ズムのゆくえ : 北陸地域調査からの考察
著者
広尾 克子
雑誌名
関西学院大学先端社会研究所紀要
号
15
ページ
159-174
発行年
2018-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10236/00026915
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! " リサーチコンペ研究成果 " ◆ 研究ノート ◆
カニツーリズムのゆくえ
−北陸地域調査からの考察−
広 尾 克 子
*1.はじめに
2015 年 3 月 14 日北陸新幹線が開通し、東京駅から金沢駅までの所要時間が 2 時間半に短縮され た。それまでは 4 時間余りを要していたが、新幹線開業で約 2 時間短くなったのである。その結 果、開業 1 年目は前年の約 3 倍の 925 万人、2 年目はやや落ち着いたがそれでも 2.7 倍の 829 万人 が金沢を訪れた(『日本経済新聞』2017 年 3 月 7 日)。公用や社用が 3 倍に急増したとは考えにく く、観光客が大きく増えたと判断すべきである。 2016 年に金沢市が実施した調査(金沢市編 2017)によれば、金沢市を訪れた日本人観光客中、 関東地方からの来訪者は全体の 46.5% を占め、そのうち東京圏(東京都、神奈川県、千葉県、埼 玉県)が 41.7% となっている。また金沢市内に宿泊した外国人観光客は 396,173 人(2014 年のほ ぼ 2 倍の人数)であり、そのうちの 46.4% は新幹線を使って来訪したと記されている。本稿では、 新幹線開通によって増加した観光客を便宜上〈東京圏の人びと〉と記すが、これには外国人も含ま れる。尚この調査によると、「金沢で満足したこと」は「食・味覚」が「史跡・名所等」を押えて トップ(日本人 73.2%、外国人 71.0%)であった。彼/彼女らを満足させた「食・味覚」の要素は 何だったのであろうか。 筆者の研究関心はカニの食文化である。山陰・北陸はカニの産地であり、冬になると関西圏(大 阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、和歌山県、奈良県)や中京圏(愛知県、岐阜県、三重県)から多 くの観光客がカニを食する目的で訪れる。筆者はこの事象を、フードツーリズム概念の援用によ り、カニツーリズムと称し調査してきた。しかし、この中に東京圏からの観光客を見ることは稀で あった。その最大の要因は空間的・時間的距離感と考える。金沢と東京が 2 時間半で繋がった現 在、東京圏から訪れた人びとはカニにどのように向き合ったのであろうか。本稿の目的は、急増し た東京圏の人びとの食の消費行動、特に北陸の特産品であるカニに対する消費行動を検討し、カニ ツーリズムという概念を再検討し、フードツーリズム研究のなかに定位することである。 調査は、2016 年夏から 2017 年春にかけて東京都および石川県、福井県で行なった。東京都内の 旅行会社や石川・福井両県のアンテナショップ、福井県のあわら温泉、金沢市内の近江町市場と漁 協で、カニおよびカニ旅行に関連する事項についての聞き取りを実施し、その内容を考察した。 尚、本稿で述べるカニは、ズワイガニ1)を指している。日本で食用されるカニは大小合わせると ────────────── *関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程 1)ズワイガニは、日本で食される代表的なカニの一種である。日本周辺の海域では、日本海とオホーツク ↗ 関西学院大学 先端社会研究所紀要 第 15 号数十種に及ぶとされ、大型に限ってもタラバガニ2)、ズワイガニ、ベニズワイガニ、毛ガニ、ワタ リガニなどと数種が数えられる。そのなかで山陰・北陸のカニツーリズムの対象は、「松葉ガニ」 た い ざ 「越前ガニ」「間人ガニ」などの呼称3)で知られるオスのズワイガニであり、金沢の近江町市場に並 ぶカニもズワイガニである。
2.問題の所在
日本には、地域の産物を食することを主たる目的とする旅行が存在する。関西圏では特に水産物 を求めて瀬戸内海・日本海各地の沿岸地域を訪れる現象が散見される。その対象はカニに限らず、 フグやカキ、最近はハモやクエを食する目的の旅行も登場し、多彩である。 ある地域の産物を食する目的(以降、食目的)でその地域を訪れるのは、観光現象のひとつと捉 えられる。この食目的の観光がいつ、どこで発生したかを論じるのは本稿の趣旨ではないが、カニ に限れば 1970 年代からその動きが認められる(広尾 2015 : 69-95)。それでは食目的の観光は、研 究対象として論じられてきたのであろうか。まず観光を対象に研究がなされたこと自体が新しく、 本格的には 1990 年頃からではないかと考える。 ジョン・アーリは、「本を書くにしては、こんな下らない主題はないようにみえる」と断ったう えで、「重要な社会現象」として観光を論じた。観光とは「日常から離れた異なる景色、風景、町 並みなどにたいしてまなざしもしくは視線を投げかけること」と述べている。食目的の観光への言 及はないが、「観光のまなざしとして選ばれる理由は、習慣的に取り囲まれているものとは異なっ た尺度あるいは異なった意味を伴うようなものへの強烈な楽しみの期待」と記している(Urry 1990=1995 : 2-5)。これは食目的の観光にも充分に当てはまる概念である。 観光の研究は日本でも人類学や社会学の分野を中心に蓄積が進んでいる。橋本和也(橋本 1999、 2011)、須藤廣・遠藤英樹(須藤・遠藤 2005)、遠藤(遠藤 2007)、安村克己・堀野正人・寺岡信吾 (安村他編 2011)などが観光対象の真正性や観光現象の生成について議論してきた。ただし観光と 食との関わりが顧みられることはほとんどなく、B 級グルメや郷土食が、観光まちおこしの考察の ────────────── ↘ 海および北部太平洋で漁獲されるが、現在の主たる産地は日本海西部である。深海に生息するため発見は 遅く、漁撈技術が進展した近世以降から漁獲されたとされる。生態は解明途上であるが、成体になるまで に 10 年以上かかるとされ、科学的な資源管理が必要と論じられている。需要の増大によりロシアやカナ ダなどから大量に輸入されていたが、各国の資源保護施策により漁獲量が制限され、輸入量も減少してい る。 2)タラバガニは生物学上、ヤドカリの仲間である。北海道特産の花咲ガニも同様である。しかし一般的には どちらも「食用のカニ」として広く認知されている。 3)ズワイガニは地域により多くの呼称を有している。オスのズワイガニは、山陰で「松葉ガニ」、北陸で 「越前ガニ」と称されてきた。しかし価格高騰が著しくなる 2000 年前後に産地の明確化が図られ、地域や 漁港毎に呼称が創出された。島根県の「隠岐松葉ガニ」、兵庫県の「津居山ガニ」「柴山ガニ」、京都府の 「間人ガニ」などである。福井県産は伝統名の「越前ガニ」を用いているが、石川県産は 2006 年に「加能 ガニ」と命名された。現在各漁港に於いて、上質なオスガニの脚に様々な色のプラスチック・タグが装着 され、産地の可視化・差別化がなされている(「越前ガニ」は黄色、「加能ガニ」は青色等)。一方メスの ズワイガニは小型で安価なカニであり、各産地で地元民に食されてきた。メスガニも地域で呼称が異な り、石川県では「香箱ガニ」、福井県では「セイコガニ」、京都丹後地方では「コッペガニ」などと称され ている。なかに添えられる程度である。
しかし欧米では、食目的の観光現象が独自の研究対象として注目されてきた。マイケル・C・ホ ール他は 2003 年に刊行した“Food Tourism Around the World ”でフードツーリズムを、「食糧の第 一次、第二次生産者を訪れたり、特定の食生産地域で食を味わい経験できるようなフードフェステ ィバルやレストランを訪れることが、主要な動機となる旅行」と定義している(Hall et al. 2003 : 10)。ルーシー・M・ロングも 2004 年に“Culinary Tourism”を著している(Long ed. 2004 : 21)。 彼/彼女らの議論の中心は、地方の、あるいは有名シェフの、または変わった「料理」を味わいに 行く現象についてである。「素材」や「旬」に価値をおく日本では、なじまない部分が残る。 安田亘宏は近年、食と観光を対象に『フードツーリズム論』を著した。欧米の概念設定とは別 に、日本社会の実態を踏まえてフードツーリズムを捉えなおし「地域の特徴ある食や食文化を楽し むことを主な旅行動機、主な旅行目的、目的地での主な活動とする旅行、その考え方」と再定義し た(安田 2013 : 27)。筆者はこれを援用し、「ズワイガニをめぐるフードツーリズム」を概念化し、 カニツーリズムと略記して議論してきた。その定義は安田に従い「ズワイガニを食することを主な 動機、目的とする旅行、その考え方」である。 安田の議論は「フードツーリズムを意識した観光まちづくり」に向かう。鈴木勝(鈴木 2007) や尾家建生(尾家 2010、2015)、王静(王 2015)などもフードツーリズムを論じているが、観光客 誘因や地域おこしに結びつけていく。これらでは収れんする方向が“地域振興”に定まっており、 多面的な議論がなされていない。 筆者の関心は、フードツーリズムという現象に誰が関わり、何を巻き起こすのか、対象となる地 域の「食」「食文化」の様相がどのように変化するのかなど、観光の中の食の消費行動とその影響 に視線を向けることにある。食文化のひとつであるフードツーリズムの多面性の確認であるが、本 稿ではカニツーリズムとその周辺事例に絞って検討したい。そのうえでカニツーリズムの再検討を 試みることにより、これをフードツーリズム研究のなかに定位したいと考える。
3.東京圏で誘うカニ
3.1.存在しないカニツーリズム 2015 年秋、北陸新幹線を利用してカニを食べに行く専用旅行商品が、初めて東京圏発で企画、 販売された。「カニを食することを主目的とする旅行」という筆者の定義に従えば、東京圏におけ るカニツーリズムの始動である。JR 東日本をはじめ、JTB、日本旅行など旅行会社数社が北陸へ のカニ旅行専用のパンフレットを作成し、店頭に並べたのである。関西圏であれば、例えば JTB 一社だけでも 10 冊程度のカニ旅行パンフレットが出廻るが、東京圏では各社 1 冊ずつであった。 これらのパンフレットからの受注実績について、JR 東日本の商品は後述するように 1,000 人程度 であったという。他の旅行会社はこれを公表していないが、これから推論すれば、総計 10,000 人 程度の受注実績であり、東京圏マーケットで評価されるレベルではなかったと考えられる。毎年 9 月下旬になると関西の駅や旅行会社には、真っ赤なカニ旅行のパンフレットが何十種類と 並ぶ。ところが 2016 年 9 月末に筆者が東京駅付近のある旅行会社を訪れた時、11 月から始まるカ ニ旅行のパンフレットはまだ店頭に並んでいなかった。カウンタースタッフにその有無を問うも、 いつ頃届くかなどの的確な応答は得られなかった。合計 3 社の旅行会社を訪れ 11 名のスタッフに 質問したが、そのうちの 9 名は同様の反応であった。そろそろカニ旅行を受け付ける時期であり準 備が必要、という態度は確認できなかった。カウンタースタッフ自身がカニ食を目的とする旅行に 興味を有していないが故の、反応ではないかと考えられる。JTB は 2015 年秋に、「首都圏発北陸か に美味満載」という 20 ページのパンフレットを作成していたが、その JTB のスタッフも同様の反 応であった。前年のカニ旅行商品の存在を記憶していたのは、顧客からカニ旅行の問い合わせを受 けたことを覚えているスタッフのみであった。 東京圏で、食目的の旅行商品が企画されることは稀であり、その種のパンフレットを目にするこ とはほとんどない。あっても「三崎のマグロ」や「外房のアンコウ」など近場日帰り旅行のチラシ である。たとえば北海道のカニは特産品であるが、カニ食目的に特化した北海道旅行のパンフレッ トは見当たらない。美しい観光名所がちりばめられた北海道のパンフレットは多種大量に制作さ れ、北海道グルメとしてカニもジンギスカン、ラーメン、トウモロコシなどと一緒に紹介されてい る。実際に北海道を訪れる観光客の多くは、カニを食し、購入するのであるが、旅行動機や旅行の 主目的として扱われることはない。つまり、東京圏から北海道へのカニツーリズムは生じていな い。 それでは北陸旅行の主目的にカニを据えることは可能なのであろうか。北陸もまた、北海道と同 様に、カニも数ある現地グルメのひとつとして定着してしまうのかも知れない。現在の状況では、 旅行目的として〈北陸のカニ〉が、観光客に強く意識されるかどうかは不明である。東京圏で北陸 へのカニツーリズムが誕生するかどうかも分らない。誕生させようとする力、それは旅行会社の販 売促進施策や社員への徹底、交通機関のキャンペーン、および対象となる自治体・観光協会の広報 やマスメディアへの露出などであり、その取り組みの本気度と継続性に拠るのであろう。 図 1 2015 年秋に東京圏で作成された、北陸へのカニ旅行のパンフレット
3.2.カニツーリズムを仕掛ける 上述した 2015 年の JTB のパンフレット「首都圏発北陸かに美味満載」には、関西圏発の同種類 のパンフレットには見られない特徴があった。 カニについて、丁寧に紹介されているのである。表紙をめくった見開き 2 ページは、カニそのも のの説明と、カニ料理の説明に紙面が割かれている。まずズワイガニとは何か、「越前ガニ」「加能 ガニ」とは何か、タグ付きガニとはどういう意味か、「セイコガニ」「香箱ガニ」とは、など北陸の カニの説明である。料理も「ゆでがに」「焼きがに」「かに刺し」「かにすき」「かに雑炊」「かにの 天ぷら」が写真と説明付きで紹介されている。関西圏に出まわるカニ旅行パンフレットには、通常 こうした詳細な説明は記されていない。 旅行会社の商品企画部門は、パンフレット制作費の費用対効果を厳しく追及する。東京圏におけ る販売促進を考えれば、数十万部の印刷部数は必要であり印刷経費は高額になる。したがって経費 節減のためにページ数はできる限り押えたい。いきおい内容は、販売に直接結び付く商品プランの 紹介を多くして、間接的な説明は省くことになる。しかし東京圏で配布する“北陸カニ旅行”のパ ンフレットには、詳しい説明を載せないと販売に結びつかないと担当者は判断したのであろう。 2016 年 9 月、日本旅行の国内企画旅行商品「赤い風船」部門の A 氏は、筆者の聞き取りに対して 以下のように答えた。 東京でカニといえばタラバガニか毛ガニです。しかしどちらも身近な食べ物ではないので、 東京の人はカニそのものに詳しくない。北陸のカニを目玉にして売るには、まずズワイガニが どんなカニなのか、どのように食べるのかを知らせなければならない。カウンタースタッフも 知らないから、お客さまに説明できない。ですからパンフレットにきちんと書いておく必要が あるのです。パンフレットの費用対効果が落ちるのは仕方ありません。今後への先行投資で す。それより困ったのは、東京にカニ旅行目的のパンフレットを作れるスタッフが居ないこと 図 2 2015 年 JTB 作成「首都圏発北陸かに美味満載」パンフレットの見開き 2 ページ
です。大阪のスタッフを呼び、あれこれ議論しながら作りました。今年も同様です。いつか、 大阪と同じように冬の定番商品にしたいものです。 日本旅行も初年度実績は「お恥ずかしい程度」だったらしい。ただ、冬季の北陸旅行客全体は 3 倍に伸びたという。関西圏で山陰や北陸へカニを食べに行く旅は 70 年代から企画され、現在も 1 社で万単位の受注を獲得できる定番商品である。冬季という旅行のオフシーズンに、着実に販売収 入を見込める得難いプランとなっている。 A 氏は、関西圏発と同じ企画を東京圏発で仕掛けて定着させたいと考えていた。カニの美味は 他に類が無く、東京圏の人びとにも受け入れられるはずであると語るのである。しかし東京圏に食 が主目的の旅行商品が流布していないこと、カウンタースタッフの反応の鈍さなどを考えれば、定 着までにはかなりの努力が必要であろう。 現在は、ネットで情報を調べ上げたうえで旅に出る人も数多い。北陸の温泉宿のホームページに はカニ料理の写真があふれている。東京圏で、それらを検索する人びともいると考えられる。この ようなネット上のカニの諸情報に惹かれて訪れる人も、カニツーリズムの観光客である。カニ産地 に立地する旅館や観光協会は、オフシーズンの目玉としてカニをアピールしている。ネットでカニ を発見して、食べに行こうと考え、行動したカニツーリズムの観光客は、果たして東京圏にどのく らいいたのであろうか。 3.3.カニ情報に無関心 JR 有楽町駅近辺には、広報宣伝を兼ねた各県のアンテナショップが店を構えている。その県の 情報を得るために、また特産品を購入するために多くの人が来店する。それでは北陸の石川・福井 両県のアンテナショップは、来店者にカニ情報を発信しているのであろうか、また来店者はカニ情 報を欲しているのであろうか。それらを確認する目的で、2016 年 9 月にこの 2 店舗で聞き取りを 行なった。 石川県のアンテナショップ「いしかわ百万石物語」は、加賀百万石を意識した華やかな店舗であ り、人気店のひとつである。新幹線開通後の来店者の動向をスタッフに問うと、「金沢や輪島の問 い合わせが増え、パンフレットがどんどんはけて補充が追い付かない」「(金沢の)兼六園や(能登 の)千枚田など観光地の問い合わせが多いが、寿司屋や料理屋を紹介して、との依頼も多い。地元 なら食材が新鮮な上に、価格がリーズナブルだろうと期待される」との返答であった。食への関心 は高いが、寿司と加賀料理と和菓子が中心で、カニについての質問は聞かないという。 同店は、新幹線開通前からカニシーズンに入ると、県産のオスの「加能ガニ」とメスの「香箱ガ ニ」を取り寄せて店頭イベントを行なっている。スタッフは、「その時の来店者は県出身の人が多 く、たいてい懐かしそうに「香箱ガニ」を買っていく。それは今も変わらない。東京の人は、どう もカニへの反応が鈍い」との感想を抱いていた。石川県は景観や美食以外にも、温泉、伝統工芸、 歴史文化など観光資源として誇れるものが多い。アンテナショップの使命は、県の認知度向上とイ メージアップである。店側が、カニにこだわっている情況は観察されなかった。 福井県のアンテナショップ「食の國福井館」は、石川県のそれに比べ、店舗は小さい。ここで
は、11 月 6 日のカニ解禁日以降のシーズン中は、県産のオスの「越前ガニ」とメスの「セイコガ ニ」を並べるという。来店するのは主に県出身者と関西圏出身者で、家族用に「セイコガニ」、自 宅パーティーや贈答用に「越前ガニ」を購入する。スタッフに問うと「県出身者は「セイコガニ」 を年に 1 回は食べないと気の済まない人が多い。東京の人は「越前ガニ」を眺めて、あまりの高値 に驚くが、その理由を問うことなく店を出ていく」といい、「「越前ガニ」が皇室への献上品である ことなど誰も知りませんから」と答えた。 新幹線は福井県まで延伸していないので、東京圏における福井県への注目度は低いと考えられ る。また店側にも、東京圏の人びとを福井県に呼び込もうとする積極的姿勢は確認できない。店名 が示す通り、アンテナショップは郷土の食を“売り”にレイアウトされている。福井県として「越 前ガニ」以外では、「若狭カレイ」「若狭グジ」や、サバの糠漬け「へしこ」、辛味大根を使う「越 前そば」などに知名度があり、これらが店内に並べられていた。筆者が訪れた 9 月はカニのオフシ ーズンであり、カニの代わりにカニラーメンやカニせんべいなどカニの名を冠した加工食品が目に ついた。カニは福井県の誇る産品であると、主張している様子が観察された。 この 2 店舗で確認できたことは、東京圏の人びとは北陸のカニおよびカニ情報にほとんど関心を 抱いていないということであった。 3.4.カニだけには頼らない 北陸新幹線の送客実績は、前述したように、在来線時代の 3 倍前後で推移している。増加分の多 くが東京圏からの観光客であり、カニとの関連の有無を把握できないかと考えた筆者は、JR 東日 本に聞き取りを試みた。しかし書面質問ならば受けるとの回答であり、筆者は下記内容の質問書を 送付した。 新幹線開業 1 年目の、東京から金沢への月別あるいはシーズン別輸送人員はどのくらいだった か。目標に対する達成度はどのくらいだったか。カニ旅行専用のパンフレットからの受注人数は。 今後も同様の企画を続けるのか。観光需要の鈍る冬季の北陸への施策について。東京で食目的の旅 はなじむのか。関西で JR 西日本が企画しているカニ旅行「かにカニエクスプレス」4)と同様の仕掛 けは考えているのか、などである。回答の概要は以下の通りである。 JR 東日本としては、月別、シーズン別の数字は回答できない、またシーズン毎の輸送目標は定 めていない。新幹線開業初年の 2015 年度は、北陸 3 県向けに JR 東日本が企画した旅行商品で 15 万人を集客し、観光需要の手ごたえをつかんだ。このうちカニ食目的に特化したパンフレットから の受注は、1,000 人超であった。2015 年度冬季には、カニを中心に据えて「北陸カーニバル」とい うキャンペーンを展開し、駅張りポスターや車内中吊り広告で北陸のカニを大きくアピールした。 2016 年度冬季は、JR 東日本・西日本・東海の 3 社合同で、北陸 3 県対象の“Japanese Beauty Ho-kuriku”というキャンペーンを展開する。「日本の美は北陸にあり」として、5 つの美すなわち「美 食」「美観」「美技」「美湯」「美心」をアピールするが、特に「美食」の企画を充実したい。東京の ────────────── 4)「かにカニエクスプレス」は、JR 西日本が 1998 年から企画販売し、現在も継続しているカニ旅行の商品名 である。京阪神発着、往復特急列車を利用して山陰・北陸へ日帰りでカニを食べに行くプランである。毎 年 10 万人以上を集客する冬の定番人気商品となっている。
みならず日本人はグルメ情報に敏感であると考えている。 回答内容は以上であり、「関西では「冬になるとカニを食べに行く」との文化、慣習が浸透して いるとの話は聞きます。弊社としては個別に「カニ」だけという訳には参りませんが、いわゆる北 陸の魅力的な素材として「食」には今後もスポットを当て、北陸の魅力を発信または商品化をすす め、北陸への送客を図っていく所存です」と結ばれていた(2016 年 10 月 24 日、JR 東日本東京支 社営業部からの回答書)。 JR 東日本は、新幹線開業初年度の冬季に「北陸カーニバル」というキャンペーンを行ない、カ ニの写真を東京圏の駅や列車内に掲げてカニの告知宣伝に努めたのである。しかし、カニが乗車率 向上にどれだけ貢献したのかという効果測定はなされていない。カニ旅行専用商品からの受注が 1,000 人程度だったこともあり、次年度はキャンペーン対象をより幅広く捉えなおした。つまり、 カニに特化することは控えて、北陸の食資源全体を観光の誘因に据えたのである。まさにフードツ ーリズムを意識した仕掛けである。カニもエビもノドグロも、また地野菜も果物も地酒も寿司も和 菓子も、と対象を広げる方が北陸をアピールできるとの判断である。グルメ情報は多ければ多いほ ど魅力が増す。届ければ必ず反応が現われる、と JR 東日本は読んでいるようである。
4.北陸で迎えるカニ
ズワイガニの漁獲量が多く、一般的にカニツーリズムの目的地とされるのは島根県から石川県ま での 1 府 5 県であり、そのなかに北陸の福井県と石川県が含まれる。参考までに、1985 年以降 30 年間のこの 1 府 5 県のズワイガニ漁獲量の推移を下記グラフで示しておく。なお 1972 年まで、こ 図 3 1 府 5 県のズワイガニ漁獲量の推移 1985∼2015 年(単位:トン) 農林水産省:大海区都道府県振興局別統計より筆者作成の 1 府 5 県計の漁獲量は 10,000 トンを超えていたが、その後減少を続け 1990 年前後は 2,000 トン を割り込んだ。自治体と漁業者が共同でさまざまな施策を導入した結果、5,000 トン近くまで回復 するが、最近再び減少に転じている。2015 年の 1 府 5 県計は 3,085 トン(内訳:島根県 130 トン、 鳥取県 932 トン、兵庫県 1,064 トン、京都府 63 トン、福井県 461 トン、石川県 435 トン)であり、 これは全国計の約 70% に相当する。 4.1.ねらいを定めるあわら温泉 福井県のあわら温泉は、観光地の東尋坊や永平寺に近く、県内保養客とともに県外観光客にも親 しまれてきた。「越前ガニ」水揚げ港のひとつである三国漁港に近く、これまでも地元や関西圏・ 中京圏の人びとには、カニツーリズムの目的地として認識されてきた温泉地である。金沢から在来 線特急で 30 分の距離にあり、北陸新幹線開通以降は東京圏からの来訪者が伸びている。あわら市 の観光白書(あわら市編 2016)によれば、2015 年の年間宿泊客数は 924,600 人であり、前年から の伸びは 14.4%(116,400 人増)であった。そのうち関東(東京圏の 1 都 3 県に茨城県、群馬県、 栃木県を加えた 1 都 6 県)からの宿泊客は 44,000 人増加した。前年の関東からの宿泊客は 68,000 人であり、65% も増えたのである。この増加は新幹線開通による効果と考えても間違いないであ ろう。 筆者は 2016 年 7 月、あわら市観光協会で職員の B 氏に話を聞いた。あわら温泉では、年間の観 光入込客5)の 48% が 11∼3 月のカニシーズンに来訪するという。県内の客が多い温泉であるが、 11 月 6 日のカニ解禁を迎えると、関西圏・中京圏からマイカー客が大挙して来訪するという。新 幹線効果について問うと、2015∼2016 年にかけてのカニシーズンには東京から 39,000 人が来訪し ており、前年度よりも 10,000 人増えたという。東京からの来訪者は夏の観光シーズンに多いが、 冬場に来訪するのはカニに期待してではないか、とのことである(B 氏の語る「東京」とは東京方 面を意味しており、範囲は特定されていない)。 しかし予測しない事態が発生した。それについて B 氏は以下のように語る。 あわら温泉の旅館の看板料理は「茹でガニの姿出し」です。東京から来たお客さまはこのカ ニの見事さに驚くものの、食べ方が分らず戸惑ったようで、これには旅館側が驚きました。大 阪や地元の人には、このメニューを付けないと「カニを食べた気がしない、チマチマした料理 は要らんから、カニをドーンと出せ」と叱られます。姿のままのカニですが、捌きやすいよう にハサミを入れてあります。でも東京の人には難しかったようです。東京の店で毛ガニを注文 すると食べ易いようにカットして出されるので、向うの人はそれに慣れているからでしょう。 旅館側は対策を講じた。カニを捌いて食べ易く、そしてさまざまな調理法で会席料理風に美しく 供したのである。いくつもの種類のカニ料理を並べて、やっと 3 万円以上の料金に納得してもらえ ────────────── 5)国土交通省観光庁は、観光入込客を「日常生活圏以外へ旅行し、そこでの滞在が報酬を得ることを目的と しない者」と定義している。観光統計等で使用される用語であり、対象とする者の宿泊の有無は問われて いない。
た。東京圏からの観光客には、華やかさと同時に食べ易さが必要だと旅館側は理解し、すぐに対応 したのである。 関西圏から訪れ易いカニツーリズムの目的地は数多く、今後、関西圏からあわら温泉を目指す客 が増え続ける保証はない。ここで間違いなく期待できるのは東京圏からの来訪客である。冬場にも っと客が増えれば、旅館やカニ卸業者だけでなく、雇用される中居、食材納入業者、消耗備品納入 業者、シーツ等のクリーニング業、土産物店、タクシーやバスなど幅広い観光関連業が潤う。そう 考えれば、東京圏の客の嗜好に合わせたカニ料理の提供に手をこまねいては居られない。工夫、創 作、発信をせねばならない。 金沢にやって来る東京圏の人びとをあわら温泉まで引き込もうと、地元は次シーズンに向かって 着々と準備をしている。各旅館は、見栄えするカニ料理満載のホームページ作成に躍起となってい た。観光協会では「今年は美しいカニ料理の写真を掲げて、東京でキャンペーンをはる」予定であ るという。「何しろカニはインスタ映えしますから、若い人も取り込めるかも」と、チャンスを掴 もうとしている。「2022 年にはここに新幹線の駅ができる、カニで他所との競争に勝つつもり」と 先を見据えていた。 4.2.揺れ動く金沢の市場 金沢は大観光地である。石川県もカニの漁獲量(図 3 参照)は多く、冬の金沢市内にはカニがあ ふれる。金沢市の調査(金沢市編 2017)は、「食・味覚」が観光客の期待の一部を構成することを 示すが、これはカニを指すわけではない。その意味で金沢は、カニツーリズムの目的地ではない。 むしろ観光客がカニを見つける所である。観光客の大半はホテルに泊まり、市内の名所を観光し、 町歩きや買い物やグルメを楽しむ。その対象のひとつが、市内中央にある近江町市場である。同調 査によれば、日本人観光客の 61.9%、外国人観光客の 73.8% がこの市場を訪れている。 近江町市場は、18 世紀から魚や野菜の販売を中心に栄えてきた。現在は市民の台所であると同 時に、見逃せない観光名所となり賑わいを見せている。特に日本海の水産物を扱う店舗が多く、カ ニはもちろんホッコクアカエビ(通称アマエビ)、ブリ、ノドグロなど高級魚からアジ、ハタハタ 図 4 賑わう近江町市場(2016 年 11 月筆者撮影)
などの大衆魚まで多種多様な鮮魚が並んでいる。イカの沖漬や魚醤のイシリ、ブリを使用したかぶ らずしなど地元名産の水産加工品も数多い。 北陸新幹線開通後、近江町市場への来訪者は平日で対前年 30% 増、土日曜日は 50∼60% 増とな り、それは冬季もふくむ通年の現象であるという(2016 年 7 月、近江町市場商店街振興組合での 聞き取り)。カニの売れ行きや評価はいかがであろうか。カニは北陸産しか取り扱わず、冬にだけ 並べるという高級鮮魚店の C 氏は語る。 東京の人が目に見えて増えた。冬の地ガニは以前の 4 倍ぐらい売れた。並ぶズワイ(ガニ) を見て「タラバ(ガニ)はないの?」と言いながら、高いズワイをさっさと買っていった。2 万でも 3 万でも平気で買ってくれるのでありがたい客。けれど産地や身質や味の質問をしない んで張り合いがない。大阪の人みたいに値切らんし、ああだこうだとうるさくないけど、カニ の事分ってるんかねえ。 国産ガニから外国産ガニまで幅広く取り扱う別の水産物店には、北海道産やロシア産の冷蔵・冷 凍ガニが大量に並べられていた。この店の D 氏は「ここでは夏でもカニが要る。東京の人はカニ を見て、高いと安心して買っていく」という。しかしカニが大量に売れるのは、圧倒的に冬季であ るという。地元の石川県産のオスガニは、脚に青い目印タグを装着され「加能ガニ」と名付けられ 地域ブランド化されているが、この売れ行きが特に良かったという。地元の人が高価な「加能ガ ニ」を買うことはないし、関西圏からの観光客も「松葉ガニ」や「越前ガニ」になじんでいるせい か、よほど“お買い得”でない限り「加能ガニ」を購入しない。しかし東京圏からの観光客は、土 産として“石川県産”を証明するマークの付いたカニを欲したと考えられる。知名度で「松葉ガ ニ」や「越前ガニ」に劣る「加能ガニ」は、これまで観光客の購買意欲をかきたてて来なかった。 ここにきて地元で観光客の注目を浴びることになったのである。今後はカニの地産地消を目指せる と、関係者には歓迎されていた。 一方こんな声も聞く。「賑わってるのも増えてるのも、魚屋と海鮮丼屋だけ」「数年前まで平日は 閑古鳥で、閉める店も多かった。その後にできたのは観光客目当ての飲食店ばかり。魚屋は店先で 調理して刺身や焼きガニを食べさせる。市場は食べ歩きと海鮮丼屋だらけになって魅力がなくなっ た」。 筆者が確認できる限りでも、近江町市場は様変わりしている。衣料品や日用雑貨の店舗が消え、 鮮魚店が店舗面積を拡張し、海鮮系の飲食店が増えている。市場を取材した新聞は「増える観光客 に合わせて店側も品ぞろえなどに工夫を凝らす。一方、以前からの地元客が姿を消し、店をたたむ 日用食料品店なども出る」(『読売新聞』2015 年 11 月 14 日)と報じている。観光客が増加し地元 客が減少していることは、店舗側も認識している。水産物店の C 氏 D 氏はともに「地元の常連客 に見放されるのが一番怖い。観光はみずもの、いつ流れが変わるか分らない」と危惧を抱いてい た。 地元客が来なくなった理由のひとつに、メスガニである「香箱ガニ」の高騰が挙げられていた。 一般的にカニ産地で、高額なオスガニが大量に自家消費されることはない。しかし小型だが安価で
ミソと卵がおいしいメスガニは、各産地で「セイコガニ」「コッペガニ」などさまざまに称され親 しまれている。金沢では「香箱ガニ」と称され、市場に並ぶ季節を待たれてきた。それが急に高騰 したのである。C 氏によれば、2014 年までは 1 枚 300 円∼800 円程度だったものが、この 1∼2 年 で 1 枚 1,000∼3,000 円に急騰したという。飲食店や観光客需要が高くなり、仕入れ値は上がる一方 だそうである。新幹線開通前から漁獲量減少(図 3 参照)により、じりじりと上がってはいたが、 開通後の需要増により急騰した。D 氏は「金沢の人は週末に家族そろって「香箱ガニ」を何枚も 食べる。それが冬の楽しみ。でもその習慣は消えるかも。市場に来なくなったから」と語った。 「カニシーズンが終わっても地元の客足は戻らない」という。 2016 年 11 月に筆者は、1 枚 1,000 円以上の価格で並ぶ「香箱ガニ」を目にした。大阪の市場で も「セイコガニ」は高くなっているが、それでも 1,000 円しないことが多い。それゆえ関西圏の観 光客が金沢で高いメスガニを買うことはないであろう。東京圏の観光客が買っていると考えられ る。東京都内から来たという女性連れは「こんなカニ知らなかった、おいしかったから買って帰 る」と話していた。オスガニは東京圏の飲食店でも供されるが、メスガニはほとんど流通していな い。高いとは考えず、珍しく、よい土産になると考えているようであった。 近江町市場のカニは、オスの「加能ガニ」とともにメスの「香箱ガニ」も東京圏の人びとに購入 され、売上を急伸させていた。金沢を訪れる観光客は、カニツーリズムの客ではない。カニを食べ ることを主目的として金沢にやってきた人ではない。しかし、東京圏から新たにやって来たかなり の人がカニを食べ、カニを買って帰ったのである。 4.3.変化し始めたカニの流通 東京圏からの来訪者増により、カニの漁業者や流通に変化は生じたのであろうか。石川県の漁業 図 5 市場に並ぶカニ:手前が「香箱ガニ」、奥が「加能ガニ」(2016 年 11 月 筆者撮影)
者を束ねる JF いしかわ(石川県漁業協同組合)で話を聞いた。県内には大小合わせて 28 ヶ所の 漁港があり、そのうち金沢、珠洲、能登、七尾、加賀など 9 漁港には水揚げした水産物を競りにか ける産地市場が開設されている。近年は流通合理化のため金沢の産地市場である「かなざわ総合市 場」(以降「総合市場」)への集中化、拠点化が図られてきた。 一般に鮮魚の流通は、水揚げ港の産地市場(通称魚市場)で競りにかけられ、次に消費地市場 (代表例は東京の築地市場)に送られて、そこで再度競りにかけられ、それを小売店や飲食店が仕 入れて消費者に届ける構造になっている。これが市場流通である。買受人(産地の仲買人)、荷受 人、仲卸人(消費地の仲買人)など多くの関係者が関わっている。現在はさまざまな形態の市場外 流通も多い。 JF いしかわは、金沢の産地市場である「総合市場」に漁獲物を卸すよう漁業者を指導してきた。 そこで競られた後、かなりの部分が金沢の消費地市場である「金沢市中央卸売市場」(以降「中央 市場」)に送られてきた。これら 2 つの市場は、直線距離で 5 km 弱である。狭い金沢市内に産地 市場と消費地市場があることから、構造的な無駄や問題点も指摘されてきた。「総合市場」には県 内産の水産物しか集まらないが、「中央市場」には全国からの、あるいは外国産の水産物も集まる という差異がある。一般的に、仲買人にとっては後者の方が仕入れの利便性が高い。しかし、経営 母体もその目的も利害関係者も異なっており、2 つの市場は併存してきた。 金沢で消費されるカニは、これら 2 つの市場を経由して流通してきた。しかし、変化が出てきて いる。漁業者は漁協経営の「総合市場」に出荷するのが本来のルールであるのだが、カニのなかに は「中央市場」に直接持ち込まれるケースが目につくようになった。地元産の「加能ガニ」「香箱 ガニ」が取り合いになり高騰してからの現象であろうと、JF いしかわでは考えている。新幹線開 通後、金沢ではカニに限らず生鮮水産物全般に関心が高まっている。早朝の「中央市場」では各地 各種の水産物の仕入れが一度にできるとあって、仲買人はこちらを優先して集まってくる。人気の 品はいきおい競り上がって高値になるのである。漁業者としては、こちらに出荷する方が高く売れ ることが多い。金沢に来訪した観光客は、旅館でも料亭でも一般の飲食店でも地元の鮮魚を欲し、 かつ土産に購入する。冬季ならばカニは地元特産品として欠かすことはできず、人気上昇中のノド グロとともに、関係者は仕入れの確保に奔走するのである。 「中央市場」へ直接出荷されると、漁協としては「総合市場」の取扱手数料を取りこぼすことに なる。JF いしかわの E 氏は「漁協の使命の第一は漁業者の収入アップ。高く売れる方に持ち込む のは仕方ない」と不本意ながら理解を示していた。「加能ガニ」は「越前ガニ」や「松葉ガニ」に 比べ知名度が低く、これまでは仲買人の引きも弱かった。地元の鮮魚店でよく売れるカニでもなか った。しかし潮目が変わったのである。今後は漁業者をバックアップするために、「加能ガニ」を 中心に石川県の魚の広報活動、特に東京圏での広報に力を入れるとのことである。新しい試みとし て、一部の魚種に対し「総合市場」と「中央市場」の共同競りを開始し、2015 年 11 月には漁協直 営の海鮮レストランを金沢市内に開設した。漁協は変化を許容し、役割を考え直し、新しい流通形 態の確立を模索している。
5.まとめ
新幹線開通により、東京圏から金沢を訪れる観光客は大幅に増加した。カニのシーズンである冬 季も、在来線時代の 2∼3 倍の人びとが来訪していた。しかし、東京圏の人びとにカニツーリズム が生じているわけではない。もともと東京圏において、何かを食することを主たる動機あるいは主 目的とする旅行形態は希薄である。 3 章で詳述したように、関西圏におけるカニツーリズム人気を熟知している旅行会社や北陸の温 泉地は、東京圏という大マーケットにカニツーリズムを発生させようと、いくつもの仕掛けを試み ていた。しかし現時点では、それらの仕掛けに結果が出せるかどうかは不明である。石川・福井両 県のアンテナショップにおける聞き取りでは、東京圏の人びとがカニに特別な関心を抱いていない ことも確認できた。また北陸新幹線を運行する JR 東日本にとっての最大課題は乗車率の向上であ り、その課題解決にカニの存在が大きく寄与するとは捉えていない。今後はカニも含めて総花的な キャンペーンを展開していくであろう。東京圏の人びとにとって北陸におけるカニの存在は、認知 はしていても、来訪の主たる誘因にはなり得ていないことが明らかになった。 4 章で記したのは、それでも冬季の北陸に来訪した東京圏の人びとは、カニを見出し、カニを食 し、カニを土産に購入したという事象とその影響についてである。金沢の市場では、カニ価格の高 騰により、地元で親しまれてきた「香箱ガニ」が庶民の食べ物ではなくなったことが確認された。 地元の食文化を変えてしまったということができる。観光客に占拠された市場は多様性を失い、地 元客の足を遠のかせていた。市民の台所という市場の文化は消滅寸前である。市場内の店舗は売上 げが伸びてはいるものの、地元客に見放される不安を抱いていた。 金沢ではカニの流通にも変化がみられた。漁業者は産地市場ではなく、より高く売れる消費地市 場にカニを出荷し始めている。金沢を訪れる観光客は、地元産の鮮魚に関心を示し、カニに限らず 高級魚は取り合いになり高騰している。したがって漁業者の収入は向上した。漁協は、地元の水産 物を東京圏でアピールするチャンスと捉えて動きだしている。これらは観光客増によるところの効 果であると考えられる。 カニを中心に、東京圏からの観光客の食の消費行動を検討してきた。関西圏の人びとに比して東 京圏の人びとがカニに対して無関心なことを、筆者は再認識させられた。しかし北陸を訪れた彼/ 彼女らの旺盛な食の消費行動は、カニに留まらず高級魚全般を高騰させ、市場の構造や水産物の流 通にまで影響を与えていた。これまでの関西圏におけるカニツーリズム動向の調査では、確認でき なかった事象である。関係者や地元への功罪も含め、観光客の食の消費行動が多様な社会現象をも たらすことを、新たに確認できたのである。今後は、これらのすべてに関心対象を据える、それが カニのみならずフードをめぐるツーリズムの研究姿勢であろうと考えている。 今回の北陸で、カニツーリズムすなわち「ズワイガニを食することを主な動機、目的とする旅 行、その考え方」を見出したのは、仕掛ける側の旅行会社と迎える側のあわら温泉のみであった。 訪れる側、つまり大多数の観光客の旅行動機や主目的はカニを食することではなかった。しかし、 カニ目的ではない観光客も、カニに対してはカニツーリズム客と同様の積極的な消費行動をとった のである。関西圏で顕著な“カニを食べに行く旅”ではなく、“旅で出会い消費されるカニ”であった。観光客に対してカニという産物が有する、強力な「食」の力を、再認識させるものであっ た。観光客の食の消費行動は多様であり、地域食文化・地域社会構造も変化させ得る。筆者は今回 の検討を通して、カニツーリズムをこれまでの概念にこだわらず、多角的に考察する必要性を認識 した。今後はカニツーリズムを、より広義に「来訪者の動機や目的に関わらず、カニが産地で消費 される旅行」と捉え直して、フードツーリズム研究のなかに定位したいと考えている。 カニツーリズムをこのように捉えれば、観光客のカニをめぐる消費行動とその周縁すべてに視座 を据えることが可能になる。旅の目的が何であれ、食の消費行動は必ず付いてまわる。カニに絞っ て観察していると、観光客は特別に意識せずごくあたりまえの行動として、その時期の旬の物・地 の物としてカニを見つけ、それを消費する様子が確認できる。カニは季節感・贅沢感・希少感を演 出する産物である。これらは観光客が旅に求める期待と合致しているであろう。カニに限らず旅に おける食の消費行動は、旅の期待に応え、充足感を満たす重要な要素である。アーリも「観光のま なざしは、とりわけ感覚に特定の昂揚をもたらす」(Urry 1995=2003 : 215)と述べているが、感覚 の中でも味覚の昂揚は充足感に直結しやすいのではなかろうか。同時に、観光客の食の消費行動 は、その周縁に影響を与え、想定外の変化を促す要因にさえなるのである。 金沢市の調査(金沢市編 2017)によると、観光客が「期待していたこと」は「史跡・名所等」 「町並み」「食・味覚」がほぼ等分であったが、「満足したこと」のトップは断然に「食・味覚」で あった。「「食」は強力で最大の観光資源」(多方 2013 : 129)である。観光における食消費・食行 動はあまり研究対象とされてこなかったが、もっと重要視されるべきではないか。これまで議論さ れてきたフードツーリズムは、フードを目的とするツーリズムであった。しかしそれらは食による 町おこし、地域振興の視座を超えていなかった。筆者は、観光客を充足させる食の消費行動に着眼 することで、それ自体が有する意味を探求すると同時に、発生する社会現象にも視座を据えていき たい。カニを事例にして、フードが消費されるツーリズムを論じることで、フードツーリズム研究 に貢献したいと考えている。 付記 本稿の調査は、2016 年度関西学院大学先端社会研究所リサーチコンペの助成を受けて実施したものであり、 ここに記して感謝の意を表します。 資料・文献
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