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Study of the Coalification in the TertiarySasebo Coal Field, Northwestern Kyushu, Japan

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

Study of the Coalification in the Tertiary Sasebo Coal Field, Northwestern Kyushu, Japan

岩橋, 徹

九州大学理学部

https://doi.org/10.15017/4739254

出版情報:九州大学理学部研究報告. 地質学之部. 6 (2), pp.95-134, 1963-01-30. Faculty of Sciences, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

95 

::::佐世保炭田::::炭の石炭化度の地質学的研究;,

岩 橋

(1962年8月10日受理)

Study of the Coalification in the Tertiary Sasebo  Coal Field,  Northwestern Kyushu,  Japan 

Toru lw.aH.AsHI  (Abstract) 

The Sasebo coal field is  divided into two areas,  the east and the west,  by the Sasagawa  thrust  fault which runs northeast by north. It has long been well  known that Jhe qualities  of  coal  of  the  Sasebo group in the west are quite different from those in  the east.  Although there have been  many  opinions to explain this difference,  nothing has been done of clarifying the relation between the grade  of coalification and the causes of coalification in quantitative way.  Since Hoi'l"D.A  (1960)  found  analyti‑ cally that in Japanese coal the volatile  matter  is  not  always  available for showing the rank of coali‑ fication,  the author used carbon content (d. a. f.)  for the index of coalification in this paper. In regard  to this coal field,  carbon content of each coal seam such as the Ose‑goshaku, Matsuura‑sanjaku, Fukui‑

ichimai and Sammai‑mono increases gradually from the east to the west respectively  (figs.  8‑13). 

Having studied the relation between the index of coalification and the  causes  of  the  promotion  of coalification,  the author came to the conclusion that the difference of coalification is  mainly due to  the difference of overlying sediments which are greater in  thickness in  the west than in the east. 

Such geological evidences as radial faults,  dome structure,  and rapid  increasing  of carbon  con‑ tents in the east・  and north sides of  the dome suggest the existence of deep‑seated igneous mass in the  southwestern part of this coal field.  Consequently,  the thermal effect  of this  expected  igneous  body  and also the effect of the tectogenetic movements, including the lateral pressure resulting from the com‑

pression of the Sasagawa thrust fault,  might  have accelerated the difference of  the grade  of  coalifi‑ cation between the both areas.  Therefore,  the fact that has not been able to explain only by the thick‑ ness of the overlying sediments is  easily interpreted by these two effects. 

Further,  the difference of coalification,  which is  shown by the  lateral  change  in  thickness  of  each  formations,  is  presumed to be made step by step during  the  deposition  of  the  Nojima  group  and the Hirado formation and during the tectogenetic movement,  and  also  during  the  accompanying  local differential erosion.  And it  is  inferred that the most remarkable  displacement  of  the  Sasagawa  fault occurred after the grade of  coalification became distinct  to  a considerable  extent  between  the  east and the west. 

1962年6月1日,日本地質学会西日本支部例会(於熊本大学)で講演。

九州大学理学部研究報告(地質学) 第6巻 第2号 95‑134頁

(3)

96  ::::佐世保炭田::::炭の石炭化度の地質学的研究 目

I.緒 論 1. 緒 言 2.従来の研究 3.研 究 方 法

r r .  

:::::佐世保炭田:::::の層序概説 1.第三紀眉の基盤岩類 2.相 知 層 群 3.杵 島 層 群 4.相ノ浦層群 5.佐世保層群 6.野 島 層 群 7.平 戸 層

8.安山岩類と田助爽亜炭凝灰岩 層

9.八ノ久保砂礫層 10.松浦玄武岩類

m .  

:::::佐世保炭田:::::の地質構造 A.第三紀層の地質構造

1. 東 部 地 域 2.西 部 地 域

B 八ノ久保砂礫層と松浦玄武岩 類の地質構造

IV.炭層対比と炭層発達状況 1. 大 瀬 五 尺

2.柚 木 三 枚 3.岩 石 二 枚 4.松 浦 三 尺 5.砂 盤

I .

6.福井一枚と三枚物 7.総 括

v .

主要炭層間の岩相変化 1.大瀬五尺・柚木三枚間 2.柚木三枚・岩石二枚閥

3. 岩石二枚•松浦三尺間

4.松浦三尺・砂盤間 5. 砂盤•福井一枚間 6.福井一枚以上

VI.第三紀層堆積時の層厚変化と沈 降状況

VII.石炭化促進の諸要因と石炭化度 との関係についての考察 A.根源植物の相違と石炭化度 B.生物化学的変質段階での変質

と石炭化度

C.物理・化学的変質段階での変 質と石炭化度

1.炭層の上・下盤の岩質と石 炭化度

2.不整合面と石炭化度 3.炭層の被覆岩の厚さと石炭

化度

4.地質構造と石炭化度 5.火成岩・湿泉熱と石炭化度

VI[.結 論 参 考 文 献

1. 緒 言

:::::佐世保炭田:::::::の中央部をほぼ北北東一南南西に縦断する佐々川断層を境にして,その東・西で第三紀 層 中 に 賦 存 す る 石 炭 の 炭 質 が 著 し く 異 な る こ と は , 古 く か ら 知 ら れ て い る 。 し か し , そ の 炭 質 の 差 異 が ど の よ う な 要 因 に よ つ て 生 じ た か に つ い て は , 佐 々 川 断 層 生 成 時 の 側 圧 に よ る も の と か , あ る い は 根 源 植 物 の 地 域 的 な 差 異 に よ る も の と か , い ろ い ろ の 異 説 が 唱 え ら れ て き た 。 佐 世 保 炭 田 に 限 ら ず , 石 炭 化 度 を 取 り扱った従来の研究では,上・下盤の岩質,被覆岩の厚さ,埋没時間,造構運動の程度,火成岩・温泉熱 な ど , 地 域 的 な 石 炭 化 度 の 差 異 を 生 じ さ せ る 諸 要 素 と , 石 炭 化 度 と の 関 係 を 数 量 的 に 検 討 し て 結 論 を 導 い たものは少ない。佐世保炭田のばあいも充分な説明がなされないまま今日まで問題を残してきている。

筆 者 は1951年より:::::佐世保炭田:::::::およびその周辺に分布する杵島・相ノ浦・佐世保3層 群 の ほ か , 野 島 層 群 の 一 部 や 八 ノ 久 保 砂 礫 層 な ど を 一 応 下 か ら 上 ま で 調 査 し て , 主 と し て そ れ ら の 層 序 ・ 岩 相 変 化 な ど 記 載的事項について発表した。本編ではこれらの地質学的資料のほか, これまでに観察した坑内外での炭層 発 達 状 況 , 火 成 岩 脈 ・ 岩 床 の 分 布 状 況 , 地 質 構 造 の 地 域 的 特 異 性 な ど を 検 討 し て , 炭 田 東 西 に お け る 石 炭 化度の差異がどのような要因によつてもたらされたかを考究した。

本研究を行うにあたり, 当 教 室 の 松 下 久 道 ・ 鳥 山 隆 三 両 教 授 か ら は 終 始 懇 切 な 御 指 導 と 激 励 を い た だ き,原稿の校閲の労をとつていただいた。また,高橋良平助教授はいろいろ貴重な示唆を与えられ,本稿 の 内 容 を 詳 細 に わ た り 御 検 討 下 さ り , 御 討 議 下 さ つ た 。 記 し て 深 甚 な 謝 意 を 表 す る 。 唐 木 田 芳 文 氏 か ら は 火 成 岩 の 鑑 定 に つ い て い ろ い ろ 御 教 示 を い た だ き , 浦 田 英 夫 助 教 授 , な ら び に 小 原 浄 之 介 ・ 植 田 芳 郎 両 氏 からはたびたび有益な助言と激励をいただいた。厚く御礼申し上げる。

現地の基礎調査に使用した3000分の1, 5000分の1および10,000分の1地 形 図 は 地 質 調 査 所 の 稲 井 信 雄

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岩 橋 徹 97 

氏ならびに佐世保市役所の志方清高氏から御便宜をいただいた。また,坑内外の調査,試料の採取には日 鉄鉱業をはじめ,日窒鉱業・飯野炭鉱・住友石炭鉱業・麻生産業・中興鉱業・大田鉱業・旧中里炭鉱・北 九州炭鉱・里山炭鉱・栗山鉱業・旧新松浦炭鉱・名越鉱業・新柚木炭鉱・高野炭鉱・永田鉱業・小林鉱業

•新池野炭鉱・旧井華鉱業その他の炭鉱関係の方々から御援助と御便宜をいただいた。ここに心から感謝 の意を表する。

なお,地質図やそのほかの図面の浄書には飯尾睦子氏の御援助をいただいた。併せて厚く御礼申し上げ る。

2. 従 来 の 研 究

ヽ佐世保炭田、の地質学的研究は大築洋之助(1917)以来,徊永重康・長尾 巧・上治寅次郎・松下久道 などの研究があり,近年には竹原平ー・沢田秀穂・長浜春夫その他大勢の研究者による成果が発表され,

岩相からみた堆積輪廻による地層区分,古生物学的材料による各層群の地質時代の再検討,炭田堆積当時 の環境,古地理など地質学的内容は最近急速に充実をみせている。しかし,炭質についての研究は比較的 少なく,以下の研究があるにすぎない。

各研究の結果を概括すると,上治 (1938)は東・西両地区での炭質が大体において佐々川断層線を境と して変化していることなどを重視して,石炭生成後の地殻変動によつて炭質の変化が生じたのであろうと 述べている。

筒井孝洋・松隈喜総ら (1953)は低温加熱酸化法によつて得られた粘結指数をもとにし,石炭化度は佐 々川断層によつてそれほど影薯されておらず,むしろこれら大断層を起した原動力とみられる地殻変動お よびこれに伴なう多数の小断層によつて,石炭化度はつよく影響を受けたものと解釈している。

松下久道・高橋良平 (1956)は堆積盆地が西方に移動し,佐世保層群の上に野島屈群が厚く堆積したこ とが炭質の差異を生じた1因であり,佐々川断層に伴なう側圧や,地下の火成岩による影響なども,それ ぞれこれを助長したものであろうとしている。

また,竹原平ー (1956)は,西部の強粘結炭の成因は一次的には石炭原質の差異のためであり,二次的 には火成岩の選入によ、る影響と西域での摺曲や断贋などによるものとみている。

その後,松下 (1957)は再び九州炭の炭質について述べたなかで,佐々川断屈以西の石炭化促進は重圧 によるだけではなく,横圧のほか地質構造や避入火成岩によるものであろうと述べている。

1958年には,沢田秀穂が北松炭田地質図説明書を公表したが,そのなかでは本地域の粘結炭の成因は動 力変質や火成岩による変質などによるものではなく,むしろ炭層の材料運搬条件に関係があるのではない かと結論している。

また,高橋 (1960)は日本炭の性質の差は一般に出発物質の性質の差によるものではなくて,石炭化過 程における物理的・化学的反応の相違によるとし,佐世保炭田の場合も地盤の動きによって差異が生じた とし,地表や地下浅所にみられる火成岩に続く,あるいは関係の深い火成岩体が地下深所にあつて,この

1表 炭田東・西両域の炭質変化を生じさせた要因についての諸説

I石 炭 原 質 1地 殻 変 動 I堆積盆地移動による重圧・地熱 I火 成 ,̲,̲,  上 治 (1938)

◎ 

筒井・松隈 (1953)  ◎  松下・高橋 (1956) 

゜ ゜ ゜

竹 原 (1956)

゜ ゜ ゜

松 下 (1957)

゜ ゜ ゜

沢 田 (1958) ◎  高 橋 (1960)

゜ ゜

C註〕 ◎:主因, 0要因

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98  : : : : 佐 世 保 炭 田 ヽ 炭 の 石 炭 化 度 の 地 質 学 的 研 究

ために粘結炭化したと推測していて,横圧をうけて粘結炭ができたとはいえないと述べている。

以上のように、佐世保炭田ヽ炭の石炭化あるいは粘結性の問題については,いろいろ異なった説が唱え られてきたが,東・西両域における粘結性の差異をもたらした要因は,石炭原質の差異が第一義のものと する説と,主に地殻変動の違いによるとする考え,さらに堆積盆地の移動によつて生じる重圧・地熱の地 域的差異を重要視し, さらに火成岩の影響をも加えた考え方に要約することができよう(第1表)。

3. 研 究 方 法 a.  石炭化度の表わし方

従来,石炭の種類や石炭化度を表わし,石炭化の問題を論議する場合には,石炭の工業分析によつて得 られる水分・揮発分・固定炭素・燃料比や発熱量のほか, コークボタン数などが用いられていた。 しか し,本田英昌 (1960)が述べているように, 日本炭では C (d.a.f.)* 85%以下の石炭はいずれも揮発分 (d. a. f.) 40,..̲,50%を含み, 揮発分あるいは固定炭素で日本炭を分類することが不可能である。 また, C 85%以下の石炭は燃料比も非常に不規則なあらわれ方をするので, これによる分類も困難である。従来か ら粘結炭の分類に用いられていたコークボタン数は一般の濡青炭だけに適用できるが,両極端の低・高両 石炭化度炭(亜炭・褐炭および半無煙炭・無煙炭)などに適用できない。また, コークボタン数で表示す る石炭の粘結性は,最近の研究によれば石炭自体の石炭化度のほか,石炭中に含まれる無機成分の質・量 および存在状態にも関係し,これを無視できないといわれている。また,外国炭の中には褐炭級の石炭にも かかわらず粘結性を示すものが報告されており, コークボタン数でも石炭化度をきめることができない。

結局,現段階では石炭化度の問題を論議する際には,工業分析に代つて元素分析を用いることがもつとも 合理的な方法といわれているので, ここでは石炭化度の尺度として C (d. a. f.)%を用いることにする。

元来,一炭田の石炭化度をあつかうには炭田全域にわたりまんべんなく,なるべく多くの地点で石炭試 料を採取しなければならない。しかし,現在採掘を中止,あるいは終了した炭鉱も多く,試料採取点も非 常に限られてくるので,その場合にはこれら旧・廃坑の石炭の工業分析結果の知られているものから石炭 化度を算出して目的に副うようにつとめた。

炭素 (C%) と揮発分 (VM¾) ・発熱量(Qcal/g)との関係は SEYLERの式で示されている。すなわち C=O. 59(Q/100‑0. 367VM) +43. 4 である。

丹野晴彦 (1956)は、佐世保炭田ヽ の石炭について, 同一試料で工業分析と元素分析を行つているの で,この工業分析値によつて算出した Cの値と元素分析でえている Cの値と比較検討した結果, 、佐世 保炭田ヽ炭については次の補正式が適用できる。

C=O. 59(Q/100‑0. 367VM) +41. 8 

なお,直接元素分析値でえた Cと上式で得た Cの誤差は一般に1%以下である。

高石炭化度炭では Cの値は灰分の量によつてそれほど左右されないが, 低石炭化度炭では一般に灰分 の増加にともなつて Cの値がやや減少する傾向がみられる。したがつて, 理想的には灰分をそろえて比 較しなければならないが,ここでは試料数の関係上,高石炭化度炭では一応灰分15%以下,低石炭化度炭 では10%以下のものを用いることにした。**また,一枚の炭層ではその上・下で石炭化度が多少異なった 値を示すことがあるので,試料は炭層の上から下まで一様に採取している。

b.石炭化度変化の要因と主因

石炭化度の地域的差異をもたらす要因には次のようなことが考えられている。

(1) 根源植物の種・質・量比の違い う 炭素(無水・無灰換算),以下同様。

船 本田英昌・木村英雄・大内公耳(1953)によれば,石炭を2 3%の灰分まで精選することがで恙る。この程度の灰 分の石炭はビトリット 80%程度からなり,一応石炭有機物質を代表しているとみなすことができ,石炭構造研究の対 象とすることがで送るという。ここでは石炭構造まではふれないので,また,このように灰分を限定すると旧廃坑資 料が用いられなくなり,資料の数が非常に少なくなるので,上述のように灰分の範囲を拡げている。

(6)

岩 橋 徹

(2)生物化学的変質段階での変質の差異 (3)物理・化学的変質段階での変質の差異

物理・化学的変質段階では,さらに詳細にみると次のような要素が関係してくる。すなわち,

(a)  上・下盤の岩質 (b)  被覆岩の厚さ (c)  埋没時閻

(d)  造構運動時の側圧・圧縮熱・磨擦熱 (e)  火成岩・温泉熱

(f)  地質構造 などである。

99 

現在みられる炭層の石炭化度は, 上記諸要因による変質の総合結果の変化にほかならない。 したがつ て, この研究の主目的である、佐世保炭田ヽの石炭化度の地域的変化の主因を究明するために,上記の各 要因について個々に地質学的検討を行つた。

I I .   '佐世保炭田 'の層序概説

ヽ佐世保炭田:::::の閻序は,筆者自身これまで数回にわたつて報告したし,また,多くの研究者によつて 発表されているので, ここでは主に石炭化過程に関連する事項を中心に述べることにする。

1 第三紀層の基盤岩類

第三紀層の基盤は本炭田内では直接露出していないが,本炭田と一続きの堆積区に含まれる杵島・唐津 地区の東縁には三郡変成岩類(古生層)やこれを貫く中生代の花岡閃緑岩類として広く分布し,背振山塊 を形成している。他方,南方の西彼杵半島には西南日本外帯の三波川結晶片岩類(岩崎正夫, 1953)に属 するものといわれている古生層が分布している。

これら基盤岩の内側(北西部側)には杵島・唐津・佐世保炭田を構成する第三紀閻の(下位から)相知

・杵島・相ノ浦•佐世保・野島の 5 屑群と,その上に重なる平戸贋・安山岩類・田助央亜炭凝灰質岩層・

八ノ久保砂礫層などが分布するほか, さらに第三紀末から第四紀にかけて噴出したといわれている松浦玄 武岩類が厚くこれを覆つている。

古生界と第三紀層との境界は東縁の唐津・杵島地区では北西一南東に走る牛津一仮屋線で境されて大部 分は断層関係であるが, ごく小部分では領斜不整合関係であり, ところにより基盤岩で構成される丘陵上 を覆蔽 (onlap)現象をもつて第三紀層がおおうことがある。他方,南部の西彼杵半島では, 第三紀層の 西彼杵層群(杵島層群に対比される)最下部の板ノ浦層(松下, 1949)が結晶片岩類を著しい領斜不整合 で覆蔽している。

2. 相 知 層 群 ( 松 下 , 1949)

本層群は松下 (1949)により下からう蘊ふ.矢代・芳ノ谷の3層にわけられており,杵島・唐津地区の東 部・東北部に露出している。箸木層は主として緑灰色中〜細粒砂岩と灰色頁岩とからなり,海棲動物化石 を産するが,下部には厳木五尺層と呼ぶ炭層をはさむ。矢代層は灰白色頁岩を主とし,一部に砂岩をはさ み,海棲動物遺骸を含む海成層である。この層は一部淡水成屈をはさむが,炭眉をみない。芳ノ谷層は主 に白色砂岩からなるが,上・下には暗灰色頁岩が発達して中に10数枚の炭層をはさみ,唐津・杵島地区の 主要爽炭層であり,広く稼行されている。なお,試錐探査によれば,芳ノ谷層の炭層の 1部は唐津・杵島 地区西方の有田付近 (適産省, 1952, 94‑99頁) および九十九島下小高島 (地質調査所, 1961)で確認 されている。相知層群は全体として北東方へ層厚を減じ,南方へゆくにつれて厚さを増す傾向が認められ ている。

(7)

100  :::::佐世保炭田:::::炭の石炭化度の地質学的研究 3. 杵 島 層 群 ( 高 橋 ら , 1957;岩橋, 1960)

本層群の層厚は,早岐付近では約1200m(高橋・植田・岩橋, 1957),蔵宿付近では約1100m,これから東 方へゆくにつれて次第に薄くなり, 武雄西方三間坂付近では約1000m(小原, 1958), 畑罪北方海岸の切 木付近では約700m(山崎, 1953)に減じている。 このように,一連の海成堆積物からなる杵島層群は相知 層群と同様にかなり岩相の横の変化がみとめられ,基盤に近づくにつれて次第に薄層化し,同時に粗粒化 の傾向を辿る。また,本層群は西彼杵半島で基盤岩を直接覆蔽していて,杵島層群堆積時の海侵が順次進 行して,次第に積成域が拡大していったことを示している。

杵島・相知両層群閻の関係については,いろいろ異論があり,斎藤林次ら (1953)は両層群の関係をゆ るい傾斜不整合,山崎 (1953)はこれを覆蔽現象で説明していろ。一方,高橋は (1959a)野外観察のかぎ りでは炭田全域で両層群は整合的に重なり,両層群の境界の上下にはほとんど区別できない優白色の砂岩 が連なつているので, この間に不整合というような堆積の間隙は考えにくいと述べている。

4. 相 ノ 浦 層 群 ( 岩 橋 , 1961b) 

佐々川断層に沿う潜竜一臼浦・高島間や相ノ浦ー佐世保湾一帯一早岐北方ー伊万里ー福島東側一仮屋一 帯に分布し,東松浦半島北部では基盤の花岡閃緑岩類を直接覆蔽している。下位の杵島層群との関係を斎 藤 (1953)は不整合,竹原平ー(1953,'56)は平行不整合,長浜春夫 (1958)は蠣ノ浦図幅内では不整合で あると述べているが,高橋ら (1957)および筆者 (1961b)はその調査範囲内では杵島層群上部の侵蝕削 剥が1累層にも及ぶことはなく,各所で報告されている不整合の野外例はすべて層間異常や偽層で説明付 けられないまでも,不整合と呼ぶほどのものではなく,むしろ堆積盆地の周縁部などでしばしばみられる ような比較的小規模かつ局部的な同時侵蝕と解釈している。

筆者 (1961b) は本層群を下から志田・臼ノ浦・棚方・真申•永ノ島の 5 累層に細分したが, このうち 志田・棚方・永ノ島の3累層は含炭層であつて,浅海性堆積層とみられる臼ノ浦・真申両累層と交互に重 なつている。志田・臼ノ浦両累層間には比較的大規模な亜不整合 (diastem)が予想され, 臼ノ浦付近で は下位の志田累層を少くとも80m削剥している疑いがある。このほか, 棚方累層の上限と下部のほか, 1 

• 2の層準に小規模な diastemがあり,炭層が削剥されることがある。

本屑群の層厚は相ノ浦一日宇間で最も厚く,この地区から遠ざかるにつれて薄くなつてゆく。この傾向 は下位の杵島層群のそれとほぼ一致し,杵島・相ノ浦両層群は堆積環境の点ではかなり異なつているが,

大局的にみると堆積盆地の中心(堆積量が最大の箇処)はたいして移動しなかつたようにみえる。

5. 佐 世 保 層 群 (IWAHASHL1961 c) 

相ノ浦層群は主に砂岩からなる厚い海成層と比較的薄い含炭非海成層との交互層であったが,佐世保 層群はこのような規則性を示さないで, 一般に (加勢累層を除く)半馘半淡〜淡水成層の間にしばしば 浅海棲貝化石を含む比較的薄い海成層を不規則に挟んでいる。また,相ノ浦層群の炭層は上部の大瀬五尺

•川釣の両炭層を除き,一般に密集して炭層群を形成しているが,佐世保層群の炭層は 20~50m の間隔で 比較的規則的な小輪廻を形成して出現する。加勢累層は海棲貝化石のほか小型有孔虫を多産し,その下部 はこれまでよりもやや深い海成層と考えられ,上部へ行くにつれて浅い層相を示すが,上部においてもほ とんど炭層をはさまない。福井・加勢両累層間には侵蝕の時期があり,福井累層上部が局部的に著しく侵 蝕削剥をうけている。* しかしながら,一般に両累層の接しているところでは,上・下の地層の走向領斜 がほとんど変らず,平行的であるので,両累層の関係は disconformityであろう。 本層群は全体として 西方へ層厚を減じ,同時に細粒化する傾向がみられるが,各累層単位では必ずしもそのような領向がある

とは限らない。

大瀬五尺炭眉上位には小規模な亜不整合の可能性があるが,層相からみれば,その上下は全く漸移的で

*  世知原西北方稗木場付近一帯で厚さ約110mに達する地層が侵蝕をうけた形跡が試錐調査によってわかつている(波 多江信広ら, 1961)

(8)

岩 橋 徹 101 

あるので佐世保層群と相ノ浦層群との関係は不整合というほどの大きな時間的間隙はないものとみている。

6. 野 島 層 群 ( 長 浜 , 1954)

全層厚2000m以上の本層群は大屋・深月・南田平の3累層に分けられている。本層群は後述の八ノ久保砂 礫層堆積前・主造構造運動後の削剥によって今福一稗木場一江迎一楠泊以西に分布が限られている。下位 の佐世保層群との間にはごく緩やかな傾斜不整合が予想される。佐世保層群のなかで比較的まれであった 礫岩と,多少は堆積をみせていた凝灰岩・凝灰角礫岩などの火山砕屑岩が大屋累層のなかでは急激に増加 して,当時この地域が激しい火山活動にみまわれたことを示している。大屋累層には炭層をはさむが連続 性にとぼしいので,これらは局部的に小区域に分化した沼沢の堆積物とみられる。深月・南田平両累層の 堆積期には礫岩や凝灰岩が減少し厚い砂岩層,砂岩とシルト岩〜砂質シルト岩との互層, シルト岩や砂質 シルト岩の厚層などが単調に繰返している。なお,大屋・深月両累層には淡水棲の動物化石を産している。

7. 平 戸 層 ( 長 浜 , 1954)

平戸層は田平町南西部から平戸島にかけ,炭田北西部に限られて分布する。下位の野島層群との関係は 直接みることができないが,地質構造や岩相の違いから不整合関係であろうと考えられている。本層はや や固結度の低い優白色の砂岩・礫質砂岩・砂質シルト岩が優勢で, シルト岩・凝灰岩をはさむ全層厚 500m以上の地層である。砂岩には石炭化度の進んだ石炭礫が層面に散点状に並ぶことがあるので,恐らく 平戸層堆積時に一方では下位の爽炭層が侵蝕されたのではないかと考えられる。

8. 安山岩類と田助突亜炭凝灰質岩層(沢田ら, 1955)

安山岩類は炭田北西部の大島・平戸島に分布し,平戸島では平戸層を領斜不整合的におおつている。主 に輝石安山岩や火山角礫岩・凝灰岩などからなり,変質して暗緑灰色を呈することがある。現在みられる 安山岩の厚さは最大約200mと推定される。

田助爽亜炭凝灰質岩層は平戸島北部の小区域に限られて露出分布し,層厚約20mで,下から凝灰角礫岩

•砂岩・亜炭・凝灰質シルト岩などからなり,安山岩と玄武岩との間にはさまれているが,層序的にほぼ 同層準と考えられる八ノ久保砂礫層との直接関係は観察できない。

9.  八ノ久保砂礫層(岩橋, 1961a) 

本砂礫層は横に多少の消長があるが(層厚: 0〜20m,まれに30mに達する),ほとんど:::::佐世保炭田:::::

全域に広く分布するほか,隣接の西彼杵半島北部や東松浦半島などにも分布し,第三系の各層群や旧期玄 武岩類,結晶片岩類などを著しい領斜不整合で被つており,松浦玄武岩類(熔岩)によっておおわれてい

る。

本砂礫層は松浦玄武岩類とともに,炭田南東部では高水準に分布するが,北西方へゆくにつれて漸次低

みくりや

下し,平戸・御厨付近では遂に海水準面に達し,これより北方では洵面下に没している。しかし,その領 斜はきわめてゆる<,その平均領斜は1.52° を示すにすぎない。

10.  松浦玄武岩類(山崎, 1959)

広く北西部九州の平坦面をおおつている前記砂礫層をさらに平行不整合的に被覆するほか,第三紀層や その基盤の変成岩類・花岡閃緑岩類などの上に続いている平坦面を直接おおうこともある。 玄武岩類は 現在までにかなり広域にわたり削剥を蒙つているが, 現在削剥をまぬがれている本熔岩の最大厚さは約 400mと推測される。なお,本熔岩は下位の地層に対し, 接触部で熱変質を与えているが, その程度はき わめて軽微であるので,炭層に広範囲にわたり熱的影響を与え,石炭化を促進させたとは考えられない。

(9)

102  :::::佐世保炭田:::::炭の石炭化度の地質学的研究

r n .   '佐世保炭田 'の地質構造

前述のように,八ノ‑久保砂礫層の下面には著しい傾斜不整合があり,これを境としてその上・下の地質 構造が大きく異なるので,不整合面下の第三紀層の地質構造と,不整合面上の八ノ久保砂礫層および松浦 玄武岩類の地質構造とに分けて説明する。

A.  第三紀層の地質構造

:::::佐世保炭田:::::の第三紀層の地質構造で最も著しい特徴は,炭田のほぼ中央を北北東一南南西方向に縦 断する佐々川断層の存在である。この断層は炭田北部でその行方が明確にされておらず,いろいろ異説が 唱えられているが,南部では一応断層線は追跡されており,潜竜付近では600m内外,南方の大瀬半島西 側ではおよそ1200mに達する落差をもつ東落ちの逆断層である。この断層を境にして,その東西では地質 構進がかなり異なるので,説明の便宜上東・西2地域にわけることにする。

1. 東 部 地 域

八ノ久保砂礫層下の第三紀層は一般に10°以下の緩傾斜を示し, 北東部で佐々川断層に近いところを中 心とする偏心性の一大盆状構造を形成している。また,東部地域では一般に断層密度(一定面積を横ぎる 断層の数)が低く,大規模な落差をもつものも比較的少ない。断層の方位は西北西ー東南東ないし東西性 のものが優勢であり,西部地域と著しく特徴を異にしている。

東部地域は国見山断層ならびに針尾断層(後述)によつて,さらに北部・中部・南部に分けることがで きる。

a.,東 部 地 域 北 部

(i)  走向・頻斜および摺曲構造:この地区の一般走向は南北ないし北北東ー南南西方向が優勢であり,

訓「応近を北東ー南西に走る向斜軸をはさんで北西側では一般に地層は南東方へ,南東側では西方ないし 西北方へ610°の角度で傾斜している。

調川向斜軸は大成坑々内から小島炭鉱南部を東北東ー西南西に走り,ほぼ海岸線に沿つて彎曲し,江口 斜坑坑内を南北方向に横ぎり,緩慢な盆状構造を形成している。さらに,この向斜軸の南東側に平行に走 るゆるやかな背斜構造が認められている。なお,志佐川に沿う推定断層(佐々川断層?)の東側,柏崎付 近に背斜構造がみとめられる。

(ii)  断雇:この地区でもつとも顕著な断屑は楠久・長浜・国見山の3断層であつて, いずれも西北西 ー東南東ないし東西方向に,ほぼ平行に走つている。楠久断層を除く 2断層は北落ちの断層であり, 3断 層とも最大落差400 500mに達する大断層である。なお,志佐町(松浦市)付近で佐々川断眉(推定)に 近い地帯に数本の断眉がみられるが,大規模のものでない。そのほかのところではきわめて断層にとぼし

く,地層は非常に安定している。

b.  東 部 地 域 中 部

(i)  走向・領斜および摺曲構造:炭田中央部においてかなり広い範囲を占めるこの地区は, また:::::世 知原盆状構造::::: (長浜ら, 1958)の主部を占め,ほぼ東西方向の走向をもつて平均34°の角度でゆるや かに北へ傾き,単斜構造をなしている。しかし,佐々川断層に近づくと次第に走向は北西から北北西方向 に転じ,それにつれて傾斜角を増し,非対称の向斜構造を形成する。また,東縁においても次第に走向が 北東から北北東,さらに南北方向にかわり,傾斜角も多少増加して,一見平皿状の構造を示す。この範囲 内には次にのべるごく小規模な摺曲構造をのぞき,一般に隣接する杵島・唐津炭田でみられるような,ぃ わゆる:::::天草型:::::ネ習曲構造(松下, 1951)や佐々川断層以西でみられるような規模の摺曲構造はほとんど 認められない。わずかに摺曲構造といえるものは,断層生成時の引曳りで生じたものである。すなわち,

賞観断層(後述)の北側に走る向斜構造,佐々川断層の東側に並走する向斜構造,中里付近を北東一南西 に走る断層に沿う背斜構造などがその例である。これらの摺曲構造はいずれも断眉に接した処でみとめら

(10)

第 1図 地 質 構 造 図

A;断層の落差,単位m B;正断層 C;逆断層 D;被覆断層又は推定断層 E;向斜軸 F;背斜軸 G; ドーム状構造 H;盆状構造

(11)

106  ::::佐世保炭田::::炭の石炭化度の地質学的研究

本砂礫層と玄武岩類の地質構造をさらに詳細に検討すると,既述(岩橋, 1961a) のように,砂礫層下 面のゆるやかな起伏はすべて砂礫層堆積前の原地形によるものとはいえないようであるし,*また楠久・

長浜・国見山・賞観・佐々川の諸断層は玄武岩の熔岩を切っている**ことがほぼ間違いないので,松浦玄 武岩類の流出後に造構運動が行われたことは認めなければならない。しかし上記の東西性ないし西北西一 東南東性および北北東一南南西方向の諸断層や摺曲構造はいずれも八ノ久保面形成前の造構運動に比べれ ばむしろ小規模なものということができよう。

w .  炭層対比と炭層発達状況

層位の異なる炭層はこれまで経てきた石炭化の履歴が相違していることも考えられるので,離れた地域 の炭眉についてはその対比が正確でなければならない。しかし,佐世保層群の,とくに上部の炭層は亜不 整合のために削剥されたり,砂岩の異常な発達のために尖滅したり,またあるところでは炭層の、飾り、

や山丈・炭丈が変化して,対比が困難なことが少なくない。 2• 3の薄炭層について局部的に対比になお 疑問があるが,一応現在までの知識では第2図のように対比できる。

炭層は凝灰岩層ほど厳密な意味の時間面として取扱えないが, 、佐世保炭田ヽではすでに地質柱状断面 図に示したように (lWAHASHI,1961 C),炭層は凝灰岩層とそれほど斜行しないので,炭層生成時から現 在にいたる長い地質学的時間からみれば,ほとんど同時而とみなして差支えない。炭層を同時面と仮定す ると,次章で述べる炭眉間の堆積岩の岩質や層厚の時空的変化の資料にもとづいて,沈積地域の環境や沈 降状況,地盤の昇降・領動連動などをある程度把握することができて,これらの地質現象が果して地域的 に石炭化度を促進させたか否かを検討することができる。

相ノ浦層群の炭層は,最上部の炭層大瀬五尺をのぞくと,一般に炭田の南東部にかぎられて採掘され,

資料が少なくて論議には適当でないので,本論文では大瀕五尺以上の,主に佐世保層群の主要炭層を石炭 化の問題の対象に取り扱うことにする。

1. 大 瀬 五 尺

相ノ浦層群の上限に位個するこの炭層は,本炭田屈指の稼行炭層であり,もつとも広範囲に発達する炭 層の1つである。本炭層の下位数m以内に, しばしば大瀬五尺下層と呼ばれる炭層を伴うことがあるが,

一般に両炭暦が接近してくると,両者の間に境界を引くことが困難になるので,この場合は便宜上両炭層 をあわせて大瀬五尺として扱っている。なお,伊万里湾方面の福島二尺,大鶴地区の大鶴二尺・ニ尺と呼 ばれている炭層は大瀬五尺に対比できる炭層である。

炭丈変化の状況は模式図*** (第3図) に示したように, 佐々川断層に沿う大瀬半島・芳ノ浦・潜竜・

吉井一帯, とくに南部の大瀬半島〜芳ノ浦付近にもつともよく発達している。潜竜一大瀬の線から東・西 ヘ離れるにつれて大瀬五尺の炭丈が減少するが,東方へは比較的徐々に,西方へは多少急速に薄くなる傾 向がみられる。

中里・楠泊付近・冷水岳北方・禅仏峠西方などでは, それらの周囲よりも炭丈が薄く表現されている が,これらの箇所では大瀬五尺下層が分岐して,見掛上炭丈が減じているためである。このように炭層が

2分岐したところでは, ときに下層がよく発達して上層と共に稼行されることがある。

炭層の上盤は一般にlm内外ないし数10cmの厚さのシルト岩〜砂質シルト岩からなり,その上位に通常

*潜竜付近では佐々川断層の西側の松浦玄武岩類の下面が同断層のために持上げられたように摺曲しているようであ る(第13図版の地質断面図参照)。また,既述のように佐世保,大村両湾をむすぶ地帯の玄武岩類は平坦な構造をな して分布しているが,その両側の玄武岩類は同地帯にむかつて緩煩斜をなしていて,北西ー南東方向に軸をもつ,

こ くゆるやかな向斜構造を形成している。

  いずれの断屑も八ノ久保面形成前に主運動を行つており, 松浦玄武岩類噴出後の運動はほとんど落差100m以下の 比較的小規模なものと考えている。

紐*詳細な等炭丈線図や炭層柱状図をそのまま公表すると,関係炭鉱に利害を招くおそれがあるので,ここでは等炭丈 線図をもとにした模式図を掲げるにとどめた。なお,図中の洋数字は炭丈のおよその大小を示す。

(12)

岩 橋 徹 105  西ないし東西方向を示すことが多く, 5〜20°北西へ領斜している。

d.  鹿町・矢岳地区(西海岸地区)

(i)  走向・傾斜および摺曲構造:永ノ島断層以西に位置するこの地区は, 鹿町半ドーム状構造の主部 を占め,北部の江迎付近で北東一南西ないし北北東ー南南西方向を示す地層の走向は,南へゆくにつれて 次第に変化して,神崎・岳下付近では南北方向,さらに南方の楠泊付近では北西一南東方向に移り変る。

半ドーム状構造の比較的内側に分布する佐世保層群の傾斜角は815°,平均10゜内外であるが, その外側

(西側)に分布する野島層群の領斜は20,....̲̲,30°,ときには35 45゜にもおよび,一般に西へゆくにつれて急 傾斜の領向を示す。この主構造のほかには, とくにみるべき摺曲構造はない。

(ii)  断層:この地区の断層についてもつとも著しい特徴は断層の放射状配列である。 竹田付近を中心 として放射状に走る主要断層はほとんど西落ちの正断眉であって,その落差は中心部から周辺へゆくにつ れて増大することが多い。

永ノ島断層は,北は江迎湾から船ノ村・岳木場・竹田・赤崎を経て永ノ島を通る,ほぼ南北方向,西落 ちの正断贋であつて,落差は赤崎以北では85,....̲̲,125mであるが,永ノ島では落差が急激に増大して400mに も達する。蜂子山断層は数少ない東落ちの南北性断層の1つで,日鉄鹿町旧東坑坑内で確認された落差は 24 25mの小断層である。

加勢断層は北北西ー南南東性西落ちの正断贋で,加勢東方・金比羅岳を経て竹田に至り,日鉄鹿町旧東 坑坑内で確認され,落差は約140mであるが,南へ落差を減じている。 この断層に並走する長串断層は同 じように西落ちの正断層であつて, 鹿町西坑坑内で確認される落差は木場付近で約110m,長串付近で約 200mであり,北へ落差を増している。

神林断層は大島の東側から神林西方・田原を経て冷水岳に至る北北西一南南東性,東落ちの正断層であ つて,落差は著しくない(神林付近; 5

19m,田原付近; 26m,坑内確認落差)。上矢岳断層は褥崎付近 から冷水岳を経て竹田に至る南西落ちの断層であり,西方では北西一南東方向に走るが,次第に東へゆく につれて彎曲して東西方向に変つている。断層の落差は80,....̲̲,50m,東方へ落差を減じている。

野島断層は野島の北東側海域を北西一南東方向に走る南西落ちの断層であつて, 落差は神崎北部で約 120m,南東方へ落差を増している。 南北性の楠泊断層は冷水岳から楠泊を経て南へ延びる西落ち,落差 約150mの断層である。

このほか,北東一南西方向の断層として,北部では本ケ浦断層(北落ち,落差約60m), 南部では上矢 岳・野島両断層にはさまれる 3本の断層があるが,いずれも35m以下の中・小断層である。楠泊・永ノ島 両断層間には50m以下の落差をもつ北東ー南西ないし北北東ー南南西方向の2• 3の断層が兄弟岩付近か

ら放射状に配列している。

B. 八ノ久保砂礫層と松浦玄武岩類の地質構造

既発表(岩橋, 1961a)のように,八ノ久保砂礫層は通常20m以下の薄層にもかかわらず,少なくとも 東西40km,南北65kmにわたる広大なひろがりをみせるが,つねに松浦玄武岩類の熔岩でおおわれている ので,同砂礫層と同熔岩とが構造蓮動をうけているとすれば,全く同一の構造運動を蒙り,地質構造から みれば両者は1つの対象物として取り扱つてよい。

唐津・杵島炭田では地表に主に松浦玄武岩類からなる火山岩*が発達する所では古第三紀層はほとんど 盆状構造をなし(松下, 1957;山崎, 1957,'59a),火山岩自体もゆるやかな盆状構造を形成していると考 えられる。しかしながら, ::::佐世保炭田ヽでこのような構造がみられるのは,わずかに炭田南部**だけで あつて,炭田主部では松浦玄武岩類はおおむね東西方向の走向をもつて北へきわめて緩やかに傾き(平均 10内外),平坦な構造を形成している。

* ときに松浦玄武岩より古い讃岐岩類や古期玄武岩類からなることもある(山崎, 1959a)

  但馬岳・烏帽子岳•愛宕岳を中心として第三紀層が盆状構造を示し,上位の松浦玄武岩もごくゆるやかな盆状構造

を形成しているものと思われる。

(13)

104  :::::佐世保炭田ヽ炭の石炭化度の地質学的研究

酉部地域は構造的特徴からみて,高崎・志方•平野の 3 断層をつらねる線および山野田断層,永ノ島断えい

層(ロノ里または小佐々断層とも呼ばれている)によって次の 4地区にわけられる。

a.  佐々川断層地区 b.  江 里 安 定 地 区

めくらがばる

c.  盲目原断層地帯

d.  鹿町・矢岳地区(西海岸地区)

a. 佐々川断層地区*

(i)  走向・傾斜および摺曲構造:この地区では佐々川断層生成時の横圧力のために潜竜向斜, 佐々川 背斜および黒島背斜,黒石新田北方の背斜,黒石北方の向斜のほか,小摺曲構造がみられ,走向・傾斜が ともに横に変化する。これらの摺曲構造の軸はいずれも北にゆるやかに傾いていて,その結果半ドーム状 または半盆状構造を形づくつている。また,ほとんど摺曲軸の東翼は西翼よりも急傾斜をなし,非対称性 の摺曲構造を示していて,**横圧力が西方からもたらされたと解釈される。

上記の佐々川背斜は神田付近で潜竜向斜軸とほぼ並走し,軸が北に傾く沈降背斜構造を形成する。その 南延長は彎曲して佐々川断層と並走して佐々川河口付近まで追跡されるが,その摺曲軸は南北ないし北西 ー南東性断層で切られて断続している。黒島背斜も著しい非対称性の沈降背斜構造であつて,比較的小規 模な数多くの北西ー南東方向の正断層(最大25m,そのほかは7m以下の落差をもつ)や1• 2の逆断層(落 差約20mおよび約3m)によって切られている。

(ii)  断層:佐々川断層については沢田 (1956,'58)が精しく記載しているので,ここでは繰返さない。

ただ,石炭化問題の研究上重要なことは,佐々川断層の生成に直接関係があるとみられる擾乱帯の巾・規 模が断層の両側で著しく異なることである。すなわち,断層の東側では極端なところでは10数m,広いと

ころでも250m以内, 一般に断眉から数10m程度はなれると全く断層の影轡が認められず, 安定した地域 に入る。他方逆断閻の西側では上述のようにかなり著しい摺曲構造が巾1.5kmにわたり,同断層に沿つて みられ,断層をも伴つている。

佐々川断層についで重要な断層は,北から平野・志方・高崎の3断層であって, 3断層を連ねるとほぼ 佐々川断層に平行的である。平野断閻は約200m,志方断層は志方付近で約330m,高崎断層は高島北方で 約600mの落差をもっ,いずれも北西落ちの正断層である。これらの断層はその方向, 他の断層や摺曲構 造などとの関係からみて,恐らく佐々川断層の活動の最盛期と同時ないし直後に生成したものと考えられ

る。このほか,前述の摺曲構造を切る落差50m以下の中・小断層がみられる。

b.  江 里 安 定 地 区

平野・志方・山野田の3断層に囲まれるこの地区は西部地域では稀な安定地区であって, とくに江里・

山野田間では断層が少なく,地層の走向・頻斜もきわめて安定している。一般走向は東西ないし東北東一 西南西方向を示し,領斜は平野断層付近では40°を越えることもあるが,この地区の主部では310°の緩 傾斜を示す。山野田断眉の近くにはこれと並走する小断層,平野・志方両断層に近いところでは,これら と斜交する南北ないし北北西一南南東方向,落差15 45mの中規模の断層が発達し,隣接地区との漸移帯 をなしている。

c.  盲目原断暦地帯

山野田・永ノ島両断層にはさまるこの帯状地帯には無数の中・小断層が網目状に発達し,全体として断 層地帯を形成している。断層の多くは南北性のもので,一般に東落ちの小断層が多く,階段状構造を示し ている。このほか,東西性および北東ー南西方向の江迎・深江両断層がこの地区の北部にみられる。盲目 原•平原閻では断層のために,地層の走向が南北方向をとることもあるが,一般にこの地帯では北東ー南

* この地区の構造の詳細,地質構造図は岩橋 (1960)参照。

**潜竜付近を例にとると,潜竜付近をほぼ南北に走る潜竜向斜構造の東翼では第三紀層は40‑‑‑...80°の急傾斜角を示すが,

西翼では100内外の比較的緩傾斜を示すにすぎない。

(14)

岩 橋 徹 103 

れるが, 断層から離れると急激にその影響が認められない。 最大の規模をもつ佐々川断層についてみる と,その東側では断層に接するところでは70°以上の領斜角を示すが,断層から数10m,̲̲,250mの距離で断 層の影曹は全くみとめられず,走向・領斜は正常に復している。したがつて,断層による炭層への影響も

この地区ではほぼこの範囲にとどまるものと解される。

このほか, 飯野炭鉱松浦鉱業所南坑坑内, 日鉄鉱業神田鉱坑内竪入坑道第三卸右五延付近(長葉山付 近), 山住炭鉱坑内および但馬岳・烏帽子岳などを中心とするごくゆるやかな浅い盆状構造がみとめられ る。また,中里炭鉱

l

日五坑坑内(牧ノ地付近),佐々東方韮岳付近にはゆるやかなドーム状構造が存在する。

(ii)  断層:この地区では北部地区と同様, 西北西ー東南東ないし東西方向の断層がもつとも顕著であ り,南北性,北北東ー南南西および北西一南東性断層をともなっている。

西北西ー東南東ないし東西方向の断層に属する主要断層には芳ノ浦・賞観・泉福寺・針尾の諸断層が挙 げられる。芳ノ浦断眉は小浦駅付近から八ノ久保を通り東西に走る北落ち, 最大落差450mの正断層であ つて,東方へゆくにつれて落差を減じている。この断層と雁行状に走る賞観断層は西北西ー東南東方向か ら東西方向に転じ,満場越の北を通る最大落差280m,北落ちの正断層である。

賞観断層の南側には, これに並走する落差20 30m内外の北落ち正断層があって, これらのあるものは 後述のように明らかに松浦玄武岩類をきつている。国鉄柚木線に沿う沖積地を東西に走る泉福寺断層は旧 池野炭鉱坑内で南落ちの落差120m余が確認された正断層である。

針尾断層(高橋ら, 1957)は前畑断層(長浜ら, 1958)ともいわれる北西ー南東ないし西北西ー東南東 方向の代表的な断層であって,相浦川河口付近から佐世保湾を横ぎり,前畑,針尾島北部などを通つて川 棚付近まで続く最大落差約360mの北落ちの正断層であり, 針尾島においては流紋岩の噴出をともなつて いる。

このほか,上記諸断層と同じ方向性をもついくつかの断層がみとめられるが,いずれも小規模のもので ある。

南北性断層の中で最大のものは,佐々浦を南北に走る佐々浦断層であり, 落差は約250m西落ちの推定 断層である。大瀬半島を南北に縦断する浅子岳断層,および小浦東方口石を南北に走る口石断層は,それ ぞれ西落ちおよび東落ち, ともに落差約120mの断層である。

なお,北北東一南南酉および北西一南東方向の断層は一般に5 15mの落差をもつ小断層である。

C・ 東 部 地 域 南 部

この地区には本論文で取り扱う佐世保暦群の炭層を賦存しないので,その意味ではこの地区の地質構浩 は重要でないが,ここでは東部地域で共通的な特徴である西北酉ー東南東性断層が優勢であるほか,愛宕 山(佐世保湾西側)に小盆状構造,九十九島に北西ー南東方向に並走する向斜・背斜2軸がみとめられ,

ゆるやかな摺曲帯を形成していて,前記の区域と大差のない構造を示している。

2. 西 部 地 域

西部地域の第三紀層は全体として大規模な半ドーム状構造を形成し,かつて鹿町半ドーム状構造と仮称 したが(岩橋, 1960),西方へ突出する洵岸線に沿つて走向が変化し, 通常海域に向つて地層が傾斜して いる。地層の傾斜は一般に東部地域よりも急領斜をなし (1020°), とくに佐々川断層および西海岸に沿

うところでは30°を越えることも少なくない。

西部地域は東部地域に比べて断層密度が逢かに高く,大小の断層が網目状,あるいは放射状に走つてい る。断層の方向および落ちの方向は東部地域のそれとは全く異なつており,北西一南東,北北西ー南南東,

南北および北北東一南南西など,比較的南北に近い方向をとるものが多く,大部分のものは西落ちの断層 である。

なお,佐々川断層に沿う西側地帯では向斜・背斜などの摺曲構造が顕著であって,同断層東側に比べて はるかに擾乱の度および巾が著しい。

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