分権化にかんする企業体制比較
日次
一社会主義企業・資本主業企業と分権化二ソ連における経済の分権化
−企業の独立採算制の形成2企業内独立採算制の形成3現代の企業管理構造一二資本主業企業における分権化
−独占企業における分権的管理の導入2資本主義公企業における分権化
四経済体制と分権化 1経済体制の相違と分権化の問題
社会主義企業の分権化と比較企業研究の課題
分権化にかんナる企業体制比較 2
成
田
幸
一三
五
範
立教経済学研究第四O
巻三
号門
一九
八七
年︶
一一
三六
社会主義企業・資本主義企業と分権化
経済の管理運営における分権化は︑
販売活動の機動性の欠如による経済効率の低下を克服するために必要とされる︒このような意味では︑分権化は経済 一般には︑経営規模の拡大に伴う意思決定や情報伝達の遅れ︑あるいは生産・
体制の如何を問わず統一的意思決定の単位が巨大化することによって不可避的に発生する問題である︒
しかしながら︑国民経済のどのレベルで分権化が問題となるか︑また実際にどの程度の分権化が行われるか︑ある
いは分権化の究極的な目的などにかんしては︑経済社会体制のちがいが大きな影響を及ぼしてくることになる︒
つま
り︑経済の基本的単位である企業のレベルでの分権化が問題である場合には︑巨大企業であろ限り体制に関係なくど
のような企業においても企業内部の管理機構の分権化が日程にのぼってくるが︑企業の所有主体が国家である場合に
は︑国家に対する企業の分権化の要請が企業内部の管理組織の分権化に先行することになる︒そこでは国民経済レベ
ルでの分権化がまず問題となってくる︒所有主体が国家である企業は︑資本主義においても公企業として多数存在す
一般的には資本主義企業の基本は私企業である︒これに対して︑国家所有企業の存在が一般的であるために︑
分権化の問題を国民経済レベルと企業レベルとで重層的に考えなければならないのは社会主義に典型的な現象であ る
が︑
る︒経済管理における集権・分権という場合︑社会主義では国民経済全体と企業との関係を第一に表現しているのに
対し︑資本主義では基本的には企業レベルでの管理組織の問題としてあらわれる︒
したがっ花一社会主義企業と資本主義企業之芳比較する探にはλ国民経済全体の中での企業の位置のちがいを明確
にしておく必要があるといえるが︑原理的には︑私的所有にもとづく資本主義では︑個々の企業活動の総体として国
民経済が形成されるのに対し︑社会的所有にもとづく︐社会主義では︑企業は︑国民経済全体の計画︑管理の中にはじ
めからその一環を成すものとして組み込まれているということができる︒また︑この関係は︑分権化の究極的な目的
についてもそのままあてはまり︑資本主義における分権化は企業経営の効率化︑企業利潤の極大化に資するためのも
のであり︑企業の枠内で終結するが︑社会主義では企業の枠肉では終結せず︑国民経済全体の効率的運営の観点から
考えることが必要となる︒
このような分権化にかんする体制的相違は︑生産手段の所有構造のちがいにもとづぐ経済運営面の原理的相違を反
映したものであるが︑このことは同時に︑企業研究のアプローチについても︑社会主義と資本主義とでは異った方法
をとらざるをえないことを意味している︒すなわち︑社会主義企業の研究のためじは︑企業行動が最初か︑り国民経済
計画の一環として組み込まれ︑国家の経済政策に強く規制されることから︑国家的経済政策や国民経済全体との密接
な関連において企業行動を分析することが必要不可欠であるのに対し︑資本主義の場合じは︑企業行動が経済全体と
相互規定的に結びついているととを十分念頭におきつつも︑それは社会主義の場合と異なって一方的な関係ではない
ため︑直接に企業行動の具体的分析に重点をおいた研究も可能となる︒
この小論では︑社会主義と資本主義のそれぞれの経済体制における分権的管理成立の歴史的経緯を明らかにしなが
ら︑その構造的相違について考えようとするものである︒
なお︑社会主義については︑ここではもっぱら子連経済を対象として︑国民経済レベルと企業レベルでの分権化へ
の取り組みを考察している︵近年︑社会主義経済の多様化が著しく進展する中で︑ソ連と︑
ユー
ゴ︑
ハン
ガリ
ーあ
る
いは中国などとではその経済運営形態に大ぎな相違が存在することは周知の通りであるが︑ツ連以外のこれらの閏々
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
二三
七
立教
経済
学研
究第
四O
巻三
号ハ
一九
八七
年﹀
二ニ
八
の経済管理問題については︑四章で簡単に触れるにとどめ︑その具体的内容については別の機会に改めて論及するこ
とにしたい
Y
ソ連における経済の分権化
1
企業の独立採算制の形成
①
初期の経済管理機構
社会主義経済における分権化は︑既にみたように︑第一には統一的所有主体である国家と経済の基本的構成単位で
ある企業との関係の問題︑つまり国民経済レベルでの企業の自主化︑分権化の問題であり︑第二には国家と企業との
関係の大枠の中で︑個々の企業内部の経営管理がどのように分権化されているかの問題である︒これらの分権化の問
題は︑実際の経済運営においては︑制度としての独立採算制の適用問題と密接に重なり合って展開されているため︑
国民経済の各管理レベルと企業内部での独立採算制の実施状況によって分権化の度合を観察することができる︒
ところで︑企業が国家的所有のもとにおかれ︑国民経済規模での計画化が可能となる社会主義経済のもとでも︑国
民経済全体を中夫から直接的︑二冗的に統括することは当然ながら不可能であり︑国民経済を産業部門ごとあるいは
地域ごとにいくつかの部分に区分して管理せざるをえない︒
ソ連では革命後︑園長経済の管理のために最高国民経済会議
SQ
民︶が設けられ︑その下に工業部門別の管理機関として総管理局
︵グ
ラフ
ク︶
または中央管理局︵ツェントル︶がおかれた︒最高国民経済会議は工業を中心とし
て経済の全分野を活動領域としていたが︑国有化工業部門の拡大や国有化企業数の増加にともない部門別管理機関の
比重が大きくなり︑工業部門管理の細分化とそれに応じたグラフクの分割が進んだ︒その結果︑グラブク︑ツェント
一九
二
O
年末にはグラフクは五二に及んだ︒三七
0 0
0
余を五二の部門に分割して管理していたことになるが︑グラフクが経済活動の一つのまとまった単位であ ルの数は一九一八年後半期から急激に増大し︑一九
二
O
年末の固有企業るため︑そのような集中的管理体制のもとでは﹁工業企業そのものには自主性はまったく認められず︑すべてグラフ
クに依存していた︒企業は︑グラアグの指令によって原料︑物資︑設備を入手し︑その生産物もその命令によって出
ハ2﹀荷した︒﹂グラフクやツェントルによる管理体制は︑﹁工業諸部分を経済的に相互に孤立化し︑上部の最高国民経済会
︵3︶ 議によってのみ関連づけられるいくつかの強大な垂直的合同体に転化せしめるものであったよ生産︑分配にかんす
るこのような行政的な管理の支配︑経済の過度集中は︑一般には﹁グラフキズム﹂の名称でよばれている︒
この段階では︑国民経済管理の厳しい集中化のために計画的・規制的機能と日常的機能との区別が不可龍な状態で
あったが︑それは固有企業の管理方法としての独立採算制︵ホズラスチョiト﹀制がまだ確立されていないためであ
︵4﹀
った
ソヴェト経済に独立採算制が導入されるようになるのは︑戦時共産主義政策が終了し︑一九二一年からの新経済政 ︒
策一
︵︑
不ッ
プ︶
への移行によってである︒
②
ネップとトラスト
新経済政策︵ネップ︶の目的は︑園内戦によって生じた生産力の破壊︑経済力の極度の疲弊の状態を建て直し︑国
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
一三
九
立教経済学研究第四O
巻 一 一 一
号
m一
九八
七年
︶
一四
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民経
済の
正常
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関号
︑っ
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社会
主義
建設
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乗せ
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とに
一あ
った
︒
このため︑戦時共産主義期の経済政策を象徴する穀物徴発制を廃止し︑農民の余剰穀物や農産物の市場での自由処
分を認め︑農業と工業との商品交換を促すなどの資本主義の部分的復活政策がとられた︒
工業の再建とそのための工業企業の操業保障の問題がこの場合の緊急かつ最重要な課題となったが︑ほとんどのヱ
業企業は圧倒的な流動資本不足の故に︑品市場において自力で原材料を獲得する必要に迫られた子このため︑多くの企
業とその合同体には︑原材料と資金の調達や生産物の一部の販売にかんして自主的な権限が与えられた︒厳密にいう
なら︑資材と資金の調達にかんしては︑戦時共産主義期におけると同様に国家補給を受け続けることのできる企業と
国家補給から完全に切り離される企業とに区分されたが︑前者には金属治金工業︑燃料工業︑マ電気エ業︑軍事工業︑
石炭工業︑石油主業︑鉱業その他の重工業部門が含まれていた︒これらの重工業部門は生産設備の復旧に巨額の資金
を必要とし︑主たる需要者が国家機関や国有企業でありその提業規模が直接に財政支出の大きさに依存じでおりF政
治的・軍事的必要のうえからも国家補給を完全に麗止することは困難な分野である︒
ーその他の軽工業を中心とした工業部門は︑国家による補給から切り離され︑換業を続けるために必要な原材料や資
金は市場で自らの生産物の販売によって獲得しなければならないとされた︒また︑市場での生産物実現は私的企業家
との競争や国有企業相互聞の競争を伴うことから︑必然的に乏しいい貨源・資金を節約的に使用する合理的・効率的な
経営
が要
求さ
れた
︒
固有工業企業のおかれたこのような経済環境のもとで採用された経堂方法が︑国家による資源と資金の補給中止︑!
財政からの切り離しによる企業の財政的独立を意味する︑独立採算制である︵当初は商業計算制の名で呼ば托た
Y
市場と直接結びついて自力経営を行う独立採算制企業は︑それぞれの単位での原価計算︑収支計算を不可欠のものと
し︑市場競争において生き残りをはかるために自らの収入によって支出を補填し︑さらに一定の利潤を確保できるよ
うな経営を行う必要があった︒ただし︑重工業部門については︑その製品価格が生産物原価を著しく下回る額で設定
され︑はじめから採算制を無視した欠損部門として位置づけられていたため︑独立採算制の適用は軽工業部門に比べ
てきわめて不十分なものであった︒しかし︑原価計算と節約的経営の要請という点では︑軽工業にとどまらず重工業
に対しでもこの独立採算制の要素が適用されることになった︒
ところで︑ネップ段階での工業管理の基本的環はぺ企業ではなく国営企業の合同体であるトラストであった︒厳し
い経済環境の中で私的セクターに対して国有化セクターの力宏強めていくためには︑当時のソ連の工業集積化水準で
は個々の中小規模の企来を単位としたのでは困難であり︑政策的に大規模な管理組織を作成し︑それを独立採算制に
よって運営する必要があった︒
つ寺
品川
ノ︑
﹁トラストに︵企業にではなく︶完全な運営上の自主性をあたえたのは︑;
:・ネップの初期の段階には︑市場が細分されており︑流通部面では非社会化経済部分がかなりの役割をはたしてい
て︑市場を思いのままにうごかすのは︑大規模な︑集積された生産単位だけが実行可能であったことによるのであ
る︒当時︑企業はまだ︑市場を思いのままにうとかして私的資本主義分子とたたかうという課題を解決することがで
ハ5﹀
きな
かっ
た︒
﹂
固有企業のトラストは次のような方針で形成された︒﹁
ω
生産の集積化と物材の合理的配分のための︑地域的に関連しあった同種諸企業グループの合同︑凶原料・燃料なとを補給する地域的に関連しあった異種的な諸企業グループ
の合問︑同とくに重要な意義をもっ生産グループの合同
11
たとえば石油︑石炭︑同生産過裡において相互に補足し1
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
四
一九二三年には四七λ形成され︑
全部門で七五
M m 以上︑国民経済会議所属の工業平均で入八
M m が
トラ
スト
化さ
向か
︒
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号ハ
一九
八七
年︶
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九一
一一
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二一
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四
一九二二年段階では大工業の
ネップ段階での固有工業の管理組織形態は︑トラストを中心として展開されることになったが︑このトラストは︑
それ自体が大規模生産単位であると同時に︑部分的には戦時共産主義期のグラフクに代って各工業部門の大企業を統
合し︑トラスト加入企業の日常活動の指導を集中的に行う工業の中間管理機関的性格をも有し︑これが全体として独
立採算制にもとづいて運営されるととになっていた@
生rラストは法人絡を有し︑国家から分与された国定資本をもとに自己の責任において利潤獲得を目指して活動す
る︒また︑国家は︑トラストへ原料や資金の補給の義務は負わないが︑固定資本を分与していることとの関連で必要
な監督や指導を行う︒トラストに法人格が与えられていたため︑トラスト・を構成する個々の企業や工場は︑トラスト
が閏家機関から受け取った計画をたんに遂行するだけの位置しか与えられておらず︑この時期には企薬レベルの独立
採算制は特殊的例外的存在でしかなかった︒ただし︑トラストとトラスト構成企業や工場との関係は︑トラストが当
時﹁単一企業しとてのトラトパ﹂と規定されていたことからも明らかなように︑実質的には︑トラスト日企業︑トラ
スト内企業日企業内職場の関係に近いものであったとみることができる︒
トラストは︑他方で︑上級管理機関からの日常的蹟事にかかわる監督を受けていたため︑かならずしも経済運営上
必要な自主的権限を十分保障された組織ではなかった︒このため︑この段階では︑トラスト構成企業の自主性が問題
とされる以前にトラスト自体の自主性の強化︑独立採算制の強化が課題であヨた︒
複興期から社会主義工業化の時期にかけては︑社会主義蓄積の強化のために個々の企業や工場における生産性の向
上︑節約方式の徹底が不可欠であるとされた︒したがって︑この時期に至ってようやく︑トラストとその構成企業︑
工場との関係において︑企業や工場に一定の自主性を認め︑それらの単位にも独立採算制を導入することの必要性が
論議されるようになった︒この変化は一九二七年に制定された﹁固有工業トラストにかんする規定﹂に反映されてい
ハ叩
る︒ただし︑実際に企業が独立採算単位と明確に規定されるようになるのは︑一九二九年においてであり︑それまで ﹀
の党や政府の諸決定や実践は︑依然としてトラストを法人格を持った独立採算単位として扱い︑トラスト構成企業に
対する関係は基本的には行政的な関係のままであった︒
③
企業独立採算制の形成
ソ連
経済
の発
展を
うけ
て︑
一九二九年にはソ連の工業管理にかんする大規模な再編成が行われ︑工業管理体系の基
本的環はこれまでのトラストに代って企業であること︑すべての企業が独立採算制に移行すべきことがはじめて宣言
され
た︒
一九二九年一二月のソ連共産党︵ボ︶中夫委員会は﹁工業管理の改組について﹂宏決定し︑新たな経済情勢に対応
しうる工業管理制度の全般的改革方針を明らかにした︒この決定の中では﹁企業がエ業管理の基本的環である﹂とさ
れ︑すべての企業の独立採算制への移行措置は︑短期間に例外なくすべての工業企業において断固として適用されな
ければならないと規定されている︒
公式文書の上では︑このように企業が工業管理の基本的環であり︑そこで独立採算制が実施されなければならない
とさ
れて
いた
が︑
一九二九年の工業管理制度の改革は︑企業のよ級機関として①グラフクの代りにグラフグと同じよ
分権
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企業
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一四
三
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年︶
一回 目
うな部門別の指導機関としての合同||これも独立採算制にもとづいて運営される!ーを設けたことによって︑ま
た︑②従来のトラストも合同と企業との中間環として残され︑管理機構の複雑化を増大することになったことによっ
て︑企業の自主性発揮の可能性という点では︑これまでと根本的な差異を見出すことは現実には困難な状態であった
とい
える
︒
主的経済単位であると規定された︒ 新設された合同は︑法人格を持つ独立採算制の経済組織であり︑合同のレベルで収支計算を行い利潤計算を行う自
一九
O
年中頃には︑連邦レベルでは工業の部門別に三三の合同が形成された︒三しかし︑この合同は︑その後すぐに工業の急速な拡大に適応しきれなくなり︑期待された役割を果せないものとして
再び改組されることになる︒
合同は︑各工業部門の指導機関であると同時に独立採算制にもとづく大規模経済単位であるとされたが︑合同の位
置︑権限が以前のグラフグと類似したものであったため︑合同はグラフクの抱えていた矛盾をそのまま抱えることに
なった︒合同内には一
OO
から
二
OO
もの企業が統合されていたため︑企業に対する指導の官僚主義や実情に合わない指導︑重要問題の解決の不能などの諸問題が発生同かoこれに対して︑合同の指導機関としての機能を発揮できる
よう
にす
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め︑
一 九 一 一
一
O
年には合同の分割が進められた︒しかし︑この分割は経済管理機構の一層の肥大化と現場企業からの管理機関の遊離をもたらすことになり︑工業の急速な拡大に対応しきれなくなったため一九三二年にはそ
の全障が決定された︒この結果︑以前のグラフクを引き継いだ合同の麗止は︑そのあとで再びグラフクへの改組をも
円一
M︶
って
結着
する
こと
にな
った
︒
①
部門省管理体制の形成
部門別合同の矛盾が明らかになり︑その分割再編成が進むのとあわせて︑
一九
三一
i
三二年には︑従来の最高国民経済会議を頂点としたソ連工業管理制度全般の大規模な機構改革が進められた︒これは工業化の進展にともなって多
数の新しい工業部門が創設され︑工業の技術的・計画的指導の作業が複雑化したことによるものであり︑
﹁国
民経
済
会議の指導のもとに︑すべての工業部門をおさめること自体が︑工業生産発展の重要問題の解決を妨げるものとなっ
た﹂
ため
であ
る︒
国民経済会議は最初は三つの人民委員部
i
!重工業人民委員部︑軽工業人民委員部︑木材工業人民委員部11
に分
割されたが︑その後工業の発展にともなう工業部門の増加︑細分化によって次々に新しい工業人民委員部が組織きれ
た︒工業人民委員部は︑部門別の管理組織であり︑当該部門の計画化︑部門内企業の指導︑
資材
調達
︑
販売の組織
化︑融資等々にかんする全権限が与えられている︒また人民委員部内には︑企業を統合し︑生産・技術の諸問題を指
導し日常業務上の機能を遂行するためのグラブグ︵総管理局︶がおかれた︒
この結果︑合同が廃止されたあとの工業管理機構は︑人民委員部のもとでグラフク||トラストill企業︑あるい
はグ
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ー1
1 企
業の
形態
とな
った
︒
工業人民委員部は一九四六年に省と改称されるが︑これはたんなる名称変更であり︑したがって︑
一九
三ニ
年の
最
高国民経済会議の解体による新しい工業管理制度の成立は︑一九五七年から一九六五年までの一時期を除き︑現在に
至るまでのソ連の部門別管理制度の確立を意味するものであった︒
分権
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企業
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比較
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五
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巻三 号ハ 一九 八七 年︶
一四 六
との部門別管理制度の成立過程は︑他方では個別の企業が工業管理の碁礎的な環としての地位をこれまでよりは明
確にする過程でもあった︒トラスト構成企業が︑対外部取引においてトラストを介さずに直接の当事者としてあらわ
れるようになり︑企業にゴスパンク︵国立銀行︶からの直接的融資の権根が与えられ︑他企業との自主的な契約締結
の権利が拡大されるなど実質的な契約主体としての立場を強めた︒また︑一九三六年からは︑石炭工業︑鉱山業︑鉄
鉱業︑化学工業などの重工業部門や木材工業部門において国家補助金の支給が廃止され︑卸売価格の引上げと計画欠
損部門の縮小措置がとられた︒このような企業の立場と独立採算制の強化を促した背景には︑社会主義工業の発展に
︵門川﹀伴う巨大工場の新設に示されるように︑工業管理体系における生産企業の地位と役割の向上があった︒
しかしながら︑工業管理体系における企業の地位の強化は︑あくまでも国民経済の全般的計画化の徹底という大枠
の中でのことであり︑それを促進するために必要とされる範囲内のことであった︒このため︑企業と部門管理機関と
の関係は︑計画的管理強化の必要から一層緊密化され︑その結呆︑企業に対する基本的管理機関としての部門別グラ
フグの機能と権限の拡大・強化がこれまで以上にはかられることになった︒一九三六年七月のソ連邦執行委員会とソ
連邦人民委員会議の決定では︑総管理局のもとに生産的機能とともに販売や調達にかんする機能および財務にかんす
る権限を集中する措置がとられることになった︒すなわち︑﹁人民委員部制度の整備にともなって︑この総管理局
辻︑部門・企業の生産的機能の指導のみならず︑販売・調達面の機能をも統一的に指導する権限があたえられるとと
もに︑所属企業の利潤︑減価償却費︑流動資金を集中・再分配することが可能となり︑財務・金融上の権限が強化さ
れた︒部門別総管理局の機能と権限は︑著しく拡大され︑管理の機動性を高め︑生産・流通・財務の諸側面から部門
・企業の総合的管理を強化することとなった︒かくて︑これらの措量は︑各工業部門内に︑全物材・資金の計画的集
中的処理を基礎としたずり︑他方で部門内のホズラスチ宮
16
ト制諸部分の経常的自主位を結合させた単一の経済体制
︵刊印︶をつくりあげることとなった︒﹂
人民委員部制のもとでの部門別グラブクへのこのような機能と権限の集中は︑実質的には企業の権限の形式化を強
めることになり︑企業の独立採算制の強化も︑多くの場合は企業の計算単位としての役劃の強調でしかなかった︒こ
のため︑部門別管理制度の確立過程は︑企業の自主化︑分権化にもとづく国民経済の分権的管理の方向とは逆の︑部
門を単位とした国民経済の集権的管理体制強化の過程であったということができる︒
企業
はこ
の中
で︑
人 民 委 員 部
︵のちの省︶を管理機関とする部門︑あるいはグラフクを管理機関とする亜部門をそれぞれ単位とした︑工業管理シ
ステムの中の一計算単位の位地に留め置かれることになった︒この管理体制は︑
一九
六
0
年代に入り過度に中央集権的な管理体制として全面的に批判されることになるが︑それにもかかわらず依然として現在に至るまでのソ連経済の
構造的特徴を成している︒
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即 認 ・
8
迄N・2 −
u・8
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笹川
五二
ペー
ジ@
︵臼︶笹川同書
9章
︑刊
章参
照︒
同書
三五
一!
三
三五
二八
iジ @
2
企業内独立採算制の形成
社会主義経済の分権化は︑その構造上の特徴から︑統一的所有主体に対する個別生産単位の自主性がまず問題とさ
れ︑国家対企業の関係が扱われるが︑次にはこの枠内で企業の管理運営自体の分権化の閣置があらわれてくる︒この
二つの分権化問題はもとより密接な関係にあるが︑ソ連の場合︑前者はもっぱら企業の独立採算制にかんする問題と
して︑後者は企業内独立採算制の問題としてあらわれている︒
国民経済の中での企業の白主化︑分権化︑つまり企業の独立採算制と︑巨大企業内部での管理の分権化︑つまり企
業内独立採算制との関係は︑一方では︑企業内独立採算制の実施状況は企業が国民経済の中でどの程度自主的・分権
的存在であるかによって基本的には規定されるが︑同時に︑他方では︑企業内独立採算制の充実が企業独立採算制の
強化にとって欠かせない条件であるという︑相互依存的な関係にあるということができる︒企業の独立採算制を実施
するには︑企業内部で個々丹工場︑職場︑輸区などを単位とした経済計算や節約的・合理的経営が行われることが重
要な
前提
とな
る︒
ソ連における企業内独立採算制は︑最初は︑ネップ暗におけるトラストを単位としたトラスト独立採算制の探用に
よって︑法人格を有するトラストとトラスト内部の構成企業との関係として︑つまりトラスト内企業や工場の自主
化︑分権化の問題としてあらわれた︒一九二三年七月の最高国民経済会議の﹁トラスト構成施設の管理にかんする﹂
規定
では
︑
﹁トラスト内エ業施設は︑単一企業としてのトラストの管理部の一般的管理のもとにあって︑管理部によ
る規定の限度内で自主性をもっ﹂とされていたが︑この段階でのトラストは︑実質的に企業と同じ位置にあると考え
られるため︑トラスト内独立採算制は企業内独立採算制と同じものとみなすことができる︒トラストを単一金莱とし
た内部独立採算制として︑各内部単位はそれぞれの原価計算を行い︑全体としてのトラストの独立採算制を保障する
関係
にあ
った
︒
先に
述べ
たよ
うに
︑
一九二九年一一一月の共産党中央委員会決定﹁工業管理の改組について﹂によって︑トラストで
はなく企業が工業管浬の基本的環であることが承認されたが︑これにともなって企業独立採算制と企業内独立採算制
との関係が改めて提起されることになった︒
この企業内独立採算制は︑企業内職場への生産計画課題の配分︑生産的支出の計算︑支出と結果の対比などを職場
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
一四
九
立教経済学研究第四O
巻司 三寺 ハ一 九八 七年
︶
一 五
O
を単位として実施することであり1それによって企業の支出節約と合理化を推し進めようとするものであった︒しか
し︑この時期の企業内独立採算制は︑企業の独立採算制をそのまま機械的に企業内の職場や工場に適用しようとした
こと︑原価計算そのものの制度的不備︑職場編成の混乱︑企業の計画・管理要員の能力水準の低さなど種々の原因に
よって実際には失敗に終ったぺ
とくに︑企業独立採算制と企業内独立採算制のちがいを明確にしておくことが重要であるが︑固定資本を分与さ
れ︑法人格を有して対外的な経済契約を締結でき︑金融機関との直接的関係を持つことのできる企業とは異なり︑職
場や工場の単位は︑企業の枠内での部分的な計算単位として位置づけられており︑したがって︑そこでの独立採算制
も企業独立採算制とは異って部分的な指標の達成を目的とする部分的独立採算制でしかない︒
この点は︑社会主義企業それ自体が国家的規制の強い枠の中におかれており︑その中の企業内独立採算制は一一重の
規制を受けざるをえないという︑社会主義企業の特殊性を強く反映したものということができる︒さらにまた︑この
ことは︑同じような巨大企業内部の分権化とはいえ︑個々の内部単位が直接市場活動を行う事業部制にみられるよう
な資本主義企業の分権的管理とは根本的に異なる点でもある︒
︵1
︶ 出
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ト工
業 管理史論﹄︵ミネルヴァ書房︶一九八ページQ
︵2
﹀ 後 川 前 掲 書 三
O
八| 一二 一四 ペー ジ参 照︒
3
現代の企業管理構造
現在のソ連経済の管理構造は︑工業にかんしては︑︿図1﹀で示されたように各産業部門別の国家管理機関である
省を中心にして︑それと生産の基本的環である企業とを結ぶ形を基本として形成されている︒
省には全連邦省と連邦・共和国省および共和国省︑自治共和国省の四種類が存在する︒電力︑石油︑自動車などソ
連邦全体とでしての統一的政策決定を要し︑全土を管轄範囲とする全連邦工業省に対して︑軽工業や食品工業などの分
野は
連邦
・ー
共和
国工
業省
によ
って
管理
され
てい
る︒
各産業部門を統括する工業省の下には︑亜部門のレベルで企業を管理する中間管理機関である工業連合が存在す
る︒この工業連合も全連邦工業省に所属するものや共和国工業省に所属するものが存在する︒工業連合は︑以前の亜
一司(受賞芸員手 )
l土
﹂ じ
|工業連合\ c
グ か 〉分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
部門レベルの中間管理機関であったグラフグと実質的には同一機能を果
す機関であり︑多くはグラフクのたんなる名称変更とみなすことができ
工業省の種類と中間管理機関の有無によって︑企業に対する管理形態 る
は様々のケlスが存在しうる︒現在では省
1
1工業連合||企業の三環
制が一般的であり︑その他に省!
l
企業の二環制や四環制をとる場合もある︵図2
参照
︶︒
基本的生産環としての企業については︑その規模に応じて合同︑
コン
一 五
(1976. 1. 1現在〉
(9KOHOMHKa.1977) CTp. 34, 35.
立教経済学研究第四O
巻コ
一号
︿一
九八
七年
︶ 部門,科学研究所,科学研究・企画研究所
情報処理センター
工 業 省 石 油
全連 邦連 合﹁ 国外 石油
﹂
トラスト﹁連合石油コンプレックス﹂
﹁連邦石油掘削機修理﹂連合
﹁連 邦自 動機 械装 置﹂
全連邦連合
﹁連 邦石 油機 械修 理﹂
全連邦装備修理工業連合
﹁連 邦石 油特 殊資 材﹂ 採掘 用特 殊資 材生 産工 業連 合 全連 邦石 油ボ ーリ ング
・
連合﹁連邦石油ガス精製﹂全連邦石油ガス精製工業
一 五
﹁石 油機 械修 理﹂ 支局
特殊企画建設局
組立・修理組織
特殊建設技術局
工場
アゼルパイジャン石油機器修理生産合同
資料・試料生産工場
全連邦ガス精製科学研究・企画研究所
建設・基本修理管理局
ガス精製工場
西シベリア石油ガス精製生産合同
労働者雇用地方管理局
全連邦石油・グス科学研究所
特別建設局
国家地球物理学トラスト
<図2>石油工業管理図
〔出所〕 QpraHH3aUHil ynpasJieHHil
科 学 技 術 会 議
︵省
︶
石油本管パイプラインシステム﹁友好L制御管理局
企画研究所
生 産 合 同
「タタール 石油」
科学研究・企画研究所
企業
生産単位
石油採掘 生産合同
日払 掘管 理局
科学研究・企画研究所
企業
生産単位
チ生石ユ産油
メ総if
ニ管ス石 理 グ
泊局ラ
カ、二ク三フ
スー」メ
工一業一
企業・組織
科学研究・企画研究所
生 産 会 同 企 業
・ 組 織
︵江
謹一
件︶
分権化にかんする企業体制比較
︵接合同︶
一 五 一 ニ
立教経済学研究第四O
巻三 号︵ 一九 八七 年︶
(JI0}/10)の管理構造
(3KOHOMUKa.1982) CTp. 84〜86.
地方工場
副 組 営 庶 務 部
公共住宅部
文化的生活・経済施設部
軍 事 防 衛
技術教育部
11
1| 教 育 課 人 事 部
企画・設計建築部
l l
建設組立工場
基 本 建 設 管 理 局
|
| 建 築 地 運 輸 課 購 買 部
ili
−
− 仕 入 課 販 売 部 相 包 部
争 回 全 口 市 山
今 供
﹄
@ 市 庁
﹁
経 理 部 法 律 部
生産・労働・管理の科学的組織部
会 計 長
一五
回
指令室
i
先 学 器 具 店 長
|
﹁ 琳 指令室
l ﹁
1 3
−|準備生産部長指令室
l
私 学 機 械 生 産 郡 長
|
﹁ 瑚
<図
s >
レ=ングラード光学機械合同〔出所〕 ITpOH3BO且CTBeHHhie 06もe且HHeHHll
匡 歪 訂
﹁|品質管理部
手
光 生 音 装十
学 産 響 置 電音[) ・生
子 長 日央産
主義 {象音II
f演 技 長
手f>j 指 ! ? 旨 l指 令 ト 令 卜 令 室 | 室 | 室
工 場 工 場 生産・経済担当重役
分権化にかんする企業体制比較 機械組立工場修理・組立工場計同生産部!ーーー中央指令室
情報・計算センター
労働・賃金部
計画経済部寸
l t
工具生造部工呉製造部長i
!卜|工場
非規格装備設計部
l l
白動化・機械化工場
科学技術情報部
生産技術部
労働保護・安全技術部
度 量 衡 部
規格統一設計部
中央設計局
生産技術準備計画部
動力技師部
機械技師部
11
11
動力使用課
11
11
機械修理課
一五 五
立教経済学研究第四O
巻三 号︵ 一九 八七 年︶
一五
六
ピナlト︑企業たとの区別があり︑近年は中小規模の企業を統合した大規模企業としての合同
11
1生産合同︑科学生
産合問︑農工コンプレックスなど||の形成が積極的に推し進められている︒
とのような経済管理構造と独立採算制の関係は非常に複雑なものがある︒ソ連では︑独立採算制は省のレベルから
工業連合︑企業︑職場︑職区︑班に至る各々のレベルで実施されている︒つまり︑企業内部の各計算単位における独
立採算制︑それをまとめた企業や生産合同の独立採算制︑いくつかの企業︵および生産合同︶をまとめた亜部門レベ
ルの工業連合の独立採算制︑さらにこれらすべて包含した部門全体を単位とする省レベルの独立採算制が存在する︒
しかし︑工業管理の基本的環である企業︵生産合同︶レベルの独立採算制と︑その管理機関を含むレベル︵部門省お
よび工業連合︶の独立採算制や企業内部の独立採算とでは独立採算制の経済的意味合いが大きく異なっている︒法人
格を有し︑他の経済組織との関係において経済主体としてあらわれ︑社会主義の商品生産者として位置づけられるの
は企業︵生産合同︶だけであり︑職場︑職区などの企業内部の独立採算制は︑企業独立採算制を実施するための部分
的な内部計算を行うものでしかない︒問題となるのは︑企業より上のレベルで行われる独立採算制であり︑これは︑
企業レベルの自主化︑分権化を軽視し︑より大きな範囲の部門あるいは亜部門のレベルを基本的採算単位として位置
づけようとする︑ソ連経済に歴史的に一貫した傾向を反映したものである︒部門省あるいは亜部門のエ業連合を一つ
の採算単位として扱う傾向は︑経済の基本的単位である企業の地位を弱め︑企業をたんに国民経済運営のための一計
算単位として位置づけることになるが︑このことは︑企業の自主化︑分権化の強化にもとづいて分権的な社会主義経
︵1︶ 済を実現することを著しく困難にしている︒
︵︿
は︑近年政策的に積極的に形成されている大規模企業としての生産合同の管理構造図である︒この巨大図
3V
企業体の内部機構のそれぞれにおいて︑部分的な企業内独立採算制が実施されている︒﹀︵1︶H
部門
や琵
部門
の独
立採
算制
と企
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独立
採算
制と
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その
問題
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詳細
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拙稿
﹁ソ
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ト経
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︵立
教経
済学
研究
第お
巻第
3号
︶お
よび
﹁ソ
連型
社会
主義
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企業
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本問
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第釘
巻第
3号
︶︑
﹁ソ
ヴェ
ト経
済に
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る基
本投
資と
生産
発展
フォ
ンド
﹂︵
同第
お巻
第
2号
︶を
参照
され
たい
@
資本主義企業における分権化
1
独占企業における分権的管理の導入
①
独占の形成と企業管理
資本主義経済における分権的管理は︑資本主義の独占段階への移行にともたつて本格的に登上する︒企業の吸収︑
合併を繰り返しながら進展する企業の大規模化や経営の多角化は︑変化する経済構造や激化する市場競争に対応する
ため︑それまでの企業管理とは異なる管理方法や組織機構を必要とし︑巨大化した企業を分権化することによって経
営の合理化︑効率化︑機動化をはかろうとするようになる︒資本主義企業にこのような変化が最も大規模かつ典型的
にあらわれるのは︑アメリカ合衆国においてである︒
アメリカでは一八
00
年代の終りから一九00
年代の初めにかけて第一次の企業合併ブlムが起こり︑それによってU
Sスティ!ル社︵一九
O
一年︶︑ゼネラル・エレクトリック社︵一八九二年﹀︑インターナショナル・ハiベス
タ
!社
ハ一
九
O
二年︶︑デュポン社︵一九O
三年︶など︑現在のアメリカ経済を支配する巨大独占企業が多数出現した︒﹂の
時期
は︑
モル
ガシ
︑
ロックフェラー︑メロン︑シカゴ︑デュポンなどの財閥も形成され︑アメリカが独占資本主
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
一五
七
立教経済学研究第四O
巻三
号ハ
一九
八七
年︶
一五
八
義段階へ進んだ時期である︒この時期の合併の特徴は︑宮崎義一氏によれば︑次の三点にある︒第一の特徴は︑
﹁ 同
一業種に属する多数の企業が合併して︑その業種におけるトップ企業を形成し︑圧倒的なマーケット・シェアを獲得
しようとした点に見出される︒
U
Sス
ティ
lル社は一七
O
社を合併して六五%の市場占有率を手に入れ︑デュポン社は六五社を合併︑八五
M m の市場占有率を獲得した︒第二の一特徴は︑競争相手の企業を水平的に吸収するだけでなく︑
原料から完成品にいたるまでの全生産過程を一貫してタテに結びつけ︑市場を縦断的に支配することを目的とした点
にみられる︒そして第三にその方法として︑トラストが用いられ︑
︵l︶ 額の三分の二までがトラストの支配下におかれたといわれているよ
一九
O
四年ごろにはアメリカ製造工業会社資本総また︑このあと第一次世界大戦後の一九二
0
年代に︑アメリカは︑独占発展のもっともはげしい時期をむかえる︒この時期における企業合同の大きな波の中で独占はさらに高水準に達し︑産業合理化政策の遂行と︑自動車工業︑化
学工業︑アルミニウム工業などの発展によって︑アメリカの独占資本主義体制は︑さらに拡大︑深化した︒
企業の巨大化は︑企業活動を︑合理的基準によって区分されたいくつかの機能に分割し︑権限の分化をはかりなが
ら能率的に経営を行う必要をもたらす︒企業業務の職能的分割ほ︑最初は企業規模の拡大ゃ︑生産企業と販売企業と
の連合あるいはそれぞれが相手の分野へ進出することなどによって︑製造︑販売の二つの機能を持った企業が登上す
ることから始まる︒次には︑市場拡大をめざした企業の合併︑合同の形成あるいは取扱商品の多角化にともなって︑
製作所や工場を管理する製造部︑地方の販売・営業所を監督する営業部︑設計や技術開発を行う技術部︑企業の金融
を扱う経理・財務部︑人事部などの各種の機能部が設置されるようになる︒さらに︑企業が合同をくり返しながら全
国的に広く分散したヱ場や支店を統括する必要が生じてくると︑企業全体として集権的に調査︑計画化︑評価を専門
的に行うための機能部が設けられ︑これらを通して経営の合理化と統一的な管理が行われる︒
このような企業の職能別に分割した管理組織機構は︑企業内分業の一形態ではあるが︑分割した職能別単位に十分
な権限を委譲した分権的管理を目的としたものではなく︑企業体としての統一性をより強固なものにするために︑分
割した機能を一本化し一元的︑統一的に掌握することに重点がおかれているため︑むしろ集権的な管理組織というこ
とができる︒企業内の個々の区分単位が直接市場を持ち︑企業内企業のように行動する事業部制のもとでの分権的管
理と比べて︑この職能別管理は︑個々の単位が直接市場を持つのではなく︑もともと企業として必要な機能を合理的
に再編成し︑集中的に管理するための形態ということができる︒
②
デュポン社における事業部制の導入
職能別管理組織は︑集権的な機構であるため︑きわめて少数の人間に大量の複雑な意思決定が委ねられるという
﹁一つの根本的な弱点﹂を持っている︒事業が多角化し︑複雑化するにしたがって︑少数の個人の管理能力に頼る機
構の欠陥は次第に明らかになったQ﹁新興産業︵電気機械︑自動車︑化学︑電子工業﹀だけでなく︑旧来の産業︵ゴ
ム︑石油︑農業機械︑その他動力機械︑チェーン・ストア︑通信販売︶も︑人口と技術の変化によって︑革命的な進
歩を遂げたので︑主要企業はますます複雑な管理問題に直面するようになワた︒そして︑こうした産業において初め
て︑主要企業はその業務活動を新しい﹃分権的﹄事業部制を通じて︑管理するようになった兄﹁事業部制をもたらし
たのは︑地域的な拡大ゃ︑さらには製品多角化によって︑既存の経営機構の負担が重くなったからである︒
デ ュ ポ ン ︑
GM
ジャージー・スタンダードおよびシアi
ズ・
ロ
lパックは︑この新しい形式を一九二
0
年 代 に 編 み 出 し
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
一五
九
立教
経済
学研
究第
四O
巻三
号︿
一九
八七
年﹀
一六
Q
集桂的職能部門別管理から分権的事業部制管理への変化を︑
︿5﹀下でデュポン社を例にチャドラlの研究にもとづいて概観する︒ た﹂︒このようにして巨大企業の管理方式に生じた︑
以
デュ
ポン
社は
︑
一 九
O
三年に︑それまでの群小の企業のゆるい連合体であったものが合同して統合化され︑集権的に管理される企業体に脱皮した︒新たに設立されたE・I−デュポン・ド・ヌムlル火薬会社は︑合同によって設備
や人事の無駄な重複が取り除かれ︑購買︑製造︑発送︑販売といった各麓機能が︑経済的かつ合理的に統轄され︑ま
た職能部門聞に必要な調整がとられるようになった︒この結呆︑デュポン社はアメリカ火薬工業の約三分の二を占
める
よう
にな
った
︒
再編
成で
は︑
最初に製造部門が合同され︑ついで主製品の黒色火薬︑高性能爆薬︵ダイナマイ
ト︶︑無煙火薬ごとに三つの管理部門が設けられてこれらの合同された作業の調整︑
評価
︑
企画が行われた︒次に全
国的な販売組織がつくられ︑同様に工務部︑輸送部︑購買部が組織さた︒このようにして図4のような管理機構が形
成さ
れた
︒
このような集権的職能部制組織は︑第一次世界大戦終了時まではその長所を発揮し︑十分機能してデュポン社の成
長をもたhりしたが︑それはあくまでも火薬製造という単一製品系列の生産量拡大によるものであった︒
デュポン社が火薬以外の部門に進出したのは一九
O
八年であり︑軍用火薬に対する政府発法の削減にともなう過剰設備の脅威に対して︑遊休施設と過剰人員の解決策としてとられた措置であった︒この時には︑
一ト
ロセ
ルロ
iズ
を
主原料とする人造皮革︑人造絹糸およびパイロキシリンの開発に力が注がれた︒第一次大戦後の多角化戦略も︑戦争
終了に伴う無煙火薬設備の過剰生産能力転換の必要性を契機としており︑余剰設備利用のための多角化であった︒新
規事
業へ
の進
出の
結果
︑
一九
一九
年の
春に
は︑
デュポン社は火薬と化学薬品︑
ペイ
ント
・ワ
ニス
︑
パイ
ロキ
シリ
ン
1911年ごろのデュポンの組織
l i I I l ! M l
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礎J 巴
販
売
l~I
支
配人
性高
能 爆 薬
く図
4 >
「一一一寸
開 ー
︵ 不 動 産
︶
上
発
務
〔出所〕 Chandler, A.D., Jr.,Strategy and Structure 1962, P.62,三菱経済研究所訳『経営戦略と組織』
〈実業之日本社)74ページ。
︵商標名セルロイド︶︑一人造皮革の事業で確固とした地位
を築
いて
いた
︒
第一次大戦後の種類の異なる新製品系列の拡大︑多角化
戦略の推進とともに︑デュポン社のそれまでの組織は不適
当であることが次第に明らかになった︒多角化によって管
理部局に対する要求は大幅に増大することになり︑多数の
業種の異なる工場︑営業所︑研究所などの調整︑評価を行
ぃ︑計画を作成することはますますむずかしくなった︒そ
れは︑もともと火薬の経験しかない幹部たちが︑ペイント
−ワニス︑染料︑化学薬品︑プラスチック製品などにかん
する決定を行わなければならなかったからである︒とくに本社レベルでは︑各部門聞の調整が複雑になり︑製造部と
「一一I
購 律
売
営業部は相互の連携を失いがちになり︑そのため需要の変化や競争への対応に遅れをとることになった︒この結果︑
それぞれの職能部門における各ラインの業務活動は能率的に管理されていたが︑これらの活動を統轄して製品系列ご
っ た
︒
とに利潤を確保すべき責任者が一人もいなかったために︑火薬以外の全製品分野では大幅な赤字を計上するまでに至
第一次大戦後の不況の深まりの中でこの危機的状況を脱するために︑デュポン社は抜本的な組織改革を行い︑
九
二一年八月会社全体を五つの製品別事業部門︵爆薬︑染料︑ピラリン︑ペイント・化学薬品︑人造皮革・フィルム︶
分権
化に
かん
する
企業
体制
比較
一六
デュポン祉の組織
p. 108‑109,前掲邦訳116‑117ページ。
立教経済学研究第四O
巻三
号︵
一九
八七
年︶
(補助部門〕
購買 | 開 発 | 施 設 化学 | 総 務 | 運 輸 | 宣 伝
法律顧問 部 長 部 長 技師長 部 長 部 長 部 長 部 長
業 務
法律関係大口の購買 製品開発 建設工事 研究所 医務 運輸業務 宣伝
全 般 業務および 実験および 実験および厚 生 その他の
事業部で扱 通常業務の 通常業務の不動産 運賃調整
わない購買 施設工事 化学コンサ警 備
業 務 Jレテ4ング広報
救急 安 全 消 防 検査 印刷 郵便
一六
恒 言 語 |
1921年8月に提案された
【出所〕 Chandler
。 ,
ρ.cit.,<図
5 >
唖互 l
[言詞
区三 l
̲ L
分権化にかんする企業体制比較
(各製品別事業部〉
爆薬 染 料 |ピラリン|ペイント・|人造皮革・
1
財務部化学薬品 フィルム
事業部長 |暗部長|事業部長|事業部長|副事暗業部部長長
1
| 財 醐 長副事業部長|副事業部長[副事業部長1~際部長[副事業部長|
副財務部長製 造 品 目
せ
黒ず 脚 火
(軍用・産薬
染 料染料中間体品・板材ピラリン製 ペイントワニス 人造皮革ゴム引布 全社的資金調達電 業用〉 医薬品 〈セルロイ顔 料 フィルム 資金と証券
木 ド〉 ドライ・カノf−リン工 の管理
包 ペーハース フー 場の溶済・ 主計
トック 基礎薬品 薬品・混合監査
材など
一六