• 検索結果がありません。

清朝における徭役に関する一考察 : 清朝地方行政研究のためのノート(III)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "清朝における徭役に関する一考察 : 清朝地方行政研究のためのノート(III)"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 清朝における徭役に関する一考察 : 清朝地方行政研究のためのノート(I II). Author(s). 藤岡, 次郎. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 13(1): 5-18. Issue Date. 1962-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3818. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 13 巻. 第1号. 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 昭和3 7年8月. 清朝に為ける係役に関する一考察 -- 清朝地方行政研究のた めのノー ト皿 -- 岡. 藤. 次. 郎. 北海道学芸大学釧路分校史学研究室. i J ing Dynasty rO FUJ工。KA : on Lab。ur Service in the ch,. - A. Note on LocaI Ad ing Dynasty m 一 t s ranon i 1 mi n the Ch’. 目. 次. はしがき 1. 〔B〕 里甲田地多寡懸殊宜均平也. 清代の河夫一1 冬鳳彩 「沿河民困四事疏」. 2 明代の河夫の発生. の分析を通して. む す び. 〔A〕 河夫之偏累宜通変也. は. し. が- き. 直隷総督李液の 「請改編審行保甲疏-薙正四年」(賀長齢 『皇朝経世女編』 巻30戸政5賦 役2) をこ’. 臣査丁銀一項, 即古時力役之 征, とあるように, 丁銀の原形は力役であり, 丁銀は橋役の銀貨 幣の形態をとったものである . 明初の宿役, つまり里甲正 役や種々の雑役は, 十五・ 六世紀の銀経済の発達を背景として次第 ) さらに徴税方法の簡素化を目的とした一条鞭法の施行によって 雑多な橋役銀 に銀納化され1 , , も 「丁銀」 として次第 に一本化されるに至った2 ) . 明の遣制をそのまま継いだとい われる清朝では 康無52年 ( 171 3 ) になって, 前々年の康無50 , 年の丁冊 に載った人丁を常額として固定し, 続生の人丁 にかかる丁銀はそれ以後加増せず (「盛世 滋生丁」 制) , さら に確正年間には, 「丁帰地」 の法である 「地丁銀」 制が各地で実施さ れるに至 ) る3 .. 4 ) によると 戸の等則を分たず 一 丁銀を地賦に灘入する方 法については, 朱雲錦の「戸口説」 , , 律に賦課されるのだが, 例えば某県の丁銀の原額が ÷千両でありヂ 地銀が一万両である とすれば ◆ これによって見れば 丁銀はもはや地銀の附加税的 地銀一両に丁銀一銭をプラ スするのである. , な意味しかもたず, それよりもむしろ地税一本に絞られたとい っても差支えないくらい である . 山根幸夫氏が, 「丁賦の本来の形は僑 役であり, もともとは人丁を対象 に科派されたものであ くりこみ. ったが, いまやその丁賦が地賦銀のなかに灘入された. こうして中国税制史上久 しく車の両輪の 関係にあった橋役が解消して, 田賦のなか に吸収されてしまい, 単一税となったわ けである. こ れは中国税制史上画期的な改革といわなければならぬ (傍点-藤岡)。」 5 )といわれるのは 以上述 ,.

(3) . 藤. 岡. 次. 郎. べ来つたことを適切 に表現している. つまり地丁銀制の成立は, 橋役の貨幣表 現としての丁銀を解消 したのであるから, 必然的に橋 役をも解消 したとい う論理になる. 1816 ) 以後に書いた と思われる前掲 「戸口説」 で, 地丁銀制を褒 朱雲錦も, 恐らく嘉慶21年 ( めたたえ, それによって 「生斯世者, 幾 不識丁橋之名」 とさえいっている. 彼の表現からすれば 丁椿はもはや, 実・名 ともに消滅したのである. しか し, 果 し て そ う で あ ろ う か ? 『皇朝経世女編』 巻30戸政5賦役 ) に挙人となった盛百二が, その 「編審論」( 1756 乾隆21年 ( 2) で,. 係役惟可行千平日, 如非時力役河防土工之類, 基勢有不得不出於差者. 千是儒役有不均之数. と述べてい る僑役, つまり緊急の力役-河防土工 のごとき橋役とは一体何なのであろう か. この 小論は, このような素朴な疑問を出発点としている. また, 漢の算銭一唐の租庸調制に至る国家権力による個別人身的支配 (古代的) , 宋一明末に至 支 といった考え方 近世的 ) ) 中世的 ) 支配 田土 配 ( 明末清初以後の土地 ( ( る戸の , つまり国 , , 家権力支配の基本的な対象が, 人 一戸一地 というように推転し, それを尺度にして歴 史発展の具 ) これは当然 各時代における役法の変遷, 及び法の変 体象を眺めようという発想の仕方もあり6 , 転を余儀なくさせる橋役収取の実態の変化についての綿密なる考究を要する. この研究ノートは 些かその点についての関心をも出発点に している. しかし, それらの疑問や関心につい て, 薮で 解決解明することは私の能力の及ぶ ところではない. 表題には 「清朝における橋役に関する一考 察」 とつけたが, ここでは橋役自体を真正面から, また総括的に取上げ たわけでなく, 柊 鳳彩の 上疏を 中心に, 橋役の一つである河夫・河役につい て, しかもその ごく一端について考察をめぐ らしたにすぎない. それを足掛りにして, 今後清朝における橋役についての綜合的研究を行ない ) た い と思 っ て い る? .. 註 1参照. 1) 山根幸夫 「十五・六世紀中国における賦役労働制の改革一均橋法を中心として一」 (史学雑誌60の1 ) 藤井宏 「一条鞭法の一側面」 (和田博士還暦記念 『東洋史論叢』 所収) 参照. 2 3) 北村敬直 「清代における租税改革」 (社会経済史学15の3・4合併号) 参照. 0戸政5賦役2. ここで朱雲錦は薙正4年の河南巡撫田女鏡の題請にもとづいて述べ 4) 『皇朝経世女編』 巻3 て い る.. 5) 同氏 「一条鞭法と地丁銀」 (筑摩書房 『世界の歴史』11所収) . 1所収の座談会 「中国の近代化」 における小山正明氏の発言. ただし小山氏が, 6 ) 筑摩書房 『世界の歴史』1 明末清初を中世・近世の画期としている, というのでは決してない. 7) なお, この小論はさきに発表の 「公項について」 ・ 「清朝における地方官, 幕友, 唇吏, 及び家人」 (共 に北学大紀要12の1) と共に, 「清朝地方行政研究」 のために用意されたノオトである,. 1 清代の河夫-柊風彩 「沿河民困四事疏」 の分析を通 して 私の手 許にある, 河夫・河役に関する 史料は, 極めて少いが, この節 では, 修風彩の 「渦河民 1 ) の前半の部分 を読み下し, その中から問題を拾って, 清朝の河役の一端を考察した 困四事疏」 い. なお, 柊 鳳彩の生卒年月 につい ては只今私には不 明であるが, 『碑伝集』 によれば, 康無初期 ) のひとである2 . 従 って, この上疏の内容も, 康無初期より遡って, 順治時代の河役 について述 べ た も の と理 解 して よ い と思 う.. 〔A〕 一. たよって かえ守 ふたんが め ・. わたしがおも. 河夫の 偏′ 累 いる, 宜 しく通変す べきだ, 臣査うに, 黄河の修築には, 毎歳の用夫が万.

(4) . 清朝における樵役に関する一考察 はじ. おわる. 余名から七八千名 ぐらい必要である. 二三月 に 〔工事を〕 起め, 十月 に終止. 〔用夫の費用は〕 のようだ いっけんこうへ し ・ ナベ とちのy ) んせきにおうじて とりたて 倶て 按 地 畝 起派るから, 似 乎 公 会. しか し, 実 弊 は馨く告げることのできないく たにん. れい. らい多い, 如をとれば, 絞精の徒が, 自己の田土を, 人に飛躍する弊, 勢豪の家が, 他 人 の地 子のうえ はなはだ 畝を, 己に包損する弊, 甚至しきは, 紳衿街役が, 優免に借題る弊, 兼, 不肖の有司は, 情面 ぜんりよう じんみん 性だ に凝されて 〔黙過 し〕 けつきよく, 儒弱の郷愚に, 愈累愈貧. ゆく. ほど. 月に三四両不等で, 夫一名を雇うことができるが, その雇夫が河上に解到 と, そこでまた, 積 もっとも Lごとわりおて てのこ 二んおいかく 至重い工を授られる, 〔雇夫〕 は苦しくてそれを受けず, 年の河梶 の夫頭の, 百計欺圧にあい, 至 ′ J ・ -た . たい. よう寺 1 争う. 複 勢い逃げることになる. 逃げたうえ, 複び州県官に向して提補し , また二三両を得たのち重雇 ^ かか そこ げいじ つ それ も 」 せらる. 是で毎夫一月, 己に六七両の費が至る. 即で, 初雇の毎月三四両としてみても, 一歳 寓夫をもって計れ ば, 毎年三四十万両の費となる. 廟堂之 上では, 止だ河に歳修あるのみを知 じん歩ん. かくのごと. つて, 歳修の夫が如許きなるを知らず, 歳修の夫あるを知って, 更 に百姓が如許き金銭を費 す を知らない.. すんゴいのば i おい ‘. 為今之計, 官雇の一策に若くは莫い, あらかじ みつもつ 査ぅに, 奮例河工夫役は, 管河道が毎歳の預め活用た 人夫の若干を, 各州県から, 按地起派 し - ている Lごとにつ , , た. 今若し官雇ならば, 毎夫毎月 雇価二両で足りる. 毎歳, 上 工 の期間 は九ヶ月であるから ひよう. た. 毎夫は止だ十八両の用ですむ. 寓夫では止だの十八万両. これを百姓の目雇に較 べると, 天淵 不膏 炎.. いじようだ. いくら. 〔官雇についていえば〕 , 毎歳雇用わの夫若干, 該銀若干, 歳征の河銀のほかに, 足りない部分は めいき 河南の八府一州の地畝を 等則に分別け て, 毎畝に銀若干を派し, それを由単内に刊明して, 出 も. 方ら. らい. りがあれば, 留めて下年の用 納もまた地丁銭糧 に照 って, 年終に河臣が奏錆を行なう, 愉し余乗 ごまかLてうまく条ぬか そうすれば とする. 如是, 民は定額あるを知り, 渡指の徒, 勢豪の家, 紳衿街役が, 影射倖免れることが . 不可能 にな るばかりでなく, 河梶夫頭, 管工官役輩も, 巧を施することはできない. 以上は歳 i デカし についての議である, . おもいかけ方. し意外い大工に 遇えば, 歳修のための雇価では, そのような浩繁な費を敷ぅには不足だ. 是 お′た 駅bうよう かんがえる -を 動 し べ き で ある あ る. 再 め て 酌 題 べきで は臨時に, 或は何項かの銭糧を動し , 再めて酌題 )などを除いた雇夫の労賃の費用 について述 べ 従 修鳳彩はここで, 「歳修」 の経費中, 物料3 , 来の雇夫の方法, つまり 「百姓之目雇」 によるやり方を廃して, 「官雇」 にせよ, そうすれば, その費用は約半分で済むであろう, と主張している. さてここでこの文章全体を通じて留意すべきは, 〔1〕 上記文章の前半の部分が 「鶴例」 河工夫 役について述 べたもので, それは恐らく明代の遺制であり, 篠役の貨幣表現としての丁銀の地賦 灘入ー地丁銀制成立前の河役について述 べているとい う点についてである. 即ち地丁銀制は薙正 4 ) 橋役 4年 ( 1726 ) 以後, 各地で漸次施行されるが (もちろん永らく未実施のところもあった) , を考察する際は, 地丁銀制をどうしても念頭に おいて考慮しなけれ ばならぬと思われるからであ 1〕 賦・役制度の簡素化, つまり徴税法の簡略化を目的とした, 明末の 「一条 鞭法」 におい る. 〔1 て, 橋役の雑多な項目の一条化が見られたにもかかわらず, 河夫・河役の橋役はそのまま独立し てい たら しいこと. 〔皿〕 河夫は 「按地畝起派」 されたが, その法は公平に見えて, 種々の弊害を 伴ったこと等である. 次に女面に表われた 「語句」 の幾つか に ついて解釈を試みる. o〔用夫万余一 七八千名について〕 ー 7 ー.

(5) . 藤. 岡. .次. 郎. 『情国行政法』 には, 「河夫ノ額数」(巻3p ) を挙げている. それによれば, 例えば河南省 1 .22 では, 爆 夫長夫など合わせて千五百 人ぐらいである. 柊氏の上疏は 『河南通志』 に収められてい るもので, ここでいう七八千~万余の用夫も河南省でのそれを指 したものであろう. ではこの数 の大きな開きはどうしてであろうか. 私は 『行政法』 でい う額設の河夫は, 「槍修」 のためのも のでないかと思 う. それに対 して修氏のいう雇募の用 夫は, 「歳修」 のためのものである うと 意測する. 『東華録』 窯正元年7月 甲午の, 工部への上諭に, 渦河州県, 向有額設河夫, 目百名至数十名不等. 興工則併力溶築 工停則分遣巡防. 損者随補 ,. 場者随培, 修槍擁護, 倶係熟語夫役. )は修槍にあたり それは熟語の夫役たるべきであった6 ) とあり, 額設の河夫5 , . 『行政法』 では, 槍修を歳修や大工・別案ととも に説明 して次の如くい う. 官隈ノ修理二歳修, 槍修, 別案・大工別アリ 歳修 トハ毎年迎溜頂衝ニ当り或ノ ・年久シク シテ 腐壊セル箇処二対シテ鏡築ヲ加フル謂ヒ 槍修 トハ河水ノ遷徒若クハ大観迎溜ノ為メニ工事ヲ 生シタル トキ修築ヲ加フルヲ謂ヒ. 別案・大エハ共ニ歳修槍修二属セサル不時ノ大工事ヲ謂フ. (巻 3p . 119) 槍 修 ハ エ 事 ノ 平 険 ヲ 量 り 随 時 起 工 ス ル モ ノ ニ シ テ … … (巻 3p 200) .. 「槍修」 は, 東華録でも行政法でもいうように, 「随時」 に工事を行なうものであった. 随時 ふだん とい うことは, 却って 「不 断」 に気を配って工事に従事するとい う状態を指す. 従 って「槍修」の 場合は, 東華録での上諭が指摘 するように, 熟語の夫役たるべきであったのであ る. それに引き 換え, 「歳修」 の方は, 定期的で, 比較的大工事の場合であり,.多量の労働力の投下を要 したの であろう. しかもこの場合結局雇募にかかる夫役であるから, 工事に対する熟練の程度は低いと ) 考えられ, その点からも多量の労働力を必要としたものと思われる7 . なお, 前掲上諭 中の額設河夫100名~数10名は, 州県のそれを指 し, それらを合計すると, 『行 政 法』 の如き数になると思われる. o〔歳修の期間について〕 柊氏の上疏では, 「歳修」 の期間は, 凡そ2・3月 ~10月 の間の如き文意である. しかし 『行 政法』 では, ・秋?丸後河水減少ノ時ニエラ興シ 翌年桃?兄後ニ完竣スヘキモノ トス 毎年清明後二十日 歳修ノ ヲ桃汎 ト日フ 二月桃始メテ華咲キ氷解ケテ河水一時ニ出ツルノ時期ナリ 桃汎ヨリ立秋前二 至ルラ伏例ト日ヒ 立秋 ヨリ霜降節ニ至ルラ秋汎トE Iフ 六月 湖野ノ地氷解 ケテ河水一時ニ出 200) ツ ル 時 期 ナ リ (巻 3p .. とあ り,′概ね冬季河水の減少 した時期 に なっていて, 両者は全く異っている, これについてはよく判らぬが, 「歳修」 の時期は, 『行政法』 の言うような期間に, かならず し も縛られていなかったのではないか. o〔按地畝起派に伴う弊害について〕 立 地条件がそれぞれ異るので, 儒役収取の基準も異ると考えられるが, 大雑把 に言って, 明代 以来橋役収取の基準は, 丁数と田土額の綜合評価の上に立 てられた. とくに農民層の分解度の速 い江南地域では, 田土及び田糧が, 橋役収取の基準として重きをな していた. それに 引 き換え, 田土の所有額がそ のまま財産の多寡を表示することにはならぬ華北 地帯では, 永らく他 の財産を )地丁銀制が山西省で道光年間に至るもなお 多数 の州県 8 も評価の対象として差派された (門), ,.

(6) . 清朝における橋役に関する一考察. ) 直隷省で 大差・雑差収取の法が 永らく按門戸 按牌甲 按村荘 で未実施だったのも9 , , , , , , 按 牛嘘と並んで, 「間 地畝を按ず る者有り」 l o )とあ るのは その間 の事情を物語るものであ るu) , . それはさ て措き, 河南 省 に於ける河エ夫 御ま 管河道から予定の人夫雇傭費額が州 県の手を経 , て, 人民 (里甲民) に按地起派された つまり人民は田土所有額に応じて 橋役を出 した この . , . 場合もちろん銀で折納さ れる. 1 2 ) 農民層の分解度が進み 土地の集中が強化され 財産表 示の基準 , , が主として田土の所有額に傾斜してくる・ と, 按地畝起派の法は, 公平を期 する上に当を得た方 法 であろう. 清初に見られる 「均役」 の議論の多く が この按地 起派の法を厳格に行え というも , , のであるのも当然である. ところが 柊氏の上疏に見られるょ 動こ 抜け道があ り 却って弊害 , , , を生ずる側面を持 っていた. 自己の田土 を表面上他人名儀にして差役を回避する 「飛躍」 逆に他 , 人の田土を自己名儀にして その勢豪を特んで避役する 「包櫨」 また 「優免」 を口実に した役の , , 不正回避等. これら の諸弊はそれぞれ関連 し, 一本の根から生じたも のであ り 清朝に於て 賦 , , 役に伴う弊害を説く者は, 執れもその点に関して触れてい る1 3 ) . ところで, 按地起派の法が土地 集中化という, 社会経済上の発展 に見合う徴税役法で あり , しかも既に明代には, 「均街法」 や 「一条 鞭法」 等の如き 徴税役法の技術的側面 に大改良が加えられたにも拘らず 依然と , して, , 「接地起派」 の法に弊害が 生ずるとすれば これはもはや 徴税役法の技術的改革のみを 以てし , , ては, 救いがたい病根を 社会の深底 に蔵 しているものと断ぜ ざるを得ない , . だから柊 氏の案の 如く, 河工夫役を 「官雇」 に し, その経費を河銀 附 から支出 するほか 不足分は 田地の肥痔 に , , 応じた等則に基づき, 按地畝起派する法も 一時的に効果を挙げうるかもしれぬが 決 して根本 , , に触れる改革案ではない. 一 おも. 〔B〕 ′ し ・ ・ きんか. おおきさ かけは帥て. 里甲の田地の多寡が懸殊い る. 宜 しく均平すべきだ . まえ. かく. おこな. た ちかごろ 鎚照ぅに, 里甲を均平にするは, 久から論旨を奉じて直省で通行ってきた 惟だ河 南は比時, . け ついに かし ・ かくされていかい れ 荒 (地) 多く, 熱 (地) が少い」 〔そして〕遂爾 因循如故 里甲の名はある雄ども , . ● , その実, 於ん社寺 怪もばら おおきい た 多寡は 不一である. 多者のは毎里五六百頃一三四百頃 少者のは止 だの一二百頃で は々係だ , , 甚至しい た『た たまたま ”≠うけんかん えき わりつ のは数十頃から, 蜜像数頃という のがある 遇差儒あれば 有司は 止だ里に照ら して差を網 , , , おお おおぜ のちかうで きをう“やナく し ・ けることだけ を知 っていて, 里が大きければ田も戸も多股く 衆・撃 え 易 挙, 里が小さけれ , すくた う ば田も人も少稀く, 役を承け難い こ とを知らぬ . 更に官・儒戸の名があ り, 〔彼らは〕或は甲に おこ 入らなかった り, 甲に入っていても差を当な わない , 甚至しいのは重役を廻避 して軽役に就き 1 ) 5 詑寄飛躍 し, そのため大里は愈 で便宜 を得, 小里は愈 苦累を増 す 名もくは一例当差とい . うことになっていても, . 実際 には不均の歎がある, 為今芝計, 各州県が詳 察する に 若くは莫 , へんどうめか し ・ よびだ くこうぢようさ い. 巳に均平で不動ものを除い て, 均平ならざるものがあっても 各戸を拘喚 して審編 をした , ようえきのわりっけ かん り, 里書が 勝手に〕 分 派をしたりするのを許さない 止だ州県印官をしてのみ 見在の徴 . , まず 糧地畝冊に按って, 如 し一州県に, 地千頃有れば 原 十里に分ち 毎里一百頃 に均分 し・一 , , , , よ → りお , 里を各十甲 に分ち, 一甲を十頃に均分し, 遇し差 儒が有れば 里甲にって均 しく当て 少しも , , そうすれぽ のがれ ‘ うれおる ひとり 増減あるを許さ ないようにさせる, 如是則, 豪強も 鱗避られず 貧弱も偏 枯ことも ない , . さて, ここで柊氏は, 差僑一役の割附け基準を 里甲単位にせよ しか し現在のままでは 里 , , , 甲の土地面積のアンバランスが 甚しいから, それを均平にすべきだ つまり里甲制を 田土の上 , , から再編成せよ, と主張する.. 元来, 橋役収取の利便を目的として設けられた里甲制は 薙正年間の地丁銀制の成立 , によって ,.

(7) . 藤. 岡. 次. 郎. その本来の目的や意義を失うに至るが, 少くとも順治康無 時代に於ては, 橋役賦課のアンバラン スを是正するために, この里甲制を, 田土の上から再編成せよ, という修氏の主張の如き意見が 屡々出されたようである. 里間の土地所 有が著 しくバラ ンスを失って くる過程は, 土地集中化に よる農民層の分解を示 す過程でもあるが, その過程は更 に賦課される橋役の賦課率 を, 相対的に 益 々 ア ソ ミラ ンスにさせ, 農民層の分解を一層深めてゆくであろう. 当時多く出された 「均田均 役議」 は, まさ にその点を支配者的観点から指摘 しているのである. 『女編』 巻30戸政5賦役2) で, 戸料給事 中河聾は, 順治18年 「編審麓弊疏」 ( 査一県田額若干, 応審甲長若干, 毎里十甲, 毎甲該田若干, 田多者独充一名,田少者串充 一名, 其最零星者, 附於田尾, 名日花戸. 此定例也. 所以各項差役, 倶係里長 挨甲充当. 故力不労而 事易餅. と述 べ, 定例通り行われると, うまくゆくの であるが, いかんせん, ひとり蘇州府・松江府に於 . 名日食報股実, 菟 不椿査田畝. 難云十年定役,叉復毎年小審,前冊里甲輪至後冊, 有田巳売尽, 貧無立錐, 而併報重役者. 遂有田連肝順, 坐享膏狭,而全不応差者. 不特十 年之中,偏枯殊甚, 甚至年年小審, 行賄求情, 郷移脱換, 叢弊多端. 田帰不役之 戸, 役累無田之戸. というように, 各里甲間の田畝 が著 しく不均衡であり, 従って賦課される橋役も相対的に極めて 不均等に割 り当てられると, その弊をのべている, 『女編』 巻30戸政5賦役2) で, 松江府属婁県の知県であった李復興も, その 「均田均役議」 ( 婁県の実情を述 べ たあとで, 一県区図田額, 多寡不斉. 若一体承役, 必致 大小不均. とい って, 「均図」 の法を施行す べきを説いている. ところで, 以上 のように, 修氏が 「里甲」 間の田土額を均 平にせ よ, という主張は, 篠役の割 1 6 ) をそのまま単位 として行なわれる とき, 甚 しく不公平になるから是正 当てが, 現状の里 (図) せ よ とい う こ と で あ る か ら,. そ の 主 張 は そ れ な りに 正 当 な も の と い え よ う. しか しそ の 主 張 は, ・. 柊氏がさ きに, 笹役の割 当て (黄河修築のため用夫へ支給する負担銀) が, 「按地畝起派」 する ことの弊害 を説いた主張 と矛盾するのではない かと思う. つまり, 里甲内の土 地を均平にせ よ, ,実は本質的には, 街役の割 当ての単位を田畝に置いて考え ているのであるから, という主張は,. 「按地畝起派」 しても大きな弊害を伴うから, そのやり方 は駄目だという先の主張とは明らかに ようであるが 矛 盾した論法だ からである. このよう に柊氏の主張は, 〔A〕と〔B〕で喰違っている 一面で それは ともかく として均役の議論が, 多くの 人によって繰返 し行な われたとい うことは, 「差役」 の負担が 非常に重か った事実を物 語る と共に, 他面 で制度 と実態のギャッ プがひどく大 きかったことを示 すものと思われ る. さ て, 偽氏の 「里甲田 地多寡懸殊, 宜均平也」 の主張は, 差揺とくに 「河工」 に関する差僑の バ 一括的に称 均当を目的 として述 べ られている と思われるが, 以下では 「差篤」 とい うコ ト で, せ られ ているものの語意につい て少 しく考察をめ ぐら したい. o〔差 篠 に つ い て〕. ー. 相友 我朝百年以来, 薄海編 涙, 従無公旬儀役. 所有守夜開溝栽樹修堰 等事, 乃民間目為保護, 『 相助之 誼, 如江西湖広 等省渦江隈堰, 民間目為修防者甚多. 何得調之差 橋. ( 東華録』 乾隆21 年2月 庚子) ここで乾隆帝は, 渦江の腿堰は, 「差僑」 に あらずとい っているのであるが, この文意は却っ ーl o-.

(8) . 清朝における懲役に関する一考察. 1差橋に対する国家権力の, ウシロメたい 2 て( 1 )渦江の隈堰も, 差栴と言い得べき余地を のこし,( 意識をあらわ しているように思う. 『行政法』 には 河防ニ於ケル隈エハ. 官 修 ダ ル ヲ 主 トシ 民 修 タ ル コ ト極 メ テ 稀 ナ リ ト雌 モ. 江防ニ於 ケル陽 エ. ハ 民 修 二 属 ス ル モ ノ 少 カ ラ ス (巻 3p 239) ,. とあり, また民修にも, 純然たる私工事の 「民湖民修」 と, 政府が工事を施行 し経費は人民負担 である 「官督民修」 の二種があり (巻3 p 240) , , 民修のばあい, 主として国家がさきに経費をた てかえ払いを して, のち人民から徴集するところの 「借項興工」 の形式がとられたという (巻3 4 ) p .24 . 乾隆帝の指す隈堰の工事が, 法規上果 してもともと民修 にかかるべき性質のものかどう か, ここでは知 ることはできぬが, いずれに しても, 河防並びに江防に関わる夫役, 及びその為 の費用が人民から収取さ れ, それをも差僑と称 したことは申すまでもない. 修氏の 〔A〕 でいう 「民の目雇」 にかかる河夫は, もちろん差僑であった. ところでこの 「差篠」 は, 次の如き 「差務」 「難癖」 「雑差」 の語と同じものを指す のであろ う. もちろん, 雑緋とか雑差とかいうばあい, 差儒の項 目の 雑多性を言いあらわしてい るのであ 7 ) る が1 ,. 至百姓承餅差務, 歴係按地句灘, (屠之申 「敬欝直隷減差均衡疏」『女編』 巻33戸政8賦役5) 『東華録』 i 挨聞, 江南太平府蕪湖県, 有雑排. 江夫河蓬銭, 歳徴銀二千三百零四両, 歴年久. ( 3年11月乙巳) 薙正1 此時艶調剤之法, 如恭届大差, 衿民目当一律遵雛. 其余雑差, 則衿戸准免本身一人. (顔検「覆 . 議滅差均橋利弊疏」 『女編』 巻33戸政8賦役5) では, これら雑差などと呼ばれたものの種類はどうであろうか. 一二例を挙げ ると, 至於雑差累民尤甚, 如米車, 如煤車, 如酒車, 如委員過境車, 如逓解人犯車, (割註-委員過 境・乃逓解人犯両項車軸, 茶<張本のこと>目到任後, 目行損雇毎輔市価用銭七百女. 若派民 間毎輸出銭十四千女. 約計一年需車五百輔, 茶止絹銭三百五十貫, 即省民間車銭七千貫. 雑差 ) 如草, 如料, 如妖, 如炭, 如天棚, 亥 累民可類推炎. E夫, 如壕塙, 如柵欄,如井蓋,如井欄, ョ ラ ロ 如喪刺, 如勢柴, 如枝子, 如林階 等項. (張盃 「諭差儒書」『女編』 巻33戸政8賦役5) とあるよう に, これ は直隷省の例であるけれども, 驚くべきほど雑多な項目を挙げ, 張茶をして 「種々名目, 離奇古怪, 悉難枚挙.」 と言わしめているのであるが, それ にも増 して, 例えば委員 過境・逓解人犯車輔の雑差が, 市価の2 0倍課せられたことに喫驚せざるを得ない. このほか, 超錫孝は, 江南田畝, 其橋費経里, 己編入正項銭糧, 原不応復有橋役. 今日之役, 飛差而巳, 所謂飛差, ・各県不同. 即一県之差, 亦無定形, 其費亦無定数. 凡甲之充役者 如在蘇州謂之現年地方 在 , , 常州謂之総甲. (「惟役議」 『女編』 巻33戸政8賦役5) といい, 蘇常の 「丁帰地」 後の倦役について述べているが, その僑役を飛差と称 した一飛差の飛 とは, 「根拠なき」 とか 「いわれなき」 とかの意でないかと思うがどうであろうか) , これら現年 地方・総甲 (史料では屡々っずめて地・総といっている) などと呼ばれた甲の充役者の飛差につ いて, 上文に続け て, 其当投之年, 凡図中盗賊聞殴人命, 匡類逃人, 私塩漏税, 捺浅作 編, 修築煙激, 営房橋梁, 馬 路城郭官舎, 水陸木柵, 開造煙戸, 与夫戸無著, 命盗案 死無棺木者, (同上) - 11 -.

(9) . 藤. 岡. 次. 郎. と挙げてお り, この飛差は上記の雑差と称 して差支えないものであろう. 雑差 に 定額のなかったことは, 前掲史料に示されているが, 屠之申の上記上疏にも, 賦有常経, 橋無定額. 日久弊生, 遂至派差之名色. とある. その上雑差には収取の時期も一定 していなかったらしく, 張番の前掲 「論差橋書」 に, 縁, 此等雑差, 既無一定額数, 叉無一准時期. 可少可多, 無早無暮, 票甫出而銭即至. と あ る の に よ っ て わ か る.. ところで, この差橋とか雑差と呼ばれるものは, たとえそれが貨幣形態で派差される ばあいで も, もともと倦役であるという意識が残っているためか, 浮収とか晒規とか火耗とかいわれるも のとは一応区別されていた. 考之 (差務のこと) 賦役全書, 直省正賦,千薙正年間,帰丁於地. 即有行差名目. 是差由地出,. 与漕務浮収勤折, 及各項順規不同. (屠之申前掲疏) と力も. 知府以下, 知 県以上, 必開某官, 不派雑差, 不重火耗. (『東華録』 康無6年4自己巳) とかあるのによってわかる. ところが以上のように雑差は時期・額・内容に於て無定限に収取され, しかも順規や火耗・平 余などと共に, 銀という貨 弊 (もちろんコイ ンではないが) で収取さ れると, 収取される人民側 からいえば, 順規などとの餅別が明瞭でなくなり, 収取側からいえば, またそこが附け目であっ た とい え よ う.. 張茶の前掲文 中, 従前晒規, 未准明取, 州県猶得籍ロ. 今則明奉諭旨, 凡銭糧之平余,雑税之存剰,行戸之津貼, 塩当之規礼,悉准取用,是倦足緋公. 尚同所借ロ乎. 且恐州県籍有明取 順規之旨, 将雑差影射, 混作順規. 勢必明日帳胆, 愈津謙求. 而愚民無知, 敦能納白, 何者為雑差, 何者為順規. とある箇所は, そのことを明瞭に指摘している. 愚民ならずとも, 極めてま ぎらわ しい代物であ る. そ してここで注目を意くのは, 嘗 てはヤミ的性格で, 現在は公許されている銭糧 の平余・雑 税の存剰・行戸の津貼・塩当の規礼などのいわゆる順規が, 餅公の費つま り公費の来源をあらわ 8 ) してい る こ と, ま た 雑 差 とい わ れ る も の も,公 費 の 性 格 を も っ も の で あ る, とい う こ と で あ る1 .. さ て次の史料は雑差が生じてくる事情と時期を示 しているように思われる. 張茶はその 「均橋 『女編』 巻33戸政8賦役5) で, 弁」 ( 計自耗羨 改帰正欺以後, 院司道府, ー切繕書口食, 囚糧囚衣, 刊刻書籍等項, 費無所出, 不能 不灘之州県, 而州県所得養廉, 悉被灘絹担去. 其延請幕賓等費, 巳属無米之炊. 況地当首善, 差務段繁, 一切車馬工料, 止准報鍋例価, 較之実用, 須賠十倍, 各牧令既有灘絹之累, 叉需緋 公之用, 無術点金, 従何賠塾」 勢不能 不派之民里也. 従此而大差之外, 錆差費. 与州県之各項 雑差, 於是乎起. 然皆陰有其実, 而 不欲顕居其名, 既無派餅之定額, 叉無支鎚之准数. といっている. つま り張番 は, いわゆる 「耗羨提解帰公」 に伴って, それ以後に 雑差の各項目が 生じたとしている. 申すまでもなく 「耗羨提解帰公」 とは, 各州県がマチマチに人民から収取 し ていた耗羨を, 一旦省 の布政司庫に収納 し, あらためて州県 に公費 と養廉とを支給することをい う. ところがこの張茶の女から察知されるように, 耗羨の提解や和廉のために, 例えば幕友 の延 ◆従 って己む 請費 (私費) はいう に及 ばず,▲ 雛公の用 (公費) も全く財源を失うに至ったという. を得ず里民に科派する雑差は, 張茶 によって耗羨一公費と同じ性質のものとして理解されていた 一 12 一.

(10) . 清朝における橋役に関する一考察. といえよう. ただ彼も指摘するように, 雑差は耗羨が公然と収取されるに比し 「皆陰有共実 , , 而 不 欲 顕 居 其 名」 とい わ れ る よ う に, 依 然 と し てウ シロ メ たさ ,. 暗さ を そ の 中 に も っ て い た と は. い え る.. ところで 「雑差」 という名称, 及びその名をあらわす実体が 張本のいうよう に 薙正年間の , , 耗羨の提解帰公に伴って表われ来つたのであろうか. 薙正年間は周知のごとく, 地丁銀制, 耗羨帰公, それに伴う養廉銀支給 改土帰流, 書院官立 , 化 等々, 行政面の這般 に於て種々改革が加えられた時期である. さきに引用 した屠之申の上疏 に 「薙正年間に, 丁を地に帰す. 即ち行差の名 目あり 」 とあったが 「即有行差名目」 のところを . , 「 (丁を地 に帰 した, ) 即で……」 とすれば, 地丁銀制の成 立とか, 耗羨の提解帰公を機として, 雑差が生れてきたかの如き感を与え, 張盃のいうようにそれに伴う 現象のようにも受け とれるが かならずしも そうではあるまい. というのは, 前掲 『東華鎌』 の康無6年 ( ) の上諭には, 既に 「雑差」 という語が用いら 166 7 れて居り, 当時既 にその譜に見合う雑多な差僑が収取せられていた に違いないからである. しか し張茶のいう雑差が耗羨の帰公 に伴って生じた という議論は それなりに意味が あるよう に思 , , われる, というのは耗羨提解帰公策によって, 従来州県官が比較的随時且つ窓意的に収取してい た耗羨順規などに, 上からの統制策が強化され, その為に州県官は別口の私派科派 を行う要請に 迫られ, この時期 に 「雑差」 の名称で統括表現されるような雑多な差儒が, 新たな口実 の下に生 じて来る機会を与えたと考えるからである. つまり私は, 耗羨の提解帰公策そのものの意義は認 め得 ても, そによって州県官の科派私派を停止することはできなかったし, む しろそれ によって 私派科派を強化する逆効果を生んだのではないかと思うのである. 肖 さ て, 柊鳳彩の 「沼河民困四事疏」 はこのあと, 「柳梢之協済, 宜通変也」 と 「装運協済柳不 之船隻, 宜通変也」 について論述しており, 柳梢の徴取も, 一種の橋役の変形-庸 とも考えられ 当該首題と無関係ではないと考 えられるが, 紙幅の関係で一応触れ ず におく. なお 「柳梢」 につ 同上巻103 いては, 斯輔 「治河工程」( 『女編巻1 01工政7河防6) , 呉壬敬 「派民種柳 有損無益疏」 ( 工政9河防8) などに詳しい. 註 『皇朝経世女編』 巻33戸政8賦役5、(以下 『女編』 とのみ略記) . 巻6 3康無朝督撫上之上 「大中丞俸公復修方金渠碑記」 参照. 物料については, ひとまず 『清国行政法』(以下 『行政法』 と略記) の巻3p ,210以下を参照せよ, 9 ) これについては, 論正慶 『奨巳類稿』 巻12「地丁原始」 (商務印書館本 p ) ・諸一山 『清代通史 .456 疏」 (『女編』 巻 「 (中) なお山西省のそれについては 請丁銀侮帰地糧 3 9 ) 参照 ( 監察御史 ) 』(p 5 文涛 . . , , 30戸政5賦役2) に詳しい. ) いま, 荒木敏一氏引用にかかる 『皇朝文献通考』 巻21職役考1雅正1 5 2年の条の史料を借用すれば, 「前代, 渦河の州県は歳鯵の民夫有りて頗る苦累と為す, 国初, 改めて河夫の額を設け工食を給し, 賦役全書に編 入す.」 とある (「雅正2年の罷考事件と田女鏡」 東洋史研究15の4p 06 ), これが事実とすれば, 額設の .1 河夫は国初にはじまるということになるが, 私見に拠れば, 明代十六世紀末・十七世紀初頃既に存在して いたのではないかと思う. なお, 『碑伝集』 巻7 5河臣上 「断輔伝」 及び同書同巻 「嚢公輔墓誌銘」 に, そ れぞれ 「(康無1 選河員 年 ) 5 , 設河兵, 使之画彊分責, 河兵之設, 目此始」 ・ 「叉請裁冗員, 専責成, 厳 賞罰, 改河夫為兵領.」 とあるところから見れば, 河兵は河夫の後に設けられたもので,それは河員・河夫 の転形である. (河兵については, 』行政法』 巻3pp 19~220参照せよ) .3 . 6 ) 『女編』 巻101工政7河防6, 断輔 「治河工程」 に, 設立河営, 旧制デ 白河隈岸, 額設河夫, 以供修防之役. とあり, 修防之役とは槍修を指すものと思われる. 但し, 額設の河夫が, 事実に於てかならずしも熟語の 夫役でなかったのは, 上に続けて, 1) 2) 3 ) 4 ). 一 13 一.

(11) . 藤. 7) 8 ) 10) 11 ). 岡. 次. 郎. 然有司按籍繋点, 必仮手於吏沓, 由吏沓而及之郷長里甲. 大都冒張虚数, 臨時情応老弱. 故名存実亡, 而功以堕也., とあるのによって明らかである, 額設の河夫といえ ども, 当初は召募であろうことは, 申すまでもない. 藤井宏 「一条鞭法の一側面」 (和田博士還暦記念 『東洋史論叢』 所収)・谷ロ規矩雄 「明代華北における銀 差成立の一研究-山東の門銀成立を中心として一」 (東洋史研究20の3) 参照. 張本 「均筋女」(『女編』 巻33戸政8賦役5) , このほかこれに類似の表現の上秦女は, いくつか見られる. 「按地畝起派」 の法への抵抗が直隷省などの華北地帯に搬烈だったのは, 容易に想像される, 道光2年 「敬欝直隷減差均僑疏」 『女編』 巻 ( 1822 ) , 直隷布政使屠之申が, 差笹を 「按地勿雛」 せよと主張したが ( 33戸政8賦役5) , 遂に 「至屠之申, 未能 , 直隷総督顔険がそれに反駁し (「覆議減差均僑利弊疏」 同上). 休票湾形, 冒昧陳奏. 意在諸賦, 以収減差之実数, 不知適落差而添加賦之虚名, 累官病民, 其弊不可勝. 言.」 との裁可が下り, 居之申が降職の憂き目き会ったのは, この間の事情を物語る (『東華録』 道光2年 閏3月 庚子の上論) , なま 12 ) かならずしも, すべてが銀納であったとはいえないようである. つまり, 生の労働一力役がそのまま収取 された場合もある. 例えば, 前掲荒木氏論文中に引かれている 『皇朝文献通考』 巻22職役考2康照1 2年の 条には, 「例として (河工)歳修工程は従って募夫の例なし. 皆な附近の民夫を酌擬し, その力役を資う. 江南, 河南, 山東の三省皆な然り.」 とある, しかし, 私見に拠れば, 『皇朝文献通考』 の編者の如く, 歳修工程はすべて力役による, と言い切って しまうには大いに問題があろう, 概ね修鳳彩の上疏にあるように, 百姓に夫役費を負担させ, 百姓の目雇 によって雇役の夫が出たものと考えるべきであろう. 13) 飛躍・包櫨・優免による弊害についての史料は多く見られるが, 一二を示せば, 武. 至雅正四 盛百二 「編審論」 (『女編』 巻3 0戸政5賦役2) に, 自我朝廉無五十二年, 滋生人丁, 永不加} 年, 叉行帰地畝之法. 百姓優遊於耕璽之中, 有司無考課之累, 従容而賦繭糸. 良法美意, 三代以来, 未 之有也. 然因此有司遂視編審為具女. 惟沓吏是任, 以至戸口不満, 而貧富不弁,貧者有貧之実,而無貧之 名, 富者無富之名, 而有富之実. 叉飛躍詑寄, 遂有無田之税, 無税之田奈. 且優役惟可行千平日, 如非 時力投河防土工之類, 其勢有不得不出於差者, 千是筏役有不均之歎, 黄六鴇 「論編審」(『女編』 巻30戸政5賦役2) に, 按北糧軽丁重, 毎有差倦, 倶照丁派. 故毎丁有派至一 二両者. 若窮苦之人, 将何所取餅乎. 此照糧陛襟所以為至当也. 然紳衿之豪, 妙 、包構成風, 活不為怪, 貧窮親友, 及郷間稲裕者, 其田地櫨県戸下, 毎年銭糧, 包為代納. ……若覚依糧隣擦, 則紳衿所包櫨之 田, 勢必増丁. 則所増者, 非紳衿之丁. 而即包構之丁, 是叉為紳衿増包置之丁也. 乃百姓見按糧増丁, 益機丁多為累, 争附紳衿者愈衆. 恐光丁無糧者, 亦求附供丁以逃差. 如是, 窮民常処其苦累, 而紳衿常 処其楽利突. 「優免」 については, 『東華録』 順治5年3月壬戊の条に, 「優免則例を定む」 として, ‐九品糧六品人六丁. 在外官員, 在京官員, 一品免糧三十石人三十丁, ……五品糧十四石人十四丁, …‐ 各減一半, 教官挙貢監生生員, 各免糧二石人二丁, 離職省察承差知印吏典各免糧一石人一丁, ……如戸 内丁糧不及数者, 止免実在之数. 丁多糧少者, 不許以丁准糧. 丁少糧多者, 不許以糧准丁. という規定を示している. しかし, 戸料給事中の河聾の順治18年に記した 「縞審議弊疏」 (『女編』 巻30戸 政5賦役2) では, 「国朝優免則例, 原照品級之大小, 派免丁銀之多寡.」とあって, 前掲順治5年の論に 示された優免則例に触れつつ, 次いで, 嗣後部覆, 止免本身丁橋, 将優免丁糧, 悉応停免, 則細1衿土民, 久姿一体当差奏. といい, また. 但査前冊定割順治八年, 時部覆科臣劉頭績優免有画一之規ー疏, 止準免其難癖, 不得濫免正賦, 致累小. 民等因. 奉旨遵行, 所以進士挙貢生員, 猶有各立的名, 或書職禽, 名日官戸儒戸, 凡難項差諾, 量行路 武, 各自照規完納. 但因雄差繁苦, 未免有親族人等冒借名戸, 希図率免. 以致紳衿名下 免, 至於正額糧1 之田, 半皆影冒. といっている. これによれば, いわゆる官戸馬戸な どに対する優免の範囲は漸次狭ばめられて来ているが 彼らは正賦よりも遥かに 「繁苦」 である 「雑項差儀」 を免ぜられたから, その特権を利用して親族の田土 を自己の名儀にし, 親族の者もそうすることによって, 「按地派」 せられる雑項差儀を免れんとしたので あ る.. 郷曲の勢豪は, 飛躍・包櫨・優免な どの手段によって種々ごまかしを行なうほか, 州県官に対し公然と 抵抗し出夫を拒否する場合もあった. 質漢復 「厳麓河工機弊轍」(『女編』 巻103工政9河防8) に, 至於派夫応役, 歴来自有定規. 按地勿雛, 民雄労而無怨. 其奈勢要豪強, 種地数十頃, 以及数百頃, 抗 不出夫, 而州県絢情, 亦不敢派.. - 14 一.

(12) . 清朝における橋役に関する一考察 とあるのはそれを示す, なお, 「雑項差街」 については, のち本文で触れる, ) 「河銀」 とは, 「河工銭糧」 の一で, 『行政法』 に, 1 4 ・各省河防ニ関係ヲ有スル州県ニ於テ 其額数ヲ定メテ徴収シ 河銀ノ. 布政司ヨリ各道庫ニ解送スルモノ. ニ シテ (巻3pち205). とあり, 結局沼河州県民の負担にかかるものであった, 河夫の労賃は, (工食銀または役食銀と称するも 、皆顔網役食銀中 「此等ノエ食銀ノ 『 の) , 恐らくこの河銀から支給されることになっていた. 行政法』 に, 割当 ら 役食銀として 河銀のうちか という額編役食銀とは ・…… (巻3p 2 2 3 ) ヨリ支給スレトモ 或ノ 」 , , . てられている分を指すものであろう. ところが, この工食銀が管夫河官に横領され, そのため額設の河夫を常置し得ないことがあった. 『東 華録』 確正元年7月申午の上論には, 近聞. 管夫河官, 侵蝕河夫工食, 毎処僅存夫頭数名, 通有工役, 臨時雇募郷民, 充数塞責, 以致修築不 能堅固, 損壊不能隈防, 冒鎗誤工莫此為甚, とあり,河政の薬乱の様が了解される, 河政が如何に乱れていたかについては,質漢復 「厳薩河工積弊轍」 (『女編』 巻10 3工政9河防8) に,. 況乎修築土方有丈尺, 用夫有名数, 報竣有定期, 管河官若能上緊督察, 依限完報, 則亦何弊之有, 砥因. 故意遅延, 遂爾弊端叢生, 讐如原派人夫百名, 而著役者止七八十不等, 其余倶為督工, 宮役与夫頭通同 折肥, 如一月可完之工, 而延至数月. 及領工食, 未喜増於原佑, 而督工之官役夫頭, 傷按月索常例. 包 々正供. 夫之好梶, 例按月索私龍二 工応築一月, 而延至三四月,民応用一銭,雨倍費四五銭, 以致難派溢方 1 5 ) 「詑寄」 とは, 差役を忌避する手段として, 自己の田土を親戚近隣佃僕の名儀に登記する行為 (藤井宏氏 の前掲論文中の解釈による) ,とすれば修鳳彩の 「以自己田土, 飛躍於人」 という 「飛躍」 と同じ行為を指 すものであろう. しかし 『行政法』 では両者性質を異にする, といって, ・概ネ富者力貧戸ノ地税ヲ代納スル場合二行ハルルモノニシテ 富家力其勢力ヲ特ミテ税額ノ 蓋シ詑寄ノ 、 減少ヲ図ルノミナラス 貧戸亦橋役ヲ免ルコトラ得しトモ 其合意ニ依ルカ為メ 必スシモ容易二行ノ ニ其 ・(飛躍と同じ行為と思われる一藤岡) 土地所有者力濫 レス 叉全ク税糧ヲ層空スルニ非ス 鷹派ノ 土地ヲ細分シテ 他人ノ名儀 トシ 依りテ以テ税糧ヲ脱漏セントスルモノニシテ 之ヲ行フニ易ク且其 情状重シ (巻6p .44) とあり, 『井上中国語新辞典』 も両者を少しく区別しているようであるが, かならずしも厳密な差異を意 識して使用していたとは考えられぬ. だから史料に散見するところでは, 多く 「詑寄飛凝」 とか 「飛躍読 寄」 とかの, 恰も四文字を連ねて一つの合成語を言いあらわしているかの ごとき用い方が見られる, 1 6 ) 里・図・区については, 陶正靖 「揺役考」(『女編』 巻33戸政8賦役5) に, 考洪武初編定黄冊, 以一百一十戸為里. とあり, その下に割註として, 里叉名図, 県凡九郷, 郷統都, 都統図. 都之大者, 復為扇, 以分轄各図. 扇叉名区. とあり, 更にその下に, 計里編役. とあり, 里F図であると共に, 承役が里 (図) 単位であったことがわかる. なお, 図の起源について, 曽 7の1) なる論文あり, 我部静雄氏の 「中国の行政区劃としての図の起源」 (東洋史研究1 「 『 3戸政8賦役5のつづめたものであろう. 1 ) 雑差は 「大小雑派差役」 (張茶 均衡女」 文編』 巻3 7 18 ) 公費については, 岩見宏 「薙正時代の公費に関する一考察」(東洋史研究15の4) , 拙稿 「公項について」 (北海道学芸大学紀要12の1, 第一部B) 参照. 03工政 補註) 河工夫食の収取の仕方について, 順治10年進士となった紀元の 「河工夫食料価議」 (『女編』 巻1 9河防8) に, . 若夫工食之積弊, 尤甚予料価, 按夫一名, 官給工食銀十両八銭, 因不足用, 里下議出貼費, 各県照里均 差, 約田数十頃, 派夫一名, 田多者応夫, 田少者貼費, 此徐属歴年定例也. 0両8銭の割合で, 里単位に田 とある. これによれば, 徐州府属の各州県では, 河工人夫の工食銀は一名1 数十頃毎に一名分を出させ, 田多者は夫を出し, 田少者は不足分を出すことになっていたという. 但しそ れが定例通り行なわれたわけでない. なお, 工食銀が夫に支給される経路については, 同議に,. 寸 隼庫, 先呈中河工部験封, 然後按季発 至子給散夫食, 旧例州県解銀到庁, 収貯徐庫. 徐庫不敷, 叉領諸を. 之河判, 河判分発夫頭, 以及散夫. 順序になる, とあり, 徴集銀→庁 (徐庫) →中河工部一河判一夫頭一人夫という1. 2 明代の河夫の発生 一 15 一.

(13) . 藤. 岡. 次. 郎. 前節註5) で, 『皇朝文献通考』 巻21職役考1薙正12年の条 にある 「国初 改めて河夫の額を設 , け」 を引き, これを以て見れば 額設の河夫は清初にはじまるというようにとれるが 事実に於 , , ては, 恐らくそうではなく , 明代の末頃には額設の河夫が既に存在 していたのではないか, と記 しておいた. そのような考えは 前節本文でも 一条鞭 法に於てもなお 河夫・河役の儒役が一 , , , 条化されずに, い わば独立した形で存在していたらしい , と述べたこととも 関連する推定なので ある. 確証することはできぬけれども 河夫・河役が雑役として国家的規制の中に繰込まれてく , る十六世紀末 ・十七世紀初頃には 河夫に額数が定められた と考えるのが至当ではないかと思う , か ら で あ る.. さ てこの節では清代の河夫・河役が明代のそれと どうつながってい るのだろうかという点を , 述べたい と思 ったが , 行論で見られ るように, 結局は っきりさ せることはできなかった. ここで はただ明代の河夫の発生についての考察を試み 今後清代の河夫との つながりを見つけだすため , の 手 掛 り と した い あ ら か じ お 断 り し て お く . .. 何塘 「民財空虚之弊議」 (『皇明経世女編』 巻135 )D に, 「修河夫」 なる語が見える. 即ち, 国朝使民之法, 除里甲正餅外 如糧長,解戸・馬頭・船頭・館夫,水夫,馬夫・紙候・弓兵・ , 阜隷・門・禁・厨・斗之類, 無所不役. 固巳多 突 但国初 法令厳明 編漆有数 故民力未至 . , . , 甚労. 近年以来, 則常役之 外, 雑派夫役紛紛而出 如折柴夫 袷柴夫 修河夫 修倉夫 運料 . , , , , 夫, 接逓夫, 靖夫, 舗夫, 間夫 浅夫之類 因事編叢. 蓋有不可数者突 , . , とあ る.. つまり国初以来の常役である雑役-糧長・解戸……斗 (糧長が雑役であるかどうか問題もあろ うが) のほかに, 近年になって (何 塘は弘治年間の進士であるから 恐らく十六世紀末の時期 と , 考えてよい) 雑多な夫役が次から次へと派差さ れるに至った , それ には折柴夫・袷柴夫・修河夫 ……浅夫の類がある, という のである. 即ち折柴夫以下の夫役は いわば臨時に生起 して来たと , いうのである. ところでこ のうち接逓夫・靖夫・舗夫は 「因事編嬢」 される臨時の役ではなく , 国初より制度的に存在した雑役であるから2 ) , 実は同塘がここで並べたのは誤解である. それに しても残りのうち, 折柴夫, 袷柴夫, 修河夫 間夫 浅夫は 「河防」 ない しはそれに関係 した , , , 橋役と思 われる. 即ち何塘の言い分を 河防または河工に関わる役について言えば それらは殆 , , どがこ の十六世紀末頃夫役として人 民に派差されることになったということになろう では こ . , のような河防河 工の役, 総じて河役と暫らく言っておこう と思うが その河役は従来全くなかっ , たのだろうか. これについても確証は得られないが 私には全くなかったなどとは到底思われな , い. では, あるとすれば, どのようなかたちで存在 したか 私はそれが 「地方的」 かつ 「臨時 . , 的」 に派せられてい た, いわゆ る 「難儀」 3 ) と呼称されるようなかたちで , ずうっと存続 してき たであろう と想像する. そしてこれら 「地方的」 「臨時的」 な橋役に対する国家的体系での収取 が要請さ れたとき, いわば何塘の言の如き 暇堆差夫役紛紛而出」 というような表面化が見られた の で あ ろ う.. ところで, この河役が人民にとって非常な苦累であったことは 『明史』 巻77食貨志賦役に , , 天啓時, 御史李応昇, 疏陳十害. 其三条 切言馬夫・河役 糧・甲 (里の誤り?) 修緋 白役 , , , 擾 民之弊. とあるによってわか る. 天啓時とは大体十七世紀初期を指す. ともかくこの時期 には 既に雑役 , として国家的僑役収取の体系の中に繰込んだ河役は, 少く とも 白河の人 民にとって非常な重役と なってい たことは確かであろう. - 16 「.

(14) . 清朝における街役に関する一考察. しからば何 ゆえ何塘が 「近年以来」 といってい るその時期に , 「地方的」 「臨時的」 に科派さ れていた 「雑僑」 に対する国家的規制が強ま って来たのであろうか. 私はそれを例の均倍 法の成 立, 及びそれ以後の役法の変転, つまり銀差の成立過程の中で考ぅべきものと思う, 均儒法は周 知の如く, 正統8年 ( 14 43 ) に, 江西食事夏時によって創始せられ, 一時中断ののち, 弘治元年 4 1 88 ) には全国的に普及を見たものである, 均儒冊の編定 により, 従来の不定期・不定量的宿 ( 役を, 定期・定量的に改め, 官用 の交通通信運輸関係の役 (これはのち 「駅伝」) を除く他 の雑役 を一括して, それを人民に割当てたものである, そして均儒は十フ 世紀初頭にはかなり顕著に銀 納化の傾向を示し, その後次 第に全面的に銀納化されてゆくのである. ところで私は, この均衡 法によって 雑多な宿役が統制的に定期・定量化され さらにそれが , , 貨幣という形態で収取さ れるような過程で, それら固定量 (額) と しての橋役の外部に いわゆ , る 「差外之差」 というか たちで新しい雑役収取が, 国家的規模で行なわれるようになったのでは ないかと思う. そして 「新 しい雑役」 といっても それは突然に生起 したのではなく さきほど , , 述べたよう に元来, 地方的臨時的であった難儀と呼ばれたもののうちから 国家的収取の体系の , 中に漸次繰込まれたと言うべきもので あろう , も・し, 地方的臨時的 に収取される橋役を 「雑橋」 国家権力の規制の中に包括されている橋役を , 「雑役」 ないしは 「常役」 というコトバ で表現することが許されるならば 十五世紀末の均儒 法 , の全国的普及, 十六世紀初頭から十七世紀にかけての銀差の普及という過程は 雑橋一雑役 (常 , 役) の過程であろうと思われる. 折柴夫, 袷頭 夫, 修 河夫, 間夫, 浅夫など河防ない しは河工 に関すると思われる宿役が 常役 , のほか に紛紛として出ず, という何塘の指摘は まさ にその事態を指すものではないかと思う . , そして 「常役之外」 といわれた修河夫などの役も , やがては常役として国家的収取の対象として 規制されて行ったと考え るのである. そ して, そのようになったとき 河夫の額数も次 第に固定 , 化し, その数によって, 人民から力役ない しは主として貨幣収取を行ったものと考え るべきであ ろう.. 以上述 べ来ったことは, 殆ど憶測によるものであるが, この点については, 今後より多くの史 ) 料に当って正確を期さなければならぬと考えてい る4 , 註 ) 和田清編 『明史食貨志訳註』 上 p 1 2に山根幸夫氏が引用してあるものの転引. .25 2) 同上書 p 1の山根氏の註解による, .25 3 ) 「地方的」 ・ 「臨時的」 な街役を, いまかりに 「雑祷」 と称したのは, 山根氏が用いられた用語の例に従 った (同上訳註書 p.235), しかし 「雑鋳」 の語が, かならずしも 「地方的」 「臨時的」 な橋役のみを指したものでなく, 但不欠国 賦而不服雑祷者也 (天下郡国利病書. ・原編第七冊・常鎮・靖江県志) ・雑樵不与鴛 (方暦上元県志・巻二 ・田隙) -- 森正夫 「明初江南の官田について一蘇州・松江二府におけるその具体像-」 東洋史研究1 9の 3-- とある 「難儀」 は, 明代官田のみを佃種して生計を立てている人戸に対して免除するというそれを 指しているのであるから, それは前記した私のいう意味での 「雑役」 ないし 「常役」 に当るものを指して い る.. 4 ) 前掲山根氏論文のほか, 清水泰次氏に 「明代に於ける役法の変遷」(史観8) なる諭女があり, それを参照 すべきであるが, 覧る機会を得なかった, む. す. び. すでに 「はしがき」 で触れたように, この小論は, 柊鳳彩の 「渦河民困四事疏」 に依拠 して, 清代における倦役の一端 を考察することに目的があった. その際問題の視点は 地丁銀制の成 立 , - 17 一.

(15) . 藤. 岡. 次. 郎. 以後において, 果 して橋役は解消消滅 したのであろうか, ということにあった, そ して考察の結 果得られた結論は, 地丁銀制の成立一丁賦の地賦への灘入後と難も, 依然として橋役は存続 し, それが人民への重圧となること著 しいものがあった, ということである. 以下本論で述 べ来つたことを, ごくかいつまんで整理 してみたい. H 十六世紀末, それまで地方的臨時的に科派せられていた 「雑橋」 が, 漸次, 橋役の国家的 体系の中に繰り込まれるに至ったと推測せ られる. 口 それは均橋法の施行に関係が あるように思われる. つまり従来, 不定期不定量であった雑 多な橋役が, 均橋法の施行によって統制的に定期定量 化され, さ らにそれが貨幣形態で収取 される過程で, それら固定量 (額) たる橋役 (均僑) の外部に, いわゆる 「差外之差」 と し て, 嘗ての臨時的地方的 「雑橋」 が, 国家的規模で収取されるよう になったものであろう. 何塘はそれを 「常役之外, 雑派夫役紛紛而出」 と, 恰も突如として新 しい橋役が 生起 したか の 如 く 表 現 した の で あ る.. 清朝になり, 盛世滋世丁制, それに続く地丁銀制の成立によって, 橋役の貨幣形態たろ丁 銀は解消 したのであるから, 橋役自体も消滅 したと考えるのが理屈である. しかるに地丁銀 制の施行後も,, 橋役は存在 した. 地丁銀制によっても従来の篠役が何等かの形で存続 したの か, 新 しく生起 したのか, その点については今のところはっきりせぬ. さきの張番の 「計, 目耗羨改帰正欺以後, (中略) 州県之各項雑差, 於是乎起」 という女から見れば, 一旦消 滅 した雑差 (雀役) が, 耗羨提 解帰公に伴って, あらためて生起したかの如く受け とれるが, どうであろうか. 私見によれば, 地丁銀制の成立によっても, 橋役がす べて解消することな く存続 し, さらに一方では耗羨提 解帰公の如き, 州県に対する上からの規制の強 化に伴い, 新たな形態 と名目の橋役収取が, 州県によって行われ来った と考えるのである. い ずれにし. 同. ても橋役は手をかえ品をかえて存続 したのであった. 々法の改変を行なっ 回 経済的土台 と法制的上部構造の矛盾を調整するために, 明清共に, 腰. たけれ ども, 「人民の福利」 という観点か らすれば, 殆ど効果を表 わさなかったということ を, 役 法 の 変 革 変 転 の 中 で 読 み と る こ と が で き よ う.. - 18 一. 1962.2 ( ,13).

(16)

参照

関連したドキュメント

寺田 幸司 執行役員 人事企画部長 執行役員 人事企画部長 人事研修室長兼務 宮地 弘毅 執行役員

 当社は取締役会において、取締役の個人別の報酬等の内容にかかる決定方針を決めておりま

Hopt, Richard Nowak & Gerard Van Solinge (eds.), Corporate Boards in Law and Practice: A Comparative Analysis in Europe

((.; ders, Meinungsverschiedenheiten zwischen minderjähriger Mutter und Vormund, JAmt

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

・子会社の取締役等の職務の執行が効率的に行われることを確保するための体制を整備する

2014 年度に策定した「関西学院大学

東北地方太平洋沖地震により被災した福島第一原子力発電所の事故等に関する原