公算 vs. 確率 (4)
―「全公算」 Total Probability とは何か―
河野 敬雄
昭和38年3月学部卒業40年修士終了
前回の私の拙稿(2020,[17])(以下,私の以前の拙稿(1),(2),(3)を夫々単に「初回」,「前々 回」,「前回」ということにする)を読んで頂いた関係者の方々から,いろいろ有益なコメ ントを頂いた.特に古い友人のA氏から小数点のコンマのことと,統計教室の件について 具体的にコメントを頂いたので紹介しておく.また,私の不躾な質問に丁寧に対応して頂 いた関係機関の方々,特に寺尾壽のパリ時代の演習ノートについて詳細な調査をして頂い た大阪大学総合図書館参考調査カウンタの藤江氏並びに陸軍士官学校編の「公算學」が寄 贈された経緯についての詳細を明らかにして下さった山口県立山口図書館のレファレンス サービス担当者の方々に深く感謝の意を表したい.その結果得られた知見について少々補 足しておきたい.
1 前回の補足
(1.1.1)前回(83頁),「小数点の表し方として現在使われているピリオド「 .」ではなく,
コンマ「,」が使われているが,これはフランス風の表記ではないだろうか」と書いたが,A 氏から「フランス=⇒小数点がコンマ」,は正しくても逆も本当に真か,と質された.確か にいろいろ調べてみると西欧で小数表示が普及し始めた16世紀以後,英国では小数をピリ オドで区切り,大陸側の仏,独等はコンマを使う習慣だったようだ.現在でも国際基準とし てどちらか一方に統一されているわけではなさそうだ.しかし,個別の文献では著者毎に 使用されている記号は異なる.例えば,Charles Smith(英語)([6]), Todhunter(英語)([35]), Liagre(仏語)([25])では数値の掛け算,例えば1×2×3のことを1.2.3と表記している.一 方小数点についてはCharles Smith(英語)([6]), Todhunter(英語)([35])1ではe= 2·71828の ように中黒を用いているのに対してLiagre(仏語)([25]) では小数点はすべてコンマ「,」で 区切られている.何れにしろ記号だけからあれこれ推測し過ぎない方がよさそうだ.遥か 昔から10進法を用いている中華圏に比べて,インド・イスラム世界で普及していた10進 法に基づく数の表し方が西欧に知られるようになったのは16,7世紀以降だというのは少々 驚きである.詳しくはA氏が紹介してくれた山本義隆著「小数と対数の発見」(2018,[38]) を参照されたい.
(1.1.2)「コンマ以下」という表現を御存知だろうか.国語辞典によると「標準以下」「平
均以下」の状態であることを表す言葉で,相手に対して使った場合は侮蔑語となる.どうや ら明治期に使われ始めたようだ.英語ではcomma(カンマ),仏語ではvirgule(ヴィルギュ ル),独語ではKomma(コンマ)というからどうやら明治期の高等教育を受けた知識人が比
1何れの訳書でも原文通りの記号が用いられている.
喩的に使い始めたのだろう.当時,(旧制)高校の学生が「デカンショ節」を高吟して何かに つけドイツ語の単語をひけらかした様子は語り草になっている.ということは当時のドイ ツ語のテキストでは小数点として「コンマ」が使われていたということではないだろうか.
(1.1.3)前回78頁の脚注19で,我が国では独立した統計学科が設置された例はないので
はないだろうか,とコメントしたが,実は日大生産工学部が「統計学科」を1965(昭和41)
年から1974(昭和49)年まで開設していたようだ.その後,同学科は数理工学科さらに数理
情報工学科と名称を変更している.思うに,文系から理系,工学系,医療系,といろいろ な分野にまたがる統計学は「統計」という学問の性格上単独の学科としてそれ自体の原理 原則を研究するという性格の学問ではないのではないだろうか2.
(1.2) 前回,我が国最初のまとまった確率論の教科書といわれる陸軍士官学校編「公算
學」(明治21年)の著者について考察したとき,寺尾壽がフランスでBertrandから数学を 学んでいたことを指摘し,その出典として小倉金之助([30], 95頁)を挙げたが3 ,実は同 じ個所に彼がそう書いた根拠らしきことが書いてある.それは「丁度,こゝの(大阪帝大) 理学部の圖書室に,パリ時代の寺尾先生の數學や力學の演習ノートが,藏されてゐます。」 とあるのがそれである.つまり,小倉はその「演習ノート」を見て,寺尾がパリで誰から 何を学んだかを推察したのではないか,と推察される.そこで意を決して現在の大阪大学 の総合図書館参考調査カウンターに問い合わせた.以下に概略を記すように大変詳細な調 査をして頂いた.しかし残念ながら結論的には,そのような資料はどこにも存在しないし,
記録も見つからなかった,ということであった.
(1.2.1) 大阪大学総合図書館,同理学研究科の数学図書室,情報資料室にも該当する資
料は見つからなかった.
(1,2.2) 私は小倉金之助[30],95頁にある記述を根拠にお願いしたのであるが,実は彼の
「明治期代の數學」は戦後何度か改訂されている.例えば,前回同じ書名で戦後の版(1947,
昭和22,[31])を引用したのは,当時よく読まれた洋書のリストの中にあるBertrandの確率
の本([5])というのは[30]には載っていなかったからである.逆に,戦後出版された同名の
本には寺尾壽のパリ時代の「演習ノート」に関する記述は無いとのことである.理由は不 明とのこと.そもそも大阪帝国大學は1931(昭和6)年に医学部と理学部の2学部で創立さ れた.小倉金之助は理学部の母体となった塩見理化学研究所の所長であり,発足当時の数 学教室とも深い関係にあった.しかし,明治・大正時代に東京帝国大学の天文学の教授で あった寺尾壽自身と阪大との接点は見いだせない.あるいは寺尾壽のパリ時代の「演習ノー ト」が小倉金之助の個人蔵書であったとしても新設の大阪大学理学部に寄贈する動機や必 然性が見当たらない.
(1.2.3) 寺尾壽関連の資料をいろいろ教えて頂いた.その中に,寺尾壽のパリ留学時代
のことを紹介した天文月報(2003年8月)の記事「明治期最初の天文学者・寺尾寿のパリ留 学時代」(中村 士)があった.この記事によると「寺尾はパリ大学で数学と天体力学をポア ンカレに教わった」とのこと,Bertrandのことは一言も出てこない.ただ,これはこれで 興味深い話だと思う.ポアンカレはベルトランよりずっと有名な数学者であるが,ポアン
2「数理統計」の専門家からはブーイングが聞こえてきそうだが.
32020,[17],90頁,脚注35
カレに直接数学を習ったという日本人数学者は寡聞にして知らないからである.どなたか 御存知ならご教示頂きたい.
(1.3) 前回(79頁脚注20)でも少し触れたが,私の寄稿全体に度々登場する陸軍士官学校
編『公算學』は現在のところ,上藤一郎氏([36])の個人蔵1冊と山口県立山口図書館所蔵1 冊しか存在が知られていない.最近同図書館に同書を所蔵するようになった経緯を問い合 わせたところ,明治20年卒業の陸軍士官学校第9期士官生徒ご本人ないしご遺族からの寄 贈であるらしいことがわかった.他の寄贈本等当時の経緯を勘案すると原本に明記されて いない出版年は従来いわれている明治21年ではなく,1年程度早まる可能性もあるが,結 論を出すには至らなかった.今後の調査を待ちたい.
(1.3.1)ここで少々疑問が湧くのである.それはこの『公算學』には必ず(明治21年)あ
るいは(1888)と付記してあるのである.当然読者は出版年と理解するだろう.ところが前
述したように原本には出版年らしき年号は書いてない由.では何故明治21年ないし1888 年という年号が書き加えられているのだろうか.恐らく最初にこの『公算學』が紹介して ある文献は小倉金之助のそれ(1942,昭和17,[30],102頁)だと思われる4.それによると,明 治20年代のいくつかの洋書を紹介した後,邦文の訳書ではない数学書を紹介しており,
先ず士官學校出版の『公算論』5(二十一年)。それは確率の本です。陸軍では射 撃なんかの計算に確率論を必要としますから,かういふ高級な本も出版された のでせう。
とある.ただ,彼の表記は「公算論」となっており,「公算學」が正しいことは原本で確認 されており,彼が原本で確認していないことは明らかであるが,当時としては相当高度な 内容を扱っていることは確かである.なお,この冊子は活版印刷ではなく著者名も出版年 も明記されていないことや題名の記憶違い等から小倉のこの括弧書き(二十一年)が何を根 拠にしているのかも不明であり,はなはだ信ぴょう性に欠けるのである.にも拘らず後続 の殆どの研究で根拠を挙げることなく出版年あるいは発行年を明治21年としており定説と なっている印象を受ける.川尻信夫([15],102頁)は定説のこわさを指摘したあと,和算史 における三上神話,小倉神話を例に挙げているが,明治21年出版説も小倉神話の類かも知 れない.
(1.3.2)小倉の表記が信ぴょう性に欠けるにしても日本数学百年史上(1983,昭和58,[29],
126頁)にはやはり「公算学,1888」という見出しで「確率論の邦書として最初のものであ る.士官学校から出ているのは,,,,」とあり最初の出だしの定義の部分の原文を数行にわ たってそのまま引用してある.先行研究は引用されていないから現物を見て原稿を書いた としか思われない6.しかし,原本を参照しなければ書けない内容を引用しながら,出版年 は明記されていないにも拘らず1888と書いているのは何故だろうか.「小倉神話」と言わ れる所以に納得した.
4もともとは彼が昭和15年に大阪帝國大學理學部で正規の講義の外に六時間の講義を行った時の速記録に 基づいている.
5正しくは『公算學』である.一時何方の表記が正しいのか議論されていたようだ.その経緯は初回56頁 の脚注を参照されたい.恐らく小倉は林・刈屋の「公算論」と混同したのであろう.
6上藤氏が東京の古書店で購入された「公算学」が陸軍士官学校編「公算學」であると同定された根拠とし てこの書き出し部分が完全に一致していることを挙げておられる.上藤[36],(3)「§2.1本書の書誌学的考察」
を参照されたい.
(1.3.3) もうひとつ気になることがある.同図書館の蔵書検索で「陸軍士官学校」で検 索した場合,陸軍士官学校が出版した教科書と思われる41点の書物がヒットするが,陸軍 士官学校の教科書と思われる発行年が明記してあるものには「〇〇教程」と書いてあるの に対して,「公算學」を含む数冊には発行年もなく,「教程」もついていない.つまり,正規 の教科書ではなく,参考書程度の扱いではなかったのだろうか.特に「公算學」の場合は もし授業科目だったとすると,誰が教えていたのかも気になる.当時の数学教官には「公 算學」「誤差學」を教えるだけの能力があったかどうか疑問に思うからである.この疑問は そのまま「公算學」の著者ないし編者は誰か,という問題に直結する.当時の数学教官で はない可能性が浮上するからである.簡単に結論の出せる問題ではないが若干の考察はし ておいたので最後のまとめのところ(6.3)を参照されたい.
以上のような新しい情報を得てつらつら考えるに,この際『公算學』の著者と編纂年に ついて安藤氏の先行研究と前回の私自身の考察を一旦リセットして改めて考え直してみた いとは思っている.研究成果が挙がればいずれどこかに発表したい.
2 「全公算」 Total Probability とは何か
今回の本稿の主題である「全公算」とは何かについて,少しはオリジナルな考察も含 まれているかと思い,昨年度の数理解析研究所の公開型研究集会「数学史の研究」(オンラ インで実施された)で発表させて頂いた.研究集会の成果は当研究所の講究録別冊(査読 付き)(RIMS Kˆokyˆuroku Bessatu, 2021,B85,155–181)([18])に「『全公算』とは何か:明治期
probability概念受容史の一断面」と題して研究ノートに採択して頂いた.いずれ数理研の
HP上に公開されると思うので本主題について詳しくはそちらを参照して頂けると幸いで ある.従って,本稿は学術論文ではないのでもう少し気楽に分かりやすく雑多な感想も含 めて駄文をしたためてみた.
2.1 発端,何が問題か
我が国最初の数学的意味のprobability理論を解説した書物は陸軍士官学校編の「公算 學」([36])であると言われている.この本の最初に導入されているprobability概念は「全 公算」「比類公算」「複公算」そして「単公算」である.一方,安藤([4],136頁)によって指 摘されている種本と思われるLiagre([25])の本にある対応すると思われる単語はそれぞれla probabilit´e absolue, relative, compos´ee,そしてsimpleである.La probabilit´e simple を単 公算,la probabilit´e compos´eeを複公算,la probabilit´e relativeを比類公算と訳したのだろ うということは直ちに想像がつく,しかしどう考えても「全公算」がla probabilit´e absolue の訳語だというのは少々奇妙な感じがする.このふと感じた疑問,謎の解明を試みて当時 の我が国で知られていたと思われる洋書や邦書を調べてゆくと,明治期日本人にも一通り 知られていた「幾何」や「代数」,「微積分」といった近代数学の概念とは異なり,恐らく 初めて接したであろう数学的probability概念を如何に苦心して理解・受容していたか,と いう大きな問題に突き当たるのである.数学としての確率論はよく知られているようにサ イコロ賭博の公平性に関する問題に興味を抱いたパスカルとフェルマーの往復書簡に始ま ると言われているが([34]),考えてみると日本でも江戸時代にはサイコロ賭博は広く行われ
ていたはずだ.なぜそれが数学者(当時であれば和算家)の興味をひかなかったのであろ うか.ヨーロッパと我が国の知識人の在り方や社会構造,精神構造の違い等が垣間見えて それはそれで面白い問題だと思うのだが話が発散する上,私の手に負えないので残念なが らこれ以上の考察は断念する.
閑話休題.本稿では先に紹介した我が国最初の確率論の教科書といわれる陸軍士官学校 編の『公算學』に出てくる「全公算」を手掛かりにしてその後に出版された陸軍の教科書 をも参考にしながら明治期日本人が如何にして数学的probability概念を理解・受容し,あ るいは誤解ないし曲解していったのか,について昭和20年までの文献にも触れながら一通 り概観してみたい.
明治陸軍は砲兵科の教育に当たって「弾道学」が必須であり,その学理がprobability に基礎づけられた誤差論であることは早くから気づいていたと思われる.それが陸軍文庫 (1882,明治15,[28])砲兵教程4に出てくる「公算則」である.この「公算」がprobabilityの 訳語であることは明記されていないし内容にも触れていないが誤差論の学理であると説明 してあるから数学的意味のprobabilityを指していることことは明らかである.察するに当 時の陸軍将校はまだこの学理をよく理解できなかったのではないだろうか.このような背 景を考慮するとその後の陸軍士官学校編の『公算學』が何故早急に編纂されなければならな かったかが推察できるのである.当時陸軍士官学校は陸軍大学校,陸軍砲兵射的學校,陸軍 砲工學校等次々と新しい学校が設立され教科内容のレベルアップが急務だったと思われる.
本稿では1888(明治21)年発行と伝えられる陸軍士官学校編の『公算學』を出発点にしてそ
の後の陸軍が出版した教科書,さらにそれらを参考にして一般向け数学書として書かれた と思われる数学者林鶴一と陸軍数学教授刈屋他人次郎との共著である「公算論(「確カラシ サ」ノ理論)(1908,明治41, [11]),さらにその後継のいくつかの数学書についてprobability がどのように理解・認識されていたかについて若干の考察を加えたい.
なお,数学的意味のprobabilityについては基本的に誤差論に関心があったと思われる 陸軍の系統とは別に代数学においても順列・組合せと場合の数の計算の,ある意味の応用 としてラプラスの確率論が紹介されている場合がある7.その我が国に於ける最初の文献 が 長澤龜之助譯(1883,明治16,[35])の「代數學」である.この本の原本はTodhunter8, I.
Algebra for the Use of Colleges and Schools, with Numerous Examples. 1870(明治3,[35]) である.続いて藤澤利喜太郎・飯島正之助共譯,代數學教科書,1891(明治24,[6])年発行の 第四巻は題名通り代数学の教科書であるが1章を割いてprobabilityの解説にあててある.
原本はCharles Smith, A Treatise on Algebra. Macmillan, 1888(明治21,[6])である.長澤 が民間の数学者だったことも影響しているのかもしれないが,probabilityを「適遇」と訳 した長澤の本は少なくともprobability概念の普及に関しては残念ながら我が国に左程の影 響を与えたとは思われない.これに反して大學教授理學士ドクトル藤澤利喜太郎共訳9の 方は文部省検定済の尋常師範學校及び尋常中學校教科用書となっており,林・刈屋の「公 算論」を始め多くの数学書と学校教育に,藤澤の意に反した形で影響を及ぼしたように思 われる.それらの関係等については§5で考察する.
7現在の高校数学でも同様である.高校で誤差論を教えることはないからであろう.
8確率論史([34])の原著者でもある.
9probabilityを「確カラシサ」と訳しておりprobabilityの章は藤澤が訳したと思われる.
2.2 ラプラス確率論の概要
まず最初に,読者と知識を共有するために,現在の高校数学10で教えられている程度 の古典確率論(ラプラス確率論の概要)をざっと確認しておきたい.参考にしたラプラス のオリジナルな文献は,
Laplace, P.S.: 1814 Essai Philosophique sur les Probabilit´es.である.幸い内井惣七氏 によって邦訳されている(「確率の哲学的試論」1997,平成7,[23]11).この訳書からの引用 個所を「内井○頁と記す」.なお,訳文中の[・]は訳者が補った言葉である.この本はラプ ラス自身が完成した古典確率論の原理を余すところなく紹介しているので是非参照して頂 きたい.
当時は集合論がまだ数学者の間に普及する以前だったために,ラプラスのこの本でも集 合論を使えば容易に定式化できる「事象」という概念すらも結局は直感的に理解するしか ないのであるが,ラプラスの確率概念をひとまず現代風に集合論を用いて説明してみると 容易に理解できる部分とそうでない部分,つまり問題点が見えてくる.ここでは現在の高 校数学で出てくる程度の集合論と記号を用いて,ラプラスの第一原理,すなわち確率の定 義に始まっていわゆる逆確率(原因の確率,ベイズの定理),事前確率,事後確率に至る第 七原理までをまとめておく.なお,第八原理以下は期待値に関わることなのでここでは省 略する.
以下,次のような記号と用語を準備する.Ω =空でない有限集合,Ωの各要素を根元事 象,Ωの部分集合Aを(一つの)事象という.有限集合Xの要素の総数を|X|で表す.この 時
(2.2.1) 第一原理(内井18頁):事象Aの確率P(A)とは比|A|
|Ω| のことである.
この定義が無差別の原理,つまり等確率を仮定したラプラスの確率論の基本であり,以 来様々な立場から様々な議論がなされているいわくつきの確率概念である.ラプラス自身 もそのことをよく承知していたと思われるのだが,集合論が数学の基礎づけに利用される 以前の話なので言葉だけで表現するのには限界がある.そのために第二原理は加法公式の ことを述べているように思われるのだが今一すっきりしない.後の数学者も少々戸惑って いるように感じられる.
第二原理(内井18頁):ところが,この第一原理は異なる場合が等しく可能であ ると前提している.もしそうでないなら,それぞれの場合の可能性をまず決定 する.これを正しく評価することが偶然性の理論で最も微妙な点の一つである.
このとき,確率は各々の好都合な場合の可能性すべての和である.この原理を 例によって説明しよう.
この原理はいわゆる加法公式(定理)のことを意味しているのだろうか.実際,排反事象を 集合論を使わずに説明すると分かりづらい.しかし,明治期の教科書では直ちに例を用い
10文科省の学習指導要領はおおよそ10年をめどに改訂されており,「確率」の内容も少しづつ変化してい る.特に,独立試行,独立事象,条件つき確率,確率変数の扱いは注意を要する.
11凡例をみると,本書は1814年の初版の訳であるが,ラプラス在命中の最後の第5版(1825)は分量で倍 ほどになっている由.ラプラスの原本も第6版がウエブ上で公開されている.
て説明するから直感的には難しくない.第一原理から直ちに次の加法公式(定理)が得られ る.
(2.2.2) 加法公式(定理): A∩B =∅=⇒P(A∪B) =P(A) +P(B).
(2.2.3) (一般)加法公式(定理): P(A∪B) = P(A) +P(B)−P(A∩B).
ただし,ラプラス自身,第一原理では表現できないが直感的には容易に理解できる様々 な例を取り上げて種々に論じており,その場合は加法公式は暗黙の裡に公理であるがごと くに使用している.つまり,ラプラスの古典確率論は全測度1の有限加法的測度のことに 他ならないのである.結局加法公式は定理ではなくいわば確率論の「公理」なのだから,こ の関係式を直接用いて推論を行っても一向に差し支えない.ただ,ラプラス以後,直感的 考察に基づいて解かれている例題を厳密に第一原理の確率から説明しようと試みているテ キストもある.
加法公式はあまりにも自明なせいか,当時の多くの文献ではもう少し複雑な場合につい て例を与えて説明している.それらは陸軍のテキストでは一貫して「全公算」「全公算の原 則」と称しているが,以後の我が国ではもう少し単純に「全公算の原則」とは加法公式の ことに他ならないと理解しているようだ.「全公算」とは何かということについてはいくつ かの文献に沿って次節以降で詳しく検討する.
(2.2.4) 第三原理(内井19頁):乗法公式(定理): 二つの事象A, Bが独立ならば P(A∩B) =P(A)P(B)
ここで,最大の問題はラプラス以下の当時の文献では「独立事象」の定義がないこと である.すべて例で説明してあるがそれは今日の言葉でいうと「独立試行」のことである.
現在でも「独立試行」は例を用いて説明する.
では,二つの事象が独立でない場合はどうするか,ラプラスは続く第四原理でQuand deux ´ev´enemens d´ependent l’un de l’autre,とのべて二つの事象が互いに依存するとき(従 属事象であるとき)の法則を述べている.現代風に表記すると
(2.2.5) 第四原理(内井21頁):(一般)乗法公式(定理): P(A∩B) =P(B|A)P(A) すべての事象を同じ空間Ω内の部分集合だと仮定すると,P(B|A)は|B ∩A|
|A| で自然に 定義できる.この時,
P(B|A) = |B ∩A|
|A| = |B∩A|
|Ω| /|A|
|Ω| = P(A∩B) P(A) となるから,分母をはらうと(一般)乗法公式が容易に得られる.
(2.2.6) 第五原理:
(内井22頁)すでに生じた一つの事象の確率と,予期されるもう一つの事象と この事象とを合わせた複合事象の確率とがアプリオリに計算できるものとしよ う.このとき,第二の確率を第一の確率で割ったものは,すでに観察された事 象のもとでその予期された事象が生じる[条件つき]確率である.
この原理は第四原理とは異なり,すでに観察された事象Aのもとでその予期された事象B が生じる確率P(B|A)をP(B∩A)
P(A) で定義している.P(A)>0である限り,両者は同じ等 式であるが一方は公式(定理)であり,他方は定義式である12.
(2.2.7)第六原理(内井23頁):「ひとつの観察された事象について,それを生み出しうる
[そして互いに両立しない]原因がいくつか考えられるとしよう.」で始まる第六原理はそれ と明示はしていないが13,いわゆるベイズの公式に相当することを述べている.確率を有 限加法的測度であると看做せば,加法公式(2.2.2) と(一般)乗法公式(2.2.5)から容易に導 かれる自明な関係式である.しかし,第一原理を前提としたラプラスの古典確率論の範囲 には収まらないが直感的には理解可能な実際的例を考察する場合に必要な公式である.明 治期の文献でも「原因の公算」,「ベイズの定理」,「予定公算」,「新事象の公算」として,次 節以降に紹介する洋書を含むすべての文献でもいくつかの具体的例題を解きながら詳細に 解説してある.実際,ラプラスのこの本からして,内井の訳本で12頁にも及ぶ解説をして いる.集合論の記号を用いて表現すると,{Ei}ni=1をΩの分割,すなわち,Ei ∩Ej = ∅, (i̸=j)かつΩ =∪ni=1Ei とする.このとき,Ei ; i= 1,2, ...nは原因の事象を表現している.
このとき,ひとつの事象Aに対して,次の関係式が成り立つ.
P(Ei|A) = P(A|Ei)P(Ei)
∑n
j=1P(A|Ej)P(Ej)
このベイズの公式の肝は(一般)乗法公式をP(A∩Ei) =P(Ei|A)P(A) = P(A|Ei)P(Ei)と 書き直して第二項の関係式からP(Ei|A) = P(A|Ei)P(Ei)
P(A) の形にして条件つき確率の意味 を付与するところにある.ところが,このままでは確率P(A)が計算できない.理由は,問 題設定から事象Aは複数の原因事象Ej; j = 1,2, , , n の違いによって生起する確率が異な る可能性があるからである.そこで再び加法公式と(一般)乗法公式より
(∗) P(A) = P(A∩(∪nj=1Ej)) = P(∪nj=1(A∩Ej)) =
∑n
j=1
P(A∩Ej) =
∑n
j=1
P(A|Ej)P(Ej) つまり,分母の表現が得られる.要するにどのような測度空間でも有限加法的測度なら常 に成り立つ公式なのだが一度刷り込まれたラプラスの確率の定義から簡単には頭を切り替 えることが難しいようだ.たとえば,遥かに時代が下って昭和16(1941)年に出版された,
東京帝國大學教授末綱恕一の「確率論[32]」のベーイスの定理.(20頁)の証明をみるとすべ ての事象を一つの有限集合の部分集合と見做してラプラスの定義(場合の数の比)を用い て証明している.単なる場合の数の計算に帰着されるから確かに数学的には高校生でも理 解できる厳密な証明には違いないが,当時すでにコルモゴロフの公理的確率論は知られて おり,同書でも彼の文献が挙げてある.折角ラプラスが場合の数の比だけでは理解が難し いが直感的には理解可能な確率論の微妙な例を種々論じているにも拘わらずである.末綱 の「確率論」はラプラス確率論の矮小化でしかない.
12因みに今日でも高校数学では公式(定理)と見做している.
13最後の章「確率計算に関する歴史的注記」にT.ベイズのことと,彼自身の関りについて紹介してある.
(内井158頁–159頁)
ベイズの公式は集合論を用いて記号化して表現してみると単に加法公式と(一般)乗法 公式から容易に証明できるが,ラプラスの確率論において,原因の事象とその結果の事象 を同一集合内の場合の数で表現出来るのだろうか.もし出来なければP(A∩Ej)が計算出 来ない.実際,ラプラスが紹介している次のような例(内井28頁–29頁)では問題設定の 仮定からP(A|Ej)とP(Ej)を知ることが出来るがP(A)そのものは計算できない.
「今一人の証人がいる.彼の証言は確率9/10で正しく,確率1/10で正しくない.ここ に,999個の黒球と1個の白球が入った壷がある.この証人が壷をかき混ぜて1個の球を取 り出し「白球が出た」と叫んだ.出た球は果たして本当に白球であろうか,」その確率を問 う問題である.
答え:証言が本当で,白球である確率は1/112.ウソ,つまり黒球である確率は111/112 で,ウソである公算の方が遥かに大きい.
(解) E1 =この証人が正しく証言する事象.E2 =ウソの証言をする事象.題意から P(E1) = 9/10, P(E2) = 1/10.である.A =この証人が出た球を白球だという事象,と考 えてベイズの公式を適用してみる.球はもちろん,1,000個の中からランダムに選ばれると 仮定している.このとき,P(A|E1)) = 1/1000, P(A|E2) = 999/1000だから,
P(A) =P(A|E1)P(E1) +P(A|E2)P(E2) = 1
1000 × 9
10 + 999 1000 × 1 従って, 10
P(E1|A) = P(A|E1)P(E1)
P(A) = 9
9 + 999 = 1 112
ベイズの公式を集団検診等の医療現場に適用するとしばしば人々の常識とはかけ離れ た結論を得ることがある.ラプラスもそのことは十分承知していたようで,後半の「確率 の見積りにおける錯覚についてDes illusions dans l’estimation des probabilit´es」という章 (内井132頁)では「視覚に錯覚があるように精神にも錯覚がある.そしてさわってみて目 の錯覚が正されるように,反省と計算によって精神の錯覚も正される14.」と述べている.
ラプラスは,めったに起らない現象を見た,という証言をやたらに信用してはならないと いう意味のことも主張している.
(2.2.8) 第七原理はある意味で第六原理の応用である.ベイズの公式においてアプリオ
リに仮定した原因の事前確率P(Ei)(probabilit´es `a priori)が,事象Aが観察されたという 事実によってP(Ei|A)に更新された(probabilit´es `a posteriori,事後確率)と見做して将来
(未来)に起こり得る事象の確率を再評価しようという原理である.
以上が本稿で言及するすべての文献で取り上げられているラプラスの古典確率論の基本 概念と公式である.ラプラス自身必ずしも種々のランダムネスに関わる確率の問題を解析 するにあたっていちいち自身の第一原理に遡って考察しているわけではない.実際,数学 的に厳密な証明も(2.2.2)と(2.2.5)だけで十分である.
14高等教育を受けたはずの多くの人々が如何に「反省と計算」をすることなく,誤った直感に頼った発言 を繰り返していることか.
3 明治期, probability 概念はどのように理解・受容されてい たのだろうか
ラプラス以降,19世紀の数学的probabilityに関する書物に解説してある確率論はラプ ラスの「確率の哲学的試論」の枠組み内に収まっており,理論的発展は感じられない.し かしながら,probabilityの定義こそラプラスのそれと全く同一であるが,条件つき確率や ベイズの定理に関わる部分は集合論をベースにした記号や用語が整備されていない当時に
あって,probabilityとは何かを巡って著者毎に微妙な認識の違いが見て取れる.
本稿では,我が国における数学的probability概念の受容史において最も重要な役割を 果たしたと思われる陸軍士官学校編の「公算學」(1888?,明治21?,[36])とその後の陸軍関係 の教科書及びそれらを参考にしたと思われるが明治末に出版された一般向け数学書につい て「全公算」というキーワードを手掛かりに考察を進める.本節で取り上げる日本人の文 献は次の4点である.実は「全公算」「全公算の原則」はその後少々意味を変えて復活して いることに最近気がついたので節を別にして紹介する.
本節で考察する文献をまず紹介しておく.
★1.著者不詳(1888?,明治21?,[36]).陸軍士官学校編『公算學』.(『公算學』,と略記 する)
★2.陸軍砲兵大尉 川谷致秀,陸軍砲兵中尉 田中弘太郎訂正(1891,明治24,[16]).公算 學・射撃學教程.(表紙に陸軍砲兵射的學校用本,明治廿四年十一月印刷,と書かれている.
川谷・田中の「公算學・射撃學教程」,と略記する)
★3.吉江先生ノート(1895,明治28,[39]).Calculus of Probability and Method of Least
Squares.,東京大学数理科学研究科図書室藏.(吉江先生ノート,と略記する.英語で筆記
されている.)
★4.林鶴一・刈屋他人次郎(1908,明治41,[11]).公算論(「確カラシサ」ノ理論),大倉 書店15.(林・刈屋の「公算論」,と略記する)
以上の文献の著者が参考ないしいわゆる種本にしたのではないかと思われる洋書は次の 通りである.陸軍が明治初期フランスの影響を強く受けていたことと,東京大學において初 めて誤差論(最小二乗法)の講義を行い,吉江先生ノートの講義者であり,パリでBertrand の講義を聴いたという寺尾壽がフランスに留学していた関係で洋書はすべてフランス語で ある.数学関係の単語は概ね英語と対応しているからフランス語のまま引用する.
★1. H. Laurent(1873,明治6,[24]). Trait´e du Calcul des Probabilit´es. Gauthier-Villars.
(Laurentの本,と略記する)
★2. J.B.J. Liagre(1879,明治12,[25]). Calcul des Probabilit´es et Th´eorie des Erreurs avec des Applications aux Sciences d’Observation en G´en´eral et la G´eod´esie en Particulier.
C. Muquardt.(Liagreの本,と略記する)
https://archive.org/details/calculdesprobabi00liaguoft/page/10
★3. J. Bertrand(1889,明治22,[5]). Calcul des Probabilit´es. Gauthier-Villars.(Bertrand の本,と略記する)
151910(明治43)年の第3版の影印が公開されている.
3.1 「全公算」とは何か
§2.2で紹介したラプラスの第二原理はその後の洋書文献にどのように引き継がれていっ たのかが他の原理に比べて分かりにくい.加法定理という表現が初めて邦書に登場するの は林・刈屋の「公算論」(1908,明治41,[11])で,「公算ノ加法ノ定理」を説明したあとの「注 意」として,「此定理ヲ全公算ノ定理ト云フコトアリ」(20頁) と書いてある.Probability の訳語が「公算」から「確率」に変わった後の昭和時代に書かれた渡邊孫一郎の「確率論」
(1926,[37],19頁)には加法公式のことを「全確率ノ定理又ハ「何レカ」ノ確率ノ定理ト云フ」
と説明しているが,最初にこの語が登場する『公算學』では必ずしもそう単純に割り切っ ているわけではなさそうである.
以上のことを念頭において,年代順に文献に即して「全公算」「全公算の原則」に対応 していそうなところを考察する.
(3.1.1)前述したように「全公算」なる単語は『公算學』において初めて登場するのであ
が,この本のいわゆる種本であるといわれるLiagreの本には「全公算」に対応する単語は 出てこない.そのためか,『公算學』の最初の章に書いてあるprobabilityに関する基本的概 念の用語やその説明はLiagreの本の対応しそうな個所と微妙に異なる.そこで欧文文献1 のLaurentの本を見ると,確かに小節の見出しに“Principe de la probabilit´e totale”(p.47) とあったのである.つまり,「全公算」,「全公算の原則」はLaurentの本を参照した可能性 が高いと推測されるのである.改めてLaurentの本の表紙を確認すると,著者Laurentの 肩書はエコールポリテクニックの解析学の復習教師(R´EP´ETITEUR)とあるから陸軍から 派遣された日本人留学生も接した可能性がある.ところが,Laurentの本は,前回(88頁) すでに指摘したように,当時はまだ発展途上にあったと思われるフーリエ解析をベースに 数学公式を展開しており,当時の陸軍士官学校を如何に優秀な成績で卒業してフランスに 留学したとしても到底フォローできなかったのではないだろうか.その点でフランス陸軍 と直接の接点があるかどうかは定かでないがベルギーの陸軍中将であるLiagreの本は通常 の微積分の知識で理解できたのではなかろうか.察するに,最初はLaurentの本を参照し てテキストを書き始めたが16,途中でついて行けなくなって結局Liagreの本を参照するこ とにしたのではないだろうか.特に後半の誤差論に関するグラフや数式はLiagreの本の対 応する個所を丸写ししている印象がある.しかも本当に理解していたのかどうか少々疑わ しい写し方である.
Laurentの本をもう少し詳しく説明する.見出しに“Principe de la probabilit´e totale”(p.47) とある小節では因果関係が明確ではなく,確率で表現される事象の原因cause d’un ´ev´enement について述べている.定理の大略を説明する.
Th´eor`eme. 事象Eが相反するいくつかの原因Ci ;i= 1,2, . . .によって引き起こされる 確率P は次式で与えられる.
P =p1q1+p2q2 +· · ·+piqi+· · ·
ここで,piは原因Ciによって事象Eが引き起こされる確率,すなわちpi =P(E|Ci),qiは
16その証拠にLaurentの本の題名の自然な翻訳は「公算學」であるが,Liagreの本を最初から訳すなら,
資料が残っている明治26年(1893)陸軍砲工学校数学教程第二版「公算誤差學」のように「公算」と「誤差」
を併記する方が自然な題名だからである.
原因Ciが生起する確率,すなわちqi =P(Ci)である.
Laurentはこの定理をラプラスの第一原理に基づいて証明している.なお,P(E∩Ci) =
P(E|Ci)P(Ci)(=piqi)と積で表されるのは複公算の原則のお蔭(en vertu du principe de la probabilit´e compos´ee)だと言っている.さらにLaurentは特別な場合としてpiが1または 0の場合をTh´eor`eme IIとして掲げているが,その場合は通常の加法公式(定理)に他ならな い.つまり,Laurentの本では“le principe de la probabilit´e totale”は加法公式を含むより一 般的公式をさしているように思われる.目次の順序もProbabilit´e compos´eeがProbabilit´e
totale の前にあるから,ラプラスの第二原理を第六原理の特別な場合であると見做すとい
う捉え方である.
もうひとつ,「全公算」「全公算の原則」という単語について気になる文献がある.そ れは邦書文献3の吉江先生ノートと洋書文献3のBertrand の本である.前回(89頁–90 頁)および河野([18],162頁)でも紹介したが文献3の吉江先生ノートにも「the principle of total probability」と「the principle of compound probability」が説明してあり,これらの
「principle」を用いて式が変形されているのである.
寺尾は東大の仏語物理学科を卒業後直ちにフランスに留学,天文学を納めて学位を取 得して帰国している.(1.2)で説明したように彼はパリでBertrandから数学を学んだらし い.さらに,1883(明治16)年に帰国後は東京大学理学部星学科教授として「最小平方法 科」の授業を担当して「プロバビリテーノ諸原則ヲ授ケ」ている(公田[21],240頁).とこ ろが,Bertrandの本の第II章の表題がPROBABILIT´ES TOTALES ET PROBABILIT´ES
COMPOS´EESなのである.『公算學』との関りは目下の所不明であるが,前回(90頁),『公
算學』の著者を通じて何らかの影響を与えたのではないかという憶測を述べておいた.
(3.1.2) 『公算學』では本文の冒頭でいきなり
理学上ニ於テ一事一象ノ公算トハ所望ノ数ト可成ノ数トノ比ヲ言フ。
と「公算」が定義してある.我が国の知的風土の中で馴染みがあるとはいえない数学的意
味のprobabilityについて一言の説明もなくいきなり数学的定義から書き出すのは如何にも
唐突である17.当時急いで教育内容を刷新,高度化する必要に迫られていたと思われる陸 軍が大急ぎで種本を基に纏めさせた,という印象を受ける.
続いて「全公算」について次のように説明している.
一事一象ノ生起スルニ各異ノ現様18アルトキハ其公算ヲ全公算ト称ス。
一事一象ノ全公算ハ各異ノ現様ノ公算ノ和ニ等シ。例ヘハ一箱内ニN 球アリ,
其n箇ハ白ク,其n′箇ハ赤ク,其n′′箇ハ青ク,而テ其余ハ皆黒シ。一タヒ箱内 ニ手ヲ入レテ,白球,或ハ赤球,或ハ青球ノ一箇ヲ撮出スルノ公算ハ,明ニ,,, と「全公算」という言葉を定義した上で例を用いて説明しているが,内容は排反事象に対 する加法公式である.
そこで,この『公算學』の種本であると思われるLiagreの本を参照し てみる(pp.43-44)19.
17因みに,『公算學』を参照,あるいは訂正したと思われる川谷・田中の「公算學・射撃學教程」ではまず
「緒言」において「公算學ハ事象ノ運命ヲ推測スルノ學ナリ 公算トハ,,,」と「公算」について1頁半を費や して説明している.
18第二篇,予定公算の章では「現様」は「原因」の意味であると断わっている.
19実は,Laurentの本のTh´eor`eme II(p.49)もほぼ同様の内容,文章表現である.
En g´en´eral, on peut poser la r`egle suivante : “ La probabilit´e d’un ´ev´enement qui correspond `a l’arriv´ee de plusieurs ´eventualit´es, est la somme des probabilit´es relatives ´a chacune de ces ´eventualit´es.
ただし,Liagreの本では排反事象という概念をはっきりとは説明していないが,いくつか説
明している例から推察する限り単なる加法公式を意味しているように思われる.Liagreの 本では直ぐ続けてサイコロを2個振った時に出る目の和が7または8になる確率の例(p.44) が書いてあるが,Lacroix([22])にも同じ例(p.22)がある.『公算學』でも全く同じ例が第二 例としてあげられているがLaurentの本には出てこない.
ここでの probabilit´es relativesはすぐ後に登場して,『公算學』において「比類公算」
と訳されている単数形の probabilit´e relativeとは別で通常の「関係する」という意味であ ろう.ちょっと紛らわしい.Liagreの本では次の小節§16(p.44)でprobabilit´e absolueと probabilit´es relativesの説明が出てくるが,probabilit´es relativesはB ⊂A⊂Ωの場合に,
|B|
|A|を意味する.probabilit´e absolueはrelativeに対応した言葉で,|B|
|Ω| を指すが,『公算學』
には対応する訳語は見当たらない20.比類公算は川谷・田中の「公算學・射撃學教程」に も引き継がれているが,もともと理論上特に必要な概念ではなく,節の最後に附録的に説 明してある.実際,他の洋書の文献では発見できなかった.
『公算學』の「全公算」の定義の部分の「現様」を後の第二篇でわざわざ「原因」のこ とだと注釈している理由はよく分からない.実際,第二篇「予定公算」はラプラスの第六 原理(ベイズの定理)の応用であるから,「現様」より「原因」が適切であることは明白で あろう.文献としてあげた洋書すべてでcauses(英,仏共通)と表現している.
なお,『公算學』に挙げられている「全公算」の第一例はなんと次の幾何確率,つまり,
場合の数の比では表されない例で,しかも如何にも陸軍のテキストらしい例なのである.
第一例
弾丸ノAB線上に落ルノ公算ヲp1トシ,其BC線上ニ落ルノ公算ヲp2トスレ バ,其AC線上に落ルノ公算ハP =p1+p2ナリ21。
『公算學』の著者がいくつかの原書を参考にしながら苦心して執筆に当たったのは間違いな いだろう.ただ,『公算學』の著者は「排反事象」という概念を明白には意識していないよ うだが,その後の川谷・田中の「公算學・射撃學教程」では訳語ではなく22,独自に「反 排事象」と名づけており,彼らのprobability理解が『公算學』の著者より大幅に深化した ことをうかがわせる.
(3.1.3)川谷・田中の「公算學・射撃學教程」では「事象ノ公算」を定義した後,「公算」
について説明する前に「事象」の分類をしているのが特徴である.「複合事象」,「獨立事 象」,「關屬事象」,「反排事象」,「反排原因」である.この中で最後の「反排原因」だけが
20§4.4節を参照されたい.
21文章の後に線分が図示してある.幾何確率は誤差論で必須の連続分布を理解するためにも必要である.
かと言ってまともな教科書ならば林・刈屋の「公算論」の第十二章「幾何學的公算」のように,必ず別に節 あるいは章を立てて改めて説明するはずで,古典確率論の最初の段階の例としていきなり登場することはな い.有限集合ではないからである.このテキストの著者は数学者ではないのではないだろうか.
22(5.5)を参照されたい.後述するC.Smithの本を参照した可能性はある.
気になるが,これは後で出てくるベイズの定理(「ベイエス」ノ則)を紹介するための準備 かもしれない.例えば,複公算は「複合事象」の公算に対応していることは容易に想像で きる.しかし,全公算に対応する事象,全事象という言葉は見当たらない.
続く第二絛 注意,では二個のサイコロを同時に投げて生じる36個の場合の出る目のペ アの表を掲げているが,同じ表はLiagreの本のp.24,Lacroixの本のp.11にある(但しA,B を甲乙に変えてある).
この本では他の多くの類書や『公算學』とは異なり,Laurentの本と同様に複公算を先 に説明し,続いて「全公算」と題する小節に移り,全公算の説明がしてある.やはり「全 公算の原則」は単なる加法公式ではない,という認識があったのであろうか.複公算を先 に説明した後,「全公算」という小見出しをつけて次の絛で「全公算」を説明している.
第十六絛:
所望事象ハ諸種ノ原因(或ハ諸種ノ現様ニテ)ヨリ出顕ヲ得ルトキハ其全公算ハ 各原因(或ハ各現様)ニ應スル其公算ノ和ニ等シ
続いて,「複合スルコトアリ 或ハ否ナルコトアリ 又互ニ相反排スルコトアリ 或ハ否ナ ルコトアリ」,と各原因の在り方は様々であることを説明して,反排事象の場合の加法公 式 P(A ∪ B ∪ C) = P(A) + P(B) + P(C)と反排事象でない場合の公式P(A ∪ B) = P(A−B) +P(B −A) +P(A∩B)をLaurentの本のp.52–p.53にある数値例と同じ例で もって示している.つまり,単なる(一般)加法公式である.しかし同時に,Liagreの本の
例(p.48–p.49)と,『公算學』にもある同じ例(第二例)を説明しており単なる加法公式より
広い意味を含ませているのかもしれない,
(3.1.4) 林・刈屋の「公算論」では川谷・田中の「公算學・射撃學教程」と同じ反排事
象という用語を用い,対する公式を「公算ノ加法ノ定理」と称しているが,「注意」として
「此定理ヲ全公算ノ定理ト云フコトアリ」と注釈しており,Bertrandと同様に「全公算の原 則」を単なる加法公式だと理解していることが分かる.
3.2 「複公算」とは何か
複公算はP(A∩B)を意味している.3節に挙げた仏語の文献ではすべてprobabilit´e com- pos´eeとなっている.ただ,元になる事象については,Laurentの本ではLorsqu’un ´ev´enement E se compose de concours de plusieurs autres e1, e2, e3, ...,(p.43)と少々くどく表記してい るのに対してLiagreの本(p.46)やBertrandの本では簡単に´ev´enement compos´e(p.25)と なっている.『公算學』では事象に対して名称を与えていないが,川谷・田中の「公算學・
射撃學教程」では「複合事象」と名づけている(十頁).
さて,複公算に関する乗法公式で最も問題となるのは事象の独立性である.(2.2.4)で 述べたようにラプラスは事象の独立性を無定義語として導入し,実際には例題を見る限り,
いわゆる「独立試行」のことをさしているのであるが,後続の文献ではどう理解・認識さ れているか,邦書を中心に文献毎に検討してみる.
(3.2.1) 『公算學』の第四章で複公算を定義して,いわゆる乗法公式を次のように説明
している.
若干事象相共ニ生起シテ成立スル事象ノ公算ヲ複公算ト称すス。一事一象ノ複 公算ハ,此事象ヲ成立スル若干事象ノ公算(之ヲ単公算ト称ス)ノ相乗積ニ等 シ。(以下,Liagreのp.46にある例で説明)
ところが,よく読むと「若干事象」が独立事象であることが明記されていない.対応する と思われるLiagre,p.46を見ると“plusieurs ´ev´enements ind´ependants”とはっきり書いて ある.しかし,続いてそれを簡単にまとめた文章では,
Ou plus bri`evement :
La probabilit´e compos´ee est le produit des probabilit´es simples.
となっていて,「独立性」の仮定がない.ここは単なる覚書,スローガン的説明でそれ以前 に独立事象の場合であることは散々説明した後だからLiagreの本を読んでいる限り誤解の 恐れはないのであるが,『公算學』の著者は独立事象がどういう概念であるかを理解しない まま前段を飛ばしていきなり簡略したまとめの部分だけを翻訳した感じである.
(3.2.2) 川谷・田中の「公算學・射撃學教程」ではまず,第十二絛(十二頁)において,
「複合事象」の公算は各「單事象」の公算の「相乗積」に等しいことを述べていて独立事象 であるという条件が付いていないので紛らわしいのであるが,実は次の十三絛(「單事象互 ニ獨立ナル場合)と十四絛(單事象關屬スル場合」)ではっきりさせている.特に他の類書 と違う特徴は「B事象ノ既ニ成就セル後C事象ノ出顕スヘキ關係公算」(十八頁)という現 在の条件付き確率の概念を表す「關係公算」という用語を導入したことである.この用語 を使うことで,複合事象の公算が各単事象の公算の積で表される,という(一般)乗法公式 を表現しているわけである.残念ながらこの用語は林・刈屋の「公算論」等後の文献には 引き継がれていない.
次の第十五絛で,關屬する事象の他の例として非復元抜き取りの例が取り上げられてい るが,Liagreの本の§18(p.47)を参照しているように思われる.
(3.2.3) 林・刈屋の「公算論」では「從屬事象」を「甲事象ノ生起ガ乙事象ノ生起ニ關
係ヲ及ボシ之ヲ許否スル時乙事象ハ甲事象ニ從屬スト云フ」と説明し,サイコロを2回投 げる例で説明しているが,事象の表現上の問題で本質的には独立試行,つまり独立事象で ある.かつ従属事象に対する乗法公式はその後でも示さず,独立事象の説明に移っている.
このあたり,林・刈屋は確率論をよく理解していないのではないかと疑われる.この点は 川谷・田中の公算學・射撃學教程より後退しているのではないだろうか.
3.3 ベイズの公式は如何に認識されたか
(3.3.1)『公算學』の第二篇 予定公算の第九章に「ベー氏ノ設言セシ法則」(ベイズの公
式)が紹介してあるのだが,その導入のための例題の解法の説明に「複公算及ビ全公算ノ原 則ニ拠テ」とあるので,この本の著者は結局「全公算ノ原則」を加法公式としてしか理解 していないように思われる.なお「ベー氏の設言」の数式展開はLiagreの本やLaurentの 本のそれと酷似しているが,よく理解しないまま書き写したという印象の数式もある.
Liagreの本の§55(p.145)のいわゆるベイズの公式R`egle de Bayes の解説と式を用いた 証明中には「d’apr`es le principe des probabilit´es compos´ees,」(p.146)とあるが,le principe
des probabilit´e totaleは見いだせなかった.
(3.3.2)川谷・田中の「公算學・射撃學教程」ではベイズの公式(「ベイエス」ノ則)は,
第二章 後定公算(probabilit´e `a post´eriori)のところに登場する.現代の感覚で読むと,「關 係公算」という条件つき確率の概念(用語)を用いているため,『公算學』は勿論Laurent,
Liagre,Bertrandの本と比べても分かりやすく説明してあるように感じられ,著者の確率
概念理解が深まったという印象を受ける.なお,式の変形中,「復公算ノ要領ニ由テ」,「全 公算ノ則に由レハ」という言いまわしもあるが,『公算學』を踏襲したのだろうか.前述し たように,「全公算ノ則に由レハ」という表現はベイズの公式についての説明のところでも
Liagreの本には出てこない.
(3.3.3)林・刈屋の「公算論」では第六章「原因ノ公算」のところで「原因ノ公算ニ關ス
ル定理」(ベイズの名前は出していない)の証明ではそれ以前には説明していない「從屬事 象ノ理ニヨリ」とあり,『公算學』にあった「全公算の原則」は出てこない.乗法定理のと ころでは独立事象に対する場合しか乗法定理と呼んでいないから,本来はそこで「從屬事 象の理」つまり条件つき確率を説明すべきだったのではないだろうか.反排事象に対する 公式は現在の高校数学と同様に「加法ノ定理」と呼んでいる.
なお,「原因ノ公算ニ關スル定理」に対しては二つの証明を与えているがその第二証明
はLaurentのそれと酷似しているように思われる.
ベイズの公式は著者にとっても理解・認識に苦労したとみえて,繰り返し注意してい る.曰く,
注意.原因ノ公算ヲ求ムル問題ヲ變形シテ遂ニ事象出顕ノ公算ヲ求ムル問題ニ 誘歸シタル點ハ論理ノ妙味アル所ナルヲ以テ讀者ハ繰返ヘシ熟讀スルコトヲ要 ス.(70頁)
例題を解いたあと,「べいずノ公式」に二通りの証明を紹介して曰く,
注意.兩証明ノ根原ハ素ヨリ全同一ナリ.唯其言廻シガ異レルノミ.讀者ハ何 レカ一方ヲ會徳シ後ニ繰返ヘシテ他方ヲ熟讀スルトキハ公算論ノ味ヲ解スルニ 於テ利少カラザルベシ.(73頁)
4 Probability の訳語が「確率」に確定した以後の状況
Probabilityの訳語に関しては中塚利直氏の詳しい研究がある(2008,[26]).彼によると,
大正5年頃にprobabilityの訳語として東京帝國大學の藤澤利喜太郎が「確率」と定めた
由23.なお,1908(明治41)年の林・刈屋の「公算論」が出版された以後,probabilityに関 する一般向け数学書の出版はしばらく途絶えている.理由はよく分かっていない.しかし,
大正時代末から昭和初期にかけて次々と「確率論」の本が出版され始める.因みに陸軍内 でのテキストではprobabilityは一貫して「公算」が使われている24.
23前々回(78頁–79頁)でも補足説明をした.
24ただし,一般社会ではk¯osanと発音されているが陸軍内ではk¯ozanと濁って発音されていたようだ.前 回,68頁または[40]を参照のこと.
大正末から昭和の初めにかけて何冊か出版された一般向け「確率論」の教科書の特徴 は,確率の数学的定義としてラプラスの第一原理に基づく場合の数の比で定義する他に頻 度論的,あるいは経験主義的確率の定義も合わせて採用していることである.ただし,両 者の関係については著者毎に見解の相違がある.(弱)大数の法則を媒介にして結びつくラ プラスの定義と頻度論的確率が何故我が国で同値な別の定義として採用されたかの経緯に ついては後の5節を参照されたい.
最後に昭和10年代,古典確率論に代わってコルモゴロフによる公理的確率論が登場す るまでの気になった本と,実はtotal probability, the law of total probabilityという言葉は 最近復活しているということを紹介する.
4.1 末綱の「確率論」
(末綱恕一,1941,昭和16,[32],確率論,岩波全書)
古典確率論を紹介している最後の一般向け数学書と思われるのが昭和16年に出版され た,東京帝國大學教授末綱恕一によるこの「確率論」である.内容的にはベイズの定理に 至るまで数学者らしくラプラスの定義,つまり場合の数の比に基づいて厳密に証明しては あるが,必ずしも数学的に厳密には定式化し切れなくてラプラス自身が散々議論していた
probabilityの微妙な部分の説明は完全に捨て去られており,先行する類書に比べてみて何
とも見劣りがする.当時はすでに発表されていたコルモゴロフの公理系(1933,[20])の論文 を文献として引用しているにも拘わらずである.彼はフォン・ミーゼスのコレクティーフ に関心があったらしく,附録として10頁ばかり解説している.近代確率論の発展の方向を 見誤ったというべきであろう.
4.2 伏見の「確率論及統計論」
(伏見康治,1942,昭和17,[10],確率論及統計論.河出書房)
この本についてはすでに初回(61頁)で触れたが,第二章 確率論 の序論には確率論小 史と共に「確率」の意味について哲学から物理学に至るまで幅広く文献と共に簡単な解説 を加えている.また,「確率」の定義に関してはコルモゴロフの公理主義に基ついている.
ところが,よく読むとコルモゴロフのオリジナルな公理を書き換えて有限加法的測度で確 率を定義しており,残念ながら真にコルモゴロフの可算加法的測度に立脚した完全な公理 的確率論の我が国への導入は次の伊藤清を待たなければならなかった.
ところが,今回改めて読み直してみると,何と(2.2.7)で紹介した公式(∗)をBayesの定 理を説明する前に「完全確率の定理」として証明付きで紹介しているのである.これこそ この後紹介する,今世紀になってから出版された高橋の「確率論」(2008,[33])に出てくる
「全確率の公式」に他ならない.伏見が何を参考にしてこの公式を紹介しているのか出典は 明らかではないが,参考文献表を見る限り当時の最新の書物が多く,陸軍関係の書物は皆 無でむしろ統計関係の書物を典拠にしているのではないだろうか.
4.3 伊藤の「確率論の基礎」
(伊藤清,1944,昭和19,[12].確率論の基礎,岩波書店)