Author(s)
宮城, 辰男
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 10(1): 19-49
Issue Date
1970-09-28
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/11026
アメリカ統治下の沖縄の貿易
ー そ の 基 本 構 造 一
宮 城 辰 男
目 次 はじめに …・・・・・・………・・・・・・・・・・・・…・リ………・・・・・・・・・・・・……191
戦後貿易の歩み ...・H ・...・H ・...・H・-…H ・H ・..…...・H ・..……2
0
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占領軍による直接的管理貿易期 …...・H ・...・H ・..……2
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2 民間貿易の開始と基地依存経済の確立期 …-…...・H ・.27 3 ドル経済下の自由貿易期 ...・H ・...・H ・...・H ・...・H ・..32E
貿易構造の基本的特質 …....・H ・...・H ・...・H ・..…H ・H ・..39 1 貿易収支の極端な不均衡と基地収入 …...・H ・...・H ・..392
高い貿易依存度 ...・H ・H ・H ・...・H ・-…...・H ・...・H ・.
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4
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3 輸出入商品構成 ...・H ・...・H ・-…..・H ・H ・H ・H ・....・H ・...41 4 貿易の地理的構成 ...・H ・H ・H ・....・H・...・H ・..…...・H ・..…42 むすび……...・H・..………・・………...・H・..43は じ め に
戦後沖縄における国際収支構造の特異性は、日米の軍事的、政治的意図 と密接不可分の関係にあることは今更多言を要しないであろう。 敗戦直後の軍余剰物資の放出、ガリオア・エロアによる食糧品、建築資 材等の輸入、朝鮮動乱を契機とする軍事基地建設の本格化→基地需要の増 大、スクラップブームの到来、日本政府による年金、恩給の支払い、米軍 による軍用地料の支払い、砂糖、パインアップノレ輸出と本土政府による特 19-恵措置、ベトナム戦争のぼっ発とベトナム特需の激増、日政援助の本格化 等々いずれもその具体的例だといえよう。 本稿の目的は戦後沖縄貿易の歩みを三期に分けその構造的または制度的 変遷をあとずけるとともに最近の資料に基ずいて貿易の実態および国際収 支構造の基本的特質をあきらかにすることにある。 いうまでもなく戦後沖縄の国際収支は、敗戦直後の混乱期を除くと主と して基地関係収入によって支えられている。したがって本稿において貿易 問題を取扱うに際しては、輸出入商品については勿論のこと基地関係収入 その他の項目をも含めて綜合的に考察することにする。
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戦後貿易の歩み
戦後沖縄における貿易のあゆみは制度面と実態面に着目すると大きく三 つに分けることができる。第L期、占領軍による直接的管理貿易期、第 2 期、民間貿易の開始と基地依存経済の確立期、第3期、 ドノレ経済下の自由 貿易期である。以下それぞれの時期における特徴をみることにする。 1. 占領軍による直接的管理貿易期 (1945-50年) 1945年 4月 5日発布されたいわゆるニミッツ布告は、沖縄に対する日本 の行政及び司法権の停止を宣言した。つJづいて翌46年 1月29日G H Q覚書 により沖縄は政治上、行政上日本から完全に分離されることになった。以 後今日に至るまで沖縄はアメリカ統治下に置かれることになった。 敗戦直後のアメリカの沖縄統治目的は不確定であったし、基地の性格も (1) 対日監視基地としての役割しか与えられていなかった。 このようなアメリカの対沖縄統治目的の不明確さまたは不確定性は、敗 戦直後の種々の対沖縄施策の中にも具体的にあらわれている。政治的に は、①旧市町村長の復活、②旧県議会を民政議会として復活したこと、③ - 20ーアメリカ統治下の沖縄の貿易 戦争責任の追求は殆んど問題にならなかったし、④軍国主義指導者達もア メリカの「非日化政策」に忠実である限りその罪を免れた。したがって沖 縄においては敗戦直後の本土のような一連の民主的諸変革はみられず、│日 (2) 制度、!日政治機構の温存が望ましいとされた。 経済的にはアメリカの「非日化政策」、 「対日監視基地Jとしての性格 を反映して、敗戦から約1ヶ年特別布告第 7号第 3条により「外国資金の 取引及び外国貿易を為すこと」を禁じられ、完全な封鎖経済下におかれ た。そして住民は米軍の余剰物資の配給を受けて辛じて生活を維持してい たのである。いわゆる原始的無通貨、物々交換の時代である。そのような 状態は1946年 4月第 l次通貨交換、同年 5月賃金制の復活、同年 6月補給 物資の有償制への切り替えまで続いた。 さて間もなく、①在外同胞の帰還、密航者による大量の日本円の持ち 込み、②軍円予算の支払い超、③金融政策と貿易政策の不統一、@企業活 動の制限、@琉球列島内の交流制限等に起因するいわゆる戦後インフレー シヨンの急速な悪化に伴ないアメリカの対沖縄政策にもようやく変化のき ざしが出てきた。
r
安価な基地の確保」民心の安定化を図る上からも経済 再建への一連の施策が必要になってきたのである。 その主なものをあげると、 1946年 8月新日本円のみを法定通貨とする第 2次通貨交換、 〈たYしこの措置は沖縄本島のみで、奄美大島、宮古、八 重山の諸島ではそのま >'B円が法貨として流通した。)同年10月占領軍に よる全面的かっ直接的貿易管理機関たる「琉球列島貿易庁」の開設(軍政 府指令第14号)、全指令第6号「工業企業免許令J
による窯業、鉄工業、 織物業、木工業、食糧品工業等の勃興(但し殆んど零細 (2- 5人〉な農 村工業にすぎなかった)、ガリオア資金の沖縄への適用 (1947年より適用 されるが、それは当初食糧、肥料、油脂類などの現物の割当を主とするも のであった。また1949年からエロア資金も加えられて建築資材、工業機械 などの復興資材も輸入された。)、 1948年 5月占領軍直轄下の全琉的中枢 - 21金融機関としての琉球銀行の設立(軍政府布令第1号〉、 1948年 7月第 3 次通貨交換(軍政府布告第30号、これにより B型軍票を法定通貨とする通 貨の一元化がなされ、さらに1950年 4月軍政府布令第
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号によりB
円の対 ドル為替レートが1ドル対 120円の単一固定レートとなる。それまでは輸 入商品別に複数レートが設定されていた。〉同年10月布告第33号「自由取 引に関する軍特別布告」の公布(これによりはじめて自由企業制の実施、 島内生産品の公定価格の撤廃、琉球列島内の民間貿易が開始された。〕 等がそれである。 以上一連の施策は、混乱期における試行錯誤的な措置ではあったが、す くなくとも安価な基地の確保、インフレーションの収束等には一応の効果 をおさめたといえよう。 次に此の期の貿易の特徴をあげると、第一に占領軍の厳重な監督の下に 直接的管理貿易が行なわれたことである。 46年10月に設立された「琉球列 島貿易庁J
(1969年 6月機構改革により、琉球貿易庁と改称される)は、 貿易の面から、米軍の占領政策の遂行を容易にする為の代行機関であった (4) とみてよい。このことは貿易庁の性格、及び貿易庁委員長の職務規定等か らみでもあきらかである。事実、当時の輸出入業務は殆んど軍政府により 直接行なわれ、貿易庁はその結果を書面で知らされる程度であった。 第二に輸出が小数の沖縄特産品に限られ、金額においても微々たるもの であった。 1949年迄の主な輸出商品は、大東産の燐鉱石、貝殻、海人草、 ソテツ葉、百合根等であった。 1950年に入いって日琉貿易協定の締結、単 一為替レートの設定、輸出の民間方式への移行を契機として、輸出品の 数、量、金額ともに飛躍的に増大した (1949年の輸出額の 3.5倍)。海人 草、黒糖、半精製糖、貝殻、百合根等が全年度の主な輸出品であった(第 1表参照〉 第 3に輸入品の大半が食糧品と建築資材に集中し、食糧は米国から建築 資材は、主として日本々土からの輸入、衣類は主として軍余剰物資の配給 に依存していた(沖縄経済20年史)。 - 22アメリカ統治下の沖縄の貿易 第4にこの期の輸入がガリオア・エロア勘定と
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琉球商業ドル資金J
勘定 (1949年 4月開設〉による 2本立ての対外勘定によって行なわれていた。 しかもガリオア、エロア勘定による輸入が圧倒的比重を占めていたことで ある。 1950年度(ガリオア援助は此の年をピークに以後漸減する)のガリオ ア、エロア品目別輸入額と、 49年度の商業ドノレ資金による品目別輸入額は 第2表、第3表の通りだが、これによると、ガリオア、エロアによる輸入 は食糧品と建築資材に集中し、商業ドノレ資金による輸入は衣類、身辺装飾 品、家具雑品等の生活必需品に集中していた。だが後者による輸入は輸入 総額からみるとまことに微々たるものであった。 50年度のそれはガリオア 経済援助額のわずか6%
に過ぎなかった。 ガリオア物資は1948年軍政府から貿易庁に引渡され、こ』で適当な円建 価格 (1950年 4月までは複数レート)で住民に有償配給された。住民から 回収されたB円は見返り資金として軍円予算に組みこまれ、それから軍労 務賃金、民政府人件費(警察、公衆衛生職員賃金)復興費(工務部予算〉 等に支出されていた。ガリオア援助が住民生活の維持に寄与したことは事 実だが、他方安価な基地機能の確保の為の巧妙な手段としても活用されて いたことは否定できない。 第5
に密貿易の横行を指摘しなければならない。占領軍による厳重な直 接的管理貿易は、必然的に密貿易を横行せしめた。まず1946-47年は、宮 古fレート、 48年になると八重山ノレートが繁自し、 49年からは外国との密貿 易が本格化した。密輸出品目は主として薬きょう、真輪、銅(以上台湾、 香港ノレート〉、海人草、米軍物資(以上本土1レート〉であった。他方密輸 入品目は殆んど生活必需品であった。 密輸出入金額を正確に把握することは到底不可能だが、当時自然発生的 に形成された那覇ヤミ市場において取引された商品の殆んどが、米軍から の流出物資や日本、台湾等からの密輸入品によって占められていたという - 23事実からしでも相当な額に達していたゾろうことが、ほ Y想像できるの いわばこの期は民間貿易開始前における商業資本の源始的蓄積期であった ともいえよう。 第 l表
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弱年迄の輪出の推移 単位:ドル 1946年 47 48 49 50 燐 鉱藤 合 44,005 23,730 92,089 46,845 甘 百 首 2,000 根 2,012 10,197 ソ テ ツ 葉 あだんば帽原料 牛 皮 真 珠 母 貝 貝 殻 海 人 草 カ ツ オ 節 う に 餓 鰭 黒糖、半精製糖 あ だ ん ば 帽 子 大 鳥 紬 糸 繕 帽 17,559 34,
980 15,462 500 12,403 627 35,049 4,683 103,564 172,493 20,000 209,039 675 300 199 lS9,
985 27,085 450 298 50,330 3,215 k-同 計 71,091 60,799 99,863 198,463 699,643 〈資料:沖縄群島要覧、 1930年版〉アメリカ統治下の沖縄の貿易 第2表
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年度ガリオア・エロア品目別輸入額 単位:千ドル 品 目 If a - - 一 三 一 ロ 給 、 額 47,157 33,827I
13,330 食 E量 品 海 運 資 材 及 備 品 油 脂 (石油製品〉 原 料 品 及 原 料 用 製 品 医 薬 品 及 医 療 器 具 建 築 費 コ ン セ ッ ト 建 築 費 油 脂 配 給 施 設 そ の 他 建 築 費 工 業 用 機 械 及 阿 部 品 コンセット用家具及備品 生 活 必 需 品 そ の 他 の 資 材 及 備 品 自 動 車 及 岡 部 品 9,192 9,192 4,486 4,222 261 1,531 1,531 509 509 1,082 810 272 16,045 16,045 2,
608 2,608 369 369 232 232 245 76 169 331 331 2,231 2,231 2,999 2,958 41 1,419 1,419 援 助 物 資 輸 送 費I
3,879 2,017I
1,862 (資料:琉球政府文教局「琉球史料」第6集〕 (注〕 コンセット建築費とコンセット用家具及備品購入費は沖縄住宅公社に関 する数浮である。第 3表
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年商業ドル資金による輸入 ロ ロ ロ 目 衣 類 、 身 辺 装 飾 品 食 若E
類 家 具 雑 n仁日' 文 房 具 、 書 籍 スポーツ、娯楽用品 衛 生 医 療 品 産 業 用 原 料 選 搬 具 そ の 他 β日、 一 一 一 一 一 一 一 一 一 金額〈事〉 249,927 41,364 237,558 94,579 8,366 36,560 101,360 60,785 830,499 比 30.1 5.0 28.6 11.4 1.0 4.4 12.2 7.3 率 (資料:琉球貿易庁、 RyukyusImport Export Statistics) 第 4表1
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年4
月-
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月輸出入バランス表 単位:千ドル 輸 出 546 輸 入 13,416 ガリオア・エロア 11,011 商 業 ドlレ 資 金 1,382 軍 余 剰 物 資 915 そ の 他 108 輸 出 入 差 額 12,870 13,416 13,416 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 (資料;山内盛弘「占領軍管理期の貿易」、琉大経済研究所、経済論集第4号、 1966年 6月による〉アメリヵ統治下の沖縄の貿易 第 5表 琉球輸出入貿易の推移 (1946-1950年〉 単位:ドル 年 度
│
輸 出 繍l
尚一 ~--I 五一一戸
194咋 [ M l │ 3 5 4 l〈+ 3 7叩 7 47 48 49 60,799 I 1,213,363 99,863 413,882 198,462 830,497 く一) 1,152,563 〈一) 314,018 〈一) 632,035 50 634,097 1,88叩o
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(一〉 日 間 〈資料:沖縄大観〉 (註〉 輸入実績は貿易庁扱いのもののみで食糧、燃料、その他の重要物資は含 まれていない。 2. 民間貿易の開始と基地経済の形成 (1951-57年) アメリカの対沖縄基本政策の転換に決定的影響を及ぼした事件は、いう までもなく国府の敗退と中華人民共和国の成立 (1949年10月)、朝鮮動乱 の勃発 (50年6月)、およびインドシナ半島の紛争であった。か』るアジ アにおける東西聞の緊張の激化は、アメリカの極東政策の転換、対沖縄基 本政策の決定を余儀なくした。沖縄はいまや対日監視基地としての性格か ら、戦略爆撃機の前進基地として、極東戦略における「キーストーンJ
と しての性格へと大きく転換することになった。 このようなアメリカの対沖縄基本政策の転換は、沖縄基地の本格的建設 となってあらわれて来るが、その露払い的役割を担って登場してきたの が、いわゆる「シーツ政策」なるものであった。シーツ軍政長官は本格的 基地建設の推進を容易にするために、まず行政機構の整備と経済の安定化 を必L要とした。 - 27その具体例をあげると、① 群島知事及び群島議員選挙の実施、@ 単 一為替レートの設定、@ 日琉貿易協定の締結、@ 輸出の民間方式への 切り替え、⑤ 軍政府指令第11号による外国為替業務の認可(琉球銀行外 国為替銀行に指定される〉、@輸入の民間方式への切り替え(実施は51 年2月〉、⑦ 日用雑貨の大量輸入および日本製トラックの輸入、@ 民 間運輸会社、 パス会社、沖縄食糧会社、琉球火災海上保険会社、琉球石 油、琉球復興金融基金等の設立、@海運業と水産業の復活、⑩食糧品 の大巾値下げと増配、ゆ ラジオ放送の開始等々である。これら一連の施 策が積極的に実施された。運輸、通信、金融機関が整備され、貿易の民間 方式への切り替え準備がなされた。本格的基地建設への準備は巧妙に進め られつ』あった。 49年、 50年におけるアメリカの対沖縄柔軟政策は比較的 に住民の支持を得ていたようである。 ところが朝鮮戦争の激化、基地建設の本格化、アイゼンハワ一政権の成 立 (1953年〉は、米占領軍の本質を余すところなく暴露した。柔軟政策 (7) は強硬政策へ、 「中国の教訓は」はたちまち「朝鮮動乱の教訓
U
へと、軍 事力強化優先主義が前面にでてきた。アメリカの極東政策の転換はやがて 一連の相互防衛条約の締結に具体化する。MSA
協定の調印(日米〉、S
EATO
の結成、米韓、米比、米華相互防衛条約等いずれも5
2
年-54
年の 聞に締結されたものであった。こ』に沖縄を軸とする極東におけるアメリ カの強力な軍事体制が確立される。 他方軍事基地建設の進行にともなって、米琉間労使間の政治的、経済的相 魁は深刻の度を増していく。すなわち労働争議の激化(日本道路社争議、松 村組、争議、KOT
争議、本部砕石工場争議等)土地接収反対闘争の激化、 軍用地料の適正査定要求等がいずれも5
2
年の後半に集中的に起っている。 その後軍用地問題は次第に住民の関心を高め、 56年 6月いわゆるプライス 勧告の公表を契機とするプライス勧告反対、四原則貫徹の闘争は、ついに 「島ぐるみ運動」へと発展する。県民の抵抗運動は「民連ブーム」を現出 - 28ーアメリカ統治下の沖縄の貿易 し、アメリカの強硬政策は再び柔軟政策への転換を余儀なくされる。 さてこの期は政治面からみると、土地の接収、基地の建設、軍用地料を めぐる米琉聞のはげしい相魁を軸として動いているが、経諦面からみると 経済の基地依存への強化を意味している。貿易に焦点をあてつ』この期の 特徴をあげれば、第一に民間貿易が開始されたことである。基地建設の本 格化に対応して、貿易の民間方式への移行準備が、 1950年 に 入 っ て か ら 急速に進められていったことについては既にふれた。そしてついに50年10 月布令第26号「琉球列島に於げる外国為替及び貿易手続」および同指令第 11号「琉球列島における外国貿易及び外国為替」が公布され、 51年2月か ら待望の民間方式による輸入貿易が開始されることになった。 しかし輸出入貿易の民間方式への移行とはいっても、軍の管理下におけ るいわゆる布令貿易、または制限付き民間貿易にすぎなかった。このこと は、琉球銀行が外国為替面の管理代行機関として指定されたこと、貿易庁 は「琉球列島の輸入計画実施の計画上の責任を有する中央琉球代行機関と して指定」されていたこと(指令第11号〉、すなわち輸入については、貿 易庁輸入公表の中で一般輸入品と指定輸入品に区分され、一般輸入品につ いては、外国為替が先着順に与えられ、指定輸入品については、外国為替 の割当てを必要としたし、輸出については、軍布令に基ずく許可制、琉銀 による認証制が実施されていたことなどからもうかYえる。 輸出入貿易の民間方式移行への背景には、世論の高揚、本土経済の動 き、民生安定への配慮があったことも事実であろう。だがそれ以上に基地 建設本格化に伴なう資材輸入の促進、物価上昇の抑制と安価な基地の確 保、密貿易の取りしまりといった要因のあったことも見落しではなるま U。、 第二に基地需要の増大と基地依存経詩の体質化ということである。 51年 度から57年度までの国際収支の推移は、第6表の通りだが、それによると 殆んど毎年大巾な黒字を記録している (53年と 57年はわずかに払超。 57年 - 29ー
のそれは、日本本土の金融引き締めによる輸出の減少、輸入の増大による ものであった)。特に52年度の受取総額はその前年度の約2.5倍に激増し ている。これは主として、朝鮮動乱の勃発→基地建設の活糖化→円セール (軍関係収入)の増大によることはいうまでもない。 50年、 52年の受取総額の中に占める円セーJレの割合は、それぞれ98%、84 %にも達している。また53年度の対外収入の各構成比をみると、円セーノレ 83.5%、輸出12.1%、その他4.4%となっている。これによっても基地建 設の本格化は、対外収支構造の基地依存性を急速に強めていっていること がわかる。 第三にスクラップブームの登場である。 53年7月朝鮮動乱の終結にとも ない基地建設ブームは一応のピークを超すことになる。円セーノレも亦停滞 する (54、55、56年とも53年を下回る)。そして経済は全体として一時デ フレ的現象を呈する。 円セーノレの停滞期に登場してきたのが、軍用地料の支払い、年金、恩給 の支払いおよび鉄府及非鉄府(スクラップ)と黒糖の輸出増であった。特 にスクラッフ。の輸出場加は、注目を引き、いわゆるスクラップブームを現出 する。 56年度の輸出総額に占めるその割合は、約58%にも達している。同 年度の黒糖輸出額はスクラップ輸出額の約4割にすぎなかった(第 7表参 照〉。 因みに戦前戦後の輸出品構成比の推移をみると、戦前 (1940年〕は輸出 総額のうち砂糖63.5%、工産物17.1%、農林産物5.7%、畜産物5.6%、水 産物3.7%、その他4.4%であった。それが戦後56年になるとスクラッフ。類が 輸出総額の約58%、 砂 糖31.5%、水産物5 %、農林産物2.2%、 屑物3.6 %、工産物1.5%、高産物0.4%、その他2 %となり(沖縄経済20年史〉、 さらに67年度についてみると砂糖、パインで輸出総額の70%に達している。 第四に第三次産業の肥大化と農業の停滞をあげることができる。沖縄の - 30ー
アメ
P
カ統治下の沖縄の貿易 経済は既にみた如く、 50年代に入って基地建設の本格化にともない基地 依存への傾向を急速に強めていくが、そのことはまた相対的に農業の貧困 を招き第三次産業の肥大化をもたらした。これを銀行貸付の業態別残高か らみると、 49年6月現在では貸付総額のうち農業34%、商業16%、土建、 交通、住宅など約10%となり農業が最も大きな比重を占めていたのに対 し、 52年末になると商業が全体の68%を占め、反対に農林水産業は4.3% に激減している。更に54-57平均についてみるに、商業、貿易70%、農林、 水産業1.2 %とその差は、一層大きくなっている。(沖縄経務20年史) か』る農業の相対的停滞は、① 基地建設にともなう軍用地の強制的接 収→農業用地の破壊→大量の基地労働者の創出(金城睦「軍用地問題の現 状と将来J
法律時報第42巻第5号によると、1951年に約3,
770万坪であった 軍用地(私有地〉が、53年には約5,
193万坪となり 2ヶ年聞に約37%もふえ ている)0 @ 貿易の民間方式への移行に伴なう食糧品、建設資材、 その他生活必需品の大量輸入、① 戦前からの伝統的産業たる製糖業の停 滞 、 @ 農業政策の貧困等に起因するものと思われる。 第 6表 国際収支の推移 (1961-67年〉 単位:千ドル 37司 906119,901123,683116,
3211 4771 16ヲ9,816,78町14,704 62 1 4,98町46,7041 9001 2,3971ω,0叫 63,987140,00312,0321 42,036同, 9叫 26,666 63 1 7,40司61,2041 6921 2,006163,9回161,306167,87613,6421 61,4171.6.112126,642日!
7,39判46,9401 6721 7,6421田, 1叫 62,646166,4回14,3071 60,7901 1,764128,297 66 113,186149,9301 76渇lD,回0;61,666174,842163,88513,6781 67,6回17,27叫36,回6 田 120,362147,13711,19引27,136176,466196,回9187,邸叩, 6お193,3回12,44引38,021 67 I町│臼
6611, 叫ωω│眠
吋
101,366194,09.617,9∞
1101,996戸内四
l (資料:沖縄経済20年史〉 ※恩給、年金、運賃、保険、投資、その他サービス手数料を含む。 (注) 67年の円セール中にはー括払地代を含む。 - 31ー単位:千ドル (1954-57年〉
ふケ
1 鯛 及 非 同 黒糖!
沖縄の輸出高の推移 第7表 計 他 の そ 8,403 1,965 4,540 1,898 1954年 13,850 3,029 5,458 5,363 55 20,984 3,209 5,506 12,269 56 15,791 3,390 5,
683 (資料所持銀行〉 (注〉琉球銀行扱輸出為替買取高による。 6,718 57 単位:千ドル (1934-57年〕 第8表 57 56 55 1954 _jJ1j 年 5,844 6,039 2,529 1,355 額 金 (資料:琉球銀行〉 「民連ブーム」に象徴される米琉 相魁の時期は、 58年軍用地問題の解決を契機として表面上終結することに ドル経済下の自向貿易期 (1958年 軍用地問題をめぐる「島ぐるみ運動」 3 日米 沖縄基地の「日米共 つぎに登場してきたのが、反共態勢の強化を目的とする、① 安保条約の改訂、②「日米ノ,,-トナーシップ」、① なる。 同管理J
体制への移行である。アメリカの強硬政策は再び柔軟政策へと転 しかし政策転換の本質的目的は従来の対沖縄政策の根本的変更を 換する。 意味するものではなく、沖縄基地を効率的に確保するという基本政策には いわゆるケネディ新政策なるものの真の意図も あるいはたんなる好意的な 何等の変化もなかった。 「沖縄住民の政治的不満を経済援助によって、 - 32ーアメリカ統治下の沖縄の貿易 (8) 言葉やゼスチャーによって宥和することがその目的であった。」のであ る。 このような日米協調路線の登場は、経済的には、① プライス沖縄援助 法の制定 (1960年7月〉、② 日本政府の対沖縄援助供与の開始(本土政 府の援助は1961年の池田・ケネディ会談以後64年頃から本格化する〉、@ 一連の高等弁務官布令すなわち「通貨
J
(布令第4回号〉、銀行法の改正 (布令第10号)、外国人の投資(布令第11号〉、外国貿易(布令第12号〉、 価格などの統制について(布令第13号〉等の公布となって具体化する。 これらの布令は殆んど同時に公布され、それ以後の金融、貿易、外資導 入の面に大きな変化をもたらすことになった。すなわちドル通貨の採用、 為替管理の撤廃、各銀行による為替業務の開始、自由貿易制度への移行、 外資の積極的導入、自由貿易地域の設定などがそれである。 なかでも米ドノレへの通貨交換(第4次通貨交換)は、戦後沖縄経済にお ける一大転機をなすものであった。ドノレ切り替えの理由については、種々 の議論がある。米国政府派遣調査団はその経済的理由として、① 国際的 に流通性の高い米国ドルの使用は通貨の自由交換性の問題を完全に解決す る。② 外資導入にあたって有利な条件となる。③ 独自の通貨発行の場 合の経費がはぶける。@ 沖縄内で米軍要員と住民側と別個の通貨を使用 する煩雑さが除かれる等の利点をあげている。 しかしその背後に政治的理由のあったことも否定できないであろう。す なわち、① 沖縄をアメリカ経済の影響下におくことによって、アメリカ の軍事的支配を容易にすること、② 沖縄基地を長期的に保有するために 「占領時代の遺物(軍票)J
を取り除き、アメリカの沖縄統治を「正常 化」すること、@ 経済の安定向上を図ることによって、住民の不満の根 源を除去し、復帰運動の弱体化をはかること等がそれである。いずれにせ よドル切り替えは、沖縄におけるアメリカの軍事的利益の擁護と密接不可 分の関係にあることは否めないであろう。 - 33さてドル切り替え後のアメリカの柔軟政策(懐柔策)は、一方において 「民連ブーム」の衰退→対米協調路線への傾斜を強めていくが、他方県民 の政治的関心を復帰運動
(
1
9
6
0
年4
月「沖縄県祖国復帰協議会」の結成以 後復帰運動は一段と高揚する)、行政主席の公選、国政参加、自治権の拡 大要求へと向けさせた。そして県民の主席公選、本土復帰への根強いたた かいは、つ戸、に68年の主席公選をかちとり、 72年本土復帰を確定的なもの にした。 つぎにこの期の貿易上の特徴をみることにしよう。第1に自由貿易制度 への移行をあげなければならない。周知の如くドル切り替え後の沖縄にお ける外国貿易に関する基本法は、5
8
年9月公布された布令第1
2
号「琉球列 島tζおける外国貿易 jである。それによると、① 対外商取引に伴う決済 通貨は米ドノレでなければならないこと(第2条)、③ 輸出および輸入に ついでは対外決済が全額現金支払によって行なわれるかぎり特に輸出入の 許可を要しないこと(第 3条 1項 ) 、 @ 決済がその他の方法による場合 はすべて琉球政府の許可を要すること(第3条3項 ) @ 琉球政府の制限 措置は、琉球政府の行なう貿易公表によって公示されなければならないこ と;(第3条5
項 ) 、 @ 合衆国外国資産管理規則jいわゆる対敵取引法が神 縄にも適用されること等が規定され、さらに自由貿易地域についても規定 している(第5条〉。以後沖縄における為替管理制度は全面的に廃止さ れ、通貨量は対外収支尻によってのみ決定されることになった。 。自由貿易制度への移行後対外収支のうえにみられる主な変化は次の知《 である。① 鉄・非鉄スクラップ類にかわって砂糖、パインが輸出の大宗 にのしあがってきた。(
5
8
年両者で輸出総額の57%
、6
0
年代になるとその 割合は70%
台に上昇〉。これは砂糖、パインに対する本土資本の沖縄進出 による同産品の生産量の増大、本土政府の特恵措置、保護措置による輸出 増に負うこと・はいうまでもない。② 第2次第3次産業部門への外資導入 が激増したこと。6
2
年1
2
月末現在でみると、件数にして2
2
0
件、投資額にアメリカ統治下の沖縄の貿易 して850万ドルであるが、その 8割近くが58年以降導入されたものである。 ③.他方ドル流出により対比外収支に逆調傾向があらわれできた。とれ はドル経祷下になって輸出も伸びたが、輸入もまた高い増加率を示した (55-弱年平均の輸入依存率は52.2%、59-62年平均のそれは63.6%であ った。〉ことに起因する。④ また為替管理撤廃後生産業者や卸売業者は 勿論、零細な小売業者さえも自由に外国貿易が可能になり、数千人にのぼ' るいわゆる
L
・C
業者が発生したことも大きな変化である。 第2に日本政府援助の登場をあげなければならない。 U)58年以後アメリ カは、対沖縄政策を強硬政策から柔軟政策に切り替え、軍事基地の長期保 有を策したことについては既に述べた。この政策転換にともないアメリカ の援助はガリオア・エロアによる援助からプライス法による援助に切り替 えられた。他方6
1
年の池田・ケネディ会談の結果、日本政府の対沖縄援助 もようやく本格的に開始されることになった。それは表向き日・米共同で 沖縄の経済発展、民生の安定・向上を図ることにあったが、その背景には ・① 県民の聞の根強い基地反対・祖国復帰運動のたかまれ@ アメリー (9) カの国際収支の赤字及び金の流出、@ 日本におけるドル不足の解消、 金・ドノレ準備高の増加、生産力の発展といった要素のあったことも見落し ではならない。要するにその真のねらいは、日本政府の協力を得て基地の 安定化を確保するとともにアメリカ政府の経詩的負担を軽減することにあ ったとみてよい。このことは、その後の日本政府援助が、アメリカの軍事 目的を阻害しない範囲で、日米協議委員会において決定されているという 事実からもうかがうことができる。 さてこのような背景のもとに登場してきた日本政府援助は、6
4
年頃から 活糖化し、 67年にはついにアメリカ援助を凌駕し、 68年にはその二倍半に 達するようになった。これら日米両政府援助の意図、援助方式、経済効果 等には多くの問題があるとしても、琉球政府一般会計予算に与えるその影 響は大きく、また対外収支の面からみても、 58年以降、年々大巾な経常収一 - 35ー支の赤字をカパーするのに大きな役割を果していることも否定できない。 第3に民間外資の沖縄進出が活濃化してきたことである。既にふれた知 く、 ドル切り替え前の旧外資法は外資導入について多くの条件や制限がふ されていた。ところが新外資法は外資導入についての多くの制限を撤廃ま たは緩和した。すなわち新外資法「琉球における外国人の投資J (布令第 11号)によると、① 沖縄経済全般の発展に寄与する外資の歓迎、② 外 国人投資における地元資本充当優先規定の撤廃、① 政府による投資環境 の積極的改善、④ 資本引きあげ、送金の自由の確保等積極的外資導入の 基本政策が打ち出されている。 この新外資法の公布以後日米民間外資の沖縄進出が急速に活濃化してき た。外資導入審議会資料によると、 62年12月末現在、国籍別では日本が全 体の46.4%、米国38.5%、中国および香港10.6%、その他4.5%となり、 投資内容別では、日本が糖業、パインに集中(全体の80%)し、米国資本 は、飲料水製造、一般工業を主体とする生産業に48%、第3次産業関係に 52%が投ぜられているの特に砂糖、パイン製造への本土民間資本は、 1959 札口) 年から60年の聞に集中的に投下されている。これが分蜜糖、パインかん詰 の急速な輸出増につながったことについては既にふれた。その後周知の如 く67年頃から米国系石油独占資本の沖縄進出(上陸〉がクローズ・アップ してきた。(現在 (1970年6月現在)石油関係企業を中心に約2億5千万 ドルの外資が沖縄に進出している〉。そして今後更に多くの大型民間外資 の進出が予想されている。これらの外資企業がどれ程沖縄の貿易収支、雇 用、経済発展等に寄与し得るかは、今後の大きな課題になっている。 第4にベトナム特需の登場である。 1965年頃からベトナム戦争の本格化 にともない、沖縄経済は空前のベトナムブームを現出した。沖縄経済は戦 争のたびに活濃化する。朝鮮戦争の時もそうであった。戦争と浮沈を共に してきたともいえる。ベトナム戦争は基地機能の強化、軍需物資の発注、 軍人、軍属およびその家族による消費支出の増大等を通じて沖縄経済に超 36
-アメリヵ統治下の沖縄の貿易 高度成長をもたらした。 66年から68年迄の3ヶ 年 の 平 均 成 長 率 は 実 に18.6 % と い う 戦 後 最 高 を マ ー ク し た 。 ま さ に 基 地 経 済 と い わ れ る 所 以 で あ る 。 以 上 戦 後 貿 易 の 歩 み に 焦 点 を あ て つ つ 、 そ の 構 造 的 、 制 度 的 特 質 を 指 摘 し て き た の で あ る が 、 さ ら に 最 近 の デ ー タ ー を も と に し て そ の 基 本 構 造 を 一層明確にしたい。 第9表 日本政府の琉球政府に対する財政援助
C
単位:千ドノレ〉~\
621
631
-
-
64-
-
1
66I
66-I-~;-I~
66 66 403 289 10,013 教 育 関 係 費 (100.0) (13.4) (16.1) (6.8) (10.6)1 (44.6) (46.7)。
468 l(,53257.9〉l(,83100.7〉2,622 3,298 国 土 保 全 開 発 費 (0.0) (17.3) (14.7) (16.1) 361 960 l,〈84533.5〉l(,9353 3 2.691 3,846 産 業 経 済 費 (9.98) (36.0) .2) (16.6) (17.6) 気業象費 ・通信・電力事 (0。
.0) (99 3.7) (180 .9) 219 (3.9) 363 (2.1~ 247 (1.1)。
116 214 508 1,604 3,450 社 会 保 障 関 係 費 (0.0) (4.4) (6.0) (8.6) (7.3) (16.8) (00 .0〕 628 296 774 2(,3l438.7〉1,033 そ の 他。
3.6) (6.9) (13.2) (4.7) 55 417 〔2(5l,36o86o4.-8O〕) 4(〔1,5209508..8O〕) 5(〔l,38o89o.0-3O〕) 17,200 21,887 i口h、 計 (loo〔ー-O〕) 〔(615080..20〕〉 〔(ll9020..o0コ
〕(100.0) (27.3 (資料:琉球政府企画局〉 註 (1) このことに関しては宮里攻玄「アメリカの沖縄統治J4頁 - 9頁参照。 (宮)沖縄の戦争責任の問題については、儀部景俊「沖縄における戦争責任問題」 (沖縄歴史研究6号)参照。 (3)貿易庁は琉球列島軍政本部副長官により任命された軍政府将校の直接・の監督下 におかれ、輸出入貿易に関する企画及び手続のすべては先ず同将校の許可を必要とし、その後更に軍政府副長官の最終的認可を求めなければならなかった。 (4) 47年7月23日付軍政府覚書によると、貿易庁委員長の職務は次のように定めら れている。 ①貿易庁係軍政府将校の代行人。@貿易庁事務に対して責任を持つ。③列島内 及び外国貿易に関して、週報及び月報を作成する。(!輸出品の保管のため倉庫 業務に責任を負う。⑤書類の保管、船積書類の作成に責任を負う。 ⑤軍政府及び各民政府との緊密な連絡。⑦軍政府の認可を得た上での政策の樹 立。③各民政府へ輸入品を適度に分配する責任を負う。 (5) 山内盛弘「占領軍管理期の貿易J(琉大経済研究所、経済論集、第 4号〉参照 (6) くわしいことは前掲論文参照。 (7) 宮星放玄前掲書によると 「中国の教訓」とは、国府は中共に敗退したけれど も、軍事カによって敗れたのではなく、健全な行政と経済的安定の欠如の為で あると考えられた。また「朝鮮動乱の教訓
I
J
とは経済援助並びに技術援助隊、 如何に有効でも外部からの攻撃の脅威に対処するには、頼りにならないという ことが朝鮮動乱の経験を通じて実証されたと考えられた。 (8) 前掲書 170頁 (9) アメリカは1958年において経常収支では35億ドルもの黒字を記録しているにも かかわらず国際収支全体では34億600万わレの赤字になふた。この傾向は、 その後依然として続いている。また1957年末に223億ドルあった金が60年2月 6日のケネディ大統領の国際収支特別教書によるとそれは175億ドルに激減し ている。 ( 10)牧瀬恒二「沖縄と米日独占資本J57頁-65頁参照。アj"lJ・3申統治下の沖縄の貿易
I
貿易構造の基本的特質
1 貿易収支可の極端な不均衡と基地収入 戦後沖縄の貿易収支は、周知の如く一貫して極端なアンバランスを示し ている。敗戦直後46年度の輸出入実績をみると輸出約7万 ド ル 、 輸 入 約 354万ドル、差引き347万ドノレの入超(沖縄大観〉、 1950年の輸出実績63方 ドJレ、輸入実績188万ドル(但しそれは貿易庁取扱いのみで、 4,
900万ドノレ相 当のガリオア物資の援助は含まれていない)、差引き125万ドノレの赤字、 60年度、 68年度の入超額はそれぞれ1億200万ドノレ、 2億9,
700万わレとな っている(第10表参照〉。このように沖縄の輸出入差額は極端に大きくぜ しかも拡大の一途をたどっている。 では戦後沖縄の国際収支を支えているのは何んだろうか。それを68年度 の国際収支からみることにしよう。まず経常勘定でみると受取総額は3億 2,
580万ドル、そのうち軍関係受取が1億9,
700万ドノレで全体の61%ー、商品 輸出が8,
900万ドルで21%、その他サービス〔観光収入も含む〉が3,
8
0
6
'
万 ド/レ、 18%の割合を示している。そのほかに海外からの移転項目すなわち 日・米両政府援助、民間外資の流入等が6,
900万ドノレとなっている。他方 同年度の経常支出総額は約4億1,
500万ドノレで・あるが、 そのうち商品輸入 が約3億8,
600万ドノレで‘全体の約93%を占めている (第12表参照〉。 つま りこのことは、戦後沖縄の国際収支を支えているものは、受取総額の大 半 を占める軍関係収入(敗戦直後は米軍放出物資、その後ガリオア・エロア 援助、 50年代に入いると、基地関係収入に代っていく)であり、ぼう大な 貿易収支の赤字が主としてこれによってカバーされていることを意味して いる。 ちなみに戦前(昭和9
'
年-11
年)の国際収支をみると、受取総額の約60 %が輸移出によって占められ、 その他郵便為替払渡し16:8%、国庫支出 39-14.7%、外国送金8.6%の割合となっている。他方総支出額の 74.5%が輸 移入のために使用され、国庫納入額13.2%、郵便為替振出しが 12.2%とな っている。(第13表参照〉。すなわち戦前の国際収支が主として貿易収入 によって支えられていたのに対して、戦後のそれが主として基地収入によ って支えられていることがわかる。現在の国際収支規模が戦前をはるかに しのいでいるとはいえ、構造面からみる限りそのき弱性、不安定性は否定 できないρ 国際収支の不安定性は単に軍関係受取の受取総額の中に占める比重によ るばかりでなく、その内容によって更に倍加される。すなわち軍関係受取 の内容をみると、その主な項目は、基地建設、沖縄人雇用者賃金、現地調 達、米軍人軍属による個人消費支出、軍用地料、その他となっている。そ れらの殆んどが軍事基地の建設および基地機能維持の為の支出から構成さ れているという事実に注目しなければならない(第11表参照〕。 最後に最近の傾向として、① 輸出額は51年民間貿易の開始後65年まで は急速な伸びをみせたが、それ以後停滞ぎみであること、② 他方輸入は 依燃として増勢にあり、貿易収支のアンバランスは益々拡大傾向にあるこ と、① 経常勘定は65年のわずかな黒字を除くと、 56年以来年々大巾な払 超を示し、特に66年、 67年、 68年と最近その増加傾向がめだっているこ と、① これらの赤字は日・米両政府の援助支出および民間外資の流入の 増加等によってある程度カパーされているが、綜合収支でも年々大巾な赤 字を記録している (1966年、 67年、 68年の海外に対する債務は、それぞれ 810万ドル、 1
,
400万ドノレ、 1,
900万ドノレとなっている〉ことなどを指摘す ることができる。 2 高い貿易依存度 戦後沖縄の対外貿易への依存度は第 14表の示す通りだが、 66年、 67 年、 68年度の貿易依存度はそれぞれ82.6%、80.2%、73.9%で異常な高さ - 40アメリカ統治下の沖縄の貿易 を示している。また
6
8
年度の輸出依存度13.9%
に対し、輸入依存度は6
0
.
0
% (
6
7
年度はそれぞれ15%
、65.2%
であった〉。輸出入比率もきわめて低 く6
8
年度24.2%
となっている。 以上のことからも、① 沖縄の経済がきわめて不安定な貿易構造の上に 成り立っていること、@ 軍関係受取その他で高められた旺盛な消費需要 が、沖縄内部の生産によっては満たされず、殆んど(国民所得の6割以上 か輸入に充当されるかたちになっている)輸入によって賄なわれているこ と 、 @ さらに輸入代替産業、および輸出産業の不振を指摘することがで きる。 3 輸出入商品構成 (1) 輸 出 沖縄における輸出商品の大宗はいうまでもなく砂糖とパインである。そ の他の主要輸出品目には、まぐろ、カジキなどの水産物、畜産物(生豚、 生牛など〉、煙草、洋服類、合板、非鉄、金屑などがある。1
9
6
8
年度の砂糖、パイン両製品の輸出額合計は6
,
2
1
5
万ドノレであるが、 輸出総額に占めるその割合は66.2%
である。この比率は第1
5
表の示す如く1
9
6
5
年の78%
をピークに漸減傾向にあるとはいえ、輸出商品構成における モノカルチャー的性格を示すものである。問題は現在砂糖、パインを輸出 の大宗にしている条件は、競争力の強さではなく、本土政府による特恵措 置、すなわち政治的配慮によるもので、それを抜きにしては成立の基盤さ えあやぶまれる体質的弱さを持っているということである。 輸出商品の中で最近顕著な上昇を示している品目は、生牛と水産物であ る。1
9
6
7
年度のこれら両者の輸出は、それぞれ1
6
3
万ドル、4
8
5
万ドルであ ったが、6
8
年度においてはそれぞれ3
7
1
万わレ、7
4
3
万ドルと飛躍的に増大 している。しかし輸出総額に占める比率からするとまだまだ微々たるもの にすぎなL。、- 4
1
以上沖縄の輸出貿易を商品構成からみたのである:が、その特異性として ① 輸出商品が少数の第1次産品またはそれを基礎とする農産加工製品に 集中していること(砂糖モノカノレチャー〉、② 一般に国際競争力に乏し く政治的配慮によって成立しでいる、こ と 、 @ 本来の2次産業製品の占め る比率かきわめて・低いこと等が指摘できる。 (2) 輸 入
1
9
6
8
年度の輸入商品のうち、日用品及び雑製品、食料品、噌好飲料及び 煙草の合計は、1
億9
,
1
0
0
万ドlレである。同年度の軍関係受取額は1
億9
,
7
0
0
万ドルであったから、軍事基地でかせいだ沖縄のドルは、殆んど本 土からの消費財輸入に流れ去ったかたちになる。 輸入商品の中で最も大きな比重を占めているのは日用品及び雑製品でそ の次が食料品である。これらの合計は輸入総額の約50%
にも達しでいるe 産業用機械のなかでは電気機械、運輸機械の比重が圧倒的に大きく産業用 機械全体の約80%
を占めている(第1
6
表参照〉。特に近年構成比の大きく なっている品目は、乗用自動車、・貨物自動車、電気製品等である。これらの 商品はいずれも本土大手メーカーの製品であることに注目すべきであるd 原材料輸入もベトナム景気を反映して1
9
6
7
年度の対前年度増加率は43%
を記録したが、68
年になるとそれはわずか6
.
7
%の増加にとどまってい る。原材料のなかで第2次産業に供されるものは、金属製品および葉煙草 ぐらいのものでその他ほきわめて単純な加工用原料として用いられている にすぎない。 4 貿易の地理的構成1
9
6
8
年度における沖縄の地域別輸出額構成比は、日本々土8
9
.
'7%、米国7.0%
、台湾1.1%
、その他2.2%
となり、対本土輸出依存度が圧倒的に大 きい。このことは輸入の場合においてもほぼ同様である。すなわち同年度アメリカ統治下の沖縄の貿易 の地域別輸入額の構成比は、日:本々主74.1%、米国11.1%、.英国1.0%、 台湾1.
5%
、その他2.3%
となっている(第17表参照〉。輸出入とも対本土 依存度が圧倒的に大きいことは当燃であろう。 .:"i沖縄からの輸出1
に対する各国か白の輸入の割合は、日本々土3
.
5
、 米 国6.7、英国3.8、台湾5.9となり、すべての取引固に対して極端な入超を 京している。 主要国別対日輸入シェアと日本の輸出シェア (1965年度)によると、沖 縄の場合、対日輸入シェアからみると76.0%となり、日本々土の沖縄に対 する輸出シェアからみると2
.
0
%
となっている。注目すべきことは、 日本 全体の約1 %の人口を有し、 1人当国民所得において本土の約6割に過ぎ ない1
地方賓困県沖縄が、日本の輸出市場として、'韓国、インドネシア、 インド、ソ連に匹敵し、ピJレマ、パキスタンなどの独立国をうわまわる比 重を示しているという事実である(第四表参照)。 このことを最近の対本土輸出入パランスからみてみよう。 1966年、 67 年、 68年のそれはそれぞれ1億 2.,
400万ドル、 1億7,
90Q万ドノレ、 1億9,
800万ドルとなり、逐年ぼう大な払超を示している(これらの入超額は、 年々の軍関係受取額とほぼ対応じている)0 68年度の本土政府の対沖縄援 助額は2,
400万ドルであるが、それを差引いても同年度本土へのわレ流出 額は、 1億7,
400万ドルにも遣する。 1951年民間貿易開始以来、いわば本 土にとって沖縄は恰好のわレ獲得市場であったともいえよう。む す び
以上戦後沖縄貿易の構造的特質を戦後貿易の歩みと最近の貿易関係資料 に基づいて検討してきたのであるが、それはある意味で過去25年の沖縄経 済の歩んできた姿そのものであったし、またアメリカの対沖縄統治政策の 反映であったともいえよう。 43アメリカの軍事優先政策はあらゆる面で戦後沖縄経済の自律的発展を阻 害し、 「基地依存型経済」といわれる不安定な経済構造を体質化してき た。極端な第3次産業の肥大化、慢性的輸入超過、政策主体の不明確性等 いずれもその具体的あらわれだといってよい。このことはそのまま沖縄の 国際収支構造の特異性にもつながるのである。 なお69年11月の日米共同声明以後のことについてあえてふれなかったの iは、それ以後沖縄貿易の基本的構造のうえに特に変化があるとは思われな いからである。 番長老・文献及び資料 中野好夫編「戦後資料沖縄」日本評論社 資料「沖縄経済20年史」沖縄教育図書刊行会 宮里政玄著「アメリカの沖縄統治」岩波書
m
稲泉蕪「沖縄経済への提言」沖縄経営者協会 牧瀬恒ニ著「沖縄と米日独占資本J解放新書 松井清編「日本貿易読本」東洋経済新報社 松川久仁男著「沖縄の基地経済」時事新書 琉球銀行10年史・琉球銀行 伊藤善市、坂本二郎編「沖縄の経済開発」潮新書 渡久山寛三「沖縄経済の足あと」琉球工業連合会 1968年度「沖縄経済の現状」琉球政府 1968年度「国民所得報告書」琉球政府 1969年版「貿易要覧」琉球政府 「沖縄問題の展望と対策」沖縄経営者協会特別資料第184号 特集「沖縄は主張する」法律時報70年4月号第42巻第5号 「沖縄経済の現状と対策」沖縄教職員会 「輸出振興会議資料J琉球政府通産局通商課アメリカ統治下の沖縄の貿易
XH-l?-?!?
同
係
1
-
認引き二
1950年 55 56 57 53 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 2 6 8 7 6 9 5 0 0 0 0 4 4 8 只 u n u q d Q u o d -ム G d C U 円 D Q U R J 内 4 7 ・ 7 -4 5 6 6 5 7 8 9 0 1 3 5 9 9 1 4 1 1 1 1 1 R U 2 0 8 5 8 0 0 2 3 9 1 -5 4 1 4 司ム凋告内 O Q ︾ 吋 4n 白 内 4n 口 n u 、 ム 8 4 ・ F O 司 J ﹃ u 司 J 4 5 6 9 8 0 1 2 3 4 4 0 7 9 -1 1 1 4 1 1 2 2 2 1 ノ、 j ' 1 ノ 、 、 ノ 1 J 、J , 、 } 〆 、 , ノ 、 ‘ , J 1 J 、J , 、 I J 、J , 、 ‘ ノ 、 l '一一一一一一一一一一一一一一一
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米国軍予算による支出 建 設 19.1 37.5 28.6 沖 縄 人 雇 用 者 賃 金 25.6 28.3 33.5 公 益 事 業 3.3 9.4 8.2 軍 用 地 料 4.5 4.5 4.6 現 地 調 逮 そ の { 也 サ ー ビ ス 15.9 22.6 26.7 計 68.4 102.2 101.6 B)米国軍予算以外の支出 雇 用 者 賃 金 10.0 11.7 14.4 現 地 調 遼 8.2 9.8 11.2 そ の 他 サ ー ビ ス 4.6 5.3 6.4 計 22.8 26.8 32.0C)
米国軍人による個人消費支出 61.3 68.4 64.3 iロL 計 152.4 197.4 197.8 (資料:USCAR)
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)
註:輸出額、輸入額は国民所得報告書の「対外収支表jの商品の項目を採用 したので税関発表の普通貿易の額と一致じない。第15表 輸出総額に占める砂糖パインの割合 単位:1000ドル
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その他 10.51 0.51 2.011.01 0.81 0.91 2.11 2.判9.919.1111.01 9.11 8.51 8.5111.31 (資料:税関統計〉 第18表 主要国別対日輸入シェアと日本の輸出シェア (1965) 対日輸入シェア 日本輸出シェア 沖 線 76.0 2.0