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シンポジウム これまでと、これからの知多半島

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Academic year: 2021

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1.「環境」「経済」「社会」をキーワード に、知多半島を考える 【千頭】 第 1 部では、涌井先生から基調講 演をいただきました。これからの第 2 部で は、シンポジストの皆様からお話をいただ きますが、その前に私から少しお話しさせ てください。  先ほど涌井先生は、持続可能な開発とい うことで SDGs について言及されました。 持続可能な開発のための 17 の目標がある と聞いています。それで、国連では持続可 能な地域を考えるとき、3 つのキーワード をよく使います。一つは「環境」です。涌 井先生のお話は環境にまつわることでし た。そして、あと 2 つは、「経済」と「社会」 です。「環境、経済、社会。この 3 つの要 素が大事だ」とよく言われます。それで、 かつては日本でも、「環境をとるか、経済 をとるか」という議論がありました。「環境 を優先すると経済は駄目になりますよ、経 済を優先すると環境は駄目になりますよ、 二者択一しかないですよ」という議論がか つてはありました。しかし、現在ではあた りまえのように、「環境を大切にしなけれ ば経済が成り立たないし、環境を維持して いくときには経済も必要」ということで、 「二者択一ではなくて両方が必要だ」とい うことになってきたと思います。併せて、 実は世界的にも「社会」というキーワード が非常に大事だといわれています。  本日は、その入り口のところで、「環境」 と「経済」と「社会」という 3 つのキーワー ドから考えようというわけですが、涌井先 生は「環境」という側面を軸にお話しくだ さいました。もちろん涌井先生のお話は、 経済的なことや社会的なことにも伸びて いったと思います。そこで、「環境」につい ては涌井先生にお任せしたということで、 ここからのシンポジウムでは、主に「経済」 と「社会」について、4 人のシンポジストの 方にお話しいただこうと思います。ただ、 経済のことを言いながら、それは社会との つながりであったり環境とのつながりで あったりするようなお話もきっと出てくる かと思います。ということで、是非その 3 つのキーワードを頭の中に置きながら、皆 さんと一緒に考えることができたらいいな と思っています。シンポジストの皆様もよ ろしくお願いいたします。  では、環境の話はひとまず終えたことに 特集「設立 30 周年記念シンポジウム」 第 2 部 シンポジウム

これまでと、これからの知多半島

シンポジスト              特定非営利活動法人地域福祉サポートちた 理事 岡本 一美 東海市副市長 佐治 錦三 日本野菜ソムリエ協会 講師 高木 幹夫 愛知製鋼株式会社 上級執行役員 村上 一郎 コーディネータ             日本福祉大学 知多半島総合研究所 所長 千頭  聡

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いたしまして、次は経済の話にいこうかと 思います。そこで、最初に高木様、よろし くお願いいたします。まさに涌井先生も おっしゃいましたが、あるいは皆様もよく ご存じのとおり、知多半島にはいろいろ な産業が成り立っています。三次産業は ちょっと弱いけれど、一次産業の農業と水 産業、そして二次産業の製造業を中心とし た産業がしっかりと成り立っています。実 は日本のなかには非常に多くの半島があり ますが、さまざまな産業が成り立っている ような半島はほぼ知多半島だけです。いみ じくも涌井先生のお話に出てきました三浦 半島も少しそのような傾向がありますが、 実は知多半島は日本のなかで一番元気な半 島だと言われています。皆さんは、そうい う半島に住んでおられるのです。  本日のシンポジウムのタイトルは、「こ れまでと、これからの知多半島」といたし ました。そうすると、「これまではこうなっ ていましたよ」という話がいろいろ出てく ると思われるかもしれませんが、「これま での知多半島」というのは皆さんが何十年 間もお住まいになってきた、まさにそれそ のものです。本日は、今までや現在の知多 半島の姿をデータでもって少し示しており ますが、そういったものは順番に振り返ら なくても、それは皆さんのなかにあるもの とお考えください。それが、これまでの 知多半島です。そこで、「これからどうし ようか」というところにやや力点を置いて ディスカッションできればと思っておりま すので、よろしくお願いいたします。  では、まずは 4 人の方に、自己紹介も含 めて、それぞれ何を考えていらっしゃるの か、どんな活動をしておられるのか、とい うところから入っていきたいと思います。 高木様、よろしくお願いいたします。 2.これまでと、これからの知多半島の 農業 【高木】 皆さん、こんにちは。高木と申し ます。私の肩書きは「日本野菜ソムリエ協 会 講師」ですが、いろいろな仕事に取り組 んでおります。最近はほとんど畑におりま して、農業にも少し携っているので、農業 関係者ということで今回はお招きいただき ました。「これまでと、これからの知多半 島の農業」ということでお話しいたします。  知多半島の農業というと、愛知用水の話 から始めなければなりません。愛知用水を 語らずして知多半島の農業を語るではな い、とさんざん言われてきました。私も知 多半島に来てからは、愛知用水の恩恵を 被っております。まさに愛知用水は、「そ れは、江戸時代の昔から水不足や干ばつに 苦しめられてきた知多半島の農民たちが、 羨望のまなざしでみつめてきた夢の用水 だった」というわけです。これは、私が知 多半島に来て初めて仕事に就いた農業協同 組合(JA)の組合長である伴武量さんが出 された本の一節です。 (1)知多半島の農業の歴史  少し昔のことを振り返ると、1944 年(昭 和 19 年)、1947 年(昭和 22 年)に知多半島 では大干ばつが起きます。そのなか、農民、 特に稲作農家では「収穫ゼロ」という事態 に陥ったと聞いております。そして、それ を契機に、愛知用水のことが少し動き始め たということです。1951 年(昭和 26 年)6 月 20 日に出された「愛知用水の PR チラシ」 を見ると、「愛知用水をつくろう、つくる ことに力を合わせよう」と書いてあります。

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そして、知多郡八幡村(現・知多市)の久 野庄太郎さん、あるいは大府市の浜島辰雄 さんといった方々が尽力されて、岐阜県の 八百津町を取水口として 112km の用水路 を引いたということです。お年寄りから聞 いた話によると、この両名はその取り入れ 口から知多半島の端までの 112km を、測 量士の方々と一緒に歩かれたということで す。その話を聞くだけで、その思いがわか ります。今までの農業、そしてこれからの 知多半島の農業はすべて愛知用水のおかげ だと、そう私は思っています。  そのなか、知多半島にはいまだにため池 が残っています。2017 年(平成 29 年)4 月 現在のデータによれば、愛知県に存在する ため池の 42%が知多半島に残っています。 いかに当時の農家の人たちが苦労して水を 確保されたかがわかります。そして今なお 残っているため池を、まさに知多半島の農 業の歴史を語る生きた証人といっては語弊 がありますが、生きた施設として私は眺め てきました。これが、知多半島の農業にま つわる歴史の一端です。  もともと私は名古屋生まれ、名古屋育ち です。今申し上げたことは、人から聞いた ことばかりです。私は、1973 年(昭和 48 年) に名古屋からこの地にまいりました。私に とってはつい最近のことのように思えます が、なかには「よう、まあおるな、知多半 島に」と言ってくださる方もいます。私の 親は公務員だったので、私は農業とはまる で関係なかったのですが、なぜかご縁が あったわけです。当時、私の通っていた大 学に前述の浜島さんがやってこられて、愛 知用水のことを熱く語られました。それが 契機になったわけではありませんが、私は 知多半島で就職することになった次第で す。  当時はまさに 1961 年(昭和 36 年)に制 定された農業基本法のもと、少品目大量生 産ということを始めていました。一方で は、南のほうからミカンの栽培が進み、オ レンジ運河と呼ばれる波が知多半島に押し 寄せてきて、どんどんミカンができるよう になりました。そんな時代に私はこちらに 来たわけですが、残念ながら、昭和 50 年 代になるとミカンがたいへんな豊作となり 暴落します。一方で、ミカンを 1 本切ると お金がもらえるという施策やら、水田再編 で転作が推奨されて、米作りをやめるとお 金がもらえるとか、農家にとっては非常に 厳しい時代になってきました。実際に耕 地面積も 80 数%に減少しましたが、一番 大きな違いは農家の数です。1960 年(昭和 35 年)と 2015 年(平成 27 年)で比較する と、34.1%にまで農家数が減ってしまいま した。これで知多半島の農業はやっていけ るのかということで、確かに厳しいご時世 になりました。農業関係の会合などがある と必ず最初に挨拶される方が「農業を取り 巻く環境は非常に厳しくて」とおっしゃい ますが、これはいまだに枕詞として続いて います。私はこれを聞くたびに非常に寂し い思いをしておりました。 (2)知多半島は何でもできる  では、将来はどうなるのか。いろいろ問 題はあるわけです。「管内の主要農作物の 栽培面積および飼養頭羽数」というデータ を見ると、知多半島の農業の現状が見え てきます。もちろん水稲もあり、タマネ ギ、キャベツといろいろ作っています。特 にキャベツの主要な産地は大府市と南知多 町、レタスは知多市と南知多町ですが、私

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がこちらに来たときにはちょうど農村基盤 総合整備のパイロット事業ということで、 南知多地区でキャベツ栽培が進められてい ました。それで、南知多の岩場がどんどん 開墾されて、こうした一大農作物ができる 場所に変わっていったわけです。すばらし い変化でした。私も当時は営農指導員を やっていたので、南知多に呼ばれて行きま したが、びっくりしました。当時は石がが らがら転がっており、「ここでキャベツを 作るんかよ?」と思いましたが、今は立派 に変わっています。  将来はあるのか。というと、私は十分こ れからの知多半島の農業においては、すば らしいイノベーションが起きると思ってい ます。ときどき私は、もう一つの仕事とし て、専門学校、大学、ときどき企業にも呼 ばれて、マーケティングの講義をしていま す。そこでは必ず、マーケティングの一つ の手法として、「あなたの会社の強みは何 か」、あるいは「あなた自身の強みは何か」 という質問をします。では、「知多半島の 強みは何ですか」ということです。私は昭 和 48 年にこちらに来て、生産から販売ま で取り組んできましたが、そこで一番苦労 したのは、知多半島は何でもできてしまう ことです。要するに、早いものを作れば九 州の産地に負けてしまう。では遅らせて作 ろうかと思うと、隣の岐阜県産、長野県産、 そして北海道産に負けてしまう。どうした ら儲かるのだろうと思ったときには、申し 訳ないけれど、他力本願になるわけです。 例えば、九州に台風が上陸すると、「よし、 被害が出るな、いけるかな」と思うわけで す。あるいは台風が愛知県に近づいてきて も、知多半島に上陸するかと思ったら、ぐっ と曲がってくれて渥美半島に上陸すると、 「よし、今年はキャベツが儲かるぞ」とこ ちらに都合のいいことを考えてしまうわけ です。こんなふうに他力本願の農業でやっ てきました。  それで、ふと思ったわけです。私はマー ケティングの授業では、これからの知多半 島の農業のことを必ず話しますが、「知多 半島は何でもできる」ということは、これ は知多半島の最大の取り柄だと思っていま す。それで、知多半島はこの東海市が中心 ですが、愛知の伝統野菜をいろいろ作って いるのです。このことは、皆さんはあまり お聞きになったことがないかもしれませ ん。江戸東京野菜、あるいは京野菜は有名 ですが、実は愛知県にも 35 品種の昔から のすばらしい伝統野菜があるのです。例え ば、愛知白早生(あいちしろわせ)たまねぎ、 養父早生(やぶわせ)たまねぎ、フキ、知 多産のニンジン、縮緬(ちりめん)カボチャ、 等々いろいろあります。2013 年(平成 25 年) 12 月、和食がユネスコの無形文化遺産に 登録されたことにより、昔からの野菜が今 は非常に見直されています。なかなか皆さ んは気付いておられませんが、東京など大 都市では伝統野菜が見直されています。そ の伝統野菜が、知多半島ではたくさん栽培 されているのです。まさに何でもできる知 多半島です。そして、稲もキャベツもあり ます。畜産業も非常に盛んです。花もあり ます。すべてがそろっています。果実も、 バナナ、レモン、マンゴー、青パパイヤ、 パイナップル、すべて知多半島でできます。 直売所で売っています。まさになんでもで きる知多半島ということで、これからの知 多半島農業は決してノーではありません。 やり方次第では素晴らしい農業県になるの ではないかという気がしています。

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 私はこうした思いでこれまでの知多半島 を考えてきました。また、これからの知多 半島の農業というものも私なりに進めてい きたいと考えておりますので、よろしくお 願いいたします。 【千頭】 高木様、ありがとうございました。 「知多半島は何でもできる」とおっしゃい ました。何でもできることが強みだけど、 「何でもできると思っていたら何もできな かったではいけない」ということが同時に 裏にあるのかもしれません。そのあたりも 後ほど議論できればと思います。そういう 意味では、非常に前向きにお話をいただき ました。ありがとうございました。  続きまして、今度は知多半島の臨海部に 立地している重厚長大型の産業であり、ま さに日本の基盤を支えている産業、製造業 でお仕事をされている村上様からお話をう かがいたいと思います。「企業がどうある べきか」ということも含めて、ご自由にお 話しいただければと思います。よろしくお 願いします。 3.愛知製鋼のこれまでと、これから  −地域とのかかわり− 【村上】 皆さん、こんにちは。愛知製鋼の 村上と申します。よろしくお願いします。  最初に、簡単に自己紹介をさせていただ きます。私は生まれが福井県でありまして、 学生時代は名古屋に暮らしました。知多半 島に関わるようになったのは、現在も勤め ております愛知製鋼という会社に就職した 1980 年(昭和 55 年)からです。以来 37 年間、 こちらで仕事をしております。そういう意 味では、私の人生においては知多半島で過 ごす時間が圧倒的に長くなりました。会社 では総務部、人事部を中心に務めてきまし た。特に企業の CSR などが叫ばれ始めて からは、ずっとそういったことに関わりな がら仕事をしてまいりました。  本日は、「愛知製鋼のこれまでと、これ から」と勝手に標題を付けましたが、愛知 製鋼のこれまでとこれからの話と、今回参 加させていただいた機会に私なりに考えて みた「知多半島の方向性」といったことを 少しお話ししたいと思っています。 (1)これまでの愛知製鋼  まず、これまでの愛知製鋼ということで す。当社は、もともと愛知県刈谷市で設立 いたしました。トヨタ自動車の創業者であ る豊田喜一郎が、「車を造るためにはいい ハガネが必要だ」ということでつくった会 社 で す。1940 年( 昭 和 15 年 )創 業 で、77 周年になります。  トヨタの試作車の第 1 号は、実は当社の 刈谷工場で造られました。そういう意味で は、今や非常に大きな企業になっておりま すトヨタ自動車、トヨタグループの発祥の 地は私どもの会社ということになります。 現在は、トヨタグループのなかの 1 社です が、そのなかでも当社は比較的古いわけで す。豊田自動織機から分かれて、自動車を 造り始めたのがトヨタ自動車で、当社は鉄 を造る会社として現在に至っています。現 在知多半島で取り組んでいるのと同じよう に、創業当時も鉄を溶かしたり延ばしたり する事業から始まりました。その後、トヨ タで車の生産が拡大すると、そういった状 況を受けて、当社は知多半島にも進出した ということです。  当社は、1940 年(昭和 15 年)に「豊田製鋼」 として刈谷で設立しました。そして、1943

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年(昭和 18 年)には知多工場が操業開始し ます。その後、戦争になり、知多工場は軍 需工場という位置付けになったりしました が、そういうことも経て、終戦後の 1945 年(昭和 20 年)に「愛知製鋼」という現在の 社名に変わり、現在に至っております。  現在の愛知製鋼には社員が約 2500 人お り、そのうち約 2000 人が知多地域で働い ています。知多半島に職場があると同時に、 多くの者が知多半島のなかで家を構えるな りして住み、この地域でお世話になってい ます。操業当時は、もともと知多に住んで いた方が当社でたくさん働いておられまし た。農業をやりながら当社で守衛をしたり 工場の現場で働いたりしておられたわけで す。  現在は、愛知県だけでなく、世界各国に 工場を構えています。国内では、愛知県の 東海市以外に、刈谷、岐阜、東浦、関に工 場を構えています。それで、知多の私ども の会社の南には新日鉄さん、大同特殊鋼さ んがあるわけで、臨海部は私どものような 鉄を造る重厚長大な素材産業が立地してい ます。やはり鉄鋼メーカーというのは非常 に広い土地が必要なので、東海市の面積の 5 分の 1 をこの 3 社で占めているというわ けです。  現在、私どもの事業として取り組んでい るのは、鍛造品といいますが、自動車の部 品作りです。また、従来から作っている鉄 鋼ですが、これは特殊鋼といって、主に自 動車に使われるものです。それから新たに、 センサ、磁石、電子部品といったものも手 がけています。 <事業活動による社会・地域への貢献>  当社の特徴としては、創業当時から、自 動車廃車後のスクラップを原料として、そ れをもう一度溶かして、工程を経て、製品 にしてまた自動車に使う、という事業を 行っています。そういう意味では、地球環 境に貢献すると考えており、環境循環型企 業といっています。もし私どもが鉄のスク ラップを使わなかったら、世の中にはスク ラップが廃棄物としてあふれ、非常に困る ことになると思います。だから、このよう な事業により社会課題を解決しながら現在 まで事業を続けてきたのだと思っていま す。 <地域との関わり>  こういった事業そのものによる地域への 貢献と同時に、私どもは社会との共生とい うことにも取り組んでいます。  地域との関わりのなかで、一つは「清掃 活動」ですが、グループ会社あげて取り組 んでおります。  また、「緑を守る」ことに取り組んでいま す。森づくりということで現在取り組んで いるのが、産業道路の東側にグリーンベル トを造ることです。涌井先生のお話にもあ りましたが、生物多様性を維持するための 森をつくろうということで、知多半島生態 系ネットワークという事業において、地域 の方や学生の方と一緒に森づくりに取り組 んでいるところです。  また、「水を守る」ことにも取り組んでい ます。高木さんのお話にありましたように、 愛知用水は大切な農業用水ですが、私ども にとっては非常に大事な工業用水でもあり ます。そこで私どもがずっと取り組んでき たのは、愛知用水の水源地を守るというこ とで、長野県の大滝村、木曽村等で森林の 間伐活動を続けております。  もう一つ、地域への取り組みとしては、 「人材育成」があります。小学生を対象に「鉄

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の教室」と称し、鉄鋼産業と地域の関わり、 ものづくりの魅力を伝えているところで す。  こういったことを地域の方々とともに取 り組んでまいりました。実は先ほど涌井先 生の話のなかに、里山発想ということで「自 然に寄り添いながら生産をあげる」という お話がありました。当社のような重厚長大 産業はどうしても設備投資をしながら 30 年とか 50 年とか同じ地域でビジネスをす る形態になるため、必然的に地域と共生し ながらやっていかなければ成り立たないわ けです。そういう意味では、里山発想を持っ た企業ではないかなと、涌井先生のお話か ら感じた次第です。以上が、これまでの愛 知製鋼ということです。 (2)愛知製鋼のこれから  では、「愛知製鋼のこれから」です。 <経営環境の変化>  愛知製鋼という鉄の産業は、現在、非常 に大きな変化点に立っております。EV 化 ということで、電気自動車がこれから加速 度的に増えることが予想されています。こ れは、もちろん環境面から突き動かされて、 ヨーロッパや中国においてはガソリン車か ら電気自動車への急速なシフトが起こりつ つあるわけです。こういう動きと同時に、 スマート社会といっていますが、最近よく 話題になる自動運転、あるいは車を持たず に借りて使うようなシェア経済に変わって いくような大きな変わり目でもあるわけで す。そうなると、これまで必要とされてき た鉄の需要が非常に少なくなってくるとい うことで、それは私どもにとっては非常に 大きな変化であると考えています。 <変化への対応>  そういう状況にあって、従来のままでは 事業が成り立たなくなっていくので、それ に代わるものに今から取り組んでいこうと いう動きをしているところです。今ある技 術を生かして新しいものに取り組んでいく ということと同時に、EV、自動運転、水 素社会、新素材等も私どもは手がけていま すが、こういった新しいビジネスを展開し ているところです。 <地域とともに>  こういった動きをしていくわけですが、 これから私どもが目指していくのは、どん どん事業の中身は変わっても、「いい製品 を作って社会に貢献する、そのためにいい 会社の構えをつくり、そして社員が幸せに なる会社をつくろう」ということです。い い会社というのは「社員が幸せな会社」で すが、その大きな要素となるのは、やはり 「地域」です。「いつまでもこの地にあり続 けてほしい」と地域から思われているとい うことが会社にとっても必要であり、社員 にとっても必要です。そういう観点に立っ て、これからも事業を続けていこうと考え ているところです。以上が、私どもの会社 の状況です。 (3)知多半島の方向性  最後に、私なりに考えた「知多半島の方 向性」ということを少しお話しいたします。  先ほど来いろいろなお話のなかに出てき ていますが、知多半島の特色というのは「多 様性があること」と私は強く感じておりま す。 <知多半島の特色>  知多半島全体を見ると、都市に近いとこ ろもあれば、非常に自然の多いところもあ るということ。産業としても、農業、水産業、

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製造業とバラエティに富んでいます。また、 企業というレベルで見ても、例えばミツカ ンさん、盛田さんのような 200 年、300 年 の老舗企業があると同時に、新たな企業が 共存しています。また、地元民と新規住人 がおられますが、当社も毎年 80 人ほどの 新入社員が入ってくるなかには、地元の人 もいますが、半分以上は九州や他の地域か らやってくる状況があります。そしてまた、 歴史と現代ということでは、半田などは非 常に歴史を持ちながら、都市文化がどんど ん流れ込んで現代的になっているわけで、 歴史と現代が共存しています。また、文化 についても、ベッドタウンとして都市の文 化も持ち込まれている半面、地元文化の祭 りもしっかりあります。祭りが大好きな者 もおり、当社でも祭りの日には会社を休ん で祭りに参加する者も多くいるということ です。このように、非常に多様性があると 思います。  こういった良さがあるのは、この地域に 変化を受け入れる力があるからです。だか ら、このような多様性が生まれたのではな いかと思っています。逆に、こういう力が あったから多様性が生まれて、豊かで、あ たたかい、住みよい、そういった風土が生 まれてきているのではないかとも思ってい るところです。 <知多半島の方向性>  こういうことを踏まえ、今後どうなって ほしいかということです。  一つには、この「多様性」や「変化への受 容力」をしっかり維持していくことが大事 ではないかと思います。そのためには、知 多半島全体のグランドデザインを描いて、 地域ごとの役割分担をしながら、みんなで 豊かになっていくことが大事だと思いま す。それにはやはり、政治とか行政の役割 が大切だと思います。そして、私たちにで きるのは、地域間のコミュニケーションを 深めることです。それによりお互いの壁が 低くなり、知多地域全体の共生につながっ ていくと考えます。  二つ目は、「加速する変化への対応」が大 事です。特に、新たな市民の受け入れは大 切です。少子化が進むなか、外国人の観光 客はもちろん、定住者も受け入れていく対 応をとっていく必要があると思います。ま た、交通アクセス等の整備も進めていく必 要があります。  そして、こういった変化への対応をきち んととりながら、三つ目には、目指したい 姿として「若者が一生暮らしたい地域」を ここにつくっていくことが大事です。働き やすい、家が持てる、オープンでフェアな 風土、安全・安心、そして必ずなくてはな らない豊かな自然。そういうものをつくっ ていくことを知多地域全体で実現していけ ればと考えています。以上です。 【千頭】 ありがとうございました。企業は いろいろありますが、やはり本社がこの地 にあるということは、非常に大きいと思い ます。今のお話のなかにあったように、地 域のなかでこそ企業が存続できるというこ とです。そういう中心になる考え方がある からこそ、今の愛知製鋼株式会社があるの だと思います。村上様からは知多半島の未 来についてのキーワードをたくさん出して いただきましたので、それをうまく拾うこ とができればいいかなと思っています。あ りがとうございました。  お二人には、知多半島を支えている産業 の立場からお話をいただきました。先ほど

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の 3 つのキーワードからいくと、次は「社 会」です。社会の捉え方はいろいろあると 思いますが、岡本様が取り組んでおられる 「地域福祉サポートちた」というのは、日 本の NPO の世界というか福祉系 NPO の 世界では、本当にいい意味で特異なのです。 日本のなかで唯一自立している福祉系の NPO です。そういう意味で、岡本様自身が、 まさに社会を支えて変えていくネットワー クの先頭に立ってこられたと思います。い ろいろお聞きしたいと思いますので、よろ しくお願いします。 4.「人交密度」を高める 0 ∼ 100 歳の まちづくり 【岡本】 ご紹介ありがとうございます。皆 さん、こんにちは。岡本と申します。よろ しくお願いいたします。実は、今年度の 5 月をもって代表理事を退任したばかりで、 現在は理事で活動しております。本日は、 「これまでと、これから」ということですが、 この「、」のところに私は今いるのかなと感 じつつお話しさせていただこうと思ってい ます。  タイトルにある「人交密度」というのは、 「人口密度」ではなくて、人が交わる密度 ということで、IIHOE の川北秀人さんと いう方が使っていらっしゃった言葉です。 人が交わる密度を高めていくまちづくり が、この知多半島では非常に進んでいま す。それも今始まったことではなく、1990 年代からのことで、既に 30 年近く前から 大きな動きがありました。では、「今はど うなのか」、「これからどうなりそうなのか」 というお話をしたいと思います。 (1)多様な地域活動 − 0 ∼ 100 歳の地 域包括ケアのまちづくり−  私たちは「0 ∼ 100 歳の地域包括ケアの まちづくり」ということを掲げています。 地域包括ケアというのは、高齢者介護に関 わる厚生労働省が使っている国の言葉です が、それは決して高齢者だけに関わること ではないことだと思っています。子育て中 の方も、子どもも、それから学齢期の皆さ んも、働いている方も、いろいろな方がま ちづくりに関わるといいだろうなと思って います。知多半島では人交を高める活動が たいへん活発だと申しましたが、いろいろ な取り組みがあります。野外で行われてい ることもあるし、建物を建てて取り組みを 進めているところもあります。老若男女が 入り混じって、人が交わる活動が進んでい ます。 (2)掛け合わせで交流を進め、課題解決と まちづくりの成果をあげる  要するに、掛け合わせです。例えば、「高 齢者サロン×赤ちゃん先生」ということで、 高齢者の介護保険に関わるサービスを行っ ている現場はデイサービスなども行ってい ますが、介護保険に関わる関係者だけで なくて、そこに「赤ちゃん先生」といわれ る活動をされている 30 代のママたちのグ ループが関わっていたりします。また、「精 神障害者就労支援事業所×野菜マルシェ」 ということで、精神障害がある方々の就労 をつないでいくような事業を行っている現 場が、農業の現場とつながって小さな市を 開くという活動もあります。また、子ども たちの発達に非常に課題を感じた方々が無 償で農地を借りて、その現場で一緒に農業 体験をしている現場もあります。あるいは、

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制度の事業をやっているところで、夜は子 ども食堂をやっている例もあります。子ど も食堂というと、「貧困家庭の」という前置 きが付きますが、経済的な貧困にかかわら ず、例えばお母さんが夜遅くまで働いてい て家族そろって夕飯を食べられない子ども たちが非常に多いわけです。子どもが育つ うえで、にぎやかに食事をすることは非常 に大事です。こういった掛け合わせの現場 が、この知多地域ではどんどん進んできて います。  こうした NPO 法人の現場を、行政の方 たちに見ていただく事業も行っています。 まちづくりを実際にやっているところで、 誰が担っているのか、動いているのは誰な のか、思いはどこにあるのか。このあたり を行政の方々に知っていただくために行政 職員に現場見学研修をしています。  あるいは、なかなか解決できない大きな 課題があったら、それをテーブルに上げて、 その課題に取り組む意欲のある方たちにメ ンバーになっていただいて「地域円卓会議」 というような協働・総働を進めていく会議 を行うこともこの地域では進んでいます。 日本福祉大学が半田市と東海市のほうで地 域円卓会議を 2 か月に 1 回、継続してやっ ておられます。それにより、さまざまな取 り組みが生まれる機会をつくっていただい ていると思います。 (3)基盤は、「困ったときはお互いさま」の 縁  なぜ、こういうことになったのか。前述 のように、つい最近始まったことではない のです。最初に始められた方は、この 3 月 31 日に 90 代で亡くなられたのですが、最 初は「市民が困っていたら、市民同士で助 け合おう」という有償の家事援助のボラン ティア活動をする団体を立ち上げられたの です。そして、知多半島全域から 11 団体 が 90 年代に集まって設立したのが「地域 福祉サポートちた」という NPO なのです。 「現場を支えてほしい」ということででき た団体なのです。そういうところで活動し ています。  現在「サポートちた」に加入している団 体は、半島内外 50 団体余りで、団体とし てはさまざまな活動を行なっていますが、 今では一つの団体が地域で頑張っていると いうのではなくて、いろいろなところとつ ながって人との交わりを進める活動に取り 組んでいる状況です。 (4)知多地域の NPO で働く人たちの実態 は?  そして、千頭先生にも関わっていただい て、2004 年(平成 16 年)、2010 年(平成 22 年)、そして 2016 年(平成 28 年)と、これ までに 3 回、知多半島の NPO で働いてい る方々の実態調査を実施しました。2004 年(平成 16 年)、2010 年(平成 22 年)の調 査結果がそれぞれ出ています。  そして今回、2016 年(平成 28 年)の調査 で出たおおよその結論として、「こんな結 果から、これからのことが描けるのではな いか」ということを少し示しています。回 答は、46 法人の 455 人からいただきました。 回答者の性別は、女性が非常に多く、73% となっています。年齢は 40 ∼ 50 代がメイ ンです。勤続年数は 10 年以上の方が多い ですが、今は日本福祉大学を中心に、大学 を卒業してすぐに NPO に就職する方が非 常に増えてきています。それほど NPO の ほうも雇用力を持つようになり、そしてそ

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ういう方々に次につなげていく力を現場が 持ちつつあるということです。  では、なぜ NPO に就職するのか。「収入 を得るため」という理由が多かったわけで す。そうか、お金をもらおうと思って来る のか、と思いました。課題解決のために NPO を立ち上げてきた大先輩たちとは少 し違う現状があるわけです。次に、「自宅 に近い」、「生きがいの持てる活動」という 理由が続きます。「生きがいが持てる活動」 というのは NPO で働く人らしい意識の持 ちようだと思いますが、ただ、これがまた 変わっていくわけです。  NPO で働くことにより、自分の生活や 意識がどう変化したか。「やりがいがある」、 「視野が広がった」、「充実感がある」、「友人 ・ 仲間が増えた」、「感謝することが増えた」 というきっかけになっているようです。た だ、時間を取るのが大変で家族とのコミュ ニケーションをとるのが難しくなり、経済 的に豊かになるということはちょっと難し いという結論です。  では、なぜ働き続けているのか。やはり NPO で得られるものは、経済的なものと いうよりは、「総合的に見た満足度」が非常 に高いです。「社会とつながることができ る」、「人とのつながりが増える」というと ころに意義を見出していることが結果とし て出ています。  そして、「今後も、このまま働きたい」と いうことです。あるいは、「自分で立ち上 げたい」という回答も実数としてはそれほ ど多くありませんが、あるわけです。  では、ここで働いていることの意義をど んなふうに思っているのか。やはり社会課 題解決に柔軟に対応できるのが自分の職場 なのだ、ということです。  また、なぜ満足できているのか。ここは 非常に大事な点です。涌井先生のお話でも 「多様性」という言葉が随分出てきました が、ここでも「多様な働き方ができるから ここがいい」ということです。政府でも「働 き方改革」ということで、いろいろな施策 が出始めています。これにかなり肉薄して いる結果なのではないかと思っています。 < NPO で働く人たちの価値観>  このへんをまとめると、どんな価値観で 働き続けているのかがわかります。やはり、 住んでいる地域で仲間をつくって働いてい くことがいいようです。正規、非正規、ボ ランティアと、NPO ではいろいろな関わ り方ができます。こうした多様な働き方で 関わっていくところに意義を見出したりし ています。また、生きがい、やりがいがあっ て「自分が成長できる」という点も大事と 考えているようです。地域のなかで思いが 循環する、お金も回る、サービスも回ると ころに意義がある、という結論になってい ます。そこに価値を見出している可能性が あります。 (5)NPO の役割、これまでとこれから  そう見てくると、これまでの NPO の役 割としては、団体に関わる人を育てる、ま ちづくりに主体的に関わる人たちを育てて いくという意味では、いい成果が出ていた と思います。「市民が市民を育てる」という ことです。  しかし、これからは経営力、つまり雇用 して、多様な働き方をしてもらい、いい職 場をつくっていくことが必要だということ です。やりがいを見出していく、豊かに なっていく、地域で暮らすことの豊かさを 実現していく。こうした実践知を地域のな

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かでもっと役立ててもらうための、次の役 割があるのだろうと思います。少し難しい 言葉でいうと、自治区、コミュニティ、町 内会という地縁型組織を変えていくことに 寄与できればいいと思っています。それで 日本全国で現在、トップダウン型の小規模 多機能自治ネットワークというものが動い ています。知多半島では、大府市、半田 市、東浦町がこのネットワークに加入して います。このような動きもあるのです。た だ、私が申し上げたいのは、市民側からの ボトムアップにより丁寧にできるところか ら取り組んでいく、そうした地縁型組織に 変わっているということです。自分たちの 住みよい地域を自分たちでつくっていくと いうことです。  その事例をお話しします。2011 年(平成 23 年)に介護保険制度が改正されました。 要支援 1 ∼ 2、要介護 1 ∼ 5 とありましたが、 要支援 1 ∼ 2 という軽い方が介護保険サー ビスの対象から外され、基礎自治体ごとの オリジナルサービスを受けることになり、 現在準備をしているところです。生活支援 体制整備といいますが、要するに「互助」 です。お互い様で支え合うことです。私た ちの大先輩が、まさに 1990 年(平成元年) から取り組んでこられたことが、いま厚生 労働省が国をあげて「どこの地域もこれを やってくださいね」と言っているわけです。  それで、知多市では常設型の多世代交流 拠点「南粕谷ハウス」というのが運営され ています。南粕谷地区は、市内一の、40% を超える高齢化率の高い地域です。住民活 動が非常に盛んなところでしたが、ここで も円卓会議をやらせてもらいました。そし て現在、南粕谷ハウスは民営で、2013 年 (平成 25 年)から地域住民の方たちのボラ ンティアで運営する、毎日開いている居場 所となっています。使い方は自由です。ど こからもお金はもらっていません。自立の 運営がなされています。うどん 1 杯 300 円、 コーヒー 1 杯 250 円を地域の人たちが払っ て利用し、そのお金でもって家賃や水光熱 費を賄っています。場所貸しをしながら営 業しているのです。地域が事業を行ってい るということです。  もう一つの例は、東浦町にあります。 「チームにじ」という、多職種連携の専門 職のチームです。地域包括支援センター、 行政、社会福祉協議会、NPO 法人、訪問 看護ステーション、民生委員協議会、高齢 者サロン等のグループの人たちがつながっ て、東浦町をもっとよくするにはどうした らいいかということに取り組んでいます。 やはり東浦町でも最も高齢化率の高い森岡 台自治区というところですが、ここに働き かけをした次第です。その際には「プロボ ノ」の力をお借りしました。これは有職の ボランティアで、専門職で知識や技術を 持っている方です。具体的にここで関わっ てくださったのはマーケティングが非常に 得意な方です。ペルソナマーケティングと いって、1 人の人にそのニーズをとことん ヒアリングして聞いていくマーケティング の手法です。このやり方を教えていただき、 地域で住民が困っていることはないか、「あ れはどう? これはどう? どういうつな がりがある?」とヒアリングしている状況 です。これの成果については、2018 年 1 月 21 日に自治会の集会所で円卓会議が行 われますが、そこで出される予定です。関 心があれば是非お出かけくださればと思い ます。  こうした動きがあります。例として 2 つ

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だけご紹介しましたが、知多半島は 5 市 5 町あるので、もっと幅広い多様な取り組み がたくさんあるわけです。 (6)これからの知多地域 −多様な財源と 人材の地域内循環で持続可能なまちづ くりを−  もう一度、申し上げます。生まれたと きから、前述の「赤ちゃん先生」のように、 赤ちゃんでもボランティアができるので す。赤ちゃんが高齢者サロンに来ると、そ こにいらっしゃるお年寄りたちがニコニコ して、お元気になって、お世話したくなる わけです。自立度が上がるのです。このよ うに、生まれたときからまちづくりに関わ ろうね、元気なうちから関わろうねという ことです。具合が悪くなってから誰かにお 願いするだけでなくて、元気なうちから自 分のできることで地域やまちに関っていく ことが大事なのです。それと、協働・総働 を進めていかなければなりません。  そして、本日も大きなテーマとして「環 境」の問題についてはいろいろお聞きしま したが、この地域は環境というと、農業み たいなことから観光といったことまで非常 に盛んです。こうしたことと、芸術、文化、 教育といったものがつながっていくことが 大事です。行政のことを縦割りだと批判し ていたら、実は地域も縦割りで取り組んで いたということがあるわけです。私たちの 頭の中も結構縦割りだったということはよ くあるわけで、横につなげることが大事だ と思います。  また、これまでは地縁型組織は行事遂行 型で、「この行事やりましょう」ということ で進んできたけれど、「私のまちの問題っ て何? その問題を解決するためにはどう やって何を動かしたらいいの?」というふ うに課題解決型で動いていかなくてはいけ ないのだろうと思います。  そして、その際には、お金の問題はやは り放っておけないわけです。それがないと 物事は動きません。前述の 2 つの事例もお 金が動いています。「財源をどうするか」と いうことは大事で、これはかなり多様な財 源がなければいけないと思います。行政に お願いします、という時代ではありませ ん。地域のなかで循環していくことが必要 だと思います。それが持続可能な地域づく り、まちづくりということではないかな、 と思いながら私の話を終わらせていただき ます。ありがとうございました。 【千頭】 ありがとうございました。人が交 わる密度を高めようということ。それに よってたぶん子育ても進む、高齢者の見守 りも進む、若者の社会への参画も進む、と いう非常に大事なこれからの社会のありよ うをお話しいただいたと思います。たくさ んの大事なキーワードが出てきたと思いま す。後ほど時間があれば振り返っていきた いと思います。ありがとうございました。  では、行政の立場ということで、東海市 副市長の佐治様からお話をいただきます。 よろしくお願いいたします。 5.これまでと、これからの知多半島  −将来を見据えたまちづくり− 【佐治】 皆さん、こんにちは。東海市の佐 治です。公務員として今までどんな職場に いたかを紹介しながら、東海市のまちづく りをどのように進めてきたか、また知多半 島のなかでの役割がどうなのかということ をお話しして、「これからの知多半島」とい

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う話につなげていきたいと思います。  私は 1978(昭和 53)年に市役所に入り、 最初は福祉部門に配属されました。その後 は総務部で財政担当、次に企画部で企画調 整担当、その後に医療助成、市民参画推進 を担当いたしました。そして企画部に戻り、 男女共同参画、その後は総務部の市民協働 課、その後は健康担当のほうで 2 年間、健 康づくりに取り組みました。最後は企画部 長を 3 年間務め、2016 年(平成 28 年)3 月 に退職しました。その後、再任用職員とい うことで 1 年半、専門監として勤務しまし た。そして、今年 10 月 1 日から副市長に 就任し、全般的なまちづくりを見る立場に なった次第です。役所には 7 つほどの部が ありますが、私は職場としては 3 つの部し か経験しておりません。3 つ以外の部署で の経験がないなか、10 月から 2 か月間は 市役所全体を見ながら、いろいろな仕事が あることを再認識し、現在務めているとこ ろです。  本日は、東海市以外の方もおられますの で、東海市について簡単に紹介させていた だきます。 (1)東海市について  東海市は知多半島にあり、名古屋に面し ております。面積は 43k㎡で、それほど大 きなまちではありませんが、ものづくりの 基盤となる大きな企業が立地しておりま す。そういう工業関係のものづくり企業に よる産業、あるいは農業などがバランスよ く発展してきたまちだと思っています。さ らに日本全体では人口が減少しているな か、東海市は 1969 年(昭和 44 年)に市制 施行されて以来、人口も毎年増加しており、 現在は約 11 万 4000 人を超える都市になっ ています。増加しているということは、当 然、自然動態、社会動態においてプラスに なっているということです。東海市は、ま ちづくりにおいて子育て支援の部分に力を 入れておりますが、最新の合計特殊出生率 は 1.88 人となっています。これも全国的 に見ても非常に高いわけで、「人口が増え ているまち」ということです。また、「住み よさランキング」という指標があり、これ は東洋経済新報社で出されるランキングで すが、現在全国で 814 の市区があるなか、 東海市は 2017 年(平成 29 年)度は 23 位と いうことで、かなり上位を占めています。  さて、「これまでと、これから」というこ とですが、私も 10 月に副市長に就任した ばかりなので、岡本さんと同じように、「、」 のところにいる立場です。それで、これま でとは違う立場から東海市のまちづくりを 見たときに、大きな 2 つの視点から紹介で きるのではないかと思います。  一つは、東海市は、道路、空港、港のあ る地に面しており、陸・海・空の結節点と なっております。そういう特性を生かした まちづくりを今後も続けていくという視 点。また、先ほど岡本さんからも話があり ましたが、まちづくりにおけるこれからの 課題としては、行政のみで解決できない課 題が多々あることです。そういうなかで地 域、また各種団体などいろいろなところと 協働しながら社会的な課題をクリアしてい くという視点があります。この 2 つの視点 をもって、これまでもまちづくりを進めて きたと思います。また、これからもたぶん その 2 つの視点が重要ではないかと考えて います。 <市民との協働・共創>  特に、「これまで」の視点として一つ紹介

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したいのは、「市民との協働・共創」という まちづくりの考え方です。行政は、まちづ くりの一番基となる「総合計画」という計 画をつくっております。その下に、福祉の 関係、都市基盤の関係、道路の関係など、 さまざまな計画がぶらさがっているわけで す。その総合計画を新たにつくる際、実 は 2002 年(平成 14 年)2 月には市民参画推 進委員会というのを発足させました。その ときは私もそれに関わる部署におりました が、「これからのまちづくりは、行政のみ でなく、いろいろな方々とつくっていこう」 ということをスタートさせたわけです。そ のときは市民 50 人と行政の職員が話し合 いながら、「東海市のこれからをどうして いこうか」ということを創り出しました。 委員の方々には 2 年間、活躍していただき ました。そして、総合計画の基、またまち づくりの基本となる東海市のまちづくり基 本条例、市民参画条例を市民の力でつくっ ていただきました。それを東海市の総合計 画なり条例に位置付け、それから「協働・ 共創」のまちづくりを少しずつスタートさ せた次第です。市民参画推進委員会はそ こで終わりましたが、2004 年(平成 16 年) 6 月だと思いますが、市民参画推進委員会 を引き継ぐかたちで、まちづくり市民委員 会という組織を立ち上げて、10 年間活動 していただきました。東海市のまちづくり がどのように進んでいるのか、どんな課題 があって、これからどんなことをしたらい いのか。また、それを踏まえて評価するわ けですが、それを市民の方と一緒に進めて まいりました。それが現在の第 6 次総合計 画にも引き継がれております。実は、まち づくりの進み具合を評価するために、毎 年 3500 人の方にアンケート調査を実施し、 指標の確認と市政に対するご意見をうか がっております。それを資料にして、行政 はまちづくりに生かしているわけです。そ れが現在の東海市のまちづくりの進め方で す。 <大学との連携>  そうしたなか、岡本さんのお話にありま したように、NPO との連携についてはい ろいろな提案をいただきながら、まちづく りにおいて市民に密着した部分ではどんな 課題があるのかをテーマに協議しながら、 事業への取り組みをお願いしている部分が あります。幸いにも東海市には、星城大学 と日本福祉大学という 2 つの大学がありま す。その 2 つの大学ともまちづくりの包括 連携協定というものを結び、連携してまち づくりの課題を共にクリアしているわけで す。そういうなかで、協働ということをこ れまでも進めてきたと考えております。 (2)これから  では、「これから」という話です。 <リニア中央新幹線のインパクト>  これからの一番大きなインパクトは、リ ニア中央新幹線が 2027 年、品川から名古 屋まで開通することです。これは本市に とって、知多半島にとって、愛知県にとっ て非常にインパクトのある出来事です。東 海市でいうと、太田川駅から東京まで 1 時 間で行けることになります。涌井先生のお 話にありましたように、「このことをピン チでありチャンスである」と捉えていきた いと考えます。ストロー現象という目で見 ればピンチですが、逆に東京や大阪から名 古屋にモノや人を呼び込むという面からい えばチャンスになるわけです。また、東海 道新幹線と中央新幹線、道路も東名と新東

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名、とダブルアクセスになる時代は社会に とっては本当に大きな変革となります。  そのなかで当地区としては、どのような 視点でまちづくりを進めていくのか。リニ アが来るだけでなく、リニアが来たときに は西知多道路を整備すること、そして中部 国際空港の第二滑走路の整備も併せて進め ていくことによって、リニアのインパクト を最大限に生かしていくまちづくりを進め ていくことが、やはり基盤づくりとしては 一番重要ではないかと思っています。ハー ド面ではそういうことが求められていると 考えています。 <東京オリンピック等のインパクト>  2 点目は、2020 年の東京オリンピック・ パラリンピック、2026 年のアジア大会が 決定しているということです。国内はもち ろん、国外からも多くの方が日本を訪れる ということで、今や観光施策については国 が非常に力を入れております。当地区でも、 空港を活用して、さらに鉄道、道路を活用 して、中部地方に人に来てもらう施策、こ れはソフト事業になると思いますが、そう いう施策をつくっていく時代になってきた と思います。 <産業構造の劇的な変化>  そして最後、3 点目です。産業構造の激 的な変化ということで、具体的な事例を申 し上げます。この地域はものづくり産業で 支えられている地域だという認識を持って いますが、自動車も電気自動車にシフトし ていくということで、従来のものづくり産 業においても非常に大きなインパクトを感 じているわけです。そこで、どのように産 業構造を変換していくかということもこれ から大きな課題になると考えています。  このように、「これから」についての 3 つ の視点というか、3 つのインパクトがある と思います。前述のように、2 つの視点で まちづくりを進めていくためにも、このイ ンパクトを生かしていく必要があると思い ます。それで、こういうまちづくりのイン パクトを生かすには、本市のみではやはり 限界があります。そういうなかで今回、知 多半島総合研究所さんがこのようなシンポ ジウムを開かれたわけです。こうして皆で 考えていくなか、まちづくりについては行 政に対する期待が今後はますます高まって くると思います。ただ、2 点目で申し上げ たように、行政だけではできないこともご ざいます。特に身近な課題として具体的に 申しますと、災害への対応、地域で高齢者・ 子どもを見守る政策については、行政のみ でなく、それぞれの団体との連携を図って、 課題解決できる仕組みづくりをする必要が あります。これから行政は、そういうこと を支援する立場で仕事を進めていかなけれ ばならないと思っています。  基盤づくりでは、やはり財源を使って道 路、空港等の整備に力を入れていかなけれ ばなりませんが、これはハードの部分で す。そしてソフトの部分については、やは り行政が責任をもって取り組む部分と、協 働・共創して進めていく部分とをしっかり 役割分担しながら進めていきたいと考えて います。そのときに、行政のなかでも広域 連携の仕組みを、また市民団体とは課題解 決のための仕組みを一緒に考えていくこと が、これからの知多半島のなかでは重要に なってくるだろうと、行政を担う一人とし て思っています。私からは以上です。 【千頭】 ありがとうございました。東海市 は「住みよさランキング」が 23 位というこ

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とで、非常に高いわけです。市民の皆さん が「東海市は日本で 1 位だよ」と自信を持っ て言えなければお客さんも来てくれないわ けですから、そういうことはすごく大事な ことだと思います。そして、「協働・共創」 という言葉がありました。また、「今後は 仕組みづくりが非常に大事だ」というお話 をいただきました。ありがとうございまし た。  さて、4 人の方に、それぞれの立場から お話しいただきました。たぶん 4 人の方の お話をそのまま聞いていると、異なる話を されているように思えるかもしれません。 でも、本日のキーワードの一つである「環 境、経済、社会」を念頭において聞いてい ると、これからの持続可能な地域をつくっ ていく上では、たぶん環境と経済、環境と 社会、経済と社会というのはすべてつな がっているということで、4 人の方はそれ ぞれの立場を超えて、「知多半島はこれか らどうしたらいいのか」ということへのヒ ントとなるお話をされました。そういう意 味では、異なる話ではないと思っています。 6.農業について (1)知多半島で農業がもっと前進するため に必要なことは? 【千頭】 それでは、もう一度、4 人のシン ポジストの皆様からお話をうかがいたいと 思います。4 人の方からはいろいろなキー ワードを出していただきました。  高木様は、「知多半島は何でもできる」と おっしゃいました。それは、「その気にな れば」という前提でのことだと思いますが、 その気になれば何でもできるけれど、その 気になるためにはどうしたらいいか、どう すればさらにこの地域を支える農業が前に 進むのか。農家だけでできるのか、いや農 家がもっと頑張ればいいのか、いやもっと 農家以外の知恵なり力なりを生かすべきな のか。何でもできる知多半島が本当に前に 進んでいくためのヒントは何でしょうか。 何かコメントがいただければと思います。 (2)知多半島でできた農産物を地元の人た ちに食べてほしい 【高木】 例えば、地元産の農産物に目を向 けていただきたいです。最近は「地産地消」 という言葉がブームで、給食センターさん も地元の野菜等を使ってくださっていま す。ただ、やはり野菜が高くなったりする と、給食はちょっとお休みとか、いろいろ なことが起きています。それで、地元産の 野菜を本当に食べているのだろうかとか、 いろいろ思います。  実は、愛知県というのは、農産物の生産 量が日本で第 5 位とか 6 位とか 7 位とか、 すごく上位なんです。ところが、目標とさ れる 1 日の野菜の摂取量は 350g というこ とですが、愛知県の野菜の消費順位、すな わち食べる量は全国で 47 位、つまり最下 位ということです。生産量は日本で 6 位と か 7 位とかいつも上位を占めているのに、 野菜の摂取量は 47 位。ということは、農 業を活性化するためには、農業者だけでは なくて、地元の方々の力もかなり必要だと いうことです。だから、「何でもできる知 多半島には将来があるぞ」と言っても、そ れを取り巻く環境としての皆さんの力がな いと農業は活性化していかないのではない かという気がしています。つまり、何でも できるのではなくて、できたものを何でも 食べてくれる人たちがたくさんいること が、先ほど来申し上げている環境づくりに

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おいては一番重要な要素ではないかという 気がしています。まさに、皆さんあっての 農業、農業あっての皆さんということです。 いずれにしても知多半島は、一つの輪のな かでやっていかなくてはいけないと思いま す。もちろん福祉も含めてすべてが、とい うことです。そう思います。 (3)農業と他分野との連携については? 【千頭】 先ほど岡本様がいろいろな例を出 されたなかで、例えば「農業あるいは野菜 の生産」と、「就労者の支援」、「障害者の支 援」とを掛け合わせる事例があったと思い ます。そして、まさに涌井先生からは「農 業 空間だけでは駄目だよ。農地という のは非常に多様な機能がある」というお話 がありました。ただ、農業者から見たとき、 高木様の立場から見たときに、それはなか なか大変なのでしょうか。それとも、農業 だけでなくて、もっともっといろいろな可 能性がありそうですか。 (4)「業」として農業を成立させなければい けない 【高木】 やはり「業」ですから、儲からな ければ駄目なんですよね。第一次産業なん ですから。私は必ずいつも「何でもできる」 と言っていますが、でも何でも作って売れ るというわけではないと思っています。売 れるものを作る手法をとれば、第一次産業 として成り立つわけです。  それで、「農福連携」という言葉があって、 最近私も福祉分野の方から頼まれるわけで す。「新しい施設をつくるけれど、そこで 何か新しいことをやりたい。農業と一緒 にやりたい」など、いろいろ聞きます。で も、「それでつくってどうするの?」という ことです。その施設の代表の方とかに申し 上げるのですが、それにかかるお金という のは絶対に要るわけです。ということは、 そこからお金を生み出さなくてはいけな い。業としての農福連携ならいいけれど、 単に外面だけを美しくするための農福連携 であってはいけないと思っています。だか ら、確かにいろいろな交流が必要だし、農 福連携は非常にすばらしいことだと思いま すが、そこに「業」としての農業を見てい かなければうまくいかないという気がしま す。 7.企業について (1)「企業の存続」と「社員の幸せ」を両立 させるには? 【千頭】 それがまさに持続させていくため に大切なことですね。後で、岡本様に、お 金の循環が大切という話の続きを補足して いただくとして ・・・。  では村上様、そういうことでいくと、企 業としては当然きちんと一定の利益を稼ぐ ことが極めて大事なわけですね。愛知製鋼 株式会社のモットーとして、「大事なこと は愛知製鋼という企業がこの地域で持続的 に経営を続けていくこと。それが社会に対 する貢献だ」というふうにおっしゃってい ますが、同時に「いい会社は、社員が幸せ な会社だ」ということもおっしゃいました。 このことは、本来は両立できるはずですが、 一般的には会社が儲けることと社員一人一 人が生き生きと仕事をすることは両立しに くいとも言われます。村上さん、企業人と して見たとき、組織として会社がどんな経 営をしていけばいいのか。あるいは、どう 社会と関わっていけば企業も存続できる し、そこで働いている人も幸せになれるの

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か。非常に大きなテーマで申し訳ないです が、何かヒントをいただければと思います。 (2)会社の環境だけでなく、その地域の環 境もよくすることが大切 【村上】 先ほど、私どもの会社は重厚長大 の企業というふうに申し上げました。重厚 長大で、同じ地域で長らく仕事をするとい うことと同時に、やはり技能や技術の蓄積 が企業にとっては非常に大事だと思ってい ます。そういう意味では、社員が働きやす い会社であり、社員が簡単に会社をやめる ことなく、長く勤めてもらうことがやはり 企業にとっては必須のことだと思っていま す。そういう意味では、もちろん会社もそ ういう環境をつくることが大事です。また、 本日のように「知多地域はどうあるべきか」 という話のなかにもあるように、社員がこ の知多地域に住んで、そして私ども会社や いろいろな会社に勤めるとき、働きやすい と感じる地域環境というのも非常に大事に なるのではないかと思います。だから、自 分の企業だけでなく、その地域をよくする ことを併せて考えていくことが大事ではな いかと思います。  例えば、先ほど高木様がおっしゃったよ うに、「業」としての農業を成り立たせなく てはいけないということも、やはり私たち は製造業として支援できる部分があるので はないか。今お話を聞いていて感じたので すが、実は私どもの会社には社員食堂みた いなものがあって、結構野菜は使っていま すが、では地元の野菜を使っているかとい うと、まだまだ足りないような気がします。 また、うちのような会社は知多半島地域に いっぱいあるわけです。そういうところと 連携することによって農業をさらに業とし て成り立たせて、私たち住んでいる人たち も豊かになる、という輪ができていくので はないか。そんなようなことをしていった らどうかと思っています。 8.地域について (1)地域での「お金の循環」をいかに生み 出していく? 【千頭】 ありがとうございました。では、 是非とも社員食堂で東海市のフキを出しま しょうか。  さて岡本様、たくさんのキーワードをい ただきました。市民を育てるというお話、 またお金の循環が大事だというお話もいた だきました。南粕谷ハウスでも 250 円の コーヒーや 300 円のうどんを食べること、 これが地域で小さなお金の循環を生み出し ているのだろうと思います。あえてお金の 循環、小さなお金の循環という意味で、こ の地域でもいろいろな事例があると思いま す。また、「思い」と「お金の循環」というキー ワードで何か補足していただけることがあ ればお願いします。 (2)クラウドファンディング、休眠預金活 用など、活動資金調達の新しい仕組み が動いている 【岡本】 これまで市民活動とかボランティ ア活動、NPO の活動を応援するお金とい うと、例えば行政からの委託事業に付いて くるお金とか、行政からの助成、つまり皆 さんの税金を使った助成金というものがあ りますね。それから、愛知製鋼さんにも知 多地域は本当にお世話になっていて、現場 では企業の助成金をいただくこともありま す。また最近は、クラウドファンディング といって、「こういう課題をこういうふう

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