就

また︑或る

土地の址がかく制限されてを

といふことは生在の培加に封する事賓上の限定であるC

これら四つの制限のうち︑第二︑第一二及び第四の限定性だけを問題にし︑第一の制限につい

その理由は︑第一の制限が車賓上の制限として現はれるまでには︑他の

三つの制限が如何なる農業上の進歩によるも︑全く克服しきれぬものとなってゐることを要するのであ

4

る紐封的な制限が現はれてゐるとは考へられぬからであらう︒制限は現はれてゐるところで

は相封的である︒われ/\もミルに贅同しこれを考察の外に棄て去るであらろ︒

ジェ・エス・ミルの地代論

を︑まづか4る限定性の側面において究明すべきであらう︒ り︑土地の生査性がかく制限されてゐる︑ ﹁土地は任意に培加することはできぬ︒

われ/\は具開的自然 土地はこの故に他の生産要素ー努働及び安本ーと置別される

1 ) J. S.  Mill,  ibid.  p. 176.  2) 

J .  

S.  Mill, ibid.  p. 176. 

(13)

別の説明に てもこの第一制限は什在した筈であるが︑ から生する︒

然る

に︑

けらるべきであらう︒

それ

故︑

しかし︑土地所有の獨占は行はれてゐなかった︒従つて︑土 地に限りあるためであるといふ表現がなさる場合︑限を寓意するものである︒もしさうであるたらば︑

制度成立の以前におい その漉例である︒しかし︑そ しかし︑耕作の撰張 しば攪乱するものである9

序でだから︑問題にして置かう︒例へば︑耕作が存分に撰張できないのは耕

それは通常珊解されてゐる意味においては︑

その判

r l l

としては︑ミルがこの第一制限を度外視してゐると同じ珂山を︑及びいく

ばくかの憤格上謄は耕作の撰張をが可能ならしめるであらうことを學ぐればよい︒

に封して直接的限定として作用するものを右の

意味の自然的限定性に求めることはしば/\行はれてゐ

るところである°││l次に第二の例︒

土地所有の獨占を説明することがまづもつて緊要のこと4なるのである︒さて︑

土地第一制限から土地所布獨占を導き出し説明せんとする企てが現はれるのである︒

地は︑無限祉の空氣と異り︑

耕作の撰販に封する直接的限定は肛合闘係︑即ち土地所有の獨占

占有せらる性質を有するものである︑と言ふ場合において︑所布衝動と上

記第一制限との闘係において土地所布の獨占を説明せんと企てるが如き︑

れは︑誤りである︒その理由は土地所布の獨占は歴史の所産であるからであ

る ︒

地所布の獨占を説明するためには︑ 例へば布限蘭の土

一例

船ぐればアダム・スミスの歴史的方法における 又はさう解される擢れがあるならば︑この表現は避

第一制

この第一の制限は︑しば/\︑土地の有限性といふ言葉で表現され︑われ/\の思惟をしば

第一=披

(14)

ジェ・エス・ミルの地代論

比率で生赤物が培加しないことは明らかである︒

第 六 巻 五 四 九 第 三 撃

一六 九

土地は肥沃度において︑また位

に解繹することは最も索直な解鐸である︒︵前掲一六七頁の引用章句参照︶ 土地生在は牧穫選減の法則に服せねばならぬ︒

これが上記第四の限定の内容︒第四の限定をこの意味

度に増加しない︑努働を倍にするも生序物は倍にけたらたい

といふことは土埴生森の法則で

換言すれば生赤物の各増加分は︑ 作されてゐるといふ厳然たる事賓の中に統一的に示されてゐる︒

士地に 榮働を班

加するも生赤物は同じ程1 1

かれの説くところに従ひ︑それら詣限定の内容を見よう︒ fヽルはこれらの自然的限定について順 説明に︑侯たねばならぬであらう︒

次考察してゐる︒

様々の等級の土地が現に耕 ︑ルが術一闊限を問題にして

因みに︑ミルの地代論はすでに見た如く痒額地代の珂論である︒こ

の種の理論においては土地所有の獨山といふ観念は最初から存在しない︒

なかったことの根祗にかヽる踵諭的理由の

i t

することは言を侯たぬ︒

さて︑第二︑第三︑及び第四の限定が現賀に作用を及ぼしてゐることは︑

﹁:・:.農業上の技術及び知識の或る典へられたる朕態においては︑

より大なる割合ひの労働を投することによって狸得されるものである︑

?J 

ある

︒﹂

﹁生在物の或る培加祉を攀げるために劣等地に頼らねばたらたくたるたらば︑この場合︑榮働と同じ

劣等地といふことの館の意味は詞じ勢働を以つてして

その土地においてより少麓の生在物しか報ひられぬといふことである︒

3) J. S. Mill,  ibid. p. 177. 

(15)

翡くない費用で︑ 何なる闊聯に立ち

ジェ•エス・ミルの地代論

置において劣りうる︒前者は生在物を成長せしめるために︑後者はそれを市場に運ぶために︑

る割合の労働を要求する︒

て︑もう干クオターを生産するためには肥沃度も劣り︑

るな

らば

︑ この二千クオターの小変は最初の千クオターの倍以上の費用を要するであらう︒農業の生庄

物はそれを獲得するために使用される努働よりもより小なる比率にて増加するであらう︒﹂

A地が耕しつくされたからである︒

これは上記第三の限定︒ A地は努貨︑肥料︑等々に或る費用を投じて千クオターの小変を生じ︑而し

この

限定

は︑

ここでは語られてはゐないが︑明らかに前提されてゐる︒最後に

A地︑或はB地と土地等級に闘する言葉は︑各地片の優良さの程度が自然的に

片皿年度の自然的限定並びに各地片位樅の自然的限定といふ形をとり`各地片の等級を決定する︒

上記第二の限定︒この限定は上の章旬において明瞭に述べられてゐる︒

以上

現宮に作用を齋らしてゐる三つの限定の内容を明らかにした︒

そして農業の撰大を限定するものであるかを明らかにせねばならぬ︒

﹁.;・:追加需要が︑優良地に追加努働及追加査本を投じ︑ もう︱つの限定がある︒

だか

ら︑

而して最初の需要泄を生赤した

用よりも

l t

優良地から供給し続けられるならば︑その土地の所布者︑或はその土地の借地農業者

決定されてゐることを前提してのみ用ひえられるのであるから︑

それらの限定は相互に如 これは この意味での限定が︒この限定は各地 土地生産はA地の有限性といふ限定に服せねばならぬ︒ 市場からも遠いB地に頼らねばならぬと仮定す

0

ヨリ大な

0

4) 

J .  

 ・SMill, ibid. p. 177. 

(16)

かれ

は︑

作園内に引ぎ込れるであらう︒

第 六 巻 五 五

しか

し︑

かれ

は︑

この様式に

排作撰張の下降順列を決定したもの︑従って︑限定的浙要素のこの様式

に於ける結合は︑農産物の慣格を騰貴せしめるやうに作用するであらう︒

かかる下降順列における結合様式のほかに︑

リーの定式化した上向順列に於ける結合様式の存することを認めてゐる︒ ぬ

︒か

くて

B地︵劣穿地︶は︑

それとは全く逆の闊係にある結合様式︑即ちヶ

その豊度においてA地に劣るものとして限定されてゐるに拘ら中︑排

︵一︶牧獲薬減の法則はA地︵優良地︶の集約的排作の可能限度を限定する︒ 位置にある土地はその所布者により生活の維持或は獨立のために官際に排作されるであらう︑生活の維持或は獨立といふことは︑ぬであらう︒かかる投衰に査本を引きつけるに充分な利潤がそれらの劣等地から畢げられてゐるとすれば︑それは︑ 全販賓燒を撰大することができるであらう︒豊度の低い︑遠陥の

より選ばれたる士地の誹作が︑もはや︑努働と表本とを如何に増し使用するも︑同一の費用

を以つて豊度より低くまたは便盆より不利なる土地より獲られる報酬に比して︑

えぬ一極黙に逹したといふことの證明である

C

この一章句は上記ー︱︱つの現賓的限定要素の結合の様式に闘して︱つの湖明を典へてゐる︒

における︑排作撰張を必然ならしめる︒ よb大なる報酬を學げ

次の如し︒

︵二︶この限度はA地種

それは︑またA

地種の面積の限定により限定せられねばなら

利潤を學げてそれを耕やさんとする人々の闘心事では決してありえ

は他のすべての人々よりも安く賣.0︑

けれども

5) J. S.  Mill, ibid. p. 173. 

(17)

︵一︶充分にその重要さは認められなかったにせよ︑上向順列をともあれ問題にしてゐること︒

穎の究明のために端絣を典へてゐるであらう︒

また︑それらの細目は基本的謡問

ジェ・エス・ミルの地代論

ついて︑それは﹁百年に一度﹂といふ程度の︑

例外﹂にすぎぬことを強調してゐる︒

とで

ある

そし

て︑

それを基本的様式たらしめるものである︒ そして﹁事賞の正常たる夜展にとり問題たりえぬ暫時のそのことは︑さきの下降順列に於ける結合様式を強化し

「••…•土製の原生産物は進歩的社會においては確賓に勝貴の傾向を辿つてゐる。而して、

労働によつて測定せられたるそれらの生先物の生廂費にして腕貴の傾向を辿りたるに非れば起りえぬこ

といふことは最初歩の続洲學の謡罫理がこれを示してゐる︒﹂

以上現賓的限定語要索の結合様式に闘する議論の結びである︒下降順列が進行する限り︑生

下降順列における拡版が現賞に進行してゐることの證左でめる︑

しかし︑われわれは︑

以上

の︑

リカアドの狸論のたんなる再生傑であるにすぎぬものとなってゐ

土地の自然的眼定に闘するかれの議論の中に︑

の不充分さを補充する若十の細目を疲見することができるであらう︒ かれの先輩たちの議論

る ︒ て現はれてゐるかぎりにおいては かぅいふのである︒従って︑鈷論とし 亜費の昂腑︑債格の腕資をまぬがれぬ︒

農業生性物の債格が現賓に膀貴の傾向にあることは︑それ故

これ

は︑

このことは

6) J. S.  Mill, ibid. p. 182.  7) J. S.  Mill, ibid. p. 182. 

(18)

た︒このことを可能ならしめた所以のものは

第 六 巻

といふ卓見に到逹することができ

雨者の闘係を明瞭にしてゐなかった︒しかるに︑ミルは︑後

明らかにされる︒︶ 七

0

年代の初期以降︑こ

れは

ヨーロッパの穀物市場には執拗なる債格下落が二十数年間に且つて織績した︒

ため︑耕作地の地代は減少するに至った︒

アメリカにおける農業の疲展︑

た︒その他︑現下の世昇の農業が同じ理由のために勘からす影響をうけてゐること︑等々︒

の痰展︑農業技術の痰展︑品種の改良等には原則的に耕作順列の攪胤を作ふものである︒

不充分さを補充するものといへやう︒

︵二︶これも順列の問題に闊聯して問題になってゐることがらであるが︑

ち同一の土地に二つの資本を投することにより生する地代︵悌二形態の地代と呼ばう︒ と

海陸交通業

たんなる﹁例

その理由はすぐ

と︑異れる土地に二つの資本を投することにより生する地代︵第一形態の地代︶と

の間の闘係を明瞭にしたこと︒その箇所に指摘して罹いたやうに︑

形態の存することを述べたのみであって︑

者︑即ち第一形態の地代が︑前者︑即ち第二形態の地代を決定する︑

ジェ・エス・ミルの地代論

リカアドはそれら二つの差額地代の

土地の限定性︑並びに各限定要素相互間の結合様式に闘

五 五ー ︱

苑額地代の二形態間の︑即

外﹂では決してたい︒しかし︑ともあれ︑かかる攪乱の可能性を示唆してゐるだけででも︑リカアドの

即ち世界的規模における上向順列の進行に負ふものであっ

くに九

0

年代初期以降の恐慌期においては︑ヨーロッパの耕作地は勘からざる面積を隊棄せられ︑

その

(19)

最も基本的な要素であるか︑

ジェ・エス・ミルの地代論

られてゐる︒

﹁・

⁝・

・そ

の土

地︵

優良

地ー

筆者

註︶

は︑

しかし︑それ以上に利用されることはない︒追加

Q ‑

努働は他の土地︵劣等地ー筆者註︶に投ぜられることになる︒⁝....

. . . . .

.   ﹂

同一土地に投資を累ぬる限度は他のヨリ劣等たる土地の豊度によつて決定せられる︑

る︒このことは︑優良地の第二形態の地代の大いさは︑

の地代であるー—によって決定される、

ることができるであらう︒ーーニ

0

の土地の豊度の差は優良地における資本累投の原因となるものであ

る︑従つて︑第二形態の地代は第一形態の地代の結果であると︒

において︑また七の麓的大いさにおいて︑

︵三︶以上の骨自然の蹄結として︑

使用努働との比率において最大報酬が獲られる極黙に逹する

第二形態の地代を決定するものである︒

われわれは︑ といふのであ

俊良地と劣等地との豊度の欧ーそれは第一形態

現賓に限定的作用を有する一1︱つの要索中︑その何れが

といふ問題の詮策を要求されたことになるであらう︒ミルは︑牧穫選減の

法則による限定作用を最も基本的たものとなした︒

︐ 

る最重要の命題である

L

﹂畜

しか

し︑

日く︑ーーー﹁農業のこの普遍的法則は純渭學におけ

かく考へることの誤りであることはすでに明らかであらう︒農業が

かくて︑第一形態の地代は︑その木質

といふことの別表現である︒われわれはさらに次の追加を試み までは︑利用しうるかぎり利用し盛されるのである︑ するかれの分析が詳細を盛めた︑といふことである︒さて︑雨種地代間の決定闘係はつぎの章句に述ペ

8) 

J .  

S.  Mill, ibid. p. 179.  9) 

J .  

S.  Mill, ibid. p. 177. 

(20)

その程度は︑限定のそれぞれの性質に應じて︑如何に異るか︒ あ

らう

牧穫蓮減の法則に服するのは︑即ち同一土地に資本の累投が行はれるのは︑他の土地においては︑

かくて︑われわれは︑ 即ち士地農度の菜異の︑結果であること︑そしてその逆ではな

ミルを乗り越へねばならたくなった︒われわれは各蛾農度の自

然的限定を以つて基本的限定要素であると考へる︒

ある︒牧穫蓬減の法則による限定はこれら二つの基本的限定の結果であり︑

自然的諸限定と技術'~具罷的自然

以上︑自然的限定の諸要素︑

技術により褻更され︑本来の姿そのままで存在することはないであらう︒自然は︑具開的には︑自然の

限定とそれを止揚せんとする人為的技術との交錯黙において︑

自然の諸限定について述べた︒

ミルの叙述は次の如し︒

﹁以上述べ来れる原理は︑

ジェ・エス・ミルの地代論 並びにそれらの結合様式に闘して考察して来た︒それ故︑次はそれを止揚せんとする作用︑即ち技術について述ぶべきで

そもそも︑技術の褻展は如何なる程度において自然の詣限定を止揚しうるものであるか︒また

疑ひもたく︑若干の説明及び限定を付して受取らるべきものである︒土地 いのであるから︒ 小たる牧穫が畢げられるといふことの︑

駿

所産であるにすぎぬ︒

さて︑自然的諸限定は

把握されるのである︒われわれはすでに その次は一定豊度の地稲面稲に到する自然的限定で

(21)

﹁これら︵自然的限定を克服せんとするものー惰者︶のうち︑ たかった所以のものは︑絃に存するであらう︒ 畢げられるものであるか

, ‑

おいた代表人物である︑ か°│ーミルは︑地代論史の著者ベレンスも指摘してゐるやうに

﹁結局において自然の法則に軍配が このことは︑この問題の全面的な考察を不可能ならしめはしない 裳然のことたがら 附加的努働及び資本を投じて 作され終った後においても︑物を報ぴられる︑ 排水︑或は恒久肥料により︑土壌そのものを改良するために︑或る巨祉の

すでに投ぜられたる努働及び資本のどの部分にも劣らぬ寛大さにて生径

といふこともなぽ起りうるであらう︒

. . . . .

.   ﹂

牧獲迦減の法則を以つて最屯要の基本的限定と解したところのミルは︑

技術の考察をこ.の法則とのみ闊聯せしむるに至った︒豊度の問題は考寮されてゐるにはゐるが︑しかし

それは豊度の相封的差異といふ基本的限定に闘係せしめられすして︑

考察せられ︑従つて牧穫選減の法則との間係に還元されてしまつてゐる︒

には自然的限定に三つあることを折角指摘して来たのに︑今︑技術の問題を考察するに賞り︑

つの限定に還元してしまふのである︒

それ

故に

一地片の絶討的豊度の問題として

言葉を換へていへば︑われわれ

それを只一

それとも人類の意志に學げられるものであるか﹂といふ問題を考察の中心に

といへるが︑問題の後半に闘する議論において何ら新しい機軸を出だすに至ら

最も顕著なるも3は︑農業上の知識︑

が︑たんに努働を︑即ち通常の手入れを︑増加しただけでは費用に相営する報酬を生ぜぬ程に高度に耕

1) 

J .  

S. Mi11, ibid.  d.  179. 

2) Eduard Berens, Versuch einer Kritischen Dogmengeschichte der Grun‑

drente.  1868.  S. 213. 

(22)

そして殊んど何も説明もたし︑次のやうなものが列欅され 熟練︑及び痰明の進歩である︒なくして︑その土地をして︑ 農法の改良に二種あり、ー—ー若干のものは、等派の努拗を増投することより大なる絶封的生産捷を増加する力は有せぬが︑

労働及び衰本を減少させる力を有するもの︒

. . . . . .  

何と陳爛たる命題ではないか︒改良に二種あり︑

すして生産費を減少させる改良︑ーーー改良に闘してのこの程度の分析はリカアドにも見られた︒

ルサスにも見られたところである︒それのたんなる反覆ではないか︒

一一種ありといふが如き隙腐なる命題を賓證する以外に︑

の甚本問題といふのは︑自然の三つの限定作用のそれぞれを︑

立闘係を具閥的に把握する︑

﹁休

耕地

の際

棄﹂

といふことである︒

まづ第一種の改良に局するものに雑然と︑

てゐる︒順次それらを拾ひながら︑われわれの考察を推し進めることにしよう︒

われ

われ

は一

1

圃式農業から改良一二圃式農業への痰展︑さらにまた自由式農業

への登展を念頭に置けぱよい︒

ジニ・エス・ミルの地代論

即ち休耕作は腹棄せられ︑同一地の利用度数は増加する︒従つて事賓上 る事項に封する手引きが典へられてゐる︒

第一=輩

技術の前に拉し来り︑自然と技術との対 だから︑その手引きを役立てることにしよ弓0

ーー

'今

の場

3) 

J .  

S.  Mill, ibid. p. 183.  4) 

J . 

S.  Mill, ibid. pp. 183,  184. 

今の場合の基本的問題として考察さるべきであ ミルは︑改良の具閥的賓例を左に示す如く多敷揚げてゐる︒

そし

て︑

それらの宵例の中には︑改良に またマ ︱つは生恋"‑ 皿

を増加する改良︑他は生

産址

を増加せ その生庄に要せらるる

(23)

の差異を修正し︑自然的制限を二重に排除するであらう︒

一方

A地或はB

地の面税の限定に封抗し︑他方また

A地及びB地間の相対的豊度 料の褻逹が自然的限定に釘抗してたすところのものは︑各地片の生産性をそれぞれ裔めるといふことだ 窒素の肥効度は︑

ジェ・エス・ミルの地代論

ことの例證︑共の一︒

﹁より多湿の扶養素を含有する新種食粋品の採用︑例へばボテト︑

といふことの例證︑ スヰス蕪苛﹂それによって

その

二︒

(三)「肥料の特質に闘する姉識の増進:••••新式のヨリ強力なる肥料、例へばグアノの使用」

自由式農

業は肥料知識の上に基礎を置いてゐると言っても過言ではない︒

から︑従って︑ 一キログラムの窒素は平均十八キログラムの穀物を培牧せしめ︑ボテトなら八

0 1

1 0

0

キログラム︑甜菜なら一

00

キログラムを培牧せしめ

る︵

ドイツ平均︶といはれる︒

けにとどまらたいのである︐

地片の異るに應じて生産性の高められる程度がそれぞれ異つてくるのであるから︑

して︑各地片相互の間の自然的に限定せられたる豊度の差異が攪飢さる4ことにもなるのである︒

て︑この種の改良は︑ 依つ ヽ~

カ <

といふのは︑肥料の有効肥度は地質氣候等の如何によって異るものである しかし︑肥 例へば︑三大人造肥料

の一

︑ 今日の う︒技術の登逹が面精の自然的限定に封抗する︑ 食糧或は飼糧が節約されることになれば︑耕地の必要謹は︑それだけ縮少されてい4ことにたるであら

︵ 二 ︶

の耕地面秩ーー作付面稜ー~は増加する。これはA種︑或はB種土地面栢の布限性が克服されるといふ

5)'!̲h. R_o~m~r "~eigerung_ der Ernten durch Dtingung und Zi.ichtung" 

Max Sebring, Deutsche Landwirtschaft, S.. 787. 

(24)

ジェ・エス・ミルの地代諭

ぎ︑かくして各地片の牧穫謙を高めるものである︒

かくして︑各地片相互間の また︑他方この種の機械は大曲哀綜螢においてョョ大 しかし︑調救機械の褻逹は︑他 調墜過程を疲逹させることにより︑生奔費を低下させるといふこ 否や︑土地の自然的謡眼定から解放されるであらう︒それ故︑この種の改良は︑土地の制限性を克服す ︵一︶﹁機械の桔造の改良︑撰別機︑脱穀機︑等々﹂ 攪乱する勘において特に注目すべきものである︒ 各地片の有効豊度を高めるのは勿論であるが

それと同時に各地片の豊度相互の間の自然限定的序列を の方法が改善され`深土の利用が可能となることにより︑利用豊炭は著しく高められるものである︒

含 一

︶﹁

深土

伸耕

こ 土地の豊度を利用するためには空耕を必要とすることはいふまでもないが~砲耕

れと詞一種類の改良に島するものとして泄漑排水設備の施行を欅げることができる︒

︷次に第二種の改良に這入る︒この中には次の如き賞例が紺げてある︒

おける諸機枝がさうであると同じ意味において︒農

産物は一度土地から刈取られて調整過程に這入るや

るといふこととは直接の闊係はたい︒ これらのものは︑

これらは人間榮働を節約するであらう︑工業に

と\土地の謡制限を克服することにより生

産費を低下させることは︑厳に甑別せらるべきである︒前者

に闘する限り︑農業の褻逹は工業の褻逹と本質的に異るものではない︒

方.土地の諦限定を克服する作用を有するものである︒優秀なる調盤機械は︑

たる痰逹を遂げ︑小農と大農との間に技術の質的

差異を齋すものであるが︑

穀粒の失はれることを防

(25)

費の爛係に負ふことは勿論であるが するのであるが︑

︑ルはかう芍へてゐる︒

しか

し︑

すしんで直接に自然的諸限定を克服する限りにおいては第 たんに人間努働を節約するにとどまる限りにおいては前記調救過 向は︑深耕と多條耕を目指すものであり︑

エス・ミルの地代論

とに

より

しかし︑耕法の痰逹の一般的方 自然的豊度の序列を焚更することにもたるであらう︒或はまた大規模の新農業地帯形成の條件とたるこ

交通業の疲逹︵後述︶と相侯つて既往耕作閾における各地片の自然的等級序列を攪乱するに

重要なる機能を螢むものである︒

︵二︶﹁スコットランド式排法﹂

御者一人といふ耕法︶この耕法は人間榮慟を節約するといふのである︒

それはともあれ`

一種改良に甚だ近似するものである︒

程の謡疲逹と全く同じ性質のものである︒

種改良に島するものである︒

全一

︶﹁

交通

手段

の改

善﹂

( ‑ ︱

‑  

四頭聯畜御者二人といふイングランド式耕法でた<二頭立て

それ故︑その牽庚動力はより強力なものに移り来る傾向を有

一般に耕法の疲逹は︑たんに人間努働を節約するにとどまら中︑第

鐵道及び運河の疲逹は交通及び運送費用を低減する︑だから︑生産最を高

めることなく生産費を低くめる種類の改良に属する︑

地等級の自然的序列を斐更することにより︑ 交通手段は七

たんに運送費を低くめるといふことによりたしうるよりも

逝かに大なる役割を演ナるものであらう︒遠隔の地帯において新しい農業地帯が開拓されるのは︑運送

しかし︑それもましてそこの農裳生赤物が安く生赤されてゐるか

0

0

(26)

この面秋が前提されずして しも必然的に緩和されることにはならぬ︒ ら

であ

る︒

位紺の自然的限定といふ第四の現賞的限定はわれわれはこれを考慮の外に置いて来た︒

るであらう︒その理由は︑

ゐるといふ黙に存するのであって︑

る三つの限定のみを問題とすれば足りる︑

らす緩和するであらう︒

牒業生赤を自然的諸限定の栢桔から解放しつ

4あることを意味するのであ

位樹の問題は農業のみに脳係する問題でなく︑工業にも闘係する

一般的問題

股菜が土地と結ぶ獨特の闘係は土壊の植物培養養索と根深く結合して

といふのがその二︒ であるから︑

る ︒

けれども︑翡業に討する自然的制限は︑

を止楊する性質のものではない︒

ジェ・エス・ミルの地代論

今後もさうす

この位骰上の限定の緩和によって必す

そのためには別の前提が必要とされる︒即ち︑新地帯の農度

はより優秀なものであらねばならぬ︒また相裳の面粘において存在してゐなければならぬ︒

位置の限定のみ止掘されたとしても︑農業は少しも自然の限定から解放さ

れたことにはならぬであらう︒交通業の疲逹は︑それ自身として考察するならば︑

往の耕作風における基本謡限定を修正するにすぎぬ︒

換言すれば︑自然謡限定の組合せを焚更するものにすぎぬ︒ この豊度と

直接に基本的謡限定

それは︑新しく圏内に引き入れらる4

土地の如何に従び︑間接的に既

さて︑交姐業の褻逹は位料の限定を少か この獨特の︑而して決定的な賜係においては︑以上問題として来れ といふのがその一︑ といふことは︑

(27)

述︑交通機闘の褻逹︑等を學げることができる︒これらのものは︑土地の制限的諧性質との必然的結合

さら

に一

一一

に再

分類

され

る︑

ジェ・エス・ミルの地代論

︵四

︶﹁

製鐵

業の

褻逹

械の痰逹は製鐵業疲逹の結果であるし︑

逹に負はぬものはない︒工業に於ける資本主義の彼逹は順次農業の技術的水準を高める︑といふことに

といふ問題を追求することにある︒従って︑

とにはこれ以上拘はるべきでない︒

三はそれらの結果として︑ といふことの一例證である︒各種農党機

泄漑水路︑堤防の構築︑運河︑鐵道︑等々︑すべて製鐵業の疲

ふことができるであらう︒ーー農業上の改良に大別して二種あり︑

ころなき改良︑他の一は農業固有の改良︑

一は土壊の有効豊度を髪更するもの︑二は土地の布効面積を髪更するもの︑

豊度の差異の自然的序列を髪更するもの︒

工業上の改良と本質的に異るところなき改良ーー大分類その一ーーの例鐙としては農術物調幣機の疲

の外にあるものであり︑従つて工業上の諸改良と異るところなく自已痰逹を遂げらる4ものである︒

即ち土地の自然的詣限定を克服する作用を螢む改良︒後者は 一は工業におけると本質的に異ると 以上︑ミルが掲げてゐる改良の諸場合を拾ひ︑考察を加へ来ったのであるが︑要約すれば次の如く︱︱︱

‑ r t

定を克服するに役立つてゐるか︑こヽに述べられてゐるこ は全く異論はない︒しかし︑こ\でのわれわれの課題は︑

それらの技術の一っ︱つが如何に自然の謡限

術の一般痰逹の結果として農業技術が高められることになる これは︑とくに農業に闊係が密であるといふのではないが︑

第 六 巻 五 六

とも

あれ

1‑︱琥

(28)

疲肢を遂げたのであるが︑

第一=琥 間に手逍具の鍬から︑ この種の改良の第一は土壌の有効農度を菱更するもの︑例へば 道具の連棚から畜力或は聯畜力のバインダー及びスレッシャーヘ︑

インヘ︑この一

批紀間に索睛しい痰逹がなしとげられた

︒﹁多くの観察

者は農

業の工業化の過程を査業革

命になぞらへ︑終局においてそれは大規模の表本主義的輩位によって農業家内制度を排除することにな

︱  

るであらうと確信してゐるc﹂賓際︑危大なる株式會社組織農業會社すらすでに見られるのである︒

これらの事賓はこの種の改良の性質を象微するに充分であらう︒

車道路︑等々の運送機闘の痰逹も性質上調墜機闘の預逹も性質上調盤機のそれと異るものではない︒

従つ

て︑

人間努働を節約することによって間接的に効果を現はす性質のものである︒

この種改良は自己痰展的なもので︑

農業固布の改良は性質を日去

にす

る︒

効果を甜らすのみでなく︑

ジェ・エス,̀︑ルの地代論 これらは自然の諸限定を克服することにより︑克服した程度に應

じて︑効果を現はす性質のものである︒

砲耕機︑中耕機︑把榜槻の改良又は肥料の発逹たどが睾げられるであらう︒耕転機の改良はこのご世紀

畜力鋤︑聯畜多條耕励さらにまたトラクター牽曳の法外に大きた多條耕鋤にまで

これらは︑耕転費用を著しく低減することに前記牧穫調製機の登逹と同様の

土地の有効肥度を高める性質を布するものである︒換言すわば︑豊度の自然・

了 八= =

自然の請限定がそれを制限することはない︒ に効果を現はすのでなく︑ れも︑自然的諸限定の必然的闊係の外にあるものであり︑従って︑それを克服することによって直楼的

鐵道︑運河︑道路︑舗装された自動 さらにまたトラククー牽曳のコンバ

6)森 周 六 博I::.牧穫湖製校の斐涎よJI混たる歌米の穀作農業.農業:土木研究。

第 四 巻 第二琥参照のこと。

7) Lewis Cea! Gray, Agricultural・ Machinery.. Encyclopaedia of the Social  Science. Vol. I.  p.  553.  ・ 

(29)

加するであらう︒

ジェ・ェス・ミルの地代論

的限定を克服した程度に應じて自己の効果を貰現する性質のものである︒

の稲改良は自然の限定に釘する服従から完全に脱することはできないであらう︒

質の諸改良と本質的に展別せらるぺき所以はこ

4に存する︒如何に深く耕し︑

土壊の植物培養. 要素の内部的存在謹そのものを焚更するものではたいであらう︒

は依然として限定的作川を失はぬであらう︒淮漑排水の施設は耕転機と同じ窯味において自然的豊度の

布効度を高める作用を螢むものである︒

土壊と雖も︑

自己痰展を遂げうる性

その限り︑自然的豊度

肥料の疲逹は自然的

農度そのものを焚更する︒如何に肥沃たる

吸牧されること最も多い窒索︑燐︑加里の三元索は直に訣乏するものであり︑杭物培食の

ある︒肥料の効果は︑ 肥料はこのことを防止するのみならす︑積極的に豊疫を著しく古向めるもので

土壊の自然的紺成の中に欠げてゐた或は不足してゐた要索を追加した結果として

肥料の作用は豊度の自然的限定そのものを愛更するものである︑

自然的豊度の有効度を高めること︑

地片の生産址は著しく高められることになるであらう︒ といふこと

それは利用耕地の面積を節約せしめるであら

う︒或はまた努働節約的な機械器具の発逹︑交通園を撰大する交通機欄の命逹は︑

耕地面梧を新しく追

或はまた股法の登逹は

M

一地片の利用度数を頻繁にし︑矢張り耕地面積を節約するこ ができるであらう︒ 現はれるものであるから︑ 資格を失ふものであるが

或はまた自然的豊度に肥料の肥度を追加することによって︑各箪

如何に細かく砕土しても しかし︑さうである限り︑こ

(30)

ジェ・エス・ミルの地代論

る︑といふことである︒ ぬものはたい疇しかし である︒即ち農業固有の改良中の第二種として甑別せらるべきであらう︒

蚊後に以上二種類の農業固有の謳改良の結果︑

翌度の差の自然的序列が攪縦せらる4に至る経路を展開すべきであらう︒

は攪氣せられねばならなくなるであらう︒

暦優良さを獲揮することも︑ 既往の劣等地が優良地になることも︑また既往の優良地が一

そして各種等級間の豊度の液を縮めることも撰大することも可能ならしめ

られるであらう︒泄漑と排水の施設も阿じ結果を現はすであらうし︑また肥料ーーこれは地質と氣候に

より肥効度を異にするものであるから│ーも亦同じ結果を齋すことにあんであらう︒

は或は耕地面積を節約せしめることによって土地等級の数を縮少するであらうし︑

を開褻することによって等級序列を斐更し︑

注意すべきことは︑

以上︑改良の語方面︑謡結果を考察した︒

第 六 巻 五 六 五

一へ 五

さて︑ミルの叙述を振りかへつてみよう︒前節に見た如く 如く土地等級序列の愛更ーー各等級間の豊度差異の撰大︑或は縮少︑ 等級の数を縮少するであらう︒これら一切の改良はかくの は深土の自然的豊度を疲見せしめるのであるがその結果 苑額地代成生の櫃軸となる基本的限定たる各種地片の

第一種の改良︑耕転機の褻逹

表土の曲奴度に従つて作られてゐた等級序列

その理由は個々の改良において述べたところである︒

次に第二種の改良 或は新しい農業地帯 及

び 等 級 数 の 縮 少 ー を 惹 き 起 さ

それらの等級序列は愛更をうけたがらも依然として存績す

とになるであらう︒これらは︑いづれも︑優良地の面秋に釘する自然的限定を緩和する作用を螢むもの

(31)

Ld

ベ ー

ある

が︑

一っ︑豊度の改良には限定があるからだ︒

二つ

優艮豊度の土地面積に限定があるからだ︒

こ そ が新技術の採用0

ためにたされるこのやうな場合においては︑牧穫攘減の法則は事賓上止楊されるので

るをえぬではないか︒

かれは自然的諸限定中牧穫遣減の法則による限定を基本的のものと考へた︒

合においても終始つきまとつてゐる︒

察することを不可能ならしめた︒

なる闘聯を理解せ中︑

すやうに作用する︒ この考へは改良を論する場

そして︑改良の諸効果を自然的諸限定との内部的闘聯において考 改良に闘する限り︑しかしてこの題目はかれの學史上の地位よりすれ

ミルの叙述は理論的に甚だ貧弱である︒要勘だけを左に批

判して置く゜ー牧穫選減の法則による限定は決して基本的限定ではありえたい︒

それは豊度の芸等(

そして謡改良の綜合的結果として現はれるところの土地生産性の増大を直ちに牧

穫選滅の法則の止揚なりと解することによってーーミルはさうした解鐸を下してゐるのであるがー—如

技術の疲展は牧穫の選減ではなくしむしろ逓培を府ら

さうであるたらば︑農業には自然の限定はなくなったのである︑ミルはさう言はざ

技術の夜展により︑生杢性が如何に高められるとしても︑しかして︑資本の追加

しかし︑曲烹度の異る様六の啄級の土地が耕作されてゐる事賓は止揚されることはできない︒

つ︑従つて︑また︑練耕地中の土地等級序列がそれらの限定にもとづき決定されざるをえぬからだ︒ 何なる笑ふべき結果が引き出されろであらうか︒ 基本的限定︶に依存するものである︒このボはすでに明らかにしたところである︒しかるに︑ ば大いに力幽が平皿かれた題目ではあったが︑

この軍要

第一

ー一

参照

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