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福?話文運動と福?話の研究

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Academic year: 2021

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中国語学37<SUB>止</SUB> 福〓話文運動と福〓話の研究 李誠璋 台湾に於いて、胡適・陳独秀等の提唱が本格的に取り上げられたのは大正12 年初刊行の「台湾」4巻1号に於ける黄呈聰氏の「論普及白話文明新使命」と、同じ く黄朝琴氏の「漢文改革論」であるが、この雑誌(元来、東京の留学生の「台湾講 年」の改題されたものであるが)、は同年4月15日を以て「台湾民報」に切り換り、その4 号には許秀湖氏の「中国新文学運動的過去現在和将来」が載り、その他漢培火 氏の「新台湾的建設与羅馬字」、張梗氏の「対論菖小説的改革問題」(翌9月)、張我 軍氏の「糟糖的台湾文学界」(24号)が現れた。引き続き張氏は「為台湾的文学界 一哭」「講全力拆下返座敗草〓中的破旧殿堂」(14年1月)、「純無僅有的撃鉢〓 的意義」(次号)を書いて、台湾文壇の泰斗連雅堂氏の「台湾詩薈」などを攻撃し た。これに対し、台湾日々新報の魏潤庵氏の主編する漢文面には(1月5日号)、悶胡 蘆生の投ずる「新文学之商権」が現われて張氏に反対したが、張氏はまた「掲破問 胡蘆」を書いて応酬し、以来、日々の他、台湾新聞、台湾新報などにも種々の文 字が現われたが、見るべき議論なく、唯、旧詩人の空虚と下劣を示しただけであった。 一方新文学陣営では連温卿氏の「将来学之台湾話」、張我軍氏の「詩体的解放」(3巻7号)、 胡適・魯迅(故卿)、冰心(造人)の転載、張氏の「研究新文学応援什広書」、蔡孝乾氏 の「中国新文学概観」があるに過ぎなかった。 ところが大正14年8月26日台湾民報創立五周年木年号に頼和(憤雲)先生の「 無題」が出て、ここに始めて台湾の新文学運動が規道に乗り始めた。それ以後、張我軍氏 の「新文学運動的意義」(同号)、「人々」(14年3月刊、白話文藝誌、12月の2号で廃止)、張氏の「

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乱都之恋」(12月、〓行)、獺雲「門閙熱」(15年民報新年号)楊雲渾の「光臨」 (同)、頼和氏の「一搾称仮」(2月)、雲許の「弟兄」(8月)、我軍氏の「貿彩象」 (9月)、頼和氏の「前進」「謀棋盤辺」「摩」「帰家」「惹事」が現われ、頼和 氏は民報の文藝部顧問ともなり、名実共に領袖となった。 昭和初年は社会運動の区行と共に、伍人報、明日、洪水、大衆時 報、現代生活、赤道等が競い出た。また新聞では台湾民法が白話文を用いた。 また労青や組合による思想普及の政治的訓練的夜学読者会でも白話文 の講習を兼ね行った。洪水報(5年?)に黄石輝氏が「怎不提唱郷土文 学」を出した後、6年6月には(洪水報発禁の為)同氏は中報に「再説 郷土文学」を続け、また郭秋生氏の長文「建設台湾話文的一涅案」も出た。 これに先立ち、年初には新民報の醒民氏が、頼和先生の賛同を得て民 間〓〓の整理に当った。また左派雑誌全滅の後を受け、書南の漢学 家たちは六九小説(5年5月頃創刊)を出し、「黛山樵唄」や新声律啓蒙 や「台湾講話」(連雅堂)が掲載され、中報を中心として新旧両派は 3年以上も論議を展開した。 昭和7年1月には郭秋生氏が「南音」を出したが一年位で止めになった。 昭和29年の夏頃、私は募集した二百有餘の謎を「台湾謎語纂録」の 題目で新民報に発表し、前後して「台湾歌謡及其方言漫談」を出し、 慶大叢書の「台湾情歌集」や連氏の「台湾話考釈」に言及したが反対は出な かった。「南音」廃刊前後、郭氏は台湾文藝協会の組織と申合せ、間もな く「先発部隊」政変特転号「第一線」を出した。「第一線」の特転批判から

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端もなくも起った民間文学暦津問題の討論は、積極的募集の機運を 醸成、1936年(昭11)にできた「台湾民間文学集」の完成を促した。 協会の「先発部隊」刊行後、楊遼氏の「新聞配達夫」がナウカ社「文学 評論」の募集作品第1席に当選して以来、日本文による文運が俄かに開き、全 島の文学工作者を個〓して文藝〓盟が成立し、月刊「台湾詩文藝」が発行 されることとなったが、1935年(昭9)6月、王許珉氏の「〓落」が出た他 は、和文派の全盛時代であった。「文学批論」はその後またすぐ〓〓〓氏 の「手唐」を出した。そのうち楊遼氏は別に「台湾新文学」を出したがすぐ止めと なった。1936年6月に李「台湾民間文学法」が一応の感〓を呼起 した後、昭和12年には漢文が全面的に禁止となり、ここに新文学移動は終 りを告げた。それまでの作品を選集したものに発禁となった「台湾小説〓」 があることを一言紹介しておく。またこのころ〓〓宗(〓〓)の「〓〓〓のこころ」 が改造の一等に変遷し、その前にも張文環氏の「父の顔」が〓〓か中公の第3席 に選ばれたりした。これらの一派は特に、西川〓派に当り「文藝台湾」を出し たりしたが、台湾民報には関係のない動きであった。 ○ 福建方言に対する研究は第1に〓教や通商の必要から西洋人によって 始められた。その随一のものはW.Campbellの愛門詩前台湾である。これ は福建語における白話の語詞がそれぞれどの漢字に当るかを比類なき正 確さで示した実に貢〓がある。また地方面の〓〓を〓く含んでいる点も秀逸 である。但し「〓内香」をいうものはないと〓〓〓のに、それ〓〓〓を認めた〓〓〓

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書中にしばしば混乱を起した。例えばp.738多tsoeは泉州音であるが、p.445 loa(若jiok)の解説中には多の〓州音cheが見える(p.39のche項には「多」なし)。 また「明年」よりm2ru、ma ri、mua niのいずれにも見えず、刷詞「〓」、動詞「含」 も見えない。 福建語研究のもう1つのグループは台湾統治の必要から出された日本官吏のそれで 府民政局学務課を中心に幾多の書籍が出されたが、50年間、遂にオイコウ取締会話の 域を出なかった。 学問的な研究は周新明・羅常培両氏によって為されたが、最近刊行されたものに は郭明毘氏の「華語における形体観会」(日文、東洋思想研究第4)がある。(節録) 会務に関する広告 本会成立以来48回例会(31回より東西両方で。)を重ねたが、 関西・関東を統一、組織化する必要が関西会員より提議されたので、来る11月13日(又は12・13 両日)、京都市左京区北白川小倉町・人文科学研究所(田東方文化)に於いて第1回の全国 的総会を開催する。詳細は追って京都から会員又は学校宛に御通知する筈である。な るべく多くの方が参加されるよう希望する。また学校の出張という形の必要から学校への正式 通告を希望される方は、上掲所内入矢義高氏宛申込まれたい。当日は研究発表 特別講演・拉丁化文献展観を行い、同時に本会今後のあり方を決定する予定である。 そして本会のあり方として有力なる案は、次の通りである。即ち、関西・関東を綜べて本部を京 都におくこと、例会は関西・関東で行うこと、等一回総回を関西か関東で行うこと、従来 関東で発行していたこのパンフレットは京都のパンフレットに吸収する、会費は京都の本部で 扱う(会費未定)。以上」依って本パンフレットは本号を以て終りとする。但し会費の 残額を整理する意味で、「中国語学史の展望」を御送りするから、これですべて決済ずみの ことと御了解いただきたい。今後の例会通知は、関東の分も、統一パンフレットによ ってする予定である。」京都でのパンフレットが出るについては、原稿を本部に送られ れば紙面の許す限り掲載するとのことである。〔正誤〕前号pp.3-4の例会について、4月 29日とあるのは2月26日の誤り、3月25日とあるのは4月1日の誤り、3月27日とあるのは4月29日の誤り、 6月24日とあるのは5月27日の誤り;6月24日は田裏譲氏の“Rey : Dictionnaire

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