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韓国の子 どもの遊 び と遊 びうた (
2)
長
崎
幹
彦
Children's Games and Singing Games in Korea (2)
Mikihiko Nagasaki
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.は じめに 1997年 に同題で発表以後、韓国について多々ご指導いただいた矢 ケ崎誠治教授が逝去 され、研究のための大 きな柱 をひとつ失 って しまった。 しか し、2000年 には、漠陽女子 大学か ら、 1ケ月 とい う期 間で留学生が来 る とい う新 たな試み も始 ま り、本研究で も多 くの実 りを得 ることがで きた。 また、引 き続 き研修旅行 に付 き添 われて来学 される漠陽 女子大学の金溶安教授 にもご示唆、ご指導 をいただ くことがで きた。 ここでは、第2回 目として、新たに訳 出 した ものを加 え、 さらに文化比較 を深 めたい。2.
研究内容 (1)子守唄六肘 フト
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可 且カチャカチャ ノヌ ンホ ンニ カチ ゴ ナヌ ンセイ タオ 鶴や鶴や お まえに古 いの をや る わた しに新 しいの を くれ この唄 は、歯が はえ変 わった とき、抜 けた歯 を屋根 の上 に放 りあげなが ら歌 う唄であ る。筆者 も幼少時、親 にいわれて、抜 けた歯 を屋根 の上 に放 りあげた経験があ る。 「カナ」は、「鶴 (か さきざ)」の ことである。韓 国での鶴 は、 ヨーロ ッパの 「こうの と り」の ように、幸せ を もた らすめでたい鳥 といわれ、生活の さまざまな場面 に登場す る。つ ぎにある 「歳事 唄」 を扱 った絵本 の 7月 「七夕」では、織姫 と彦星 を結ぶ道 はた くさん の鶴が集 まってつ くられている ように措かれている。 また、大晦 日はハ ングル をみて も わか る とお り、別名 を 「鶴 の 日」 ともい う。子 どもの晴れ着の こ とも鶴 にちなんだ名が つ け られている。
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チ ョンウ オレヌ ン テボ ルムナル 一月 には 大十五 日 (上元) オコグパ ブェ ユ ンノ リラ 五穀飯 に 樗 蒲 あそびだ イウオリラ チ ョハ ルナル 二月だ 朔 日 (ついたち)長崎 :韓国の子 どもの遊 びと遊びうた (2) サ ニ ェ ガ ソ チ ャ ンテざッケ ゴ チ ェ ビオ ヌ ン サ ム ウ オ ルサ ムチ ル サ ウ オ リ ラ チ ョ ッパ イ ル ナ ル オ ウ オ ル タ ノ イ ユ ウ オルユ ドゥ チ リュ ルチ ル ソ グ キ ョヌ チ グニ ヨ パ ル ウ オ ル タル ン テ ボ ル ムナ ル ク ウ オ ルチ ュ ン グ ヤ クス グテ ッゴ シ ウ オ ルサ ン ダ ル チ ョサ ン ジ ェサ トンジ ンナ リェ トン ジパ ッチ ュ グ ソ ツダ ル ク ム カチ ソ ルナ ル 山に登 って 釣鐘人参掘 り 燕が来 る 三月桃 の節句 四月だ 初八 日節 五月端午 六月流頭 七 月七夕 牽牛織女 八月 月の大十五 日 九月中頃 よもぎ摘 み 十月上月 先祖祭 り 十一月霜月 冬至あず き粥 十二月師走 大晦 日 205 か りうち *樗 蒲 :四個の楕円 ・扇平の木製物 を放 り投 げてあ らわれる面の組み合わせ に よって勝負 を決める遊 び。韓国では、現在 もお となに も子 どもに もよ く 遊ばれている。 日本では、かつて 「ち ょぼ」 とい う賭賭博 としてあった。 *大十五 日 :陰暦の十五 日の こと。 日本で も、一月十五 日を 「小正 月」、八月十五 日 を 「中秋の名月」 といい、各地 にその名残の行事がみ うけ られる。 *五 穀 飯 :米、麦、粟、黍 (きび)、豆 など
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種類の穀物 を混ぜ て炊 いた飯。 *釣鐘人参 :自生 している朝鮮人参の こと。 *流 頭 :陰暦六月十五 日。 この 日東 に流れる川の水で髪 を洗 うと、一年、災いか ら救われる といわれる。現代 の韓国で も忘れ られかけていることばの よ うだが、中国ではこの行事の残 っている地域が まだある と聞 く。 *牽牛織女 :彦星、織姫の こと。 *薬 蓬 :蓬 (よもぎ)は漢方薬の原料 として使 われているので、韓 国ではこうよ ばれている。 *祖上祭祀 :墓祭 (墓前祭) ともいい、先祖 を祭 る儀式がお こなわれる。 日本 の 「孟 蘭盆 (うらぽん)」 とほ とん ど同 じと考 えられる。 *小 豆 粥 :「お しるこ」 の こと。中に入れるのは餅 ではな く米の粉 を練 った もの。 日本で も、長野県内 も含め全国各地 に、冬至 には小豆粥 を食す習慣が 残 っている。唄われているのは陰歴である。陰暦は、発祥の中国か ら朝鮮半島や 日本に伝 えられた。 月の満 ち欠けに基づいて一年間を
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の 「月」に分け、各月の第- 日を 「ついたち (朔 日)
」、 三十 日を 「みそか (晦 日)」 とい う。月は十五 日に満月 となる。
「ついたちEは 「月立ち」 か ら転 じたといわれ、新月 として満月に向けて月が現れてい くことをいいあ らわ してい る。 また、晦 日は 「月ごもり」か ら転 じた 「つごもり (月陰)
」 ともいわれ、月が完全に 欠けてみえな くなることを指 している。その年の最後の晦 日、すなわち、十二月三十 日 は 「おおみそか (大晦 日)」 (おおっごもり) とよばれるのは周知の とお りである。 各 月の十五 日の中で も一月十五 日を 「上元」、七月十五 日を 「中元」、十月十五 日を 「下元」 といい、合わせて三元 という。 この うち、現在の 日本にその名残 をとどめてい るのが 「上元」 と 「中元」である。正月に準 じた行事 をおこなう地方が現在で もみ られ る一月十五 日の小正月、「中元」は 「お中元」として残 されている。 また、この他の十五 日では、韓国では六月十五 日の流頭 と、八月十五 日の秋夕または嘉俳 日が知 られている。 日本で も八月十五 日は 「中秋の名月」 として月見 をする風習があることはよく知 られて いる し、戦前の童謡 にも 「十五夜お月さん」のことばが出て くる。 節句 も大切 な節 目で、人 目 (じん じつ [一月七 日])、上巳 (じょうし [三月三 日])、 端午 (たんご [五月五 日])、七夕 (しちせ き [七月七 日])、重陽 (ち ょうよう [九月九 日])の五節句がある。この中で現在 も明確 に残 っているのが、桃の節句 [雛祭 り]、端 午の節句 [子 どもの 日]、七夕祭 りなどである。重陽 も、菊の花 を混ぜ た構米 (もちご め)の餅 を食 した 「菊花煎」 とい う行事が、現在 もその名残 をとどめているようだ。 日 本で も、平安か ら江戸時代 まで貴族や武家の世界では、菊の花 にまつわる行事が さまざ まな形でおこなわれていたが、現代の菊花展 もその流れを くんで、菊を愛でる心が伝 え られた ものであろう。 また、人 目は、韓国では蜂蜜やなつめなどを炊 きこんだ栄養のあ る 「薬飯」 を食する風習、 日本で も七草粥の 日として残 っている。 四月八 日は釈迦の生誕 日で、 日本で も昭和2
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年代頃までは、各地で 「花祭 り」が盛 に お こなわれていた。 現在の韓国 も、 日本 と同 じ太陽暦である。漠陽女子大学の金容安教授が来学の折、こ の 「歳事唄」 についてい くつかの質問をしてみた。 この中で六月十五 日の流頭 は、ある ことは思い出 したが、内容 まではよく知 らない様子であった。 日本で も韓国で も、陰暦 は しだいに過去の もの とな りつつあることを実感 した。長崎 :韓国の子 どもの遊 び と遊 びうた (2)
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「セ ッセ ッセ」も日本か ら渡 った ものである。余談 であ るが、第二次世界大戦の頃、 アジア各 国に 日本人が進出 した。 これ に ともなって 日 本の文化 も海 を渡 った。南太平洋の島 に子 どものあそびの一部が残 っている映像 を見 た ことがある。やは り 「セ ッセ ッセ」 を歌 い出 しに してい る。 また、「
-で な くて-だ よ」 な どは、 日本の絵 か き唄 にもよ く見 うけ られる。長崎 :韓国の子どもの遊びと遊びうた(2)
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T 号 李お じさん 仕事 にでかけようる 金お じさん 草刈 りにい こう 趨お じさん 粟 を刈 りにいこう 申お じさん 藁靴 を編 む 襲お じさん 梨 を売 りにいこう 高お じさん 唐辛子 を摘 みにいこう 呉お じさん 胡瓜 を摘 み にいこう 朴お じさん 座布団 を売 りにい こう 丙お じさん 井戸 を掘 って くれ 韓国は、 日本 と同 じく同族社会 といわれる。姓の数は 日本の ように多様ではない。 こ の唄はそれ らの姓 を韓 国特有の仕事 と結 びつけて楽 しく覚 えられそ うだ。 出処 に楽譜はつけ られていないが、録音 を聴 くと、以下の ようなメリスマの繰 り返 し で歌 われていることがわかる。長崎 :韓国の子 どもの遊 び と遊びうた (2) 211 どの民族の音楽 も、使 われている言語か ら自然 に発生 して くる音階や リズムが基礎 と なって成 り立 っている。 もっ とも根元 にあるのが、赤 ちゃんへのあや しことばや子守唄、 子 どもたちのあそびの中の唄であ り、やがて発達 して民謡 となってい くのでろう。
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おわりに ハ ングルはこれ まで まった く未体験 であった。3
年前の訪韓では じめて見た童謡絵本 に親 しみ を覚 え、ハ ングルの辞書 1冊 をた よ りに無謀 な訳 出を試みたのが始 ま りである。 構文が 日本語 にきわめて近い ことも幸 い して、 1ケ月以上 をかけてなん とか10編余 を発 表することがで きた。戦時中の4年間 を韓国で暮 らした とい う思い も手伝 っているのだ が、なによ り、 日本のあそびやあそびうた との文化的共通項 を強 く感 じた ことが大 きな 動機 となっている。 金素雲の 「朝鮮童謡選」 は、1
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年代 に、東京在住の朝鮮人か ら採集 した口伝民謡 の うち、わ らべ うたを日本語 に訳 したものである。今 回取 り扱 ったわ らべ うたの原型 とな る、半島各地の古 いバ リアン トが数多 くみ られる。同 じ唄で も地方 によって少 しずつ違 っ ていることが よ くわかる。 「韓 国伝来童謡絵本 教師 と父母のための手引 き書」の中のそれぞれが、 これ らの原型 を基 に伝承 を現代 に蘇 らせ、今後 もさらに伝 えてい こうとい う目的で編集 されている。 唄の楽譜 と民族楽器の伴奏 を伴 った子 どもの歌 によるテープがセ ッ トになっていて、伴 奏 に使 われている民族楽器の説明 もしている。 これに加 えて唄別 に絵本 をつ くり、楽 し みなが ら覚 え られるような配慮 を して、「あそび」その ものの復活 を目指 しているように もみえる。アイデ ンティテ ィ教育 に対す る意気込みが強 く伝 わって くる。 これは、そ うしなければ韓 国文化 を守れない とい う危機感の表れであろ う。事実、漢 陽女子大学の学生たちの話で も、子 どもたちの生活 は、塾通い とゲームで友 だち とあそ ぶ姿 を見かけることがほ とん どない、 とい う日本 と同様の状況 にある。 また、大人社会 も現代 のテクノロジの奔流 に押 し流 され、誇 っていたはずの儒教 の精神性 は過去の もの とな りつつある。文化的背景の差異は ともか くとして、 日本 も韓 国 もこの点ではまった く同 じ状況である。 日本の音楽教育で も、昭和4、50年代 に新 しい童謡や歌唱教材が創作 されている中、わ らべ うたが注 目され、教材 として もさかんに取 り上げ られたことがあった。わ らべ う たの位置づけを確 かな もの とするために、「あそび」を取 り入れ ようとする試み もお こな われてはいる。 しか し、あそびはその手段であって、最終 目的 をあ くまで音楽教育 にお いている
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「あそぴ」 と 「わ らべ うた」が主客転倒 している結果、「わ らべ うた」 は学校 に閉 じこめ られた ままであ り、「音楽 は学校 を出ず」のままである。 この ことによって、 日本の伝統音楽 ・文化 に対す る子 どもたちの認識 に、何 か変化が 起 きたであろうか。幼児教育科へ入 って くる学生 をみるか ぎり、その気配 は感 じられず、 また、あそぴやわ らべ うたが子 どもの中に蘇 って きた きざしもない。 では、あそびの生活化 を阻害す る もっとも大 きな原因は何か。つ ぎの点 に集約 され よ う 。(
丑外で友 だち とあそぶ ことがほ とん どな くなって、子 ども同士での伝承が難 しい。 (参あそびの質が時代 とともに変わって しまって、あそぴや行事が意味 を失 って しまった 結果わ らべ うた もその意味 をほ とん ど失 って しまった。 全国的規模で収集 された 「わ らべ うた」 についての文献 は、あそびの種類別 に楽譜 と ことばを載せてはいる。 しか し、具体的なあそび方 にまで言及 している ものはほ とん ど ない。 この 「韓国伝来童謡絵本 教師 と父母のための手引 き書」の ように、集約的に編集 された実用書 も、簡単 に手 にはいる とい う状況 に もない。 日本文化の もっとも底辺 とも いえる子 どもの文化が、社会的認知 を得ているとはいえない現状 では、その先 にある大 人社会での 日本文化 に対す る認識 も 「富士 山、芸者」の時代か らあ ま り変化 していない のではないか、 とお もわざるをえない。我 々は、異文化 と向 きあった とき、 日本文化の 何 をどれだけ どう説明で きるだろうか。 「五木の子守唄」は熊本県球磨郡の五木村 に伝 わる唄であるが、昭和2
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年 に東京の赤 坂 の芸者、照菊が歌 うレコー ドが発売 されると、たちまち全国に広 ま り、やがては合唱 曲 として、 また、学校教育の教材 として全国で歌 われるようになった。歌詞の意味 もよ くわか らない まま、筆者 もかつて これを学 び歌 った。後 に、教材研究のために、NHK
収 録の堂坂 よし子の唄 うこの唄 を新 ためて聴いてみた。方言のイン トネーシ ョンや リズム 感 をともなって枯れた声 で唄われる原曲は、それ まで馴 じんで きた芸者の長唄風 の節 ま長崎 :韓国の子どもの遊びと遊びうた(2) 213 わ しや標準語 とピアノ伴奏で歌 ったそれ とは大 きくかけ離れた存在であるように感 じら れ、新鮮 な驚 きと感動 をおぼえたのを忘れることがで きない。 この ような例 は、子 どもの世界だけでな く、民謡 に も同 じことがいえる。歌謡 シ ョー な どでみ る民謡歌手の唄 と、その地で唄われている もの を比較す ると、 どれ も似 て非 な るものであることがわかる。例 えば、「ソーラン節」をみてみると、美国錬場音頭保存会 の唄 う 「錬場音頭」 は、 まず、威勢 よ く舟 をこぎ出す ときの 「櫓漕 ぎ音頭」か ら始 ま り、 網 を引 き上げるときの 「網起 し音頭-松前木遣 り」、豊漁で網が重 くなかなか上が らない ときに、威勢 よくかけるかけ声 としての 「切 り声音頭」、網の中の妹 を陸へ運ぶ汲舟 に汲 み上げる ときの 「沖揚 げ音頭 -ソーラン節」、疲れて帰港す るときの 「櫓漕 ぎ音頭」、浜 で網 にひっかかった数の子 をたた き落 とす 「子 たた き音頭」 な どがセ ッ トになっていて、 大勢の男 (漁師 )たちによって唄われている。衣装や照明な どで華やいだステージで、声 の よさ、 うたい回 しの うまさを聴かせ るの とは異 な り、生活の匂いがその まま伝 わって くるのである。 時代 の流れ とともに、人の生活様式が大 きく様変わ りしてい く中で、本物 とは何 なの か、何 をどの ような形で残 し伝 えるべ きなのか、つ くづ く考えさせ られて しまう。 自分 も、一緒 にあそんだ友 だち も、「わらべ うた」 を音楽の勉強 として唄 ったわけではない。 あそびや生活 とともに日常的に身のまわ りにあっただけであ り、何 も考 えず に唄いあそ んだにす ぎない。家庭であれ教育の場であれ、せめて幼児期 くらいは、 この ような環境 を十分 に与 えてやることが必要 なのではないだろ うか、 と幼児教育者養成 に携 わる者 と して強 くお もう。 参考文献 「韓国伝来童謡絵本 教師と父母のための手引 き書」 韓国児童育英会 キムスギ ョン著 「韓国伝来あそび唄」 チ ョンミョグ 金素雲 (キムソウン)訳編 「朝鮮童謡選」 岩波文庫 岩波書店 金 換 (キムフアン)著 「韓国歳時記」 明石書房 妻在彦 (カンジェオン) 「朝鮮歳時記」 (東洋文庫193) 平凡社 岡田芳朗 ・阿久根末忠 「現代こよみ読み解 き事典」 柏書房 5 3 3 0 1 0 9 9 9 0 7 0 9 9 9 0 9 0 1 1 1 2 1 2
妻 信子 著 「日韓音楽 ノー ト」 岩波新書 岩波書店 河内 紀 ・小島美子 著 「日本童謡集