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“Lu Hsiang-shan (陸象山) and Wang Yang-ming (王陽明)” by YOSIDA Kouhei

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

“Lu Hsiang-shan (陸象山) and Wang Yang-ming (王陽明)” by YOSIDA Kouhei

荒木, 龍太郎

活水女子短期大学

https://doi.org/10.15017/18130

出版情報:中国哲学論集. 17, pp.88-99, 1991-10-10. 九州大学中国哲学研究会 バージョン:

権利関係:

(2)

書 吉田公平著 ﹃陸象山と王陽明﹄

荒 木 龍太郎

 本書は著者がこれまで発表された論文に書き下ろしの論考を加え︑中国近世思想史研究に新たな視角を提示する︑

まことに意欲的な研究書である︒はじめに目次を示し全体の構成を紹介しておきたい︒

 まえがき

1 性善説と無善無悪説︵もと一九八三年・金谷治篇﹃中国における人間性の探求﹄所収︒加筆︶

   一 はじめに/二 二半の性善説/三 醇敬軒の性善説理解/四 王陽明の無善無悪説/五 天主教徒の性善説批判H 陸象山

 一 陸象山研究序説︵もと一九八四年・東北大学教養部紀要第四十一号所収︶

   一 はじめに/二 新儒教における陸象山の位置/三 陸象山研究が不振であった原因/四 基礎的研究がたちおくれ

   た理由/五 近年の成果

 二 陸象山の南康訪問︵もと一九八八年・中国古典研究第三十三号所収︶

   一 はじめに/二 南康会見に至る経緯/三 南康会見時の論争/四 論争内容の検討/五 おわりに

 三 南康会見後における陸象山の朱烹批判︵もと一九八九年・広島大学文学部紀要第四十八巻所収︶

   一 ﹁告子﹂論争/二 ﹁克己復礼﹂論争/三 朱黒の﹁誠意﹂説/四 陸象山の﹁誠意﹂説/五 陸象山の﹁持敬﹂

   説批判/六 陸象山の﹁格物﹂説/七 陸象山の懐疑説 一88一

(3)

 四 無極・太極論争

   一 論争の位置づけ/二 朱・陸の応酬/三 無極・太極論争の意義

 五 正統と異端

   一 朱烹の﹁正統−異端﹂論/一︐一陸象山の﹁正統−異端﹂論

 六 朱陸論争の意味m 王陽明

 一 朱子学に挫折した体験について

 二 陸象山の顕彰

 三 ﹃朱子晩年定論﹄︵もと一九八一年目﹁王陽明の﹃朱子晩年定論﹄について1明野謡初朱陸論序説1﹂中国哲学論集特別

   号所収︒一九八一年﹁﹃朱子晩年定論﹄の継承−明末清初朱陸論の一端1﹂﹃荒木教授退休記念中国哲学史研究論集﹄所

   収︒加筆︶

   一 朱陸論争の意義/二 ﹃道一編﹄と﹃朱子晩年定論﹄/三 晦翁学験・閑關録︑陸学訂疑/四 ﹃朱子晩年定論﹄

   の反響/五 王門の受容−朱子摘編/六 聖学器量/七 聖論宗要と理学宗論

 四 誠意説︵もと一九七七年・﹁王陽明の思想−誠意説について一﹂東北大学教養部紀要第二十五号︒加筆︶

   一 誠意は﹃大学﹄の枢要/二 朱書の﹃大学﹄理解/三 王陽明の心即理説・知行合一説/四 前期の誠意説/五

   後期の誠意説

 五 王一奄の誠意説︵もと一九七七年・﹁王一奄の思想−誠意説をめぐって一﹂日本中国学会報二十九集所収︶

   一 はじめに/二 平心斎の甲南格物説/三 王一奄の心斎堂批判一講論と盛徳/四 王一蕎の誠意説/五 王一奄の

   誠意説の特色/六 中正の道理と衆人/七 王一奄の誠意説の再評価

 六 体認︵もと一九七七年・﹁王陽明の思想−体認をめぐって一﹂中国哲学論集第三号所収︒加筆︶

   一 はじめに/二 簡易と安易/三 体認の構造/四 おわりに

 七 王陽明晩年の思想︵もと一九七八年嵩了︑一九八六年・﹁王陽明︵下︶﹂岡田武彦編﹃陽明学の世界﹄所収︒加筆︶

   一 はじめに/二 良知一体認論/三 真誠側但の愛−万物一体論/四 むすびにかえて一良知心学の問題点

N 性善説のゆくえ 一89

(4)

  一 はじめに/二 あとがき索引 荻生租稼の性善説批判/三 戴震の性善説/四 おわりに

 右の目次からも明らかなように本書は宋代から清代︑及び日本儒学の広きにわたる研究をまとめられたものである

が︑論述は発表順ではなく︑そこに著者の思索の深化と展開とがうかがわれる︒そこでその思索の足跡を追いたい︒

視座定立に至る過程を述べることは本書のより深い理解を促すであろうし︑また後学にとっても有益と考えられるか

らである︒著者は︑まず王陽明思想を皮切りにして明初儒学思想へ湖源し陽明出現の思想的土壌を考究される︒次に

荒木見悟博士のもとで﹁疑団氷解﹂︵あとがき︶され︑﹁本来性一現実性﹂の視角を深められて陽明及び直門を直接の

研究対象とされた︒これらを土台として陽明思想そのものへの思索を深める中で従来二次的ににしか扱われてなかっ

た陽明の﹃朱子晩年定論﹄に着目し下緒論の着想を得て︑その射程を明星清初へと延ばしその有効性を確認された︒

更に利稿實の性善説批判を考察することにより︑新儒教の基盤の性善説について新たな解釈をしたうえで︑近世儒学

思想の本質を一貫して解明すべく陸象山研究に進まれた︒また専門の研究と同時並行して日本近世儒学思想研究も鋭

意進められめざましい成果をあげられている︒

 以上の成果として本書があるわけだが著者自身の﹁まえがき﹂で本書の視座の概略を簡潔に述べておられるので引

用して理解の一助としたい︒著者は﹁近世期の新儒教とは仏教︑道教を排斥し古典古代の儒教を復権させ︑修己・治

人を二焦点とする楕円形の思惟構造を構築して︑仏・道は治人論を欠如するとし︑書置論自体も異端であると批判し︑

治人論を導く修素論︑即ち性善説を基本とした人間本性論を提示した︒同じく性善説の立場から朱子学に異議申し立

てをしたのが王陽明であるが︑しかし翼下の在世時にすでに陸象山が王陽明と基本的に視角を同じくする朱烹批判を

敢行していた︒この朱・陸の論争は新儒教の根幹に関わる論争であったので︑朱・陸以後の新儒教徒たちは朱陸論争

をいかに理解するかが主要命題の一つであるとうけとめていた﹂︵取意︶とされ︑この認識のもとに﹁新儒教の修再

論の要諦である性善説を︑自力による自己救済論であるという基本的理解のもとに︑陸象山・王陽明の人間観を︑朱

烹との対抗関係を軸に︑朱陸論争のなかで明らかにすることを試みたものである﹂︵傍点筆者︶と本書の骨格を示さ 一90一

(5)

れる︒ また著書の﹃伝習録﹄︵一九八八年三月・角川書店︶は難解な陽明思想を平易な言葉で論理的に明晰に解析され︑是非

とも本書と併せて読まれるべきである︒更に附言すべきは︑﹁王陽明研究史﹂︵一九七九年五月初稿︑一九入五年二月改稿︑

岡田武彦篇﹃陽明学の世界﹄所収︶であろう︒姦濫な先達の業績を簡潔に整理されており︑後学に益すること︑はかり知

れないものと思われる︒

 では次に各章について内容を紹介していきたい︒

 1部は︑﹁旧来︑新儒教における性善説が︑修各論として︑必ずしも明らかにされないまま論じられてきた﹂との

観点から利焉實の性善説批判に示唆を得て性善説を考究される︒

 一・二節−中国思想史を鳥撃して︑新儒教徒が孟子の性善説に立脚する理由を明らかにし︑朱子の性善説11性即理

説を概説される︒三節一明初の朱子後学にとって天は完全に善なる本性を賦与するから﹁他者の救済を頼まずに︑自

力で自己の本来性を発揮し実現することが要請され﹂︑また理は﹁最高の人格神である天の命令体系﹂であるから︑

背理的現存在︵心︶は﹁天に対して鋭く緊張関係を保つことが要請される﹂と述べられる︒四節一陽明が心即理説を

提示したのは︑本来主義︑本来自力主義を回復することを企図してのことであり︑朱子の性善説に対する反措定の

﹁無罪無悪説は性善説の本来的姿を回復するため主張された方便門﹂とされる︒五節一朱子の性善説と陽明の無季無

悪説は︑天主教の他力主義に対比すると︑ともに性善説11自力主義を根本原理とし︑﹁自力による自己実現︑自己救

済を企図する確信体系﹂であることが明瞭になるとされる︒

第H部では︑王陽明の視角から象山思想をみるのではなく︑象山その人に即し︑彼が独自に朱鞘を批判した経緯と論

旨を解析し︑彼の性善説の特色を明らかにすること︵まえがき・取下︶を意図される︒

 第一章一節−後世繰り返された朱陸論争の中で陸象山の思想が命脈を保ち得たという事実に鑑み︑象山の朱子に対 一91

(6)

する問題提起は︑聖学の根本原理に根ざし︑朱子学の核心をついた本質的なものであった︒故に象山の研究は朱子の

核心︑近世新儒教の議論の主題を解明することになる︑とされる︒二・三・四・五節−従来の象山研究の不振な状況

を多角的に分析し︑近世哲学研究そのものが未熟であり︑具体的状況の中で象山の個々の資料を解析しなかったこと

が原因であるとされる︒それ故年譜研究を進め基礎研究を充実させることの必要性を述べられる︒

 第二章一旧来本格的にとりあげられなかった南康会見での両者の論争を︑朱子の書簡︑語録をもとに綿密に跡づけ︑

会見に至る両者の事情と思わくを生生と再現し︑両者の論題が﹁意見・議論・定本﹂であったことを論証される︒そ

してこの背後には本来態発現に於ける現実態の認識と思考方法の差が存在し︑分析を理解の手段として必須とするか

有害とするかに端的にあらわれるとされる︒

 第三章一節i朱子が︑陸象山の学問を寺子の学問と総括した繕言が︑南康会見での告子論争に発端することを緻密

に論証され︑陸王はともに﹁告子を孔門の別派﹂と評価するがその発想の基盤は異なると指摘される︒二節−朱子は

﹁表顕﹂︑陸子は﹁捨遣﹂と思惟方法を異にし︑克己の﹁己﹂を朱子が﹁身の私欲﹂と解したことに対し︑象山は背

理している現実態のみを己私とせず現実の自己を普段に相対化して自らを止揚する努力を怠たる︵表顕の立場の︶主

体者を重視する︑とされる︒三・四・五節−朱子は持敬・格物の工夫の結果自然に意は誠になるとするが︑象山は本

心が﹁固有﹂する﹁自然﹂力を全面的に信頼し︑﹁意﹂を本心の好悪とし︑本心が自然に自らを実現発揮したものと

する︒そこで朱子の︑後天的に勉強する工夫の﹁持敬﹂を批判した︒それは王陽明と親近性をもつて︑と指摘される︒

六節−象山の格物説は﹁本来完全である本心が先天的に固有する理を発明すること﹂であり︑工夫は﹁即=ととら

えるから致知以下の工夫は本心が自然に生んだ効験とされる︒七節i象山は主体者自身が自らを普段に相対化する機

能として﹁懐疑﹂を積極的に認める︒これは無善無悪の内容と通ずるが︑象山はそこまで踏みこむことはできず︑加

えて﹁即=の構造が綿密に開示されていないために陽明からは粗雑という評価を受けたと述べられる︒

 第四章一無極・太極論争は南康会見での﹁意見﹂論争の延長であり︑象山は朱子を意見の人と理解して彼の思考方

法批判の総仕上げを意図したとされる︒

 第五章一朱子の正統とは自力で自己救済すること︑社会を強化救済することの両者を併せ兼ねることであり︑社会 一92﹇

(7)

的配慮が欠落する老仏を異端するがいuその根本的な根拠は修画論の真偽であり㍗そめ見地かち陸象山が異端と惑れたゆ

象山の異端とは漕同徳11天賦の本来性に為学の基礎を置かない学周一般ρ之之であり㍉朱子を異端とする♪と論じら

れる︒そ七て霊徳異端の基調は成熟の度令に差異はあるが陽明と親近すると指摘されるρ.﹁∴圏︑∵2・.−︐−:

目第六章﹂論争によって∵朱子は共有する本心主義の有効性を確認し︑更に象山心学をかえりみて自巳批判を加えな

がらも︑.象山の単調な本心主義のみでは庸常者の現実態を救済することはできないことを確信し︑・現実主義を併ぜ説

くことの重要性を再認識した︒−象山の﹂﹁意見の人やと・いう批判は︑・朱子に根本的反省を迫り定論の完成を促す役割

を果たtたρそ七て後世︵本心主義から離脱七た朱子学に対する批判原理として陸象山の心学が浮上するのぽ︑豊明

理学の根本原理を直裁に提唱していたからであると結論着れる︒︐このような内容を持つ論争にもかかわらず︾後世に

朱子を尊徳性道賢愚兼採主義︑﹁陸子を尊徳性単独主義と図式化七て両者の思想を繧小化七て七まう方向に進んだと指

摘される︒ 一一監 ㌦9﹁   ド 一−  ︑  .     −  ︐ ・ ・  .  \−・ .   ・ ﹁塩

く第m部÷章汁著者は﹃年譜吟に無批判に依拠するのでは訟く﹃愈々先生遺言録﹄の挫折告白体験もあわせて検討し︑﹁大悟﹂﹁.に至るまでめ陽明は︑聖学獲得こそが究極の問題であり︑その動機づけは朱子学であったことを確認して龍

場以前の三十代前半の聖学回帰に注目し︑それは朱子学を相対化して﹁聖学﹂に止揚しながらもその方法原理を﹁模

索﹂した時代と馨れる︒次に挫折が朱子学誤解によるという後世朱子学者の批判を検討しながら︑挫折の原因は聖賢

を賢聖する陽明があくまでも﹁身心︵主体者自身︶﹂の問題として︑現在の眼前の客体との緊張関係の場の事理を竹

に求めたからであるとされる︒そして大悟の後︑陽明は理を﹁我々︵心︶が本来性の自己実現として創造発見するも

の﹂︑乏も︑−﹁物理﹂め探求を亙りすてて﹁事理﹂の探求に限定したため︑朱子学が内包する広がりを犠牲にするもの

の︑陽明の心学はh身心の学﹂としての簡易性を獲得したと︷明解に述べられる︒

−二章91従来の陸王学と一括されることに対して著者は﹁王陽明が自覚的に陸象山を継承したのではなくあくまでも

朱子学に挫折した王陽明が陣場での大悟した所得を先行する思想に類型を求めるならば陸象山がもっとも親近性があ

る故に結果的に陸王学と呼称されたにすぎない﹂と考察される︒そして陽明の朱陸論の提示は﹃朱子晩年定論﹄から

であり︸その編集姿勢は︑旧来の朱墨論の党派的位相のままに朱組絵是論と受け取られることを警戒して︑真の身心 一93﹁

(8)

の学の位相に還元することであったとされる︒そして象山の顕彰は五十歳の﹁陸象山文集叙﹂に於いてであるが︑朱

是陸非論に固執する朱子学徒に﹁心学﹂の視点から朱子学をも再検討することを促す︑ゆさぶり効果をねちった陸象

山顕彰であったのであり︑結果的に陸象山に加担する顕彰論になったにすぎない︑と﹁陸王﹂について厳密な検証を

加えられる︒︑

 三章﹂節﹂朱子以降︑明代︑清代の著名な思想家道名の陳述を掲げ︑朱陸以後の儒学思想史は朱熱論が軸であり︑王陽明が登場して朱陸墨は画期され︑良知心学に対する評価と連動し︑清初に及ぶ時期まで︑激しく議論された︑と

三陸論争の意義を述べられる︒二節−陽明の﹃朱子晩年定論﹄は先行する﹃道一編﹄の︑動的に朱陸の異同を検討し︵

朱子の思想を変遷︑・発展したとする視点を借用するが︑陽明の基本的視角は﹁悔悟表白の有無﹂を重視するもので︑

﹃道一編﹄−の二藍早異晩同論から困朱烹晩年悔悟11定論に基準を転換し︑﹁朱烹の晩年定論を盾に自説を︑その継承者

と措定し︑通行の朱子学を朱烹が悔悟した中年未定の説を墨守するものと断案した﹂︑そして︑陽明の朱博論は﹁朱

鳥を晩年の.悔悟に限定することによって︑朱・陸・王が根本基準を等しくすること確認﹂するものである︑.と述べら

れる9三章・四節1︑﹃晦翁学堂﹄﹃閑闘録﹄﹃博学訂疑﹄を掲げ︑陽明の時代思潮として朱陸論が検討されていたこと

を検証し︑罹欽順︑官営渠︑湛甘泉を取り上げ﹃朱子晩年定論﹄が当時の思想界に大きな影響を与えていたことを論

証されるゆ五節11陽明門下では9﹁朱烹晩年悔悟﹂という朱子理解は共通認識であり︑この視角から︑先儒の遺著遺言

をあらためて編集したり︑儒学思想史を総括することが熱心に行われた事実を述べられる︒六節一良知心学路線の儒

学思想史﹃聖学里美﹄では朱子晩年悔悟レ定論説をてこに朱子を良知心学の陣営に包掻七︑−更に﹃王門宗后﹄では晩

年定論の論理を一−歩進め﹁中年未定−朱子学︑晩年悔悟1良知心学と措定むて朱蕪そのもののを二分し﹂︑−当時の朱

子学者を聖学の外に排除して晩年の朱烹を良知心学を自得したものとしてとりこんだ︑−と明晰に述べられるゆ七節⊥

明末子初期に﹃朱子晩年定論﹄をそれぞれの立場で活用した例を劉雲台の﹃聖学宗要﹄−︑孫夏峰の︑﹃理学塩剥﹄︑﹃道

一録﹄で検証し︑︐︑﹁南宗から清張に及ぶ馬おおよそ六百年間︑主要命題の一つであった朱陸論争を画期し︑助長した

のは王陽明の﹃朱子晩年定論﹄であり﹂︑その朱子理解は美田の思想界に深刻な影響を与えていたヒとを論証される︒

 四章一節1陽明の思想では馬良知説提示の前後を通℃て誠意が八条目の功夫の第﹂とされ︑︐陽明思想が渾一的性格 一94

(9)

を保有するため︑誠意説の究明は心性論全体︑﹁思想体系の本質﹂に迫り得︑また王門での主要命題︵良知−知覚︑

四句論争︶や後世の新しい誠意説を究明︑考察する上で不可欠であると︑その意義を述べられる︒二節−実践主体を

﹁本来態と現実態のはざまに身をおく中間者﹂とする朱子の工夫論は︑﹁実践的には長喜と格物致知が枢要﹂であり︑

誠意はそれらから﹁﹃自然﹄に﹃転関﹄して得られる効験であり︑その不完全さを補うのが慎独﹂であるので﹁実践

的には誠意は格別の位置を占めていない﹂ことを三綱領八条目の構造を緻密に有機的に解析して明示される︒三節−

朱子学の性即理説に基づく中間者の工夫論は︑過去現在未来を連続的に持続する時間意識を前提とするが︑陽明の心

即理説では実践主体を︑分割不可能な﹁現在﹂に﹁実在﹂するとし︑その現在に於いて理は創造され︑又﹂知行は現

在の分相であり︑﹁合一﹂とは朱子の先後論に対する反措定であると︑述べられる︒四節−陽明の渾一︑現在という

思惟を前提に︑著者は致良知提唱以前の誠意説について︑心は体用未発已発が渾一のままに時時発見し常に已発作用

しているが︑気に制約されるから﹁意﹂において善悪が結果するため︑為善去悪の誠意こそが工夫の要であり︑また

渾一であるから正心の功天を内包して主体性の確立を果たすから︑﹁持敬﹂の工夫を不必要とした︑と述べられる︒

五節一良知提唱以後︑渾一的統一主体としての心はその背理面が想起されるので新しい概念として良知が措定され︑

二つの工夫として縫合のかげりの残る誠意・正心を致良知に包撮させたこと︑また︑致良知が八条目を包越する究極

唯一の工夫︑誠意が八者渾一の八条目では第一義であること︑を渾一の概念によって開示された︒

 第五章一・二・三節一王一奄の師王心斎の﹁髄質格物説﹂を明晰に解析し︑心斎の保身論が対社会的には極めて挑

戦的であり︑講学活動を重視するものであるが︑王一蕎は︑心斎門流の講学一辺倒を批判して講学者の盛徳の成就を

その前提に確立すべきと提唱した︒それは心斎の盛徳成就の工夫論そのものに不満を持っていたからである︑と述べ

られる︒四節−一戸の誠意説は︑意を已発とする定義を改め︑﹁心の主宰者として︑常に流行している心とは戴然と

分別された寂然不動の未発の意﹂﹁心そのものがそもそも固有する主宰性﹂とし︑誠意は﹁未発本体そのものを確立

する工夫﹂と述べられる︒五節i一奄の誠意説を朱子︑陽明のそれと比較しながら︑その特色は︑意を本来具有の主

宰者とする心の﹁影の主宰者︑天理創造者は天・性﹂であり︑それは﹁心と別格﹂であり︑﹁心は性に依存し︑天を

崇敬し﹂︑未発已発を戴然と分別したうえでの﹁誠意の工夫そのものは持敬と等厚されて︑天理を崇敬﹂することに 一95

(10)

なり︑陽明の誠意説とは大きく異なり︑心性の構造は朱子に接近する︒しかし﹁意は心を外から制御するものではな

く﹂活物の心に即して未発の意を確立する誠意の工夫のみで心の主宰は確立するから︑心学者としての立場は保持し

た︑と述べ独創的な一庵の誠意説を開示される︒六節一一蕎は人心そのままを信頼せず︑中正という枠をはめた︑性

に管撮された心11良知に︑天理を創造することを認め︑更に無善無悪説には全く言及せず朱子の性善説を積極的に肯

定し︑心の熱量としての欲望を﹁節約﹂することを力説した︒それは衆人の現姿をふまえ︑﹁常人﹂のままにとどま

らず自覚した実践主体に脱皮することを熱望するが故であった︑と述べられる︒七節−一脈と劉念台は︑誠意の基本

概念は同じくしながらも︑後世の評価に明暗が生じた根本原因は﹁欲望を天理の創造の阻害者とみてその節約をはかっ

た王一奄と︑欲望を天理創造の熱源とみてそれを道徳的感性として燃焼させることを企図した藍玉台との︑誠意の構

造三差位﹂であると述べ︑思想史上の位置を考察される︒

 第六章−良知心学は簡易・普遍性を有するが︑陽明は人々に良知を体認することを求めた︒良知は体認によって

﹁本来﹃ある﹄ものが自己実現して現実のものに﹃なる﹄﹂︑つまり本来態・現実態が渾一である統一的主体の良知

︵心︶が︑みずからの本来態に根ざして現実態が欠如態であることを自覚し︑自律的に本来態を現実態に実現させよ

うとして体認の工夫をする︒その体認の工夫は︑無限に自己︵良知自身︶の相対化・無化を求め︑光景・効験・意見︑

更に知識聞見の徒を拒否するものであるとされる︒次に良知心学は生得の﹁分限﹂に応じて本来態を自己実現するか

ら︑意見の応酬︑官事が盛んに行なわれ︑﹁王陽明の価値視︵本来態・現実態理解︶を離れてそれ自体の運動原理の

もとに展開していく﹂と︑その展開の原理を開示される︒

 第七章一・二・三節−著者は﹁哲学者思想家として自己自身をどうとらえていたのかという視角﹂で後期の陽明を

考察し︑責任意識の昴揚が顕著であるとされる︒そして陽明が目的とした﹁大同世界とはその構成員の全てが良知心

学を覚醒して体認実践し相互に安養する社会﹂であり︑そのために万物一体の愛を根底にし︑客体が本来性を回復す

ることを熱望して﹁教養︵教化・安養︶論﹂を説いた︑と述べられる︒四節−陽明の構成体系を理解する鍵は︑渾一

論であり︑その基礎には存在と時間を統一した﹁現在﹂︵現実存在︶の概念があり︑﹁現在﹂の多様性を包みつつそれ

が﹁=であることを表現したもの︑と定義される︒そして良知心学が孕む問題点を分析し︑﹁横流放恣批判﹂は十 一96

(11)

律作用を保持するか否か︑であり︑﹁空疎批判﹂に対しては大同世界を追求した実用の学であると︑述べられる︒次

に大同世界に関わる問題として他者︵客観界の事物︶認識・把握について述べられる︒陽明の.一体論を主体︵舟唄︶

が客体に働きかけている関係態でとらえなおし︑霊明︵主体者︶は︑認識する主宰者であって創造者︑存在の第一原

因ではないとされる︒そして陽明が主客関係を一気流通論で説いているのは﹁主客の相互依存関係を示す﹂のであり︑

それは関係態11二項関係の根底となり︑﹁三人称の普遍的世界を構想﹂することを拘束した︑とされる︒また陽明の

自得体認論は︑欠陥とみなす社会の歴史的因果関係を構造的に把握することまで充分に射程距離が及んではおらず︑

その原因は﹁現在﹂に関心を集中した結果︑史実を軽視し︑五経を鑑戒の書とみるように歴史意識が希薄であったこ

とが決定的原因︑と解析される︒まとめとして﹁良知心学が自力救済論としては大きな成果をあげながらも︑伝統的

な二項関係の倫理観をこえた︑新たな倫理︑政治思想を創造することに成功しなかったのは︑一気流通論による︑教

養論・徳治主義・万物一体の論の思考の枠組に拘束されてしまい︑一気の流通しない︑徳治主義の効力が及ばない︑

三人称としての他者一般を構想することができなかった﹂からであると︑漸新且つ鋭く指摘され︑更に進めてそのこ

とは﹁明代社会の文化的政治的構造が問題となって﹂﹁王陽明の思想の歴史的評価は︑明代社会の構造論をふまえた

上であらためて検討することが肝要﹂である︑と言及される︒

 第W部は﹁新儒教の性善説理解に疑義を提示した儒教徒の典型として荻生租稼と戴震をとりあげて︑彼らの新儒教

批判の特色を素描﹂する︵まえがき︶︑とされる︒

 一・二節一明平骨初期は︑性善説・朱陸の論争が盛んとなった時代で︑ほぼ同時代の江戸初期の日本儒学はその影

響のもとに展開し︑その延長上に新儒教を受容した荻生耳蝉は︑朱陸論争に見切りをつけ朱陸をこえて孔孟の原点に

回ることを促され︑第三の立場を探求したとされる︒そして著者は宋明思想の﹁本来主義とは性善説﹂のことであり

﹁倫理大系としては本来完全なのであるという確信にもとつく自力救済を根幹とする信仰体系・宗教思想︵超越的絶

対者の救済を説かない自力主義の︑﹁悟り﹂の宗教︶﹂と明示し︑これを否定した租裸は﹁自力主義の宗教思想として

儒教を理解することを拒否﹂し︑﹁治人論に限定して儒学を構築し﹂たから﹁政治思想が宗教思想から独立し﹂︑﹁性

善を根幹とする徳治主義︑王道政治を否定﹂した︑と述べられる︒戴震は︑明早薬初の現当論の思潮の中で政治論を 一97

(12)

重視し欲望を肯定する思想家群の延長に位置し︑朱陸論を見据えて陸王路線の延長上に朱子の定理意識を打破し︑更

に進んで本来主義の大前提である先天的性善説を否定し︑気質が人間の本性であるという後天的性善説を説いた︒こ

の転換は︑自力主義が保持貫徹されているから︑﹁本来主義︑性善説﹂の一つの発展形態である︒これは性善説を非

宗教化したものであるから租裸と同じ方向を示すが︑なお自力主義であるが故に︑戴震の政治思想は徳治主義から離

脱するものではない︑と明晰に述べられる︒四節一次に両者をまとめて︑但裸の政治思想が自力主義の宗教から解放

されたことは画期的成果であるが︑代償として個々の人間が人格的に救済されることに対する配慮を喪失した︒政治

思想という点では租裸が一歩先んずるが︑貝田は個人倫理の問題を後天的自力主義という形で提起し︑その延長上に

社会秩序の維持をはかった︑とされる︒このように整理枠組をして︑修己・治人の二極を焦点とする思想体系−新儒

教を総合的に止揚するためにはこの両者の視角を併せ保持することが必要であり︑それを模索したのが中国﹁近代の

思想家﹂であると見通される︒

三 ︸98

 次に本書の特色を述べてみたい︒宋明思想に関する現在の研究状況は︑荒木見悟博士の﹁本来性一現実性﹂の視座

に基く成果を土台として︑それを深化発展させる新たな座標軸が求められている︒そのためには政治・経済・文化の

構造をも視野に収めた見地からの研究を遂行する必要があろう︒

 本書は﹁本来性−現実性﹂の成果を滋養として︑朱陸論争という新しい座標軸を定立し︑更に新儒教にとって大前

提の性善説について﹁自力による自己救済論﹂と定義され︑﹁新儒教は自力救済をめざす宗教思想である﹂と斬新な

視点を提示される︒そして清朝思潮と日本儒学から逆照射して深められるとともに︑その展開の様相をも開示されて

いる︒論述は確かに無勢論を主題として進められてはいるが︑それはあくまで︿修己1治人﹀論を前提としたもので

あって︑治人論−政治論に対して没交渉︑無関心に思索されたものではないことは︑﹁まえがき﹂︵一一頁︶や︑m部七

章終節での政治原理としての徳治主義の問題点の解析︑思想状況の基盤である﹁明代社会構造論﹂への言及などにう

(13)

かがわれる︒本書は著者の研究の大綱を示されたものと言える︒今後﹁治人論﹂の領域にまで拡充した御研究を切望

してやまない︒

 次に著者の著述の姿勢にふれておきたい︒著者は地味な書誌的作業を緻密に遂行し︑﹁わかる﹂ということと︑そ

れを平易に表現することを徹底しようとされ︑全資料を書き下し文ではなく和訳しておられる︒とりわけ難解な﹃朱

子語類﹄︑象山の﹃語録﹄︑ ﹃伝習録﹄を︑発言の状況・意図を的確に把握して平易な訳文にしておられることは︑後

学にとってよき手本となると言えよう︒又た巻末の親切な書名︑人名索引は︑後学にとって慈雨となると思われる︒

 本書は新儒教の本質への深い思索を熱源とするだけに読者に大きな刺激を与え︑閲読して﹁疑団氷解﹂の感を覚え

るのは筆者一人に止まらないであろう︒

 以上︑専ら本書を紹介してきた訳だが︑筆者の浅学の故にその視野の広さと問題提起の深さに及ばず︑不十分な理

解が多々あるのではないかと恐れる︒著者の御寛恕を請う次第である︒

      ︵研文出版 一九九〇年七月 A五判 四三七頁 九〇〇〇円︶一

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参照

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