本生図像研究序説
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(2) . 昭和34年7月. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第10巻 第 1 号. 本. 生. 像. 図 江. 口. 研 正. 序. 究. 説. 雄. 北海道学芸大学釧路分校国語国文学研究室. imi MasaO EGUα= : A prel l lary Sh 1dy of Jataka lmages. 本生図像というのは何か, 抜に言う本生図像というのは仏教説話女学たる ジャータカを美術とし jan)か て園像に表現したものを言う. そもそも ジャータカとは楚語 「生れる」 という語根 ジヤソ( ら出た語で, 闇陀迦 (音) とも生 (意) とも漢訳されてし る. 生の意味するところは仏教に於いて ) は実は 「生れてあった時のこと」 を意味する1 . の さらに之が 「仏陀釈尊の前生の物語り」 意に転ずる, 而もこの前生は時間的関係のみにあらず 本末関係を表わす故に本生なる訳を以 ってした, か る仏陀釈尊前生物語は広義の仏伝とも解せられるので本生図像は仏伝図と非常に密 接な関係 を 持 つこ と とな り, ま た 従 っ て 製 作 さ れ た と こ ろ の も の は, か な り の 数 に 達 す る も の と 言をまね ばな. らない, 印度古代美術は仏教の仏伝及び本生美術とも言はれる所以がこ>にある, ) 本生話は伝へるところに拠れば五百五十話あるという2 , 3 ヒ話であるから) 現存するもの五百四十‐ , 或いは五百五十を確かに算える説話が存したかも知れ ない, たゞ之を図像で全部表現したかといえば必ず しもそうではない, 時代人の好尚もあったであ ろうし, 時代精神がうけつけなかったことも あろうしして現存する図像から検討してゆけ ば図像に 表 現さ れ た も の は 限 られ て い る と みな さ れ る も の が あ る. 例 を バ ルハ ジ トの 彫 刻 に 於 いて みよ う,. バルハッ トに於いて本生図像とみられるものは凡そ三十二図相ある. この外疑問視される未詳図 像もかなりあるが, これはいま論外として一応その作例を挙げて みると次のとおりである, 1 . 摩調 王 本 生 2 . 大 ヂヤナカ王 本生. No . 224 0 No , 225 0. 15 . 商主本生 16 , 皮衣 本生. No , 238 0 No , 239. 3 . 婆 羅門 奏楽 本 生 4 . 毘輸 安 阻 羅 本 生. No . 226 0 No . 227. 17 . 苧傾本 生 18 . 六牙 象本生. No . 240 0 No , 241. 5 , 無 讐王 子 本 生 6 . 慕 魂太子 本生. No . 228 No, 229. 19 . 鶏 本生. No . 242 0 No . 243 0. 7 . 比 豆歩き. 不 那 奇 水生 8 . 独 角仙 人 本 生. No . 230 0 No . 231 0. 20 . 象本生 21 . 鹿本生 22 . 仙 人 鹿本生. No . 244 0 No . 245 0. 9 . 摩詞菩提 本生 10 , 蓮 根 盗ョ京本 生. No , 232 No . 233 0. 23 . 鹿子本生 24 . ク ル ソ ガミ ガ本 生. No . 246 No . 247. 11 , 鞍 園本生. No . 234. 25 , 大綱阪 本生. 12 . セー チャ 本 生 13 . 善生本生. No . 235 0 No , 236 0一. 26 . 大綱線 本生第二. No . 248 No . 249. 14 , ヤ ヴマ ッ ヂ ヤ カ本 生. No . 237. 27. 牛王 本 生 28 . 雑本生. No , 250 No . 251 0. 0 - 240 一.
(3) . 本生図像研究序説 29 , 白 鳥本生 30 . 嶋 本生. ・. 31 , パ ン ダラ竜 王 本 生 32 . 緊郡羅本生. No . 252 0 No . 253. No . 254 No . 255. 0印は題名のあるもの, なお No , は逸見梅栄博士 … 「印度古代美術資料と解説」 所収番号, 釈尊在世中, 大檀那給孤長者が逝多林精舎荘厳の為めに壁画を画作せんとし, その題材につき釈 尊に問うたところ, 釈尊は際の両 頬に執杖薬叉を作り傍の一面に大神通変を為し叉一面に五趣生死 輪を画作し鷲下に本生事を画くべきを説いたという, 毘奈耶雑事巻十七, 三蔵法師浄奉制訳……給孤長者施園之後作如是念, 若不彩画便不端厳, 仏若 許者我欲荘節, 即往白仏, 仏言, 随意当画, 闇仏聴己, 集諸彩色井喚画工, 報言, 此是彩色可画寺 中, 答日, 縦何処作欲画何物, 報言, 我亦未知, 当往問仏, 仏言, 長者, 於門両頬応作執杖薬叉, , 次傍一面作大神 通変, 叉於一面画作五趣生死之輪, 鷲下作本生事… (大正蕨第二十四巻律部三 p 283). 本生話はこの毘奈耶の記述からも推察できるように, 釈尊や原始仏教々団によって 創作されたも のでなく, 己に仏教以前に於いて, この種のメ ルヘンが存し, このメルヘンを仏教側に於いて巧み に 摂取し釈尊前生に於ける修行の物語に換えたものと思料せられる, 説話文学としての ジャータカは当時にあっては, いかにも民衆の極好に合ったものとして世界 の A 多くの国語に訳せられ伝播したことは, いまさら順々を要しまいが, その一端を紹介すれば, . D 540~550 年 に パー ラ ヴイ 語 に 訳 され て ヨ ーロ ッ パ に 伝 わ り, シリ ャ, アラ ビヤ, ペ ル シ ャ, ギ の 国 リ シャ, ラ テ ン, ス ペイ ン, ヘ ブライ, ドイ ツ, トル コ, イ タ リ ャ, フ ラ ンス, イ ギリ ス等 諸. 語に移された,. 然 しこ の こと は 単な る 物 語 と して ゞ, あく ま で 趣 味 的 な も の で あっ た が, チ ベ ッ ト,. 蒙 古,. 中. 国, フィ ンラン ド, ロシヤ等に伝播したものは仏教説話としてゞあって本生図像の脊骨をなす ジャ ) ータカはこの東方伝播の仏教説話と限定すること勿論である4 , 1 ) 干潟龍祥博士 ; 本生経類の思想史的研究 p.3~4. 2) 阿含に説く ところであるが, 六度集経, 菩薩本緑経, 生経, 菩薩本行経, 菩薩本生嵩論, 撰集百緑 硫経, 興起紙, 大方便仏報恩紙, 仏本行集紐等大正戯縫本 経, 大荘厳論経, 賢愚経, 雑宝蔵経, 難讐1 縁部所収の僕訳経典は言うまでもなく 五分律, 四分律, 摩詞僧紙律, 十調律, 有部毘奈耶, 破僧事, 雑事等律部, 大智度論等論硫部の経律論三蔵に渉って広く散見される. l 1 1 校訂により出版され Vo .7 . この英訳は 187 7年以降二十余年を費 し Fausb6 巴利原典の本生経は 3) i dge Un i v lme l l 教授 監修のもとに Cha Cowe r s 氏等により Vol ,より出版 された, , と して Cambr .6 4) 林光雅訳 ; ジャータカ物語, 序, p . ,3. の実数ではないので, なおこの 城にある現図もあって一概に 比定の されぬま 外に幾個あったかは不明であり, また未だ詳らかに 推測することはかなりに危険ではあるが, 時間的な流れを仏陀伽耶やサンチーの遺蹟につないで併 せ考えると, 仏陀伽耶では足跡善知童子本生, 亀本生の二図が加わり, サンチーに於いては隊子本 バ ル ・ッ ト欄楯彫刻に於ける三十二の本生図像は 創建当時のま. 生図が新たに加へられる程度に過 ぎないところからみれば, ほゞ本生説話の原初の型態につ いて察 しがつくとともに, これが図像としての表現の型式もまた以って推定することにさして困難を来さ な い と云っ て よ か ろ う,. 本生話の原初の型態とは然らば如何なるものであったろうか, その原初の型熊がおぼろげながら に推察する ことが出来れば其処から本生話全体の発達過程 を辿ることが可能となってくる, 五百五十本生は仏教に於いて総仕上げの結果によって出来上ったものとすれば, そのなかに勿論 この原初型態が潜んでいるわけであるから, これらの本生説話の筋をも勘考する必要がある, いは 多くの本生話はその経過に ‐於いて人間の世を亨けてはあらゆる階級の多く の職業人となり或 神仙ともまた鳥獣魚介とも なって現われ, 時・空・処を一にするものはなく, この一切の生類に転 41 - -2.
(4) . 江. 口. 正. 雄. 生することは印度在来の輪廻思想, 因果応報の思想によるもので元より仏教の独特の思 想 で は な L、 .. 而も本生図像として表現された最も古く且豊富なるはバルハッ トの欄楯彫刻でありその内静電 , ま既 に示したとおりであるが, なお之を人間と他のもの主と して動物とに区分けして みると 人間界・十六種……動物界・十六種コ計三十二種, 各界十フ の 同 数 と な る. 仏教説話として改編された本生話は生々流転しつ を訓1える.. 福業を積み重ね六波羅密の行を実践すること. こ の こと は 仏 説 と して も 伝 え ら れ て い る が む し ろ そ こ に 物 語 ら れ る も の の 多く は 古 来 一 般 のま ,. 有した種々の伝説, 説話, 寓話であって, この中に巧みに菩薩の修行を説き叉は物語の主人公を菩 薩に置 き換えることにより仏教説話として昇牽させたもので 通俗的ながら当時の民衆のもっとも , 理解し易く且仏教へ導入し易き伝道布教の方便として利用されたものである , なおこふにあっては在来思想の殆ん どを摂取一般化し加えて釈尊を超人化することに成功しその 後の仏陀観の発展に 有力なる根拠をなしたのである , Rhys Dav ids; Buddhi t Bi th Stories s r .. 本生話が布教の方便として利用 されたのであるから, この利用に当っては文学的表現と しての体 裁も整えられるが同時に絵画, 彫刻等を活用することも考え 出されることは極めて自然のことであ り, いなむ しろ本生話の内容をモチーフとする絵画なり彫刻なりを中心として説話を進め 布教する ことは 完全なる視聴覚の教育であって以って伝道 の完壁を期することとなる , 説話の構 成をみると, 現在物語即ち何時何如なる場合に釈尊がこれを物語ったかという因縁を序 とし, 過去物語即ち前生の菩薩物語を本文として述べ連絡として現在と過去の登場人物の相即結合 をして結んでいる. この型式はしかしあらゆる伝説を本生話に再生 し得ることであり 如何なる時 , 代の如何なる処に行われる民 俗調も皆本生話に改編 し得る型式方則である , 視・聴覚を通じての伝道布教の徹底を期するために本生図像は作られたとみるべきで また従っ , て この作られ表示されている場所, 位置も考えられねばならないであろう . 既に発見され発表された本生画像の在所を凡そ列記してみる と Bharhat 欄楯 彫 刻 -A, Cunningham ; The stnpa of Bharhat , Bndogaya Sanci. 欄楯彫刻- -1 , Fergusson ;. Tree and Serpent Wr orship .. 欄楯彫刻--同上. A maravat i. 壁画. Ajanta 壁画一J ing in the Buddhi t Cave Tan・eles of A s . Gri飴ths; The Paint j an幅, ‐ Ghandhara: Jamalgarhi: Fr i i ju 浮彫 A, Foucher ; L’art Grきco‐bouddhique de Gandhara , i j 亀薮 Ki r 千仏? 同壁画 Yusufzai: \V. Gr iggs; lhe Ancient nlonun・ent 1elnples and scL 1ptures of lndia I . Sangao S i k i ハ 4 i r. ran . .. A, Foucher: L’art Grさco-bouddhique du Gandh亘ra, . 高 昌, A. Von Le Coq ; Chotscho. 轍嶋千仏洞壁画, 中央アジヤに於いては各処に多く断片 として発見さ れているし尚こん後如何ほ ど新発見されるか予測し得ない未知の宝庫である , 松本栄一博士著 「態画の 研究」 三 浦 秀 之 肋 ; ボロ ブ ドゥ ル 遺 蹟 Borobudor 第二廻廊浮彫 ・ 42 - -2.
(5) . 本生図像研究序説 洛陽竜門石窟賓陽洞壁画. 大村西崖 ; 支那美術史彫塑篇. 麦積山石窟壁画 呉越王銭弘徴造金塗塔面浮彫 1 .4 . .3 ,2. 東雛武帝元年碑像浮彫 大宝二年錦碑像脊面浮彫 法隆寺金堂玉機厨子台座絵 1 ,2 , 奉夫博物館蔵本生画 幅 逸見梅栄 ; 満蒙北麦の宗教美 術 7 . 熱河承徳離富倉庫蕨画 幅 逸見梅栄 ; 満蒙北支の宗教美術 7 . 記録 の 上 に留 まる も の と して は, さ ら に 多 く の も の を 指 摘 で き よ う,. 例えば, 洛陽伽藍記第五に ……城北一里, 有白象宮, 寺内仏事, 皆是石像, 荘厳極麗, 頭数甚多, 通身全箔,- - 玄曜人目, 寺前 繋白象樹, 父老伝云, 此樹減仏法亦滅, 寺内図太子以男女乞婆羅門像, 胡人見之莫不悲位…… とあり, 即ち白象宮なる伽藍に石刻の須大挙本生図像のあったことが認められ, 且, この本生信仰 が敦厚で胡人之を見て泣かざるなき状況はもって西域地方に於ける該信仰が強烈であったことを物 語る証差と言い得 .るし, 多少の誇張はあろぅがこの図像が優秀な作品であったことを窺ひ知ること が で き る,. 或はまた法顕伝によれば,セイロン島無畏山精舎に於いて実見せる模様を左の如くに記している. …, .或作須大祭, 或作目 炎変, 或作象王, 或作鹿馬, 如是形像, 皆彩画荘校, 状若生人…… 須大学と蕨仙人本生はもとより象王とて象本生若しくはフ 牙白象本生であり, 同様, 鹿馬も鹿本 生, 馬本生或は雲馬本生であることに相違あるまい, たゞ当時のこの本生図像の図相構成が不明なのは甚だ残念である , 法顕が現図を実見 しており凡そ三百年を経て, 天竺に海路で渡った義浄三蔵が ……若神州法侶調観音遺教, 俗徒読千女孝経 突, 莫不欽翫用為師範, 其社得 .迦摩羅, 亦同此類, (社得迦者本生也摩羅者即 貫篇, 集坂菩薩昔生難行之事 質之一処也) 若訳可成十余軸, 阪本生事 , 而為詩讃, 欲令! 順俗餅美読昔歎愛教摂群生耳, 時戒日王極好女筆, 乃下令日 諸君但有好詩讃者, , 明日旦朝成将示朕, 及其総集得五百爽, 展而閲之, 多是社得迦摩羅炎 方知讃詠之中 斯為美極 , , ,、 南海諸島有十余国, 無間法俗, 成皆楓諦, 如前詩讃, 而東夏未曽訳出, 叉戒日王取乗雲菩薩以身代 竜之事, 緯為歌詠, 奏請絃管, 令人作楽, 舞之略之流布於代 叉東印度月官大士作毘輸安阻羅太子 , 歌詞人皆舞詠遍五天炎…… 2 125 , 南海寄帰内法伝巻第四 翻経三蔵沙門義浄撰 大正蔵, 第五十四巻, 事業部下外教部全 p.227~8 と 記 し当 時 人 ロ に 胸 炎 さ れ た 文 学 作 品 は こ の 本 生話 が 中 心 とな っ て いる こ と を 明 ら か に して い る ,. また現存遺物の中にも図柄が未詳のま , いずれとも判定し得ないものもなお数多くあるが こ , れらは何れかの日に本生図像であるか否か区別せられるであろう またそのように研究がさらに深 , く掘り下げられることを大いに期待しているものである, 視・聴覚による宗教々育の方便としての図像であることは上述のとおりであるが, 然らばその教 育内容は主として何であるか, その目的への指向の意図を如何に取扱って表現したか , ・究 は 己 に 先 賢 に よ っ て 間 明 さ れ て い る が5 ) 本 生 説話 の 思 想 史 的 な 樹 , それ による と ウパ ニシャッ. ド時代にほゞ完成した輪廻思想はその後釈尊の時に及んでガソガ河流域の一般社会に流布したが, - 24 3一.
(6) . 江. ロ. 正. 雄. その思想はむしろ非アーリヤ的であり, アニミ ズム的考えが人間と密接な関係にある動植物に人間 と同じき霊魂を認め, またこの霊魂は容易に身体より遊離するものとみた, 従って人間もその業に よりいろいろな有情の世界に輪廻するという信仰は一般の民衆に普及徹底 に己に仏教本生話が発生し発展する素因を持ったとな している,. して い た も の と 見 る べ き で, こ. 釈尊在世中はその崇敬は生身に捧げられ入滅後は信者の追慕は舎利, 遺髪, 爪その他遺品を通じ てなされたが釈尊減後百年を経過すると奇蹟的超人的伝説が多くなり輪廻業思想がその超人化と結 合 し, ひいてこの聖人の聖業は前世の功徳業によるところであると考へ本生話が続々と創作される に至った, 勿論その骨となるところ在来民間伝承の物語・伝説・巷談であったろぅが, これを換骨 奪胎したものとするは理解 される, 説話の構成のところで既に述べた様に本生話の再生はまた容易であるので漸次盛んとな り特 に菩 薩思想の発達とともに菩薩行が強調せられる一方この特殊なる徳目実修強調のための本生話が新作 されるに至ることも極めて自然である. 従って本生話の原初的型態に於いて単なる供儀の寓話もの ちには菩薩六度中の布施行と変じ捨身飼虎, 施身聞偽の如き大乗仏教本生話と発展し単な る寓話の 領域を脱して高遠なる理想深遠なる教理を説くに至ったのであるが而しこれらを表現した園像はあ くまで大衆に理解と感動を与え易い卑近性をもって作られねばならなかった, B・C 三世紀乃至二世紀と目せられる バルハット欄楯彫刻にみる理図像をみると現存三十二図而 もこの浮彫は欄楯 の遺赴が予想される全部の三分の一弱と考えられ るので若しも残余の欄楯が完全 に発見されその上に該種の浮彫が施されていると仮定すれば凡そ百図相があったこととなる, よしんばその実 数は不明にせよ, か. る数多くの本生図像が存したであろうことを推定させるに. 十分な ことよりすれば妙なくとも B・C 三世紀末, 阿育王穀後当時仏教徒にあっては水生話は数多 く周知されていたばかりかその表現たる本生図像の図柄について深い了解がなされていたことを知 る の で ある,. されば, この園像の図柄は如何なる表現型式をとったものであろうか, ) 私達はこの図柄については胸に結構な資料を手近かに利することができる6 . 5) 千鰐龍梓博士 ; 本生経類の思想史的研究 p. 14~21. 6) 逸見{ l 毎栄博士 i 印度古代美術資料と解説 Vo ,1 . 第一青年社刊,. 本書はその序文にも誌るされているように, 逸見梅栄博士が滞印中, 高楠順次郎博士 より慾懸 をうけ釈尊の四大霊跡をはじめサンチーその他の仏教古蹟並びに婆羅門教殿堂を巡礼しこの間資 料の蒐集をなしたもので先に公刊せる 「印度美術の精華仏陀迦耶」 とその姉妹篇をなすもので, 同書掲載の写真の殆んどは逸見博 ‐土自身の撮影に係るところで美術資料としての観点より して 鮮 明且適当で斯学に稗益するところまことに多大なものがある, 本生図の表現 型式については, バルハット・サンチー・ボー ドガヤ等古い年代に属する原初の型 式について理解がなされ ねばな らない. 既に了解される如くこれら遺祉にみる仏教美術にあってはいまだ礼拝像としての仏 像は作られて いないが然し当時としては仏伝図と水生図は疑いもなくその美術活動の主要題材であった, 即ち図をもって拝観者に語りつぐべき事蹟の内容, 或いは時間的経過 を伴った物語的内容等を逐 次説明的に表現し観者乃至信徒に解説すべく, その好き都合を慮り, 説明意識を十分考えの中に容 れての上の表現で薮に特殊な型式を生じて来たものである, この表現型式には凡そ次の四型式が認められる, その一は語る べき本生話のうちで最もよきモチーフを一つだけ採り上げて表現するもの, - 244 -.
(7) . 本生図像研究序説 その二は本生話の内容の時間的経過に順って数景を描写表現する方法であり, この二の型式はさら に場景の展開の方法によって幾つかの型式が細分される, ) 現存する遺図に限定して 型式の細分は理論的には無量となる 性格をもっているものであるが7 , み る と 次 の よ うな も の で, 一 図 の 中 に 含 め る も の と して は. 二重契点 三 重契点 四重契点 等があり, その構図は円型に囲み, または長方形に包んでいる, (A) わが国の絵巻物にみるが如 き左より右へ, 叉は右より左へ1 順序を逐い説話の進展につれて景を重ねて行くもの, (B) 数景が 説話の時間的経過や説話の進展とは別に, むしろ図像の原材を考慮に入れ乃至構 図の重要性を量っ ての随意な位置に按配した双六的な図柄 (C) がある, いま は そ の 各 例 を 示 す こ と に 止 め る と して, 即 ち, 舞踊本生図像 (逸見・印度古代美術 252図 p,132). 06図 仏陀迦耶) 亀本 生図像 (同上 2 にあってはその一に該当する単一な図相の表現である, 単一図相は欄楯笠石に彫られたもので, こ の笠石の厚さ即ち図像の幅に或る制限があるところから単一図となったものと思料される, こ で 若し予想が許されるならば横へつゞく絵巻物様式がとられてもよい筈であるし, もしこの様式が今 後に発見されるものとすればアジャンタ-第十窟の六牙象本生図の如き或いはまたわが国の過去現 在因果経絵巻 (絵因果経) の如きものでなければなるまい, 単一図相の構図は本生図像の表現としては最も困難な条件を持たされた作図であるとも言い得 よ う, 説話の内容をよく知悉した上でその説話のもっとも特色あるところを示さなければならない, 説話のうちにある多くのモチーフのうちで, その物語全般を観る者にそれを直ちに覚らせ且最も 効果多きを希はねばならない, 既発見の単一図像を見ればそのモチーフの採り上げ方がよくわかる, それはその時代の精神であ り, また作者の観点の表現であったりするわけである, たゞ単一図像が多くの学者によって何本生図であると決定されるまでには多くの論議を経て来て いるものの多いこと, 単一なる図相のもつ性質からまた当然と云わねばならないし, 現在図相未詳 図がなお多く存するところもか. って, この図相のもつ性格諸要素が開明しにくいという点から発. して い る と い って 言 い 過 ぎ で は あるま い,. たとえば バルハット欄楯笠石浮彫にみる鳩本生図像の如きは軒下に止る鳩を表示するのみであっ て, これをもって直ちに鳩本生図と決めることは極めて危険であるし, また鳩本生以外に鳩を取扱 う説話は他に幾種かあるので, その何れに属するかを決定することは不可能といってよい, 或いは この鳩図は本生図像とは全然無関係であろうとかんぐってもよい, 鳩 本 生は ジ ャ ー タ カ No . 美 麗 本 生, .274 . 貧 欲 本 生, 同 じく No .275 .42 , 鳩 本 生, 同 じく No. 鵜本生, 何れも同一内容である, 往昔, ベナレスの国人は鳥類を可愛がり家々の軒端にわれらの巣を作ってつるし鳥類がこれに巣 喰うのを功徳あることと愉しんだ, 骨賃欲な鴫が, その台所の御馳 或る長者の厨房の軒先に, 鳩 (菩薩) が巣を作ったが, 一羽の絞ろ 走に着目して盗み喰いせんとの悪 心を起し, 鳩と交際して親友となり, ついに同じ軒端に, もう一 つの 栗 龍 を つる して 貰 う こと に 成 功 した,. さて鳩 (菩薩) の忠告も何のものかは一向に聴き入れず, 昼は仮病を使って巣にこもり料理人が - 245 -.
(8) . 江. ロ. 正. 雄. 外出したその隙にその料理を盗み喰いしようとした. 而し悪事は直ちに露顕 して鴨は捕えられ, 揚句の果てに, 羽根をむ しられ塩・生妻を身体に塗り たくられ龍に放り上げられたという因果物詣であるが, その構図として軒先の止まり木に一羽の鳥 を浮彫したの みで, 之で果して鳩本生図を言い得るかどうか, 勿論, この図は己に学者の 研究により鳩本生と決定 されているもので, いまこれに就いて異論を さし挟むわけではない, 一連の大綱糠本生, 鶏本生, 舞踊本生, パ ンダラ竜王本生, タッカーリャ本生等の諸図が, 同じ 笠石の枠内に浮彫されていて鳩本生図はその一歯鋤こ当っているところから推論 しても肯われるので あるが, いま私が特に鳩本生図を示した理由は, この一連の本生図から離れて 独立して みた時, 人 々はこの構図を以って, 果して何人がこれを嶋本生図と看破し得 .ようか, この意味から引き合いに 出して説いたに過ぎない. この点については逸見博士も決定的に言い得 .ないし容易に何を表わせるかを断定することは困難 ) こ の こ と は 単一 図 相 の も つ 性 格 と して 致 し 方 の な い と こ ろ で あ る で あ る と論 ぜ られ て いる8 . , 7) 水 生話の構成のところで述 べたように, 繰返しではあるが本生話は何時何処で斯く釈尊は語られたと いう因縁分を序論 として, 過去, 前生の菩薩物語を述べその連結として現在と過去の物語り中に出て くる人物を結合させるもので, この故に, あらゆる物語が本生話となり得るので, 従って本生話の再 生及び創作はいく らでも可能となる訳 である. 8) 逸見梅栄博士 ; 印度古代美術・資料と解説 p. 186.. 一図数景の図像にあっては, この園像にとられた表現法が全く特異なものであって相反する条 件即ち限定された画面に物語の数景を一緒に盛り込むので, 物語りが時間と空間の発展飛躍がある のに画面の制限をされるということは所詮無理なことである, それを敢て何等かの妥協を図らねば ならないとすれば, この妥協が即ちか る特異な構成となって表現せられたのである, 観方によれ ばこの特異性こそ妥協から導き出される必然性をもつことになる, この時間と空間の観念を超越した表現を考案 したことは当時の美術家にとって如何ほど苦心した 結果であることか, このことを十分に同情 してかふ らねば本図の理解はなされないといってよい. さりとてこの構成法は特に優れているとは言い難い, むしろ言うならば幼稚な表現である, これ は 致 し 方も な いこ と と せ ね ば な る ま い,. 巳に述べたとるであるが本生図相に於ける主人公はたとえ人間像をとらなくともそれは菩薩, 釈 尊の前生の姿であるから, それを通 して単に物語られるという外に礼拝の対象ともなり得る神聖性 を も も つ こ と に な る,. 一つの画面にかく主人公が而もそれは多少とも礼拝さるべき性格をも持ったものが数度に渉って 描かれ且, これに教景が付嘱されるのであってみれば物語全般をよし図示したにせよ拝観者乃至礼 拝者にとっては実のところ迫力が減殺されること大なりと言わねばならない, こ に難点があり 同一手法がとられて西域・中国 ・日本と継承され来つたのであるが この 注 , , 意さるべき難点が程度の差こそあれ考慮されて来たことは, さもあるべきことで, 例えば麦積山石 ) 窟にみる捨身飼虎図の如きはこの点大いに賞讃さるべき構図と云わねばならない9 , 一図のうちに物語の要点を二つにまとめたものを二重契点とし同じく三の要点にしぼって構成し たものを三 重契点として作例をとり上げると, 六牙白象本生図, 二重契点 バルハット欄楯浮彫 摩詞薩錘太子本生図, 三 重契点 法隆寺金堂玉嵩厨子台座絵 - 246 -.
(9) . 本生園像研究序説 0 ) こ れ は そ の 凸 の A に あ た る1 ,. 捨身飼虎本生図, 四重契点. ,. *略患ム遇. 義 8. . 麦積 蜘 壁画 9 ) 図は ミ麦積山石窟ミ 北京刊 (写真帖) , 捨身飼虎本生図を参照のこと, なを,「麦積山石窟に於ける捨身飼虎本生壁画について」 は拙稿, 同題の小 論 (北海道学芸大学紀要・第1部第9巻第2 号) を参考にせられたい . lo ) 嘩詞薩唾太子が, 飢えたろ牝虎とその仔虎のためにわれと己ガ身を捨てん とし, 衣を端枝に掛け①高き崖より投身し②轍 虎に轍食されつ ある③と ころを画く, 太子の捨身の物語中その動作の要点を三つのモチーフとし三 度同一画面に画かれてある.. 本生説話を素直に絵画や彫刻に表現せんとする場合, その説話の順序に 従 っ て 数 繭 に こ れ を 区 切 っ て 描 出 す る こ と が 極 め て 自然 で あ と と も に 構 ,. (江口原図) 成上一般的な表現法であることに違いない, 而もその区切った画面が多け れば多いほど, その説話内容は十分に観者に理解徹底せしめ得る訳である はやい話が幻燈の連続 , 画よりも映画の フィルムの接 約数の多い方がそれだけ詳細明瞭になり 筋の運びが調子よくなる た , , だ映画と異るところは説話の内容のうちで理解外の補助的な情景な焦点のぅ、 らに入らなくともよい わけで, 舷ではそれが大いに省略される, 縦に説話の画面が続けば映画のフィ ルム的になるが之を 横につゞければ即ち絵巻物風になるわけである , 然もこの何れもが本生図像に表現されている , 縦に画面も 連らねたものとしては, バルハット彫刻のうちで比豆梨・不那奇本生図がその好例と なるが, また場面が横に移行する例として は, サンチー大塔北門第三横架脊面に浮彫されたベッサ ソターラ本生図やアヂヤソター第十窟・六牙象本生壁画がその良い例とされる , た ゞこ で両者ともに言えることは その表現される情景が わが国の絵巻物の如くに順を逐う , ,. 醍輪薯喧羅獣生構成国 正面. 券面. Saれtr 大塔算三機票. ⑦② ① ⑥ ⑧ ◎ ④⑧ Ajanta. cave No .10 - 247 -. 六 汗象 氷 畿 壁 画.
(10) . . 江. 口. 正. 雄. という正しい連続画 とならず, 都合により飛んでいることである, こ Mに何等かの理由がなけれ ば な ら な い,. 同 じことは縦の本生図の配置に於いても言えることで即ち ボー ドガヤの比豆梨 ・不那奇本生図の 如きがその例である, いずれも掲載した図を参照しておしい,. ぢ誉 ぎ藁葺 素塞 晶臨終驚き懲蟹蓑醍醐渋. ① ⑦ ⑥ ⑤ 門 に浮彫せられた図像に 仲 てみると, 図に示 ば 藻 置, 横架の正 図 ④ ④ ③. 面と脊面とで計十九図に別けられるのであるがこの各部に亘って 仔 細こ分別す ると, 正面粟の右端を炉 毘国ジェートウッタラ市の. 王城にて毘輪安阻羅王子が国宝たろ大白象を婆羅門に潟瓶布施す 1 )左, 傘蓋下の国王に王子がその妃と二子を率て訣別せ るところ(. ,. )乞 は る 3 1四 頭 立 て の 馬 車 に の り, ザ ソカ 山 に 追 放 さ れ る と こ ろ( 2 ん とす る と こ ろ{. ② ② ま >, 馬も施興し. 5 } )さらに車も布施し, 貰いうけた婆羅門はこれを引いて去り行くところ( 王子自ら車を率くところ姓 て歩む 左端前景には子の耶利の手をひいてやる王子とカソハーデイナを抱くヤッ デイ ー妃が素足に 6 1その後景として ザソカ山中の仙処に行き隠者の生活をするところ のを大衆がみて合掌するところ( } 8 晒までを正面に浮彫 として施工し, 裏面には罰に続いて右端より罰景と同 一の内容の図相を示し{ テイ河の畔りに 二児をつれ て徒歩でもって山中にわけ入る光景をあ らわし{謝山中を進んでケトゥマ )さらに蓮池の近く葉屋を築き既に仙者となった王子夫妻 が聖火を 出でて, 疲れはてた妃を慰撫し凹 焚き二児は野の鹿を遊んでいるさまを描きまた夫妻の語り合っているところ側 この仙処に於いては 修行にいそしみ, 王妃は木の実等を採収して王子と二児を養育するが, 或るときヂュヂヤカなる醜 悪なる婆羅門が来たって王妃の不在を幸いに二児を王子より貰いうける, 婆羅門の 手に潟瓶する場 面を回あらわし, 貰いうけた二子を醜悪婆羅門が折艦しているところq罰木の実の 採集に出たがどう も胸さわ ぎがするので急いで帰宅せんとす る妃の前に二頭の獅子が出て帰路を妨げるところ回しか しこの二頭の獅子の出現は実は王子の布施行成就のため天帝釈がしたことで, さらに夫帝釈は婆羅 )その上部に王 門に姿をかえて王子のもとに行き, 妃を乞い, 王子は妃を婆羅門に施与するところ鯖 子の布施波羅密の甚深なるに感嘆した帝釈が本身を現し施しうけた妃を返上し園図は続いて左端の 突出部にとんでヂエートウッタラ市に二児をつれて帰った醜悪婆羅門を城中より父王の発見すると 却ついに王は王 ころとなり節斯くて王は自ら馬上に軍隊を率いて王子る迎える べく ザソカ山に向いQ 1 1 ) バ る というところ唖で全く完結す 子夫妻と二子ともども爾後幸福なる世を送った , ルハッ トゴヒ門 る柱浮彫の比豆梨不那奇本生も同様に図に就いて説くと, 倶腐国の大臣比豆梨は聡明で名声高く, 障 その妙法をきいた竜王は帰ってから感服したところを妃に告げると妃は賢者に会いたい焦燥を感じ 病となり, ついに賢者の心臓を欲しいとせがむ, 竜王は妃のその願いをき〉計略をめぐらして娘の竜女に ミお前の婿は比豆梨の心臓を結納がわり にしなけれ ばいけないミ と言いきかす, 竜女は恋の歌を唄いっ>山中に不那奇という薬叉に会い恋仲となりこれと伴れだち帰ってく る. 竜王は結婚の条件として比豆梨の心臓をもってくることを言えば, 不那奇はこの条件を承服 し倶嵐 国に行く, 不那奇は賭博で王と争い王は比豆梨を賭ける. 不那奇はこの博賊に勝って賢者をせLめ 48 一 州2.
(11) . 本生図像研究序説 る, 不那奇は比豆梨を神馬の尻尾につかまらせ自ら神馬に跨って空を飛び, とある断崖のところに 来て 賢者比豆梨を堕し殺してその心臓を取らんとするが比豆梨はその理由をたゞし, 少時猶予を乞 いこの間に妙法を説く, 不那奇はこの法をきふ殺すことも恋も忘れはて心は清浄となる 比豆梨は , 不那奇の心を清浄にさせたのみでなく, さらに竜宮にいたり, 竜王, 妃, 竜女に説法して本国に帰 る, 薬叉不那奇は比豆梨をつれて来た功績により竜女と目出度く結婚することが出来たという ジ , ャ ー タ カ No ,545 . 菩 薩 本 行 経 巻 下, 雑 宝 蔵 経 巻 八 に 説く と こ ろ で あ る が, こ の 図 像 に あ っ て は 上. 下四段七景に区切って表現する, 1 即ち( )では樵鬼たる山上で竜女と不那奇とが恋を嘆きあっているところ,( 2 1はネ 串馬に騎って倶瞳 国王のところに飛来した不 那奇が王と賭博をしているところ圏は博戯に勝ち比豆梨を貰いうけた不 4 1比豆梨を馬 の尾につかまらせ飛び去るところ ( 那奇が馬にのり帰らんとするところ,( )断崖より ,5 6 1比豆梨が不那奇に妙法を説くところ,{ 比豆梨を逆まに落さんとするところ,( )竜宮に伴れて来ら 7 21 れた比豆梨が竜王夫婦に説法する と こ ろ1 11 l ) ジャ ー タ カ No.547 に拠る解説である. Ves J a t t an a a‐ s aka は漢訳では多く須大挙太子本生 ( 線達 ヱ i 男児・耶利 J 筆.善施・善与) と云い巧曲ともに同 じであるが, 太子名 Sud=na 妃・愛抵 Mant i l a ta とし, 白象を羅闇恕大壇と名づけ, 山を檀特山 Danda-Loka り周陀 Asi 女児・同峯 K衰叩 頭餐 仙人噺 と す る,. i i 図像としてはこの外に, 新彊省ミ ラ ソ地方仏寺壁画, (A.St e n-Ru ns ofdesert Cathay l.p.487. Fig fthe Anc i f es o ent Geography o , 147) ジャ マ ー ル ガル ヒ 遺 品 大 英 博 物 館 蔵 (A. Foucher-Not Ga ) l ldhara . Trans ,p .24 ,by H. Hargreaves ,13 , Fig . アマラヴアテイ. 亀紘, 中央アジア諸地方に発見され, また東醜武定 元年作碑像大宝二年(五五一) 金額卑像がありなを現に西戯蒙古等所謂劇瞭教圏に於いてはこの画像を多く みることが出来る , 毘輪安阻羅本生図像については稿を改め他日発表する つもりである, 2) 逸見梅栄博士著, 印度古代美術-資料と解説 p,202, Fig.230 解説による, 1. 説話が簡単なものより漸次複雑化されると同時に, その表現たる図像も単一なる図相より多画繁 雑な図像へと変化発達して来ることは当然乍ら, 抜に幾つかの問題がある. 説話文学の発達のうらずけをする有力資料として園像を確実な材料となし得ることがその一であ ろう, また図像を説話の種類に分類してその時代の 好尚に応じたものが最も多く画かれ作られたと いう見地からこの対比をもって信仰史の証差となすことが可能である, これその二である , 粗から精へと技巧が進むにつれて却って所謂職人仕事となりマンネリ ズムの弊に陥り美術の堕落 を招く運命は美術史に於いて容易に見ることが出来る事 実であるがこ>に主要な課題が存している と いっ ても よ い, こ れ がそ の 三 で あ る,. 本生美術は古代印度に発達し時の経過に順い東漸Lたがその伝播系路は明らかに二つの系統をも つ, 即ち南伝と北伝である, 南伝を小乗系と云い, 北伝を大乗系と概説するが本生美術に於てはこ れ は当 て は ま ら な い,. 大乗仏教に於いて特異な発達を遂げたものとして観音信仰とその菩薩思想が指摘されるが これ , の始源を辿ると或いは雲馬本生も想起されてくる, この雲馬本生も また前に述べた ヴェッサンタ , ラ本生もともに南北所伝を等しくする, 六牙白象本生もその南北を区別しない, 以下同様のものは数多く存する , た ゞ仏教神話はこの本生話を中心と して発達したのであるが, この間, 説話の発達変化に漸く南 北の差 異が付加されたものとみるべきで, その根本思想は同じである, 釈迦仏が因位の時に於いて修行をなしたというも, それはついに成仏するという因縁分として語 られたもので, この大修行底に六波羅密が自ら説かれるのであるから 大・小栗とも同じ根元より , 出発しているものと見倣さ ねばならない, 寧ろ我々はこの大小二乗が分岐した所詮の思想に就いて深く考慮を払わねばならない , - 249 ‐‐.
(12) . 江 こ. ロ. 正. 雄. に重要な説話と して儒童本生が問題としてとり上げ られ来るのである. 小野玄妙博士が説かれる大乗仏教神話発達の体系もこれを出発点とされていると考 えられる,. 1 3) 小野玄妙博士 ; 仏教之美術及歴史--第二篇第十一章, p . .360~369 拙稿 ; 劇瞭教に於ける儒童本生図像について, (北学芸大紀要) これらのことに関して は註i3ならびに拙稿 「劇瞭に於ける儒童本生国像について」 なる小論に於い て述べた ところであるからその詳細についてはこれにっいて理解していたゞきたい。. 50 - -2.
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