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「私」の科学と「私」の形而上学

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Academic year: 2021

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「私」の科学と「私」の形而上学

提題者: 鬼界彰夫(筑波大学)、永井均(日本大学)、渡辺恒夫(東邦大学) 企画者、司会: 水本正晴(北見工業大学)

<進行>

企画者が司会者として企画概要と全体的な見取り図を述べた後、それぞれの提題者に 自らの研究を20分程度にまとめて紹介してもらい、その後、事前に答えてもらった アンケートを参考にしながらそれぞれの論者の立ち位置を確認し、提題者同士の質疑 応答に入る。最後に、フロアからの質問も含め、出席者全体での討論を行う。

1)企画の趣旨説明(10分)

2)各提題者の発表(3人、それぞれ20分)

3)アンケート結果および解説(20分)

4)提題者同士の質疑応答(30分)

4)フロアを含めての討論(30分)

(計2時間半)

<ワークショップ趣旨>

哲学を政治的右、左の類比で表わせば、右には自然科学と全く独立に展開される純粋 な形而上学が位置づけられよう。通常概念分析と呼ばれている哲学的方法も、分析さ れているものが存在すると前提されている限り、あるいは存在するかどうかどうかが まさに問われている限り、形而上学と矛盾しない(例えば「クオリア」や「ゾンビ」

概念を巡る心の哲学の議論参照)。他方、極端な左の立場によれば、哲学的形而上学な ど存在せず、あるのは物理学(それに還元可能な経験科学)のみであり、どのような 哲学的形而上学の試みも空虚なお喋りにすぎない、というものとなろう。そこでは哲 学は科学の概念的混乱を整理する、あるいはせいぜい自然科学に便利な道具を提供す ることができるのみである。ほとんどの哲学者は今日、この両極端の間のグラデ-シ ョンのどこかに位置づけられるだろう。

だがそれも、論じられる領域やテーマによって大きく異なる。特に、「私」というテ ーマに関しては、分析哲学の伝統でも早くから論じられてきたが、このようなテーマ こそは経験科学とは全く独立に論じることができ、論じられるべきであるように思わ れる。ここでの最右翼に位置づけられるのが永井均氏であろう。だが他方、この問題 に対し経験的探究を行ってきた渡辺恒夫氏のような心理学者もいる。彼によれば、む しろ心理学のような科学こそがこうしたテーマについて探究できるように変わらねば ならないのである。ウィトゲンシュタイン研究から出てきた「私」の問題について独 自の考察を行っている鬼界彰夫氏は、恐らく両者の中間に位置づけられよう(実は、

もう一つの軸として、「私」という指標詞の、主に2次元主義に基づく形式的意味論的

(2)

探究があるが、本ワークショップでは中心的テーマとしては扱わない)

企画者は、渡辺氏と共に心の科学の基礎論研究会の世話人を務めると共に、永井氏、

鬼界氏両者の著作についての書評を執筆した経験がある。企画者自身は(「心の部屋実 験」における「私」と身体との関係についての経験的考察や、心の哲学におけるクオ リアを巡る考察で「私」の問題を論じたくらいで)独立のまとまった考察を発表して はいないが、この問題に関しては比較的左よりに位置すると言え、書評では鬼界氏の 著作に右への「偏向」を見出し経験的探究との関連を強調すると共に、永井氏の立場 を「極右」と位置づけ批判的に論じた。その意味で、企画者は渡辺氏よりも左に立っ ているのかもしれない。

いずれにしても、本ワークショップにおける企画者の関心は、これらの全くお互い に独立に行われてきた各提題者の研究が、一体どのような相互関係にあるのか、とい うことである。彼らのアプローチの違いは暗黙のうちに相手の否定を含意しているの だろうか。それとも彼らはお互い全く異なる何かについて論じている、あるいは同じ ものについての異なる側面について論じているだけであり、そこにはそもそも食い違 いなどないのだろうか。後者の場合、お互いの研究がそれぞれの研究に対し貢献する ことなどない、ということであろうか。そもそも「私」についての共同研究なども(独 我論者同士の共感のように)定義的に不可能なのであろうか。

本ワークショップの目標は、こうした点に関する議論を通し、できるだけ多くの「有 意義な食い違い」を発見することにあると言えよう。

参照

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