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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ―中世説話集における〈相対的軽少性〉〈周縁波及性〉の意義の一確認―

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 七九 【キーワード】宇治拾遺物語   副助詞   ダニ   サヘ   相対的軽少性   周縁波及性 【 論 文 概 要 】『 宇 治 拾 遺 物 語 』 か ら 副 助 詞 ダ ニ と サ ヘ と の 用 例 を 取 り 上 げ て、 両 語 の 基 本 的 意 義 を〈 相 対 的 軽 少 性 〉 及 び〈 周 縁 波 及 性 〉 に 求 め る と い う 観 点 か ら、 そ の ふ る ま い 方 の 記 述 を 試 み る。 そ の 際、 ダ ニ に つ い て は 中 古 に 見 ら れ た 四 つ の 用 法、 即 ち、 ① 願 望 表 現、 ② 仮 定 条 件 句、 ③ 否 定 表 現、 ④ 類 推 表 現 で の 各 用 法 が、 ど の 程 度 に 見 ら れ る の か と い っ た 点 に 留 意 す る。 ま た、 サ ヘ に つ い て も、 そ の 基 本 的 意 義 の あ り よ う 如 何 を 検 討 する。それによって、ダニからサヘへの交替に至る過程での一つの実態を、この文献での用例の限りに明らかにする。     はじめに   本 稿 は、 『 宇 治 拾 遺 物 語 』 に 見 え る ダ ニ と サ ヘ と の 用 例 を 取 り あ げ て、 これら二助詞の基本的意義を〈相対的軽少性〉及び〈周縁波及性〉に求め るという観点から、そのふるまい方の記述を試みるものである。   平安時代のダニは、基本的意義として〈相対的軽少性〉の意義を有する ものであったと考えられる(文献⑪~⑱) 。それは、 ①願望表現と共にあっ て最低限願望の意味を形作るのに加わり、②仮定条件句の中に用いられて 最低十分条件とも呼ぶべき意味の構成に与り、③否定述語と組み合わさっ て皆無性の意味の形成に参加し、④類推表現に際しては類推の基盤となる 事柄を整えるのにはたらくものであった。このうち、①の用法は中世にお いて次第に衰えていったし、残る三つの用法も江戸時代初めにはほぼサヘ によって取って代わられるとされる(注①) 。   中世のダニについては、夙く文献⑤によって調査がなされ、宇治拾遺物 語についても多くの言及が見えるが、ここでは、先の四つの用法がそれぞ れどのような様相を呈しているのか、また、その根柢に想定される〈相対 的軽少性〉の意義が、それらを通してどの程度に認められるのかといった 観点から、改めて観察を試みたい。   また、平安時代のサヘは〈周縁波及性〉の意義を有するものであったと 考 え ら れ る が( 文 献 ⑲ ~  )、 サ ヘ に つ い て も、 そ の あ り 方 が ど の 程 度 に 保たれているのかを検討する。   『 宇 治 拾 遺 物 語 』 は 十 三 世 紀 の 初 頭 な い し は 中 頃 に 成 立 し た の で は な い かとされるが、右のような作業を通して、ダニからサヘへの交替に先立つ 時期における両助詞のありようを、この文献での用例の限りに明らかにし ておこうというのが、本稿のねらいである。   以下本稿では、右のような考え方のもとに、これら二つの助詞の用例を

『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ

   

  中世説話集における〈相対的軽少性〉

〈周縁波及性〉の意義の一確認

  ―



 

 

 

四国大学紀要,A 49:79-98,2017 Bull.SkikokuUniv.A 49:79-98,2017

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八〇 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 次 の よ う な 順 番 で 見 て ゆ く が( 注 ② )、 そ れ に よ っ て 明 ら か に さ れ る 事 柄 をあらかじめ結論的に示しておくならば、それらは概ね平安時代と同質的 なありようを保っているということになろうかと思われる。   [甲]ダニ       〔五九例〕    ( 1)願望表現       五例    ( 2)仮定条件       九例    ( 3)否定述語      一九例    ( 4)類推表現等     二五例    ( 5)その他        一例   [乙]サヘ        〔七例〕       願望表現・仮定条件句(ダニの様相・一)   願 望 表 現 と と も に 用 い ら れ る ダ ニ は、 『 宇 治 拾 遺 物 語 』 中 に 五 例 見 え る ( 注 ③ )。 一 般 に 願 望 表 現 で 用 い ら れ る と き、 ダ ニ は、 そ の 接 す る 語 句 が、 想定される他の大きな要因から数歩引き下がった小さな要素であることを 示し、それによって「せめてもの願い」とも呼ぶべき意味が表わされるこ とになる。所謂「最低限願望」 (文献⑩、三七頁)の用法である。 〈相対的 軽少性〉の意義がそのように発揮されるのだと言えよう。   願望の意味を担う形の面から見れば、小さく次のように分けることがで きる(用例末尾の〔固有〕等々の注記については〔付記〕参照)    「む」          三例    「ばや」         一例    省略表現        一例             〔計   五例〕 〔む〕   ①( 一 八 七 )《 「( 前 略 ) 田 舎 に 候 ひ て、 故 殿 失 せ 給 ひ に き と 承 り て、 今 一度参りて御有様を だに も拝み候はんと思ひて、 恐れ恐れ参り候ひし。 (後略) 」》 (巻五、 七七話) 〔固有〕   ②(二九〇) 《小女子どもの二人ありけるをば、 「今日 だに 、この仏師に 物して参らせん。何も取りて来」とて、出だしやりつ。我もまた物取 りて来んずるやうにて、太刀引きはきて出でにけり。ただ妻一人、仏 師に向はせて置きたりけり。 》(巻九、 一〇九話) 〔固有〕   ③(一九九) 《「げにげに経仏を だに 書き供養せんと申し候はば、とく許 し給へ」 》(巻六、 八三話) 〔類〕 〔ばや〕   ④( 二 四 一 )《 「( 前 略 ) そ の 価 少 分 を も 取 ら せ 給 は ず な り ぬ。 お の れ も 皮を だに 剝がばやと思へど、旅にてはいかがすべきと思ひて、まもり 立ちて侍るなり」 》(巻七、 九六話) 〔下・五八。一六 ・ 二八〕 〔省略表現〕   ⑤( 三 七 八 )《 「( 前 略 ) こ の 生 の 事 は 益 も な き 身 に 候 ふ め り。 後 生 を だ に いかでと覚えて、法師にまかりならんと思ひ侍れど、 (後略) 」》 (巻 十二、 一四八話) 〔上・四〇。一九 ・ 一三〕   ①は、 久しぶりに旧主の家を訪れた侍の言葉である。 昔の主人が亡くなっ たと聞いて、せめてお屋敷のありさまなりとも拝見しようと思ってやって き た む ね 語 っ て い る。 「 昔 の 主 人 に 逢 う こ と が で き れ ば 何 よ り だ が、 そ れ が叶わないまでも」といった含みを見て取ることができよう。ダニは、望 ま し さ の 度 合 い の よ り 低 い 要 素 を 掲 げ る こ と で、 「 せ め て も の 願 い 」 を 表 わすのに働いている。そうしたあり方において〈相対的軽少性〉の意義の 発揮されるありさまが見て取られると言えよう。   ②は、詐欺師「くうすけ」の説話である。ここは、食事をふるまって自 分の妻と一緒にいる時間を作り、そのあと美人局の手口で仏師を恫喝しよ うとの魂胆から、小女に用を言いつけ、自分も用を装って外に出て行くと い う 段 取 り を 述 べ た 部 分 で あ る。 「 せ め て 今 日 だ け で も 御 馳 走 し よ う。 何

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 八一 なりと持ってこい」と小女に言いつけている。これまではずっと自前で食 事をさせていたわけである。悪辣な底意のこもったものとは言え、ダニの はたらきかた自体は①と同じであると考えられよう。   ③は、夫も地獄に落としてほしいと閻魔大王に訴えた妻が、写経によっ て妻の苦しみを救いたいという夫の意向を大王から告げられたときの返事 の 言 葉 で あ る。 「 せ め て お 経 を な り と も 写 し て 供 養 し よ う と い う の で し た ら、 さ っ そ く 苦 し み か ら 解 き 放 っ て く だ さ い 」 と の 意 で あ ろ う。 「 こ れ ま で後世を弔うこともしなかったのは仕方がないとしても」といった含みを 読み取ることができる。そうした意味で、ここでのダニも「せめてもの願 い」を表わすのに用いられていると言えよう(この例は仮定条件句での用 法とも考えられるが、姑く願望表現と関わるものとして扱っておいた) 。   ④は、よく知られた藁しべ長者譚の一節である。旅先で馬が死んで処置 に困っている事情を下男が語っている。 「(馬が死んだのは仕方がないとし て)せめて皮だけでも剝ごうと思うけれども、旅先だから干すわけにも行 かず困っている」との謂である。 〔馬を高値で売る  ―  皮 だ け で も 剝 い で 売 る〕といった序列を考えれば、その軽少要因性は明らかであろう。ダニも また、 そのような要素に接することで 「せめてもの願い」 を表わすのに与っ ている(今昔では、 《其ノ直一疋 ダニ 不取シテ止ヌ。 「皮ヲ ダニ 剝バヤ」ト 思 ヘ ド モ 》 と、 否 定 と 合 わ せ て ダ ニ が 二 箇 所 に 用 い ら れ て い る。 Ⅲ・ 五四五~六頁。古本でも《その価一疋を だに 取らせ給はずなりぬ。己れも 「皮を だに 剝がばや」と思へど》と同様のあり方が見られる。四八〇頁) 。   ⑤は、貧しい侍が即興の歌で御衣を賜ったので、それを布施にして出家 をする話しである。ここでは侍が聖に発心の動機を語っている。今生はた いしたこともなかったが、 せめて後生だけでもよくしたいというのである。 ここでもダニは、十全なあり方から数歩引き下がった願いを表わすのに働 くと言えよう(今昔でも、 《「後生ヲ ダニ 助ラム」ト思ヒ給テ》とダニが用 い ら れ て い る。 Ⅳ・ 一 五 二 頁。 古 本 で も、 《 後 生 だ に い か で と お ぼ え て 》 とダニが見える。四四六頁) 。   こうして、願望表現で用いられたダニにあっては、望ましさの度合いに おいてより低い要素を提示するありさまが観察されよう。そのような形で 〈相対的軽少性〉の意義が発揮されるわけである。   平安時代にあってダニの願望用法は、和歌では後拾遺などでも盛んに用 い ら れ て い た が、 散 文 で は 枕 草 子 あ た り か ら 衰 え は じ め る( 文 献 ⑱、 一 〇 三 頁 )。 そ し て 鎌 倉 時 代 に は い る と、 著 聞 集・ 沙 石 集・ 愚 管 抄 な ど で は も は や 使 用 例 が 見 ら れ な く な る と さ れ る( 文 献 ⑤、 一 六 五 頁 )。 そ う し た中にあって、宇治拾遺ではなおこの種の用法の命脈を保っているありさ まが観察されると言えよう。   他 方、 仮 定 条 件 句 で 用 い ら れ る ダ ニ は、 『 宇 治 拾 遺 物 語 』 中 に 九 例 見 え る(注④) 。一般に仮定条件句でダニが用いられると、その接する語句が、 より大きな要因を捨て去った最低ラインとも呼ぶべき段階のものであるこ とが示され、条件句全体としては、それだけでも十分に後件の成り立つこ とが表わされる。そうした意味でこれを「最低十分条件」と呼ぶことも許 されよう。 〈相対的軽少性〉 の意義がそのような形で発揮されるわけである。   仮定条件を表わす形としては、 「未然形+ば」 (七例) 、「べくは」 (一例) 、 「已然形+ば」 (一例) 、などが見られる。以下この順に見てゆく。 〔未然形+ば〕 (七例)   ①( 一 一 五 )《 「( 前 略 ) こ の 道 を 立 て て 世 に あ ら ん に は、 仏 だ に よ く 書 き奉らば、 百千の家も出で来なん。 (後略) 」》(巻三、 三八話) 〔十訓、 六 ・ 三五〕   ②(二五四) 《「それが誰が験(しるし)といふ事知らせ給はずとも、御 心 地 だ に 怠 ら せ 給 ひ な ば、 よ く 候 ひ な ん 」》 ( 巻 八、 一 〇 一 話 )〔 下・ 六五〕   ③(三〇一) 《「何ぞの御かたちぞ。 命 だに おはせば。 『ただかたちを 〔奪っ て下さい〕 』とのたまへ」 》(巻九、 一一三話) 〔固有〕

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八二 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ―   ④(三二四) 《「 (前略)ただ声を だに 聞きてば、 必ずのろふ験ありなん」 》 (巻十、 一二二話) 〔二四 ・ 一八〕   ⑤(四五五) 《「おのれは口てづつにて、人の笑ひ給ふばかりの物語はえ しり侍らじ。さはあれども、笑はんと だに あらば、笑はかし奉りてん かし」 》(巻十四、 一八五話) 〔二四 ・ 二二〕   ⑥⑦(四五三) 《「よく だに 教へてその道にかしこく だに もなりなば、い はんにこそ随はめ。 (後略) 」》 (巻十四、 一八五話) 〔二四 ・ 二二〕 〔連用形+は〕 (一例)   ⑧( 四 五 三 )《 「( 前 略 ) 唐 に 渡 り て も、 用 ひ ら れ て だ に あ り ぬ べ く は、 い は ん に 随 ひ て 唐 に も 具 せ ら れ て 行 か ん 」》 ( 巻 十 四、 一 八 五 話 ) 〔二四 ・ 二二〕 〔已然形+ば〕 (一例)   ⑨( 五 二 )《 さ れ ば 心 に だ に も 深 く 念 じ つ れ ば、 仏 も 見 え 給 ふ な り け り と信ずべし。 》(巻一、 一六話) 〔類〕   ①は、絵仏師の良秀が自分の家が焼けるのを見て喜んだときのせりふで ある。これで不動尊の火炎の描き方がよくわかったというのである。ダニ の 関 わ る 部 分 は、 「 仏 さ え き ち ん と 描 け ば 十 分 に 元 は 取 れ る 」 と の 意 で あ ろう。損失を補って余りあるものを得るために必要なものをごく僅かな要 素 へ と 限 る の に ダ ニ が 用 い ら れ て い る。 〈 相 対 的 軽 少 性 〉 の 意 義 が そ の よ う な 形 で 発 揮 さ れ て い る と 言 え よ う( こ の 話 し は 十 訓 抄 の 巻 六 ・ 三 五 に も 見える。そこでも《仏を だに よく書き奉らば、百千の家も出で来たりなむ ずるものを》と、ダニが用いられている。新編・二七二頁) 。   ②は、飛び蔵伝説で有名な信貴山の聖の話しである。ここは、醍醐天皇 の病気平癒のために都まで出向いてほしいと請われたのに対して、病気が 癒 え さ え す れ ば 誰 が 祈 ろ う と 構 わ な い の で は な い か と 答 え る 言 葉 で あ る。 ダニは、満足の行く結果に至るためには、帝の病気が治るという、ただそ れだけのことで十分だといった意味合いを表わすのに用いられている。 〈相 対的軽少性〉の意義においてそうするわけである(古本でも《たゞ御心地 だに 怠らせ給なば、よく候なん》とダニが用いられている。五〇一頁) 。   ③は、博打打ちの醜い息子を策略によって長者の娘と結ばせる話しであ る。ここでは、天井に忍びこんだ鬼(実は博打打ちの仲間)が「命と容貌 とどちらが惜しいか」と聟に迫るのに対して、命が惜しいと答えるよう促 している舅夫婦の言葉である。帰結句は省略されているが、 「それでよい」 と い っ た 意 味 合 い を 補 う こ と が で き よ う。 こ こ で も ダ ニ は、 「 こ の 状 況 の もとでは、命だけでも助かるという、ただそれだけのことでよい」といっ た意味を表わすのに与ると言えよう。   ④は、算博士の逸材・小槻茂助をのろい殺す算段をしている陰陽師の言 葉である。物忌みの日にわざと訪れて声だけでも聞けば、きっと効き目が あるだろうというのである。目論見の成就に必要な条件を僅かなものへと 絞り込むのにダニのはたらくありさまが見て取られよう(今昔でも《只音 (こゑ) ヲ ダニ 聞テバ必ズ詛フ験ハ有ナム》 と、 ダニが用いられている。Ⅳ ・ 四一六頁) 。   ⑤は、高階俊平(注⑤)の弟が算術(注⑥)で人を笑わせた話しの一節 である。人を笑わせるような話しを女房たちから請われて、このように答 え て い る。 「 不 器 用 で そ ん な 話 し は で き ま せ ん が、 仮 に も 笑 い た い と い う のであれば、笑わせてさしあげます」といったほどの意味であろう。ここ でもダニは、求めに応じるために満たすべき条件が僅かなものであること を表わすのに用いられている(今昔でも《咲ハムト ダニ 有ラバ、咲(わら はか)シ奉ラムカシ》と、ダニが用いられている。Ⅳ・四二六頁) 。   ⑥⑦は、同じく俊平の弟が、算術を伝授されるときの話しである。教え る代わりに一緒に唐まで来なさいと誘われたのに対して、このように答え て い る。 「 き ち ん と さ え 教 え て も ら え る な ら、 そ し て そ の 道 に 精 通 さ え で きるのなら、仰せに従います」というのである。⑧もその続きの言葉であ り、 「 唐 に 渡 っ て も 官 途 に 就 け さ え す る な ら ば、 仰 せ に 従 い ま し ょ う 」 と

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 八三 答えている。いずれの例も、相手の誘いを受け入れるために満たすべき条 件 を 小 さ く 限 る の に ダ ニ が 用 い ら れ て い る と 言 え よ う( 今 昔 で は、 《 吉 ク 教ヘテ其道ニ賢ク ダニ 可成クハ、云ニコソハ随ハメ。宋ニ渡テモ被用テ可 有クハ、日本ニ有テモ何(いか)ニカハセム》とあって、ダニが一つだけ 使われている。Ⅳ・四二四頁) 。   ⑨は、お地蔵様に会わせてあげようと言って悪人に騙された老尼が本当 にそれを見るという話しの結語部分である。心にさえ深く念じていれば仏 様にだって会えると述べている。ここでもダニは、後件成立のために満た すべき条件の僅かなありさまを表わすのに用いられているわけである。   こうして仮定条件句に用いられるダニにあっても、それぞれに〈相対的 軽少性〉の意義の発揮されるありさまを観察することができるであろう。       否定述語(ダニの様相・二)   否 定 述 語 と と も に 用 い ら れ た た ダ ニ は、 『 宇 治 拾 遺 物 語 』 に 十 九 例 見 え る( 注 ⑦ )。 一 般 に 否 定 述 語 と と も に あ る 場 合、 ダ ニ は、 そ れ を し も 斥 け る べ き も の と し て の 小 さ な 要 素 を 提 示 す る の に 用 い ら れ る。 最 終 的 に は、 それと否定とが組み合わさることによって、 「皆無性」 の意味が表わされる。 〈 相 対 的 軽 少 性 〉 の 意 義 が そ の よ う な 形 で 発 揮 さ れ る の だ と 言 え よ う。 以 下では、ダニの接する語句がどのような意味で軽少要因性を帯びるかにつ いて留意しながら、用例を見てゆく。   第一に、次のような例においては、ダニの接する語句自体のありかたか ら、 「小さな要因」であることが比較的容易に認められよう。 〔一盛り〕   ①(六三) 《「参らせよ」とて、まづ大きなる土器具して、金の提(ひさ げ ) の 一 斗 ば か り 入 り ぬ べ き に 三 つ 四 つ に 入 れ て、 「 か つ 」 と て 持 て 来 た る に、 飽 き て 一 盛 り を だ に え 食 は ず。 》( 巻 一、 一 八 話 )〔 二 六・ 一七〕 〔あやしの童〕   ②( 五 六 )《 五 位 の 供 に は、 あ や し の 童 だ に な し。 》( 巻 一、 一 八 話 ) 〔二六 ・ 一七〕 〔敷くべき筵〕   ③( 二 八 〇 )《 家 は 大 き に 造 り た り け れ ば、 親 失 せ て 後 は、 住 み つ き あ るべかしき事なけれど、屋ばかりは大きなりければ、片隅にぞゐたり ける。敷くべき筵 だに なかりけり。 》(巻九、 一〇八話) 〔一六 ・ 七〕 〔あらんと〕   ④(二八六) 《「年比はさる人あらんと だに 知らざりつるに、思ひもかけ ぬ折しも来合ひて、 恥がましかりぬべかりつる事を、 かくしつる事の、 この世ならずうれしきも、何につけてか知らせんと思へば、志ばかり に こ れ を 」 と て〔 自 分 の 赤 い 袴 を 〕 取 ら す れ ば 》( 巻 九、 一 〇 八 話 ) 〔一六 ・ 七〕 〔名〕   ⑤(三六一) 《「この老僧二人、若きより囲碁の外はする事なし。すべて 仏法の名を だに 聞かず。よつて寺僧、 憎みいやしみて交会する事なし。 (後略) 」》 (巻十二、 一三七話) 〕〔四 ・ 九〕   ⑥(四二八) 《「 法 華 経 と 申 す ら ん 物 こ そ 、 い ま だ 名 を だ に も 聞 き 候 は    ね」 》(巻十四、 一七五話) 〔類〕   ①は、例の芋粥の話しの結末部分である。あれほど芋粥を欲しがってい た五位であるのに、こうも大量に出されてみると、一杯も食べられないと い う の で あ る。 「 一 盛 り 」 が 小 さ な 要 素 で あ る こ と に つ い て は 疑 い を 容 れ ない。 ダニもまた、 そうした要素を掲げつつ否定と組み合わさることで、 「喉 を通る分量の皆無性」を表わすのに参加していると言えよう。文献にい わゆる 「弱数量叙述」 (九一頁) の述べ方によって、 そうするわけである (今 昔 で も《 一 盛 ダ ニ 否 不 食( え く は ) デ 》 と ダ ニ が 用 い ら れ て い る。 Ⅴ・

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八四 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 七四頁) 。   ②は、右の芋粥の話しの初めの部分である。五位は服装風采ともにみす ぼ ら し く、 付 き 随 う 人 も 誰 一 人 い な い こ と を 述 べ て い る。 「 あ や し の 」 と あ る 点 に、 そ の 軽 少 要 因 性 は 明 ら か で あ ろ う。 そ こ か ら「 従 者 の 皆 無 性 」 もまた表わされるに至るわけである(今昔でも《賎ノ小童 ダニ 無シ》とダ ニが用いられている。Ⅴ・七〇頁) 。   ③は、敦賀に住む女性が観音様に助けられる話しの一節である。ここで は両親に先立たれた女性の不如意極まりない暮らしぶりを述べている。御 簾や障子・几帳・厨子・脇息といった家具類に較べて、下に敷く筵は最低 限 必 要 な 設 備 で あ る と 言 え よ う。 ダ ニ は そ の よ う な 要 素 に 接 す る こ と で、 「 調 度 類 の 皆 無 性 」 を 表 わ す の に は た ら く と 言 え よ う( 今 昔 で は、 対 応 す る一文自体が見えない。Ⅲ・四八四頁) 。   ④も同じ話しの一節であり、あれこれと手助けをしてくれた若い女(昔 お仕えしていた下女の娘だと名乗っているが、実は観音様)に対してお礼 を 述 べ る 右 の 女 性 の 言 葉 で あ る。 「 あ な た の よ う な 人 が 居 る と い う こ と さ え 知 ら な か っ た の に、 こ ん な に ま で し て 戴 い て 云 々」 と い う わ け で あ る。 ある人の存在を知ることは、その人の内外両面にわたる様々な知識に較べ れば、ほんの始まりの部分を占めるに過ぎない。ダニもまたそのような要 素を掲げることで、その人をめぐる「認識の皆無性」を表わすと言えよう ( 今 昔 で は《 年 来 然 ル 人 ヤ 有 ラ ム ト モ 不 思 ザ リ ツ ル ニ 》 と な っ て い て、 ダ ニは見えない。Ⅲ・四八八頁) 。   ⑤は、お寺で碁ばかり打っている二人の僧について達磨から尋ねられて 答 え る 寺 僧 の 言 葉 で あ る。 「 仏 法 の 名 」 な ど と い う も の は、 経 典 の 語 句 や 教義にまつわる高遠な知識に較べれば、およそ知識と呼ぶのも憚られるほ どの初歩的な情報に過ぎない。 ダニは、 そのような要素に接することで、 「仏 教との無縁性」を表わすのに参加すると言えよう(今昔では《若クヨリ碁 ヲ 打 ヨ リ 外 ニ 亦 所 行 無 シ、 仏 法 ノ 御 坐( お は し ま す ) ラ ム 方 ヲ 不 知 ズ。 》 とあって、ダニは見えない。Ⅰ・三一五頁) 。   ⑥は、海雲比丘から法華経について尋ねられた童子の返答である。ここ で も、 ⑤ と 同 様 の ダ ニ の は た ら き 方 が 見 て 取 れ よ う。 「 名 」 を 知 る こ と は ただその存在を知るというのにも等しく、この点で④に通うと捉えること もできよう。   第二に、次に掲げる例では、ダニの接する語句が、動作のあり方の面で 最低限の部類に属するものを表わすという点から、その軽少要因性を了解 することができる。 〔顧みだにもせず〕   ①(一〇八) 《「こはいかにいかに」といひけれど、かへりみ だに もせず して逃げて往にけり。 》(巻三、 三三話) 〔固有〕 〔見だにも返らず〕   ②( 二 四 一 )《 男、 思 は ず な る 所 得 し た り と 思 ひ て、 思 ひ ぞ 返 す と や 思 ふらん、布を取るままに見 だに も返らず、走り往ぬ。 》(巻七、 九六話) 〔下・五八。一六 ・ 二八〕 〔見だにえ見つけず〕   ③( 二 三 〇 )《 「( 前 略 ) ほ こ ろ び 縫 ひ に や り た れ ば、 ほ こ ろ び の 絶 え た る所をば見 だに え見つけずして、 『さたの』とこそいふべきに、 (中略) な ぞ わ 女 め、 『 さ た が 』 と 言 ふ べ き 事 か。 ( 後 略 )」 》( 巻 七、 九 三 話 ) 〔二四 ・ 五六〕 〔物をだに言はず〕   ④( 四 五 七 )《 腹 の わ た 切 る る 心 地 し て、 死 ぬ べ く 覚 え け れ ば、 涙 を こ ぼ し、 す べ き 方 な く て、 ゑ つ ぼ に 入 り た る 者 ど も 物 を だ に え い は で、 入道に向ひて手を摺りければ、 》(巻十四、 一八五話) 〔二四 ・ 二二〕 〔箸をだに立てさせず〕   ⑤(二九二) 《「 (前略) つかうまつり人となりければ、 御まかりに候へば、 御 ま か り に た べ 候 ひ な ん〔 = お 下 が り と し て 頂 き ま し ょ う 〕」 と て、

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 八五 箸を だに 立てさせずして、 取り持ちて往ぬ。 》(巻九、 一〇九話) 〔固有〕 〔ものの具だに取らず〕   ⑥(二九一) 《「 (前略)物の具を だに 取らず、深く隠れにけり。 》(巻九、 一〇九話) 〔固有〕 〔衣だに斬れず〕   ⑦(三四九) 《余りに近く走り当りてければ、 衣 だに 斬れざりけり。 》(巻 十一、 一三二話) 〔二三 ・ 一五〕 〔聞くことだにもなし/聞きだにもせず〕   ⑧⑨(三四〇) 《「露も知らざりけり。聞く事 だに もなかりけり。しかる に、この守殿(かうどの) 、この国をばこれこそ始めにておはするに、 我 ら は こ れ の 重 代 の 者 ど も に て あ る に、 聞 き だ に も せ ず、 知 ら ぬ に、 かく知り給へるは、 げに人にすぐれたる兵 (つはもの) の道かな」 》(巻 十一、 一二八話) 〔二五 ・ 九〕 〔筑紫へだに行かず〕   ⑩( 四 五 四 )《 親 し き 人 々 に い ひ と ど め ら れ て、 俊 平 入 道 な ど 聞 き て 制 しとどめければ、 筑紫へ だに え行かずなりにけり。 》(巻十四、 一八五話) 〔二四 ・ 二二〕   ① は、 盗 賊 の 大 太 郎 が、 こ れ ま で 押 し 入 ろ う と し て 入 れ な か っ た 家 に、 強弓を引く武人の住んでいることを知人から聞いて、一目散に逃げてゆく 場面である。 単に振り向くことは走りながらでもできる簡単な動作であり、 逃げるということを阻害する度合いは極めて小さい。ダニはそのような要 素 を 提 示 す る こ と で、 後 ろ 向 き な 心 の 皆 無 性 を 表 わ す と 言 え よ う。 〈 相 対 的軽少性〉の意義が、そのように働くわけである。   ②は、藁しべ長者譚の一節である。死んだ馬を布三匹と交換した下男が 一目散に去って行くさまを述べている。ここでも①と同様のあり方を認め ることができよう(今昔では《逃ガ如クシテ走去ヌ》とあって、ダニは見 えない。Ⅲ・五四六頁。古本では《見 だに も返らず》とダニが用いられて いる。四八一頁) 。   ③は、郡司の下にいる女が、言いつけた縫い物の代わりに歌を詠んでよ こしたときの佐多の腹立ちの言葉である。綻びの切れたところを見つける ことさえできないで、 「さたが」とは何事か、 との趣意であろう。歌は《わ れ が 身 は 竹 の 林 に あ ら ね ど も さ た が 衣 を 脱 ぎ か く る か な 》 と い う も の で あ っ た が、 「 さ た が 」 と「 が 」 を 使 っ て い る と こ ろ に 目 く じ ら を 立 て た わ けである。 「綻びをきれいに修繕する  ―  綻 び を 単 に 見 つ け る 」 と い っ た 軽 重差を考えれば、その軽少要因性は明らかであろう。ダニもまたそのよう な要素を掲げることで、 (佐太から見ての) 「能力の皆無性」を表わすもの となっていよう(今昔でも、 《綻ノ絶タル所ヲ ダニ 否不見(えみ)デ》と、 ダニが用いられている。Ⅳ・四八一頁) 。   ④は、高階俊平の弟が「算術」で人を笑わせた話しである。ここは、笑 わされた人たちが疲労困憊して、術をやめるよう身振で懇願しているさま を 述 べ て い る。 言 葉 を 口 に す る こ と は、 体 の 動 き を 伴 う 動 作 に 較 べ れ ば、 きわめて少ない労力しか要しない。ダニは、そのような要素に接すること で、 「 身 体 統 御 能 力 の 皆 無 性 」 を 表 わ す の に は た ら く と 言 え よ う( 今 昔 で は《ヱツボニ入タル者共ノ、物ヲバ不云シテ手ヲ摺ケレバ》とあって、ダ ニは用いられていない。Ⅳ・四二七頁) 。   ⑤は、詐欺師「くうすけ」の説話である。ここでは、形だけ弟子入りを して、 説経の講師に用意した食事をまんまと取り下げたことを述べている。 箸をつけることは、そこからこそ食事の始まる糸口となる動作であり、い わば端緒としての軽少性を帯びる。ダニは、そのような要素に接しつつ否 定の働きを受けることで、講師における「供応享受の皆無性」を表わすと 言えよう。   ⑥も「くうすけ」説話の一節であり、 美人局の手口(願望用法の②参照) で恫喝された仏師が、 仕事道具も取り敢えずに逃げ去るさまを述べている。 仏師にとって仕事道具は、逃げるに際して他の何を措いても携えるべき最

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八六 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 低限の品目であろう。ダニもまた、そのような要素を掲げつつ否定と組み 合わさることで、 「持ち帰るものの皆無性」を表わすと言えよう。   ⑦は、橘則光(注⑧)が三人の盗賊を撃退する話しである。ここは三人 目の盗賊を迎え撃った場面で、相手が近すぎて服も切れなかったことを述 べ て い る。 「 骨 を 断 つ・ 肉 を 斬 る 」 と い っ た 事 柄 に 較 べ て、 衣 を 切 り 裂 く ことが軽微な部類に属することに疑いの余地はない。ダニもまた、そのよ う な 要 素 の 軽 少 性 を 示 す こ と で、 「 攻 撃 損 傷 効 果 の 皆 無 性 」 を 表 わ す の に 与 る わ け で あ る( 今 昔 で も、 《 余 リ 近 ク テ 衣 ダ ニ 不 被 切( き ら れ ) デ 》 と ダニが用いられている。Ⅳ・三五一頁) 。   ⑧は、源頼信(多田満仲子息)が平忠恒を攻める話しの一節である。海 の 中 に 馬 を 渡 す こ と の で き る 浅 い 道 が あ る こ と を 頼 信 が 知 っ て い た た め、 臣下たちは感心している。そんなことは未だ嘗て聞いたこともなかったと いうのである。それを聞いていることは、実際に知っていることに較べれ ば極めて皮相な知識に過ぎない。ダニは、そうした意味での軽少性を明示 す る の に 働 い て い る。 最 終 的 に は、 そ れ を し も 斥 け る こ と で、 「 知 識 の 皆 無性」が表わされるに至ると言えよう。⑨についても同様である(今昔で は、 《三人許ナム此ノ道ヲバ知タリケル。其ノ外ハ露聞ニ ダニ 不聞 (きかざ) リケレバ、 「(前略)我等 ダニ 不知(しらぬ)ニ、何カデ此ク知リ給ヒケム (後略) 」》とあって、ダニが二つ用いられている。Ⅳ・五一九頁) 。   ⑩は、高階俊平の弟が算術を教わる代りに唐に渡るはずだったのが(仮 定 条 件 句 ⑥ ⑦ ⑧ の 例 参 照 )、 一 時 上 京 し た の が き っ か け で 筑 紫 へ も ゆ け な くなったことを述べている。大陸へ渡航することに較べて、筑紫へゆくこ とが軽微な要素であることは絮説を要しない。ダニもまた、そのような要 素 に 接 す る こ と に よ っ て、 「 京 都 出 立 の 皆 無 性 」 を 表 わ す の に 働 く わ け で ある(今昔にも《鎮西ヘ ダニ モ不行カ(ゆかず)成ケリ》と、ダニが用い られている。Ⅳ・四二五頁) 。   第三に、次のような例にあっても、ダニは、それぞれに軽少なありかた を帯びた要素に附属しつつ、皆無性表現の一端を担うと言えよう。   ①( 七 八 )《 「( 前 略 ) か か る 折 だ に も そ の 恩 を 報 じ 申 さ ず ば、 何 を も て か報ひ申さん」 》(巻二、 二四話) 〔二〇 ・ 四四〕   ②(四四八) 《「やや、わたう、連歌 だに つかぬとつきたるぞかし」 》(巻 十四、 一八二話) 〔固有〕   ③( 三 一 二 )《 猪 の し し と い ふ も の の 腹 立 ち 叱 り た る は、 い と 恐 ろ し き ものなり、それを だに 何とも思ひたらず、心に任せて殺し取り食ふ事 を役とする者の、 いみじう身の力強く、 心猛く、 むくつけき荒武者の、 おのづから出で来て、 》(巻十、 一一九話) 〔二六 ・ 七〕   ①は、厚行という人が、生前世話になった隣人の葬儀のために自宅の敷 地 を 提 供 し よ う と し て い る 言 葉 で あ る。 仮 定 条 件 句 で 用 い ら れ て い る が、 ダニが直接関わるのは否定であろう。 「かかる折」 は、 むろん隣人の亡くなっ た時のことであるが、せめてこのような時ぐらいには恩返しをするべきで あるような、そんな機会をさすと考えてよかろう。無為のままに過ごして もそれほど不義理とは言えないような爾余のケースをことごとく取り去っ て 残 さ れ る 最 後 の ひ と ひ ら の よ う な 機 会 で あ っ て、 そ う し た 点 に、 〈 相 対 的軽少性〉の意義の発揮されているさまを窺い知ることができよう(今昔 で は、 《 此 ル 時 ニ、 其 ノ 恩 ヲ 報 ジ 不 申 ズ ハ、 何 事 ヲ 以 カ ハ、 報 ジ 申 サ ム ト 為ル》とあって、ダニは見えない。Ⅳ・三〇八頁) 。   ②は、仲胤僧都の連歌をめぐる挿話である。にくさげな顔立ちの上童を 見たある僧が「うへわらは大童子にも劣りたり」と詠んだのに対して、仲 胤は「祇園の御会を待つばかりなり」と付けたが、一同その真意が解らな い。 そ の 絵 解 き の 言 葉 で あ る。 「 あ の 小 面 憎 い 上 童 の こ と だ か ら、 連 歌 さ え付かないと付けたわけさ」というのである。童本人に較べれば、連歌の 付 合 な ど 所 詮 は あ そ び で し か な く、 切 実 な 存 在 感 を 伴 な う も の で は な い。 ダニは、そのような軽易な次元に属することを明示する。最終的には、否 定 と 組 み 合 わ さ る こ と に よ っ て、 「 取 り 柄 と な る 点 の 皆 無 性 」 を 表 わ す に

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 八七 至ると言えよう。   ③は、人身御供を求める神(猿)を撃退する話しの一節である。ここで は撃退役をつとめる荒武者を紹介している。猛り立った猪でも平気で取り 殺 す こ と を 述 べ て い る。 「 何 と も 思 わ な い 」 と い う こ と を 成 り 立 た せ る 要 因 を 相 対 的 に 少 な く し か 備 え な い 要 素 を 示 す の に ダ ニ が 用 い ら れ て い る。 それによって「恐れる対象の皆無性」を表わすに至るわけである(今昔で は《数(あまた)ノ犬ヲ飼テ、山ニ入テ猪・鹿ヲ犬ニ令噉殺テ取事ヲ業ト シ ケ ル 人 也。 亦、 心 ロ 極 テ 猛 キ 者 ノ、 物 恐 ヂ 不 為( せ ぬ ) ニ テ ゾ 有 ケ ル 》 とあって、ダニは見えない。Ⅴ・二九頁) 。   以上の検討から、否定述語と共にあるダニは、その接する語句の軽少要 因性を示すことで 「皆無性」 を表わすのに加わるありさまが認められよう。 〈相対的軽少性〉の意義が、そのような形で発揮されるわけである。       類推表現(ダニの様相・三)   類 推 表 現 に 用 い ら れ た ダ ニ は、 『 宇 治 拾 遺 物 語 』 中 に 二 十 五 例 見 え る。 一般に類推表現で用いられるとき、ダニは、小さな要因においてもの事態 の 成 立 を 表 わ す の に は た ら き、 そ こ を 足 場 に、 「 ま し て よ り 大 き な 要 因 の 場合には云々」といった類推もまたなされる。そうした意味で、類推の基 盤 と な る 事 柄 を 形 成 す る の に 与 る と 言 え よ う。 〈 相 対 的 軽 少 性 〉 の 意 義 が そのように用いられるわけである。   類推表現は、類推の基盤となる事柄と類推される事柄との示され方の面 から、次の三つの小類に分けておくことができる(注⑨) 。    :典型的類推構文       七例    :準典型的類推構文     一一例    :暗示的類推構文       七例          〔計   二五例〕   ま ず、 :〔 典 型 的 類 推 構 文 〕 に 属 す る も の と し て は、 次 の 七 例 を 挙 げ ることができる。この種の構文では、類推の基盤となる事柄と類推によっ て知られる事柄とがともに言葉に表わされ、かつ、そこでの昂進性自体も 「 ま し て 」「 況 や 」 と い っ た 語 句 に よ っ て 示 さ れ る( 注 ⑩ )。 二 事 態 と そ の 関係との総てが表わされるのだから、類推に関わる要素は余すところなく 示されていると言えよう。典型的と称する所以である。そうした中にあっ てダニは、 ある事柄が相対的に小さな要因においても成り立つことを示し、 そ の こ と に お い て、 類 推 の 足 場 と な る 事 柄 を 形 作 る の に 参 加 す る。 〈 相 対 的軽少性〉の意義が、そのように発揮されるのだと言えよう。   ①(一三五) 《「一つが徳を だに こそ見れ、ましてあまたならばいかにも 頼もしからん。あの隣の女にはまさりて、子どもにほめられん」 》(巻 三、 四八話) 〔固有〕   ②(一五七) 《「これはいみじき悪人なり。一二度人屋にゐん だに 人とし てはよかるべき事かは。ましていくそばくの犯しをして、かく七度ま では、 あさましくゆゆしき事なり。この度これが足斬りてん」 》(巻四、 五八話) 〔一五 ・ 二二〕   ③( 一 八 五 )《 昨 日 今 日 の 者 の か く い は ん だ に あ り、 い は ん や 故 殿 の 年 比の者のかくいへば、家主笑みて、 》(巻五、 七七話) 〔固有〕   ④( 六 二 )《 た だ そ の 声 の 及 ぶ 限 り の め ぐ り の 下 人 の 限 り 持 て 来 る に だ に さばかり多かり。まして立ち退きたる従者どもの多さを思ひやるべ し。 》(巻一、 一八話) 〔二六 ・ 一七〕   ⑤( 一 五 〇 )《 さ ば か り 程 の 物 使 ひ た る に だ に 火 車( ひ の く る ま ) 迎 へ に来たる。まして寺物を心のままに使ひたる諸寺の別当の地獄の迎へ こそ思ひやらるれ。 》(巻四、 五五話) 〔一五 ・ 四〕   ⑥( 三 一 二 )《 人 の 親 子 と な る 事 は 前 の 世 の 契 り な り け れ ば、 あ や し き を だに もおろかにやは思ふ。ましてよろづにめでたければ、身にもま さりておろかならず思へども、さりとて逃るべからねば、歎きながら

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八八 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 月日を過す程に、 やうやう命つづまるを》 (巻十、 一一九話) 〔二六 ・ 七〕   ⑦( 四 〇 〇 )《 「( 前 略 ) 心 ば せ あ る 人 だ に も、 物 に つ ま づ き 倒 る る 事 は 常の事なり。まして馬は心あるものにあらず。この大路はいみじう石 高 し。 馬 は 口 を 張 り た れ ば、 歩 ま ん と 思 ふ だ に 歩 ま れ ず。 〔 そ れ を 従 者が〕と引きかう引き、くるめかせば、倒れんとす。馬を悪しと思ふ べきにあらず。 (後略) 」》 (巻十三、 一六二話) 〔二八 ・ 六〕   ①は、雀報恩譚の一節であり、雀を助けて豊かになったのを見た隣の老 婆が、三匹の雀の腰を折って養っているときのせりふである。雀一匹分の 利得だけでもあれだけになるのだから、まして三匹分ならばどれほど裕福 になるだろうかと勘定を立てている。豊かさをもたらす要因を相対的に少 なくしか備えない要素を掲げるのにダニが用いられていると言えよう。そ れを足場に「まして云々」の類推もまたなされるわけである。   ②は、七度も牢屋に入った罪人だから足を斬ろうと言っている検非違使 の 言 葉 で あ る。 前 科 一 ・ 二 犯 で も 善 い 人 と は 言 え な い の だ か ら、 ま し て 幾 多の罪を犯しているのは言語道断だというのである。ここでもダニは、相 対的に罪の軽い場合を挙げるのに用いられている。そこから「あさましく ゆゆしき事」 という結論もまた引き出されるのだと言えよう (今昔では 《一 度獄(ひとや)ニ被禁タラムニ、人トシテ吉キ事ニ非ズ》とあって、ダニ は見えない。Ⅲ・四〇八頁) 。   ③は、 父親に全然似ていないと言われている当主をめぐる話しである (願 望 表 現 ① の 例 に、 来 訪 の 動 機 を 語 る 侍 の 言 葉 が 見 え た )。 こ こ は、 昔 父 親 に 仕 え て い た 侍 か ら、 《 故 殿 の お は し ま し し に 違 は せ お は し ま さ ぬ が あ は れ に 覚 え て 》( 一 八 四 頁 ) と 言 わ れ て 喜 ん で い る 場 面 で あ る。 も は や ① ② のように数字で示されてはいないが、 〔昨日今日  ―  年 比 〕 と い っ た 対 照 か ら、その軽少要因性は明らかに見て取れよう。ダニもまた、このあり方を はっきりと示すのに用いられるわけである。   ④は、利仁が芋粥の材料を集めさせている場面である。五位が目覚めて みると、下人達が芋を屋根の高さまで積んでゆく。近くの下人たちが持ち 寄ったものだけでもこれだけあるのだから、遠くの分も併せればどれほど 多いことだろうというのである。③のダニが時間量の面で小さな要素に接 していたのに対して、④では空間量の面から、その「小」なるあり方が示 さ れ て い る と 言 え よ う( 今 昔 で も、 《 只、 其 ノ 音 ノ 及 ブ 限 ノ 下 人 共 ノ 持 来 ル ダニ 、然許多カリ》とダニが用いられている。Ⅴ・七四頁) 。   ⑤ は、 薬 師 寺 の 別 当 が 寺 の 米 を 五 斗 ほ ど 借 り た ま ま に し て い た た め に、 臨終にあたって地獄の迎えが来たことを述べている。たったそれだけでも 火の車が迎えにくるのだから、まして寺物を恣にしている諸寺の別当たち のことは推して知るべしだというのである。五斗という分量を「さばかり 程」と表わしている点に、軽少なあり方がはっきりと見て取れよう(今昔 では《然許(さばかり)ノ程ノ罪ニ依テ火ノ車迎ニ来ル》とあって、ダニ は見えない。Ⅲ・三八二頁) 。   ⑥は、器量の良い女性を生け贄に求める神(猿)を撃退する話しの一節 で あ る。 こ こ で は 娘 を 犠 牲 に 供 す る 羽 目 に な っ た 親 の 嘆 き を 述 べ て い る。 容貌の醜い子であっても悲しくないわけがない、まして眉目麗しい娘であ れば云々との趣意である。 「あやし  ―  め で た し 」 の 対 照 を 考 え れ ば 、 嘆 き をもたらす要因を相対的に少なくしか備えない場合をダニが示しているこ とは明らかであろう(今昔では《此娘被差テ後、 父母無限歎キ悲ビケレ共、 可遁様無事ナレバ、月日ノ過ニ随テ命ノ促マルヲ》となっていて、ダニは 見えない。Ⅴ・二九頁) 。   ⑦は、清原元輔(清少納言の父)が賀茂祭りの勅使を勤めていたときに 落馬したことをめぐる挿話である。彼は並み居る殿上人に対して言い訳を し て い る。 十 分 気 を 付 け て い る 人 で も 躓 い て 倒 れ る こ と が あ る の だ か ら、 まして馬のような動物の場合は云々というのである(第二のダニについて は、 小 類 の ⑪ で 扱 っ て い る )。 こ こ で も ダ ニ は、 躓 き 倒 れ る こ と を も た らす要因をより少なくしか備えない要素を示すのに用いられていると言え

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 八九 よう(今昔では、 《心バセ有ル人 ソラ 、物に躓テ倒ル事常ノ事也。何況ヤ、 馬ハ心バセ可有キ物ニモ非ズ。 》とソラが用いられている。Ⅴ・二〇六頁)   次に、 :準典型的類推構文に属するものとしては、左の十一例が見ら れる。 「まして」 「況や」に類する語句はもはや見えないが、類推の基盤と なる事柄と類推される事柄とは揃って言葉に表わされる。類推の骨組み自 体は十分に示されているのだから、典型的類推構文に準ずるものとして受 け止めることができよう。ダニのはたらき方についても同じである。   ①( 三 一 五 )《 さ ら ぬ だ に 猿 丸 と 犬 と は 敵( か た き ) な る に、 い と か う のみ習はせば、 猿を見ては躍りかかりて食ひ殺す事限りなし。 》(巻十、 一一九話) 〔二六 ・ 七〕   ② (二七九) 《いくばくも経ぬ程に、 父失せにけり。それ だに 思ひ歎くに、 引き続くやうに母も失せにければ、 泣き悲しめども、 いふかひもなし。 》 (巻九、 一〇八話) 〔一六 ・ 七〕   ③ (二八五) 《「これ だに 思ひかけずうれしきに、 さまではいかがあらん」 》 (巻九、 一〇八話) 〔一六 ・ 七〕   ④ (二九二) 《〔講師は〕 これを だに あやしと思ふ程に、 馬引き出して、 「こ の馬、 はしのりに賜り候はん」 とて引き返して往ぬ。 》(巻九、 一〇九話) 〔固有〕 歌 ⑤( 一 一 八 )《 悪 し き だ に な き は わ り な き 世 間( よ の な か ) に よ き を 取 られてわれいかにせん》 (巻三、 四〇話) 〔上・一八〕   ⑥( 四 七 〇 )《 人 々 あ や し と 思 ひ、 そ こ ば く の や ん ご と な き 僧 を ば 召 さ ず し て、 か く 参 り た る を だ に よ し な し と 見 ゐ た る を し も 召 し あ れ ば、 心も得ず思へども、行きて召す由をいへば参る。 》(巻十五、 一九一話) 〔下・五二。一四 ・ 三五〕   ⑦ (四五九) 《春宮 〔=大海人の皇子〕 これ 〔=皇子討伐を知らせる手紙〕 を御覧じて、さらで だに 恐れ思しける事なれば、 「さればこそ」とて、 急 ぎ 下 種 の 狩 衣、 袴 を 着 給 う て 藁 沓 を は き て、 宮 の 人 に も 知 ら れ ず、 ただ一人山を越えて、 北ざまにおはしける程に》 (巻十五、 一八六話) 〔固 有〕   ⑧( 四 〇 八 )《 「( 前 略 ) 光 遠 だ に も、 お れ を ば 手 殺 し に 殺 し て ん。 腕 を ばねぢて腹、 胸を踏まんに、 おのれは生きてんや。それにかの御許〔= 光遠の妹〕 の力は、 光遠二人ばかり合せたる力にておはするものを。 (後 略) 」》 (巻十三、 一六六話) 〔二三 ・ 二四〕   ⑨(二三〇) 《「 (前略)掛けまくもかしこき守殿(かうのとの) だに も、 ま だ こ そ こ こ ら の 年 月 比、 ま だ し か 召 さ ね。 な ぞ わ 女 め、 『 さ た が 』 といふべき事か。 (後略) 」》 (巻七、 九三話) 〔二四 ・ 五六〕   ⑩( 二 三 一 )《 「( 前 略 ) 守 殿 だ に 、『 さ た 』 と こ そ 召 せ。 こ の 女 め、 『 さ たが』といふべき故やは」 》(巻七、 九三話) 〔二四 ・ 五六〕   ⑪( 四 〇 〇 )《 「( 前 略 ) 心 ば せ あ る 人 だ に も、 物 に つ ま づ き 倒 る る 事 は 常の事なり。まして馬は心あるものにあらず。この大路はいみじう石 高 し。 馬 は 口 を 張 り た れ ば、 歩 ま ん と 思 ふ だ に 歩 ま れ ず。 〔 そ れ を 従 者が〕と引きかう引き、くるめかせば、倒れんとす。馬を悪しと思ふ べきにあらず。 (後略) 」》 (巻十三、 一六二話) 〔二八 ・ 六〕   ①は、人身御供を求める神(猿)を退治する話しの一節である(先のa ⑥ に は、 そ れ を 嘆 く 親 の あ り さ ま が 述 べ ら れ て い た )。 こ こ は、 猿 を や っ つけるために犬を訓練している事情が述べられている。ただでさえ猿と犬 は仲が悪いのに、猿を捕まえてきては躍りかからせるので、猿への攻撃性 が 輪 を か け て つ の っ た と い う の で あ る。 「 さ ら で 」 は、 訓 練 馴 致 と い っ た 敵愾心増進措置を伴なわない場合を示す。ダニもまた、その「小」なるあ り方を示しつつ、類推基盤事態の形成に加わると言えよう(今昔では《本 ヨリ犬ト猿トハ中不吉者ヲ、然カ教ヘテ習スレバ猿 ダニ 見レバ数懸テ噉殺 ス》と、別の箇所にダニが用いられている。Ⅴ・三〇頁) 。   ②は、敦賀に住む女性が観音様に助けられる話しの一節である(否定述 語・ 第 一 グ ル ー プ の ③ に、 そ の 不 如 意 な 暮 ら し ぶ り が 述 べ ら れ て い た )。

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九〇 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― ここでは女性の身寄りがなくなる事情を説明している。父親が亡くなった だ け で も 悲 し か っ た の に、 加 え て 母 親 ま で も 身 ま か っ た と い う の で あ る。 悲しさをもたらす要因を相対的に少なくしか備えない場合を掲げるのにダ ニが用いられていることは明らかであろう(今昔では《娘此レヲ思ヒ歎ケ ル 間 ニ、 程 無 亦 母 モ 死 ニ ケ リ 》 と あ っ て、 ダ ニ は 用 い ら れ て い な い。 Ⅲ・ 四八四頁) 。   ③も同じ話しであり、 ここは昔台所に仕えていた女の娘 (実は観音様) が、 訪問客の一部の人たちの食事の世話などをしてくれたのに加えて、次の日 にやってくる更に大人数の客人たちに対しても迎え入れる準備をしたいむ ね 申 し 出 た の に 対 し て、 女 性 が 遠 慮 し て た め ら う 言 葉 で あ る( 否 定 述 語・ 第 一 グ ル ー プ の ④ で、 女 性 は 赤 い 袴 を 贈 っ て そ の お 礼 を し て い る )。 こ れ までの分だけでも嬉しいのに、そこまでしていただくのは申し訳ないとの 趣意であろう。忝なさをもたらす要因を相対的に少なくしか備えない要素 を示すのにダニが用いられていると言えよう(今昔でも《今日ダニ不思係 ヌニ、其マデハ何ガ可有キ》とダニが用いられている。Ⅲ・四八七頁) 。   ④は、詐欺師「くうすけ」の説話である。説教のお礼の食事を箸も付け させずに取り下げた(否定述語・第二グループの⑤参照)だけでも変だと 思ったのに、お布施と称して差し出していた馬までも口実を設けて引き取 られてしまったことを述べている。ここでもダニは、講師にとっての不可 解さをもたらす要因を相対的に少なくしか備えないケースを示すのに用い られているわけである。   ⑤は、木樵が斧(=よき)を取り上げられたのを返してもらうために詠 ん だ 歌 で あ る。 悪 し き も の で あ っ て も 無 い と 困 る の に、 よ き も の( = 斧 ) を取られてはどうしようもないとの謂である。 〔あしき  ―  よ き 〕 の 対 照 に 意を留めれば、ダニの接する語句の軽少なありかたは明らかであろう(古 本にも同じ歌による説話が見える。四二三頁) 。   ⑥は、基経の病気を仁王経を読んで治した極楽寺の僧の物語である。こ こは基経が並み居る高僧をさしおいてこの僧を召したことに対する人々の 不審の念を記している。 呼ばれもせずに参上しているだけでも推参なのに、 よりによってそんな人を召すとは……というのである。不可解さをもたら す要因を相対的に少なくしか備えない場合を示すのにダニが用いられてい ると言えよう(今昔でも《参テ居タル ダニ 不得心ズト思フニ》とダニが用 いられている。Ⅲ・三四七頁。古本では《 「そこばくの僧を召すことなし。 参りてゐたるをよしなし」と見ゐたる程に》となっていて、ダニは見えな い。四六一頁) 。   ⑦は、壬申の乱にまつわる挿話を述べた話しの一節である。ここでは吉 野に引き籠もっていた大海人の皇子が奈良へ志摩へと逃走する経緯を記し ている。ただでさえ皇子は大友の皇子による討伐を恐れていたが、確実に それを知らせる手紙を受けとっていよいよ恐懼したというのである。恐れ をもたらす要因をより少なくしか備えない場合を示すのにダニが用いられ て い る。 「 さ れ ば こ そ 」 の 部 分 に「 ま し て 今 は 危 険 極 ま り な い 」 と い っ た 類推義が集約的に表わされていると見るならば、これも準典型的類推構文 を形作るものとして受け止めることができるであろう。   ⑧は、相撲人 ・ 光遠の妹が大力の持ち主だったことをめぐる挿話である。 妹の家に押し入って人質にしようとした逃亡者が捕えられて、光遠から申 し渡される言葉である。この私でも素手でお前を殺すことができる、まし て妹は私に二倍する力を持っているのだから云々、というわけである。殺 傷力を相対的に少なくしか備えない人を掲げるのに、ダニが用いられてい ると言えよう(今昔でも《光遠 ダニ 己ヲバ手殺シニ殺シテム物ヲ》とダニ が用いられている。Ⅳ・三七五頁) 。   ⑨は、 「さたが衣」と言われて憤っている佐多の言葉である。 「権勢並び 無い為家様でも〝佐太 が 0 〟とおっしゃったことは一度もないのに、この女 が( 佐 太 の 0 で は な く )〝 佐 多 が 0 〟 な ど と 言 っ て よ い わ け が あ ろ う か 」 と の 謂であろう(注⑪) 。「佐多が」という言葉遣いをすることが無礼になる要

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『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― 九一 因を相対的に少なくしか備えない人のほうを掲げるのにダニが用いられて いる。見かけ上は否定述語とともに用いられているが、 右のような意味で、 準 典 型 的 類 推 構 文 と し て の あ り よ う を 備 え て い る。 「 佐 多 が 」 と 呼 ぶ か ど うかの事実問題ではなく、当否をめぐる価値問題に関して、軽重関係が成 り 立 っ て い る わ け で あ る( 今 昔 で も、 《 忝( か た じ け な く ) モ 守 殿 ダ ニ 未 ダ 年 来 名 不 召( な を め さ ず )》 と ダ ニ が 用 い ら れ て い る。 Ⅳ・ 四 八 一 頁。 見られるように、今昔では通称を呼んだこと自体が憤りの原因となってい る) 。「さたが」と言われた憤懣を朋輩にぶちまける⑩についても同じであ ろ う( こ ち ら は 今 昔 で は《 不 思 ヌ 女 ニ 悲 ク 佐 太 ブ リ 被 為 タ リ 》 と あ っ て、 ダニは見えない。Ⅳ・四八一頁。脚注によれば「佐太ブリ」とは、佐太よ ばわりをすることの意であるらしい) 。   ⑪は、小類 の⑦と同じ部分であり、落馬した元輔が弁疏の言葉を長々 と繰り広げる場面である。馬は、手綱のせいで歩もうと思っても(思うよ うに)歩めないところへ、従者がやたらに引き回すものだから、倒れるの も無理はないと主張している。ここでのダニは、馬にとって統御を阻害す る要因を相対的に少なくしか備えない場合を示すのに用いられている。そ こから、ましてあちこちと引っ張られた場合には(余計に自由が利かなく て)倒れてしまうといった類推義もまた引き出されてくる。そのような形 で〈 相 対 的 軽 少 性 〉 の 意 義 が 発 揮 さ れ て い る と 言 え よ う( 今 昔 で は、 《 馬 ノ口ヲ張タレバ、 歩バムト思フ方ニモ不歩(あゆば)セズシテ》とあって、 ダニは用いられていない。Ⅴ・二〇六頁。今昔では「自由が利かない」と いう点がより明瞭に打ち出されていると思われる) 。   さらに、 :暗示的類推構文に用いられたものとしては、左の七例が挙 げられる。類推によって知られる事柄はもはや言葉では表わされないまま に終わり、あるいはそれと背反する事柄のほうが述べられる。このような 場合でも、類推される事柄を補って読めば、これまでと同様のあり方を了 解 す る こ と が で き る し、 〈 相 対 的 軽 少 性 〉 の 意 義 も ま た 変 わ る こ と な く 見 て取ることができる。   ①(五七) 《三井寺に知りたる僧のもとに行きたれば、 「ここに湯沸かす か 」 と 思 ふ だ に も、 「 物 狂 ほ し う 遠 か り け り 」 と 思 ふ に、 こ こ に も 湯 ありげもなし。 》(巻一、 一八話) 〔二六 ・ 一七〕   ②(一二七) 《「心憂き事に候ふ。御神はおはしまさぬか。下藹の無礼を いたす だに たち所に罰せさせおはしますに、大宮司をかくせさせて御 覧ずるは」 》(巻三、 四六話) 〔類〕   ③( 三 八 九 )《 唐 の 人 は 虎 に あ ひ て 逃 ぐ る 事 だ に 難 き に、 か く 虎 を ば 打 ち殺して、子を取り返して来たれば、唐の人はいみじき事にいひて、 》 (巻十二、 一五六話) 〔類〕   ④(二二九) 《〔佐太は郡司の家の女の所に〕行き着きけるままに、とか くの事もいはず、もとより見馴れなどしたらんにて だに 、疎からん程 はさやあるべき、従者などにせんやうに、着たりける水干のあやしげ なりけるが、 ほころび絶えたるを切懸の上より投げこして、 高やかに、 「 こ れ が ほ こ ろ び 縫 ひ て お こ せ よ 」 と い ひ け れ ば 》( 巻 七、 九 三 話 ) 〔二四 ・ 五六〕   ⑤( 二 九 九 )《 い か な れ ば こ の 土 器( か は ら け ) を 捧 げ て 泣 く や ら ん と 思 ひ て、 よ く よ く 見 れ ば、 銅( あ か が ね ) の 湯 を 土 器 ご と に 盛 れ り。 打ちはりて鬼の飲ませんに だに も飲むべくもなき湯を、心と泣く泣く 飲むなりけり。 》(巻九、 一一二話) 〔一九 ・ 二〇〕   ⑥⑦(九五) 《「 (前略)我らが涼みに来る だに 暑く苦しく大事なる道を、 涼まんと思ふによりて登り来る だに こそあれ、涼む事もなし。別にす る事もなくて、卒都婆を見めぐるを事にて、日々に登り下るるこそあ や し き 女 の わ ざ な れ。 こ の 故 知 ら せ た ま へ 」》 ( 巻 二、 三 〇 話 ) 〔一〇 ・ 三六〕   ① は、 芋 粥 の 話 し の 一 節 で あ る。 「 湯 浴 み 」 の 名 目 で 五 位 は 敦 賀 ま で 連 れて行かれる。山科を過ぎ、関山も超えて、三井寺までやってきた。もう

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九二 『宇治拾遺物語』の副助詞ダニとサヘ   ―   中世説話集における〈相対的軽少性〉 〈周縁波及性〉の意義の一確認   ― いい加減都からは遠いのに、ここにも湯を沸かしている気配はない、いっ た い ど こ ま で 行 く の か。 そ ん な 五 位 の 心 中 を 叙 し て い る。 「 三 井 寺 ま で 来 たというだけでも都から途方もなく遠いのに」という点に、類推の基盤と な る 事 柄 と し て の あ り 方 が 見 て 取 れ よ う。 類 推 義 と し て は、 「 こ こ で も な い と し た ら い っ た い ど ん な 遠 く ま で 行 く の か 」 と い っ た 含 み が 生 ず る が、 表現としては、それは読み手の理解に委ねられ、暗示されるに留まる。そ う し た 意 味 で、 暗 示 的 類 推 構 文 が 形 作 ら れ て い る と 見 る こ と が で き よ う。 ダニはと言えば、道のりの遠さに呆れる気持ちを懐かせる要因を、相対的 に少なくしか備えない要素を示すのに用いられていると言えよう(今昔で も《其ヲ ダニ 、「物狂ハシク遠カリケル」ト思フニ》とダニが見える。Ⅴ ・ 七〇頁) 。   ②は、熱田神宮の大宮司が国司俊綱(注⑫)に処罰されて神様に哀訴す る 言 葉 で あ る。 「 身 分 の 低 い 者 が 無 礼 を は た ら く だ け で も す ぐ さ ま 罰 を お 下しになるのに、大宮司をこんな目にあわせた者に対しては何もなさらな いのですか」との意であろう。罰せられるべき必然性をより少なくしか備 えない要素を示すのにダニが用いられている。そこから汲み取られる類推 義 は、 「 ま し て こ ん な 無 礼 が 許 さ れ て よ い は ず が な い 」 と い っ た ふ う に な るが、実際には、それと背反する事態のほうが言葉にされているわけであ る。   ③は、我が子を喰い殺した虎を退治した遣唐使の話しである。現地の人 は虎に出くわして逃げるだけでも難しいのに、この人は虎を斬り殺してき たので衆人の感嘆したことを述べている。予想される類推義とは反対の事 柄を成し遂げたわけである。ダニはと言えば、困難の度合いを相対的に少 なくしか備えない事柄を示すのに用いられていると言えよう。   ④は、これまでも何度か出てきた「さたが衣」の話しである。ここは佐 多が見ず知らずの女性にいきなり衝立越しに水旱を投げ込んで縫い物を言 い つ け た 場 面 で あ る。 「 は じ め か ら 顔 見 知 り の 者 で あ っ て も、 親 し く な ら な い 間 は、 そ ん な こ と を し て 良 い も の だ ろ う か( 決 し て 良 く な い )」 と い う 筆 者 の 批 評 を、 挿 入 句 的 に 記 し て い る。 「 況 や 初 対 面 の 場 合 に は 云 々」 の 意 味 あ い は 十 分 に 汲 み 取 る こ と が で き よ う。 そ う し た 意 味 で、 ダ ニ は、 無礼なふるまいを許容する素地をより少なくしか備えないケースを示すの に用いられている。実際の表現では、類推義をふまえつつも、それと背反 する事柄のほうが言葉に言い表わされているわけである(今昔では《本ヨ リ見タラム女 ソラ 踈カラム程ニ然カハ何有キ》とあって、ソラが用いられ ている。Ⅳ・四八〇頁) 。   ⑤は、大安寺に住む女性のもとに泊まった男が夢に見た光景である。鬼 が無理やり飲ませても飲めそうもない銅の煮え湯を、泣きながらも我から 飲 ん で い る こ と を 述 べ て い る。 「 鬼 の 強 制 と い う こ と が あ れ ば、 ま だ し も 飲むということが生じ得るかも知れないが、そのような場合であってもと ても飲めそうもない」というのが当該句の意味合いであろう。その限りで 「 喉 を 通 す 見 込 み の 皆 無 性 」 を 表 わ す と 見 る こ と も で き る が、 同 時 に ま た そこには、 「ましてそんな強制力のない場合には飲めるわけがない」といっ た意味での類推義を見て取ることもできる。こう捉えた場合のダニは、嚥 下の障碍となる要因を相対的に少なくしか備えない場合を示すことで、類 推の足場となる事柄を形作るのに加わることになろう。実際の表現として は、その実現困難な事柄が現前しているわけであって、そうしたありよう において、暗示的類推構文が形作られていると見ておいてよいかと思われ る(今昔では《打チ責テ鬼ノ呑セム ソラ 可呑クモ非ヌ銅ノ湯ヲ、心ト泣々 ク呑也ケリ。 》と、ソラが用いられている。Ⅳ・一六九頁) 。   ⑥⑦は、卒都婆が血で染まると山が崩れると言い聞かされて毎日山に登 る老婆に対して、 若者達がわけを尋ねている言葉である。⑥の部分は、 「私 ども若い者が涼むために登ってくるのでも大変なのに、お年を召した方が 涼むわけでもなく登ってくるのはどうしてなのか」との趣意であろう。労 苦をもたらす要因を相対的に少なくしか備えない要素を提示するのにダニ

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