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厚個丿心mr E卜
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一4ノ愈祚﹁福印
明治修身書巻之四
聖範 峰 是三部編纂
後光明天皇 `
後光明天皇は︑御生れつき︑大征雷をきらは
ゼたまへり︒一日︑御をばの臣下に宣ふ征
は︑﹁几を學問の工夫は︑性質の克ち難き所
より︑先づ之匹克つべし︒朕が雷をおそる
るぱ︑とれ生れつきのくぞ犯ぞある︒朕︑之
|
ぬ一﹁1ぺnp卜アノ 昏詐﹁ 爾埋紀克つ﹃こと能はTんばク其志を逞ぐるを
得411rI﹄?一︒
其後は︑雷鳴のぱけし︒ぎ日とと吃 玉座を・
紫宸殿の廊下紀うつし︑静長坐したまひて︑
雷鳴の止かまで去り恕まぱT︒此の如き
之と︑しばくなりしかば︑後紀は︑終紀︑雷を
畏れたまぱざるに至れり︒
語紀曰く︑﹃木心繩二従ヘバ直之金ム礪﹄就
ケパ利シ﹂︵菊卿︶と︑蓋し鍛錬すれば︑則ち性紀
克たざるもの七きを︒謂ふなり︒後10世奮
で心︑天皇の御英名を仰方奉名は︑亦宜な
るかな︒
鰍一章 父母二孝
代吉
*<* ≪ f rusm ≪ 3t 4< s代吉と云へる孝子は︑出羽の國置賜郡西大
塚村の人なり︒人をなり温和犯ぺ正直な
りしかば︑家内皆抄つましく暮ぞhう 人に
一河Jぺ詐r?ノ fβ一︒ コm印交ぱる征心︑常に信義を重んjF・ければ︑人々
征︑敬ひしたぱるゝ身巴なれリ︒されば︑村
内征争びのおとるとき︑代吉のはからびを
うくれば︑無事睨をさまるに至りしとぞ︒
代吉は︑幼少の時毎を失びくしかば︑父祉孝行
をつくすこと︑朝夕少しも怠らT︒食事す
るとき感︑﹃父の箸を取らぬ間は︑自らも食ぱ
す︒宸心る時化父の床征入らぬ間は︑自ら
ヽ処枕拡つか千︒父と共に外征出づるとき
侠必ず父の後拡したがぴ︑決して先ドゆく
と巴なかりき︒
用事ありて︑外征出づるときは︑必寸其行く
先きをつけて︑父長安心せしヽめ︑鮎りしと
きは︑直に父の▽安否を問びて︑其のち︑業征就
夕`︑か¨常とぞ﹂りo
%−/ −父の外征出づるときは︑いつも︑しかけたる
仕事をやめて︑門まで弗くりゆけり︒藩主
ぞの孝心ムかきを賞して︑銀米若干を賜は
|
hノ︒し?プか`︒
語祀日了y孝︵父母ノ心夕喜バジム参夕主
トヌい︵石田興長︶
杉浦三部兵衛 上
杉浦三部兵衛は︑江戸日本橋のほとりの︑水
屋なりしが︑孝行の心ふかくして︑よく老
母征つかへ︑召し使びの者長至る奮で︑やさ
しく口をかけ o
或日︑老母琥猫かいふ
やう︒昨年までは︑身螢
声自由なり・しかば︑孝
心ふかき三郎兵衛辰
件はれ︑駕寵征のりて︑
上野の花を見物征ゆ
さたれぞ︑今年は︑急芦
吾が身のかとろへた
れば︑それな叶は天空
ゝ 4 J
禰
明
池司.べりりF
四
︒︒ノ l一︒ 穎昂
しく春をすぐすととか﹂とてなけきけhy・︒
三郎兵衛はおぞろさて︑どれ征心つかざ
りしは︑全く我がそこつなり︑何とぞゆるさ
ぞた奮へ︑いき是より︑上野の花見をさぞ
申さん﹂とて︑すぐさぐ花屋拡かけゆき︑多
くの榎を島とめ来て︑座敷拡をなへ︑家内
の者与島は勿論︑抜隠の心やすき人々を
感招きて︑花見の酒宴を催はし︑老母の心
をなぐさめた﹂り︒
j
ノ
古人曰ぐ︑﹁孝子ノ老夕蓑フ︵︑其心夕察ジマ
シメ︑其志二違︵ズ︑其耳目メ・祭ジマレメ︑其
寝食多安yふ︑a7之夕忠養涜︵曾尹
仙之助
しか宍戸⁚ド*1M ≪.≫ JM≪ A fe ≪≫i^..̲. \ "^ S.* . ≪ . ≫>. ̲n≪^ *≪.≫.<宍戸仙之助は一岩代の國︑伊達郡富坪村
の人
なり 明治元年の頃︑父をうしなび︑母島亦
眼病にかlれり.
仙之助︑痛く 悲しみて︑さま芦\の療治蚤︑盗
池1一べhUF︒?ノ ^r 1]Ⅲlrbしめしのみなら大同郡湯野村の温泉は
﹂
眼病征効能あり長期き毎を負うて︑入浴ぞ⁚
しめたれ芒気其愚るしなく︑終征盲目とI匁れり︒
今は飲食の外征︑母の心を慰拉べきものも
なければ︑貧窮の身ながら︑かねて︑母の嗜め
るものを調へ士乏をすゝめ︑其喜ぶ顔を見
て︑此上感なき塑しみQ一ぞり︒
朝は︑いつも早く起きて︑先づ母をなぐさめ︑
かくて後︑しばらくの間農業翁出で︑夜に入
れば︑母の盟を摩ダつき︑昨ヤふ︵才の落をし︑
若し用事ありて︑外征出づるときぽ石£尹
風爾の夜たりとも︑或は漂更辰及ぷと礼必﹂
下貼り・来て︑母の心を安めざるこ巴なし︒︲︲ ︲
妻子も︑亦仙之助の孝心征ならぴ二家睦ま・
しべして一母に事へけれぼ︑近隣の人々礼皆 一
其孝行を宿ぜぎるぽなIかりしが︑明治十七︼
年十一月二十一目ヽ靭廷大久其至孝を賞 一 明治修身書二一喝尋14卜″1J 々 一 Mfc。。:3A<4 一
頑
明治修身書目膠常為1一ぺpE
111−︲︲−−−−−− ﹈ハノ だり 一揖皐ぞられ︑緑綬褒章を鸚ぴたり︒
語に日才︑﹃孝行ノ條目︵︑斂多アソドモ︑二條
二約マソ釘︒笛ニュ︑父母ノ心夕安穏﹄ス
タナタ︒第ニュ︑父母ノ身夕敬ヒ養アナタ
︵翁問答︶
樋.口直八 乙
﹃小孝丿積t牙親ノ心! m Vデレバ︑大孝卜
ナタい︵常盤貞肯︶樋口直八は︑安蒔の國佐伯郡五
日市村の人︲な力︒父死ぞし後は︑母丿弟妹
ざ︑其身を合ぞ・て︑家内五人なりしが万家貧
しければ︑他人の田二反ばかりをあづかり
てどれを耕し︑暇ある^j rmjは人征雇は柾︑
少しの賃銭を得て︑其日をくらしけカ・︒ ︒
平生よく母征つかへて︑農事祀いづる外は︑
暫くも母の側﹃をほなるゝ一1.なし︒まして︑
一夜にても︑他所征は泊らざり・き︒
東天にて家征居る時は︑藁細工なさしなが﹂
明治修身書﹈・w尋syi″II 七 一 4M̲J│J4<
\\
X
明 治 池1.べ﹂UF一 J4ノ 尨﹃ 嶮岨ら︑さまぐ︑の物語りして︑母を慰め︑且つ弟
妹を感憐み︑近隣の交りを感厚くゼリ︒
ま恕他出ぞし時も︑人の群集する所へは立
ちょらす︒ま£て喧譚11論なぞして︑母の
心をわづらぱしゝこざ︑恕りてなかりき︒
冬の寒き夜も︑炭な芒を買ふとと︒能ぼざれ
ば︑焚火じて亘健辰火を入れ︑母を臥さ£
むれ忿︑をれも久しくは保恕ねば︑母のふす
時は︑其うへ袈蒲團をかけ︑叉一古き綿入を︑取
祉合せて着ぞなそしーて︑夜牛征火の清ゆれ
ば︑再び焚火をし幌亘鮭辰いれ︑已ぱ曾て︑
安らか征寝たることなし︒
夏の夜も︑度々起きいで︑草やわらなぞをム
すべて︑蚊を迫びぱちび︑母を安くね抄らぞ
たり︒その芳︑大かたならね芒︑さら征苦と
︑屯凪ぶ啄ざ丁りてき︒ 〜
母の臥す處征︑敷き物なければ︑姿藁を厚く
愚き︑おのれまづ試み征寝て︑後征母を臥さ
ノ
明 治 jtつ.一︲lllt≫−Tb≫iI剽⁚.£むをな忿︑尋常め人の︑及び瞼きとと︑多か
りしと云ふ︒ ︒− 丁
語征曰くぶwジテ怨tズ︑敬ジテ違ムズ﹂とは
此人の謂tり︒ 犬 !
安藤蛯八耶
安藤禰八郎はヽy昨の昨安象郡の人なカ︒
幼き時より︑孝心深かりしが︑母は冊狂して︑
刄物なぞを振り廻し︑危ふと也多ければ︑親
類忿心相談しそ︑座敷牢把入れん巴ぞり︒
彊八部挟之をおしとヾ薦たとひ︑病気の焉
めとは云び︑子たる身として︑親を牢征入
るべきととのあるべきか︑よし︑親の霜征
怪我するととあ夕と感︑天運なりとあきら
むる外はなし︑故犯是非と感自身辰て︑看
病したし﹂と望めり︒
かくて︑禰八郎ぱ︑妻征かかぴ﹁母の病気味た
やすく尨はりがたし︒其方は︑心正直なれ
常為1べnF九 一 p‑\ ≪^r 1]^忿島︑久しき間祀は︑母の看病征うみヴか
れて︑おろをか征する心の出でんぐ然ると
きは︑却で不孝丿七るゆゑ︑今より賓家征か
へり︑他へ縁付くべしy云ひしか戻 妻は
之征従はまして石tひ如何今うの.困苦恕
りと礼姑の諮袈は︑骨身を柵﹁します︑看病す
べし﹂と約−束しけりド
かやう吃夫婦力をめはぞて︑よく看病しけ
れば︑其誠心の短ぜし征や︑十二年の久し
さを経て︑母め狂気心全く癒やたり・︒ 語征Bく︒孝子ノ親二事タタ︵︑事々于躬親
ラヌベ利︵呂希哲︶
第二章 兄弟二友
毛利元就の教訓
毛利元畿︑病席かyりて︑臨終征近きとき︑
数本の矢を束ね︑子供等を枕もと征集めで
﹁汝等ためし征︑之を折りて見よ﹂と云ふ︑子
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¥
供たちかぱるく︑之を折ちんkすれそ
ること能ぱ雫︒因て︑元就ぱ束ね・し矢をは
尹き︑︼本づゝ頴分ちて︑更辰折らしめけれ
ぱr此度は皆思レサーゝ征折ることを得たり︒
元就容を︒瀬らためIていへらく︒汝等ょく心
得よ︑との矢聚まれば折れ難く︑散すれば折
れ易し︒兄弟睦ましく︑心を合せ︑力をI袈
す乱ときは︑くFけ難きとと︑恰も束ねたる
矢の如し︒萬人の敵あり芦気能べ防ぐを
︒り
゛・・
こ
J?
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得べし︑餓壁の固さ屯
何ぞ怖る^ K足らん
若し︑叉兄弟睦ましか
らTして︑各づ其心の離
るゝと巴︑宛も一木の
矢の如くなるときぱ
如何に堅固なる城と
ても︑ご児のみよこぱなら
T︒゛゛皆
が4JyI S.
‑
J<ノ ー9 笹単忘れ天兄弟睦ましくすべしy云へo
諸子みな︑此言鴇隨ぴければ︑後世紀至るま
で︑毛利の家は︑よく柴えたり︒
語芦曰く︒兄弟︵︑同根ョタ出デタタ・幹ノ如
之幹J夕出デタ″枝ノ如メナジパ︑相和シ
相愛セズン︵アこク薦︵勧懲雑話︶
が哺Jぺこ胆 ﹈4ノ 1q 2瑠
長︑門の國豊浦郡鞍馬町吃助三耶y云へる
者あり
︒1 0 病征か八
゛りて︑いつ£なく︑物狂ぱ
しきやう征なり︑手征胸るノものは︑何品征
て感打ち︿破り︑叉は外にかけ出で瓢人征
胤暴をしかく︒る祀いたれり︒
それゆゑ︑親類谷も相談して︑座敷牢をこし
ら︑へ︑其中・征助三部をおしこめたり・︒
妻まさは︑之をかなしみ︑日夜其をぱ征居て︑
しんぞつ征看護をし︑ひ乳ある十£きは︑夫
明 治修身書幽1尋lir″tl 十三 一 4。 **≪A<‑ 1 1
魚をかくぱらけて︑夫の心をなIぐさめ︑少しも︑
之征逆らひたることをぞざhソき︒十
或冬の一夜半に︑親類の者︑尋ヽ刄来りしが︑まさ
ぱ︑衣服﹂を着たる豆よにて︑蒲團を感かけず
征伏し居允り︒
・︒親類の者あやしみて︑其故希問へば︑答へけ
よや√八病の焉めざぱ云ひながら︑夫は座敷
牢の中にて︑か命う征苦み給ふ吃何ぎて己
れ猫り︑蒲團を用ふることのなりべきや﹂Å
明 治常湘4こぺ﹂UJ﹂四 一 一yノ ー一︑ iXJ
斯の如ぐ︑しんをつ征看病しければ︑をのし
るしありて︑夫の病ヽ砥終征なはりしとぞ︒
語征日く﹃婦女︵常﹄夫丿敬ヒ畏ジ謹ミタ
ー ー /事クベジゾ 三 \
加茂具淵の妻 上 加茂侃淵八︑ぱFめ遠江の國潰松騨の︑旅一
屋祀養nれて成長し︑建︒征其家の女を>
て︑妻とぞり︒ 上
され芒︑具淵は書物を讃む七とダ好みて︑旅
寵屋の家業を︑をさむることをぞざりしか
ぜプ養父の霜化化くまれて︑叱らるヽこと・
しば/ぺなりきフ
妻ぱ之を見かねて︑びをかに鸞淵にいへる
やう﹁君の學を好みたまふn︑天性なり︒旅
寵屋なぞの主人たるべき︑御身化石ら下︒ノ
今より志を︒さ忙﹂めて︑専ら學問に心そゆ忙
ね︑天下に名を揚けたIまふべし︒私n︑君の
學業成るまで︑貞節を守り二家の事ををさ
めて︑
ん﹂と︒
君が錦を着で︑還り長まふ時を待恕
是征於﹂て︑侃淵は大征心をぱゆまし
京都辰 '←
出でて︑學問を修業し︑終征名高き國學者と
なれり︒語征曰く﹃夫婦八︒互﹄助夕犬互二﹂操丿正ジ
タスベ瓦 十
第四章 朋友相信ズ `゛ 川井正直
川井正直は︑書物をょみ庖深く學問芦し長
為らざれ忿気恭敬にして︑律義なる<人恕こ汐
き︒或時︑友人︒来りて︑父の無慈悲なると芒
を告けし親正直こ之をf何とも﹈ぶは竿 一 しで︑涙を流せり︒ 犬
友人怪みス其故を問へば︑正直は色を正う・
して曰ぐぶ四身の古は戻ぶJ吉なるぱなし︒
J4/ 尨り 忿服
奮づ思ぴ見知 御舟が吾が︒家拓来りし八︑
父母の脚なら千々︒御身が︑父の無悲恋を
つぐる舌は︑父母の賜物なら千や︒凡そ毛
髪の端より︑足趾の末拓至る1で︑父母の賜
物ならぎるぱなき拓︑今其父母の夥物を
以て︑父母の悪を画ばく︑是枝を以て幹を
打つ拓異1:らす︒御対句行状は︑天地の開
拓容れざ七所な社︒何とてかくまで︑ぷ孝
tyj社﹂と戒め分力︒
友人は︑大ユ其言犯成Fヽ且つ子たる者厄逍
吃そむjJたるをはち︑ぴたすらぺ罪を謝し
て録りくし後は︑終に孝心深き人征なりし
と ^ぞ︒
語犯曰く﹁善夕責ム″こ政友゛邁ナタ﹂凡
蒲生氏郷﹂
卜 E.^Ia%ms。 カ吋 フ ︑タ ダ や ト ア ■?・。*。4^f11Kij。豊匝秀吉︑賞て蒲生氏郷を會津吃木村秀俊
を大崎拡・ 封ぜしとき︑爾人を諭しそ日ぐ
i
図ノ擢筒今より兄弟の交りを結び︑一且事ある
£きぼ︑互紅赴き恕すくべしy︒
かくて︑秀俊の領内拡︑暴徒あつ1りて︑内観
をおこし︑勢甚良盛んなりしかば︑秀俊び
どり︑誠を守りて甚迫苦︒しめり︒氏郷之を
き九赴きたずけんとぞし祉︑老匝諌めて
日く︒令は雪深くして︑容易紅軍を出但し難
ければ︑赴き給ムとも利ぱめGIF︒若かT
我が領内を守−り・給ムには﹂と︒ ︲=
氏郷之をきか千して曰く︒﹃じれの安全を謀
りて︑肩衣の難を救ぱぎるは︑義にあらす︒
況や太伺よ久論され!言感ある犯・於てを
や︒今之を救ぱ千んば︑世の人我を何とか
云ぱん﹂と︑終長秀俊右助けて︑内胤を平け
しかば︑世の人︑皆氏郷の友情に篤さを成
猫ぞり︒
語に曰く﹃難ニノブミとア助ケザy︵︑朋友ノ
逍﹄アこクズ﹂と︒
J^s. A 1 t3Ty‰ 随F ←上
− ︲ 治λ91−﹁べ.−nM卜j‑^ノ ぶ一一︒ コm埋
第玉章 恭像dヲ将ス
杉本庄左衛門
杉本庄左衛門は︑幕府の士なり︒其性正直
征して︑約束征そ抄きたるととなし︒人よ
り︑書籍物品七会を借りたるときは︑一々帳
面征ゑるし置くを常とぞり︒︒︒ 或人↓その煩ぱしきをお危びべ何故征︑斯く
手数のかよることをし給ぶぞ﹂と問びし嫉
庄左衛門答へぺ人の命の頼みがたさは︑個
の露の如し︒我れ固より︑借りて返さヾろ
心なけれ尹矢 砦し我が死し恕るのちに︑
家人の之を知ら寸んば︑借りっ冗る人征︑信を
失はんことを憂ムるなり﹂と︒人皆をの用
意の綿﹂密なる征或LFたりとぞ︒
語征日了y船︵櫓樹夕以テ大海メ航ジ︑人︵
正直夕以Lア世夕渡″ペシー︵北條時頼︶`
江珀太耶左衛門
明 治 ‑TV‑ノ 掴F剽 .ゴ哨哨.江川太郎左衛門は︑初め高鳴秋帆征就きて︑
砲術を學びし吃 其術迪長上建して︑却て
師より感優りたり・︒
或日門下の人々︑氏征すぐめて曰く︒先生は︑
最初高鳴氏征就きて學ぷと気其後は一光生
白ら工夫を加へて︑大祀改良せられ︑今日は
其技いよyxヽ勝れたり︒然らば︑今日より︑
高鳴流巴猶するを止めて︑江川流といへる
を典し給へy︒
氏は︑之を叱︲りて曰く︒汝の師は︑抑誰の門弟
なるぞ︒誰の教導征ょりて︑此名を得る征
至りしぞ︒︑今征して其恩を忘るゝは︑人た
る這征めらす﹂と︒門生恥右て︑奎た云ぱ千
其のち高鳴秋帆は︑幕府の霜辰疑を蒙り︑終
征捕縛ぞられし時︑江川氏︑其不幸をかな
しみ︑扁長金子をおくりて︑困苦を慰めたり
?一 ^ぞ︒
語征日ぐ﹁迢少教ヘジ師︵︑其思最モ重ジ︒
? 治 修 身
−ミー ーーー
瀦父卜同ジタ尊プベ利︵貝原篤信︶
徳川家康
徳川家康︑嘗て厩の破損したるを覗︑役人
征修繕ぞん事を命し丑つ戒めて日く 爾
感らば︑其處だけムきかへょ︑壁崩れなば︑
其處ぽかり土をぬれ︑此外はすべて簡暑
征ぞょy︒
役人答へて申す征昧折角の伸長は侯へ芒︑
凡そ大名の厩止は︑夏ぼ蚊帳をつhy︑冬は藷
團を着せて︑飼ぴを訟つる者なり︒君の御
馬のみは︑戸口征︑藁のがし泰を垂れおかる
るとよ︑諦り拡危相に過宮侯ぱすや﹂と︒
家康首をふりて曰く丿々とよ︑武±この馬を
養ムは︑鸞際の用に立フるを専一とす︑敢て
外見をかざる祉及ば天 我が藁か﹂しろを
かけて︑飼びたる馬と︑他人・が蚊帳をつ仇蒲
鴎をきせたる馬とをくらべ`ん征︑︼見事
−〜詞I一一﹃べー−hM卜一 一4ノ 愈﹃ 笛服 jある時紅燈は乙敦れか光き紅絵阻をょぢ
河海を渡り︑暑さをしのぎ︑寒さををかして
用紅立つと思ふぞ︒馬を養ふに気無益の
奢りをつぐしかべしと︒A^'^。語紅日く鍼aLグ家法トスタ︵檀ナタ﹄と︒
綾部道弘﹂
綾部邁弘は︑節倹辰して︑華飾を喜ばす︒容
七美胆を其子征道る人ありし犬上道弘は︑
之を着答こと七許さすして日く︑我が父
貧征し
I で世を去りた!びぬ︑吾も亦多年の
勤剪芦ょり︑幸征俸禄をうけて︑児女を養ふ
を得るは︑君の忠恕y︒人情は節するとと
難く︑奢ること易し︒予︑児を愛せざる征ぱ
あちね忿も︑奢り征習ぱしむるを欲ぞぎれ
匯なり
﹂ と︒倣以Lグ子孫夕訓フ芦や智ナす
附衣服の心得
一︑衣
一 服は正しく着るブ七〇ヽ `
l r一 ♂卜 − −i−
淘1﹂.べhg1y iC﹃ ゴ詞躇︼︑脱診たる衣服は︑取り赦さ温やう祀すべ
し︒一︑おとりが奮し・き衣服は︑着るべからず︒
rbれ<1J垢つーたるも卒し︒かならT洗
濯して着器べし︒ 八
ー︑衣服は飾丿少くして︑卑しからIぎるをょ
しとす︒ `−ぃヽ
一︑無用の衣服は︑多くつくるべからT︒
一︑身の飾り征︑心を用ぴ過こすkから掌︒
却て人のざしIカを受ぐることあり︒
板倉重矩
一 l
パ
動4すれ咤奢り征移り易き恐あり︒\熹れ
ば︑昔し本所良︑かすかなる暮し牽ぞしと︒と
を︑片時感忘れすして︑自ら謹まん心のみ﹂と
語祉日くぷ皐夕保ツご聊卜倣トニアタ︒
倫ナレバ財夕失︵ズ︑能夕家夕保ツ
原篤信︶ 附飲食の心得
﹃︑食するとやぱ︑ローけい祀含抄勿れ︒
ゴ大口を開きて︑食する勿れ︒
`治修身側一翻噂尋汲加一r4 二十四一 ︷¥ 1s`
ベエニ 貨勤
%
へ
︼︑食物鱗おとるは宜しからす︒
一︒f.ノ φぶr一こ隋4され芒感腐れ﹁損Fたるやうのものは︑食すべから
ず一︑長者の膳征臨むとき︑蝿なぞの食物辰集
らば︑扇團扇な芒征て彿ふべし︒
r幾ごとき征の尹みて︑橿辰飲食すべか︒ら
s − II ム ︐ 心
一︑食筝のtき︑いつ奮で烏膳征居るべから
掌︒きれ見いそぎて食する冷︑宜しから
¬ ・ 明 治 J4ノ一﹃ 一服
1"^ノ 淵口︒ コ翔f
/ ノ
一︑人祀對してdれの事希誇るべからT︒
て人の駈となるととを語るべから・ず︒
一︑人の脆を我が意と︑反するときは一獣し居
て︑同意煮Tと声可なhン︒之と孚ひをし
るい略無盆包丁夕︒
遡哺祠べnr
W − W ・
.ツノ で心≒ 如眉
矢珊村の庄一屋某 鄙面砂昨外陣村の庄屋某は︑憲み深き人七
りこさ︒或年︑洪水ありて︑田畑の損害せし感
の︑賓長甚岳しく︑村民みな非常拡困りしか
幌 某は之を見る征忍びこy︑aが財産の︑あ
るかぎり・を出忙して︑人力征かし輿へ︑叉 明
数多の藁を取り・出忙してヽ隙騎わらんぢ1:
ぞを︑貧民征作らせて︑給助のたすけ七ぞ希
藩主は役人をして︑郡村の難儀なるrb 'ts^を
巡朧ぞしめられIが︑何れの村々気救功
の願を︑申し出づる者のみ数多き征︑矢田
村は︑何の願感申し出でざりしかぼ︑是全
く庄屋のぶ親切征で︑百姓の難儀を︑打ち捨
ておく4のならんと︑巌しく庄屋某を叱
﹂り∴けhソ︒
某気﹁今は何をか隠し申さん︑賓ぱ斯く︒冷冲
の計らび犀て︑窮民を恕すけ候びしなり︒
ゆゑ吃国主の御救助をば︑願ひ申す征及ば
す﹄と坦べければ︑役人手をう︒ちて成心し︑
政事を国主辰言上し︑某征は多くの褒美を
賜はりたりノ ゜
語征曰く﹁財アソバ善夕用プ″チ貴ブい︵願漕集
≫≪>̲.̲.. A *. tamm
卜
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瀕僧ムノり眺に
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哺/ 罰リ.
渡澄清右折凹⁚
藤離豚脂島町︒の近村見渡澄清右奇鸚冨こ石
ふ考石見 慈悲の心腹くして︑小轟ふへ漫
良・殺すことなかりき︒然る征其子の清七
は︑父の牲質と金く異方りて︑幼少より殺生
を好み︑轟けものなぞ︑無盆長打ち殺す癖あ
り・︒父朧がの無慈悲魯︸紋紗べきととを諭
しけれさ気 少︒しも用ふる・ことかく︑漸く
轟する征及びて︑頻長銃猟を好み︑暇右れ腿
明治修身書躍F常遡一﹄べnE・ 三十二一4ノ 1q 羅
を射殺し︑死螢を取hッて︑さをあらためし吃
其首のみ見えず︒因て此處彼處を探ぞ芒
支終祀見常らざりしかば︑鰹のみを携﹂ へて︑
家征一鯨れ社︒
翌年また︑その沼征行きし吃只一肩の鴛倉
を見出なしたれば︑是屯銃殺して︑其螢をあ
らためし吃翼の下征︑堅︒ぐ丸きものを持ち
居たり
︐ ︒能く之を見れば︑これを︑雌の首辰
てあてりける○ ゛ 一 ♂
清七と八征於て︑去年のことを思ひ出し︒鳥
類すら︑斯く親愛の情あり︒去年より今日
犯ふ于?までf雄の如何にかなしみても力つ
らん﹂と︑始で︒慈悲の心を生F︑父砂戒ぶ屯︑今
祀至りて思湛雷り︑其鳥を厚く葬りて︑其後
は︑金く殺生釜止めたりとぞ︒︿
語に日く︒人誰カ過無カラン︒之夕知?=N ≫K
能考改ムyパ︑則チ過ナギ﹄録ス⁚︵貝塀篤信︶諺
祀日く︒無益ノ殺生タスペカLクズ﹂と︒
一 一
りりy wr ﹈﹈附`
石井仁三耶の父
東京浅草吃石井仁三耶と云ム人めhッ︒或
日︑其家征六十歳節の老人︑訪び来て︑語り出
でゝ日く︒余は少年の頃︑貴家の近隣吃住こみ
たる者なり︒常時は︑牡年の身なり・しかば︑
犬爾説の盲も用びす︑常に放蕩を事とし︑終に
呵責を受けて︑家を出でし城東は︑飢渇﹂祀迫
ること︑数回なりしがで時夕尊父の憐み征
よりて︑生命を繋ぎしとどあり︒然れ芒為︑
心を改めて︑親征事ふるくと感せず︑常陸の水
戸長行き︑旅の難難を嘗抄る緊及びて︑始ぞ
身岳ぶ孝を悟久 それょり後は︑日夜家
業を勣みて︑幸征今は︑若干の財産ある身と
恕こりしが︑昔を£尭ふ情止み難く︑父母の
墓參をかねて︑奪父の高恩︑萬分の︼にも報
いんと︑尋ね来りしかさ︑゛︑尊父は既長︑世を
去られたり芦聞く︑誠長残念の至かかな﹂と・
云ひ終りで︑涙を流谷り︒丿
゛  ̄I に │ l r j l , I . ・ ; , ・ = I I ‑ . j . ・ ぞ ぐ 。 I , 。
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治
刈1りべnr
一一
−4十
一−
J■cノ 1﹃ 忿Ⅲ輝む三部は︑其厚意を謝し︑町嘩長︑もてなしけ
るが︑彼の老人は︑麗辰仁三部が父の法會
を菅むべき︑期日を尋外田舎辰錨hご刄ば︑聊
か報恩このため︑手作の物を供へん﹂とて︑暇を
告ゆて別拓しが︑日ならずして︑数俵の米
を︑船征積み燈りて︑恩征抄くい恕りとぞ︒
語辰日く﹁汝他人夕恰マバ︑人モ亦汝夕恰一マ
県﹂ごぞ︒
斯くて︑夜は︑燈下に・坐して書を讃み︑書は︑野
菜を頁りて二日も怠ること尨か祉き︒故
吃晩年征は︑其蔵書感極て多く︑學識4大・に
趨みげれば︑近所の子弟をあづかりて︑讃
み書きの︑教授を霜す征至れり︒されそ︑砥
幼︿少の時の事を忘れずして︑ひまあれぼ︑野
菜をかつまで︑費りぶりるくこと︑もとの如く
なりき︒門人冷も・は之を鼠て︑うきことに思気師の
身紅して︑野菜を頁りあごきたまふぱ︑諦り
紅賤し︒此後は止め給へ﹂と諌めしかぞ︑
千次耶おかずして曰く︒苛4其身の行ひを
憤しみて︑正しき職業をつとなる睨何砂賤
しきことかあらん﹂と︑少しも︑厭ふ色のな
かり・けれぼ︑其名漸く世紅頴ばれ︑諸侯なぞ
より丸時々千次郎を召して︑談論の友とぞ ら・れし£ぞ︒
語紅曰く︒芳﹄耐ヘズイバ︑事夕成芦コト能︑
象一−刀憚り?腿7−−j︒
‑
‑
一︑いやしき小脆類は讃抄べからす︒
業を執りしかば︑僕婢も︒怠る者なく︑心を
正うしで︑専一拡働み恕りとぞ︒ ヽ﹃
語拡曰く二家ノ主タタ者八︑卑ブ我が身ヂ
修ムペジ︒身修マラデソバ家斉這ガタジ
︵貝原篤信︶
第入章 公益ヲ廣メ世務ヲ関戸
逍首名
首名は︑肥後おょくび筑後の國なそを︑治め
一 r4慮一︷` Lr`
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︱III仙卜
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−︒アノ ︒−爾りー 一﹁禰吊
たる人紅で︑つね見世
の中の盆良なるべき
事をなさんと︑心を用
ぴたり・︒
されば︑稲妻の作り・方
をよく世話し︑叉は︑地
面のあきたる唐紅は︑
野菜を核ゑ︑難豚忿怒
を飼ふことをすゝめ︑
i V^ fflfti teU
漓﹃1−・﹃べ︒nuF
構源の近村吃兄を森之助︑弟を吉蔵竺石ふ
兄弟あり︒共吃横誼なる西洋人の商舘に
雇ばれたり︒ へ 此商舘は︑春酒を醸危するを業と芦しが︑
森之助兄弟は︑ひそか祀思ふや矢若し我が
國征て︑姿酒を醸危せば︑大なる利盆あるべ
るときはfよく心をつけて︑勝治の廻力方を
見習吠何とまして︑自身良之を醸廻し得ん
ものを︑しかするときは︑aれ一人賤︒利益の
みなら天我が國の公益長島なるべし﹂とて︑
少し島怠るととな九心を用ひければ︑終舛
箕廻り方を受ぃザ児り︒ sI s
v>≪‑れより︑家征錨り・で︑春酒を廻り・たる`統昧
惑くして︑たぴyXJ廻り・替へ・たるゆゑ︑大損
をして︑終征身代を気悉く失ぱんとぞり︒
≪i*.*. t *≪T
一 一 一 一
名詞I べnμ
されそ︑国の諮辰なるべき事と思ひ︑多くの
辛苦をも︑厭ばすして︑力をつくしければ︑終
に昧の美なるがのを︑危り・得る征至り︑外
国人.の醸逍業んし品吃劣らぬ域忿の良品を
得て︑一家の幸のみならす︑我が國の利益
感︑少からぎるに至れo人動ぶyバ︑百事 成タナ百顧到こ初學知要∇
柾癩鉱脈ぱ︑常に勤めを大切池心がけて︑少
しヽ垢怠らぎりき︒病征罹りて︑臨終辰ちか
き時﹁傍なる人は︑信綱征すゝめて︑念佛を
唱ぺしめんとぞり︒ \
信綱は︑きかずして日く︑﹁我は主君乍仕へて︑
御恩をかうむるこ£多し︒未B之辰かく
ゆるは忿のヽつとめもせTして︑死なんとす
いかでか︑南無阿禰陀佛牽唱ふる暇あらん︒
むしろ吾は︒奉公々々y唱へんのみ﹂と︒終
遡吻Jノ`m口
一 一
J4/ 尨︷ 一︸服
征死卒る奮で︑奉公のことを麻れざりし巴
語征日く︒君二仕ヘテ︵忠夕霞シ︑我が身夕
顧l︒グコ︑卜勿九 上
第九章 義勇公二奉ズ ー︒
和気借麿
人の此世紀生れし昧濁りdの霜めのみ紀
非ず︒國の霜め︑族人の霜め︑朋友の霜め︑衆庶
好埓吃生れ光るむのなるが︑就中︑最も愛
す可きものは國なり︒故紀口﹄抄を得ざる
ときは︑國の霜﹂にをの性命を擲つ可し︒
郭塞天皇︑雰て僣1:紡を郷し給ひしかば︑t
官脊の神主匪貧家片肺官紀託し︑奏して日
く︒逍鏡をして位良即かしめぱ︑天下必穿太
平恕Tりんと︒ \
天皇は︑和貧1:豚良詔︒して︑御勅を受けし蜻
出費の﹃時︑逍鯛溝麿紀いへらく面は︑我を位
明
澗冲澗∇Jr`﹈
S
マ
診
まり1 こ6 n町F.司りノ ぶ≒ コ目印
他用家巌の予見妬紅三4へるあり・暴削
十四歳の時︑父長従ぴて︑大坂の職長赴きし
見兵士束がて︑戦の始まるを告ゆしかば︑頼
聘ゑきり見先匯⁚たらんこ巴を請ふ︒然れ
芒も︑年少しとて︑ゆるざれす○﹂ `゛
かくて戦終り・しかば輔将は堕を失びて︑陣
所征錨り︑父の許征到り︑泣いて曰く︑緬贋
先陣﹂の列に入るととを︑許されぎりしが故
匹 令肆の戦長會はh> ‑SNしは︑い也残念弩− ﹄︱llI fI
瓦ソ﹄ 宮司 ︒ ゛ ヽ︑ ︱
−r sき松平正綱側征あり︑慰めで曰く︒君は御年な
は若かしJ他旦戦陣祉臨み綸ふとと多かる
べし
﹂ と︑頼蔚之を叱して日く︒戦争啖他日
征烏すべけれ戻予が十四歳の時畦豊復恕
再び来らんや︒我が残念とする所は︑再び
得べからざる時期
︲ を失ひたる征在るなhy
覧︒列坐の請士屯︑皆此言舛或服ぞり︒
家樹始りより之を獣聴厄しが三︑此征至り大
‑ 明 治︱
身
幽僧Jノ`.m︒
四
T^ WT 11服