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吟 走 三 親 一 端 未

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(1)

々騨則膏

尚・戸好

  麿倅廿の内

(2)

・ 一 一 ‑ ぺ 心 一 ‑ 々 へ

回礼  yy一司標^

プヤ 汗J

j.y……4参り

I I♂ ︐

     /

  ゝ

吟走三親一端未

十   東京

︑闘

(3)

' 1

4 帑 4 4 .

  /

(4)

 /

遡1﹂べnK ︲rr

司ηノmv

頒昂

(5)

厚個丿心mr E卜

一4ノ愈祚﹁福印

(6)

明治修身書巻之四

聖範 峰 是三部編纂

   後光明天皇      `

後光明天皇は︑御生れつき︑大征雷をきらは

ゼたまへり︒一日︑御をばの臣下に宣ふ征

は︑﹁几を學問の工夫は︑性質の克ち難き所

より︑先づ之匹克つべし︒朕が雷をおそる

るぱ︑とれ生れつきのくぞ犯ぞある︒朕︑之

(7)

ぬ一﹁1ぺnp卜アノ  昏詐﹁  爾埋紀克つ﹃こと能はTんばク其志を逞ぐるを

得411rI﹄?一︒

其後は︑雷鳴のぱけし︒ぎ日とと吃 玉座を・

紫宸殿の廊下紀うつし︑静長坐したまひて︑

雷鳴の止かまで去り恕まぱT︒此の如き

之と︑しばくなりしかば︑後紀は︑終紀︑雷を

畏れたまぱざるに至れり︒

語紀曰く︑﹃木心繩二従ヘバ直之金ム礪﹄就

ケパ利シ﹂︵菊卿︶と︑蓋し鍛錬すれば︑則ち性紀

克たざるもの七きを︒謂ふなり︒後10世奮

で心︑天皇の御英名を仰方奉名は︑亦宜な

るかな︒

 鰍一章 父母二孝

    代吉

       *<*      ≪    f     rusm ≪    3t    4< s代吉と云へる孝子は︑出羽の國置賜郡西大

塚村の人なり︒人をなり温和犯ぺ正直な

りしかば︑家内皆抄つましく暮ぞhう 人に

(8)

一河Jぺ詐r?ノ  fβ一︒ コm印交ぱる征心︑常に信義を重んjF・ければ︑人々

征︑敬ひしたぱるゝ身巴なれリ︒されば︑村

内征争びのおとるとき︑代吉のはからびを

うくれば︑無事睨をさまるに至りしとぞ︒

代吉は︑幼少の時毎を失びくしかば︑父祉孝行

をつくすこと︑朝夕少しも怠らT︒食事す

るとき感︑﹃父の箸を取らぬ間は︑自らも食ぱ

す︒宸心る時化父の床征入らぬ間は︑自ら

ヽ処枕拡つか千︒父と共に外征出づるとき

侠必ず父の後拡したがぴ︑決して先ドゆく

と巴なかりき︒

用事ありて︑外征出づるときは︑必寸其行く

先きをつけて︑父長安心せしヽめ︑鮎りしと

きは︑直に父の▽安否を問びて︑其のち︑業征就

夕`︑か¨常とぞ﹂りo

      %−/      −父の外征出づるときは︑いつも︑しかけたる

仕事をやめて︑門まで弗くりゆけり︒藩主

ぞの孝心ムかきを賞して︑銀米若干を賜は

(9)

hノ︒し?プか`︒

語祀日了y孝︵父母ノ心夕喜バジム参夕主

トヌい︵石田興長︶

   杉浦三部兵衛      上

杉浦三部兵衛は︑江戸日本橋のほとりの︑水

屋なりしが︑孝行の心ふかくして︑よく老

母征つかへ︑召し使びの者長至る奮で︑やさ

しく口をかけ o

或日︑老母琥猫かいふ

やう︒昨年までは︑身螢

声自由なり・しかば︑孝

心ふかき三郎兵衛辰

件はれ︑駕寵征のりて︑

上野の花を見物征ゆ

さたれぞ︑今年は︑急芦

吾が身のかとろへた

れば︑それな叶は天空

ゝ 4 J

(10)

池司.べりりF

︒︒ノ  l一︒  穎昂

しく春をすぐすととか﹂とてなけきけhy・︒

三郎兵衛はおぞろさて︑どれ征心つかざ

りしは︑全く我がそこつなり︑何とぞゆるさ

ぞた奮へ︑いき是より︑上野の花見をさぞ

申さん﹂とて︑すぐさぐ花屋拡かけゆき︑多

くの榎を島とめ来て︑座敷拡をなへ︑家内

の者与島は勿論︑抜隠の心やすき人々を

感招きて︑花見の酒宴を催はし︑老母の心

をなぐさめた﹂り︒

古人曰ぐ︑﹁孝子ノ老夕蓑フ︵︑其心夕察ジマ

シメ︑其志二違︵ズ︑其耳目メ・祭ジマレメ︑其

寝食多安yふ︑a7之夕忠養涜︵曾尹

仙之助

しか宍戸⁚ド

*1M  ≪.≫      JM≪    A   fe    ≪≫i^..̲. \   "^ S.    .    ≪    . ≫>.    ̲n≪^   *≪.≫.<宍戸仙之助は一岩代の國︑伊達郡富坪村

の人

なり 明治元年の頃︑父をうしなび︑母島亦

眼病にかlれり.

仙之助︑痛 悲しみて︑さま芦\の療治蚤︑盗

(11)

池1一べhUF︒?ノ  ^r    1]Ⅲlrbしめしのみなら大同郡湯野村の温泉は

眼病征効能あり長期き毎を負うて︑入浴ぞ

しめたれ芒気其愚るしなく︑終征盲目とI匁

 れり︒

 今は飲食の外征︑母の心を慰拉べきものも

 なければ︑貧窮の身ながら︑かねて︑母の嗜め

 るものを調へ士乏をすゝめ︑其喜ぶ顔を見

 て︑此上感なき塑しみQ一ぞり︒

朝は︑いつも早く起きて︑先づ母をなぐさめ︑

かくて後︑しばらくの間農業翁出で︑夜に入

れば︑母の盟を摩ダつき︑昨ヤふ︵才の落をし︑

若し用事ありて︑外征出づるときぽ石£尹

風爾の夜たりとも︑或は漂更辰及ぷと礼必﹂

下貼り・来て︑母の心を安めざるこ巴なし︒︲︲

妻子も︑亦仙之助の孝心征ならぴ二家睦ま・

しべして一母に事へけれぼ︑近隣の人々礼皆

其孝行を宿ぜぎるぽなIかりしが︑明治十七︼

年十一月二十一目ヽ靭廷大久其至孝を賞 明治修身書二一喝尋14卜″1J      々 一 Mfc。。:  一

(12)

明治修身書目膠常為1一ぺpE

    111−︲︲−−−−−− ﹈ハノ  だり  一揖皐ぞられ︑緑綬褒章を鸚ぴたり︒

語に日才︑﹃孝行ノ條目︵︑斂多アソドモ︑二條

二約マソ釘︒笛ニュ︑父母ノ心夕安穏﹄ス

タナタ︒第ニュ︑父母ノ身夕敬ヒ養アナタ

︵翁問答︶

   樋.口直八      乙

﹃小孝丿積t牙親ノ心! m Vデレバ︑大孝卜

ナタい︵常盤貞肯︶樋口直八は︑安蒔の國佐伯郡五

日市村の人︲な力︒父死ぞし後は︑母丿弟妹

ざ︑其身を合ぞ・て︑家内五人なりしが万家貧

しければ︑他人の田二反ばかりをあづかり

てどれを耕し︑暇ある^j rmjは人征雇は柾︑

少しの賃銭を得て︑其日をくらしけカ・︒ ︒

平生よく母征つかへて︑農事祀いづる外は︑

暫くも母の側﹃をほなるゝ一1.なし︒まして︑

一夜にても︑他所征は泊らざり・き︒

東天にて家征居る時は︑藁細工なさしなが﹂

明治修身書﹈・w尋syi″II      七 一 4̲J│J

(13)

\\

 X

明 治 池1.べ﹂UF一 J4ノ  尨﹃  嶮岨ら︑さまぐ︑の物語りして︑母を慰め︑且つ弟

妹を感憐み︑近隣の交りを感厚くゼリ︒

ま恕他出ぞし時も︑人の群集する所へは立

ちょらす︒ま£て喧譚11論なぞして︑母の

心をわづらぱしゝこざ︑恕りてなかりき︒

冬の寒き夜も︑炭な芒を買ふとと︒能ぼざれ

ば︑焚火じて亘健辰火を入れ︑母を臥さ£

むれ忿︑をれも久しくは保恕ねば︑母のふす

時は︑其うへ袈蒲團をかけ︑叉一古き綿入を︑取

祉合せて着ぞなそしーて︑夜牛征火の清ゆれ

ば︑再び焚火をし幌亘鮭辰いれ︑已ぱ曾て︑

安らか征寝たることなし︒

夏の夜も︑度々起きいで︑草やわらなぞをム

すべて︑蚊を迫びぱちび︑母を安くね抄らぞ

たり︒その芳︑大かたならね芒︑さら征苦と

︑屯凪ぶ啄ざ丁りてき︒      〜

母の臥す處征︑敷き物なければ︑姿藁を厚く

愚き︑おのれまづ試み征寝て︑後征母を臥さ

(14)

明 治 jtつ.一︲llltTbi£むをな忿︑尋常め人の︑及び瞼きとと︑多か

りしと云ふ︒    ︒−   丁

語征曰くぶwジテ怨tズ︑敬ジテ違ムズ﹂とは

此人の謂tり︒   犬      !

   安藤蛯八耶

安藤禰八郎はヽy昨の昨安象郡の人なカ︒

幼き時より︑孝心深かりしが︑母は冊狂して︑

刄物なぞを振り廻し︑危ふと也多ければ︑親

類忿心相談しそ︑座敷牢把入れん巴ぞり︒

彊八部挟之をおしとヾ薦たとひ︑病気の焉

めとは云び︑子たる身として︑親を牢征入

るべきととのあるべきか︑よし︑親の霜征

怪我するととあ夕と感︑天運なりとあきら

むる外はなし︑故犯是非と感自身辰て︑看

病したし﹂と望めり︒

かくて︑禰八郎ぱ︑妻征かかぴ﹁母の病気味た

やすく尨はりがたし︒其方は︑心正直なれ

(15)

常為1べnF九  一 p‑\     ≪^r     1]^忿島︑久しき間祀は︑母の看病征うみヴか

れて︑おろをか征する心の出でんぐ然ると

きは︑却で不孝丿七るゆゑ︑今より賓家征か

へり︑他へ縁付くべしy云ひしか戻 妻は

之征従はまして石tひ如何今うの.困苦恕

りと礼姑の諮袈は︑骨身を柵﹁します︑看病す

べし﹂と約−束しけりド

かやう吃夫婦力をめはぞて︑よく看病しけ

れば︑其誠心の短ぜし征や︑十二年の久し

さを経て︑母め狂気心全く癒やたり・︒ 語征Bく︒孝子ノ親二事タタ︵︑事々于躬親

ラヌベ利︵呂希哲︶

 第二章 兄弟二友

   毛利元就の教訓

毛利元畿︑病席かyりて︑臨終征近きとき︑

数本の矢を束ね︑子供等を枕もと征集めで

﹁汝等ためし征︑之を折りて見よ﹂と云ふ︑子

(16)

供たちかぱるく︑之を折ちんkすれそ

ること能ぱ雫︒因て︑元就ぱ束ね・し矢をは

尹き︑︼本づゝ頴分ちて︑更辰折らしめけれ

ぱr此度は皆思レサーゝ征折ることを得たり︒

元就容を︒瀬らためIていへらく︒汝等ょく心

得よ︑との矢聚まれば折れ難く︑散すれば折

れ易し︒兄弟睦ましく︑心を合せ︑力をI袈

す乱ときは︑くFけ難きとと︑恰も束ねたる

矢の如し︒萬人の敵あり芦気能べ防ぐを

︒り

゛・・

J?

j

得べし︑餓壁の固さ屯

何ぞ怖る^ K足らん

若し︑叉兄弟睦ましか

らTして︑各づ其心の離

るゝと巴︑宛も一木の

矢の如くなるときぱ

如何に堅固なる城と

ても︑ご児のみよこぱなら

T︒゛゛皆

(17)

が4JyI S.

J<ノ   ー9   笹単忘れ天兄弟睦ましくすべしy云へo

諸子みな︑此言鴇隨ぴければ︑後世紀至るま

で︑毛利の家は︑よく柴えたり︒

語芦曰く︒兄弟︵︑同根ョタ出デタタ・幹ノ如

之幹J夕出デタ″枝ノ如メナジパ︑相和シ

相愛セズン︵アこク薦︵勧懲雑話︶

(18)

が哺Jぺこ胆 ﹈4ノ  1q  2瑠

長︑門の國豊浦郡鞍馬町吃助三耶y云へる

者あり

︒1 0 病征か八

゛りて︑いつ£なく︑物狂ぱ

しきやう征なり︑手征胸るノものは︑何品征

て感打ち︿破り︑叉は外にかけ出で瓢人征

胤暴をしかく︒る祀いたれり︒

それゆゑ︑親類谷も相談して︑座敷牢をこし

ら︑へ︑其中・征助三部をおしこめたり・︒

妻まさは︑之をかなしみ︑日夜其をぱ征居て︑

しんぞつ征看護をし︑ひ乳ある十£きは︑夫

明 治修身書幽1尋lir″tl      十三 一 4。   **≪A<‑ 1   1

(19)

魚をかくぱらけて︑夫の心をなIぐさめ︑少しも︑

之征逆らひたることをぞざhソき︒十

或冬の一夜半に︑親類の者︑尋ヽ刄来りしが︑まさ

ぱ︑衣服﹂を着たる豆よにて︑蒲團を感かけず

征伏し居允り︒

・︒親類の者あやしみて︑其故希問へば︑答へけ

よや√八病の焉めざぱ云ひながら︑夫は座敷

牢の中にて︑か命う征苦み給ふ吃何ぎて己

れ猫り︑蒲團を用ふることのなりべきや﹂Å

(20)

明 治常湘4こぺ﹂UJ﹂四 一 一yノ  ー一︑ iXJ

斯の如ぐ︑しんをつ征看病しければ︑をのし

るしありて︑夫の病ヽ砥終征なはりしとぞ︒

語征日く﹃婦女︵常﹄夫丿敬ヒ畏ジ謹ミタ

  ー       ー       /事クベジゾ      三      \

   加茂具淵の妻 上 加茂侃淵八︑ぱFめ遠江の國潰松騨の︑旅一

屋祀養nれて成長し︑建︒征其家の女を>

て︑妻とぞり︒      上

され芒︑具淵は書物を讃む七とダ好みて︑旅

寵屋の家業を︑をさむることをぞざりしか

ぜプ養父の霜化化くまれて︑叱らるヽこと・

しば/ぺなりきフ

妻ぱ之を見かねて︑びをかに鸞淵にいへる

やう﹁君の學を好みたまふn︑天性なり︒旅

寵屋なぞの主人たるべき︑御身化石ら下︒ノ

今より志を︒さ忙﹂めて︑専ら學問に心そゆ忙

ね︑天下に名を揚けたIまふべし︒私n︑君の

(21)

學業成るまで︑貞節を守り二家の事ををさ

めて︑

ん﹂と︒

君が錦を着で︑還り長まふ時を待恕

是征於﹂て︑侃淵は大征心をぱゆまし

京都辰 '←

出でて︑學問を修業し︑終征名高き國學者と

なれり︒語征曰く﹃夫婦八︒互﹄助夕犬互二﹂操丿正ジ

タスベ瓦      十

 第四章 朋友相信ズ     `゛    川井正直

川井正直は︑書物をょみ庖深く學問芦し長

為らざれ忿気恭敬にして︑律義なる<人恕こ汐

き︒或時︑友人︒来りて︑父の無慈悲なると芒

を告けし親正直こ之をf何とも﹈ぶは竿 一 しで︑涙を流せり︒      犬

友人怪みス其故を問へば︑正直は色を正う・

して曰ぐぶ四身の古は戻ぶJ吉なるぱなし︒

(22)

J4/  尨り  忿服

奮づ思ぴ見知 御舟が吾が︒家拓来りし八︑

父母の脚なら千々︒御身が︑父の無悲恋を

つぐる舌は︑父母の賜物なら千や︒凡そ毛

髪の端より︑足趾の末拓至る1で︑父母の賜

物ならぎるぱなき拓︑今其父母の夥物を

以て︑父母の悪を画ばく︑是枝を以て幹を

打つ拓異1:らす︒御対句行状は︑天地の開

拓容れざ七所な社︒何とてかくまで︑ぷ孝

tyj社﹂と戒め分力︒

友人は︑大ユ其言犯成Fヽ且つ子たる者厄逍

吃そむjJたるをはち︑ぴたすらぺ罪を謝し

て録りくし後は︑終に孝心深き人征なりし

と ^ぞ︒

語犯曰く﹁善夕責ム″こ政友゛邁ナタ﹂凡

    蒲生氏郷

卜 E.^Is。        カ吋  フ ︑タ ダ や ト     ア ■?・。*。4^f11Kij。豊匝秀吉︑賞て蒲生氏郷を會津吃木村秀俊

を大崎拡 封ぜしとき︑爾人を諭しそ日ぐ

(23)

図ノ擢筒今より兄弟の交りを結び︑一且事ある

£きぼ︑互紅赴き恕すくべしy︒

かくて︑秀俊の領内拡︑暴徒あつ1りて︑内観

をおこし︑勢甚良盛んなりしかば︑秀俊び

どり︑誠を守りて甚迫苦︒しめり︒氏郷之を

き九赴きたずけんとぞし祉︑老匝諌めて

日く︒令は雪深くして︑容易紅軍を出但し難

ければ︑赴き給ムとも利ぱめGIF︒若かT

我が領内を守−り・給ムには﹂と︒     ︲=

氏郷之をきか千して曰く︒﹃じれの安全を謀

りて︑肩衣の難を救ぱぎるは︑義にあらす︒

況や太伺よ久論され!言感ある犯・於てを

や︒今之を救ぱ千んば︑世の人我を何とか

云ぱん﹂と︑終長秀俊右助けて︑内胤を平け

しかば︑世の人︑皆氏郷の友情に篤さを成

猫ぞり︒

語に曰く﹃難ニノブミとア助ケザy︵︑朋友ノ

逍﹄アこクズ﹂と︒

J^s. A 1 t3Ty‰  随F  ←上

(24)

−  ︲  治λ91−﹁べ.−nM卜j‑^ノ  ぶ一一︒  コm埋

 第玉章 恭像dヲ将ス

   杉本庄左衛門

杉本庄左衛門は︑幕府の士なり︒其性正直

征して︑約束征そ抄きたるととなし︒人よ

り︑書籍物品七会を借りたるときは︑一々帳

面征ゑるし置くを常とぞり︒︒︒ 或人↓その煩ぱしきをお危びべ何故征︑斯く

手数のかよることをし給ぶぞ﹂と問びし嫉

庄左衛門答へぺ人の命の頼みがたさは︑個

の露の如し︒我れ固より︑借りて返さヾろ

心なけれ尹矢 砦し我が死し恕るのちに︑

家人の之を知ら寸んば︑借りっ冗る人征︑信を

失はんことを憂ムるなり﹂と︒人皆をの用

意の綿﹂密なる征或LFたりとぞ︒

語征日了y船︵櫓樹夕以テ大海メ航ジ︑人︵

正直夕以Lア世夕渡″ペシー︵北條時頼︶`

江珀太耶左衛門

(25)

明 治 ‑TV‑ノ  掴F剽 .ゴ哨哨.江川太郎左衛門は︑初め高鳴秋帆征就きて︑

砲術を學びし吃 其術迪長上建して︑却て

師より感優りたり・︒

或日門下の人々︑氏征すぐめて曰く︒先生は︑

最初高鳴氏征就きて學ぷと気其後は一光生

白ら工夫を加へて︑大祀改良せられ︑今日は

其技いよyxヽ勝れたり︒然らば︑今日より︑

高鳴流巴猶するを止めて︑江川流といへる

を典し給へy︒

氏は︑之を叱︲りて曰く︒汝の師は︑抑誰の門弟

なるぞ︒誰の教導征ょりて︑此名を得る征

至りしぞ︒︑今征して其恩を忘るゝは︑人た

る這征めらす﹂と︒門生恥右て︑奎た云ぱ千

其のち高鳴秋帆は︑幕府の霜辰疑を蒙り︑終

征捕縛ぞられし時︑江川氏︑其不幸をかな

しみ︑扁長金子をおくりて︑困苦を慰めたり

?一 ^ぞ︒

語征日ぐ﹁迢少教ヘジ師︵︑其思最モ重ジ︒

? 治 修 身

    −ミー  ーーー

(26)

瀦父卜同ジタ尊プベ利︵貝原篤信︶

   徳川家康

徳川家康︑嘗て厩の破損したるを覗︑役人

征修繕ぞん事を命し丑つ戒めて日く 爾

感らば︑其處だけムきかへょ︑壁崩れなば︑

其處ぽかり土をぬれ︑此外はすべて簡暑

征ぞょy︒

役人答へて申す征昧折角の伸長は侯へ芒︑

凡そ大名の厩止は︑夏ぼ蚊帳をつhy︑冬は藷

團を着せて︑飼ぴを訟つる者なり︒君の御

馬のみは︑戸口征︑藁のがし泰を垂れおかる

るとよ︑諦り拡危相に過宮侯ぱすや﹂と︒

家康首をふりて曰く丿々とよ︑武±この馬を

養ムは︑鸞際の用に立フるを専一とす︑敢て

外見をかざる祉及ば天 我が藁か﹂しろを

かけて︑飼びたる馬と︑他人・が蚊帳をつ仇蒲

鴎をきせたる馬とをくらべ`ん征︑︼見事

(27)

−〜詞I一一﹃べー−hM卜一 一4ノ  愈﹃  笛服       jある時紅燈は乙敦れか光き紅絵阻をょぢ

河海を渡り︑暑さをしのぎ︑寒さををかして

用紅立つと思ふぞ︒馬を養ふに気無益の

奢りをつぐしかべしと︒A^'^。語紅日く鍼aLグ家法トスタ︵檀ナタ﹄と︒

   綾部道弘﹂

綾部邁弘は︑節倹辰して︑華飾を喜ばす︒容

七美胆を其子征道る人ありし犬上道弘は︑

之を着答こと七許さすして日く︑我が父

貧征し

で世を去りた!びぬ︑吾も亦多年の

勤剪芦ょり︑幸征俸禄をうけて︑児女を養ふ

を得るは︑君の忠恕y︒人情は節するとと

難く︑奢ること易し︒予︑児を愛せざる征ぱ

あちね忿も︑奢り征習ぱしむるを欲ぞぎれ

匯なり

と︒倣以Lグ子孫夕訓フ芦や智ナす

   附衣服の心得

一︑衣

服は正しく着るブ七〇ヽ      `

 l       r一      ♂卜       −      −i−

(28)

淘1﹂.べhg1y  iC﹃   ゴ詞躇︼︑脱診たる衣服は︑取り赦さ温やう祀すべ

 し︒一︑おとりが奮し・き衣服は︑着るべからず︒

 rbれ<1J垢つーたるも卒し︒かならT洗

濯して着器べし︒ 八

ー︑衣服は飾丿少くして︑卑しからIぎるをょ

 しとす︒       `−ぃヽ

一︑無用の衣服は︑多くつくるべからT︒

一︑身の飾り征︑心を用ぴ過こすkから掌︒

却て人のざしIカを受ぐることあり︒

   板倉重矩

(29)

一 l

動4すれ咤奢り征移り易き恐あり︒\熹れ

ば︑昔し本所良︑かすかなる暮し牽ぞしと︒と

を︑片時感忘れすして︑自ら謹まん心のみ﹂と

語祉日くぷ皐夕保ツご聊卜倣トニアタ︒

倫ナレバ財夕失︵ズ︑能夕家夕保ツ

原篤信︶   附飲食の心得

﹃︑食するとやぱ︑ローけい祀含抄勿れ︒

ゴ大口を開きて︑食する勿れ︒

`治修身側一翻噂尋汲加一r4     二十四一 ︷¥  1s`

ベエニ 貨勤

(30)

︼︑食物鱗おとるは宜しからす︒

一︒f.ノ   φぶr一こ隋4され芒感

 腐れ﹁損Fたるやうのものは︑食すべから

 ず一︑長者の膳征臨むとき︑蝿なぞの食物辰集

 らば︑扇團扇な芒征て彿ふべし︒

r幾ごとき征の尹みて︑橿辰飲食すべか︒ら

s       −      II      ム       ︐ 心

一︑食筝のtき︑いつ奮で烏膳征居るべから

掌︒きれ見いそぎて食する冷︑宜しから

(31)

¬ ・ 明 治 J4ノ一﹃  一服

(32)

1"^ノ  淵口︒  コ翔f

(33)

 /

一︑人祀對してdれの事希誇るべからT︒

て人の駈となるととを語るべから・ず︒

一︑人の脆を我が意と︑反するときは一獣し居

 て︑同意煮Tと声可なhン︒之と孚ひをし

 るい略無盆包丁夕︒

(34)

遡哺祠べnr

W − W ・

.ツノ  で心≒  如眉

   矢珊村の庄一屋某 鄙面砂昨外陣村の庄屋某は︑憲み深き人七

りこさ︒或年︑洪水ありて︑田畑の損害せし感

の︑賓長甚岳しく︑村民みな非常拡困りしか

幌 某は之を見る征忍びこy︑aが財産の︑あ

(35)

るかぎり・を出忙して︑人力征かし輿へ︑叉

数多の藁を取り・出忙してヽ隙騎わらんぢ1:

ぞを︑貧民征作らせて︑給助のたすけ七ぞ希

藩主は役人をして︑郡村の難儀なるrb 'ts^を

巡朧ぞしめられIが︑何れの村々気救功

の願を︑申し出づる者のみ数多き征︑矢田

村は︑何の願感申し出でざりしかぼ︑是全

く庄屋のぶ親切征で︑百姓の難儀を︑打ち捨

ておく4のならんと︑巌しく庄屋某を叱

﹂り∴けhソ︒

某気﹁今は何をか隠し申さん︑賓ぱ斯く︒冷冲

の計らび犀て︑窮民を恕すけ候びしなり︒

ゆゑ吃国主の御救助をば︑願ひ申す征及ば

す﹄と坦べければ︑役人手をう︒ちて成心し︑

政事を国主辰言上し︑某征は多くの褒美を

賜はりたりノ       ゜

語征曰く﹁財アソバ善夕用プ″チ貴ブい︵願漕集

≫≪>̲.̲.. A  *. tamm

(36)

瀕僧ムノり眺に

哺/ 罰リ.

   渡澄清右折凹⁚

藤離豚脂島町︒の近村見渡澄清右奇鸚冨こ石

ふ考石見 慈悲の心腹くして︑小轟ふへ漫

良・殺すことなかりき︒然る征其子の清七

は︑父の牲質と金く異方りて︑幼少より殺生

を好み︑轟けものなぞ︑無盆長打ち殺す癖あ

り・︒父朧がの無慈悲魯︸紋紗べきととを諭

しけれさ気 少︒しも用ふる・ことかく︑漸く

轟する征及びて︑頻長銃猟を好み︑暇右れ腿

(37)

明治修身書躍F常遡一﹄べnE・     三十二一4ノ 1q 羅

を射殺し︑死螢を取hッて︑さをあらためし吃

其首のみ見えず︒因て此處彼處を探ぞ芒

支終祀見常らざりしかば︑鰹のみを携﹂ へて︑

家征一鯨れ社︒

翌年また︑その沼征行きし吃只一肩の鴛倉

を見出なしたれば︑是屯銃殺して︑其螢をあ

らためし吃翼の下征︑堅︒ぐ丸きものを持ち

居たり

︐ ︒能く之を見れば︑これを︑雌の首辰

てあてりける○      ゛     一      ♂

清七と八征於て︑去年のことを思ひ出し︒鳥

類すら︑斯く親愛の情あり︒去年より今日

犯ふ于?までf雄の如何にかなしみても力つ

らん﹂と︑始で︒慈悲の心を生F︑父砂戒ぶ屯︑今

祀至りて思湛雷り︑其鳥を厚く葬りて︑其後

は︑金く殺生釜止めたりとぞ︒︿

語に日く︒人誰カ過無カラン︒之夕知?=N  ≫K

能考改ムyパ︑則チ過ナギ﹄録ス⁚︵貝塀篤信︶諺

祀日く︒無益ノ殺生タスペカLクズ﹂と︒

(38)

りりy wr    ﹈﹈附`

   石井仁三耶の父

東京浅草吃石井仁三耶と云ム人めhッ︒或

日︑其家征六十歳節の老人︑訪び来て︑語り出

でゝ日く︒余は少年の頃︑貴家の近隣吃住こみ

たる者なり︒常時は︑牡年の身なり・しかば︑

犬爾説の盲も用びす︑常に放蕩を事とし︑終に

呵責を受けて︑家を出でし城東は︑飢渇﹂祀迫

ること︑数回なりしがで時夕尊父の憐み征

よりて︑生命を繋ぎしとどあり︒然れ芒為︑

心を改めて︑親征事ふるくと感せず︑常陸の水

戸長行き︑旅の難難を嘗抄る緊及びて︑始ぞ

身岳ぶ孝を悟久 それょり後は︑日夜家

業を勣みて︑幸征今は︑若干の財産ある身と

恕こりしが︑昔を£尭ふ情止み難く︑父母の

墓參をかねて︑奪父の高恩︑萬分の︼にも報

いんと︑尋ね来りしかさ︑゛︑尊父は既長︑世を

去られたり芦聞く︑誠長残念の至かかな﹂と・

云ひ終りで︑涙を流谷り︒丿

(39)

゛  ̄I に │ l r j l , I . ・ ; , ・ = I I ‑ . j . ・   ぞ   ぐ 。 I , 。

・ W D 、 I .

刈1りべnr

−4

J■cノ  1﹃  忿Ⅲ輝む三部は︑其厚意を謝し︑町嘩長︑もてなしけ

るが︑彼の老人は︑麗辰仁三部が父の法會

を菅むべき︑期日を尋外田舎辰錨hご刄ば︑聊

か報恩このため︑手作の物を供へん﹂とて︑暇を

告ゆて別拓しが︑日ならずして︑数俵の米

を︑船征積み燈りて︑恩征抄くい恕りとぞ︒

語辰日く﹁汝他人夕恰マバ︑人モ亦汝夕恰一マ

(40)
(41)

県﹂ごぞ︒

(42)
(43)

斯くて︑夜は︑燈下に・坐して書を讃み︑書は︑野

菜を頁りて二日も怠ること尨か祉き︒故

吃晩年征は︑其蔵書感極て多く︑學識4大・に

趨みげれば︑近所の子弟をあづかりて︑讃

み書きの︑教授を霜す征至れり︒されそ︑砥

幼︿少の時の事を忘れずして︑ひまあれぼ︑野

菜をかつまで︑費りぶりるくこと︑もとの如く

なりき︒門人冷も・は之を鼠て︑うきことに思気師の

(44)

身紅して︑野菜を頁りあごきたまふぱ︑諦り

紅賤し︒此後は止め給へ﹂と諌めしかぞ︑

千次耶おかずして曰く︒苛4其身の行ひを

憤しみて︑正しき職業をつとなる睨何砂賤

しきことかあらん﹂と︑少しも︑厭ふ色のな

かり・けれぼ︑其名漸く世紅頴ばれ︑諸侯なぞ

より丸時々千次郎を召して︑談論の友とぞ ら・れし£ぞ︒

語紅曰く︒芳﹄耐ヘズイバ︑事夕成芦コト能︑

(45)

象一−刀憚り?腿7−−j︒

一︑いやしき小脆類は讃抄べからす︒

業を執りしかば︑僕婢も︒怠る者なく︑心を

正うしで︑専一拡働み恕りとぞ︒ ヽ﹃

語拡曰く二家ノ主タタ者八︑卑ブ我が身ヂ

修ムペジ︒身修マラデソバ家斉這ガタジ

︵貝原篤信︶

第入章 公益ヲ廣メ世務ヲ関戸

  逍首名

首名は︑肥後おょくび筑後の國なそを︑治め

一 r4慮一︷`  Lr`

(46)

μjりりnil I

,ヅ

1 1

丿

  一/

‑−4ヽ応7,

−︒アノ ︒−爾りー 一﹁禰吊

たる人紅で︑つね見世

の中の盆良なるべき

事をなさんと︑心を用

ぴたり・︒

されば︑稲妻の作り・方

をよく世話し︑叉は︑地

面のあきたる唐紅は︑

野菜を核ゑ︑難豚忿怒

を飼ふことをすゝめ︑

iVteU

(47)

漓﹃1−・﹃べ︒nuF

構源の近村吃兄を森之助︑弟を吉蔵竺石ふ

兄弟あり︒共吃横誼なる西洋人の商舘に

雇ばれたり︒ へ 此商舘は︑春酒を醸危するを業と芦しが︑

森之助兄弟は︑ひそか祀思ふや矢若し我が

國征て︑姿酒を醸危せば︑大なる利盆あるべ

るときはfよく心をつけて︑勝治の廻力方を

見習吠何とまして︑自身良之を醸廻し得ん

ものを︑しかするときは︑aれ一人賤︒利益の

みなら天我が國の公益長島なるべし﹂とて︑

少し島怠るととな九心を用ひければ︑終舛

箕廻り方を受ぃザ児り︒ sI   s

v>≪‑れより︑家征錨り・で︑春酒を廻り・たる`統昧

惑くして︑たぴyXJ廻り・替へ・たるゆゑ︑大損

をして︑終征身代を気悉く失ぱんとぞり︒

≪i*.*. t *≪T

(48)

一 一 一 一

名詞I べnμ

されそ︑国の諮辰なるべき事と思ひ︑多くの

辛苦をも︑厭ばすして︑力をつくしければ︑終

に昧の美なるがのを︑危り・得る征至り︑外

国人.の醸逍業んし品吃劣らぬ域忿の良品を

得て︑一家の幸のみならす︑我が國の利益

感︑少からぎるに至れo人動ぶyバ︑百事 成タナ百顧到こ初學知要∇

柾癩鉱脈ぱ︑常に勤めを大切池心がけて︑少

しヽ垢怠らぎりき︒病征罹りて︑臨終辰ちか

き時﹁傍なる人は︑信綱征すゝめて︑念佛を

唱ぺしめんとぞり︒         \

信綱は︑きかずして日く︑﹁我は主君乍仕へて︑

御恩をかうむるこ£多し︒未B之辰かく

ゆるは忿のヽつとめもせTして︑死なんとす

いかでか︑南無阿禰陀佛牽唱ふる暇あらん︒

むしろ吾は︒奉公々々y唱へんのみ﹂と︒終

(49)

遡吻Jノ`m口

J4/   尨︷   一︸服

征死卒る奮で︑奉公のことを麻れざりし巴

語征日く︒君二仕ヘテ︵忠夕霞シ︑我が身夕

顧l︒グコ︑卜勿九      上

 第九章 義勇公二奉ズ    ー︒

   和気借麿

人の此世紀生れし昧濁りdの霜めのみ紀

非ず︒國の霜め︑族人の霜め︑朋友の霜め︑衆庶

好埓吃生れ光るむのなるが︑就中︑最も愛

す可きものは國なり︒故紀口﹄抄を得ざる

ときは︑國の霜﹂にをの性命を擲つ可し︒

郭塞天皇︑雰て僣1:紡を郷し給ひしかば︑t

官脊の神主匪貧家片肺官紀託し︑奏して日

く︒逍鏡をして位良即かしめぱ︑天下必穿太

平恕Tりんと︒      \

天皇は︑和貧1:豚良詔︒して︑御勅を受けし蜻

出費の﹃時︑逍鯛溝麿紀いへらく面は︑我を位

澗冲澗∇Jr`﹈

(50)

(51)

まり1 こ6 n町F.司りノ  ぶ≒  コ目印

他用家巌の予見妬紅三4へるあり・暴削

十四歳の時︑父長従ぴて︑大坂の職長赴きし

見兵士束がて︑戦の始まるを告ゆしかば︑頼

聘ゑきり見先匯⁚たらんこ巴を請ふ︒然れ

芒も︑年少しとて︑ゆるざれす○﹂      `゛

かくて戦終り・しかば輔将は堕を失びて︑陣

所征錨り︑父の許征到り︑泣いて曰く︑緬贋

先陣﹂の列に入るととを︑許されぎりしが故

匹 令肆の戦長會はh> ‑SNしは︑い也残念弩−      ﹄︱llI       fI

瓦ソ 宮司 ︒        ゛     ヽ︑        ︱

 −r      sき松平正綱側征あり︑慰めで曰く︒君は御年な

は若かしJ他旦戦陣祉臨み綸ふとと多かる

べし

と︑頼蔚之を叱して日く︒戦争啖他日

征烏すべけれ戻予が十四歳の時畦豊復恕

再び来らんや︒我が残念とする所は︑再び

得べからざる時期

を失ひたる征在るなhy

覧︒列坐の請士屯︑皆此言舛或服ぞり︒

家樹始りより之を獣聴厄しが三︑此征至り大

(52)

 明 治

幽僧Jノ`.m︒

T^     WT      11服

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