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和歌における制詞 : 玉葉集の場合

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Academic year: 2021

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(1)Title. 和歌における制詞 : 玉葉集の場合. Author(s). 鈴木, 淳一. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 8(1): 31-38. Issue Date. 1957-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3628. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道学芸大学 紀要 (第一部). 第8 巻 第1 号. 昭和32年8月. 和歌における制詞-玉葉集の場合- 鈴. 木. 淳. 一. (北海道学芸大学旭川分校国文学研究室). t i ords and Phrases ed Wr Jun‐ chi SUzUK[: Some Prohibi ‘GokuyみSha“ ly Reveal ia l in ”Wr edin‘ くa“ spec al ,. 〔一J 中世和歌史において、 新古今 集以後注目す べき勅撰集は、 玉葉・風雅の二集であることは 既 に学界の定説といってもよい。 玉葉和歌集は十三代集第六番目の集で、 そ の成立は応長元年に下さ れた伏見上皇の院宜によって、 京極為兼が正和元年三月二十八日に奉 覧したものである。 風体の上 からは京極冷泉派の歌風を代表し、 二条派の歌人によって 撰せられた従来の勅撰集に見られなかっ た新風を樹立している。 これは撰者為兼及び当時京極派の歌風をもって宮廷歌 壇に指導的役割を果 した永福門院や従二位為子などに負う所大きく、 更には京極冷泉派を支持された伏見上皇の叡慮に よ る と こ ろ 大 で あろ う。. 玉葉集に示された風体に関しては、 久松潜一博士が、 日本女学評論史に、 官能美と平淡美の交錯 9ぺ) 次田香澄氏は自然観照歌では新古今のような情趣的な 5 した姿が見られるとされ、(古代中世篇4 歌よりも、 純粋な自然観照をなし、 静寂の気分にひたる境地があり、 恋歌にも写実性と物語性が強 いと述べておられる。(岩波文庫本玉葉集解説)叉谷宏氏は当時の公卿社会や為薬の経歴の分析から、 玉葉集のもつ透徹した写実味、 繊細な汗情は、 中世公卿社会の生活から由来するとい う見方も され て い る。 (註一) こ の よ う に さま ざま の 方 向 か ら 玉葉 風 雅 二 集 の考 察 が 施 さ れて い る の で あ る が、 さ. らに歌の心、 詞姿の面から具体的に内部に立ち入った考察が必要であろう。 歌の調べ即ち「姿」の問 題については、 玉葉集に字余り句が極めて多く、 従来の「字余り句」と異質の方向にあったことを曽 て本誌に 述べたの であったが(註二) 語調の流麗味が乏しく、 時に不安定な歌の姿を取る理由が明瞭 ・ 」とも 深い関 係 に あ る こ と に な っ たと 思わ れ る。 こ の こ とは「詞」にも 密 接 に関 連す る し、 叉 歌 の C. 勿論である。 しかし歌の心詞姿は、 遠く万葉から古今新古今時代以来の勅撰集の伝統 の中で育く ま れてきたものだけに、為兼が玉葉集でいかに新風を樹立したといっても、中世歌学の枠の中におけ る 変貌という限られたものであることは否定出来ない。 和歌における使用を禁ずる詞、 いわゆる 「制 詞」 なども中世歌壇全般にわたって、 相当の影響を及ぼした筈である。 「制の詞」 は歌の 「詞」 に. 関する事柄であるが、 この 「制詞」 に対して、 為兼及びその撰の玉葉 集では どのように対していた かを 以下考えてみたい。 〔二〕 和歌における 「制詞」 は先ず順億院の 「八雲御抄」 原承の 「和歌口伝」 に論ぜられている。 八雲御抄の 「近き人の歌の詞をぬすみとること」 の条に、 「古き事を准し新しき詞を思ひえて言ひ. い で た る こと を、か れ が 羨 しき ま ま に やす や す と わ ろ く と りな して い ひ っ れば、本 の歌 の 詞 も み み な. れ、 今の歌も無下にきたなく、 後代には何れが先なりけむ、 勘へ通らざらむにはたゞ誰もよみける ことにてあらむ。 きわめたる大事なり」 といわれ、 藤原定家の 「詠歌大概」 では、 具体的に、 「近 」 として、 「と しの内に春はきにけり」 「月やあら 代之人所二詠出‐之心詞、 雄二一句. ‐謹可 除二棄之- ー 31 岬.

(3) . 鈴. 木. 淳. ぬ は る や む か し」 「さく ら ち る 木 の した 風」 「ほ の ぼ のと あ か しの 浦」 の 如 き 語句 を 更 に 一 句も こ. れを詠んではならないと定めている。(註三) 下って二条良基の 「近来風体抄」 になると、. 「近代おほく禁制の詞ありといへどもいまだ共出所不二分明-。 或は定家卿為家例の一向可 止之 由申されたるもあるべし。 或は其歌にとりてわろ しと申されたるもあるべし。 或は叉あまりょき. 詞 にて有間、 人毎にこれを用るゆへにやめられたろもあるにや」 と述べて始めて纏った解説を加えているが、 これによると制詞の性質は 先人の創意を尊重し そ 、 、 の歌語を鎚坂すること誠めたものと、 あまりによき歌語は、 人毎にこれを模倣してはならないもの 更に個々の和歌に即した場合、 適当でないと見なされた語句、 という三種類にわけられるようであ. る。 そして 「制詞」 に定められた理由には、 詞が極めてすぐれている場合と、 悪い場合の両者があ ったことが分る。 定家カキ古今集の業平の 「月やあらぬ春やむかしの春ならぬ」 の歌とか、 拾遺集貫. 之の 「さくらちる木のした風はさむからで」 の歌詞を、 「一句更不 可ぶれ 之」 と定めたのは、 こ れら優れた 「い まわし」 を案出した古人の功績を讃え、 みだりに後人がその句をとり用いること は、 古人を漬することになると考えたのであった。 そこに詞の 「ぬし」 の観念が生ずるのであって いわゆる 「ぬしあることば」 は先人の工夫に成る佳き歌語であり、 その歌人に専属し、 後人がやす. やすとは使用出来ぬ詞なのである。 適当でない歌語は、 歌合判詞などにより、 俊成定家以来の二条 派の語感にすがって、 それが何故庶幾すべからざる語句になったかを想像する以外にないが、 当時 の歌風に相応 しない語句、 或は歌語にあらざるもの (例えば俗語など) が考えられる。 そこで先ず 制 詞 の う ち、 「ぬ しあ る こと ば」 の 問題 を 考 え て みよ う。. ー :三〕. 「ぬ しあ る こ と ば」. 「ぬしある詞」 としての制詞を始めて体系化した藤原為家の 「詠歌一体」 には次のような詞を掲 げている。 それを列挙すれば 春. ’る 霞に お っる か す み か ね た ろ、 う つ ろもく も る、 花 の や ど か せ、 嵐 に か す む、月 に あまさ 、 、. 雪のした水、 空さへかけて、 むなしき枝に、 花の露そふ、 花の無ちる、 たえまになびく、 空 夏 秋 冬. 懸. さ へ に ほ ふ、 浪 に はな るる、. すずしくくもる、 〔あやめぞかほる〕 、 、 〔雨の夕ぐれ〕. 昨 日は う す き、 ぬ る と も お らん、 ぬ れ て や ひ と り、 か れな で 鹿の、 お 花 浪 よ る、 露 の そ こ な. る、 月 やを じま の、 色 な き浪 に、 き り 立 の ぼ る、 わ た れ ばに ごろ、 月 の か つ らに、 木 が ら しの 風、 わ た ら ぬ 水 も、 こ ほ り て い づ る、 嵐 にく も る、 や よ し ぐれ、. 〔雪の夕ぐれ〕 、 雲井の峰の、 われてすゑにも、 身をこがらしの、 補さヘ浪の、 ぬるとも柚の、 われのみしり て、 むすばぬ水に、 ただあらましの、 我身にけたぬ、 昨日の雲の、 われのみけたぬ、. 旋、 すゑの白雲、 月も旅ねの、 浪にあらすな、 即ち春一四語、 夏三語、 秋一〇語、 冬七語、 恋一一語、 旅三語、 計四十八語(註四)である。 これ らについては戸田茂睡が 「梨本集」 につぎのようにし・っている。. 「今ぬしある詞といひて制の詞よ り外に読むまじきと制する詞いくばくという数限りなし。 これ. も三代集後拾遺集の歌には言はず。 千載集よりはじめて新古今の歌にていふことなり」(註五) このように大体これらの詞は、 千載集以後主に新古今集の所載歌をふまえて制定 したものであろ. う。 そ して こ れ ら の 「ぬ し」 は容 易 に 明か に しう る もの、 な か な か 想 定 し難 いも の な ど様 々な 詞 が. 含まれており、 或は 「嵐にかすむ」 「色なき浪に」 などのように、 その詞を使用した歌が国歌大観 な どに全然見当らないものもある。この全く見えない詞は、為家が 「詠歌一体」 を草するに当って、. 先例に関係なく自己の歌道に権威をつけんが為に、 任意に案出したものかも知れないし、 叉は後人 - 32 「.

(4) . 和歌における背 リ詞-玉葉集の場合- チ. の付加にかかるものやも知れない。 およそ詞のぬしとなるほどの著名な歌は、 勅撰集、 私家集に入 集されている筈であり、 中でも勅撰集の方に原歌があって然るべき筈と想像するからである。 叉異 つた勅撰集に 「ぬし」 ある詞を使用してある場合は、 一応時代の古い勅撰集の歌人をぬしとしたい. が、 それにしてもその歌人の力量、 その歌の著名程度、 影 響力を考慮に入れなければならないので 一 概 に古 い 方 ば か り が 歌 の 「ぬ し」 とい う こ と は 出 来 な い で あろ う。 同 一 勅 撰 集に 「ぬ し」 と 見 な. される歌が二首以上ある時も同様である。 可能な範囲で推定される詞 の 「ぬし」 及びその歌を含む 勅撰集は次の如くである。 (A) 藤 原. 作 者 名 、 、. 原. \ \\ 、 \ \ \. 隆 親 岐 蓮. 原. 今. 良 家 経 」. 古. 原. 原 原. 俊. 定 雅. ・ 今!. l. 1. 1. 棚. 樗 号. 慈 後 大納入 崇 中納不 該当. 式 子 内 親内. 道前. 鳥. な 言 太 徳 言国 き 計 羽 公実政 制詞 大 成 行 家 経 家 搭 興 臣 院 信 明 王 興 円 院. 4 3 4 f. 9 I 3 2 , I. 後. 藤 西 藤 藤 知. 1 1 Ei. 1 古. 為 藤. 家 具 讃. 勅撰集\. 新. 寂. 条院. が久. 」l 1. I 2 2. ー 1 11 唱 … I E・ iE -1 1. ヨ. i. I. 1. 1. E. l I. 2 2. I l l 2 l. 一. E 目. I. 11. 書. 」コ. E. }. 1. Eー. (国歌大観の本文によって推定した。 各歌人の歌を列挙し推定するのは別の機会に譲る。). この表によると、 「ぬし」 となっている歌は新古今集が三二句、 金葉集と続古今集が二句づつ、 続古今集に一句あることになる。 もとよりこの表が確実だとは断言出来ないが、 茂睡の前述の詞が 具体的に数字にあらわれ、 「ぬし」 となった歌の数が新古今に最も多いところを見ると事実からあ まりかけ離れたものではあるまい。 叉詞の 「ぬし」 となる歌人は、 家隆が一〇首、 良経・定家が四 首、 俊成。二条院讃岐がそれぜれ三首の順となり、 藤原家隆の歌が特別多い。 この事柄は 「後鳥羽 院 口 伝」 に 家 隆 を 批 評 さ れ て、 「歌 に な り かへ りた る さ ま かひ が ひ しく、 秀 歌 ども よ み あ つ め た ろ. まき、 誰にもまさりたり」 と述べられた言葉に深い関係を有するようである。 お0 〔四〕 玉葉 集 の 中 の 「ぬ しある こ と ば」 そこで玉葉集の中から 「ぬしある詞」 をおして撰入された歌を取り上げて見ると、 全体で四首に. すぎず、 他の勅撰集と同様極めて僅かである。 それを表にするとおよそ次の如くなる。 (B). =風. 辿 響 劉 新 勅 撰 自涜後撰 際 古 今 1 続 拾 瀞 玉 葉 E 4 ち脳 繭豪言 3 L I L 三 一 一 = - - 一. 雅. g -. 一 の 風 の 桝 」 月 」 1 石 謝ヰ 騨 * 擦 ト 一瞬義幸1 言 拝趨 養 鶏 ! 晃.

(5) . 鈴. 木. 淳. 玉葉集ま では以上であり、 為世の新後撰集には、 該当する歌が一首もない。 風雅集も合わせて考 えて見たが極く僅少である。 そしてこの表で気付くことは、 「木枯の風」 「雪の夕暮」 「雨の夕暮」. が多いことである。 一体 「木枯の風」 という詞などは和歌の常套語であり、 いかなる理由で為家が 制詞に版上げたか理解 しがたい所である。 この詞は、 八雲御抄に 「やすく谷河の水といふべきを谷 .・. .・・,.・..・. ′ こて あ り ぬ べ き を木 枯 の 声 な ど い ふ こ と 尤 無 由。 い り ほ が と いふ べ し」 河 の な み と ょ み、 木 枯 のi E 風≧. とある如く各むべき詞でなかったのであるまい か。 「雪の夕暮」 「雨の夕暮」 になると、 歌学大系. 本によれば異同があり、 制詞と定めていない本文もあるようである。 かくしてみると、 玉葉風雅も 含めて 「ぬしある詞」 を侵した歌が撰入されていることは非常に少ないということが出来るであろ う。 為兼を非難した 「野守鏡」 に 「上 古 の歌 も さ の み こ そ 侍 め れ と て や ま ひ 禁 忌を も 除 か ざる こ と ゆ > しきあやまちにて侍り」 (詞. ) をはなれて詞をはなれざる事の条 ′. ・・・・. 「ネ i歌 は 善 悪 の 心 に 通 る ゆ へ に こ と に 禁 忌 の 詞 をい ま しめ 侍 り」 (註六) ー と い う 難 詰 は、 「ぬ しあ る 詞」 に 関 して は 必 ず しも 全 く 該 当 す る わ け では な か っ た こ と に な る。. この点からすれば為兼は定家以来の歌学の伝統を十分にわきまえていたといってよい。 しかしこの 玉葉集において、 「ぬしある詞」 を用いた歌を、 作者と関連させて見るとき、 看過 し得ない問題が. あることに気付くのである。 具体的にそれらの歌を挙げてみると、 (2036) 音たえてむせ ぶ道 にはなやむとも埋れなはてそ雪の下水. 1023 ) 木の葉なき空 しき枝に年暮れて叉めぐむべき春ぞ近づく ( (1464) 常よりも涙かきくらす折しもあれ草木をみるも雨の夕暮. 入道前太政大臣実禁 前大納言為兼 永 福 門 院. (862) 目づからそめぬ木の葉をふきまぜて色々にゆく木棺の風. 前大納言為家 ある詞の部分 〕 〔番号は国歌大観の番号、 圏点はぬし である。 ちなみにこれらの詞の 「ぬし」 を尋ねてみると、 「雪の下水」 は先行勅撰集では、 千載. 集に (2) み窒山たにに や春のたちぬらむ雪のした水岩たたくなり (5). 春 た て ば 雪 の した 水 う ち と げ て 谷 の 鴬 今 ぞな く な る. 中納言国信 藤原顕綱朝臣. の二首があるが、 (2)の国信の歌は、 千載集の代表歌と して、 「古来風体抄」 に俊成が抄出して 耐 dの いるほ どであり、 従って周知の程度も、 後代への影 響も大きかったと想像されるが、 (2)の顕糸 歌 は そ う した こ とも 見 ら れ な い の で、 国 信 を 詞 の ぬ しと考 えて 妥 当 と 思 わ れ る。 (1023)(1464)の 歌. の詞のぬしは、 両句共新古今集藤 原良経の (147) 吉野山花のふる さと跡たえて空しき 如こ春風ぞ吹く (220) うちしめりあやめぞかほる時鳥鳴くや五月 の雨の夕暮. 7)は後京極殿御白歌合に良経自身が提出 であって、 (14 ,しているから、 良経も自讃する所あった 0)は宗祇の 「白髪集」 や一条兼良の 「歌林良材集」 に引用されている。 (註七)「雨 であろうし、 (2と の夕幕」 は 「詠歌一体」 に異同があって、 --概にぬしある詞と定めきれない点がある し、 「木枯の 風」 も前述のように、 制定された妥当性のない面も ある。 しかしあえて著名歌人の例を求めると、. 新古今 集の 思 ひ 入 る 身 は 深 草 の 秋 の 霧 頼 め し末 や木 枯 の 風. 藤 原 家 隆. (604) 秋 の 色を 払 ひ 果 て て や 久 方 の月 の 柱 に木 枯 の風. 藤 原 雅 総. (1337). の何れかであるようだ。 両 首ともに自讃歌である。 図表(A)では不明の数に属する詞である。 ところでぬ しある詞を使用 した玉葉の作者は、 藤原実兼、 撰者為兼、 永福門院及 び為 家である。 - 34 -.

(6) . 和歌における制詞-玉葉集の場 合-. 藤原実茶は 伏見朝の太政大臣であった西 園寺実兼で、 特明院 大覚寺両統の抗浄の渦中にあって幕 、 府と親しく、 両統に公平な立場で臨み得た人であった。 叉為兼とは特別な関係にあって 花 園院辰 、 記 に は(註八). 「入道大相国実兼公目幼年扶当寺之-(為兼) 」 ;家僕- 、 大略如, むね西 園寺家の家僕のような関係にあったことがわかる。 従って祖父 為家以来の和歌の正統を引継ぐと自負する京極家為兼の歌人と しての成長と実兼との歌道上の交渉 も密接な関係にあったことが想像される。 歌道において 伏見院は為兼を寵愛されたが 院が桂本万 、 葉集を伝持せられ、 万葉の題詞をもって歌をよまれた時もあったことなどは (註九)為兼ら京極派 、 の影響が大であることを示すものであろう。( 1 46 4)「常よりも涙かきくらす」 の歌の作者永福門院 は、 実兼の女蝉子で、 十八才にして 伏見天皇の中富に入内した閏秀歌人である 京極派を支援され 。 と 見 え て お り、 為 兼は お. た伏見院が中心の宮廷歌壇においては、 父実兼と共に極めて重要な存在であった 玉葉所収歌数か 。 らみても、 実兼六二首、 永福門院四九首、 何れも為兼自身の三 七首を上廻って収載されているので. ある。(註る)(862)の為家はしばらく措き、 実兼、 永福門院、 為兼は、 伏見院と共に玉葉集歌風を 形成する中心歌人であって、 玉葉集にはさまざまの歌人歌風が混在するけれども、 これら中心歌 人 には純粋に玉葉的なるもの日 =ち京極冷泉派歌風が看取できるのである。 (301). (1526). う す み ど り ま じる あ ふ ち の 花 み れば 面 影 に 立 つ 春の 藤 波 (玉葉夏) 玉 づ さに た だひ と 筆 と む か へ ど も 思ふ 心 を と どめ か ね ぬる(玉葉恋三). 永 福 門 院 同. 上. (2115) さ夜ふかき軒端の峯に月は入りて暗 弱会原に嵐をぞ聞く (玉葉雑二). 同. (283) 春をしたふなごりの花も色くれぬとよらの寺の入相の空 (同上春下). 上. 西 園寺 実兼. (763). 入 りが た の月 の 空 さ へ ひ びく ま で とほ ち の む らは 衣 う つ な り(同上秋下). 同. 上. (1569) 恋 しさはな が め の 末 に か たち して 涙 に ぅ か ぶ と ほ 山 の 松 (同上恋三). 同. 上. ( 27) 沈み果っる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峯(風雅春上). 京 極 為 兼. (419). 枝 に も る 朝 日 の 影 の 少 な き に す ず しさ ふ か き 竹 の おく か な(玉繋夏). 同. 上. (loll). 閏 の ぅ へはっ も れ る 雪 に 音 も せ でょ こ ぎ る 霞 窓 たたく な り. 同. 上. これらの歌は新古今風とは叉変って写実味と丹情性とが混融した最も玉葉集的特質を発揮してい る 歌 で あ り、 為 兼 卿 和 歌 抄 に い う と こ ろ の(註二) 「心 のま ま に 詞 の にふまひ ゆ き」 つ い た 結 晶 であ っ. たろう。 もちろんその歌人達の頂点には、 (422) こぼれ落っる池の蓮の白露はぅき葉の玉とまたなりにけり と 詠 ぜ ら れ た 伏見 院 が い ら せ ら れ た ことむ はい う ま でも な い。 そ こ で為 繁 ら 三 歌 人 の 「ぬ しある制. 詞」 を用いた歌を玉葉集に擬入してあることは、 中枢歌人であるだけに偶然とは見過されないもの を含むかと思わ れる。 というのは玉葉集の前後に成った勅撰集で、 為兼、 実兼、 永福門院の詠を検 すると、 為家のいう制詞を使用した歌は風雅集にある永福門院の (862) 鳥の声松の嵐のおともせず山しづかなる雪の夕暮. の一首にすぎないからである。 「雪の夕暮」 は制詞として前述の如く暖味なものかも知れないが この一首が風雅集にあることはその性格を暗示する であろう。. それ以外新勅撰から続拾道に至るまでの五勅撰集においては、 その撰者並びに撰者の周辺にある 中枢歌人が玉葉集にある如きぬ しある詞を侵している歌は見えないのである。 「木枯の風」 は制詞 と して極めて暖味な詞であるからこれを一応除くと して、 続拾遺の、. (191) 詠むればすゞしかりけり夏の夜の月の柱に風や吹くらむ(図表B) 修理大夫顕季 の歌ではこの作者は続拾遺における主要歌人ではないであろう。 外に続拾遺集に俊成の歌で 75 ) 吉野山花のさかりやけふならむ空さへ匂ふ峯の白雲 ( - 35 -.

(7) . 鈴. 木. て 早. という歌があるが、 この 「空さへ匂ふ」 の語句を用いた歌は千載 集にも後二条関白内大臣の歌 (51) 花ざかり春の山辺を見渡せば空 さへに ほふ心地こそすれ というのがあり、 何れが 「空さへ匂ふ」 のぬしであるか俄かに決 し難い。 それで図表Aではこの 語句も不明の部に教えたの であるが、 もし俊成が詞の ぬしとすれば続拾遺では制詞を侵したもの顕 季の歌一首ということになるであろうし、 も し俊成の歌が制詞を侵したものとすれば、 為兼のいう 「人 に よ り て の み ゆ るす」 先 例 と な って く る の であ る。. 以上により、 玉葉集に 「ぬしある詞」 を用いた歌が収載されたその作者を勘案した場合、 歌道の 樵門としての京極派中枢歌人のひとつの自負の意識を感得することが出来ないであろうか。 為兼み ずからが、 詞のぬしを侵した歌を撰入したのは、 実は 「人よりてのみ許された」 立場に立ったので あって、 実兼、 永福門院の歌も同様である。 京極派中心歌人がこの特別の場合に該当すると考え、 それをあえて勅撰に撰入するのは、 かような自負自信の態度がしからしめ たものと解釈 してよいで あろう。 このことは叉定家脚の庭訓を最も忠実に守ることでもあったのである。 為兼にあっては定 家以来の伝統を正 当に引継いだものと信じている。 為兼卿和歌抄には、 定家の教えが一面的に受け 継 が れて い る こ と を 嘆 い て 次 の よ うに い っ て い る。. ほんとよめるは物の心さとり知らぬ人は、 あたらし 「京極入道中納言、 寛平以往の歌 にたちなら{. か き事 出 すき て 歌 の み ち あた ら しく な りに た り と い ふ な る べ しと い へ り。 ま こ と に そ の 理 ふ きに こ そ」. 「心をさきとして詞をほしきままにする時、 同事をもよみ、 先達のょまぬ詞をもはばかる所なく よめる事は、 入道皇太后官大夫俊成、 京極入道中納言、 西行、 慈鎮和尚な どまで殊おほし」 同じく俊成定家の直統である二条為世の歌論は(註三) 「題をよく心得 べき事. 清輔朝臣前入道中納言同心也。 縦 令山霞河月かやうの題は山霞をたしかに上下の句にわかちよむ べ し。 但山 の はの 霞 な と とて よ ろ しき 歌 い でく べ か ら ん は は ば か る べ か らず」 「詞 は ふ る き を した ふ べ き こ と. 是叉古賢の教尊師の詞一同也。 然 どもくはしからぬままに迷ふ人多く侍るにや、 所詮ふるくよみ たれぱとて万葉集の耳とをきことばなど努々好読べからず」 という如きであって、 両者とも俊成定家の伝統に立脚しているのであるが、 為兼の歌論は、 定家. 以来の発展面を延長祖述したもの であるに対し、 為世の歌論はその定着面を尊崇したように考えら れる。 二者を比較するとき、 為兼の歌論は、 二条派への反抗でなくして、 伝統の真の認識と自覚か ら出発したものであるという自負の態度がうかがわれよう。 しかしてこういう 「自負自覚」 が 「ぬ. しある詞」 を用いた玉葉集の歌に感得されるのである。 為家が制定した制詞を彼自身が使っている (862)の歌をことさら玉葉集に収載したこともかくして同様に理解できる。 即ち一見矛盾のように 司観に引戻そ 見える為家の歌も、 玉葉集において、 制詞の解釈を京極派の立場から定家・為家の制言 う と して い る こ と を 示 す の であ る。. 〔五〕. 副詞 「ぬしある詞」 以外のf. 言 Jの 問 題 を 玉葉 集 と つき 合 せ なが ら考 え た の で あ る が、 こ 以 上 は 詞 の 「ぬ し」 と して の 制甫. でも. うひとつ詞のぬし以外の制詞を考えなければならない。 その代表的なものとして、 近来風体抄には .酌しなけれ ばならぬ詞と 「一向不 官ん用」 と した 話 が お よ そ 五二 」 ため灘 歌を詠むのに 「無二子細“ 副詞において、 好まし 語掲げてある。(註三)この内容は俊成・定家の歌合最盛期に催された歌合の≧ からざる判を蒙っ た 「詞」 と定家時代からの伝承に基いて制せられた詞との二種に分けられる。 こ れはそれぞれいかなる理由で欄せられたかは分明でないが、 たとえば - 36 -.

(8) . 和歌における“ 副詞-玉葉集の場合- 「雨 の 夕 ぐれ、 みゆ る 明 ば の、 あ り け れ ば、 おも ひせ で、 ,じち こそ す れ 物 に ぞ あ りけ る 云 々 、 、. 以上 可止之由為家興 !子慶副 ー法眼抄に見えたり」. な ど、 あ り、 慶融 法 眼 抄(註三) に は 同 じ こと ば が 「新 古 今 己 後 停 止之 」 と 記 して あ る と こ ろ か ュ -. らすれば、 詞の 「ぬし」 と考えられたのかも知れぬ。 これらが制詞という枠で守られていたか否か は甚 だ 疑 問 で あ っ て 「 一心ち こ そ す れ」 「物 に ぞあ り け る」 な ど は、 一 見 して わか るよ う に 十 三 代 集. では極めて頻繁に歌われている詞である。 つぶさに内容を検すると、 部分的には制詞と認められる. ものはあるにはあるが、 その性格は極めて暖味といわざるを得ない。 ただ歌合において制せられた詞は、 出所が明らかなだけに、 後代への影響を考えなければならぬ で あろ う。 た と え ば 「色は えて」 と い う 制 詞は 「六百 番 歌 合」 に(註函) 次 のよ うに 出て い る 所 か ら 制 詞と なっ た も の で ある。. 「題夕顔. 十八番左. 葎はふ騰が垣根も色はえて光ことなる夕顔の 花. 有 家 朝 臣. 右申云垣根の色はゆといはんこといかが。 判云、 左歌. 垣根 の 色は い か に ても 色 は え て と い へる 詞、 不二庶 幾‐か」. 俊成の判は 「色はえて」 がこの歌に限らず語そのものとして不適当であるというように受けとら れる。 事実、 「色はえて」 の語句を使用 した歌は、 十三代集に一首もないようである。 「うれしき」 「かなしき」 も制詞として六日番歌合に禁ぜられたというが、 常套的な詞であって、 これは阿仏尼 の 「夜 の 鶴」 に の べ る如 く(註三) 「げ に う れ しき 事、 か な しき事 な ら で は常 に よむ ま じき」 詞 で あ. って、 用いざまに制限を加えたものかも知れない。 もともと 「歌合歌」 は、 歌合という席に置かれ 公けの歌という制限があったから(註宍)すぐれた≧ 判者の判詞でも、 その制約から脱しきれるもので. はなかったであろう。 それ故、 歌合において禁制せられた詞が他のすべての歌に適用しなければな らぬ と い う わ け でもな かっ た に 違 い な い。 良 基の 挙げ た中 では 「夜 も す が ら」 「人 ごこ ろ」 のよ う. に制詞とありながら全く制限なしに用いられているものもあって、 歌合判の禁制が全部守られてい たのではないの である。 しかしながらその中で、 外の勅撰集になく、 玉葉風雅だけに用いられてい る制詞が若干ある。 「うす霧」 という語は同じく六百番歌合に禁ぜられた詞であるが、 玉葉集には 一回、 風雅集には三回用いられておって、 玉葉集の歌は、 (536). oooo. うす 霧 の はる る 朝 け の 庭 みれ ば草 に あ ま れ る秋 の しら露. 永 福 門 院. であるが、 玉葉集以前の十三代集にはないのである。 そしてこの歌の作者が永福門院であること. も注意してよいだろう。 叉 「秋のあけぼの」 が制詞とあるのは、 「春の夕ぐれ」 嫌U詞) と同じく ,.・ 季節の本意に添わず、 秋は夕暮が本質的な季節感覚であったためと思われる それは後鳥羽院の 。 ( 36 ) 見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひげむ (新古今). の歌などによって逆説的に肯定されるのであるが 「春の夕暮」 は諸勅撰集に多く擬入され 制 、 、 言 iとしての性格はなきに等 しいに対して、 「秋のあけぼの」 に至っては十三代集で玉葉集に一首 言. 2) 吹きしをる匹 (54 J方の草木のうら葉見えて風に白める秋の曙 永福門院内侍 が見えるのである。 この作者も永福門院の歌圏にあったことは想像に難くない このような事柄 。 は、 やはり 「ぬしある詞」 の場合と同じく、 京極派歌人の詠歌態度をあらわしたものである 為兼 。 の全歌説 (註毛)を見渡して制詞を侵している歌は、 く ooo. 谷ごしに草とる鷹を目にかけて行く程おそき しばの下道( 「谷ごし」 制詞). (風. ・. 雅. 集). さ そ ふ 風 も な さ け を知 るや ょ き て 散 る 花 静か な る雨 の 夕 暮(「なさけ」「雨の夕暮」 制詞) (柳 風 和 歌 集). の二首である。 「なさけ」 は、 多く勅撰集に歌われている詞であるし 「雨の夕暮」 は制詞の性 、 - 37 -.

(9) . 鈴. 木. 津. 質不確実なこと前述の通りである。 「谷ごし」 の歌は風雅集に収載せられている。 永福門院の全歌 謡 (註六) についてみても、 他の勅撰集にあらわれないで永福門院のみに歌われている制詞は、 前述 (. 6)の歌ともう一首 (53. う す 霧 の 朝 け の梢 い る さび て 虫 の 音 残 る森 の 下 草. (永福門院百番御自歌合). あるだけである。 外に制罰といわれている詞 (例えば 「けしき」 な ど) は多く詠まれているが、 永のみとは限らな 。 こ これらは何れも玉葉以前の勅撰集に頻繁にあら われているので、 永福門院言. れらは良基が 伝承に従って記しとゞめたとはいえ、 結局のところその性格が暖昧な詞であろう。 し かL為兼も永福門院もその全歌謡 くを通じて、 いわゆる当時における 「制詞」 を侵したというものは 極めて少ないのである。 これは、 やはり為兼らが二条京極派をくるめての中世歌壇という大きな枠 内にあったことを示すも のであろうが、 しかしたまたま制詞を用いた歌 が玉葉集若しくは風雅集に 採録されている。 このことは、 玉葉集、 風雅集の性格の一端を示すと共に、 為兼ら京極派歌人の歌 学 の伝統に対する積極的な、 幅広い解釈の実践であり、 「人によりてのみゆるされる」 という自負 の 意 識 の あ ら わ れ た 姿 と 見てよ い で あ ろ う。. 〔本稿は西下経一博士から御指導をいたゞいた事を厚く感謝申 し上げます。〕 (註一) (註二) (註三) (註四) (註五) (註六) (註七) (註八) (註九) (註6). 谷宏氏 「玉薬風雅歌風その基礎的な見方について」(国語と国交学昭23年9月号) 拙稿 「玉葉 和歌集における字余り句の性向」(北海道学芸大学紀要七巻二号) 「八雲御抄」 「詠歌大概」 「近来風体抄」 何れも歌学大系本第三巻 「和歌ロ伝」(第四巻) 「詠歌一体」(歌学大系)〔 〕 は竹柏園蔵本にはあるが流布諸本には見えないものもある語。. 梨本巣 (歌学大系第七巻). 野守鏡 (群書類従) 「歌林良材集」 (続群書煩従四六九) 第二本歌阪本説体 「白髪集」 (統群書類従四九六) 前記谷宏氏論文引用の 「花園院哀記」 による。 村田正志氏 「京極為兼と玉業和歌集の成立」 GI 了興の新研究-国学院大学編所収) 「玉葉集について」 国語と国文学昭和1 6年4月号) 谷亮平氏の調査による。 (. (註二) 為兼卿和歌抄 (岩波文庫中世歌論集久松潜一氏校) (註三) (註三) (註園) (註三) (註宍) (註モ). 和歌秘伝抄二条為世 (同上) I 欽学大系) 官制詞の事」 の条参照 近来風体抄 G 能勢朝次博士編 「歌評の精髄六百番歌合」 の本文 「夜の篤」(歌学大系第三巻) 峯岸義秋氏 「歌合の研究」(458ペ) 京極為兼全歌詠は土岐善麿氏 「京極為兼」 によった。 群書類従及び続群書旗従の 「為兼卿集」 は古 非雲・正す 敵の私撰集とする (中世女学史至女堂中世断47 歌が交り為兼の集ではない。 次田番澄氏はョ . 佐佐木治綱氏 「永福門院」 巻末の巻末全歌詠 (註ス) .. - 38 -.

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参照

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