博士(行動科学)吉野 学位論文題名
調認知過程に関する認知 科学的研究
学位論文内容の要旨
巌
音 楽 の 世 界 で 言 う とこ ろ の 調 性 の 認 知 は 、 調 性 的 体 制 化(tonal organization) とでも呼ぶべき知覚処理の結果もたらされると考えられる。心の 中で行われているその調性的体制化の処理の詳細については、まだ不明の点が多 い 。 本 論 文 の 目 的 は そ の 詳 細 を 明 ら か に し よ う と す る こ と に あ る 。 本論文は、聞き手の調認知における基本的な特徴と規則性を見いだそうとした実 験の報告、および、調認知過程の計算モデルの提案、さらには、そのモデルの出カ と実 際の 聞き 手の 調認 知結 果と の比 較に よる考 察、 を主な内容としている。
第I部では、調認知過程に関する従来の実験研究とモデル研究を概観しており(そ れぞれ第2章と第3章)、特に、著者自身の計算論的モデル構築のための参考にし ている。
第II部は、3っの実験報告からなる。いずれの実験においても、音楽経験者を被 験者として用い、聞き手にメロディ(音高列)を聞かせた直後に、感じた調(主音 の音名)を選択させる、また、その調を感じる程度(調性感)を評定させる、とい う実験手続きを採用している。また、同じくいずれの実験においても、メロディの 進行に伴う調認知の時系列的様相を明らかにするために、音列を冒頭から1音ずつ 加えながら呈示し、それぞれの時系列段階での反応を求める、という独自の方法を 採用している。
実験I(第4章)では、J.S. Bachのフーガ主題24種とランダム音高列6種と を材料として用い、それらの音高列に対する聞き手の調認知反応を詳細に観察・分 析している。その結果、フーガ主題に対して多くの聞き手が感じる調は少数の特定 の調に集中すること、他方、ランダム音高列に対する調反応は聞き手の聞で拡散し ており、何らの規則性も見いだせないこと、を確認している。また、本実験の被験 者(聞き手)が共有する調認知の規則性としては、入力音高列を西洋全音階の音高 構造に合致するように認知すること、音高列の解釈は全音階の主和音構成音が多く 含まれるようになされること、を見いだしている。
実験II(第5章)では、1人の音楽経験者を被験者として用い、調認知の安定性 を詳細に検討している。その結果、聞き手の反応の揺れは小さく、少なくとも音楽 経験者に関しては調認知の安定性は非常に高いことを確認している。また、調性感 の評定値などを分析した結果、聞き手の調認知は、メロディのほば5、6音目あた ‑6−
りまでに確立されることを確認している。
実験11I(第6章 )におい ては、 調の認知 が、作曲 された 時代の異 なるメ ロディに 対 し て異 なっ た様相 を呈する かどう かを検討 しており 、その 結果から 、聞き 手の調 認 知 スキ ーマ は、少 なくとも バロッ ク以降の 西洋音楽 に対し て同質・ 同程度 の同化 を 示 すと いう ことを 確認して いる。 また、聞 き手は、 全音階 的で調性 的に聞 こえる 音 列 を長 調と して解 釈する傾 向があ り、逆に 、調性的 に不安 定に聞こ える音 列を短 調として解釈する傾向がある、ということを確認している。
第m部 で は、 第H部で の 実 験 結果 に 基 づぃ て 、 新た な 調 認知 モ デルを いくっか 構 築 し 、提 案し ている 。モデル 化にあ たっては 、伝統的 記号処 理モデル とコネ クショ ニ ス トモ デ ル とい う 、 今日 の 認 知 モデ ル 化 研究 に お ける 代 表 的枠組 みをと もに用 い 、 そ れ ぞ れ2種類 の モ デル を 提 案し て い る( 第7章 およ び 第8章 ) 。 そし て 、 そ の そ れ ぞ れ の モ デ ル の 妥 当 性 と 限 界 に つ い て 綿 密 に 考 察 し て い る ( 第9章 ) 。 記号 モ デ ルIは 、 入カ メ ロ デ ィを 受 け取ると 、まず 全音階構 造に基づ ぃてそ のメ ロ デ ィに 解釈 可能な 調を全て 計算す る。そし て、その 後でさ らに、主 和音構 成音を 最 も 多く 含 む 調を 選 択 し、 そ れ を 出カ と す る。 記 号 モデ ルuは、 記号モ デルIとは 異 な り、 処 理 を2段 階 に分 離 し な い。 そのか わりに、 入カメ ロディを ある調 として 解 釈 した 場 合 に想 定 さ れる オ ク タ ーブ の 中 の12の 音高 の 間 に、 主音、 主和音 構成 音 、 全音 階音 、非全 音階音の 順に重 要度に違 いがある と仮定 し、その 重要度 の違い に 応 じて 入カ メロデ ィの各構 成音に 重みづけ を行い、 それら の値をも とにそ のメロ デ ィ 全体 の そ の調 と し ての 可 能 性 を計 算する。 結果と して、記 号モデルI、 記号モ デルuは、 ともに、実験Iの聞き手の調反応を高い一致率(それぞれ78. 4%、80.0%)
で 予 測で き て いる が 、 著者 自 身 は 、記 号モデルIがも つ、全 音階に一 致しな い調を 全 て 排除 して しまう という処 理の性 格は、心 理学的な 妥当性 に欠ける ため、 記号モ デルnがより妥当であると考察している。
コネ ク シ ョニ ス ト モデ ルIは 、1音 の 音高 ( 入 力層 ) 、 和音 ( 中間層 )、調( 出 力 層 )の3層 のユ ニ ッ トか ら な る 活性 伝播型 ネットワ ークと して構築 されて いる。
一 方 、コ ネ ク ショ ニ ス トモ デ ルnは、 中間層 を和音の ユニッ トではな く、音 程のユ ニ ッ トと し て 構築 さ れ てい る 。 コ ネク ショニス トモデ ルnが 聞き手の 調反応 を予測 できた割合(76.2%)は、コネクショニストモデルIのそれ(64. 9%)よ・り.も高く、
そ の 結果 から 、著者 は、中間 層を音 程ユニッ トとする ネット ワークの 方が心 理学的 に妥当性が高いのではないかと主張している。
第9章 では 、著者 が提案す るモデ ルと、LonguetーHiggins and Steedman(1971) の モ デ ル 、 お よ びKrumhansl(1990)の モデ ル の3種 類 の モデ ル の シミ ュ レ ーシ ョ ン 結 果を 比 較 して お り 、著 者 の 構 築し た記号モ デルHが、現 在までに 提案さ れてい る 諸 調認 知モ デルの 中で、聞 き手の 調反応を 最もよく 予想で きる計算 モデル であろ う こ とを 検証 してい る。また 、今後 のモデル 化の方向 性とし て、記号 処理モ デルと コネクショニストモデルとの統合を提案している。
第IV部 は、本 論文全体 のまとめ として 、調性的 体制化 の過程に 対する 一般的考 察 を行い、かつ、今後の研究で取り組むべき課題を論じている。
−―ワ――
学位論文審査の要旨 主 査 教 授 阿 部 純一 副 査 教 授 菱 谷 晋介 副 査 教 授 金 子 勇 副査 助教授 鹿又伸夫
学 位 論 文 題 名
調認知過程に関する認知科学的研究
本論文は、音楽認知における調性的体制化の過程の性質を、実験と計算論的モデ ル構築の両面から、探求したものである。
第I部では、調認知過程に関する従来の実験研究とモデル研究を概観しており、
特 に 、 著 者 自 身 の 計 算 論 的 モ デ ル 構 築 の た め の 参 考 に し て い る 。 第n部は、3つの実験報告からなる。実験では、メロディの時系列的変化に伴つ た調認知の様相を観察するために、聞き手に音列を冒頭から1音ずつ加えながら呈 示し、その都度感じた調とその調性感の程度を反応させる、という独自の手続きを 採っている。
実験Iでは、フーガ主題24種とランダム音高列6種とを材料として用い、それ らの音高列に対する反応を詳細に分析している。その結果、フーガ主題に対して多 くの聞き手が感じる調は少数の特定の調に集中すること、他方、ランダム音高列に 対する調反応は聞き手の間で拡散しており、何らの規則性も見いだせないことを確 認している。また、聞き手は、入力音高列を西洋全音階の音高構造に合致するよう に認知すること、特に全音階の主和音構成音が多く含まれるように認知することを 見いだしている。調認知反応についての体系だった分析は従来ほとんどなされてお らず、この実験で確認された調認知の基本的な特徴と規則性は、当該研究領域に大 きな貢献をなす知見といえる。実験nでは、音楽経験者を被験者とし、調認知の安 定性を詳細に検討している。その結果、少なくとも音楽経験者に関しては調認知の 安定性は非常に高いこと、また、調性の認知はメロディのほば数音日あたりで確立 されることを確認している。実験IIIでは、調の認知が、作曲された時代の異なるメ ロディに対して異なった様相を呈するかどうかを検討しており、その結果から、聞 き手の調認知スキーマは、少なくともバロック以降の西洋音楽に対して同質・同程 度の同化を示すということを確認している。実験uおよび実験nより得られた知見 は 、 実 験Iの 知 見 を さ ら に 詳 細 に し た も の と し て 評 価 す る こと が で き る 。
第m部 で は 、 第H部 で の実 験結 果 に基 づい て、 新た な調 認知 モデ ルを 提案 して い る。 モデ ル化 にあ たっ ては 、記 号モ デ ルと コネ クシ ョニ スト モデ ルの2種類 の枠組 み を 用 い 、 そ れ ぞ れ2っ ずつ モデ ルを 提案 して いる 。記 号モ デ ルIは、 まず 、入 カ メロ ディ の構 成音 高を 全音 階構 造に あ ては め、 解釈 可能な調を全て計算する。その 上で さら に、 主和 音構 成音 を最 も多 く 含む よう な調 を選択し、出カする。記号モデ ルuで は 、 処 理 を2段 階 に分 離せ ず に、 オク ター ブ内 の12音高 を、 主音 、主 和音 構 成音 、全 音階 音、 非全 音階 音の 順に 重 みが 異な ると 仮定し、その重みづけを基にし たあ ては めの 計算 を行 い、 調を 決定 す る。 著者 自身 は、全音階に一致しない調を全 て排 除し てし まう とい う記 号モ デルIの性 質は 心理 学的 に妥 当で な く、 記号 モデル Hが より 妥 当で ある 、と 考察 して いる 。コ ネク ショ ニス トモ デルIは、1音の 音高、
和 音 、 調 の3層 の ユ ニ ッ ト か ら な る 活 性 伝 播 型 ネ ッ トワ ーク とし て構 築さ れて い る。 一方 、コ ネク ショ ニス トモ デルHは、 音程 ユニ ット を中 間層 と して いる 。コネ クシ ョニ スト モデ ルHが 聞き 手の 調反 応を 予測 でき た割 合は 、コ ネ クシ ョニ ストモ デ ルIの そ れ よ り も 高 く 、そ の結 果か ら、 著者 は、 コネ クシ ョ ニス トモ デルHの 妥 当性 を主 張し てい る。 第III部の 第9章 では 、著 者が 提案 する モデ ルと 、Longuetー Higgins and Steedman(1971)のモデル、Krumhansl(1990)のモデルのシミュレーショ ン結 果を 比較 して おり 、記 号モ デルnが、 現在 まで に提 案さ れて い る諸 調認 知モデ ルの 中で 、聞 き手 の調 反応 に最 も高 い 一致 率を 示す モデルであろうことを検証して いる 。ま た、 今後 のモ デル 化の 方向 性 とし て、 記号 処理モデルとコネクショニスト モデルとの統合を提言している。
本 論文 では 、実 験研 究と 計算 論的 モ デル 研究 とを 、密接に関係づけながら、とも に高 いレ ベル で遂 行し てい る。 まず 、 そう した 研究 の構成と遂行に対して高い評価 を与 える こと がで きる 。ま た、 報告 さ れて いる3つ の実 験の 具体 的 な成 果に も新し い貢 献を いく っか 認め るこ とが でき る 。さ らに は、 著者のモデルのーっが、現在ま でに 提案 され てい る諸 調認 知モ デル を 凌ぐ 一致 率で 、聴き手の調反応を予測できる もの とな って おり 、そ の理 論的 考察 が 当該 研究 領域 に対する最も大きな貢献として 評価することができる。
以 上に より 、当 審査 委員 会は 、本 論 文の 著者 古野 巌氏に博士(行動科学)の学位 を授与することが妥当であるとの結論に達した 。
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